2019年12月13日金曜日

NOTO:『NOTO』(考槃堂商店/KHDR-002)桶田知道インタビュー


 NOTOは昨年5月にセカンド・ソロアルバム『秉燭譚(ヘイショクタン)』(KHDR-001)をリリースした桶田知道の企画的プロジェクトである。
 桶田はプロデュースの他、ソングライティングとアレンジ、エンジニアリングまでを手掛けている。このプロジェクトには、ヴォーカリスト(Voiceと表記)にYUKI SHIGA、もう一人のソングライター(一部アコースティック・ギターもプレイ)として眞鍋剛基が参加している。
 これまでの桶田のソロアルバム『丁酉目録』(UWAN-002)や『秉燭譚』とコンセプトやサウンドとは明らかに違い、このプロジェクトの在り方も不明な点が多い。
 筆者個人のフェイヴァリット・ナンバーはドラマティックな展開を持つプログレ・テクノというべき「緑の心臓」(某プロサッカークラブの公式ファンクラブとは関係ない)だが、ムーンライダーズ・ミーツ・大貫妙子的な「野辺のカレード」にはロシア民謡的コーラスが入り、80年代テクノ歌謡風の「浮かれ気分」はタイトルそのままにデビュー時の快活な頃の飯島真理の匂いもしたりと、いちいちマニア心をくすぐる。とにかく掴み所が無く一筋縄ではいかないのが、この”NOTO”というプロジェクトなのだ。
 ここではリリース前で多忙な桶田にこのアルバムについて聞いたインタビューをお送りしよう。


桶田知道

●まず、このプロジェクト“NOTO"で音楽制作しようとしたきっかけを教えて下さい。

桶田:ソロ転向の際に立ち上げた「考槃堂(コウハンドウ)」という自主レーベルの、一応主宰者という観点から、桶田名義作品じゃない物もあっていいのでは?と、ふと思ったのが事の発端であったと記憶しています。あとは流れるまま、というような感じです。タイミングよく今作参加の2名と知り合った事もあり、大きく振り切った企画盤にしてみようと考えました。

●プロジェクトに参加したメンバーはどういった方々ですか? 

桶田:今回参加していただいた2名とも共通の友人を介して知り合いました。 ”Voice”をお願いしたYUKI SHIGAさんは某コンペ提出用音源の仮歌でお願いしたのが出会いです。歌メロのレンジが広めの編曲、且つ少し特殊な歌唱法をお願いしたのですが割とすぐ対応していただき、各音域それぞれに違った魅力があり、それでいてフラットな印象でした。
後日オファーの際「かなり変な加工もしますが大丈夫ですか?」との確認にも快く応じていただき参加が決まりました。

楽曲提供・アートディレクションと多岐にわたって協力いただいた眞鍋剛基氏とは偶然にも音楽趣味が似ており色々話は盛り上がったのですが、同じ音楽の話をしているにも関わらず、どうも切り口が特殊だなと感じました。手法や背景に焦点を当てるような彼独自の深層的な観点が面白く、何か一緒にやるべきだと思ってオファーしました。
『秉燭譚』で作詞参加の岩本孝太氏にも言えることですが、そういった一種の特殊性を持った身近な人を放っておけない性分なんだと思います。



YUKI SHIGA

眞鍋剛基

 ●「特殊性を持った身近な人を放っておけない性分」というのが桶田さんらしいですね(笑)。
ではこのプロジェクトに欠かせないお二人の良さが出ている点を挙げて下さい。

桶田:YUKI SHIGAさんは言わずもがな声の良さだと思っています。個人的な感想ですが。彼女の嗜好性はよく存じませんが、今回の”NOTO”は非常に異質なものだったと思いますし、ゆえに飾らないスタイルというのがすんなり引き出せたように思います。
非常に魅力的でした。 眞鍋氏の曲はメロディも詞も”NOTO”の内面性が出ている印象で、当たり前の話ではありますが、僕の曲とは毛色が違うのでアルバムトータルの抑揚がつきましたしソロでは出せない面白さが出せたと思います。アートディレクションにおいても彼の感性が色濃く出ていると思います。

●作曲やレコーディングはいつ頃から着手しましたか?またその期間は?

桶田:『秉燭譚』の時もやりましたが、僕は制作前に簡単な企画書、覚書のようなものを作ります。 特に今回は完全な企画モノなのでその作業は必須で、それを作ったのが3月頃、まずは眞鍋氏に共有してもらい、4月末に数曲上がったという感じです。
眞鍋氏作の「暮らし」の編曲を先行し、同時期に作った「NEO CORPSE」と合わせた2曲によって全体のテーマがうっすらと見えました。
歌のレコーディングの開始は5月末日からです。当初は夏季リリース前提のミニアルバム規模のものを想定しており、録音日程も数日間を予定していました。しかし、この2曲へ帰結するような落とし所を模索しているうちに規模が膨れ上がり、結果として全作業を並行しながら録音を進め、全て終了したのは10月初頭でした。



●アルバム制作前に企画書を作るというのは几帳面です。漠然と進めていくミュージシャンが多い中、偉いと思いますよ。
またラスト曲の「暮らし」がアルバムの着地点というかキー曲になっているということは、企画書を共有した眞鍋氏にも桶田さんが目論んだアルバムの方向性が伝わったんでしょうね。
またYUKI SHIGA氏のヴォーカル、眞鍋氏のアコースティック・ギターのプレイについては、どの様なディレクションをしていきましたか?

桶田:企画書は指標にはなりましたが事細かな指定事項などは一切なかったので、眞鍋氏が「暮らし」に落とし込んだ彼の解釈と、僕が「暮らし」に抱いている解釈には未だ相違点はあると思います。
眞鍋氏自身は企画書に忠実なプロセスを心がけていたかは不明ですが、僕としては「何か違うな」という印象もありました。その齟齬が本作の面白い部分かなと思っています。「自分は一体誰の、何を作っているんだろうか」という思いは今回携わった僕を含む全員が思っていました。

ヴォーカルのディレクションは終始手探りでした。
以前もそうですが、キー策定の時のデモ録音が一番良かったりして、何回も録った挙句デモテイク採用というのが何曲かありました。病み上がりのYUKIさんのテイクが良かったり、ソファに寝転がったところや俯き加減で声を張れないところにマイキングしたりというような事はしました。

眞鍋氏楽曲のディレクションは彼が主導していましたが、初めてとは思えない指示が多くあったり、土壇場でキーを変えるようなちゃぶ台返しもありました。僕はエンジニアに徹する場面も多くありましたね。
ギターは眞鍋氏が送ってきたデモを割とそのまま再現してほしいとお願いしたので、僕があれこれ言う場面はなかったです。



NOTO【Trailer】

●昨年5月にリリースした、ソロ・セカンド・アルバム『秉燭譚』とはコンセプトやサウンドは当然異なりますが、意識的に変えた点を挙げて下さい。

桶田:『秉燭譚』と明らかに違う部分として、サウンド面のリファレンスがかなり明快だと思います。具体的には、ヤマハDX7やLinn Drum LM-2といったような、特定の音色を軸として編曲するという意識は初めてで、ここ数年の趣味をやっと前面に出せたかなという感じです。
あと、今回は”NOTO”という一種の媒体そのものをテーマにしていますので、楽曲自体を「架空性」に満ちたものにしたいという思いから、当初はクレジット表記もしないという、”読み人知らず”案もありました。
結果諸々の関係上表記はしましたが、その段階である意味「自分の作品ではない」という意識が生まれました。
制作中にも関わらず自分の手中から”NOTO”が薄れていく現象によって自ずと「架空性」は達成されてしまい、その後はむしろ逃すまいと「実在性」を織り込む意識に変化、当初から割と明確だったサウンドテーマがより一層狭域なものに絞られ、架空は架空でも「別次元」寄り、”NOTO”の実在性を否定出来ないような、限りなく生々しいものへ仕立てようと努力したと思います。
このような、ある意味「コンセプト放棄」のような考えは『秉燭譚』とは真逆のものだと思います。自発的に放棄した記憶はないのですが。 

●DX7やLinn Drumは80年代初期に登場して隆盛を誇ったデジタル・シンセサイザーとドラムマシーンで、ジャンルを超えて無数に使用され日常的に耳にしたサウンドです。 90年代生まれの桶田さんには新鮮に響いたと思いますが、そういったサウンドの時代性を意識したりしますか?

桶田:「浮かれ気分」の編曲はかなり意識した内容だと思います。むしろ真っ当に80sっぽさを意識しているのはあの曲だけかもしれないです。個人的にDX7やLinn Drumといった「80年代のあの音」に抱いているイメージが少し特殊なんです。
60年代や70年代、また別軸で流行した80年代の音楽を楽しむ懐古趣味的な興味とは少し違うというか。タイムパラドックスによって形成された別世界の中の一つで、未だに変わらず地続きで鳴ってそうな音という(笑) 勿論リファレンスは当時の音楽になるのですが、手法の踏襲みたいな部分にまではそこまで踏み込まず、割と自由に使った感じです。
音色だけじゃなく、音の組み方にも時代性はあると思うので。

●前の質問と重複しますが、可能な範囲で使用した機材について教えて下さい。


DX27

桶田:しがない宅録マンですのでほぼソフトウェア音源、しかもフリー音源満載ですが、DX7の後継機であるDX27をお借りして差し替える等、一部実機使用はしました。
Linn Drum LM-2はソフト音源ですが数種類試した上全て使っています。もちろんフリー音源も含みます。こういうこと書くとアレですが、アナログシンセ音源に付随するプリセット音源っていうのは非常に助かります。アレは辞書みたいなものですから。
しかし、シミュレート音源のモデル機は唯一のはずなのに何故こんなに差が出るのか。それは有料無料の違いはおろか音質・再現度の優劣含め甲乙つけ難いという印象で、無料のほうが良いことなんてザラです。
DAWで制作している方達にとっては周知の事実だと思います。
絶対的指標は存在しつつも、優先して追求するのはあくまで「好みの音」なので、そうなるとソフト音源は非常に使い勝手がよく、同様の手法を実機で行うと著しく性能を損なうような「禁忌」に手を染めることもしばしばです。何せ壊れない。
唯一生音が前面的な「羽虫」のギターは眞鍋氏の演奏です。彼の新築住居の空き部屋がまるでエコーチェンバー的な響きだったので、持ち込んだスピーカー2基からドローン風なパッド音を鳴らしつつ眞鍋氏がギター演奏、それをZOOMのH4nで録音しました。
閑静な住宅街の程よい環境音も相まって、良い意味で実に「酷い」録音が出来たなと思います。

●桶田さん世代のミュージシャンは、ソフトウェア音源の恩恵をかなり受けていると思うけど、ディスクトップで再現出来て合理的な反面、実機との音色や音圧の差に拘ることはないでしょうか? 

桶田:音色の差は本当に「拘り」の枠に収まると思います。僕らの世代は「実機を大々的に用いる事」自体が大きなテーマとなり得ると思いますし、その中であくまで再現性に焦点を当てると「実機」は大きな保証になります。
今後そういう取り組みをするならば間違いなく実機使用に拘ると思います。利便性というよりかは手法の問題です。
今回使用したDX27も当初は差し替えマストではありませんでした。たまたま使える機会があったのでお願いして貸していただき、結果的にとても良い「雑味」が出たのでベース音源は差し替わりましたが、その他のパートはソフトウェア音源のほうが良かった、というか「合って」ました。
音圧をも念頭に実機を扱うには録音機材・環境を抜本的に変える必要性もあると思います。 あくまで手段問わず、というのが信条です。

●このアルバムを製作中によく聴いていた曲を10曲挙げて下さい。


   

◎Oh Fields My Fields / Alexandrov Ensemble
(レフ・クニッペル作曲 初演1934年)

◎ゴリウォーグのケークウォーク / 冨田勲
(『Snowflakes Are Dancing』1974年)

◎BODY SNATCHERS / 細野晴臣
(『S・F・X』 1984年)

◎旅の極北 / 坂本龍一 
(『音楽図鑑』1984年)

◎天使の絵の具 / 飯島真理
(『愛・おぼえていますか』1984年)

◎Naufrage En Hiver(邦題:冬のノフラージュ) / Mikado
(『Mikado』 1985年)

◎techno pop / KRAFTWERK
(『Electric Cafe』 1986年)

◎記憶 / 小川美潮
(『4 to 3』 1991年)

◎赤い戦車 / ヤプーズ
(『ダイヤルYを廻せ!』1991年)

◎Nurse Cafe / 平沢進
(『SIREN』 1996年)




桶田:かなり厳選したつもりですが、結果自分でもびっくりするぐらいここ数年聴いているものが変わっていません。

●最後にこのアルバムをピーアールして下さい。

桶田:個人的には面白いアルバムになったなと思っています。 いちポップス音楽の枠には収まっていると思いますので、ご自由に楽しんでいただければ嬉しいです。 多分”NOTO”もそう思っていると思います。




【考槃堂商店】特設ページ:
https://www.kouhando.com/noto 

(インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ


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