シェル・ネイラー名義では2枚のシングルがリリースされている。初のシングルはアーヴィング・バーリンのポピュラーソング「How Deep Is The Ocean」(Decca F.11776)。B面は「La Bamba」。「One Fine Day」は翌年の1964年にリリースされたものだ。この演奏には、後にレッドツェッぺリンとなるジミーペイジとジョン・ポール・ジョーンズが参加している。ドラムはおそらく、キンクスの「You Really Got Me」などの演奏でも知られるセッションドラマーのボビー・グラハムではないかと言われている。冒頭に書いた通り、作曲はデイヴ・デイヴィスだけれど、シングル盤にクレジットされたスペルには誤りがあり、"Davies"ではなく"Davis"になっている。B面は「It's Gonna Happen Soon」という曲で、エジソンライトハウス「恋のほのお」などで有名なセッションシンガーのトニー・バロウズ、英国の著名なソングライター、ロジャー・グリーナウェイ、J. Brooksの3人が作曲者にクレジットされている。J. Brooksについては詳しい情報が見あたらなかった。
「One Fine Day」には、1965年にラリー・ペイジが結成したラリー・ペイジ・オーケストラによるバージョンも存在する。こちらが収録された『Kinky Music』(Decca LK4692)は、キンクスのヒット曲をインストゥルメンタルアレンジしたアルバムで、キンクスに無断で制作したことで裁判沙汰になったそう。このラリー・ペイジ・オーケストラでもジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが参加している。
それから25年後の2018年、ドイツ・ベルリンの”Firestation Records”が彼らのデモ音源を気に入り、18曲収録したコンピレーション『45 Revolutions Per Minute』(FST 154)、続いて同じ年には未発表の11曲収録の『Rarities』(FST 162)をそれぞれリリースしている。このコンピの評判により、キャンディ・オペラはバンドとしてリユニオンすることになり、全て新曲を収録した事実上のファースト・オリジナル・アルバム『The Patron Saint of Heartache』(TURN73D)をドイツ・ユッヘンのレーベル”A Turntable Friend”からリリースして、完全復活するというミラクルをやってのけたのだ。このような奇跡的復活を果たせたのも、彼らの才能を眠らせておかなかったFirestation RecordsやA Turntable FriendのA&Rマンの手腕と言えるだろう。
現バンド・メンバー
今回日本での新装リイシュー盤では、『The Patron Saint of Heartache』に3曲のボーナス・トラックを追加した全17曲、『45 Revolutions Per Minute』と『Rarities』を2枚組としてカップリングし、『Rarities』のディスクにボーナス・トラック1曲を追加し、これまでオブスキュア=世に埋もれ、詳細不明だった彼らのプロフィールについても解説されたブックレットが、それぞれ付属されているのでファンにとってはありがたい。
ここでは各アルバムで筆者が気になった主要曲の解説をしていく。
リユニオン後のファースト・アルバム『The Patron Saint of Heartache』は、ボーカル兼ギターのマローンを中心に、ギターのKen Moss(ケン・モス/元Shack)とBrian Chin Smithers(ブライアン・チン・スミザーズ)、ベースのFrank Mahon(フランク・マホン)、ドラムのAlan Currie(アラン・カリー)、キーボードとパーカッションのGary O'Donnell(ゲイリー・オドネル)の6名編成でレコーディングされており、プロデュースはバンド名義になっている。エンジニアリングとミックスは主にTom Roach(トム・ローチ)で、2曲のみAbbey Road StudiosでビートルズをはじめParlophone やApple Recordsのリイシュー・アルバムのリマスタリングを多く手掛けたGuy Massey(ガイ・マッセイ)がミックスを担当している。
収録曲はそのマッセイがミックスした冒頭の「These Days Are Ours」から完成度が高く、躍動的ビートを繰り出すリズム隊にアルペジオとカッティングを複数ダビングしたギター・トラック、シルキーなシンセ・パッドが空間を埋めたサウンドは結成当時からスタイルを引き継いでいる。また実体験と言える人生賛歌的歌詞を書いたマローンの歌声も、繊細ながらエモーショナルで25年のブランクを感じさせる衰えはなく、今でもバンドの顔になっている。
続く「Tell Me When The Lights Turn Green」もマッセイのミックスで、イントロから両チャンネルで聴こえるギター・アルペジオが美しいバラードで、メロディにはシカゴ・ソウルの匂いもする。この曲でアディショナル・キーボードとタンバリンもプレイしているドラマーのカリーは、第一期Candy Opera解散時メンバーだが、その後90年代にはFishmonkeymanというインディーズ・ギターポップ・バンドに所属しアルバム2枚とシングル6枚をリリースしている。
リアルタイムでプリファブ・スプラウトを愛聴していた筆者が最も反応したのが、「Start All Over Again」だ。プリファブの『Jordan: The Comeback』(1990年)収録曲に通じるポジティブなメロディと不毛の愛を綴った歌詞、よくミキシングされたギターやシンセサイザーの配置と空間系エフェクターの処理が効いたサウンドは、一聴して好きになれずにいられない。
Start All Over Again / Candy Opera
全編アコースティック・セットの演奏による「Five Senses Four Seasons」は英国トラッド系フォークに通じ、無垢な歌詞とよく溶け合い、コーダではアカペラになるという構成で美しい曲だ。コーラス4名の内クレジットされている女性のAmy Mahonは、ベーシストのマホンの妻か姉妹かも知れないが、そんなアットホームな雰囲気もこの曲の良さである。
一転してホーン・セクションとコンガ、女性コーラス2名が加わったファンク・サウンドの「Rise」は、『The Cost of Loving』(1987年)時代のThe Style Council(スタイル・カウンシル)に通じていて、このバンドの多様性を垣間見れる。作曲クレジットがメンバー全員の名義になっているので、こういったブラック・ミュージック趣向を持つメンバーが主導しているのだろう。
Paul Malone
本編ラストの「Crazy」は、リラックスしたビートとは裏腹に、都市開発により変わり果てていく風景を狂気じみていると嘆く歌詞のコントラストが興味深い。ここでは「These Days Are Ours」同様、元The Teardrop Explodesメンバーでマローンの友人らしきポール・シンプソンが再びバッキング・ボーカルで参加しており、ヴァースではほぼデュエットしている。マリアッチなトランペットを加えたサウンドや、コーダでハチロクのロッカバラード風になる構成もよく練られている。
なおボーナス・トラックはオリジナルのドイツ盤収録の「Gimme One Last Try」「There Is No Love」に加えて、日本新装リイシュー盤では、「These Days Are Ours -Piano Version」「Wide Open Spaces」「She Won’t Let You Down」の3曲が追加収録されている。特に本作リードトラックの「These Days Are Ours」の ピアノ・ヴァージョンは、同曲のデモに近いヴァージョンと推測されるのでファンは必聴だろう。
89~93年頃のバンド・メンバー
続いてキャンディ・オペラの第一期(1982~1993年)のデモ音源を発掘したコンピレーションと、未発表曲集を日本独自に2枚組で新装リイシューした『45 Revolutions Per Minute & Rarities』について解説する。
バンド結成時キャンディ・オペラのメンバーは、マローンとモス以外にベースのMike Wiggins(マイク・ウィギンズ)、ドラムのIan Haskell(イアン・ハスケル)だった。このラインナップのデモは本作DISC1『45 Revolutions Per Minute』に4曲収録されている。
DISC1冒頭の「What A Way To Travel」はシャッフル・ビートの軽快なギターポップで、デジタル・シンセサイザーのエレピやパッドの音色からローバジェットで製作された感はあるが、それが味となってプリファブの『Swoon』(1984年)や『Protest Songs』(1989年/レコーディング:1985年)に通じる。とにかく曲の良さとマローンの歌声が光っている。
What A Way To Travel / Candy Opera
続く「The Good Book And The Green」も前曲と同メンバーによる爽やかなギターポップで、マホンとカリーのリズム隊による安定した演奏と、チン・スミザーズによるギターとキーボードの的確なプレイが、マローンのボーカルをサポートしている。
4曲目の「Fever Pitch」は「What A Way To Travel」と同時期にレコーディングされた曲で、曲調やアレンジ共に初期プリファブ度が高く、サウンドの構築方法も参考にしていたのではないかと思える。
DISC2の『Rarities』は、『45 Revolutions Per Minute』や『The Patron Saint of Heartache』未収録のレアトラック集で、「What A Way To Travel」や「Rise」のデモ・ヴァージョン、「Nine Times Out Of Ten」「Fever Pitch」のライブ・ヴァージョンなどレアな音源が聴ける。
未発表で秀逸な曲は「I Can See For Miles」で、初期スティーリー・ダンにも通じた不可思議で洗練さを感じさせるコード進行とメロディは一聴して虜になった。この曲はマローンのソングライティングにカリーが作曲で手助けし、プロデュースとエンジニアリングもカリーが担当している。演奏もマローンによるギター以外の全ての楽器をカリーがプレイしてるので、この時代からカリーはマローンにとっては不可欠な音楽的パートナーだったと推測する。
I Can See For Miles / Candy Opera
スティーリー・ダン繋がりでは、冒頭曲の「Las Americanos」のイントロのギターリフは「Don't Take Me Alive」でヴァースは「Green Earrings」(共に『The Royal Scam』収録/1976年)だったり、「Between A Rock And A Hard Place」では全体的に「Do It Again」(『Can't Buy A Thrill』収録/1972年)を意識しているのが感じられる。これは1980年代中頃から90年代初期に掛けておこった”スティーリー・ダン症候群(Steely Dan Syndrome)”と捉えていいだろう。スティーリーのウォルター・ベッカー自身がプロデュースしたChina Crisis(チャイナ・クライシス)やノルウェー出身のFra Lippo Lippi(フラ・リッポ・リッピ)の直系から、ソングライティングやサウンドに影響が垣間見えるプリファブのパディ・マクアルーンやDanny Wilson(ダニー・ウィルソン)など。またサウンドはその影響下ではないが、スティーリーの代表曲をバンド名にしたDeacon Blue(ディーコン・ブルー)などこの時期にイギリスを中心に多く出現していたので、マローンとカリーも同胞だったと考えられる。
高校時代、季節はいつだったか忘れてしまったが、ある雑誌で遊佐未森さんが紹介していたPrefab Sproutの『From Langley Park To Memphis』のジャケットを目にした。同じ頃偶然に、近所の音楽に詳しい大学生のお兄さんから、こういうのも聴いてみなよと貸してくれたアルバム『STEVE McQUEEN』のカセットテープ。なんだか運命を感じて、ガチャガチャっと慌ただしくデッキの再生ボタンを押した。当時の自分が今まで聴いたことのない毛色、なんとも甘味な音楽がスピーカーから部屋全体に広がり、僕はすっかり魅了されてしまった。
イギリス国内では18曲ものトップ40シングルをリリースし、その内「Going Underground」(1980年)や「Town Called Malice」(1982年)など4曲はナンバーワン・ヒットに輝いたが、新たな音楽的可能性を望んだウェラーの脱退宣言を機に、バンドは1982年12月のフェアウェル・コンサートをもって解散した。
直ちにウェラーはThe Jam末期から音楽的交流があり共通のセンスを持つ、キーボーディストのミック・タルボット(元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ザ・マートン・パーカーズ)と共にThe Style Council (スタイル・カウンシル/1983–1989)を結成し、1983年9月にミニアルバム『Introducing the Style Council』でデビューする。翌84年3月のファースト・フルアルバム『Café Bleu』ではジャズ、ソウル、ファンクからボサノヴァまでと様々なジャンルの楽曲を収録しており、音楽ジャーナリスト達の間では賛否両論になったが、セールス的にはまずまずの成果を出した。続くセカンド『Our Favourite Shop』(1985年6月)では全英アルバム・チャートでナンバーワンとなり、アメリカを除く欧米と日本でも好セールスとなり、彼ら最大のヒット・アルバムになっている。
その後『The Cost of Loving』(1987年2月)では、彼らが敬愛したシカゴのニューソウルを代表するカーティス・メイフィールド、ルーサー・ヴァンドロスの『Never Too Much』(1981年)などで知られる名エンジニアのカール・ビーティ、また同時代のアメリカン・ソウル兄弟デュオのThe Valentine Brothersにミックスダウンを曲ごとにオファーするなど、ブラック・ミュージックに最接近する。続く『Confessions of a Pop Group』(1988年6月)ではクラシカルな組曲や60年代中後期のビーチボーイにおけるブライアン・ウィルソンからの影響を感じさせ、ポップ・ミュージックとしては振り切り過ぎたサウンドが、当時の平均的な音楽リスナーにとってトゥーマッチだったのか、チャート的には芳しくなく、失速してしまった。
1989年のシングル「Promised Land」(ジョー・スムースのカバー)ではガレージ・ハウスにチャレンジして、このサウンドでアルバム製作もおこなったのだが、所属レコード会社ポリドールからリリースを拒否され、惜しくも解散してしまった。この幻のラスト・アルバム『Modernism: A New Decade』が陽の目を見たのは、10年後の1998年10月だった。
スタイル・カウンシル解散直後のウェラーは、ソロアーティスとしてレコード契約も出来ないままでいたが、1991年5月シングル「Into Tomorrow」をThe Paul Weller Movement名義としてソロデビューする。翌1992年9月には盟友のビリー・ブラッグが所属するGo! Discsよりファースト・ソロアルバム『Paul Weller』を皮切りに、『Wild Wood』(93年9月)、『Stanley Road』(95年5月)とコンスタントにリリースし、音楽性や商業的にもそのキャリアを復活させて、2024年の最新作『66』までに17枚のアルバムを発表している。
アナログLPレーベル
さて本作『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』であるが、ウェラーの音楽活動の変遷を垣間見れる、良質なソウルやファンク・ミュージック26曲がコンパイルされていて、彼の熱心なファン向けだけとしてではなく、このコンピを切っ掛けにしてレアな曲をディグしていくのも一興ではないだろうか。
ここからは筆者が気になった収録曲を解説していこう。冒頭の「God Made Me Funky」は、数多のレアグルーヴ・ナンバーの中でも聖典と呼ばれる、The Headhuntersの『Survival of the Fittest』(1975年)収録曲で、グループ名義のファースト・アルバムを代表する曲である。ベーシストのポール・ジャクソンのボーカルにゲストのポインター・シスターズのコーラスが掛け合うシンプルなコード進行で、ジャクソンとドラマーのマイク・クラークによる巧みなグルーヴに、当時20歳前後の若きギタリストのブラックバード・マックナイト(筆者はP-FUNKオールスターズの来日公演で彼のプレイを生で観ている)のファンキーなカッティング、マイルスの『Bitches Brew』(1969年)でも活躍したリーダーのベニー・モウピンによるフリーキーなテナーサックス・ソロが絡んでいく9分40秒の長尺ファンクだ。
そもそもThe Headhuntersは、ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスの弟子筋では最も才能を有して成功した、ピアニストのハービー・ハンコックの12thソロアルバム『Head Hunters』(1973年)を切っ掛けとして、参加ミュージシャンにより結成されたフュージョン・ファンク・バンドだった。因みにウェラーはスタイル・カウンシルのデビュー・シングルを「Speak Like A Child」というタイトルにしており、曲調やサウンド共に全く異なるのだが、ハンコックの6thソロアルバム『Speak Like a Child』(1968年)のタイトル曲からインスパイアしていたのではないだろうか。この様に異ジャンルからの飽くなき吸収力やセンスにウェラーらしさを感じさせる。
Herbie HancockとThe Style Council の
各『Speak Like a Child』
Collins & Collinsの「Top of the Stairs」は、フィラデルフィア出身で父親もミュージシャンだったビル・コリンズが妹トニー・コリンズを誘って組んだ兄妹デュオのシングル曲だ。モータウン黄金期を支えたソングライター・チームで、夫婦デュオとしても活動したニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンから提供され、唯一のアルバム『Collins And Collins』(1980年)にも収録されている。70年代ギャンブル&ハフの元でアレンジャーとして、Soul SurvivorsやThe Three Degrees等のセッションに参加していたジョン・デイヴィスが本曲のプロデュースとアレンジを手掛け、フィリーソウルの本極地であるSigma Sound Studiosでレコーディングされているので、この曲にもフィリーの名残がありつつ、ディスコ・ムーブメントで希釈された70年代ソウルからブラック・コンテンポラリーへのミッシングリンクになるであろうモダン・ソウルが展開されている。とにかくアシュフォード&シンプソンによるソングライティングとデイヴィスによるアレンジが素晴らしく、このコンピレーションの中でも人気曲になるだろう。この兄妹デュオはシングル3枚とアルバム1枚で活動を終えた。
ここからはマイナーながら良曲にも触れたい。イギリスのレアなノーザン・ソウルとしてディグされているのが、The Exits の「You Got to Have Money」だ。彼らはロサンゼルス出身の4人組ボーカル・グループで、60年代後半に4枚のシングルのみリリースして、リードシンガーのジミー・コンウェルは解散後はソロシンガーとなり活動を続けた。この曲は1967年にGemini Recordsからリリースされたデビュー・シングル「Under The Street Lamp」のカップリング曲で、クレジットによるとメンバーの連名によるオリジナル曲だが、TEDDY RANDAZZO(テディ・ランダッツォ)に通じる作風が耳に残って離れない。アレンジ的には2台のギターにベースとドラムの基本的なリズムセクションにコンガを加えているのが注目点で、恐らくH=D=Hが手掛けていた頃のフォートップスを意識していたのだろう。
Brother to Brotherによるギル・スコット・ヘロンの「In the Bottle」(1974年)のカバーは、ノーザン・ソウル・ブームの時期に散々語られてきたので軽く触れるに留めるが、オリジナルのThe Midnight Bandの演奏に比べて、このヴァージョンの方がタイトで巧いのは間違いない。ベーシストのシンコペーションとドラマーの正確なキックを聴けば理解出来るが、彼らはシルヴィア・ロビンソンが設立したTurbo Recordsに所属しており、本作のレコーディングでは、The Momentsのアル・グッドマンとハリー・レイが共同プロデューサーとして仕切っていたので、手練なミュージシャン達が参加していたのだろう。
Baby Huey(ベイビー・ヒューイ)の「Hard Times」もノーザン・ソウル・ナンバーとしてポピュラーで、シカゴのCurtom Recordsから1971年にリリースされた『The Baby Huey Story: The Living Legend』に収録され、同レーベルを設立したカーティス・メイフィールドがソングライティングとプロデュースを手掛けている。当時のカーティス・サウンドに通じるサイケなワウワウをかましたギターをフューチャーした、ブルース進行のファンキーなシカゴ・ソウルである。この曲はThe Headhuntersの「God Made Me Funky」と同様に、多くのヒップホップ・アーティストにサンプリングされているが、サビのホーンのリフ・パターンは、ピーター・ガブリエルが1986年に全米チャートナンバーワンを果たし大ヒットさせた「Sledgehammer」(『So』収録)にもオマージュされている。
改めてデヴィッドのプロフィールに触れるが、1949年10月スコットランドのエジンバラ生まれの彼は、The Beachcombersのメンバーとして1968年にCBSレコードと契約し、同年バンド名をThe Bootsに変え、シングル「The Animal In Me」と「Keep Your Lovelight Burning」をリリースするも70年には解散してしまう。その後初期Bay City Rollersに代理メンバーとして加わるが短期間で脱退し、翌年同様に脱退したビリー・ライオール(キーボーディスト)、更にスチュアート・トッシュ(ドラマー)を加えて73年にパイロットを結成する。
彼らはEMIレコードと契約し74年にアラン・パーソンズのプロデュースで、ファースト・アルバム『From the Album of the Same Name』(同年10月)をレコーディングし、2曲目の先行シングル「マジック(Magic)」(同年9月)が全英11位、全米5位を記録し、カナダではゴールドディスクに認定されヒットした。ファーストのレコーディング後サポート・ギタリストのイアン・ベアンソンを正式メンバーに加えて4人組となり、翌75年の『Second Flight』の先行シングルで、デヴィッドが単独でソングライティングした「January」(同年1月)は全英1位となり国内最大のヒットとなった。
その後オリジナル・メンバーのビリーが76年に脱退したため、サードの『Morin Heights』(76年)では残った3人にサポート・キーボーディストを加え、クイーンの諸作で知られていたロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースの元でレコーディングしている。翌77年にはスチュアートも脱退し、デヴィッドとイアンの2人体勢のパイロットは、再びアランのプロデュースで『Two's a Crowd』(77年)をリリースするが同作がラスト・アルバムとなった。デヴィッド、イアン、スチュアートの3名は、アランが75年に結成したアラン・パーソンズ・プロジェクトの準メンバーとして、76年のファースト・アルバムから全盛期の80年前半まで参加し、そちらの活動の方がメインとなったことでパイロットは自然消滅した。
この様に70年代から80年代を通して、英国ロック界でデヴィッドは大きく貢献してきた。パイロットとしては2002年と2007年にデヴィッドとイアンを中心にリユニオンしており、5thアルバム『Blue Yonder』(2002年)と、企画アルバム『A Pilot Project:A Return to The Alan Parsons Project』(2014年)をリリースしている。2017年以降はデヴィッドのソロ・プロジェクトとして現在も活動を継続している。
冒頭に相応しい「Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!」は田中久義との共作曲で、原曲は田中がSHEEPの前に結成し、デヴィッドもリードボーカル他で参加した、BEAGLE HATのメジャーデビュー・アルバム『MAGICAL HAT』(2006年)レコーディングの際、デヴィッドが提供した「ON MY WAY」である。アレンジの基本構造は同じだが、ややテンポが早くなって、曲としての完成度も高くなっている。マーティンによるドラムと一部キーボード以外の全楽器をデヴィッドが一人多重録音でプレイしている。年齢を感じさせないデヴィッドのボーカルも健在で、パイロット・ファンも楽しめる。
続く「All I Need」はデヴィッド単独のソングライティングで、ポール・マッカートニー直系のビートリーな良曲だ。レコーディングにはドラムのマーティンの他、“David Paton Songs”に所属するケニー・ハーバート&ラブ・ホワットの2人が、エレキギターとコーラスで、プロデューサーのデイヴィー・ヴァレンタインがオルガンで参加しており、スコットランドのハートビート・スタジオで撮影された同曲のMVで、参加メンバー達の楽し気な姿を目にすることが出来る。
マーティンと共作した「Before I Let Go」は、やはりドラマーということでポリリズムのビートが基調になっていて、サウンド自体もデヴィッドが持つポップス感覚とは異なり、ピーター・ガブリエルなどを彷彿とさせて興味深い。こういった要素をアルバムの中でスパイスにさせているのだろう。
タイトル曲「Communication」はデヴィッド単独のソングライティングで、所謂英国的なシリアスな曲調で、マーティンのドラム以外はデヴィッドの一人多重録音だ。「Before I Let Go」同様にこういった、80年代を意識したサウンドは、当時聴き込んでいたであろうマーティンがアレンジのアイディアを出しているようだ。
本編ラストの「I Will Be King」はジョン・ターナーとの共作で、アレンジとキーボード、ドラム・プログラミングはジョンが担当し、デヴィッドは全てのギター、ベースをそれぞれ担当している。シンプルなドラム・トラックのビートと必要最低限の音数で構成されたサウンドをバックにデヴィッドのボーカルが感動的なバラードである。
日本独自のボーナストラックに触れておこう。
「How can this love survive?」はデヴィッド単独作で、フェイザーが効いたテンポ感のある打ち込み主体サウンドが、本編のカラーが異なるのでオミットされたのかも知れないが、曲としては悪くない。プリファブ・スプラウトの『From Langley Park to Memphis』(1988年)でトーマス・ドルビーがプロデュースした楽曲に通じていて、好きにならずにいられない。
続く「I'm gonna be (500 miles)」はThe Proclaimersの1988年作のカバーで、オリジナルはリリースの5年後にジョニー・デップ主演の米映画『ベニー&ジューン(Benny & Joon)』(1993年)で使用されたことで英国外でもリバイバル・ヒットした。
2枚目のシングル「とどかぬ想い(If I HadYou)」(1979)と、3枚目の「永遠の想い(Everybody’s Got to
Learn Sometime)」(1980)が英米で大ヒット。抒情的なメロディ、美しいストリングスやコーラスの音の重なりが印象的で、日本でも、洋楽ファンの心をぎゅっととらえたが、アンディ・デイヴィスの脱退などもあり、1982年、解散。その後、再結成、再解散、レコードの再発、ベスト盤のリリース、ライブなど、つかず離れずといった感じでの活動が続いてきた。
The Korgis「Everybody’s Got to Learn Sometime」(1980)
『BLUE』には他に、「Good Old Days Of The Cold War」(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)という曲もある。古き良き冷戦時代とは、なんと皮肉な内容だろう。ピアノの低音域のベースラインと右手のコードが8ビートを刻むアレンジが特徴的。どこか陽気で、古い映画音楽のような雰囲気の楽曲なので、タイトルや歌詞を見なければ、社会的な歌だとはわからない、そのギャップがおもしろい。制作を始めた頃の仮タイトルは、なんと、「プーチンとトランプ:ミュージカル編」だったらしい。その後、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったため、歌詞の内容が現実とはズレてしまったが、「時が経てば(この歌詞もまた)歴史に沿ったものになると予測している」とブックレットに解説されている。
次の曲「Letter To Geelong」(ジョー・マテラ/アル・スティール)もアコースティックギターと明るくおだやかな旋律が印象的な曲。故郷に残してきた人びとと手紙のやりとりをするストーリーは、優しさに満ちている。女性ボーカルの声はダニエル・ニコルズ。コーギスに女性ボーカルが加入したことで、歌の表現も、コーラスのニュアンスの幅も広がっているのだとわかる。
そのあとも、「Prison Break」(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)、「Another Perfect Day in St.Thopez」(ジョン・ベイカー/アル・スティール)と、ポップでコーギスらしい曲が続く。
「Another Perfect Day in St.Thopez」は、〈君は今どこにいるの〉の歌詞で始まる。終わった恋を思い出し、昔の恋人に心の中で話しかけている。ちょっと切ないけれど、かわいらしいラブソング。この曲を作ったジョン・ベイカーの18歳の頃の経験がもとになっているそうだ。歌詞に、The Beach BoysやThe Beatlesも出てくる。遠い日の思い出は、とてもやさしい眼差し。年齢を重ねた今だからこそ書ける、ということだろう。
コーギスのコア・メンバーであるジェームス・ウォーレン、ジョン・ベイカー、アル・スティールの3人が唯一そろって「自分が好きな曲、おすすめの曲」としてあげたのが、「End Of An Era Feeling」(クリス・ホプキンス/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール/イアン・クーパー)。重厚で美しいオーケストラサウンドで始まるこの曲は、歌の部分にもすべてコーラスワークが入っており、音の重なりのやわらかさ、優しさが感じられる。
全体でみると、〈Aah~it’s that end of an era feeling〉という1行、曲のタイトルでもあるこの部分が鍵となって、それぞれテーマを持ったいくつかの曲パートをつなぎ、構成される「組曲」のような楽曲にしあがっている。
次の曲は、「Oppenheimer(Stuck In This Moment)」(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)で、理論物理学の研究に生涯を捧げたロバート・オッペンハイマー、‘原爆の父’である彼の生涯のパラドックスがテーマ。しかし、アコースティックギターの音で始まり、コーギスらしいコーラスアレンジが施され、重いテーマを歌うわりには、メロディもアレンジも優しい。こうしたバランス感覚もコーギスらしさのひとつなのだろう。
The Korgis「Oppenheimer」(2024)
このあとも、ポップなロックテイストの曲が続くが、テーマ、世界観はさまざまだ。たとえば、オーストラリアの熱帯雨林の森林火災にアイデアを得て作られた「Red Flag Day」(ジョー・マテラ/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。あるいは、年配の人物が鏡を眺めながら過ぎ去った年月に思いを巡らせる「Hey Old Friend」(ジョン・ベイカー/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。昔のことを思い出す歌詞にはビートルズのエピソードも。曲の最後はアレンジが一変し、マイナーに変調して、淋しさが漂うエンディングになっているが、最後の歌詞は「Oh yeah…」が続く。ビートルズの「I’ll Get You」からのオマージュだそうだ。
最後から2曲目は、「Sticky Note For The End Of The
World」(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)。人類が地球を支配した後の世界が舞台。熱帯雨林は燃え上がり、天変地異が次々と陸地を海に沈めていく地球上に、わずかに残った人類が生き延びるためにもがく物語だ。