2011年12月25日日曜日

☆George Harrison:『Living In The Material World』(角川/DABA4111)Blue-Ray+DVD+CD

マーティン・スコセッシ監督によるジョージ・ハリスンの自伝『Living In The Material World』ブルーレイ+DVD+CDのボックス・セットを入手した。本ボックスはボックスでしか聴くことができない未発表トラック10曲が入ったCDが目当てだったのだが、この映画を見始めたらあまりの素晴らしさに最後まで、210分の長尺ながら一気に見てしまった。そして映画のラストはただもう涙、特にリンゴの涙に、人間ジョージ・ハリスンの見事な人生を知ることができた。
映画はジョージの二人の兄の証言から始まる。そして息子でイケメンのダニー。もうこの人選で目が釘付けだ。その後はポールやリンゴ、親友エリック・クラプトンらによって、輝かしいビートルズ時代のジョージが明らかになっていく。ビートルズは本当に仲が良かったんだ、家族以上の結びつきだったんだと再確認し、43年来のビートルズ・ファンとしてこのあたりは嬉しくなって見入ってしまう。パティ・ボイドやジェーン・バーキンも登場するが、彼女らの現在の姿には諸行無常を感じてしまう。あんなに美しかったのに...。特にパティの可憐さは群を抜いていたので衝撃を受けたが、考えてみれば自分も変わった。先日の忘年会で、自分のiPhoneに入れてあった入社したころの写真(27年前)を隣の人に見せたら非常に驚かれ、見て見てとそのiPhoneは会場を回って行ってしまったので、そんなに変わったのかと自分でも驚かされたばかり。パティはクラプトンの熱烈な求愛にジョージのもとを去ってしまうのだが、ジョージの人間性に今でも強く魅かれているのが伝わってくる。自分のもとを去った妻をやさしく見守り、妻を奪ってしまったクラプトンとの親交も保ち続けるジョージには、男女の愛を超えた人間の魂の崇高さを感じることができた。クラプトンは、ジョージに呼ばれ「While My Guitar Gently Weeps」でギターを弾いたとき、目の前で3人がコーラスを付け、ポールがキーボードを弾くレコーディングに参加できたことを誇らしげに語る。そしてジョージが「Let It Be」の頃、ポール主導のレコーディングに耐え切れずビートルズをいったん離れた時に、クラプトンはジョンからジョージが抜けたらかわりにビートルズに参加しないかと言われ、いったんその気になりそうになったエピソードも面白かった。
ビートルズ時代にLPではマックス2曲しか曲を提供できなかったジョージは書き溜めていた曲をソロになって一気に披露する。その時のプロデューサーであるフィル・スペクターがインタビューに登場し、ビックリ。懲役19年をくらって刑務所に収監される2009年より前に録画されたものだろうが、妙なカツラとひんむいたような目がアブなくて、危険人物であることが一見して分かってしまう。しかしこの天才のインタビューが収録できたことはこの映画の財産である。ジョージのデモを聴いたらどれも素晴らしい曲ばかりで驚かされた、ジョージはレコーディングでまったく妥協せず、スペクターをも呆れされるほど自分の求めるサウンドを追い求めていたことをスペクターが語っていた。またジョージはスペクターがミキシングした「Wah Wah」に対して気持ち悪い音だとスペクターにはっきり言っており、ジョンといいビートルズだけはさすがのスペクターも全権を持つプロデューサーとして振る舞えなかったことがわかる。1970年のこのアルバム『All Things Must Pass』とシングル「My Sweet Lord」はどちらも全米1位に輝き、ビートルズ解散後に最も輝いたのはジョンでもポールでもなく、ジョージ・ハリスンだった。今になればジョンとポールのファースト・アルバムの素晴らしさは分かるが、その当時、ビートルズの高いクオリティの曲に比べ、ジョンとポールの書く曲のクオリティは明らかにその基準以下でガッカリしていた時に、ジョージが目も覚めるような素晴らしい曲を23曲も一挙に披露してくれた。その当時を知っていた人は分かるだろうが、1970年ではジョージが希望の星だった。そして余談だが、当時の女の子(ちなみに私は中一)に圧倒的な人気があったのも、最もハンサムなジョージだった。
その後、ジョージは音楽以外に映画やエフワンなどに資金提供し、自分が気に入った人には惜しみなく資金援助をしていた。またジョージの師であるラビ・シャンカールの訴えからバングラ・デシュ救済コンサートを開き、巨額の費用をバングラ・デシュ難民のために援助した。これが世界で初めてのスーパースターによるチャリティ・ライブであり、後にボブ・ゲドルフはジョージに憧れ、ジョージに見習ってあのLIVE AIDを開いたのだった。
そんなジョージにも最後の日々が訪れる。その前にジョージは自宅に侵入した統合失調症患者に8か所もナイフで刺され、妻のオリビアがとっさに手にした火かき棒で犯人を殴りつけ、九死に一生を得た迫真のエピソードが披露される。この恐ろしい事件のあと、既にガンに侵されていたジョージは、自分の「旅立ち」の準備をしなくてはいけないと妻に話していた。そして死の2週間前、衰弱して寝たきりのジョージの病床にポールとリンゴが見舞いに向かう。その時、リンゴは娘が脳腫瘍でこの後にボストンに行かないといけないとジョージに話すと、ジョージは「一緒に行こうか?」と返事をする。リンゴは思わず天を仰ぎ、サングラスの下の涙をぬぐいながら「それがジョージの素晴らしいところさ」。もうダメだ。自分も涙が溢れてくるのを堪えきれなかった。オリビアはジョージとの最後の夏をフィジーで過ごした時に、二人で「いい夫だったかな」「私もまあまあの妻よね」「一緒に二人で歩んできたよかった」と素晴らしい会話をしたことを慈しむように語っていたが、ジョージは人生の最後を最愛の妻と子に囲まれ、愛情に包まれて旅立っていったのだ。ビートルズの別れたメンバーから愛され、別れた妻からも愛され、妻を奪った男からも愛されたジョージ。それはジョージが一時の感情に左右されず愛情を注いでいたからの裏返しでもあり、ジョージの人生は愛で包まれていたのである。
さて、最後にこの高額なボックスでしか聴けないCDの内容について紹介しよう。基本は『All Things Must Pass』のデモで「My Sweet Lord」「Run Of The Mill」「I'd Have You Anytime」「Awaiting On You All」「Behind That Locked Door」「All Things Must Pass」の6曲が収録されている。この中でギターの弾き語りは「Run Of The Mill」だけで、他の曲はドラムやベースも入っているのでより楽しめる。「My Sweet Lord」はドラムパターンがまったく違っていて興味深い。このデモをあの感動的なシングル・ヴァージョンに持っていったスペクターの手腕はやはり凄い。印象的なギターリフが荒削りながら入っている「Awaiting On You All」は明るく快調だし、「Behind That Locked Door」は既にもうスティール・ギターがフィーチャーされムードは十分、「All Things Must Pass」はエコーがない分、この曲のメッセージは強く伝わってくる。『Living In The Material World』からは「The Light That Has Lighted The World」だ。このアルバムは『All Things Must Pass』に匹敵するような名曲が多いのだが、いつも扱いが軽いのが納得できない。この曲も好きな曲のひとつで、披露されたのは弾き語りのデモ。願わくば一番好きな「Don't Let Me Wait Too Long」のデモを聴きたかった。残りは3曲で『33 1/3』からは「Woman Don't You Cry For Me」の弾き語り、『Let It Be』のブートでも聴くことができるボブ・ディランの「Mam You've Been On My Mind」の弾き語りのカバー、あとは「Let It Be Me」のデモである。この最後の曲は有名曲過ぎて使い道がよく分からない。(佐野)



☆Various:『The Bridge School Concerts 25th Anniversary Edition』(Reprise/7599399735)DVD

ニール・ヤングと妻が1986年から続けてきた障害児のための学校ブリッジ・スクールへのチャリティー・ライブの25周年を記念したDVDとCDがリリースされた。それぞれ少しずつ選曲が違うのだが、CD版は1997年にリリースされた『The Bridge School Concerts Vol.1』が先行してあるのでS&Gやデビッド・ボウイなどが省かれており、ここではより内容が充実したDVDについて紹介しよう。
ただし、『Vol.1』にはニールの「I Am A Child」、CD版にはCSN&Yの「Deja VU」などそのディスク・オンリーの音源があるので、後に全部揃えられたい。このコンサートはアコースティックが基本なので普段、エレクトリックなアーティストのアンプラグドのライブが見られるのが嬉しい。例えばフーだ。まだジョン・エントウィッスルが生きていた時のライブで、「Won't Get Fooled Again」が見られる。ただ、この曲、シンセサイザーの部分をアコギで代用するのは少々無理があり、ロジャーのシャウトも間が抜けた感じで成功作にはならなかった。同じく残念なのはブライアンン・ウィルソンで、1999年のライブの「Surfin' USA」が見られるが、まだ精神状態がイマイチのようで、能面のような顔、ぎこちない動きが痛々しい。音程も怪しい。『Imagination』の翌年だが、2004年の『Smile』ではほぼ万全に回復してきているので、その過程のライブである。バックコーラスにニール・ヤングは当然としてロジャー・ダルトリーがいたのはちょっと驚きである。こういう歌にロジャーがコーラスを付けるなんて、35年前は想像もできなかった。もともとアコースティックが得意なニール・ヤングやジェームス・テイラーは余裕もあり、ほれぼれする出来だ。大物ではボブ・ディラン、デビッド・ボウイ、ブルース・スプリングスティーンなどがいるが、やはりポール・マッカートニーがベストだ。「Get Back」をアコースティック(ただしポールはカール・ヘフナーのベース)で歌うが、ドライヴ感が抜群で最高の出来。アコギのギターソロもいいね。そしてこのDVDの個人的なハイライトはS&Gの「America」である。やはりポール・サイモンの曲は、アート・ガーファンクルの声が魅力を倍化してくれる。アコギ1本のデュオでこれだけの壮大な世界を生み出せるS&G、そしてこの「America」という曲は本当に偉大だ。感動で何度も見てしまったほど。(佐野)





☆沢田研二:『沢田研二in夜のヒットスタジオ』(フジテレビ・ユニヴァーサル・ミュージック/POBD22036/41)DVD

沢田研二の1975年5月5日オン・エアーの「白い部屋」から1990年2月21日オン・エアーの「DOWN」まで、フジテレビの超人気番組だった「夜のヒットスタジオ」の全102回にわたる出演シーンを、歌だけでなく恒例の冒頭のオープニング・メドレーまでDVD6枚に収録したファン感涙のボックス・セットである。全部で589分と10時間分もある究極のコレクターズ・アイテムと言えるだろう。まだ激太りをする前であり、美しいJULIEを堪能できて幸せだ。男でも惚れ惚れしてしまう。JULIEは自分にとって日本のミュージシャンの最初のヒーローだった。
小学校時代GSで目覚めたもののブームは失速、その中で残ったのがJULIEである。何しろ、まだ洋楽的なものは日本の音楽シーンで主流ではなく、ましてやロックは日陰の存在だった。その中で洋楽の香りがありロックを歌っていたJULIEは自分の世代の代弁者だった。今では分からないだろうが、1973年に「危険なふたり」が五木ひろしの「ふるさと」を抑えて歌謡大賞を獲得した時に私はテレビの前で万歳をしたのを思い出す。私の親はロックを否定することなどまったくなかったが、自分の世代が旧世代に勝ったという気がして、自分のことのように嬉しかった。このボックスでは1977年10月のヴァージョンを見ることができるが、ビートもあってキャッチー、JULIEはメチャクチャカッコいいし、ほんと、最高である。ちなみにこの曲は作曲がワイルド・ワンズの加瀬邦彦、シングル盤の演奏は井上堯之バンド(当時)でギターの井上堯之とキーボードの大野克夫はスパイダース、ベースの岸部修三がタイガースと、GSの仲間がみんなでJULIEを支えているのが嬉しかった。ちなみに加瀬邦彦と大野克夫はずっと沢田研二の曲を書き続けたし、ブルー・コメッツの井上大輔も後に曲を書いていて、JILIEの存在がGS仲間を強く結びつけていた。そしてさらに「夜のヒットスタジオ」の司会はスパイダースの井上順である。JULIEが出演した時のこの二人のコミカルなやり取り、仲の良さを見るのも大きな見どころである。JULIEのファッション、そして後にメイクを見るのも、このボックスの大きな見どころなのだが、個人的にはやっぱりJULIEは歌であり、個人的なハイライトは1975年の初登場で歌った「巴里にひとり」だった。この曲は数あるJULIEの曲でもベスト3に入る名曲中の名曲であり、洒落た転調と美しいメロディは日本のソフトロックとしても白眉の出来栄えである。この曲はフランスでもヒット(作曲はフランス人)して当時、全仏チャートの4位に輝いている。ちなみに「危険な二人」の年にリリースされたアルバム『JULIE VIある青春』は、名曲揃いで、今でも私の愛聴盤、聴いたことのない人はこの機会に是非聴いてほしい。(佐野)

2011年12月13日火曜日

☆Doris Day:『My Heart』(Sony/888697927752)

ドリス・デイがテリー・メルチャーの母親というのは誰でもご存じのことだろう。そのドリス・デイが2004年にガンのため亡くなったテリー・メルチャーに捧げたのが本作である。音源の多くは1980年代の彼女のテレビ・ショー『Doris Day's Best Friends』のレコーディングからセレクトされている。本作で注目されるのはブルース・ジョンストン単独作品2曲、ブルースとテリーの共作が3曲と、12曲中5曲がブルース・ジョンストン作品という、我々ブルース・ジョンスソン・ファンにはたまらないセレクションになっていることだ。
永遠の名作「Disney Girls」で万人を酔わせ、バニー・マニロウが歌った「I Write The Songs」でグラミー賞のソング・オブ・ジ・イヤーまで獲得したブルースだが、賓作のコンポーザーであり、また控えめな性格なので、「遅れて入った6人目のビーチ・ボーイ」としてか、ビーチ・ボーイズのコンサートでも自作を歌わず、コメントも少ししか出さず、身を引いてしまっているのが実に寂しいところ。一緒に活動しているマイク・ラブが、みんなに眉をしかめられているのに平気で自己主張し続けているのと対極の位置にいる。そんなブルースだが、ビーチ・ボーイズ加入前にブルース&テリーとして活躍し、ブルースが一時ビーチ・ボーイズを脱退していた時期はテリーとイクイノックス・レーベルを作ってカリフォルニア・ミュージックとして活動するなど、テリーの一番の親友がブルースだった。母親のドリスはテリーへのメモリー・アルバムを作る際、当然、ブルースの曲を多く選んだ。「Disney Girls」は当然入ったが、注目は「Heaven Tonight」である。このアップテンポで明るくポップなナンバーはブルースが自分のソロ・アルバム用にレコーディングまでしていた「Let's Visit Heaven Tonight」であり、貴重なカバーである。ブルース自身の歌は、未だに海賊盤でしか聴くことができない。そしてブルースとテリーとの共作だが、まずはビーチ・ボーイズがシングルとしてもリリースした「Happy Endings」で、ここではテリー・メルチャーのヴォーカルのものを収録していた。イントロのアナウンスはドリスで涙を誘う。他の2曲はしっとりとした美しいバラードの「The Way I Dreamed It」と「My Heart」で、どちらも個人的に初めて聴いた曲で、久々出会ったブルースの「新作」に嬉しさ一塩だ。ただ、アルバム全体を通して聴くと、最も魅力的なのは、ブルース関係の曲などではなく、ゴージャスなストリングスをバックに歌うジャズ・ナンバーの数々で、歌姫ドリス・デイの面目躍如、幸せな時間を送れること間違いなし。「Hurry It's Lovely Up Here」「My One & Only One」「Life Is Just A Bowl Of Cherries」「My Buddy」「Ohio」がおススメ。(佐野)


2011年12月7日水曜日

☆Beach Boys:『The Smile Sessions(Deluxe Edition)』(EMIミュージック・ジャパン/TOCP-71113-14)

先にレビューした『THE SMiLE SESSIONS』だが、ボックスを買えば全て揃ったかというとこの2枚組のデラックス・エディションは少し違う編集の曲があるので侮れない。
まずボックスでアナログ・シングルとして収録されていた「Heroes And Villains :Part1」「Heroes And Villains :Part2」を、ここではディスク2に収録。CDヴァージョンはこちらでどうぞという訳だ。そして「Good Vibrations Session Highlights」は本CDのディスク2のみ収録だ。「Heroes And Villains」のPart1は『Smiley Smile/Wild Honey』の2in1に収録されていた「Cantina Version」だが、ミックスが断然いいので別の曲のように聴こえるほど。Part2は「Gee」からスタートする419秒のセッション集のつなぎ合わせで、『Good Vibrations Box』の「Heroes And Villains(Sections)」に近いが、こちらは641秒もあり、Part2の方が「Sections」にはないパートを入れていたり編集は上。「Good Vibrations Session Highlights」も『Smiley Smile/Wild Honey』収録の「Good Vibrations(Various Sessions)」に編集の内容が近いが、尺が819秒で、「Various Sessions」の654秒に比べ1分ちょっと長い。もうひとつ、ディスク2の517秒の「Cabin Essence」は、ボックスのディスク3「Cabin Essence(Chorus)」に「Cabin Essence」のインストを通しにして編集したもの。このヴァージョンも本CDのみだ。ちなみにディスク1は今回のリリーズ3ヴァージョン全てに共通の仕様で、『Brian Wilson Presents SMiLE』のビーチ・ボーイズ版である。そして付け加えて言うと、本CDの輸入盤は無用に大きいボックスで邪魔なだけ、コンパクトに作られた日本盤を絶対に買うべきである。(佐野)





 

2011年11月30日水曜日

★第6回 宮古諸島ツアー2011

 Journey To Miyako Islands 2011


佐野邦彦 




                            八重山・宮古で最も美しい海のひとつ、下地島空港沖の海


                   

一つ残っていた。ずっと心に引っ掛かっていた。それは宮古諸島の水納島(みんなじま)だ。

沖縄本島の近くにクロワッサンアイランドと呼ばれている同名の島があるがそれではない。宮古島と石垣島の中間にある多良間島の沖8kmに浮かぶ、人口3人の島、それが目指す水納島だ。私事で恐縮だが、我が家では家族4人(今年の夫婦で行った八重山は除く)で今まで11回、宮古島を中心とする宮古諸島、石垣島を中心とする八重山諸島へ行った。6回の八重山で、八重山諸島にある11の有人島へはすべて行くことができた。
では宮古。5回の宮古で、宮古諸島にある8つの有人島のうち7つは行った。残っているのはそう、水納島だけなのである。水納島さえ行けば、宮古・八重山の19の島、全てへ行ったことになるのだ。
 しかし長男は内定が取れ、来年は就職である。家族4人で行くことはまず、不可能だ。だからこそ、今年、どうしても悲願を達成したかった。悲願とは私個人だけのもので子供二人は特にどうとも思っていないようだが、全部行けば、記憶には残るだろう。 一昨年にトライし、多良間島まで渡り、海の向こうに水納島が見えていた。晴れていたのに、海がうねっていて渡ることはできなかった。だから今年の6回目の宮古は水納島へ渡れなければ意味がない、そう決意していた。 だからはじめ9月に予約していたが、台風が奄美へ迫っていたので、影響で船が出せないと確信し、3割のキャンセル料を払って10月に変更したのだ。 しかし10月に入っても宮古はずうっと雨もしくは曇りマーク続き。3週間くらい晴れはほとんどなかったと思う。沖縄は雨じゃなくても曇りでは何の意味もない。陽が射さなければ海はあの輝く翡翠色ではなく、緑がかったねずみ色でしかない。
ただこれだけ悪天候が続けば、さすがに行く頃には天気が回復するのではと、淡い期待があった。すると願いが通じたのか、行く日は曇りマークだが、その後は曇り時々晴れのマークが並ぶ。台風も熱帯低気圧も発生していない。これなら渡れそうだ。こうして12回目の離島旅行がスタートした。
☆10月21日(金) 
 宮古島へはいつもの早朝6時55分羽田発の直行便を使う。3時間20分のフライトだ。違うのは運転が自分でないこと。子供二人が免許を取ったので、助手席でナビをすればいいのでこれは気楽だ。ここでまず伝えておきたいのは、値下げした羽田空港のパーキングの料金である。予約は不要、3泊4日でたったの5500円!昔は空港駐車場の料金が高かったので、空港周辺のパーキングに停めてそこから送迎というパーキングプランが必ずといってもいいほど旅行会社のパンフレットの裏に載っていたが、今や壊滅だろう。またモノレールは往復で940円もするが、浜松町までの交通費を入れれば4人で行くとパーキング料金を超えてしまう。荷物運搬の手間もあるので、4人でなくてももうモノレールを使う手は消えた。羽田へ行くのは車が安いという認識に変えてほしい。 
 宮古空港へ着くと空は曇り。天気予報通りか。こういう天候は、吉野海岸に限る。吉野海岸は海の中を見るためのビーチなので、曇りでも関係ないからだ。レンタカーはレンナビで最安だったマツダレンタカーを使う。3泊4日、保証料込で11500円は格安だ。ここで伝えたいこと第2弾。レンタカーはレンナビか石垣島ツアーランドなどのサイトで、最安、保証料込、キャンセル料が直前でないとかからないプランを選ぶのが絶対にお得。旅行会社のレンタカープランは高いので使わないこと。 急ぐ必要もないので必ず行く西里のA&Wで腹ごしらえ。その後、吉野へ向かう。

吉野海岸は、宮古島市が指定管理者にまかせて運営しているので500円の駐車料金を払って送迎してもらうシステムになっている。その事を嫌う人がいるが、それは単なるノスタルジア、昔のあの切り返しも困難な急坂にアクロバットのように駐車する過去がいい訳がなく、500円で安全に行き来できる今の方がいいに決まっている。駐車場へ着くと停まっているのは4台ほどでガラガラ。もう10月だものな。下へ降りても全部で20人くらいしかいない。これは快適だ。干潮は15時30分頃なので早くに泳がないと、泳ぎづらくなる。気温は29度、海ははじめ少し冷たかったが、十分に泳げる。空いているし、この時期の方がいいのかも。 海の中は大型のカラフルなブダイ系の魚が泳ぎまわっている。海岸から20mくらいの安全なリーフ内に珊瑚が群生しこんな大型の魚がいるビーチは吉野海岸以外ない。となりの新城海岸もこんなにはいない。

そして八重山は、リーフ際まで行かないとダメだ。やはり吉野は特別だなと改めて感じて浜に戻ると空はすっかり青空になっていた。これは嬉しい誤算だ。海の色も陽の光がないときとまったく違う。
パラソルの下の椅子で休んでいると、長い髪を後ろで縛り、ボーイスカウトのようなカーキ色の服を着たダンディな老人がこちらへやってきた。手には珊瑚のカケラを持ち、ヒモで結わこうとしている。
「どこから来たんですか?」
「東京です」
「東京のどこですか」
「世田谷です」
「世田谷のどこですか?」(だいぶ詳しいな)
「上町というところです」
「宮古島は初めてですか?」
「もう6回目です」
と、ここでこの老人は「私はここで吉野海岸の環境を守るNPOをやっています。この自然を大事にしてもらう証としてこうやってサンゴのネックレスを付けていただくようお願いしているのですが、首からかけていいですか?」と。
「いいですよ」
「私は『吉野のおじさん』と呼ばれているんです。ホームページもやっています。」
そうか!この人が「吉野のオヤジ」という人か。今は「吉野のおじさん」と言われているのか。そのホームページは行く前日に読んだばかりで、噂では台風の後、吉野のオヤジはいなくなった、のような事を聞いていたけど元気じゃないか。
最初はよそ者が偉そうにみたいな感じで地元の人から嫌がらせを受けたりしていたけど、今は地元の90%の人が活動に賛同してくれるようになったという記事を読んだばかり。
沖縄離島のホームページで、吉野海岸には「吉野のオヤジ」という人間がいて、いちいち文句を付けてくのであまり行かない方がいい、なんて書いてあったのをすっかり鵜呑みにして、最初の2回は吉野海岸を避けていた。
新城海岸にいる地元の人も同じことを言っていた。しかしこの方はとても紳士的だし、干潮時に珊瑚の上を走り回っているバカな高校生くらいのガキどもをここで見たことがあり、注意する人がいなければここは守れないなと痛感していたので、保護活動は賛同できる。
ここで会えてよかったな。でもまったく今まで1回もお見かけしなかったのはなぜ?と聞くと、「夏はともかく人が多いので、端っこの人に声をかけるだけで終わっちゃう」と笑っていた。
そして吉野海岸の海は世界一で、先日来たオーストラリアの人もグレートバリアリーフよりも凄いと感動していたというエピソードも聞かせてくれた。カッコいい吉野のおじさん、これからもがんばってくださいね。
 干潮になったので、吉野を引き上げ、池間大橋までいって池間島の売店で紅イモもちとサザエを食べる。そして夜は「なみ吉」で食事。初日はいつもこのパターン、でも最高だな。
 ☆10月22日(土) 
 宿泊先はパイナガマビーチ近くのホテルサザンコースト宮古島。西里に近く、コンビニは隣だし、駐車場からホテルの入り口までの間に広い洗い場があることが気に入って、最近、お気に入りのホテルだ。ただし今日は戻らない。というのも水納島で一泊するからだ。
9時55分発のプロペラ機で多良間島へ。プロペラの爆音はいつ聞いてもわくわくする。フライト時間は15分程度だ。多良間空港で宮国さんの弟さんと落ちあう。ここで宮国さんと水納島について紹介しよう。


 水納島にはかつて200人以上の人が住んでいたという。しかし宮古島のように地下ダムがあるわけではないので水は天水だけ。1989年までは電気も通ってなかった。その離島苦のため、次々住民は宮古島や多良間島へ移民し、残ったのは宮国さん一家だけだった。
 宮国さんは島全体を牧場として畜産で生計を立てた。一時は家族8人がいたが、今、住んでいるのはご兄弟2人だけと聞いていた。島に渡るには宮国さんの船をチャーター、宿泊はかつて島に住んでいた人の一軒家を貸してくれる。
船は往復で3万、宿泊は一人3000円だ。
水納島には当然、店はないので、食糧と飲み物は多良間島で買っていくことになる。手間がかからないよう、レトルトのごはんや缶詰、そしてお気に入りの「金ちゃんヌードル」などを買っていった。
 宮国さんの弟さんの車で多良間のスーパーに行ったあとは、普天間港へ向かう。「しらはま」と書かれた船は10数人乗り程度の船で、後ろのデッキに6人腰掛けられるので、そこに座った。
 運転はお兄さんだ。ご兄弟とも私と同じような年のように見える。そして痩躯でハンサムだ


空は昨日のように曇っているが午後から晴れるようだ。船が防波堤を越えるあたりから波がガンガンあたり揺れに揺れる。椅子の縁につかまっていないと吹っ飛ばされそうだ。今まで何度か荒れた日の船に乗っていたので耐性はできていたが、初めてこの揺れに遭遇したらビビるだろう約25分で水納島へ到着する。

桟橋には、あれ?女性が一人、誰だろう。荷物はトラックで先に宿泊先へ。港をからすぐに緑の鬱蒼としたトンネルがあり、そこを抜けると道路の左右は芝生のように開け、宿泊する一軒家はその右手にあった。先に港にいた女性が、妻を呼んで、台所や水回りの説明をしてくれる。我々は荷物を家の中に運び込んだ。
このコンクリート作りの一軒家、1DKだがとても広くて風通しがよく、まわりに何もないので採光も抜群、とても気持ちよい。家の中は冷蔵庫、電子レンジ(調子は悪かったが)、洗濯機、温水シャワー、ガスレンジ、炊飯器が揃っているし、調味料、シャンプー、リンス、ティッシュなどなんでも置いてあって申し分ない。トイレだけ外だが、水洗だ。広々としていて、上に窓のような穴が2つ開いているので風通しがよく快適。家族4人、すっかり馴染んでしまい、妻などはここに住みたいねとはしゃいでいたほど


窓の外には野生のヤギがいっぱい来ている。島のあちこちで見かけるが、家の前の広い芝生のような庭は、このヤギの群れがうまい具合に雑草を食べてくれるので手間いらずとか。昼食を作って食べたあとはみなゴロゴロとくつろいでいるので、せっかちな私一人が島の散策に出かける。まず港の左に行くとしばらくして先に進めなくなったので、次に右の方をどんどん歩いていった。島はずっと白砂のビーチが続いている。すると20分くらい歩いたところで、海の中まで続く鉄条網が2列あり、これは牛が逃げないためのものだと分かったが、それ以上は進まず、引き返した。すると昨日のように雲が切れ、どんどん青空に変わっていく。これは嬉しい。家には1時間ほどで戻り、ビーチへ行こうとみんなを誘う。


長男はどこからか木を見つけてきて、そこに多良間のスーパーで買った釣糸とオモリを取り付け、釣竿を作っていた。エサは魚肉ソーセージだ。時間が少し遅いので、宮国さんに勧められた港のすぐ横の左のビーチで遊ぶ。丁度良い、モンパの木があり、そこに荷物を置いて長男は先に見える防波堤まで釣りのため歩いていった。二男と私は泳いでリーフ内を回る。リーフ内は浅く、足が付く。魚は岩の下に隠れている程度だ。海の向こうには多良間島が横たわり、一昨年、この対岸で水納島に渡れずため息をついていたのかと思うと、感慨もひとしおである。長男の釣竿には1回、魚がかかったがばれてしまうのを海の中から見ていた。日が傾いてきたので、家へ引き上げる。


そして水平線に沈む夕日を見ようと、再び、4人で港へ行った。夕日が沈むまで眺めたことなんて記憶にない。沈んでいく様は見ても、沈むまでじっと見つめていたことは、今まであったのだろうか。大きな流木に腰かけてじっと水平線に消えていく夕日を見ていたが、水平線ギリギリに雲があり、残念ながら沈みきるところまでは見えなかった。再び家へ戻り、暗くなったころ、宮国さんがやってきて「8時半頃から一緒にオトーリをしませんか」と誘われる。二男は一切酒を飲まないし、長男も疲れているようなので、私と妻で宮国さんのご自宅まで歩いていった。
そこで分かったのは、女性は宮国さんの弟さんの奥さんで、7月に結婚されたのだという。じゃあ、水納島の住民は3人に増えたんだ。いやーおめでとうございます。奥さんは愛知県ご出身だそうで、明るくてチャーミングな方だ。家には大きな液晶テレビがあり、東京と少しも変わらない高画質(さすが地デジ!アナログだったら電波不足で雪が降ったような画面だったかも)でテレビが付いていて、たまたま新婚旅行で行ったばかりの場所(たしか京都)が映り、お二人ではしゃいでいてとても微笑ましかった。オトーリをきちんとするのは初めてで、親が一周するまで、5人なので5回グラスが回る。親は最後にもう1回飲み干すので6杯は泡盛を飲み干した計算だ。アルコールは強くないので普段はビールしか飲まないが、楽しいお酒だったので相当飲んでしまったように思う。
多良間のスーパーは物価が高いのであまり買わず船で2時間かけて宮古島へ行ってたくさん買い出ししてくること、使っている水は天水をろ過したもので最近雨続きだったのでたくさん使っても大丈夫、中学からは多良間島へ船で通うが多良間の言葉は発音が独特で水納島の言葉と違うので笑われたとか、高校は宮古島でさらに出身によって言葉が違うので最初は何話しているのかよく分からなかったとか、小さい頃は水汲みが仕事だったとか、興味深い話をたくさん聞かせていただいた。お兄さんは私と同じ年で現在54歳、思わず握手をしてしまった。
2時間くらい飲んだところでお開きとなる。明日は浜崎(島の西側)まで行くといいですよ、途中で会ったら車で送るからとおっしゃっていただき、お暇した。
家へ戻ると、星を見に行こうと4人で再び港へ行く。月齢は20数日なので月は深夜過ぎでないと出てこない。星を見るには絶好だ。見上げると満天の星。すごいのは平たい島なので360度見渡せることだ。星座の形だけしか星が見えない東京と違い、星が多すぎて星座が探せない。ところが残念ながら記憶はここまで。飲み過ぎていてそこから先は覚えていない。星を見てからオトーリに行けばよかったなあ...。
 ☆10月23日(日)
  いつもと違い、もう目的地にきているので朝はのんびりだ。居心地がいいので、ゴロゴロとすっかりくつろいでいる。 空は一瞬晴れたかと思ったらまた雲がやってきて日が陰り曇り時々晴れ間という感じだ。ビーチは晴れないとつまらないので、まずは水納御嶽へ行ってみる。道路は舗装され、きれいに整備されている。御嶽へいくには土の道へ入っていく。道の左右はアダンがビッシリ生えているが、鋭い葉先がみなバサッと落ちているので、宮国さん達の手入れの賜物だろう。気の遠くなるような量なので頭が下がる。

嶽はコンクリート作りの立派な作りで手前に柵があり近くまで行けないようになっていた。水納島出身者の心のよりどころなので、こうして整備されているのだろう。
海へと向かう道はさらに道が細くなりジャングル道風。かすかな潮騒の方向へ足を運ぶと島の北側の海が見えたが、ちょうど干潮ですっかり干上がっていたので、そのまま引き返すことにした。
家(宿と呼ばず家と呼ぶ)まで戻ると日差しが出てきた。これはいい。昨日勧められたとおり島の西端まで行こうと牧場を突っ切る道を歩き始めた。

すると自転車をこいでいた若奥さんとバッタリ出会い、車で送ってくれるという。トラックの荷台に4人乗り込み、ガタガタと牧場の中を進んでいくが、牧場が広い!かなりの距離があり、これを歩いて行ったら、けっこう大変だった。
トラックを下りるとその先は真っ白なビーチだった。 白砂のビーチは沖縄には数あれど、これだけ大量の白砂に囲まれたビーチは見たことがない。ちょうど島の西側の角の部分なのでさらに珊瑚が堆積したのかもしれないが、極端に言えば砂丘が出現したかのようだ。


離島のビーチは翡翠色と群青の海、白砂の浜、青い空があって、あの美しさを生み出すのだが、そこに広大な白い浜が広がっている絵を想像して欲しい。そして眩しいほどに輝いているのだ。このビーチはウプイというようだ。浜は砂丘状態なので、草が生えているだけで、他のビーチのようにアダンやモンパの木が一本もないため、日影が存在しない。少し歩くと木の骨組みにビニール製の床のブロックがひいてある廃屋を見つけた。廃屋といっても屋根部分は吹きとんでいるので日陰はできないが、足元のビニールのブロックだけは安定している。そのため、この大きなブロックで浜に吹き飛んでいるものを骨組みに立てかけ、一人分だけの小さな日陰を作った。妻はそこで丸くなっていた。
近くに「はまさきマリンサービス」という小さな看板があることから多良間島のマリンサービスの業者がここで簡易休憩所でも作っていたのだろう。ただもうその面影はない。リーフ内の海は一見遠浅で、いつまでも足が付きそうだが、途中から2m以上の深度になる。

すると珊瑚の群落が現れ、デバスズメやルリスズメ、クマノミなどの小さい魚がたくさん泳いでいた。これは満潮時では群を抜く美しさがありながら、深度がないので魚がいない多良間島のウカバとは大きく違う。浜に出てから左側に曲がりこんでいったのだが、右側に行った方が浜崎で、そこのこの深みには干潮時、多くのウミガメが集まっている光景に出会えるのだそうだ。砂丘のような白い砂は浅瀬にも入り込み、ウプイ独特の景観を見せてくれる。


いつしか空には雲はなくなり、光が海の中の白砂に降り注ぐ。海は光の模様を表面に揺らめかせて、キラキラと金色に光り輝いた。奥の方は翡翠と群青のグラデーション。あまりの美しさに浜辺で休んでいる家族を呼ぶ。
海を眺めていると聞こえてくるのは風の音だけだ。リーフ内なので潮騒がない。耳を澄ますとはるか沖にあるリーフに砕ける波のゴゴゴという音が、かすかに聞こえている。どこのビーチでも聞こえる人の声や、エンジンの音などの人工的な音がひとつも聞こえない。


きっと何万年前、いや人類がいなかった頃も、今と同じ静けさだったのだろう。
この島にいるのは家族4人と、宮国さんの一家3人だけだ。他には誰もいない。なんというぜいたくだろう。私が人の多い沖縄本島ではなく離島ばかり行くのは、この静けさを求めているからだ。
東京に生まれ育って騒音の中で暮らしてきた。音楽が好きなのでいつもずっと音楽を聴いてきた。だからこういう自然の音だけの時間が欲しい。もちろん極上の景色と一緒に。


そのため、今まで行った13回の宮古・八重山で、音楽を聴くのは往復の飛行機の中だけで、滞在中は一度も聴いたことがない。
この水納島にビーチにあるのは手つかずの自然だけで何もないともいえる。しかしここには全てがある。このままずっと海と浜を眺めていたかったが、3時に港から多良間へ戻るので、遅くとも2時までに家へ着かないと、シャワーを浴び、洗濯機を回し、昼食を食べる時間がなくなる。


1時過ぎに浜に添って港へ戻ることにした。ところが白砂がパウダースノーのようにふかふかしていて歩きにくい。結局しっかり足を踏めるのは波打ち際と分かったが、それまでは悪戦苦闘しながら光り輝くビーチをひたすら歩いていった。2か所の鉄条網はくぐれる場所があり、腰をかがめて抜けていく。日差しは10月とは思えない強烈さで、おかげでこの時期にしては季節違いの真っ黒に日焼けしてしまった。 
家へ戻ると慌ただしくシュノーケルの道具やマリンシューズを洗い、男性陣は素っ裸になって水着を洗濯機に放り込む。順に温水のシャワーを浴びながら、昼食の準備、洗濯、後片付けが同時並行で進んでいった。
食事だが、多良間のスーパーで買ってきたと思ったレトルトのカレーが入っていないことに気付いた。おかずとして残ったのはサバ缶2個のみ。レトルトのご飯をあっため、4人でサバ缶を突っついたが、これがまた美味しい。普段、色々なものを食べすぎているからこういうシンプルな美味さに気付かないんだな。これもまた何もないから見えてきたことだ。ありがたい。家には宿泊ノートがあり、もう12回目とか、リピーターが多い。ここまで来ようという人はそれなりにコアな旅人たちなので、その思いは熱烈だ。私も書き込ませていただいたが、リップサービスではなく是非、また水納島へ来て、ここへ泊りたいと思う。人もいいし、それだけの価値はある。
名残惜しい気持ちをかかえて、水納の前泊港を離れた。
帰りは特に揺れることもなく快適な船旅である。多良間の普天間港で宮国さんご兄弟に挨拶をし、飛行機で宮古へ戻る。
まずは宮古空港で、お土産を買う。ここの売店はたくさんあり、西里の売店より充実しているので、オススメ。家族や友人、職場や学校など4人で買うと膨大な量になるし、出費も大きい。でも今までこうやってきたし、お忍びで、というのも嫌だし。そして宮古島へ来たら必ず買うのが伊良部島産の「うずまきパン」


真ん中にギッキリとバタークリームが詰まっていて、そのクリームの中にジャリジャリするザラメの砂糖が入っている、超高カロリーなパンだ。しかしこいつは美味しい。中毒になる。一度食べたらやめられない。この「うずまきパン」は沖縄で作ったものは東京のわしたショップでも売っているが、伊良部島産じゃないとまったくダメ。と言うのも、真ん中のクリームの量とザラメの砂糖の量が違う。じゃりじゃりしなければ「うずまきパン」じゃない。でも宮古へ行かないと手に入らないので、東京ではしぶしぶ沖縄産の「うずまきパン」を買うこともある。わしたショップのレジでそれを出したら、レジの若い女の子が「これ、美味しいですよね!大好きなんです」と声をかけられる。そこで「でも、本当は伊良部島のが美味しいんですよ」と返事をしたら、隣にいたベテランの女性の店員がすかさず「そうでしょう?じゃりじゃりしないとダメですよね」と割り込んできた。
いやー、分かってくれる人がいて嬉しい。みんな同じなんだ。東京でのいきなりの「うずまきパン」談義だ。明日は伊良部島へ渡るが、パンを抱えての移動は不便なので、売店の人に大量に予約する。「うずまきパン」ファンに頼まれている分もあるからね。受け取りは帰りだ。
もうひとつ必ず買って帰るものがある。それはバヤリース。そんなの本土でも売ってるじゃんと思う人が大半だと思うが、作っている会社を見て欲しい。沖縄のバヤリースは「沖縄バヤリース」、沖縄以外では「アサヒ飲料」で、作っている会社が違う。
そして成分を見て欲しい。沖縄バヤリースは「オレンジ果汁10%」、アサヒバヤリースは「オレンジみかん混合20%」とまったく違う。どちらが美味しいかって?そんなのオレンジのみの沖縄バヤリースが美味いに決まっている。味が濃いのだ。みかんが入ったアサヒバヤリースは「なっちゃん」みたいで味が薄い。
ただ本土で沖縄バヤリースは入手不可能なので、帰りに重いペットボトルを何本も持って帰るしかない。もちろん今日は買わない。これも明日の帰りがけだ。
宮古空港を出るときに1泊2日の駐車料金2000円を取られた。今まで無料だったのにこの値段、高すぎる!と憤慨しながら、宮古島東急リゾートへ向かう。
夜は今回の基本ツアーであるJALでもらった「島旅クーポン」を使って、宮古島東急リゾート内のレストランのバイキングを食べるのだ。品数が多く、目移りして、みな色々な料理やデザートを何度も往復してもらってきていた。バイキングの内容は十分に満足で、クーポンなので支払いもなかったが、アルコールなどの飲み物は別。まったくのタダというもの悪い気がして1品ずつ注文したが、けっこう高かったな。
 ☆10月24日(月)
 いよいよ最終日が来た。空は今までと違って9時すぎから一気に晴れてきた。今日のメインは下地島空港の離発着訓練を見ることだ。これで3回目だが、あの美しい海の彼方から大型の旅客機が頭上を越えて着陸するシーンを見るのは、何度見ても飽きることがない。ここへ行くにはまず伊良部島へ渡らないといけない。伊良部へ行くカーフェリーは、誘導のおっかないおっちゃんのプレッシャーを受けながら、バックでギリギリに駐車しないといけない。この時だけは私が運転を変わった。30分のゆっくりした船旅だが、船上からは建設中の伊良部大橋が大きく見えた。全長3km、この橋ができたら、伊良部島は、そして下地島空港へは大量の観光客が押し寄せるだろう。今でも車で混雑する(本当は駐車禁止)下地島空港の突端は、規制されてしまうに違いない。完成は2014年3月、あと2年半だ。このカーフェリーも廃止になる。
下地島空港の突端への道はいつもながら分かりづらい。カーナビではその道をおしえてくれないので要注意。ようやく道を見つけ、カーブの先に下地島空港沖の海が見えてきた。はやる気持ちをおさえ、空いているスペースを見つけ路肩ギリギリに車を止める。その日は宮古島から観光バスが来ていて、観光客にこの離発着を見せていた。観光バスを見るのは初めてで、最近コースに入れたのかもしれない。もともと広い道ではなく、ガードレールもないので、道幅は開けておかないといけない。
 2年ぶりの下地島空港沖の海だが、今日は快晴、その美しさが際立つ。翡翠色と群青の間のような絶妙な色合いの海が水平線の方まで続いている。数ある沖縄のビーチの中でも、波照間島のニシハマの「ハテルマブルー」と、ここの海が美しさの双璧だろう。その息をのむような美しい海をボーイング767がゆっくりと回り込み、そして旋回して我々の方へまっすぐに飛んでくる。









点ほどの機体がみるみる大きくなり、頭上では空を覆うほどの近さで着陸していく模様は本当に圧巻だ。初めて見た女性達が何人も「すごーい、感動したー!」「鳥肌がたったよー」と口々に言っていたが、それが実感である。今日は運がいいことに、訓練がタッチ&ゴーで続いているので休みがない。10分くらいの間隔で何度も飛んでくる。その都度、アングルを右にしたり、左にしたり、真ん中にしたり変えながら、その機の訓練は初めから最後まで、計10回の訓練飛行を見ることができた。


この下地島空港は3000mもの滑走路を持ち、2000mの滑走路の宮古空港よりも来年度完成の新石垣空港よりも長く、那覇空港と同じ規模だという。



アクセスが飛躍的によくなることもあり、この空港は訓練専門空港ではなくなるだろう。こうやって訓練飛行を眺めていられるのも、あと3年くらいかも。
昼過ぎに宮古島へ戻り、宮古島最終日の定番、宮古島東急リゾートでのバナナボートを申し込む。すると今日は中学生が団体で利用するのでちょっと...と言われるが、隣から今すぐに乗れるならいいですよと声がかかる。水着は初めから服の下に着ているので、子供2人はさっそくバナナボートに乗り込んでいった。前浜ビーチから眺めていたが、いつもよりもずっと遠くまで案内してくれたようだ。1回だけだったのでサービスかな。空は雲が出てきて、しばしば陽が陰る。午後が晴れとなった今までとは逆だ。下地島空港を午前中にしたのは正解だった。
その後、来間大橋を渡り、橋のすぐ近くの展望台から来間大橋と対岸の宮古島東急リゾートを見下ろす。ここは高さがあるので、海の色がきれいだ。波照間のニシハマもそうだが、高い場所から海を見ると、より青さが増し、魅力的な色合いになる。そしてもう一度、宮古島の反対側まで行き、池間大橋を渡って、池間の売店で魔除けになると言われるスイジガイを買った。

橋のたもとには真っ白いネコがいて、ネコ好き一家の我が家はみんなでそのネコを撫でていた。自宅にはかわいいかわいいベルとノエルの二匹が首を長くして待っているだろう。
この家族そろっての沖縄行の12回、全て留守中の世話は祖母がやってくれた。いつもながらありがたい。そして西里で、宮古島へ来たら必ず食べる喫茶「レオン」のステーキ定食を食べる。美味しいし、ライス、サラダとスープがついて1200円は安い。車をレンタカー会社へ戻す道すがら、長男が、就職したらもう来られないかもしれないからよく見ておこうとつぶやいた。
すぐには来られないかもしれないけど、またきっと来られるよ。その時には自分のまだ見知らぬ新しい家族と一緒かもしれないし、またみんなで来ることもできるかもしれない。人生はこれからだ。
我々夫婦が移住して、いつでもおいでと待っているのがベストなんだろうな。まったくあてはないけどね。でもそうやって物事は楽しいことを考えておくのが一番いい。ネガティブ思考になりがちだった自分の、たどり着いた対処方法が一番シンプルなこれだった。
 こうして12回目の離島で、宮古・八重山の19の離島全てを家族4人で行くことができた。ほっとしているが、ちょっとさみしい感じもある。来年はいったい何人で行くのだろう。そろそろこちらへ来いよと、言われているのかもしれない。(宝くじ当たれー!)