2026年11月1日日曜日

登録番号1081112(後編)

 



後編を書き上げようとしていた10月28日、Florida州のWalt Disney Worldが出演者の変更を発表した。テーマパークEPCOTで毎年秋に開かれる食とワインの祭典では、連日コンサートが組まれる。11月11日と12日には「The Beach Boys featuring Stamos」が出るはずだったが、その出演が「John Stamos and the California Sound」に替わるという。報道によれば、Mikeの体調が理由だ。California Soundは、Mike抜きのThe Beach Boysの演奏陣ではないかとも報じられたが、顔ぶれはStamosの側からもバンドの側からも明らかにされていない。一方、11月13日のVirginia州Bristolの公演は、The Beach Boysの名のまま予定に残っている。Mikeが立てない舞台に、その名は掲げられなかった。名乗る許諾が、Mikeという一人に結びついた契約だからだろう。名前は誰のものか?前編で投げかけた問いは、いまも目の前で動いている。

前編は、三つの作品群が一つの扉の前に集まったところで筆を置いた。1969年に父Murryが売り払った歌、2020年にバンドの会社が手放した歌、そしていとこを訴えた男の歌。行き着く先は、Santa Monica、Colorado Avenue 2105番地である。扉を開けてみよう。そこにいたのは、拍子抜けするほど大きな主だった。

Universal Music Publishing Group。

世界有数の音楽出版社、Universalの出版部門の事務所である。通りを挟んだ2220番地には、親会社Universal Music Groupの本社が建つ。しかもこの主は、物語の最初から舞台にいたではないか。1969年にMurryから歌を買ったIrvingも、1993年にMikeが歌を譲る書類を交わしたRondorも、グループ会社であり、結局2000年に丸ごとUniversalが買収した。父に売られた歌も、バンドの会社が売った歌も、いとこを訴えた男の歌も、半世紀を経て同じ窓口に集まっていたのである。もっとも、種を明かせば驚くには当たらない。持ち主が誰であれ、世界中から印税を集める実務を大手に任せるのが主流となっているからだ。Iconicの名を冠した出版社の連絡先までこの番地なのは、そのためだ。ちなみに、配信の複製の許可も2021年からThe MLCという団体の一括の許可にまとめられている、本稿では同社の資料を楽曲の権利の配分で参考にしている。
本当の謎は、もう一つの扉の先にいる。前編の最後に予告したこれから登場する、見慣れない会社は、誰が、何のために作ったのか?


ここから先は、いわば答え合わせだ。その前に、道具をそろえておこう。一曲の歌には、少なくとも五つの権利とお金の流れがからんでいる。

一つ目は商標。The Beach Boysという名前やアルバムの題名を、看板として使う権利だ。前編で追った登録番号1081112がこれにあたる。
二つ目は著作権。本稿では、歌そのもの、つまり曲と詞の権利を指す。持ち主は出版社と呼ばれ、レコードにも映画にもCMにも「この曲を使ってよい」と許可を出す。
三つ目は原盤。録音そのものの権利である。同じ歌でも、どの演奏をいつ誰が録ったかで、持ち主が変わる。レコードが売れると、原盤からは歌い演奏した側にもお金が払われる。日本で歌唱印税と呼ばれるものだが、名前に印税とついていても、歌の著作権ではなく原盤から出るお金である。本稿では紛れないように、これを演奏者の取り分と呼ぶ。
四つ目は印税。歌が流れたり売れたりするたびに支払われるお金で、本稿では著作権から生まれる分をこう呼ぶ。印税は、大まかに言って二つに割れる。一つは、著作権の持ち主である出版社に入る出版社の取り分。
もう一つが五つ目の、作家の取り分である。前編で作家印税と呼んだものだ。歌を作った本人に届く分で、著作権を出版社に譲っても、作家自身が売らないかぎり残る。この五つは、それぞれ別の相手の手に渡りうる。ここから先は、手がかりが出てくるたびに、それが五つの箱のどれに入るのかを確かめながら進もう。

もう一つの扉にたどり着くには、まず一つの仕組みを知っておきたい。米国の著作権法では、作家は若いころに手放した著作権を、長い年月の後に取り戻せる。無名のうちに結んだ不利な契約に、一生縛られないための制度だ。本稿では「権利回復」と呼ぶ。この権利は、前もって手放すと約束しても無効とされる。一曲の著作権を一つの部屋にたとえよう。昔手放した部屋も、「何年何月何日に返してください」と通知すれば、その日に返ってくる。ただし、返るのは持ち主の座だけで、印税の大半は戻らない。明け渡す前の約束、たとえば昔のレコードに曲を使わせた約束は生き続け、そのレコードから上がる出版社の取り分は、元の出版社が受け取り続けるからだ。ただし、米国の配信の分は、2024年から扱いが変わった。この点は、のちほど詳しく見る。作家の取り分は、譲った後も作家に払われ続けているので、取り戻すまでもない。この仕組みには、1978年という壁がある。米国の著作権法は、その年の1月1日に生まれ変わった。壁の手前、1977年までの譲渡は、著作権が生まれてから56年で取り戻せる。壁の向こう、1978年以降の譲渡は、譲ってから35年で取り戻せる。同じ作家の歌でも、どちら側にあるかで時計が違うのだ。細かな決まりもいくつかある。共作なら、戻るのは自分の持分だけだ。戻るのは米国内の権利に限られる、と長く考えられてきたが、今年1月、連邦の控訴裁判所は海外の権利にも及ぶと判断した。出版社側は最高裁に上告したが、10月、判事の多くが審理に加わらず、控訴審の判断がそのまま残った。最高裁の判例にはならないものの、出版社にとっては重い結果である。通知を送れば、戻る日を待たずに権利を売ることもできるが、その日より前に買えるのは、部屋のいまの住人だけだ。取り戻した後の管理は人に任せてもよく、元の相手と契約を結び直してもよい(注1)。

1969年に売られた部屋を最初に取り戻そうとしたのは、Brianだった。2008年12月、Brianは出版社Irving Musicに宛てて「409」など1962年の曲の通知を送る。2012年には『Pet Sounds』の曲と「Good Vibrations」、2014年には『Friends』期の曲。裁判では取り戻せなかった著作権を、法の手順で一曲ずつ呼び戻しにかかったのである。そして2021年12月、報道によればBrianは、作家の取り分と、権利回復で戻ってくるはずの著作権を、いまの住人であるUniversalに譲った。総額は5,000万ドルを超え、うち1,920万ドルが後者の対価だったという。相手がUniversalだったのは、先に見た仕組みに沿っている。

ここまでは、報道を追えば分かる話だ。だが、著作権局に残る譲渡の書類を開くと、譲り受け手の欄には、Universalのほかになんと二つの名前がある。投資ファンドのPrimary Wave。
そして、BW Publishing。
冒頭で触れた、あの見慣れない会社が、ここで初めて書類の上に姿を現す。しかも当事者の欄には、その名に続いて「Other Iconic Artists Group」という一行が添えられている。Iconic Artists Groupは、前年にBrother時代の作品群を手に入れたIrving Azoffの会社だ。ややこしいが、この人物と、1969年に歌を買った出版社Irving Musicとは、名前が同じだけで何の関係もない。この一行が見かけどおりなら、AzoffはUniversalと並んで、1960年代のBrianの歌の著作権にも手を伸ばしていたことになる。その意味を説明した報道を、筆者はまだ見つけていない。
だが、手がかりはもう一つある。BW Publishingが生まれたのは2021年12月17日、Brianが譲渡の書類に署名したのと同じ日だ。設立されたのはDelaware州。Brianが暮らしたのはCalifornia州だが、取引の器にはこの州の会社がよく使われる。持ち主の名を届け出なくてよいからだ。記録が肝心なところで口をつぐむのは、そのせいでもある。2週間後、会社はCalifornia州にも届け出た。
住所はWestwoodの1100 Glendon Avenue、Suite 2000。
Iconic Artists GroupやIconic Brothersの会社、Azoffの管理会社が同じく届け出ている一室である。偶然と呼ぶには、部屋番号まで揃いすぎている。社名に「Publishing」とあるが、出版社として曲を管理している形跡はない。著作権団体のデータベースで「God Only Knows」を開いても、出版社の欄にその名はない。著作権を管理するためではなく、著作権の持分を持つための器とみるのが自然だろう。では、誰の器か?署名と同じ日の誕生、書類に添えられた「Other Iconic Artists Group」の文字、そしてIconicの関連会社と同じ住所。三つの手がかりは、一つの答えを指している。あとは裏を取るだけだ。





筆者は、California州に出された届出書を取り寄せた。といっても、州のサイトで無料のPDFを開くだけである。2024年と2025年の届出書。管理者の欄に、その名はあった。

Iconic Issuer LLC。

またしても住所は同じSuite 2000。事業の種類は「音楽出版」。BW Publishingは、やはりIconicの側の器だったのだ。社名のBWは、Brian Wilsonの頭文字と読むのが自然だろう。だが、謎が一つ解けると、次の謎が顔を出す。Issuer。債券などを発行する主体を指す言葉である。歌の稼ぐ力を裏づけにお金を集める仕組みと、どこかでつながっているのかもしれない。その糸は、のちほど担保の話でもう一度たぐることになる。
では、何のための器か?振り返れば、2020年にIconicが手にしたのは、商標の持分の過半と、1968年以降の歌の著作権の多く、そして『Smiley Smile』と1970年以降の原盤、Smileのセッションの原盤だった。BRIを押さえても、Brianの黄金期の歌の著作権とその原盤、つまりThe Beach Boysの根幹は、Universalの側に残っていたのである。前編で見たとおり、2021年春、IconicはBRIとともに、「PET SOUNDS」をはじめ、「Good Vibrations」「Wouldn't It Be Nice」「I Get Around」といった1960年代の歌の題名を、次々と商標に出願している。歌の著作権はUniversalにあるのに、題名を商標として押さえたのだ。中身に手が届かないなら、まず看板から、というわけだ。だが、黄金期の歌の著作権を正面から買うのは難しい。持ち主のUniversalには手放す理由がなく、2000年にIrvingを含む出版グループを買ったときの値は、約4億ドルにのぼった。その著作権が半世紀ぶりに動く瞬間が、Brianの通知だった。戻る権利をめぐって取引の席が設けられたその時こそ、外の者が持分という形で輪に加われる、ほとんど唯一の機会だったのかもしれない。そしてその年の暮れ、Brianが『Pet Sounds』の歌を譲った、あの書類に、BW Publishingの名が現れる。商標で題名を押さえ、著作権にも足場を築く。名前も地味で、印税の欄にも顔を出さない会社だが、黄金期の歌から上がるお金の一部を、Iconicの側へ手繰り寄せる管になっている。


持分が大きければ、使い道を決める場面でキャスティングボートを握ることもありうるが、その重みは記録には出てこない。しかも、この管から上がるお金は、Brianにも、バンドの会社BRIにも戻らないとみられる。作者Brianは2021年に著作権を譲渡した代償金を受け取って退き、黄金期の歌は、そもそもBRIが一度も持ったことのない歌だからだ。バンドの会社を実質支配するIconicは、その会社が一度も手にしたことのない歌にまで、手を届かせたことになる。したたか、と言うほかない。
黄金期の歌に足場ができたことで、1969年に引き裂かれた二つの作品群は、半世紀を経て、同じ輪の中に戻りつつあるのかもしれない。商標と著作権と原盤がそろえば、バンドの歴史を丸ごと使う企画も組める。Primary Waveは2020年、The Four Seasonsと10年の提携を結び、名前と肖像の売り出しや映画、テレビの制作まで手がけている。The Four Seasonsといえば、その半生が舞台『Jersey Boys』になったバンドだ。The Beach Boysの物語が舞台やスクリーンにかかる日も、いつか来るのだろうか?

戻ってくるはずの著作権を、戻る日より前に元の相手に譲るのも、法が認めた選択肢の一つである。Brianがなぜその道を選んだのかを、記録は語らない。『Pet Sounds』の曲が戻るはずだった日の、半年あまり前のことだった。Brianは2025年6月に世を去った(注2)。
それにしても、取り戻そうと通知を送りながら、なぜ譲ったのか?筆者も最初は首をひねった。だが、取り戻したら何が手に入るのかを確かめると、筋が通る。著作権の持ち主である出版社は、1960年代から、Capitolのレコードにも、ほかの歌手のカバーにも、映画やCMにも、「この曲を使ってよい」という許可を出してきた。著作権が作家に戻っても、それまでに出した許可は取り消されない。昔の許可で作られたオリジナルの原盤は、これからも聴かれ続け、その印税のうち出版社の取り分は、許可を出した元の出版社が受け取り続ける。作家Brianには、昔の約束どおり作家の取り分が払われる。これは取り戻す前と変わらない。1985年の米連邦最高裁判決が認めた扱いである。少なくとも、Brianが譲った2021年の暮れには、そう考えられていた。Brianhが新たに得る権利は、戻った日より後に新しく出す許可、つまり新しい映画やCM、新しいカバーの分の取り分(従前なら出版社分だった)にすぎない。しかも、これまでの通説では米国内に限られていた。往年の名曲の稼ぎの大半は、20世紀に出された許可から生まれている。いま世界で聴かれている「God Only Knows」は、1966年に録られた原盤なのだ。取り戻しても、思うほどは戻らないのである。
ところが2024年、米国著作権局は、The MLCの一括の許可で払われる使用料には、この扱いは及ばないと決めた。取り戻した日の後に米国で配信された分の複製の使用料は、昔の録音であっても、取り戻した作家の側に入る。聴き放題が主流のいま、その重みは小さくないだろう。Brianが手放したのは、まだ当時行方の決まっていない権利だったことになる。
報道された金額も、この比率をなぞっている。総額5,000万ドルを超える取引のうち、戻る著作権の対価は1,920万ドル。残りは、Brianの作家の取り分、つまり旧作から入り続ける流れの対価だった。それでもUniversalが戻る著作権に大金を払ったのは、持ち主の座をBrianと分け合いたくなかったからだろう。
戻ってしまえば、新しく曲を使わせるたびにBrianの側と交渉しなければならない。何十年も先まで一社で名曲を扱えるなら、惜しくない額だったはずだ。Brianの側から見れば、通知は取り戻すためだけのものではなかった。通知を送る前の手元にあったのは作家の取り分だけだが、通知によって「何年後かに米国の著作権が戻る」という新しい財産が生まれ、それに1,920万ドルの値がついたのである。2021年12月の時点で戻っていたのは1965年ごろまでの曲で、『Pet Sounds』以降はまだ戻る前だった。加えて2021年は、低金利を背景に音楽カタログの値が高騰した年だった。公表された取引だけで50億ドルを超えるお金が歌の権利の買い付けに動き、その額は前年の3倍近くに膨らんだ。前年の夏に署名され、この年の2月に公表されたThe Beach Boysの取引も、その一つに数えられている。バンドの会社も、Brianも、相場のいい流れに乗って売ったとも言える。Brianは79歳だった、のちに開始となったが後見の話もちらほらでていたであろう、契約が急がれたのだ。先の長い印税より、いま確かな額を受け取る判断は、この年齢の作家には珍しくない。米国では2006年から、作家が自作曲を売った代金に、税の上で有利な扱いを選べるようにもなっている(注1)。



では、譲ったらそれきりなのか?契約の本文は公開されていないので、推理を並べるほかない。
一つ目は、先の分をまとめて受け取ったという読み。カタログの譲渡とは、何十年も先まで続く印税に値をつけ、いま一度に受け取る取引である。
二つ目は、権利の一部を手元に残したという読み。売り手が一定の割合や特定の収入を残す例もある。
三つ目は読みというより事実で、演奏者の取り分、1968年以降の曲、ソロ作品、名前と肖像は、もともとこの取引の外にある。ここまでは、Brianの手に何が残ったかの話だ。
四つ目は、買った側の動きから浮かぶ読みである。譲渡の2か月後、著作権はUniversalからPrimary WaveとBW Publishingにも移されたが、いまも「God Only Knows」の印税を集めるのはUniversal系のIrvingだ。商標と同じ形かもしれない。商標はIconicが51%、BRIが49%を分け合い、舵はIconicが握る。著作権も、窓口はUniversalのまま持分を分け合い、使い道を仕掛けるのはBW Publishingの側、という形だ。戻る前の権利を買えるのはUniversalだけだから、まずUniversalが買い、後から持分を渡す。BW PublishingがBrianの譲渡の署名と同じ日に生まれていたのは、その段取りのためかもしれない。分配データには、Iconicの出版社の窓口として、Universalの出版会社Songs of Universalの名が記された歌もある。かつてBrotherの出版社の管理を担った独立系のWixenにいま残るのは、AlとCarlの側の会社の歌だけである。窓口が同じだからといって、持ち主同士が手を結んでいるとは限らない。お金の流れで言えば、無数の会社が別々に集金しているというより、大手の出版社の帳簿の中で、持ち主ごとの口座に振り分けているのが実態に近いのだろう。持ち主のつながりを示すのは、住所のほうだ。使い道の舵が集まるのはWestwoodのSuite 2000。名義人BRIも、Iconicの会社も、BW Publishingも、住所はこの一室である。どの読みが当たっているのか、いくつかが重なっているのか、記録からは決められないが(注2)。

もう一人の足取りも追ってみよう。Mikeもまた、同じ道を歩んでいた。Brianの最初の通知から、わずか4か月後の2009年4月。Mikeは「The Shift」「409」など、Brianと同じ1962年の曲についてUniversalに通知を送る。MikeがBrianの動きを知って急いだと考えるのは、うがちすぎだろうか。同じ日にもう一通、Hite Morganが営んだGuild Musicに宛てて、バンドが最初に世に出した「Surfin'」と「Surfin' Safari」の通知も送った。2015年には、著作権を継いだBMGに宛てて同じ通知を出し直す念の入れようだ。その後も通知は続く。1967年の「Here Comes the Night」、1985年の「Getcha Back」、そしてTerry Melcherらとの共作である1988年の「Kokomo」。映画のために書かれたこの曲では、Disney系の出版社にまで宛先が及ぶ。通知に書かれた効力の日が、前編の冒頭の2026年7月29日である。ただし、映画のために頼まれて書いた曲は、契約しだいで「職務著作(work made for hire)」とされ、権利回復の対象から外れる。印税の集め先の表示も、その日を過ぎていまだ変わっていない。2025年に戻る日を迎え、Mikeの会社の名が出た「Getcha Back」とは対照的だ。同じ制度を使いながら、Brianは取り戻す権利を売る道へ、Mikeは取り戻した持分を手元に集める道へ進んだことになる(注3)。
では、取り戻した後のMikeはどうしたのか?答えは、印税の分配を担う団体のデータにある。1961年の「Surfin'」を開くと、出版社の欄が二つに割れている。半分のBrianは、Hite MorganのGuild Musicを継いだBMGのまま。
半分
のMikeには、Mikeの会社Clairaudient Musicの名がある。権利回復で取り戻した持分を、Mikeは自分の会社に入れたのだ。印税を集める実務は、Universal系のAlmoが担っている。


せっかくなので、このデビュー曲の箱を、残りも開けておこう。原盤。Hite Morganのもとで録ったデビュー当時の録音は、前編で見た、2020年にBRIがIconicへ売り渡した歌と録音の一覧の中にある。「H. Morgan Sessions」として、63件。たった一曲のデビュー曲に、持ち主が三者並ぶのだ。

お金の流れも、もとは以下の箱どおりに分かれていた。研究家James Murphyの2015年の本は、1961年の「Surfin'」のシングル1枚の行方を図にしている。
店が仕入れる値段を100%とすると、卸売業者に16.7%、レーベルのCandixの手元に73.3%。残る1割のうち、演奏したThe Beach Boysに演奏者の取り分、つまり歌唱印税が6.7%。歌の側には印税が3.3%。その内訳は、出版社のGuild Musicの取り分が1.7%、作家の取り分としてBrianとMikeに渡るのが1.7%と、半分ずつである。ラジオで流れた分の印税は、BMIを通じて別に支払われる。著作権、原盤、印税、作家の取り分。四つの箱は、60年以上前の1枚のシングルに、すでにそろっていたのである。名前の箱だけは、まだ誰も書類にしていなかった。


箱は、ここから別々の道をたどる。Morgan家の歌の著作権はBug Musicを経て、2011年にBMGへ移った。原盤は長くMorgan家が貸し出してきたが、2000年、BRIはその録音を使った2枚組『First Wave』の差し止めを求め、商標と原盤に肖像の権利まで掲げて3億4,000万ドルの訴えを起こす。8年余りの裁判では、1962年3月の合意はMorgan家に何の権利も渡していない、とされた。ただ、すでに世に出ていた録音については、40年近い沈黙を理由にBRIの請求は退けられ、まだ世に出ていなかったテイクやスタジオでの会話だけが、BRIの勝ちとされた。2009年3月、控訴裁判所は「この事件は終わった」と幕を引く。24日後、Bruce MorganがBug Musicに売ったのは、歌の著作権だった。原盤の権利はバンドの側に、歌はBMGへ。それでもMurphyは、テープの現物はいまもMorgan家にあると書いている。五つの箱の外に、もう一人の持ち主がいるのだ。
自分の会社を持ちながら、Mikeはなぜ、かつて争った相手の系列に管理を任せるのか。前編で見たとおり、作者の座を求めた裁判で、Mikeは1993年、判決を待たずに出版社と折り合い、受け取るお金を担保に差し出した。勝ち取った35曲の持分はいまもUniversalの側にあり、1985年の「Getcha Back」の窓口もUniversalの系列だ。同じ窓口に預ければ手間がない。争った相手は、いつしか取引の相手になっていた。取り戻して増えるのは、これから先の使い道と、米国の配信の分の、出版社の取り分である。ところが「409」では、Mikeの持分であるはずの25%はいまもAlmoが持つ形で、表札は掛け替わっていない。思い出されるのは、1993年にMikeが同じ曲をRondorに譲った、あの「1969年8月20日現在」の書類だ。日付は1969年にさかのぼらせても、譲渡そのものは1993年に結び直されている。ならば譲渡は1978年の壁の向こう側に移り、1993年を起点とした35年の時計で動く。権利回復は早くても2028年である。Mikeは2014年8月と11月の二度、「I Get Around」「Good Vibrations」など1960年代の35曲の通知を送った。戻る日は2019年から2023年とされたが、その日を過ぎたいまも、出版社の欄はAlmoのままだ。一方、1993年の一覧にない「Surfin'」と「Surfin' Safari」には、Mikeの会社の名が出る。境目に立つのは、やはり1993年の書類だろう。もっとも、こうした結び直しをめぐる裁判所の判断は分かれ、通知は期限を逃せば二度と使えない。Mikeが通知を送り続けたのもうなずける(注4)。
少し込み入ってきたので、整理しておこう。権利回復で取り戻した後もUniversalの名が残る理由は三つある。レコードなど昔の許可の分は、米国の配信を除いて、法の決まりで元の出版社が保持しつ続け、外からは見えない。「Surfin'」のように、表札はMikeでも管理人がUniversalという歌があるのもそのためだ。そして一方「409」のように、1993年の書類で期間経過が56年のはずだったが、実際は35年となった結果、表札そのものがいまだに掛け替わらない歌がある。
皮肉なことに、Brianを相手取った裁判で作者の座を勝ち取るために、判決を待たずに出版社と結んだ1993年のMikeの書類が、勝ち取った35曲の権利回復起算時を1978年の壁の向こう側へ押しやってしまったのだ。Brianに向けて仕掛けた一手が、16年後、取り戻しの通知を送ったMike自身に思わぬ障壁となって跳ね返ってきたのである。周到と思われた法廷戦術がかえってMikeの足手纏いとなってしまった。少なくとも、表札の上ではそう見える。

2020年にBRIの役員としてIconicへの売却の書類に署名したMikeは、2024年1月、Iconicの関連会社も宛先に含む権利回復の通知を10通送っている。対象は「All This Is That」などBrother時代の34件。売ったのはBRIの役員として、取り戻すのは一人の作家として。会社が著作権を売っても、作家の取り戻す権利までは売れない。片方の手で渡し、もう片方の手で呼び戻す。交渉の席では強いカードだろう。戻る日は2026年2月の「Add Some Music to Your Day」を皮切りにすでに訪れ始めたが、表札はまだIconicの側の名のままだ。宛先は、Universal、BMG、Iconic、いとこDennisの遺族、盟友Terry Melcherの側の会社にまで及ぶ。会社に集めておけば、会社ごと引き継ぐことも売ることもできる。商標を使う許ししか持たないMikeにとって、著作権は自分のものにできる箱なのだ。もっとも、前編で触れた弁護士との約束は報酬をめぐる裁判に発展しており、筆者はその決着を確かめられなかった(注4)。

今年60周年の『Pet Sounds』の著作権は、1969年に売られた作品群にあり、Brianの通知と譲渡を経て、いまもUniversalのもとにある。原盤は別の話だ。60周年のモノラル盤には「1966年にCapitolから初出」とあり、配給はUniversalの一部門である。ところが同じ年のボックス『We Gotta Groove: The Brother Studio Years』には、Brother Records, Inc.とIconic Brothers Masters LLCの名が、Capitolへのライセンスとともに表示されている。境目は1967年だ。その年の2月、バンドは歌唱印税の未払いを求めてCapitolを訴え、7月の和解で、Brother RecordsはCapitolの配給で船出し、『Smiley Smile』がその名で出た。続く『Wild Honey』『Friends』『20/20』は、再びCapitolの名で出た。1969年4月、バンドはCapitolとの決別を宣言し、未払いの歌唱印税などを求めて200万ドルの訴えを起こす。いま『Smiley Smile』の原盤はIconicの側に、続く3枚はUniversalの側にある。どちらのレーベルで盤を出したかが、半世紀後の持ち主の境目を決めたのかもしれない。ボックスに刷られた「santa monica. california 90401」は、Brother Studiosの町。いまの窓口も同じ町にある。素敵じゃないか?(注5)。『SMiLE』は、記録の上で三つに裂かれている。1967年前後の歌の著作権はBrianが譲った一覧に、「Surf's Up」などはIconic側の担保の一覧に、『The Smile Sessions』の原盤はIconicに売り渡された一覧の中に。未完のアルバムは、権利の上でもまとまっていない。

ここで筆者は迷宮に入った。2020年にBRIがIconicへ売り渡した歌と録音の一覧は、題名にして924。1970年代の歌も、CBS時代の原盤も、Smileのセッションも収まっていて、これでIconicの持ち物は見通せたと思ったが、一曲ずつ開くと話が合わない。『Pacific Ocean Blue』の「River Song」の出版社はDennisとCarlの側の会社で、Brotherの名はない。「Good Timin'」は原盤こそ一覧にあるが、歌はBrianの一家の信託が営むNew Executive MusicとCarlの側のMurry Gage Musicのものだ。1986年、MikeはChallove Musicから1970年代後半の歌の持分を新会社Clairaudientに移した。署名者には、MikeのバンドCelebrationでサックスを吹いたジャズの名手と同じ名のCharles Lloydが並ぶ。Challoveとは、CharlesとLoveを合わせた名なのだろう。同じ一覧の「Kona Coast」は、1978年の登録ではBrotherの出版社とAlの名で、1981年の登録でAlとMikeの会社に書き換えられた。Brotherの名が消える瞬間を、記録にとどめているのである。さらに1978年、あの壁の年。3月にまとめて登録された『M.I.U.』のころの歌は、Brother、Brianの会社、のちにその持分がMikeの会社に収まるLoveSongsの三者のものだったが、のちの登録で一曲ずつ書き換えられていく。ところが、いまの分配データは登録とも食い違う。登録で残ったBrotherの名が「Pitter Patter」からは消え、登録で消えたはずの「Our Team」には戻っている。Brotherの名が載る歌では、Mikeの会社の取り分がちょうどその分だけ少ない。穿った見方をすれば、Mikeは持分の一部をBrotherの出版社に置いていたのかもしれない。だが書類は、そこで黙ってしまう。ともあれ、メンバーそれぞれに自分の出版社があり(図)、譲渡一覧に題名があることと、著作権の持分があることは、別の話だった。原盤でも、Dennisのソロ作はCaribouの録音としてSonyの側にあり、『Bambu』から『L.A.』に移された「Baby Blue」の原盤はIconicの側にあるとみられる。開くたびに、歌の持ち主の顔が増えていくのだ(注6)。

素人探偵の見取り図を描いておこう。
商標。名義人はBRIのまま、持分の過半と舵はIconicにある。Mikeが握るのは、その名でツアーをする名称の使用権である。
著作権。黄金期の歌はUniversalにあり、BW Publishingを通じてIconicも足場を持つ。1968年以降の歌は、1970年代前半を中心にIconicへ渡った。ただし、丸ごとではない。The MLCのデータで一曲ずつ開くと、Brotherの出版社の側にあった取り分は、調べたかぎりどの歌でも、商標とまったく同じ割合で二つに分かれている。過半を受け取るのはIconic自身の出版社、残りを受け取るのがLittle Brother Music Inc.という名義だ。この名義は州の登記にも、BMIやASCAPの記録にも見当たらない。BMIやASCAPでは代わりに、Brother時代の旧い出版社の名が、窓口をIconicにして、Iconicの名と対で並ぶ。こうした名前は、独立した持ち主というより、集金の途中に現れる名札とみたほうがよさそうだ。前編で「Feel Flows」に見たICONIC BROTHERS ANTHEMSも、その一つだ。法人の登録はなく、Mikeの通知も同じ名を、Iconicの会社の「関連会社、ライセンシー、または部門」と書く。では、Little Brotherという名札の先には、誰がいるのか。売り手が持分の一部を残し、管理は買い手の側にまとめるのは、カタログの売買ではよくある形だ。The MLCでこの名義を引くと、並ぶのはBrother時代の出版社の歌ばかりだ。顔ぶれからも名前からも、BRIの側に残った持分の受け皿と読むのが自然だろう。そうだとすれば、この取り分はBRIを通じて、その株主の側へ流れていることになる。作家の取り分には手を付けず、出版社の取り分の過半だけを押さえ、残りは売り手に持たせて、ともに稼ぐ形にする。商標と同じ形を、歌にも当てはめたのだ。もっとも、作家が取り戻す権利だけは、どんな契約でも封じられない。Mikeの通知が、その隙間を突いている。だが1970年代後半には、5人とも自分の持分をそれぞれの出版社に置くようになっていた。BRIの出版社に置けば株主全員で分け合うが、自分の会社に置けば自分の手に残る。ソロの道を歩き始めた時期と重なるのも、偶然ではないだろう。Brian自身の会社の歌は2012年にBMGと契約し、いまの連絡先は、晩年のマネージャーで後見人の一人、信託の受託者でもあったLeeAnn HardのH2 Managementである。
原盤。Capitolの名で出た録音はUniversalに、『Smiley Smile』と1970年以降、CBS時代、Morganのもとでの録音、Smileのセッションは、Iconicに。DennisとCarlのソロ作はSonyにあるとみられる。


印税。窓口の多くはUniversalに集まる。Bruce Johnstonが一人で書いた歌は別の道を歩き、1970年のシングルではBrotherの側のWilojarstonの名だった「Tears in the Morning」も、「Disney Girls (1957)」も、いまはIconicではなく、Terry Melcherの側の会社Artists Musicのもとにある。窓口はやはりUniversalの系列で、録音はIconicの側だ。Brianとの共作「Deirdre」は、歌もIconicの側にある。ただし、Dennisの会社の連絡先は私書箱、CarlとAlの側はWixenを通す。作家の取り分だけは、作った本人と遺族に届き続ける。Brianはこれも譲ったと報じられた。

知財はいま、三つの手で動いている。企画と看板、つまり商標と1967年以降の原盤を受け持つIconic。黄金期の著作権と原盤、印税の窓口を受け持つUniversal。そして輪の外で自分の持分を集める、ただ一人の作者Mike。DennisとCarlの遺族も、自分たちの箱を持つ。一曲ごとに持ち主が違うモザイクを買い集めるのは現実的ではなく、2020年の書類が「独占的な管理の権利」をうたうのは、持つより動かすことに重きを置いた表れとも読める。Iconicの輪は閉じかけているが、最後の隙間に立つMikeは敵ではない。名前の持ち主を追った捜査の答えは、持ち主は一人ではなく、箱ごとに役割で分かれている、ということになる。
もっとも、契約の本文を見ないかぎり、これも深読みの域を出ない。
担保の糸もたどっておこう。ここでの担保は借金のかたではなく、歌が稼ぐ力を裏づけにした信用である。1993年にMikeが差し入れた担保は、2020年7月、Iconicとの取引の直前に満了が確かめられた。入れ替わるように、Iconicが買った著作権と原盤は買ったその日に銀行の担保に入り、2021年3月には別の銀行に借り換えられている。住宅ローンの借り換えと同じことだ。2024年、Iconicは10億ドルの融資枠を得て、Rod Stewartのカタログを手に入れた。BW Publishingの届出書にIconic Issuerの名が初めて現れるのも、同じ2024年の11月である。偶然かどうかは分からない。半世紀前のハーモニーが、次の歌を買う力を生んでいるのかもしれない。

さて、名探偵なら、ここで関係者を一室に集める場面だ。ファンの間では長く、この物語に英雄と悪漢の役が割り振られてきた。だが書類を並べてみると、配役はくるくる入れ替わる。息子の歌を売った父Murryは、そもそもBrianとともにSea of Tunesを作り、しっかり自らの歌を収める器を用意した英雄でもある。いとこを訴えたMikeは、法廷で作者と認められた勝者だ。歌を譲ったBrianも、取り戻す権利に値をつけさせた交渉の勝者とも読める。Brother時代を買い取ったAzoffは、その原盤を新しい音源にして私たちの手元に届けてくれている。商標をめぐって訴えられたAlは、もとはその枠組みに賛成票を投じた当人だった。どの人物も、ある角度からは英雄に、別の角度からは悪漢に見える。要するに、お互い様なのだ。そして、その全員の思惑が絡み合った末に、60年前の歌「Heroes and Villains」、英雄と悪漢が心に響く。そのサビでは、英雄と悪漢に向かって、よく見ろ!自分たちのしてきたことの行き着いた先がこのザマだ!と説く。60年分の書類を前に、関係者を一室に集めたいま聞き返すと、なかなかの皮肉である。誰が英雄で、誰が悪漢なのか?その答えは、それこそ神のみぞ知る。

迷宮入りの謎も書いておく。
BRIの株をいま誰がどれだけ持っているのか?
Mikeの商標の使用料は、2016年の時点ではBRIを通じて株主へ流れていたが、2020年以降はどうなのか?
そして最大の謎。Mikeが舞台を降りたとき、この名前を誰が背負うのか?
Alはこの10月、かつての仲間をこう語った。「彼は根っからのプロだ。舞台に立ちたいのに、降り方が分からない。ほかに何をすればいいか分からないから、抜け出せなくなっているのだと思う」。38の州が偽物の公演を禁じたいまも、商標の持ち主の許しを得た公演は例外となる。名前は、人を必要としないのだ。そのAlは、ブランドはずっと続いていくと語り、こう続けた。「Irvingのことだから、何か言うだろう。彼が買ったのは僕らのブランドだが、本当に買っているのは出版の権利だ」。Iconicを率いるIrving Azoffのことである。商標の箱より、著作権の箱のほうに値打ちがある。当事者の口から出た、いちばん率直な答えかもしれない(注7)。

「The Beach Boysがなくなる日を教えてやろう。
 そんな日が来るわけないだろ!
 俺たちは車椅子でもステージに立っているからさ!」

Dennisは生前、そう語ったと伝えられる(注8)。最初の5人のうち、DennisもCarlも、そしてBrianももういない。登録番号1081112の名義人の欄には、あの壁の年、1978年から変わらずBrother Records, Inc.の名だけがある。書き換えられたのは、登録欄の外である。
最後に、書き添えておきたい。本稿は、齢を重ねたメンバーやその家族を責めるために書いたものではない。権利を売り買いし、その稼ぎを信用にお金を借りるのは、いまの音楽産業ではごく当たり前の、法にかなった営みである。持ち主が入れ替わっても、名曲は眠らされることなく、新しい盤や配信になって私たちの耳に流れ続けるのだ。筆者が追ったのは、その仕組みと、公の記録に残された足取りだけだ。健康や家族のことは、本人や関係者が公に語った範囲にとどめ、私人である遺族の名前は記さなかった。
素人探偵にできるのは、新たな登録書類が著作権局に現れるのを待つことくらいだ。

記録は本物、推理と深読みのほうは、あくまでもシャレとして笑ってお読みいただきたい。


(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

注

1 米国著作権法304条(c)、203条、101条(職務著作)。1978年1月1日施行の1976年著作権法による。304条(c)は1978年より前の譲渡(著作権の発生から56年)、203条は1978年以降の譲渡(譲渡から35年)を対象とする。「権利回復」はtermination of transfersの筆者の訳語。Mills Music, Inc. v. Snyder, 469 U.S. 153(1985)。海外の権利:Vetter v. Resnik(連邦第5巡回区控訴裁判所、2026年1月12日)、上告申立てはBMG Rights Management v. Vetter(No. 25-1391、2026年6月)。最高裁は2026年10月19日、判事4人が審理に加わらず定足数を欠くとして、原判決を維持した(28 U.S.C. §2109、判事の意見が半々に割れて維持された場合と同じ効力)。税:米国内国歳入法1221条(b)(3)。説明は一般的なもので、個々の事案への法的判断ではない。カタログ取引の額:MIDiA Research(Synchtank、2022年3月31日。公表された取引で53億ドル、前年の約2.8倍)、Music Business Worldwide(2022年1月10日。少なくとも50.5億ドル、The Beach Boysの取引を含む)。配信の一括の許可と例外:米国著作権局の最終規則(2024年7月9日、Federal Register 2024-14609)、The MLC「Statutory Termination Final Rule」。

2 Universal Music Publishing GroupのLos Angeles(Santa Monica)事務所(2105 Colorado Avenue):同社サイトのContact Us。Universal Music Groupの本社(2220 Colorado Avenue):Commercial Observer(2024年10月4日)。RondorのUniversalによる買収(2000年8月、Herb AlpertとJerry Mossから約4億ドル):Wikipedia「Universal Music Publishing Group」(二次資料)(いずれも2026年10月25日閲覧)。米国著作権局V3574D579、V3601D530、V3608D682、V3611D182、V3623D139、V3623D140、V3625D964、V15032D022(当事者欄の記載を含む)。譲渡の報道:Billboard、Digital Music News(2022年)。2022年の移転:V15008D188。使用料の集め先:The MLC Public Search(2026年9月29日閲覧)、BMI Songview(Work ID 484174、2026年10月15日閲覧)。1960年代の歌の題名の商標出願:Justia Trademarks(Iconic Brothers IP LLC、2021年3〜4月の出願)。Primary WaveとThe Four Seasonsの提携:Music Business Worldwide(2020年10月22日)。Rondorの買収額:HITS Daily Double(2000年)。Colorado Avenue 2105番地:Universal Music Publishing Group公式サイトの連絡先(2026年10月13日閲覧)。窓口の表示:BMI Songview(「Better Get Back in Bed」Work ID 108802ほか、Brother Publishing Company c/o Wixen Music Publishing、同c/o Songs of Universal、Iconic Beach Boys Tunes c/o Songs of Universal、2026年10月20日閲覧)。WixenによるBrother Publishingの管理:Randall Wixenのインタビュー(Songwriter Universe、2016年)。BW Publishing:Delaware州法人局File Number 6482213(設立2021年12月17日)、California州の法人番号202200410911(他州法人)、OpenCorporates。California州務長官への届出:LLC-5(202200410911、2021年12月30日、Delaware州の存続証明File 6482213を添付)、Statement of Information(BA20241980872、2024年11月8日/BA20252445593、2025年12月17日)。Statement of Informationの2通とも、Manager or Member=Iconic Issuer LLC、Type of Business=Music Publishing。登録日はCalifornia州の法人登録の集約一覧(bizprofile.net)による(いずれも2026年10月10日閲覧)。四つの形は筆者の仮説で、契約の内容を示すものではない。The MLCと一括の許可:The MLCの発表(2021年1月1日)、米国著作権局「Musical Works Modernization Act」(2018年の音楽近代化法第1編)。演奏の使用料はこれまでどおりBMIやASCAPが扱う。

3 米国著作権局V3577D816、V3577D817、V3622D603、V9906D510、V9992D792、V10002D572、V9996D693ほか。Brother時代の歌への通知(2024年1月22日送付、23日記録):V9996D676、V9996D677、V9996D679、V9996D680、V9996D693、V9996D694、V9996D700、V9996D711、V9996D816、V9996D939。「Add Some Music to Your Day」の出版社:BMI Songview(Work ID 6434、ISWC T0702216872、2026年10月20日閲覧)。

4 ASCAP・BMI(Songview)、The MLC Public Searchの「409」「Surfin'」「Getcha Back」「Kokomo」(2026年9月29日閲覧)。米国著作権局V3628D145・V3622D597(2014年8月21日・11月19日送付、同じ35曲の通知)、V3622D603(2014年11月25日記録、1968年登録の13曲の通知)、V9996D680・V9996D700・V9996D711・V9996D816(2024年、Brother時代の歌の通知)、V10001D971(2024年、「Sound of Free」の通知)、「Sound of Free」の出版社:BMI Songview(Work ID 19348737)、ASCAP ACE(Work ID 495511050)、ISWC T9148596014(いずれも2026年10月19日閲覧)、V9968D011(2018年、Clairaudient MusicとBMGの管理契約)、V9994D129(2023年、Terry Melcherの側の会社への通知)、結び直しと権利回復の判例:Milne v. Stephen Slesinger, Inc., 430 F.3d 1036(9th Cir. 2005)、Classic Media, Inc. v. Mewborn, 532 F.3d 978(9th Cir. 2008)。BMI Songview「Let Him Run Wild」(Work ID 851952)、「Good Vibrations」(Work ID 497382)、「Surfer Girl」(Work ID 1434585、2026年10月18日閲覧)。「Surfer Girl」「Surfin' Safari」「Surfin'」がGuild Musicの歌だったこと:米国著作権局V2112P545(1985年)。Bug Musicの担保:V3582D404(2009年8月10日記録、JPMorgan Chase Bankへの担保の追加分)。BMGによるBug Musicの買収:Bertelsmann(2011年9月)。2016年の盤(Becoming the Beach Boys: The Complete Hite & Dorinda Morgan Sessions、Omnivore Recordings)の解説書19ページ(Era 805〔1969年〕、DCC Compact Classics DZS-054〔1991年〕、Capitol C2 0777 7 81294 2 4〔1993年〕の記載とクレジット)、The Second Disc(2016年8月26日)。1991年の盤(Lost & Found〔1961–62〕、DCC Compact Classics DZS-054)の解説書(「Licensed from Deck Records」「All songs published by Guild Music Co. BMI」の記載)。2000年12月の訴えと2001年1月の仮処分:Billboard「Preliminary Injunction Issued In Beach Boys Suit」(2001年1月10日)。2000年8月から2009年3月までの経緯(3億4,000万ドルの訴え、California州民法980条(a)(2)、2004年6月16日の判断、2006年4月28日の地裁の最終判決と弁護士費用の決定、2008年5月1日の連邦第9巡回区控訴裁判所の判断、2009年3月16日の決定)、2009年4月9日のBug Musicへの売却とテープの現物:James Murphy『Becoming the Beach Boys, 1961–1963』(2015年)。「Surfin'」1枚の収入の流れ:同書Appendix 4。Deck RecordsがMorgan家の会社であること:同記事(持ち主Bruce Morgan)、Deck 142(Bobby Williams「Chapel of Love」、Bruce Morgan・A. Egnoian作、出版はGuild Music Co.、所在地1107 No. El Centro, Hollywood)のレーベル表記。2000年の盤(Surfin'、Varèse Sarabande 302 066 085 2)の裏ジャケット(「Tracks 1-11 released through the courtesy of Deck Records by arrangement with Original Sound Entertainment」の記載)(いずれも2026年10月17日閲覧)。Clairaudient Music Corporation:Nevada州務長官の法人記録(NV19861010362)。Challove MusicからClairaudient Music Corporationへの譲渡:米国著作権局V2231P166、V2231P168、V2231P170(いずれも1986年12月19日記録、as of 1986年8月15日、45曲。署名はRonald Altbach、Charles Lloyd、Michael E. Love、いずれもpartner)。Celebrationの顔ぶれ:Wikipedia「Celebration (1970s band)」ほか(二次資料)。推論は筆者のもので、個々の事案への法的判断ではない。弁護士報酬の争い:Flynn v. Love(連邦地裁Nevada、3:19-cv-00239)ほか。

5 米国著作権局V3608D682、V15032D022、PAu002079501(1996年)、V9974D533。『Pet Sounds』モノラル盤(2026年、Capitol Records/Universal Music Enterprises、602488330619)裏ジャケット。『We Gotta Groove: The Brother Studio Years』(2026年、Capitol Records/UMe、602478114632)裏ジャケット。メンバーの持分:Rolling Stone(2021年2月)。1967年のCapitolへの訴えと和解:Keith Badman『The Beach Boys』(2004年)195ページほか。BrotherのレーベルがCapitolの配給で始まったこと:Record World(1967年7月29日)。1969年の決別と訴え:Cash Box(1969年4月12日)9ページ。商標出願はJustia Trademarks(二次資料)による。

6 米国著作権局V3623D140(1967年の曲の通知)、V15032D022(Brianの譲渡)、V9987D328(Iconic側の担保解除の一覧)、V9986D679(2020年8月31日、BRIなど三社からIconic Brothersへの著作権と独占的管理権の譲渡、924タイトル。Hite Morganのもとでの録音は「H. Morgan Sessions」として63件)、V9985D811(同じ一覧を付けた担保契約、同日登録)、V9986D404(同年、Iconicの出版の会社への振り分け)。DennisとCarlの出版社:ASCAP ACE「River Song」(Work ID 480118898)、「Farewell My Friend」(362079878)、「Angel Come Home」(310178402)、「Good Timin'」(370151247)(いずれも2026年10月19日閲覧)。「Good Timin'」の著作権の登録:米国著作権局PA0000042044(1979年)。「Kona Coast」の登録:米国著作権局PAu000008678(1978年)、PAu000323112(1981年の補正)。1978年の一括登録と補正:米国著作権局PAu000008679〜PAu000008685(1978年3月24日)、PAu000159200とPAu000159203(1979年)、PAu000256350とPAu000226661(1980年)。印税の窓口:ASCAP ACEの出版社の連絡先(Dennis Wilson Music=P.O. Box 480401, Los Angeles、Murry Gage Music=c/o Ruminating Music c/o Wixen Music Publishing, Calabasas、Al Jardine Music=c/o Wixen Music Publishing〔「Pitter Patter」ASCAP Songview、ISWC T9110646510、Work ID 895957656、BMI Work ID 1176928〕、「Our Team」の出版社=BMI Songview(Work ID 1139528、ISWC T9066995811)、「She's Got Rhythm」の出版社=BMI Songview(Work ID 1325444、ISWC T9110648107)、「Kona Coast」の出版社=BMI Songview(Work ID 808601)とASCAP ACE(Work ID 410077028)、ISWC T0710129455、「Disney Girls」〔Work ID 340136409〕のArtists Music=c/o Universal Music – MGB Songs, 2100 Colorado Avenue, Santa Monica、いずれも2026年10月19日閲覧)。Brianの側の出版社とBMGの契約:米国著作権局V3625D215(2013年1月31日記録)、V3628D517(2013年4月30日記録)、いずれもas of 2012年7月1日。New Executive Musicの連絡先:BMI Songview(c/o H2 Management、Encino、2026年10月20日閲覧)。後見と信託:AP(2024年2月16日、後見の申立て)、NPR(2024年5月10日、ロサンゼルス郡上位裁判所の決定)。Dennisのソロ作の録音と出版社:『Pacific Ocean Blue』(Legacy Recordings/Epic、2008年、88697 31711 2)のクレジット、『Bambu (The Caribou Sessions)』(Legacy Recordings、2017年)の再発。「Tears in the Morning」:Brother/Reprise 0957(1970年)のレーベル(Wilojarston Pub.、ASCAP)、The MLC(Song Code T10531、出版社Artists-Music, Inc.が100%、管理はUniversal Music – MGB Songs、2026年10月21日閲覧)。録音の譲渡:米国著作権局V9979D016の一覧。「Deirdre」(Brian Wilson/Bruce Johnston):BMI Songview(Work ID 290982、ISWC T0702468583、出版社はBrother Publishing Company c/o Iconic Beach Boys TunesとIconic Beach Boys Tunes、2026年10月21日閲覧)。Little Brother Music Inc.:The MLC(Song Code A5768Y「Add Some Music to Your Day」、AVDEIZ「All This Is That」、L5259S「Loop de Loop」、PJ7MSQ「Pacific Ocean Blue」、RA57H3「Rainbows」、S8660U「Sumahama」、I5768L「It's About Time」、2026年10月21日閲覧。Publisher IPI 00817919111で引いた154曲、2026年10月24日閲覧)。ICONIC BROTHERS ANTHEMS(ASCAP、IPI 1253523180):OpenCorporatesで該当なし(2026年10月24日閲覧)。Iconic Beach Boys Tunesを「affiliate, licensee or division」と記す例:米国著作権局V9996D694ほか(2024年、Mikeの通知)。いずれもBrother Publishingの側の取り分がIconic Beach Boys Tunesと51対49に分かれ、管理はどちらもSongs of Universal, Inc.。MLCの数字は複製の使用料を集める割合(Collection Share)で、持分の割合そのものとは限らない。California州、Nevada州、Delaware州の会社検索と、ロサンゼルス郡の屋号(Fictitious Business Name)の検索では、該当するものは見つからなかった。BMIとASCAPのSongviewでも、同名の別会社のほかは見つからなかった(2026年10月21日閲覧)。

7 米国著作権局V9974D533(1993年の担保の満了)、V9987D328、V9987D440。資金調達とRod Stewartのカタログ:Music Business Worldwide(2024年2月)。Bowie Bonds(1997年)は広く報じられた事例。Truth in Music法:Vocal Group Hall of Fame(38州)、Mississippi州法75-91-5ほか。Al Jardineの発言:Rolling Stone(2026年10月13日、Andy Greene)、Ultimate Classic Rock・People(同日)。

8 Dennis Wilsonの言葉は、ファンの研究サイト(danaddington.comほか)に収められたもの。初出の媒体は確認できていない。


2026年10月23日金曜日

登録番号1081112(前編)

 


2026年7月29日、「Kokomo」をめぐって一つの期限が静かに過ぎた。
Mike Loveが2年前に発したある通知の中で、出版社へ譲渡した楽曲の権利回復とした日である。その年、舞台の上では別の時計が進んでいた。3月にはBruce Johnstonがツアーを離れると報じられた。6月、Londonでの公演の後、Mikeは、いとこBrianの一周忌の日に妹のMaureenを亡くしたこと、気管支炎に続いて新型コロナウイルスにも見舞われたことを、自らファンに明かしている。
我らがThe Beach Boysの夏の約30公演は中止または延期となり、9月の復帰公演も一つも行われないまま取り消された。10月9日のIllinois州Bloomingtonの公演も中止。その翌日の10日、Ohio州Cincinnatiで、Mike一行はおよそ3か月ぶりに観客の前に立つ。「Good Vibrations」の発売から、ちょうど60年の日だった。Mikeは手を引かれて登場し、椅子に座ったまま、コーラスに声を添えたと報じられている。リードを歌ったのは、ギターのBrian EichenbergerやMikeの息子Christianらだった。翌日、NashvilleのRyman Auditoriumへ向かう飛行機に乗り込むところだと書き出して、41年間Mikeと舞台を共にしてきたJohn Stamosは、Mikeとの連名で声明を出した。Mikeは「深刻な健康上の問題」に直面しており、医師や家族、友人が健康に専念するよう勧めても、本人は舞台に立つと譲らないという。病名などは明らかにされていない。声明は、こう結ばれている。「明日何が起きるかは分からない。でも、僕らには今夜がある」。
その同じ夜、もう一人の存命の創設メンバーAl Jardineは、3,000キロ近く離れたCalifornia州Cerritosで自らの公演を開いた。名乗るのは「Al Jardine of The Beach Boys with the Pet Sounds Band」。The Beach Boysを正面から名乗ることは、いまも許されていない。許されているのは、そのメンバーだと説明することだけだ。ところが、その名乗れない舞台には、初期のメンバーDavid Marksと、黄金期を支え、今年Mikeのもとを離れたBruce Johnstonが加わった。脇を固めるのは、Brianの晩年のツアーを支えたバンドの面々と、Alの息子Matt。さらに予告なしに、Brianの最初の妻で『Love You』にも声を残したMarilyn、二人の娘Carnie、そしてJan & DeanのDean Torrenceまでが舞台に上がった。Marilynが『Love You』の「Let’s Put Our Hearts Together」を人前で歌うのは、1977年の録音以来、二度目だったという。
思えば、この夏Mikeが率いたツアーのテーマは「America’s Band」、つまり「米国を代表するバンド」と称し、米国建国250年を祝うツアーと銘打たれていたうえに、Pet Sounds 60周年を祝福している、正統性はこちらにあるのだ、といわんばかりだ。伝統的価値を重視する保守派のMikeにとって、これ以上ない舞台だったはずであり、大げさに言えば、60年を超える自らの歩みの集大成である。
Mikeは法廷で作者の座を勝ち取り、取締役会は彼に名前を独占的に名乗る事を許した、国の定めた手続きで自らの若き日の歌の権利を呼び戻しにかかった。書類の上で見るかぎり、Mikeは楽曲のみならず各種権利を着実に自らの中心へ引き寄せてきた。だが、その正当性を誇る華々しい自らの舞台の上で、60年代から率先して観客をあおってきた85歳のフロントマンは深く椅子に座り動かない、The Beach Boysを正面切って名乗ることを許されない84歳のAlのまわりには、かつての仲間とBrianゆかりの人々が集まり活き活きと自らの伝統を伝える。ファンの目に、どちらの舞台がThe Beach Boysらしく映っただろうか?もっとも、名乗るMikeもまた、その名の持ち主ではない。商標を持つのは会社であり、Mikeはその使用を許されているにすぎないのだ。皮肉な光景だが、本稿がこれからたどる物語の、これ以上ない縮図でもある(注1)。






では、その名前は誰のものなのか?
「Surfin'」から「Kokomo」までの歌は、誰のものなのか?
答えは驚くほど入り組んでいる。名前は商標、歌は著作権で、持ち主も売り買いの道筋もまるで違う。しかも歌は、メロディと歌詞そのもの(楽曲)と、それを録った録音(原盤)に分かれ、それぞれに別の持ち主がいる。本稿は、一介の音楽ファンである筆者が、判決文と、米国の特許商標庁、著作権局の記録、著作権管理団体のデータベースだけを手がかりに、迷路に分け入った素人探偵の記録である。記録は多くを語る。だが、肝心なところで口をつぐむのだ。ファンの間で語られてきた英雄と悪漢の物語を、書類の山はどう映すのか。その行間を読んでみたい。
最初にたどったのは、名称である。米国特許商標庁で「THE BEACH BOYS」を調べると、登録番号1081112が現れる。登録は1978年1月3日。出願されたのは、1975年8月。登録簿が記す使用開始日は1961年11月1日で、デビュー曲「Surfin'」が世に出たころにあたる。名はレコード会社の側が付け、メンバーは知らなかったという逸話が残るのだが。
ここで、最初の謎に突き当たる。その名が商標として出願されたのは、1975年8月なのだ。使い始めてから、ほぼ14年。黄金期の1960年代を、この名は登録簿に載らないまま駆け抜けたことになる。米国では、商標の権利は使い始めたときに生まれ、登録は義務ではない。だが登録のない権利は、名が知られた土地でしか守られず、持ち主であることも、争うたびに一から証明しなければならない。しかも、その名を付けたのはレコード会社の側だったではないか。守りは無防備に近かった。
それで済んだのは、米国の商標が、英国から受け継いだ慣習法の中で育ってきたからだ。慣習法では、使った者に権利が発生する。名付け親がそのまま持ち主になるわけではなく、登録から権利が生まれるわけでもない。持ち主とされるのは、その名で演奏し、実際に活動してきた側だ。多くの場合はメンバー全員だが、だからといって、一人ひとりが勝手に名乗れるわけでもない。連邦の登録は後から付け足された仕組みで、演奏のような「サービス」の名を登録できるようになったのも、1946年からにすぎない。登録しなくても済んだその状況を揺さぶったのが、1964年のThe Beatlesである。彼らの名を付けたシャツや人形が米国で飛ぶように売れたが、商品化を任された業者の取り分は9割、Beatles側は1割という契約だった。バンドの名がレコードとは別にお金を生む資産だと、当時の業界に印象づけた一件である。ただ、1967年のBrother Record Inc.(以下BRI)の設立で、名前の権利がメンバーからBRIへどう移ったのかを示す書類も、公の記録には見当たらない。
では、なぜ1975年だったのか?前年には古巣Capitolの編集盤『Endless Summer』が全米1位となり、バンドは再び大観衆を集めはじめていた。衣類の使用開始日も同じ年の1月とある。人気の再燃とグッズの広がりが、名前を守る必要を生んだのかもしれない。だが、出願の理由はどこにも書かれていない。登録簿の経過欄は1983年から始まり、出願から登録までの審査のやりとりも、そこには見えない。登録の対象は、演奏と、シャツ・ブラウスだ。レコードは入っていない。2か月後の10月には、レコードとテープについて図形の商標が別に出願されているが、その行方は筆者には確かめられなかった。登録は2018年に更新されていまも有効で、次の期限は2028年1月だ。



ロゴにも物語がある。1960年代のジャケットでは、バンド名の文字はアルバムごとにまちまちだった。おなじみの筆記体のロゴが現れるのは1976年。Jan & DeanのDean Torrenceが、自らのデザイン会社で『15 Big Ones』のジャケットとともに描いたものだ。このロゴも長く登録されないまま使われ、2018年1月、1081112の更新とほぼ同じころに、演奏、レコード、衣類の三つの区分でまとめて出願された。演奏とレコードの使用開始日は1976年7月5日、『15 Big Ones』の発売日とされる日である。50周年の2012年には、スロットマシンの名としても登録されたが、こちらは2020年に取り消されている。
この商標の名義人、つまり登録簿に持ち主として記されているのは、Brother Records, Inc.、通称BRIである。2003年の判決文によれば、メンバーが1967年に、The Beach Boysの知的財産を持ち、管理するために作った会社である。また、『Smiley Smile』を出した当時のレーベル名でもある。
判決のころは、Brian、Mike、Al Jardine、そしてCarlの遺産管理側が均等に株を持ち、それぞれが取締役を務めていた。もっとも、最初からこの顔ぶれだったわけではない。Alが株主に加わったのは1973年とされ、1983年にDennisが世を去ると、その株は、債務の弁済に充てるため、遺族からBRIの側へ売却されたと伝えられる。MikeがThe Beach Boysを名乗ってきたのは、名前を持っているからではない。1998年7月、取締役4人のうちAlを含む3人が、メンバー各自へのThe Beach Boysの名称使用許諾案に賛成した。その年の2月にCarlが世を去り、案を出したのはその遺産管理側だった。Mikeはこの枠組みで契約を結ぶ。使用料は総収入の最初の100万ドルに20%、以降は17.5%。Alも許諾を求めたが、最初の100万ドルに5%とする彼の案は、11月の取締役会で退けられた。許しのないまま「Beach Boys Family & Friends」などの名で公演を続けたAlをBRIは訴え、2003年にBRI側が勝つ。The Beach Boysが来ると思って彼のバンドを呼び、違うと知って取り消した興行主もいたと、判決は記す。争われたのは、Al自身が賛成票を投じた枠組みだった。全員に開かれていたはずの扉を、通り抜けたのはMike一人だった。やがてその扉は、一人のためのものになる。Mikeの自伝によれば、BRIは彼に独占的な名称の使用を許し、取締役会の票は賛成2、反対1、棄権1。Mikeは棄権し、Alは反対し、賛成したのはBrianとCarlの遺産側だったという。別の訴訟では、1992年にMikeはBrianを訴え、1994年にMikeが勝っている。そのBrianが、数年後にはMikeに名前を独占させる側に票を投じた。かつての法廷の敵は、取締役会では味方だったのである。1998年の枠組みに賛成したAlは、今度は反対に回った。使用料はBRIを通じて株主に分けられ、その中にはAlも含まれる、とMikeは主張する。2012年の50周年の再結成では、名前の使用はMike、Brian、プロデューサーのJoe Thomasが持つ50 Big Onesという会社に許諾されたと報じられている。The Beach Boysの名を名乗れるかどうかを決めるのは、もう血筋でも経歴でもない、契約だった(注2)。

次は視点を歌に移そう。「409」から「Good Vibrations」あたりまでの曲は、Brianと父Murryが1962年に作った出版社、いわばWilson家の会社であるSea of Tunesが持っており、実質的にBrianらのものであるに等しかった。報道によれば1969年8月20日、MurryはそれをIrving Musicに70万ドルで売った。Brianは1989年に訴えたが、歌は戻らなかったとされる。Irvingの親会社Rondorは2000年にUniversalが買い取った。1960年代の名曲の権利をたどると、いまはUniversalに行き着く(注3)。
ここで、著作権局の記録に奇妙な一枚が現れる。1993年、Mikeは1960年代の171曲について、Irvingの権利を継いだRondorに宛てた譲渡の書類を残している。日付の欄には「1969年8月20日現在」とある。MurryがSea of Tunesを売った、まさにその日だ。24年前にさかのぼる日付を、なぜ書き込んだのか?手がかりはMike自身の自伝にある。
MikeがBrianを訴えたのは1992年7月末。1か月後、Brian本人から電話があり、「訴えられて当然だ。借りがある。お金で解決しよう」と言ったという。Mikeは、金よりも曲のクレジット、とりわけ「California Girls」が欲しいと答えた。だが和解の話し合いは決裂し、裁判に進む。30年も前の話で勝ち目は高くないと見たMikeは、インドの寺院で、Ganesha神のための火の儀式に加わったと自伝に書く。
そして同じ1993年、Mikeはその訴訟から一部の被告を外す声明も著作権局に残している。外されたのが出版社の側(Rondor)だったとすれば、こう読めるのではないか?Mikeは裁判の前に出版社とだけ和解し、作者と認めてもらう代わりに、自分の分の権利を出版社に譲渡する。その日付を、Murryが楽曲を売った1969年8月20日にさかのぼらせれば、出版社の権利に空いていたMikeの分の穴は、書類の上で最初から無かったことになる。この一枚は、翌年の判決より先に、出版社の側がMikeを作者として扱いはじめていたことを示しているのかもしれない。合意書の本文は、記録にない。二枚の書類のあいだの空白を、読者ならどう埋めるだろうか。報道によれば、翌1994年、Mikeは作者表記を求めたBrianとの裁判に勝ち、35曲で作者と認められた。1996年5月、著作権局には1960年代の35曲についてMikeの名が並ぶ登録が現れる。数はぴたりと一致する(注4)。
1993年には、もう一枚の書類がある。Mikeは自らの会社Michael E. Love Entertainment Corporationとともに、「Surfin'」から「Kokomo」まで333タイトルを並べた担保の書類を残している。担保とは、約束が果たせなかったときに、相手がそこから取り立てられるようにしておく仕組みだ。受け取る側には、出版社Rondor、Mitchell Silberberg & Knuppという法律事務所、そして弁護士Abraham Somerの名がある。といっても、Mikeが歌そのものを差し出したわけではない。歌の著作権の大半は出版社の手にあり、Mikeが一人で差し出せるものではないからだ。手がかりは題名の顔ぶれにある。2020年、この担保の満了を確かめる書類に並んだ315タイトルには、『Beach Boys' Party!』で歌われたThe Beatlesの3曲や「Barbara Ann」まで含まれていた。どれもMikeが書いた曲ではない。Mikeが歌った曲である。差し出されたのは、それらの歌から歌い手として、また作者としてMikeが受け取る印税の権利とみられる。
では、何のための担保か。ここで、先の譲渡の書類を思い出したい。先の読みが正しければ、出版社はMikeを作者と認め、その代わりに彼の取り分を譲り受けた。作者と認めた以上、出版社はこれからMikeに作家印税を払う立場になる。音楽出版の世界では、払う予定の印税の一部を作者に先に渡すことが珍しくない。前払い金である。先に渡した分は後の印税から差し引いて取り戻すが、取り戻しきれないときに備えて、作者の別の収入を押さえておく。Rondorが受け取る側に名を連ねるのは、そのためだったのかもしれない。出版社にとっても悪くない話だ。裁判の勝ち負けにかかわらず、権利の穴をふさぎ、取り立ての当ても確保できるのだから。
一方、法廷でMikeの代理人を務めた弁護士は、勝訴の分け前を報酬とする約束だったと、のちの訴訟記録にある。勝訴の後、その分け前は、得た賠償の3割に加え、35曲からこれから入る作家印税の3割と取り決められたという。担保の受け手に並ぶ法律事務所と弁護士は、それとは別の顔ぶれで、その役割は記録からは分からない。並ぶ法律事務所と弁護士は、裁判にかかる費用を後払いにした分の備えだろうか。いずれにせよ、ここに浮かぶのは、毎年確実に入ってくる歌い手の稼ぎを元手に、勝てるかどうか分からない作者の座を取りに行くMikeの姿である。自分の歌の作者の座を勝ち取るために、自分の歌声すなわち自らの喉を賭けたのだ。ただし、契約の本文は記録にない(注5)。

一方、1968年ごろからの曲は、Brother PublishingやWilojarston Musicなど、バンド側の出版名義に残った。「Add Some Music to Your Day」「Feel Flows」「Surf's Up」。歌は、1969年に手放された作品群と、手元に残った作品群の二つに分かれたわけだ。その二つ目の作品群が動いたのが、2020年の夏である。
日付を追うと、まるでカウントダウンだ。まず6月26日、買い手の器となるIconic Brothersの名を冠した二つの関連会社がCalifornia州に登録される。7月24日、1993年の担保の満了を確かめる書類。(あの担保のタイトルは1960年代の曲にとどまらず、1988年の「Kokomo」にまで及んでいた。)8月20日と28日、その一部の解除の書類。28日、MikeはNevada州で、AlはCalifornia州で、二人はBRIの執行役員として同じ証書に署名する。31日、資産売買契約が結ばれる。買い手はIconic Brothers LLC。翌年2月にIrving AzoffのIconic Artists Groupが「The Beach Boysの知的財産の支配的持分を取得」と発表する取引である。古い担保を外し、署名を揃え、売る。並べてみると、すべてが売却に向けた下ごしらえに見える。なかでも目を引くのは、7月24日の確認書だ。27年前の担保が、取引のわずか5週間前になって、もう満了していると改めて書面で確かめられている。なぜ、このタイミングなのか。誰が、その確認書を求めたのか。買い手にしてみれば、古い担保の記録が残ったままの歌を、そのまま買うわけにはいかなかったはずだ。9月1日、買った権利はすぐに、同じIconic系列の出版の会社(Iconic Brothers Publishing)と原盤の会社(Iconic Brothers Masters)に振り分けられ、同じ日に銀行の担保に入った。買った歌をそのまま銀行の担保に差し出し、その歌がこれから生む印税を返済の当てにして、他のカタログ買収の代金に充てる資金調達をしたとみられる。1998年に名前をめぐって道を分けた二人が、22年後、同じ書類に並んで名を記していた(注6)。


ここで、買い手の商売の中身を確かめておこう。2018年にIrving Azoffらが立ち上げたIconic Artists Groupの稼ぎ方は、ざっと次の通りだ。まず、往年の大物から、楽曲や録音の権利に、名前と肖像までをまとめて引き受ける。次に、それを眠らせない。配信での見せ方を工夫し、周年に合わせて再発盤を出し、映画やCMに曲を貸し、ドキュメンタリーやグッズに名前を使う。音源はレコード会社に貸し出して流通を任せ、自らは持ち主として使用料を受け取る。売り手のアーティストや遺族には持分を残し、上がりを分け合う。そして、こうしたカタログが毎年生む安定した収入を信用にして、新たな資金を集め、次のカタログを買う。The Beach Boysで言えば、2021年の「PET SOUNDS」などの商標の出願、2024年の公式の大型本、Azoffが製作に名を連ねたDisney+ のドキュメンタリー、そしてCapitolに貸し出された『We Gotta Groove』が、その歯車にあたる。名簿にはLinda Ronstadt、David Crosby、Rod Stewart、Cher、さらにDean MartinやFrank Sinatraの遺産の一部までが並び、2024年には投資会社の出資と借入で10億ドルの資金枠を得た。言うなれば、名曲を眠らせず、稼がせ続け、その稼ぎで次の名曲を迎え入れる仕組みである(注7)。




では、Iconicは何を手に入れたのか?物証は証書にある。それによれば、商標については共有持分の51%。残る49%はBRIに残ったが、誰に使わせ、使用料をどう集めるかを決める権限は、両方ともIconicが独占的に握る。持分は半分近く残し、ハンドルはすべて渡した、と言えばよいだろうか?
Iconicが手に入れたのは、バンドそのものではない。名前とカタログを使って稼ぐ、その道筋の舵である。当のAlも、このディールの発表に際して「彼らが経営の最終判断を下せる。それこそ私たちに必要だったものだ」と語っている。歌と録音については924タイトル。『Smiley Smile』から『Surf's Up』『Holland』、そして『The Smile Sessions』まで。ただし、黄金期の1960年代の楽曲は、この取引の外にある。「Good Vibrations」も「God Only Knows」も、楽曲の持ち主はいまもUniversalだ。
ここで筆者は一つ訂正しておかなければならない。2024年5月の弊誌で、筆者はIconicがBRIの過半数の議決権にあたる株を買ったと書いた。だが記録を見る限り、動いたのは会社の株ではなく、会社の資産だった。面白いことに、商標の登録簿はこの大ディールを半分しか映していない。
登録番号1081112の名義人の欄は、いまもBRIのままなのだ。同じ「THE BEACH BOYS」でも、レコードやCDに付ける名前として別に登録された商標(第2631628号)には、IconicとBRIの共同名義が記されているのに、である。そして2023年8月、名義人BRIの住所は、法律事務所の気付から、Iconicの関連会社が並ぶWestwoodの同じ一室へと移された。名義人の欄は変わらない。だが郵便の宛先は、もう買い手の部屋なのである。
一方で、発表の直後には「THE BEACH BOYS CHANNEL」「PET SOUNDS」「SMILEY SMILE」など、Iconicの知的財産会社とBRIの共同名義による新しい出願が相次いだ。楽曲の持ち主は、Universalの側であるにもかかわらず、である。2024年に弊誌で紹介した公式の大型本も、この二者の監修だった(注7)。

同じころ相次いだ大物のカタログ売却と並べると、違いがよく分かる。手放した側の例を挙げてみよう。

・Bob Dylan(2020年12月) 自作曲600曲余りの権利をUniversalの出版部門へ。報道によれば3億ドル超
・Bruce Springsteen(2021年12月) 自作曲と録音の権利をSonyへ。報道によれば約5億ドル
・KISS(2024年4月) 楽曲と録音のバンド側の権利に加え、名前、肖像、あのメイクまでをPophouseへ。報道によれば3億ドル超
・Queen(2024年6月) 録音と楽曲の権利、名前と肖像権をSonyへ。報道によれば約12億7,000万ドル。公演の収入だけは手元に残したとされる
・Pink Floyd(2024年10月) 録音の権利と名前、肖像権をSonyへ。報道によれば4億ドル

名前や肖像権まで手放す例は、もはや珍しくない。The Beach Boysが違うのは、持分を残したことだ。Pink FloydのDavid Gilmourは、売却を前に「意思決定と口論から解放されることが夢だ」と語っている。決める重荷を下ろしたいという点では、Alと同じである。だがPink Floydが手を離したのに対し、The Beach Boysは持分を握ったまま、上がりを分け合う側に回った。売り切りではなく、看板ごと預けた共同経営に近い(注7)。
ここで、ある見出しの裏を取っておきたい。2021年、ある海外メディアは「Surfin' U.S.A.やGood Vibrationsの原盤も売られた」と見出しを打った。ところが、Iconic側が銀行の担保に入れた原盤の一覧を見ると、たしかに「Good Vibrations」や「I Get Around」の名はあるものの、それはCapitol時代のオリジナル録音ではなく、後年の録音やライブ、Hite Morganのもとでの初期のデモとみられる。オリジナルの原盤はUniversalの側にある。同じ曲名でも、録音が違えば持ち主も違うのである(注8)。

素人探偵の捜査は、思わぬところで一本の線につながる。著作権管理団体のデータベースで「Feel Flows」を開くと、出版社の欄にICONIC BROTHERS ANTHEMSという名が現れ、連絡先はUniversal Musicだ。
一方、1960年代の「I Get Around」の出版社はIrvingとAlmoで、Iconicの名はない。ところがAlmoの住所と電話番号は、Iconic名義の出版社のそれと同じなのだ。
Santa Monica、Colorado Avenue 2105番地。
2020年に売られた作品群と、1969年に手放された作品群は、いま同じ番地に窓口を置いている。
話はまだ終わらない。Mikeの「Getcha Back」を開くと、彼の持ち分の出版社としてClairaudient Musicという名が現れる。Nevada州の法人記録によれば、1986年に設立され、Mikeが社長を務める会社である。The Beach Boysを名乗るMikeが、自ら舵を取る器である。この器がこれから何を受け止めることになるのかは、まだ伏せておこう。 そしてその連絡先もまた、Colorado Avenue 2105番地なのだ(注9)。

1969年に父が売り払った歌。2020年にバンドの会社が売却した歌。そして、その歌の作者の座をめぐっていとこを訴えた男の歌。持ち主も、たどった道も、因縁もまるで違う三つの作品群が、いま同じ扉の前に集まっている。この番地の向こうで、いったい誰がこれらの歌の面倒を見ているのか?
だが、この番地は入り口にすぎなかった。2021年、Brianが関わる書類には、見慣れない会社の名が一つ記されている。その会社が生まれたのは、署名と同じ日。そして住所をたどると、また別の「同じ部屋」に行き着くのだ。一つはSanta Monicaの2105番地、もう一つは……。二つの扉の向こうで、The Beach Boysの歌を握っているのは誰なのか?(後編に続く)




注

1 Ultimate Classic Rock、TicketNews、Consequence(2026年9月)、WGLT(2026年10月6日)、Rolling Stone・The Daily Beast(2026年10月7日)、Consequence・Best Classic Bands・Rolling Stone(2026年10月11日)。John Stamosの声明:Variety(2026年10月)ほか。Mikeの6月の言葉、Calgary公演の中止、Al Jardineの公演の看板:Cerritos Center for the Performing Artsの公演案内ほか。Al Jardineの公演:Rolling Stone Japan(2026年10月12日、原文はRolling Stone US、Andy Greene)、Rolling Stone(2026年10月13日)、Ultimate Classic Rock・Far Out・People(2026年10月13日)。Al Jardineの公演の顔ぶれ:El Camino College The Union(2026年10月2日)ほか。建国250年の銘打ち:313 Presentsの公演案内(Meadow Brook Amphitheatre、2026年8月15日、のちに中止)。「Kokomo」:米国著作権局V10002D572。
2 米国特許商標庁TSDR登録第1081112号(出願番号73059442)。バンド名の由来は二次資料、Endless Summerは公式サイトによる。ロゴ:TSDR登録第5550402号、第5564768号、第5550399号、スロットマシンは第4433632号。Dean Torrence:The Spokesman-Review。Brother Records, Inc. v. Jardine, 318 F.3d 900(9th Cir. 2003)。株主の移り変わり:Mark Dillon, Fifty Sides of the Beach Boys(2012年)、Jon Stebbins, The Beach Boys FAQ(2011年)による(いずれも二次資料)。  50 Big Ones:Billboard「The Beach Boys Sign With WME」(2019年5月28日)。独占的な許諾と票決:Mike Love, Good Vibrations(2016年)。
3 UPI(1989年9月18日)、Variety(2000年)。取り戻せなかった点は二次資料による。
4 米国著作権局V2873P205、V2873P214(1993年)、PA0000788561ほか(1996年)。裁判:Los Angeles Times(1994年12月13日)、Mike Love, Good Vibrations: My Life as a Beach Boy(2016年)。35曲は筆者が数えたもの。
5 米国著作権局V2870P001、V2870P032(1993年、担保の合意。当事者はMichael E. Love、Michael E. Love Entertainment Corporationと、Rondor Music International, Inc.ほか)、V9974D533(2020年)。弁護士報酬:Flynn v. Love(連邦地裁Nevada、3:19-cv-00239、2019年提訴)、Flynn v. Love(連邦地裁California南部、2021年7月7日の決定)、Law Journal Newsletters(2022年4月)。
6 米国特許商標庁の譲渡記録Reel 007041/Frame 0078–0089。会社の登録日:California州の法人登録の集約一覧(bizprofile.net、2026年10月10日閲覧)。米国著作権局V9974D533、V9973D961、V9973D962、V9986D679、V9986D404、V9973D891、V10000D065。
7 同上の証書と添付の証明書。Al Jardineの発言、他のカタログ売却との違い:Rolling Stone(2021年2月)、Music Business Worldwide(2021年2月18日)。各社の取引(いずれも報道):NPR(2020年12月7日、Dylan)、CBS News(2021年12月、Springsteen)、Music Business Worldwide(2024年4月4日、KISS/2024年6月20日、Queen)、Ultimate Classic Rock(2024年10月2日、Pink FloydとGilmourの発言)。訂正の対象は弊誌2024年5月の記事。TSDR登録第1081112号(2023年8月28日の住所・代理人の変更届を含む)、第2631628号、出願はJustia Trademarks(二次資料)による。Iconicの事業と顧客:Music Week(2024年2月15日)、Rolling Stone(2021年、Ronstadt/2025年10月15日、Sinatra)。
8 米国著作権局V9987D328(担保解除の一覧)。録音の特定は曲名と登録番号からの筆者の推定。見出しの例:Outsider(2021年2月)。
9 ASCAP ACE、BMI Songview(2026年9月閲覧)。Nevada州務長官の法人記録(NV19861010362)。

2026年10月15日木曜日

青野りえ:『TOKYO step』リリース・インタビュー

~WebVANDA推奨・今年聴くべきアルバム~


 女性シンガー・ソングライターの青野りえが、4thアルバム『TOKYO step』(FLY HIGH RECORDS/VSCF-1782 FRCD-086)を10月21日にリリースする。2023 年11 月の3rdアルバム『TOKYO magic』から約3年となる新作で、待ちわびていたファンも多いはずだ。
 本作では1st『PASTORAL』、2nd『Rain or Shine』を手掛けた鬼才シンガー・ソングライターの関美彦と、前作『TOKYO magic』を手掛けたThe Bookmarcsのメンバーで作編曲家の洞澤徹が収録曲のサウンド・プロデュースを分け合って担当するという豪華さである。
 更にThe Bookmarcs近藤健太郎が作曲して先行で配信していたシングル「フィナーレを待ちながら」をボーナス・トラックとして収録している。

 
本作前半の6曲の作編曲を手掛けた関美彦チームのレコーディングには、前々作『Rain or Shine』同様にベースの伊賀航(細野晴臣、星野源等)、ドラムスに北山ゆう子(堀込泰行、RYUSENKEI等)、ギターに山之内俊夫(花澤香菜、ROUND TABLE等)、ピアノには長谷泰宏(ユメトコスメ)といった手練プレイヤー達を迎えている。そして後半5曲の作編曲を手掛けた洞澤徹チームには、前作『TOKYO magic』に参加したベースの北村規夫、ドラムスには足立浩といずれも多くのセッションで知られるミュージシャン達が再び参加し、ギターとプログラミング、ミックスは洞澤徹自身で担当しているのだ。また関の前半曲のミックスと全体のマスタリングはこれまで同様に多くの作品でも知られる、マイクロスターの佐藤清喜に委ねられている。
 さらに洞澤が手掛けた新曲の「空と海のサンバ」では、キーボーディストとして、古くはLampの1stをはじめ多くのセッションに参加し、現在は自身のトリオでの活動が主となっている矢舟テツローが、ゲスト・ボーカリストとして参加しているのも要注目である。
 このように本作『TOKYO step』には、これまでの青野サウンドの集大成的なメンバーが勢ぞろいしており、アルバム・コンセプトである“ネオ・ディスコ”を各メンバー達によって繰り広げている。

 ここでは、筆者による本作『TOKYO step』に収録された全曲の詳細レビューと、青野へのテキスト・インタビュー、そしてソングライティングやレコーディング期間中にイメージ作りで聴いていたプレイリストをお送りするので、聴きながら読んで欲しい。

 
青野りえ ニューアルバム『TOKYO step』
全曲試聴Teaser 

 マスタリング直後音源を入手し聴き込んで早1ヶ月になるが、収録曲の解説をしていこう。
 冒頭の「スカーレット」は、ファーストテンポでスイングする北山のドラミングから始まる関の作編曲のハードエッジなジャズファンクだ。動き回る伊賀のベースライン、多重録音して縦横無尽な山之内のギターカッティング、ピアノでメインコードを奏でる長谷も相当インタープレイを織り込んでいるので、ヘッドアレンジを超えた、白熱した一期一会セッションのサウンドになっており、聴く者を釘付けにしてしまうだろう。
 関はテンションを効かせたブラス系シンセのパッド、リズムの核となっているラテン・フィールのクラベスをプログラミングして全体のトリートメントを施している。この様な完璧なサウンドに、青野の美意識と気品漂う歌詞とボーカルが乗るのだから堪らない。冒頭曲に相応しい完成度に脱帽するばかりだ。
 続く「トワイライト」は、一転してミッドテンポの1980年代の打ち込み系R&Bに通じ、北山の生ドラムに関がプログラミングしたシンセベースやキーボード類が主体となるサウンドだ。間奏では山之内がアーニー・アイズレー風のギターソロを披露し、青野による都会的な歌詞とクールなボーカルに呼応していて、ナイト・ドライヴィング・ミュージックとしても一興である。

ボーイフレンド

 10月14日に先行配信されたばかりの「ボーイフレンド」は、シャッフル・ビートで進行するソフトロック系のプリティなポップスだ。山之内はセンターのアコースティックギターと左チャンネルのモジュレーションを深くセッティングしたエレキギター、この手のサウンドを得意とする長谷は右チャンネルでアコースティックピアノをそれぞれプレイしている。またオブリを奏でるグロッケンやタンバリンなど効果的に配置されており、青野による歌詞は青春ベースボール系で、ユーミンの「まぶしい草野球」(『SURF&SNOW』収録1980年)に通じており、溌溂とした歌声も含めて好感が持てる。
 これまでの青野の歌唱やサウンド・スタイルから本作中最も踏襲しているのが、AOR系の「マーマレイド・タイム」だろう。シンセのリフや青野自身の多重録音によるスキャット、北山と伊賀のリズム隊による跳ねるグルーヴがひたすら気持ちいい。長谷はフェンダーローズ系のエレピとアコピを弾き分けて、山之内はエレキのカッティング、間奏ではアコースティックギターでソロを取るなどアレンジ的にもよく工夫されている。
 続くフランス語タイトルの「マシェリ」は、ワルツや6/8拍子を基本とした軽快なラヴソングで、この手の変拍子リズムでは北山のドラミングが光っている。「ボーイフレンド」同様に尺が2分台なので、もう少し聴いてみたい程、良い演奏と歌唱である。
 関が手掛けた前半(アナログだとA面)最後の「タイニー・ブルー」は、本作のコンセプト“ネオ・ディスコ”を最も体現しているダンス・ナンバーだ。リズムセクションで16ビートを刻むのはアコースティックギターのみで、極力音数を削って隙間を活かしたアレンジとミックスに仕上がっているので、各プレイヤーの巧みでタイトなプレイがより楽しめる。
 またインタビューのプレイリストで青野が触れている、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)のサウンド構築法にも通じるが、原点回帰というか70年代ファンク・ミュージックへの敬意を感じさせる。青野による巧みに韻を踏む歌詞やボーカル・スタイルからもダンス・ナンバーとして完成度が高い。本作からシングルカット(12インチ)するのであれば、間違いなくこの曲だろう。


恋する惑星

 昨年6月に配信リリースされたシングル「恋する惑星」からの後半5曲は、前出の通りThe Bookmarcsの洞澤が手掛けている。この「恋する惑星」はラー・バンド(The RAH Band)の「Clouds Across The Moon」(1985年)のオマージュである。本作『TOKYO step』のコンセプトのきっかけになった、この曲の歌詞は宇宙を舞台にしたラヴソングであるが、歌詞にミラーボールが出てくるのも聴き逃せない。マニアックな読者ならご存知の通り、ラー・バンドはビートルズの「The Long and Winding Road」(『Let It Be』収録/1970年)やポール・マッカートニーのウイングス時代の「マイ・ラヴ」(1973年)をはじめ、ジグソーの「Sky High」(1975年)等のドラマティックなオーケストレーションで知られる、英国人アレンジャーのリチャード・アンソニー・ヒューソンが1977年に妻と結成したプロジェクトである。
 日本において、「Clouds Across The Moon」のカバーやオマージュはこれまでも多々あり、1995年に電気グルーヴ在籍中の砂原良徳がファーストアルバム『CROSSOVER』でクラブ・ミュージック風にアレンジしたカバーが比較的早かった。オマージュ系では2013年に元AKB48の星野みちるがファーストアルバム『星がみちる』に収録した「私はシェディー」(作詞:星野みちる/作曲:はせはじむ)が特に知られるだろう。奇遇にもアレンジとプログラミングは、本作のマスタリングを担当しているマイクロスターの佐藤清喜だった。
 余談が長くなったが、本作収録ヴァージョンの「恋する惑星」がそれらと異なるのは、生楽器を多く取り入れてヒューマンで有機的なグルーヴにアダプトした点だろう。洞澤は全てのプログラミングに加え、右チャンネルでミュートさせたエレキギターのアルペジオを、ベースは北村がスラーを効かせたエレキベースを手弾きしている。この曲のグルーヴの肝となるシンセベース(※シングル・ヴァージョンはシンベ)だけに頼っていないところが新鮮でユニークなのだ。なお近年のヒューソンのインタビューによると、1985年のオリジナル・ヴァージョンのシンベは、当時としては旧式である日本のRoland製 モノフォニック・アナログシンセSH-5(1975年リリース)を使用していたという。

 続く「ASTER」は一転して、アコースティックギター(ガットギター)をメインにしたボサノヴァ・ソウルで、足立のドラムと北村のエレキベースによる生のリズムセクションが心地良い。コード進行も凝っていて、ヴァースからサビに入る手前でさり気なくテンションを効かせ、コーラスやホーン・アレンジも素晴らしく、リード曲ではないが耳残る隠れた名曲である。
 1980年代初期のブラックコンテンポラリー・サウンドに通じる「sweet escape」も触れずにはいられない。イントロからマーヴィン・ゲイの「Sexual Healing」(1982年)を彷彿とさせる、ウィスパー・コーラスやRoland TR-808系の簡素なドラムマシーンなど音数少ない空間で、北村のファンキーなエレキベースがグルーヴを形成していく。青野による都会的な歌詞と表現力豊かなボーカルと非常にマッチしている。


空と海のサンバ

 そして10月1日に先行配信された「空と海のサンバ」だが、この曲によって本作の終盤をビビッドに飾ってくれている。インタビューのプレイリストでは、ラー・バンドの「Sam the Samba Man」(1983年)をリファレンスにしたとのことだが、同曲で聴ける英国人によるプログラミング主体でサウンド全体をデフォルメ加工した80年代のキッチュな感覚(本曲でもアナログシンセ系SEが大胆にインサートされているが)より、洞澤のセンスでスリーリズムを生楽器の演奏にして、オーセンティックなブラジリアン・サンバ色を濃くしたことで、青野の声質や声域にマッチしたサウンドに仕上がっていると感じた。ここではスルドのパターンをロータムでプレイするなど、巧みなドラミングを披露する足立のプレイも光っている。
 またサビをはじめ、イントロやパート間でリフレインするコーラスでは、スペシャルゲスト・ボーカルの矢舟テツローとデュエットしており、青野のアルト〜メゾソプラノ系の透明感ある歌声に、矢船のバスバリトン・ボイスがブレンドすることで、ボーカル・パートのコントラストが際立ち、聴き手の心を高揚させて多幸感を与えてくれる。この感覚はブラジル伝説のシンガー、エリス・レジーナ(Elis Regina)が、同国の至宝とされたシンガー・ソングライターのシコ・ブアルキ(Chico Buarque)とデュエットで発表した「マスカレードの夜(Noite dos Mascarados)」(1967年)にも通じる感覚である。

 本編ラストの「Spoonful Love(スプーン一杯の愛)」は、そのタイトルから弊サイト読者ならジョン・セバスチャンが60年代に組んでいたフォークロック、ポップス・バンドのラヴィン・スプーンフル(The Lovin' Spoonful)をイメージさせるだろう。だがサウンド的には、嘗て弊誌監修で出版した書籍『ソフトロックAtoZ』で高評価した、ソフトロック~アコースティック・ソウル・デュオのアルゾ&ユーディーン(Alzo & Udine)や、1995年に日本でリイシューされ、渋谷系やギターポップ界隈でリバイバル・ヒットした、ハワイアンAORのテンダー・リーフ(Tender Leaf)に通じる、風の通しの良いヤング・フリーソウルに仕上がっている。青野のプレイリストでもアルゾのソロアルバムと、ハワイアンAORを代表するカラパナ(Kalapana)が挙げられているので、その親和性を感じてくれると思う。
 この曲でのサウンドの要は、洞澤による複数のアコースティックギターとエレキギターのカッティングで構築したギター・トラック、波打つような北村のベースライン、ドラム以外に足立がプレイしているコンガを含めたポリリズムの気持ち良さだろう。青野による清々しさを感じさせる歌詞の世界観やナチュラルな歌声が、それらサウンドに溶け込んで大団円を迎えるのであった。


フィナーレを待ちながら

 ボーナス・トラックには今年5月4日に配信シングルでリリースしていた、「フィナーレを待ちながら」を収録している。弊サイトでは当時レビューを紹介済みだが、青野の作詞と近藤の作曲という初のタッグで制作された1曲で、近藤らしいポール・マッカートニーの「Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)」に通じるその曲に、青野が歌詞をつけてローラ・ニーロやキャロル・キングなど70年代初期~中期のシンガー・ソングライター風のサウンドに仕上げられた、ピュアでナチュラルな心情を描いたラヴソングである。


青野りえ★インタビュー
“大貫妙子さんの『Grey Skies』のように、
1枚のアルバムに複数の制作チームが関わるような
スタイルも面白いのではないかと”

●前作『TOKYO magic』から約3年になりますが、この期間にどのような活動をされていたでしょうか?

◎青野:自主企画のワンマンライブをしたり、イベントに呼ばれて歌ったり、2024年からはk-mixのラジオ音楽番組「ようこそ夢街名曲堂」のレギュラーとして出演しています。

●この期間、次回作の歌詞のアイディアやモチーフをストックしたりするタイミングはありましたか?

◎青野:今回はストックなしで、すべて曲を聴いてから作詞に取り掛かりました。

●本作の曲作りとレコーディング期間を教えて下さい。またサウンド・プロデューサーが関美彦さんとThe Bookmarcsの洞澤さんのお二人のプロダクションになったことで、曲作りやレコーディング方法が各自で異なったと思いますが、そのプロセスはいかがだったでしょうか?

前列:青野りえ
後列左から:北村規夫、洞澤徹、足立浩

◎青野:洞澤さんとは昨年の4月に配信シングル「恋する惑星」の制作を始める時に、次のアルバムを見据えてのリリースであることを話しました。ラー・バンドみたいな音像のネオ・ディスコをやりたいというコンセプトはこの時から構想していました。洞澤さんと作るときは、まず洞澤さんがデモを作り、そこに私の歌詞と歌を入れた音源を返し、それを元に洞澤さんがアレンジを固めていくスタイルで、本番の歌入れまではオンラインでのやりとりです。
関さんの場合は、関さんの簡単な弾き語りデモを元に、レコーディングメンバーが全員スタジオに集まって、セッションをしながらアレンジを固めていくスタイルです。

●なるほど昨年リリースされたシングル「恋する惑星」が、本作『TOKYO step』のコンセプトのきっかけになっているということですね。またそれぞれのサウンド・プロデューサーのカラーが曲調にも出ていて興味深いです。洞澤さんが手掛けた同曲は打ち込み主体ながら生演奏も加えたヒューマンさが感じられて、ラー・バンド(The RAH Band)の「Clouds Across The Moon」(1985年)のオマージュが懐かしくも新しかったです。
一方で関さんのスタイルが顕著に出ているのは、冒頭の「スカーレット」だなと。明らかにレコーディング・セッションのヘッドアレンジで構築されたクールなサウンドです。青野さんのファーストアルバム『PASTORAL』(2017年)のタイトル曲にも通じる、スティーリー・ダン的手法がさすがだと思います。 この様にタイプが異なる2名のアレンジャー兼サウンド・プロデューサーを1枚のアルバムに迎えるというアイディアは当初から考えていたでしょうか?

◎青野:4枚目のアルバムはこれまでの3枚とは違うことをしたい、という気持ちは元々ありました。そんな矢先、ベースの伊賀さんと話していて、ラー・バンドみたいな音楽をやるなら関さんの曲も聴いてみたい、と言われたのがきっかけで、例えば大貫妙子さんの『Grey Skies』のように、1枚のアルバムに複数の制作チームが関わるようなスタイルも面白いのではないかと思うようになりました。


“今までのシティ・ポップの路線は一旦忘れて
新しい感覚の音楽をという意識はあった” 

●レコーディング中の特質すべきエピソードをお聞かせ下さい。 サウンド・プロデューサーの関さんと洞澤さん、レコーディング・セッションに参加したミュージシャンの方々はこれまでの作品にも参加されている訳ですが、あらたな発見などはあったでしょうか?

前列左から:長谷泰宏、青野りえ、
一人置いて北山ゆう子、関美彦、山之内俊夫
後列:伊賀航

◎青野:今回は関さんサイドのスケジュールがかなり限られていたので、まだ歌詞もできていない状態でアレンジを固め、楽器のレコーディングも先に完了し、完パケしたオケに合わせて私が歌詞を書いて歌って仕上げることになりました。オケだけでも素晴らしいクオリティだったので作詞のハードルが上がってしまい、かなりプレッシャーの中での制作となりましたが、なんとか納得のいく作品ができてホッとしました。関さんサイドの歌のレコーディングは自宅にて自分で録音したのですが、真夏の酷暑の部屋でエアコンを切ってレコーディングしたのがかなりの苦行でした。

関さんも洞澤さんもメンバーの皆さんも相変わらずのクオリティでした。今までのシティ・ポップの路線は一旦忘れて新しい感覚の音楽をという意識はあったと思います。

●曲先ならまだしも、”オケ先”で作詞していくというのは稀だし作詞家兼ボーカリストとしては大変な作業ですよね。アレンジのアイディア自体、歌詞の世界観をモチーフにしていくケースが多いと思います。関さんには事前に曲のタイトルやイメージのみ伝えていた感じですか? 

◎青野:関さんには私のイメージは伝えていません。関さんと歌詞について話し合ったことはあまりなくて、お互いに信頼していて任せてくれているような感覚があります。タイトルも歌詞ができてから最後にお伝えしました。


後列左から:青野りえ、矢舟テツロー、洞澤徹


●本作のジャケット・デザインも青野さん自ら担当されていますが、デザイン・コンセプトについてお聞かせ下さい。

◎青野:前作の『TOKYO magic』と同じく、「海外から見た東京」のイメージは引き継いで、新旧あらゆるジャンルのものが混在する東京の面白さ、例えばスカイツリーと五重塔の対比やビル群の中に現れる富士山などを散りばめて表現しました。
私の音楽も60年代〜90年代の様々なジャンルのお気に入りの音楽に影響されて形成されているので、時代を超えたノスタルジーとロマンチックな世界観を感じていただけたらと思います。


●ソングライティングやレコーディング期間中、イメージ作りで聴いていた曲を各サウンド・プロデューサーのお二人と挙げて下さい。

『TOKYO step』プレイリスト

●Sam the Samba Man / The Rah Band(『Going Up』1983年)
レトロなシンセとキャッチーなメロディと踊れるグルーヴ。アルバム全体のコンセプト・イメージです。「空と海のサンバ」のリファレンス曲でもあります。

●I Remember Yesterday / Donna Summer(『I Remember Yesterday』1977年)
関さんに今作の「レトロなディスコライクで踊れる曲を」というコンセプトを話した際に1番最初に挙げられた曲。

●I'll Play The Fool / Dr.Buzzard's Original Savannah Band
 (『Dr.Buzzard's Original Savannah Band』1976年)
こちらもアルバム全体のコンセプト。レトロなスウィング・ジャズとラテンとディスコの融合、フランス由来のクレオールならではのシックな雰囲気も大好きです。

●Gettin' Ready for Love / Diana Ross(『Baby It's Me』1977年)
関さんがリファレンスに挙げてくれた曲。「ボーイフレンド」はこの曲にインスパイアされたのではと思います。

●Sunday in New York / Joanie Sommers(『Come Alive!』1965年)
古き良き曲とうた。今作の関さんサイドはこのようなジャズ・テイストの雰囲気をまとっているのではと思います。

●On My Soul / Bruno Mars(『The Romantic』2026年)
テーマがディスコなので新しい音楽からも刺激を受けています。「タイニー・ブルー」の着想はこんなイメージでした。

●The Hurt / Kalapana(『Kalapana』1975年)
ハワイアンAORのナチュラルなグルーヴもアルバム全体のリファレンスでした。「マーマレイド・タイム」「Spoonful Love (スプーン一杯の愛)」のギターに片鱗がみられると思います。

●That's Alright (I Don't Mind It) / Alzo(『Alzo』1972年)
「Spoonful Love (スプーン一杯の愛)」はアコースティックな音色でグルーヴィを目指しました。

●Circle / Swan Dive(『Circle』1998年)
普遍的でキャッチーでグルーヴィなものをというコンセプトのお手本に。

⚫︎I Do My Best To Impress / Linda Lewis(「Not a Little Girl Anymore」1975年)
落ち着いた曲調ながらグルーヴを強く感じるリズムアレンジ、複雑だけどポップに感じるエレピの進行、そこがヒントになりました。

●Clouds Across The Moon / RAH Band(『Mystery』1985年)
言わずもがな、「恋する惑星」はこの曲へのオマージュ。 レトロなシンセの音に耳を持っていかれますが、実はとても美しいメロディで、R&Bテイストのアレンジにしても映える曲です。私がラー・バンドを好きな1番の理由は、リチャード・アンソニー・ヒューソンの上品な曲そのものにあります。




●リリースに合わせたレコ発ライブが確定されていますが、是非詳しくご紹介下さい。 

◎青野:矢舟テツローさんの出演が追加決定しました! 
関さんサイド、洞澤さんサイドを二部構成でお届けします。
このお二人が一度にライブに参加される機会は滅多にないと思います。
新曲はすべて披露する予定なのでどうぞお楽しみに。

 「青野りえ『TOKYO step』リリース・パーティ」

【日時】2026年10月17日(土)
OPEN 12:00/START 12:30(終演予定 14:30)

【会場】渋谷gee-ge
東京都渋谷区宇田川町3-10
いちごフィエスタ渋谷4F
TEL 03-6416-3468

【料金】前売¥3,800 (+1drink)/当日¥4,300 (+1drink) 

【出演】青野りえ(Vo.)/関美彦(G.)/洞澤徹(G.)/伊賀航(B.)/
北山ゆう子(Dr.)/長谷泰宏(Pf.)/矢舟テツロー(ゲストVo.)

【ご予約】こちらから>https://tiget.net/events/520919


●では最後に本作『TOKYO stepのアピールをお願いします。

◎青野:今作は、音楽を聴いて心躍るような、ご機嫌な気分になって欲しい!という想いを込めて作りました。
サウンド・プロデュースには、関美彦さんと洞澤徹さんの両チームを迎え、さらにボーナス・トラックとして、近藤健太郎の作曲による「フィナーレを待ちながら」を収録した盛りだくさんのデラックスな内容です。

そして今回は、矢舟テツローさんをゲスト・ボーカルにお迎えした曲「空と海のサンバ(feat.矢舟テツロー)」も要注目です。
矢舟さんは小西康陽さんのプロデュースでアルバムをリリースされたり、野宮真貴さんのサポートでも近年ご活躍中のピアニスト&シンガー・ソングライターですが、低音で独特の小粋な雰囲気を纏う矢舟さんのボーカルが加わったことで、目指していたサヴァンナ・バンドの雰囲気に近づけたのではないかと思っています。

古き良きシティ・ポップやAORへのオマージュはそのままに、よりグルーヴィに、ノスタルジーと宇宙と、現代の東京を行き来するようなロマンチックな楽曲をお楽しみください!

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【青野りえ★プロフィール】
都会的なメロウ感と、無垢な透明感を併せ持つ歌声のシンガー。富山県出身。 1996年、亀渕友香率いるゴスペル・グループ“VOJA”のメンバーとしてデビュー。沖井礼二(TWEEDEES/ex.Cymbals)のソロ・プロジェクト“FROG”にゲスト・ヴォーカルとして参加。
またコナミ「pop'n music」「beatmania」等のゲーム音楽での歌唱や、資生堂、ユニクロの CMナレーション等、様々なレコーディング、ライヴ、TV、CM で活動している。
2017年、関美彦プロデュースによる1stアルバム『PASTORAL』(ヴィヴィド・サウンド)をリリース。
2022年、同じく関美彦プロデュースによる2ndアルバム『Rain or Shine』(FLY HIGH RECORDS)をリリースし、ジャパニーズAOR/シティ・ポップ・ファンの間で話題に。
さらに2021年にリリースした配信シングル「Never Can Say Goodbye」(洞澤徹プロデュース)が話題となり、2023年11月、3rdアルバム『TOKYO magic』 をFLY HIGH RECORDSからリリース。
2025年6月6日、洞澤徹プロデュースによるデジタル・シングル「恋する惑星」をリリース。
2025年12月5日、藍田理緒のデジタル・シングル「青いカケラ」(作詞:青野りえ/作曲:近藤健太郎)リリース。
そして2026年5月4日、デジタル・シングル「フィナーレを待ちながら」リリース。
2026年10月21日、待望の4thアルバム『TOKYO step』リリース。関美彦と洞澤徹がそれぞれプロデュースし、先行シングル「恋する惑星」「フィナーレを待ちながら」を収録した自信作。
現在、K-MIX(静岡エフエム)の音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」(土曜21:00〜)にレギュラー出演中。 

青野りえOfficial Web Site: http://aonorie.com
X(旧Twitter): @rie_aono
FLY HIGH RECORDS Official Web Site:https://flyhighrecords.hatenablog.com/

(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ)