2024年11月9日土曜日

Wink Music Service:『It Girls』


 サリー久保田と高浪慶太郎によるポップ・ユニット、Wink Music Service(ウインクミュージック・サービス/以降WMS)が、待望のファースト・アルバム『It Girls』(VIVID SOUND/ VSCD9741)を11月20日にリリースする。
 昨年のデビュー・シングル『ローマでチャオ/ヘンな女の子』(VSEP859)の発表後、今年に入って2月から隔月で7インチ・シングルを3枚リリースしており、その全てが即完売してしまったという。
 
  彼らWMSは、ネオGSムーブメントを牽引したザ・ファントムギフトでデビューし、近年ではSOLEILからザ・スクーターズなど数多くのバンドに参加するベーシストでプロデューサー、またデザイナーでもあるサリーが、ピチカート・ファイヴ解散後音楽プロデューサー兼作曲家として活動していた高浪に「極上のポップ・ミュージックを作ろう」と誘い結成されたユニットである。 このベテラン・クリエイター2人が、それぞれ培ってきたセンスと活動戦略によって、シングル毎にフォトジェニックな美少女ハーフ・モデルのアンジーひより、オーバンドルフ凜、そして現役アイドルの白鳥沙南をゲスト・ボーカルとして参加させて、大きな成果を残している稀な存在なのだ。


高浪慶太郎   サリー久保田

アンジーひより   オーバンドルフ凜    白鳥沙南

 今回CDアルバム制作に際し、7インチ・シングル4枚分8曲の既出曲にプラスして、サリー作のインスト曲と、高浪が1992年にクレモンティーヌの『アン・プリヴェ~東京の休暇』に提供した「マドモアゼル・エメ」のセルフカバーを収録している。またリマスタリングは今年6月にリリースされた、松尾清憲の『Young and Innocent』(名作!)のサウンド・プロデュースを務め、マスタリング・エンジニアとしても、目下売れっ子のmicrostarの佐藤清喜が担当し、CD化の音質向上も計られていて信頼度も高い。
 筆者がこれまでに弊サイトで紹介済みの『ローマでチャオ/ヘンな女の子』、『素直な悪女/ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~』、『Fantastic Girl/Der Computer Nr.3』は、当時の記事を読んで頂くとして、ここからは、フォース・シングル『ミツバチのささやき/ロマンス』収録曲と、新曲2曲について紹介していく。 

★『ローマでチャオ』(短冊CD盤)>レビューはこちら

『素直な悪女』+『Fantastic Girl』>レビューはこちら

 
  冒頭のタイトル曲「It Girls」は、前出の通り、サリー作の書き下ろしの新曲インストで、ボサノヴァのリズムにフルートと男女のスキャットがリードする。イタリア映画サウンドトラックの巨匠ピエロ・ピッチオーニの『I Giovani Tigre』(1968年)、イギリスのジャズ・ピアニスト、ロジャー・ウェッブがライブラリー・ミュージック・レーベルDe Wolfe Musicに残した『Vocal Patterns』(1970年)に通じる、愛らしく風通しの良いノベルティ・ミュージックだ。

 「マドモアゼル・エメ」は高浪の曲にクレモンティーヌ自身とエンジニアの青柳延幸が作詞をしていて、オリジナル・アレンジでは打ち込みのドラムトラックとシンセ・ベース、アコースティックギターのアルペジオによるリズムセクションに、ブルースハープとスライドギター、口笛が絡むという1992年当時でも斬新な編成だった。
 ここでのセルフカバーは、よりタイム感を緩くしてハース・マルティネスの「Altogether Alone」(『Hirth From Earth』収録/1975年)に近い変則ボサノヴァのリズムで高浪が歌唱する。ホールトーン・スケールのイントロやノベルティな男女コーラスをはじめ、キーボード類の音色やエフェクト処理により、ソフトサイケでマジカルな音像となった。その曲調からセルジュ・ゲンスブール・ミーツ・ハースというべき唯一無二なサウンドに仕上がっていて、筆者としても非常に好みである。

『ミツバチのささやき/ロマンス』

 フォース・シングルのタイトル曲「ミツバチのささやき」は、まずその題にヨーロッパ映画マニアは強く反応するだろう。名匠ビクトル・エリセの1973年監督作スペイン映画で、主演の少女アナを演じたアナ・トレント(Ana Torrent)による、5歳とは思えない存在感に圧倒される。日本では後の1985年に初公開後、拘りを持つ映画マニアに絶賛された、知る人ぞ知る作品なのだ。因みにアメリカのカルト・ロードムービー『Stranger Than Paradise』(1984年)、『Down by Law』(1986年)などで知られる、ジム・ジャームッシュ監督もフェイヴァリット映画に挙げており、アナに求婚したいとまで言わしめた映画と説明すれば、その素晴らしさを理解してくれるだろう。
 余談が長くなったが、この曲は高浪の作曲とWMSの準メンバーでmicrostarの飯泉裕子による作詞で、アレンジはWMSと岡田ユミが担当している。ゲスト・ボーカルにはアイドル・グループさくら学院(所属期間:2018年~2021年)出身で、2023年からはLIT MOONのメンバーとして活動している白鳥沙南を迎えている。
 小柄で愛らしいドール・フェイスを持つ白鳥のキャラクターを活かした歌詞と、ドリーミーな古き良きハリウッド・スタイルのコンボ編成アレンジは、弊サイトの主な読者であるソフトロック・ファンにもアピールするだろう。サリーのベースに、原"GEN"秀樹のドラムとノーナ・リーヴスの奥田健介のエレキギターのリズムセクションを基本として、アレンジャーの岡田がキーボード類と上物を被せたサウンドは、各自の巧みな演奏もさることながら、楽し気なこの曲の雰囲気をうまく演出して、プリティな声質の白鳥と高浪のデュエットを引き立てている。

 7インチでは「ミツバチ・・」のカップリング曲で、本作『It Girls』のラスト曲となるのは「ロマンス」のカバー曲で、オリジナルはトーレ・ヨハンソン(Tore Johansson)がアレンジとプロデュースを手掛けた、原田知世の1997年リリースの20thシングルだ。
 原田自身の作詞に、作曲はヨハンソンが手掛けたスウェーデンのバンド”Freewheel”のウルフ・トゥレッソン(Ulf Turesson)によるものだ。ヨハンソンはThe Cardigansを中心に1990年代中期に日本でも渋谷系の文脈で注目された、スウェーデン・ポップ・バンドを多く手掛けたことで音楽マニアにも広く知られていた。原田もこの曲が収録された『I Could Be Free』(1997年)と前年の『Clover』(1996年)の5曲、翌年の『Blue Orange』(1998年)の3作をスウェーデンのマルメにあるTambourine Studiosでレコーディングしている。原田のオリジナルでは、このTambourineサウンドを象徴する60年代~70年代前半のメロディ重視の良質なポップスに80年代ネオアコを内包させたような、アコースティックギターのカッティングが効いた、ホーン入りのエイトビートで演奏されている。
 ここでのカバーは、なんとスカでアレンジされて、オリジナルとはカラーの異なる風合いになった。日本最初のスカバンドとされるThe SKA FLAMES(1985年~)からトロンボーンの溝呂木圭、パーカッションにはジャズ・ドラマーとしても知られる井谷享志がゲスト参加しており、このスカ・サウンドに貢献している。サリーをはじめとするWMSのリズムセクションもフレキシブルに対応しているが、特に原のドラミングは白眉で、NORTHERN BRIGHTのメンバーとして活躍してきたプレイは聴きものだ。このように疾走感のあるスカ・サウンドでカバーされたことで、マイナー・キーの原曲は白鳥と高浪の歌唱により、更に切なく耳に残るのである。

 サリー久保田と高浪慶太郎による究極のポップ・ユニット、Wink Music Servicの全貌が、正式にアルバムとしてリリースされるので、筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。

(テキスト:ウチタカヒデ







2024年11月1日金曜日

shino kobayashi / small garden:『Mijn Nijntje(“私のナインチェ”)』


 今年2月に8年振りのアルバム『The Wind Carries Scents Of Flowers』(*blue-very label*/ blvd-043)を発表した、シンガー・ソングライターの小林しのが、同アルバムに2曲でアレンジャーとして参加したSmall Gardenの小園兼一郎とのタッグで7インチEP『Mijn Nijntje(“私のナインチェ”)』(blvd-051)を11月3日の「レコードの日」にリリースする。
 オランダ語のタイトルを持つ本作は、架空のサウンドトラックというコンセプトで『The Wind ・・・』でのコラボレーションの続編と言うべきサウンドに仕上がっている。アレンジと全演奏の他、ミックスとマスタリングも小園が担当し、アートワークはスリーヴ・デザインの岩渕あすかとジャケット・フォトのdavis k.clainという2人で、同じブルーベリー・レーベルからリリースされている、女性シンガー・ソングライターのツキトウミの諸作も手掛けている。

小林しの

Small Garden・小園兼一郎

 弊サイトでこれまでの作品を高評価していた両者のコラボは、小林のセカンド・アルバム『The Wind ・・・』収録の「5メートルの永遠」と「海の底で」でその成果を感じていたが、本作では更に深化して魅力的なサウンドに仕上がっているので、収録曲を解説していく。
 サイドA冒頭の「Garden's Gate」は、小園が作曲したスキャット入りボサノヴァ・インストルメンタルの小曲で、フルートを含め全ての演奏を小園が担当している。スキャットは二人によるもので、サウンド的には『ランプ幻想』(2008年)時のLampにも通じた独特の音像である。
 続くタイトル曲「私のナインチェ(Mijn Nijntje)」は、小林のソングライティングだが、小園のアレンジによりSmall Gardenの諸作に近く、引き算の美学で音数を整理し空間系エフェクターで処理されたサウンドは、小林のファンシーなボーカルをよく引き出して視覚的歌詞を浮かび上げている。柔らかい音色のシンセサイザーのフレーズやモジュレーション・ディレイの処理など、トーマス・ドルビーが手掛けていた頃のプリファブ・スプラウトを彷彿とさせて、好きにならずにいられない。

 
短編映画サントラ"Mijn Nijntje ~ 私のナインチェ" trailer (blvd-051) 

 サイドBの冒頭「A Tsui A-KI」(暑い秋?)は小園作のインスト小曲で、ソプラノ・サックスがリードを取り、フルートのアンサンブルにピアノとヴィブラフォン、パーカッションによる編成で演奏される。マルチ・プレイヤーである小園の才能がここでも発揮されている。
 続く「summer in blue jelly」は小林のソングライティングで、本作収録の歌物の一曲で、彼女の作風を活かすべく、ベースとドラムのリズム隊にエレキギターが入るギター・ポップ風ながら、他の楽器を加えて全体的な音像をSmall Garden印に持って行くのが小園らしさだろう。 休符を活かした表情豊かなニュアンスのソプラノ・サックスのソロ、エレキのカッティングのトリートメント、ウィンドチャイムやチャフチャスといったパーカッションまで使用しており、繊細なミックスも非常に素晴らしい。
 ラストの「Garden's Gate part 2」は、小園作のスキャット入りインストルメンタル小曲で、小林作の「Garden's Gate」の変奏曲ではない同名異曲だ。こちらはアコースティック・ピアノとエレピ、アコースティックギターだけのシンプルな演奏に、小林の一人多重スキャットが乗るミニマル・ミュージックで、後ろ髪を引かれるノスタルジーを感じさせる。
 
 全体的に小園のサウンド・プロダクションに信頼を置いている姿が、”shino kobayashi in Small Garden”といったファンタジー・ワールドを観ているようで、『The Wind ・・・』リリース時の小林へのインタビューで語っていた小園へのシンパシーを改めて感じさせた。

「小園さんの作品の優しい太陽の日差しのようなオーガニックな音作りや、反対に深夜のよ うな暗さがあるところも好きでした。 小園さんの携わる音楽の、緻密だけれど自然体で、計算されているような、されていないような、華やかなのに派手ではない不自然ではないところが好きでした。」

 数量限定の7インチEPなので、筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは、リリース元レーベルのオンラインショップで予約して確実に入手しよう。

*blue-very label*オンラインショップ:


【小林しの出演イベント:11月のフィリアパーティー
〜Harmony hatch 25th anniversary〜


11月恒例のレーベルイベントです。
小林しのはファーストキャリアのバンドHarmony hatchセット。
Abebeによるユニットarchaic smileは、初期メンバーで現在は作詞家として
活動する磯谷佳江を迎えた貴重な編成。
また名古屋からthe vegetablets、山口からshinowaが東京に集結。
DJはtarai、そしてブルーベリーレーベルの出店、物販も充実です。

2024/11/17(日)
mona records
11:30 OPEN 
12:00 START
出演 :
archaic smile
(Abebe with Yoshie Isogai)
the vegetablets
shinowa
小林しの(Harmony hatch set)
DJ : tarai(hdht!)
Store : blue-very label
前売¥3000+1drink
当日¥3500+1drink

もしくは各出演者まで 。


(テキスト:ウチタカヒデ


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2024年10月20日日曜日

音楽と脳 ③ 最終話 「うた」が先か、「ことば」が先か



今年4月6日、有明の東京ガーデンシアターで開催されたジェイムス・テイラーのコンサートでのこと。コンサートが終わり、「あぁ、よかったなぁ。幸せな時間だったー」と思いながら係員の誘導にしたがって、会場の外に出るべく歩いているとき、まわりにいる大勢の人たちを眺めていて、不思議な気持ちになった。

「あぁ、この人たちと、同じ時代に、同じ音楽を聴いてきたんだ…」

あの日、同じ空間で、同じミュージシャンの歌を聴いたというだけの、まったく知らない人たちなのに、みんな仲間のような気がして、ほんのり安心するような、そんな気持ちになった。親近感。一体感。この感情の正体は、いったいなんだろう。

 

……なんていうことを、ふと思い出し、もしかしたら、トミーとポール(「音楽と脳」①で紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり)も同じだったんじゃないかな、と考えてみた。 認知症の症状が悪化していくなか、なにかの機会でふたりは出会い、ビートルズの歌を聴き、一緒に歌ったりする経験を重ねるうちに、認知症の症状が改善していく。その背景には、①と②で書いた脳の記憶の領域や仕組みという構造的なことに加え、一体感といった感情、人間としての本質的な、なにか本能的なものが働いていたのではないか。

 

そんなことも考えながら、さらにリサーチをすすめていくことにした。

現生人類ホモ・サピエンスは、人類の歴史のなかで、そして霊長類のなかでも、唯一、「言葉」をもつこと。

脳のなかで「言葉」と「音楽」を認知する領域はとてもよく似ていることが意味するものは?

「音楽」と言ってしまうと、現在の、楽器をつかった演奏や楽曲を思い浮かべてしまうけれど、太古の昔は、声? リズム? 「うた」のようなものから始まったんじゃないか……などなど。



「みんなで歌うこと」が生活の中心にある民族の存在

 

と、ここで、今年5月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「フロンティア」~「ヒトはなぜ歌うのか」の内容に戻ってみる。番組では、上記アルツハイマー型認知症患者のトミーとポールの症例のほかに、「音楽が言語よりも大事な意味を持つ」という文化をもつ「バカ族」が取り上げられている。

一説によると、「バ」は「人」、「カ」は「葉っぱ」で、バカ族とは「森の民」という意味だとか。アフリカ中部のカメルーンや中央アフリカ、コンゴ共和国などの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民族で、暮らしのなかで頻繁に歌をうたう「音楽の民」としても知られる。

また、バカ族は、1020万年前のDNA(または遺伝的特徴)を色濃く残しているとされ、言語や暮らしなど人類に関するさまざまな分野の研究者から注目されている民族でもある。

番組では、京都大学の特任研究員、矢野原佑史さん(音楽人類学)が、バカ族の暮らしぶりを取材し、歌を録音するなどして情報を集め、その歌を、沖縄県立芸術大学の講師、古謝麻耶子さん(民族音楽学)が分析して、「音楽が言語よりも大事」という文化の意味を探っている。

 

 

バカ族の「うた」は共同体の生き方そのもの

 

バカ族で主に歌うのは女性たちだ。なにかのタイミングで、年長の女性が手拍子を始め、まずはひとりで歌いだす。すると、ほかの女性たちが次々と歌に加わっていく。

「みんなで歌うこと」を「ベ()」といい、祖先から歌い継がれてきたもので、ひとりきりで歌うことはないそうだ。みんなで歌う。でも、現代の音楽、たとえばポップスのように主旋律をユニゾンで歌うわけでも、コーラス的にハモるわけでもない。みんな、別々の旋律を歌っている印象。それなのに、絶妙に重なり合って、踊り出したくなるようなグルーブ感も生まれてくる。

 

一日のなかで、何度も、歌の時間があり、みんなが声をあわせて歌う。でもふいに歌は終わる。

「彼らの音楽はいつも最高潮に達するちょっと手前で止めて、また日常の時間が流れていく(「鍋、かけっぱなしだった」とか、「バナナでも取りにいこう」とか)。そしてまた誰かが手を叩きはじめると、また音楽の時間がはじまる。その繰り返しで、ちょっとずつ音楽的時間が増えていって、徐々に熟成して、コミュニティの音楽をみんなでつくっていく感じ」(矢野原さん)

 

男たちが狩りに行くときには、村に残る女性たちが「イエリ」という歌を歌う。生きていくために必要な獲物が手に入るように、森の神や動物の心に訴えかけるという意味があるそうだ。また、夜になると、長老的立場の人が中心となって、「リカノ」という歌を歌う。これは、民話、昔話のようなもので、「相手のことを疑うな」「お互いを思うときは歌を歌え」など、森の民としての生き方を歌で教わるのだという。そのほか、暮らしのなかのさまざまな場面で歌う歌があり、生まれてきた子どもは、赤ちゃんの頃からその歌を聴く。そのうち、一緒に歌うようになる。

 

「ヒトはなぜ歌うのか」の公式サイトに、バカ族の女性たちが歌う様子の短い動画が出ている。それを見ると、各人が、自由に、自分が歌いたい旋律を歌っているかのようで、全体にバランスがとれていることがわかる。それは、幼いころから積み上げてきた「歌う」ことの経験によるものだろう。

分析をした古謝さんによると、「この人が、ほかのメロディにいった。このメロディがなくなったから、自分はそれを歌おう、みたいなことが、聴いているとわかるんですね。この人が、このメロディをやめてほかのメロディにいった瞬間、別の人がそこを埋めるように入ってきたりする」とのこと。

どんどん流れていく「歌」のなかで、それができるのは、一緒に歌う仲間の存在を意識して、その歌声や旋律、リズムをよく聴いているからだ。よく聴いて、寄り添ったり、サポートしたり、代わりを務めたりしている。それはまるで、支え合い暮らしていく共同体の生き方そのもののように思える。

熱帯雨林という過酷な環境のなか、家族の命を守り、食料を得、楽しく生き、命をつないでいくためには、「集団のきずな」が必要不可欠だ。そのためには、一緒に声を合わせること、歌を歌うことでの一体感。助け合える、みんなで生きていくのだという意識を高めるのに、歌が最適だったということか。

 

……というかたくるしい説明もありつつ、でも何より、歌っているバカ族の人びとが楽しそうなのが、いい。楽しそうで、一体感がある感じ。これが一番大切なのかもと感じる。

また、女性たちの手拍子は2拍子、男性がたたく打楽器は3拍子で、ポリリズムと呼ばれる独特なリズム感が生まれていて、思わず、リズムととったり、踊り出したくなるグルーブ感。脳科学的には、次に書くように、「報酬系が喜んでいる」になってしまうのだけど^^;

 

 

ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」 


「ヒトななぜ歌うのか」の番組のなかで、ノースイースタン大学で音楽と脳の関係を研究するサイキ・ルイ博士がこんなことを言っている。

「他人と一緒に歌ったり、体を動かすことは同じ体験の共有。〝助け合える〟サインだといっていい。社会的動物であるヒトにとって、報酬を感じる行動です。(脳の)報酬系は食欲など生存上不可欠なもので活性化します。報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽がヒトの生存に不可欠だということになります」

「ヒトにとって社会的につながることはとても重要。協力すれば多くの仕事ができる、食料も分け合える。ヒトが音楽を手にしたのは進化上の『適応』だったと思います」

 

つまり、本能的、ヒトの本質的な部分に「音楽」があるということだ。

進化上の適応。

というか、言い方を変えると、音楽や言語、そして道具などを生み出す脳の構造を持っていた、そういう進化上の適応があったからこそ、約30万年前に出現したホモ・サピエンス、私たち人間は2024年の現在も生き続けていられる、ということだと思う。(*なぜ突然、「道具」が出てきたかについては、あとで少し触れますね)

 

 

「うたのようなもの」が、「言葉」と「音楽」に分かれて進化した

 

音楽や言葉については、その起源を探るのがとても難しいそうだ。道具や壁画などと違って、化石や遺跡として残っていないからだ。

しかし、古代ギリシャの時代から、学者たちは、天文学や医学と同じように、音楽についても論じてきた。また、18世紀から19世紀にかけては、ルソーやダーウィンが、言語の「音楽起源論」を発表するなど、言語の発生についての議論が繰り返しあった。しかし、言語神授論(言語は神が授けてくれたもの)を批判する研究者がいて問題になるなど、当て推量でものを言うな!的な風潮が高まり、ついにはパリ言語学会が「言語の起源と進化に関する論文を受けつけない」と決定して研究は滞り、再び研究や議論がなされるようになったのは、20世紀半ば頃だという。

その後、遅れを取り戻すかのように研究が盛んに行われ、いまでも議論は続いている。どの理論もいまだ「仮説」の域を出ないそうだが、今回参考にした資料をみると、現在は「音楽起源説」が主流らしい。

なかでも、私にでもわかりやすくて、納得感のある考察をしていたのが、岡ノ谷一夫(帝京大学先端総合研究機構教授/理化学研究所研究員など)の研究だった。岡ノ谷先生の書籍や論文を引用して、解説している参考資料やサイトがいくつもあった。これらをまとめて、きちんと説明しようとすると、本1冊分にもなりそうなので、あまり専門的になりすぎないよう、その一部を簡単にまとめてみようと思う。

 

◎まず考え方として、生物学的探求のアプローチとして「前適応説」というものがある。たとえば、鳥の羽毛は保温のためにできたものだが、やがて飛ぶ機能に発展した。これと同じように、言語とは直接関係のない、ほかの機能のために進化してきた機能がいくつか組み合わさって適応し、「言語」を獲得した、と考える方法。

 

◎音楽起源説の「前適応」

人間の赤ちゃんはとても大きな声で泣く。こんな目立つ行為は他の動物では考えられないこと。どうしてそうなったのか……。

人間の祖先が火や石器、道具を使うことを覚え、集団生活を営むようになると、野生生物などに襲われる危険性が減った→赤ちゃんが大きな声で泣いても生命が脅かされることが減った→大きな声で泣いて意思表示をし、親に世話をやいてもらうほうが生存には有利→大声で、いろいろな泣き声を出すためには、呼吸を自由にコントロールする機能が必要→この「呼吸を自由にコントロールできる機能」は、どんな動物にもあるわけではなく、これを得たことで、ヒトに発声学習の機能が備わった→これが、ホモ・サピエンスが言葉を得るための大事な「前適応」になった、とする考えがある。

 

◎「言葉」は「うたのようなもの」から始まった

親と子、家族、仲間たちとのコミュニケーション。はじめは、「あ」「う」「わ」など意味のない「音」を組み合わせて、そこに抑揚(メロディ的な…)や、声の強弱などがついた「うたのようなもの」で始まったと考えられる。そのほうが相手の意識を引きつけるのに便利だったのだろう。それが、何世代、何十世代と繰り返されていくうちに次第に、「狩りに行こう」「そこに危険な動物がいる。逃げよう」などの状況に合わせた「決まった歌詞(文章)のようなもの」ができていき、同時に文節もでき、状況に合わせた「音」の組み合わせができて、「狩り」「逃げる」といった「単語・言葉」ができていったのではないか。

 

◎そうした「うたのようなもの」は、その後、「言葉」と「うた・音楽」に分化して、それぞれ、脳の機能と共に進化していった。だから、世界のどこに行っても、「言葉」と「うた・音楽」がある。

 

◎脳の機能が共進化することで、食料を得ること、配偶者の競争(いい声で情熱的な「うた」を歌える男性のほうがモテた!とか……^^)、親子・家族関係、集団行動なども進化していき、それが、新たな道具の発明や、住む地域の移動……という具合に人類の生活も大きく変わっていったのではないか。

 

◎人間特有の能力としては、「ことば」「うた(音楽)」、そしてもう1つ、「道具」がある。これらに関わる脳の領域や機能は、それぞれ独立して動く領域もあるが、同時に、多くの領域で機能的な重なりがあり、相互作用を行えることを意味する。

また、この3つの能力の進化をみると、短時間に急速に多様化、複雑化しているという。たとえば道具は300万年くらい前に登場したが、5万年前くらいまではほとんど変革はなかった。しかし、私たち人間の祖先が「ことば」を得るとたちまち急速な進化が始まったとされる。

言葉も音楽も、道具もどんどん進化し、新しいものができていく。それらは現在進行形でもある。

 

◎ちなみに、現在までに発見されている最古の楽器は骨製のフルート。ドイツ南部の遺跡で見つかったもので、4万年前のものと判定されている。このことを掲載したナショナルジオグラフィックの記事では、同じヨーロッパに分布していたネアンデルタール人が絶滅した理由のひとつには「音楽」があるかもしれない、と書かれている……のだが、今回、参考にした資料を読む限り、ネアンデルタール人もうたを歌っていたようだ。言葉は獲得していなかったようなので、そのあたりも含む複合的な要因があったのかもしれない。


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簡単に書こうと思ったのに、だいぶ長くなってしまった……。

 

でも考えてみると、バカ族とはまったく違う形だけれど、現代を生きる私たちの生活には、さまざまなジャンルの音楽のほかにも、「歌」「音楽」があふれている。

幼い頃には手遊び歌でよく遊んだ。童謡もよく歌った。

校歌。自分が生徒だったころは、何かというと歌わされて、少々面倒だったけれど、卒業して何十年もたつと、それは懐かしい。

仕事歌(作業歌とも)は、民謡の一種で、田植えや漁、酒造りなど大人数で作業をするようなときに歌われてきた。こういうのは、作業のテンポなどもありつつ、一緒に作業をする仲間同士の一体感を生むのにも役立っていると思う。

なぜかテレビやラジオの番組にはニュースでもドラマでもアニメでもスポーツ番組でも、必ず音楽がついている。オープニング曲、エンディング曲。映画もそうか。CMも。

物売り(いまではだいぶ減ってしまったが……)の声もメロディがついているものが多い。そろそろ走り始めるかな、焼きいも屋さん。何年か前までは、都内でも「さおだけ屋さん」の車も走っていたよね。「たけや~、さおだけ~」。灯油屋さんは人の声ではなくて、オルゴールのような音で、「雪」や「たき火」のような冬にちなんだ音楽を流すことが多い。

鉄道でも、いつの頃からか、ジリジリジリと急かすような発車ベルから、メロディに変わっていった。急に増えたのは1980年代のようだ。いまでは、ご当地発車メロディなんていうものもあって、遠出したり旅行先でそれを聴くと、とても楽しい。

 

きりがないので、このへんでやめておこう^^;

 

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ヒトはなぜ歌うのだろう。

音楽はどうしてこんなに人の心に響き、そして、そばにいてくれるんだろう。

どうして音楽は必要なんだろう。

そんなことを知りたくて書き始めた「音楽と脳」。言葉よりも先に音楽(うた)があったらしいこと、趣味や文化である以前に、人間の本質的、本能的なものだとわかって、それはとてもよかったな。1回の原稿量が多くなってしまったけれど、楽しく読んでいただけただろうか。もしそうだったら、うれしいです。

3カ月にわたって読んでいただき、ありがとうございました。


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●参考文献

『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫著 文藝春秋 2010

『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022

『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著 小野健太郎監訳 徳永美恵訳 ニュートンプレス 2022

『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021

NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送

「総合人間学」第8号 2014年9月 うたとことばからヒトの進化を考える  下地秀樹

「音楽知覚認知研究」Vol.22, No.1, 11-31,(2016) 音楽と言語の比較研究  星野悦子、宮澤史穂

「JT生命誌研究館」公式サイトから「進化研究を覗く  音楽と言語」西川伸一  2017



大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。

2024年10月12日土曜日

音楽生成AIを試す:UDIOの力を体感してみた

   
 ドラマ『Shogun』がエミー賞を史上最多18部門受賞の栄誉に輝いた。原作小説では、17世紀の日本を舞台に異文化の出会いや権力闘争を描いた作品であったが、リメイク版では、日本人キャラクターの視点を強調し、徹底した時代考証によって日本文化を忠実に再現。特に衣装、建築、言語の表現が高く評価された。外国人視点からだけでなく、現地の人々の視点からも描かれたことで、文化的な複雑さと奥行きが生まれ、物語の深みが増したことが受賞の要因となったという。

 確かに今回のドラマ『Shogun』のリメイクは、前作と異なり、外国人視点に加え、日本人キャラクターである虎永や鞠子の視点からも当時の日本社会や文化が描かれている点は特徴的だ。前作では、英国人航海士の視点を通じて日本が「不思議で野蛮な国」として表現されていたが、今回は日本人視点を取り入れることで、より多層的でバランスの取れた描写が実現されている。関ヶ原の戦いは国内政治情勢のみでなく、海外の宗教勢力や貿易・経済問題をも包摂した副次元の政治空間であったのだ。
 前作では、日本の封建制度や武士道の厳格さが強調され、外国人視点での「異様さ」や「野蛮さ」が際立っていたが、今回のリメイクでは徹底した時代考証が行われ、日本文化や歴史に対する深い理解が反映された内容が高評価を得ている。特に、日本側の視点で社会や価値観が丁寧に描かれており、異文化間の相互理解や交流がテーマとして浮かび上がっている。衣装や建築、言語の使い方など、時代考証に基づいた細部の再現も非常に精密で、原作ドラマを換骨奪胎した結果、視聴者は日本の歴史に深く没入できる内容となっている。
1975年に原作小説『Shogun』は刊行された。日本人から見れば異国趣味や東洋文化の西洋に対する劣後を強調する内容となっている。奇しくも1970年代後半に米国の批評家Edward Wadie Saidによる『Orientalism』が刊行された。同書では西洋が東洋をどのように認識し、表象し、支配してきたかを批判的に分析している。Saidは、東洋が西洋の視点から異質でエキゾチックなものとして描かれ、それが帝国主義や植民地主義の正当化に使われたと指摘する。彼の理論は、東西の文化的な力関係やステレオタイプの問題に焦点を当てている。
そしてSaidとほぼ同時期、YMOは1970年代後半から1980年代にかけて、彼らのサウンドは世界に広まり活動を国外で展開した。YMOは、電子音楽やテクノロジーを駆使して、日本文化を積極的に取り入れながらも、世界市場を意識したサウンドを作り出した。彼らの音楽には、しばしば日本やアジアをテーマにしたエキゾチックな要素が見られるが、これらは自己表現でありながらも、西洋の視点を意識した戦略的な演出として機能している。
 両者の同時代性としては、Saidが指摘するような「東洋の表象」という問題がYMOの音楽にも反映されている点が挙げられる。YMOは日本という「東洋」の文化的アイデンティティを持ちながらも、それを西洋に「エキゾチック」として消費させることに成功した。この意味で、YMOの世界戦略はSaidの批判した「オリエンタリズム」の構造を逆手に取りつつ、それを再解釈し、世界に向けた音楽的・文化的な表現として展開したと考えられ、真田版『Shogun』の先達といえよう。
 一説によれば、原作小説『Shogun』が米国でベストセラーとなり、空港の書店で山積みになっていたその光景を目にした日本人スタッフの記憶が、バンド「SHŌGUN」の命名に影響を与えたという。このエピソードには、当時の米国における「日本趣味」とも言える現象が色濃く反映されている。小説『Shogun』は、米国人の日本に対する神秘的な憧れを強く刺激した。


1979年、SHŌGUNは米国の人気音楽番組『American Bandstand』に出演し、注目を集める。同じ回には、米国を代表するバンドであるThe Beach Boysも登場。「Lady Linda」を披露し、さらには異国趣味全開の「Sumahama」も演奏した。「Sumahama」は日本の風景や文化への憧れをテーマにした楽曲で、歌詞には日本を幻想的に描く表現が多く盛り込まれている。しかし、その背景には、日本を異国情緒豊かな背景として消費する米国的な視点も垣間見える。
こうして「日本」をステージに引き込んだ二組のパフォーマンスは、文化の相互理解を深める場であったと同時に、日本をエキゾチックに見せる一種の舞台装置としての役割も果たしていたのかもしれない。 
   
 近年、生成AIは大きな変革をもたらし、特に、ディープラーニングやニューラルネットワークを用いたモデルの進化により、AIは音楽の分野においても単純なメロディ生成を超え、複雑な音楽作品を作り出す能力を獲得している。初期段階で、AIは大量の音楽データセットを学習し、特定のスタイルやジャンルに合わせた曲を自動生成できるレベルに達している。
 筆者の知るところでは、音楽やオーディオ分野で注目されているAI技術を提供するスタートアップやプラットフォームにUdioとSunoがあり、生成AIによる音楽や音声生成に特化しているプロジェクトである。そのうちの1つであるUdioを利用してみることにした。


 利用方法は凡百あるweb上の説明を参考にしていただきたい、アカウント開設後はすぐ無料で始められるようになっている。先行しているChatGPTなどのAIプラットフォーム同様にプロンプトを入力すると勝手に楽曲を生成してくれるのだ。ただし、既存の著作権との関係で”The Beatles風に”のようなアーティスト/グループ名をプロンプトに入力してもAI側で弾かれてしまう。したがってプロンプトの内容が好みのサウンドに直結するかどうかの方向を左右する。AIは自然言語処理に基づくモデルであり、プロンプトが曖昧または不明瞭な場合、期待通りの出力を生成するのが難しくなる。たとえば、「美しいメロディを」といった指示では、「美しさ」の基準が人によって異なるため、生成される内容が期待とずれる可能性が高い。プロンプトが具体的であればあるほど、AIは適切な応答を生成しやすくなる。
 次に、AIの学習データに依存する側面も大きい。AIは大量のデータを学習しその中からパターンや関連性を見つけ出すが、学習データに含まれない情報やトピックに対しては、生成能力が限られる。たとえば、最新のサウンドやニッチなジャンルの音楽についての情報が学習されていない場合、AIは適切な応答を生成できない。
 と、ウジウジと悩んでいても、何も始まらない。思い切って行動を起こすしかない。目指すのは、あのThe Beach Boysの爽やかなサウンドだ。しかし、なかなか理想通りのサウンドが生成されない。プロンプトを詳細に設定すればするほど、文章は長くなり、もはや何を求めているのか分からなくなってしまう。貴重なサーバー電力を消費していることを思うと、申し訳なさが心に重くのしかかる。
 「苦心孤軍」の状態で、もう一度プロンプトを見直すことにした。長文ではなく、シンプルに短くまとめることが鍵かもしれない。「Summer Surf Fun」というフレーズで勝負をかけてみた。直感に従って、トライすることにした。
 その結果、数十曲を生成するうちに、徐々に目指していたサウンドが姿を現し始めた。最初は迷走していた音が、次第に青空の下で波打つサーフィンのような、心地よいリズムに変わっていく。ビーチの風を感じるようなトーン、若さと野心が溢れ出すメロディーが、次々に響いてくるのだ。音楽が生まれてくる瞬間、その高揚感はまさに言葉では表現しきれない。目の前のスクリーンに広がるメロディーは、波の音とともに、彼らのサウンドが心に染み込んでくる。自分の手の中で、夏の楽しい日々が再現されていく感覚は、何物にも代えがたい喜びだ。
 短いプロンプトが、豊かな音楽の世界を開く鍵になった。この経験は、試行錯誤の大切さを教えてくれた。結局のところ、行動し続けることが、理想のサウンドへと近づく道なのだと実感した。
 生成AIが生み出す音楽は、単にメロディを奏でるだけではない。驚くべき精度で、コーラスやバックの演奏までもが緻密に再現される。さらに作詞までやってくれるのだ。その音は、時にはバンドが演奏しているかのようなリアルな響きを持ち、聴く者をその場に引き込む。耳を傾けると、思わず「これが本当にAIなのか?」と疑いたくなる瞬間が訪れる。
 一度生成が身に付くと、次にどんな音楽が流れてくるのか、どんなサウンドの波がやってくるのか、期待と興奮が止まらない。生成AIは、既存の音源をランダムに配信しているのではなく、音楽の本質を捉え、そこから新たな音楽の世界を生み出している。自分の想像を超える新しい音楽体験に、生成AIが描く未来の音楽、その可能性を体感すれば、新しい音楽の楽しみ方が見つかるに違いない。
 長々とした説明はさておき、いよいよ生成されたサウンドを披露する時が来た。目指したのは、The Beach Boysのサウンド。果たしてその再現度がどれほどのものか、聴く皆の判断に委ねたい。筆者が特に魅了されるのは、Candix時代からCapitol初期にかけての音楽、実父Murryが辣腕をふるっていた頃。まさにその時代の魅力を凝縮した内容が盛り込まれている。
このAIの作品には、所々にBrianやMikeの特徴が巧みに再現されていて、思わずニヤリとさせられる。時にはKIngston Trio風だったり、Jan and Dean風やSunrays風になるのはご愛嬌。
 まるで彼らが才気のあふれる20代の勢いが現代に蘇ったかのような感覚だ。音の重なり、ハーモニーの美しさ、そして何よりもその独特なメロディラインは、聴く人を惹きつける要素に満ちている。しかしながらいずれもNik Venetには却下されそうな佳曲集ではあるが、聴き進めていくうちに、いつの間にか心が高揚し、彼らがデビューを前にして興奮する情景が蘇ることだろう。
 しかし、今回はあえて弊誌の独断場であるSoft Rockの要素は皆無であり、あの名盤『Pet Sounds』の雰囲気も意図的に除外している。まさに、The Beach Boysの原点とも言えるシンプルかつダイナミックなサウンドに焦点を当てた結果、真に彼ららしい音楽が形になったと言える。
 そして、この生成サウンドの集大成を「Usurped Masters」という形で動画にまとめた。そこには、テクノロジーの進化とAIが導き出した「古い」サウンドが詰まっている。果たしてどのような音が生まれたのか、その全貌をぜひ体験していただきたい。


(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

2024年10月1日火曜日

MY DARLING CLEMENTINE WITH STEVE NIEVE:『カントリー・ダークネス -エルヴィス・コステロを歌う-』

 イギリスのカントリーデュオ、MY DARLING CLEMENTINE(マイ・ダーリン・クレメンタイン/以下表記MDC)が、10月末からの初来日公演ツアーを記念して、本国で発表していた『COUNTRY DARKNESS』(Fretsore Records/FR0022)にボーナストラックを追加収録して新装盤『カントリー・ダークネス -エルヴィス・コステロを歌う-』(Ca Va? Records / Hayabusa Landings / HYCA-8080)として9月25日にリリースした。

 MDCは2010年イギリスのバーミンガムで結成された、Michael Weston King(マイケル・ウェストン・キング)とLou Dolgleish(ルー・ダルグリーシュ)の夫妻によるデュオで、タイトルをご覧の通り、本作はイギリスが生んだ偉大なシンガー・ソングライターの一人、Elvis Costello(エルヴィス・コステロ)の楽曲を独自のカントリー・サウンドでアレンジしたカバー集なのだ。そもそもは2019年10月に4曲入り12インチ・アナログEPシリーズとして発表された『Country Darkness Vol.1』(FR0010)、同Vol.2(2020年6月/ FR0016)、Vol.3(2020年10月/FR0021)の計3枚の12曲に1曲プラスしてCDアルバム化したのが、前出の『COUNTRY DARKNESS』である。
 この諸作にはコステロの活動初期からの盟友で、ザ・アトラクションズのメンバーとして知られるSteve Nieve(スティーヴ・ナイーヴ)がキーボーディストとして参加し、アルバム化の際は共同プロデューサーとして彼らをバックアップしており大注目であろう。
 他の参加ミュージシャンとして、この『COUNTRY DARKNESS』シリーズの共同プロデューサーのColin Elliot(コリン・エリオット)はベースの他、ストリングスやホーンのアレンジを担当しており、ネオジャイヴ・バンド”King Pleasure And The Biscuit Boys”のメンバーでドラマーのDean Beresford、ギターをはじめ各種弦楽器をセッション・ギタリストのShez Sheridanがプレイしている。
 繰り返しになるが、今回の日本新装盤ではボーナストラック3曲を追加した全16曲を収録しているので、オリジナルを輸入盤で所有して聴いていたファンにも強くアピールするだろう。


 MDCのプロフィールについては、本作のブックレット(岡村詩野氏執筆)に詳しいので、弊サイトでは簡単に紹介する。彼らはこれまでに6枚のアルバム(10インチEP含む)を発表した後、2020年に『COUNTRY DARKNESS』をリリースしており、マイケル・ウェストン・キングとルー・ダルグリーシュは、MDC結成前からイギリスにおいて音楽的キャリアがあった。まず1961年ダービーシャー生まれのマイケルは、18歳から移り住んだリバプールのポストパンク・シーンで様々なマイナー・バンドにギタリストとして参加した後、1992年にオルタナティブ・カントリー・バンド“The Good Sons”を結成する。2001年までに4枚のオリジナル・アルバムをリリースしたが解散してしまう。ソロのシンガー・ソングライターとなったマイケルは、ヨーロッパやアメリカの大都市でのライヴ演奏をしたものを含め、9枚のオリジナル・アルバムと2枚のコンピレーション・アルバムをリリースしている。妻のルー・ダルグリーシュもシンガー・ソングライターとして1995年から99年までに4枚のソロアルバムを発表しており、確かなキャリアを歩んでいた。

 
Either Side of the Same Town (feat. Steve Nieve) 

 ここからは、本作で筆者が気になった収録曲を解説していく。
 冒頭の「Either Side of the Same Town」は、Elvis Costello & The Imposters名義の『The Delivery Man』(2004年)に収録されていたスケールの大きいバラードで、作曲はローリング・ストーンズのカバーで知られる「Time Is on My Side」(1963年/初演:Kai Winding)の作者として知られるジェリー・ラゴヴォイだ。オリジナルでもアコースティック・ピアノとハモンド・オルガンを弾いていたスティーヴのゴスペル・ライクなプレイが光る。マイケルとルーはヴァース毎に歌い分け、サビでデュエットを取っている。それぞれ個性的な声質ではないが、2人の声がブレンドして生み出されるマジックがMDCの最大の魅力だろう。

 筆者はリアルタイムでは、『Imperial Bedroom』(1982年)から『Brutal Youth』(1994年)までのコステロのソロ作品を特に愛聴していたので、この時期の楽曲カバーには強く反応してしまうが、The Costello Show Featuring The Attractions名義の『King Of America』(1986年)から「I'll Wear It Proudly」と「Indoor Fireworks」の2曲取り上げられている。ボブ・ディランのRolling Thunder Revue(1975~1976年)のツアー・メンバーだったT Bone Burnett (Tボーン・バーネット)と共同プロデュースしてロスアンゼルスでレコーディングされ、アメリカン・ルーツ・ミュージックに最接近したこのアルバムは、リリース時に音楽ジャーナリストから賛否両論があったが、この問題作から2曲もチョイスしているのはマイケルとルーの強い拘りを感じさせる。
 前者はコステロが当時交際していたCait O'Riordan(ケイト・オリオーダン/The Poguesの元ベーシスト)に贈ったとされるラヴソングで、ここではオリジナルと異なる全編アコースティックギターのアルペジオで歌われるので、2人の歌唱と共に繊細な歌詞もビビッドに浮き上がっている。
 後者はルーがソロアルバム『Calmer』(1999年)でアコギのバックだけで取り上げており、彼女にとって思い入れのある曲なのだろう。ここではルーが自ら弾くピアノだけをバックにマイケルとヴァース毎に歌い分けており、限りない愛を感じさせる。この曲はコステロをフックアップした兄貴分で、シンガー・ソングライター兼プロデューサーのNick Lowe(ニック・ロウ)も『The Rose of England』(1985年)でいち早く取り上げており、この曲が持つ原石の輝きを見抜いていたのだ。

  『King Of America』/『The Rose of England』


 本作がカバー集として優れているのはコステロが本人名義で発表した曲だけはなく、コラボレーションした曲も含まれている点だ。ポール・マッカートニーの『Flowers In The Dirt』(1989年)でポールとコステロは4曲を共作しているが、最もアメリカン・ルーツ・ミュージック然とした「Different Finger」を選んでいるのはさすがである。
 オリジナルは同時期コステロがリリースした『Spike』(1989年)や前出の『King Of America』、『Mighty Like A Rose』(1991年)にも参加した、鬼才キーボーディストでプロデューサーでも成功していたMitchell Froom(ミッチェル・フルーム)のカラーが強く出たサウンドだった。ここではコリンの奇をてらわない的確なホーン・アレンジをはじめ、スティーヴの豊かなピアノ、Shezのドブロ・ギターが有機的に絡んでおり、本来この曲が持つ、The Bandに通じる理想的サウンドに仕上がったのではないだろうか。


 この新装盤製作時期の関係で、ボーナストラックについてはブックレットで触れられていないで、こちらで解説しておく。 
 3曲の内2曲はライヴ音源で、「April 5th」は、2008年アメリカのカントリー・シンガー・ソングライター達とのコラボレーション曲で、Johnny Cashの娘、Rosanne Cash(ロザンヌ・キャッシュ)、Kris Kristofferson(クリス・クリストファーソン)やJohn Leventhal(ジョン・レヴェンソール)との共作曲だ。後の2015年にコステロの自伝本『Unfaithful Music & Disappearing Ink』出版時に同時企画でリリースされたコンピレーション・アルバム『Unfaithful Music & Soundtrack Album』に収録されている。本作でのカバーは、2022年7月9日リバプールのSt. Michael's In The Hamletでの演奏と思われるが、マイケルとルーに、スティーヴがピアノでサポートしている。
 続く「I’m Your Toy」は、コステロのカントリー・カバーアルバム『Almost Blue』(1981年)に収録されており、オリジナルはThe Flying Burrito Brothers の『The Gilded Palace of Sin』(1969年)に収録された「Hot Burrito #1」が原曲だ。The Byrdsを脱退して同バンドを結成したGram Parsons(グラム・パーソンズ)と、同僚のベーシストChris Ethridge(クリス・エスリッジ)の共作で、コステロは『Almost Blue』の翌年にライヴ・ヴァージョンをシングルでもリリースしていた。本作のカバー音源は、その残響から前曲とは異なる狭い空間(カフェか?)での演奏ではないだろうか。マイケルとルーの2人だけのシンプルな演奏と歌唱である。

 
The Crooked Line (feat. Steve Nieve)
※ノーマル・ヴァージョン 

 もう1曲は、本作5曲目に収録された「Crooked Line」のリミックス・ヴァージョンだ。オリジナルは『Secret, Profane & Sugarcane』(2009年)収録で、グラム・パーソンズとの共演でも知られるカントリー・シンガー・ソングライターのEmmylou Harris(エミルー・ハリス)がゲストで参加し、コステロとデュエットしている。
 本作ではBPMをアップしてスティーヴのコンボ・オルガンをフューチャーした軽快なアレンジで高揚感がある。リミックス・ヴァージョンでは同じ3分25秒の尺だが、Shezの複数のエレキギターが大きくミックスされており、ダイナミックなサウンドに仕上がっているので、カントリー・ロック好きにはこちらが好まれそうだ。


 最後にMDCの来日公演ツアーについて紹介する。70年代後半日本国内では一部の音楽ファンにしか知名度が無かったトム・ウェイツやエルヴィス・コステロを。いち早く日本に招聘したプロモーター会社Tom’s Cabin(トムス・キャビン)。同代表で伝説のカレッジ・フォーク・グループ ”モダン・フォーク・カルテット” のメンバーとしても知られる麻田浩氏が、今回も尽力したという
 これは今年4月にエルヴィス・コステロとスティーヴ・ナイーヴがデュオで来日公演(※注釈)した際、スティーヴからMDCの来日について相談があり、麻田氏率いるThe flying Dumpling Brothersが全公演のバックバッドを務めることで可能になり、この来日公演ツアーが実現したのだ。
 本作『カントリー・ダークネス -エルヴィス・コステロを歌う-』のレビューを読んで興味を持った音楽ファンは、この来日公演ツアーにも是非参加して欲しい。

【MY DARLING CLEMENTINE●公演日程】 

10/28 大阪クアトロ
10/29 金沢もっきりや
10/30 名古屋TOKUZO
10/31 横浜サムズアップ
11/02 北海道鶴居村ヒッコリーウインド
 
INFORMATION
Tom’s Cabin


【参考元サイト】
●The Elvis Costello Wiki

※筆者は4月12日の追加公演に参加。
終演後『This Year's Model』(1978年)CDのインナースリーヴに
コステロとスティーヴからサインを入手した。
その際1999年2人の来日公演時もらったサイン入りのパンフレットを
コステロに見せると、嬉々としてその上からサインをしてくれたのだ。

(テキスト:ウチタカヒデ







2024年9月23日月曜日

音楽と脳 ② 記憶を呼び覚ます「音楽」の不思議


 どこか、街や店、あるいはなにかのイベントやライブ会場などで、若い頃に流行っていた曲が流れてきたとき、聴きながら思わず口ずさんで、「歌詞をほとんど覚えている」ことに気づき、驚いたという経験がないだろうか。自分が好きでよく聴いていた曲なら覚えていても不思議はないが、よくラジオで流れていたね~というくらいの曲でも、何十年たっても思い出せることがある。若い頃の記憶、なかでも「若い頃に(特に10代とか)聴いた音楽の記憶」は、なにか特別なのかもしれない。

 このあたりに、前回8/24公開の『音楽と脳 ① 「音楽の記憶」の不思議』で紹介した、アルツハイマー型認知症の人が、若い頃に好きだったビートルズの曲を聴いたことがきっかけとなり、認知症の症状が改善し、QOLが向上した理由を解く鍵がありそうだ。

 ではさっそく、話をすすめていこう。キーワードは、音楽と記憶、そして話し言葉。

 

 

記憶の基本メカニズム

 

 ……と、本題にいく前に、「記憶」の基本を簡単に。「記憶」にはいくつかの分類方法があり、今回つかうのは「時間軸による記憶」。




話し言葉はこんなに音楽的

 

 今回、参考資料として読んだ本のいくつかに、「音楽と言語は性質も、脳内での認知回路もよく似ている」や、「人は、人の声を思わせる音の組み合わせを好む」といったことが書かれていた。(※この場合の「言語」とは、話し言葉、聴く言葉。耳から入る場合に限ってのこと。以後、主に「話し言葉」と使用)

 音楽の要素には、リズム、メロディライン、音の強弱、和音、ハーモニー、歌詞、楽器の種類……などがある。(*歌詞が入っているが、話し言葉とは異なり、決まった言葉が並ぶので、音楽の要素の1つと数える)

 対して、話し言葉にも、リズムがある。話すときには抑揚もつく(音楽でいうところのメロディライン的な)。内容によって抑揚のアクセントも変わる。声の大きさに強弱もある。声の高さも変わる。

 驚いたり、感動したり、急いでいたりすると、話のテンポやリズムが早くなり、声がいつもより高く、大きくなって、抑揚の上がり下がりも激しくならないだろうか。

 逆に、疲れていたり、落ち込んでいたり、あるいは相手をいたわるようなときは、ゆっくりと、落ち着いたリズムとトーンで話す。怒っているとき、退屈しているとき等も、それぞれに特徴がある。

 

「こないだの決勝戦の試合、見た? すごかったねー! 感動したよー!」

「今日、仕事で失敗しちゃって……。あぁ、明日、会社、行きたくない……」

「心配しなくて大丈夫だよ。ママがついているよ」

 

 話し言葉はこんなに音楽的。人と人の会話はもっと複雑な要素がたくさんあるし、音楽には話し言葉にはない要素(メジャーやマイナーといった和音や、楽器の種類など)もあるので、単純には言えないけれど、よく似ていることがわかる。脳内で認知する経路が近いというのも、納得。

 もしかしたら、ヒトの進化のなかで、〔話し言葉〕と〔音や音楽〕というのは、共に進化して、適応してきたのではないかしら。それこそ、現人類の直接の祖先であるホモ・サピエンス(*3)だった時代から、厳しい環境を生き延びるために共進化した……? 

 そんなことも考えてしまうが、そのあたりの話は来月にまわし、今月は、アルツハイマー型認知症のふたり、トミーとポールに起きた症状改善&QOL向上の理由、謎を探っていくことにする。

 

 

ヒトも生き物だから加齢による変化はしかたないけれど……

 

 人は誰でも、年齢を重ねていくと、脳が少しずつ縮んでいく。そのとき、脳全体がまんべんなく縮むのではなく、特に、記憶をつくりだす「海馬」や、脳に入ってきたたくさんの情報を分析したり、記憶を保持する「大脳新皮質」の縮み率や働きの低下が顕著らしい。トホホ。

 年をとると、新しいことが覚えにくくなる。物忘れが増える。昔のことは覚えているのに、最近のことが思い出せない、といったことが起きてくるのは、このためだ。

 アルツハイマー型認知症(*4)は、何らかの原因で脳にアミロイドβというたんぱく質がたまり、それが神経細胞を破壊して、脳が委縮することで発症。発症後は時間の経過とともに進み、それに伴い症状も進行していく。

 ただでさえ加齢による萎縮がある上に、病気としての萎縮が加わってしまうわけだから、そのスピードも現れる症状も重いものになる。

 現時点では主に、生活習慣を整える、適切な運動をする、趣味的なことを作業療法として取り組むなどして、症状の悪化を食い止める、遅らせるという治療法がとられている。

 

 前回8/24に公開した「音楽と脳①」のなかで紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり(トミーとポール)も、そうした治療を続けていたはずで、そのなかで、とりわけ効果があったのが音楽療法、特にビートルズの曲だったということだろう。

 参考にした番組(NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか 2024年5月2日放送)のなかで、研究者は、ふたりの回復ぶりの理由を次のように分析していた(*注:NHKのwebサイトのほうには、このふたりの話はほとんど触れられていない)。

 

     Music Memory Network(音楽記憶ネットワーク):脳内に「音を聴く聴覚野」「快楽物質を出す報酬系」「記憶」の領域をつなぐネットワークがあり、特に、「報酬系」が刺激を受けて、ネットワーク全体が活性化。ふたりの脳を調べたところ、特に、報酬系のなかの「内側前頭前野」が活性化していることが認められた。この領域はヒトの脳で特に発達した重要な場所。

 

     記憶のこぶ:思春期に聴いた音楽が、その人にとって特別な曲として強く記憶に焼きつくという現象がある。トミーとポールの例では、そのきっかけとなった曲の1つがビートルズだった。トミーにはさらに、生涯のパートナーと出会ったころによく聴いていた曲もあり、それを聴くことで、記憶が掘り起こされ、そこからさらに他の記憶や当時の感情も引き出されてきた。

 

 わかるような、わからないような……。そこで、私なりに参考資料を読んで、疑問点を調べつつ、これはこういうことなのかな?等と考えたことがあるので、それに沿って、もう少し具体的に書いてみたい。

(※とはいえ、私は専門家ではなく、脳科学のほんの端っこをかじった程度の素人考えであることを、あらかじめお知らせしておきます(汗)。そのうえで、読み物として楽しんで読んでいただけると幸いです)

 




 音楽の記憶が呼び覚まされるとき

 

 さきほど、音楽と話し言葉は性質も、脳内での認知の仕組みも似ていると書いたが、ひとつ、大きく異なるのは、音楽の場合は「1曲」という〝かたまり〟があること。

 ある「1曲」の記憶には、リズムやメロディといった音楽的要素のほかに、曲のタイトル、アーティストの名前、音楽ジャンル、いつ聴いたか、誰かと一緒に聴いたか、CDショップで購入したとか、誰かに貸したとか、なにか個人的な想い出があるかなど、感情や嗜好、状況、環境も合わせたさまざまな要素、情報が含まれている。

 「1曲」の、こうした1つ1つの要素が、脳内で情報として分析され、記憶されて、その後、それぞれが繋がり合う形で長期記憶に保持される。 

 このときの記憶保持のイメージとしては、たとえば、夜空の星座を思い浮かべると理解しやすいかもしれない。人が夜空に見上げる星座は、いくつもの星と星を繋げてなにかの「姿」を想像するようにして、1つの星座としての像がイメージされている。音楽の記憶も、1つ1つの小さな要素の記憶データが繋がって、「1曲」の記憶として認識する、という感じ。

(ときどき、「記憶の引き出しをあける」という表現を見かけるが、引き出しにまとまって入っているというよりは、星座のような状態。1つ1つを繋ぐ線は、何年も時間が経過したり、反復して思い出すことがなければ、細くなっていくので、思い出そうとしても、タイトルが思い出せないとか、誰かに貸したんだっけ……といったことも起きるというわけだ)




 脳内での記憶は(音楽に限らず、どんな記憶でも同じことだが)、1つ1つの小さな記憶が繋がり合って、なにか「1つのもの」として記憶される。曲であれば、ある「1曲」として特定した記憶となる。そして、思い出すときには、このうちの、何か1つでもきっかけがあれば、次々と連想、連動して思い出す、という仕組みになっているようだ。

  ……と考えていくと、トミーとポールの認知機能が回復し、家族や友人との会話を楽しめるようになり、社会活動にも積極的に参加するなどQOLが向上していった理由が、なんとなくみえてくる。私が考えたのは、次のような脳の動き。

 

●最初にビートルズの曲を聴いたとき、その「曲」がたくさん持っている要素、大脳新皮質に長期記憶として保持されていた、その「曲」のいくつもの記憶データのなかの(でも、海馬や大脳新皮質の働きが低下して、思い出せなくなっていた)何かがひっかかり、メロディや歌詞を思い出す糸口になった。

●NHKの番組での研究者の分析によれば、「思春期に聴いた曲は、その人にとって特別な曲として強く記憶に焼きつくという現象がある」。10代中ごろから、脳全体がぐぐっと成熟する時期とも重なる。脳の成長期に聴いた音楽は、特別な意味を持つのかもしれない。

●曲を聴きながら、なんとなく一緒に歌うことができた。

→メロディや歌詞を聴きながら、脳内では瞬時に、「次の歌詞はなんだっけ?」と推測するという作業が行われており、それが瞬間的な記憶を保持する機能や、海馬、大脳新皮質の働きを刺激し、活性化していく。

→思い浮かべた歌詞やメロディが少々まちがっていても、だいたい歌えていれば、「嬉しい」と感じる。続けていくうちにもっと正確に歌えるようになれば、「もっと嬉しい!」。

●それは脳にとって喜びであり、脳内の報酬系が活発化!(ドーパミンをはじめとするさまざまなホルモンの分泌量も増加)

●曲を聴き、思い出して歌うことは、海馬、大脳新皮質、大脳辺縁系など脳の多くの部分をつかう。よって、脳全体の機能が活性化して、昔の大切なエピソード記憶も呼び覚まし、思い出すことができて、家族や友人との関係も大きく改善。そこでまた、脳も、脳の持ち主である本人も「嬉しい!」。

●音楽のいいところは、1つの曲が終わるまで続くこと。その曲が終わるまで聴き続けるので、脳は活性化を続けられる。2曲、3曲と聴いていけば、その時間はもっと伸びる。(*会話の場合、すれ違ってあいさつするだけだと、そこで止まってしまうし、会話する相手がいても、会話が続かないことがある。それによって会話するのを避けるようになってしまうことも……)


 こうした積み重ねが、半年、1年……と続くうちに、萎縮する一方だった脳の萎縮が止まったり、あるいは、少しでも神経回路の働きが活発化し、脳全体の働きがよくなった、ということがあったのではないだろうか。

 

 実はこの原稿を書いていたころ、NHKの「首都圏情報ネタドリ」という番組で認知症についてとりあげられているのを見た。

 俳優の山本學さん(現在87歳。2年前に軽度認知障害と診断)の経験談を中心に構成。完治することはないとされている認知症だが、軽度の段階(MCI軽度認知障害)で気がついて、運動や食事療法などを根気よく続ければ、「萎縮していた脳がふっくらしてくる」「脳の容積が増したり、神経回路網が発達したりして、認知機能障害の進行を抑制できる」ケースがあると紹介されていた。

 トミーとポールは軽度ではなかったけれど、さまざまな療法にプラス、ビートルズをきっかけとした音楽的な療法も功を奏したのだろう。

 もしかしたら、加齢による脳の萎縮のスピードを止められ……はしないだろうけど、ゆっくりにすることはできるのかも! 


 というだけではなくて、年齢に関係なく、いつのときも、音楽を聴くことは脳にとって、とても良いことなんだなぁ、人にとって必要なものなんだなぁ、と感じる。音楽、大事☆*

 だからというわけではないが、音っておもしろいね、音楽っていいね、という人が増えるといいなぁ。音楽の授業とかで、こういう話ができたらいいのにねぇ、と思ったり……。


それはともかく……。

NHKの番組ではふたりの近況も紹介されていた。

 認知症の症状は残っているが(そもそも加齢もあるし…)、それでも以前よりずっと、表情が豊かになり、家族や友人との会話を楽しんだり、外出したり、と、おだやかな日々を送っている。昔、バンドをやっていたんだというポールは再び作曲をするようになったそうだ(でも、思いついた歌詞やメロディはすぐに書き留める。「書いておかないと、忘れちゃうからね」と笑うポールはとても楽しそう)。

 また、ふたりで「認知症の会」に出向き、参加者の前でビートルズの曲を演奏するといった活動もしている。参加者は思い思いに口ずさむ。なかには楽しそうに踊りながら歌っている人もいる。ふたりは、自分たちがビートルズの曲で救われたことから、ほかの人にも、同じように元気に健康になってほしいという気持ちで演奏しているのではないだろうか。

 音楽のチカラも大切だけれど、自分が誰かの役に立っている、このことは生きていくうえで大きな希望になると思う。このふたりだけの話ではなく、年齢も関係なく、誰にとっても。

 

 来月は、「音楽と脳」最終回。「音楽が言葉よりも大事な意味をもつ」暮らしをする「バカ族」の話を中心に、音楽がなぜ生まれたのか、ヒトにとって音楽とは何なんだろう、といったテーマでまとめていきます。

 

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 余談

 トミーとポールはイギリス人なのかな。そのあたりも番組では詳しく紹介されていないのでわからないのだが、イギリス人だとすれば、この事例は、世代的にも共通の好みが「ビートルズ」となるのはわかりやすい。ふたりが活動している「認知症の会」でも、みんな、一緒に歌っていた。それにしても、こういう事例を知るにつけ、ビートルズってやっぱり偉大なんだなと思う。当時の熱狂を推測すると、英語圏ならあり得るかしら。アメリカとか。

 日本だとこうはいかないだろうなぁ。同じような認知症の会があったら、ある程度ヒットした日本の曲をいくつも準備しないといけないかもしれない。あるいは、歌手別、ジャンル別、とか。

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●用語ガイド

(*1)大脳新皮質:大脳皮質の外側をぐるっと囲んでいる、しわしわの部分。大きく4つに分けられ(前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉)、知覚、記憶、言語、思考、判断など高次の脳機能を担う部分。生物の進化としては新しい領域であり、この部分が大きいことが、ヒトの脳の特徴。ヒトに最も近い近縁種であるチンパンジーと比べても、約3倍の大きさがある。大きいので、しわしわにたたまれて頭蓋骨内に収まっている。

海馬(*2)を含む大脳辺縁系:大脳皮質の内側にある領域で、発生学的に古い脳。帯状回、偏桃体、海馬、海馬傍回、側坐核などからなり、記憶、情動、本能行動、喜怒哀楽などの感情、睡眠、自律神経調節など多彩な機能に関係。

 (*3)ホモ・サピエンス:約30万年前、アフリカに出現。私たち現人類の直接の祖先とされている。それまでの人類ともっとも異なるのは「言葉を使う」ようになったこと。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と比べると力が弱く、身体能力が劣っていたが、言葉によって仲間同士で協力したり、遠くまで届く道具をつくり出すなどして、生存に適応していったものと考えらえる。大脳の前頭葉も大きくなり、額が垂直に持ち上がり、眉のあたりの盛りあがりが小さくなるなど、現代人とほぼ同じような風貌。

(*4)アルツハイマー型認知症:認知症のなかでも原因として最も多いのが「アルツハイマー型認知症」。国立長寿医療研究センターのHPによると、アルツハイマー型認知症は全認知症の67.6%と、全体の7割近くを占める。ほかには、血管性認知症、レビー小体型認知症などがある。

 

 ●参考文献

『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022

『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著 小野健太郎監訳 徳永美恵訳 ニュートンプレス 2022

『脳の闇』中野信子著 新潮社 2023

『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021

NHKサイエンススペシャル 驚異の小宇宙・人体Ⅱ 脳と心3 人生をつむぐ臓器 記憶』NHK取材班著 日本放送出版協会 1993

NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送

NHK「首都圏情報ネタドリ」2024年9月20日放送

「学研キッズネット」「教えて!認知症予防」「慶応大学医学部」「国立長寿医療研究センター」「日経クロステック」などウェブサイトいくつか

 

 

大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。