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2024年11月30日土曜日
ムーンライダーズ:『アマチュア・アカデミー 40周年記念盤』森 達彦 氏 インタビュー
2024年11月20日水曜日
広瀬愛菜:『21』
本作『21』には関の他、彼が所属するROSE RECORDS主宰で、サニーデイ・サービスのリーダーの曽我部恵一、インスタントシトロンの結成メンバーで、脱退後はプロデューサーとして活動する松尾宗能ら、拘り派のポップス職人達が楽曲提供しているのは注目に値する。またレコーディングには『17』から引き続き、”善福寺BAND”が参加し、ピアノの長谷泰宏(ユメトコスメ主宰)、ギターの山之内俊夫、ベースの伊賀航、そしてドラムの北山ゆう子という手練なミュージシャン達が参加して巧みな演奏を繰り広げ、ミックスとマスタリングも前作同様、佐藤清喜(マイクロスター)が手掛けており、隙のない音作りの人材が勢ぞろいしている。
2024年11月9日土曜日
Wink Music Service:『It Girls』
2024年11月1日金曜日
shino kobayashi / small garden:『Mijn Nijntje(“私のナインチェ”)』
【小林しの出演イベント:11月のフィリアパーティー
〜Harmony hatch 25th anniversary〜】
2024/11/17(日)
mona records
11:30 OPEN
12:00 START
出演 :
archaic smile
(Abebe with Yoshie Isogai)
the vegetablets
shinowa
小林しの(Harmony hatch set)
DJ : tarai(hdht!)
Store : blue-very label
前売¥3000+1drink
当日¥3500+1drink
2024年10月20日日曜日
音楽と脳 ③ 最終話 「うた」が先か、「ことば」が先か
今年4月6日、有明の東京ガーデンシアターで開催されたジェイムス・テイラーのコンサートでのこと。コンサートが終わり、「あぁ、よかったなぁ。幸せな時間だったー」と思いながら係員の誘導にしたがって、会場の外に出るべく歩いているとき、まわりにいる大勢の人たちを眺めていて、不思議な気持ちになった。
「あぁ、この人たちと、同じ時代に、同じ音楽を聴いてきたんだ…」
あの日、同じ空間で、同じミュージシャンの歌を聴いたというだけの、まったく知らない人たちなのに、みんな仲間のような気がして、ほんのり安心するような、そんな気持ちになった。親近感。一体感。この感情の正体は、いったいなんだろう。
……なんていうことを、ふと思い出し、もしかしたら、トミーとポール(「音楽と脳」①と②で紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり)も同じだったんじゃないかな、と考えてみた。
そんなことも考えながら、さらにリサーチをすすめていくことにした。
現生人類ホモ・サピエンスは、人類の歴史のなかで、そして霊長類のなかでも、唯一、「言葉」をもつこと。
脳のなかで「言葉」と「音楽」を認知する領域はとてもよく似ていることが意味するものは?
「音楽」と言ってしまうと、現在の、楽器をつかった演奏や楽曲を思い浮かべてしまうけれど、太古の昔は、声? リズム? 「うた」のようなものから始まったんじゃないか……などなど。
「みんなで歌うこと」が生活の中心にある民族の存在
と、ここで、今年5月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「フロンティア」~「ヒトはなぜ歌うのか」の内容に戻ってみる。番組では、上記アルツハイマー型認知症患者のトミーとポールの症例のほかに、「音楽が言語よりも大事な意味を持つ」という文化をもつ「バカ族」が取り上げられている。
一説によると、「バ」は「人」、「カ」は「葉っぱ」で、バカ族とは「森の民」という意味だとか。アフリカ中部のカメルーンや中央アフリカ、コンゴ共和国などの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民族で、暮らしのなかで頻繁に歌をうたう「音楽の民」としても知られる。
また、バカ族は、10~20万年前のDNA(または遺伝的特徴)を色濃く残しているとされ、言語や暮らしなど人類に関するさまざまな分野の研究者から注目されている民族でもある。
番組では、京都大学の特任研究員、矢野原佑史さん(音楽人類学)が、バカ族の暮らしぶりを取材し、歌を録音するなどして情報を集め、その歌を、沖縄県立芸術大学の講師、古謝麻耶子さん(民族音楽学)が分析して、「音楽が言語よりも大事」という文化の意味を探っている。
バカ族の「うた」は共同体の生き方そのもの
バカ族で主に歌うのは女性たちだ。なにかのタイミングで、年長の女性が手拍子を始め、まずはひとりで歌いだす。すると、ほかの女性たちが次々と歌に加わっていく。
「みんなで歌うこと」を「ベ(Bé)」といい、祖先から歌い継がれてきたもので、ひとりきりで歌うことはないそうだ。みんなで歌う。でも、現代の音楽、たとえばポップスのように主旋律をユニゾンで歌うわけでも、コーラス的にハモるわけでもない。みんな、別々の旋律を歌っている印象。それなのに、絶妙に重なり合って、踊り出したくなるようなグルーブ感も生まれてくる。
一日のなかで、何度も、歌の時間があり、みんなが声をあわせて歌う。でもふいに歌は終わる。
「彼らの音楽はいつも最高潮に達するちょっと手前で止めて、また日常の時間が流れていく(「鍋、かけっぱなしだった」とか、「バナナでも取りにいこう」とか)。そしてまた誰かが手を叩きはじめると、また音楽の時間がはじまる。その繰り返しで、ちょっとずつ音楽的時間が増えていって、徐々に熟成して、コミュニティの音楽をみんなでつくっていく感じ」(矢野原さん)
男たちが狩りに行くときには、村に残る女性たちが「イエリ」という歌を歌う。生きていくために必要な獲物が手に入るように、森の神や動物の心に訴えかけるという意味があるそうだ。また、夜になると、長老的立場の人が中心となって、「リカノ」という歌を歌う。これは、民話、昔話のようなもので、「相手のことを疑うな」「お互いを思うときは歌を歌え」など、森の民としての生き方を歌で教わるのだという。そのほか、暮らしのなかのさまざまな場面で歌う歌があり、生まれてきた子どもは、赤ちゃんの頃からその歌を聴く。そのうち、一緒に歌うようになる。
「ヒトはなぜ歌うのか」の公式サイトに、バカ族の女性たちが歌う様子の短い動画が出ている。それを見ると、各人が、自由に、自分が歌いたい旋律を歌っているかのようで、全体にバランスがとれていることがわかる。それは、幼いころから積み上げてきた「歌う」ことの経験によるものだろう。
分析をした古謝さんによると、「この人が、ほかのメロディにいった。このメロディがなくなったから、自分はそれを歌おう、みたいなことが、聴いているとわかるんですね。この人が、このメロディをやめてほかのメロディにいった瞬間、別の人がそこを埋めるように入ってきたりする」とのこと。
どんどん流れていく「歌」のなかで、それができるのは、一緒に歌う仲間の存在を意識して、その歌声や旋律、リズムをよく聴いているからだ。よく聴いて、寄り添ったり、サポートしたり、代わりを務めたりしている。それはまるで、支え合い暮らしていく共同体の生き方そのもののように思える。
熱帯雨林という過酷な環境のなか、家族の命を守り、食料を得、楽しく生き、命をつないでいくためには、「集団のきずな」が必要不可欠だ。そのためには、一緒に声を合わせること、歌を歌うことでの一体感。助け合える、みんなで生きていくのだという意識を高めるのに、歌が最適だったということか。
……というかたくるしい説明もありつつ、でも何より、歌っているバカ族の人びとが楽しそうなのが、いい。楽しそうで、一体感がある感じ。これが一番大切なのかもと感じる。
また、女性たちの手拍子は2拍子、男性がたたく打楽器は3拍子で、ポリリズムと呼ばれる独特なリズム感が生まれていて、思わず、リズムととったり、踊り出したくなるグルーブ感。脳科学的には、次に書くように、「報酬系が喜んでいる」になってしまうのだけど^^;
ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」
「ヒトななぜ歌うのか」の番組のなかで、ノースイースタン大学で音楽と脳の関係を研究するサイキ・ルイ博士がこんなことを言っている。
「他人と一緒に歌ったり、体を動かすことは同じ体験の共有。〝助け合える〟サインだといっていい。社会的動物であるヒトにとって、報酬を感じる行動です。(脳の)報酬系は食欲など生存上不可欠なもので活性化します。報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽がヒトの生存に不可欠だということになります」
「ヒトにとって社会的につながることはとても重要。協力すれば多くの仕事ができる、食料も分け合える。ヒトが音楽を手にしたのは進化上の『適応』だったと思います」
つまり、本能的、ヒトの本質的な部分に「音楽」があるということだ。
進化上の適応。
というか、言い方を変えると、音楽や言語、そして道具などを生み出す脳の構造を持っていた、そういう進化上の適応があったからこそ、約30万年前に出現したホモ・サピエンス、私たち人間は2024年の現在も生き続けていられる、ということだと思う。(*なぜ突然、「道具」が出てきたかについては、あとで少し触れますね)
「うたのようなもの」が、「言葉」と「音楽」に分かれて進化した
音楽や言葉については、その起源を探るのがとても難しいそうだ。道具や壁画などと違って、化石や遺跡として残っていないからだ。
しかし、古代ギリシャの時代から、学者たちは、天文学や医学と同じように、音楽についても論じてきた。また、18世紀から19世紀にかけては、ルソーやダーウィンが、言語の「音楽起源論」を発表するなど、言語の発生についての議論が繰り返しあった。しかし、言語神授論(言語は神が授けてくれたもの)を批判する研究者がいて問題になるなど、当て推量でものを言うな!的な風潮が高まり、ついにはパリ言語学会が「言語の起源と進化に関する論文を受けつけない」と決定して研究は滞り、再び研究や議論がなされるようになったのは、20世紀半ば頃だという。
その後、遅れを取り戻すかのように研究が盛んに行われ、いまでも議論は続いている。どの理論もいまだ「仮説」の域を出ないそうだが、今回参考にした資料をみると、現在は「音楽起源説」が主流らしい。
なかでも、私にでもわかりやすくて、納得感のある考察をしていたのが、岡ノ谷一夫(帝京大学先端総合研究機構教授/理化学研究所研究員など)の研究だった。岡ノ谷先生の書籍や論文を引用して、解説している参考資料やサイトがいくつもあった。これらをまとめて、きちんと説明しようとすると、本1冊分にもなりそうなので、あまり専門的になりすぎないよう、その一部を簡単にまとめてみようと思う。
◎まず考え方として、生物学的探求のアプローチとして「前適応説」というものがある。たとえば、鳥の羽毛は保温のためにできたものだが、やがて飛ぶ機能に発展した。これと同じように、言語とは直接関係のない、ほかの機能のために進化してきた機能がいくつか組み合わさって適応し、「言語」を獲得した、と考える方法。
◎音楽起源説の「前適応」
人間の赤ちゃんはとても大きな声で泣く。こんな目立つ行為は他の動物では考えられないこと。どうしてそうなったのか……。
人間の祖先が火や石器、道具を使うことを覚え、集団生活を営むようになると、野生生物などに襲われる危険性が減った→赤ちゃんが大きな声で泣いても生命が脅かされることが減った→大きな声で泣いて意思表示をし、親に世話をやいてもらうほうが生存には有利→大声で、いろいろな泣き声を出すためには、呼吸を自由にコントロールする機能が必要→この「呼吸を自由にコントロールできる機能」は、どんな動物にもあるわけではなく、これを得たことで、ヒトに発声学習の機能が備わった→これが、ホモ・サピエンスが言葉を得るための大事な「前適応」になった、とする考えがある。
◎「言葉」は「うたのようなもの」から始まった
親と子、家族、仲間たちとのコミュニケーション。はじめは、「あ」「う」「わ」など意味のない「音」を組み合わせて、そこに抑揚(メロディ的な…)や、声の強弱などがついた「うたのようなもの」で始まったと考えられる。そのほうが相手の意識を引きつけるのに便利だったのだろう。それが、何世代、何十世代と繰り返されていくうちに次第に、「狩りに行こう」「そこに危険な動物がいる。逃げよう」などの状況に合わせた「決まった歌詞(文章)のようなもの」ができていき、同時に文節もでき、状況に合わせた「音」の組み合わせができて、「狩り」「逃げる」といった「単語・言葉」ができていったのではないか。
◎そうした「うたのようなもの」は、その後、「言葉」と「うた・音楽」に分化して、それぞれ、脳の機能と共に進化していった。だから、世界のどこに行っても、「言葉」と「うた・音楽」がある。
◎脳の機能が共進化することで、食料を得ること、配偶者の競争(いい声で情熱的な「うた」を歌える男性のほうがモテた!とか……^^)、親子・家族関係、集団行動なども進化していき、それが、新たな道具の発明や、住む地域の移動……という具合に人類の生活も大きく変わっていったのではないか。
◎人間特有の能力としては、「ことば」「うた(音楽)」、そしてもう1つ、「道具」がある。これらに関わる脳の領域や機能は、それぞれ独立して動く領域もあるが、同時に、多くの領域で機能的な重なりがあり、相互作用を行えることを意味する。
また、この3つの能力の進化をみると、短時間に急速に多様化、複雑化しているという。たとえば道具は300万年くらい前に登場したが、5万年前くらいまではほとんど変革はなかった。しかし、私たち人間の祖先が「ことば」を得るとたちまち急速な進化が始まったとされる。
言葉も音楽も、道具もどんどん進化し、新しいものができていく。それらは現在進行形でもある。
◎ちなみに、現在までに発見されている最古の楽器は骨製のフルート。ドイツ南部の遺跡で見つかったもので、4万年前のものと判定されている。このことを掲載したナショナルジオグラフィックの記事では、同じヨーロッパに分布していたネアンデルタール人が絶滅した理由のひとつには「音楽」があるかもしれない、と書かれている……のだが、今回、参考にした資料を読む限り、ネアンデルタール人もうたを歌っていたようだ。言葉は獲得していなかったようなので、そのあたりも含む複合的な要因があったのかもしれない。
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簡単に書こうと思ったのに、だいぶ長くなってしまった……。
でも考えてみると、バカ族とはまったく違う形だけれど、現代を生きる私たちの生活には、さまざまなジャンルの音楽のほかにも、「歌」「音楽」があふれている。
幼い頃には手遊び歌でよく遊んだ。童謡もよく歌った。
校歌。自分が生徒だったころは、何かというと歌わされて、少々面倒だったけれど、卒業して何十年もたつと、それは懐かしい。
仕事歌(作業歌とも)は、民謡の一種で、田植えや漁、酒造りなど大人数で作業をするようなときに歌われてきた。こういうのは、作業のテンポなどもありつつ、一緒に作業をする仲間同士の一体感を生むのにも役立っていると思う。
なぜかテレビやラジオの番組にはニュースでもドラマでもアニメでもスポーツ番組でも、必ず音楽がついている。オープニング曲、エンディング曲。映画もそうか。CMも。
物売り(いまではだいぶ減ってしまったが……)の声もメロディがついているものが多い。そろそろ走り始めるかな、焼きいも屋さん。何年か前までは、都内でも「さおだけ屋さん」の車も走っていたよね。「たけや~、さおだけ~」。灯油屋さんは人の声ではなくて、オルゴールのような音で、「雪」や「たき火」のような冬にちなんだ音楽を流すことが多い。
鉄道でも、いつの頃からか、ジリジリジリと急かすような発車ベルから、メロディに変わっていった。急に増えたのは1980年代のようだ。いまでは、ご当地発車メロディなんていうものもあって、遠出したり旅行先でそれを聴くと、とても楽しい。
きりがないので、このへんでやめておこう^^;
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ヒトはなぜ歌うのだろう。
音楽はどうしてこんなに人の心に響き、そして、そばにいてくれるんだろう。
どうして音楽は必要なんだろう。
そんなことを知りたくて書き始めた「音楽と脳」。言葉よりも先に音楽(うた)があったらしいこと、趣味や文化である以前に、人間の本質的、本能的なものだとわかって、それはとてもよかったな。1回の原稿量が多くなってしまったけれど、楽しく読んでいただけただろうか。もしそうだったら、うれしいです。
3カ月にわたって読んでいただき、ありがとうございました。
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●参考文献
『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫著 文藝春秋 2010
『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022
『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著
小野健太郎監訳
徳永美恵訳
ニュートンプレス 2022
『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021
NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送
「総合人間学」第8号 2014年9月 うたとことばからヒトの進化を考える 下地秀樹
「音楽知覚認知研究」Vol.22, No.1, 11-31,(2016) 音楽と言語の比較研究 星野悦子、宮澤史穂
「JT生命誌研究館」公式サイトから「進化研究を覗く 音楽と言語」西川伸一 2017
フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。