2018年2月28日水曜日

佐野邦彦氏との回想録9・鈴木英之

    今回は1998年6月に発行された「24」での佐野さんとのやりとりを回顧していく。この号には昨年、「企画22年・発掘作業5年」を費やした収録音源が全て初録音という“奇跡”の発掘音源『ロジャー・ニコルス・トレジャリー[デモ&CMトラックス](Roger Nichols Treasury)』を完成させた濱田高志さんの「Roger Nichols Interview」、また比類なきポップ・ソングの研究家“サラリーマン浅田”こと浅田洋さんの「Tony MaCaulay」などが掲載され、VANDA誌は、「ポップス研究誌」としてさらに充実したものになっている。

   

    私自身はVANDAを通じて、このお二人にはかなり影響されているので、そのいきさつなどを紹介しておく。まず今や“Michel Legrand研究家”として著名な濱田高志氏。私は常々佐野さんから「どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。」と言われていたが、その活動のルーツは彼から伺った濱田さんの行動に感化されたものだった。 

   前回で「国会図書館」へ滋賀から通うようになったと書いたが、それは濱田さんがMichel LegrandのWorksをまとめたい一心で単身フランス在住のご本人の元へ出かけたという話を聞いたのがきっかけだった。ただ私の方は家計に負担を与えない最低限の範囲で通うという程度で、スケールは比べ物にならないので、決して誰かに自慢できるようなものではなかった。また「どこへでも」は、その昔佐野さんが「巨匠宮崎駿氏」との飛び込み取材に成功した武勇伝に少なからず感化されていたからかもしれない。 

   また「国会図書館」以外にも当時から通い始めた場所がもう1ヵ所ある。その場所は、石川県の金沢工業大学にあるPMC(ポピュラー・ミュージック・コレクション)だ。ここについては、偶然見た「めざましテレビ」(フジ系)の「ローカル鉄道の旅」なるコーナーで、「駅周辺の施設」として紹介されたのを見たのがきっかけだった。この地区は昔勤務経験があり地の利もあったので、翌週に車で訪問した。ところが何回か出向くうちに帰路がしんどくなり、もっと楽でかつ安上がりの移動手段を模索するようになった。そんな時に後輩から「青春18きっぷ」のことを聞き、金沢まで「朝6:00出発で現地10:00着、帰路は18:30発で22:30着」と日帰りが可能とわかり、頻繁に足を運ぶようになった。そんなある時、PMCスタッフNさんから「よく来場されていますが、どちらから?」と聞かれ「滋賀から青春切符で」と答えると、彼はその行動に感激され「私に出来ることなら、何でも言ってください」と言われ、以後担当者は変わったが現在も頼もしい協力者として良好な関係を築いている。

   さて話は私が影響されたもう一人浅田さんになるが、彼は“サライター(サラリーマン・ライター)”と名乗っているように、バリバリの企業戦士で平素は激務をこなしながら独自のポップス研究に邁進されている。またいち早くHP.も開設されているという姿勢には、さらに頭が下がる思いだ。そして私がVANDAでチャート記事をまとめていることを知ると、以前の投稿でもふれた「All Japan Pop 20(以下AJP)」についてまとめているM氏を紹介いただき、彼とも情報交換するようになり私のコラムに大きく寄与していただいた。さらに彼は私の敬愛する故八木誠さんや、国内外のミュージシャンとも交流を持つ頼もしい友人でもある。  

 

   そんな精鋭のお二人に加え、この号では15Pというヴォリュームの「Cliff Richard」で松生恒夫さんが登場している。彼は現役の医師で本業の分野では専門書を数多く出版し、近年では健康をテーマとしたテレビ番組にも数多く出演されている。

    では、彼がVANDAに参加するきっかけとなった経緯を含めたエピソードを紹介しておこう。 彼のことを初めて知ったのは、佐野さんとの会話の最中だった。突然「鈴木さんCliff Richardって詳しい?」と聞かれ、「ある程度なら」と返すと、すかさず「実はCliff をやりたいって人が、売り込みをかけてきているんだけど、私の周りにはあまり詳しい人がいなくて困っているんです。鈴木さん一度見てくれませんか?」と頼まれた。数日後、その原稿が届き、ざっと目を通したところ、その内容のコアさぶりに圧倒された。即、その感想をそのまま佐野さんに伝えると、「そうですか、では次回の号に掲載することにします。ところで言い忘れましたが、あれ書いたのお医者さんなんですよ。」と返された。

  その後、渋谷で開催されたVANDA関係者のミーティング会場で松生さんと会うことになった。そこで彼から積極的にアプローチを受け、2つ違いと世代的にも近いこともあり音楽談義に華が咲き、あっという間に意気投合した。そこで、彼があるクリニック勤務の医師だと知り、Cliff以外に加山雄三さんやボサノヴァの研究もしていることを知った。これほどコアに話が弾んだのは、後輩のK君や佐野さん以来だったので、お互いに有意義な時間を共有できた。それ以降、彼から毎日のように連絡が入るようになったが、その頻繁さと長さに、あっという間に家族にもお馴染みとなるほどだった。ちなみに彼はメールを使用しないので、今もその連絡は電話オンリーだ。  

    前置きがだいぶ長くなってしまったが、この号に寄稿したコラムについての話に移ることにする。まず連載の「Music Note」に加えて、まとめたものは元祖カナダ・ロック界の雄「The Guess Who」だった。このコラムも佐野さんとの何気ない雑談から発展したもので、常々「ヴォーカルのBurton Cummingsはルックスが良ければ、Paul Rogerよりも人気が出たかもしれない。」と力説していたことが発端だった。その成り行きから「そんなに好きなら、絶対にまとめるべき!」と勧められ、早速1969年のRCAでのデビューから1975年の解散を経て、リーダーBurtonのソロまでをまとめはじめた。

   ところが「マニアには本格的に全米進出を始めたRCA以前が注目されている。」と佐野さんに助言され、彼らがこのバンド名を名乗る前まで遡ることにした。とはいえ1960年代初期のアルバムはかなりの貴重盤で、当時地方在住の私には簡単に入手できるようなものではなかった。本来であれば全音源をチェックしてまとめるべきではあったが、今回はディスコグラフィーを完璧に仕上げることで、一部未聴音源があることは目をつぶっていただき、悪戦苦闘の末に完成した。

   その内容は『「American Woman」のみのバンド』というパブリック・イメージを払拭するレベルにまとめることが出来た。特にこのコラム用に制作した1961年から1988年までの「Family Tree」に関しては我ながら良くできたという達成感があった。また当時、佐野さんから「今回取り上げたことでRCA以前の音源がさらに注目されているようです。」と連絡をいただき、いつかは未聴音源をチェックして完全版をまとめたいという想いが強くなった。

    

 そして「Music Note」の1973年だが、年初は受験勉強真最中でまめにチェック出来なかった。またこの当時はアイドル歌手の麻丘めぐみさんにはまっており、愚かにも洋楽チャートよりも彼女の出演番組や、音楽雑誌よりも芸能雑誌の発売が気になっていた。そんな状態ゆえ勉強にはあまり集中しておらず受験は失敗、4月からの浪人生活は在京大学志望だったので上京し、新宿の親戚宅に居候させていただき予備校通いとなった。

  そんな東京での生活は、これまで受信できなかった民放FMが聴け、ラジオ局も複数、なおかつテレビ局も多く、「イン・コンサート」(注1)や「リブ・ヤング!」(注2)など映像でも音楽番組が見れるなど静岡とは全く別世界だった。さらにHunterなど中古盤のショップが都内に溢れ、その恩恵であらゆるジャンルのレコードがリーズナブルに入手することができた。ただそんな恵まれた環境ゆえ、受験勉強はより身が入らなくなってしまった。

  受験の友であった深夜放送も高校時代は『オール・ナイト・ニッポン』オンリーだったが、上京した頃には亀チャンや糸井(五郎)さんがいなくなったこともあって、定番は『セイ・ヤング』に移っていた。当時は今や“氷河期”を自称するせんみつ(せんだみつお)さんの放送にはまり、また当時の彼は「AJP」の司会も兼ねるほどの人気絶頂期で、彼のウィットに富んだ曲紹介は今も耳に焼き付いている。それはTom Jones並に高額となった来日公演チケット(S席18,000円!)が話題となっていたEngelbert Humperdinckの「A Place In The Sun(太陽のあたる場所)」の紹介には「ちょっとトイレがつらそうなヘ●デルベ●ジョ・フン●ルディンク!」、グラム・ロックのT.Rexでも「恐るべし、20センジ●リー・ボーイ!」などキレキレのギャグを連発していた。とはいえこんな話は佐野さんにはお叱りを受けそうでしばらく封印していたが、一言発したら前回紹介した「見せる●ルノレフ」同様に大爆笑だった。

   

 さらに深夜放送では名物コーナー「天才・秀才・バカ」を擁するチンペイ(谷村新司)さんの『セイ・ヤング』の影響もあって日本のロックやフォークもよく聴くようになっていた。それが加速するのは、秋頃に『ぎんざNOW!』(注3)の「新人歌手コンテスト」にエントリーされていたユーミン(当時:荒井由実さん)がピアノ弾き語りで歌う「きっと言える」を見てからだった。それはアイドル登竜門コーナーゆえ、会場審査員からの支持は1票で落選したが、彼女の登場は衝撃的だった。それ以降はコアな和物も聴くようになり、これが後に山下達郎氏(Suger Babe)に辿り着くきっかけとなった。この話題は佐野さんも知るところだったが、それをじかに見たうえリアルに記憶していることには驚かれていた。

   

 このように、この頃には和洋混在に聴いていたせいもあって、南沙織さんの「純潔」がVan Morrisonの「Wild Night」がベースになっているといっ事が気になるようになり、Albert Hammondの「It Never Rains In California(カリフォルニアの青い空)」が堺正章さんの「さらば恋人」が元ネタかも(?)と感じるようにもなった。こんな話は米国でも多々あり、有名なところではGeorge Harrisonの「My Sweet Load」がThe Chiffonsの「He’s So Fine(イカした彼)」に訴えられるなどだ。個人的には1972年のヒットClimax「Precious & Few(そよ風にキッス)」はAssociationの「Cherish」が元ネタと言われて騒ぎになっていたが、私は前者が大のお気に入りだった。そんな話を佐野さんにしたところ、「それならWeb.VANDAにコーナーを作るのでそこに投稿したらどうですか!」と言われ、以後Web,の「Sound Of Same」にコツコツ書き込みをはじめるようになった。

 こんな感じで、「24」の制作過程では前号以上に余計なことに気が回り、原稿の仕上げがまたまた遅延し、依頼されたコラムは「3月末締め切り」が、GWに突入した5月になってしまった。その完成した「24」が届けられた際、そこ差し込まれていた手紙には「今号より、VANDAは年1回、毎年6月刊となりました。」で始まり、「約半年で8,000を超すアクセスがあったWeb.VANDAを速報性のあるメディアとして活用する。」とあった。ただ、末尾には「基本はVANDA、年1回の発刊協力よろしく。」と締め、これまでのスタンスは崩さない意思も宣言していた。

 次回は、VANDAがさらに世間の注目が集まり、佐野さんが単行本やCD復刻のなどで、多忙化していく時期となった「25」の制作時期について紹介させていただく予定です。

(注1)1973年頃に東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送されていた海外アーティストのライヴ映像を放映するプログラム。コメンテーターは鈴木ヒロミツ氏(当時、The Mops在籍)が務め、ロック・バンド以外に、The Mopsの敬愛するソウル・グループの映像も頻繁に紹介されていた。

(注2)1972年4月から日曜の夕刻(74年からは深夜枠)にフジテレビで放映されていた若者向けの音楽、映画、ファッション等を紹介する情報番組。初期は愛川欽也氏が司会を務め、最先端の歌手やバンドのライヴ演奏や、来日アーティストもゲスト出演することもあった。また、この番組を一躍有名にしたものとして、1972年10月8日に行われた「ロキシー・ファッション企画」だった。ここに登場した矢沢永吉率いるキャロルは、他を圧倒する熱演を披露し、彼らはこの出演をきっかけに同年12月25日に「ルイジアンナ」で衝撃のデビューを飾る。また、73年12月20日には同年10月23日にフジテレビ第一スタジオにて収録した『ライブ・イン“リブ・ヤング”』をサード・アルバムとしてリリースしている。

 (注3)1972~79年にかけて毎夕刻 TBSで生放送されていた(東京ローカル)情報バラエティ公開番組。収録場所は東京銀座のスタジオ「銀座テレサ」で、初代司会はせんみつ氏。清水健太郎さんやラビット関根(現:関根勤)さんなどを輩出した「素人コメディアン道場」が有名だが、ブレイク前のキャロル(木曜)、フィンガー5(月曜)などがレギュラー出演していたことは有名。 

2018年2月27日18:00

2018年2月25日日曜日

集団行動:『充分未来』 (ビクター/VICL-64912)


 昨年6月にバンド名をタイトルにしたアルバムでデビューした集団行動(しゅうだんこうどう)が、セカンド・アルバム『充分未来』を早くもリリースした。
 耳の早い音楽ファンならご存じかも知れないが、このバンドは相対性理論の初期中心メンバーでメイン・コンポーザーでもあった真部脩一が昨年1月に結成したプロジェクトで、理論時代からの盟友でドラマーの西浦謙助と、ヴォーカリストとして某アイドル・オーディション出身の齋藤里菜(さいとう りな)が正式メンバーである。
 本作のレコーディングにはライヴのサポート・メンバーでもあったルルルルズの奥野大樹(キーボード)とVampilliaのミッチー(ベース)が新たに加わっており、特に奥野はアレンジ面でも貢献している。
 アルバム全体的な印象では前作以上にバンドらしさが滲み出てファースト・アルバムを経て肩の力も抜けているとは思うが、そこは一筋縄ではいかない真部ワールドなので聴き込む内に隠し球のようなマジックを垣間見ることができるのだ。

   

 では本作で筆者が気になった収録曲を解説していこう。 
 冒頭の「会って話そう」は前作での「ホーミング・ユー」のようなインパクトこそないが、ファンク・ミュージックをベースにした齋藤と真部のヴォーカルが掛け合うラヴ・ソングだ。メロディ・ラインはキャッチーながら唯一無二で独特なペンタトニック系スケールが耳に残る。
 続くタイトル曲の「充分未来」や「フロンティア」は一聴して往年のギターポップ・ファンにもアピールするサウンドだが、前者には理論時代の「品川ナンバー」(『ハイファイ新書』収録 09年)を彷彿とさせるTR-808系のハンドクラップが飛び道具的に使われ、後者は同じく「さわやか会社員」(『ハイファイ新書』収録)に通じるジョニー・マー経由のハイライフからブラジリアン・サンバに発展させるリズム・センスが真部らしいハイブリッドなセンスといえる。
 一方新境地なのが詞曲共に彼等らしくない「春」であり、比較的ストレートなギターポップ・サウンドに不毛の愛が綴られていてアルバムの静かなアクセントになっている。
小曲の「モンド」からラストの「オシャカ」への流れも触れずにいられない。前作での「バックシート・フェアウェル」の位置にある「オシャカ」のプログレッシブな構成は、このバンドが数多溢れている無味乾燥なロック・バンドとは一線を画していることを証明している。

 前作同様この『充分未来』も拘り派のロック、ポップス・ファンにお勧め出来る内容であることは間違いないので、興味を持った音楽ファンは入手して聴くべきだろう。 
また前作に続きこのリリースを記念した単独公演「充分未来ツアー」が3月におこなわれるので、詳細は下記のリンクからチェックしてほしい。 
https://www.syudan.com/news-1 
 
(テキスト:ウチタカヒデ) 

2018年2月18日日曜日

『Springs Live Picnic 2018』ライヴレポート

2月10日に東京は千代田区神田神保町の楽屋(らくや)で開催されたSprings(スプリングス)のライヴ『Springs Live Picnic 2018』の模様を紹介したい。
Springsは、VANDA読者にはお馴染みの書籍『HARMONY POP』(2000年/音楽之友社)、『ソフト・ロック in Japan』(2001年/音楽之友社)に企画・構成、執筆で参加している音楽家のヒロ渡辺(渡辺博之)が、土屋剛、シンディ浅田と組んでいるソフトロック・グループである。
そもそもSpringsは 95年にドラマーでマルチ・ミュージシャンでもあるヒロ渡辺とヴォーカリストのシンディ浅田の二人により結成され、翌96年にセクサイト・レーベルよりミニ・アルバム『SPRINGS』でデビューした。同年デビュー作にも参加していたキーボーディストの土屋剛を正式メンバーに加えるもシンディの脱退により、翌97年に二代目ヴォーカリスト毛利公美子を迎え、同年アルバム『PICNIC』をリリースする。
その後活動休止の期間を経て、2009年のシンディのソロ・アルバム『I Remember You~メモリーズ・オブ・ローラ~』の制作をきっかけにオリジナル・メンバーでリユニオンし現在に至る。

さて今回の『Springs Live Picnic 2018』だが、2016年の『SPRINGS 20th ANNIVERSARY PREMIUM GIG』以降1年ごとに開催されているライヴのようだ。
ヴォーカルのシンディを中心に、アコースティック・ギターのヒロ渡辺(リード・ヴォーカルも取る)とキーボードの土屋剛がそれぞれコーラスをつけるというシンプルな3人の編成で、彼らやシンディのソロ・アルバム同様に中村俊夫氏がプロデューサーという繋がりから、ゲストにシンガーの原めぐみ(元アイドル歌手から女優、タレントに転身して活躍している)が参加していた。
当日のセットリストは以下の通りであるが、WebVANDA読者をはじめとするソフトロック・ファンには垂涎の選曲といえよう。


【第一部】
01. Don't Go Breaking My Heart
02. Workin' On A Groovy Thing
03. I'll Be Back
04. Snow Queen
05. The Carpenters Medley:
 I Won't Last A Day Without You~
 A Song for You~
 We've Only Just Begun~
 Top Of The World
06. Samba Take Seven (Lola’s Theme)
07. Under The Jamaican Moon
08. In The Morning

【第二部】
01. Our Day Will Come
02. There’s A Kind of Hush(All Over The World) ※ with原めぐみ
03. I Love How You Love Me ※ with原めぐみ
04. トビラ~Everlasting Love~ ※ with原めぐみ
05. Love On A Two Way Street
06. Guess I'm Dumb 07. The Drifter 

【アンコール】
01. God Only Knows 
02. Don't Take Your Time


冒頭の「Don't Go Breaking My Heart」から「I'll Be Back」、「Snow Queen」、ラストの「The Drifter」、そしてアンコールの「Don't Take Your Time」は、日本におけるソフトロックの聖典とされた『Roger Nichols & The Small Circle Of Friends』収録曲である。これはSpringsが男女3声のハーモニーを大事にしていることを如実に現している。
またカーペンターズ・メドレーでは、現在もカリフォルニア在住というシンディによるネイティヴな英語歌詞の発音と美声によりカレンの歌声を彷彿とさせた。実際シンディは多くの国内CMでカーペンターズのカバーを歌っているので、知らず知らずの内に耳にしている人も多いはずだ。
他にもニール・セダカの「Workin' On A Groovy Thing」やニック・デカロのカバーで知られるスティーヴン・ビショップ作の「Under The Jamaican Moon」、ルビー&ザ・ロマンティックスの「Our Day Will Come」、ブライアン・ウィルソン作で昨年逝去したグレン・キャンベルの「Guess I'm Dumb」など通好みのカバー曲で観客を唸らせた。

オリジナルの「In The Morning」や「Love On A Two Way Street」はライヴではお馴染みで、ファンにとっては欠かせないナンバーだろう。
シンディのソロ・アルバム『I Remember You~メモリーズ・オブ・ローラ~』からは「Samba Take Seven (Lola’s Theme)」が演奏されボサノヴァのリズムが心地よかった。
ゲスト・シンガー原めぐみのコーナーでは往年のファンの皆さん(メグミン隊か?)からの声援で大いに盛り上がったのは言うまでも無い。特に原自身が作詞して、渡辺が曲を提供し土屋がアレンジした「トビラ~EVERLASTING LOVE」は、ロネッツの「Do I Love You」の影響下にある完成度の高い曲である。


こんな素敵なライヴであったが、筆者的に最大のハイライトは、アンコールで弊誌編集長、佐野邦彦氏に捧げた「God Only Knows」の演奏だった。渡辺氏から語られる知られざるエピソードと心のこもった熱唱には思わず感激してしまった。
佐野氏もそのリユニオンを心より願っていたであろう、Springsの最高のパフォーマンスに心酔した一夜だった。


(文&写真:ウチタカヒデ / 写真提供:シンディ浅田氏、撮影:皆川幸男氏)

 

2018年2月12日月曜日

shinowa:『Flowerdelic』 (LITTLE EYES IN A MEADOW/LEIM-002CD)


 昨年6月に16年ぶりの新作シングル『Snow, Moon, Flowers』で、その活動を本格的に復活させていたshinowa(シノワ)が、2月5日に満を持してフル・アルバム『Flowerdelic』をリリースした。
 shinowaはリーダー兼リードヴォーカル、ギタリストの山内かおりとギタリスト兼プログラミングの平田徳(ヒラタハジメ)を中心に結成され、60年代中後期のサイケデリック・ロック、80年代後期~90年代初期のシューゲイザー/オルタナティヴ・ロックに通じるそのサウンドは、海外のミュージシャンや音楽関係者にも評価が高く、耳の肥えたVANDA読者なら興味を持つ筈だ。 

 前回のレビューと重複するが改めて最新のプロフィールを紹介しておこう。
 彼らは96年に大阪で結成されたサイケデリック・ギター・ロックバンドで、GYUUNE CASSETTE 傘下の Childish Soupより『bloom~光の世界』を01年にリリースし数度のメンバーチェンジのあと、野有玄佑(ベース&ドラム)が加入して現在の男女3人組となっている。 11年には米サイケデリック・ポップバンド、MGMT(エム・ジー・エム・ティー)より直々にオファーを受け、彼等の来日公演のオープニングアクトを務めた。
 また昨年リリースした『Snow, Moon, Flowers』は、全米で数年前からカセット・ブームを牽引しているカリフォルニアのBURGER RECORDSのコンピ・カセット『BURGER WORLD JAPAN』(17年9月) に収録され、その後英レビュー・サイト  VINYL FACTORY でレビューが掲載された。
 この状況を知れば、現在も彼らが国境を超えて高く評価されていることを理解出来るだろう。
 なお本作は『Snow, Moon, Flowers』と同様にHammer Label主催で、シンセサイザー・プログラマーやエンジニアとして、ムーンライダーズや渋谷系のクルーエル・レコーズから歌謡曲フィールドまで幅広く活躍していた森達彦氏がプロデュースとミックスを手掛けており、その手腕が随所で発揮されている。

   
 では本作で筆者が気になった主な曲を解説しよう。 
 冒頭の「One」は山内のソングライティングにエダナマイが英歌詞をつけた、80年代後期~90年代初期のクリエイション・レコーズのサウンドに通じるギター・ポップで、ディストーション・ギターやノイジーなシーケンス音をループして空間系エフェクトで処理したトラックと、山内のスウィートなヴォーカルとのギャプが実に素晴らしい。リズム的には8と16ビートにサンバ系のブラジリアン・ビートのエッセンスを持ち独特の浮遊感を醸し出している。本作のリード・トラックとしてそのクオリティは高い。
 「Sit with the Guru」はVANDA読者ならご存じの通り、Strawberry Alarm Clockのカバーでセカンド・アルバム『Wake Up...It's Tomorrow』(68年)に収録された、「Tomorrow」(67年)に続く先行シングル曲である。ここでのヴァージョンは彼ららしさと言うべきサウンド・エフェクトが目映いサイケデリック・ポップに仕上がっており、Strawberry Alarm Clockのオリジナル・メンバーで作曲者の一人であるマーク・ワイツも絶賛している。
 ワイツからのコメントはshinowaオフィシャル・サイトで読んでみて欲しい。 因みに彼らはバンド結成当初からこの曲をレパートリーとしており、本作には最新ヴァージョンをレコーディングしたということだ。

   

 昨年初頭、shinowaの音源を初めて聴かせてもらった時から筆者のフェイヴァリットだったのが、「Silent Dawn」である。ギター・ポップとシューゲイザーにそのルーツの一つというべき60年代サイケデリック・ロックのエッセンスが程よくブレンドされたブリリアントな曲で、単独でソングライティングした山内のヴォーカルに施されたモジュレーション・ディレイ系のエフェクト処理も相まってドリーミングである。
 続く「Unisol」も山内単独のソングライティング曲であるが、シューゲイザー的サウンドは影を潜めたプリティーなギター・ポップと思いきや、後半にはしっかりファズ・ギターとフリーキーなオルガンのフレーズがちりばめられていて侮れない。この曲には長崎を中心に活動するアコーディオン(fisarmonica)奏者のLOCOがマリアッチなプレイで参加している。
ラストの「Red Flower」は『Snow, Moon, Flowers』カップリングの「Almost Certain」(原曲:「たしからしいということ」)と同様に、『bloom~光の世界』収録の「赤い花」を英歌詞化しリアレンジした曲である。プログレッシブ・ロックの要素もある変拍子のこの曲も山内のソングライティングあり、彼女の才能の奥深さを思い知らされる。
 なお本作はCDとアナログ・アルバム、またカセット・テープの3媒体でリリースされており、CD以外は限定生産のため興味を持った読者は早期に入手すべきである。