デビュー・シングル『ローマでチャオ/ヘンな女の子』と今年2月にリリースされた『素直な悪女 c/w ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~』(VSEP860 /現在廃盤)では、コロンビア人元プロボクサーの父親と日本人の母親の間に生まれたハイティーンのモデル兼女優、タレントのアンジーひよりを迎えて制作していた。この2枚はノスタルジックなキャビンアテンダントのコスチュームを着用した彼女のジャケット・フォト効果もあり、即ソールドアウトしてしまったという超人気盤だった。
そんな前作にも少し触れるが、「素直な悪女」は高浪と飯泉のオリジナル曲で、岡田によるホーン・アレンジにはフランスの巨匠ミッシェル・ルグランの「la pasionaria」(『Le Jazz Grand』収録/1979年)からの影響が強く、ルグランが作編曲した緻密で構造的なスコアを米東海岸のミュージシャンがプレイしたというヨーロピアン・ジャズの匂いがするクールでハードエッジなリズムを持つポップスだ。DJ諸兄はレコードバックに入れておくべき1曲だろう。
カップリングの「ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~」は、シンガーソングライターのカジヒデキがブリッジ解散後の1997年にソロでメジャー・デビューしたシングル曲で、渋谷系アーティストとして一般にもその名を知らしめたヒット曲である。セカンド・バースからサビに掛けての広範囲をXTCの「Mayor Of Simpleton」(『Oranges & Lemons』収録/1989年)からの影響を受けていた。ここでのカバー・ヴァージョンは、全編的にディスコ・ビートのダンス・ミュージックにモディファイされており、イントロにはBeckの「The New Pollution」(『Odelay』収録/1997年)のそれを引用していてマニア心をくすぐる。
Wink Music Service / Fantastic Girl - Der Computer Nr.3
2024/4/24 Release
カップリングの「Der Computer Nr.3」は、ユーロ・ガールポップの最高峰とされるフランス・ギャル(France Gall 本名:Isabelle Geneviève Marie Anne Gall)がドイツ語で歌った1968年作のカバーで、ドイツ人作詞家兼プロデューサーのGeorg Buschorと、彼とのコンビで多くのヒット曲を生み出した作曲家のChristian Bruhnのソングライティングによる曲だ。1968年7月4日にドイツのポピュラー・ミュージック・コンクール“Deutscher Schlager-Wettbewerb”で3位を獲得し、同国のポップス・チャートでも最高24位を記録した。歌詞のテーマはコンピューターによる恋人選びで、登録されたデータベースから相性が合う異性を的確に紹介するという点で、現在の婚活サイトの先祖だろう。
それはさておき、肝心のサウンドに触れよう。この曲は一聴すれば陽気なバブルガム・ポップスだが、イントロから重要なエレメントとなるリフで牽引する構造はR&Bがルーツである。ホーランド=ドジャー=ホーランドがモータウン専属だった時代(1961年~1967年)にこのパターンを発明したと言って過言ではないと思うが、彼らは古き良きスイング・ジャズやジャイヴ・ミュージックで演奏されたホーン・セクションのフレーズを、当時エレキギターやエレキベースにアダプトしてポピュラー・ミュージックのエレメントとして昇華させたのだ。弊サイト読者にはお馴染みのトニー・マコウレイが作曲した「Love Grows (Where My Rosemary Goes)」(Edison Lighthouse/1970年)から京平先生作曲の「男の子女の子」(郷ひろみ/1972年)、ニューウェイヴ時代にはXTCのコリン・モールディング作の「Life Begins at the Hop」(1979年)などもこの構造でアレンジされているのが理解出来る筈だ。
ここではオリジナルを踏襲しつつ、よりスムーズなシェイクのリズムを基調とし、肝心のリフはイントロでサリーのベースから奥田のエレキギターが受け継いでオクターブ・ユニオンでプレイしている。原“GEN”秀樹の巧みなドラミングも含め、YMOヴァージョンの「Tighten Up」(1980年/オリジナル:Archie Bell & the Drells/1968年)に通じる洒脱なダンス・ミュージックに仕上げられていて、一流のセンスを感じさせるのだ。このサウンドに高浪にサポートされたオーバンドルフのボーカルが乗ることで新鮮に聴けてしまう。またオリジナルではベルリン訛りが強い独人男性によるブレイクのコンピュータ・ヴォイスの台詞は、オーバンドルフと高浪が独語の呪文のように節をつけ、二人楽しく歌っているのがハートフルでいい感じだ。原曲の良さを継承し、オーバンドルフのキャラクターを活かしたチルドレン・ソフトロック風のガールポップにブラッシュアップされていて、ギャル・ファンの筆者も非常に嬉しいカバー・ヴァージョンである。
※筆者所有フランス・ギャル『Der Computer Nr.3』
オリジナル・ドイツ盤7インチ(Decca / D19935)
今回のWMSに限らず、サリー久保田がプロデュースした企画はその審美眼によるセンスを感じさせるものが多い。昨年12月リリースの”サリー久保田グループ feat. 平山みき”名義では伝説の一流女性歌手に、本作同様にフランス・ギャルの知る人ぞ知るアフロサンバのシングル曲「ZoZoi」(1970年 ※オリジナルでピアノ演奏しているのは後年エリス・レジーナの夫となり音楽面を支えたセザル・カマルゴ・マリアーノだ)や、The Velvet Underground の「I'm Waiting For The Man」(『The Velvet Underground & Nico』収録/1967年)を取り上げて歌唱させるなど、ボーカリストの資質を見抜き、意表を突く絶妙のカバー選曲で音楽通を唸らせてくれたのだ。オリジナルが世界的にヒットしてアドバンテージのある選曲とは一線を画す、彼のような審美眼に裏打ちされたカバー企画は極めて少ないので今後も期待したい。
海外での再評価を背景に現在も続くシティポップ・ブームにおいて、インドネシアで活動するAOR~シティポップ・バンドのイックバル(IKKUBARU)が、デビュー10周年を記念したサード・アルバム『DECADE』(CA VA? RECORDS / HAYABUSA LANDINGS / HYCA-8070)を4月20日にアナログLP盤でリリースする。
本作は“RECORD STORE DAY 2024”のアイテムであり、前アルバル『Chords & Melodies』からは実に4年振りとなる。 2021年08月の『Summer Love Story』、2022年12月の『Lagoon』の各7インチ、昨年7月の8cm CDの『The Man In The Mirror』といったシングルのタイトル曲も含め全10曲を収録している。
これまでの作品同様に全曲がフロントマンのムハンマド・イックバル(Muhammad Iqbal、以降ムハンマド)によるソングライティングで、プロデュースとミックスも彼自身が担当しており、マスタリングはマイクロスター佐藤清喜が担当し、上記で挙げたシングル同様である。そして南国感溢れるジャケット・イラストレーションにも触れるが、KADOKAWA発行の隔月刊漫画誌『青騎士』連載中で単行本化もされた「音盤紀行」が、音楽ファンの間でも知られる、漫画家の毛塚了一郎(けずか・りょういちろう)が本作でも担当している。今年1月に弊サイトで紹介した秘密のミーニーズの『Our new town』のジャケットでも、その緻密で印象に残るイラストレーションを描き下ろしていたので記憶に新しいと思う。
冒頭の「Horizon」とB面2曲目の「Out of Your Love」は、21年6月リリースの『Amusement Park・Expanded Edition』のディスク2に収録されていた既出曲で、尺が異なるので今回のアナログ用にミックスを変えていると思われる。前者はミッドテンポのシャッフルビートのドラムに、太いシンセベースからなるリズムトラックに、ギターのアルペジオが絡む軽快なポップスで、80年代中期のUKシンセポップにも通じるので懐かしむ読者もいるだろう。後者は左右チャンネルのギター・カッティングのイントロが耳に残り、やはりシンベによるグルーヴが曲を支えている。ムハンマドのボーカルに絡むRizkiのコーラスも効果的だ。
A面2曲目の「Sound of Rainfall」は、風通しのいいソウル経由ボサノバのリズムと情熱的な歌詞のコントラストが印象的なラヴソングで、女性シンガーのMirna Nurmalaがバッキング・ボーカルで参加して、ストーリーをうまく演出している。
続く「Catch The Love」はイントロから80年代初期の日本のカシオペアからの影響を一瞬感じさせるが、本編はソウルフルなムハンマドのボーカルをRizkiが高域のコーラスで引き立てた歌ものとして完成度が高い。またゲスト・パーカッショニストのRezki Delian Kautsarによるコンガや、クレジットはないがサックス・ソロ、ムハンマドにプレイと思われるシンセ・ソロなど演奏面でも聴き応えがある。
A面のラスト曲「Summer Love Story」はレビュー前文で紹介した通り、2021年8月に7インチで先行リリースされている。故ジェフ・ポーカロが70年代後半に編み出した”ポーカロ・シャッフル”に影響されたドラミングを持つヴァース、ジェイ・グレイドン風のRizkiによる間奏のギター・ソロなどから、アル・ジャロウの「Breakin' Away」(82年/同名アルバム収録)のオマージュというべき良質なサマーAORなので必聴だ。ゲスト・ミュージシャンとしてトランペットのWisnu Mawl、トロンボーンのAldy Nugraha Noor Maasirが参加している。
Ikkubaru - Summer Love Story (Official Music Video)
B面冒頭の「I Will Be」は、オールド・タイミーなローファイ・ピアノとプログラミングされた簡素なリズムトラックにアコースティック・ギターが絡む、スローなニュージャックスイング系リズムのナンバーで、ここでもソウルフルなムハンマドのボーカルと、それをバックアップするRizkiのコーラスのコンビネーションも良い。
「We Are The World」がリリースされたのは、1985年3月28日。アメリカの音楽界、そして多くのスーパースターが燦然と輝いていた時代だ。
私はこの「We Are The World」のシングル盤を持っている。このシングルが発売された頃は、ベストヒットUSAなどで盛んにMVが流れていた。大好きだったミュージシャンが何十人も一堂に会して、顔をつきあわせて歌っているその姿に目をみはり、かっこよくて、テレビで流れるたびに夢中になって見ていた。ちょうどその頃、兄がアメリカに出張に行くという話を聞き、
「買ってきて~!」と頼んだのだった。
Netflixで、「We Are The World」のドキュメンタリー映画『The Greatest Night in Pop』を見ていたら、シングル盤が発売され、レコードショップに並べられて、多くの人が手に取っている場面があった。兄もアメリカのどこかのレコードショップで、こんなふうに買ってくれたのだなぁと、その様子を想像して、ふふっと笑顔になった。
今日、久しぶりにシングル盤で聴いている。WebVANDAをご覧の皆さまにはこちらをどうぞ。
今回取り上げるドキュメンタリー映画『The Greatest Night in Pop』は、2024年1月19日、サンダンス映画祭の特別上映の一環としてワールドプレミアが行われ、同月29日からNetflixにて公開された。
……にしても、なぜ今、なのだろう。「We Are The World」のメイキングなら、発売された当時に制作され、ビデオになり全世界で発売された。
また、豪華スターが共演する「エイド」が盛んに行われるようになったきっかけは、1984年、イギリスのミュージシャンたちによる「Do They Know It’s Christmas?」であって、「We Are
The World」ではない。ここまで大きなプロジェクトでなくても、1985年のライブ・エイドのためにデヴィッド・ボウイとミック・ジャガーが発表した「Dancing In The Street」もあるし、米国エイズ研究財団のためのチャリティーシングルとして発売された、ディオンヌ・ワーウィック&フレンズによる「That's What Friends Are For」が発売されたのも1985年11月で、これらも大きな売り上げをあげている。
マイケルは楽器が弾けないため、ハミングでメロディをつくるのだという。その様子を見たライオネルは「神がかって見えた」と語るが、ふたりで知恵をしぼってもなかなか曲ができない。時間は過ぎていき、あのサビ部分「We are the world~ We are the children~」が生まれたのが1月18日で、全体の歌詞とメロディが完成して、クインシーに音源を送ったのは1月20日。スタジオで仮歌をレコーディングして(仮歌を歌ったのは、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー)、必要分のデモ・テープをつくり、依頼書、楽譜の発送が行われたのが1月24日だった。なんと、本番のレコーディングの4日前である。
「We Are The World」のMVを見ると、マイケル・ジャクソンが誰もいないスタジオでひとりでソロを歌っている場面がある。ダイアナ・ロスとのデュエット部分は、みんながいるスタジオで歌っているが、このひとりで歌っている場面はなんだろう?と不思議だった。ドキュメンタリーを見て、これは、AMAに出席していなかったマイケル・ジャクソンが、他の人より先にスタジオに入って歌った映像だということがわかった。マイケルはひとりで集中して、自分を歌にシンクロさせようとしていたのだという。
このとき、2カ所の歌詞が変わる。
1つは、「We are the world, we are the children.
We are the ones who make a brighter day~」のところ。はじめにマイケルが作詞したときの歌詞は「~who make a better day~」(より良い日に)だったが、メイキング映像でマイケルは、「より明るく(brighter)って歌っちゃったよ」と言っている。「ぼくは魂をこめて、歌ったよ」と。この部分は、このあと全員で合唱する際にも話題に上り、「brighter」への変更で決定した。
また、「It’s true we’ll make a better day, just
you and me」のところでは、「you and me」と歌うのが良いか、「You and I」と歌うのが良いか、どっちがいい?とクインシーにたずね、クインシーが、「you and me だな。より魂がこもる」と答える場面も。
この作品のなかではライオネル・リッチーは、「(家とは)自分にとっては、この部屋(「We Are The World」を録音したA&Mスタジオ)のことだ。この部屋は俺の家だ」と語っている。自分の原点の1つ、ということだと思う。音楽仲間と夢中になって成し遂げたプロジェクトは、ライオネルに大切な場所と仲間との絆という「家」を残したのだ。
それを考えたとき、『The Greatest Night in Pop』というドキュメンタリー映画には、ただ単に「We Are The World」の舞台裏に迫る、ポップスが最高に輝いた夜、あるいは、音楽のチカラという意味のほかにも、なにか大事なメッセージが隠されていたのではないだろうか。私はそれを「No War」への願いだと感じたが、それとはちがうメッセージを受け取る人もいると思うし、そうあるべきだと思う。いい作品だった。
ペンシルバニア州グレンウィラード生まれのルー・クリスティ(本名:Luigi Alfredo Giovanni Sacco/1943年2月19日生まれ)はハイスクール時代のヴォーカル・グループ、Lugee & The Lions(ルジー&ザ・ライオンズ)を経て、1961年にニューヨークに出てセッション・ボーカリストとして働きながらチャンスを掴むことになる。62年にクリスティとのソングライター・チームでその後もヒット曲を生み出すトワイラ・ハーバートとの共作オリジナル曲「The Gypsy Cried」(Roulette/R-4457)がそれであり、全米で100万枚以上を売り上げヒットとなった。この曲により4オクターブの音域を持つ歌声でスター・シンガー・ソングライターとなったのだ。
翌63年の「Two Faces Have I」(Roulette/R-4481)もヒットしたが、クリスティが兵役期間に入ったために一時的に低迷するが、除隊した65年にRouletteから大手のMGM Recordsに移籍し、ハーバートとの共作による「Lightnin' Strikes」(MGM/ K13412)を全米ナンバー・ワン・ヒットさせる。
この曲からアレンジャーとして参加したのが、フランキー・ヴァリ配するフォー・シーズンズの多くのシングル曲を手掛け、業界でもヒット・メーカーとして知られていたチャーリー・カレロである。翌66年の「Rhapsody in the Rain」(MGM/K13473)ではプロデュースもカレロが手掛け、フォー・シーズンズ・サウンドを踏襲する音像でヒットさせた。しかし同年の「Painter」(MGM/K13533)、ジャック・ニッチェがアレンジした「If My Car Could Only Talk」(「もし愛車が話せたら」タイトルが酷すぎる MGM/K13576)、再びカレロで「Since I Don't Have You」(MGM/ K13623)をリリースするも大きなヒットには繋がらなかった。
同年クリスティのマネージャーだったスタン・ポーリーはColumbia Recordsへの移籍を計画し(MGM経営陣と関係が良好ではなかったからと推測される)、67年2月16日に正式契約する。翌17日からカレロのプロデュースの下で新曲がレコーディングされた。ここからは「Shake Hands and Walk Away Cryin」など計4枚のシングルがリリースされたが、実際はその3倍以上の曲がレコーディングされていた。
では本作『Gypsy Bells - Columbia Recordings 1967』の主な収録曲を解説していこう。
冒頭は先に述べた4枚のシングル収録曲のオリジナル・モノ・ヴァージョンで、「Shake Hands and Walk Away Cryin / Escape」(Columbia/4-44062)、「Self Expression(The Kids on the Street Will Never Give In) / Back To The Days Of The Romans」(Columbia/4-44177)、「Gina(I Remember Gina に表記変更される) / Escape」(Columbia/4-44240)、「Don't Stop Me (Jump Off the Edge of Love) / Back To The Days Of The Romans」(Columbia/4-44338)である。
この時期のカレロが仕切ったセッションの常連ミュージシャン達で、その他のシングル収録曲や未発表曲でも同じメンバーが参加していると考えられる。Stan Freeは他の鍵盤もプレイしている可能性があり、編成によってはギターにCharlie MacyやVinnie Bellも参加しているだろう。因みにトランぺッターのPat Calelloはカレロの実父で、George Youngは後にカレロがプロデュースする山下達郎の『Circus Town』(76年)のNew York Side収録「Windy Lady」でのアルトサックス・ソロ、フランキー・ヴァリの「Native New Yorker」(『Lady Put The Light Out』収録 / 77年)でのテナーサックス・ソロ等多くの名演を残すことになるジャズ系の一流サックス奏者だ。
そしてこのレコーディング・メンバーの中でもドラマーのBuddy Saltzman(バディ・サルツマン)は、当時の東海岸のセッションにおいてファーストコール・ミュージシャンであり、フォー・シーズンズやヴァリのソロ、モンキーズをはじめ多くのヒット曲に参加し、弊サイト読者向けでは、Alzo & Udineの『C'mon And Join Us!』(68年)やMargo Guryanの『Take A Picture』(68年)にも全面的に参加しているので、そのプレイを耳にしているだろう。弊サイト管理人である筆者が選出した、Buddy Saltzmanのベストプレイをサブスクにしたので聴きながら本記事を読んでみるのも一興だろう。
「The Greatest Show On Earth」はLugee & The Lions のメンバーだったクリスティの姉Amy Sacco Pasquarelliと、Linda Jones Honey、Kay Vandervort Schwemmという3名の女性による前衛的なコーラスを配し、変拍子パートを持ったクセになるソフトサイケなノベルティ・ポップで、Saltzmanの巧みなドラミングも聴きものだ。
本作ではバカラック&デヴィッド作も取り上げられており、ディオンヌ・ワーウィックの64年のシングル「Reach Out For Me」のカップリングで、翌年彼女の4thアルバム『The Sensitive Sound Of Dionne Warwick』にも収録された「How Many Days Of Sadness」(「何日間の悲しみを」詩的で素晴らしいタイトル)だ。多くのバカラック・ソングによって埋もれていたこの曲を選曲した審美眼と、ダイヤの原石を磨き上げた荘厳美麗なオーケストレーションもカレロならではである。
「Holding On For Dear Love」は、コニー・フランシスの「Vacation」(62年)の作曲をはじめ60年代に多くの名曲を残したソングライターであるGary Knight(Temkin)と作詞家Francine Neimanの作品で、クリスティがレコーディングした翌年にピッツバーグ出身の無名バンド、The Music Combinationがシングル「Crystal」のカップリングで発表している。マイナー・キーのヴァースからメジャー・キーのサビに転回していくドラマティックなポップスで、ここでもSaltzmanらしき巧みなドラミングと、Amy、Linda、Kayのコーラス隊がクリスティのボーカルを盛り上げている。
未発表曲ラストの「I Need Someone (The Painter)」は、69年12月の2週に渡り全米ナンバー・ワン・ヒットしたSteamの「Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye」の作曲で知られるソングライターのPaul Lekaと作詞家のShelley Pinzによるソフトサイケ・ポップで、Vinnie Bellのプレイと思われるエレクトリック・シタールをフューチャーしている。
Lekaといえば、弊サイト読者にはThe Lemon Pipersの諸作やThe Peppermint Rainbowの『Will You Be Staying After Sunday』(69年)などのプロデュースやアレンジ、ソングライティングで知られたソフトロック紳士録に登録される巨匠だが、この曲はThe Lemon Pipersも翌68年にファースト・アルバム『Jungle Marmalade』(68年)で取り上げ、また無名のサイケ・プログレッシブロック・バンドThe Music Asylumも同年にシングルとしてリリースしている。やはりLeka がThe Lemon Pipers に提供し、68年2月に全米ナンバー・ワン・ヒットさせる「Green Tambourine」も同様だが、当時のアメリカ社会の空気に呼応したサウンドなのだろう。
本作後半には、シングル収録曲の内「Don't Stop Me (Jump Off The Edge Of Love)」を除く5曲のステレオ・ミックス・ヴァージョンが収録されている。この内「Shake Hands・・・」、「Self Expression・・・」、「Back To The Days・・・」の3曲は、1988年にRhino Recordsからリリースされたクリスティのベスト・コンピ・アルバム『EnLightnin'ment : The Best Of Lou Christie』収録時にステレオ・ミックスされたものだ。残りの「Escape」と「I Remember Gina」は本作のために、当時の8トラックのマルチテープ!から新たにステレオ・ミックスされたということだ。特に前者はalternate vocalヴァージョンなので、モノ・ヴァージョンのトラックとは異なり尺も5秒ほど長く、聴き比べるのも面白いだろう。
蛇足だが筆者は、Rhinoの『EnLightnin'ment・・・』で初めてクリスティの楽曲群に出会い、現在も大事に所有しているCDアルバムだ。一部の中古盤相場では高騰しているらしいが、本作 『Gypsy Bells - Columbia Recordings 1967』もプレス数が限られるようなので、筆者の解説を読んで興味を持ったら早期に入手し聴いて欲しい。
おかげさまで、WebVANDA読者の皆様にはお馴染みのことと思います2024年4月20日のRECORD STORE DAYに、RECORD STORE DAY JAPAN 2024アイテムとして、わたくしのファースト・アルバム『The Summing Up』が、去年11月発売のCDから一部内容を変更したvinyl editionとして発売されます。
シンガー・ソングライターとして36年目となる鈴木祥子(すずき しょうこ)が、自身が主宰するレーベルBEARFOREST RECORDS(ベアフォレスト・レコード)より発表した、アナログ・7インチシングルやCDシングル等から16曲を選出したコンピレーション・アルバム『16 ALL-TIME SYOKOS BEARFOREST SINGLES AND MORE...2009-20XX』(BEARFOREST RECORD / BECD-30/31)を3月8日にリリースする。
昨年12月のなんちゃらアイドルのカバー・アルバム『Sentimental Jukebox』へのスペシャル・ゲスト参加も弊サイト読者には記憶に新しい鈴木だが、2009年6月の『超・強気な女(I’ll Get What I Want)』(BEEP-001)から、2021年3月の『助けて!神様 ~ So Help Me,GOD!』(NRSP-795)までの現在入手困難な音源や初CD化された貴重音源が本作で一挙に聴けるのだ。また付録の8cm ボーナス・シングルでは、カップリングとして収録された洋楽カバーが4曲収録されており、彼女のファンにとってはメモリアルなアルバムとなった。
彼女のプロフィールにも触れよう。1988年9月にEPIC SONYよりシンガー・ソングライターメジャー・デビューし、現在までに13枚のオリジナル・アルバムを発表している。またデビュー前の86年からドラムやパーカッション、キーボード・プレイヤー、コーラスのセッション・ミュージシャンとして、原田真二、ビートニクス(高橋幸宏と鈴木慶一のユニット)から小泉今日子のツアー・メンバーとして活躍するなどマルチプレイヤーであるばかりか、ソングライターとしてもこれまでに、大ヒットした小泉今日子の「優しい雨」(1993年)をはじめ、松田聖子「We Are Love」(1990年)、PUFFY「きれいな涙が足りないよ」(『FEVER*FEVER』収録/1999年)等々メジャー・アイドル歌手への提供も多く、職業作家としても活躍している稀有な存在なのだ。
冒頭の「超・強気な女(I’ll Get What I Want)」は2009年リリースの7インチ・シングルで、スリーリズムのシンプルな編成でピアノとドラム(リズムボックス含め)が鈴木、ベースをCHAINSのラリー藤本がそれぞれ担当している。当時デビュー20周年を迎えた鈴木のドキュメンタリー映画『無言歌~romances sans paroles~』の主題歌で書き下ろされ、強気というか勝気な女性の一人称の歌詞が、50年代アメリカのリーバー&ストーラー作のコーラス・グループ風の曲調で歌われる。シングル盤ジャケットはトッドの『The Ever Popular Tortured Artist Effect(トッドのモダン・ポップ黄金狂時代)』(1982年)のオマージュだ。
続く「You take me,you make me」は同じ2011年の CDシングルで、一転してザ・バンド風のサウンドでピュアな歌詞を持つラヴ・バラードである。鈴木はドラムの他、ピアノ、ハモンドオルガン、ウーリッツァー、チェンバロまで演奏し、ホーン・セクションにはムーンライダーズのヴァイオリニストとして著名な武川雅寛、栗コーダーカルテットの川口義之と関島岳郎が参加し、川口は巧みなテナーサックス・ソロもプレイしている。なにより鈴木の表現力豊かでソウルフルなボーカルは圧巻で感動してしまう。
鈴木としては異色コラボであろう2021年の7インチ・シングル「助けて!神様 ~ So Help Me,GOD!」は、アイドル出身ながらエレクトロ・ポップ系シンガー・ソングライターとして注目されている加納エミリが、アレンジとサウンド・プロデューサーで参加している。加納は昨年5月にリリースされたFrancisのシングル『裁かるゝエミリ』でフューチャーされていて、本曲でも彼女が得意とするネオ80’sサウンドをバックに鈴木のキュートさを引き出している。
アコースティックピアノのみのバックで歌われる「北鎌倉駅」は、夏のひと時の記憶を切り取った短い歌詞を、10ccの「I'm Not in Love」(1975年)に通じる幻想的なマルチトラック・コーラスが演出する曲で、鈴木の繊細なピアノ演奏も含め聴くべき曲だろう。
8cm ボーナス・シングルにも触れておこう。いずれもこれまでのシングルにカップリング収録された洋楽カバー曲で、フィル・コリンズの「Against All Odds(見つめて欲しい)」(1984年)、エイジアの「Heat Of The Moment」(1982年)という、いずれも鈴木が青春時代に聴いていていたUKロックのヒット曲。またリンダ・ロンシュタットの『Heart Like a Wheel(悪いあなた)』(1974年)収録の「Heart Like A Wheel」、そしてSINDEE & FORESTONES名義で発表された、リーバー&ストーラー作でクリフ・リチャードがヒットさせた「Lucky Lips」(1957年)を収録している。いずれも現在CD音源で聴くのは困難な曲ばかりなのでこの機会に入手すべきだ。