2019年12月24日火曜日

WebVANDA管理人が選ぶ2019年の邦楽ベストソング


今年もWebVANDA管理人=筆者が選ぶ、邦楽の年間ベストソングを発表したい。
選出した楽曲は年間を通して好んで聴いていたアルバムの中で最もリピートした収録曲であり、筆者目線ではアルバムを象徴する存在とも言える。
昨年に比べて、レジェンドも含めメジャー作品がやや多いが、本サイトで筆者が紹介するアルバムは主にインディーズ作品が多い。そういった知られざるミュージシャンを紹介することで、読者に新たな音楽的出会いを常に提供したいと考えているのだ。その意味でも来年はインディーズ・ミュージシャンに更に期待している。
選出趣旨からコンピレーション・アルバムと配信楽曲は除外とした。
また惜しくも次点となった曲として、connieの「赤い涙」Minuanoの「終わりのない季節」を挙げておく。
昨年同様、順不同のリリース順で紹介する。




☆薔薇と野獣 / 細野晴臣 (『HOCHONO HOUSE』収録)
筆者も37年以上愛聴している名作ファーストを大胆にリメイクしたアルバムから。日本音楽界の至宝且つ、雄一無二のイノベーターが再構築したマジカルな箱庭ファンクの傑作。


☆ユートピア / コントラリーパレード (『CONTRARY』収録) 
曲が持つ磁力が鬼才・佐藤望の独創的なアレンジを引き出した好例。「深い森で 誰も僕を 見付けられないよ…」という歌詞のパンチラインと天然系ソプラノの歌声にもやられた。



☆ザ・クレーター / 集団行動 (『SUPER MUSIC』収録)
某アニメ映画に通じる終末観と理論時代から連なる真部脩一ならではのナンセンスな歌詞のコントラストを、ブリティッシュビート系の疾走感で繰り広げる3分32秒のショートフィルムのようだ。


☆ブラザー、シスター / 宮田ロウ (『ブラザー、シスター』収録)
普遍的なソングライティングと同志たちに向けた慈愛に満ちた歌詞、イノセントな歌声とゴスペル・フィールのコーラス。バリー・マンのソロを聴いている様な崇高な気持ちになってしまう。



☆隕石のラブソング / ウワノソラ (『夜霧』収録) 
モチーフは集団行動と同じだが、こちらはマージナルな視線によるシリアスな歌詞にアトランティック・ソウル系の弦とコーラスのアレンジが絡む。シティポップとは陳腐に呼ばせたくない。



☆銀河 / Guiro (『A MEZZANINE』収録)
問題作「ABBAU」未収録の悲しみを一掃した白眉曲。新主流派マナーのモーダルなヴァースが徐々に熱を帯び、スルドが響きパンディエロが舞うサンバ・ジャズへとモディファイして魂を揺さぶるのだ。



☆夜行列車 / 鈴木恵TRIO (『come here my dear』収録)
中期XTCに通じるライトメタリックなギター・アンサンブルで構築されたサウンドに、60年末期のエバーグリーンな歌声とコーラスが漂う。隔世型温故知新派のレイルロード・ソング。



☆愛のナンバー / RYUTist (『きっと、はじまりの季節』収録)
今年この曲ほどブロークンハートを綴ったハーモニー・ポップスはあっただろか。ジョージ・ハリスン及びビートルマニアは必聴であり、オリジネイターであるSSWの℃-want you!も高く評価したい。



☆高い塔 / 小沢健二 (『So kakkoii 宇宙』収録)
平成のビッグアイコンの17年振りのアルバムから。東京のバビロン・タワーに住む大王と社会をシニカルに描いた、弦とホーン入りのギル・スコット・ヘロンに通じるジャズ・ファンクだ。



☆雑務 / KIRINJI (『Cherish』収録)
バンド構造が変わって早4作目だが、そのフォーマットに縛られず実験性を内包しつつ高水準サウンドを聴かせ続けている。この曲の繊細で絶妙なグルーヴの完成度に酔いしれる。




※プレイリストはSpotify 登録曲のみ

(選者:ウチタカヒデ)

2019年12月20日金曜日

【ガレージバンドの探索・第七回】The You Know Who Group


【ガレージバンドの探索・第二回】 バミューダ諸島のガレージバンドの記事を書いていた時、The Savegesがカバーしている「Roses Are Red My Love」の原曲を調べてみるとThe You Know Who Groupというバンドで、得体が知れなくて気になっていた。


The You Know Who Group『First Album』
【International Allied Records Ltd. IA 420】

The You Know Who Group はニューヨークのプロデューサーBob Gallo が生み出したグループだそうだ。1964年、ビートルマニア最盛期に多くのレコードレーベルがThe Beatlesの曲を演奏するバンドと契約する中、Bob Galloは別のアプローチを試みる。雇ったメンバー達をイギリスの著名なバンドが覆面リリースしたように見せかける為にマージービートを真似て、誇張したイギリスのアクセントで歌わせ、LPのカバーでは人物が特定できないようなマスクとマントをさせた。このアルバム、『First Album』と書かれているけれど、タイトルがないのか、これがタイトルなのかもしれない。


当初メンバー達はこの覆面プロジェクトのアイデアにあまり乗り気ではなかったようだけれど、例えばThe Beatlesの別名義だと人々が勘違いすれば大きく宣伝されるかもしれないとも考え承諾したようだ。それ程の大きな反響とはいかないまでも「Roses Are Red My Love」はマイナーヒットし、この戦略に効果はあったそうだ。


Roses Are Red My Love / The You Know Who Group

音源はマンハッタンのスタジオTalent Mastersで録音されたらしい。The You Know Who Group のメンバーが誰だったかについては諸説あるようでイタリア人だったという説や、ブルックリン出身のBob Esposito 、もしくはRobert Esposito 、Vincent Polimeni らだという説、1961年に結成されたリバプールのバンドThe Undertakersのメンバーが含まれているとも言われている。


I Fell In Love(For The Very First Time)
 / The Undertakers

LPは1枚リリースしたのみで続かず広く世に知れ渡ることはなかったものの、一部の人々にはその後も影響を与えたようだ。The Phantom Surfersが1991年にリリースしたファーストLP『18 Deadly Ones!!!』のカバーはThe You Know Who Groupのオマージュになっている。

The Phantom Surfers『18 Deadly Ones!!!』
【Norton Records ‎– ED-218】

参考・参照サイト


https://ukinvasion.wordpress.com/tag/the-you-know-who-group/


https://www.popsike.com/THE-YOU-KNOW-WHO-GROUP-1st-Album-64-UK-Merseybeat-Psych-Pop-LP-BEATLES-BOB-GALLO/270872634872.html




2019年12月13日金曜日

NOTO:『NOTO』(考槃堂商店/KHDR-002)桶田知道インタビュー


NOTOは昨年5月にセカンド・ソロアルバム『秉燭譚(ヘイショクタン)』(KHDR-001)をリリースした桶田知道の企画的プロジェクトである。
桶田はプロデュースの他、ソングライティングとアレンジ、エンジニアリングまでを手掛けている。このプロジェクトには、ヴォーカリスト(Voiceと表記)にYUKI SHIGA、もう一人のソングライター(一部アコースティック・ギターもプレイ)として眞鍋剛基が参加している。
 これまでの桶田のソロアルバム『丁酉目録』(UWAN-002)や『秉燭譚』とコンセプトやサウンドとは明らかに違い、このプロジェクトの在り方も不明な点が多い。
筆者個人のフェイヴァリット・ナンバーはドラマティックな展開を持つプログレ・テクノというべき「緑の心臓」(某プロサッカークラブの公式ファンクラブとは関係ない)だが、ムーンライダーズ・ミーツ・大貫妙子的な「野辺のカレード」にはロシア民謡的コーラスが入り、80年代テクノ歌謡風の「浮かれ気分」はタイトルそのままにデビュー時の快活な頃の飯島真理の匂いもしたりと、いちいちマニア心をくすぐる。とにかく掴み所が無く一筋縄ではいかないのが、この”NOTO”というプロジェクトなのだ。
ここではリリース前で多忙な桶田にこのアルバムについて聞いたインタビューをお送りしよう。

桶田知道

●まず、このプロジェクト“NOTO"で音楽制作しようとしたきっかけを教えて下さい。

桶田:ソロ転向の際に立ち上げた「考槃堂(コウハンドウ)」という自主レーベルの、一応主宰者という観点から、桶田名義作品じゃない物もあっていいのでは?と、ふと思ったのが事の発端であったと記憶しています。あとは流れるまま、というような感じです。タイミングよく今作参加の2名と知り合った事もあり、大きく振り切った企画盤にしてみようと考えました。

●プロジェクトに参加したメンバーはどういった方々ですか? 

桶田:今回参加していただいた2名とも共通の友人を介して知り合いました。 ”Voice”をお願いしたYUKI SHIGAさんは某コンペ提出用音源の仮歌でお願いしたのが出会いです。歌メロのレンジが広めの編曲、且つ少し特殊な歌唱法をお願いしたのですが割とすぐ対応していただき、各音域それぞれに違った魅力があり、それでいてフラットな印象でした。
後日オファーの際「かなり変な加工もしますが大丈夫ですか?」との確認にも快く応じていただき参加が決まりました。

楽曲提供・アートディレクションと多岐にわたって協力いただいた眞鍋剛基氏とは偶然にも音楽趣味が似ており色々話は盛り上がったのですが、同じ音楽の話をしているにも関わらず、どうも切り口が特殊だなと感じました。手法や背景に焦点を当てるような彼独自の深層的な観点が面白く、何か一緒にやるべきだと思ってオファーしました。
『秉燭譚』で作詞参加の岩本孝太氏にも言えることですが、そういった一種の特殊性を持った身近な人を放っておけない性分なんだと思います。


YUKI SHIGA

眞鍋剛基

 ●「特殊性を持った身近な人を放っておけない性分」というのが桶田さんらしいですね(笑)。
ではこのプロジェクトに欠かせないお二人の良さが出ている点を挙げて下さい。

桶田:YUKI SHIGAさんは言わずもがな声の良さだと思っています。個人的な感想ですが。彼女の嗜好性はよく存じませんが、今回の”NOTO”は非常に異質なものだったと思いますし、ゆえに飾らないスタイルというのがすんなり引き出せたように思います。
非常に魅力的でした。 眞鍋氏の曲はメロディも詞も”NOTO”の内面性が出ている印象で、当たり前の話ではありますが、僕の曲とは毛色が違うのでアルバムトータルの抑揚がつきましたしソロでは出せない面白さが出せたと思います。アートディレクションにおいても彼の感性が色濃く出ていると思います。

●作曲やレコーディングはいつ頃から着手しましたか?またその期間は?

桶田:『秉燭譚』の時もやりましたが、僕は制作前に簡単な企画書、覚書のようなものを作ります。 特に今回は完全な企画モノなのでその作業は必須で、それを作ったのが3月頃、まずは眞鍋氏に共有してもらい、4月末に数曲上がったという感じです。
眞鍋氏作の「暮らし」の編曲を先行し、同時期に作った「NEO CORPSE」と合わせた2曲によって全体のテーマがうっすらと見えました。
歌のレコーディングの開始は5月末日からです。当初は夏季リリース前提のミニアルバム規模のものを想定しており、録音日程も数日間を予定していました。しかし、この2曲へ帰結するような落とし所を模索しているうちに規模が膨れ上がり、結果として全作業を並行しながら録音を進め、全て終了したのは10月初頭でした。


●アルバム制作前に企画書を作るというのは几帳面です。漠然と進めていくミュージシャンが多い中、偉いと思いますよ。
またラスト曲の「暮らし」がアルバムの着地点というかキー曲になっているということは、企画書を共有した眞鍋氏にも桶田さんが目論んだアルバムの方向性が伝わったんでしょうね。
またYUKI SHIGA氏のヴォーカル、眞鍋氏のアコースティック・ギターのプレイについては、どの様なディレクションをしていきましたか?

桶田:企画書は指標にはなりましたが事細かな指定事項などは一切なかったので、眞鍋氏が「暮らし」に落とし込んだ彼の解釈と、僕が「暮らし」に抱いている解釈には未だ相違点はあると思います。
眞鍋氏自身は企画書に忠実なプロセスを心がけていたかは不明ですが、僕としては「何か違うな」という印象もありました。その齟齬が本作の面白い部分かなと思っています。「自分は一体誰の、何を作っているんだろうか」という思いは今回携わった僕を含む全員が思っていました。

ヴォーカルのディレクションは終始手探りでした。
以前もそうですが、キー策定の時のデモ録音が一番良かったりして、何回も録った挙句デモテイク採用というのが何曲かありました。病み上がりのYUKIさんのテイクが良かったり、ソファに寝転がったところや俯き加減で声を張れないところにマイキングしたりというような事はしました。

眞鍋氏楽曲のディレクションは彼が主導していましたが、初めてとは思えない指示が多くあったり、土壇場でキーを変えるようなちゃぶ台返しもありました。僕はエンジニアに徹する場面も多くありましたね。
ギターは眞鍋氏が送ってきたデモを割とそのまま再現してほしいとお願いしたので、僕があれこれ言う場面はなかったです。


NOTO【Trailer】

●昨年5月にリリースした、ソロ・セカンド・アルバム『秉燭譚』とはコンセプトやサウンドは当然異なりますが、意識的に変えた点を挙げて下さい。

桶田:『秉燭譚』と明らかに違う部分として、サウンド面のリファレンスがかなり明快だと思います。具体的には、ヤマハDX7やLinn Drum LM-2といったような、特定の音色を軸として編曲するという意識は初めてで、ここ数年の趣味をやっと前面に出せたかなという感じです。
あと、今回は”NOTO”という一種の媒体そのものをテーマにしていますので、楽曲自体を「架空性」に満ちたものにしたいという思いから、当初はクレジット表記もしないという、”読み人知らず”案もありました。
結果諸々の関係上表記はしましたが、その段階である意味「自分の作品ではない」という意識が生まれました。
制作中にも関わらず自分の手中から”NOTO”が薄れていく現象によって自ずと「架空性」は達成されてしまい、その後はむしろ逃すまいと「実在性」を織り込む意識に変化、当初から割と明確だったサウンドテーマがより一層狭域なものに絞られ、架空は架空でも「別次元」寄り、”NOTO”の実在性を否定出来ないような、限りなく生々しいものへ仕立てようと努力したと思います。
このような、ある意味「コンセプト放棄」のような考えは『秉燭譚』とは真逆のものだと思います。自発的に放棄した記憶はないのですが。 

●DX7やLinn Drumは80年代初期に登場して隆盛を誇ったデジタル・シンセサイザーとドラムマシーンで、ジャンルを超えて無数に使用され日常的に耳にしたサウンドです。 90年代生まれの桶田さんには新鮮に響いたと思いますが、そういったサウンドの時代性を意識したりしますか?

桶田:「浮かれ気分」の編曲はかなり意識した内容だと思います。むしろ真っ当に80sっぽさを意識しているのはあの曲だけかもしれないです。個人的にDX7やLinn Drumといった「80年代のあの音」に抱いているイメージが少し特殊なんです。
60年代や70年代、また別軸で流行した80年代の音楽を楽しむ懐古趣味的な興味とは少し違うというか。タイムパラドックスによって形成された別世界の中の一つで、未だに変わらず地続きで鳴ってそうな音という(笑) 勿論リファレンスは当時の音楽になるのですが、手法の踏襲みたいな部分にまではそこまで踏み込まず、割と自由に使った感じです。
音色だけじゃなく、音の組み方にも時代性はあると思うので。

●前の質問と重複しますが、可能な範囲で使用した機材について教えて下さい。

DX27

桶田:しがない宅録マンですのでほぼソフトウェア音源、しかもフリー音源満載ですが、DX7の後継機であるDX27をお借りして差し替える等、一部実機使用はしました。
Linn Drum LM-2はソフト音源ですが数種類試した上全て使っています。もちろんフリー音源も含みます。こういうこと書くとアレですが、アナログシンセ音源に付随するプリセット音源っていうのは非常に助かります。アレは辞書みたいなものですから。
しかし、シミュレート音源のモデル機は唯一のはずなのに何故こんなに差が出るのか。それは有料無料の違いはおろか音質・再現度の優劣含め甲乙つけ難いという印象で、無料のほうが良いことなんてザラです。
DAWで制作している方達にとっては周知の事実だと思います。
絶対的指標は存在しつつも、優先して追求するのはあくまで「好みの音」なので、そうなるとソフト音源は非常に使い勝手がよく、同様の手法を実機で行うと著しく性能を損なうような「禁忌」に手を染めることもしばしばです。何せ壊れない。
唯一生音が前面的な「羽虫」のギターは眞鍋氏の演奏です。彼の新築住居の空き部屋がまるでエコーチェンバー的な響きだったので、持ち込んだスピーカー2基からドローン風なパッド音を鳴らしつつ眞鍋氏がギター演奏、それをZOOMのH4nで録音しました。
閑静な住宅街の程よい環境音も相まって、良い意味で実に「酷い」録音が出来たなと思います。

●桶田さん世代のミュージシャンは、ソフトウェア音源の恩恵をかなり受けていると思うけど、ディスクトップで再現出来て合理的な反面、実機との音色や音圧の差に拘ることはないでしょうか? 

桶田:音色の差は本当に「拘り」の枠に収まると思います。僕らの世代は「実機を大々的に用いる事」自体が大きなテーマとなり得ると思いますし、その中であくまで再現性に焦点を当てると「実機」は大きな保証になります。
今後そういう取り組みをするならば間違いなく実機使用に拘ると思います。利便性というよりかは手法の問題です。
今回使用したDX27も当初は差し替えマストではありませんでした。たまたま使える機会があったのでお願いして貸していただき、結果的にとても良い「雑味」が出たのでベース音源は差し替わりましたが、その他のパートはソフトウェア音源のほうが良かった、というか「合って」ました。
音圧をも念頭に実機を扱うには録音機材・環境を抜本的に変える必要性もあると思います。 あくまで手段問わず、というのが信条です。

●このアルバムを製作中によく聴いていた曲を10曲挙げて下さい。

   

◎Oh Fields My Fields / Alexandrov Ensemble
(レフ・クニッペル作曲 初演1934年)

◎ゴリウォーグのケークウォーク / 冨田勲
(『Snowflakes Are Dancing』1974年)

◎BODY SNATCHERS / 細野晴臣
(『S・F・X』 1984年)

◎旅の極北 / 坂本龍一 
(『音楽図鑑』1984年)

◎天使の絵の具 / 飯島真理
(『愛・おぼえていますか』1984年)

◎Naufrage En Hiver(邦題:冬のノフラージュ) / Mikado
(『Mikado』 1985年)

◎techno pop / KRAFTWERK
(『Electric Cafe』 1986年)

◎記憶 / 小川美潮
(『4 to 3』 1991年)

◎赤い戦車 / ヤプーズ
(『ダイヤルYを廻せ!』1991年)

◎Nurse Cafe / 平沢進
(『SIREN』 1996年)



桶田:かなり厳選したつもりですが、結果自分でもびっくりするぐらいここ数年聴いているものが変わっていません。

●最後にこのアルバムをピーアールして下さい。

桶田:個人的には面白いアルバムになったなと思っています。 いちポップス音楽の枠には収まっていると思いますので、ご自由に楽しんでいただければ嬉しいです。 多分”NOTO”もそう思っていると思います。



【考槃堂商店】特設ページ:https://www.kouhando.com/noto 

(インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ)

2019年12月1日日曜日

FMおおつ 音楽の館/Music Note 2019年11月号「ジャニーズ特集 昭和編」

 8回目の11月号は今年7月9日に逝去された「ジャニーズ帝国の総帥/ ジャニー喜多川」を偲び、氏に追悼をこめた「ジャニーズ特集」。彼の長い歴史は一回の特集では無理があり、前後半の二部に分け、今回は「昭和年間」。
 トップは「昭和」を代表する「たのきんトリオ」の「マッチ」こと近藤真彦さんのデビュー曲<スニーカーぶる~す> <スニーカーぶる~す> この曲は新人としてオリコン初の初登場1位、ミリオンセラー(104.7万枚)を記録、1981年のセールスで年間3位の驚異的ヒット。この年この曲の上位は、寺尾聰さん<ルビーの指輪>(132.7万枚)、竜鉄也さん<奥飛騨慕情/>(128万枚)の2曲、なんと松山千春さん<長い夜>(86.6万枚)よりも大きくセールスを伸ばしている。
 
  最初のBGMはABC-Zの<Never My Love>、後で触れますがこの曲はジャニーさんにとって残念な歴史を物語る曲。まず彼の芸能界参入は1962年6月、当時所属タレントはジャニーズ。彼らは同年8月にNHK『夢であいましょう』で田辺靖雄さんのバックが初仕事。 その年12月の<若い涙>で歌手デビュー、そして1966年には渡米してワーナーブラザーズと契約し、レコーディングを行うも、その音源は未発表となっている。その1曲が<Never My Love>で、同じワーナー所属のThe Associationがリリースし、全米2位のミリオンセラーとなり、ジャニーさんにとっては遺恨を残す出来事になった。この事実はジャニーズのメンバーだったあおい輝彦さんが1977年リリースの『あおい輝彦 オンステージ』でトークしている。

 その翌年に帰国したジャニーズは、GSブームにのってテレビ・ドラマの主題歌<太陽のあいつ>などをヒットで人気グループに。なおこの曲は少年隊が平成4年の「NHK紅白歌合戦」でカヴァーした「ジャニーズ・クラッシック」としても長く引き継がれている。そんなジャニーズは、1967年11月にわずか5年で解散。 そんな彼らの後継者はバックダンサーを務めたフォーリーブス。この当時から次世代には先輩格のバックを務める形態は始まっている。
 そのフォーリーブスはこの年10月にスタートの『プラチナ・ゴールデンショー』のレギュラーを務め、翌年9月にCBSソニー国内契約1号として<オリビアの調べ>でレコード・デビュー。 そのフォーリーブスのメンバー一番人気は「こーちゃん」こと北公次さん。このグループは元々彼をデビューさせるために結成され、彼はアイドルで初めてバク転パフォーマンスを演じている。一般に名前が通っていたのは、特撮番組「マグマ大使」で村上マモル役を演じていた「トシ坊」こと江木俊夫さん。そして「こーちゃん」と人気を二分し音楽面を支えた「ター坊」こと青山孝さん、「マー坊」ことおりも政夫さんの4人。この「坊」というニックネームはいかにも“昭和的”。
  そんな彼らは「歌って踊れる」スタイルで、1970年にはNHK紅白歌合戦にも出場するトップ・アイドルになって、人気は全国区に。実は私、著書の「よみがえれ!昭和40年代」の掲載用に、江木さんにお会いする機会を持っている。彼から当時のことを伺うと「僕たち人気はあったけど、大ヒットはなかったんだよね。」とコメントされた。その言葉通り彼らの代表的なヒット曲といえば、1971年に渡米して<Season Of The Sun>のタイトルで録音した<夏の誘惑>や、江木さんの「だって地球は丸いんだもん!」のセリフで知られる<地球はひとつ>のトップ10が最高だった。 

 そんなジャニーさんのアイドル発掘手腕を決定的にしたのは、間違いなく郷ひろみさんを見出したこと。彼は1971年にスカウトされ、他のアイドルの卵たち同様に、先輩であるフォーリーブスのバックダンサーとしてスタート。そんな彼のユニ・セックス的で抜群のルックスは、デビュー前にファンクラブが結成されるほどだった。 そして1972年1月にはNHK大河ドラマ「新・平家物語」で俳優デビュー、8月には<男の子女の子>で歌手デビュー、8位のヒットを記録。なおこの曲はGSオックスの<ダンシング・セブンティーン>の作者である筒美京平さんが改編したもの。 
 そして1973年には野口五郎さん、西城秀樹さんと共に「新御三家」と呼ばれ、あっという間にトップ・アイドルに。個人的にはひろみさんのお父さんが私の父と同じく「国鉄職員」だったということに親近感を覚えた。
  その後2作目の<ちいさな体験>がベスト5(4位)入り、<愛への出発(スタート)><裸のビーナス><魅力のマーチ><モナリザの秘密>と4作連続2位となり、フォーリーブスに変わり事務所のトップスターになった。当時私のお気に入りは8作目の<花とみつばち>。それはThe Doorsの全米1位曲<Hello I Love You>風で、その元ネタKinksの第4作<All Day And All Of The Night>にもよく似ていた。 なお郷さんが1位を獲得したのは1974年の10作目<よろしく哀愁>のみ。個人的には<ブルーシャトー>風の歌謡曲ど真ん中風のアレンジはあまり好みではない。 


 郷さんをトップ・アイドルに押し上げ、先輩格のフォーリーブスには『見上げてごらん夜の星を』のようなミュージカルを中心の活動をさせている。そして1974年になると「ジャニーズJr.第1期生」を「フォーリーブス」と「郷ひろみさん」のバックダンサーにチーム分け、翌1975年にフォーリーブス組から「JOHNNYS’ジュニア・スペシャル」として<ベルサイユのばら>でデビューさせた。ただこの方針は、「郷ひろみ」側の主力メンバーたちの不満をあおり、彼らは事務所を脱退し脱退組でメッツなるグループを結成。これが引き金となって彼らと親密だった郷さんまでが移籍するという騒動に。とはいえ、ジャニーさんはその後もアイドル最高傑作は郷ひろみであると断言されている。

  このように、郷ひろみという看板タレントを失った事務所は、引き続きジャニーズJr.からスター候補を輩出。その中には、「孤児院出の捨て子」という豊川誕さんを「不幸キャラ」を売りに<星めぐり>等のヒットで人気者に。そして1977年には郷さんの系譜の美少年川崎麻世さんを発掘。彼はジャニーズJr.だけでなく、NHKの「レッツゴー・ヤング」のサンデーズの主力メンバーで、後輩たちから「麻世先輩」と慕われていた。そんな彼はピンクレディーが元祖の日清食品「焼きそばUFO」のCMにも起用されるも、デビュー曲の<ラブ・ショック>以降16枚のシングルは全てトップ40圏外。 そしてフォーリーブスは1977年に<ブルドック>で起死回生をはかるも、トップ40入りがやっとで、翌1978年には全国ラストツアーを行い解散。 
 
 このように1970年代後半は潜伏期間のジャニーズ事務所は、1979年に始まった武田鉄矢さん主演の『3年B組金八先生』に生徒役で出演した所属タレントたちで1980年代以降は再び快進撃が始まる。そのトップバッターは、川崎麻世さんのバックダンサーを務めた経験のあるトシちゃんこと田原俊彦さん。なおこの番組で共演したマッチ(近藤真彦さん)とよっちゃん(野村義男さん)の三人で「たのきんトリオ」として人気を博した。 
 「郷ひろみ~川崎麻世」に続く美少年系譜のアイドル、トシちゃんは1980年6月にLeif Garrettの<New York City Nights>をカヴァーした<哀愁デート>で鮮烈なデビューを飾った。ただこのデビュー曲は、特大ヒット<ダンシング・オールナイト>に阻まれ1位を逃した。とはいえ2曲目の<ハッとして!Good>3曲目<恋=Do!>は連続1位、その後デビュー曲から37作連続トップ10入り(通算38曲、12曲は.1位)を獲得、「新御三家」からトップ・アイドルの座を奪い取った。

  また彼はMicheal Jacksonを彷彿させるダンス・パフォーマンスでも存在感を際出たせ、久保田利伸さんがデビュー前に書下ろした<It’s Bad>(1985.11.28. 24th.4位)や、『教師びんびん物語』の主題歌<抱きしめてTONIGHT>(1988.4.21. 32th.3位)などで見せたパフォーマンスはその代表。そしていかにもトシちゃんらしいナンバーといえば、ゴージャスな雰囲気に仕上がった<ラブ・シュプール>(1982.12.18. 12th.3位)。この曲は、たのきんトリオ出演映画『ウィーン物語 ジェミニYとS』の主題歌だったが、30万枚限定発売のためにファンが必死で探し回った。

  続いては「たのきんトリオ」で最もデビューが待たれていたマッチ。彼はジャニーズ事務所に初のミリオン・セールスをもたらす。そんなマッチは16曲が1位を獲得、1987年の22作<愚か者>でジャニーズ事務所出身者初の(第29回)日本レコード大賞受賞者。 山下達郎ファンとしては彼の書き下ろし<ハイティーン・ブギ>(1982.6.30. 7th.1位)<永遠に秘密さ>(1984.9.13. 15th.1位)がイチオシ。コーラスを竹内まりやさんとEpoさんが担当した前者は、今も達郎さんのライヴのセット・リスト。また「ちびまる子ちゃん」でお馴染み<おどるポンポコリン>のヒット・メーカー織田哲郎さんのカヴァー<Baby Rose>も。とはいえマッチを代表するヒットと言えば、やはり<ギンギラギンにさりげなく>(1981.9.30. 4th 1位)。

 トシちゃんとマッチの次に送り出したのは、1981年4月にスタートしたさとう宗幸さん主演の『2年B組仙八先生』に生徒役の出演者「シブがき隊」。メンバーはフックンこと布川敏和さん、モックンこと本木雅弘さん、ヤックンこと薬丸裕英さんの三人。 彼らは1982.年5月に<NAI・NAI 16>でデビュー、実績としては28作中に1位獲得は9作目の<喝!(カツ)>のみ。そんな彼らを代表するナンバーは「NHKみんなのうた」で大反響をよび、発売前に1985年『第36回NHK紅白歌合戦』で披露された<スシ食いねェ!>、英語版の<OH!SUSHI>まで発売されたほど。 個人的には1983年の7作<挑発∞ (MUGENDAI)>を推す。この曲作者井上大輔さんが自身の番組「音楽ってなんだ」で、自らが録音したデモの英語版の出来は秀免だった。

 そして1983年によっちゃんはTHE GOOD-BYEでバンド・デビュー。メンバーはリーダーでギター担当の通称ヤッチン曽我泰久、ドラムスのこーちゃん江藤浩一、ベースにはハチこと故加賀八郎の4人。彼はバンドで「レコード大賞最優秀新人賞」を獲得し、ジャニーズ事務所の4年連覇。通称「よっちゃんバンド」と呼ばれるも、ワンマン・バンドではなく四人対等。彼らは1989年までにリリースしたシングル15枚中トップ10ヒットが2曲のみながら、よっちゃんは作曲家としてキョンキョンに提供した1987年<キスを止めないで>で1位を獲得。この曲は翌1988年に発表した第8作 8th『Album』に<Don't Stop Kiss>のタイトルでセルフ・カヴァー。
  このバンドはユニークな活動でマニアックなファンを獲得している。例えばアルバム・タイトルで、デビュー作『Hello! The Good-Bye』はThe Beatlesの<Hello Goodbye>、6作『#6 DREAM』はJohn Lennonの<#9Dream>、9作『Revolution No.9』はThe Beatlesのアルバム収録曲と遊び心満載。シングル12作<マージービートで抱きしめたい>はThe Beatles<抱きしめたい>のジャケットをパロッた大傑作。また<のぞいてFeel Me, Touch Me>はThe Whoの『Tommy』収録<See Me Feel Me>を連想させる改心のナンバー。 

 ジャニーズではANKHに次ぐ二番目のバンド活動で、ジャニーズにバンドというカテゴリーを定着させた。そんな彼らに続いたのが1988年に<DAYBREAK>でデビューした男闘呼組。メンバーはリーダーでキーボード担当の前田耕陽、リード・ギターの成田昭次、リズム・ギターの岡本健一、ベースの高橋一也の4人編成。彼らはデビュー作から4作連続1位を獲得し、ジャニーズのバンドで『NHK紅白歌合戦』(第39回、40回)に初出場。そんな彼らは最初の2作のアルバムにはシングルを未収録と、The BeatlesやRolling Stonesがデビュー時にイギリスで実践した戦略を敢行。これはアルバムとシングルを明確に分け、ファンに二度買いをさせない姿勢だった。

 次は本来の「歌って踊れる」スタイルの集大成少年隊。メンバーはリーダー「ニッキ」こと錦織一清さん、「カッチャン」こと植草克秀さん、そして「ヒガシ」こと東山紀之さんの三人。彼らはトシちゃんやマッチのバックダンサーとして人気を集め、歌唱力もパフォーマンスも精度が高く、全員バク転ができる本格派。1985年12月12日のデビュー曲<仮面舞踏会>は、マッチに続き「初登場1位」。当時それを間あたりにしたシブがき隊に自ら解散を決意させたほど。なお嵐<a Day in Our Life>は少年隊の<ABC>をサンプリングしたナンバー。個人的には『俺たちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に登場し、<STRIPE BLUE>を歌ったことが印象深い。このコーナーは仮装の偽物や、懐かしの有名人の溜り場で、そこに本物のトップ・アイドルが登場するのは前代未聞の出来事だった。
 
 今回の最後は、1987年にデビューした「最後のスーパーアイドル」光GENJI。そのメンバーは、「GENJI」を組んでいた諸星和己さん、佐藤寛之さん、山本淳一さん、赤坂晃さん、佐藤敦啓さんに、「光」を組んでいた内海光司さん、大沢樹生さんが合体した大所帯の7人編成。平成に入り結成された大所帯のグループの起源は彼ら。そのパフォーマンスはローラースケートを駆使したもので、爆発的なブームとなり一躍スターダムに上り詰めた。 デビュー曲は、1986年の<モーニング・ムーン>以降に上昇機運にあったチャゲ&飛鳥。この二組のタッグはまさにケミストリーで、デビュー曲<STAR LIGHT>は1位を獲得、以後8作連続1位。1988年には1978年のピンクレディー(1.UFO、2.サウスポー、3.モンスター)以来年間売り上げのトップ3を独占(1.パラダイス銀河、2.ガラスの十代、3.Diamondハリケーン)する快挙を達成。さらに7位には<剣の舞>まで送り込んでいてベスト10に4曲、これも1977年のピンクレディーの記録(6位透明人間)に並ぶもの。 この驚異の実績に<パラダイス銀河>で「日本レコード大賞」を受賞、ジャニーズ事務所はマッチに次ぎ二連覇。

 今回の最後は「忍たま乱太郎」の主題歌<勇気100%>。この曲は平成年間でも多くのジャニーズにカヴァーされている<平成編>につながるナンバーで、本家は光GENJIだった。 

1. スニーカーぶるーす/近藤真彦 
~B.G: Never My Love / ABC-Z 

2. 太陽のあいつ/ ジャニーズ 
3. 夏の誘惑/フォーリーブス 
~B.G: ダンシング・セブンティーン / オックス

4. 男の子女の子/ 郷ひろみ 
5. 花とみつばち/郷ひろみ 
6. よろしく哀愁 /郷ひろみ 
~B.G: 見上げてごらん夜の星を / フォーリーブス 

7. ベルサイユのばら/ Johnnys'ジュニア・スペシャル 
8. 星めぐり / 豊川誕 
9. ラブ・ショック/川崎麻世 
10.ブルドック/ フォーリーブス 
~B.G: New York City Nights / Leif Garrett 

11. ラブ・シュプール/ 田原俊彦 
12. It's BAD / 田原俊彦 
13. 抱きしめてTONIGHT /田原俊彦 
~B.G: 夢であいましょう/田原俊彦 

14. ギンギラギンにさりげなく / 近藤正義 
15.ハイティーン・ブギ/近藤正義 
16. 愚か者 /近藤正義 
~B.G: スシ食いねェ! /シブがき隊 

17. Nai・Nai 16(シックスティーン)(Live) /シブがき隊 
18. 挑発∞(Live) /シブがき隊 
~B.G: キスを止めないで/ 小泉今日子 

19. のぞいてFeel Me, Touch Me / THE GOOD-BYE 
20. マージービートで抱きしめたい/ THE GOOD-BYE 
21. DAYBREAK / 男闘呼組 

~B.G: a Day in Our Life / 嵐 
22. 仮面舞踏会 / 少年隊 
23. STRIPE BLUE / 少年隊 
~B.G: 君だけに / 少年隊 

24. 剣の舞 / 光GENJI 
25. 太陽がいっぱい / 光GENJI 
26. パラダイス銀河/ 光GENJI 
~B.G: 勇気100% / 光GENJI 

次回12月号は「ジャニーズ特集(平成編)」です。 

本放送:第四土曜日11/23(土)15:30~18:00 
再放送:第四日曜日11/24(日)8:00~10:30 

【FMおおつ公式アプリ】https://fmplapla.com/fmotsu/
                          (鈴木英之)

2019年11月27日水曜日

The Bookmarcs:『君の気配』


The Bookmarcs(ザ・ブックマークス)が、11月28日に新曲「君の気配」を配信リリースする。
 7月末にリリースした「Let' Get Away〜かりそめの夏〜」に続いて今年2曲目となるこの曲は、実力派女性シンガー・ソングライターの青野りえがゲスト参加しているのが注目に値する。
昨年11月28日のセカンド・アルバム『BOOKMARC MELODY』(VSCF-1769/FRCD-061)に続くサード・アルバムのリリースに期待しつつ、この新曲を紹介したい。


弊サイト読者は既にご存じの通りだが、彼等The Bookmarcsは作編曲家、ギタリストとして活躍する洞澤徹と、13年振りの新曲「夏のシンフォニー」を9月にリリースしたばかりのSweet Onionsのヴォーカリスト近藤健太郎が2011年にタッグを組んだ男性2人組ユニットである。
これまでに2枚のオリジナル・アルバムをリリースしており、ソフトロックとシティポップの良さを融合しながら大人が聴けるポップスをクリエイトしている。
今回ゲスト・ボーカリストとして参加した青野りえは、ゴスペルグループThe Voices Of Japanのメンバーとして東芝EMIよりリリースされた2枚のアルバムをリリースしている。また和田アキ子をはじめメジャー・アーティストとも共演している実力派で、その後シティポップ・ユニットaoyamaや現TWEEDEESの沖井礼二のソロ・プロジェクトFROGにもゲスト・ボーカリストとして参加しており、現在はCM音楽やライブ、レコーディングでのセッションなどその活動は多岐に渡っている。

君の気配/The Bookmarcs

ではこの新曲「君の気配」について解説しよう。

洞澤がプレイするマルチ・トラックのギターとプログラミングされたドラム・トラックに、セッション・ベーシストの北村規夫が加わった16ビートのR&B系サウンドはAOR~シティポップの枠を超えたセンスを強く感じさせ、デイヴィッド・T・ウォーカーを彷彿とさせるハンマリング&プリング・ハープ奏法など洞澤のフレーズが随所で光っている。
またサビの転回はウワノソラの「Umbrella Walking」(『陽だまり』収録 17年にも通じる、スタッカートで跳ねるメロディが実にプリティーだ。
近藤の高域で響く甘くソフティな声質と、レンジが広くテクニックを備えた青野の声質のブレンドは絶妙にマッチしており、この曲の歌詞が持つ不毛の恋愛観を引き出している。二人によるコーラス・ワークも合わせてじっくり聴いて欲しい。
とにかく秋から冬へと繋がるこの季節にぴったりのレイジーな曲なのである。 
最後にThe Bookmarcsの二人からのコメントも紹介しておこう。

いつか叶えたいと想っていたシンガーソングライター青野りえさんとのコラボレーション。そのために温めていた自信作をようやく発表できて幸せな気分です。
洞澤徹

「青野りえさんのソロアルバム「PASTORAL」がお気に入りで、今でも度々聴いています。そんな青野さんとデュエットできて大変光栄です。

寒い冬の訪れにぴったりな曲です。せつなさやあたたかさを感じていただけたら嬉しいです。」
近藤健太郎


配信リンク(amazonは下記画像からリンク)
Apple Music
Spotify 

(ウチタカヒデ)


2019年11月23日土曜日

山下達郎 ライブ・クロニクル Part-1(1975~77)

 今、山下達郎さんが開催しているツアー『Performance 2019』のパンフレットには、彼がツアーを開始した2008年からの回想が掲載されている。そこで、古くからのファンである私も1977年の初ソロ・コンサートから、ブレイクする1980年までのライヴを回想しようと思い立った。私がライヴを初体験した時期は大学生で、ブレイク時には社会人になっていた。そこで今回は、Part-1として学生時代の体験をまとめてみた。


 まず山下達郎さんが日本の音楽シーンに登場したのは1975年4月25日発売の『Songs』だった。当時の私はレコードと音楽雑誌に囲まれた日々を送り、そのほとんどは洋楽といった状態で、和物で聴くのはチューリップとオフコース程度だった。
 その頃の私の日課は輸入盤・中古レコード屋巡回と、パチンコ屋で景品にお目当てのレコードが並んでいないかをチェックすることだった。 そんな私の通った学校は駿河台に校舎のあった時代の中央大学で、授業の合間にはお茶の水や神保町界隈をうろつくことが常だった。
 そして神保町でよく覗く店のひとつが「ササキレコード社」、そこで衝撃のサウンドに遭遇した。それは店内にBGMで流れていた日本語には聞こえないような歌を耳にしたのだった。気になって店の視聴盤コーナーを除くと、その正体はSuger Babeなるグループだった。気になりはしたが、その日のお目当てであるStevie Wonderの『Innervisions』をゲットし、次の機会にとその場を後にした。


 その直後にFM東京の「週刊FMサウンドスペシャル」なるプログラムに登場したSuger Babeの演奏を聴き、完全にノック・アウトされてしまった。さらに、ユーミンの『MISSLIM』『COBALT HOUR』で最高のコーラスを聴かせているのも彼らだと知り、興味は深まるばかりだった。
 そして“ぴあ”でライヴ・スケジュールをチェックし始める。しかし、海外の来日公演(2/7:Eagles、3/11:Neil Youngなど)に行く友人はいても、和物ライヴに付き合ってくれる知り合いはなく、一人で行く勇気もなかった。しばらくして『Songs』は廃盤となったことを知り、入手困難となってしまった。


 そして1976年3月にFMから『Niagara Triangle Vol.1』の告知CMで<Dreaming Day>を聴き、その素晴らしさに即購入した。そのジャケット画像も気に入ったので、Tシャツに絵の具書きしてそれを着て見せびらかしていた。その後やっと一人でもライヴに行く気になるも、その直後に「Suger Babe3月31日で解散」の報道を聞く。だだ会場の「荻窪ロフト」の場所もわからず、結局Suger Babeの生ライヴ体験ははかなくも消えた。とはいえこの解散コンサートは、1978年にFM東京のスペシャル番組でオンエアされており、追体験だが(「佐渡おけさ」の掛け声ではじまる)感動のステージを聴くことができた。


 またこの年10月には週刊FM読者欄に『Songs』の交換希望者を発見、即座に連絡を取り私所有の『Live Full House/The J.Geils Band』と交換が成立、入手後は盤がすり減るほど聴きまくった。そんな達郎さんの歌を全ておぼえた私は、ゼミの合宿の親睦会で勢い余って<Ⅾown Town>をアカペラを手拍子付きで歌っている。また翌年には友人の大学学園祭で、友人の率いるバンドのギタリストがSuger Babeのファンという縁で、リハーサルの場で<Ⅾown Town>をバンド演奏付きで歌わせてもらうという最高の気分を味わっている。

 そして1977年には達郎さんのデビュー作『Circus Town』が発売され、このレコードもよく聴いた。そんなある日、音楽雑誌で「山下達郎のニュー・アルバムは全編アカペラ・アルバムになる」(実際にはB面の一部だった)という記事を目にする。



 その直後にバイトで通っていた渋谷西武A館の休憩中に、電信柱に「山下達郎Sings!」というビラが貼ってあった。それを見た私は、B館地下のCISCOプレイガイドに飛び込み、同行するパートナーのあてはなかったがチケットを2枚ゲット。そして身近にいるメンバーをかたっぱしから打診し始めた。すると「中島みゆき命」を自認するバイト先の同僚女子が「絶対行きたい!」という意外な(?)反応で、いざヤクルト・ホールへ。


◎1977年5月27日(金) 『Sings! From Circus Town To Spacy』 新橋ヤクルトホール

 18時開場ながら1時間前に到着すると、既に相当数の行列ができていた。初参戦の私は 会場のキャパ(574人)も知らず「山下達郎って人気あるんだ!」と改めて驚き。開場時間となり入場すると、近隣の席にはバード・ウォッチングでもするかのようなステレオ・マイクをセットしてSONYのデンスケで収録を準備する来場者もいた。他人事ながらここまで堂々と録音しても大丈夫?と思わずにはいられなかった。
 ざわついているなか、照明が落ち<Love Space>でコンサートがスタートした。ただ、新譜を手に入れてなかった私には何を歌っているのかさっぱり解らなかった(-_-;)ところがこの曲の間奏で「キーボード、坂本龍一!」と達郎さんが叫び、ダイナミックで力強いグランド・ピアノが響き渡ると、その迫力あるプレイを聞かせている人物が、少し前に道玄坂のヤマハ店頭で見た「大貫妙子ミニ・ライヴ」でバックを務めていたピアニストだとわかった。
  なおこのコンサートのセット・リストは、ソロ二作と<God Only Knows><Ooh Baby Baby>という構成だった。曲間のトークではアメリカでの『Circus Town』のレコーディング時の話があり、「向こうのスタッフに「T.V.Trackはいらなのか?」と聞かれたんです。要するに「カラオケ」のことで、「お前、日本に戻ってT.V.に出るとき必要だろ?」と言われ、せっかくなので作ってきました。」(会場内大爆笑)、「ただ録音したものの使う当てがないので、ここで披露します。」と<Minnie>を歌っている。
 そんな中、この日一番の盛り上がりは、「では皆さんにお馴染みの」といってアカペラが流れ、<サイダー’76>を披露、これには割れんばかりの拍手と大喝采が起こった。 そして当初のアカペラ・アルバムにするという名残は、続いて披露した<朝のような夕暮れ>で聴かれる重厚感ある多重録音のコーラスだった。
 また私の席周辺では、その後で歌った<Candy>について「あのオルゴールはどこで作ったんだろうね?」という小声が飛び交っていた。<Circus Town>で本編が終わり、アンコールでは坂本龍一さんとともに登場。その際、ファンの一人が坂本さんにプレゼント!その光景に達郎さんは「龍一、人気あるね!」。そして愛用のテレキャスターで、Lovin’ Spoonful<Daydream>風の弾き語りで<Last Step>(後に『JOY』収録のアレンジ)を披露して幕は下りた。

 これが私の達郎さんの初体験ライヴだった。そして翌日、佐々木レコード社に駆け込み、発売されたばかりの『Spacy』を手に入れた。その日から朝昼晩と毎日昼夜を問わず、その素晴らしさに感激して朝から晩まで聴きまくっていた。さらには吉田美奈子さんのシングル<恋は流星>をお手本に、『Love Space』のジャケットをベースに歌詞カードの達郎さんスナップをあしらった<Love Space>のシングル・ジャケット(B面朝のような夕暮れ)を制作し、それを勢い余って当時の発売元RVC社に郵送している。

 それからは「ぴあ」で、達郎さんのライヴ情報もまめにチェックしていた。すると翌月18日の中野公会堂でのSentimental City Romance(以下、センチ)「Sentimental Party Vol.2」に、ゲスト参加するという記事を発見した。ただ、このライヴは急な発見だったので、パートナーを見つけられず、一人で参戦することになった。


◎1977年6月18日(土)  『Sentimental Party Vol.2』 中野公会堂
 
 センチはデビュー時から“名古屋のEagles”と音楽雑誌で話題となっており、以前からレコードは聴いていたが、ライヴはこの日が初めてだった。 まずオープニングはアコースティックでのコーラスを活かしたセット・リストだった。ただ、私は前年2月に本物のEaglesの初来日公演で、完璧なコーラスを聴いており、それから比べればやや物足りなかった。
 そしていよいよ達郎さんの出番となる。さっそうというより、飄々と登場してファースト・コンサートのアンコールで披露した<Last Step>が始まった。演奏が終わるとピアノに向かい、いきなり「とぉ~~びちるぅ~あいのぉ~つぶてぇ~~は、きぃ~みにもすぐにぃ~とどくぅ~はず♪♪な~んて曲を収録したアルバムを先月発表しました!」とコメント。一瞬唖然としたが、彼のファンもかなりいたようで会場内は大拍手が起こる。
  ところがその後は「なにやろうかな~」とつぶやく達郎さん。そこに、会場から「Down Town!」というリクエストがあり、会場中拍手喝采で大興奮。それを受けた達郎さんは「Down Town?そんなのピアノで出来るわけないだろ!」と切り返すも、ギターに持ち替え「な、ないろのぉ~」と歌いだす。するとステージ袖から、当時センチに加入していたSuger Babeのオリジナル・ドラマー野口明彦さんが加わり、会場は興奮のるつぼに。Suger未体験の私にとっては夢の共演であり、この光景が見れただけでも来たかいがあったというもの。
 続いて達郎さんが披露した曲は、ヤクルト・ホールでもコメントした「T.V.Track」の話題にふれ、ここでは<Circus Town>を披露。歌い終わると、「ちっとも歌った気がしないのでもう1曲やります。」と、ピアノに向かいドゥーワップ・ナンバーを熱唱。演奏後は大きな拍手に送られて舞台袖に消えていった。
 こんな興奮気味の後に、再びセンチが登場。この時期は名盤『City Magic』のリリースをひかえ、SONY時代よりはかなりソリッドな演奏をきかせてくれた。またゲスト・プレーヤーには後に吉田拓郎さんのバックにも加入する青山徹さん(元愛奴)が飛び入り。そこで聴かせたハードな<ポテトチップスかじるすりる>などは、これまでの印象を一新とさせる新鮮な驚きがあった。それは当時の “めんたんぴん”をもしのぐような迫力があった。  
 
 と2ヶ月連続で達郎さんのライヴに接することができ、ますます夢中になっていった。3ヶ月目は千葉県南房国定公園内で開催されるフェスのメンバーにラインナップされていた。さすがにこんな遠隔地まで一人でいくのはたまらないと、中学時代からの親友を説得して向かった。ちなみに彼は1972年の幻のRolling Stonesコンサート・チケットを求め、学校をエスケイプして静岡から2泊3日野宿で並んだ仲間で、Keith Richardを崇拝する悪友だった。そんな彼の趣味はStonesのブートレックを手に入れてKeithのフレーズを研究するマニアで、説得には「美乃屋の土屋君や、四人囃子に新加入したギタリストは、Keith好きなら絶対に見ておくべき!」という恩義せがましいトークを使って引っ張り込んだ。


 ◎1977年7月29日(金) 『FM東京開局7周年 グリーン・グリーン・ポップ・フェスティヴァル』千葉マザー牧場
出演:四人囃子、山下達郎、吉田美奈子、来生たかお+深町純グループ、 大橋純子&美乃屋セントラルステーション(出演順)

 抜けるように晴れ上がった解放感に満ちた郊外牧場でのフェスだ。最初に登場した四人囃子は中心メンバーだった森園勝敏さん脱退後の初披露ということで話題となっていた。オープニングはリリース直前の新作『PRINTED JELLY』から<ハレソラ>。新メンバーの佐藤ミツルさんはギターもヴォーカルもフレッシュな感じだった。このお披露目公演では<空飛ぶ円盤にお弟が乗ったよ>や<カーニバルがやってくるぞ>といった森園さん在籍時のナンバーもそつなくこなしていて、ライティングの効果が得られない昼のステージだったのがもったいない気がした。

 そして次に登場したのが達郎さんだった。オープニングにはウォーミング・アップのように弾き語りで<Surfer Girl>を披露した後に、ファースト・コンサート同様に<Love Space>からスタートした。バック・コーラスは次の出番になっている吉田美奈子さんで、演奏も達郎さんのヴォーカルも絶好調で、ヤクルトホールでのライヴとほぼ同様に<素敵な午後は>や<Solid Slider>といったレパートリーで進行。半ばにファルセットで歌った<Ooh Baby Baby>では、「裏声で歌うとよだれが出すんですよ」とのコメントに会場の笑いを誘う。そんな彼のステージは<Circus Town>にて約一時間のパフォーマンスは終わった。 フェスなのでアンコールはなしだった。

 続いては当日達郎さんのコーラスを担当していた吉田美奈子さん。彼女のライヴは初めてだったが、この年にリリースした『TWILIGHT ZONE』は達郎さんが共同プロデューサーで、かつ演奏メンバーも達郎さんのバックそのままだったので、興味深く見ていた。そのステージの袖には達郎さんが残っていたので、「どこかで加わってくれるのではないか?」とほのかに期待したが、それは当てが外れた。とはいえ、聴きたかった<恋は流星>も演奏され充実した内容だった。とはいえ、ただ『FLAPPER』的なポップな世界観を予想していたファンには少々ヘビーだったかもしれない。
 この3組のステージが終わったところでセットの入れ替えで小休止となり、夕暮れが近づいてきた。

 そして登場したのは、<赤毛の隣人>で気になる存在だった来生たかおさん。Gilbert O’sullivanを崇拝している彼らしいポップなナンバーで心地く聴くことができた。同行してくれた友人からも「俺は好みじゃないけど、ヒデが好きそうな感じだね!」と、図星だった。そのステージで一番気になったのが、バックでギターを演奏するメンバーにMoonridersを脱退したばかりの椎名和夫さんがいたことだった。

  そして日も暮れ、このフェスのトリを取ったのが、<Simple Love>のヒットで一番勢いのあった大橋純子&美乃屋セントラルステーション。大橋純子さんのパワフルなヴォーカルとともにギタリスト土屋昌己さんのプレイも冴えわたっていた。そんな土屋さんはCharさんを意識したような白できめたスーツやハットがかなり目立っていた。なおこの日最大の収穫は、後に私が制作のオファーを受けることになる林哲司さん作の<Rainy Saturday & Coffee Break>に魅了されたことだった。


 私は達郎さんがブレイクする1980年までかなり熱心に彼のコンサートに足を運んでいた一人だと思う。この「Part-1」では私が『Song』を聴いてSuger Babeのファンとなり、達郎さんがソロ活動を始めた時期に通った学生時代のライヴ体験をまとめてみた。
 次回のPart-2では、社会人となった1978年から彼がブレイクする1980年までのライヴ体験を、今ではお約束となっている<Let’s Dance Baby>の「クラッカー」初登場なども交えてまとめる予定だ。当時、一緒に聴いていたのは静岡にいた弟だけで、東京には仲間はいなかった。この時期はある面、「達郎ライヴ暗黒の自分史」なのかもしれない。ただ、私がリアルで記憶している達郎さんのトークも、ファンにとってはセット・リスト以上に興味深いはずなので私がボケて忘れてしまう前に披露しておきたいと思う。
(鈴木英之)