2010年8月31日火曜日

★第6回 八重山諸島ツアー2010

Journey To Yaeyama Islands 2010

佐野邦彦

石垣島・玉取崎

今年もまた沖縄、離島旅行の時期がやってきた。自分にとって1年とはこのためにあるんじゃないかとも言いたくなる我が家、最大のイベントだ。

企画は前回旅行が終わってすぐ。予約ができる4月くらいから、旅行の機関部は旅行会社(現在は「東急デコプラザ三軒茶屋」を愛用している。濱本さんという担当が熱心で信頼できるから)と組み立てる。いつも3泊4日なので、①行きは石垣行き直行始発(6時25分羽田発という超早い時間ながら石垣空港に9時20分につくので初日からフルに遊べる)、帰りは最終直行という便がないので那覇経由で最も遅い接続便。これはいつもながら最も大事な条件。②今回は与那国へも行き、一泊するので与那国泊を含んだプランを探す。③気に入ったホテル。④最安値。⑤JALのマイルが着く。この5つの条件を全てクリアできるプランを探す必要がある。ここ3年はJALツアーズが全ての条件をクリアできている。前述の濱本さんは早割りなども駆使して、見事、ベストプランを選んでくれた。感謝!
続いて4日間のスケジュールに必要な「オプショナル・プラン」を個別交渉しないといけない。初日と2日目の午前までいる与那国の目的は「海底遺跡シュノーケリング」と「Dr.コトー診療所」だ。それまで海底遺跡はダイビング以外、見られないとされていたが、海底遺跡の上でシュノーケリングをやってくれる「もすらのたまご」というショップを見つけたので、その予約(周遊クルーズと2パターンあり、最も早い予約でその日のコースが決まるので、全ての予約の中で真っ先に申し込んだ)と、島内観光に必須なレンタカーも合わせて申し込む。
2日目の午後は石垣島なので、島内観光用に空港からのレンタカーが必要だ。以前、宮古島で、レンタカーとセットになっていたプランを使ったところ、大手レンタカー会社だったので行きも帰りも車を置いてあるレンタカー会社まで送迎され、保険にも入らされ、いいところはひとつもなかったので、大手レンタカー会社は極力、使わないようにしてきた。数年前に利用した「一番星レンタカー」という個人経営と思われるレンタカー会社に問い合わせると、案の定、空港での受け取りOKで、なんと返車は宿泊先のホテル・ミヤヒラの駐車場に置きっ放しでいいと言う。これで半日使って3000円(Sサイズで十分)、安すぎる...。
3日目の西表島は、前回のカヌーですっかり味をしめ、西表の魅力は海ではなく、島内のジャングルだということが分かったので、ジャングルを歩くプランを探す。すると「のぶず」というトレッキング専門ショップで沢歩きをしながら自然観察もやってくれるプランがあるのを見つけた。その中でも一番人気はキャニオニングという滝から飛び込んだりするイベントがあるプランなのだが、写真を見ても若向きのようだし、どうにもオジサンは腰が引けてしまって、自然観察プランで申し込んだ。初めはより深いジャングル探検を、と滝の上まで登っていくプランも打診したが、体力的に自身がないと...と返され、あっさり引き下がった。
最終日は、パナリ(新城島)だ。パナリはこれで3度目、過去2回は石垣島からのクルーズで、高速船ではないその行程は、風を感じながら360度翡翠色の海を堪能でき、さらに周囲に次々現れる島影がアクセントとなって、その行き帰り自体が極楽旅だった。誰にでもオススメするのがこの石垣出発のパナリツアーなのだが、今回は新城島の住人である西泊さんがやっている「パナリ島観光」を使うため、石垣からの往復は、西表行きの安永観光の船でトランジットとなる。それでも西泊さんのツアーに申し込むのは、私の個人的な思いからだ。この島はパナリ島民及び出身者でしか見られない秘祭である豊年祭の「アカマタ・クロマタ」が有名だが、一時は島民の紹介があれば島外者も招待されたと聞いており、その復活を願って、まずは島人である西泊さんに顔を覚えておいてもらおうと思ったからだ。あてもなく、ただ願いだけの長期的な計画なのである。ただ、石垣からの帰りの便が、那覇での接続が悪くなり、17時台の飛行機に乗らないといけない。通常の16時出発の船では遅すぎると相談したら、西泊さんは15時に出て自分の船で送ってくれるというので、これは助かった。
最後に、石垣島へ来たら、絶対に行かないといけない最高で最強の焼肉屋「やまもと」の予約を2日入れて、準備は全て終わりとなった。
あとは、果報は寝て待てである。天気さえ良ければ全てよし、なのだが、心配しても天気は変わらないので天気予報は一切見ない。ただ、海底遺跡シュノーケリングができない、離島便の船が出ないなど、東京ではまったく伝えられない南西諸島の、特に海の状態によって、30%のキャンセル料を払ってでも、別の時期に...というパターンも考えられるので、30%のキャンセル料の限界である2日前のさらに2日前、出発4日前に石垣管区気象台の天気予報を見てみた。するとあまり思わしくない。天気図では等圧線も広く、低気圧、前線のマークもなく、晴れとしか思えないのだが、実は台風になる可能性があるフィリピン沖で発生する雲の塊が、台風にならずにそのまま南西諸島へやってきているもようだ。曇り時々雨、曇り時々雨、曇り、曇り時々晴れが旅行中の週間予報になっていた。台風じゃないから石垣の離島便は大丈夫として与那国のシュノーケリングができるか心配だ。キャンセルギリギリの2日前に「もすらのたまご」に電話してみたら、与那国の海底遺跡シュノーケリングは天気ではなく風向きが大事で、ここしばらく天気は良かったものの、波が高くてできなかったという。曇りにはなるもののこれで風向きが変わるのでそろそろ大丈夫なんじゃないかと、驚くべき返事が返ってきた。これって逆にラッキーってこと?


8月4日(水)

個人的な雑用が多く、今は週2回、夜間の学校に通っていることもあって、前日まで何の準備もないまま。そしてその日の夜もうたた寝をしてしまい、目を覚ますと車で家を出る4時過ぎまで2時間もない。慌てて必要なもの詰め込んだものの、細かいものを色々忘れてしまって、ちょっと油断をし過ぎた。石垣空港まではあっという間だ。機内の機長のアナウンスでは石垣空港の天気は晴れということだったが、タラップを降りたとたんに雨がパラパラと向かえてくれた。でも雲がけっこう切れていて青空も一部見える。これは期待できそうだ。

昨年の宮古島のタクシーの運転手が「天気予報なんて当たったためしがないから、誰も信用していませんよ」と言っていたのを思い出したが、確かに曇り時々雨と書かれていて晴れていたなんていうことはザラだ。終日雨マークじゃなければ、大丈夫なことが多い。ただし台風は遠くにあっても、発生源のフィリピンは東京よりはるかに近いのだから、海のうねりなどの影響を受け、船便に影響が出てしまう。
9時20分に着いても与那国行きは11時35分なので、早めの昼食をとるなど時間をつぶすのに苦労する。石垣空港は老朽化していて待ち用の席が少ないうえに宮古空港と違ってショップも少なく、待ち時間の楽しみがない。11年前に与那国に来た時はプロペラ機のYS11で、YS11引退の年に乗機できたのは嬉しかったが、今はジェットになったのでフライト時間は実質20分ちょっとである。

13時15分には与那国空港ロビーに降り立った。まあロビーなんていえるほどの代物ではないけど。空港で待つ「もすらのたまご」のスタッフと、他4人家族のグループと一緒に久部良にある民宿「もすらのたまご」へ向かう。ここですぐに着替え、久部良港から先の4人家族とさらに2人の単独客を加え出港した。天候は雲が多いが日差しもあり、海は凪だ。西崎を過ぎるあたりで潮目があって少し揺れたが、黒潮の真っ只中にあり、荒れることで有名な与那国の海としては、極めて穏やかな日なのだろう。20分もかからず断崖の下の海底遺跡のポイントの上でシュノーケリングが始まる。


潮流が早い場所なので、全員ライフジャケット着用で、案内役のショップの方の後ろについて一列になって泳いでいく。海底を覗くとはっきりと海底遺跡が見える。それまでDVDなどで見ていた海底遺跡のあの階段、水路、杭の穴、亀岩などがはっきりと見え、興奮してしまった。こんなに見えるとは思わなかった。



ダイビングは上級者でないとできない場所なので、誰でもできるシュノーケルで見られれば、こんなにいいことはない。その後、場所を移して今度は珊瑚が群生しているポイントでシュノーケリング。浅い場所もあるが基本的に水深があるポイントなので、けっこう大型魚が泳いでいて楽しい。青いブダイの群れはきれいだな。このポイントではかなり長い時間留まり、十分満足してシュノーケリングは終了した。そのあとは「もすらのたまご」に戻って着替え、レンタカーを手続きして出発する。
まずはDr.コトー診療所だ。11年前には当然放送していなかったので、放送中からずっと行きたかった憧れの場所である。まずはタイトルバックのシーンでコトー先生が海岸線の道路を自転車ですべるように走っていくが南牧場線を走る。ここは車より自転車で風を感じながら走るのが最高だろう。ただし牛や馬の○○コが多いので要注意だが。比川の集落は小さく、Dr.コトー診療所へは、集落の人が手書きで書いた矢印などを参考にしながらたどり着いた。



白砂の比川の浜の向こうに、あのTVのとおりの「志木那島診療所」が見える。その時には空は青空で、診療所は日差しで輝いていた。ちょうど風も吹き、Dr.コトー診療所の旗の文字がはっきり読めるほどたなびいている。憧れの地を前にして、わくわくしながら建物の中へ入っていった。診療所の受付には人がいて、そこで入場料300円を払う。





順路は診察室の待合、事務長の部屋、入院室である。あのレトロなセットはそのままで、実によく作りこまれていた。個人的には受付前に手書きで貼られていた「初診の方は受付に保険証を提出してください。」というポスターにひかれた。「初診」と「保険証」の文字の横に赤丸がついているのだが、これって今でもベテランの先生がいる受付には同じようなものが貼ってあるのでは?今時見かけない大きな寒暖計、受付下の張り紙はボロボロになっていて、TV局スタッフのこだわりが感じられて楽しい。
細かいレトロな小道具に見入っていると、色褪せた国保の案内に「世田谷区国民健康保険」の文字が!スタッフの誰かが持ってきたのだろうが、東京から2500キロも離れた西の果ての与那国島で、世田谷区の文字を見るとは思わなかった。昨年の宮古島では西平安名崎の標識に「世田谷まで1900km」と書かれていたのを見つけたが...。建物を出ると、あのコトー先生が乗っていた自転車が入り口横に置いてある。これも実に重要な小道具だ。絶えず海風にさらされる場所なので、錆びないよう、保存してほしい。
その後は、私の知人から紹介してもらったティンダハナタのさらに上にある牧場からの展望台へと向かう。ティンダハナタへいったん寄り、そのあと、「もすらのたまご」の方に聞いた情報を頼りに車を進めていく。船の形の看板が目印と聞いていたので、船の看板が出てきたら少し戻り、来た道を右に曲ってその細い道を進んでいった。対向車がきたらとてもすれ違える道ではないのでこの道かなと少し不安だったが、急にガタガタと車が揺れ、目印だというテキサスゲートを通過したので安心して車を進める。

話に聞いていたように牧場へと出た。緑の牧場に人影はなく、牛の姿も見かけない。車を道の脇にとめて牧場の先を眺めると、彼方にこれも話にあった石造りの階段のような展望台が見えた。行く先はあっちだ。牧場なので牛の落し物を避けながら進んでいくとようやくその展望台へ着いた。少し登ったが石組みが壊れていてそれ以上登れない。展望台に登らなくても、この場所はちょうど崖の縁であり、そこから祖納の町が一望になる。手すりも何もないので少しおっかないが、きれいな弧を描いたナンタ浜と桟橋、そしてそこから広がっていく祖納の町並み。彼方には紺碧の東シナ海が広がっている。横を見ると起伏に富んだ与那国の山の稜線が美しい。ティンダハナタで見た景色と同じだが、そのずっと上からの景色なので、眺望が違う。




頭の上は岩場ではなく抜けるような空であり、開放感が十分だ。ここは絶景なので与那国に行った先には是非、立ち寄って欲しい。
今日の宿泊のアイランドリゾート与那国は、建物はビジネスホテル風だが部屋は広く、なかなか快適である。2008年にできたばかりのホテルだが、民宿しかなかった島なので、こういうホテルの存在は画期的だ。小浜島のように、「ちゅらさん」のロケが行われた伝統的な家屋がある集落を持ちながら片や豪華リゾートが立ち並ぶ様は異様で、別世界が同じ島にあるようで眉をしかめる人が多いのは理解できるが、これといって伝統的な沖縄建築の集落があるわけではない与那国では違和感がない。豪華リゾートでもないので気軽だし、子連れでも来られるこのホテルの存在は貴重なものになるだろう。このホテルのホームページでは「与那国通信」というコーナーで既に600を超える与那国のリアルタイムの画像を更新してくれていて、与那国に来て欲しいという情報発信機能も十分に備えている。人口は1700人弱、飛行機でないとなかなか来られない本当に地の果ての与那国なので、なんとかがんばって生き残っていって欲しいと願うばかりである。
与那国にはコンビニがなく、食堂はあってもレストランはない島なので、素泊まりは存在せず、朝・夕食付が基本。石垣・宮古のホテルは朝食のみ、夕食は100%、街中に食べに出かけていたので、ここが夕食付だったことをすっかり忘れていた。夕食はバイキングで、好き嫌いが多い子供たちに好評だ。天候にも恵まれ、目的を全て達成でき、大満足で初日を終えた。

 8月5日(木)

今日の天気も前日では曇り時々雨だったが、朝から青空だ。よかった!目をこらすと水平線にずっと島影とも見える黒い帯が見える。方向は台湾の方ではないと思うのだが、なにしろ台湾は年に数回しか見えないとは言え、見える時には110度(ということは見渡す限りに近い)に渡って水平線に巨大な島影が見えるというので、その一部が見えているのかもしれない。しかしホテルの窓から見えるのは少しだけ。よし、車で西崎(イリザキ)の塔台まで行ってみようと、まだ朝の5時過ぎにひとりで車に乗り込んだ。さすがにこの時間、行きかう車もなく、ジョギングしていた人を見かけた以外誰一人出会うこともなく、西崎の展望台へ辿り着いた。



目をこらして眺めたが、これを島影という自信はなく、きっと水平線にたなびく雲なのだろう。若干、落胆してひとり部屋へ戻った。
朝はホテルでのバイキング、さて、今日の服はと、いったん昨日与那国空港で購入した与那国独自の象形文字であるカイダ字のTシャツをいったん手にしたが、他の人とかぶると嫌だなと思い、一昨年、波照間島で買ったTシャツに代えて降りていった。するとやはりカイダ字のTシャツを着た人が。それも与那国空港、海底遺跡シュノーケリング、レンタカー、Dr.コトー診療所でことごとく一緒だった別の家族4人組だ。いやーあぶないところだった。(この家族とは石垣へ戻る飛行機から、石垣でのホテルまで一緒の場所で、この後も驚かされた)
まずはさっそく、朝一にも行った西崎の日本最西端の碑へと向かう。実は私のこの沖縄離島フリークはここから始まったのだ。昔は北海道によく行っていて、日本最北端から利尻・礼文も行ったし、4回目の北海道で摩周湖の湖面も見ることができたので、次は北海道ではないところへ行きたくなっていた。日本の逆の果ては与那国島というのか...でも簡単に行けるところじゃないよなと思っていたが、ふと見た沖縄のパンフレットに石垣島からの与那国日帰りプランというのがオプションであるのを見つけ、これだ!とすぐに飛びついた。
それが今から11年前になる。そしてその時に西崎に行く間に立ち寄ったナンタ浜で、今見れば特別美しいわけではなく標準的な沖縄の海だったのだが、とにかくその時、ナンタ浜の美しさに魅了されてしまった、クラクラするほど暑かったが、きれいな弧を描いた真っ白なビーチと、翡翠色に輝く海は、今まで見てきたどの景色よりも美しく、時間がそこで止まってしまったかのようだった。以来、また翡翠色と群青の織りなす海を見たくて毎年、訪れるようになってしまった。いわゆる沖縄病にかかったのである。ただ、私の場合、カップルがたくさんくるような海(人間は景色の邪魔!)には行きたくないので、観光客が本島に比べて少なく、まだ自然に手が付けられていない八重山諸島(石垣)、宮古諸島ばかりに足を運んでいる。その11年前に、まだ小学校5年と3年の息子と一緒に日本最西端の碑の前で並んで撮った写真があるので、同じ3人で写真を撮ってみたかった。肩ぐらいまでしかなかった子供たちに当然のごとく背を抜かれ、自分が一番小さくなっていたのを確認したかったのだが、11年前と大きく違うのは身長だけではなく私の体型で、この時の写真は並べる気も無くなってしまった。まったく不徳のいたすところである。
続いて立神岩を見下ろす展望台へ向かう。この巨岩を近くで見られるサンニヌ台は、手すりも何にもない危険な崖の道だったが、今は崖が崩れて降りられなくなり、軍艦岩などを見られる遊歩道も通行禁止になってしまったという。だからこの展望台が唯一、与那国の奇岩を見られるポイントなのである。展望台は昔とまったく変わらず、ここで息子二人がじゃれあっていったのをふと思い出した。その二人はもう大学4年と大学2年生である。時間が経つのは早いものだ。この立神岩は、展望台から離れているのでまるでチ○コのようだが、実は高さ10数メートル、巨岩であることが海岸線との比較でよく分かる。




展望台にはのんびり20分近くいたが、他に来た人は、昨日の海底遺跡シュノーケリングで一緒だったお兄さん一人だけ。お兄さんは自転車で島を回っていて、その後、2回見かけたが、起伏に富んだこの島での自転車は本当に大変そうだった。離島は、他に誰もこない静けさがたまらない。自分だけの時間が持てる離島の魅力を味わってしまうと、観光客が多い場所にはもういけない。立神岩の反対側を見渡すと、遠くに2基の風力発電が見える。与那国にも出来たんだ。宮古、多良間、波照間と、好きな島のどこかにこの風力発電の羽は回っている。
今日は12時45分の飛行機で石垣へ戻るため、東崎(アガリザキ)はパスして、もう一度、Dr.コトー診療所を眺めた。




あと少し時間があったので、祖内にある与那国で唯一のオリジナルTシャツを売っている「ワン・マヒネ」という店へ向かう。集落が途切れ、とても店などなさそうな場所にその店は立っていた。さすがにデザインが良く、急いで2枚購入して、レンタカーを「もすらのたまご」に戻した。時間はギリギリだがピッタリで計算通り。以前、与那国に来た時のみんなの印象は「さみしい島」で、もう行きたくないなどと言っていたが、今回の与那国旅行で印象は一転する。平たい島が大半の離島の中にあって海底遺跡から100m以上あるティンダハナタの崖からの展望まで、与那国は自然が雄大だ。天候に恵まれたこともあって、また来たい島へと評価は大逆転。来た甲斐があった。






石垣島へ戻ると空港で一番星レンタカーの方から車を受け取り、まずは島の北へと車を走らせる。時間は13時30分だが、焼肉やまもとの予約を17時30分に入れているので、17時には石垣港へ戻りホテル・ミヤヒラに荷物を置かないといけない。どこへ行くか当てはなく、とりあえず島田紳助がやっているトムルという喫茶店へ行ってみようと車を走らせた。トムルには島田紳助のマネキンが立っていて、一瞬車を減速させたが、店に入ってみたいとは誰も思わず、通過しただけで終わる。
そこで必ず八重山では携帯している「やえやまガイドブック」をパラパラ開き、「明石集落東の浜」の「訪れる人も地元の人くらい」という紹介文にひかれ、そこへ行って見ようと車を進めた。明石の看板があったので右に折れ、「共同売店を過ぎ...」というルート紹介で、それとおぼしき売店が出てきたので車を止め、飲み物を買いながら店のおばさんに「海へ行きたいんですが」と尋ねると、おばさんは「この先」と、少しぶっきらぼうに指をさした。道はそのまま直進か...と少し車を進めると、他の道と交わる交差点の先にさらに直進できる茂みの中の道がある。でも車1台が限界で、このまま入ってUターンできないと大変だ。いったん車を寄せ、その蒸し暑い茂みの中を歩いて進んでいった。
すると車1台止められるスペースが2ヶ所あり、その先に海が見える。ここだ!急いで車に戻り、茂みにボディーをこすられながら、車を止める。密林になっているので、日はほとんど入らず、これは車の温度が上がらず駐車スペースとしては最適だ。そして茂みを出ると目の前には見渡す限りの翡翠色のビーチが広がっていた。




真っ白な砂浜は大きな弧を描き、左は山の稜線にぶつかり、右ははるか彼方に波消しのブロックが見える。そして誰もいない。空を見上げると山の頂からパラグライダーが何機か舞っていて、この贅沢な景色を独り占めにしていた。石垣島にはいいビーチがないと、長く思っていたので、これは本当に嬉しい発見だ。みな、ぼうっと海を眺めている。そのうち長男はどこから大きな棒杭を見つけてきて波打ち際に立てはじめた。二男はどんどん右の海岸を歩いていって、そのうち姿が見えなくなってしまう。妻は沖縄の浜辺なら砂地にどこでも自生しているクサトベラ(葉をモミモミして汁をゴーグルに付けると曇りどめになる便利な草)の上に座って海を眺めていた。私はいつものごとくカメラやビデオを回して撮影と、4者4様で自分の時間を過ごしていた。いつも賑わっている感のある石垣島でこんなプライベートなビーチが残っているなんて。




いつもはビーチに対しては特に印象がないと言っている長男が、ここは印象に残るといっていたので、やはり誰もが驚いたのだろう。多良間のウカバと同じで、極上の海を、独占できるというのは格別である。1時間ほどいて、帰り際にようやく一人の女性が現れ、たったひとりでシュノーケルを始めていた。ここは本当にオススメのスポットである。そして車をミヤヒラの駐車場へ置き、急いで焼肉やまもとへ向かう。のんびりしていたので5分遅刻だ。この店では東京ではとても高くて食べられないような極上で肉厚のロースやカルビを格安で食べられる大人気店。予約がないと入れない場合が多いし、一番人気の上ロース、上カルビ(それぞれ1人前1500円)は5時開店からしばらくすると売り切れになってしまうので、これを食べたければ遅くとも6時までに予約を入れる必要がある。まずは上を6人前注文し、焼き始めるが、脂肪が多いためすぐに「火事」になってしまうので、どんどん食べないといけない。口に入れるとすぐに溶けて消えてしまう。これは贅沢だ。肉大好き人間の二男は追加注文も含め、イヤというほどこの上肉を食いまくったため、あとで胃もたれを起こしたそうだ。どうしてこんなに食べるのかと思ってはいたが、自業自得である。でも実は明日も予約を入れてある...。


 8月6日(金)

窓の外が暗いのでカーテンを開けると雨。空はどんより分厚い雲に覆われ、普段なら緑に輝く海も、ねずみ色だ。こんなに海の色は表情を変えるのか。今まで通産44日、沖縄の離島で過ごしているわけだが、朝から雨というのは今から8年前の1日しかない。あまりの海の色の変貌に驚いたが、残念な思いは少しもなかった。というのは幸い、今日は西表島のジャングルトレッキングであり、雨が降っていたほうが、余計、趣があるというものだからだ。朝、8時半出発の上原行きの船に乗ったが、雨の割にはたいして船が揺れない。やはり台風のうねりがなければ、雨くらいでは海は荒れないなと思った。風がなかったので、これがポイントだろう。上原港の広い待合所で、今日の案内をしてくれる「のぶず」の方から、靴、靴下、ひざあて、手袋、ヘルメット、上着を渡される。みなモンベル製で一流品だ。雨が降っているので待合所で装着し、他に3人の計7人の客でツアーはスタートになった。雨天のため、本来のゲータ川を滝までずっと上っていくコースは中止で、まずはジャングルの奥にある洞窟へと向かう。入り口は道路のところにあるのだが、狭い道なので知らなければ誰もそこが入り口とか気づかない場所だった。





中は密林なので雨があまり入ってこない。ただし道は木の根や岩がゴロゴロしていてその上は滑りやすいので注意して進まないと危ない。蒸し暑い上に、雨除けの上着を着ているため、すぐに汗まみれになってしまった。沢へでると水の中を進むので気持ちがいい。



岩の上は必ず滑るので、足は岩と岩の間に入れてくださいとの指示が役に立った。借りている靴は下地がフェルトのようになっていて滑りにくい。マリンシューズは使えないという、ショップの注意事項の意味がここではっきりと分かった。いったん、干潟の部分へ出て、マングローブなどを観察して、また沢へと戻っていく。いったん休憩した沢で、長男は川に寝そべって涼をとる。すると他の人も右に倣えと川にお尻をつけだした。


大学の生物同好会に所属していて、この旅行のあとは沖縄で合宿している部員と合流することになっている二男は、旅行の前から目標にしていたヤエヤマサソリを探すべく朽ちた木をひっくり返している。ほどなく二男は私の前に自慢げに持ち歩き用に携帯していたフィルムケースを「捕まえた」と差し出した。見ると1cm大の小型ながら明らかにこの姿かたちはサソリ。いつもながら何かしら捕まえてくるな。ちなみにその生物同好会には二男がいる水棲班、他に虫班、鳥班、植物班と4つの班があり、合宿合流後、虫班に渡したそうである。本当はサソリを飼いたいのだが、家中で反対しているから仕方ないといったところだ。
サービス精神旺盛なガイドさんは、雨が降っている以上これ以上沢は危険と、昼食後は天然記念物のリクガメのセマルハコガメを探しに行こうと車を走らせる。雨の日には林道によく出てくるそうだが、その前の舗装されている小道で首尾よく見つけることができた。
可愛いカメだが、動きは俊敏だ。

林道に入っていくと特別天然記念物のカンムリワシを見つける。なんとか写真を撮ることができたが、写真はロングショット。

これにイリオモテヤマネコでも出てくれば言うことはないが、沖縄本島に次ぐ面積を持つ巨大な西表島に約100匹しか生息していないのだから、こんな時間に会えるわけがない。でも茂みを思わず見てしまうのは性。
その後はガイドと一緒でないと入れない遊歩道を案内してくれる。この遊歩道は仲間川の干潟の上にもかかり、歩きやすい上に西表の雰囲気も簡単に味わえるなかなかいい道だ。通常の観光コースに入っていないので知られていないのがもったいないが、西表はあまり手をつけてほしくないので、このままで十分か。
その後は港へ送ってくれるが、暑いでしょうからとアイスを買いに行ってくれ、ガイドさんは走り回って獅子奮迅、頭が下がる。ハイビスカスやホウオウボクなど赤い花が常に道に咲く花の島の八重山だが、木全体が黄色い花で包まれた美しい庭木を見つけてたずねるとアリアケカズラだという。道は花で色とりどりで、これを眺めているのも八重山の楽しみだ。今回のトレッキングで分かったのは、西表の楽しみは海よりも島の中にあるということだ。前回のカヌーもよかったし、天気が悪くても楽しめるトレッキングや川を登るカヌーをお勧めしたい。本土にはない植物層に覆われた濃い緑をたっぷりと味わえる。
 石垣港へ戻ると雨は止み、一部、青空も見えていた。明日の天気は曇り時々雨となってしまったが、少し期待できるかな。夕食は予約を入れていた「やまもと」だが、7時だったのでやはり上カルビは品切れだった。しかし「やまもと」の凄いところは普通のロース、カルビ(1人前1000円)が、東京の上レベルなので、まったく問題ない。2日目はこちらの方が逆にいいだろう。

 8月7日(土)

 朝、空をみると青空だ。今回は4日間全て曇り時々雨の予報だったのに、晴れて欲しい3日間は晴れ、雨でもいい日は雨と、思いどおりの天候になってくれた。昨年、念願の島を目の前にして晴れているのにうねりで渡れない(宮古の水納島)というくやしい思いをしていたので、今年は褒美をとらせていれたのかな。
でも、昨晩のパナリからの電話で、雨の影響で自分の船で石垣まで送ってあげることはできないので、安永観光の船を使ってもらうしかないと告げられていた。すると行きは9時30分発の大原行き、帰りは12時40分にパナリに寄ってくれる船に乗るパターンしかなく、つまり半日コースに変更となるがどうするか、と選択を迫られた。昨晩の段階では今日が晴れているとは思えなかったし、2時間半くらいしか居られないのに費用はかなりかかるので本来はもったいない。マイナスポイントが多く、キャンセルも頭を過ぎったが、やはりパナリ島観光の人に顔を覚えてもらいたいし、この前、案内してもらった時にコースに入っていなかった人魚神社を外から見せて欲しいしという思いが勝り、お願いしますと、返事をしていたのである。
パナリで降りるのは私たち家族だけかなと思っていたが、けっこうな人が降りていった。上陸すると西泊さんの顔はすぐに分かった。一昨年も利用した港近くの小学校の跡地だという芝生の広々とした場所に案内され、まずは着替え、ライフジャケットを借りる。マスク、シュノーケル、フィンの3点セットは、一昨年購入したので自前のものを使う。そして港の脇の砂浜でシュノーケルとなった。魚と珊瑚はそこそこいるが感動するほどではない。何よりも雨が降ったせいで、海水が少し濁っていた。1日いると午後はさらに場所を変えてシュノーケリングを行い、そちらの方が多く魚も珊瑚もいるそうだ。



しばらくして海で監視をしている西泊さんと目が合う。そろそろ上がらないといけない時間だった。すると「佐野さん?あなたのシンカはどこ?」と尋ねられた。これは嬉しい島言葉だった。冒頭に書いた、この島で島民と旧島民だけで行われる秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。「シンカ」、そうかここではきっと家族っていう意味なんだろう。瞬時にそう判断して「あそこにいます。呼んできますね」と返事をしていた。
海から上がり、シャワーを浴びて着替えたあとは、約束どおり人魚神社(アーリィウガン)を案内してくれるという。その時には他のツアーのお客さんも加わり、我々はまだ見たこのない人魚神社だけ見て、そこで別れ船を待つことになった。人魚とはザンと呼ばれたジュゴンのことである。ジュゴンの肉は不老不死の霊薬とされ、琉球王府の王様に献上されるのだが、パナリは毎年、そのことが義務付けられ、必死に捕獲していたらしい。そして捕獲したジュゴンの頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社にはジュゴンの頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。鬱蒼とした緑の奥にたたずむ鳥居は神秘的で、とても勝手に入れるような雰囲気はなかったが、西泊さんが、我々も含めたツアー客に「この神社は、昔、王様に献上したジュゴンを祭った場所です。ジュゴンの肉というのは美味しいものだったそうです」と語ったとたん、2人の女子高生風の化粧バッチリの女の子2人が間髪いれず「入っていーの?」と質問した。西泊さんが「ここはダメです。私たち島の人間も勝手に入れません」というと「どーして?」。このやり取りが続いて噴出しそうだった。なんだか屈託がなくて微笑ましい。



我々はそこで案内から外れ、珊瑚の塀で覆われた美しい村の集落を抜け、港で船を待つ。目の前には大きな西表島、遠くには高い山をいだいた石垣島、その中間になだらかな小山を持つ小浜島が見える。翡翠の海に幾重にも重なる島影。この美しさは八重山ならではだ。



一週間前にはここでその豊年祭が行われていた。400人以上の人が訪れ、3日かけて儀式が執り行われるという。一昨年、案内してもらったナハウガンと呼ばれる神社の奥にあった赤い太陽と月のマークを描かれた真っ白なアーチ上のワーと呼ばれる門から、稲を島にもたらした神であるアカマタとクロマタの2神が現れる。アカマタは男の神で、旗には太陽が描かれその先に剣がついている。クロマタは女の神で、旗には月が描かれ先には二股の槍。その体は野ぶどうの葉で覆われ手や足は見えず、それぞれ赤と黒に塗られた怪異な仮面をつけ、頭には大きな葉をいただき、大きさは2m半を超えるという。目は夜光貝なので暗闇でも光り、その圧倒的な存在感はまさに神、村人は声を限りに神に出会えた喜びの唄を歌い、神は家を一軒一軒訪ね歩いて踊る。明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟(シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)へ帰っていくのだが、アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。
この祭りは、以前、村人の招待があれば見られた時期から、撮影、録音からメモを取ることまで禁止され、禁を破った者はシンカから何をされるか分からない厳しい掟がある。このパナリのアカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。ただ、この写真を今から3年前に、このホームページに転載してしたら、ほどなくしてデータがクラッシュして、全てのデータが消えてしまった。ホームページ開設の時から8年分のデータが一瞬に消えてしまうという痛手を負ったのだが、以前にも書いたが、これはアカマタ・クロマタを冒涜した罰に違いないと、今でも真剣に思っている。だから写真を載せることは絶対にしない。
このアカマタ・クロマタはパナリだけでなく、最初に始まったといいう西表の古見、西表島の向かいにあるここパナリと小浜島、そして小浜島の住民が移り住んだ石垣島の宮良の4ヶ所の部落のみで行われているが、どこでもいつ行われるかも公表していない秘祭であることは変わりがない。勝手に見ようとするとシンカに阻止され排除される。
昔出版されたある雑誌に、西表島の豊年祭の写真が掲載されていたが、ここではアカマタ、クロマタ、シロマタの3体の神が現れるのだが、パナリのそれとはまったく違う姿をしていた。小浜と宮良は似た姿だそうだが、パナリのものはこれも違う姿かたちだという。そしてパナリだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われているため、みな必死で逃げるのだそうだ。このようにそれぞれの島で違う形で伝え続けられてきた。
 私はこの祭りを見ることが、ギアナ高地に降り立つことと並ぶ一生の夢であり、見られないだけにここ何年、国会図書館まで行って僅かに記述された文献を調べている。知識はあっても一度も見ていないのだから、ただの頭でっかちである。いつかその「許し」は出るのだろうか...。
 そんなことを考えながら、パナリを離れ、石垣港へ戻る。まだ時間があるので、一番星レンタカーにまた半日車を借りられないかと頼むと、石垣港まで届けてくれ、返却は石垣空港乗り捨てでOKだという。これでたったの3000円、本当に助かる。景色のいいところを見ておこうと、10年前に行ったきりだった石垣島随一の景勝地である玉取崎展望台へ向かう。ここは石垣の北端になる平久保半島を見渡せる展望台で、石垣島で一番細い場所(伊原間)がその眼の前にあり、右の太平洋と左の東シナ海との間はほんの200mしかないという。ひっきりなしに観光客が訪れるが、確かに上から見下ろすリーフの海は本当に美しい。




この飛びっ切りの翡翠色を見るには「高さ」が必要だ。だからその色を見てもらうために今回のトップページに使うことにした。時間がもう少しあったので一度も足を運んでいなかった米原のヤエヤマヤシの群落を見て、石垣空港へ出発の1時間前に到着した。
那覇で二男は降り、那覇のホテルで一人1泊したあと、名護でキャンプしている生物同好会の部員と合流する。3日後の現地解散のあとは、気のあった仲間たちと宮古島で2泊3日するという豪華版が待っている。3年生になる来年は旅行の幹事なので、今度は石垣島へ引っ張ってきたいのだそうだ。昨年の旅行のあとは「来年は4年生だからもう旅行には行かれないな」と言っていた長男からは、「次に行くときは...」と、大学院へ行った場合の想定かなと思える発言を聞いた。真意は分からないが、今回はミリタリー好きの長男を満足させる西表の雨天ジャングルトレッキングがあったり、与那国の海底遺跡を見たりと、色々な体験ができた。それが楽しかったから思わずこんな発言をしたのだろう。
長男の就職が決まれば、これが最後になるであろう家族4人揃っての沖縄・離島。八重山が6回、宮古が5回の計11回も、みんなよく付いて来てくれたものだ。おかげ様で楽しい思い出をたくさん作れた。子供たちもそれぞれ、どこかは分からないが沖縄の魅力に気づいたはずだ。まだずっと先だろうが、それぞれ、今度は自分の子供たちにこの美しい自然を見せてあげて欲しい。
ただ、オヤジはまだ通い続けるよ。だって、こんなにきれいな翡翠の海と、フクギやバナナなどの濃い緑にアクセントを添える赤や黄のたくさんの花、純白の砂浜、色とりどりの魚と珊瑚を抱える海がそこにあるからだ。




























2010年8月27日金曜日

☆Brian Wilson:『Reimagines Gershwin』(Disney/D000428902)



ブライアン・ウィルソンの2年ぶりの新作は、ブライアンが敬愛するジョージ・ガーシュインの全曲カバーのアルバムだ。
38歳の若さで夭折したこのアメリカの天才作曲家の大ファンであることをブライアンは常に公言していたが、こうやってカバーアルバムまで作るのは嬉しい驚きだ。ガーシュインの曲はコードの展開や転調が素晴らしく、ブライアンが好きなのはよく分かる。そしてイコール、ソフトロックが好きな人も好きになる曲なのである。代表曲である「Rhapsody In Blue」がイントロとクロージングを受け持ち、まずとてもゴージャスな気持ちにさせてくれる。2曲目の「The Like In I Love You」が素晴らしい。メロディもハーモニー、アレンジも伸びやかで素敵だが、何よりもブライアンの声が艶やかで、素晴らしい。かつての『Love You』や『Brian Wilson』ではその復活劇が感動的で歌ってくれるだけで十分という空気だったが、今聴くと痛々しいばかりの声だ。それに比べて定期的にアルバムを出している現在は心の回復とともに声も復活した。ゆったりとしたジャズの「I Love You Porgy」もいいし、ボサノヴァにアレンジされた「'S Wonderful」がまた飛び切り素晴らしい。ブラシを使ったジャズナンバー「Love Is Here To Stay」、3連譜のピアノに導かれる「I've Got A Crash OnYou」
、落ち着いた美しいバラード「Someone To Watch Over You」と、幸せな気持ちになれるナンバーが続き、とても素敵なカバーアルバムに仕上がった。(佐野)








2010年8月10日火曜日

HIRTH MARTINEZ:『TEENAGE HIRTH』(coconut grove records/cd 20101)



7月に来日公演をおこなったハース・マルティネスがデビューアルバム『Hirth from Earth』(75年)以前、サミー・フィリップ名義で60年代半ばに自主制作したレアなシングル音源をコンパイルしたミニアルバムをリリースしたので紹介したい。

 

ザ・バンドのロビー・ロバートソンがプロデュースした『Hirth from Earth』でアルバム・デビューしたシンガーソングライターのハース・マルティネス。 近年このアルバムに収録された「Altogether Alone」が拘り派のアーティスト達にリスペクトされ多くのカバー・ヴァージョン(ライヴを含め)を生んでいるが、リリース当時もティン・パン・アレーやハックルバックに参加したキーボーディストの佐藤博がソロ作の「最後の手品」(『Time』(77年)収録,作詞:松本隆)でオマージュしていた。つまりはこの無重力なボッサのリズムは、時空を超えて多くのアーティスト達を虜にしているのである。

さて今回の『TEENAGE HIRTH』だが、前置きの通りハースが60年代半ばにサミー・フィリップ名義でリリースした3枚のシングルの6曲と、ボーナス・トラックとして彼がソングライティングとプロデュースを担当したジョー&ジムのシングル2曲から構成されている。
サミー・フィリップ時代の資料が極めて少ないのか、解説はブックレットではなく一枚物で、ハース本人の英文ライナーがジャケット裏面に記載されている。
その解説によるとレコーディングは64年前後にロスでおこなわれ、自身が興したレーベルInfiniteからリリースされている。
『Bringing It All Back Home』(65年)以降のボブ・ディラン・スタイルに近い「When I Say I Love You I Mean It And I Don't Change My Mind」や「I Wonder Freely」。ゴスペル・フィールな女性コーラスを配した「What Is This Feeling ?」やブルース色が濃い「It's Show Time」にも同時期のディランに通じるセンスがあり、「Magic Fly (To Jordan)」には同じくディランでも初期フォーク・サウンド時代を彷彿させる。
そんな中VANDA読者やポップス・ファンには「Baby, I Love You Today」のサウンドが魅力的に聴こえるかも知れない。リヴァーブが効いたギターを中心としたヴィンテージ・コンボ演奏に荒削りながら味のあるハースの歌声が聴ける。
ジョー&ジムはサックス/フルート奏者のジム・リチャードソンとイギリス出身のシンガー、ジョー・リチャードソンによる夫婦デュオで、ボーナス・トラックとして収録された2曲の内「The Day We Both Knew」は早くもボッサのリズムがハースのギターで演奏されており、彼のルーツを知る上でも貴重な曲といえる。
なおマスターはハース本人が保管していたシールドのシングル盤から起こしたらしいが、サミー・フィリップ名義の6曲は丁寧なノイズ除去作業により音質的には悪くない。ただしジョー&ジムのシングル音源は聴き苦しい箇所があるので注意のこと。
(ウチタカヒデ)