2024年12月6日金曜日

ザ・コーギス、3年ぶりのニューアルバム

 


Beginnings」に始まり、「Beginnings」に終わる収録曲の並び。そして、『UNUnited Nations BLUE』と『UNUnited Nations RED』という意味深なアルバムタイトル(以下、『BLUE』、『RED』と略して表記)。2作を並べると、地球のあちこちが線でつながっている。ザ・コーギスが3年ぶりにリリースするニューアルバムの全体のテーマとして、彼らは、「世界のつながり」とそれに相反する「分断」、そして「音楽の世界旅行」を考えた。どんなアルバムなのか、アルバムのライナーに収録された彼らの言葉を中心に、その想いをさぐってみたい。

  

抒情的なメロディと美しいストリングスが印象的なイギリスのポップグループ


……と、アルバムの話に行く前に、ザ・コーギスの説明を簡単に。

ザ・コーギス(THE KORGIS、以下コーギス)は、元スタックリッジのメンバー、ジェームス・ウォーレンとアンディ・デイヴィスの2人を中心に結成された伝説のポップ・ユニット。デビューシングルのリリースは1979年。

スタックリッジは「パストラル・ミュージックのビートルズ」(田園的なのどかな音楽のビートルズといった意味合い)と称され、その後継バンドであるコーギスもビートルズの影響を受けていることをメンバーが公言している。

2枚目のシングル「とどかぬ想い(If I HadYou)」(1979)と、3枚目の「永遠の想い(Everybody’s Got to Learn Sometime)」(1980)が英米で大ヒット。抒情的なメロディ、美しいストリングスやコーラスの音の重なりが印象的で、日本でも、洋楽ファンの心をぎゅっととらえたが、アンディ・デイヴィスの脱退などもあり、1982年、解散。その後、再結成、再解散、レコードの再発、ベスト盤のリリース、ライブなど、つかず離れずといった感じでの活動が続いてきた。

 

                  The Korgis「Everybody’s Got to Learn Sometime」(1980)

 

新型コロナウイルス感染症のロックダウン中にレコーディングされた前作

 

そして202111月、約30年ぶりとなる新作のアルバムKartoon Worldをリリース。2020年の新型コロナウイルス感染症によるロックダウン中に、レコーディングを開始したそうだ。このときのメンバーの言葉を紹介しよう。

 「コーギスのニュー・アルバムは、途切れなく50年間にわたる壮大な音楽です。それは1980年に始まり、目も眩むような成就と共に2030年に終わります。世界はとてつもない没落へと向かっており、テクノロジーではなく、愛の力だけが唯一の明白な答えなのです。過去から未来へ、我々と旅をしましょう。そして我々が知っている人類の滅亡から、我々がどのように辛うじて逃れるのかを見ようではありませんか! Kartoon Worldは誓いと共にリリースされます。その誓いは愛に始まり、愛に終わり、それこそが今の世界に必要なことなのです」

 今、世界に向けて歌わなければ、いつ歌うのか、という強い意志を感じる。そしてこのときの想いが、今回のアルバムUNUnited Nations BLUE』と『UNUnited Nations REDにもつながっていると感じる。


現在のコーギスのメンバーは、コーギス結成時からのオリジナルメンバーであるジェームス・ウォーレン(Ba./Vo./Gt.)と、1982年の最初の解散前には既にコーギスの一員になっていたジョン・ベイカー(Vo./Gt./Key.)、ジェームスの古くからの音楽仲間で2000年代に入ってからメンバーとなったアル・スティール(Vo./Gt./Key.)の3人がフロントを担い、ポール・スミス(Dr./Perc.)、ダニエル・ニコルス(Vo./Gt./Perc.)も含めた5人。

 

愚かさと優しさ、人間の内面を見つめる『BLUE

 

「漠然としたアイデアではあるが、このアルバムは国や都市といった場所をテーマにできそうだと思った。『Nations』という言葉を使った何かがふさわしいように思えたが、その後、ロシアがウクライナに侵攻したことで、UNUnited Nationsに変更することにした」(BLUEブックレットより)

 『BLUE』はオーケストラによるイントロが印象的な小曲Beginnings(作:アル・スティール)で始まり、Mud Huts(泥の小屋の意)」(ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)という曲に続く。美しい地球の森を切りひらき、自然を容赦なく切ってきた人間社会を批判する内容だ。


BLUEには他に、Good Old Days Of The Cold War(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)という曲もある。古き良き冷戦時代とは、なんと皮肉な内容だろう。ピアノの低音域のベースラインと右手のコードが8ビートを刻むアレンジが特徴的。どこか陽気で、古い映画音楽のような雰囲気の楽曲なので、タイトルや歌詞を見なければ、社会的な歌だとはわからない、そのギャップがおもしろい。制作を始めた頃の仮タイトルは、なんと、「プーチンとトランプ:ミュージカル編」だったらしい。その後、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったため、歌詞の内容が現実とはズレてしまったが、「時が経てば(この歌詞もまた)歴史に沿ったものになると予測している」とブックレットに解説されている。

 

 もちろん、コーギスらしいポップスも健在。ポンポンポン……というかわいらしい音のカウントから、風が吹き抜けるような爽やかなアコースティックギターで始まるSomeday, Charlie, Someday(イアン・クーパー/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)は、私がこの『BLUE』で一番好きな曲。ブックレットに収められたインタビューでは、それぞれのアルバムで「自分たちが好きな曲、おすすめの曲」を聞いているが、アルとジェームスが、この曲をあげている。

明るい旋律ながら、時折、切ない音が入る。コーラスの音の重なりも、コーギスらしい清々しさ。ブックレットの曲紹介によれば、「トーキー映画が生まれた時期のハリウッドにタイムスリップし、チャーリー・チャップリンを批判する(彼には何の罪もない)」とのことだが、歌詞をみる限り、批判しているようには見えないけれど……。


       The Korgis「Someday, Charlie, Someday」(2024)

  

 次の曲Letter To Geelong(ジョー・マテラ/アル・スティール)もアコースティックギターと明るくおだやかな旋律が印象的な曲。故郷に残してきた人びとと手紙のやりとりをするストーリーは、優しさに満ちている。女性ボーカルの声はダニエル・ニコルズ。コーギスに女性ボーカルが加入したことで、歌の表現も、コーラスのニュアンスの幅も広がっているのだとわかる。


  そのあとも、Prison Break(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)Another Perfect Day in St.Thopez(ジョン・ベイカー/アル・スティール)と、ポップでコーギスらしい曲が続く。

Prison Breakは後半の間奏にプログレアレンジが入ってくるところで、思わず、ニヤリ。そこまでのアレンジが、イギリスのポップグループらしい、どこかキュートでピュアな雰囲気のメロディとアレンジなので(歌詞は、脱獄しようっていう内容だけどね……())、一瞬、お?と思うが、そこからまたポップなメロディに戻っていくアレンジ、歌詞とのギャップも含めてすべて、ウイットに富んでいて、これもコーギスの魅力のひとつである。

 Another Perfect Day in St.Thopezは、〈君は今どこにいるの〉の歌詞で始まる。終わった恋を思い出し、昔の恋人に心の中で話しかけている。ちょっと切ないけれど、かわいらしいラブソング。この曲を作ったジョン・ベイカーの18歳の頃の経験がもとになっているそうだ。歌詞に、The Beach BoysThe Beatlesも出てくる。遠い日の思い出は、とてもやさしい眼差し。年齢を重ねた今だからこそ書ける、ということだろう。

ジョン・ベイカーの年齢は不明だが、ジェームス・ウォーレンと同世代だとすれば、60代後半~70代前半、か(Wikipediaによると、ジェームスは1951年8月10日生まれ。御年73歳!)。 70代になって、恋の歌をこんなに瑞々しくうたい、演奏するのはとても素敵なことだと思う。


  BLUEも終わりに近づき、最後から2曲目の曲Matala Moon(マーリー・デヴィッドソン/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)は、美しいピアノの音色で始まる。バカラック・スタイルのフルオーケストラの演奏、メインボーカルをつとめたゲストミュージシャンのマーリー・デヴィッドソンとジェームス・ウォーレンのコーラスワークが息をのむほど美しい1曲。マーリーはこの曲でグランドピアノも弾いている。普通のコーラスに加え、ジェームスが対旋律をとる部分もあり、彼の高音域の声が楽曲に清らかさを添える。この「Matala Moon」も、アルとジェームスが「好きな曲」にあげている曲だ。

 


 

悲観の先に希望を見つける『RED

 

 コーギスのコア・メンバーであるジェームス・ウォーレン、ジョン・ベイカー、アル・スティールの3人が唯一そろって「自分が好きな曲、おすすめの曲」としてあげたのが、End Of An Era Feeling(クリス・ホプキンス/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール/イアン・クーパー)。重厚で美しいオーケストラサウンドで始まるこの曲は、歌の部分にもすべてコーラスワークが入っており、音の重なりのやわらかさ、優しさが感じられる。

全体でみると、〈Aahit’s that end of an era feeling〉という1行、曲のタイトルでもあるこの部分が鍵となって、それぞれテーマを持ったいくつかの曲パートをつなぎ、構成される「組曲」のような楽曲にしあがっている。

ブックレットに収められた3人のインタビューによると、この曲は1960年代終わりのリバプールが舞台。ビートルズは解散し、ラブ&ピースは終わり、サイケがグラムロックにとって代わろうとしていた時代を表現しているという。歌詞にも1960年代の出来事が綴られており、それは、いっけんポップなサウンドやアレンジとは真逆の、悲観的なもので、現代の私たちが生きる世界にも同じことが言えるのではないかと、どこか不安にかられるような内容でもある。


一転して、ソウルフルなアレンジのCoffee In New York(アル・スティール/ジョン・ベイカー)に続く。ブルックリンのカフェで、まだ見ぬ君へ、そして去っていった人への想いを歌うラブソングのようでいて、同時に、時を超えて継がれていく「何か」にも思いを馳せる。

コーギスの歌詞は(特に、今回の新作BLUE』『REDでは)文字となった単語の裏に、あるいは、その言葉を選んだ背景に、違う意味合いを持たせるものが多く、聴く人によっていろいろに解釈できるものが多い。

新作のアルバムを聴く際、まず最初に聴くときには全体のサウンドから入る人が多いと思う。そこから、歌詞や細かいところを聴いていく感じ。今回、私もそうだったが、歌詞の世界も感じていくにつれ、矛盾を感じたり、気づきもあったりした。もしかしたら、今後、数カ月後、数年後に聴いたら、また違う聴き方になるかもしれない。


3曲目のBorn Under A Full Moon(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)もそんな曲のひとつで、アル・スティールの子どもが誕生した日のことがモチーフとなっている。その日、ライブに出演したあと、病院に向かう途中、見上げた空に満月が輝いていたのだそうだ。

命が継がれていくことの希望を感じる一方で、「深い闇」「道化師」「愚か者」といった歌詞も出てくる。ブックレットに収録されたインタビューでアル自身も、この曲について、「悲観的な‘世界の終わり’タイプの曲」と語っているが、楽曲のアレンジはボサノバ調の陽気な響き。これをどう聴くか。

 

次の曲は、OppenheimerStuck In This Moment)」(クリス・ホプキンス/アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)で、理論物理学の研究に生涯を捧げたロバート・オッペンハイマー、‘原爆の父’である彼の生涯のパラドックスがテーマ。しかし、アコースティックギターの音で始まり、コーギスらしいコーラスアレンジが施され、重いテーマを歌うわりには、メロディもアレンジも優しい。こうしたバランス感覚もコーギスらしさのひとつなのだろう。


           The Korgis「Oppenheimer」(2024)

 このあとも、ポップなロックテイストの曲が続くが、テーマ、世界観はさまざまだ。たとえば、オーストラリアの熱帯雨林の森林火災にアイデアを得て作られたRed Flag Day(ジョー・マテラ/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。あるいは、年配の人物が鏡を眺めながら過ぎ去った年月に思いを巡らせるHey Old Friend(ジョン・ベイカー/ジェームス・ウォーレン/アル・スティール)。昔のことを思い出す歌詞にはビートルズのエピソードも。曲の最後はアレンジが一変し、マイナーに変調して、淋しさが漂うエンディングになっているが、最後の歌詞は「Oh yeah…」が続く。ビートルズの「I’ll Get You」からのオマージュだそうだ。

 

 最後から2曲目は、Sticky Note For The End Of The World(アル・スティール/ジェームス・ウォーレン)。人類が地球を支配した後の世界が舞台。熱帯雨林は燃え上がり、天変地異が次々と陸地を海に沈めていく地球上に、わずかに残った人類が生き延びるためにもがく物語だ。

sticky noteとは付箋のこと。歌詞には、「欲しければ与えよ」「誠実な人間になれ」「すべての人種の血は赤い」といった言葉が並び、生き残った人類がこれからなにをすべきか、大事なことを忘れないように付箋に書いていると意味合いだろうと思う。豊かに広がる印象のオーケストラアレンジ、落ち着いたメロディライン、コーギスらしい瑞々しいコーラスアレンジに、大事なことを成し遂げるための決意のようなものさえ感じる。まさに、名曲。

 

 そして、REDラストの曲は、BeginningsBLUEの1曲目Beginningsと2曲目Mud Hutsを受ける内容であり、初心に戻り、泥小屋を建て直そうと歌う。

ブックレットに収録されたインタビューで、ジェームス・ウォーレンは、「BLUEがあえて全曲シングルにできそうな、わかりやすいアルバムにしたのに対し、REDはやや実験的で、歌詞も終焉に向かうものが多いなど、それぞれのアルバムの性格に違いがあるわけだが、Beginningsが両者の架け橋となり、UN-United Nationsの世界観をひとつにしてくれる」と語っている。


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Beginnings」で始まり「Beginnings」で終わる今回の新作2枚のアルバムは、環境問題や社会情勢、政治、戦争など多くのメッセージを放っていた。一方で、昔の恋人や離れて住む家族や友人を想ってうたうあたたかな楽曲もあった。思うに、ザ・コーギスにとって、地球を想ってうたう歌も、人を想ってうたう歌も、等しく、ラブソングなのだろうなぁ。前作『Kartoon World』から続く、愛の歌。いまを生きる私たちみんな、コーギスからのラブソングを、どう受け取るか……。

 

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 UN-United Nations BLUE』『UN-United Nations RED』は、2枚に連なる一大コンセプト作。あえて2枚組にしないで、2作でひとつの作品にしあげたのは、ジャケットデザインを見ればわかると思う。ぜひ、2作セットでお聴きください。

タワーレコードオンラインUN-United Nations BLUE

タワーレコードオンラインUN-United Nations RED


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大泉洋子プロフィール

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。






2024年11月30日土曜日

ムーンライダーズ:『アマチュア・アカデミー 40周年記念盤』森 達彦 氏 インタビュー


 1976年のファースト・アルバム発表から現役活動する日本ロック、ポップス界の至宝とされるバンド、ムーンライダーズが、1984年8月にリリースした『アマチュア・アカデミー(AMATEUR ACADEMY)』(P-VINE PCD-18915)を、40周年記念盤として11月20日にリイシューした。 
 バンドの歴史上唯一、当時の所属レコード会社のA&Rマンだった宮田茂樹を外部プロデューサーとして起用したことで、他のアルバムとは明らかにカラーが異なり、通算9作目にしてファンの間でも「名作」「問題作」と異論が多いことで知られている。

  今回の40周年記念盤では、過去のリイシュー時にも収録されていたアルバム未収録のシングル曲と、別テイクから選抜された4曲をDISC1にボーナストラックとして収録し、DVDのDISC2には、オリジナルアルバム・リリース直前の1984年7月14日に渋谷公会堂で行われた、伝説的ライブ映像を4曲収録している。また16ページのブックレットの表紙には、黎明期だったCDとカセットのみで採用された、幻のカラー・ジャケット(ジャケット写真:伊島薫)が40年振りに採用されているので、ファンにとってはレアなコレクターズ・アイテムになったのではないだろうか。
 なお今回リイシューのリマスタリングは、ムーンライダーズと関係が深いシンガー・ソングライターの松尾清憲氏が、今年6月にリリースした最新アルバム『Young and Innocent』のサウンド・プロデューサーを務め、マスタリング・エンジニアとしても、これまで数多の作品を手掛けてきた、microstarの佐藤清喜が担当しているのも注目である。


DISC 1
1.Y.B.J.(YOUNG BLOOD JACK)
2.30(30 AGE)
3.G.o.a.P.(急いでピクニックへ行こう)
4.B TO F(森へ帰ろう~絶頂のコツ)
5.S・E・X(個人調査)
6.M.I.J. 
7.NO.OH
8.D/P(ダム/パール)
9.BLDG(ジャックはビルを見つめて)
10.B.B.L.B.(ベイビー・ボーイ、レディ・ボーイ)
ボーナストラック: 
11.Star Struck(BDLG English Ver.)
12. M.I.J.(Single Ver.)
13.GYM 
14.Happy Birthday(Demo Ver.)

DISC 2(DVD)Amateur Academy Live
1.Y.B.J.(YOUNG BLOOD JACK)
2.M.I.J. 
3.G.o.a.P.(急いでピクニックへ行こう)
4.NO.OH 

最前
鈴木慶一・Keiichi Suzuki(Vocals, Keyboards, Guitar, Bass)
2列目左から
武川雅寛・Masahiro Takekawa(Backing Vocals, Violin, Trumpet)
かしぶち哲郎・Tetsuroh Kashibuchi(Backing Vocals, Drums)
3列目左から
鈴木博文・Hirofumi Suzuki(Backing Vocals, Bass, Guitar)
岡田徹・Tohru Okada(Keyboards)
白井良明・Ryomei Shirai(Backing Vocals, Guitar, Percussion)


 管理人としては、ディープでコアなファンが多いムーンライダーズの名作を、ソフトロック/ポップス系の弊サイトで取り上げることはおこがましいのだが、前作『青空百景』(1982年)からリアルタイムでこのバンドの作品を聴き始め、本作『アマチュア・アカデミー』も高校1年生の頃に相当聴き込んだ、思い入れの強いアルバムだった。
 そのような個人的思いもあり、今回は特別にムーンライダーズと繋がりが深い、シンセサイザー・プログラマーの事務所hammer(ハンマー)の代表で、管理人も10年以上交流がある森達彦氏へのインタビューをおおくりする。

【hammer代表☆森達彦氏インタビュー】


「『アマチュア・アカデミー』は宮田さんがプロデューサーだったので、慶一さんは一歩引いたカタチになっていて、僕が知っているムーンライダーズの制作現場とは雰囲気が違っていました」



筒美京平先生の追悼企画以来のインタビューになりますが、今回はよろしくお願いします。 
先ずは森さんがムーンライダーズ(以降ライダーズ)とのお仕事から、『アマチュア・アカデミー』リリースとの時系列を含めて、hammerを設立した経緯をお聞かせ下さい。


◎森達彦(以下森):『アマチュア・アカデミー』(以降アカデミー)は、hammer が出来る直前にリリースされたアルバムなんです。hammerが出来たのも84年なんですが、アカデミーの録音は83年から84年の頭で、この録音中に会社(プログラマー・マネージメント会社)を作ろうって話になったんですよ。


●正しくアカデミーのレコーディングが、hammer設立に関わっていたんですね? 


◎森:もっと詳しい経緯を話しますと、アカデミーの録音は音響ハウスをメインに使っていたんですね。なんせライダーズの仕事は待ち時間がほとんどで、ロビーに居る訳ですよ。そうすると、(当時の)ライダーズ・オフィスの社長もロビーに居て「森君、忙しくしている?」と声を掛けられたので、僕もプログラマー仕事が軌道に乗り始めた時期だったから「いや~(笑)、だいぶ忙しくなりました」と。すると「これからはプログラマーの時代だよね。森君、会社を一緒に作ろうか」という話になって、それでhammerが出来たんですよ。
そういう意味では自分にとって、このアルバムはきっかけになった作品でもあるんです。


●因みにその当時はhammerのメイン機材となる、PPG Wave(※1)は既に導入されていたんですか?


◎森:いや~、まだですね。当時スタジオによく持って行ったのは、Linn Drum(※2)とシモンズ(※3)、それとEmulator I(※4)でした。まだギリギリ「I」で、hammerが出来た頃はもう「Ⅱ」でした。
それでLinn Drumは、ライダーズのレコーディングでは殆ど使われなくて、『青空百景』の頃からで、その前の『マニア・マニエラ』(以降マニエラ/1982年)でも使った記憶はないですね。


●マニエラのインナースリーヴ・クレジットを見ると、TR-808(※5)が多用されていたので、Linn Drumは使われなかったんでしょうね。


◎森:実はもっとライダーズとの経緯を遡りますと、レオ(ミュージック)に居た頃、ライダーズの初代マネージャーが、レオによくツインリヴァーブ(ギター・アンプ)を借りに来ていたんです。それで親しくなって、ライダーズの野球チームのメンバーが足りないから助っ人で来てよと誘われてね。それがきっかけで当時ライダーズが根城にしていた、タムコ・スタジオに出入りするになったんですよ。エンジニアは記憶では、ほとんどの場合SUPERBの田中信一さんで、アカデミーも田中さんでした。


●田中信一さんは、細野晴臣さんの『トロピカル・ダンディー』(1975年)や『泰安洋行』(1976年)も手掛けた名エンジニアの方ですよね。


◎森:そうです、そうです、ノイズにうるさい巨匠の方ですけどね(笑)。
当時岡田徹さんが持っていなかった、Linn DrumやEmulator Iをタムコに持って行くんですが、使ったり使わなかったりで、しかも待ち時間が長いんですよ。その待っている間に僕はタムコのはす向かいにあった雀荘に連れていかれたりしていました(笑)。 ライダーズのレコーディングって、くじら(武川雅寛)さんはダビングまですることが無くて、社長と二代目マネージャーの3人がずっと暇していたんですよ。それで「森を呼んで麻雀やろう」って、いつも企んでいたらしいです(笑)。草野球チームの助っ人に麻雀要員って、仕事には関係ないけど、そうやって僕はライダーズに関わっていくんですよ。


●そうだったんですね(笑)。でもどの業界でも人間関係の構築は大事ですから、関係性を築いていけたのは森さんの人徳だと思います。 


◎森:丁度タムコでマニエラのレコーディングしていた81年に、岡田さんはMC-4(※6)を買って自分で打ち込んでいたんですけど、時間が掛るし事故(エラー)が多いしで嫌になったらしいんです。それで土岐(幸男)君を特訓して覚えさせたんです。
それ以後ライダーズのプログラミングとシンセのオペレーションは、土岐君がメインでやるようになったんですよ。 


●その後土岐さんは、hammer設立時に入社される訳ですね。


 岡田徹氏サイン入り
カセットブック月光下騎士団
1984年 / 管理人所有)


◎森:そうです。話を戻しますが、アカデミーは宮田(茂樹)さんがプロデューサーだったので、(鈴木)慶一さんは一歩引いたカタチになっていて、僕が知っているライダーズの制作現場とは雰囲気が違っていました。


 ●なるほど、後の慶一さんのインタビューによると、当時ライダーズ側の窓口は白井(良明)さんにして、宮田さんと打ち合わせをされていたとか。曲毎のアレンジも白井さん主導で、後に岡田さんもアレンジャーとして加わっていくスタイルだったという。


◎森:はい、そうです。それで僕が知っている宮田さん像というのがあって、(清水)信之君がアレンジをやっていた頃のEPO(エポ)さんのレコーディングで、Linn Drumを持って行った際、宮田さんに「森君、Linn Drumの打ち込み方を教えてくれない」と言われたんです。そんな経験もなく短時間で覚えられる訳がないと思いながら教えたんですよ。そしたら直ぐに覚えちゃって、「この人なんなんだろう?」って思ったんです。 
僕は宮田さんをディレクター・タイプの人だと思っていたから、こういう楽器や編曲にまで口出しして、ダイレクトに関わる人って見たことがないんですよ。だからその頃から宮田さんは、本来在るべきプロデューサーのポジションの人で、凄く頭脳明晰で仕切るタイプの人なのかなと。 

僕みたいな外様のプログラマーが、こんなことを言うのは憚られるんだけど、今までのライダーズの制作現場って、「こんな録り方をしているんだ!」とか「こんなアイディアがあるんだ!」といった何が飛び出すか分からない雰囲気があったんだけど、アカデミーの現場では、そんな偶発的なことが許されないというか、宮田さんの頭にある予定調和の中でレコーディングが進んでいくみたいな感じでした。 
ちょっとネガティブな感想かも知れないけど、アカデミーを語る上でこれは重要点なので続けますが、つまり慶一さんの立ち位置っていうのは、それまでのライダーズの現場でおこなってきた「ハブ」的役割だったので、それが無かったという、独特なアルバムだと思います。慶一さんが一歩も二歩も引いた感じたという。


●やはり違いますよね、前後のアルバムと比べてもアカデミーの全体的雰囲気は。


◎森:そうなんですよね。ただ仕切るという意味では、ほったらかすと、スタジオ代が鬼のように掛かっているバンドなんでね(笑)。その後の『ANIMAL INDEX』(以降インデックス/1985年)や『DON'T TRUST OVER THIRTY』(以降ドントラ/1986年)は凄いことになったんです、スタジオ使用時間がね(笑)。
アカデミーに関する記事で、キックの音決めに一週間掛ったというのを見たんだけど、それはインデックスの時の話じゃないかと思いますよ。だって音響ハウスですよ、スタジオ代がタムコとは違うから(笑)。 


●スタジオ使用時間はバジェットにもろに影響しますからね(笑)。そういった意味でアカデミーは、それまでのライダーズのアルバムでは見られなかった、コントロールされたアルバムだったんだと改めて認識しました。例えるならXTCの『Skylarking』(1986年)で、プロデューサーのトッド・ラングレンが仕切っていたような感じですね。 
因みに機材についてなんですが、先にお聞きしたPPG Waveの本格的な導入時期はいつ頃だったんですか? 


左からWaveterm、PPG Wave 2.3(上段)
(画像出典元:https://www.flickr.com/)


◎森:岡田さんは初期のPPG Wave 2.2を持っていて、使っていたのかも知れないけど、Waveterm(※1)を含めてPPG Wave 2.3を導入したのはドントラからなんです。
丁度イタリアの知人楽器ディーラーが、PPGの販売から撤退するということで、在庫全てをhammerで引き取ったんですよ、1986年だったかな。
それでドントラから土岐君が一気にPPGの世界に塗り替えたんです。


●そうするとアカデミーで主に聴けるサンプリング・サウンドは、Emulator Iだったんですね?


◎森:そうです、アカデミーの頃は僕がEmulator Iを持って行ってセッティングしていたんです。それとLinn Drumは、「Ⅱ」がライダーズ・オフィスにあったから、使っているのかと思って聴き直すと、結構生ドラムの音が多いから、かしぶち(哲郎)さんが叩いていたんでしょう。シンセ・サウンドもそれまでのアルバムよりは少ないから、そういうコンセプトだったんでしょうね。


●岡田さんが作曲に参加してアレンジした曲「Y.B.J.」や「G.o.a.P.」は、結構Prophet-5(※7)らしい音が聴けますね。それから「M.I.J.」のスネアやタムは明らかにシモンズですねよ。これはかしぶちさんが実機を叩いたのを録ったんですか? 


◎森:はい、確かに1曲目(「Y.B.J.」)の音はProphetですね。シモンズはモジュール音源だけで、生の音をトリガーにして音を出していました。


●細かいですけど、「Y.B.J.」で聴こえる車のクラッシュ音やヘリが旋回する音までは、さすがにEmulator な訳ないですよね?  YMOの『テクノデリック』(1981年)の際、当時アシスタント・エンジニアだった飯尾芳史さんがポータブルテレコで工場の音を録音し、LMD-649(カスタム・サンプラー)に移して使ったような感じで、近距離で録音するには危険過ぎて不可能ですし(笑)。


◎森:やった記憶はないけど、SEをダビングしたかも知れません。
サンプリング関係では、「BLDG(ジャックはビルを見つめて)」は特に印象に残っていますね。あれは20個くらい音をサンプリングしたんです。Emulator Iって録音可能時間が2秒で、サンプリング・ポイントは1回につき2個しか立ち上げられなくてね。かしぶちさんが紙袋をパンと叩いて破く音や、音響ハウスの机の引き出しをガタガタと開け閉めする音、マネージャーが何かを叩く音とかね(笑)。
全部入っていると思うけど、慶一さんが指定した20個くらいの音をサンプリングして構築しているんですよ。だから今でもこの曲を聴くと、その時の光景が浮かんで強烈に覚えています。


●そうなんですね!想像はしていましたが、当時そこまで細かくサンプリングして、あのサウンドを構築していたとは!タイプライターを打つ音もありました。次の曲「B.B.L.B.」でもモチーフが近いサンプリング・サウンドが聴けましたね。
森さんの話をお聞きしていると、嘗て10㏄が「I'm Not in Love」(1974年)で、あのコーラス・パートでおこなったような、試行錯誤しながらも、綿密で神懸ったレコーディングの光景が目に浮かびます。


◎森:とにかくライダーズの中でも特に慶一さんって、ファクトリー(サンプラー付属音源)の音なんか使わないんですよ。それでアカデミー以降の話ですけど、ライダーズでサンプリングした音は、向こう1年間は他のレコーディングで使わないって、慶一さんから禁止令が出ていたんです(笑)。
でもその話にはオチがあって、ライダーズでサンプリングした音って、他では絶対に需要が無いから使えないんですよ(笑)。 


●やはり音作りの拘りが人一倍強い方らしいエピソードだと思います。しかも1年間門外不出の禁止令まであったとは(笑)。



鈴木慶一氏サイン入り『マニア・マニエラ』
アナログ・リイシュー盤(2022年 / 管理人所有)

 
◎森:その拘りが、インデックスとドントラでどんどん過剰になっていくんですよ。その後ブランクが4年ほどあったじゃないですか、それは多分嫌になったんでしょう(笑)。
だから一回冷却期間を作らないと精神的に参っちゃうと思うんですよ。
この機会にアカデミーを聴き直していますけど、このアルバムってシンセはワンポイント的にしか使われていませんね。


●当時イギリスでネオアコースティック系が出てきて、ギター主体のサウンドが隆盛な時期でもあって、同時期の音楽誌に(鈴木)博文さんが寄稿されていた文章を読むと、結構お好きで熱心に聴いていたと思うんですよ。だから手掛けた曲(「B TO F」や「D/P」)にもその影響が出ているんでしょう。


◎森:フー(博文)ちゃんも好きだったと思うけど、やはりこのアルバムは良明さんが主導した一面があったので、どうしてもギター・パートが増えていますね。
基本的に僕が知るアカデミーのイメージは、プロデューサー:宮田茂樹、アレンジャー:白井良明って感じです。 ただ途中から良明さんは、松尾(清憲)さんのファースト(『SIDE EFFECTS-恋の副作用-』)に付きっ切りになってしまったので、岡田さん主導のアレンジも増えていったんだと思います。僕は松尾さんのレコーディングにも、プリプロの頃からEmulator Iを持って参加していましたから。


●アカデミーでの主導アレンジャーの変遷には、そういう事情があったんですね。
  最後にエンジニアでもある立場から、今回のリマスタリングの音はどう感じましたか?


◎森:今回のリイシュー音源を聴いてみて、佐藤(清喜)ちゃんは本当に良いリマスタリングしたなと思っていますよ。
というのはね、何を素材にリマスタリングしたんだろうと思ったんです。つまりマスター・テープ(※8)は残っていない筈なんですよ。


●そうですね。40年という長い年月からマルチ・テープどころか、2chマスターすら残っている可能性は低いですからね。


◎森:この頃はひょっとすると、アナログで録っている可能性(※9)があるんです。それで僕が言わんとしていることは、これって田中信一の音なんですよ!凄くきれいな音がしている。
で、あの人のミックスした音を今風のリマスタリングにしたら、多分highが上がってあまり良くない音になっていたと思うんです。ちょっと音を潰して音圧を稼ごうとかしてね。それが一切感じなくてね、本当にびっくりしましたよ。
こんなにオリジナルのエンジニアが、誰って分かるリマスタリングは珍しいなと思って(笑)。


●おっしゃる通りです。佐藤さんの巧みなリマスタリング技術によって、巨匠の田中信一さんがミックスした、ライダーズの名作サウンドが蘇ったことに、多くのファンは感激していると思います。
今回は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。




【森達彦氏プロフィール】
長崎県出身のシンセサイザー・プログラマー、エンジニア、サウンド・プロデューサー。
1978年にレオミュージック入社。入社後にシンセサイザーのプログラミングを習得する。
1984年ムーンライダーズと共同出資で、プログラマーのマネージメントを業種としたhammer(ハンマー)を設立。
1987年には社名をHAMに変更するが、1991年に自身が立ち上げたインディペンデント・レーベルをHammer labelとしてその名を復活させている。
シンセサイザー・プログラミングの仕事の傍ら、プライベート・スタジオで後に渋谷系と呼ばれるクルーエル・レコードやエスカレーター・レコードのエンジニアリングをサポートし、現在は郷里の長崎に戻り音楽制作を継続している。 
プロデューサーとして手掛けた近年のアルバムは、サイケデリック・ギター・ロックバンドshinowaの『Flowerdelic』(2018年 / 弊サイト・レビュー記事)がある。


【注釈】
※1:PPG Wave~独Palm Products GmbH社製デジタル・シンセ / 製造時期:2.2>1982~84年、2.3>1984~87年。専用サンプリングマシンWAVETERMは2.3から接続可能だった。

※2:Linn Drum~米Linn Electronics社製ドラムマシン。製造時期:1982年~85年

※3:シモンズ~英SIMMONS社製シンセ・ドラム。六角形パッドが特徴だった。

※4:E-MU Emulator~米E-mu systems社製サンプリング・キーボード。Ⅰが1881年、Ⅱが1984年にリリースされ、散開前の後期YMOやDepeche Modeなどが多用した。

※5:TR-808~ローランド社製ドラムマシン。説明不要の名器。

※6:MC-4~ローランド社製シーケンサーで正式名はMC-4 MicroComposer。80年代に普及したシーケンサー。

※7:Prophet-5~米Sequential Circuits社製ポリフォニック・アナログシンセサイザー。Rev.1(1978年)からRev.3(1984)までリリースされ、欧米や日本を中心にプロミュージシャンの間でベストセラーとなった。

※8:マスター・テープ~今回のリマスタリングのマスター音源は、2004年の『アマチュア・アカデミー 20周年記念盤』と同じ、フジパシフィックミュージックに保管されていた、U-MATICテープをマスター・テープとして使用している。

※9:アナログ録音~『アマチュア・アカデミー』のレコーディング時は、3M社のデジタル・マルチトラック・レコーダーを使用していた。
つまりデジタル・レコーディングだった。

(※8, 9情報提供:平澤直孝氏)




(11月某日通話アプリにて / 企画・編集・設問作成・テキスト:ウチタカヒデ




2024年11月20日水曜日

広瀬愛菜:『21』


 若き女性シンガーの広瀬愛菜が、4年振りとなる待望のセカンドアルバム『21』(なりすレコード/SUNDAY GIRLS/NRSD-30142)を11月27日にリリースする。
 前作でファーストアルバムの『17』(NRSD-3092)が各所で賞賛されたことで、彼女とプロデューサーである関美彦に多大なプレッシャーがあったと思うが、それを軽々とクリアした完成度に筆者も敬服している。

 先ずは広瀬のプロフィールに触れるが、彼女は山梨県出身で3歳から歌を始め、2012年に山梨県と東京近郊を中心に活動するアイドルグループPeach sugar snowのメンバーとしてデビューした。2016年に同グループ卒業後、新たに3776(みななろ)に参加し、静岡県富士宮市のアイドルグループに参加し山梨担当として2018年3月まで活動していた。同年6月にミニアルバム『午後の時間割』でソロデビューし、現在までに1枚のフルアルバム、2枚のCDシングル、7インチ・シングルを1枚リリースしている。 
 『午後の時間割』からプロデューサーとして関わっているのが、鬼才シンガーソングライターの関美彦で、これまで弊サイトで紹介したシンガーソングライター青野りえのファーストやセカンドアルバムなどを手掛けていて高い評価を得ていた。
 

 本作『21』には関の他、彼が所属するROSE RECORDS主宰で、サニーデイ・サービスのリーダーの曽我部恵一、インスタントシトロンの結成メンバーで、脱退後はプロデューサーとして活動する松尾宗能ら、拘り派のポップス職人達が楽曲提供しているのは注目に値する。またレコーディングには『17』から引き続き、”善福寺BAND”が参加し、ピアノの長谷泰宏(ユメトコスメ主宰)ギターの山之内俊夫ベースの伊賀航、そしてドラムの北山ゆう子という手練なミュージシャン達が参加して巧みな演奏を繰り広げ、ミックスとマスタリングも前作同様、佐藤清喜(マイクロスター)が手掛けており、隙のない音作りの人材が勢ぞろいしている。

広瀬愛菜『21』 トレーラー

 ここからは筆者による本作収録曲の解説と、プロデューサーの関がアルバム制作中にイメージ作りで聴いていた、プレイリストと同サブスクを掲載するので、聴きながら読んで欲しい。
 冒頭の「Motor Cycle Girl(Cowgirl Song)」は、松尾宗能のソングライティングで疾走感のある2ビートのカントリー・ロックでアレンジされており、作者の松尾はコーラスの他、ハーモニカ、YC-20コンボオルガンでレコーディングにも参加している。バッキングは伊賀と北山の鉄壁なリズム隊に、長谷のクールなホンキートンク・ピアノと山之内のチェット・アトキンス・スタイルのギター・フレーズなど巧みな演奏が、広瀬のナチュラルで存在感のある声質(独特な倍音成分がある)を引き立てており、早くも本作の完成度が伺える。
 続く「天国にいちばん近い島」は、原田知世の6thシングル(1984年10月)のカバーで、原田が主演した同名映画の主題歌だった。作詞:康珍化(かん ちんふぁ)、作曲:林哲司というヒットした前曲「愛情物語」(84年4月)からのコンビによるもので、アレンジは筒美京平作品を200曲以上手掛けた萩田光雄だった。ここでのカバーは関と長谷が共同アレンジしてオリジナルのミディアムテンポと雰囲気は踏襲しつつ、長谷がプレイするDX7や関がプログラミングしたデジタルシンセの響きが懐かしくも新しいサウンドで原曲が生まれ変わっている。広瀬のボーカルはこの様なライト・バラード系の曲でもしっかり耳に残り、音域的によく計算された佐藤のミックスは成功している。
 「Everlasting」は広瀬自身が作詞し、that's all folksことギタリスト兼ボーカルのリョウが作編曲を担当している。彼は”都市とカンタータ”という男女2人組グループでも活動しており、本曲でもリズムセクション以外のストリングスと木管のアレンジ、プログラミングを手掛け、非凡な才能を披露している。曲調的には70年初期のポップスがルーツだが、柔らかなフルートやオーボエが鳴っている空間に、山之内のやや歪んだエレキギター・ソロが響くコントラストは新鮮で、広瀬による歌詞と切ない歌声がこのサウンドに溶け込み感動してしまう。



 本作中異色なのは、4曲目の「LA BLUE feat.MCあんにゅ ルカタマ」だろう。文化学園大学卒のファッションデザイナー兼ラッパーというMCあんにゅが作詞し、関とあんにゅが作曲したこの曲は、善福寺BANDのファンキーな演奏をバックに3名の女性がラップし合うという構成で、広瀬にとってはかなり新境地だ。レーベルメイトでシンガーソングライターのルカタマ(アイドルグループ”めろん畑a go go”出身)が、2023年7月に発表した「Lowlife( feat. MCあんにゅ)」で先にコラボしたことで、本曲に雪崩れ込んだと想像できるが、こういう異種ジャンル・コラボは今後のインディーズ界にとって、すそ野を広げるという意味で重要だと思う。肝心の演奏面では、伊賀の唸りまくるスラップベースや北山のフィルを多用したドラミング、後半突然現れる山之内によるインタープレイのギターソロでフェードアウトしていく。恐らくこのままセッションは続いて、スティーリー・ダンの『The Royal Scam』(1976年)セッションの様に長尺からベストテイク・パートをミックスしたのではないだろうか。関が演奏するCasiotone MT-65のフレーズ(Miles Davisの「Milestones」に通じる)も中毒性が高く、筆者が嘗て愛聴していたThe Brand New Heaviesの『Heavy Rhyme Experience  Vol.1』(1992年)で繰り広げられた、ヒップホップ・ビートと生のジャズファンクの融合を彷彿とさせて、本作中で最強無敵の曲かも知れない。
 善福寺BANDの長谷は男女ユニット”ユメトコスメ”を主宰していて、ソングライターとしても優れているが、本作には2曲を提供している。「女神と21番街のドレスアップ」はその一曲で、渋谷系を通過したトム・ベル(Thom Bell)などフィラデルフィア・ソウル・サウンドソフトロック・ファンにもアピールするだろう。生っぽいヴィブラフォンは長谷によるプログラミングで良いアクセントになっており、ニューヨークをモチーフとした架空の街でのストーリーを持つ歌詞を演出し、少し背伸びした世界観に広瀬の歌唱も溌溂としている。
 広瀬が作詞し関が作編曲した「new age」は、生演奏とプログラミングが融合されたクールなシティポップで、音数は少ない音像だが、マルチ・ショートディレイをかましたシンセパッドや無骨に連打されるキックなど関の打ち込みの拘りが感じられる。広瀬が自らの心情を吐露したような歌詞は言葉選びやその響きもサウンドによく溶け込んでいる。


 本作後半の「さよなら青春」は、広瀬のサークルバンド仲間である亀田奎佑のソングライティングで、広瀬は作詞を手伝っており、アレンジとオリジナルのバックトラックは亀田によって製作されていた。関の仕切りで善福寺BANDによってヘッドリアレンジされレコーディングされたと思われる。マイナー調のエイトビート・ポップスで、タイトルから想像できる通り、懐かしいメロディが印象に残る。
 長谷が提供したもう一曲の「女王陛下かく語りき」は、ボサノヴァのリズムで演奏され、ウィンドチャイムなど金物パーカッションは長谷がプログラミングしている。このタイプの曲では伊賀と北山によるリズム隊のダイナミックなプレイが肝であり、非常に素晴らしい。歌詞の世界観はアニメーションのテーマ曲のようで長谷の趣味が色濃く出ており、広瀬の若く瑞々しい声質にもよく合っていると思う。
 再び広瀬の作詞に関の作編曲のコンビによる「Let Us Go」は、本作中最もR&Bナンバーとして完成度が高く、善福寺BANDの長谷、山之内、伊賀、北山の掛け値なしの名演が聴ける。ストリングス・シンセのプログラミングとKORGのアナログ・ポリシンセは関がプレイしていて、広瀬のファルセット気味な歌声と共に、アーバンな歌詞の世界観を演出している。筆者的にはStephen Duffy & Sandiiの「Something Special」(1986年)など80年代中後期のUKソウル・サウンドに通じていて非常に好みなので、この曲と「LA BLUE」をカップリングした7インチ(12インチでも可)・シングルでのリリースを強く希望する。

 
サマービート/広瀬愛菜

 ラストの「サマービート」は前出の説明通り、サニーデイの曽我部恵一が提供し、善福寺BANDがヘッドアレンジしたキャッチーなロックンロール・ナンバーで、曽我部作品としては「夢見るようなくちびるに」(1999年)に通じる名曲だ。先行配信シングルとして10月1日にリリースされていて、サマービートと連呼するサビのリフレインするパートがこの曲の肝であり非常に耳に残る。本作中で最も広瀬のシャウトする声を聴ける。関はサビのコーラスとホーン・セクションのプログラミング、長谷はオルガンとDX7をプレイしてる。

 最後に本作の総評として多岐に渡るカラーを持つ収録曲の充実度と、数多のセッションで名演を残しているプレイヤーが揃った善福寺BANDの演奏、確かな耳を持つ佐藤のミックスとマスタリング、それをまとめ上げた関のプロデュース力によって、広瀬の最高傑作として仕上がっている。
 筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。


広瀬愛菜『21』関美彦プレイリスト サブスク 


◎プロデューサー・関美彦
レコーディングの際に実際メンバーのみなさんに聴いて頂いた曲、また僕が思い描いたイメージの曲たちをあげさせて頂きます。

■Hot Dog / Led Zeppelin(『In Through The Out Door』/ 1979年)
◎松尾さんの「Motor Cycle Girl」をレコーディングする際みんなに聴いてもらった。
 めっちゃ盛り上がった。ゆう子さんはジョン・ボーナム好きだし!

■The Theme From Route 66 / Nelson Riddle
(『Route 66 And Other T.V. Themes』/ 1962年)
◎また松尾さんの曲。長谷さんにピアノのニュアンスの説明の際、こんな洒脱な感じと聴いてもらった。

■Don't Look back In Anger / Oasis 
 (『(What's The Story) Morning Glory?』 / 1995年)
◎That'sさんにつくってもらったEVER LASTING。
 最初はロジャー・ニコルス的なMORかと思ったがエレキが入ったらオアシスじゃないかと。その場でThat'sさんに伝えたら、「そう感じてくれたらうれしい」と言われた。

■Waterfalls / TLC(『Crazy Sexy Cool』/ 1995年)
■Mt.layerd / DMBQ(『Jinni』/ 2000年)
◎ラップ曲をつくるにあたっての漠然としたイメージはTLC。
 ドラムとエレキが入ったらDMBQみたいになった!

■Odara / Nara Leão and Caetano
 (『Os meus amigos são um barato』/ 1978年)
◎長谷さんから自作曲レコーディングの際に聴かせて頂いた曲。
 なるほどおしゃれだなあ。

■Super Shy / New Jeans(『Get Up』/ 2023年)
■Perfect Night / Le SSERAFIM(『Perfect Night』/ 2023年)
◎レコーディングに入るまえに愛菜さんに聴いたらK-POPが好きだとの事。
 僕の曲はこんなイメージがあった。曲つくりのディテールも。

■Heat Wave / The Jam(『Setting Sons』/ 1979年)
■Let's Go / The Cars(『Candy-O』/ 1979年)
◎サマービート。曽我部くんから曲を頂いたとき聴いたイメージはモータウン! 
 リハの際みんなでいろんなヒートウェイブ聴いた。
 ミックスはカーズのようにコンパクトなロックをと、佐藤さんに話した。

Surfer Girl / The Beach Boys(『Surfer Girl』/ 1963年)
 ◎レコーディングがすべて終わり、残ったメンバーでPVを見た。
  ただため息だった。
 


(テキスト:ウチタカヒデ