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2025年4月16日水曜日

映画『BAUS 映画から船出した映画館』


映画を観る前のタイトルからの想像と、観た後とで、こんなにイメージの変わる映画があっただろうか。そうか、そうきたかと、にやりとしたくなる場面も。そして、バウスシアターを愛した人だけの映画でもなかった。むしろ、誰のこころにもあって、記憶のどこかに潜んでいる何かを思い起こさせるような共感の物語。

 



  映画を観る前と後とでイメージが変わったなと思う要素はいくつかあって、そのひとつが、説明的なセリフやシーンが少ない、ということだった。それはもう、潔いまでの少なさだった。そして、小さな記憶のかけらがひとつひとつ、大切に積み重ねるように綴られていることも。

  映画で描かれていたのは、吉祥寺の地で、映画館、劇場文化を約90年にわたり守り続けてきた家族の物語。この家族にとって、映画館は家業だったということになる。それだけに、映画や映画館への思いも大きかっただろうし、経営を続けていく苦労も並大抵のことではなかったはずだ。兄弟や家族が中心となって経営するとなれば、遠慮もないから、言い合いになるようなこともあったかもしれない。時代が時代でもある。昭和のはじめから、戦争の時代を経て、戦後、人々の生活スタイルも街も娯楽もガラガラと大きく変貌した時代。90年という長い年月の間には、家族のあり方も変わる。山あり谷あり、濃密な内容と展開を、なんとなく想像していた。

 しかし違った。出会いや決断、ひょんな一夜、戦争の悲惨さ、家族の日常も、生と死も、大きな感情として表されるのではなくて、静かに進行していた。本当に必要なものだけを残して、削ぎ落とした感じ。大事な場面ほど、言葉が少なかった気さえする。

さて、タイトルにある「BAUS」とは、かつて吉祥寺(東京都武蔵野市)にあって、映画はもちろん、演劇、音楽ライブ、落語など型にも枠にもはまらず上演し、観客からも作り手からも愛された劇場「バウスシアター」のこと。2014年5月31日、惜しまれつつ閉館した。



 その歴史をさかのぼると、大正141925)年に創設された「井の頭会館」にいきつく。村の有志約100人が出資して、村の娯楽場としてつくられ、映画をはじめ、浪曲や浪花節などの興行も行っていたそうだ。この映画のなかで、支配人のセリフとして、「みんなここに来て、映画を観て、明日またがんばるための英気を養うんだ」というようなことが語られていた。まだ吉祥寺村と呼ばれていた時代。大正12年に起きた関東大震災で被害の大きかった地域から逃れてきた人も多く、吉祥寺村周辺の人口は急増したというが、まだまだ店などは少なく、娯楽らしい娯楽もなかったようだ。そんな時代に、人々がお金を出し合ってつくった場所は住民にとって大切な場所であったと想像できる。

 そして、昭和3(1928)年頃、この井の頭会館で働くようになったのが、本田ハジメとサネオの兄弟。吉祥寺の地で、劇場文化を約90年にわたり守り続けてきた家族の、最初のふたり、である。兄弟は、「あしたを見つけにいく」と、故郷青森を飛び出し、東京に向かい、なぜか吉祥寺村にたどり着いたのだった。

 映画自体が、必要なものを残して、きっぱりと削ぎ落とした展開になっているのに、私があれこれ説明してどうする……()。まぁ、ここまでは、ざっくりと。  

※映画パンフレットの表紙。鈴木慶一さん演じるタクオがたばこのけむりをくゆらす場面は、映画のなかで印象的につかわれる。裏表紙の右下には、井の頭会館で弁士をつとめる兄のハジメの裏方として蓄音機でレコードをかける若き日のサネオ。このシーン、好きだなぁと思っていたら、表紙にも使われていた。 



手と音が語るもの

  もう1つ、気になったのは「手」の表現だった。説明的なセリフやシーンの少ない映画だったと先述したが、その分、登場人物の「手」が多くを語っていた気がする。

 中でも特に印象に残っているのは、武蔵野映画劇場(後に吉祥寺ムサシノ映画)の初日の場面だっただろうか、小学生のタクオと母のハマが並んで座って映画を観る場面でのこと。ふたりは手をつないでいる。ハマは優しい表情で目を閉じる。それだけなら、母と子のほほえましい場面なのだが、そのあとカメラがつながれた手にズームアップしたのだ。そしてハマは、つないだ手を優しくぎゅっとする。お母さん、ここにいるよ、大丈夫だよ、とでも言うように。

大人の手と小さな子どもの手がつながれている画像は、世の中にあふれている。検索すれば、山ほど出てくるし、とてもほほえましいものだ。

でもなぜか、この映画の流れのなかで、つながれた手がアップになった瞬間、胸騒ぎがした。そして予感は当たってしまった。その場面のあと、ハマは倒れ、亡くなってしまうのだった。

 ちなみにこの母子ふたりの場面にはセリフはなかった。短いシーンだが、セリフをつけようと思えば、つけられると思う。でもやっぱり、ここにセリフはいらないんだ。

あるいは、なんの場面だったか、ある小雨の降る夜、井の頭公園に来たサネオが、井の頭池に近づき、池に手を入れようとするシーンがあった。でも、池に手を入れる直前に傘がすっと差し出される。ハマとタクオがサネオを迎えに来たのだと思う。たぶんサネオを心配して。他にも、水に手を入れようとする場面が何度かあって、それもとても気になっている。

 

 映画を観たあとプログラムを読んだら、米倉伸さん(撮影)の寄稿の中に、手の表現について書かれている部分があった。

 甫木元空(うきもとそら)監督から「今回はできれば〝手〟を撮りたい」と提案があり、米倉さんも同じことを考えていたこともあって、話し合いを進め、全編にわたって様々な〝手〟のアクションを捉えていくことを選んだのだそうだ。そうか、だから手が印象的に画面に映る場面が多かったのか、と腑に落ちた。

  手そのものの表現というだけではなく、「この映画の中には〝何かを受け渡す〟という行為をもって語られる物語や、人々の関係性が多くある。社長からサネオへ、サネオからタクオへと引き継がれていく映画館、時を超えて引き継がれるアルバム、細かなことで言えばチケットをもぎる行為や、池のほとりに座り込むサネオに差し出される傘だってそうだろう」(プログラム・米倉伸さん寄稿より引用)。

 

そういうことで言うと、音と音楽もそうだ。挿入歌の中で、ある1曲が、アレンジを変えて何度か使われていて、それがとても印象に残った。メロディはとても優しく、シンプル。シンプルなだけに、アレンジによって曲のイメージは大きく変わり、意味合いも変わっていることが、よくわかったからだ。

 

ドレミミ- ミレ#ミファ ミ-レ-

シドレレ- レド#レミ レ-ド-

 

何度か流れる中で特に印象的だったのは、音楽を担当した大友良英さんによるエレキギターの演奏だった。歪んだ音。

以前、音楽は映画に一番近い構造を持っている、と、何かで読んだことがある。どちらも時間の軸の上につくる構造物。たとえば、映像が静かな動きをしている時に、音楽がドーンとつくと、映像に別の意味が生まれてくる。その逆パターンもあるだろう。登場人物のこころを表したり、補ったり、包み込んだり、作品の精神世界を大きく表現したり。大友さんが弾くエレキギターの音を、どう聴くか。

 

 先に、説明的なセリフやシーンが少なく、本当に必要なものだけを残して削ぎ落とした感じ、と書いたが、だからこそ響いてくる一言があったり、手の表現や音、音楽のつき方といった、言葉ではない部分の表現が雄弁で、とても豊かな感情につつまれた映画だった。



※2014年5月、バウスシアターが閉館するのに合わせて発行された『吉祥寺バウスシアター 映画から船出した映画館』(ラスト・ハウス実行委員会編/株式会社boid刊)

 

 このWebVANDAでのコラムは、ひょんな縁がきっかけで書くことのなったのだが、実は、私はバウスシアターで映画を観たことがない。バウスタウン、バウスシアターという名前は「ぴあ」などの情報誌で知っていて、気になる映画館ではあって、結婚して吉祥寺の近くに引っ越してきたときには、何度かバウスシアターの前まで行ったこともあるのだが、ついに映画を観ることのないままに、閉館してしまった。

 そんな私が、バウスの映画の話を書いてもいいのだろうか。ネットやSNSには、「よく通いました」「バウスシアターは私の青春でした」といった言葉が並び、内心、ちょっと不安もあった(だから、途中からはバウス映画関係のネットものは見ないことにした)。

でもそんな不安は、映画を観終えたときには、さっぱりと無くなっていた。「バウスを愛した人だけの映画でもなかった」などの冒頭リードの文章は、この映画を観た直後の正直な気持ちだ。

 

それと、最初のほうで、「BAUS」について、「かつて吉祥寺にあった映画館バウスシアターのこと」と書いたが、映画の内容などを思い出しながらこうして原稿を書いているうちに、これはバウスシアターだけのことではなくて、BAUS的なもの、井の頭会館以降ずっと引き継がれてきて、そして〝映画づくり〟として今も続いている精神性や遺伝子のようなものを表しているのではないか、と思うようになった。だから、「バウスシアター」ではなくて「BAUS」なのだろう。違うかな。でも、それは観た人がそれぞれ思えばいいことかもしれないね。

 


井の頭公園と吉祥寺、そして自転車

  2025年3月22日。映画+監督舞台挨拶を観終わって、吉祥寺オデヲンを出る。土曜日夕方の吉祥寺は、人であふれていた。映画館を出てその雑踏の中に入っていったとき、なんだか映画のエンドロール映像の続きの中に自分がいるようで、奇妙な気持ちになり、思わずきょろきょろと周囲を見まわしてしまった。そして、そうだ、井の頭公園を通って帰ろう~と思い、吉祥寺駅を通り抜けて、公園のほうへ。 

井の頭公園手前のカフェでコーヒーを飲んでから公園に行ったら、すっかり夕暮れの空色になってしまった……。この日はまだ東京のソメイヨシノは開花前で、いつものゆったりとした週末夕方の井の頭公園という感じ。 井の頭公園の正式名称は「井の頭恩賜公園」という。大正6(1917)年5月1日開園。公式ページはこちら

※井の頭公園には園内の一画にバードサンクチュアリがあって、高さのある金網で区切られ、人間が決して入れないようになっている。そうした安心できる場所もあるし、武蔵野三大湧水池の1つに数えられる井の頭池もあることから、公園には数多くの種類の鳥がいる。井の頭公園のこうした取り組みは、本当に大事にしたい。池だけではなく、木々にも、普段あまり目にしない鳥たちがとまっているので、井の頭公園に行くことがあったら、ぜひ、静かに観察してみてくださいね。

 

 映画の中で登場人物たちは、よく井の頭公園を歩いていた。この映画は過去と現代を行ったり来たりするが、その過去のシーンでは、兄弟で、家族で、ときにひとりで、公園を歩く場面が数多くあった。家族の日常にとって、吉祥寺における映画館経営という家業にとっても、井の頭公園が大きな存在だったことが伝わってきた。

それは現代の場面にも受け継がれ、鈴木慶一さん演じる、年を重ねて白髪になったタクオも公園に来ていた。しかもその場面は、バウスシアターが閉館する最後の日という設定で、タクオは家族の写真アルバムを開いたり、公園の中を歩いたりして過ごしていた。

そういえば、自転車に乗って来ていたな。池のまわりの道を自転車を押してのんびり歩いていたり、停めた自転車にまたがって、なぜか全力でこいでいる場面もあった。あれは何だったのかな、タクオは井の頭公園で何を思っていたのだろう……なんていうことを考えながら公園を歩いていたら、下の写真の場所で、右のほうからギーコギーコと古い自転車の音が聞こえてきた。 

※写真だとわかりにくいが、けっこう急な坂道。


井の頭公園は、まわりを囲む道から池に向けて、急な下り坂になっている。アップダウンの多い公園だ。そこを、現代のタクオと同世代くらいの男性がギーコギーコと大きな音をたてて自転車をこいできて、通り過ぎていったので、おぉ~と思う。近所に住む人だろうか。慣れた坂道なのかもしれない。映画の中で現代のタクオも自転車で公園に来ていたけど、本物の拓夫さんも自転車で公園にいらっしゃるのかしら……(バウスシアターの総支配人であり、バウス閉館後は本田プロモーションBAUSの代表。本映画の原作『吉祥寺に育てられた映画館 イノカン・MEG・バウス 吉祥寺っ子映画館三代記』の著者)。

 

 そして、映画が終わりに近づいたころ、タクオの携帯に電話がかかってきて、短い会話を交わすとタクオは自転車に乗り、颯爽と公園を後にする。行き先はバウスシアター。閉館する最後の日。

それまで、アルバムをめくり、池のまわりを歩き……タクオのこころが井の頭公園から離れられないような感じもあったが、自転車に乗るときの顔は、やわらかですっきりとした表情だった。この日、井の頭公園に来て、長い時間を、ひとり、公園で過ごし、気持ちに区切りがついたのだろうか。……いや、〝ひとり〟じゃない、か。もう会うことは叶わなくても心に抱き続ける大切な人たちと、向かう先には映画館を一緒に守り続けてきた仲間たちがいる。

 

 バウスシアターは終わりの日を迎えたが、でも、街は変化し続け、「BAUS」も続いていることを映画を観た私たちはわかっている。そして、同じように、いろいろな街や人のこころにも大切な何かは消えることなくちゃんとあることも。

 

 余談

  昭和に入ると、吉祥寺、三鷹周辺の人口は急増する。鉄道が敷設されたこと、関東大震災で被災した人が移住してきたなどが主な理由だが、東京市内に比べると自然豊かで空気がきれいで、土地も安かった。あるいは、不況が時代を圧迫し、東京の中心部では思想統制などがきびしくなっており、特に文士などは、そうした場所から逃げるように移り住むケースもあったようだ。山本有三がそうだ。太宰治の場合はそれとはちょっと違うが、昭和14年、井の頭公園の裏手(住所でいうと三鷹村下連雀)に引っ越してきた。偶然にも、本田ハジメ・サネオ兄弟と同じ、青森出身である。また、「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」の作曲家として知られる中田喜直もこのあたりに住んでいた。「ちいさい秋みつけた」のメロディは井の頭公園を散歩している時に生まれたそうだ。園内にはピアノの形をした歌碑もある。

 鉄道の駅ができたなどの理由だけでは、映画や音楽、文学といった文化を発信するような街にはならなかっただろう。この街には何か、人々を引き寄せる魅力があったわけで、それが「井の頭公園」という「場」だった気もする。ハジメ・サネオ兄弟が吉祥寺に流れ着いたのも、案外、そうした見えない力のようなものに導かれたのかもしれない。

 

映画『BAUS  映画から船出した映画館』のCASTや上映館など詳しい情報は公式サイトでお確かめください。


●関連書籍

『吉祥寺バウスシアター 映画から船出した映画館』ラスト・バウス実行委員会編 株式会社boid 2014年5月

『吉祥寺に育てられた映画館 イノカン・MEG・バウス 吉祥寺っ子映画館三代記』本田拓夫著 文藝春秋企画編集部 2018年12月



大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区・目黒区のタウン誌、雑誌「アニメージュ」のライター、「特命リサーチ200X」「知ってるつもり?!」などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。

 



2024年12月6日金曜日

ザ・コーギス、3年ぶりのニューアルバム

 


Beginnings」に始まり、「Beginnings」に終わる収録曲の並び。そして、『UNUnited Nations BLUE』と『UNUnited Nations RED』という意味深なアルバムタイトル(以下、『BLUE』、『RED』と略して表記)。2作を並べると、地球のあちこちが線でつながっている。ザ・コーギスが3年ぶりにリリースするニューアルバムの全体のテーマとして、彼らは、「世界のつながり」とそれに相反する「分断」、そして「音楽の世界旅行」を考えた。どんなアルバムなのか、アルバムのライナーに収録された彼らの言葉を中心に、その想いをさぐってみたい。

  

抒情的なメロディと美しいストリングスが印象的なイギリスのポップグループ


……と、アルバムの話に行く前に、ザ・コーギスの説明を簡単に。

ザ・コーギス(THE KORGIS、以下コーギス)は、元スタックリッジのメンバー、ジェームス・ウォーレンとアンディ・デイヴィスの2人を中心に結成された伝説のポップ・ユニット。デビューシングルのリリースは1979年。

スタックリッジは「パストラル・ミュージックのビートルズ」(田園的なのどかな音楽のビートルズといった意味合い)と称され、その後継バンドであるコーギスもビートルズの影響を受けていることをメンバーが公言している。

2枚目のシングル「とどかぬ想い(If I HadYou)」(1979)と、3枚目の「永遠の想い(Everybody’s Got to Learn Sometime)」(1980)が英米で大ヒット。抒情的なメロディ、美しいストリングスやコーラスの音の重なりが印象的で、日本でも、洋楽ファンの心をぎゅっととらえたが、アンディ・デイヴィスの脱退などもあり、1982年、解散。その後、再結成、再解散、レコードの再発、ベスト盤のリリース、ライブなど、つかず離れずといった感じでの活動が続いてきた。

 

                  The Korgis「Everybody’s Got to Learn Sometime」(1980)

 

新型コロナウイルス感染症のロックダウン中にレコーディングされた前作

 

そして202111月、約30年ぶりとなる新作のアルバムKartoon Worldをリリース。2020年の新型コロナウイルス感染症によるロックダウン中に、レコーディングを開始したそうだ。このときのメンバーの言葉を紹介しよう。

 「コーギスのニュー・アルバムは、途切れなく50年間にわたる壮大な音楽です。それは1980年に始まり、目も眩むような成就と共に2030年に終わります。世界はとてつもない没落へと向かっており、テクノロジーではなく、愛の力だけが唯一の明白な答えなのです。過去から未来へ、我々と旅をしましょう。そして我々が知っている人類の滅亡から、我々がどのように辛うじて逃れるのかを見ようではありませんか! Kartoon Worldは誓いと共にリリースされます。その誓いは愛に始まり、愛に終わり、それこそが今の世界に必要なことなのです」

 今、世界に向けて歌わなければ、いつ歌うのか、という強い意志を感じる。そしてこのときの想いが、今回のアルバムUNUnited Nations BLUE』と『UNUnited Nations REDにもつながっていると感じる。


現在のコーギスのメンバーは、コーギス結成時からのオリジナルメンバーであるジェームス・ウォーレン(Ba./Vo./Gt.)と、1982年の最初の解散前には既にコーギスの一員になっていたジョン・ベイカー(Vo./Gt./Key.)、ジェームスの古くからの音楽仲間で2000年代に入ってからメンバーとなったアル・スティール(Vo./Gt./Key.)の3人がフロントを担い、ポール・スミス(Dr./Perc.)、ダニエル・ニコルス(Vo./Gt./Perc.)も含めた5人。

 

愚かさと優しさ、人間の内面を見つめる『BLUE

 

「漠然としたアイデアではあるが、このアルバムは国や都市といった場所をテーマにできそうだと思った。『Nations』という言葉を使った何かがふさわしいように思えたが、その後、ロシアがウクライナに侵攻したことで、UNUnited Nationsに変更することにした」(BLUEブックレットより)

 『BLUE』はオーケストラによるイントロが印象的な小曲Beginnings(作:アル・スティール)で始まり、Mud Huts(泥の小屋の意)」(ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)という曲に続く。美しい地球の森を切りひらき、自然を容赦なく切ってきた人間社会を批判する内容だ。


BLUEには他に、Good Old Days Of The Cold War(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)という曲もある。古き良き冷戦時代とは、なんと皮肉な内容だろう。ピアノの低音域のベースラインと右手のコードが8ビートを刻むアレンジが特徴的。どこか陽気で、古い映画音楽のような雰囲気の楽曲なので、タイトルや歌詞を見なければ、社会的な歌だとはわからない、そのギャップがおもしろい。制作を始めた頃の仮タイトルは、なんと、「プーチンとトランプ:ミュージカル編」だったらしい。その後、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったため、歌詞の内容が現実とはズレてしまったが、「時が経てば(この歌詞もまた)歴史に沿ったものになると予測している」とブックレットに解説されている。

 

 もちろん、コーギスらしいポップスも健在。ポンポンポン……というかわいらしい音のカウントから、風が吹き抜けるような爽やかなアコースティックギターで始まるSomeday, Charlie, Someday(イアン・クーパー/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)は、私がこの『BLUE』で一番好きな曲。ブックレットに収められたインタビューでは、それぞれのアルバムで「自分たちが好きな曲、おすすめの曲」を聞いているが、アルとジェームスが、この曲をあげている。

明るい旋律ながら、時折、切ない音が入る。コーラスの音の重なりも、コーギスらしい清々しさ。ブックレットの曲紹介によれば、「トーキー映画が生まれた時期のハリウッドにタイムスリップし、チャーリー・チャップリンを批判する(彼には何の罪もない)」とのことだが、歌詞をみる限り、批判しているようには見えないけれど……。


       The Korgis「Someday, Charlie, Someday」(2024)

  

 次の曲Letter To Geelong(ジョー・マテラ/アル・スティール)もアコースティックギターと明るくおだやかな旋律が印象的な曲。故郷に残してきた人びとと手紙のやりとりをするストーリーは、優しさに満ちている。女性ボーカルの声はダニエル・ニコルズ。コーギスに女性ボーカルが加入したことで、歌の表現も、コーラスのニュアンスの幅も広がっているのだとわかる。


  そのあとも、Prison Break(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)Another Perfect Day in St.Thopez(ジョン・ベイカー/アル・スティール)と、ポップでコーギスらしい曲が続く。

Prison Breakは後半の間奏にプログレアレンジが入ってくるところで、思わず、ニヤリ。そこまでのアレンジが、イギリスのポップグループらしい、どこかキュートでピュアな雰囲気のメロディとアレンジなので(歌詞は、脱獄しようっていう内容だけどね……())、一瞬、お?と思うが、そこからまたポップなメロディに戻っていくアレンジ、歌詞とのギャップも含めてすべて、ウイットに富んでいて、これもコーギスの魅力のひとつである。

 Another Perfect Day in St.Thopezは、〈君は今どこにいるの〉の歌詞で始まる。終わった恋を思い出し、昔の恋人に心の中で話しかけている。ちょっと切ないけれど、かわいらしいラブソング。この曲を作ったジョン・ベイカーの18歳の頃の経験がもとになっているそうだ。歌詞に、The Beach BoysThe Beatlesも出てくる。遠い日の思い出は、とてもやさしい眼差し。年齢を重ねた今だからこそ書ける、ということだろう。

ジョン・ベイカーの年齢は不明だが、ジェームス・ウォーレンと同世代だとすれば、60代後半~70代前半、か(Wikipediaによると、ジェームスは1951年8月10日生まれ。御年73歳!)。 70代になって、恋の歌をこんなに瑞々しくうたい、演奏するのはとても素敵なことだと思う。


  BLUEも終わりに近づき、最後から2曲目の曲Matala Moon(マーリー・デヴィッドソン/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)は、美しいピアノの音色で始まる。バカラック・スタイルのフルオーケストラの演奏、メインボーカルをつとめたゲストミュージシャンのマーリー・デヴィッドソンとジェームス・ウォーレンのコーラスワークが息をのむほど美しい1曲。マーリーはこの曲でグランドピアノも弾いている。普通のコーラスに加え、ジェームスが対旋律をとる部分もあり、彼の高音域の声が楽曲に清らかさを添える。この「Matala Moon」も、アルとジェームスが「好きな曲」にあげている曲だ。

 


 

悲観の先に希望を見つける『RED

 

 コーギスのコア・メンバーであるジェームス・ウォーレン、ジョン・ベイカー、アル・スティールの3人が唯一そろって「自分が好きな曲、おすすめの曲」としてあげたのが、End Of An Era Feeling(クリス・ホプキンス/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール/イアン・クーパー)。重厚で美しいオーケストラサウンドで始まるこの曲は、歌の部分にもすべてコーラスワークが入っており、音の重なりのやわらかさ、優しさが感じられる。

全体でみると、〈Aahit’s that end of an era feeling〉という1行、曲のタイトルでもあるこの部分が鍵となって、それぞれテーマを持ったいくつかの曲パートをつなぎ、構成される「組曲」のような楽曲にしあがっている。

ブックレットに収められた3人のインタビューによると、この曲は1960年代終わりのリバプールが舞台。ビートルズは解散し、ラブ&ピースは終わり、サイケがグラムロックにとって代わろうとしていた時代を表現しているという。歌詞にも1960年代の出来事が綴られており、それは、いっけんポップなサウンドやアレンジとは真逆の、悲観的なもので、現代の私たちが生きる世界にも同じことが言えるのではないかと、どこか不安にかられるような内容でもある。


一転して、ソウルフルなアレンジのCoffee In New York(アル・スティール/ジョン・ベイカー)に続く。ブルックリンのカフェで、まだ見ぬ君へ、そして去っていった人への想いを歌うラブソングのようでいて、同時に、時を超えて継がれていく「何か」にも思いを馳せる。

コーギスの歌詞は(特に、今回の新作BLUE』『REDでは)文字となった単語の裏に、あるいは、その言葉を選んだ背景に、違う意味合いを持たせるものが多く、聴く人によっていろいろに解釈できるものが多い。

新作のアルバムを聴く際、まず最初に聴くときには全体のサウンドから入る人が多いと思う。そこから、歌詞や細かいところを聴いていく感じ。今回、私もそうだったが、歌詞の世界も感じていくにつれ、矛盾を感じたり、気づきもあったりした。もしかしたら、今後、数カ月後、数年後に聴いたら、また違う聴き方になるかもしれない。


3曲目のBorn Under A Full Moon(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)もそんな曲のひとつで、アル・スティールの子どもが誕生した日のことがモチーフとなっている。その日、ライブに出演したあと、病院に向かう途中、見上げた空に満月が輝いていたのだそうだ。

命が継がれていくことの希望を感じる一方で、「深い闇」「道化師」「愚か者」といった歌詞も出てくる。ブックレットに収録されたインタビューでアル自身も、この曲について、「悲観的な‘世界の終わり’タイプの曲」と語っているが、楽曲のアレンジはボサノバ調の陽気な響き。これをどう聴くか。

 

次の曲は、OppenheimerStuck In This Moment)」(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)で、理論物理学の研究に生涯を捧げたロバート・オッペンハイマー、‘原爆の父’である彼の生涯のパラドックスがテーマ。しかし、アコースティックギターの音で始まり、コーギスらしいコーラスアレンジが施され、重いテーマを歌うわりには、メロディもアレンジも優しい。こうしたバランス感覚もコーギスらしさのひとつなのだろう。


           The Korgis「Oppenheimer」(2024)

 このあとも、ポップなロックテイストの曲が続くが、テーマ、世界観はさまざまだ。たとえば、オーストラリアの熱帯雨林の森林火災にアイデアを得て作られたRed Flag Day(ジョー・マテラ/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。あるいは、年配の人物が鏡を眺めながら過ぎ去った年月に思いを巡らせるHey Old Friend(ジョン・ベイカー/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。昔のことを思い出す歌詞にはビートルズのエピソードも。曲の最後はアレンジが一変し、マイナーに変調して、淋しさが漂うエンディングになっているが、最後の歌詞は「Oh yeah…」が続く。ビートルズの「I’ll Get You」からのオマージュだそうだ。

 

 最後から2曲目は、Sticky Note For The End Of The World(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)。人類が地球を支配した後の世界が舞台。熱帯雨林は燃え上がり、天変地異が次々と陸地を海に沈めていく地球上に、わずかに残った人類が生き延びるためにもがく物語だ。

sticky noteとは付箋のこと。歌詞には、「欲しければ与えよ」「誠実な人間になれ」「すべての人種の血は赤い」といった言葉が並び、生き残った人類がこれからなにをすべきか、大事なことを忘れないように付箋に書いていると意味合いだろうと思う。豊かに広がる印象のオーケストラアレンジ、落ち着いたメロディライン、コーギスらしい瑞々しいコーラスアレンジに、大事なことを成し遂げるための決意のようなものさえ感じる。まさに、名曲。

 

 そして、REDラストの曲は、BeginningsBLUEの1曲目Beginningsと2曲目Mud Hutsを受ける内容であり、初心に戻り、泥小屋を建て直そうと歌う。

ブックレットに収録されたインタビューで、ジェームス・ウォーレンは、「BLUEがあえて全曲シングルにできそうな、わかりやすいアルバムにしたのに対し、REDはやや実験的で、歌詞も終焉に向かうものが多いなど、それぞれのアルバムの性格に違いがあるわけだが、Beginningsが両者の架け橋となり、UN-United Nationsの世界観をひとつにしてくれる」と語っている。


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Beginnings」で始まり「Beginnings」で終わる今回の新作2枚のアルバムは、環境問題や社会情勢、政治、戦争など多くのメッセージを放っていた。一方で、昔の恋人や離れて住む家族や友人を想ってうたうあたたかな楽曲もあった。思うに、ザ・コーギスにとって、地球を想ってうたう歌も、人を想ってうたう歌も、等しく、ラブソングなのだろうなぁ。前作『Kartoon World』から続く、愛の歌。いまを生きる私たちみんな、コーギスからのラブソングを、どう受け取るか……。

 

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 UN-United Nations BLUE』『UN-United Nations RED』は、2枚に連なる一大コンセプト作。あえて2枚組にしないで、2作でひとつの作品にしあげたのは、ジャケットデザインを見ればわかると思う。ぜひ、2作セットでお聴きください。

タワーレコードオンラインUN-United Nations BLUE

タワーレコードオンラインUN-United Nations RED


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大泉洋子プロフィール

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。






2024年10月20日日曜日

音楽と脳 ③ 最終話 「うた」が先か、「ことば」が先か



今年4月6日、有明の東京ガーデンシアターで開催されたジェイムス・テイラーのコンサートでのこと。コンサートが終わり、「あぁ、よかったなぁ。幸せな時間だったー」と思いながら係員の誘導にしたがって、会場の外に出るべく歩いているとき、まわりにいる大勢の人たちを眺めていて、不思議な気持ちになった。

「あぁ、この人たちと、同じ時代に、同じ音楽を聴いてきたんだ…」

あの日、同じ空間で、同じミュージシャンの歌を聴いたというだけの、まったく知らない人たちなのに、みんな仲間のような気がして、ほんのり安心するような、そんな気持ちになった。親近感。一体感。この感情の正体は、いったいなんだろう。

 

……なんていうことを、ふと思い出し、もしかしたら、トミーとポール(「音楽と脳」①で紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり)も同じだったんじゃないかな、と考えてみた。 認知症の症状が悪化していくなか、なにかの機会でふたりは出会い、ビートルズの歌を聴き、一緒に歌ったりする経験を重ねるうちに、認知症の症状が改善していく。その背景には、①と②で書いた脳の記憶の領域や仕組みという構造的なことに加え、一体感といった感情、人間としての本質的な、なにか本能的なものが働いていたのではないか。

 

そんなことも考えながら、さらにリサーチをすすめていくことにした。

現生人類ホモ・サピエンスは、人類の歴史のなかで、そして霊長類のなかでも、唯一、「言葉」をもつこと。

脳のなかで「言葉」と「音楽」を認知する領域はとてもよく似ていることが意味するものは?

「音楽」と言ってしまうと、現在の、楽器をつかった演奏や楽曲を思い浮かべてしまうけれど、太古の昔は、声? リズム? 「うた」のようなものから始まったんじゃないか……などなど。



「みんなで歌うこと」が生活の中心にある民族の存在

 

と、ここで、今年5月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「フロンティア」~「ヒトはなぜ歌うのか」の内容に戻ってみる。番組では、上記アルツハイマー型認知症患者のトミーとポールの症例のほかに、「音楽が言語よりも大事な意味を持つ」という文化をもつ「バカ族」が取り上げられている。

一説によると、「バ」は「人」、「カ」は「葉っぱ」で、バカ族とは「森の民」という意味だとか。アフリカ中部のカメルーンや中央アフリカ、コンゴ共和国などの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民族で、暮らしのなかで頻繁に歌をうたう「音楽の民」としても知られる。

また、バカ族は、1020万年前のDNA(または遺伝的特徴)を色濃く残しているとされ、言語や暮らしなど人類に関するさまざまな分野の研究者から注目されている民族でもある。

番組では、京都大学の特任研究員、矢野原佑史さん(音楽人類学)が、バカ族の暮らしぶりを取材し、歌を録音するなどして情報を集め、その歌を、沖縄県立芸術大学の講師、古謝麻耶子さん(民族音楽学)が分析して、「音楽が言語よりも大事」という文化の意味を探っている。

 

 

バカ族の「うた」は共同体の生き方そのもの

 

バカ族で主に歌うのは女性たちだ。なにかのタイミングで、年長の女性が手拍子を始め、まずはひとりで歌いだす。すると、ほかの女性たちが次々と歌に加わっていく。

「みんなで歌うこと」を「ベ()」といい、祖先から歌い継がれてきたもので、ひとりきりで歌うことはないそうだ。みんなで歌う。でも、現代の音楽、たとえばポップスのように主旋律をユニゾンで歌うわけでも、コーラス的にハモるわけでもない。みんな、別々の旋律を歌っている印象。それなのに、絶妙に重なり合って、踊り出したくなるようなグルーブ感も生まれてくる。

 

一日のなかで、何度も、歌の時間があり、みんなが声をあわせて歌う。でもふいに歌は終わる。

「彼らの音楽はいつも最高潮に達するちょっと手前で止めて、また日常の時間が流れていく(「鍋、かけっぱなしだった」とか、「バナナでも取りにいこう」とか)。そしてまた誰かが手を叩きはじめると、また音楽の時間がはじまる。その繰り返しで、ちょっとずつ音楽的時間が増えていって、徐々に熟成して、コミュニティの音楽をみんなでつくっていく感じ」(矢野原さん)

 

男たちが狩りに行くときには、村に残る女性たちが「イエリ」という歌を歌う。生きていくために必要な獲物が手に入るように、森の神や動物の心に訴えかけるという意味があるそうだ。また、夜になると、長老的立場の人が中心となって、「リカノ」という歌を歌う。これは、民話、昔話のようなもので、「相手のことを疑うな」「お互いを思うときは歌を歌え」など、森の民としての生き方を歌で教わるのだという。そのほか、暮らしのなかのさまざまな場面で歌う歌があり、生まれてきた子どもは、赤ちゃんの頃からその歌を聴く。そのうち、一緒に歌うようになる。

 

「ヒトはなぜ歌うのか」の公式サイトに、バカ族の女性たちが歌う様子の短い動画が出ている。それを見ると、各人が、自由に、自分が歌いたい旋律を歌っているかのようで、全体にバランスがとれていることがわかる。それは、幼いころから積み上げてきた「歌う」ことの経験によるものだろう。

分析をした古謝さんによると、「この人が、ほかのメロディにいった。このメロディがなくなったから、自分はそれを歌おう、みたいなことが、聴いているとわかるんですね。この人が、このメロディをやめてほかのメロディにいった瞬間、別の人がそこを埋めるように入ってきたりする」とのこと。

どんどん流れていく「歌」のなかで、それができるのは、一緒に歌う仲間の存在を意識して、その歌声や旋律、リズムをよく聴いているからだ。よく聴いて、寄り添ったり、サポートしたり、代わりを務めたりしている。それはまるで、支え合い暮らしていく共同体の生き方そのもののように思える。

熱帯雨林という過酷な環境のなか、家族の命を守り、食料を得、楽しく生き、命をつないでいくためには、「集団のきずな」が必要不可欠だ。そのためには、一緒に声を合わせること、歌を歌うことでの一体感。助け合える、みんなで生きていくのだという意識を高めるのに、歌が最適だったということか。

 

……というかたくるしい説明もありつつ、でも何より、歌っているバカ族の人びとが楽しそうなのが、いい。楽しそうで、一体感がある感じ。これが一番大切なのかもと感じる。

また、女性たちの手拍子は2拍子、男性がたたく打楽器は3拍子で、ポリリズムと呼ばれる独特なリズム感が生まれていて、思わず、リズムととったり、踊り出したくなるグルーブ感。脳科学的には、次に書くように、「報酬系が喜んでいる」になってしまうのだけど^^;

 

 

ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」 


「ヒトななぜ歌うのか」の番組のなかで、ノースイースタン大学で音楽と脳の関係を研究するサイキ・ルイ博士がこんなことを言っている。

「他人と一緒に歌ったり、体を動かすことは同じ体験の共有。〝助け合える〟サインだといっていい。社会的動物であるヒトにとって、報酬を感じる行動です。(脳の)報酬系は食欲など生存上不可欠なもので活性化します。報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽がヒトの生存に不可欠だということになります」

「ヒトにとって社会的につながることはとても重要。協力すれば多くの仕事ができる、食料も分け合える。ヒトが音楽を手にしたのは進化上の『適応』だったと思います」

 

つまり、本能的、ヒトの本質的な部分に「音楽」があるということだ。

進化上の適応。

というか、言い方を変えると、音楽や言語、そして道具などを生み出す脳の構造を持っていた、そういう進化上の適応があったからこそ、約30万年前に出現したホモ・サピエンス、私たち人間は2024年の現在も生き続けていられる、ということだと思う。(*なぜ突然、「道具」が出てきたかについては、あとで少し触れますね)

 

 

「うたのようなもの」が、「言葉」と「音楽」に分かれて進化した

 

音楽や言葉については、その起源を探るのがとても難しいそうだ。道具や壁画などと違って、化石や遺跡として残っていないからだ。

しかし、古代ギリシャの時代から、学者たちは、天文学や医学と同じように、音楽についても論じてきた。また、18世紀から19世紀にかけては、ルソーやダーウィンが、言語の「音楽起源論」を発表するなど、言語の発生についての議論が繰り返しあった。しかし、言語神授論(言語は神が授けてくれたもの)を批判する研究者がいて問題になるなど、当て推量でものを言うな!的な風潮が高まり、ついにはパリ言語学会が「言語の起源と進化に関する論文を受けつけない」と決定して研究は滞り、再び研究や議論がなされるようになったのは、20世紀半ば頃だという。

その後、遅れを取り戻すかのように研究が盛んに行われ、いまでも議論は続いている。どの理論もいまだ「仮説」の域を出ないそうだが、今回参考にした資料をみると、現在は「音楽起源説」が主流らしい。

なかでも、私にでもわかりやすくて、納得感のある考察をしていたのが、岡ノ谷一夫(帝京大学先端総合研究機構教授/理化学研究所研究員など)の研究だった。岡ノ谷先生の書籍や論文を引用して、解説している参考資料やサイトがいくつもあった。これらをまとめて、きちんと説明しようとすると、本1冊分にもなりそうなので、あまり専門的になりすぎないよう、その一部を簡単にまとめてみようと思う。

 

◎まず考え方として、生物学的探求のアプローチとして「前適応説」というものがある。たとえば、鳥の羽毛は保温のためにできたものだが、やがて飛ぶ機能に発展した。これと同じように、言語とは直接関係のない、ほかの機能のために進化してきた機能がいくつか組み合わさって適応し、「言語」を獲得した、と考える方法。

 

◎音楽起源説の「前適応」

人間の赤ちゃんはとても大きな声で泣く。こんな目立つ行為は他の動物では考えられないこと。どうしてそうなったのか……。

人間の祖先が火や石器、道具を使うことを覚え、集団生活を営むようになると、野生生物などに襲われる危険性が減った→赤ちゃんが大きな声で泣いても生命が脅かされることが減った→大きな声で泣いて意思表示をし、親に世話をやいてもらうほうが生存には有利→大声で、いろいろな泣き声を出すためには、呼吸を自由にコントロールする機能が必要→この「呼吸を自由にコントロールできる機能」は、どんな動物にもあるわけではなく、これを得たことで、ヒトに発声学習の機能が備わった→これが、ホモ・サピエンスが言葉を得るための大事な「前適応」になった、とする考えがある。

 

◎「言葉」は「うたのようなもの」から始まった

親と子、家族、仲間たちとのコミュニケーション。はじめは、「あ」「う」「わ」など意味のない「音」を組み合わせて、そこに抑揚(メロディ的な…)や、声の強弱などがついた「うたのようなもの」で始まったと考えられる。そのほうが相手の意識を引きつけるのに便利だったのだろう。それが、何世代、何十世代と繰り返されていくうちに次第に、「狩りに行こう」「そこに危険な動物がいる。逃げよう」などの状況に合わせた「決まった歌詞(文章)のようなもの」ができていき、同時に文節もでき、状況に合わせた「音」の組み合わせができて、「狩り」「逃げる」といった「単語・言葉」ができていったのではないか。

 

◎そうした「うたのようなもの」は、その後、「言葉」と「うた・音楽」に分化して、それぞれ、脳の機能と共に進化していった。だから、世界のどこに行っても、「言葉」と「うた・音楽」がある。

 

◎脳の機能が共進化することで、食料を得ること、配偶者の競争(いい声で情熱的な「うた」を歌える男性のほうがモテた!とか……^^)、親子・家族関係、集団行動なども進化していき、それが、新たな道具の発明や、住む地域の移動……という具合に人類の生活も大きく変わっていったのではないか。

 

◎人間特有の能力としては、「ことば」「うた(音楽)」、そしてもう1つ、「道具」がある。これらに関わる脳の領域や機能は、それぞれ独立して動く領域もあるが、同時に、多くの領域で機能的な重なりがあり、相互作用を行えることを意味する。

また、この3つの能力の進化をみると、短時間に急速に多様化、複雑化しているという。たとえば道具は300万年くらい前に登場したが、5万年前くらいまではほとんど変革はなかった。しかし、私たち人間の祖先が「ことば」を得るとたちまち急速な進化が始まったとされる。

言葉も音楽も、道具もどんどん進化し、新しいものができていく。それらは現在進行形でもある。

 

◎ちなみに、現在までに発見されている最古の楽器は骨製のフルート。ドイツ南部の遺跡で見つかったもので、4万年前のものと判定されている。このことを掲載したナショナルジオグラフィックの記事では、同じヨーロッパに分布していたネアンデルタール人が絶滅した理由のひとつには「音楽」があるかもしれない、と書かれている……のだが、今回、参考にした資料を読む限り、ネアンデルタール人もうたを歌っていたようだ。言葉は獲得していなかったようなので、そのあたりも含む複合的な要因があったのかもしれない。


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簡単に書こうと思ったのに、だいぶ長くなってしまった……。

 

でも考えてみると、バカ族とはまったく違う形だけれど、現代を生きる私たちの生活には、さまざまなジャンルの音楽のほかにも、「歌」「音楽」があふれている。

幼い頃には手遊び歌でよく遊んだ。童謡もよく歌った。

校歌。自分が生徒だったころは、何かというと歌わされて、少々面倒だったけれど、卒業して何十年もたつと、それは懐かしい。

仕事歌(作業歌とも)は、民謡の一種で、田植えや漁、酒造りなど大人数で作業をするようなときに歌われてきた。こういうのは、作業のテンポなどもありつつ、一緒に作業をする仲間同士の一体感を生むのにも役立っていると思う。

なぜかテレビやラジオの番組にはニュースでもドラマでもアニメでもスポーツ番組でも、必ず音楽がついている。オープニング曲、エンディング曲。映画もそうか。CMも。

物売り(いまではだいぶ減ってしまったが……)の声もメロディがついているものが多い。そろそろ走り始めるかな、焼きいも屋さん。何年か前までは、都内でも「さおだけ屋さん」の車も走っていたよね。「たけや~、さおだけ~」。灯油屋さんは人の声ではなくて、オルゴールのような音で、「雪」や「たき火」のような冬にちなんだ音楽を流すことが多い。

鉄道でも、いつの頃からか、ジリジリジリと急かすような発車ベルから、メロディに変わっていった。急に増えたのは1980年代のようだ。いまでは、ご当地発車メロディなんていうものもあって、遠出したり旅行先でそれを聴くと、とても楽しい。

 

きりがないので、このへんでやめておこう^^;

 

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ヒトはなぜ歌うのだろう。

音楽はどうしてこんなに人の心に響き、そして、そばにいてくれるんだろう。

どうして音楽は必要なんだろう。

そんなことを知りたくて書き始めた「音楽と脳」。言葉よりも先に音楽(うた)があったらしいこと、趣味や文化である以前に、人間の本質的、本能的なものだとわかって、それはとてもよかったな。1回の原稿量が多くなってしまったけれど、楽しく読んでいただけただろうか。もしそうだったら、うれしいです。

3カ月にわたって読んでいただき、ありがとうございました。


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●参考文献

『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫著 文藝春秋 2010

『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022

『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著 小野健太郎監訳 徳永美恵訳 ニュートンプレス 2022

『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021

NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送

「総合人間学」第8号 2014年9月 うたとことばからヒトの進化を考える  下地秀樹

「音楽知覚認知研究」Vol.22, No.1, 11-31,(2016) 音楽と言語の比較研究  星野悦子、宮澤史穂

「JT生命誌研究館」公式サイトから「進化研究を覗く  音楽と言語」西川伸一  2017



大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。

2024年9月23日月曜日

音楽と脳 ② 記憶を呼び覚ます「音楽」の不思議


 どこか、街や店、あるいはなにかのイベントやライブ会場などで、若い頃に流行っていた曲が流れてきたとき、聴きながら思わず口ずさんで、「歌詞をほとんど覚えている」ことに気づき、驚いたという経験がないだろうか。自分が好きでよく聴いていた曲なら覚えていても不思議はないが、よくラジオで流れていたね~というくらいの曲でも、何十年たっても思い出せることがある。若い頃の記憶、なかでも「若い頃に(特に10代とか)聴いた音楽の記憶」は、なにか特別なのかもしれない。

 このあたりに、前回8/24公開の『音楽と脳 ① 「音楽の記憶」の不思議』で紹介した、アルツハイマー型認知症の人が、若い頃に好きだったビートルズの曲を聴いたことがきっかけとなり、認知症の症状が改善し、QOLが向上した理由を解く鍵がありそうだ。

 ではさっそく、話をすすめていこう。キーワードは、音楽と記憶、そして話し言葉。

 

 

記憶の基本メカニズム

 

 ……と、本題にいく前に、「記憶」の基本を簡単に。「記憶」にはいくつかの分類方法があり、今回つかうのは「時間軸による記憶」。




話し言葉はこんなに音楽的

 

 今回、参考資料として読んだ本のいくつかに、「音楽と言語は性質も、脳内での認知回路もよく似ている」や、「人は、人の声を思わせる音の組み合わせを好む」といったことが書かれていた。(※この場合の「言語」とは、話し言葉、聴く言葉。耳から入る場合に限ってのこと。以後、主に「話し言葉」と使用)

 音楽の要素には、リズム、メロディライン、音の強弱、和音、ハーモニー、歌詞、楽器の種類……などがある。(*歌詞が入っているが、話し言葉とは異なり、決まった言葉が並ぶので、音楽の要素の1つと数える)

 対して、話し言葉にも、リズムがある。話すときには抑揚もつく(音楽でいうところのメロディライン的な)。内容によって抑揚のアクセントも変わる。声の大きさに強弱もある。声の高さも変わる。

 驚いたり、感動したり、急いでいたりすると、話のテンポやリズムが早くなり、声がいつもより高く、大きくなって、抑揚の上がり下がりも激しくならないだろうか。

 逆に、疲れていたり、落ち込んでいたり、あるいは相手をいたわるようなときは、ゆっくりと、落ち着いたリズムとトーンで話す。怒っているとき、退屈しているとき等も、それぞれに特徴がある。

 

「こないだの決勝戦の試合、見た? すごかったねー! 感動したよー!」

「今日、仕事で失敗しちゃって……。あぁ、明日、会社、行きたくない……」

「心配しなくて大丈夫だよ。ママがついているよ」

 

 話し言葉はこんなに音楽的。人と人の会話はもっと複雑な要素がたくさんあるし、音楽には話し言葉にはない要素(メジャーやマイナーといった和音や、楽器の種類など)もあるので、単純には言えないけれど、よく似ていることがわかる。脳内で認知する経路が近いというのも、納得。

 もしかしたら、ヒトの進化のなかで、〔話し言葉〕と〔音や音楽〕というのは、共に進化して、適応してきたのではないかしら。それこそ、現人類の直接の祖先であるホモ・サピエンス(*3)だった時代から、厳しい環境を生き延びるために共進化した……? 

 そんなことも考えてしまうが、そのあたりの話は来月にまわし、今月は、アルツハイマー型認知症のふたり、トミーとポールに起きた症状改善&QOL向上の理由、謎を探っていくことにする。

 

 

ヒトも生き物だから加齢による変化はしかたないけれど……

 

 人は誰でも、年齢を重ねていくと、脳が少しずつ縮んでいく。そのとき、脳全体がまんべんなく縮むのではなく、特に、記憶をつくりだす「海馬」や、脳に入ってきたたくさんの情報を分析したり、記憶を保持する「大脳新皮質」の縮み率や働きの低下が顕著らしい。トホホ。

 年をとると、新しいことが覚えにくくなる。物忘れが増える。昔のことは覚えているのに、最近のことが思い出せない、といったことが起きてくるのは、このためだ。

 アルツハイマー型認知症(*4)は、何らかの原因で脳にアミロイドβというたんぱく質がたまり、それが神経細胞を破壊して、脳が委縮することで発症。発症後は時間の経過とともに進み、それに伴い症状も進行していく。

 ただでさえ加齢による萎縮がある上に、病気としての萎縮が加わってしまうわけだから、そのスピードも現れる症状も重いものになる。

 現時点では主に、生活習慣を整える、適切な運動をする、趣味的なことを作業療法として取り組むなどして、症状の悪化を食い止める、遅らせるという治療法がとられている。

 

 前回8/24に公開した「音楽と脳①」のなかで紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり(トミーとポール)も、そうした治療を続けていたはずで、そのなかで、とりわけ効果があったのが音楽療法、特にビートルズの曲だったということだろう。

 参考にした番組(NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか 2024年5月2日放送)のなかで、研究者は、ふたりの回復ぶりの理由を次のように分析していた(*注:NHKのwebサイトのほうには、このふたりの話はほとんど触れられていない)。

 

     Music Memory Network(音楽記憶ネットワーク):脳内に「音を聴く聴覚野」「快楽物質を出す報酬系」「記憶」の領域をつなぐネットワークがあり、特に、「報酬系」が刺激を受けて、ネットワーク全体が活性化。ふたりの脳を調べたところ、特に、報酬系のなかの「内側前頭前野」が活性化していることが認められた。この領域はヒトの脳で特に発達した重要な場所。

 

     記憶のこぶ:思春期に聴いた音楽が、その人にとって特別な曲として強く記憶に焼きつくという現象がある。トミーとポールの例では、そのきっかけとなった曲の1つがビートルズだった。トミーにはさらに、生涯のパートナーと出会ったころによく聴いていた曲もあり、それを聴くことで、記憶が掘り起こされ、そこからさらに他の記憶や当時の感情も引き出されてきた。

 

 わかるような、わからないような……。そこで、私なりに参考資料を読んで、疑問点を調べつつ、これはこういうことなのかな?等と考えたことがあるので、それに沿って、もう少し具体的に書いてみたい。

(※とはいえ、私は専門家ではなく、脳科学のほんの端っこをかじった程度の素人考えであることを、あらかじめお知らせしておきます(汗)。そのうえで、読み物として楽しんで読んでいただけると幸いです)

 




 音楽の記憶が呼び覚まされるとき

 

 さきほど、音楽と話し言葉は性質も、脳内での認知の仕組みも似ていると書いたが、ひとつ、大きく異なるのは、音楽の場合は「1曲」という〝かたまり〟があること。

 ある「1曲」の記憶には、リズムやメロディといった音楽的要素のほかに、曲のタイトル、アーティストの名前、音楽ジャンル、いつ聴いたか、誰かと一緒に聴いたか、CDショップで購入したとか、誰かに貸したとか、なにか個人的な想い出があるかなど、感情や嗜好、状況、環境も合わせたさまざまな要素、情報が含まれている。

 「1曲」の、こうした1つ1つの要素が、脳内で情報として分析され、記憶されて、その後、それぞれが繋がり合う形で長期記憶に保持される。 

 このときの記憶保持のイメージとしては、たとえば、夜空の星座を思い浮かべると理解しやすいかもしれない。人が夜空に見上げる星座は、いくつもの星と星を繋げてなにかの「姿」を想像するようにして、1つの星座としての像がイメージされている。音楽の記憶も、1つ1つの小さな要素の記憶データが繋がって、「1曲」の記憶として認識する、という感じ。

(ときどき、「記憶の引き出しをあける」という表現を見かけるが、引き出しにまとまって入っているというよりは、星座のような状態。1つ1つを繋ぐ線は、何年も時間が経過したり、反復して思い出すことがなければ、細くなっていくので、思い出そうとしても、タイトルが思い出せないとか、誰かに貸したんだっけ……といったことも起きるというわけだ)




 脳内での記憶は(音楽に限らず、どんな記憶でも同じことだが)、1つ1つの小さな記憶が繋がり合って、なにか「1つのもの」として記憶される。曲であれば、ある「1曲」として特定した記憶となる。そして、思い出すときには、このうちの、何か1つでもきっかけがあれば、次々と連想、連動して思い出す、という仕組みになっているようだ。

  ……と考えていくと、トミーとポールの認知機能が回復し、家族や友人との会話を楽しめるようになり、社会活動にも積極的に参加するなどQOLが向上していった理由が、なんとなくみえてくる。私が考えたのは、次のような脳の動き。

 

●最初にビートルズの曲を聴いたとき、その「曲」がたくさん持っている要素、大脳新皮質に長期記憶として保持されていた、その「曲」のいくつもの記憶データのなかの(でも、海馬や大脳新皮質の働きが低下して、思い出せなくなっていた)何かがひっかかり、メロディや歌詞を思い出す糸口になった。

●NHKの番組での研究者の分析によれば、「思春期に聴いた曲は、その人にとって特別な曲として強く記憶に焼きつくという現象がある」。10代中ごろから、脳全体がぐぐっと成熟する時期とも重なる。脳の成長期に聴いた音楽は、特別な意味を持つのかもしれない。

●曲を聴きながら、なんとなく一緒に歌うことができた。

→メロディや歌詞を聴きながら、脳内では瞬時に、「次の歌詞はなんだっけ?」と推測するという作業が行われており、それが瞬間的な記憶を保持する機能や、海馬、大脳新皮質の働きを刺激し、活性化していく。

→思い浮かべた歌詞やメロディが少々まちがっていても、だいたい歌えていれば、「嬉しい」と感じる。続けていくうちにもっと正確に歌えるようになれば、「もっと嬉しい!」。

●それは脳にとって喜びであり、脳内の報酬系が活発化!(ドーパミンをはじめとするさまざまなホルモンの分泌量も増加)

●曲を聴き、思い出して歌うことは、海馬、大脳新皮質、大脳辺縁系など脳の多くの部分をつかう。よって、脳全体の機能が活性化して、昔の大切なエピソード記憶も呼び覚まし、思い出すことができて、家族や友人との関係も大きく改善。そこでまた、脳も、脳の持ち主である本人も「嬉しい!」。

●音楽のいいところは、1つの曲が終わるまで続くこと。その曲が終わるまで聴き続けるので、脳は活性化を続けられる。2曲、3曲と聴いていけば、その時間はもっと伸びる。(*会話の場合、すれ違ってあいさつするだけだと、そこで止まってしまうし、会話する相手がいても、会話が続かないことがある。それによって会話するのを避けるようになってしまうことも……)


 こうした積み重ねが、半年、1年……と続くうちに、萎縮する一方だった脳の萎縮が止まったり、あるいは、少しでも神経回路の働きが活発化し、脳全体の働きがよくなった、ということがあったのではないだろうか。

 

 実はこの原稿を書いていたころ、NHKの「首都圏情報ネタドリ」という番組で認知症についてとりあげられているのを見た。

 俳優の山本學さん(現在87歳。2年前に軽度認知障害と診断)の経験談を中心に構成。完治することはないとされている認知症だが、軽度の段階(MCI軽度認知障害)で気がついて、運動や食事療法などを根気よく続ければ、「萎縮していた脳がふっくらしてくる」「脳の容積が増したり、神経回路網が発達したりして、認知機能障害の進行を抑制できる」ケースがあると紹介されていた。

 トミーとポールは軽度ではなかったけれど、さまざまな療法にプラス、ビートルズをきっかけとした音楽的な療法も功を奏したのだろう。

 もしかしたら、加齢による脳の萎縮のスピードを止められ……はしないだろうけど、ゆっくりにすることはできるのかも! 


 というだけではなくて、年齢に関係なく、いつのときも、音楽を聴くことは脳にとって、とても良いことなんだなぁ、人にとって必要なものなんだなぁ、と感じる。音楽、大事☆*

 だからというわけではないが、音っておもしろいね、音楽っていいね、という人が増えるといいなぁ。音楽の授業とかで、こういう話ができたらいいのにねぇ、と思ったり……。


それはともかく……。

NHKの番組ではふたりの近況も紹介されていた。

 認知症の症状は残っているが(そもそも加齢もあるし…)、それでも以前よりずっと、表情が豊かになり、家族や友人との会話を楽しんだり、外出したり、と、おだやかな日々を送っている。昔、バンドをやっていたんだというポールは再び作曲をするようになったそうだ(でも、思いついた歌詞やメロディはすぐに書き留める。「書いておかないと、忘れちゃうからね」と笑うポールはとても楽しそう)。

 また、ふたりで「認知症の会」に出向き、参加者の前でビートルズの曲を演奏するといった活動もしている。参加者は思い思いに口ずさむ。なかには楽しそうに踊りながら歌っている人もいる。ふたりは、自分たちがビートルズの曲で救われたことから、ほかの人にも、同じように元気に健康になってほしいという気持ちで演奏しているのではないだろうか。

 音楽のチカラも大切だけれど、自分が誰かの役に立っている、このことは生きていくうえで大きな希望になると思う。このふたりだけの話ではなく、年齢も関係なく、誰にとっても。

 

 来月は、「音楽と脳」最終回。「音楽が言葉よりも大事な意味をもつ」暮らしをする「バカ族」の話を中心に、音楽がなぜ生まれたのか、ヒトにとって音楽とは何なんだろう、といったテーマでまとめていきます。

 

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 余談

 トミーとポールはイギリス人なのかな。そのあたりも番組では詳しく紹介されていないのでわからないのだが、イギリス人だとすれば、この事例は、世代的にも共通の好みが「ビートルズ」となるのはわかりやすい。ふたりが活動している「認知症の会」でも、みんな、一緒に歌っていた。それにしても、こういう事例を知るにつけ、ビートルズってやっぱり偉大なんだなと思う。当時の熱狂を推測すると、英語圏ならあり得るかしら。アメリカとか。

 日本だとこうはいかないだろうなぁ。同じような認知症の会があったら、ある程度ヒットした日本の曲をいくつも準備しないといけないかもしれない。あるいは、歌手別、ジャンル別、とか。

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●用語ガイド

(*1)大脳新皮質:大脳皮質の外側をぐるっと囲んでいる、しわしわの部分。大きく4つに分けられ(前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉)、知覚、記憶、言語、思考、判断など高次の脳機能を担う部分。生物の進化としては新しい領域であり、この部分が大きいことが、ヒトの脳の特徴。ヒトに最も近い近縁種であるチンパンジーと比べても、約3倍の大きさがある。大きいので、しわしわにたたまれて頭蓋骨内に収まっている。

海馬(*2)を含む大脳辺縁系:大脳皮質の内側にある領域で、発生学的に古い脳。帯状回、偏桃体、海馬、海馬傍回、側坐核などからなり、記憶、情動、本能行動、喜怒哀楽などの感情、睡眠、自律神経調節など多彩な機能に関係。

 (*3)ホモ・サピエンス:約30万年前、アフリカに出現。私たち現人類の直接の祖先とされている。それまでの人類ともっとも異なるのは「言葉を使う」ようになったこと。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と比べると力が弱く、身体能力が劣っていたが、言葉によって仲間同士で協力したり、遠くまで届く道具をつくり出すなどして、生存に適応していったものと考えらえる。大脳の前頭葉も大きくなり、額が垂直に持ち上がり、眉のあたりの盛りあがりが小さくなるなど、現代人とほぼ同じような風貌。

(*4)アルツハイマー型認知症:認知症のなかでも原因として最も多いのが「アルツハイマー型認知症」。国立長寿医療研究センターのHPによると、アルツハイマー型認知症は全認知症の67.6%と、全体の7割近くを占める。ほかには、血管性認知症、レビー小体型認知症などがある。

 

 ●参考文献

『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022

『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著 小野健太郎監訳 徳永美恵訳 ニュートンプレス 2022

『脳の闇』中野信子著 新潮社 2023

『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021

NHKサイエンススペシャル 驚異の小宇宙・人体Ⅱ 脳と心3 人生をつむぐ臓器 記憶』NHK取材班著 日本放送出版協会 1993

NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送

NHK「首都圏情報ネタドリ」2024年9月20日放送

「学研キッズネット」「教えて!認知症予防」「慶応大学医学部」「国立長寿医療研究センター」「日経クロステック」などウェブサイトいくつか

 

 

大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。