ジム・クロウチの「Operator」を初めて聴いた時、優しいメロディと輪郭のはっきりした心地いい歌声に聴き惚れた。電話をかけるには交換手(Operator)に繋いでもらう必要があった時代。交換手へ語りかけながら、過去の恋人に電話をしようかしまいか、心境が変化していく様子が歌われている。5枚あるスタジオアルバムのうち、初ヒットとなった3作目『You Don't Mess Around with Jim』(ABC Records-ABCX756)からのシングル曲だ。
兵役の任務が解かれた1968年、大学の友人でもある音楽プロデューサーのトミー・ウエストの勧めで夫妻はニューヨークへ移住し、キャピトルレコードからデュオでのアルバム『Jim & Ingrid Croce』(Capitol Records-ST-315)をリリース。しかし商業的には恵まれず、ニューヨークでの生活にも疲れた2人はペンシルベニア州リンデルの田園地帯に移り住むことにした。ここでのクロウチは工事現場の作業員やトラック運転手など様々な仕事で生計を立てていたそうだ。この生活の中で出会った人々は、後の曲作りのテーマとして登場しているらしい。
1970年になって、大学の友人で音楽プロデューサーのジョー・サルヴィオロから紹介されたシンガーソングライターのモーリー・ミューライゼンとパートナーを組みABCレコードと契約。この頃息子が生まれたクロウチは決意を新たに再びニューヨークへ向かい、ミューライゼンをリードギターに、トミー・ウェストとテリー・キャッシュマンのプロデュースでアルバムを制作する。こうして1972年4月にリリースされたのがヒットアルバムとなった『You Don't Mess Around with Jim』だ。収録曲のひとつ「Time In A Bottle」は息子のために書かれた曲だそう。この時から、全米中をツアーしてまわる多忙な日々が始まった。ツアーと並行してレコーディングも進められ、ABCレコードでの次のアルバム『Life and Times』』(ABC Records-ABCX756)は1973年1月にリリースされた。このアルバムからのシングル曲「Bad, Bad Leroy Brown (邦題: リロイ・ブラウンは悪い奴)」は2週連続全米1位を獲得。フランク・シナトラやドリー・パートンにもカバーされた。クイーンの「Bring Back That Leroy Brown」という曲で歌われているのは、このクロウチの「Bad, Bad Leroy Brown」の歌詞に登場する悪党リロイ・ブラウンのことだ。
1973年9月20日、クロウチとミューライゼンはルイジアナ州ナケテシュにある、ノースウェスタン州立大学でのコンサートを終え、翌日のテキサス州シャーマンのコンサートに向かうところだった。しかしナケテシュの空港で2人が乗り込んだ小型チャーター機は、離陸した直後に木に激突し6人の乗客全員が死亡。ジム・クロウチは30歳、モーリー・ミューライゼンは24才という若さで突然この世を去った。シングル曲「I Got A Name」がリリースされる日の前日の事故だったそうだ。11月には、これまで『You Don't Mess Around with Jim』の中の1曲だった、息子のための曲「Time In A Bottle」がシングルカットされ、全米1位を獲得する。そして事故の1週間前にレコーディングを終えていた、「I Got A Name」を含む同名のアルバム『I Got a Name (邦題: 美しすぎる遺作)』(ABC Records-ABCX797)が1973年12月にリリースされ、「I Got A Name」の他、「I'll Have To Say I Love You In A Song」、「Workin' at The Car Wash Blues」がヒットを獲得した。
そしてバンド活動と並行しプロデューサーや作曲家としての道を歩み始める。特に1980年代後半から1990年代にかけて、Brian Wilsonとのコラボレーションが彼のキャリアのハイライトとなり、弊誌でも何度も取り上げている。Andyは、Brianの音楽的復活を支えただけでなく、Madonna、Jerry Lee Lewis、Jonathan Richmanなど、さまざまなアーティストとの仕事を通じてその多才ぶりを証明した。Andyの音楽性はジャンルを超え、ポップ、ロック、カントリー、映画音楽など多岐にわたり、彼の楽曲は映画やテレビのサウンドトラックにも使用されるなど、幅広い層に親しまれた。 Andyの死は大きな喪失だが、Andy の音楽人生は、Bostonの草の根音楽シーンから始まり、世界的なステージへと飛躍を遂げた。彼が遺した音楽とその精神は、これからも多くの人々にインスピレーションを与え続けることだろう。 今回は極私的特集としてBrian Wilson以外の草の根パンクスピリットに溢れた彼の足跡を紹介しよう。
Andy Paleyの音楽的背景を理解するには、彼が生まれ育ったBoston周辺の音楽的な風土を知ることが不可欠である。1960年代から1970年代初頭にかけてのBostonは、文化的にも音楽的にも独特なエネルギーが満ちあふれ、フォークからロック、さらには実験的なサウンドまで、多様なジャンルが交差するこの街は、新しい才能が芽吹く肥沃な土壌があった。
1970年末、バンドはある程度の評価を得ていたものの、レコード契約は見込めない状況で、Wellesley出身のSusie Adamsをマネージャーとして迎える。その後、Marblehead出身のプロモーター、NeilとRoy Grossmanが彼らにデモを録音させ、レコード会社への売り込みを試みた。その後、BrooksとHarrisonがThe Modern Loversに加入し、リーダーのAndyとRoseが残り、バンドは5人編成に縮小された。興味深いことに、The Modern Loversの最初のライブは、1970年9月にCatfish Blackの前座として行われたものだった。
「We Are The World」がリリースされたのは、1985年3月28日。アメリカの音楽界、そして多くのスーパースターが燦然と輝いていた時代だ。
私はこの「We Are The World」のシングル盤を持っている。このシングルが発売された頃は、ベストヒットUSAなどで盛んにMVが流れていた。大好きだったミュージシャンが何十人も一堂に会して、顔をつきあわせて歌っているその姿に目をみはり、かっこよくて、テレビで流れるたびに夢中になって見ていた。ちょうどその頃、兄がアメリカに出張に行くという話を聞き、
「買ってきて~!」と頼んだのだった。
Netflixで、「We Are The World」のドキュメンタリー映画『The Greatest Night in Pop』を見ていたら、シングル盤が発売され、レコードショップに並べられて、多くの人が手に取っている場面があった。兄もアメリカのどこかのレコードショップで、こんなふうに買ってくれたのだなぁと、その様子を想像して、ふふっと笑顔になった。
今日、久しぶりにシングル盤で聴いている。WebVANDAをご覧の皆さまにはこちらをどうぞ。
今回取り上げるドキュメンタリー映画『The Greatest Night in Pop』は、2024年1月19日、サンダンス映画祭の特別上映の一環としてワールドプレミアが行われ、同月29日からNetflixにて公開された。
……にしても、なぜ今、なのだろう。「We Are The World」のメイキングなら、発売された当時に制作され、ビデオになり全世界で発売された。
また、豪華スターが共演する「エイド」が盛んに行われるようになったきっかけは、1984年、イギリスのミュージシャンたちによる「Do They Know It’s Christmas?」であって、「We Are
The World」ではない。ここまで大きなプロジェクトでなくても、1985年のライブ・エイドのためにデヴィッド・ボウイとミック・ジャガーが発表した「Dancing In The Street」もあるし、米国エイズ研究財団のためのチャリティーシングルとして発売された、ディオンヌ・ワーウィック&フレンズによる「That's What Friends Are For」が発売されたのも1985年11月で、これらも大きな売り上げをあげている。
マイケルは楽器が弾けないため、ハミングでメロディをつくるのだという。その様子を見たライオネルは「神がかって見えた」と語るが、ふたりで知恵をしぼってもなかなか曲ができない。時間は過ぎていき、あのサビ部分「We are the world~ We are the children~」が生まれたのが1月18日で、全体の歌詞とメロディが完成して、クインシーに音源を送ったのは1月20日。スタジオで仮歌をレコーディングして(仮歌を歌ったのは、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー)、必要分のデモ・テープをつくり、依頼書、楽譜の発送が行われたのが1月24日だった。なんと、本番のレコーディングの4日前である。
「We Are The World」のMVを見ると、マイケル・ジャクソンが誰もいないスタジオでひとりでソロを歌っている場面がある。ダイアナ・ロスとのデュエット部分は、みんながいるスタジオで歌っているが、このひとりで歌っている場面はなんだろう?と不思議だった。ドキュメンタリーを見て、これは、AMAに出席していなかったマイケル・ジャクソンが、他の人より先にスタジオに入って歌った映像だということがわかった。マイケルはひとりで集中して、自分を歌にシンクロさせようとしていたのだという。
このとき、2カ所の歌詞が変わる。
1つは、「We are the world, we are the children.
We are the ones who make a brighter day~」のところ。はじめにマイケルが作詞したときの歌詞は「~who make a better day~」(より良い日に)だったが、メイキング映像でマイケルは、「より明るく(brighter)って歌っちゃったよ」と言っている。「ぼくは魂をこめて、歌ったよ」と。この部分は、このあと全員で合唱する際にも話題に上り、「brighter」への変更で決定した。
また、「It’s true we’ll make a better day, just
you and me」のところでは、「you and me」と歌うのが良いか、「You and I」と歌うのが良いか、どっちがいい?とクインシーにたずね、クインシーが、「you and me だな。より魂がこもる」と答える場面も。
この作品のなかではライオネル・リッチーは、「(家とは)自分にとっては、この部屋(「We Are The World」を録音したA&Mスタジオ)のことだ。この部屋は俺の家だ」と語っている。自分の原点の1つ、ということだと思う。音楽仲間と夢中になって成し遂げたプロジェクトは、ライオネルに大切な場所と仲間との絆という「家」を残したのだ。
それを考えたとき、『The Greatest Night in Pop』というドキュメンタリー映画には、ただ単に「We Are The World」の舞台裏に迫る、ポップスが最高に輝いた夜、あるいは、音楽のチカラという意味のほかにも、なにか大事なメッセージが隠されていたのではないだろうか。私はそれを「No War」への願いだと感じたが、それとはちがうメッセージを受け取る人もいると思うし、そうあるべきだと思う。いい作品だった。
今月の寄稿で書こう!と思ったきっかけは、今年1月6日の浜田省吾のコンサート「SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023」(さいたまスーパーアリーナ)で聴いた、この曲。
■浜田省吾「J.BOY」(1986年)
町支寛二による小気味よいギターリフがイントロの「愛の世代の前に」で始まったライブは、サブタイトルの「Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKUBOX”」の通り、ビートのきいたロックから、胸にしみるロッカバラードまで、懐かしい曲が続いた。そしてコンサート終盤に演奏され、おぉ、そういえば、これもツインギターによるハモりがかっこいい曲だ~と思った「J.BOY」。
転載した記事の多くは80年代。当時、聴いていた感覚と、いまの年齢で聴く感覚とでは、違うものもあったのか、浜田省吾の音楽がすーっと感情に入り込んできて、あぁ、こんなすごい歌い手だったのかと再認識。ちょうど、下村誠の本をつくっている最中の昨年夏に公開された映画「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」も観に行き、誠実で、説得力のある歌声に圧倒されて、すっかりファンになってしまったという、浜省ファン初心者である。
レコード棚の奥に、フォリナーのシングル「つめたいお前(原題:Cold As Ice)」(1977)を見つけて、「シングル盤を買うほど好きだったっけ?」と首をかしげつつも、シングルジャケットの写真を見たら、ギタリストがふたり。これは……!と思い、聴いてみたが、ツインハモりギターではなかった。残念。でもフォリナーのシングルをきっかけに、記憶の扉が開いていく。まず思い出したのがBOSTON。
「BOSTON! More Than Feeling!(1976年) ぜったいギターがハモってる!」と、これはレコードを持っていないので、YouTubeで聴いてみた。ハモってる、ハモってる♬
「ベストヒットUSA」で、ナイトレンジャーの「Rock Me America」(1983年)を観た記憶がある。いま見ると、ミュージックビデオの構成がまだまだシンプルで、ちょっとほほえましい。ナイトレンジャーはツインギターのバンドだが、この曲でのギターのハモりはなかったので、懐かしい~と思いながらも、ツインギターによるギターハーモニーのある曲を探した。
この曲を知ったのは、パラシュートのレコードで聴いたのではなく、大学の音楽サークルの同級生のバンドの演奏で初めて聴いたこと。サークルのたまり場で、ギターの人が練習していたかもしれない。
今回、3曲目に紹介したウィルソン・ブラザーズの「Take Me To The Heaven」が、レコードやラジオではなく、先輩バンドの演奏で知ったのと似ているパターン。