2025年9月21日日曜日

Wink Music Service:『Night In Soho/オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス』


 サリー久保田と高浪慶太郎による拘りのポップ・グループ、Wink Music Service(ウインクミュージック・サービス/以降WMS)が、2024年から25年にかけてリリースしてきた7インチ・シリーズの第5弾『Night In Soho/オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス』(VIVID SOUND/VSEP865)を9月24日にリリースする。 
 本作のゲスト・ボーカルには、ニューウェイヴ系ガールズグループ“ゆるめるモ!”の めあり(2021年加入~)を迎えている。なおこのグループには現在ソロアーティストで大成功している、あのちゃんも2013年から19年まで在籍していたことで知られ、才能の人材プールとして注目すべき存在になっている。

Wink Music Service

めあり

 WMSのプロフィールを改めて紹介するが、ネオGSムーブメントを牽引したザ・ファントムギフトでデビューし、近年はSOLEILからザ・スクーターズなど数多くのバンドに参加するベーシストでプロデューサー、またデザイナーでもあるサリー久保田が、ピチカート・ファイヴ解散後音楽プロデューサー兼作曲家として活動していた高浪慶太郎に「極上のポップ・ミュージックを作ろう」と誘い結成されたユニットである。
 このベテラン・クリエイター2人が、それぞれ培ってきたセンスと活動戦略によって、シングル毎にフォトジェニックな美少女ハーフ・モデルや現役アイドルをゲスト・ボーカルとしてピックアップして、大きな成果を残している稀な存在なのである。これまでに7インチ短冊(8cm)CDの2フォーマットでシングル4枚と、オリジナルアルバム『It Girls』をリリースしている。

 
Night In Soho /
オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス 

 では本作を解説しよう。タイトル曲の「Night In Soho」は、作詞はマイクロスターの飯泉裕子、作曲は3人目のWMSとされる岡田ユミで編曲もバンドと共に手掛けている。飯泉による歌詞は、英国ロンドンのウエスト・エンドの一角にあったソーホー地区への憧憬であり、ここは60年代” Swinging London”時代のカーナビー・ストリートなどストリートカルチャーの聖地であった。この地の最大のアイコンとされ、後に世界的スター・モデルとなったのがツイッギー(TWIGGY/Twiggy Lawson)であり、2024年にはドキュメンタリーが映画化もされている。恐らく歌詞のモチーフになっているのは、このツイッギーであり、タイトルは2021年英米合作のサイコロジカル・ホラー映画『ラストナイト・イン・ソーホー(Last Night In Soho)』から来ているのだろう。 
 曲調やアレンジも歌詞の世界そのままに60年代へのオマージュに満ちているが、こちらは米国のThe Fifth Dimensionなど西海岸でレコーディングされたソフトロックの香りがして、ジミー・ウェッブ(Jimmy Webb)作の「Up, Up And Away」(1967年)のリフが引用されている。そしてイントロやコーラスを含めたサウンド全般は、これらのソフトロックのエッセンスを濃縮して1989年に制作された、英国のSwing Out Sisterの「You On My Mind」をオマージュしていると一聴して気付いた。サリーによるイントロのべースラインやフィルを多用した原"GEN"秀樹の迫力のあるドラム、間奏ではファズを効かせた奥田健介(ノーナ・リーヴス)のギター・ソロが良いアクセントになって、めありと高浪のデュエットで歌われるボーカルをバックアップしている。 
 余談であるが、Swing Out Sisterの「You On My Mind」が収録されたセカンドアルバム『Kaleidoscope World』では「Forever Blue」と「Precious Words」の2曲で、前出のジミー・ウェッブにオーケストレーションをオファーするという拘り振りで当時話題だった。後年筆者はウェッブ氏が2000年に初来日ソロ公演をした際、恐れ多くも滞在先のキャピトル東急ホテルのカフェで対面インタビューをしており、この『Kaleidoscope World』についても少し触れているので、寄稿したVANDA28号をバックナンバーで探して一読して欲しい。
Jimmy Webbの直筆サイン入りプレス向けフォト
筆者宛に"Thank for The Great Interview"とある。

 カップリングの「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」(1985年)は、高浪がピチカート・ファイヴ時代にデビュー曲として作曲し、小西康陽が作詞した記念碑的曲のセルフカバーである。このオリジナルは細野晴臣がテイチク内に設立したNON-STANDARDレーベルから、1985年8月に当時としては異例の12インチ・シングルでリリースされた。サウンド的には近代クラシック的緊張感のあるキーボードが刻まれるヴァースと、ポップで軽いシンセがバッキングするサビのコントラストが効果的だった。またオケの上物は初期メンバーだった鴨宮諒が所有したYAMAHA DX7だけで主に制作されたという説もあるが、相当使い倒していたと想像できる。
 ここでのセルフカバー・ヴァージョンは、サリー、原、奥田によるテンポアップした生演奏のスリー・リズムに、岡田のキーボード類とプログラミングされたストリングスやホーン・セクションがダビングされ、ホーランド=ドジャー=ホーランドがヒットを量産していた頃のモータウンを彷彿とさせる、ゴージャスなサウンドに生まれ変わっている。
 この曲でもめありの愛らしいボーカルをクールにバックアップする高浪だが、嘗て自身が作曲したメロディは極めて独自性があり、映画音楽の大家ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini/1924年~1994年)を彷彿とさせるヴァースと、H=D=H~筒美京平に通じる洒脱なサビのメロディとのコントラストがこの曲の大きな魅力であり、40年後の今でもこのセンスには脱帽してしまう。今回岡田が付加したオーケストレーションやオブリガードのストリングス・ラインも、原曲が持つ高浪のメロディやコード感覚からインスパイアされたと感じさせる、名セルフカバーとなった。
オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス / 
ピチカート・ファイヴ(Non-Standard/12NS-1003


 弊サイト読者をはじめとするソフトロックやポップス・ファンは必聴な本作であるが、ディスクユニオンなどでは既に予約受付が終了しているようなので、外資系大手レコード・ショップの店頭発売分を事前チェックし是非入手し聴いて欲しい。


“Wink Music Service “Night In Soho” リリースライブ”

◎出演:Wink Music Service(Vo.高浪慶太郎+Ba.サリー久保田)
Vocals>めあり(ゆるめるモ!)/アンジーひより/
オーバンドルフ凜/白鳥沙南(LIT MOON)
Special Guest>シーズ・ア・レインボー
Gt:奥田健介(NONA REEVES)/Dr:原GEN秀樹/Key&Mp:岡田ユミ

◎日程:2025/10/24(金)
開場日時:18:00 / 開演日時 19:00 

会場:下北沢CLUB Que(東京都)
東京都世田谷区北沢2-5-2

◎チケット予約:eplus / livepocket


(テキスト:ウチタカヒデ






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2025年9月17日水曜日

生活の設計:『稀代のホリデイメイカー』配信リリース

 2023年4月にファースト・フルアルバム『季節のつかまえ方』、同年11月に7インチシングル『キャロライン』をリリースしたロックバンド“生活の設計”が、セカンド・アルバム『長いカーブを曲がるために』の先行シングルとして、「稀代のホリデイメイカー」を9月17日に配信リリースした。アルバムは10月15日にまずは配信でリリースするということなので、この先行シングルでアルバムの全体像をイメージして欲しいので今回紹介する。


生活の設計

 生活の設計はリーダーでボーカル兼ギターの大塚真太朗と、実弟でドラム兼コーラスの大塚薫平による2人組のロックバンドである。前身バンドの“恋する円盤” “Bluems (ブルームス)”時代を含めると、9年以上の活動経歴を持ち、音楽家の小西康陽氏からも高評価を得ている。昨年11月にはファッション・カルチャー雑誌『POPEYE』に小西氏との対談取材が掲載されるなど、一般層にもその存在は広がりつつあり前途有望なのだ。
 待望のこの新曲「稀代のホリデイメイカー」のプロデューサーであるが、2012年に活動を再開させたGREAT3(1994年~)と、妻のChocolatとの夫婦デュオ Chocolat & Akito(2005年~)の活動で知られ、プロデューサーとして手腕を発揮し、初期フジファブリックやDAOKOなどを手掛けている片寄明人を迎えている。
 筆者は『ソフトロックA to Z』(初版96年)シリーズをはじめ、片寄には幾度かインタビューをしてきたので、昨年秋にこのプランを大塚(真)から聞いた時から非常に期待していた。その後今年7月にこの「稀代のホリデイメイカー」を含めたアルバム収録予定の全音源が送られてきたので直ぐに聴き込み、片寄がもたらしたアレンジ・センスやレコーディング・テクニックの向上をひしひしと感じることができたのだ。

 本曲のレコーディングにも片寄のテリトリーにより、GREAT3のサポート・キーボディストで、THE CORNELIUS GROUPをはじめ複数のバンドへの参加や数多くのセッションで知られる堀江博久、GREAT3のオリジナル・ドラマーで堀江同様に多くのセッション・ワークもこなしている白根賢一はドラムテックとして参加しているのがGREAT3ファンには嬉しい。またべーシストとして自身のバンド”Burgundy”の他、セッションマンとしてメジャー・ワークも多い井上真也もレコーディングに参加している。

片寄明人 

堀江博久      井上真也

 ここからは本曲「稀代のホリデイメイカー」を解説しよう。
 アップテンポなシェイクビートに、Pico(樋口康雄)の「I LOVE YOU」(1972年)を彷彿とさせる和製ノーザンソウル風コード進行とスキャットのイントロでまずは耳を奪われる。「とにかく外へ出て、旅に出て、さまざまなものを体験しよう」というテーマを持つ歌詞と大塚(真)の溌溂としたボーカルが、令和のヤングアダルトたるメンバー2人のポジティブなスタイルをよく現わしていて、渋谷系の遥か以前1970年代の親しみやすく、メロディアスでポップなロック・ミュージックの心地良さを思い起こさせるナンバーに仕上がった。
 大塚(薫)のやや前乗りのドラミングに、井上のバックビートにアクセントを持つべース・ラインがコンビネーションすることで独特なグルーヴを形成し、堀江によるオルガンもメインのコード・ワークの他、グリッサンドのアクセント、スタッカートを活かせたオブリガード的リフなど多彩なプレイを繰り広げている。
 また最終サビの後にテンポ・チェンジして、大サビが現れてくるドラマチックな展開のアレンジなどは、プロデューサーである片寄のセンスではないだろうか。その曲が持つべき方向性に的確に導いていくという、片寄のプロデュース力(りょく)を垣間見れた。

(テキスト:ウチタカヒデ

2025年9月6日土曜日

モヒートを片手に ― 楽園の味と追悼の夏

 今年の夏、筆者が手にするグラスには、ただの冷たい飲み物以上の意味がある。Brian Wilson が刻んだ旋律と和声は、単なる音楽を超え、人生の喜びや悲しみ、そして希望を織り込んだ時間の証だ。そんな Brian を追悼する気持ちが、筆者の胸の奥で小さな炎のように揺れている。「追悼の一杯」のためには、音楽の原点に立ち返る必要がある。――夏だ、海だ、そして The Beach Boys――。そう思い至ったとき、自然に頭に浮かんだのは、Mike Love が手がけるラム酒「Club Kokomo Spirits」だった。The Beach Boys のサウンドが生まれた California の海辺と、Carib 海の楽園を繋ぐ、甘くスパイシーな香りを宿すラム酒こそ、Brian への敬意を込める「追悼の一杯」にふさわしい。

 「Club Kokomo Spirits」は、San Diego に拠点を置くLove家による家族経営のラム酒ブランドだ。添加物を使わず手作業でブレンドした「Artisanal White Rum」など、こだわりのラインナップを展開している。特に「Artisanal White Rum」は、2024年の San Francisco コンペティションでダブルゴールドを受賞するなど、高い評価を得ている。




Kokomoのサビ歌詞部分をもじった意匠もニヤリとさせる

ここにMikeの名前が確認できる

 Mike と Kokomo は、もはや切り離せない関係にある。この曲は実質 Brian 抜きで制作された象徴的ヒットだからだ。ファンの中には「Kokomo!Brian なしの The Beach Boys?追悼なのにちょっと不謹慎じゃない?」と眉をひそめる人もいるだろう。だが、事実は事実。
 1988年の「Kokomo」は Brian はレコーディングに参加していない。それでも全米はこの曲で南国にトリップしたのだ。まさに「Brian なしでも The Beach Boys は The Beach Boys」的現実に、ファンは笑うしかない。ちなみに Brian は、ちゃっかりテレビ番組『Full House』に出演し、「Kokomo」の一節を歌うというファン心をくすぐる小さな悪戯も忘れない。そしてスペイン語バージョンでは、ようやく Brian も参加している。まるで「ほら、僕もいるんだよ」とニヤリと笑うかのようだ。

Full Houseでの出演シーン

 筆者は早速、ホワイトラム入手し、これをベースに使った自家製モヒートを作った。ミントの香りとライムの爽快感がラムの甘みと絶妙に絡み合い、一口ごとに「Aruba, Jamaica, ooh I wanna take ya…」のメロディーが頭の中で響く。ハチミツやパイナップルのほのかな余韻が追いかけるたび、Brian の音楽と、彼が描いた夏の海辺の光景が、グラスの中で生き返るかのようだ。一口飲めば、ラムの甘く厚みのある香りが鼻腔を満たす。ハチミツのようなコクと、パイナップルやマンゴーの余韻が南国の風を運ぶ。ミントの爽やかさとライムの酸味が軽やかに絡み、まるで「Kokomo」の歌詞に登場する島々を渡っているかのようだ。炭酸水の泡は海のさざ波のように口の中で踊り、後味はリズミカルで、ついもう一口、もう一口と手が伸びる。


……いや、待てよ、これは音楽誌の記事のはずでは?読者諸氏には、Brian Wilsonを追悼しつつ、いつの間にか筆者がCaribグルメ評論家に変身してしまった奇妙な現象を笑っていただきたい。モヒート片手に音楽を語るつもりが、気づけば南国の香りと甘いラムの余韻でページを埋め尽くしている。ああ、これぞ追悼の妙技、いや、モヒートの魔力かもしれない。

 Mike Love のラム酒と「Kokomo」の象徴性は、単なる音楽とカクテルの楽しみを超え、1980年代の Florida 南部と Carib 海政策とも微妙に絡む。Reagan–Bush 政権下での Carib 海政策は、経済支援や軍事プレゼンスを通じて地域を「米国の裏庭」と位置付けた。Mike Love は、文化的には「南国の夢」をアメリカ社会に浸透させる役割を果たしていたと言えるだろう。「Kokomo」という楽園のイメージは、無意識のうちにこの地政学的文脈ともリンクしていたのだ。「Kokomo」が生まれる数年前、Carib 海は楽園とはほど遠い、地政学的な火薬庫だった。1979年の Nicaragua 革命、そして Grenada の親 Cuba 政権樹立。ソ連と Cuba の影響力が、アメリカ合衆国の喉元である「裏庭」にまで及ぶ事態に、Reagan 大統領は強い危機感を抱いていた。その答えが、強硬な反共産主義政策である。具体的な発露が、1983年10月の Grenada 侵攻だ。米国人医学生の保護を名目に、米軍は電光石火の作戦で軍事クーデター政権を打倒。世界に、Carib 海における共産主義の拡大は容認しないという断固たる意志を示した。

 The Beach Boys と Reagan 政権は運命的に結びつく。内務長官 Watt が独立記念日のコンサートに The Beach Boys を「ロックは不健全」として出演禁止にしたのだ。これに激怒したのは、大統領本人とファーストレディ Nancy、そして Bush 副大統領だった。「彼らは私の友人だ」「The Beach Boys は米国の象徴だ」。大統領自らの一声で決定は覆り、バンドは White House の「お墨付き」を得た。フロントマン Mike はもともと保守的な共和党支持者として知られ、この一件で The Beach Boys は単なるサマー・ソングの作り手から「健全で愛国的な米国」を体現する文化的アイコンへと昇華した。

 さらに、文化的ソフトパワーの裏側には経済的“土台”もあった。Reagan が1983年に打ち出した Caribbean Basin Initiative(CBI)は、Carib 諸国への米国市場無関税アクセスを認め、共産主義の浸透を経済的に封じ込める意図があった。Bush(父)政権もこれを継承し、1989年11月には「CBIはこの地域の安定と民主化の推進力だ」と再表明している。

 「Kokomo」のヒットから1年余りが過ぎた1989年12月20日、未明。大Bush大統領の命令一下、米軍によるパナマ侵攻作戦、コードネーム「Just Cause」が開始された。目的は、麻薬取引への関与を深め独裁者として君臨していたNoriega将軍の排除と、米国人の保護、そしてPanama運河の安全確保である。 公式記録ではPanama現地の米南方軍が作戦行動を開始したこととなっているが、後方支援物流部隊が米南部から行動開始する。彼らが目指すのは、カリブ海の南端、Panama。ここで、私たちは地図を広げ、戦慄すべき事実に直面する。 「ココモ」が歌い上げた楽園の地図と、後方支援物流部隊が辿った経路が、不気味なほど重なり合うのだ。 たとえば、"Aruba" (アルバ)----Panamaの目と鼻の先に浮かぶ島----のように、まるで軍事小説のように、ヒットソングが歌い上げたリゾート地のリストが、超大国の軍事作戦におけるチェックポイントをなぞっている。もちろん、これは作戦計画者が「Kokomo」を聴いてルートを決めたわけではない。地理的な必然が生んだ、恐るべきシンクロニシティであるが、この偶然は、1980年代の米国の無意識がカリブ海をどのように捉えていたかを、何よりも雄弁に物語っているのではないか。 「Kokomo」が歌うCarib海は、アメリカ人にとって安全で楽しい「遊び場」だった。そしてパナマ侵攻のルートもまた、その「遊び場」の秩序を乱す邪魔者(Noriega)を排除するための、いわば「庭師」が通る道筋だった。米国民が「Kokomo」を口ずさみ楽園への旅に夢を馳せているとき、その同じ空と海を使って、軍隊は「裏庭」の掃除に向かっていた。 楽園への甘い旅路と、正義を掲げた軍事介入。二つの物語は、Caribの太陽と硝煙の匂いが混じり合う中で、表裏一体となって存在していたのだ。
 KokomoとCarib海政策を並べると、すぐに「ほら出た陰謀論」と身構える人がいる。だが、はっきり言っておこう──The Beach BoysがCIAの極秘部門と結託していたわけでもなければ、リゾートソングが米国外交の暗号文書だったわけでもない。そんなものは全てナンセンスだ。
 むしろ現実はもっと単純で、もっと皮肉だ。アメリカの政治家や官僚が何百ページもかけてCarib海政策を練り上げても、人々の頭に残るのはKokomoのコーラス一節。陰謀どころか、世界の印象を動かしたのは音楽そのものだ。つまり「大仰な戦略よりも、一曲のポップソングのほうが効いた」という笑うしかない現実。考えてみれば、陰謀論は常に「裏に何かがある」と囁く。しかしKokomoには裏などない。表から堂々と「Aruba, Jamaica…」と歌い上げる、その単純さこそが力になった。だから陰謀論を広める必要など一切ない。むしろ陰謀論を持ち出すこと自体が、この曲の効力を過小評価している。

 Key Largo のすぐそばにある豪邸、Mar-a-Lago は Donald Trump の別荘で、Palm Beach に位置する。114室を誇る宮殿のような建物はスペイン風ルネサンス様式の装飾で覆われ、壁には金箔、ホールには大理石、庭には噴水が並ぶ。1985年に Trump が買収して以来、単なるリゾートではなく「もうひとつの White House」と化し、各国首脳を迎える外交舞台としても使用された。2024年末、次期大統領として返り咲いた Trump を祝うべく、政財界やセレブが集まったその場に、Mike Love も登場。南国ムードを持ち込み、“Florida 流カーニバル”の空気を演出した。そして翌年1月20日、Trump は就任初日から、Gulf of Mexico を「Gulf of America(アメリカ湾)」に改称する大統領令に署名。執務室の壁には Reagan の肖像画が掲げられた。

 あの夜の Mar-a-Lago。Mike が「Kokomo」を歌ったかどうか、帰依するBush 家から伝授された CBI 継続の指南を Trump に行ったのか、真相は定かではない。だが、想像してみる――「Aruba, Jamaica…」のフレーズがいつの間にか「Mar-a-Lago, Gulf of America…」の大合唱に変化し、拍手喝采のうちにモヒートの氷が溶けていた光景を........

 Mar-a-Lagoでのライブ、次期(当時)大統領閣下は後ろ姿

 楽園は遠くの島だけにあるわけではない。Brian Wilson を追悼しつつも、耳に残る軽やかなコーラスと、口に広がるラムの香りの中にだって見つけられる。モヒートを一口飲めば、過去の歴史も、The Beach Boys の陽気な旋律も、Mike が汗をかきながら大統領閣下に指南したかもしれない CBI の陰謀も、すべてグラスの中に溶け込む――いや、溶け込みすぎて頭が軽く揺れるくらいだ。
 グラスを傾け、歴史の残響や政治的陰謀にまで思いを巡らせられたなら、今この瞬間、海辺の楽園も Florida の別荘も、グラスの中の小さな Carib 海も、すべてがひとつにつながる。そして何より Brian Wilson の笑顔を思い出せば、甘いラムの余韻も少しほろ苦く、でも愛おしくなる。さあ、耳と舌と心で旅に出よう――現実は現実で面倒でも、グラスの中では、少しだけ自由で、少しだけ陽気になれるのだから

(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)