2023年2月26日日曜日

【ガレージバンドの探索・第十四回】The Rockin' Ramrods



 The Rockin' Ramrodsを知ったのは、彼らのオリジナル曲「Bright Lit Blue Skies」を【ガレージバンドの探索・第一回】で書いたThe Rising Stormがカバーしていたからだった。この曲はトワイライトガレージの中でも特に好きだったので原曲の方も時々聴いていたのだけれど、今回The Rockin' Ramrods自体がどんなバンドだったのか調べてみることにした。

                               Bright Lit Blue Skies / The Rockin' Ramrods

 1962年マサチューセッツ州ボストンで結成され、当初はRamrods Fourという名前のインストバンドだったそうだ。結成時のメンバーはBill Linnane(ギター・キーボード) とVin Campisi(ギター)、Bob Blake(ベース)、Butch Holmes(ドラム)。その後の活動期間中はメンバーの移り変わりやバンドの改名が多くある。翌年の1963年にはベースはVin Campisiの弟Ronn Campisi、ドラムがBob Hendersonに変わり、このメンバーでThe Rockin' Ramrods最初のシングル「Jungle Call / Indian Giver」(Explosive Records F-101)が録音された。このシングルはインストだけれど、歌のない音楽が流行らなくなっていった為、以降Ronn Campisiがメインボーカルの役割を引き受けることになったらしい。

 1964年の春、2ndシングルの「She Lied / The Girl Can't Help」(Bon-Bon Records 1315)がリリースされる。「She Lied」はBill LinnaneとRonn Campisiの共作。プロトパンクの重要曲として知られているらしく、色々な側面を持つバンドながらThe Rockin' Ramrodsといえばこの「She Lied」というイメージを持つ人も多そうだ。このハードな魅力はBill Linnaneの音楽性の影響が大きかったよう。

She Lied / The Rockin' Ramrods

 この年の終わりに、Lennon-McCartney 作でThe Rolling Stonesに提供された 「I Wanna Be Your Man」のカバー(Plymouth A 2962)をリリースしていて、後にThe Rockin' RamrodsはThe Rolling Stonesのツアーのオープニングアクトも努めている。

 その後初期の音楽性に大きく影響を与えていたBill Linnaneが脱退し、Scott Curtis がキーボード奏者として加入。1965年にバンドはプロデューサーのFrank Slayと契約し、初期のギター主導のサウンドから、オルガン、ピアノ、リズムギターを中心としたサウンドに変わっていく。

Got My Mojo Working / The Rockin' Ramrods

 その年リリースの「Don't Fool With Fu Manchu / Tears Melt The Stones」(Claridge Records CR – 301)はThe GTO'sという名義だったという情報があるのだけれど、その変名の詳細についてはよく分からなかった。

 同年、撮影された映画 【Disk-o-Tek Holiday】にも出演もしている。ここで演奏したのは66年シングル曲の「Play It」(Claridge Records CR-317)。

 年末にキーボードのScott Curtisが脱退し、Lenny Cirelliが後任となった。前述した「Bright Lit Blue Skies」はこの時期に録音されている。作曲はRonn Campisi。

 その後の1968年、Ronn Campisiがすべての曲を書いたアルバムがプロデューサーAlan Lorberの下、新しい名前Puffとして、MGMレーベルからリリースされている。(MGM Records -SE-4622)ジャズ、ブルース、クラシックの要素が取り入れられ、サウンドは大きく変化。Ronn Campisiは演奏には参加していないらしく、この時の録音メンバーはVin Campisi、Jim Mandell、David Ryan、Bob Henderson。Puffのアルバムは成功せず、Ronn CampisiはThe Ramrodsとして再編成し、1971年Vin Campisi、Danny McBride、Glenn Jordan、Stu Kassnerとレコーディングのみを目的としたバンドを結成。この71年の録音を最後に完全な解散となったようだ。

 The Rockin' Ramrodsは活動の中で多くの音楽性の変化があり、1、2曲聴くだけになることも多い60年代ガレージバンドの中で、軌跡をたどってみることが楽しめる数少ないバンドのひとつだと思った。

【文:西岡利恵


参考・参照サイト
The Rockin' Ramrods Biography, Songs, & Albums | AllMusic




2023年2月16日木曜日

The Pen Friend Club:『Three By The Pen Friend Club』『Four By The Pen Friend Club』(Sazanami Label / SZDW3012, SZDW3013)


 The Pen Friend Club(ザ・ペンフレンドクラブ)が、2019年の『THE EARLY YEARS』シリーズ以来2回目となるリミックスを施した新装音源を配信リリースした。
 先ずはファースト・アルバム『Sound Of The Pen Friend Club』から先行で3曲を『Three By The Pen Friend Club』(オリジナル・リリース:2013年)として1月25日に配信済みで、残り4曲を収録した『Four By The Pen Friend Club』(同:2014年))も今月8日に配信したばかりだ。そして22日には『Sound Of The Pen Friend Club』(SZDW3014/オリジナル・リリース:2014年4月)のフル・アルバムに、全曲のバッキング・トラックをボーナスとした全14曲の配信リリースを予定している。 
 前回から約4年という短いインターバルで、再度のリミックスという比類なき執着心に筆者も驚きを隠せなかったので、リーダーの平川雄一にその経緯などを聞いてみた。

『Sound Of The Pen Friend Club』[2023Mix]
(SZDW3014)

●今回の再リミックスには正直驚きました。4年前の『THE EARLY YEARS』リリース時のインタビューでも「やっと自信を持って「初期ペンフレンドクラブ」をお聴かせすることが出来て本当にうれしい限りです。こういうことがやりたかったんです、僕は。」と答えていたので、納得したんだと考えていました。 
ここにきて再度のリミックスを敢行した理由を聞かせて下さい。

◎平川:僕そんなこと言ってたんですか。信じられないですね。笑 
でもその時も本気だったんでしょうねえ。
第一の理由はその『THE EARLY YEARS』すらも気に入らなくなって全部やり直したくなったからです。怒られるかもしれないですけど。
2020年〜2022年にかけて制作した8thアルバム『The Pen Friend Club』で大分音が変わって、手法も変わって。あと今年の2月に出るアナログLPのミックス・マスタリングで自分的に手応えを感じたんです。メンバーからの声も良くて。

現ボーカルのMegumiが2023年2月に脱退することもあり2020年に7inchで出した「一本の音楽 / 八月の雨の日」をリミックスしてみたんです。それが上手くいって、「それならもう一から全部やり直そう」という気持ちになった次第で。 
今回はアルバム以外にもシングルやEPという形でもリリースすることにしました。全てのディスコグラフィーをリリース年も整理して配信ページに置いておきたいという考えです。
これに付き合ってくれるサザナミレーベル、DIW、並びにファンの皆さんに感謝です。(ほんと、すいませんねえ。) 

『Three By The Pen Friend Club』
(SZDW3012)


『Four By The Pen Friend Club』
(SZDW3013)

●『Three By The Pen Friend Club』や『Four By The Pen Friend Club』に収録された曲についてリミックスで特に拘った点も聞かせて下さい。
先ずはTRADE WINDSのカバーである「Newyork's A Lonely Town」。

◎平川:今回の全てのリミックスの念頭にあるのは『楽器、声を自然なままに』というのがあります。これまでリヴァーブを多めにかけたりして、それが嫌になったんですね。
リヴァーブだけでなくイコライジングやコンプのかけ方も「原音に忠実に」をモットーにしています。やはり2022年の8thアルバムの経験が多きいです。

「New York〜」はペンクラを結成する指針になった曲ですね。 いろいろ聴き取りやすくなったんじゃないでしょうか。

●続いてビーチ・ボーイズの「Darlin'」と、オリジナルの「I Sing Song For You」については。 

◎平川:これらもミックスの考え方は同上ですね。非常に初々しい音源で当時が懐かしくなりました。これら三曲のEPから始まったんですよね。あの頃は販売用にCD-Rを一枚ずつ自分でコピーしていました。

第1期メンバー時のライブ・ショット(以下画像も同様)

●『Four By The Pen Friend Club』にはファースト・リリース時のインタビューでも高評価したブルース&テリーの「Don't Run Away」が収録されていますが、今回のリミックスで拘った点は? 

◎平川:この曲もリミックスでの考え方は同上です。
「Don’t Run Away」はペンクラにとって大切な選曲だと思います。
「New York〜」と「Don’t Run Away」の二曲をやるってだけで、どんなバンドか分かりますよね。それ以外の曲や試みは全てその延長線上にあると思います。オリジナルも含めて。

●ザ・ロネッツの「Do I Love You?」とビーチ・ボーイズの「When I Grow Up (To Be A Man)」の各カバー、オリジナルの「I Fell In Love」についても聞かせて下さい。

◎平川:それらの曲もリミックスでの考え方は同上です。「Do I Love You」もペンクラを象徴する選曲ですね。やっぱりアンダース&ポンシアなんですよ。このバンドは。 
ビーチ・ボーイズの「パンチで行こう」は挑戦的なカバーですね。気に入っています。 僕のオリジナルもそこそこいいですね。
アルバムではバッキング・トラックスもありますので是非。


●セカンド・アルバム以降の作品の再リミックスの配信スケジュールも決まっていれば紹介して下さい。

◎平川:セカンド以降も絶賛リミックス中でして、随時発表していきます。
もしよかったら僕の気が済むまでお付き合い頂ければ幸いです。いやあ、すいません。

●最後に今月5代目ヴォーカリストMegumiが卒業しますが、今後のペンクラについて可能な範囲で教えてください。

◎平川:2/18ライブでMegumiとの現体制での活動が終了します。その後は僕にもメンバーにもどうなるか全然見えていません。
予想不可能ですね。いやあ、どうなることやら、、、ご期待ください。 
 



【ライブ情報】
◆2月18日(土) 柏・Studio WUU
 『Add Some Music To Your Day』
 出演:The Pen Friend Club
 Open 18:30 Start 19:00
 前売¥3000 / 当日¥3500(共に+1ドリンク)
 ※入場整理番号付き
 前売り予約
 柏・Studio WUU:https://www.wuu.co.jp/ 


(設問作成・編集・テキスト:ウチタカヒデ


2023年2月10日金曜日

2023年びわ湖のひな人形めぐり(滋賀県近江八幡市)

 2023年も「成人式」「節分」と恒例の行事がそつなく終了し、今後のイヴェントと言えば「バレンタインデー」そして「桃の節句~ひな祭り」ということになります。ただ今の日本では、この二つを比較した場合大きなビジネスに繋がる可能性の高い「バレンタインデー」にスポットが当たりがちです。ただこのバレンタインも“商戦”と名付けられ、「誰に贈るか」が問われるという本来の持つ意味とは違う方向になっているように感じます。それに対し「ひな祭り」は今も変わらず、情緒ある催しをとどめているといえます。


 戦国時代には日本の中心に位置していたここ滋賀県では、1~3月に県内の各地で「びわ湖のひな人形めぐり」という催しが数多く開催されており、それは私の住む「近江八幡」も例外ではありません。ただ現在の「近江八幡」は松田聖子さんよるクラブ・ハリエの「バームクーヘン」大広報活動によって、その本家「ラコリーナ」にスポットが当たり、滋賀県随一の観光地になっています。ただ残念ながら伝統文化「ひな祭り」の催しは「ラコリーナ」めあてに近江八幡を訪れている観光客の皆さんには、知られていないというのが実情です。


 少々余談にはなりますが、この日本という国は「自国の伝統文化に交じって世界中のありとあらゆるイヴェントを心底楽しむことのできる稀有な国」といわれています。なぜそのような現象が混在するのかと言えば、国として絶対的な宗教文化が根付いていないことに由来するようです。   海外の多くの国では“キリスト教" “イスラム教” “仏教” “儒教”など、その国ならではの宗教を信心することがおおく、ひいてはそれが国民性ということになるようです。それゆえこれまで世界中で勃発した「戦争」の多くが宗教間における思想の違いが発端となったという歴史がくりかえされてきました。日本においては江戸時代までは、特定の宗教への弾圧はあったものの、一つの宗教が国民全体を牛耳るようなことはなかったように感じます。その後明治維新以降は天皇を“現人神”として祭り上げるようになり、それと同時に西洋の文化を積極的に取入れた結果、何でも寛容に受入れることのできる国民になったようです。

 なぜこんな話をさせていただいたのかと言えば、日本国内の催しは“伝統”よりも“ビジネス”が優先順位が上位にあるため、宗教を問わず多種多様なイヴェントを成立させているように感じます。「コロナ」以前に世界中から日本を訪れた多くの観光客は、日本の伝統に興味を持ちそれに触れたいがために来日されていたと伺ったことがあります。その「悪夢のコロナ」の脅威が薄まってきた現在、再び日本の文化を求めて来日する観光客が増加していくと予想されます。そんな日本の文化を日本人にじっくり堪能していただきたいと思う次第からです。

 
 少々前置きが長くなりましたが、今回この「びわ湖のひな人形めぐり」の近江八幡市の「旧伴家住宅」会場に我が家のひな人形を貸し出すことになりました。手前みそにはなりますが、その経緯と展示の状況を披露させていただこうと思います。


 まず、その今回展示する我が家のひな人形について紹介します。このひな人形は一般にある「七段飾り」のものではなく、三段の台座に御雛と雌雛の二体ものです。人形一体のサイズは「全長50㎝、全幅60㎝」という、例えるなら幼児一人ほどの大きさになります。そして、その雛人形を乗せる三段の台座は「全長45㎝、全幅90㎝」、さらに袖に控えるぼんぼりは高さが65㎝というものです。


 この雛人形は、我が家の長女の誕生祝に妻の実家からいただいたものですが、届いた当初はその大きさゆえに息をしている人間のようで恐怖感を覚えることもあったほどです。ちなみに子供と七段飾りを飾ることを楽しみにしていた妻は「うちの親はお人よしだから騙されて買わされた!」と怒り心頭で、数年間は触れるのも嫌といった様子で、「出す飾る片づけ」の全ては私の役割でした。ただ当時は転勤族で各地を転々としており、その社宅で飾り付けをしており、そこでの知人がその存在感に驚きと感激する姿を目にして妻の「険悪感」は遠のいていったような気がします。

 とはいえこの近江八幡に転勤した際には、社宅が狭くこの雛人形を飾るスペースが無く、どのようにしようか悩んでいました。そんな話を勤務地の責任者に話したところ、「一度見たい」と要請され、現物を見た上司は驚きのあまり、「飾る場所がないなら、ここは全国から研修者が来場する施設なんだから、是非披露するべき。」と勧められ、勤務先に展示しました。そこでは「先祖代々から受け継いだ家宝?」と質問を受けるほど大評判でした。

 その後マイホームが完成し再び自宅でも飾れるようになります。その当時は飾る前に子供たちが三段のひな壇に座ってから人形を乗せるのが恒例行事になっていました。ただ子供の成長と共に飾るどころか、出す機会も減少し、「寄贈」や「廃棄」も考えるようになりました。とはいえ、この人形の存在を知る知人たちからは「そんなもったいない!」と言われることも多く、倉庫に収納されたままになっていました。そして、単身赴任を解消した5年ほど前から市内の公共施設を中心に、展示依頼を伺い聞き歩きを始めました。ところが「雛人形」はどこでも邪魔者扱いで、毎年ほとんど門前払いというのが現実でした。

 そんな状況で諦め半分で問い合わせをしていた昨年、これが最後とばかりに連絡した場所が市内の資料館。「かなり大きくてどこにもない雛人形」と電話口の担当者に説明するも、当初は「雛人形は間に合ってます。」とほぼ門前払い状態。ところがその連絡から1時間もしないうちに、資料館館長とおっしゃる方から「先ほどの問い合わせについて、もう一度話が聞きたい」という連絡をいただきました。

 そして、現物の写メを持参して展示施設に伺いそれを提示すると、「なんでもう1週間前に連絡してくれなかったんだ」とため息交じりの弁。要するに準備は一週間前に終わったばかりでした。そんな経緯で今年2023年の展示に加えていただくことが決まった次第です。 


 ということで、今年約15年ぶりに表舞台で披露することになった我が家の雛人形の
セッティング場所は入り口に面したメイン展示場に決まりました。展示期間が2/11~3/21ということで、その1週間前にこれまた由緒ある「極小雛」を周囲に並んだ中心に展示するという話しになっていました。ところが1/20に館長から「2/1にカンテレ(関西テレビ)が取材に来るので、1/31に展示させてほしい」という連絡があり、大慌てで飾りつけを完了させました。


 その日、桐箱の中から永い眠りについていたから雛人形を取り出し、大急ぎで飾り付けた。初めて目にされた館長は「実際にはここまで立派なものだとは思っていなかった。」と称賛いただき、その準備を手伝っていただいたスタッフの皆さんも驚愕のあまりあっけにとられるほどでした。館長からは「ここは年間300万人以上来場者のあるラコリーナからほんの数分の立地なので、八幡に来られる皆さんには是非立ち寄っていただきたいものですね。」とお話しさせていただいた。

 最後にカンテレの件ですが、放送日は3月3日の「報道ランナー」16:30前後という予定です。ただ本来のテーマは「左義長祭り」ということで、うちのひな人形が放映されるかは微妙なところだそうです。

◎開催日:2/11(土)~3/21(火・祝)/休館日:月曜・祝日の翌日(3月無休) 

◎近江八幡市会場:旧伴家住宅~近江八幡市新町

◎公共交通機関:JR近江八幡駅より近江バスで約5分「小幡町資料館前」下車すぐ

◎マップリンク:https://www.kyu-banke.com/guide#access



2023年2月8日鈴木英之

2023年2月4日土曜日

mona records 19th Anniversary 「コーヒーハウス・モナレコーズ」


 2019年6月にセカンド・アルバム『ブラザー、シスター』(ORANGE RECORDS/ORGR-55)を幣サイトで紹介し、高評価したシンガーソングライターの宮田ロウが、3月25日に3年4か月振りに都内のライブに出演するので紹介したい。 

 宮田は神戸市出身のシンガーソングライターで、高校一年生の頃にはオリジナル曲をライブで披露するまでになっていたという。関西をベースに複数のインディーズ・バンドを経て、現在は商業スタジオの店主を務めながらソロ・アーティストとして活動している。2014年の自主製作ファースト・ソロアルバム『ゴリラ』が音楽通の間で話題となり、小西康陽氏の熱望によって、18年11月に「悲しみはさざ波のように」の7インチ・シングルでリリースして話題になった。そして翌年に初の流通盤として『ブラザー、シスター』を発表し、更にファンを増やしていった。

◎『ブラザー、シスター』リリース時のレビュー:こちらをクリック

「悲しみはさざ波のように」/『ブラザー、シスター』

 今回会場のモナレコードの開店19周年記念というメモリアル・イベントでもあることで、メインアクトに小西康陽氏、そしてTHE COLLECTORSのギタリストの古市コータローという高名な布陣がそろう中、宮田が参加している点は注目である。何しろ彼の存在を広く知らしめた恩人と言える小西氏との共演だけに、極めて貴重なステージとなるだろう。
 ただ残念なことにこの記事公開時点で、チケットはソールドアウトになっているため、モナレコードのオフィシャル・サイトをよくチェックして、キャンセルによる空きチケットを待つか追加公演を期待して欲しい。
 
  
 
宮田ロウ『ブラザー、シスター』ティザー

2023年3月25日(土)
会場:下北沢モナレコード
出演:【LIVE】
小西康陽
 古市コータロー(THE COLLECTORS)
宮田ロウ

【DJ】
鈴木やすし(ザ・トランプ)





OPEN/ START 18:30
adv.¥4,400+1d
door¥4,900+1d
※コーヒーをご注文の方、一杯おかわり無料
mona recordsチケット予約:SOLD OUT 1/30(月)18:00~予約開始!

mona records
〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-13-5 伊奈ビル 3F
下北沢駅(小田急線、京王井の頭線) 中央口/南西口、徒歩2分。
TEL: 03-5787-3326 info@mona-records.com 


(テキスト:ウチタカヒデ