2021年3月21日日曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(キャンディーズ)

 
 今回は今から44年前の1977年4月4日に後楽園球場で盛大な解散コンサートをもって活動の幕を下ろしたキャンディーズのライヴ・アルバムについてレビューをする。

 まずはキャンディーズについて、メンバーは東京音楽学院のスクールメイツ出身だった伊藤蘭(ラン)、藤村美樹(ミキ)、田中好子(スー)の3人組。なお当初はミキとスーに男性メンバーを加えた3人組という企画や、『NHKステージ101』で活躍していた太田裕美、のちにザ・ヴィーナスに加入するコニーもメンバーの候補になっていたという。
 このガール・グループのお気に入りメンバーを指して「○○派」という呼び方は、キャンディーズから始まったように思う。当時、慶応高校に在籍していた“キャンディーズ・ファン”だった自民党の石破茂元幹事長は、「ミキちゃん派」だったと公言している。

 そんな彼女たちの初仕事は1972年4月にNHK『歌謡グランドショー』のマスコットガールに起用されたことで、その場でグループ名が「キャンディーズ」に決まった。またこの年の 第23回 NHK紅白歌合戦(以下、紅白)のオープニングにも参加し、100人のスクールメイツの中でセンターのポジションでダンスを披露している。そんな彼女たちは、当時渡辺プロのスタッフだった松崎澄夫(まつざきすみお)(後のAmuse代表取締役)に認められ、1973年にスーをメイン・ヴォーカルに据え<あなたに夢中>(36位;8.1万枚)で歌手デビューを果たす。デビュー当時の作家は、国民的アイドル歌手天地真理の一連のヒットを手掛けていた森田公一だった。


 キャンディーズは即スターダムに乗ったわけではないが、そのキュートな振り付けは、同世代には人気があった。それは当時のバラエティ番組『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で、彼女たちの振り真似する高校生が大喝采を浴びていたことでもよくわかる。しばらくヒットには恵まれなかったが、当時のマネージャー諸岡義明(後の渡辺プロ専務)の提案で、リード・ヴォーカルをスーからランにコンヴァート。そして1975年に発表した5枚目のシングル<年下の男の子>(9位;26万枚)がトップ10ヒットとなり、念願の第26回紅白に初出場を果たしている。この曲を書いたのは、一般に「キャンディーズとともに燃え尽きた作家」とも称される元GSアウト・キャストの穂口雄右(ほぐちゆうすけ)だった。なお彼は彼女たちがデビューしているとも知らず、「あの娘たちを手掛けたい」と白羽の矢を立てていたと聞く


 そんな当時の彼女たちは“フィラデルフィアのセクシー・エンジェル”スリー・ディグリーズに憧れており、ことあるごとに「目標はぐっと高く、スリー・ディグリーズ!」と公言している。8枚目のシングル<その気にさせないで>(17位;10.9万枚)は、ディグリーズを意識した作風だった。この年の10月19日には蔵前国技館で「キャンディーズ10,000人カーニヴァル」を開催できるまでになっている。


 なお彼女たちを語るのには1975年に結成された日本初の全国規模ファン・クラブ「全国キャンディーズ連盟(通称:全キャン連)」なる熱狂的なファンの存在を忘れてはならない。それはサード・アルバム『年下の男の子』の収録曲<春一番>が彼らの絶大なる支持(勿論、スタッフも意識)によって、1976年初頭にニュー・ヴァージョンのシングルとなり、オリコン3位(36.2万枚)の大ヒットを記録。その人気沸騰ぶりは、この年に蔵前国技館で開催された「キャンディーズ10,000人カーニヴァル Vol.2」に象徴されているように、収容人数を上回る超満員で埋め尽くされた。ここに至り、彼女たちはトップ・アイドルとして不動の地位を手にしている。そして第27回紅白にもこの曲で連続出場した。


 また同時に、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などヴァラエティ番組のレギュラーもしっかりこなしている。そこでは<電線音頭>を歌い踊り、「泣かないでラン、世界のキャンディーズになるまで涙は禁物よ!さあ笑ってラン!…うん」という恒例のコントまでもこなし、アイドルの範疇に収まらない幅広い人気を獲得している。それはトップ・アイドルしか採用されなかった<ポピーちゃん・スター人形>(注:1)にラインナップされていたことでもよくわかる。



 とはいえ彼女たちは人気だけではなくその実力も確かなもので、絶対音感を持つミキを中心とした美しい三声ハーモニーは当時のアイドルの中では際立っていた。加えてサポート・バンドのM.M.P.(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)との絶妙なコンビネーションも注目に値するものだった。
 このM.M.P.は元ワイルド・ワンズの故渡辺茂樹が率いた伊丹幸雄のサポート・バンドR.R.C.(ロックン・ロール・サーカス)を原型に、あいざき進也のサポート・バンドとして再編されたバンドだった。メンバーは渡辺茂樹(リーダー、キーボード)、西村コージ(ギター)、川内章一(ドラムス)、新田一郎(トランペット)、兼崎順一(トランペット)、片山鉱二(サックス)、菅原由紀(パーカッション)の7人編成。



 なお、捕捉になるがM.M.P.のトランペット奏者新田一郎は、これ以降バンドを独立してサザン・オールスターズなどのライヴをサポートするホーン・スペクトラムを結成。その後M.M.P.の元メンバーに呼びかけ日本版アース、ウィンド&ファイヤー(以下、E.W.F.)とも呼ばれたスペクトラムを結成している。そんなスペクトラムは8人編成でメンバーはスペクター1~8号と称していた。ステージでは1,000万もかけたという古代ギリシャの戦士ヘラクレスを思わせる甲冑や北欧のバイキング風の派手なコスチュームを纏い、わずか2年の活動期間だったがそのど派手なパフォーマンスは今も伝説になっている。

 話は本論に戻すが、このように順調に邁進していた彼女たちを脅かす存在が出現する。それはこの年8月<ペッパー警部>で彗星のようにデビューしたピンク・レディーだった。この新勢力はセカンド・シングル<S.O.S.>から1位の座を連続で奪取するようになり、怒涛の快進撃を開始し、日本中に「旋風」を起こすモンスターになっていった。この状況にキャンディーズのスタッフが危機感を持ち、彼女たちをさらに飛躍させるべ「大人計画」を発案し、吉田拓郎を起用した。
 そんな拓郎が提供した曲は彼女たちの最高傑作の呼び声も高い<やさしい悪魔>(4位;39万枚)だった。その歌唱時に小悪魔的なセクシー・コスチューム(注:2)で武装するというイメージ・チェンジで新たなファンを開拓することにも成功している。

 
 この曲で勢いを取り戻したキャンディーズの続くシングルは、<およげたいやきくん>の作者佐藤寿一(さとうじゅいち)を起用。それは元来のキュートな彼女たちを強くアピールする<暑中お見舞い申し上げます>(5位;29.8万枚)で勢いづいたなおこの曲は郵政省の暑中見舞い葉書(現:かもめーる)のCM曲に起用されている。とはいえピンク・レディーの快進撃はさらに加速し、<渚のシンドバット>は1位のみならずミリオン・セラーを記録するほどだった。

 そんな<暑中~>がヒット中の1977年7月17日に開催された日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、キャンディーズを社会現象にまで発展させた出来事が発生する。それこそが「ふつうの女の子に戻りたい」という突然の涙の解散宣言だった。
 人気絶頂のアイドルから飛び出したこの発言は当時の流行語になり、その後も多方面に飛び火するほどだった。具体例としては、1984年に演歌歌手都はるみの「普通のおばさんに戻りたい」という引退宣言。また人気漫画家浦沢直樹は「YAWARA!」の主人公猪熊柔(いのくまやわら)の柔道家を放棄する本心として「普通の女の子になりたい」と発言させている。

 そもそも彼女たち3人は、同年9月末限りで解散する意思を固めていたが、事前に所属事務所の正式な了承を得ずに解散宣言をおこなってしまった。そのため関係各位の説得と話し合いの末、解散は半年間先送りされたが、この事態ははからずも彼女たちの存在を日本中に大きくクローズ・アップすることになった。皮肉にもこれをきっかけに、飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の音楽シーンの頂点に昇りつめたピンク・レディーをしのぐ勢いで、人気を再燃させることになっている。


 そんな彼女たちは解散に向けたツアーを消化し、<アン・ドゥ・トロワ>(7位:28.1万枚)、<わな>(3位:39.2万枚)と続々リリースした新曲も勢いを増していった。ただ新譜を量産するのみばかりではなく、前者のカップリング曲にはスティーヴ・イートンの<All  You Get From Love Is A Love Song(ふたりのラヴ・ソング)>をカヴァーするなど選曲センスの良さも光っていた。そして解散に向けて発売された<微笑みがえし>は、初のオリコン1位(82.9万枚)に輝くことになる。
 この曲は<わな>で再び彼女たちとタッグを組んだ穂口雄右のメロディに、阿木曜子がキャンディーズのヒット曲のタイトルを随所に盛り込んだ<春一番>の歌詞からスタートする粋な計らいのナンバーだった。そして歌唱時にはセンター・ポジションも「ラン~ミキ~ラン~スー~ラン」と、「三人のキャンディーズ」を象徴していた。
 余談ながら当時「少年ジャンプ」に連載中の「すすめ!!パイレーツ」(江口寿史)では、この曲の歌詞をもじったギャグ(注:3)が登場するほどだった。


 さて肝心の『ファイナルカーニバル』だが、1978年4月4日に後楽園球場における初の女性アーティスト単独ライヴとして、55,000人のファンを集めて開催された。この模様は3日後に録画でテレビ中継もおこなわれ、30%を越す高視聴率を記録。そしてこのコンサートのエンディングで「ほんとうに私たちは、幸せでした」という有名なセリフを残してステージを降りた。
 なおこの日のライヴを収録した『ファイナルカーニバル・プラス・ワン』は、3枚組6,000円という高価なアルバムにもかかわらず、ファンの熱い支援によってシングル同様にキャンディーズ唯一の1位にランクされ、商業的にも大成功を収めている。



 これを最後に彼女たちは引退して「普通の女の子」になった。ところが1978年11月に解散コンサートのラストを飾った<つばさ>(16位)がキャンディーズとしての正式なラスト曲としてリリースされている。また番外にはなるが、1989年には松浦雅也(元PSY・S)によるリミックス・アルバム『CANDIES BEATS / Andy Pop Posse』が登場し、ちょっとした話題になっている。このように根強い人気ゆえに1994年の『キャンディーズ・バイブル』を皮切りに、貴重な未発表音源を収録したCD-Boxが2008年まで続々5作もリリースされている。


 そんな各メンバーは徐々にではあるが歌手や女優としてカムバックしている。まず1982年にミキがソロ歌手として再デビュー、化粧品会社のキャンペーン・ソング<夢・恋・人>(13位、16万枚)をヒットさせている。また女優の道を選択したスーも1984年1月にVictor/Invitationから『好子』をリリースしている。その後、スーもラン同様に女優の道を邁進んして、「日本アカデミー賞」を受賞するまでに至る。そんな彼女の役どころで個人的に印象に残っているのは、NHK連続ドラマ「ちゅらさん」の主人公の母親役だ。このドラマの女子会シーンで、彼女がカラオケを歌うさいに飛び出した「私、キャンディーズ!」というおちゃめなセリフだった。

 またランは2019年に『My Bouquet』をリリース、41年ぶりにソロ・デビューを果たし、ソロ・コンサートを開催している。とはいえ、キャンディーズの再結成は2011年のスーの逝去により叶わぬものとなり、全盛期に引退した山口百恵同様に「伝説」となった。
 ただそんな往年のファンを喜ばせたのが、2020年11月7日にNHK・B.S.で放映されたファイナル・ライヴ映像を含む「我が愛しのキャンディーズ」の放映だった。
 
(注:1)この人形には、他に「桜田淳子」「アグネス・チャン」等が存在する。

(注:2)コスチュームを考案したのはアン・ルイス。

(注:3)登場人物猿山さるぞうが、駄菓子を口にくわえて涙を流し「キャンディーズ<微笑がえし>「お菓子食って(おかしくって)涙が出そう」」という吹き出しコマがある


『キャンディーズ10,000人カーニバル』
1975年12月21日  CBS/SONY /<SOLL-202>
*オリコン 37位 / 1.9万枚
①あなたに夢中②危ない土曜日③内気なあいつ④バイ・バイ・センチメンタル⑤片想いの午後⑥悲しきためいき⑦その気にさせないで⑧年下の男の子⑨プラウド・メアリー(Proud Mary)(クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァル:1969/アイク & ティナ・ターナー:1971)、⑩アイ・ビリーブ・イン・ミュージック(I Belive In Music)(マック・ディビス:1970)

 ⑧がトップ10ヒットとなり、③⑦もトップ20に送り込む上昇機運のなか、蔵前国技館で開催された「キャンディーズ10,000人カーニバル」を収録した初のライヴ・アルバム。サポートは彼女達を解散まで支えたM.M.P.で、全編曲も渡辺茂樹が担当。
 ここではオリジナルを中心に収録されているが、ティナ・ターナーをお手本にしたカヴァー⑨では会場を熱気の渦に巻き込んでいるまた⑩では彼女達のソロにスポットをあてるなど、上り調子にある初々しい彼女たちがまぶしいばかりだ。

<カヴァー収録曲について>
⑩I Belive in Music
 オリジナルは1970年にリリースされ全米117位(A.C.25位)、翌年11月発表の同タイトル・アルバムも160位と本国では商業的には不発。しかし日本では沢田研二がみずから訳詞を手がけて歌い、のちに多くの歌手がカヴァーをするようになった。なおマック・ディヴィスは、<愛は心に深く(Baby Don’t Get Hooked on Me)>(1972)を全米1位に送り込み、エルヴィス・プレスリーにトップ10ヒット<In the Getto>を提供している。



『キャンディーズ・ライブ--蔵前国技館10,000人カーニバルVol.2』
1976年12月5日  CBS/SONY / 25AH-125 
*オリコン26位 1.9万枚
①プラウド・メアリー(Proud Mary)、②あなたに夢中、③Do You Love Me(コンチュアーズ:1962/ ブライアン・プール & ザ・トロメローズ:1963)、④危い土曜日⑤恋のあやつり人形、⑥The House Of The Rising Sun(ボブ・ディラン:1962/アニマルズ:1964/フリジド・ピンク:1970/ジョーディー:1974)、⑦Never My Love(アソシエイション:1967/フィフス・ディメンション:1971/ブルー・スェード:1974)、⑧夜空の星(加山雄三:1965)、⑨想い出の渚(ザ・ワイルド・ワンズ:1966)、⑩(They Long To Be)Close To You(カーペンターズ:1970)、⑪Sir Duke(スティーヴィー・ワンダー:1976) 、⑫春一番、⑬夏が来た!、⑭ハート泥棒、⑮その気にさせないで、⑯ダンシィング・ジャンピング・ラブ、⑰めざめ、⑱さよならのないカーニバル

 1976年⑫が初のトップ3ヒットとなり、アイドル人気も頂点を極めつつあった同年10月11日の蔵前国技館での公演を収録したセカンド・ライヴ・アルバム。  
 この時点では未発表曲だった⑯⑰⑱も収録されており、詰めかけたファンには最高のプレゼントになっただろう。(⑰のみ『CANDIES 1676DAYS』にスタジオ・ヴァージョン収録)
 ここでは前作以上にカヴァーの収録数を大幅にアップさせ、シンガーとしての自信にあふれたパフォーマンスが繰り広げられている。そんなカヴァー曲は、前作にも収録の①ではサビの歌詞を「Oh, the candies keep on burning」と歌い、③はシャウトも冴えわたりノリノリだ。そして⑥では、イントロにナレーションを入れ、プログレッシヴ・ロック風に仕上げている。またソフト・ロック仕立ての⑩は3人の持つ本来の甘いヴォーカルが魅力的だ。
 さらに彼女たちのお気に入りのパワー・ポップ⑦、ソウルフルなプレイが炸裂する⑪でもM.M.P.とのコンビネーションが冴え渡り、パフォーマーとしての魅力を存分にみせている。
 さらにライヴの魅力はヒット曲以外のオリジナルにも反映されており、センチなバラード⑰、サンバ・リズムの⑱など前作以上に聴きどころが多い。

<カヴァー収録曲について>
③Do You Love Me
 オリジナルはモータウンのコンチュアーズだが、数多くのカヴァーが存在するポップ・スタンダード。これを代表作とするのは英国バンドのトロメローズといえる。

⑥The House Of The Rising Sun
 邦題<朝日のあたる家>。ボブ・ディランがファースト・アルバム『Bob Dylan』に収録したトラッド。初ヒットはブリティッシュ・インヴェイジョンで大成功を収めたアニマルズで、1964年9月に全米1位(3週)を記録。1970年にはデトロイトのフリジド・ピンクが世界的にヒット(全米7位)させ、日本でも同様に26位(7.6万枚)のヒットとなった。なお、日本ではイギリスのグラム・ロック・バンド、ジョーディーの1974年発表のセカンド・アルバム『Don’t Be Fooled by the Name』から日本独自にシングル・カットされている。

⑦Never My Love
 邦題<かなわぬ恋>。オリジナル・ヒットはアメリカのソフト・ロック・グループ、アソシエイションで1967年に全米2位を記録。その後、1971年にはフィフス・ディメンションのライブ・ヴァージョンがヒット(12位)。さらに1974年には<ウガ・チャカ(Hooked on a Feeling)>(2014年のディズニー映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の挿入歌)を全米1位に送り込んだスウェーデンのブルー・スウェードによって再々ヒット(7位)。キャンディーズがカヴァーしたのはこのテイク。
 なおこの曲は初代ジャニーズがアソシエイションに先駆け、レコーディングしたが、諸事情により未発表のままオクラ入りした。この事実は元ジャニーズのあおい輝彦が1976年にリリースされた『あおい輝彦/オン・ステージ』のM.C.でコメントしている。 
 またこの経緯をもとに2013年10月にはミュージカル『ジャニーズ物語』が上演され、所属のアイドル・グループA.B.C.-Zが、この曲を歌いヒットさせた。
 この経緯についての詳細は2020年に「サンデー・ソングブック」でも特集されている。

⑩(They Long To Be)Close To You 
 邦題は<遥かなる影>。カーペンターズ初の大ヒット曲で1970年に全米位1位を記録した出世作。名ソングライター・チーム、バート・バカラックとハル・デヴィッドの作で、原曲をピアノ弾き語り調にアレンジしたリチャード・カーペンターのセンスが光る名曲

⑪Sir Duke
 邦題は<愛するデューク>。スティーヴィー・ワンダーが1976年9月に発表した、LP2枚と4曲入りEP1枚という組み合わせの大作『Song in the Key of Life』の収録曲。伝説的ジャズ・マン、デューク・エリントンへのトリビュート・ソングで、1977年にアルバムからの2枚目のシングルとして発表され全米1位に輝く。


『キャンディーズ・ファイナルカーニバル・プラス・ワン』
1978年5月21日 / CBS/SONY / <SRCL 3139> 
*オリコン 1位  10.6万枚
①Open Sesame(クール&ザ・ギャング:1977)、②Jupiter/(E.W.F.:1977)、③Do It(Use Your Mind)(スリー・ディグリーズ:1976)、④Play That Funky Music (ワイルド・チェリー:1976)、⑤Fantasy(E.W.F.:1977)、⑥Going In To Circle(スリー・ドッグ・ナイト:1972)、⑦ラン・ミキ・スー自己紹介M.C.~キャンディーズ、⑧恋のあやつり人形、⑨ハート泥棒、⑩キャンディーツイスト、⑪It’s Vain Try To Love You Again、⑫買い物ブギ、⑬アンティックドール、⑭午前零時の湘南道路、⑮Super Candies、⑯ハートのエースが出てこない、⑰その気にさせないで、⑱危い土曜日、⑲アン・ドゥ・トロワ、⑳わな、21.哀愁のシンフォニー、22.悲しきためいき、23.微笑みがえし、24.年下の男の子、25. 春一番、26.ダンシィング・ジャンピング・ラブ、27.つばさ
※アナログ3枚目はスタジオ盤のため割愛。

 テレビ放映もされた1978年4月4日後楽園球場で開催されたキャンディーズ解散公演『ファイナルカーニバル』を収録した3作目のライヴ・アルバム。
 ①から⑥までは、例えるならE.W.F.とエモーションズや、M.F.S.B. とスリー・ディグリーズを連想させるほどM.M.P.とのコンビネーションが冴えわたっている。
 オープニングの①はM.M.P.による単独演奏で、それはまるで後のスペクトラムのようだ。そして彼女たちが加わる②と⑤はオリジナルがファルセットということもあって、彼女たちの三声が演奏にぴったりはまっている。さらに③は彼女たちの憧れスリー・ディグリーズのナンバーとあって気の入れ方が半端なく、微笑ましい。
 そして注目したいのは⑥で、この曲の間奏ではキング・クリムゾンの<Epitaph>を挟むという粋な計らいを披露している。伝説のライヴでこのようなマニアックなセット・リストを聴かせているセンスに拍手を送りたい。余談になるが、当日にはこの曲を作りあげたといわれるイアン・マクドナルドが在籍していたフォリナーの初来日公演が、日本武道館で行われていた。
 このライヴでのハイライトはキャンディーズが衣装替えで再登場するアナログC面⑮以降だ。そこではヒット曲を「ソウル・トレイン」風にファンキーかつダンサブルに仕上げ、会場を興奮の坩堝(るつぼ)に巻き込んでいる。そんな怒涛のヒット・ソング連発の締めは彼女たちのライヴ名物ナンバー<26>。ここではフィンガー・ファイブ<学園天国>のフレーズを交えたコール・アンド・レスポンスでフィナーレを飾るべくファンも声を限りに声援を送り、会場の一体感が最高潮を迎えている。
 ただこのアルバムで唯一もったいないと思えたのは、テレビでは放映されていた「皆様のおかげで1位となった…」という<微笑み返し>始まりのM.C.が割愛されているところだ。それはこの解散イベントによって(実質的)ラスト・シングルとラスト・アルバムが、ファンの強力な押しもあって、国内1位を記録しているからだ。貴重な証言として収録するべきだったと思うのは私だけではないだろう。
 また余談になるが、このライヴ当日私は後楽園球場を見下ろす高台の知人宅にいた。そこから見る会場風景は、照明が煌々と輝く狼煙(のろし)のようで、歓声が地響きのようにその場でも体感できるほどだった。

<カヴァー収録曲について>
①Open Sesam
 邦題は<開けゴマ>。1969年に結成されたファンク・バンド、クール&ザ・ギャングが、1976年に発表した12枚目のアルバム・タイトル曲(全米110位)。彼等は第7作『Wild And Peaceful』(1973年:全米33位)でブレイクしたが、この曲はその翌年の大ヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンド・トラックに取り上げられヒット(全米55位)。

②Jupiter
 邦題<銀河の覇者>。1970年代を代表するソウル・グループ、E.W.F.の全盛期である1977年に発表された第9作『太陽神(All ‘N’ All)』に収録。<Fantasy(宇宙のファンタジー)>に続くセカンド・シングル(82位:1.1万枚)。

③Do It(Use Your Mind)
 ソウル・グループとして「夜のヒットスタジオ」に初出演し、日本で絶大な人気を誇ったスリー・ディグリーズの1976年に日本で独自ヒット(52位:6.5万枚)。4度目の来日記念盤として同年に発売された日本録音アルバム『A Toast Of Love(恋に乾杯/ドゥ・イット)』に収録。本国では1977年、フィラデルフィア・インターナショナルからの第5作(ライヴ含)『Standing Up for Love』に収録されている。

④Play That Funky Music 
 白人ファンク・バンド、ワイルド・チェリーが1976年に全米1位を記録したビッグ・ヒット。日本でもディスコを中心に話題(59位;4.9万枚)となっている。

⑤Fantasy
 邦題<宇宙のファンタジー>。E.W.F.が1978年に発表したフィリップ・ベイリーのファルセットが冴えわたる日本での最大ヒット(22位:17.4万枚)。第9作『太陽神(All ‘N’ All)』(1977)に収録。

⑥Going In Circles
 邦題<ある愛のすべて>。1970年代初頭に<喜びの世界(Joy To The World)>を始め数多くのヒットを放ち、一世を風靡したヴォーカル&インスト・バンド、スリー・ドッグ・ナイトが1972年に発表した第7作『Seven Separate Fools』(全米6位)の収録曲。彼らの曲が数多く挿入曲として採用された映画『ある愛のすべて』の主題歌にもなった。

※なお今回の内容はFM大津の「音楽の館~Music Note」3月号(3/27&28)でも特集が組まれているので、是非ご聴取いただきたい。

本放送:第四土曜日 3/27(土)16:00~18:30
再放送:第四日曜日 3/28(日)  8:00~10:30

【FMおおつ公式アプリ】https:fmplapla.com/fmotsu/

(鈴木英之)

2021年3月14日日曜日

【追悼 フィル・スペクター特集】To Know Him Was To Love Him ~ Phil Spector (1939-2021) 第2回


〈1964年編習作から実践へ〉

本記事プレイリスト


 Wall of Soundサイドから見たThe Beach Boysサウンドの変遷は、

①(1963年〜1964年)習作期 

②(1965年〜1966年)United Western Recordersでの
  独自サウンド確立

 の二期に別れる。

 1963年は、Jan BerryやPhil Spectorの後塵を拝する程度だが、外部制作に おけるBrianの手腕は日に日に開花し、あの「壁」が現れてきた。
 その一方でBrianの創作環境には大きな「壁」が待ち構えていた、'63年後半に 起きたDavid Marksのグループからの放逐があった。そのことはベースにAl Jardineを 復帰させBrianの代わりにツアーメンバーに加え、Brianがスタジオワークに専念する という目論見を打ち砕く現実であった。  さらに'62年にCapitolとの契約では6年間の間にCapitolへの楽曲のマスター提供 の履行がうたわれていた。初年度は6曲、次年度は8曲、その次は10曲、さらに その次以降は各年12曲、となっていた。売れっ子となった現在アルバムリリース の指示がCapitolからやってくる、アルバム1枚分に相当する7〜8曲をアルバム収録 へ回せば、すぐに手持ちの楽曲のストックが尽きてしまうのだ。
 全米での人気が上昇すれば、自ずとファンも増加する、そのためツアーやラジオ・ テレビ等の出演にメディア対応の時間も増加した。1964年におけるその時間は なんと年間の80%となったのだ。他人から見れば嬉しい悲鳴であろうが、Brian にとっては自らの手腕を進化させる貴重な時間の制約となった。
 これらの制約はCapitol内のアーティスト活動以外の外部でのソングライティングや アレンジ・プロデュース活動の減少を意味した。このことから、'63年よりBrianが 取り組んでいたWall of Sound手法の深化は、自らのバンドサウンドへの移植という形 で進めざるを得ない状況となった。
 大所帯のWrecking Crewの醸し出す音圧に中低域のパート同士が干渉し合うギリギリの バランスとエコーのブレンド、というエッセンスを兄弟のバンドサウンドで表現する と、いうのが大体の設計図としてBrianの頭の中にあったのだろう。
 それは前年『No Go Showboat』や『Drive-In』で行われたような、中低域をホーンと チューニング低めのスネアとキックが受け持ち、ダブルトラックされたヴォーカルと 分厚いコーラスがさらなる厚みを加えるサウンドが基本となっていたが、Jan&Dean やSpector作品から受けるダイナミックレンジと比較すればまだ何かが足りない。 足りない理由は簡単である、自分たちだけで演奏するから音数が少ない。

この難題にBrianはどう取り組んだのか? 
解決策としては、

Plan A:Wrecking Crewをそのまま使って、
    ヴォーカル・コーラスに専念する

Plan B:自分達の演奏+ゲストでなんとかやってみる

これらのプランがBrianの脳裏にあったと思われる。

Fun Fun Funセッション/1964年1月1日 

 「一年の計は元旦にあり」ということわざをBrianは知っていたかどうかは わからないが1964年1月1日に『Fun Fun Fun』のセッションをUnited Western Studioで行った。本セッションの内容は、弊サイト2014年12月13日の記事でも紹介し ている『Keep An Eye On Summer:The Beach Boys Sessions 1964』(iTunes 配信) 中の『 Fun Fun Fun (Session Highlights and Stereo Mix) 』で聴くことができる。

 
Fun Fun Fun (Session Highlights and Stereo Mix) 

 明らかにBrianのPlanB実行である。 
 参加メンバーを見てみよう。

Electric lead guitar: Carl Wilson
Electric lead/rhythm guitars: Carl Wilson
Electric rhythm guitars: Carl Wilson
6-string electric bass guitar: Ray Pohlman
Electric bass guitar: Al Jardine
Upright or Grand piano: Brian Wilson
Hammond B-3 organ: Brian Wilson
Drums: Dennis Wilson / Hal Blaine
Tambourine: Hal Blaine
Tenor saxophones: Steve Douglas
Baritone saxophones: Jay Migliori

1964年1月1日のセッションシート

 ベーシックな演奏は身内で行い、さらにバックアップとしてHal Blaine 他Wrecking Crewの加勢を得ている。
 このレコーディングで重視し、今後多用されるようになる手法はオーヴァーダブだ。
 通常のレコーディング使われる場合、曲の最終仕上げで加えるハンドクラップの ような単発の作業がほとんである。

SpectorやJan Berryでの手法についても再確認しよう。

 前稿でも紹介したが、下の画像の様にレコーディングは3トラックレコーダーであった。
3トラックの内訳としては、

トラック1:バックトラック
トラック2:ストリング(またはストリングなしの曲の場合
      キックなどの効果音)
トラック3:ヴォーカル+コーラス 

 Spectorの場合トラック1の演奏は、うんざりするほどのセッション回数で固定した アレンジがSpectorの最終決定となる。しかし3トラック全部埋まってしまった後 ヴォーカルをダブルトラックにしたい場合がどうしてもある 。(それはVeronicaのヴォーカル処理でよく起きたのだが)
どう対応したか?

下の画像を再びご覧いただきたい。
 スタジオには3台のレコーダーが確認できる 中央のデッキでレコーディングが完了したテープを右隣のレコーダーにセットし このレコーダーで既に録音された演奏のプレイバックを行う。
 その音声はおそらくLarry Levineの操るコンソールに返される。
 スタジオ内の歌手はプレイバックを聴きながら歌い、その歌声のみはコンソールへ それらをコンソールで3トラックにミックスして、今度は中央のレコーダーの新しいテープに録音されて完成する。

<コンソール内に返される音声> 
トラック1:既に録音された音声 
トラック2:既に録音された音声
トラック3:既に録音された音声
トラック4:新しい音声     
 レコーダーへは
トラック1:そのままレコーダーのトラック1入力へ   
トラック2:そのままレコーダーのトラック2入力へ   
トラック3:3+4の音声をミックスしてトラック3入力へ
トラック4:3+4の音声をミックスしてトラック3入力へ

そして完成した3トラックマスターは左隣でモノマスターへ変換されたと思われる。

Gold Starでの録音風景
コンソール隣のデッキが3トラックであることがわかる。
左隣はマスター用モノトラック。

 当時のオーヴァーダブの手法としてはSpectorと雖もオーソドックスなものである。
 オーヴァーダブを駆使したBrianのPlanBについて見てみよう! 
 『 Fun Fun Fun (Session Highlights and Stereo Mix)』 から窺われるセッション風景として まず、リズムセクションはHalとDennisのツインドラムを聴くことができる。
 これはJan Berry直伝の手法であり有効であるかに思われた。
 お聴きいただけるとおり、ドラム音のエッジが欠けどうしてもカブリ気味である Gold Starのマイキングを真似ているのか?低めの位置で中低域が強めに出ており、Brianの好みである低めのドラムチューニングが裏目に出ているようだ 。

このままではいけない
Brianは行動に出た
2回演奏しちゃえばラウドになる! 

 そう、ドラムのマイキングなどは見直したがドラムのチューニングは低めに保ち オーヴァーダブしたのだ! 
具体的には、

 [Tape A]
トラック1:Brian他メンバーの演奏+Ray Pohlman,
Steve Douglas, ドラムはDennisのみ
トラック2:Ray Pohlman,Steve Douglas,                
  ドラムはHal Blaineのみ, Brianのピアノ
トラック3:ヴォーカル+コーラス+イントロと       
間奏のCarlのギター
 ↓ 
[Tape B] 
ここでもう3トラック埋まったので、
さらにもう一台のレコーダーに[TapeA]をセット! 
このテープのプレイバックを流しながら
メインのレコーダーの[TapeB]に録音。
トラック1:上記のトラック1+2をコンソールで
モノにミックス
トラック2:上記のヴォーカル+コーラス+          
イントロと間奏のCarlのギター 
トラック3:空き
 ↓ 
さあ、ここでもう1トラック空いた! 
Mikeの自慢の喉と兄弟のハーモニーで、もう一度歌っちゃおう! 
と、いった感じで3トラック録音完了

 ヴォーカル+コーラスが二重になっていることで分厚い効果がとエコーのような 深みを産んでおり、このテクニックはデビュー前からのBrianの実験とBob Norberg との試行錯誤で生まれた賜物である。

ここで3トラックマスター完成と思いきや
ちょっと、パンチが足りない??

そこで間奏のあのオルガンの音が足されるのであるが、
あと1トラックが足りない!

 そう、当時はまだ4トラックの導入前夜であったのだ。
 最終ミックスは現時点で作成された3トラックのテープ[TapeB]を別のレコーダー へセットしそのプレイバックを新しいテープ[TapeC]にオーヴァーダブする形で完 成した。

<最終ミックス>
 [TapeC]
トラック1:モノにミックスしたバックトラック       
(上記トラック1のまま) 
トラック2:モノにミックスした上記トラック2+3
トラック3:オルガン              

 同曲は本セッションから一ヶ月後シングルとしてリリースされ、全米Top5を記録した。
オリジナルシングルで聴くドラムの音は深いエコーの様な音像であるが、実際はノンエフェクトのダブルトラックであり、渾然一体のWall of Sound特有の熱い感覚をリスナーにもたらしてくれる。最終ミックスはモノであるという点は、師匠のSpector のセオリー通りではあるが、制作過程でマルチトラックを活用する点では、Brianの レコーディング手法におけるオリジナリティの片鱗が見られる。
 同様の手法は 『I Get Around』でも行われており、翌年から多用されるマルチトラック録音への 進化を感じさせる。本作で惜しいのはオリジナル盤ではギター以外のその他のパート はモノミックスの際ホーンの中域と干渉しているのか?コーラスに埋没してしまって いる点は残念だ。

Why Do Fools Fall In Loveセッション/1964年1月7日

Wall of Sound免許皆伝を提げて創り上げた感のある本作、のスタジオは当然かの Gold Star、BrianのPlanA発動である。参加ミュージシャンはお約束の 下記の通りWrecking Crew。

1964年1月7日のセッションシート

Archtop acoustic rhythm guitar: Bill Pitman
Electric rhythm guitar: Tommy Tedesco
Electric bass guitar: Ray Pohlman
Upright bass: Jimmy Bond
Tack piano: Leon Russell 
Grand piano: Al de Lory
Drums: Hal Blaine
Temple block & Castanet (w/stick): Frank Capp
Tenor saxophones: Steve Douglas and Plas Johnson
Baritone saxophone: Jay Migliori 

 各パートのマイクセッティング、ミックスなどのコントロールはLarry Levine との協力で行われたため、Gold Starの音以外の何物でもない。
 レコーディング手法は1月1日のFun,Fun,Funと同様Brian特有のオーヴァーダブを 用いて録音された。

 <レコーディング過程>
 [Tape A]
 トラック1:Brian他Wrecking Crewメンバーの演奏    
 トラック2:Brian他Wrecking Crewメンバーの演奏のうち、
      ギター・パーカッション, ドラム中心の演奏
トラック3:ヴォーカル+コーラス                                        

 ここでもう3トラック埋まりレコーディングおつかれさま、と思いきや 屋上屋を架すどころか壁に壁を重ねる極上の演奏に対抗するには コーラスが弱すぎる!
 そこでさらにもう一台のレコーダーにテープ[TapeA]をセット!
 このテープのプレイバックを流しながらメインのレコーダーへコーラスの録音。

 [TapeB]
トラック1:上記のトラック1+2をコンソールでモノにミックス
トラック2:上記のヴォーカル+コーラス
トラック3:新規にヴォーカル+コーラス 
これで最終ミックスでモノマスター制作 

 と、思われたが
 まだヴォーカルが硬い! 
 と、なったのだろう、その結果最終マスターは
  [TapeB]のトラック1〜3をプレイバック用のデッキからマスター制作用デッキの テープ[TapeC]へダビングするのと同じタイミングでヴォーカルをレコーディングして完成したようだ。
 また、長らく[TapeA]あたりの3トラック音源は散逸したと思われていたが、近年の 本曲の3トラックのテープが発見される。このことにより、2009年リリースの コンピレーション盤『Summer Love Songs』ではステレオリマスターと同時に 同音源から見つかったテイクを利用した新しいイントロが付け加えられている。

『Summer Love Songs』

全体の曲想はおそらくPhilles所属のBob.B Sox and the Blue Jeansの 『Not Too Young To Get Married』を参考にしたと思われる。



 『Keep An Eye On Summer:The Beach Boys Sessions 1964』収録の『"Why Do Fools Fall in Love" (session excerpt, followed by backing track)』 中のバックトラックは初期Phillesの持つ人海戦術で醸し出す音圧感でやや ルームエコーが乗る程度だが、オリジナル盤のミックスではGold Starのエコー チェンバーを通したと思われる深いエコーがかかっている。
 Phillesのヒット曲でトレードマークとなる深いエコーが印象的なのは1963年の Philles 115 『Then He Kissed Me』 /The Crystals がもっとも印象的だ。
 それ以後の1964年までのリリースについて見ていくと 以下の通りである。
 
Philles 116 『Be My Baby 』/The Ronettes
Philles 117 『A Fine Fine Boy』 /Darlene Love
Philles 118 『Baby, I Love You』 /The Ronettes
Philles 119 『Christmas (Baby Please Come Home)』
       /Darlene Love
Philles 119x『Little Boy』/ The Crystals
Philles 120 『The Best Part of Breakin' Up』 /The Ronettes
Philles 121 『Do I Love You?』 /The Ronettes
Philles 122 『All Grown Up』 /The Crystals
Philles 123 『Stumble And Fall』 /Darlene Love
Philles 123 『Walking in the Rain』/ The Ronettes
Philles 124 『You've Lost That Lovin' Feelin'』
       /The Righteous Brothers

 リリースを追うごとにエコー感が深くなっていることがよくわかる。おそらくBrianもGold Starでは見学者としてだが見聞きしてきた中で、マスター への処理についての新手法(エコーを全体にかける)の情報を掴み自らのバンド へ適用してみたのだろう。
 この時点でBrianは制作の入り口から出口まで関与する立場となった、すなわち Brian自身はSpectorでありJack NietzcheでありLarry LevineでありThe Ronettes でもあったのだ。 
 The RonettesのRonnie Spectorは、本作のオリジナルを歌ったFrankie Lymon & The TeenagersのFrankie Lymonからは多大な影響を受けた。New York時代の彼女らがSpectorのお眼鏡にかなったきっかけこそ、Mira Sound studioの一室で Ronnieが歌う『Why do birds sing....』の一節だった。これを聴いた瞬間Spectorは『この声が欲しかった!』と感嘆したという。
 The Ronettes絡みのエピソードは他にもあって、本セッション『Why Do Fools Fall In Love』と別の時刻で実はアルバム『Shut Down Volume2』の収録曲の レコーディングがUnited Westernで行われた、その中で生まれたのは 『Don't Worry Baby』。The Ronettesの『Be My Baby』にインスパイアされ、「是非彼女らのシングルに」との思いで作られた傑作である。
 同曲は『Be My Baby』から10年後にリリースされた『The Beach Boys In Concert』 に収録されており、アレンジがどこか『Be My Baby』を連想させる趣向となっている。

『The Beach Boys In Concert』

 正月から続くセッションの数々は10日ほど続く、この忙しさには理由がある。1月15日から翌月初頭まで初のAustralia及びNew Zealandツアーが組まれていたのだった。
(これにはRoy Orbison, The Surfaris, Paul & Paula らが同道した) 

1964年その2続編(第3回)に続く(4月末公開予定)> 

(text by MaskedFlopper / 編集:ウチタカヒデ)

2021年3月2日火曜日

【追悼 フィル・スペクター特集】追悼対談 ~ ウワノソラ'67 角谷博栄


 60年代初期から70年に掛けて、自ら設立したフィレス・レコードで革新的レコーディング手法”ウォール・オブ・サウンド”を駆使し、ヒット・ソングを生み出した偉大なプロデューサー、フィル・スペクター(Phil Spector)が、現地時間の1月16日午後6時35分に収監先のカリフォルニア州立刑務所内で、新型コロナウイルスによる合併症により逝去された。享年81歳だった。 

 定期誌VANDA及び弊サイト読者には説明不要だが、60年代のロック、ポップスでフィルの革新的手法の影響を受けたミュージシャンは少なく無い。その代表格はブライアン・ウィルソンであることは、先月のコラム【Wall of Soundサイドから見たThe Beach Boysサウンドの変遷】を読んで頂ければ理解されるだろう。ハル・ブレインジョー・オズボーンなど名うてのミュージシャン達を配したThe Wrecking Crew(レッキングクルー)による演奏と共に、この時代を象徴したサウンドは永遠に音楽ファンの心に残るだろう。
 日本でフィルの影響が強いミュージシャンとして大滝詠一氏が筆頭に挙がるが、ここではその大滝氏のナイアガラ・サウンドを経由し、ウォール・オブ・サウンドをオリジナル楽曲で昇華させたアルバム『Portrait in Rock'n'Roll』(UWAN-001 / 2015年)をクリエイトしたウワノソラ'67(=ウワノソラ)の角谷博栄と、フィル・スペクターを追悼しウォール・オブ・サウンドの魅力についての対談をお送りする。なお昨年角谷がNegiccoのKaedeに提供した「さよならはハート仕掛け」(『秋の惑星、ハートはナイトブルー。』収録)など良質なガールポップの源流としてもフィルの存在は極めて大きく、再評価すべき存在なのだ。
 文末には角谷と筆者が各自選曲した、【フィル・スペクター・ソング・ベスト10】と【ウォールオブサウンド・フォロワー・ソング・ベスト10】を掲載しサブスクでプレイリスト化したので、聞きながら読んで頂きたい。

『Portrait in Rock'n'Roll』 / ウワノソラ'67 

角谷博栄 

●先ずはフィル・スペクターの訃報の一報を知った時はどういう感情が沸きましたか? 

◎角谷博栄(以下角谷): とても寂しい気持ちでいっぱいになりました。 ご冥福をお祈りいたします。 

●フィルはラモーンズの『End Of The Century』(79年)の後、80年以降表立った活動をしていない状態でした。
60年代末生まれの僕でも後追いで、80年代初期に大滝詠一氏や山下達郎氏のラジオ番組をガイドにそのアーカイブを聴き漁っていたという状況です。僕よりかなり若く、80年代後半生まれの角谷君にとって、フィル・スペクターって何者なんだ?ということになると思うんですが、ウォール・オブ・サウンドを聴くようになった経緯を聞かせて下さい。 

◎角谷:きっかけは親父が持っていたアメリカのオールディーズのオムニバスやジョン・レノンのアルバムだった気がします。同時に達郎さんの「ヘロン」(1998年 / フィルの影響下にある編曲)なども流れていて。そういう家庭だったので小学生の頃から自然と好きで聴いておりました。
中学や高校になると達郎さんのラジオや大滝さんを聴いているうちにまた自然と繋がっていった感じです。全くリアルタイムな世代ではないのですが、青春時代の音のように感じています。

●成る程、当時そのオールディーズのオムニバス・アルバム、またジョンの各アルバム(『ジョンの魂』、『Imagine』、『Some Time In New York City』、『Rock 'N' Roll』)の中でも特にフィル・スペクターのサウンドとして意識した曲はなんでしょうか?
また今回フィルが手掛けたベスト10を選んでもらいましたが、その思い入れについて聞かせて下さい。

 『Rock 'N' Roll』 / John Lennon 

◎角谷:意識した曲は小学生時代に聴いていたアルバムにはありませんが、ウワノソラ’67のアルバムのタイトルは実はジョン・レノンの『Rock 'N' Roll』(1975年)からヒントを得ました。ちなみに”Portrait in“の部分は、編曲に手を貸してもらっていた深町君の家にレコードで飾ってあったビル・エヴァンス・トリオの『Portrait in Jazz』(1959年)からヒントを得ました。
幼い頃に聴いていた曲は、これはフィルの曲だ!としての認識は全くなかったのですが、根底にはその初期体験が無意識の上でずっと流れています。『Rock 'N' Roll』のアルバムでは、’67ではありませんが、ウワノソラ1st(『ウワノソラ』HRVD-004 / 2014年)の「ピクニックは嵐の中で」という曲の編曲面でとても影響を受けました。

以下【フィル・スペクター・ソング・ベスト10】で選曲した各曲について。

1 Spanish Harlem / Ben E.King(1961年) 
プロデュースがリーバー=ストーラーで作曲がリーバーとフィル。ギターがフィル・スペクターの作品です。こういったリーバー=ストーラーの現場での仕事がフィルに影響を与えていることが分かります。エコーが独特で心地よく素晴らしいですよね。とても好きな曲です。

2 Oh Yeah, Maybe Baby / The Crystals(1962年) 
ベースとキックの置き方が「Be My Baby」前夜という感じがしますね。メロも好きです。 ところで、誰もが嬉しいフィルの印象的なカスタネット・アレンジはどこから影響されたのか、フィルのアイデアだったのかふとした時にいつも気になっています。

3 Hold Me Tight / The Treasures(1963年) 
レノン=マッカートニーの作詞作曲の曲です。ビートルズバージョンより僕は断然好みなのです。大滝さんの「白い港」にも通じるリズムが印象的なアレンジです。

4 Girls Can Tell / The Crystals(1991年 / レコーディング:63年) 
エリー・グリーンウィッチ&ジェフ・バリー、フィルの作曲で、アレンジがジャック・ニッチェというタッグで出来た名曲です。誰にも突っ込まれたことがないので自分から言うのもという感じですが、’67のある曲でかなり影響を受けています。

5 Do I Love You? / The Ronettes(1964年) 
初めてこの曲を再生した時にイントロだけで、”ハイ好き~!”となった人は多かったのではないのでしょうか。今でもその感動が聴くたびに蘇ります。リアルタイムで聴いていた人はきっともう70歳以上の方なのでしょうか・・・。羨ましい限りです。 アンダース&ポンシア、フィルの作曲でアレンジがジャック・ニッチェの曲です。

6 Unchained Melody / The Righteous Brothers(1965年) 
言わずと知れたメガメガヒット曲です。ポップスのスタンダードです。 こんなに甘くて甘くて甘いロマンティックな曲が世の中にあって良いのでしょうか。良いのです。最高です。映画「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990年)の轆轤を回すシーンではロマンティックな雰囲気をより盛り上げていて印象的でしたね。曲といいますか、エコー感はあまりフィルっぽくないのですが、前述のオムニバスにも入っていて小学生の頃から親しんでいた曲なので選んでみました。

7 (I Love You) For Sentimental Reasons
  / The Righteous Brothers(1965年) 
元々は1945年。今から76年前にリリースされたものがオリジナルです。ナット・キング・コールのカバーが一番有名だと思います。何かフィルの8分の6拍子の曲を選びたく、大体好きなのでどれを選んでもといった感じだったのですが、ウワノソラ’67の「雨降る部屋で」を作るとき影響を受けた事を思い出し選んでみました。

8. This Could be The Night / The Modern Folk Quartet
 (1991年 / レコーディング:65年) 
作曲のハリー・ニルソンがブライアン・ウィルソンに捧げる曲として書いた曲です。 僕がこの曲を初めて聴いたのは達郎さんのカバーでした。とても好きな曲です。 何といってもアクセントになっているエレキ・ギターのボトルネック奏法!かなりクールです。

9. Ballad of Sir Frankie Crisp / George Harrison(1970年)  
ジョージのこの曲が収録したアルバムはもう本当に大好きすぎていまして。どの曲を選んでも最高なのですが、エレキの鉄弦の響きが僕には痺れてしょうがないこの曲を選んでみました。 そういえば、年末にレンタルして観た、マーティン・スコセッシ監督のジョージのドキュメンタリーは最高でした。フィルも登場します。4時間ありますがおススメです!

10. Angel Baby / John Lennon(1986年 / レコーディング:73年) 
60年リリースのRosie & The Originalsのカバーです。その後ジョンの『Rock 'N' Roll』のアルバム時にレコーディングされリリースされず、お蔵入りで十数年後にリリースという経緯があるようです。コード進行は4コードの循環のみ。大らかな時代があったのですね。4コードでもメロディがどんどん変わっていき魅了されてしまう3分間を作っているのです。
大好きすぎて前述にもありますが、ウワノソラの1stで影響されています。とにかくこのブラスのアルペジオな旋律にこのクールすぎるエコー。そしてジョンのボーカル。 洗練さと泥臭さと切なさが僕にとっては黄金比率な曲です。永遠の憧れです。 


 ●ウワノソラ'67の『Portrait in Rock'n'Roll』では、角谷君が敬愛していた大滝詠一氏を追悼するというコンセプトで製作したアルバムのようでしたが、ナイアガラ・サウンドのルーツとしてフィレスの匂いも強かった訳で、熱心に聴き込んでいたと思います。アルバム冒頭でリード曲の「シェリーに首ったけ」のイントロは、フィルが手掛けたダーレン・ラヴの「Stumble And Fall」(64年)のオマージュをしていますね。この曲をアレンジした際は多羅尾伴内(大滝詠一)の背後にジャック・ニッチェを意識していたとか?

 
シェリーに首ったけ / ウワノソラ'67 

 Stumble And Fall / Darlene Love 

◎角谷:当然意識はしていました。アルバムとしても曲としても多大に影響はあります。 ちなみに””大滝詠一氏を追悼するというコンセプトで製作した”というものとはちょっと違うと僕は思っています。”ただ田舎の大学生が想いを馳せて作っただけのもの”であって、そんな大それたものでもおこがましいものでも無いように思っております。
もちろん大滝さんへの想いも十分にありましたが、亡くなる前から制作は進めていまして。誰も知らず誰も聞かない。もうそれでいいと。この作品で音楽を作ることは最後になるかもなぁと思いながら作っていましたので。実のところそんな余裕なんてものはなく、ただただ最後にやってみたかったという気持ちが一番大きかったのです。 

●「シェリーに首ったけ」のアレンジでは、ナイアガラ経由のフィレス・サウンドの影響として、特に意識した点はありますか?
ホーン・セクションはテナー・サックスが2管、バリトンとアルト、トロンボーンが各1管の編成ですが、ミックスであるとか。 また2015年にインタビューした際は、同時録音出来ない分をダビングしたということでしたが、ドラムとピアノは2回、エレキ及びアコースティック・ギター、12弦ギターは合計20本分、打楽器類も20回オーバー・ダビングを施したと。カスタネットは5人で同時演奏したりと、そのレコーディングに対する姿勢には敬服するばかりですよ。

◎角谷:管楽器に関しては、ダブル以上は確実に録音しています。ドラムは「シェリーに首ったけ」がダブリング、「Station No.2」と「Hey×3・Blue×3」はツインです。カスタネットは5人ではなく50回のオーバー・ダビングです。夜の23時ぐらいに大学に忍び込んで、朝に他の学生が登校してくるまで永遠に録音していた日が何日かありました。「おはようみんな、僕はこれから帰って寝るよ」と。
フィルのようにモノラルではありませんが、リファレンスとして聴いていました。

「Station No.2」のPro Tools(プロ・ツールス)の
マルチトラック画面(91トラック使用している) 

●オーバーダブを50回は偏狂的かも知れない(笑)。でもその様なレコーディングにトライした志は、大滝氏がウォール・オブ・サウンドをオマージュしようとした精神に通じますよ。
ウォール・オブ・サウンドの特徴として、同じパート(スコア上も)を複数のプレイヤーで同時録音して音圧を出すというパブリック・イメージが強いですからね。この他にアレンジ面やレコーディング方法で参考にしたポイントはありましたか?

◎角谷:レコーディング方法ではいくつかあったと思いますが、アコギのバッキングに関してですと、友人から違う種類のものを10本ぐらい搔き集めてきて同じことを演奏したりしていました。そこに12弦ギターやガットギターも隠し味で同じ演奏で入れたりと。あとは3カポにしてCをAで演奏したり、マイクも違うものを用意して、マイク距離や位置、ゲインなどを変えて厚みを出そうと試みたりしておりました。製作費も生活費もほとんど無かったのですが、できる範囲で色々な事を試していました。具体的な参考は思い出せないのですが、自分のセレクトしていた音楽は何度も何度も聴きこんでいた記憶はあります。
フィルの音圧に関してですが、僕は音圧に惚れて聴いていたわけではないので、そこにあまり影響はない気がしています。というよりは低音から高音にかけての楽器の周波数の壁、そして濁りの迫力と美しさ、メロディライン、アメリカがイケイケだった頃のアメリカンドリームな雰囲気、エコーを含めた当時の録音物のサウンド感等に惚れていました。周波数や濁りを音圧というなら音圧なのかもしれません。アナログではなくCD音源で聴いていた事も純粋な音圧を意識できなかった&意識しなかったのかもしれません。アイドル視に似た気持ちもありました。

『Portrait in Rock'n'Roll』レコーディング風景 

●ハードディスク・レコーディングが主体になって、プラグイン・アプリやエフェクターで過去の様々なサウンドがシュミレーション出来る時代に、敢えて生楽器で試行錯誤している姿勢に脱帽するばかりです。そんな探求をさせてしまった、フィルのウォール・オブ・サウンドの魅力が読者にも伝わったと思います。
僕としてはウワノソラ'67名義で、また作品を作って欲しいと思っているんだけど、そんなプランはないですか?7インチ・シングルでもいいので。 

◎角谷:”ウォール・オブ・サウンド”に影響を受けた作品になるかはまだ分かりませんが、新作は作りたいとは思っています。頑張ります。


●その前に『Portrait in Rock'n'Roll』のアナログ化も熱望しています。
以前から一部ファンからも要望されていたと思いましたが、実現に向けての状況はどうでしょうか? 

◎角谷:当時は本当にメンバーもエンジニアも20代前半の仲間達で作っておりまして、ミックスを直したい気持ちがあり何度も挑戦したのですが、若さゆえの情念の部分などが失われてしまったりと試行錯誤を続けております。リリースできるならリマスタリングのみで、というのが今のところ最良とは考えています。 

●アナログ用のリミックスは既に試みていたんですね。近い未来にアナログ・LPとしてのリリースを期待しています。

◎角谷:ありがとうございます。頑張ります。


 (サブスク・プレイリストは登録楽曲のみ)
 
【勝手に選ぶ・フィル・スペクター・ソング・ベスト10】
◎角谷博栄 
1 Spanish Harlem / Ben E.King(1961年)
2 Oh Yeah, Maybe Baby / The Crystals(1962年)
3 Hold Me Tight / The Treasures(1963年) 
4 Girls Can Tell / The Crystals(1991年 / レコーディング:63年) 
5 Do I Love You? / The Ronettes(1964年) 
6 Unchained Melody / The Righteous Brothers(1965年) 
7 (I Love You) For Sentimental Reasons
  / The Righteous Brothers(1965年) 
8 This Could be The Night / The Modern Folk Quartet
 (1991年 / レコーディング:65年) 
9 Ballad of Sir Frankie Crisp / George Harrison(1970年)
10 Angel Baby / John Lennon(1986年 / レコーディング:73年)

●ウチタカヒデ
1 Dr. Kaplan's Office / Bob B. Soxx & The Blue Jeans(1962年) 
2 A Lonely Girl's Prayer / The Paris Sisters(1962年) 
3 Then He Kissed Me / The Crystals(1963年) 
4 Walking In The Rain / The Ronettes(1964年)
5 You've Lost That Lovin' Feelin'
 / The Righteous Brothers(1964年)
6 Long Way To Be Happy
 / Darlene Love(1991年 / レコーディング:65年)
7 I'll Never Need More Than This / Ike & Tina Turner(1967年)
8 Isn't It A Pity / George Harrison(1970年) 
9 To Know Her Is To Love Her / John Lennon
  (1986年 / レコーディング:73年) 
10 In And Out Of The Shadows / Dion(1975年) 



【ウォールオブサウンド・フォロワー・ソング・ベスト10】
◎角谷博栄 
1 Be My Man / Jody Miller(1965年) 
2 See My Baby Jive / Wizzard(1973年)
3 Ooh I Do / Lynsey De Paul(1974年)
4 雨は手のひらにいっぱいさ / シュガーベイブ(1975年) 
5 Born to Run / Bruce Springsteen(1975年) 
6 二人は片思い / ポニーテール(1976年) 
7 白い港 / 大滝詠一(1982年) 
8 Someday / 佐野元春(1982年)
9 もう一度 / 竹内まりや(1994年)
10 Don’t Forget The Sun / The Explorers Club(2008年) 

●ウチタカヒデ
1 Don’t Worry Baby / The Beach Boys(1964年)
2 New York's A Lonely Town / The Trade Winds(1965年) 
3 All Strung Out / Nino Tempo & April Stevens(1966年) 
4 I Wish It Could Be Christmas Everyday / Wizzard(1973年)
5 Say Goodbye To Hollywood
  / Ronnie Spector And The E-Street Band(1977年) 
6 青空のように /大滝詠一(1978年)
7 Don't Answer Me / The Alan Parsons Project(1984年) 
8 ハートのイアリング / 松田聖子(1984年) 
9 Your Lies / Shelby Lynne(1999年)
10 シェリーに首ったけ / ウワノソラ'67(2015年) 



『Portrait in Rock'n'Roll』ウワノソラ'67 HP・オンラインストア 

 (2月12日テキストにて / 設問作成・編集・文:ウチタカヒデ)