2021年1月15日金曜日

The BuckaroosのDon Richについて

 普段は【ガレージバンドの探索】というコラムを書いているけれど、ガレージロックしか聴かないというわけでもなく、その時々で好きだと思ったものを聴いていて少し前にカントリー音楽に興味をもった。

 あまりないパターンかもしれないけれど、そのきっかけはガレージだった。【ガレージバンドの探索・第四回】で取り上げたDownliners Sectはガレージ、R&Bとして括られるようなバンドにも関わらず、一枚カントリーのアルバムを出している。そのアルバムはあまり人気が高くなく、私もあまりしっかりと聴いてはいなかったけれど、記事を書く機会に原曲も合わせて聴いてみた。その中でとても気に入った曲がHarlan Perry Howard作曲の「Above & Beyond」だった。この曲を歌っているカントリーシンガーBuck Owensにもとても惹かれた。Buck Owensはカントリー歌手として多くのヒット曲で有名だけれど、よく知られるのはThe Beatlesがカバーした「Act Naturally」かもしれない。「Act Naturally」の原曲はずっとBuck Owens And The Buckaroosだと思っていたのだけれど、もとはカントリーミュージシャンJohnny Russellの曲のようだ。

 Buck Owens And The Buckaroosについて調べてみると、そのサウンドはベイカーズフィールドサウンドと呼ばれる種類のカントリーだそうで、Chet Atkinsなどが開始したナッシュビルサウンドのライバルにあたるらしい。このベイカーズフィールドサウンドのスカッとする陽気さが好きだ。そしてBuck Owens以上に興味をもったのが彼のバックバンドThe BuckaroosのリーダーDon Rich。ギター、フィドル、テナーコーラスなど多くの役割をこなす。快活なテレキャスターのサウンド、朗らかな歌声を聴いていると最高に気分がいい。

(左)Don Rich (右)Buck Owens

 1941年、ワシントン州オリンピアで生まれたDon Richは幼い頃からフィドルやギターを弾いていたそうだ。高校生の頃、Blue Cometsというロックンロールバンドを結成し地元のレストランなどで演奏していた。1958年にタコマのSteve’s Gay ’90sでBuck Owensにフィドル奏者としてスカウトされ、始めは大学進学のために断ったものの1年後大学を中退してバンドに参加することを決断。フィドルを演奏した最初のトラックが「Above & Beyond」だそうだ。


 Don Richがリードギターを担当している1963年リリースの「Act Naturally」以降はギタリストとしても活躍していき、Buck OwensとDon Richは相棒のようなお互いなくてはならない関係を築いていく。しかし人気バンドとして成功するも、1974年Don Richは32歳の若さでバイク事故により他界した。

 2000年にSundazedからリリースされている『Country Pickin': The Don Rich Anthology』(SUNDAZED SC11091)では、Don Richが関わった多くの作品の中でも、彼の歌や演奏がメインとなるものが集められている。



【文:西岡利恵



2021年1月5日火曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(岡崎友紀)

 岡崎友紀といえば1970年にスタートしたテレビ・ドラマ『奥さまは18歳』を連想される方が多いはずだ。それもそのはず、最高視聴率33%(平均25%)という大ブレイクで、日本の“ラブ・コメディ”の原点となった番組だった。その主演女優としてトップ・アイドルの座を不動のものにしていたのが彼女だ。このドラマで夫婦となった石立鉄男との「て・つ・や♡」「あ・す・か!」のやりとりが目に焼き付いている同世代も多いことだろう。この番組は絶大な人気を獲得し、映画化されそして「18歳シリーズ」として彼女の主演ドラマ・シリーズ化もされている。そんな彼女は、同時期に放映されていた“スポーツ根性ドラマ”『柔道一直線』のマドンナ役で清純派女優吉沢京子と並び、若手女優2トップとして君臨していた。

 なお彼女は歌手活動にも精力的に取り組んでおり、アイドル時代にはシングル22枚、LPは13枚(1枚はライヴ盤)をリリースしている。ライバルだった吉沢京子がシングル7枚、LP1枚だったことと比較すれば、その本気ぶりが伺えるはずだ。

 最大ヒットは筒美京平=橋本淳コンビの1972年<私は忘れない>(21位;18.1万枚)が挙げられる。このコンビからはテレビ・ドラマの主題歌<なんたって18歳!><ママはライバル>をはじめ人気作を提供されているが、注目は1976年19枚目のシングル<グッド・ラック・アンド・グッバイ>だろう。この曲は
後にユーミンが『14番目の月』に収録するナンバーだった。なおこの歌手活動では『奥さまは18歳』の役名だった「高木飛鳥」のペン・ネームで自身の持ち歌の作詞も手掛けていた。
 

 余談になるが、彼女は熱狂的なスヌーピー・マニアとして有名で、ぬいぐるみとのスナップが数多く紹介されている。
 その後、結婚を機に惜しまれながら引退したが、離婚をへて芸能活動を再開している。そして歌手としての復帰第一作が1980年にYUKI名義で発表した<ドゥー・ユー・リメンバー・ミー>(作:加藤和彦)だった。この脱アイドルを図った再デビュー作は大きな話題となり、彼女の代表作といえるほどヒットとなり、後にキタキマユがカヴァーをするほどの傑作になった。そしてこの勢いで、加藤和彦と清水信之と組んだ『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』を発表。


 さらに翌1981年には、前作に続き<ファースト・ブラッド>、そして新たに<センチメンタル・シティ・ロマンス>の協力を得た『So Many Friends』をリリースしている。このアルバムはシンガーとして十分に満足いく仕上がりだったものの、大きな話題にはいたらず、以降新作は発売されていない。
 多分この時期にもライヴを開催していたはずなのだが、残念ながらこの年には私自身は東京の生活から静岡に戻ってしまったので、聴くことは叶わなかった。  

 その後の彼女は1991年に劇団『NEWS』を結成し、若手俳優の指導育成にあたり、みずから脚本・演出・振り付けを手掛けた定期公演を開催している。同時に彼女自身もタレント・舞台女優として活動し、「岡崎友狸(ゆうり)」の雅号を持つ書道師範としても活躍。更に現在「エルザ自然保護会」副会長、「地球こどもクラブ」理事、「日本パンダ保護協会」評議員などの重役も担い、環境保護活動にも積極的に取り組んでいる。  


『ライヴ!岡崎友紀 マイ・コンサート』 
1975年3月5日 / 東芝 / TP-72032  国内チャート 71位  0.4万枚 

①心もよう(井上陽水:1973)、②恋のささやき(小坂恭子:1974)、③メドレー(白い船で行きたいな~黄色い船~私は忘れない)、④ワンマン・ミュージカル:アンナの旅、⑤悪夢(You Haven’t Done Nohing)(スティーヴィ・ワンダー:1974)、⑥土曜の朝には(Come Saturday Morning)(サンドパイパーズ:1969/1970)、⑦ザッツ・オールド・アメリカン・ドリーム(That Old American Dream)(ヘレン・レディ:1974)、⑧いろは、⑨歌のある限り(Keep On Singing)(ヘレン・レディ:1974)、⑩この世の果てまで(End Of The World)(スキーター・デイヴィス:1963) 

 彼女待望のライヴ・アルバムは1974年12月7日の模様を収録したものだ。アイドルとしての全盛期を過ぎた頃のライヴだが、旬の洋楽カヴァーにチャレンジするなど、シンガーとしての意欲は買える。
 このアルバムでの注目点は、当時、同じ「東芝」所属の気鋭のマルチ・プレーヤー、深町純がアレンジャーとして参加しているところだ。この時期の深町は『Introducing』『六喩(ろくゆ)』といった先進的なインスト・アルバムを発表しており、それゆえおおいに期待したものだが、残念ながらかかわったのは①~③のみだった。とはいえヒット・メドレー③が深町のアレンジで聴けるは価値があると思う。
 なお、洋楽カヴァーの訳詩は彼女自身(高木飛鳥名義)によるものだ。 その肝心の洋楽カヴァーだが、⑤はテンポこそ彼女に合っているが、シャウトするよりも、『奥様は18歳』の飛鳥役のようにどこかすねた感じで表現したほうが、よりフィットしていたように感じる。サントラ・ナンバー⑥は、いかにも女優を自負したような選曲だ。続く⑦⑨はヘレン・レディのレパートリーからで、⑦はファンク調に、⑨は原曲よりもややアップ・テンポに仕上げており、当時21歳の等身大の姿が反映された仕上がりになっている。  

参考1:カヴァー収録曲について 
①心もよう 
 日本初のミリオン・アルバムとなった井上陽水の1973年リリースのサード・アルバム『氷の世界』からのファースト・シングル。陽水自身初のトップ10(7位;42.3万枚)ヒットとなった。

②恋のささやき 
 <想い出まくら>の大ヒットで知られる小坂恭子の1974年5月デビュー曲。この曲は1974年第7回の「ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテスト」グランプリ曲。
 
⑤悪夢 
 原題<You Haven’t Done Nohing>。スティーヴィ・ワンダー1975年の「グラミー賞最優秀アルバム賞」受賞作で初全米1位作『ファースト・フィナーレ(Fulfillingness' First Finale)』からのファースト・シングルで自身4作目の全米1位曲。バック・コーラスを務めたのは当時、同じモータウンに所属していたジャクソン・ファイヴ。
 
⑥土曜の朝には
  原題<Come Saturday Morning>。A&M所属のソフト・コーラス・グループ、サンドパイパーズの<Guantanamera!>と並ぶ代表作。1969年に1度リリースされるも不発に終わるが、1969年秋公開の映画『くちづけ(The Sterile Cuckoo)』(ライザ・ミネリ主演)の挿入歌となり、1970年に全米17位(A.C.5位)を記録した。8作目のアルバム『Come Saturday Morning』(1970)収録。 

⑦ザッツ・オールド・アメリカン・ドリーム
  原題<That Old American Dream>。ヘレン・レディの5作目のアルバム『Love Song For Jeffrey』(1974年:全米11位)収録曲。ヒットメーカーのマイケル・ヘイゼルウッド=アルバート・ハモンドの共作曲。 

⑨歌のある限り  
 原題<Keep On Singing>。ヘレン・レディ第5作『Love Song For Jeffrey』からファースト・シングルで全米15位(A.C.1位)を記録した彼女の代表曲のひとつ。作者はモンキーズのヒット・ソングを数多く手がけたボビー・ハートと、ダニー・ジャンセン。

⑩この世の果てまで 
 原題<End Of The World>。オリジナルは1963年全米2位にランクされた人気カントリー歌手スキーター・デイヴィスの代表曲。この時期のカヴァーは、当時ロングセラーになっていたカーペンターズ『Now & Then』の収録を意識したのかもしれない。

(鈴木英之)