2023年12月10日日曜日

なんちゃらアイドル:『Sentimental Jukebox』


 御茶海(みさみ)マミと、あおはるによる2人組アイドル・グループ、なんちゃらアイドルが初のカバー・アルバム『Sentimental Jukebox』(NARISU COMPACT DISC/HAYABUSA LANDINGS / HYCA-8062)を12月13日にリリースする。
 
 個性派が多い地下アイドル界にあって、彼女たちはデビュー当初から「曲と性格は良いアイドル」をモットーにしており、彼女達を支えるスタッフも音楽通の人材がバックアップしている。その裏付けとしてシングルやステージではカーネーションやムーンライダーズなど、一般のアイドルは取り上げることは無いであろう往年の拘り派バンドの曲をカバーしているのだ。
 また幣サイトで評価しているRYUTistへの楽曲提供で知られる鬼才シンガー・ソングライターの柴田聡子の作品も取り上げていることから、アイドル業界の中でも唯一無二の存在と言えるだろう。
 
左からあおはる、御茶海マミ
(撮影:畔柳純子)

 なんちゃらアイドルは、2014年もにライブハウス新宿JAMの定期開催されていたアンダーグラウンド・イベント“なんちゃらキカク”をきっかけにして結成された。メンバーの卒業などを経て、現在は御茶海マミとあおはるの2人組として活動している。これまでに11枚のシングルCDと2枚の7インチ・シングル、そして2020年にファースト・アルバム『さよならOdyssey』、2022年にはセカンドの『Life Goes On』をリリースしており、現在もヒットし続けているのだという。
 また2021年には唯一のアルバム『MOTION PICTURE』(81年)を鈴木慶一氏がプロデュースし、松尾清憲や鈴木さえ子も所属した伝説のバンド、ブリティッシュ系バンドの”シネマ”の一色進と松田信男とのコラボレーション・アルバム『M.A.M.I.』(なんちゃらアイドルloves一色進&松田信男の名義)も話題となった。更に今年の10月18日には、伝説のメロコア・ロックバンド”SUPER STUPID”の中心メンバー兼ギタリストの大高ジャッキーとのコラボレーション・アルバム『Silver METAL Love Song, Baby』をリリースしたばかりで、その縦横矛盾なフットワークの軽さには脱帽させられるばかりだ。またメンバーの御茶海マミも1stシングル『芸術偶像mode』をリリースしてソロでも活動の幅を広げている。

(撮影:畔柳純子)

 さて本作『Sentimental Jukebox』だが、古今の邦楽ポップス、ロック曲13曲を収録したカバー・アルバムで、先ずその選曲のセンスや突飛な折衷感覚に唸ってしまった。カバーの原曲絡みのスペシャル・ゲストとして、シンガー・ソングライターの鈴木祥子とムーンライダーズの鈴木博文が参加している。サウンド・プロデューサーは『Life Goes On』でメイン・ソングライターだった、ロックバンドのスキップカウズの遠藤肇が手掛けており、エレキ・ギターやエレキ・ベースの演奏、プログラミングのバックトラック制作からエンジニアリングまで、全曲ほぼ彼のワンマン・レコーディングでおこなわれた。マスタリングは幣サイトで紹介した作品ではお馴染みのマイクロスター佐藤清喜が担当している。
 なお本作からは11月29日に先行として、PUFFYの31枚目のヒット・シングル「SWEET DROPS」(2011年)を8cmCD(短冊CD)でなんちゃらアイドル loves 鈴木祥子名義でリリースしている。この原曲のソングライティングを手掛けたのは鈴木だが、カップリングにもその鈴木の「恋のショットガン(懲りないふたり)」を取り上げるという温故知新なオマージュ振りが嬉しい。しかも鈴木本人が両曲にドラムとコーラスで全面参加しているというから、双方のファンにとっては、少し早いクリスマス・プレゼントになったのではないだろうか。

『SWEET DROPS』/なんちゃらアイドル loves 鈴木祥子

『SentimentalJukebox』アルバムトレーラー 

 ここからは先行シングル2曲をはじめ、筆者が気になる幣サイト読者にお薦めの収録曲を解説していく。 
 冒頭の「運命の人」は、スピッツの1997年17thシングルとして発表され、翌年リリースされた8thアルバム『フェイクファー』にはキーを下げてリレコした別ヴァージョンが収録された。オリジナルはアコースティックギターの刻みに複数のエレキ・ギターがダビングされ、アレンジと演奏に参加した当時カーネーションの棚谷祐一によるキーボードやサンプラーのドラム・ループが活躍する、ブリット・ポップからミクスチャー・ロックに移行していく時期のサウンドだった。ここではテンポアップしたアコースティック・スイングとモータウン(H=D=H)の三連ビートが融合した小気味いいリズムがシンプルな編成で演奏され、原曲が持つ美しいメロディーラインがビビッドに浮き上がる風通しの良いサウンドになっている。若々しい彼女達の歌声も相まって青春ポップスとして評価したい。

 前出の鈴木祥子作の「SWEET DROPS」は、PUFFYのオリジナルからロック好きには知られたオマージュが施されており、ヴァース(Aメロ)はThe Clashの「I Fought the Law」(1979年/オリジナルはクリケッツの1959年作)、ブリッジ(Bメロ)ではCaptain And Tennilleの「Love Will Keep Us Together(愛ある限り)」(1975年/オリジナルはニール・セダカの1973年作)、そしてサビはBay City Rollersの「Saturday Night」(1974年)のそれと、凝った構成が素晴らしかった。鈴木本人も参加した本作のカバーでは、更にイントロにThe Knack の「My Sharona」(1979年)のギター・リフを引用しており、PUFFYのオリジナルを超えるメタ・オマージュ・ポップになった。この曲のカバーから彼女達も地下アイドル界のPUFFYと呼ばれる存在になるかも知れない。

左からあおはる、 鈴木祥子、御茶海マミ
(撮影:畔柳純子)

 続く「恋のショットガン(懲りないふたり)」も鈴木作で彼女の8thアルバム『Candy Apple Red』(1997年)に収録されており、なぜシングルカットされなかったのか?と思えるほど原曲から詞曲共に完成度が高いラヴソングだった。
 26年の時を超えてここでは、10㏄の「The Things We Do For Love(愛ゆえに)」(1976年)に通じるイントロ、オブリで入るビートルズ風のコーラスやメロトロン系のキーボードなど、更に磨きをかけた仕上がりになっている。
 “ピンクのセルロイドでできた 色水入りのshotgun”というサビのパンチラインの世界観をうまく救い上げた遠藤肇のいい仕事であろう。ビートルズ、キンクスから10cc、パイロットのファンは聴くべき曲であり、筆者もファースト・インプレッションでベストトラックとして挙げたい。

 そして触れなければならない曲として、ムーンライダーズの「ボクハナク」のカバーも解説する。80年代ライダーズを愛聴していた筆者が最高作として挙げる『Don't Trust Over Thirty』(1986年)のB面にひっそり収録されたこの曲は、ソングライティングとリード・ヴォーカルを担当した鈴木博文の美学が詰まった、とっておきの曲ではないだろうか。ファンによるライダーズ・ベストテンでランクインすることはないが、この選曲センスには驚喜してしまった。
 本作のカバーでは、「川のむこうに今 燃えつきた空がおちる」の歌詞からイメージさせる、フィールド・レコーディングで録った二人のアカペラから始まる。八刻みのシンセサイザー・ベースとシンプルなドラムのプログラミングされたオケに、間奏でのハードなリード・ギターやラウドなドラムのインタープレイ、エンディングのリヴァース・コーラス、ホーミーを模したトークボックスなど、オリジナルのアレンジを現代的に解釈したサウンドに、作者である博文氏のヴォーカルやコーラスもダビングされるという贅沢なカバー・ヴァージョンとなっている。なんちゃらの二人による淡々とした歌唱も、このオタクのための失恋ソングの世界観を助長して半泣きしてしまうだろう。 

 最後に本作の総評として、ジャケット・ショットのカラオケ・シーンで安易なカバー集と誤解を受ける音楽ファンもいるかも知れないが、そんな先入観は捨てて欲しい。筆者が解説でピックアップした曲を筆頭に、オリジナルに対する溢れる愛と比類なき拘りがないと、このようなカバー・アルバムは生まれないからだ。
 興味を持った読者は是非入手して聴いて欲しい。

(テキスト:ウチタカヒデ

2023年12月2日土曜日

Shino(西本明、江澤宏明)ライブ・レポート/大泉洋子

 この度幣サイトに新たな投稿者を迎えました。
 第二弾はフリーのライター・編集者の大泉洋子(おおいずみ ようこ)氏です。
 どうぞ今後ともよろしくお願い致します。
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WebVANDAに投稿してみませんか――。
そうご連絡をいただいたのは、WebVANDAにて、『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』のレビューが公開された日でした。

大泉洋子(編著):
『音楽(ビート)ライター下村誠アンソロジー 永遠の無垢』(虹色社)

はじめまして。下村誠アンソロジー編著の大泉洋子です。
この本には、2006年12月に火事で突然にこの世を去った音楽ライター下村誠が生前、主に1980年代~90年代に書いた音楽雑誌の記事を転載しています。その中に紙媒体の頃の『Vanda』の記事もあり、制作の過程で、転載してもよいかどうかのご相談のために本サイトの管理人ウチタカヒデさんに連絡をとったことがWebVANDAと私の出会い。

『Vanda』からの転載記事は3本。
1つは、vol.10(1993年)から「ニール・ヤング 憧れのトパンガ・キャニオン」。
2つめは、vol.12(1993年)から「連載エッセイ Rock’n’Roll UNIVERSE③ ロックの宇宙に未来を探して③」(一部中略)。
3つめは、vol.18(1995年)から「10万人のホームレス――アイタルミーティング 兵庫・阪神ツアー」。


下村さんが書いた『Vanda』の記事は10数本あり、もっと載せられれば良かったのですが、ページの都合上、上記3本に絞らせていただきました。全体を通してみると、いわゆる既存の出版社が出す音楽雑誌に書くよりも、だいぶ自由に、のびのびと書いているなぁという印象。選んだ3本は下村誠の人柄がにじみ出ていると思います。『Vanda』の創刊者であり編集長だった佐野邦彦さんとの関係性がうかがえるような。

そんなことがありまして、ウチさんから、冒頭のようにご提案いただいて、下村さんがつないでくれた縁だなぁ……と、お引き受けすることにしました。ライター歴は長いのですが、音楽ライターではありません。でも、幼いころ、幼児番組よりもモンキーズのテレビ番組が好きで(「ザ・モンキーズ・ショー」1967年10月~1969年1月までTBS系列で放送)、テレビから流れる曲を子どもながらに耳コピして、「ヘイ、ヘイ、ウィザモンキーズ!」なんて歌い出して以来の音楽好き。今にいたるまで、音楽がいつも身近にありましたし、これまでの仕事の経験も活かしつつ、ちょっと視点のちがう音楽話を書けたらいいなぁ、と思っています。どうぞよろしくお願いいたします!

さて、では1回目の今回は、『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』の「下村誠」と縁が深く、この本の中でロングインタビューもとらせていただいた西本明さんと、高校の同級生である江澤宏明さん、ピアニストとベーシストによるデュオ「Shino」のライブレポートと音楽づくりのお話を。

『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』から西本明ロングインタビューの冒頭ページ。西本さんと江澤さんは高校の同級生で、その頃、千葉県内の楽器屋さんかライブハウスで3歳年上の下村誠と出会う。
「下村君の生き方にかなり影響されたと思う。この人に出会っていなかったら、いま、何してるかわからないですよ」(西本さん)、
「下村さんは僕らの音楽人生のはじめに、すごい影響を与えた人です。ルーツっていうか――」(江澤さん)


写真向かって左が江澤宏明さん、右が西本明さん。ふたりは高校の同級生。
このふたりが高校で出会った偶然もすごいが、
年齢を重ねて再び一緒にバンドを組む流れも素敵だ。
レコーディングの合い間に自撮りしたという写真は、なんだか、とてもいい感じ。

江澤宏明(えざわひろあき)
1957年生まれ。1970年代の終わり頃からベーシストとして活動をはじめ、1980年より浜田省吾のバックバンド「THE FUSE」にベーシストとして参加。そのほか、尾崎豊、村下孝蔵、久宝瑠璃子らのツアーやレコーディングでベーシストとして活躍した。その後、音楽業界から離れ、農業の道へ。自然農法を学び、からだによい野菜を中心に生産し、消費者に届ける仕事を続けている。現在は音楽活動も再開し、西本との「Shino」、Shinoに板倉雅一(key./vo.)も加えた「千葉トリオ」などで活動中。

西本明(にしもとあきら)
1957年生まれ。1970年代の終わり頃からキーボードプレイヤーとして甲斐バンドや浜田省吾のツアー、スタジオセッションなどに参加。その後、「佐野元春with THE HEARTLAND」、「and The Hobo King BAND」のメンバーとしてレコーディングやツアーにも参加。尾崎豊の初期のアルバム3枚にアレンジャーとして携わったほか、稲垣潤一、白井貴子、渡辺美里、柿島伸次など数多くのミュージシャンの楽曲のアレンジやプロデュースを手掛けている。若い頃からの音楽仲間と結成したバンド「Shino」「千葉トリオ」「TOP STONE」などでも活動中。

Shino
ふたりは同じ高校の同級生。それぞれが「自分は音楽が好きだし、人よりちょっと得意かな(笑)」と思っていたのに、「あれ? すごいヤツがいる!」「こんなことできるやつがいたー!」と。気が合って、一緒にバンドをやるようになったという。このときのバンド名が「しの」。高校卒業後はそれぞれがプロの道へ。1999年、西本さんが、若いころ一緒にバンドなどをやっていた人と偶然再会したことがきっかけとなって、音楽から遠ざかっていた江澤さんは再びベースを手にし、音楽の場に戻ってくることに(詳しくはぜひ、『下村誠アンソロジー永遠の無垢』をお読みください。軽く宣伝(笑))。その後、高校時代のバンドを復活させたのが「Shino」。2020年、ファーストアルバム『cover』リリース。タイトルが示すとおり、収録曲5曲はすべてカバー曲で、これが「Shino」というバンドの特色となっていく。
私は、Shinoを知ることで、カバーの概念ががらりと変わり、カバー曲の奥深さ、楽しさを再認識することになる――。


西本明の和音

定期的にライブを行っているShino。ふたりが出会った高校がある千葉県内で開催することが多い。今回のライブは、2023年10月29日(日)JAZZ&BAR Clipperで開催されたもの。4枚目となるアルバム『HARD&GENTLE』の発売記念も兼ねてのライブだった。

1曲目は、「New Country Age Player」。西本さんのソロアルバム『WISH』に収められているインストゥルメンタル・ナンバーだ。広がりのある曲調、疾走感のある展開。屋外のライブで聴いたら気持ちがよさそうな雰囲気の曲。
……なんて書いているが、実は、ライブでの演奏中、これが西本さんの曲だと思い出せずにいた。アルバムは持っていて、購入した頃に車でよく聴いていたのだが、ここしばらく聴いていなかった……。でも聞き覚えはあった。「この曲、なんだっけ……」。西本さんはライブで、海外アーティストの曲のカバーを歌うこともあるので、海外アーティストの曲だったかな?と記憶を探る。聴いているうちに、ある時期のパット・メセニーの曲に似ているなぁと思い始めた。
その一番のポイントは、「和音」の音色だ。
ふっとニュアンスある、クセのあるコードが出てくる。これまた、いいところで、差し色のように入る感じ。
私は楽器ができないので、なんのコードで、どの音が重なっているか、聴いただけではわからない。でも、印象に残るし、私が好きな音色。聴いていて、「ん? あぁ、いい音がきたなぁ」と嬉しくなる。あくまでも聴いた感覚でしかないのだが。

ライブはすすみ、このインスト曲に続いて、「まちぶせ」(作詞作曲:荒井由実)、「海への風」(作詞作曲:下村誠)、「オリビアを聴きながら」(作詞作曲:尾崎亜美)と続いた。5曲目は西本さんが好きで、ライブでよく歌う「Cry Like A Rainstorm」(作詞作曲・歌:エリック・ジャスティン・カズ。リンダ・ロンシュタットによるカバーも有名)。そのあとは、「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお)、「上を向いて歩こう」(作詞:永六輔/作曲:中村八大)と続いていく。

どの曲を聴いても、やっぱり、Shinoの音がする。

それはなぜなのだろうと、あれこれ考えてみた。いくつか考えが浮かんだが、その中でも大きなものは、西本さんの「和音」なのだと思った。もちろん、江澤さんと西本さんのふたりで生み出している音の重なりなので、どれか1つだけが特別ということはないが、Shinoの音楽性において、主に舵をとっているのは、「西本明の和音」ではないだろうか。

ライブ後にお話を伺った際、興味深い話が出てきた。

江澤「特にShinoの世界にしようと思って演ってないよね」
西本「原曲をよく聴いて、コピーしているわけではなくて……」
江「そう、コピーしているわけじゃない」
西「その骨組みを理解して、自分たちに吸い取っている感じですよ。自分たちなりに構築していきますね」
西「僕は和音で生きている人間だから、自分なりに、ここはこうじゃなきゃいやだなぁみたいなのがあって(笑)。これは、僕だったらこうするよなぁ、みたいなね」
江「明さんはね、譜面は地図みたいなもんなんです。ぼくが言うのも変ですけど……」

西本さんにとって譜面は地図。
江澤さんが言ったこの言葉。抽象的だけれど、言いたいことはすごく伝わってくる。

西本さんは、「この歌とこのコードは切り離せないよね、みたいなアレンジがあったら、そのままやるしかない。変えたら、この曲じゃなくなっちゃうっていうのは、そのまま」とも言っていた。
今回のライブで演奏された、たとえば、「オリビアを聴きながら」や「夢で逢えたら」はそうしたことが当てはまる曲だと思う。
でも、やっぱり、Shinoの曲だ。というか、西本さんのピアノだなぁ、と感じる。やれ、コードだ何だ、じゃないんだよね。流れるような、やさしい音符のつながり。


江澤宏明の歌声

どれを聴いてもShinoの曲だなぁと思う、もう1つのポイントが、ふたりの歌声だろう。特に、メインで歌う江澤さんの声。
江澤さんの歌声は、クセになる。何度も聴いているうちに、気がついたらすっかり惹き込まれていた。そんな魅力がある。
男性にしては少し高めの音域。やさしい歌声だが、甘くはない。少しハスキー。芯がしっかりとあって、背筋が伸びている真面目な声。でもやさしさが、その真面目さを包んでいて、やわらかい印象。やさしい説得力がある、というか。

対して、西本さんの声も男性にしては少し高めの音域で、やさしい歌声。やさしい歌声と言っても、江澤さんとは違うやさしさ。甘いやさしさ、かな。まろやかで、声の輪郭が丸い印象。

「西本明の和音」「江澤宏明の歌声」が合わさることで、カバー曲がShinoの音楽になっていく。もしかしたら、もともとボーカリストではなく、楽器を演奏するふたりがつくる音楽だから、いいのかもしれない。

江澤さんのベースの話をちっともしていなかった。すみません! 次から江澤さんのベースももっと聴いてみよう。これまではどうも、江澤さんの歌と西本さんのピアノに耳を澄ませることが多くて……。
そういえば、新譜『HARD&GENTLE』に収録されている「青春のリグレット」をライブで演奏する際、ピックを使ってベースを弾いていて、西本さんから「ピックで弾くって、珍しいよね」と言われていた。次は、江澤さんにベースの話も聞いてみたい。


カバー曲から教えられることがある

そういえば、なぜ、Shinoではカバーだったのだろう。ライブ終了後、それを聞いてみた。
「ぼくはある日、彼に言ったんですよ。自分でやりたいことがあったら、絶対やるべきだ。やりたいことがあるなら、やろうよって」(西本さん)
1999年、コンサートなどの舞台の名監督として知られる名鏡雅宏さんと西本さんが偶然、再会したことで、若い頃のように、音楽やろう、バンドやろうという話になった。名鏡さんがボーカル、西本さんがピアノ、江澤さんがベース(現在このバンドは休止中)。
「基本的にそういう感じでやっていたんですけど、要するに、自分で歌いたくなった(笑)。そうしたら、歌いたい曲がいっぱいあった。こんなにあったー!って(笑)」(江澤さん)
「そうそう、昔は歌ってたしね」と西本さん。高校時代はピアニストとベーシストではなく、ふたりでフォークデュオをやっていたそうだ。

そしてShinoの活動を始め、カバー曲をアレンジして自分たちで演奏してみると、「教えられることが多い」ことに気がついたという。

たとえば、「上を向いて歩こう」。
「ああいう昔の曲をやると、イコール分析することになるんです。ぼくが、アレンジャーやプレイヤーという目で見ると、よくできてるよなぁ、変わってるよな、この時代に……みたいなことがいっぱいあって。いわゆる常識的な構成じゃないわけです、曲のつくりが」(西本さん)

普通だったら、Aメロがあって、Bメロ(サビ)があって、2番終わったら間奏があって、またAに戻って……といったお決まりのパターンがあるが、「まったくそういうものから解き放たれている曲がある。いい曲というのは、そういうことと関係ないんだなということを教えてくれる」と、ふたりが口をそろえる。

ライブ中にも、今回の新譜『HARD&GENTLE』に収録されている「彼と彼女のソネット」や「HARD&GENTLE」を演奏する際に、「フランスの曲だけど、やってみたら、おもしろかった」「つくりが変わってるよね」とか、「同じようなことを繰り返しているんだけど、なんかいいんですよ」といったことを言っていた。

(「彼と彼女のソネット」は、フランスの映画『悲しみのヴァイオリン』(1986)の主題歌として作られた曲。原田知世さんがこの曲を気に入り、歌いたいということで、大貫妙子さんが日本語の詩をつけたもの。「HARD&GENTLE」は、1977年にリリースされたビージーズのシングル曲で、ジョン・パダム監督の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の挿入歌。邦題は「愛はきらめきの中に」)

自分たちでやってみたら、「常識的な構成から解き放たれて」いて、「こうしたら、びっくりするかな、みたいなことがないんだよね」という。
「だから、自分で曲をつくるときも、前は、構成があって、それに当てはめた曲をつくろうとしていたんだけど、ああいうのを見ると、そういうことを考えないで、本能にまかせてつくっていいんだなと思う。たとえばBがなかったりしても……」(江澤さん)
「いい曲って、感心するよね」と西本さん。


歌い継ぐ下村誠のうた

「いい曲」という言葉が出てきたところで、江澤さんがこんな話をしてくれた。
「下村さんは、いい曲っていうのはないって言ってましたね。俺、ずっと、それが頭の中にあった。いい曲っていうのはないよ。好きな曲か、そうじゃない曲か、ふたつしかないって」

いい曲ってなんだろう。
実は、下村誠の本をつくっている間に何度も思ったことだった。
13回忌のころ、下村さんの音楽仲間の人が「下村誠SONG LIVE Bound For Glory」という13回忌ライブ、追悼ライブを開催した。それは縁あって、その後も続いているが、そこには「下村さんの曲には、いい曲が多い。歌い継いでいきたい」という思いがある。

うん、確かに、下村さんの曲にはいい曲が多い。私もそう思う。
でも、売れたかと言われればそんなことはない。
いい曲って、なんなんだろうね。

下村誠の本をつくっているなかで、2022年11月、ベルウッドレコードの50周年の記念コンサートがあって、足を運んだ。
制作において、記事の転載をミュージシャンの事務所に相談するのだが、中には、ちゃんと聴いたことのないミュージシャンもいて、その多くがベルウッドレコードに関係する人だった。音楽をちゃんと聴いていないのに連絡するのも気が引けて、YouTubeで検索して聴いてもいたが、実際に聴ける機会があるのなら、と思ってのことだった。

コンサートを観ていて思ったのが、いい曲とは歌い継がれる曲だ、ということだった。

ベルウッドに縁のあるミュージシャンのうち、何人かが既にこの世を去っていた。高田渡さん、大滝詠一さん……。
コンサートでは、自分の歌のほかに、このふたりの曲も歌う人が何人もいた。その気持ちの根底には、50周年という記念のコンサートに、このふたりの歌が歌われないなんて、という強い願いがあったからだと思う。

誰かが歌い継いでいけば、その歌が消えることはない。
歌い継ぎたいと思う曲、好きな曲、いい曲。

西本さんと江澤さんにとっては、Shinoは、「いい曲だな、歌いたいな」と思う曲に、素直に向き合うことのできる大切な場所なのだろうと思う。
ふたりは、下村誠の曲も歌っている。
誰かに言われて、ではなく、歌い継いでいかなくちゃ、という使命感でもなく、ふたりにとって自然な流れなのだそうだ。

いい曲はないよ、と下村誠が言っていたようだけど、私はもう少し、それを探っていってみたい。WebVANDAではそれを探してみようか――。


セットリスト
〈前半〉
1.New Country Age Player(曲:西本明)
2.まちぶせ(作詞作曲:荒井由実)
3.海への風(作詞作曲:下村誠)
4.オリビアを聴きながら(作詞作曲:尾崎亜美)
5.Cry Like A Rainstorm(作詞作曲:エリック・ジャスティン・カズ)
6.シルエット・ロマンス(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお)
7.上を向いて歩こう(作詞:永六輔/作曲:中村八大)
8.River’s Story(作詞作曲:下村誠)

〈後半〉
9.across(曲:西本明)
10.スマイル(作詞:板倉雅一/作曲:チャールズ・チャップリン)
11.ウルダジンナ・グッドナイト(作詞作曲:下村誠)
(*ここから新譜から4曲)
12.彼と彼女のソネット
(作詞:C.coper・R.wargnier/作曲:R.Musumarra/日本詩:大貫妙子)
13.たそがれの街(作詞作曲:下村誠)
14.青春のリグレット(作詞作曲:松任谷由実)
15.HARD&GENTLE 
原曲名:How Deep Your Love
(作詞作曲:Barry Gibb, Robin Gibb, Maurice Gibb/日本詩:板倉雅一) 

〈アンコール〉
16.夢で逢えたら(作詞作曲:大瀧詠一)


※Shinoのアルバムは、公式サイトから購入できます。
サイトには、各アルバムのトレーラー映像もあるので、ぜひご覧ください。


(取材、テキスト、編集:大泉洋子/編集協力:ウチタカヒデ

◎大泉洋子プロフィール
フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』などがある。

※西本明ソロアルバム「WISH」 

2023年11月24日金曜日

吉田哲人:『The Summing Up』『The World Won’t Listen』リリース・インタビュー後編


ー リリース・インタビュー後編 ー 
(インタビュー前編はこちら

『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、
どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと 

●コラムでも触れられていましたが、VANDA誌との出会いを詳しく聞かせて下さい。また当時影響を受けて聴き込んでいた楽曲を挙げて、その魅力を語って下さいますか。

◎吉田:1995年頃に大学時代の友人から『VANDA 18号 Soft Rock AtoZ大辞典』を借りたのが出会いでした。それ以来、手に入るバックナンバーは全て買い揃え(その年に、地元である徳島に帰省した際、今は無き「アダムと島書房」で18号を手に入れる事ができた)読み耽り、若い頃に多大な影響を受けました。
その頃は、ソフトロックばかりでなく、モンド/イージー・リスニングも、新譜の12inchをよく買っていたテクノ/ハウスやD’n’Bやビッグ・ビーツやガバも、当時はダサいとされていてほとんど見向きもされていなかったテクノポップ/テクノ歌謡も、和洋問わず60’sも70’sもソウルも、クラシックも現代音楽も、当時のUKロックもと、当然限度はありますが、訳隔たりなく聴いていた(J-POPは好んでいなかった)様に思っていて、当時の聴いていたものの記憶といえば音楽それ自体よりも、それぞれのジャンル毎に話せる友達はいても、全てに話が通じる友達がいないという悩みを抱えていた事がパッと頭をよぎります。

脱線してしまいましたがVANDAの話に戻すとやはり、「赤い鳥 / LOVE HIM」「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」になります。
「赤い鳥 / LOVE HIM」はVANDAの出会いとほぼ同時に出会っていまして、僕のコラムでも紹介したテープに入っているのですが、LOVE HIM含むアルバム『赤い鳥 / WHAT A BEAUTIFUL WORLD』は「え?こんな内容が良くて音も良いレコードが評価されずに500円コーナーで売られているの?」と本当にショックを受けて、何度も聞いたし何度も買ってプレゼントしたものです。音楽的な面以外にもレコードの買い方に多大な影響を受けたと思います。
「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」は本当に大好きで未だにDJでも使うし、自分がDJでかけた中でも1番使っている曲です。真似するという意味ではなくですが、こんな曲を一生に一度でも書いてみたい、と思っている曲で、端的にいえば聴いた人は全員が好きになる曲だと僕は信じて疑わないので言葉にならないです。言葉はいらない、というか。選曲したプレイリストを聴いて貰えばわかりやすいと思うのですが、音はちゃんと(当時の)新譜の音なのに旧譜と混ぜても違和感がない、でもやっぱり新譜の音という。曲やアレンジの素晴らしさもさることながら、僕が理想とするミックス(音像)を当時から既にやられているという、全方向に魅力のある曲です。この辺りは僕が作編曲家での仕事の際、指針にしているくらい、多大な影響を受けています。
インスタント・シトロンといえば名曲「STILL BE SHINE」がありますが、現在カノサレ(旧ユニット名・彼女のサーブ&レシーブ)が歌い継いでいます。そして、カノサレといえば名曲「Cheerio!」はDJで僕は必ずと言っていいほど使いますし、シトロン結成初期に制作されていた楽曲です。
こういう音楽の世界観を持ったアイドルもいるので、WebVANDA読者さんでアイドル聞かず嫌いな方がいらっしゃいましたら、それは勿体無いので、よかったらアイドル楽曲にも触れてみて下さい。

『VANDA 18号Soft Rock AtoZ大辞典』 吉田哲人 プレイリスト

●熱心なVANDA誌の読者だったようですね。現在の音楽活動に少なからず影響を与えていれば、弊誌創刊者の佐野邦彦氏や当時の関係者も喜んでいると思います。
それで赤い鳥ですが、確かにその高い音楽性とは裏腹に過小評価されていますね。シングル『竹田の子守唄/翼をください』(1971年)はミリオン・ヒットとなり、「翼をください」は後世に残る名曲になった訳ですが、同曲作曲者でプロデューサーの村井邦彦氏は、彼らを和製フィフス・ディメンションにしたかったんでしょう。それが70年初頭の日本では広く受け入れられる土壌がなく、早過ぎたと言えます。 
様々な考え方があると思うけど、所謂ソフトロックというのは、60年代中頃から70年代前半の当時の欧米産ポップスの一つのモードなんですね。複雑なコーラスと豊かなオーケストレーションを施したサウンドは、先進国で社会経済状態が高く、文化的水準も成熟しないと受け入れられない。だから当時日本では一部でしか認知されなかった。高度成長期からオイルショックを挟んで社会の経済状態が平均化していった70年後半になってやっと、赤い鳥解散後に5名の内3名で結成されたHi-Fi Setや、村井氏のアルファレコード絡みではサーカスといった、洗練されたサウンドを持つコーラス・グループがヒットしていくんです。
その後80年代後半から90年代初頭の音楽フィジカルの変革期、アナログからCDに移行した時期に多くの過去アーカイブが再発見されます。
再評価された中に赤い鳥の『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』も含まれていたんだろうと思います。推されている「Love Him」は、ほぼ無名の英国人シンガー・ソングライターのピーター・ランサムのソングライティングですが、バカラックの「Do You Know the Way to San Jose」に通じるボサノヴァのリズムを基調とするジョン・フィディによるアレンジが効いていると思います。主にロンドンのエア・スタジオでレコーディングされたこのアルバムは、村井氏と知己のあるプロデューサーのジャック・ウィンズレーのコネクションでしょうね。

INSTANT CYTRONのメンバーは、世代的に音楽フィジカルの変革期に青春時代を送って、かなりのマニアになった方々ですよね。渋谷系のメインストリームには属していませんが、ソフトロック・リバイバルに貢献したと思います。推されている「Adventure monsters」(『CHEERFUL MONSTERS』収録/1997年)は、曲の骨格は東海岸と西海岸ポップスがよくブレンドされていて、The Brady Bunchなどチルドレン・ソフトロック系コーラスが被さっている隠れた名曲です。
初期メンバーの松尾宗能氏と片岡知子さんがカノサレに提供した「Cheerio!」は私も好きで、以前SNSでも指摘しましたがローラ・ニーロのソングライティングの影響下にある名曲ですね。

プレイリストの洋楽では2曲挙げたサークルやカーニバルから、フルーティストでマルチプレイヤーのJeff Afdemが率いたSpringfield Rifleやアラン・コープランド・コンスピレイシーというマニックなグループの曲まで選んでいますね。またブラジリアン・コーラス・グループのトリオ・テルヌーラも気になります。これらの曲への思い入れも語って下さい。

◎吉田:サークルの2曲は僕が影響を受けている曲です。「Turn-Down Day」はサビのベースライン、特に「デレレレデレレレ(DFAFDFAF)」というフレーズは僕のテンポが早い曲によく登場します。
「It Doesn’t Matter Anymore」は、Capsule中田君から『contemode V.A.2』への参加を打診されたときに、どんな曲作ろうかと考えながらプリプロ・スタジオにあったアップライト・ピアノで何となくこの曲のコードを弾いていたらメロディが浮かんできて、それが「キーファー・サザーランドみたいな奴」となりました。コード進行とピアノの左手の方に影響が残っています。『On The Frip Side』が初出ですが、やはりサークルの方が最初に聴いた(手に入りやすかった)のもありますし、影響大です。
「Hope / The Carnival」はイントロから心掴まれますが、サビのオルガンのグリッサンドが特に最高!DJの時はエア・オルガンしているくらいです。皆さんもエア・オルガンをやる際はグリッサンドしている箇所としてない箇所をきちんと覚えてやってみて下さいね(笑)。アルバムには「Love So Fine」も収録されていて、割とみんなはそっちを選ぶけれども、僕は断然Hope!
「That’s All I Really Need / Springfield Rifle」はソフトロックが好きになったあと東京に遊びに行ったときに、当時、ファイヤー通りに面した建物の2階にあったHi-Fi Record Storeに初めて行った時に教えてもらって買ったレコードの内の一枚です。その時はソフトロックの他にもAORを教えてもらって、それまで聞かず嫌いだったAORはこんなにも魅力ある(ビジュアル除く)ジャンルだったのか!と視野が広がりました。この曲は配った僕のミックスCDにも入れた記憶があります。
「Frenesi / The Alan Copeland Conspiracy」も、よくDJでかけました。この曲は僕がアルバイトで働いたことがある、かつて大阪心斎橋アメリカ村にあり、現在はネット店舗になっている中古レコード屋Siesta Recordで買いました。Siesta Recordは大好きなお店でして、通い始めた頃は雑居ビルのワンフロアをいくつかに区切った(他の店は中古レコード店ではない)中にあって、小さいながらに良いレコードだらけという夢のようなお店でした。
この曲が収録されているアルバムはHi-Fi Record Store監修の『フィンガー・スナッピン・ミュージック』シリーズで世界初CD化されました。そのCDの解説を僕が書いているとかいないとか…(小声)。

『SOFT ROCK The Ultimate!』

僕とVANDAといえば、そう、トリオ・テヌルーラだね。って事情を知らない人からしたら何のこっちゃ分からないと思いますが、2000年頃にキップソーンの中塚武君が、『SOFT ROCK The Ultimate!』(Soft Rock A to Zシリーズ/2002年)でのウチさんのインタビューに答えて紹介していた、『Trio Ternura / same』は、僕がDJでかけていたのを中塚君が聴いて気に入ったようで、見かけたら買っておいてとその場で頼まれました。その後、僕はもう一枚を見つけ、彼に譲ったものが紹介された、という逸話があるレコードです。インタビュー中に僕の名前も出ていましたね。「Sempre Exite Alguem」がそのときにDJでかけていた曲です


●幣サイトのカラーとは異なりますが、アシッド/テクノ系サイドのアルバム『The World Won’t Listen』についてお聞かせください。 
レディメイド時代も含めポップスをマニアックに聴かれていたと思いますが、その対極になるミニマルなテクノ・ミュージックを好むようになって、自ら制作された理由はなんでしょうか? 


『The World Won’t Listen』
 
The World Won’t Listen』トレーラー

◎吉田:高校2年生の頃に曲を作り始めたのですが、その頃は電気グルーヴの影響もあり、作るものはテクノ志向でした。ですので、どちらかといえば原点回帰の方向性がテクノ、といえます。また、マニピュレーター時代はサンプリングを使用することも多かったのですが、その制作法は今後通用しなくなるだろうと当時から常々感じていたので、辞めた後はコードなり楽器の演奏なりを一から自分で構築する制作スタイルにするために最も馴染みのあるテクノで、となりました。あと、マニピュ仕事やアレンジ仕事などの派手な、いわゆる業界仕事に嫌気がさしていたのでポップスから離れ、独りで完結させるストイックなアーティストになりたかったのも当時ありました。

●こちらのアルバムの曲作りやアレンジ、レコーディング中の特筆すべきエピソードを聞かせて下さい。

◎吉田:このアルバムの楽曲の1番新しい曲でも10年以上経っている曲なので、ぼんやりとしている部分もあるのですが、マニピュ時代はレコードに頼っていたところがあり、どこか罪悪感というか、自分は借り物だ、偽物だという思いが消えず、現状をなんとか打破せねばと思っていたのですが、マニピュをやっている限りは時間も取れず、そういった中で派手にコード展開や装飾が施されるポップスの世界での挫折感もあったため、最後の方はすっかり自信がなくなっていました。辞めた後は、まずは基礎からやり直しと思い、1小節だけをきちんと作っていき少ない素材でいかに展開していくかを再学習し、それが2小節になり4になりと、曲の世界を広げていければポップスもまた作れる様になる。最低限、16小節良いのが出来ればCM仕事にも繋がるだろう、と思っていたのを覚えています。まあその考えが、後に一度引退を決める2012年のクリスマス・イヴを招いてしまう訳ですが。
『The Summing Up』収録の「昔も今も」(これもサマセット・モームのタイトルより引用)、実は『The World Won’t Listen』収録楽曲が作られていた頃の曲ですが、アンビエントな元のデータを活かしつつリアレンジした曲で、CD収録バージョンは人によって、The High Llamasぽく感じたりTanzmuzikっぽく感じたりするかもしれないのですが、思い返してみると当時、真剣にテクノな曲を作ってはいたものの『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと、テクノを作っているつもりでもここはイントロ、ここはAみたいな構成を意識してしまっている自分に気がつき、半諦めの様なものを抱えながら「昔も今も」を作ったように記憶しています。
また、アルバム全体的に見ると声が入っている楽曲が割りと多く、そのことからも割と最初から心の底では意外とポップスを作りたかったのかな、と、今となっては思います。 『The World Won’t Listen』は元々仮タイトル『Deep Purple』としたアルバム収録曲を中心に構成されている(詳しくはCDのライナーノーツ参照のこと)のですが、そのアルバムは発売中止(放棄)を二度も喰らいました。発売中止は当然心に傷を受けてしまうのですが、制作中にポップスの人だと意識したことで自分が出来ることと出来ないことは少し見えたので、その点だけは経験として良かったように思います。
そして、ポップスの人だと気づいたとき、テクノ・テイストのアルバムを出した後に所謂テクノポップな作風という訳でなく、レディメイド時代のような古いレコードが好きな人が作るポップスのアルバムも作り、その両方の作風が作れるアーティスト路線という考えも芽生えましたが、2000年代はジャンルの壁がまだ高かったのか、ポップスとテクノを融合させずに別々に、同時にその両方をやる人、また、それをする事を理解してくれる人(レーベル)は周りにはいませんでした。別々のジャンルを別々のまま同一人物がやるのではなく、それらを融合させようとするのがアーティストの姿勢として当然だ、みたいな時代の空気があったんでしょうか…。今の若い人はいろんなジャンルをやる事も普通ですが、当時、僕のように両方をやろうとするのは、ストイックになれずに、どちらも選べない中途半端な人のように思われていた節があります。時代と合ってなかったんですね。駄目な僕、I Just Wasn’t Made For These Timesって感じ。。。

現在、僕の作品がリリースされる時によく使われる「アシッドからソフトロックまで」というフレーズは、僕が楽曲提供した「竹達彩奈/マシュマロ」「チームしゃちほこ/いいくらし」(発売時期は違うが制作開始はほぼ同時期)を並べて称してくれた、ある友人の言葉から頂いているのですが、僕自身が自己の作品では2012年末に完全に諦めた(この辺りもCDのライナー参照のこと)構想的なものを、翌年(2013年)にアイドルに楽曲提供という形で実現できた事は嬉しくもあり、また、色々な意味で運命的なものを感じたりもしました。
あまりDisc2について話をしておりませんが、自分にはこれらの曲があるから商業音楽の世界を目指せた、と思っているくらい思い入れがあります。特に「Cosmic Soul」という曲は作った19歳のときに「これを超える曲は出来ないや。」とある種の到達点と感じた曲です。そこから違う音楽性を求めて現在に至ったんだな、と。
そういえばDisc2収録楽曲の制作時は相方がいた時期があったのですが、ある日、僕が「こういうのを作りたいんだよ。」と言って『The Beach Boys / Smile』の海賊盤を聴かせたところ「全然わからない。これの何を指して、何を言いたいのかやりたいのかもわからない。」って言われてガッカリしたのを思い出しました…。

●かなり本音を語られていますが、業界仕事としてポップスに深くかかわったことに嫌気がさして、そこから離れてテクノ系楽曲を制作している過程で、“ポップスの人”だと気づいてしまったという下りが、吉田さんの音楽職人としての人生を象徴していて、実にドラマティックでした。極端に表現すると『猿の惑星』(1968年)のエンディングで、核戦争で朽ち果てた自由の女神像を目にして愕然とするテイラー大佐というか(笑)。避けていた人類の愚かさにより荒廃した故郷に、図らずも回帰していたという。 まあ音楽クリエイターをしていて、大いに悩んだ時期があったというのは、ブライアン・ウィルソン・シンドロームなのかも知れませんね?


◎吉田:本音を話す機会、特に僕のプロフィールにみられる制作物の空白期間(2008〜2012年)の話をする機会は今までなかったのでガンガン話しちゃっていますね(笑)。確かにブライアン・ウィルソン・シンドロームと言えると思いますし、また僕の場合、一般的な作曲家の方の半生と少し違っていて、音楽業界でのキャリアは、選曲解説を担当したコンピ・テクノ歌謡シリーズ(P-Vine / 1999年)が最初で、その後マニピュレーター、編曲家、 CM/TVのBGM的な作曲家を経て、2013年からようやく一般的な作編曲家として名乗っていい成果が出始めるので、該当するブライアン・ウィルソン・シンドローム期は、人生で初めて自身のアーティスト性とはどういうものなのか、と突き詰めていた時期だったゆえ、だったのかなと感じています。

●では最後に本作『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』のアピールをお願いします。

◎吉田:書き散らかした楽曲を集めて自ら歌った『The Summing Up』で自分がどういう人間なのか、歌声もふくめ初めて俯瞰で見られた気がします。ただ、ポップス面だけがクローズ・アップされるとそれはそれで、なんか違う!と悩んでいたのですが、それは『The World Won’t Listen』収録曲を作っているときも同様で「これでテクノ・アーティストとしてだけ見られてしまったら、これからの人生、果たしていいのだろうか…?」と感じていました。この2枚(同時購入特典の『Another of The World Won’t Listen』を含めると3枚)を同時に発売することで、自分はこういう人間だ、と初めて対外的に見てもらえるようになりました。
また、僕がやっていることはNEO NEW MUSICなのだ、と他の人が言われて「ひとめぐり」「光の惑星」「ムーンライト・Tokyo」が並んでいるのをみたとき、それらのシングルはパロディジャケットというのもあり、ニュー・ミュージックの現代版がやりたいのかな?シティ・ポップの言い換えかな?みたいに思われていたかも知れないですが、今回のアルバム(特典CD含む)3枚で、NEO NEW MUSICとはなんぞや、というのをビジュアル面と音楽面で伝えられる作品になっていると自負しております。単にニュー・ミュージックの焼き直しではない、という。その為に3種類同時に出す意味がありました。48歳とずいぶん遅咲きですが、この歳まで粘って良かったと思います。成熟と初々しさが同居する不思議なアルバムとなっていますので、出来ればどちらも購入して頂きたいのですが、各々の音楽的嗜好があると思いますから、どちらかでも構いませんので良かったら手に取って頂けると嬉しいです。
どちらのアルバムもサブスク配信はしばらくございませんので。


【吉田哲人ライブ情報】

11/26に、中野heavysick ZEROにて
『ROMANTIC TECHNOLOGY 96 ~10th Anniversary Party~』。
こちらはテクノのライブ・イベントです。

ROMANTIC TECHNOLOGY 96 
10th Anniversary Party 
2023.11.26(日) 
中野heavysick ZERO
OPEN&START 16:0
ご予約¥3500(1ドリンク別) 
当日券¥3800(1ドリンク別) 

-LIVE- 
おわりからはじまり
吉田哲人
Sigh Society、Cherryboy Function、アシッド田宮三四郎
Mitaka Sound、サトウトモミ、inko、CrazyRomantic

 -DJ- 
サカエ コーヘイ、FQTQ、本間本願寺、
Kamaida Negami、Cyte、mukuro-jima

−VJ−
PORTASOUNDS、4DK

-FOOD-
ラブエイジア四ツ谷



そしてリリース・ライブ・イベントが12/3に、神保町試聴室にて 
『吉田哲人”The Summing Up”発売記念ライブ』です。
ゲストにインスタント・シトロンの長瀬五郎さん、カノサレ、Hau.、
ユメトコスメという豪華キャストをお招きして開催いたします。

吉田哲人「The Summing Up」発売記念ライブ
2023.12.3(日) 
神保町試聴室
 OPEN 16:00 / START 16:30 
予約 3500円 / 当日 4000円
(1ドリンク, スナック込)

出演:
吉田哲人
カノサレ、長瀬五郎(INSTANT CYTRON)、
Hau.、ユメトコスメ



12/8にはファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
というイベント講座で、「曲、そしてアルバムづくり編」と題し、
アルバムのあれこれをトーク致します。

ファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
「曲、そしてアルバムづくり編」
珈琲 FALO
2023.12.8(日) START 19:00
聴講料:2,500円

講師:吉田哲人/作編曲家



(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ

2023年11月18日土曜日

吉田哲人:『The Summing Up』『The World Won’t Listen』リリース・インタビュー前編

『The Summing Up』

『The World Won’t Listen』

 作編曲家でシンガー・ソングライターの吉田哲人(よしだ てつと)が、待望のファースト・アルバム『The Summing Up』(なりすコンパクト・ディスク, HAYABUSA LANDINGS / HYCA-8060 )と、アシッド/テクノ・サウンドの2枚組作品集『The World Won’t Listen』(HYCA-8061)を11月22日に同時リリースする。
 今年7月にリリースした8cm(短冊)CDシングル『ムーンライト・Tokyo』(NRSD-3115)が記憶に新しいが、これまでに7インチで発表していた『ひとめぐり/光の中へ』(NRSP-772/2019年)、『光の惑星/小さな手のひら』(NRSP-796/2021年)などシンガー・ソングライターとして活動を開始した初期の集大成として13曲収録したのが前者だ。
 また小西康陽氏主宰のReadymade Entertainmentのマニピュレーターを辞めた2008年末、それまで封印していたアシッド/テクノ系楽曲の制作を開始し2012年のクリスマス・イヴまで作り続けたという楽曲と、大阪芸術大学在学中のアマチュア時代に制作していたレアな楽曲からなる合計16曲を2枚組で収録したのが後者である。

 多彩な顔を持つ吉田の経歴を改めて紹介しよう。彼は大阪芸術大学卒業後の98年にThe Orangersとしてデビュー後、様々なコンピレーションへの楽曲提供やリミキサーとして参加し、2001年には小西康陽氏が主宰するReadymade Entertainment所属のマニピュレーターとしてよりメジャーなプロダクションに関わっていく。その後も鈴木亜美やきゃりーぱみゅぱみゅといった一般に知られるメジャー・アイドルから、竹達彩奈やNegicco、チームしゃちほこ、私立恵比寿中学、WHY@DOLL(ホワイドール)など新鋭の若手アイドルの楽曲に関わり、彼女達の熱心なファンの間では知らぬ者なしの存在なのだ。


 ここでは筆者により本作の解説と、9月から幣サイトで連載コラムを投稿している吉田におこなった、この2タイプのアルバムの曲作りやレコーディングについてのテキスト・インタビューを前後編で分けて、またVANDA誌読者だった時代に愛聴していたソフトロックを中心にセレクトしたプレイリストをお送りするので、ダイジェスト動画トレーラーと合わせて聴きながら読んで欲しい。

 『The Summing Up』、『The World Won’t Listen』共にほぼ吉田一人による演奏とプログラミングによりレコーディングでされており、『The Summing Up』では3曲にユメトコスメの長谷泰宏が共同アレンジとキーボードで参加し、『The World・・・』には当時ユニットを組んでいた北脇歩が2曲にプログラミングで参加している。
 ミックスは吉田自身でおこない、マスタリングはマイクロスター佐藤清喜が担当し、これまでのシングル同様の布陣である。

 
The Summing Up』トレーラー

 ではシンガー・ソングライター・サイドの『The Summing Up』から解説しよう。
 冒頭の「光の惑星」は、2021年に7インチ・シングルで発表しており、バーチャルなシティポップ・アイドル・ユニットSputrip(スプートリップ)の提供曲のセルフ・カバーで、吉田が自らプレイするリッケンバッカーの12弦ギターや長谷のストリングス・アレンジが効いた80年代UKサウンドに通じるポップスだ。
 続く「ムーンライト・Tokyo」は、元THERE THERE THERESのカイのファースト・シングルのセルフ・カバーとして、今年7月に短冊CDシングルとしてリリースしたばかりで、80年代中期のユーロ系テクノ歌謡に通じるサウンドと“Tokyo”の夜を舞台にした不毛の恋愛を綴ったラヴソングである。
 幣サイトに吉田が投稿するコラムの初回テーマであるオフコースを意識した、2019年のファースト・シングル「ひとめぐり」の収録も嬉しい。WHY@DOLLの青木千春と浦谷はるなによる純愛な歌詞と、オフコースの「Yes-No」(『We Are』収録/80年)に通じるサウンドが懐かしくも新しい。ひと際印象的なギターソロとバッキングのエレキギターは、惜しくも2021年12月に解散してしまったbjonsの渡瀬賢吾がプレイしている。

 インタビューでも触れている「キーファー・サザーランドみたいな奴」は、嘗ての弊誌愛読者には馴染み深い、太田幸雄とハミングバーズの「スティーヴ・マックイーンみたいな奴」(1970年)に通じる和製ソフトロックだ。吉田哲人 & ラブ・サウンズ名義で、2004年に中田ヤスタカプロのデュースによるコンピレーション・アルバム『contemode V.A.2』に収録されたクールなスキャット・ジャズである。 
 本作中異色かも知れないインストの「昔も今も」は、ショーン・オヘイガン(The High Llamas)に通じるアンビエントな小曲で、制作意図につては、インタビュー後編(11月24日公開予定)で触れているので読んで欲しい。
 「ふたりで生きてゆければ」は、2019年6月にWHY@DOLL が「ラブ・ストーリーは週末に」とカップリングで7インチ・リリースした提供曲のセルフ・カバーで、両曲ともWHY@DOLLの青木と浦谷による作詞だ。前者はオリジナルと異なるイントロでスタートする溌剌とした青春のエイトビート・ポップで、エレキギターでnyacastle(ニャーキャッスル)が参加している。本作収録順では10曲目になるが、後者はオリジナルでは竹内まりやの「プラスティック・ラブ」(『VARIETY』収録/84年)を現代風にアダプトしたアレンジだった。ここでも長谷のストリングス・アレンジが効いていて、オリジナルではサックス・ソロだった間奏も弦の旋律に変わっていて新鮮に聴ける。 


 『光の惑星/小さな手のひら』

 2021年に筆者が年間ベストソングに選んだ「小さな手のひら」は、「光の惑星」のカップリング曲で、元々は2020年の“神保町試聴室”ドネーションコンピ『STAY OPEN ~ 潰れないで 不滅の試聴 室に捧ぐ名曲集~』に提供された曲だ。元WHY@DOLLの浦谷はるなによる慈愛に満ちた詞の世界観と、吉田によるバロック風のアレンジが効果的であり、和製ソフトロックとして極めて完成度が高いので幣サイト読者には最も推しの名曲である。
 「Mccarthy」と「光非光」は共にインスト曲で、前者はマジカルなサウンドが中期ビートルズに通じていて、セカンド・ヴァースから入るコーラス・パターンは『Smiley Smile』や『Wild Honey』(共に1967年)期のビーチ・ボーイズを彷彿とさせる。ステレオ・マルチタップ・ディレイがかまされたシンセ・ソロなどプログラミングの他、エレキギターとエレキベースも吉田の一人多重録音でレコーディングされている。後者は一転してアコースティック・ピアノ1台で演奏される、フランス印象派の流を汲む美しいバラードで、その余韻に後ろ髪を引かれる隠れた名曲と言えよう。

 11曲目の「Don't Ask Me Why」は、WHY@DOLL提供曲のセルフ・カバーの1曲で、短冊CDシングル・ヴァージョンと異なり、イントロからヴァースへのギター・アルペジオがなく、リバーブを深くして吉田のヴォーカルをより強調したミックスが新鮮である。不毛の恋愛を綴ったこの歌詞も青木と浦谷によるもので、四つ打ちキックが効いたエレクトロ・ダンス・サウンドとのコントラスが世界観を広げている。やはり間奏の一人多重コーラスは圧巻で、完成度は高い曲そのものの価値を何倍も高めている。 
 本編のラストでWHY@DOLLへの最終提供曲となった「album」のセルフ・カバーは、吉田からメンバー2人への卒業証書というべき曲かも知れない。青木と浦谷による歌詞からは卒業アルバムを1ページ、1ページめくり思い出をフラッシュバックさせる彼女達をイメージさせ、アコースティック・ピアノとストリングスからなる美しいバラード・サウンドには、吉田の愛が溢れている。本作でセルフ・カバーとして取り上げるのは、照れがあったかも知れないが、静まり返った音楽室で一人ピアノを弾きながら歌う彼の姿が目に浮かぶのだ。
 ボーナス・トラックの「ひとめぐり」は、2021年3月4日の神保町試聴室でのライブ・ヴァージョンで、吉田がプログラミングしたオケに、アコースティック・ピアノの生演奏で長谷が参加している。スタジオ・ヴァージョンと異なり、裏拍でオルガンとバリトン・サックスが追加され、バックビートを強調したスカ風のアレンジが施されているのが興味を惹くが、長谷の繊細なピアノ演奏とのコントラスが面白く、貴重なライブ・セッションの記録としてレア音源である。


 
The World Won’t Listen』トレーラー

 続いてアシッド/テクノ・サイドの『The World Won’t Listen』に移る。幣サイト及び筆者としては門外漢なので、その手の信頼できる専門家の批評を読んで頂きたいのだが、ディスク1冒頭の「The Girl Who Leapt Through Time」(時をかける少女)から80年代末期から90年代初頭のアシッドハウスをルーツとしており、使用機材(或いはシュミレート・ソフト)にも拘ったハード・エッジなサウンドである。
 少しだけリアルタイムで808 STATEを愛聴していた時期がある筆者は、「Blue Impulse」から「The Sound Of Feeling」への流れは本作のハイライトではないかと推してしまう。そしてアンビエントな「Spring Dawn」から、『TECHNODON』(1993年)の頃のYMOサウンドに通じる「Love, Love, Love... & Love」でディスク1を閉める、吉田のセンスの良さには感心する。
 ディスク2はよりディープで実験色の濃いサウンドになっており、冒頭の「Morning Glow」は究極のチルアウトで、テクノロジーの現世に迷い込んだフランス印象派という風情で、坂本龍一信者は好きになってしまうだろう。
 その流れは4曲目の「rosée」から「Cosmic Soul」、そしてラストの「Largo」で決定的なものになり、80年代前半の教授(坂本龍一)のサウンドを愛していたファンに強くお薦めしたい。


ー リリース・インタビュー前編 ー

短冊CDの日にリリースする、曲を『ムーンライト・Tokyo』にする、 
アルバム(『The Summing Up』)からの先行リリースとすることを
その場で決め、このシングルからアルバム制作へ入りました。 

●まずはシンガー・ソングライター・サイドのアルバム『The Summing Up』についてからはじめます。作編曲家として多くのアイドルやグループに楽曲を提供していた裏方から、自らシンガー・ソングライターとしての活動を開始したきっかけを聞かせて下さい。 

◎吉田:そもそものきっかけはWHY@DOLLの活動終了でした。時を経た今だから正確な話が出来るんですけれども、ほわどる(WHY@DOLLの愛称)の活動終了の報告を一般に公表される約1ヶ月半前に関係者として聞いたときに、もう今後のリリースは(ベスト盤などの活動終了に伴う記念盤的なリリースは全て)ほぼほぼないという話も聞いたのですが、個人的に最後にもうひとつ何か作りたいと思い、そのとき咄嗟にほわどるのふたりに作詞のオファーをし、完成させたのが「ひとめぐり」でした。ですので、前々から歌うことを考えていたとかでは無いです。実際、今でもレコーディングに使っているヴォーカル・マイクは歌詞のオファーをしたあとに買いました。 
ほわどるはその後、ラスト・アルバム『@LBUM 〜Selection 2014-2019〜』が発売されましたので「ひとめぐり」がほわどるにとっての最後の作品ということでは無くなりましたが、関係者の一人として「せめてベスト盤くらいのリリースはあっても良いんじゃないか?」と伝えていたので、ちゃんとほわどるとの最後の作品を作れたのはとてもハッピーでした。その最後の作品というのは、『The Summing Up』にも収録されている「album」という曲です。

●なるほど、コンスタントに楽曲提供をされていたWHY@DOLLの解散が、ソロ活動の起点になったとも言えますね。インタビューの主旨と少しずれますが、それだけ思い入れがあった彼女達の魅力は何だったでしょうか? 

◎吉田:最初は歌と声ですね。彼女らのライブを観に行くようになってからはキャラクターやダンス、佇まいなども好きになっていきました。あくまで僕の中だけでなのですが、彼女たちの声はマーゴ・ガーヤン的な系譜にあると思っています。似ている訳ではないのですが、そういう印象です。
青木千春さんはアイドルらしい可愛らしい声ですが、キャラを作っている訳でなく、ごく自然にあの歌声でした。浦谷はるなさんは彼女独特の歌声が大好きだったので、現在Hau.として活動されているのを非常に嬉しく思っています。二人はソロで歌うとそれぞれ全く違うキャラクターの声なのですが、ユニゾンになると(提供楽曲の場合)ミックスを担当している僕でも、2mixの状態になるとどっちがどっちの声なのか判別つきづらいくらい溶け合っていて、それがまた素晴らしかった。それと、歌ウマ系の歌い上げる歌唱法でないので伝わりにくいのかもしれないのですが、彼女らは歌が上手いしピッチも安定していました。例えばほわどるの「album」は、ふたりのタイミングを合わせるよう少し修正しましたがピッチ修正はしてないので、聴いてもらえたら僕が言っていることがわかってもらえるかと思います。

●そのWHY@DOLLをはじめアイドルさん達への楽曲提供のオファーを受けた際、先方からのリクエスト要素と、ご自分のオリジナリティとが占める割合はどうなっているでしょうか? 

 
『ふたりで生きてゆければ/ラブ・ストーリーは週末に』
WHY@DOLL 

◎吉田:楽曲提供のオファーを受けた際、二曲ほど作って出来がいい方を送るようにしているので、本当にケース・バイ・ケースなのですが、思い返してみると楽曲提供作品のこの部分がオファーのこの箇所にあると自己分析出来るのですが、素直に参考曲が僕の曲に反映されていない事もあるので、ディレクターさんによっては自由に作ってくる人、と思われているかもしれません。 
例えば『The Summing Up』にも収録されている「ラブ・ストーリーは週末に」となる楽曲のオファー内容は「メロウ・ディスコ」というテーマで、参考音源としてBPM=125くらいのフィリピンのディスコものが送られてきたのですが、そのオファー以前に、僕はほわどるへ「菫アイオライト」というディスコ(ファンク)・テイスト曲を提供していた事もあり、また、ほわどるの過去楽曲にも他の作家さんの手によって「メロウ・ディスコ」的なものが存在していたので、今までにないテイストで、かつ、オファーに近いものはどのような方向性があるのかと悩んだのですが、とりあえず一旦はリクエストの方向で作りつつ、その曲を自分的に没にする可能性も考え、オファーにある「メロウ」だけ残した楽曲も並行して制作、僕の判断で出来の良かった「メロウ」だけ残した楽曲を送って採用された、という流れでした。
因みに「菫アイオライト」のときのオファーのテーマは「イタロ・ディスコ」でした。「菫アイオライト」をイタロととるかどうかはあなた次第です、といったところでしょうか。


●『The Summing Up』収録曲はセルフ・カバーの楽曲が多いと思われますが、収録用にリアレンジとレコーディングを開始した時期と期間を教えて下さい。

◎吉田:「ふたりで生きてゆければ」は「ひとめぐり」リリース・イベント(2019年11月15日)ですでに披露しているので、その時点でアルバム制作は既に始めていたといえばそう(この時期の未発表曲デモが5曲ほどある。)なのですが、デビュー後、たった3〜4ヶ月で全世界がコロナ禍になってしまい、気分的に今じゃないと判断し制作を一時中断しました。コロナ禍以前は作編曲家としての活動が活発だったことから、ある程度、世間的に認知をしてもらえていた、下駄を履かせてもらっていた状況だったのですが、ソロ活動のデビュー直後にコロナ禍となってしまい、自分のソロ活動の全てが振り出しどころか、むしろ下駄がなくなった分マイナスになってしまった…と思ったのを覚えています。

そうこうしているうちに四年が経ち、平澤さん(平澤直孝/なりすレコード代表)に当初、自主制作で出そうとしていた『The World Won’t Listen』の相談をしていたときに僕が「東京少年の『ゆびきりげんまん』みたいな感じでThe World Won’t Listenに8cmCDをおまけで付けたいんだけど…」と話すと「実は短冊CDの日というのがありまして…」と平澤さんが話し始めその流れで、短冊CDの日にリリースする、曲を『ムーンライト・Tokyo』にする、アルバム(『The Summing Up』)からの先行リリースとすることをその場で決め、このシングルからアルバム制作へ入りました。平澤さんとのLINEのやり取りを見返すと、2023年4月7日にその打ち合わせがあったので、仕切り直し後の制作スタートはその時期ということになります。最後にミックスダウンした曲が「album」で2023年9月8日です。

●コロナ禍もあったけど、今年の春に短冊CD企画の『ムーンライト・Tokyo』のリリースが発端となり、ホールドしていたファースト・ソロ・アルバムの制作プランが再浮上して、一気に進んだ感じですね?

ムーンライト・Tokyo』

◎吉田:そうですね。もっといえば、実はあのシングルのカップリングは別のアーティスト楽曲のカバーを予定していたのですが、カバー申請したところ、CDのデータ納品日までにYESもNOも返事が返ってこなかったんですよ。
まあカバーする際に申請などでトラブルが色々起こることは経験上知っていたので、そういう事もあっていいようにそのカバーを制作しつつ、トラブルがあった場合は、その時点である程度完成していた「ふたりで生きてゆければ」に差し替えるという案も最初の打ち合わせで決めていたのですが、僕の気が変わって急遽「Don’t Ask Me Why」に変更したことで、急にアルバムをどのようなものにしたらいいかが見えてきたので一気に進んだ、という流れでした。

●いずれもWHY@DOLLへの提供曲で、私個人は「ふたりで生きてゆければ」は悪い曲ではないと思いますが、よりドラマティックな「Don’t Ask Me Why」の方が好みだったので、先行の短冊CDでカップリング収録されたのは嬉しかったです。しかしそんな急遽な変更だったんですね。どういった心境だったんでしょうか?

◎吉田:「Don’t Ask Me Why」は歌詞が女性視点の歌詞であることが主な理由で、そもそもアルバムに入れるつもりもなかった曲だったんですよ。「ムーンライト・Tokyo」ができた後、「ふたりで生きてゆければ」のヴォーカルを録音して完成させ、納品日間近にCDの収録順に並べて聴いてみたところ、「あれ?なんか思っているシングルの完成形のイメージと違う…」と違和感を覚えました。
先も話したとおりカバー曲も完成させていたけど収録はダメ、こっちも流れとしてダメ、となったときに、残り時間が一週間もない状況でしたが、単にアナログにしか入ってない曲のCD化みたいなものを2曲目に入れる事もしたくなかったし、女性視点の歌詞なのが理由で収録しないのもバカらしいと思い「Don’t Ask Me Why」を選びました。5月3日に南こうせつさんの『31th グリーンパラダイス』を日比谷野外音楽堂に観に行って「夢一夜って女性視点の歌詞だよな。女性視点の詞を男が歌うのもいいなあ。」と改めて思ったのも影響しています。

●曲作りやリアレンジ、レコーディング中の特筆すべきエピソードを聞かせて下さい。

◎吉田:まず、セルフ・カバーが多い理由から説明しますと、先に話したとおり、世界はコロナ禍に入ってしまい、ソロ活動はスタートしてすぐお釈迦になり、楽曲提供したアイドルも引退したりと、僕にも当然のように時代の重い空気が忍び寄ってきました。更にオリンピックをめぐるあれこれやロシアによるウクライナ侵攻、更にまさかの四十肩も発症してしまい、作業もろくに出来なくなっていた事もあり、コロナ禍は生死や年齢やこれからの人生、過去に好きだったものへの疑念が生じたり、逆に再発見があったりと、結果的に自分自身の音楽に対しての向かい方を見直す期間になっていました。
その後、コロナ禍も多少の落ち着きが見られるようになり、そろそろ活動を一からやり直そうと、きっかけとして2000年くらいからコロナ禍直前までの過去の自身の楽曲を見返したところ、あまりにも(結果的にですが)打ち捨てられた曲が多いことに愕然としたと同時に、(年齢的な事もありますが)無理矢理ゼロから新しい事をやって再デビュー的なアルバムを作るよりも、ここらで一度自分を俯瞰で見られる、人に見せられる総括的なアルバムを作った方が良いだろうと判断しセルフ・カバー中心としました。
また別の角度から見れば、深刻なアイドル楽曲歌い継ぎ問題への一つの回答、ともいえるかもしれません。自分の曲は自分で守るしかないというか。 
たまたま2019年の時点で製作していたアルバムの仮タイトルが、サマセット・モーム(イギリスの小説家、劇作家/1874年~1965年)から引用した『The Summing Up(要約すると)』だった(第一弾シングル『ひとめぐり』というタイトルもモームの戯曲からの引用)事もあり、結果的に内容にも合致したタイトルになったので、パズルがはまった感がありました。

セルフ・カバーが多いとはいえ、シングル曲も含め全ての曲のデータを音色差し替えや弾き直し、リアレンジや再ミックスがなされていたりと、当初考えていたよりもずっと濃密な約5ヶ月の制作期間となりました。
レコーディング前の話になりますが、2022年末にNORD GRAND(NORD社の88鍵ステージピアノ)を購入したので今回、ピアノはそれのみを使用と制限したことで作業に弾みと統一感が出たように思います。
ほわどるへの提供楽曲の、メロディー・パートは男性キーなので1オクターブ下となりますが、コーラスやハモ・パートは彼女たちのキーで歌っております。なんとかファルセットが出せて記録として残せて良かった。
他にも、アルバム制作中にX(旧twitter)でエゴ・サーチをしていたところ”『キーファー・サザーランドみたいな奴』(2004年/吉田哲人 & ラブ・サウンズ名義)をようやく手に入れた”という内容のポストを見つけて「そういえばこの曲、MIDIデータも残っているなぁ。この曲を収録したらより回顧録的アルバムになる。」と考え、当時のデータを活かしつつ音源が違うことによる、ほんの少しのリアレンジを施し、2004年の僕との共演を果たしました。
また、完成が近づいてきたときにアルバムの全体像をみたところ、もう少しアレンジのバリエーションが欲しいなと思い『ラブ・ストーリーは週末に』を一度ラヴァーズ・ロック風にしたのですが、世間一般的なイメージどおりのラヴァーズ・アレンジ・カバーになってしまい、あまり面白味がなかったので、素直にいいと思って提供した元のアレンジに近い雰囲気に戻しました。ただ、今は原曲にあるシティなテイストはちょっとなあと感じたので、オリジナルにあったテイストは抑えめにして仕上げました。
アルバム全体の話になりますが、本当はもう少しゲスト・ミュージシャンを入れようかと思っていたのですが、せっかくのファースト・アルバムなので殆どを一人でやってみようと思い直し、必要最小限の人数に留めたので、吉田哲人の個が見えやすく仕上がっていると自負しております。

『The Summing Up 
William Somerset Maugham

●国内外の社会情勢や自身の健康問題など自分を見つめ直す期間が創作に影響したようですね。お答えの中で、ウィリアム・サマセット・モームや過去曲でキーファー・サザーランド(カナダ人俳優/1966年~)という固有名詞が非常に気になりましたが、学生時代からモームの小説を愛読したり、キーファーが出演した映画を観ていたことが創作のインスピレーションになっていましたか? 
ところで「キーファー・サザーランドみたいな奴」は、太田幸雄とハミングバーズの「スティーヴ・マックイーンみたいな奴」(1970年)を意識していますよね?(笑) 

◎吉田:マッカーシーとかもありますしね(笑)。モームの作品は、僕よりも上の世代は試験に出るくらい馴染みがある作家だった様ですが、僕らの頃にはそういうことは無くなっていました。モームに触れたのはここ10年くらいの話で『サミング・アップ』が最初でした。
キーファー・サザーランドはこの曲を作ったとき『24』をDVD購入するくらい好きだったのもありますし、おっしゃるとおり曲自体は『スティーヴ・マックイーンみたいな奴』を意識していますので、現代のスティーヴって誰かなと考えたときに、すぐキーファーだと思ったんです。『contemode V.A.2』収録の吉田哲人 & ラブ・サウンズ名義の方は、より太田幸雄とハミングバーズを意識した感じになっています。


●VANDA誌の読者時代に愛聴していたソフトロック曲を10曲ほど挙げて下さい。

 
吉田哲人 プレイリスト
◎吉田:楽曲を選ぶときはいつもコンピレーションを作る感覚、もしくは、DJ時の選曲の感覚があり流れも重視しているので、結果的にサブスクの方は50曲(最初は100曲近くあったのをなんとか絞って)選んでいるのですが、こちらはその中でも特に思い入れのある曲やDJでよく使っていた曲、10曲を選びました。
順不同。
■Adventure monsters / Instant Cytron 
(『CHEERFUL MONSTERS』/ 1997年)
■LOVE HIM / 赤い鳥 (『WHAT A BEUATIFUL WORLD』/ 1971年)
■It Doesn’t Matter Anymore / The Cyrkle (『Neon』/ 1967年)
■That’s All I Really Need / Springfield Rifle
 (『Springfield Rifle』/ 1968年)
■Turn-Down Day / The Cyrkle (『Red Rubber Ball』/ 1966年)
■Hope / The Carnival(『The Carnival』/ 1969年)
■Frenesi / The Alan Copeland Conspiracy
 (『A Bubble Of You』/ 1967年)
■Sempre Existe Alguem / Trio Ternura (『Trio Ternura』/ 1971年
■I’ve Never Seen Love Like This / Orpheus (『Orpheus』/ 1968年)
■Up, Up and Away / Sammy Davis Jr. (『Lonly Is The Name』/ 1968年)



【吉田哲人ライブ情報】

リリース直後の11/23に、浅草KAMINARIにて『MUSIC IS ENOUGH vol.15 〜テット博士のリリース・パーティ〜』があります。

 『MUSIC IS ENOUGH vol.15 ~テット博士のリリース・パーティ~』
浅草KAMINARI
2023.11.23(祝日) 
OPEN 17:00 / CLOSE 22:00
料金1,000円

DJ: 
吉田哲人
長谷泰宏(ユメトコスメ)、臼山田洋オーケストラ
浅草KAMINARI (@ASKS_KAMINARI


11/26に、中野heavysick ZEROにて
『ROMANTIC TECHNOLOGY 96 ~10th Anniversary Party~』。
こちらはテクノのライブ・イベントです。

ROMANTIC TECHNOLOGY 96 
10th Anniversary Party 
2023.11.26(日) 
中野heavysick ZERO
OPEN&START 16:0
ご予約¥3500(1ドリンク別) 
当日券¥3800(1ドリンク別) 

-LIVE- 
おわりからはじまり
吉田哲人
Sigh Society、Cherryboy Function、アシッド田宮三四郎
Mitaka Sound、サトウトモミ、inko、CrazyRomantic

 -DJ- 
サカエ コーヘイ、FQTQ、本間本願寺、
Kamaida Negami、Cyte、mukuro-jima

−VJ−
PORTASOUNDS、4DK

-FOOD-
ラブエイジア四ツ谷



そしてリリース・ライブ・イベントが12/3に、神保町試聴室にて 
『吉田哲人”The Summing Up”発売記念ライブ』です。
ゲストにインスタント・シトロンの長瀬五郎さん、カノサレ、Hau.、
ユメトコスメという豪華キャストをお招きして開催いたします。

吉田哲人「The Summing Up」発売記念ライブ
2023.12.3(日) 
神保町試聴室
 OPEN 16:00 / START 16:30 
予約 3500円 / 当日 4000円
(1ドリンク, スナック込)

出演:
吉田哲人
カノサレ、長瀬五郎(INSTANT CYTRON)、
Hau.、ユメトコスメ



12/8にはファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
というイベント講座で、「曲、そしてアルバムづくり編」と題し、
アルバムのあれこれをトーク致します。

ファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
「曲、そしてアルバムづくり編」
珈琲 FALO
2023.12.8(日) START 19:00
聴講料:2,500円

講師:吉田哲人/作編曲家





(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ