また2021年には唯一のアルバム『MOTION PICTURE』(81年)を鈴木慶一氏がプロデュースし、松尾清憲や鈴木さえ子も所属した伝説のバンド、ブリティッシュ系バンドの”シネマ”の一色進と松田信男とのコラボレーション・アルバム『M.A.M.I.』(なんちゃらアイドルloves一色進&松田信男の名義)も話題となった。更に今年の10月18日には、伝説のメロコア・ロックバンド”SUPER STUPID”の中心メンバー兼ギタリストの大高ジャッキーとのコラボレーション・アルバム『Silver METAL Love Song, Baby』をリリースしたばかりで、その縦横矛盾なフットワークの軽さには脱帽させられるばかりだ。またメンバーの御茶海マミも1stシングル『芸術偶像mode』をリリースしてソロでも活動の幅を広げている。
前出の鈴木祥子作の「SWEET DROPS」は、PUFFYのオリジナルからロック好きには知られたオマージュが施されており、ヴァース(Aメロ)はThe Clashの「I Fought the Law」(1979年/オリジナルはクリケッツの1959年作)、ブリッジ(Bメロ)ではCaptain And Tennilleの「Love Will Keep Us Together(愛ある限り)」(1975年/オリジナルはニール・セダカの1973年作)、そしてサビはBay City Rollersの「Saturday Night」(1974年)のそれと、凝った構成が素晴らしかった。鈴木本人も参加した本作のカバーでは、更にイントロにThe Knack の「My Sharona」(1979年)のギター・リフを引用しており、PUFFYのオリジナルを超えるメタ・オマージュ・ポップになった。この曲のカバーから彼女達も地下アイドル界のPUFFYと呼ばれる存在になるかも知れない。
左からあおはる、 鈴木祥子、御茶海マミ
(撮影:畔柳純子)
続く「恋のショットガン(懲りないふたり)」も鈴木作で彼女の8thアルバム『Candy Apple Red』(1997年)に収録されており、なぜシングルカットされなかったのか?と思えるほど原曲から詞曲共に完成度が高いラヴソングだった。
26年の時を超えてここでは、10㏄の「The Things We Do For Love(愛ゆえに)」(1976年)に通じるイントロ、オブリで入るビートルズ風のコーラスやメロトロン系のキーボードなど、更に磨きをかけた仕上がりになっている。
そして触れなければならない曲として、ムーンライダーズの「ボクハナク」のカバーも解説する。80年代ライダーズを愛聴していた筆者が最高作として挙げる『Don't Trust Over Thirty』(1986年)のB面にひっそり収録されたこの曲は、ソングライティングとリード・ヴォーカルを担当した鈴木博文の美学が詰まった、とっておきの曲ではないだろうか。ファンによるライダーズ・ベストテンでランクインすることはないが、この選曲センスには驚喜してしまった。
1957年生まれ。1970年代の終わり頃からキーボードプレイヤーとして甲斐バンドや浜田省吾のツアー、スタジオセッションなどに参加。その後、「佐野元春with THE HEARTLAND」、「and The Hobo King BAND」のメンバーとしてレコーディングやツアーにも参加。尾崎豊の初期のアルバム3枚にアレンジャーとして携わったほか、稲垣潤一、白井貴子、渡辺美里、柿島伸次など数多くのミュージシャンの楽曲のアレンジやプロデュースを手掛けている。若い頃からの音楽仲間と結成したバンド「Shino」「千葉トリオ」「TOP STONE」などでも活動中。
ライブはすすみ、このインスト曲に続いて、「まちぶせ」(作詞作曲:荒井由実)、「海への風」(作詞作曲:下村誠)、「オリビアを聴きながら」(作詞作曲:尾崎亜美)と続いた。5曲目は西本さんが好きで、ライブでよく歌う「Cry Like A Rainstorm」(作詞作曲・歌:エリック・ジャスティン・カズ。リンダ・ロンシュタットによるカバーも有名)。そのあとは、「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお)、「上を向いて歩こう」(作詞:永六輔/作曲:中村八大)と続いていく。
◎吉田:1995年頃に大学時代の友人から『VANDA 18号 Soft Rock AtoZ大辞典』を借りたのが出会いでした。それ以来、手に入るバックナンバーは全て買い揃え(その年に、地元である徳島に帰省した際、今は無き「アダムと島書房」で18号を手に入れる事ができた)読み耽り、若い頃に多大な影響を受けました。
脱線してしまいましたがVANDAの話に戻すとやはり、「赤い鳥 / LOVE HIM」「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」になります。
「赤い鳥 / LOVE HIM」はVANDAの出会いとほぼ同時に出会っていまして、僕のコラムでも紹介したテープに入っているのですが、LOVE HIM含むアルバム『赤い鳥 / WHAT A BEAUTIFUL WORLD』は「え?こんな内容が良くて音も良いレコードが評価されずに500円コーナーで売られているの?」と本当にショックを受けて、何度も聞いたし何度も買ってプレゼントしたものです。音楽的な面以外にもレコードの買い方に多大な影響を受けたと思います。
再評価された中に赤い鳥の『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』も含まれていたんだろうと思います。推されている「Love Him」は、ほぼ無名の英国人シンガー・ソングライターのピーター・ランサムのソングライティングですが、バカラックの「Do You Know the Way to San Jose」に通じるボサノヴァのリズムを基調とするジョン・フィディによるアレンジが効いていると思います。主にロンドンのエア・スタジオでレコーディングされたこのアルバムは、村井氏と知己のあるプロデューサーのジャック・ウィンズレーのコネクションでしょうね。
「It Doesn’t Matter Anymore」は、Capsule中田君から『contemode V.A.2』への参加を打診されたときに、どんな曲作ろうかと考えながらプリプロ・スタジオにあったアップライト・ピアノで何となくこの曲のコードを弾いていたらメロディが浮かんできて、それが「キーファー・サザーランドみたいな奴」となりました。コード進行とピアノの左手の方に影響が残っています。『On The Frip Side』が初出ですが、やはりサークルの方が最初に聴いた(手に入りやすかった)のもありますし、影響大です。
「Hope / The Carnival」はイントロから心掴まれますが、サビのオルガンのグリッサンドが特に最高!DJの時はエア・オルガンしているくらいです。皆さんもエア・オルガンをやる際はグリッサンドしている箇所としてない箇所をきちんと覚えてやってみて下さいね(笑)。アルバムには「Love So Fine」も収録されていて、割とみんなはそっちを選ぶけれども、僕は断然Hope!
「That’s All I Really Need / Springfield Rifle」はソフトロックが好きになったあと東京に遊びに行ったときに、当時、ファイヤー通りに面した建物の2階にあったHi-Fi Record Storeに初めて行った時に教えてもらって買ったレコードの内の一枚です。その時はソフトロックの他にもAORを教えてもらって、それまで聞かず嫌いだったAORはこんなにも魅力ある(ビジュアル除く)ジャンルだったのか!と視野が広がりました。この曲は配った僕のミックスCDにも入れた記憶があります。
「Frenesi / The Alan Copeland Conspiracy」も、よくDJでかけました。この曲は僕がアルバイトで働いたことがある、かつて大阪心斎橋アメリカ村にあり、現在はネット店舗になっている中古レコード屋Siesta Recordで買いました。Siesta Recordは大好きなお店でして、通い始めた頃は雑居ビルのワンフロアをいくつかに区切った(他の店は中古レコード店ではない)中にあって、小さいながらに良いレコードだらけという夢のようなお店でした。
この曲が収録されているアルバムはHi-Fi Record Store監修の『フィンガー・スナッピン・ミュージック』シリーズで世界初CD化されました。そのCDの解説を僕が書いているとかいないとか…(小声)。
『SOFT ROCK The Ultimate!』
僕とVANDAといえば、そう、トリオ・テヌルーラだね。って事情を知らない人からしたら何のこっちゃ分からないと思いますが、2000年頃にキップソーンの中塚武君が、『SOFT ROCK The Ultimate!』(Soft Rock A to Zシリーズ/2002年)でのウチさんのインタビューに答えて紹介していた、『Trio Ternura / same』は、僕がDJでかけていたのを中塚君が聴いて気に入ったようで、見かけたら買っておいてとその場で頼まれました。その後、僕はもう一枚を見つけ、彼に譲ったものが紹介された、という逸話があるレコードです。インタビュー中に僕の名前も出ていましたね。「Sempre Exite Alguem」がそのときにDJでかけていた曲です。
●幣サイトのカラーとは異なりますが、アシッド/テクノ系サイドのアルバム『The World Won’t Listen』についてお聞かせください。
『The Summing Up』収録の「昔も今も」(これもサマセット・モームのタイトルより引用)、実は『The World Won’t Listen』収録楽曲が作られていた頃の曲ですが、アンビエントな元のデータを活かしつつリアレンジした曲で、CD収録バージョンは人によって、The High Llamasぽく感じたりTanzmuzikっぽく感じたりするかもしれないのですが、思い返してみると当時、真剣にテクノな曲を作ってはいたものの『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと、テクノを作っているつもりでもここはイントロ、ここはAみたいな構成を意識してしまっている自分に気がつき、半諦めの様なものを抱えながら「昔も今も」を作ったように記憶しています。
また、アルバム全体的に見ると声が入っている楽曲が割りと多く、そのことからも割と最初から心の底では意外とポップスを作りたかったのかな、と、今となっては思います。
『The World Won’t Listen』は元々仮タイトル『Deep Purple』としたアルバム収録曲を中心に構成されている(詳しくはCDのライナーノーツ参照のこと)のですが、そのアルバムは発売中止(放棄)を二度も喰らいました。発売中止は当然心に傷を受けてしまうのですが、制作中にポップスの人だと意識したことで自分が出来ることと出来ないことは少し見えたので、その点だけは経験として良かったように思います。
そして、ポップスの人だと気づいたとき、テクノ・テイストのアルバムを出した後に所謂テクノポップな作風という訳でなく、レディメイド時代のような古いレコードが好きな人が作るポップスのアルバムも作り、その両方の作風が作れるアーティスト路線という考えも芽生えましたが、2000年代はジャンルの壁がまだ高かったのか、ポップスとテクノを融合させずに別々に、同時にその両方をやる人、また、それをする事を理解してくれる人(レーベル)は周りにはいませんでした。別々のジャンルを別々のまま同一人物がやるのではなく、それらを融合させようとするのがアーティストの姿勢として当然だ、みたいな時代の空気があったんでしょうか…。今の若い人はいろんなジャンルをやる事も普通ですが、当時、僕のように両方をやろうとするのは、ストイックになれずに、どちらも選べない中途半端な人のように思われていた節があります。時代と合ってなかったんですね。駄目な僕、I Just Wasn’t Made For These Timesって感じ。。。
そういえばDisc2収録楽曲の制作時は相方がいた時期があったのですが、ある日、僕が「こういうのを作りたいんだよ。」と言って『The Beach Boys / Smile』の海賊盤を聴かせたところ「全然わからない。これの何を指して、何を言いたいのかやりたいのかもわからない。」って言われてガッカリしたのを思い出しました…。
●では最後に本作『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』のアピールをお願いします。
◎吉田:書き散らかした楽曲を集めて自ら歌った『The Summing Up』で自分がどういう人間なのか、歌声もふくめ初めて俯瞰で見られた気がします。ただ、ポップス面だけがクローズ・アップされるとそれはそれで、なんか違う!と悩んでいたのですが、それは『The World Won’t Listen』収録曲を作っているときも同様で「これでテクノ・アーティストとしてだけ見られてしまったら、これからの人生、果たしていいのだろうか…?」と感じていました。この2枚(同時購入特典の『Another of The World Won’t Listen』を含めると3枚)を同時に発売することで、自分はこういう人間だ、と初めて対外的に見てもらえるようになりました。
また、僕がやっていることはNEO NEW MUSICなのだ、と他の人が言われて「ひとめぐり」「光の惑星」「ムーンライト・Tokyo」が並んでいるのをみたとき、それらのシングルはパロディジャケットというのもあり、ニュー・ミュージックの現代版がやりたいのかな?シティ・ポップの言い換えかな?みたいに思われていたかも知れないですが、今回のアルバム(特典CD含む)3枚で、NEO NEW MUSICとはなんぞや、というのをビジュアル面と音楽面で伝えられる作品になっていると自負しております。単にニュー・ミュージックの焼き直しではない、という。その為に3種類同時に出す意味がありました。48歳とずいぶん遅咲きですが、この歳まで粘って良かったと思います。成熟と初々しさが同居する不思議なアルバムとなっていますので、出来ればどちらも購入して頂きたいのですが、各々の音楽的嗜好があると思いますから、どちらかでも構いませんので良かったら手に取って頂けると嬉しいです。
11曲目の「Don't Ask Me Why」は、WHY@DOLL提供曲のセルフ・カバーの1曲で、短冊CDシングル・ヴァージョンと異なり、イントロからヴァースへのギター・アルペジオがなく、リバーブを深くして吉田のヴォーカルをより強調したミックスが新鮮である。不毛の恋愛を綴ったこの歌詞も青木と浦谷によるもので、四つ打ちキックが効いたエレクトロ・ダンス・サウンドとのコントラスが世界観を広げている。やはり間奏の一人多重コーラスは圧巻で、完成度は高い曲そのものの価値を何倍も高めている。
続いてアシッド/テクノ・サイドの『The World Won’t Listen』に移る。幣サイト及び筆者としては門外漢なので、その手の信頼できる専門家の批評を読んで頂きたいのだが、ディスク1冒頭の「The Girl Who Leapt Through Time」(時をかける少女)から80年代末期から90年代初頭のアシッドハウスをルーツとしており、使用機材(或いはシュミレート・ソフト)にも拘ったハード・エッジなサウンドである。
そうこうしているうちに四年が経ち、平澤さん(平澤直孝/なりすレコード代表)に当初、自主制作で出そうとしていた『The World Won’t Listen』の相談をしていたときに僕が「東京少年の『ゆびきりげんまん』みたいな感じでThe World Won’t Listenに8cmCDをおまけで付けたいんだけど…」と話すと「実は短冊CDの日というのがありまして…」と平澤さんが話し始めその流れで、短冊CDの日にリリースする、曲を『ムーンライト・Tokyo』にする、アルバム(『The Summing Up』)からの先行リリースとすることをその場で決め、このシングルからアルバム制作へ入りました。平澤さんとのLINEのやり取りを見返すと、2023年4月7日にその打ち合わせがあったので、仕切り直し後の制作スタートはその時期ということになります。最後にミックスダウンした曲が「album」で2023年9月8日です。
まあカバーする際に申請などでトラブルが色々起こることは経験上知っていたので、そういう事もあっていいようにそのカバーを制作しつつ、トラブルがあった場合は、その時点である程度完成していた「ふたりで生きてゆければ」に差し替えるという案も最初の打ち合わせで決めていたのですが、僕の気が変わって急遽「Don’t Ask Me Why」に変更したことで、急にアルバムをどのようなものにしたらいいかが見えてきたので一気に進んだ、という流れでした。
●いずれもWHY@DOLLへの提供曲で、私個人は「ふたりで生きてゆければ」は悪い曲ではないと思いますが、よりドラマティックな「Don’t Ask Me Why」の方が好みだったので、先行の短冊CDでカップリング収録されたのは嬉しかったです。しかしそんな急遽な変更だったんですね。どういった心境だったんでしょうか?
◎吉田:「Don’t Ask Me Why」は歌詞が女性視点の歌詞であることが主な理由で、そもそもアルバムに入れるつもりもなかった曲だったんですよ。「ムーンライト・Tokyo」ができた後、「ふたりで生きてゆければ」のヴォーカルを録音して完成させ、納品日間近にCDの収録順に並べて聴いてみたところ、「あれ?なんか思っているシングルの完成形のイメージと違う…」と違和感を覚えました。
先も話したとおりカバー曲も完成させていたけど収録はダメ、こっちも流れとしてダメ、となったときに、残り時間が一週間もない状況でしたが、単にアナログにしか入ってない曲のCD化みたいなものを2曲目に入れる事もしたくなかったし、女性視点の歌詞なのが理由で収録しないのもバカらしいと思い「Don’t Ask Me Why」を選びました。5月3日に南こうせつさんの『31th グリーンパラダイス』を日比谷野外音楽堂に観に行って「夢一夜って女性視点の歌詞だよな。女性視点の詞を男が歌うのもいいなあ。」と改めて思ったのも影響しています。