2021年5月23日日曜日

1971年Led Zeppelin初来日、日本武道館公演 (Part-1)


 私はこれまで数多くのライヴに足を運んでいるが、初参戦(有料での)は1971年“ロックカーニバル#7”として日本武道館で開催された「レッド・ツェッペリン(以下、Zep)特別公演」だった。ちなみに、この武道館公演は9月23、24日2Daysで、私が見たのは24日午後2時開演分だった。
 この当時の私は静岡県清水市(現:静岡市清水区)在住の高校生で、まだクラブ活動(バレー・ボール)に熱中しており、レコードは友人に借りて聴くことの多い音楽ファン歴1年、所有枚数は10枚程度の初心者。初めてまともに購入したレコードは1970年10月に映画を見て気に入った『A Hard Day’s Night(ビートルズがやってくる“ヤァ!ヤァ!ヤァ!”)/The Beatles』という、遅れてきたビートルズ・ファンのひとりだった。
 そんな私がZepを知ったのは、1970年12月から購入を始めた音楽雑誌ミュージック・ライフ(以下、ML)掲載記事だった。その内容は、「英国メロディー・メーカー誌の人気投票でZepが1位の座を1963年から続いたザ・ビートルズ(以下、B4)から奪取」というもので、熱狂的ビートルズ・ファンの私にとっては「Zep憎し」という思いを募らせる大事件だった。 
  とはいえ、その時期頻繁に流れていたZepの新曲<Immigrant Song(移民の歌)>はあまりに衝撃的で、その発売を待ちこがれるようになっていた。そして1971年1月24日に購入するも、そのジャケットがMLの広告に掲載されていた“ロバート・プラントのシャウト・ポーズ”(注1)ではなく、『Ⅲ』の裏ジャケという平凡なもので肩透かしを喰ってしまった。
 なぜそれが気になったのかと言えば、Zepの大ヒット<Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)>のジャケットに連動するようなロバートの躍動感がいかしていたからだった。 

 そんな当時の私の情報源は、1970年7月1日から地元SBSラジオで放送開始した「オールナイト・ニッポン」土曜日深夜のカメちゃん(亀淵昭信氏)放送と、日曜朝8時15分から放送の八木ちゃん(八木誠氏)「TBSポップス・ホット10」だった。毎週土曜は5時までカメちゃんを聞き2時間ほど仮眠をして、日曜のクラブ朝練に向かい、学校で八木ちゃんのチャートをチェックした後にクラブ活動をこなすという、殺人的な週末を過ごしていた。 

 また私の家族は音楽には無縁の一家だったので、ステレオなどという高級なものは無く、レコードは持ち運び式のポータブル・プレーヤーで聴き、針を交換するという事も知らなかった。そもそも私はアニメや特撮もののソノシートを聞くためにプレーヤーを持っていていたので、意識が低いのは当然だった。 そんな私がステレオが欲しくなったのは、音楽好きの友人宅にはみなステレオがあったからだった。またアニメ「サザエさん」のスポンサーだった東芝が、ビートルズの映像を使用したステレオのCM(注2)を頻繁に流していたことも、後押しになった。

 本論から話がずれてしまったので、来日公演へ向かう話に戻す。そもそも、1971年当時まだまださほど音楽に詳しくもない私がZep公演行きを決めたのは、親友Qの影響からだった。彼は7月17日に後楽園球場で豪雨の中敢行された「Grand Funk Railroard(以下、GFR)公演」に足を運んでおり、夏休み中にその壮絶なライヴ体験を熱く語ってくれたからだ。
 なおこのGFR公演の熱狂的な公演模様は、MLはもとより一般の新聞紙面にもスナップ付きで掲載されていた。とはいうものの、その当時は何を見たらいいのか判断もつかなかった。 
 
 そんな時にMLに掲載されていたのが、Zepの初来日記事だった。その日程を見ると「9/23(木)開場PM5:30 開演6:30 、9/24(祭)開場PM1:00 開演2:00武道館大ホール S:2700 A:2300 B:2000 C:1500」となっていた。 
 平日ならともかく祭日の昼公演であれば“日帰りも可能”とばかり、当日は体育祭開催日にもかかわらず親に拝み倒して承諾を得た。
 とはいえ一人で行くほどの根性もなく、友人Qの興味は洋楽から和物に移り、「吉田拓郎」(注3)がイチオシになっていた。そんなわけで学校には体育祭のエスケイプを誘えるほどの友人はいなかった。さらに私の周辺では、Zepと言えば「ターザン・ソング」「なんでもソング」(注4)などと茶化す者もいて声掛けには苦労した。そんな中、進学校に通う中学時代の友人Oが誘い受けてくれ、彼と行くことにした。 
 肝心のチケットだが、当時は“ぴあ”などの全国展開のプレイガイドもなく、購入は東京の親戚にお願いした。ただチケットの売れ行きは「過去最大のスピードで売れている」という情報もあり不安もあったが、無事武道館2階のC席チケットが2枚届いた。 

  そして夏休みが終わりZep公演ことをQに話した。すると彼は「コンサートはどんな格好して行くつもりだよ?」と問われるも、そこまでは何も考えていなかった。そこでファッションにはこだわる彼から、当日のコーディネイトのアドヴァイスを受けた。 
 まず上着には当時ブームだった「USアーミー・ジャケット」、彼もそれを着てGFRに行ったとのことだった。それは彼に借りることにして、調達品はインナーがTシャツとGパン、ブランドスニーカーを指定された。

 翌日Tシャツは「VAN」で購入、Gパンは“Revis”は手が届かなかったので、「オールナイト・ニッポン」のスポンサーだった“Bigstone”を購入。 スニーカーはバレーボールで使用していた「オニズカTiger」で間に合わせた。
 あとの持ち物として隠し撮りの準備を助言され、友人から「超小型カセット・レコーダー」(注5)を借りた。当然持ち物検査もあるだろうからと、カムフラージュ用に懸賞で当選した「GXワールドボーイ」(注6)を持参することにした。なお収納キャリング・ケースには「ピース・マーク」をペイントする小細工もしておいた。 

 このように出発準備は整ったが、肝心の楽曲はシングルとなっていた数曲しか知らなかったので、友人から『Ⅱ』『Ⅲ』を借りて、公演前日まで必死に予習をしていた。
 (以下、Part-2に続く)
 

(注1)1970年10月にリリースされた「Led Zeppelin Ⅲ」は、日本では当初「日本グラモフォン」から発売されていた。シングル<移民の歌>は発売直前に配給元が新会社「ワーナーブラザース・パイオニア」へ移行し、「日本グラモフォン」盤シングルは業界関係に配布されたプロモーション盤が存在する。その後、ファンの間で高額取引されるレア・アイテムとなった。なおそのジャケ写は故八木誠氏の著書『洋楽ヒットチャート大辞典』(2009年・小学館)の1971年ヒット曲に掲載されている。 

 (注2)東芝ステレオ「ICボストン」。映画「Let It Be」のルーフ・トップ・コンサートの映像に、<Let It Be>の音源をかぶせたCMが「サザエさん」のエンディングで、毎週放映されていた。 

注3)彼は1971年6月7日に発売となった『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』で日本の音楽に目覚めていた。なお、8月には静岡市水落にあった旧「ナショナル・ショー・ルーム」で拓郎さんの公開収録が開催され、私もQと参加している。ということで、私の正確な初生ライヴ体験はこちらだ。

(注4)<移民の歌>トップの雄叫びがターザンを連想、また冒頭の歌詞が「何でもかんでも愛して頂戴」と空耳できるという友人がいた。 

(注5)アポロ11号の搭乗員が宇宙に持参したと話題になったSonyのカセット・レコーダー。この内容は当時の新聞広告掲載記事で、パスポート・サイズの超小型レコーダー。

(注6)当時購読していた「高2コース」で募集した、日本初のタイマー付き3バンドラジオNational(現:Panasonic)「GXワールドボーイ」の“キャッチフレーズ募集”にて当選した商品。 

(文・構成 鈴木英之)

2021年5月9日日曜日

名手達のベストプレイ総集編パート2

 2019年3月のハル・ブレイン氏追悼で始まった「名手達のベストプレイ」は、番外編を含め10回まで続いています。今回は昨年掲載した回を振り返り改めて紹介します。

 レコーディング・セッション百戦錬磨の名プレイヤー達と、日本が誇る偉大な作編曲家を敬愛するミュージシャン達による拘りの選曲が、サブスクのプレイリストで一気に楽しめるということで、新たなリスニング・スタイルを確率したと自負しています。
 是非そんなプレイリストを聴きながらリンク先(各タイトルをクリック)の各曲解説を再読し楽しんで欲しいです。
 また今後もこの企画を継続したいと考えているので、新たな参加ミュージシャンを募集しています。興味を持った方は、本記事のコメント欄から管理人宛に応募して下さい。
 
















 (企画 / 編集:ウチタカヒデ)

2021年5月2日日曜日

【ガレージバンドの探索・第十一回】The Squires

 Pebbles Vol.1 や Psychedelic Unknowns などのコンピレーションにも収録され、ガレージクラシックスとして知られるThe Squiresの「Going All The Way」。ガレージサウンドの荒々しさに美しさも兼ね備えた名曲だと思う。気が遠くなるようなオルガンも魅力的。Farfisaのオルガンの音らしい。

Going All The Way / The Squires

 The Squiresは60年代に結成されたコネチカット州ブリストルの高校生バンドで、結成当初はThe Roguesという名前のバンドだった。このThe Roguesで65年にシングルを一枚、地元のPeytonレーベルからリリース。(PEYTON – P-1001) その後66年にニューヨークのスタジオで録音した音源のうち、「Going All The Way」(B面: Go Ahead) がAtco Recordsからリリースされている。(ATCO Records – 45-6442)この時Atco Records の案によりバンド名が変更されたそうだ。The Squiresとしてのリリースも当時はこのシングル一枚のみ。

 ティーンガレージはあまりバンド単独のアルバムで聴くには適さないジャンルに思えるしThe Squiresに関しても「Going All The Way」だけで聴かれることが多いかもしれない。と言ってもアルバムが存在していれば他の曲も聴いてみたくなる。1986年にCRYPT RECORDSから出ていたアルバム、The Squiresのシングル曲の他、TheRogues名義でリリースした音源と、未発表のデモ音源、スタジオ音源から構成された『GOING ALL THE WAY WITH THE SQUIRES! 』 (CRYPT LP-008) を購入してみた。

 「Going All The Way」のB面曲、The Byrdsに影響を受けたとされる 「Go Ahead」や、その他の未発表曲の多くも随所にセンスのいいメロディックさが感じられたり、と思えばThemの「Gloria」のカバーや、未発表デモのThe Originalなど、威勢のいい楽曲も含まれバンドの多様さを楽しめる。

Go Ahead / The Squires

 2015年にはさらに未発表のデモやライブ音源が追加され、The Rogues期の「Going All The Way」「Go Ahead」のボーナス7インチが付いたLPもリリースされている。デモ音源などをまとめているので、本来商品化されるような状態の音源でないようなものもあるのだけれど、そんな生々しさが愛おしく感じられるのもティーンガレージの魅力のひとつに思える。


【文:西岡利恵

参考・参照サイト

http://ontheflip-side.blogspot.com/2011/07/song-of-week-going-all-way-squires.html?m=1