2023年6月1日木曜日
Saigenji :『COVERS & INSTRUMENTALS』 (Happiness Records/HRBR-027)
2023年5月25日木曜日
FMおおつ/音楽の館~Music Note 2023年4月号昭和アニソン特集詳細
2023年4月のFMおおつ「音楽の館~Music Note」は、今や日本を代表する音楽ジャンルとなったアニメ・ソング。今回は先日ご逝去された巨匠松本零士先生の追悼も兼ね、我々シニア世代からご要望いただいたアニソンをメインにした「昭和アニソン特集」を放送。
2023年5月20日土曜日
Brewer & Shipleyについて
西海岸の音楽シーンが台頭してきた1965年、Michael Brewerはロサンゼルスに移住し、最初はTom MastinというミュージシャンとMastin & Breewerというデュオでコロンビアレコードと契約を結ぶ。The Byrdsの南カリフォルニアツアーのオープニングアクトとしてBuffalo Springfieldと共に同行するなど、多忙な活動だったようだ。そしてロサンゼルスのクラブでヘッドライナーを務め、レコーディングを開始するもTom Mastinがプレッシャーに耐えられなくなり、レコードの完成前にデュオは解散。数年後にTom Mastinは自殺してしまう。
解散後、彼らを担当していたコロンビアレコードのスタッフがA&Mレコードの設立を手伝うために退職し、Michael BrewerもA&Mの出版部Good Sam Musicのスタッフソングライターとして仕事をすることになった。そしてこの頃、Tom Shipleyもロサンゼルスに移り、Michael Brewerの近所に家を借りて一緒に曲を書き始めたそうだ。そして1967年に、Tom ShipleyもA&Mのスタッフ・ライターとなり、2人はスタッフソングライティングのパートナーになる。初期の彼らの曲はThe Nitty Gritty Dirt Bandや、The Poor (Poco、Eaglesのメンバーで知られるRandy Meisnerが在籍)、Bobby Rydell などにより録音されたそうだ。
スタッフ・ライターだった2人だけれど、そのデモ録音は独自のスタイルを持つ優れたものだった為、A&Mレコードは彼らに自分たちのレコーディングをするよう提案し、デビューアルバム『Down In L.A.』 (A&M Records-SP 4154)が制作される。バックバンドにはThe Wrecking CrewのLeon Russell、Hal Blaine、Jim Gordonなどが集められた。プロデュースはJerry Riopelle。
Brewer & Shipleyとしてのアルバムを制作し、西海岸でThe Byrds、Buffalo Springfield、The Associationなどとの交流を深めていた彼らだけれど、ロサンゼルスでの生活は合わなかったらしく、中西部に戻ることを決める。1968年『Down In L.A.』がリリースされる頃には、二人はミズーリ州カンザスシティに定住し、友人数名とGood Karma Productionsという自分たちのプロダクションを始めた。
彼らのプロダクションの経営陣は東海岸でレーベルを探していた。その時期ブッダレコードの経営陣の1人で、バブルガムミュージックの立役者として知られていたNeil Bogartがそのイメージを打破する為のアーティストを探していたことで、ブッダレコードとBrewer & Shipleyは契約することになったそうだ。こうして1969年、2ndアルバム『Weeds』(Kama Sutra KSBS 2016)がブッダ/カーマ・スートラ・レーベルからリリースされる。プロディーサーはNick Gravenites。参加ミュージシャンはMike Bloomfield、Mark Naftalin、Nicky Hopkinsなど。
そして次の1970年にリリースした、「One Toke Over The Line」が収録された3rdアルバム『Tarkio』(Kama Sutra KSBS 2024)は、彼らの代表作となった。ニクソン大統領を退陣に追い込むことを嘆願した曲だという「Oh Mommy」では、Jerry Garciaがスチールギターを弾いている。続けて翌年の1971年に『Shake Off The Demon』(Kama Sutra KSBS 2039)、1972年に『Rural Space』(Kama Sutra KSBS 2058)をリリースした後、キャピトル・レコードに移籍した。
移籍後の6thアルバム『ST11261』(Capitol Records ST11261)は1974年にリリースされた。変わったタイトルだと思ったら、キャピトル・レコードの品番がアルバムタイトルになっているらしい。プロデュースはJohn Boylan。Michael Brewer は学生の頃ドラムボーカルで、Jesse Ed Davisとバンドを組んでいたそうなのだけれど、このアルバムでは「Fair Play」「Eco-Catastrophe Blues」の2曲でJesse Ed Davisが参加している。Stephen StillsのバンドManassasへの提供曲「Bound To Fall」のセルフカバーも収録。
2011年には、ミズーリ州ターキオのメインストリートでアルバム『Tarkio』 40周年を記念して演奏したそうだ。彼らのドキュメンタリー『Still smokin’』 も2021年にvimeoオンデマンドでリリースされている。
音楽と異なる活動やそれぞれの生活を送りながらも、現在も解散することなくデュオとしての活動を継続しているようだ。
http://www.brewerandshipley.com/
https://web.archive.org/web/20100122091201/http://www.brewerandshipley.com/Misc/OneToke_Quotes.htm
2023年5月14日日曜日
生活の設計 アルバム発売記念ワンマンライブ
2023年5月3日水曜日
青野りえ:『Live in Tokyo 2022』(aonote / AONT-1004)
2023年4月28日金曜日
「旧伴家住宅」(滋賀県近江八幡市)へのミニカー展示の紹介
2月にこのサイトでも紹介しましたが、今年2~3月にかけて近江八幡市の「旧伴家住宅」で開催された「びわ湖のひな人形めぐり」に我が家の雛人形(御雛と雌雛の二体もので人形一体のサイズ「全長50㎝、全幅60㎝」、人形の三段台座「全長45㎝、全幅90㎝」、ぼんぼり高さ65㎝)を初展示し(45畳大広間)、多くの来場者に楽しんでいただきました。
このご縁で現在この施設で開催されている「5月人形展」(~5月7日(日))に、私が小中学生のころに収集していた「ミニカー」(注1)を展示(45畳大広間)をさせていただくことになりました。なおこの展示に関しては8月頃まで継続予定です。
私は1996年に知り合った佐野邦彦さんに勧められ、雑誌VANDAで音楽評論家活動をスタートました。その後、2012年に発刊した著書「よみがえれ!昭和40年代」(小学館)をきっかけに、同年静岡県立大学大学院に入学。その院生だった時代に故小島教授から「展示学」を学び、先生の授業での講義助手や、学内にて私のコレクション(ミニカー&レコード・ジャケット等)を展示して実践体験をしています。
その後は「レトロカルチャー研究家」として、音楽評論とともに昭和30~50年代の子供文化を発信しています。ちなみに小中学生時の私は「切手収集」「ミニカー収集」を趣味に、夢は「漫画家」を目指して当時発行されていた月刊誌や週刊誌(ほぼ全誌)を読みまくっていました。そんな当時の小遣いは月500(小学校)~1,000円(中学)くらい、その中から漫画雑誌を購入の傍らプラモデル(50~500円の価格帯)に、ミニカー(150~1,000円の価格帯)をと買い集めていました。熱中するあまり、JMAC(注2)なるミニカー・コレクター・クラブに入会したこともありました。今回の展示は現在手元に残っている約100台で、その詳細について簡単に紹介しておきます。まずこの展示品でのイチオシは、1960年代後半に主に「コーギー(Corgi Toys)」(注3)より発売されていた当時の映画やテレビに登場していた特殊仕様車(コレクターの間では通称「マスコミミニカー」と呼ばれる)です。ちなみにこのシリーズのアイテムは人気はあったものの、価格が当時の小学生や中学生が簡単に購入できるものではなく、中でも飛びぬけて高価だったものは映画『チキチキバンバン』に登場していた「空飛ぶクラシック・カー」で、私の記憶では1,500円はしていたように記憶します。今回持参したその種のアイテムは手持ちの4台ですが、その高額価格故かなり苦労して手に入れたものでした。
まずはこのシリーズで一番のヒット作(万単位で売れたらしい)『007シリーズ/ゴールドフィンガー(原題:Goldfinger)』に登場していた「アストンマーチンDB5」。これがヒットした要因は980円ながらも仕掛けの多さ。一番目を引くポイントは、「助手席が外部に飛び出す」という仕掛け、さらに「飛び出すバンパー・フック」「トランク防弾パネル」「タイヤ破壊ホイル」等々、子供ながらにわくわくしたものでした。
そして同じく007映画『007は二度死ぬ(原題:You Only Live Twice)』(日本各地でロケ撮影)で使用された「TOYOTA2000GTオープンカー」。この車は実際に3台製作され現存は2台で、うち1台は「トヨタ博物館」(愛知県長久手市)に保管されています。ちなみにこのミニカーは「トランクからミサイル」「拳銃を撃つジェームス・ボンド」が目を引き、「運転手はボンド・ガール若林映子」という仕様です。
さらにイチオシは、あのブルース・リー(Bruce Lee:1940.-1973.)のハリウッド初出演TV.番組『グリーン・ホーネット(The Green Hornet)』に登場した「ブラック・ビューティー」!この車の仕様は「フロントからロケット発射」「トランクからヘリ」「拳銃を撃つホーネット」「運転手のカトー(ブルース・リー)」というもので、当時の価格は1,200円という高額品でした‼
そして最近亡くなられた団次郎さんがウルトラマンを演じた『帰ってきたウルトラマン』の地球防衛隊「Matt」の「マツダ・コスモ・スポーツ」ベースの「マットビハイクル」(このアイテムのみ日本製ダイヤペット)この4台目です。
今回展示されているミニカーには、ドアやドアやトランクが開閉する「ディンキー(Dinky)」(注4)「コーギー」ブランドの1/48スケールの精巧なアイテムもありますが、その他約100台で一番多いものは当時150円という価格で、子供の小遣いでも簡単に購入できた1/75スケールの「マッチボックス(Match Box)」(注5)のアイテムです。
このミニカー・コレクターはヨーロッパ中心にかなり存在しているようです。中でもイングランドのコレクターは突出していると言われています。その元祖と言われている人物のひとりに第二次世界大戦終結時のイングランド国首相チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer Churchill: 1874.-1965.)がいます。
(注1)このネーミングは和製英語で、イングランドではダイカスト・スケール・モデルカー、アメリカではコレクショントーイ、フランスではオートモビル・ミニアチュールと呼ばれている。
(注2)ジャパン・ミニチュア・オートモビル・クラブ。当時会費300円で月刊誌”コレクター”が1年購読できた。
(注3)イングランド、スワンセーにあった欧州でも屈指の専門メーカー、メットトーイ社のミニカー・ブランド。英国王室御用達のコーギー犬がトレードマーク。
(注4)イングランド、リバプールに1901年創業されたメカノ社が発売したミニカーのブランド。1964年経営悪化によりライバル会社に買収され、1971年にはそこも倒産し、フランスのメーカーに身売り。1980年代末期にはアメリカのマテル社に買収され、以後マッチボックスの傘下になっている。
(注54)イングランド、トッテンハイムで1947年設立したレズニー社のミニカー・ブランド。このブランドは世界的に有名で、小型モデルが多く安価な価格設定で生産数、輸出量は突出していたといわれる。1982年に経営破綻後は、アメリカの大手玩具メーカーのマテル社ブランドになっている。
◎開催日:4/8(土)~5/7(日)/休館日:月曜・祝日の翌日(4月無休)
◎近江八幡市会場:旧伴家住宅~近江八幡市新町
◎公共交通機関:JR近江八幡駅より近江バスで約5分「小幡町資料館前」下車すぐ
◎マップリンク:https://www.kyu-banke.com/guide#access