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2021年9月4日土曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(アグネス・チャン)

-初めて日本での成功を収めた香港スター、アグネス・チャン-
 
 今1970年代アイドルが熱い、それに合わせたかのように、NHKが当時のビッグ・アイドルたちの映像「山口百恵引退コンサート」「キャンディーズ解散コンサート」を放映しているほどだ。
 もちろん復刻版のリリースもこれまではボックス仕様という限られたファン向けが多かったが、ここ最近は単品作品のリリースもラッシュ状態だ。そんな中、これまで出そうで出ていなかったアグネス・チャンの単品リリースも2021年になってやっとスタートしている。

 そんなアグネスは香港生まれで、デビューは1971年にオムニバス・アルバム『Second Folk Album』に収録された<Circle Game>。ただし、これはソロではなく、姉のアイリーンとデュエットだった。とはいえ、この曲でフォーク・シンガーとして注目を浴びる存在になっている。

 
 その後、ソロとしては同年に香港の「Life」レコードから『Will the circle game be unbroken』でソロ・デビュー、翌年には早くもセカンド『ORIGINAL(1)(A New Beginning)』をリリースした。なおここには日本のデビュー作にも収録された<You Are 21,I Am 16>のオリジナルが収録されている。 
 
 さらにこの年には、香港映画に女優デビューを果たし、その人気は東南アジアにも広がっている。その人気のバロメーターは、本国で自身のテレビ番組『Agnes Chan Show』を持っていたことでもはかり知れる。そんな彼女が日本に向かうきっかけになったのが、この番組で知り合った作曲家平尾昌晃氏のアプローチによるものだった。 
 
 そのラヴ・コールに答え、彼女は1972年17歳の秋に来日。11月25日には<ひなげしの花>で日本デビューを飾っている。この曲は今でもカラオケで必ず登場するアグネス・チャン・ソングは欠かせない鉄板ソングだ。それは両手でマイクを握りしめ「O、kka No Ue, Hii~Na-Ge-Shi-No, Haahnadee~」と片言交じりのたどたどしい日本語で披露しないと完ぺきとは言えない。 
 そんな彼女、当初は香港のイメージを残すロング・ドレス衣装だったが、人気が爆発するのは日本のアイドルに習いミニ・スカート姿で歌うようになってからのようだ。また慣れない日本語を一生懸命話す幼児風言葉使いの愛らしさも人気を後押しした
 この曲はベスト5ヒットとなり、続く<妖精の歌>も5位、そして指で空をなぞる振付の愛らしいサード・シングル<草原の輝き>は2位、さらに10月25日リリースの4枚目のシングル<小さな恋の物語>はアグネス唯一のオリコン1位獲得(58万枚)と最大ヒットとなった。なおこの1位獲得には、当時の人気漫画「チッチとサリー/小さな恋のものがたり」と同タイトルだった事での相乗効果もあったようにも感じる。
 
 このデビュー1年目に発売したシングルは年間セールス・トップ50位以内に3曲(17位 草原の輝き、28位 ひなげしの花、36位 妖精の歌)もランクされるほど彼女の人気は絶大だった。 また彼女はこの1年間にアルバムも4作(1枚はライヴ盤)リリースしているが、全てベスト10入りしていることにも驚かされる。この年<草原の輝き>でレコード大賞新人賞に選出され、日本での人気を完全に不動のものとした。
 そんなアグネスだったが、来日直後は日本の常識に戸惑うこともあったという。それは写真撮影で日比谷公園に行った際のことで、日本では「平和の象徴」とされる鳩の群れを見て、「なんて美味しそう!」と思った。それは香港で鳩は食材であり、そんな鳩に公共の場でえさを与える姿が不思議に見えたそうだ。


 このように日本で大ブレイクしていたこの年にも、台湾でサード『WITH LOVE FROM AGNES』をリリースしており、本国での活動も継続している。補足になるが、香港の「Life」では1975年にも第4作『Agnes Loving Song』をリリースしている。なおこれらの音源は、1990年代に『The Agnes Chan Best Vol.1』 『~Vol.2』の2枚にCD化されており、日本でも1992年に「新星堂」を通じ直輸入盤として発売されている。

-強者ミュージシャンがサポートしていた日本での音楽活動- 

 話は日本での活動に戻すが、アグネスはミュージシャンとしても大きな成果を残しており、その充実期はキャラメル・ママが参加した第5作アルバム『アグネスの小さな日記』(1974年)以降になる。これはサード・アルバムまでが人気に便乗したシングル・ヒットとカヴァーを収録したものだったので言わずもがなところだろう。

 
 その第5作では軽快なポップ・ソング<TWINKY>や、松本隆の専業作詞家デビュー作<ポケットいっぱいの秘密>など好ナンバー揃いだった。後者は1973年に全米1位となったカーペンターズのリアレンジ版<Top Of The World>(原曲は第4作『A Song For You』収録)をお手本にしたニュー・アレンジで(Arr.東海林修、キャラメル・ママ)シングル・カットされている。
 ちなみにそのアルバム・ヴァージョンはキャラメル・ママ単独アレンジによるもので、ディッキー・ベッツ主導期のオールマン・ブラザース・バンド風だった。尚、この曲はキャラメル・ママが名称変更したティン・パン・アレイ時代のセカンド『TIN PAN ALLEY 2』にも収録(ヴォーカルはManna)されているので、聴き比べてみると面白い。 


 その他の注目作としては、セカンド・ライヴ発表後の1976年にリリースされた日本8作目『美美(MeiMei)』だろう。ここでは鈴木慶一とムーンライダース(以下、ライダース)やラストショウ、ブレッド&バターの岩沢二弓などそうそうたる面々がサポートしている。
 この仕上がりは、同時期に発表されたライダースの『火の玉ボーイ』をポップに解釈したように感じるのは私だけだろうか。 

 なおアグネスにはライヴ・アルバムが3作品あるが、選曲&アレンジ&サポート・メンバー(ファースト・ライブ除く)共に注目ポイントが多い。当時No.1プロダクション「ナベプロ(渡辺プロダクション)」のなかでこれだけ独自な世界観を出せたのは、当時のアグネス人気が絶大だった事は勿論のこと、彼女自身が母国香港ではシンガー・ソングライターとして活動をしていた事も大きいだろう。 
 そして前出した様に、来日後のブレーンにはユーミンを支えたキャラメル・ママや、当時やまがたすみこなどもバックアップ(76年10月発表『SUMIKOLIVE』参加)していたライダース、シュガー・ベイブ時代の山下達郎、泉谷しげるのサポート・バンドだったラストショウ(74年『黄金狂時代』参加)など強者達のサポートを得ていた事も影響しているといえるだろう。 

 そんな彼女の人気は今も衰え知らずで、全盛期からのファンクラブが今も継続しており、現在正規会員が4,000名ほどいるという。 
 余談ながら、アグネスは1974年に上智大学国際学科に入学しているが、当時彼女を一目見ようと上智大学のある四ツ谷駅周辺が騒然となったと聞く。またそんなアグネス人気は、翌1975年になると元々女性には東大並」と称されるほど高かった上智大学の受験偏差値を、男性の難易度もアップさせ、早慶と並ぶ都内超難関大学に押し上げた。 

 なお、アグネスは1998年に初代「日本ユニセフ協会大使」に就任、2016年には「ユニセフ・アジア親善大使」を務める等、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕活動に身を投じている。 近年では「ピンク・リボン運動」への参加、香港浸会大学の客員教授として教育現場でも活動を広げている。また2017年に発表した著書「スタンフォード大学に三人の息子を合格させた50の教育法」が大ベストセラーとなり、作家としての地位も高め、マルチな活動を展開している。 



 『FLOWER CONCERT』1973年11月10日 Warner-Pionner / L-5049-50   (CD Bridge /BRIDGE322 ) 国内チャート 4位 / 12.3万枚 

 ①Circle Game(バフィ・セント=メリー: 1970)、②幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree)(トニー・オーランド&ドーン:1973)、③遠い遠いあの野原(森山良子:1972)、④心の旅(チューリップ:1973)、⑤学生街の喫茶店(ガロ:1972)、⑥白い色は恋人の色(ベッツィ&クリス:1969)、⑦オリジナルⅠ、⑧You are 21, I am 16、⑨悲しき天使(Those Were The Days)(メリー・ホプキン:1968)、⑩二人の牧場、⑪初恋、⑫山鳩、⑬Yesterday Once More(カーペンターズ:1973)、⑭若葉の頃(First Of May)(ビージーズ:1969)」、⑮Foggy Foggy Dew、⑯赤とんぼ、⑰ゆき、⑱七つの子、⑲ママに捧げる詩(Mother Of Mine)(Neil Reed:1971)」、⑳ひなげしの花、21.妖精の詩、22.草原の輝き、23.小さな恋の物語、24.Without You (バッドフィンガー:1970/ ニルソン:1971)、25.「Bye Bye Love(エヴァリー・ブラザース:1958 / サイモンとガーファンクル:1970)  

 彼女のファースト・ライブ・アルバムは1973年9月15日に行われた東京・草月会館での模様を収録したもので、自身最大ヒット曲<小さな恋の物語>リリース直後に発表されている。バックを務める演奏陣は、スタジオ・レコーディング同様のワーナー・ポップ・オーケストラ。
 アルバムは彼女の香港でのデビュー曲オーケストラ・ヴァージョンで始まる。ここに収録されたナンバーはファースト~サード・アルバム収録曲を中心に童謡の⑯⑰⑱から、和物ロック・フォークの③④⑤⑥、そしてポップス名曲②⑨⑬23. といったバラエティに富んだ内容となっている。
 ヒット曲以外での聴きどころは、<ひなげしの花>を連想させる<小さな恋の物語>のB面に収録された⑩(森田公一作)、当時彼女自身のフェイヴァリッツ・ソングだったという⑤、声質がオリジナルに近い⑨などだ。 そして彼女のアーティスティックな側面を覗かせる弾き語りの(アグネス)自作曲⑦や⑧(サード・アルバム『草原の輝き』収録)も聴き逃せない。尚、この自作曲がライヴで聴けるのはこのアルバムだけだ。 
 特筆すべきは、このアルバムはこの年4枚目に発売したアルバムながら、この時点までの彼女のヒット曲全てが収録されていることもあって、自身のキャリア中最大セールスを記録している。

 参考1:カヴァー収録曲について
①Circle Game
 1970年に公開された映画『いちご白書(The Strawberry Statement)』主題歌で、ヒットさせたのはバフィ・セント=メリー。オリジナルはジョニ・ミッチェルの1970年サード・アルバム『Ladies Of The Canyon』に収録。 

②Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree 
 <Knock Three Times(邦題:ノックは3回)>などのヒットで知られるトニー・オーランドとドーンが73年に放った全米No.1ヒット(年間1位)で、彼らの最大ヒットでもある。本国において当時のライヴで1ステージに3~4回も披露させられるほどだった。一時期ギルバート・オサリバン<Alone Again(Naturaly)>の盗作疑惑も取り沙汰されたが、詞の内容の素晴らしさに自然消滅している。 日本では山田洋二監督がこの曲にインスパイアされた『幸せの黄色いハンカチ』(1977年)でよく知られている。 

③遠い遠いあの野原
  ″フォークの女王″森山良子が<禁じられた恋>(1969年)以降歌謡曲路線にシフトしていた彼女が、従来の「フォーク・シンガー回帰」と話題になった1972年の作品。作曲は加藤和彦、彼女の完全復活は1975年紅白に出場したの<歌ってよ夕陽の歌を>と言われるが、個人的にはこちらに軍配を挙げたい。 

④心の旅
 チューリップの名前を一躍メジャーにしたサード・シングル。彼ら初の1位獲得曲で代表曲でもある。 

⑤学生街の喫茶店
 ガロのサード・シングルで1位にも輝いた彼らの代表曲。当初この曲は村井邦彦が書いた<美しすぎて>のB面曲だったが、発売後に有線を中心に人気が高まりAB面が入れ替わり大ヒットとなった。77万枚を売上げ、1973年々間3位にランクされている。 

⑥白い色は恋人の色 
 米国人フォーク・デュオ、ベッツィ&クリスのデビュー曲、フォークル以来の黄金コンビ加藤和彦=北山修の作で、2位止まりだったが50万枚を超える大ヒットとなった。 

⑨Those Were The Days 
 ビートルズが設立したアップルのシンデレラ・ガール、メリー・ホプキンの世界的大ヒット・ナンバー。ヴィッキーやポール・モーリア・グランド・オーケストラなど世界的な大競作となり、日本では森山良子が歌っている。 1969年1月27日に当時絶大な人気を誇っていたピンキーとキラーズを押しのけて1位に輝いている。 

⑬Yesterday Once More 
 1973年日本で大ベスト・セラーとなった『Now&Then』(51.4万枚)からのセカンド・シングルで、彼らの日本における代表曲(59.2万枚)。ちなみにこの年日本でのカーペンターズは<Sing><Top Of The World>も大ヒットさせており、まさにこの年日本でのポップス人気の顔だった。ちなみにアグネス自身も彼らの大ファンで1990年にはカーペンターズ・カバー・アルバムをリリースしている。 

⑭First Of May 
 ビージーズが1969年に発表した傑作『Odessa』からのファースト・シングル、全米37位, 全英6位を記録。 更に日本では1996年に同名ドラマの主題歌となり、リバイバル・ヒットしている。 

⑮Foggy Foggy Dew 
 アイルランド民謡のトラッド・ソング 

⑲Mother Of Mine 
 当時、日本語版も発売になるほど人気を博した英国の少年シンガーソングライター、ニール・リードの自作ヒット曲。 

㉓Without You 
 初ヒットさせたのはニルソン、彼はこの曲を「ビートルズ・ソング」と思ってカヴァーしたという。近年ではマライア・キャリーの歌でも有名なスタンダード・ナンバー。オリジナルはアップルに所属したバッドフィンガーのセカンド・アルバム『No Dice』に収録曲。 日本ではリンゴ・スターが主演して話題となった『マジック・クリスチャン』の挿入歌<Carry On Till Tomorrow(邦題:明日の風)>とカップリングで独自シングルが発売されている。 

㉔ Bye Bye Love 
 オリジナルはビートルズも憧れの存在だったエヴァリー・ブラザースのヒット曲。サイモンとガーファンクルの第6作で代表作でもある『〈Bridge Over Troubled Water(邦題:明日に架ける橋)〉』(1970年)にライヴで収録。日本では独自にシングル・カットされてヒットした経緯もあり、エヴァリー盤よりもこのヴァージョンが有名。 



『ファミリー・コンサート』1975年11月10日 Warner-Pionner / L-10006W 
 (CD Bridge /BRIDGE323 ) 国内チャート 16位 / 2.8万枚        

①Let Me Be There(オリビア・ニュートン・ジョン(以下、オリビア):1974)、②ラブ・サムバディ(To Love Somebody)(ビージーズ:1967)、③トゥンキー、④Today(The New Christy Minstrels:1964)、⑤追伸(グレープ:1974)、⑥しあわせの扉(Knock Knock Who’s There)(メリ-・ホプキン:1970)、⑦Good Bye Yellow Brick Road(エルトン・ジョン:1973)、⑧まごころ、⑨雨模様、⑩小さな恋の物語、⑪愛の迷い子、⑫恋人たちの午後、⑬Bye Bye Love、⑭はだしの冒険(※…スタジオ録音) 

 アグネス2枚目のライヴ・アルバムは、彼女の声質にフィットしたマイナー調のヒット曲⑪(年間19位)や⑫が発表された時期にリリースされている。 演奏はレコード・デビュー前のライダースで、当時のメンバーにはKeyに矢野誠、Gt.は椎名和夫(後に山下達郎Band)も在籍していた。またPerc.とChorusで元ワイルド・ワンズの:植田芳暁も参加。このライヴでのコーラスを聴いていると、まるでライダースのアルバム収録曲に聞こえるのは私だけだろうか? 
 余談ながらこの当時の各ステージの前座(?)では『火の玉ボーイ』(1976.1.25.発表)に収録される<酔いどれダンス・ミュージック>も演奏されていたと聞くが、アグネス・ファンにはどれほど受け入れられていたのか気になるところだ。
  オープニングはオリビアの①、注目すべきは日本においてのオリビア人気は75年5月発売の<Have You Never Been Mellow(邦題:そよ風の誘惑)>以降で、当時日本ではまだブレイクしていない彼女の曲をチョイスしたセンスに注目したい。またこのカントリー調の雰囲気はアグネスとの相性は抜群だ。尚、アグネスはこの年にリリースした第6作『はじめまして青春』で<そよ風~>をカヴァーしている。 
 続いてビージーズ67年のヒット②、この曲は日本よりも海外人気の高い曲だが、彼女自身かなりお気に入りのようだ。そして一般には<Green, Green>(63年)で知られる ニュー・クリスティ・ミステルズのヒット③(メンバーのランディー・スパークス作)。
 更に⑥は彼女自身がフェイバリッツと宣言して披露しているだけあって、和んだ良い雰囲気が伝わってくる。サイモンとガーファンクル風仕上がりのエンディング⑬はライダースのコーラスが冴え渡り、締めにふさわしい演奏を聴かせてくれる。 
 尚、アルバム収録曲からは第5作『アグネスの小さな日記』収録の③がうれしいところ、ただスタジオ版によりも少々緩くライダース風だ。さらにライダースらしい演奏が聴きものの⑨は、彼らのアルバムに収録されていても違和感のない仕上がりだ。 

参考1:カヴァー収録曲について 
①Let Me Be There 
 1974年全米チャート最高位6位ながら、年間27位にランクされたオリビアの米国での代表的ヒット曲。

②To Love Somebody 
 オーストラリアを活動拠点にしていたビージーズが全米進出した1967年にリリースしたセカンド・シングル。全米17位, 全英41位を記録している。 

③Today 
 <Eve of Destruction(邦題:明日なき世界>1965のヒットを持つバリー・マグワイヤーが在籍したザ・ニュー・クリスティ・ミンストレルズ63年のヒット曲。 

⑤追伸 
 グレープのサード・シングル。ブレイクした<精霊流し>よりも初期オフコース風のセンチメンタルな雰囲気が漂うヒット・ソング。 

⑥Knock Knock Who’s There 
 1970年に発表されたメリー・ホプキンのアップルでの4枚目シングル。作者はファースト・クラスの<Beach Baby>などで知られるヒット・メーカー、ジョン・カーター。尚この曲はユーロビジョン・ソング・コンテスト2位入賞曲でもあった。 

⑦Good Bye Yellow Brick Road 
 エルトン・ジョンの全盛期1973年にリリースした初の2枚組第7作アルバムのタイトル曲。このアルバム・リリース直後には彼の2回目の来日公演があった。 



 『また逢う日まで』1976年9月10日 Warner-Pionner / L-5515-6 
 (CD Bridge /BRIDGE324 ) 国内チャート 2位 / 6.1万枚 

 ①ひなげしの花~妖精の詩、②山鳩、③ほほえみ、④まごころ、⑤美美、⑥男の人わからない、⑦アップルパイのラブレター⑧Look What You’ve Done(ブレッド:1970)、⑨Melody Fair (ビージーズ:1969)、⑩Ben(マイケル・ジャクソン:1972)、⑪緑の風のアニー(Anni's Song)(ジョン・デンバー:1974)、⑫海岸通り(風:1975)、⑬Circle Game(バフィー・セント・メリー: 1970)、⑭若葉の頃(First Of May)(ビージーズ:1969)、⑮美しい朝がきます、⑯小さな恋の物語、⑰草原の輝き、⑱はだしの冒険、⑲白いくつ下は似合わない、⑳愛の迷い子、㉑夢をください、㉒恋人たちの午後、㉓恋のシーソーゲーム、㉔ポケットいっぱいの秘密、㉕歌のある限り(Keep On Singing)(ヘレン・レディ:1973)、㉖Without You(バッドフィンガー:1970/ ニルソン:1971)、(Encor)㉗星に願いを、㉘ポケットいっぱいの秘密、㉙思い出して下さい 

 このアルバムはアグネスがカナダ・トロント大学へ留学するため6月に祖国・香港で引退の決意表明をした後に来日して、8月に東京・名古屋・大阪の三大都市で開催された『さよならコンサート』を収録したものだ。
 当時は人気も音楽的にも安定期で彼女のヒット・ナンバーはデビューからこの時点までほぼ網羅されたベスト・アルバム的な内容になっており、ランキングが彼女のアルバム中最高位となる2位を記録したのも頷けるところだ。
 ここでのバックはカントリー系バンド、ホット・ケーキと前作ライヴ・アルバムに続きGt.&Chorusで植田芳暁、それにブラス・セクションが加わっている。収録曲は1/4がオリジナル・アルバムから(内1曲はアグネスの自作)・カヴァー1/4・ヒット曲1/2と万遍なく取り上げられ、納得の内容に仕上がっている。
 中でも洋楽カヴァーは33曲中8曲、この中で特に注目すべきはブレッドの⑧。彼らが日本で注目されるのは1971年の<If>(3rd『Manna』収録)以降で、とかくデビット・ゲイツ作品に傾倒している。アグネスがあえてゲイツ以外の書いた曲をチョイスしているのはかなり興味深い。 
 なお⑬は香港でのデビュー曲だが個人的な好みで言わせていただくならば、香港でのオリジナル・ヒットである弾き語りテイクを聴かせてほしかった。余談になるが2014年BS番組『コロッケ千一夜』で、この曲をアグネスがGt.弾き語りで披露していたが、透明感触れる彼女の声は今も健在で思わず聴き惚れてしまった。 
 またオリジナル曲では第6作『あなたとわたしのコンサート』(1974年)に収録された軽快な⑦(穂口雄右作)、第8作『はじめまして青春』収録⑥、そしてライダースの好サポートを受けて完成させた傑作第11作『MeiMei~私の恋人』(1976年)からはアグネス自作⑤と爽やかな印象に溢れたナンバーが並び、フィナーレに花を添えている。 
 ヒット曲で目立っているのはライヴとして初収録されたカントリー・ティストの㉓㉔で、彼女の持つ陽の部分をよりクローズ・アップさせ会場内をほんわか気分にさせている。特に後者はアンコールでも再登場しており、フィナーレを飾るのに相応しいナンバーだ。
 そしてライヴ・オーラス㉙のエンディングには<ひなげしの花>のイントロが挿入されるという憎い演出に多くのファンは胸を締め付けられたことだろう。
 補足となるが、彼女は78年にトロント大学を卒業し、同年8月に日本帰国し、芸能活動を再開している。その復帰コンサートは日本武道館で開催と、休業明けにもかかわらずその人気が健在だったことの驚かされる。

 参考1:カヴァー収録曲について
⑧Look What You’ve Done 
 ブレッド唯一の全米1位曲<〈Make It With You(邦題:二人の架け橋)>を収録した1970年セカンド・アルバム『On The Waters』収録曲。メンバーのジェームス・グリフィンとロブ・ロイヤーの作品。 

⑨Melody Fair 
 ビージーズの2枚組傑作『Odessa』(1969年)収録曲。1971年に映画『小さな恋のメロディ』の主題歌となり日本のみシングル・カットされ大ヒットしている。当時この映画は海外では酷評されているが、日本は大ヒットしている。その後、主演のマーク・レスターとトレイシー・ハイドは、日本で大スター扱いされている。 

⑩Ben 
 1972年に公開された少年とネズミの友情をテーマにしたパニック映画の主題歌。マイケル・ジャクソン、ソロ初の全米1位を獲得曲でセカンド・ソロ・アルバム『Ben』に収録。当時日本でもヒットしたのには、『旺文社・ラジオ講座』の「今月の歌」で取り上げられ、受験生を中心に支持されたという説もある。 

⑪Anni's Song 
 <Take Me Home Country Road(邦題:故郷に帰りたい)>で日本でも人気のあったジョン・デンヴァーが当時の妻アニーに捧げた曲。1975年リリースの『Back Home Again』に収録。 

⑫海岸通り 
 かぐや姫の伊勢正三(正やん)と猫のメンバーだった大久保一久が1975年に結成した風のデビュー・アルバムに収録された正やん作品。1979年にはイルカがシングル・ヒットさせている。 

㉕ Keep On Singing 
 オーストラリア歌手で初めてグラミー賞を受賞した女性歌手ヘレン・レディが1974年にリリースされた10枚目のシングル。全米15位ながらA.C.チャートでは3作目の1位記録した彼女の代表作の1つ。

 (文・構成:鈴木英之)

2021年4月10日土曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(石野真子)

-人生に大きく影響を与える「アイドル音楽」はあなどれない-

 数年前に放送されていたNHKの対談番組「ミュージック・ポートレイト」を憶えているだろうか?この番組は「自分の人生にとって『大切な10曲』」を持ち寄り、お互いの人生を語り合うというプログラムだった。 その2014年に放送されていた「さだまさしと箭内道彦(やないみちひこ)」の回は興味深いものだった。 
 それは「TOWER RECORD」のポスターなどで有名な「NO MUSIC, NO LIFE?」発案者であるクリエイティブ・ディレクター箭内道彦氏の10曲だった。<落陽>(吉田拓郎)、<MONEY>(浜田省吾)、<風に吹かれて>(ボブ・ディラン)、<雨上がりの夜空に>(RCサクセション)などのナンバーに交じって、1980年代のトップ・アイドルのひとり浅香唯の<セシル>が入っていたのには驚かされた。
 
 箭内氏は「この曲で人生の進む道を決めることができた」とコメントしていた。 「アイドル音楽」は一般の音楽愛好家からすれば、「低俗なもの」と片付けられてしまうことが多い。しかしそんなアイドルのヒット曲にこめられたメッセージが、箭内氏のような著名人の人生に大きく影響を与えていることを知り、あらためて「アイドル音楽」はあなどれないと感じた。

 かくいう音楽マニア歴40年になる私自身もアイドルの音楽に傾倒した事がある。それはなにもかもうまくいかないスランプ時期だった。そんなとき、とあるアイドルの歌声が心の琴線に触れ、何事も前向きにとらえられるようになった。いまから思えば、「ヒット至上主義」として制作されたアイドルの曲に、それまで親しんだ洋楽のテイストが感じられ、すんなり受け入れることができたように感じる。そんなアイドル音楽のもつ人を元気にしたり、癒したり、勇気づけるパワーは、ほかのジャンルにも決して引けを取らないものだと思う。 

-1970年代の主流アイドルの多く『スター誕生』からデビューしていた- 

 さて、一概にアイドル・ファンといっても、どのようにアイドルの魅力に虜になったかは世代によって分かれるところだろう。1970年代には公開スカウト番組『スター誕生』(以下スタ誕)から続々とデビューするアイドルたちに声援を送っていたファンが多かったように思う。
 
 今回はそんな『スタ誕』からデビューしたアイドルから石野真子にスポットを当てる。 彼女は松田聖子が登場する以前、アイドル不毛の時代といわれる1970年代後半に登場したアイドルの代表格といえる存在だった。そのチャームポイントは頼りなげな垂れ目と八重歯をのぞかせた愛くるしい笑顔で、その魅力にノック・アウトされた男たちは限りなかった。ちなみに、俳優の木下ほうかさんや横浜銀蝿の弟分として活躍した嶋大輔さんも、当時は熱狂的なファン一人だったという。 

  彼女の『スタ誕』での軌跡は、1977年1月の本選において会場からの得票数だけで合格点(当時250点)をクリア、査員合計で過半数(1,000満点中530点)を上回るという快挙をなしとげている。引き継いで行われた3月の決勝大会では、16社のスカウトが名乗りを挙げ、堂々たる合格を勝ち取った。 

 そして1978年のデビュー曲にはキャンディーズに<やさしい悪魔><アン・ドゥ・トロワ>を提供しヒット・メーカーの仲間入りをしていた吉田拓郎が起用される彼が書下ろした<狼なんか怖くない>(17位;10.4万枚)でデビュー、続く<私の首領(ドン)>(26位;8.4万枚)も拓郎の曲と、新人としてはかなり恵まれたスタートを飾っている。彼女はこの年レコード大賞新人賞を受賞している。


 そんな彼女の飛躍のきっかけとなったナンバーと言えば、翌1979年にリリースの<日曜日はストレンジャー>(19位;6.9万枚)だろう。この曲は筒美京平によるモータウン調のパワー・ポップ・ナンバーで、彼女の愛くるしさをより際立たせている。続く<プリティー・プリティー>(26位;6.8万枚)もはちきれんばかりのポップ・ソングで、彼女に付けられたキャッチフレーズ「100万ドルの微笑」の本領が発揮されている。

 そしてこの年のハイライトとなったのが、4枚目のシングル<ジュリーがライバル>(24位;10.8万枚)で、萩田光雄氏によるジュリーの<危険なふたり>を間奏に挿入するアイデアが注目の的になった。とある音楽番組では、ジュリー本人を前に彼に扮装して歌唱する場面もあり、ヒットの規模以上に幅広い世代にアピールしていた。この曲で彼女は第30回NHK紅白歌合戦に初出場している。

 さらに1980年には彼女の最大ヒット<春ラ!ラ!ラ!>(16位;16万枚)で『ザ・ベストテン』に初登場、またラジオでレギュラー番組を持っている。このように大活躍だったこの年も、<ハートで勝負>(15位;9.7万枚)で紅白に出場している。
 そんな彼女の個人的なお薦めとしては、彼女の思いっきり甘えた歌いぷりにノック・アウトされる<恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together)>(27位;8.2万枚だ。この曲はイギリスの人気姉妹グループ、ノーランズのカヴァーだったが、私は彼女のヴァージョンに軍配を上げたい。

 ただ1981年になると松田聖子など新たなアイドルたちの登場で、やや影が薄くなった感は拭えなかった。そんな折、ラジオ番組で共演した長渕剛と結婚を前提とした交際を宣言。
 そして7月26日から全国18ヶ所で「Bye-Bye MAKO グッドラック・コンサート」を開催し、わずか3年半の歌手生活に幕を引く。なおファイナルとなった8月30日の渋谷公会堂公演はテレビ生中継されている。当時、引退コンサートが生中継(キャンディーズは録画)されたのは彼女と山口百恵だけで、その人気が絶大だったことを物語っている。
 そんな彼女の引退は1970年女性アイドルの終焉を決定付ける感もあったとはいえ彼女は1980年代に入って続々登場したキュートなアイドルたちのプロト・タイプ的な象徴だったように感じる。

-「八重歯」を矯正して再スタート-

 とはいえ長渕との結婚生活は短期間に終わり、1983年には芸能界に復帰。1985年には新曲をリリースして歌手活動も再開している。ただ復帰後の彼女を見た私の友人たちの間では、「以前の可愛らしさが無くなった。」とぼやく声が多かった。それは彼女のトレード・マークだった「八重歯」を矯正したからかもしれない。とはいえ、この整った美しい歯並びの彼女は、大人の女性新生石野真子”再スタートを宣言する象徴だった。

 その後の活動は女優としてが目立っていたが、2003年頃からは榊原郁恵、松本伊代や早見優など80年代アイドルたちと組んだ「MUSE×MUSE」ライヴに参加。共演メンバーとのデビュー差は5年近くあるものの、そのキュートなパフォーマンス衰えを感じさせないもので、往年のファンを喜ばせた。

 2010年になるとソロ・ツアーを組み大成功を収め、これ以降もコンスタントにも コンサートを開催し、ミュージカルにも参加するようになっている。そして、近年はギターを手にライヴに臨むという精力的な活動を続けている。
 そんな彼女は、デビュー43年となる今年の1月30日に「還暦」を迎えているが、「ちゃん」付けで呼びたくなるフレッシュな魅力は今も健在だ

 

『ライブⅠ~「マコ・イン・ファンタスティック」』 1979年11月19日  
Victor / SJX-20133  国内チャート  36位 / 1.5万枚 

①未知との遭遇、②私は真子(You Light Up My Life )(デビー・ブーン:1977)、③愛するデューク(Sir Duke)(スティービー・ワンダー:1976)、④あなたに愛されたいのに(I Wanna Be Loved by You )(マリリン・モンロー:1959 / クロージャ・バリー:1978)、⑤Grease・Medley:愛のデュエット(You’re the One That I Want(オリビア・ニュートン・ジョン(以下オリビア) & ジョン・トラボルタ(以下トラボルタ):1978)~It’s Raining on from Night (シンディ・バレンス:1978)、⑥人生ひとりではない(You'll Never Walk Alone)(OST:1945)、⑦プリティー・プリティー、⑧七色くれよん、⑨ぽろぽろと、⑨イカルスの子守唄、⑩ジーパン三銃士、⑪苺になるな野いちごよ、⑫日曜日はストレンジャー、⑫私の首領、⑬プリティー・プリティー

  内容は前半がカヴァー後半がオリジナルを含むヒット・パレードといった構成。オープニングは当時衛星中継されたエルヴィス・プレスリー(以下、プレスリー)の『エルヴィス・イン・ハワイ(Aloha from Hawaii)』(1973)で、<ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)>(R.シュトラウス:『2001年宇宙の旅(A Space Odyssey)』(1968))が使用されていた影響だろう
 続く洋楽カヴァー②~⑥は、⑥以外はお馴染みのヒット曲で、来場者に配慮してかすべて日本語訳詞で歌っている。聴きどころはモンロー調の歌いっぷりがキュートな④、そして⑤映画『グリース』メドレー<It’s Raining on from Night>で聞かれる真子のチャーミングなセリフだろう。 
 ファンにとってお待ちかねのヒット曲登場の⑦以降は声援がすさまじく、親衛隊の熱狂ぶりのすさまじさが伝わってくる。

参考1:カヴァー収録曲について 
① 未知との遭遇
 スティーヴン・スピルバーグ監督が1977年に公開した S.F.映画『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』(1977)のテーマ。ストーリーは人類と宇宙人とのコンタクトを描くというもの。 

② You Light Up My Life 
 邦題<恋するデビー>。米国の御所パット・ブーンの愛娘デビーの1977年デビュー曲。全米1位を獲得し、年間第3位という大ヒットを記録した。なお、デビーは1978年のグラミー賞で、フォリナー、アンディ・ギブ、ショーン・キャシディなどの強豪をおさえ、「ベスト・ニュー・アーティスト」を受賞している。 

③ 愛するデューク(Sir Duke) 
 スティービー・ワンダーがデューク・エリントンに捧げた作品。1976年リリースの傑作『Songs in the Key of Life』(76年)に収録され、全米1位を記録。補足ながら、このアルバムは2.5枚組(LP2枚、EP1枚)という変則仕様だったが、13週間連続全米1位を記録し、1977年のグラミー賞「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にも輝いている。 

④ あなたに愛されたいのに(I Wanna Be Loved by You) 
 マリリン・モンロー主演映画『お熱いのがお好き(Some Like It Hot)』(1959)で歌った悩殺ソング。なおモンローはこの作品でゴールデン・グローブ賞主演女優賞の「ミュージカル・コメディ」部門を受賞している。

⑤ You’re the One That I Want  
 邦題「愛のデュエット」。オリビアとトラボルタ主演で大ヒットしたミュージカル映画『グリース』の挿入歌。このサントラ盤からは<Grease>(フランキー・ヴァリ)<想い出のサマー・ナイツ(Summer Nights )>(オリビア&トラボルタ & キャスト)<愛すれど悲し(Hopelessly Devoted To You)>/(オリビア)など数多くのヒットが生まれた。 

⑥ 人生ひとりではない(You'll Never Walk Alone) 
 1945年のミュージカル『回転木馬』の挿入歌として書かれた楽曲。同年、フランク・シナトラが吹込み全米9位、1964年にパティ・ラベル&ザ・ブルー・ベルが34位、68年のプレスリー版が90位を記録。
 ただこの曲と言えば、英国のジェリー & ザ・ペースメーカーズの1963年10月26日から4週連続で全英1位を記録したカヴァーの印象が強い。彼等はザ・ビートルズがレコーディングを拒否した<How Do You Do It(邦題:恋のテクニック)>を大ヒットさせた事でも有名だ。
 現在この曲は英国プレミアリーグ・リバプールF.C.のサポータズ・ソングとして歌い継がれている。 

※参考リスト 
 石野真子に80年代に引退ツアーのライヴがあるが(後にこのライヴを全て網羅した完全版『石野真子さよなら公演完全収録ライブ!』も発売)、このコラムは70年代のリリース分に限定コラムのため、リストのみ掲載しておく。 

『BYE BYE MAKO LIVE~8月の太陽より燃えて』(1981.10.05) 
<Victor / SJX-30097> *オリコン  16位  / 2.5万枚 
【①ヒット・メドレー・狼なんか怖くない~わたしの首領(ドン)~失恋記念日~ジュリーがライバル、②妹に捧げる唄、③イカルスの子守唄、④苺になるな野いちごよ、⑤春ラ!ラ!ラ!、⑥恋のハッピーデート、⑦恋のサマーダンス、⑧アリババ(1977;マルコポーロ)、⑨ウーレ・ヴー(アバ :1978)、⑨恋すれば勝ち、⑩GOOD BYEは出発(たびだち)  

 『石野真子さよなら公演完全収録ライヴ!』(1983.03.05) 
<Victor / SJV-5081~3> *オリコン  14位  / 2.3万枚 
①ヒット・メドレー・狼なんか怖くない~わたしの首領(ドン)~失恋記念日~ジュリーがライバル、②妹に捧げる唄、③イカルスの子守唄、④苺になるな野いちごよ、⑤ジーパン三銃士、⑥春ラ!ラ!ラ!、⑦ハートで勝負、⑧めまい、⑨彼が初恋、⑩フォギー・レイン、⑪恋のハッピーデート(Gotta Pull Myself Together)、⑫思いっきりサンバ、⑬彩りの季節、⑭恋のサマーダンス、⑮Burning Love(1972;エルヴィス・プレスリー)、⑯Ali Baba、⑰Voulez Vous (アバ:1978)、⑱恋すれば勝ち、⑲I'm in the Mood for Dancing(ダンシング・シスター)(ノーランズ;1980)、⑳GOOD BYEは出発(たびだち)、(Encor)狼なんか怖くない~GOOD BYEは出発

(鈴木英之)

2021年3月21日日曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(キャンディーズ)

 
 今回は今から44年前の1977年4月4日に後楽園球場で盛大な解散コンサートをもって活動の幕を下ろしたキャンディーズのライヴ・アルバムについてレビューをする。

 まずはキャンディーズについて、メンバーは東京音楽学院のスクールメイツ出身だった伊藤蘭(ラン)、藤村美樹(ミキ)、田中好子(スー)の3人組。なお当初はミキとスーに男性メンバーを加えた3人組という企画や、『NHKステージ101』で活躍していた太田裕美、のちにザ・ヴィーナスに加入するコニーもメンバーの候補になっていたという。
 このガール・グループのお気に入りメンバーを指して「○○派」という呼び方は、キャンディーズから始まったように思う。当時、慶応高校に在籍していた“キャンディーズ・ファン”だった自民党の石破茂元幹事長は、「ミキちゃん派」だったと公言している。

 そんな彼女たちの初仕事は1972年4月にNHK『歌謡グランドショー』のマスコットガールに起用されたことで、その場でグループ名が「キャンディーズ」に決まった。またこの年の 第23回 NHK紅白歌合戦(以下、紅白)のオープニングにも参加し、100人のスクールメイツの中でセンターのポジションでダンスを披露している。そんな彼女たちは、当時渡辺プロのスタッフだった松崎澄夫(まつざきすみお)(後のAmuse代表取締役)に認められ、1973年にスーをメイン・ヴォーカルに据え<あなたに夢中>(36位;8.1万枚)で歌手デビューを果たす。デビュー当時の作家は、国民的アイドル歌手天地真理の一連のヒットを手掛けていた森田公一だった。


 キャンディーズは即スターダムに乗ったわけではないが、そのキュートな振り付けは、同世代には人気があった。それは当時のバラエティ番組『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で、彼女たちの振り真似する高校生が大喝采を浴びていたことでもよくわかる。しばらくヒットには恵まれなかったが、当時のマネージャー諸岡義明(後の渡辺プロ専務)の提案で、リード・ヴォーカルをスーからランにコンヴァート。そして1975年に発表した5枚目のシングル<年下の男の子>(9位;26万枚)がトップ10ヒットとなり、念願の第26回紅白に初出場を果たしている。この曲を書いたのは、一般に「キャンディーズとともに燃え尽きた作家」とも称される元GSアウト・キャストの穂口雄右(ほぐちゆうすけ)だった。なお彼は彼女たちがデビューしているとも知らず、「あの娘たちを手掛けたい」と白羽の矢を立てていたと聞く


 そんな当時の彼女たちは“フィラデルフィアのセクシー・エンジェル”スリー・ディグリーズに憧れており、ことあるごとに「目標はぐっと高く、スリー・ディグリーズ!」と公言している。8枚目のシングル<その気にさせないで>(17位;10.9万枚)は、ディグリーズを意識した作風だった。この年の10月19日には蔵前国技館で「キャンディーズ10,000人カーニヴァル」を開催できるまでになっている。


 なお彼女たちを語るのには1975年に結成された日本初の全国規模ファン・クラブ「全国キャンディーズ連盟(通称:全キャン連)」なる熱狂的なファンの存在を忘れてはならない。それはサード・アルバム『年下の男の子』の収録曲<春一番>が彼らの絶大なる支持(勿論、スタッフも意識)によって、1976年初頭にニュー・ヴァージョンのシングルとなり、オリコン3位(36.2万枚)の大ヒットを記録。その人気沸騰ぶりは、この年に蔵前国技館で開催された「キャンディーズ10,000人カーニヴァル Vol.2」に象徴されているように、収容人数を上回る超満員で埋め尽くされた。ここに至り、彼女たちはトップ・アイドルとして不動の地位を手にしている。そして第27回紅白にもこの曲で連続出場した。


 また同時に、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などヴァラエティ番組のレギュラーもしっかりこなしている。そこでは<電線音頭>を歌い踊り、「泣かないでラン、世界のキャンディーズになるまで涙は禁物よ!さあ笑ってラン!…うん」という恒例のコントまでもこなし、アイドルの範疇に収まらない幅広い人気を獲得している。それはトップ・アイドルしか採用されなかった<ポピーちゃん・スター人形>(注:1)にラインナップされていたことでもよくわかる。



 とはいえ彼女たちは人気だけではなくその実力も確かなもので、絶対音感を持つミキを中心とした美しい三声ハーモニーは当時のアイドルの中では際立っていた。加えてサポート・バンドのM.M.P.(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)との絶妙なコンビネーションも注目に値するものだった。
 このM.M.P.は元ワイルド・ワンズの故渡辺茂樹が率いた伊丹幸雄のサポート・バンドR.R.C.(ロックン・ロール・サーカス)を原型に、あいざき進也のサポート・バンドとして再編されたバンドだった。メンバーは渡辺茂樹(リーダー、キーボード)、西村コージ(ギター)、川内章一(ドラムス)、新田一郎(トランペット)、兼崎順一(トランペット)、片山鉱二(サックス)、菅原由紀(パーカッション)の7人編成。



 なお、捕捉になるがM.M.P.のトランペット奏者新田一郎は、これ以降バンドを独立してサザン・オールスターズなどのライヴをサポートするホーン・スペクトラムを結成。その後M.M.P.の元メンバーに呼びかけ日本版アース、ウィンド&ファイヤー(以下、E.W.F.)とも呼ばれたスペクトラムを結成している。そんなスペクトラムは8人編成でメンバーはスペクター1~8号と称していた。ステージでは1,000万もかけたという古代ギリシャの戦士ヘラクレスを思わせる甲冑や北欧のバイキング風の派手なコスチュームを纏い、わずか2年の活動期間だったがそのど派手なパフォーマンスは今も伝説になっている。

 話は本論に戻すが、このように順調に邁進していた彼女たちを脅かす存在が出現する。それはこの年8月<ペッパー警部>で彗星のようにデビューしたピンク・レディーだった。この新勢力はセカンド・シングル<S.O.S.>から1位の座を連続で奪取するようになり、怒涛の快進撃を開始し、日本中に「旋風」を起こすモンスターになっていった。この状況にキャンディーズのスタッフが危機感を持ち、彼女たちをさらに飛躍させるべ「大人計画」を発案し、吉田拓郎を起用した。
 そんな拓郎が提供した曲は彼女たちの最高傑作の呼び声も高い<やさしい悪魔>(4位;39万枚)だった。その歌唱時に小悪魔的なセクシー・コスチューム(注:2)で武装するというイメージ・チェンジで新たなファンを開拓することにも成功している。

 
 この曲で勢いを取り戻したキャンディーズの続くシングルは、<およげたいやきくん>の作者佐藤寿一(さとうじゅいち)を起用。それは元来のキュートな彼女たちを強くアピールする<暑中お見舞い申し上げます>(5位;29.8万枚)で勢いづいたなおこの曲は郵政省の暑中見舞い葉書(現:かもめーる)のCM曲に起用されている。とはいえピンク・レディーの快進撃はさらに加速し、<渚のシンドバット>は1位のみならずミリオン・セラーを記録するほどだった。

 そんな<暑中~>がヒット中の1977年7月17日に開催された日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、キャンディーズを社会現象にまで発展させた出来事が発生する。それこそが「ふつうの女の子に戻りたい」という突然の涙の解散宣言だった。
 人気絶頂のアイドルから飛び出したこの発言は当時の流行語になり、その後も多方面に飛び火するほどだった。具体例としては、1984年に演歌歌手都はるみの「普通のおばさんに戻りたい」という引退宣言。また人気漫画家浦沢直樹は「YAWARA!」の主人公猪熊柔(いのくまやわら)の柔道家を放棄する本心として「普通の女の子になりたい」と発言させている。

 そもそも彼女たち3人は、同年9月末限りで解散する意思を固めていたが、事前に所属事務所の正式な了承を得ずに解散宣言をおこなってしまった。そのため関係各位の説得と話し合いの末、解散は半年間先送りされたが、この事態ははからずも彼女たちの存在を日本中に大きくクローズ・アップすることになった。皮肉にもこれをきっかけに、飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の音楽シーンの頂点に昇りつめたピンク・レディーをしのぐ勢いで、人気を再燃させることになっている。


 そんな彼女たちは解散に向けたツアーを消化し、<アン・ドゥ・トロワ>(7位:28.1万枚)、<わな>(3位:39.2万枚)と続々リリースした新曲も勢いを増していった。ただ新譜を量産するのみばかりではなく、前者のカップリング曲にはスティーヴ・イートンの<All  You Get From Love Is A Love Song(ふたりのラヴ・ソング)>をカヴァーするなど選曲センスの良さも光っていた。そして解散に向けて発売された<微笑みがえし>は、初のオリコン1位(82.9万枚)に輝くことになる。
 この曲は<わな>で再び彼女たちとタッグを組んだ穂口雄右のメロディに、阿木曜子がキャンディーズのヒット曲のタイトルを随所に盛り込んだ<春一番>の歌詞からスタートする粋な計らいのナンバーだった。そして歌唱時にはセンター・ポジションも「ラン~ミキ~ラン~スー~ラン」と、「三人のキャンディーズ」を象徴していた。
 余談ながら当時「少年ジャンプ」に連載中の「すすめ!!パイレーツ」(江口寿史)では、この曲の歌詞をもじったギャグ(注:3)が登場するほどだった。


 さて肝心の『ファイナルカーニバル』だが、1978年4月4日に後楽園球場における初の女性アーティスト単独ライヴとして、55,000人のファンを集めて開催された。この模様は3日後に録画でテレビ中継もおこなわれ、30%を越す高視聴率を記録。そしてこのコンサートのエンディングで「ほんとうに私たちは、幸せでした」という有名なセリフを残してステージを降りた。
 なおこの日のライヴを収録した『ファイナルカーニバル・プラス・ワン』は、3枚組6,000円という高価なアルバムにもかかわらず、ファンの熱い支援によってシングル同様にキャンディーズ唯一の1位にランクされ、商業的にも大成功を収めている。



 これを最後に彼女たちは引退して「普通の女の子」になった。ところが1978年11月に解散コンサートのラストを飾った<つばさ>(16位)がキャンディーズとしての正式なラスト曲としてリリースされている。また番外にはなるが、1989年には松浦雅也(元PSY・S)によるリミックス・アルバム『CANDIES BEATS / Andy Pop Posse』が登場し、ちょっとした話題になっている。このように根強い人気ゆえに1994年の『キャンディーズ・バイブル』を皮切りに、貴重な未発表音源を収録したCD-Boxが2008年まで続々5作もリリースされている。


 そんな各メンバーは徐々にではあるが歌手や女優としてカムバックしている。まず1982年にミキがソロ歌手として再デビュー、化粧品会社のキャンペーン・ソング<夢・恋・人>(13位、16万枚)をヒットさせている。また女優の道を選択したスーも1984年1月にVictor/Invitationから『好子』をリリースしている。その後、スーもラン同様に女優の道を邁進んして、「日本アカデミー賞」を受賞するまでに至る。そんな彼女の役どころで個人的に印象に残っているのは、NHK連続ドラマ「ちゅらさん」の主人公の母親役だ。このドラマの女子会シーンで、彼女がカラオケを歌うさいに飛び出した「私、キャンディーズ!」というおちゃめなセリフだった。

 またランは2019年に『My Bouquet』をリリース、41年ぶりにソロ・デビューを果たし、ソロ・コンサートを開催している。とはいえ、キャンディーズの再結成は2011年のスーの逝去により叶わぬものとなり、全盛期に引退した山口百恵同様に「伝説」となった。
 ただそんな往年のファンを喜ばせたのが、2020年11月7日にNHK・B.S.で放映されたファイナル・ライヴ映像を含む「我が愛しのキャンディーズ」の放映だった。
 
(注:1)この人形には、他に「桜田淳子」「アグネス・チャン」等が存在する。

(注:2)コスチュームを考案したのはアン・ルイス。

(注:3)登場人物猿山さるぞうが、駄菓子を口にくわえて涙を流し「キャンディーズ<微笑がえし>「お菓子食って(おかしくって)涙が出そう」」という吹き出しコマがある


『キャンディーズ10,000人カーニバル』
1975年12月21日  CBS/SONY /<SOLL-202>
*オリコン 37位 / 1.9万枚
①あなたに夢中②危ない土曜日③内気なあいつ④バイ・バイ・センチメンタル⑤片想いの午後⑥悲しきためいき⑦その気にさせないで⑧年下の男の子⑨プラウド・メアリー(Proud Mary)(クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァル:1969/アイク & ティナ・ターナー:1971)、⑩アイ・ビリーブ・イン・ミュージック(I Belive In Music)(マック・ディビス:1970)

 ⑧がトップ10ヒットとなり、③⑦もトップ20に送り込む上昇機運のなか、蔵前国技館で開催された「キャンディーズ10,000人カーニバル」を収録した初のライヴ・アルバム。サポートは彼女達を解散まで支えたM.M.P.で、全編曲も渡辺茂樹が担当。
 ここではオリジナルを中心に収録されているが、ティナ・ターナーをお手本にしたカヴァー⑨では会場を熱気の渦に巻き込んでいるまた⑩では彼女達のソロにスポットをあてるなど、上り調子にある初々しい彼女たちがまぶしいばかりだ。

<カヴァー収録曲について>
⑩I Belive in Music
 オリジナルは1970年にリリースされ全米117位(A.C.25位)、翌年11月発表の同タイトル・アルバムも160位と本国では商業的には不発。しかし日本では沢田研二がみずから訳詞を手がけて歌い、のちに多くの歌手がカヴァーをするようになった。なおマック・ディヴィスは、<愛は心に深く(Baby Don’t Get Hooked on Me)>(1972)を全米1位に送り込み、エルヴィス・プレスリーにトップ10ヒット<In the Getto>を提供している。



『キャンディーズ・ライブ--蔵前国技館10,000人カーニバルVol.2』
1976年12月5日  CBS/SONY / 25AH-125 
*オリコン26位 1.9万枚
①プラウド・メアリー(Proud Mary)、②あなたに夢中、③Do You Love Me(コンチュアーズ:1962/ ブライアン・プール & ザ・トロメローズ:1963)、④危い土曜日⑤恋のあやつり人形、⑥The House Of The Rising Sun(ボブ・ディラン:1962/アニマルズ:1964/フリジド・ピンク:1970/ジョーディー:1974)、⑦Never My Love(アソシエイション:1967/フィフス・ディメンション:1971/ブルー・スェード:1974)、⑧夜空の星(加山雄三:1965)、⑨想い出の渚(ザ・ワイルド・ワンズ:1966)、⑩(They Long To Be)Close To You(カーペンターズ:1970)、⑪Sir Duke(スティーヴィー・ワンダー:1976) 、⑫春一番、⑬夏が来た!、⑭ハート泥棒、⑮その気にさせないで、⑯ダンシィング・ジャンピング・ラブ、⑰めざめ、⑱さよならのないカーニバル

 1976年⑫が初のトップ3ヒットとなり、アイドル人気も頂点を極めつつあった同年10月11日の蔵前国技館での公演を収録したセカンド・ライヴ・アルバム。  
 この時点では未発表曲だった⑯⑰⑱も収録されており、詰めかけたファンには最高のプレゼントになっただろう。(⑰のみ『CANDIES 1676DAYS』にスタジオ・ヴァージョン収録)
 ここでは前作以上にカヴァーの収録数を大幅にアップさせ、シンガーとしての自信にあふれたパフォーマンスが繰り広げられている。そんなカヴァー曲は、前作にも収録の①ではサビの歌詞を「Oh, the candies keep on burning」と歌い、③はシャウトも冴えわたりノリノリだ。そして⑥では、イントロにナレーションを入れ、プログレッシヴ・ロック風に仕上げている。またソフト・ロック仕立ての⑩は3人の持つ本来の甘いヴォーカルが魅力的だ。
 さらに彼女たちのお気に入りのパワー・ポップ⑦、ソウルフルなプレイが炸裂する⑪でもM.M.P.とのコンビネーションが冴え渡り、パフォーマーとしての魅力を存分にみせている。
 さらにライヴの魅力はヒット曲以外のオリジナルにも反映されており、センチなバラード⑰、サンバ・リズムの⑱など前作以上に聴きどころが多い。

<カヴァー収録曲について>
③Do You Love Me
 オリジナルはモータウンのコンチュアーズだが、数多くのカヴァーが存在するポップ・スタンダード。これを代表作とするのは英国バンドのトロメローズといえる。

⑥The House Of The Rising Sun
 邦題<朝日のあたる家>。ボブ・ディランがファースト・アルバム『Bob Dylan』に収録したトラッド。初ヒットはブリティッシュ・インヴェイジョンで大成功を収めたアニマルズで、1964年9月に全米1位(3週)を記録。1970年にはデトロイトのフリジド・ピンクが世界的にヒット(全米7位)させ、日本でも同様に26位(7.6万枚)のヒットとなった。なお、日本ではイギリスのグラム・ロック・バンド、ジョーディーの1974年発表のセカンド・アルバム『Don’t Be Fooled by the Name』から日本独自にシングル・カットされている。

⑦Never My Love
 邦題<かなわぬ恋>。オリジナル・ヒットはアメリカのソフト・ロック・グループ、アソシエイションで1967年に全米2位を記録。その後、1971年にはフィフス・ディメンションのライブ・ヴァージョンがヒット(12位)。さらに1974年には<ウガ・チャカ(Hooked on a Feeling)>(2014年のディズニー映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の挿入歌)を全米1位に送り込んだスウェーデンのブルー・スウェードによって再々ヒット(7位)。キャンディーズがカヴァーしたのはこのテイク。
 なおこの曲は初代ジャニーズがアソシエイションに先駆け、レコーディングしたが、諸事情により未発表のままオクラ入りした。この事実は元ジャニーズのあおい輝彦が1976年にリリースされた『あおい輝彦/オン・ステージ』のM.C.でコメントしている。 
 またこの経緯をもとに2013年10月にはミュージカル『ジャニーズ物語』が上演され、所属のアイドル・グループA.B.C.-Zが、この曲を歌いヒットさせた。
 この経緯についての詳細は2020年に「サンデー・ソングブック」でも特集されている。

⑩(They Long To Be)Close To You 
 邦題は<遥かなる影>。カーペンターズ初の大ヒット曲で1970年に全米位1位を記録した出世作。名ソングライター・チーム、バート・バカラックとハル・デヴィッドの作で、原曲をピアノ弾き語り調にアレンジしたリチャード・カーペンターのセンスが光る名曲

⑪Sir Duke
 邦題は<愛するデューク>。スティーヴィー・ワンダーが1976年9月に発表した、LP2枚と4曲入りEP1枚という組み合わせの大作『Song in the Key of Life』の収録曲。伝説的ジャズ・マン、デューク・エリントンへのトリビュート・ソングで、1977年にアルバムからの2枚目のシングルとして発表され全米1位に輝く。


『キャンディーズ・ファイナルカーニバル・プラス・ワン』
1978年5月21日 / CBS/SONY / <SRCL 3139> 
*オリコン 1位  10.6万枚
①Open Sesame(クール&ザ・ギャング:1977)、②Jupiter/(E.W.F.:1977)、③Do It(Use Your Mind)(スリー・ディグリーズ:1976)、④Play That Funky Music (ワイルド・チェリー:1976)、⑤Fantasy(E.W.F.:1977)、⑥Going In To Circle(スリー・ドッグ・ナイト:1972)、⑦ラン・ミキ・スー自己紹介M.C.~キャンディーズ、⑧恋のあやつり人形、⑨ハート泥棒、⑩キャンディーツイスト、⑪It’s Vain Try To Love You Again、⑫買い物ブギ、⑬アンティックドール、⑭午前零時の湘南道路、⑮Super Candies、⑯ハートのエースが出てこない、⑰その気にさせないで、⑱危い土曜日、⑲アン・ドゥ・トロワ、⑳わな、21.哀愁のシンフォニー、22.悲しきためいき、23.微笑みがえし、24.年下の男の子、25. 春一番、26.ダンシィング・ジャンピング・ラブ、27.つばさ
※アナログ3枚目はスタジオ盤のため割愛。

 テレビ放映もされた1978年4月4日後楽園球場で開催されたキャンディーズ解散公演『ファイナルカーニバル』を収録した3作目のライヴ・アルバム。
 ①から⑥までは、例えるならE.W.F.とエモーションズや、M.F.S.B. とスリー・ディグリーズを連想させるほどM.M.P.とのコンビネーションが冴えわたっている。
 オープニングの①はM.M.P.による単独演奏で、それはまるで後のスペクトラムのようだ。そして彼女たちが加わる②と⑤はオリジナルがファルセットということもあって、彼女たちの三声が演奏にぴったりはまっている。さらに③は彼女たちの憧れスリー・ディグリーズのナンバーとあって気の入れ方が半端なく、微笑ましい。
 そして注目したいのは⑥で、この曲の間奏ではキング・クリムゾンの<Epitaph>を挟むという粋な計らいを披露している。伝説のライヴでこのようなマニアックなセット・リストを聴かせているセンスに拍手を送りたい。余談になるが、当日にはこの曲を作りあげたといわれるイアン・マクドナルドが在籍していたフォリナーの初来日公演が、日本武道館で行われていた。
 このライヴでのハイライトはキャンディーズが衣装替えで再登場するアナログC面⑮以降だ。そこではヒット曲を「ソウル・トレイン」風にファンキーかつダンサブルに仕上げ、会場を興奮の坩堝(るつぼ)に巻き込んでいる。そんな怒涛のヒット・ソング連発の締めは彼女たちのライヴ名物ナンバー<26>。ここではフィンガー・ファイブ<学園天国>のフレーズを交えたコール・アンド・レスポンスでフィナーレを飾るべくファンも声を限りに声援を送り、会場の一体感が最高潮を迎えている。
 ただこのアルバムで唯一もったいないと思えたのは、テレビでは放映されていた「皆様のおかげで1位となった…」という<微笑み返し>始まりのM.C.が割愛されているところだ。それはこの解散イベントによって(実質的)ラスト・シングルとラスト・アルバムが、ファンの強力な押しもあって、国内1位を記録しているからだ。貴重な証言として収録するべきだったと思うのは私だけではないだろう。
 また余談になるが、このライヴ当日私は後楽園球場を見下ろす高台の知人宅にいた。そこから見る会場風景は、照明が煌々と輝く狼煙(のろし)のようで、歓声が地響きのようにその場でも体感できるほどだった。

<カヴァー収録曲について>
①Open Sesam
 邦題は<開けゴマ>。1969年に結成されたファンク・バンド、クール&ザ・ギャングが、1976年に発表した12枚目のアルバム・タイトル曲(全米110位)。彼等は第7作『Wild And Peaceful』(1973年:全米33位)でブレイクしたが、この曲はその翌年の大ヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンド・トラックに取り上げられヒット(全米55位)。

②Jupiter
 邦題<銀河の覇者>。1970年代を代表するソウル・グループ、E.W.F.の全盛期である1977年に発表された第9作『太陽神(All ‘N’ All)』に収録。<Fantasy(宇宙のファンタジー)>に続くセカンド・シングル(82位:1.1万枚)。

③Do It(Use Your Mind)
 ソウル・グループとして「夜のヒットスタジオ」に初出演し、日本で絶大な人気を誇ったスリー・ディグリーズの1976年に日本で独自ヒット(52位:6.5万枚)。4度目の来日記念盤として同年に発売された日本録音アルバム『A Toast Of Love(恋に乾杯/ドゥ・イット)』に収録。本国では1977年、フィラデルフィア・インターナショナルからの第5作(ライヴ含)『Standing Up for Love』に収録されている。

④Play That Funky Music 
 白人ファンク・バンド、ワイルド・チェリーが1976年に全米1位を記録したビッグ・ヒット。日本でもディスコを中心に話題(59位;4.9万枚)となっている。

⑤Fantasy
 邦題<宇宙のファンタジー>。E.W.F.が1978年に発表したフィリップ・ベイリーのファルセットが冴えわたる日本での最大ヒット(22位:17.4万枚)。第9作『太陽神(All ‘N’ All)』(1977)に収録。

⑥Going In Circles
 邦題<ある愛のすべて>。1970年代初頭に<喜びの世界(Joy To The World)>を始め数多くのヒットを放ち、一世を風靡したヴォーカル&インスト・バンド、スリー・ドッグ・ナイトが1972年に発表した第7作『Seven Separate Fools』(全米6位)の収録曲。彼らの曲が数多く挿入曲として採用された映画『ある愛のすべて』の主題歌にもなった。

※なお今回の内容はFM大津の「音楽の館~Music Note」3月号(3/27&28)でも特集が組まれているので、是非ご聴取いただきたい。

本放送:第四土曜日 3/27(土)16:00~18:30
再放送:第四日曜日 3/28(日)  8:00~10:30

【FMおおつ公式アプリ】https:fmplapla.com/fmotsu/

(鈴木英之)

2021年2月3日水曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(浅田美代子)

  通称「となりのミヨちゃん」こと浅田美代子は当時(今も?)都内でも屈指のお嬢様学校、東京女学館高等学校に在籍していたお嬢様のひとり。そんな彼女が芸能界入りするきっかけとなったのは芸能事務所からのスカウトだった。当然ながら身内は反対、更に芸能界入りを簡単に許諾する校風もなく、人気番組『時間ですよ!』の新人オーディションの結果で芸能界入りを認めることになった。そのオーディションへのに応募は25,000人に及ぶも、見事に栄冠を勝ち取り、シンデラ・ガールとして1973年芸能界デビューしている。

 そして同年、この番組内で挿入歌として彼女自身(天地真理も)歌っていた<赤い風船>で歌手デビューを果たす。ただ当時の彼女の歌唱力はNHKの歌番組に出演するためのオーディションを5回も落ちるほどだった。とはいえ、この曲を手がけたのは「歌い手ファースト」が信条のヒット・ソングのマエストロ筒美京平で、そんな彼女でも無難に歌いこなせるシンプルなものだった。
 そのデビュー曲は初登場2位、翌週には1位に駆け上がっている。その記録は1980年に近藤真彦が<スニーカーぶる~す>で初登場1位を記録するまで破られないほどのものだった(女性歌手の初登場1位は1990年内田有紀<TENCAを取ろう!~内田の野望>この曲も筒美作)。またセールス実績も50万枚に迫るほどで年間10位という華々しいもので、一躍トップ・アイドルの一人となった。


 そんな当時の彼女に人気は、デビュー年に冠番組『ひーふー美代ちゃん』(東京12チャンネル;現テレビ東京)をもつほど絶大なものだった。とはいえ、歌手“浅田美代子”としては相変わらずで、後に清水ミチコ等の歌モノマネ定番としてずっといじられることになる絶好のターゲットだった。

  にもかかわらず、1975年までにトップ10に2曲(<ひとりっ子甘えっ子>(10位、14.5万枚)、<しあわせの一番星>(7位、22.1万枚))を送り込んでおり、彼女を代表する上位三曲が全て筒美作品だったというのも最高のデビューが飾れた要因だろう。またトップ20ヒットも4曲あり、そのうちのひとつ1974年の<じゃあまたね>(12位;9.1万枚)楽曲提供者が1977年に結婚する吉田拓郎だったのはファンには恨めしい出来事だったはずだ。
 彼女はたくろうとの結婚を機に早々と引退の道を選び多くのファンを嘆かせたが、1983年には破局となり、それを機に芸能界に女優としてカム・バックしている。
 その後の彼女の役どころは映画作品では「釣りバカ日誌7」以降のみち子さん役等、2019年には故樹木希林初企画の作品となった『エリカ38』で45年ぶりの主演。またテレビでもNHK連続テレビ小説『花子とアン』など数多くの作品に出演し、幅広く活躍を続けている。 
 またいっぽうでは、明石家さんまのバラエティ番組などに、天然キャラとして欠くことのできない存在となっている。

  また彼女は歌手としてもカムバックしており、その第1作は1992年、嘉門達夫とのデュエット<デュエット替え唄メドレー>(28位:6.1万枚)で、バラエティ番組で見せていた天然キャラが引き立つ傑作ナンバーだった。



『第1回リサイタル・ライブ』 1974年12月10日 
CBS/SONY / Epic/ECLL-8  / オリコン 50位  0.4万枚 

<第一部 ミュージカル「美代子18歳・秋」>①オープニング、②しあわせの発見、③すれちがいの青春、④対立、⑤みんなは兄弟、⑥君は今、⑦18歳・秋、
<第二部 ヒット・パレード>⑧赤い風船、⑨私の宵待草、⑩恋は真珠いろ、⑪しあわせの一番星、⑫ひとりっ子甘えっ子、⑬虹の架け橋、⑭じゃあまたね、⑮春の坂道

 1974年9月15日、東京芝郵便貯金ホールでの模様を収録したもの。この時期はリリースされたシングルがすべてトップ20にランクされるほど絶大な人気を保っており、この会場でも熱狂的ファンの野太い歓声が飛び交い、いかにもトップ・アイドルのコンサートらしいものとなっている。
 アナログ片面がオリジナル・ミュージカルだった。当時はいずみたくのヒット・ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』が、南沙織とフォーリーブスによって再演(1973年)され話題になっており、そのタイミングもあって美代子も挑戦したのかも知れない。
 来場者にとってミュージカルの体験はまたとない絶好の機会だっただろうが、ファンにとってはオリジナル・ヒットを中心としたB面はがお目当てだったのはいうまでもないだろう。  


 
『美代子のページ』 1976年2月25日
CBS/SONY / Epic/ECLL-16  /  オリコン 圏外 

①Overture、②I Can't Give You Anything (スタイリスティックス:1975)、③Proud Mary(クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァル(以下C.C.R.):1969/ アイク&ティナ・ターナー:1971)、④Medley・赤とんぼ(Chorus; Time Five)/赤い風船/一番星みつけた/しあわせの一番星/叱られて/ひとりっ子甘えっ子、⑤この胸にこの愛に、⑥MAMMA、⑦Medley・ A. Top Of The World(カーペンターズ:1972/1973) / B. Jambalaya(On The Bayou)(ハンク・ウィリアムス:1952 / カーペンターズ:1973)/C.忘れていた朝(赤い鳥:1969)、⑧Medley・ A.  Early In The Morning(クリフ・リチャード:1969/ヴァニティ・フェア:1969) / B. Breakfast At Tiffany’s)(ヘンリー・マンシーニ:1961) / C. 虹の架け橋 / D.  Sugar Town(ナンシー・シナトラ:1967) / E. I Will What For You Top(ダニエル・リカーリ:1964)、⑨想い出のカフェテラス、⑩20才の出逢い 

 このセカンド・ライブは1975年12月7日東京芝郵便貯金ホールでのもの。ファースト・ライヴとは打って変わって洋楽カヴァーが多く収録されており、ジャケット裏面のスナップに見られるように、彼女のノリノリぶりが微笑ましい。
 まず、派手なオープニングに続く最新ヒット②は英語詞のまま歌っており、よほどのお気に入りだったように感じる。続くティナ・ターナー調の③は訳詞が美代子本人と、彼女の弾けた意気込みも伝わってくる。
 自身のヒット曲はさらりとメドレーにしてファン・サービス程度に止めているのは、「私だってこんなに歌えるのよ!」という自負の表れだろうか。 
 さてそんな自負をうかがわせるカヴァー曲について触れておくと、まず⑦のカーペンターズ・メドレーは無難な選曲だが、興味深いのは⑧のメドレーだ。まず<A>は日本での大ヒットを反映した選曲で岡田富貴子の訳詞がぴったりはまっている。続く<B>は女優気分のダイアログが良い雰囲気を醸し出している。続く<D>は彼女にお似合いの好選曲だ。そしてラストの<E>はなかにし礼の訳詞が可愛いだけではない大人びた美代子を演出している。バック・バンドのノリも好演奏で、会場の「ミヨちゃ~ん」コールに本人の気分もアゲアゲ。 
 なお、76年は新曲(⑩はこのアルバムのみ収録の未発表曲)のリリースもなく、これ以降は企画物しかリリースされていない。つまり、この作品が実質的にアイドル時代の浅田美代子ラスト・アルバムとなった。
 とはいえここでのパフォーマンスはそんな雰囲気は微塵も感じさせないほどエネルギッシュな内容で、コアなファンには最高のプレゼントになったはずだ。  

<カヴァー収録曲について> 
②I Can't Give You Anything  
 邦題:愛がすべて。1971年に<You're a Big Girl Now>でデビューしたスタイリスティックスの1975年発表第5作『Thank You Baby』収録の18枚目シングル。本国では51位に終わるも、全英では3週連続1位年間6位という大ヒット。ヴァン・マッコイによる<Love Is The Answer>をモチーフとしたき煌びやかでメロディアスなサウンドは、当時の日本のディスコで<ザッツ・ア・ウェイ/K.C.&ザ・サンシャイン・バンド>や<The Hastle/ヴァン・マッコイ>などと並びヘビロテ状態だった。結果日本での最大ヒット(20位、21.6万枚)になっている。

③Proud Mary 
 C.C.R.初のミリオン・ヒット(全米2位)で代表曲のひとつ、セカンド・アルバム『Bayou Country』(69年)に収録。なお、1971年にはアイク&ティナ・ターナーが大ブレイク作『Live At Carnegie Hall』よりシングル・カットされ、こちらもミリオン・ヒット(全米4位)を記録し、ティナを語る上で欠くことの出来ない曲となっている。 

⑦<A> Top Of The World 
 カーペンターズの4作『A Song For You』(1972)の収録曲で、日本では本国に先がけ独自にシングル・カットされ大ヒットした。米国では1973年リリースの初ベスト・アルバム『The Singles: 1969–1973』に、リアレンジされたヴァージョンが収録され、このテイクがシングル・カットされ彼らにとって2曲目の全米1位となった。 

⑦<B> Jambalaya(On The Bayou)
 カントリー界の大御所ハンク・ウィリアムスが1952年カントリー・チャート1位(全米20位)に送り込んだ名曲。後にニッティ・グリッティ・ダート・バンドが『All the Good Times』(1972)、1973年にはC.C.R.解散後にジョン・フォガティが発表した『The Blue Ridge Rangers』に収録され話題となった。日本やイギリスではカーペンターズ第5作『Now & Then』に収録されたカヴァーが独自にシングル・カットされ大ヒットとなっている。 

⑦<C>忘れていた朝 
 1971年7月に発表した赤い鳥の6枚目のシングル(26位、12.7万枚)で代表曲の一つ。 

⑧<A> Early In The Morning 
 邦題:しあわせの朝。1969年、クリフ・リチャードの来日記念盤として発売され、日本で大ヒット(4位、34.1万枚)。なおこの曲は<夜明けのヒッチハイク(Hictch’ Ride)>(全米5位)のヒットで知られるヴァニティ・フェアとの競作で、英米では彼らに軍配(全米12位)が上がった。なお、クリフにとっては日本での最大ヒットという経緯もあり、来日公演では必ず披露するお約束のナンバーだ。 

⑧<B> Breakfast At Tiffany’s 
 邦題:ティファニーで朝食を。『ローマの休日』(1953)でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、ビッグスターとなったオードリー・ヘップバーンの代表作に数えられる1961年発表のパラマウント映画主題歌。作者は『The Pink Punther』でも知られるヘンリー・マンシーニ。 

⑧<D> Sugar Town  
 邦題:シュガータウンは恋の町。“ザ・ヴォイス”フランク・シナトラの愛娘ナンシーが1966年に全米5位を記録した大ヒット。ちなみにこの年、ナンシーは<にくい貴方(These Boots Are Made For Walking)>、翌1967年には父とのデュエット<恋のひとこと(Somethin' Stupid)>を全米1位に送り込み、人気のピークを迎えている。 

⑧<E>I Will What For You Top 
 邦題:シェルブールの雨傘(原題『Les Parapluies de Cherbourg』)は1964年にジャック・ドゥミ監督によって制作されたフランス映画で、第17回カンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルム・ドール(Palme d'Or)を受賞。この主題歌はダニエル・リカーリが劇中で歌っているが、ナナ・ムスクーリ版も有名。日本では元トワ・エ・モア白鳥英美子のテイクがよく知られている。

(鈴木英之)

2021年1月5日火曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(岡崎友紀)

 岡崎友紀といえば1970年にスタートしたテレビ・ドラマ『奥さまは18歳』を連想される方が多いはずだ。それもそのはず、最高視聴率33%(平均25%)という大ブレイクで、日本の“ラブ・コメディ”の原点となった番組だった。その主演女優としてトップ・アイドルの座を不動のものにしていたのが彼女だ。このドラマで夫婦となった石立鉄男との「て・つ・や♡」「あ・す・か!」のやりとりが目に焼き付いている同世代も多いことだろう。この番組は絶大な人気を獲得し、映画化されそして「18歳シリーズ」として彼女の主演ドラマ・シリーズ化もされている。そんな彼女は、同時期に放映されていた“スポーツ根性ドラマ”『柔道一直線』のマドンナ役で清純派女優吉沢京子と並び、若手女優2トップとして君臨していた。

 なお彼女は歌手活動にも精力的に取り組んでおり、アイドル時代にはシングル22枚、LPは13枚(1枚はライヴ盤)をリリースしている。ライバルだった吉沢京子がシングル7枚、LP1枚だったことと比較すれば、その本気ぶりが伺えるはずだ。

 最大ヒットは筒美京平=橋本淳コンビの1972年<私は忘れない>(21位;18.1万枚)が挙げられる。このコンビからはテレビ・ドラマの主題歌<なんたって18歳!><ママはライバル>をはじめ人気作を提供されているが、注目は1976年19枚目のシングル<グッド・ラック・アンド・グッバイ>だろう。この曲は
後にユーミンが『14番目の月』に収録するナンバーだった。なおこの歌手活動では『奥さまは18歳』の役名だった「高木飛鳥」のペン・ネームで自身の持ち歌の作詞も手掛けていた。
 

 余談になるが、彼女は熱狂的なスヌーピー・マニアとして有名で、ぬいぐるみとのスナップが数多く紹介されている。
 その後、結婚を機に惜しまれながら引退したが、離婚をへて芸能活動を再開している。そして歌手としての復帰第一作が1980年にYUKI名義で発表した<ドゥー・ユー・リメンバー・ミー>(作:加藤和彦)だった。この脱アイドルを図った再デビュー作は大きな話題となり、彼女の代表作といえるほどヒットとなり、後にキタキマユがカヴァーをするほどの傑作になった。そしてこの勢いで、加藤和彦と清水信之と組んだ『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』を発表。


 さらに翌1981年には、前作に続き<ファースト・ブラッド>、そして新たに<センチメンタル・シティ・ロマンス>の協力を得た『So Many Friends』をリリースしている。このアルバムはシンガーとして十分に満足いく仕上がりだったものの、大きな話題にはいたらず、以降新作は発売されていない。
 多分この時期にもライヴを開催していたはずなのだが、残念ながらこの年には私自身は東京の生活から静岡に戻ってしまったので、聴くことは叶わなかった。  

 その後の彼女は1991年に劇団『NEWS』を結成し、若手俳優の指導育成にあたり、みずから脚本・演出・振り付けを手掛けた定期公演を開催している。同時に彼女自身もタレント・舞台女優として活動し、「岡崎友狸(ゆうり)」の雅号を持つ書道師範としても活躍。更に現在「エルザ自然保護会」副会長、「地球こどもクラブ」理事、「日本パンダ保護協会」評議員などの重役も担い、環境保護活動にも積極的に取り組んでいる。  


『ライヴ!岡崎友紀 マイ・コンサート』 
1975年3月5日 / 東芝 / TP-72032  国内チャート 71位  0.4万枚 

①心もよう(井上陽水:1973)、②恋のささやき(小坂恭子:1974)、③メドレー(白い船で行きたいな~黄色い船~私は忘れない)、④ワンマン・ミュージカル:アンナの旅、⑤悪夢(You Haven’t Done Nohing)(スティーヴィ・ワンダー:1974)、⑥土曜の朝には(Come Saturday Morning)(サンドパイパーズ:1969/1970)、⑦ザッツ・オールド・アメリカン・ドリーム(That Old American Dream)(ヘレン・レディ:1974)、⑧いろは、⑨歌のある限り(Keep On Singing)(ヘレン・レディ:1974)、⑩この世の果てまで(End Of The World)(スキーター・デイヴィス:1963) 

 彼女待望のライヴ・アルバムは1974年12月7日の模様を収録したものだ。アイドルとしての全盛期を過ぎた頃のライヴだが、旬の洋楽カヴァーにチャレンジするなど、シンガーとしての意欲は買える。
 このアルバムでの注目点は、当時、同じ「東芝」所属の気鋭のマルチ・プレーヤー、深町純がアレンジャーとして参加しているところだ。この時期の深町は『Introducing』『六喩(ろくゆ)』といった先進的なインスト・アルバムを発表しており、それゆえおおいに期待したものだが、残念ながらかかわったのは①~③のみだった。とはいえヒット・メドレー③が深町のアレンジで聴けるは価値があると思う。
 なお、洋楽カヴァーの訳詩は彼女自身(高木飛鳥名義)によるものだ。 その肝心の洋楽カヴァーだが、⑤はテンポこそ彼女に合っているが、シャウトするよりも、『奥様は18歳』の飛鳥役のようにどこかすねた感じで表現したほうが、よりフィットしていたように感じる。サントラ・ナンバー⑥は、いかにも女優を自負したような選曲だ。続く⑦⑨はヘレン・レディのレパートリーからで、⑦はファンク調に、⑨は原曲よりもややアップ・テンポに仕上げており、当時21歳の等身大の姿が反映された仕上がりになっている。  

参考1:カヴァー収録曲について 
①心もよう 
 日本初のミリオン・アルバムとなった井上陽水の1973年リリースのサード・アルバム『氷の世界』からのファースト・シングル。陽水自身初のトップ10(7位;42.3万枚)ヒットとなった。

②恋のささやき 
 <想い出まくら>の大ヒットで知られる小坂恭子の1974年5月デビュー曲。この曲は1974年第7回の「ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテスト」グランプリ曲。
 
⑤悪夢 
 原題<You Haven’t Done Nohing>。スティーヴィ・ワンダー1975年の「グラミー賞最優秀アルバム賞」受賞作で初全米1位作『ファースト・フィナーレ(Fulfillingness' First Finale)』からのファースト・シングルで自身4作目の全米1位曲。バック・コーラスを務めたのは当時、同じモータウンに所属していたジャクソン・ファイヴ。
 
⑥土曜の朝には
  原題<Come Saturday Morning>。A&M所属のソフト・コーラス・グループ、サンドパイパーズの<Guantanamera!>と並ぶ代表作。1969年に1度リリースされるも不発に終わるが、1969年秋公開の映画『くちづけ(The Sterile Cuckoo)』(ライザ・ミネリ主演)の挿入歌となり、1970年に全米17位(A.C.5位)を記録した。8作目のアルバム『Come Saturday Morning』(1970)収録。 

⑦ザッツ・オールド・アメリカン・ドリーム
  原題<That Old American Dream>。ヘレン・レディの5作目のアルバム『Love Song For Jeffrey』(1974年:全米11位)収録曲。ヒットメーカーのマイケル・ヘイゼルウッド=アルバート・ハモンドの共作曲。 

⑨歌のある限り  
 原題<Keep On Singing>。ヘレン・レディ第5作『Love Song For Jeffrey』からファースト・シングルで全米15位(A.C.1位)を記録した彼女の代表曲のひとつ。作者はモンキーズのヒット・ソングを数多く手がけたボビー・ハートと、ダニー・ジャンセン。

⑩この世の果てまで 
 原題<End Of The World>。オリジナルは1963年全米2位にランクされた人気カントリー歌手スキーター・デイヴィスの代表曲。この時期のカヴァーは、当時ロングセラーになっていたカーペンターズ『Now & Then』の収録を意識したのかもしれない。

(鈴木英之)