2022年5月14日土曜日

デヴィッド・ペイトン&SHEEP:『メロディ・アンド・エコーズ』(Ca Va? Records / Hayabusa Landings / HYCA-8037)

 英国ポップロックの最高峰と称されるパイロット(Pilot)のフロントマンでベーシスト、またアラン・パーソンズ・プロジェクトでも活躍したデヴィッド・ペイトン(David Paton)が、日本のポップ・ユニット、SHEEPとのコラボレーションで完成させたアルバム『メロディ・アンド・エコーズ』を5月18日にリリースする。


 パイロットの熱心なファンには説明不要だが、デヴィッドのプロフィールに触れておくと、1949年10月スコットランドのエジンバラ生まれの彼は、最初に組んだバンド、The Beachcombersのメンバーとして1968年にCBSレコードと契約した。同年バンド名をThe Bootsに変え、シングル「The Animal In Me」と「Keep Your Lovelight Burning」をリリースするも70年に解散する。直後に初期Bay City Rollersに代理メンバーとして加わるが短期間で脱退し、翌年同様に脱退したビリー・ウイリアム・ライオール(キーボーディスト)、更にスチュアート・トッシュ(ドラマー)を加えて73年にパイロットを結成する。
 彼らはEMIレコードと契約し74年に名匠アラン・パーソンズのプロデュースで、ファーストアルバム『From the Album of the Same Name』を10月にリリースする。先行シングルとして「Just a Smile」(同年6月)の次にリリースした「マジック」(同年9月)が全英11位、全米5位を記録し、カナダではゴールドディスク認定されるヒットとなった。
 
左からビリー、スチュアート、
イアン、そしてデヴィッド

 ファーストのレコーディング後にサポート・メンバーだったイアン・ベアンソン(ギタリスト)を正式に加えて4人グループとなり、翌75年の2ndアルバム『Second Flight』の先行シングルとして、デヴィッドが単独でソングライティングした「January」(同年1月)は全英1位となり国内最大のヒットとなった。
 しかし良いことは続かず、バンド結成時からソングライターとして貢献していたビリーが76年に脱退してソロ活動に入ったため、3rdアルバムの『Morin Heights』(76年)では残った3人にサポート・キーボーディストを加え、新たにロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースの元でレコーディングしている。翌77年にはスチュアートも脱退し、パイロットはデヴィッドとイアンの2人体勢で、再びアランのプロデュースにより4thアルバム『Two's a Crowd』(77年)をリリースするが同作がラスト・アルバムとなってしまった。デヴィッド、イアン、スチュアートの3名は、彼らの多くの作品を手掛けたアランが75年に結成したアラン・パーソンズ・プロジェクトの準メンバーにもなっていた。76年のファースト・アルバムから全盛期の80年前半までコンスタントに参加していたので、そちらの活動の方がメインとなったことで、パイロットが自然消滅したとも考えられるだろう。 
 
 この様に70年代から80年代を通し、英国ロック界でデヴィッドの果たした貢献は極めて大きい。その後パイロットは2002年と2007年にデヴィッドとイアンを中心にリユニオンし5thアルバム『Blue Yonder』(2002年)と、企画アルバム『A Pilot Project:A Return to The Alan Parsons Project』(2014年)をリリースし、2017年以降はデヴィッドのソロ・プロジェクトとして現在も活動を継続している。 
 
左上から時計回りに1stから4thアルバム 

 本作『メロディ・アンド・エコーズ』は、デヴィッドにとっては、2020年11月に個人レーベル“David Paton Songs”からリリースした『2020』以来となる新作で、彼をリスペクトする日本のポップ・ユニット、SHEEPとのコラボレーション・アルバムとなる。
 SHEEPはポップロック・バンドBeagle Hat時代からデヴィッドと共演していた田中久義(ヴォーカル)と、TOM★CATの後期メンバーで石川優子や五十嵐浩晃等多くの著名シンガーをサポートしていた堀尾忠司(ヴォーカル、ベースetc)が2011年に結成したユニットで、これまでに2枚のアルバムをリリースしている。
 本作でデヴィッドとSHEEPがコラボレーションに至った経緯は、ライナーノーツの解説(インタビュー付/山田順一氏)に詳しく掲載されているので入手して読んで欲しいが、切っ掛けは2015年にまで遡るという。実質的な制作期間は約2年にも及んだということなので、こうして完成されたことは両者にとっても極めて感慨深いであろう。 

 全収録曲11曲の内、デヴィッド単独名義のソングライティングは5曲で、英国人作詞家チームとの共作1曲、田中との共作は4曲、堀尾との共作は1曲という構成である。
 演奏はデヴィッドとマルチプレイヤーの堀尾の2人が主に担当し、田中はバッキング・ヴォーカル、1曲のみリユニオン後パイロットのサポート・メンバーであるドラマーであるデイヴ・スチュワート(元キャメル)と、ギタリストのカライス・ブラウンが参加している。堀尾はエンジニアリングとミックスでもクレジットされているので、英国録音のデータを日本側でファイナル・ミックスしたということだろう。
 ジャケット・アートにも触れるが、Led Zeppelinの『Physical Graffiti』(1975年)に通じる英国建築美に興味を惹かれる。グラフィックデザインとアート・ディレクションは、元ザ・ファントムギフトのベーシストで音楽家としても活動しているサリー久保田氏である。


 ここからは収録曲中筆者が気になった主要曲を解説していこう。
 冒頭の「My Only Love」はポール・マッカートニー系譜の曲調で、デヴィッドのソングライティング・センスが光っており、彼自身の歌声も近年のポールに極めて近い。クリシェを活かしたアコースティックギターのアルペジオとそれに寄り添うエレキギターやアコーディオンのフレーズが印象深い。曲毎の細かいクレジットは無いのだが、アコギとベースはデヴィッドでそれ以外はプログラミングも含め堀尾のプレイだろう。 
 続く「Happy Traveller」は、SHEEPの2ndアルバム『ORDINARY MUSIC』(2015年)に収録された「ご気楽トラベラー」にデヴィッドが英歌詞に変えて、堀尾を中心に本作用にリアレンジしている。同様にSHEEPの既発表曲では1stアルバム『トーキョー・シーペスト・ポップ』(2013年)に収録されている「タイムマシンツアー」が「Time Machine」、「僕の中のメロディ」が「Melody in My Mind」として取り上げられていので聴き比べるのも面白いだろう。またアルバム未収録でライヴ・レパートリーらしき「雨に落ちる」が「Raindrops」として取り上げられている。
 いずれもパイロットや10cc~XTCをこよなく愛する、英国拘り派ロックのフォロワーがクリエイトした曲調とサウンドなのが頷ける。特に「Time Machine」は、うっちゃりの多いクイーン的サウンドの中でデヴィッドが歌っているのが新鮮で興味を惹いた。

 筆者がファースト・インプレッションで最も気に入ったのは、『2020』収録曲を再演した「Midnight Limelight」だ。基本アレンジは同じだが、堀尾のセンスが加わって尺も延長したことで、よりドラマティックな展開で生まれ変わった。パイロット時代の「Girl Next Door」(『From the Album of the Same Name』収録)を彷彿とさせる曲調も非常に好みである。
 9曲目の「Out of the Blue」にはデイヴとカライスが参加し、3ピースの演奏が堪能出来るブルース調のマイナー・キー・ナンバーだ。デイヴの正確なビートとカライスのギターソロなどデヴィッドが認めた2人のプレイは確かである。
 ラストの「Waiting for You」は、アメリカン・ルーツミュージックの匂いがする壮大なバラードで、『The Unforgettable Fire』(84年)や『The Joshua Tree』(87年)期のU2サウンドに通じており、好きにならずにいられない。

 アルバム全体としては、日本のフォロワーとのコラボレーションにより往年のパイロット・ファンにもアピール出来て、英国伝説のロック・ミュージシャンであるデヴィッドの今の姿を現した懐の深いアルバムとなっているので、是非入手して聴いて欲しい。
 なお嬉しいことに、7月20日にはデヴィッドによるパイロットのセルフ・カヴァー・アルバム『The Magic Collection』(HYCA-8038)の国内リリースが決定しているので、パイロット・ファンは忘れずに入手しよう。
『The Magic Collection』

 今回特別にパイロットのファンとして知られる著名ミュージシャンで、現在ニューアルバム制作で多忙な中、TWEEDEESの沖井礼二氏から本作へのコメントをもらったので掲載しておく。

「僕は今とても混乱している。
70年代の英国ポップスの芳醇さそのものがこのアルバムには詰まっているんだけど、当時こんな音像は実際には存在出来なかった筈だ。
テンポ感なども絶妙に2020年代のものだし。シミュレーショニズムでは絶対に到達できない70’s英国ポップスが、堂々たる2022年の仕様で、まさに新譜としての説得力を持って僕の部屋で鳴っている。
一体何が起きているんだ。
こんな奇跡が起きるのが現代だというのなら、僕はこの時代に生まれてよかったと軽々しく断言してしまいそうだ。」
TWEEDEES 沖井礼二

●沖井礼二(おきい れいじ)プロフィール
1997年“Cymbals”を結成。同グループを率い8枚のシングル、5枚のフルアルバム、3枚のミニアルバムのプロデュース、作詞・作曲・編曲、アート・ディレクションを担当。
2003年9月のCymbals解散以降は作・編曲家として多くのCM、ゲーム、アニメーション、テレビ番組等の音楽制作に携わる。
2015年1月、清浦夏実(Vo.)との新バンド”TWEEDEES” を結成して活動中。5枚のシングル、(配信、アナログ含め)、3枚のフルアルバム、2枚のミニアルバム(配信含め)のプロデュース、作詞・作曲・編曲、アート・ディレクションを担当している。
最新作は小学館「ゲッサン」連載中の『国境のエミーリャ』(作・池田邦彦)のコンセプトミニアルバムで、2021年12月に配信リリースしている。
TWEEDEESオフィシャルサイト:http://www.tweedees.tokyo/

(テキスト:ウチタカヒデ

 

2022年5月7日土曜日

Holly Golightly について

 イギリスのケント州メドウェイ・タウンズで80年代頃に発生したガレージシーンの重要人物にBilly Childishという人がいる。ガレージ好きの多くは彼の名前を知っていると思う。私にとってもBilly Childishはガレージに興味を持つきっかけになった人だった。彼の結成したいくつかのバンドのひとつにThee Headcoatsがある。そのThee Headcoatsがバックバンドになり、メンバーのガールフレンド等4人の女性が歌っていたバンドがThee Headcoateesとされる。

 Thee Headcoateesの中で私が特に好きだったのがHolly Golightlyだった。Truman Capoteの「ティファニーで朝食を」の主人公と同名なのは、彼女の母親が妊娠中にこの小説を読んでいたからだそうだ。


 Holly GolightlyはThee Headcoateesの活動中、1995年にソロ活動も開始。数多くのシングルとアルバムも13枚リリースしていて、Billy ChildishやDan Melchiorとコラボレーションでも制作している。もともと彼女は古い音楽のコレクターらしいのだけれど、Thee Headcoateesのようなガレージパンク以外の要素もソロではより濃く表れ、彼女の音楽性を特徴づけている。自身のオリジナルの他、Willie Dixon、Ike Turner、Lee Hazlewood、Bill Wither、Sam & Daveなど、カバーも多くある。

(You Ain’t) No Big Thing  / Holly Golightly

 2000年代半ばには長年のバンドメイトLawyer Daveとのデュオ、Holly Golightly & the Brokeoffsを結成。2018年までに10枚のアルバムがリリースされている。Holly Golightly & the Brokeoffsは特に商業的なものとの縁遠さを感じるけれど、彼らの生活に根ざした音楽なのかもしれない。2人は2008年にジョージア州アセンズ近郊の田舎に家を購入して引っ越している。2012年リリースのアルバム 『Sunday Run Me Over』 は完全にその自宅で録音されたそうだ。

Goddamn Holy Roll / Holly Golightly & The Brokeoffs

これは日曜の朝にベッドから出て教会に行きたくない、というような曲らしい。

 Holly Golightlyのその他の活動として、The White Stripesの4thアルバム 『Elephant』 への参加や、Rocket From The Crypt、The Greenhornesとのコラボレーションなどもある。The Greenhornesとの「There Is An End」という曲は、2005年のJim Jarmusch監督の映画「Broken Flowers」の主題歌だ。私は以前からJim Jarmuschの創り出す世界観が好きだったのだけれど、音楽に限らず、一見関係がなさそうでも好きだと感じたものを辿ってみると、不思議と繋がりを発見することがあるもので面白いなと思う。

               There Is An End / Holly Golightly & The Greenhornes

【文:西岡利恵

参考・参照サイト:

2022年4月23日土曜日

Back In The USSR

 筆者がかねてから予想していた 60周年」 ツアーが開始されている。 しかしながらBrian 閥の合流はない。Scott Totten, Brian Eichenberger, Christian Love, Tim Bonhomme, John Cowsill, Keith Hubacher and Randy Leagoらの同道がアナウンスされており、チケット購入サイトでもBrian,Al,Davidの出演がないことを購入の際の注意としているほどだ。



本年(2022年)のツアーロゴ-欧州ツアーも予定されている


 Brianサイドの本ツアーへの反応は無く、2月下旬がUkraine事変と重なったためにTwitterでは同国の窮状に向けたメッセージを掲げている


226日のBrianによるTwitter


 Ukraine事変後ツアーに専念している様子がMikeTwitterからも伝わるが、一方でネット上で流れている下記の画像は別の事情を物語っている。


CPACに登壇するMike


 CPACとは共和党保守派支持団体が主催する保守政治行動会議のことであって、近年Donald Trumpの言動で注目を集めているイベントだ。CPACにはTrump以外にも共和党右派の論客が集まり、Putin体制賛美を公然と主張する者までいる。TrumpUkraine事変当時には後に撤回しているがPutinの事変に対する手腕を賛美していた。

 MikeTweetもこの党派性からの影響下にあるものと伺われるが真実は如何に?

 対照的にBrianUkraineへ心を寄せている、そして米国は物資のみならず軍事的援助も行う。現地の通信インフラを支えるのは電気自動車メーカーTesla社の創業者Elon Musk率いるSpaceX社のテクノロジーだ。同社はHawthorneに本拠地を置く。HawthorneBrian誕生時は航空産業が花開き、独ソ戦にあったソ連邦へ多くの援助が行われた。約80年後の今日にあって同種の援助は露国に対峙するUkraineへ行われる。映画と音楽の都であると同時に軍都である加州の歴史がBrianTweetの背景にあると筆者は考える。

 またその死後も思慕し続けていると思われる、Phil Spectorの父Benjaminの出生地はUkraineKhersonSpectorまたはSpektor姓は東欧に古くからあるユダヤ由来の姓と聞く。



Phil Spectorの父Benが帰化申請時の書類

Cherson Russiaとなっている


 RussiaつながりのThe Beach Boysに関する話といえば、1968The Beatlesが渡印し現地に滞在していたMikeが「Ban In The USSR」作詞の指南をしたエピソードが有名だ。


滞在中のMike


 ソ連邦でのライブは1978年企画されたものの立ち消えとなったが、それに先立つ1969年にThe Beach Boysは東欧圏でライブを行っていた。



 五度目の欧州ツアーが計画され5月下旬から一ヶ月余の期間のうち、6/17~6/19Czechoslovakiaでの公演が充てられた。この間の映像はドキュメンタリー「American Band」で今日でも見ることができる(ただし、時代考証に誤りがあり1968年となっているが)。

 当時のCzechoslovakiaはご存知のとおり政治的に緊張した状況にあった、いわゆる「プラハの春」である。

 1968Alexander Dubčekを中心に各種改革を進めていたが、ソ連邦を盟主とする周辺国は同国の改革は悪影響と考えていた。ソ連邦との関係改善も芳しくなく、遂にはCzechoslovakia国内の臨時革命政府からの「要請」によりソ連邦とその同盟国軍は「演習」目的で同国に侵攻する(最近どこかで聞いたような話だが)その後Dubčekは政権から遠ざけられ、The Beach Boysがライブで入国した時点では、完全に政治上は無力化されていた。

ライブ会場となったLucerna Hall


 米国と現地の音響設備のギャップは大きく、現地ではマイク1~2本立てる程度がフルセットであるのに対してThe Beach Boysサイドでは20以上の入力があるコンソールが必要であったので、大量の電源を要した。そのために駐留ソ連軍上官のはからいで装甲車からバッテリーをいくつか持ち込み窮状をしのいだそうだ。さらに無い物づくしは続く、ハモンドオルガを調達したが国内に数台しかなく、しかも状態も良いものしか見つからず困窮する。また空調もほとんど機能せず東欧といえどもかなりの湿気と暑さに悩まされ、聴衆の大声援も加わり大きなカオスとなっていたという。Lucerna Hallで印象的なシーンは前日US国内でリリースされたばかりの「Break Away」を演奏する冒頭「この曲をDubček氏に捧げます」と見得を切るMike

「Break Away」とはソ連邦隷属からの決別を意味するのか?

一説によるとDubčekも賓客の中に居たという。

 The Beach Boysのライブが触媒というわけではないが、1968年以降Czechoslovakiaのバンドは政治状況もあり先鋭化するものが多い。

 Lucerna Hallでも共演したThe Blue EffectJazz Rock~民族音楽~サイケまで包摂する音楽性で定評がある。その他のバンドでさらにアンダーグラウンドな活動で有名なのはThe Plasutic Population of The Universeだ。

 The Velvet UndergroundFrank Zappaの世界観を体現したサウンドは唯一無二であり、そのメンバーは政権当局から睨まれ逮捕・投獄が相次いだほどだ。彼らの理解者であり、庇護者となり同国へのThe Velvet Undergroundの紹介者であるのが劇作家Václav Havelだ。

 Havelは彼らの救援活動から始まり人権擁護運動から国内の民主化運動の中心となり、とうとう文字通り68をひっくり返した’89年にCzechoslovakia大統領へ就任する。

 1968年の軍事クーデターではなく無血革命であったためビロード革命(Velvet Revolution)と称されている。実はHavelの祖父は実業家でLucerna Hall建立の立役者だったのだ。Lucerna Hallが取り持つ縁なのか?

 Havelの政権樹立後、永年失脚していたDubčekは国会議長へ返り咲き政界復帰する。当のDubčekへエールを送ったMikeはといえば、2019年の33次欧州ツアーで50年後に当たる616日の公演をLucerna Hallでしっかり行っている。


(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)