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2024年11月30日土曜日

ムーンライダーズ:『アマチュア・アカデミー 40周年記念盤』森 達彦 氏 インタビュー


 1976年のファースト・アルバム発表から現役活動する日本ロック、ポップス界の至宝とされるバンド、ムーンライダーズが、1984年8月にリリースした『アマチュア・アカデミー(AMATEUR ACADEMY)』(P-VINE PCD-18915)を、40周年記念盤として11月20日にリイシューした。 
 バンドの歴史上唯一、当時の所属レコード会社のA&Rマンだった宮田茂樹を外部プロデューサーとして起用したことで、他のアルバムとは明らかにカラーが異なり、通算9作目にしてファンの間でも「名作」「問題作」と異論が多いことで知られている。

  今回の40周年記念盤では、過去のリイシュー時にも収録されていたアルバム未収録のシングル曲と、別テイクから選抜された4曲をDISC1にボーナストラックとして収録し、DVDのDISC2には、オリジナルアルバム・リリース直前の1984年7月14日に渋谷公会堂で行われた、伝説的ライブ映像を4曲収録している。また16ページのブックレットの表紙には、黎明期だったCDとカセットのみで採用された、幻のカラー・ジャケット(ジャケット写真:伊島薫)が40年振りに採用されているので、ファンにとってはレアなコレクターズ・アイテムになったのではないだろうか。
 なお今回リイシューのリマスタリングは、ムーンライダーズと関係が深いシンガー・ソングライターの松尾清憲氏が、今年6月にリリースした最新アルバム『Young and Innocent』のサウンド・プロデューサーを務め、マスタリング・エンジニアとしても、これまで数多の作品を手掛けてきた、microstarの佐藤清喜が担当しているのも注目である。


DISC 1
1.Y.B.J.(YOUNG BLOOD JACK)
2.30(30 AGE)
3.G.o.a.P.(急いでピクニックへ行こう)
4.B TO F(森へ帰ろう~絶頂のコツ)
5.S・E・X(個人調査)
6.M.I.J. 
7.NO.OH
8.D/P(ダム/パール)
9.BLDG(ジャックはビルを見つめて)
10.B.B.L.B.(ベイビー・ボーイ、レディ・ボーイ)
ボーナストラック: 
11.Star Struck(BDLG English Ver.)
12. M.I.J.(Single Ver.)
13.GYM 
14.Happy Birthday(Demo Ver.)

DISC 2(DVD)Amateur Academy Live
1.Y.B.J.(YOUNG BLOOD JACK)
2.M.I.J. 
3.G.o.a.P.(急いでピクニックへ行こう)
4.NO.OH 

最前
鈴木慶一・Keiichi Suzuki(Vocals, Keyboards, Guitar, Bass)
2列目左から
武川雅寛・Masahiro Takekawa(Backing Vocals, Violin, Trumpet)
かしぶち哲郎・Tetsuroh Kashibuchi(Backing Vocals, Drums)
3列目左から
鈴木博文・Hirofumi Suzuki(Backing Vocals, Bass, Guitar)
岡田徹・Tohru Okada(Keyboards)
白井良明・Ryomei Shirai(Backing Vocals, Guitar, Percussion)


 管理人としては、ディープでコアなファンが多いムーンライダーズの名作を、ソフトロック/ポップス系の弊サイトで取り上げることはおこがましいのだが、前作『青空百景』(1982年)からリアルタイムでこのバンドの作品を聴き始め、本作『アマチュア・アカデミー』も高校1年生の頃に相当聴き込んだ、思い入れの強いアルバムだった。
 そのような個人的思いもあり、今回は特別にムーンライダーズと繋がりが深い、シンセサイザー・プログラマーの事務所hammer(ハンマー)の代表で、管理人も10年以上交流がある森達彦氏へのインタビューをおおくりする。

【hammer代表☆森達彦氏インタビュー】


「『アマチュア・アカデミー』は宮田さんがプロデューサーだったので、慶一さんは一歩引いたカタチになっていて、僕が知っているムーンライダーズの制作現場とは雰囲気が違っていました」



筒美京平先生の追悼企画以来のインタビューになりますが、今回はよろしくお願いします。 
先ずは森さんがムーンライダーズ(以降ライダーズ)とのお仕事から、『アマチュア・アカデミー』リリースとの時系列を含めて、hammerを設立した経緯をお聞かせ下さい。


◎森達彦(以下森):『アマチュア・アカデミー』(以降アカデミー)は、hammer が出来る直前にリリースされたアルバムなんです。hammerが出来たのも84年なんですが、アカデミーの録音は83年から84年の頭で、この録音中に会社(プログラマー・マネージメント会社)を作ろうって話になったんですよ。


●正しくアカデミーのレコーディングが、hammer設立に関わっていたんですね? 


◎森:もっと詳しい経緯を話しますと、アカデミーの録音は音響ハウスをメインに使っていたんですね。なんせライダーズの仕事は待ち時間がほとんどで、ロビーに居る訳ですよ。そうすると、(当時の)ライダーズ・オフィスの社長もロビーに居て「森君、忙しくしている?」と声を掛けられたので、僕もプログラマー仕事が軌道に乗り始めた時期だったから「いや~(笑)、だいぶ忙しくなりました」と。すると「これからはプログラマーの時代だよね。森君、会社を一緒に作ろうか」という話になって、それでhammerが出来たんですよ。
そういう意味では自分にとって、このアルバムはきっかけになった作品でもあるんです。


●因みにその当時はhammerのメイン機材となる、PPG Wave(※1)は既に導入されていたんですか?


◎森:いや~、まだですね。当時スタジオによく持って行ったのは、Linn Drum(※2)とシモンズ(※3)、それとEmulator I(※4)でした。まだギリギリ「I」で、hammerが出来た頃はもう「Ⅱ」でした。
それでLinn Drumは、ライダーズのレコーディングでは殆ど使われなくて、『青空百景』の頃からで、その前の『マニア・マニエラ』(以降マニエラ/1982年)でも使った記憶はないですね。


●マニエラのインナースリーヴ・クレジットを見ると、TR-808(※5)が多用されていたので、Linn Drumは使われなかったんでしょうね。


◎森:実はもっとライダーズとの経緯を遡りますと、レオ(ミュージック)に居た頃、ライダーズの初代マネージャーが、レオによくツインリヴァーブ(ギター・アンプ)を借りに来ていたんです。それで親しくなって、ライダーズの野球チームのメンバーが足りないから助っ人で来てよと誘われてね。それがきっかけで当時ライダーズが根城にしていた、タムコ・スタジオに出入りするになったんですよ。エンジニアは記憶では、ほとんどの場合SUPERBの田中信一さんで、アカデミーも田中さんでした。


●田中信一さんは、細野晴臣さんの『トロピカル・ダンディー』(1975年)や『泰安洋行』(1976年)も手掛けた名エンジニアの方ですよね。


◎森:そうです、そうです、ノイズにうるさい巨匠の方ですけどね(笑)。
当時岡田徹さんが持っていなかった、Linn DrumやEmulator Iをタムコに持って行くんですが、使ったり使わなかったりで、しかも待ち時間が長いんですよ。その待っている間に僕はタムコのはす向かいにあった雀荘に連れていかれたりしていました(笑)。 ライダーズのレコーディングって、くじら(武川雅寛)さんはダビングまですることが無くて、社長と二代目マネージャーの3人がずっと暇していたんですよ。それで「森を呼んで麻雀やろう」って、いつも企んでいたらしいです(笑)。草野球チームの助っ人に麻雀要員って、仕事には関係ないけど、そうやって僕はライダーズに関わっていくんですよ。


●そうだったんですね(笑)。でもどの業界でも人間関係の構築は大事ですから、関係性を築いていけたのは森さんの人徳だと思います。 


◎森:丁度タムコでマニエラのレコーディングしていた81年に、岡田さんはMC-4(※6)を買って自分で打ち込んでいたんですけど、時間が掛るし事故(エラー)が多いしで嫌になったらしいんです。それで土岐(幸男)君を特訓して覚えさせたんです。
それ以後ライダーズのプログラミングとシンセのオペレーションは、土岐君がメインでやるようになったんですよ。 


●その後土岐さんは、hammer設立時に入社される訳ですね。


 岡田徹氏サイン入り
カセットブック月光下騎士団
1984年 / 管理人所有)


◎森:そうです。話を戻しますが、アカデミーは宮田(茂樹)さんがプロデューサーだったので、(鈴木)慶一さんは一歩引いたカタチになっていて、僕が知っているライダーズの制作現場とは雰囲気が違っていました。


 ●なるほど、後の慶一さんのインタビューによると、当時ライダーズ側の窓口は白井(良明)さんにして、宮田さんと打ち合わせをされていたとか。曲毎のアレンジも白井さん主導で、後に岡田さんもアレンジャーとして加わっていくスタイルだったという。


◎森:はい、そうです。それで僕が知っている宮田さん像というのがあって、(清水)信之君がアレンジをやっていた頃のEPO(エポ)さんのレコーディングで、Linn Drumを持って行った際、宮田さんに「森君、Linn Drumの打ち込み方を教えてくれない」と言われたんです。そんな経験もなく短時間で覚えられる訳がないと思いながら教えたんですよ。そしたら直ぐに覚えちゃって、「この人なんなんだろう?」って思ったんです。 
僕は宮田さんをディレクター・タイプの人だと思っていたから、こういう楽器や編曲にまで口出しして、ダイレクトに関わる人って見たことがないんですよ。だからその頃から宮田さんは、本来在るべきプロデューサーのポジションの人で、凄く頭脳明晰で仕切るタイプの人なのかなと。 

僕みたいな外様のプログラマーが、こんなことを言うのは憚られるんだけど、今までのライダーズの制作現場って、「こんな録り方をしているんだ!」とか「こんなアイディアがあるんだ!」といった何が飛び出すか分からない雰囲気があったんだけど、アカデミーの現場では、そんな偶発的なことが許されないというか、宮田さんの頭にある予定調和の中でレコーディングが進んでいくみたいな感じでした。 
ちょっとネガティブな感想かも知れないけど、アカデミーを語る上でこれは重要点なので続けますが、つまり慶一さんの立ち位置っていうのは、それまでのライダーズの現場でおこなってきた「ハブ」的役割だったので、それが無かったという、独特なアルバムだと思います。慶一さんが一歩も二歩も引いた感じたという。


●やはり違いますよね、前後のアルバムと比べてもアカデミーの全体的雰囲気は。


◎森:そうなんですよね。ただ仕切るという意味では、ほったらかすと、スタジオ代が鬼のように掛かっているバンドなんでね(笑)。その後の『ANIMAL INDEX』(以降インデックス/1985年)や『DON'T TRUST OVER THIRTY』(以降ドントラ/1986年)は凄いことになったんです、スタジオ使用時間がね(笑)。
アカデミーに関する記事で、キックの音決めに一週間掛ったというのを見たんだけど、それはインデックスの時の話じゃないかと思いますよ。だって音響ハウスですよ、スタジオ代がタムコとは違うから(笑)。 


●スタジオ使用時間はバジェットにもろに影響しますからね(笑)。そういった意味でアカデミーは、それまでのライダーズのアルバムでは見られなかった、コントロールされたアルバムだったんだと改めて認識しました。例えるならXTCの『Skylarking』(1986年)で、プロデューサーのトッド・ラングレンが仕切っていたような感じですね。 
因みに機材についてなんですが、先にお聞きしたPPG Waveの本格的な導入時期はいつ頃だったんですか? 


左からWaveterm、PPG Wave 2.3(上段)
(画像出典元:https://www.flickr.com/)


◎森:岡田さんは初期のPPG Wave 2.2を持っていて、使っていたのかも知れないけど、Waveterm(※1)を含めてPPG Wave 2.3を導入したのはドントラからなんです。
丁度イタリアの知人楽器ディーラーが、PPGの販売から撤退するということで、在庫全てをhammerで引き取ったんですよ、1986年だったかな。
それでドントラから土岐君が一気にPPGの世界に塗り替えたんです。


●そうするとアカデミーで主に聴けるサンプリング・サウンドは、Emulator Iだったんですね?


◎森:そうです、アカデミーの頃は僕がEmulator Iを持って行ってセッティングしていたんです。それとLinn Drumは、「Ⅱ」がライダーズ・オフィスにあったから、使っているのかと思って聴き直すと、結構生ドラムの音が多いから、かしぶち(哲郎)さんが叩いていたんでしょう。シンセ・サウンドもそれまでのアルバムよりは少ないから、そういうコンセプトだったんでしょうね。


●岡田さんが作曲に参加してアレンジした曲「Y.B.J.」や「G.o.a.P.」は、結構Prophet-5(※7)らしい音が聴けますね。それから「M.I.J.」のスネアやタムは明らかにシモンズですねよ。これはかしぶちさんが実機を叩いたのを録ったんですか? 


◎森:はい、確かに1曲目(「Y.B.J.」)の音はProphetですね。シモンズはモジュール音源だけで、生の音をトリガーにして音を出していました。


●細かいですけど、「Y.B.J.」で聴こえる車のクラッシュ音やヘリが旋回する音までは、さすがにEmulator な訳ないですよね?  YMOの『テクノデリック』(1981年)の際、当時アシスタント・エンジニアだった飯尾芳史さんがポータブルテレコで工場の音を録音し、LMD-649(カスタム・サンプラー)に移して使ったような感じで、近距離で録音するには危険過ぎて不可能ですし(笑)。


◎森:やった記憶はないけど、SEをダビングしたかも知れません。
サンプリング関係では、「BLDG(ジャックはビルを見つめて)」は特に印象に残っていますね。あれは20個くらい音をサンプリングしたんです。Emulator Iって録音可能時間が2秒で、サンプリング・ポイントは1回につき2個しか立ち上げられなくてね。かしぶちさんが紙袋をパンと叩いて破く音や、音響ハウスの机の引き出しをガタガタと開け閉めする音、マネージャーが何かを叩く音とかね(笑)。
全部入っていると思うけど、慶一さんが指定した20個くらいの音をサンプリングして構築しているんですよ。だから今でもこの曲を聴くと、その時の光景が浮かんで強烈に覚えています。


●そうなんですね!想像はしていましたが、当時そこまで細かくサンプリングして、あのサウンドを構築していたとは!タイプライターを打つ音もありました。次の曲「B.B.L.B.」でもモチーフが近いサンプリング・サウンドが聴けましたね。
森さんの話をお聞きしていると、嘗て10㏄が「I'm Not in Love」(1974年)で、あのコーラス・パートでおこなったような、試行錯誤しながらも、綿密で神懸ったレコーディングの光景が目に浮かびます。


◎森:とにかくライダーズの中でも特に慶一さんって、ファクトリー(サンプラー付属音源)の音なんか使わないんですよ。それでアカデミー以降の話ですけど、ライダーズでサンプリングした音は、向こう1年間は他のレコーディングで使わないって、慶一さんから禁止令が出ていたんです(笑)。
でもその話にはオチがあって、ライダーズでサンプリングした音って、他では絶対に需要が無いから使えないんですよ(笑)。 


●やはり音作りの拘りが人一倍強い方らしいエピソードだと思います。しかも1年間門外不出の禁止令まであったとは(笑)。



鈴木慶一氏サイン入り『マニア・マニエラ』
アナログ・リイシュー盤(2022年 / 管理人所有)

 
◎森:その拘りが、インデックスとドントラでどんどん過剰になっていくんですよ。その後ブランクが4年ほどあったじゃないですか、それは多分嫌になったんでしょう(笑)。
だから一回冷却期間を作らないと精神的に参っちゃうと思うんですよ。
この機会にアカデミーを聴き直していますけど、このアルバムってシンセはワンポイント的にしか使われていませんね。


●当時イギリスでネオアコースティック系が出てきて、ギター主体のサウンドが隆盛な時期でもあって、同時期の音楽誌に(鈴木)博文さんが寄稿されていた文章を読むと、結構お好きで熱心に聴いていたと思うんですよ。だから手掛けた曲(「B TO F」や「D/P」)にもその影響が出ているんでしょう。


◎森:フー(博文)ちゃんも好きだったと思うけど、やはりこのアルバムは良明さんが主導した一面があったので、どうしてもギター・パートが増えていますね。
基本的に僕が知るアカデミーのイメージは、プロデューサー:宮田茂樹、アレンジャー:白井良明って感じです。 ただ途中から良明さんは、松尾(清憲)さんのファースト(『SIDE EFFECTS-恋の副作用-』)に付きっ切りになってしまったので、岡田さん主導のアレンジも増えていったんだと思います。僕は松尾さんのレコーディングにも、プリプロの頃からEmulator Iを持って参加していましたから。


●アカデミーでの主導アレンジャーの変遷には、そういう事情があったんですね。
  最後にエンジニアでもある立場から、今回のリマスタリングの音はどう感じましたか?


◎森:今回のリイシュー音源を聴いてみて、佐藤(清喜)ちゃんは本当に良いリマスタリングしたなと思っていますよ。
というのはね、何を素材にリマスタリングしたんだろうと思ったんです。つまりマスター・テープ(※8)は残っていない筈なんですよ。


●そうですね。40年という長い年月からマルチ・テープどころか、2chマスターすら残っている可能性は低いですからね。


◎森:この頃はひょっとすると、アナログで録っている可能性(※9)があるんです。それで僕が言わんとしていることは、これって田中信一の音なんですよ!凄くきれいな音がしている。
で、あの人のミックスした音を今風のリマスタリングにしたら、多分highが上がってあまり良くない音になっていたと思うんです。ちょっと音を潰して音圧を稼ごうとかしてね。それが一切感じなくてね、本当にびっくりしましたよ。
こんなにオリジナルのエンジニアが、誰って分かるリマスタリングは珍しいなと思って(笑)。


●おっしゃる通りです。佐藤さんの巧みなリマスタリング技術によって、巨匠の田中信一さんがミックスした、ライダーズの名作サウンドが蘇ったことに、多くのファンは感激していると思います。
今回は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。




【森達彦氏プロフィール】
長崎県出身のシンセサイザー・プログラマー、エンジニア、サウンド・プロデューサー。
1978年にレオミュージック入社。入社後にシンセサイザーのプログラミングを習得する。
1984年ムーンライダーズと共同出資で、プログラマーのマネージメントを業種としたhammer(ハンマー)を設立。
1987年には社名をHAMに変更するが、1991年に自身が立ち上げたインディペンデント・レーベルをHammer labelとしてその名を復活させている。
シンセサイザー・プログラミングの仕事の傍ら、プライベート・スタジオで後に渋谷系と呼ばれるクルーエル・レコードやエスカレーター・レコードのエンジニアリングをサポートし、現在は郷里の長崎に戻り音楽制作を継続している。 
プロデューサーとして手掛けた近年のアルバムは、サイケデリック・ギター・ロックバンドshinowaの『Flowerdelic』(2018年 / 弊サイト・レビュー記事)がある。


【注釈】
※1:PPG Wave~独Palm Products GmbH社製デジタル・シンセ / 製造時期:2.2>1982~84年、2.3>1984~87年。専用サンプリングマシンWAVETERMは2.3から接続可能だった。

※2:Linn Drum~米Linn Electronics社製ドラムマシン。製造時期:1982年~85年

※3:シモンズ~英SIMMONS社製シンセ・ドラム。六角形パッドが特徴だった。

※4:E-MU Emulator~米E-mu systems社製サンプリング・キーボード。Ⅰが1881年、Ⅱが1984年にリリースされ、散開前の後期YMOやDepeche Modeなどが多用した。

※5:TR-808~ローランド社製ドラムマシン。説明不要の名器。

※6:MC-4~ローランド社製シーケンサーで正式名はMC-4 MicroComposer。80年代に普及したシーケンサー。

※7:Prophet-5~米Sequential Circuits社製ポリフォニック・アナログシンセサイザー。Rev.1(1978年)からRev.3(1984)までリリースされ、欧米や日本を中心にプロミュージシャンの間でベストセラーとなった。

※8:マスター・テープ~今回のリマスタリングのマスター音源は、2004年の『アマチュア・アカデミー 20周年記念盤』と同じ、フジパシフィックミュージックに保管されていた、U-MATICテープをマスター・テープとして使用している。

※9:アナログ録音~『アマチュア・アカデミー』のレコーディング時は、3M社のデジタル・マルチトラック・レコーダーを使用していた。
つまりデジタル・レコーディングだった。

(※8, 9情報提供:平澤直孝氏)




(11月某日通話アプリにて / 企画・編集・設問作成・テキスト:ウチタカヒデ




2024年11月20日水曜日

広瀬愛菜:『21』


 若き女性シンガーの広瀬愛菜が、4年振りとなる待望のセカンドアルバム『21』(なりすレコード/SUNDAY GIRLS/NRSD-30142)を11月27日にリリースする。
 前作でファーストアルバムの『17』(NRSD-3092)が各所で賞賛されたことで、彼女とプロデューサーである関美彦に多大なプレッシャーがあったと思うが、それを軽々とクリアした完成度に筆者も敬服している。

 先ずは広瀬のプロフィールに触れるが、彼女は山梨県出身で3歳から歌を始め、2012年に山梨県と東京近郊を中心に活動するアイドルグループPeach sugar snowのメンバーとしてデビューした。2016年に同グループ卒業後、新たに3776(みななろ)に参加し、静岡県富士宮市のアイドルグループに参加し山梨担当として2018年3月まで活動していた。同年6月にミニアルバム『午後の時間割』でソロデビューし、現在までに1枚のフルアルバム、2枚のCDシングル、7インチ・シングルを1枚リリースしている。 
 『午後の時間割』からプロデューサーとして関わっているのが、鬼才シンガーソングライターの関美彦で、これまで弊サイトで紹介したシンガーソングライター青野りえのファーストやセカンドアルバムなどを手掛けていて高い評価を得ていた。
 

 本作『21』には関の他、彼が所属するROSE RECORDS主宰で、サニーデイ・サービスのリーダーの曽我部恵一、インスタントシトロンの結成メンバーで、脱退後はプロデューサーとして活動する松尾宗能ら、拘り派のポップス職人達が楽曲提供しているのは注目に値する。またレコーディングには『17』から引き続き、”善福寺BAND”が参加し、ピアノの長谷泰宏(ユメトコスメ主宰)ギターの山之内俊夫ベースの伊賀航、そしてドラムの北山ゆう子という手練なミュージシャン達が参加して巧みな演奏を繰り広げ、ミックスとマスタリングも前作同様、佐藤清喜(マイクロスター)が手掛けており、隙のない音作りの人材が勢ぞろいしている。

広瀬愛菜『21』 トレーラー

 ここからは筆者による本作収録曲の解説と、プロデューサーの関がアルバム制作中にイメージ作りで聴いていた、プレイリストと同サブスクを掲載するので、聴きながら読んで欲しい。
 冒頭の「Motor Cycle Girl(Cowgirl Song)」は、松尾宗能のソングライティングで疾走感のある2ビートのカントリー・ロックでアレンジされており、作者の松尾はコーラスの他、ハーモニカ、YC-20コンボオルガンでレコーディングにも参加している。バッキングは伊賀と北山の鉄壁なリズム隊に、長谷のクールなホンキートンク・ピアノと山之内のチェット・アトキンス・スタイルのギター・フレーズなど巧みな演奏が、広瀬のナチュラルで存在感のある声質(独特な倍音成分がある)を引き立てており、早くも本作の完成度が伺える。
 続く「天国にいちばん近い島」は、原田知世の6thシングル(1984年10月)のカバーで、原田が主演した同名映画の主題歌だった。作詞:康珍化(かん ちんふぁ)、作曲:林哲司というヒットした前曲「愛情物語」(84年4月)からのコンビによるもので、アレンジは筒美京平作品を200曲以上手掛けた萩田光雄だった。ここでのカバーは関と長谷が共同アレンジしてオリジナルのミディアムテンポと雰囲気は踏襲しつつ、長谷がプレイするDX7や関がプログラミングしたデジタルシンセの響きが懐かしくも新しいサウンドで原曲が生まれ変わっている。広瀬のボーカルはこの様なライト・バラード系の曲でもしっかり耳に残り、音域的によく計算された佐藤のミックスは成功している。
 「Everlasting」は広瀬自身が作詞し、that's all folksことギタリスト兼ボーカルのリョウが作編曲を担当している。彼は”都市とカンタータ”という男女2人組グループでも活動しており、本曲でもリズムセクション以外のストリングスと木管のアレンジ、プログラミングを手掛け、非凡な才能を披露している。曲調的には70年初期のポップスがルーツだが、柔らかなフルートやオーボエが鳴っている空間に、山之内のやや歪んだエレキギター・ソロが響くコントラストは新鮮で、広瀬による歌詞と切ない歌声がこのサウンドに溶け込み感動してしまう。



 本作中異色なのは、4曲目の「LA BLUE feat.MCあんにゅ ルカタマ」だろう。文化学園大学卒のファッションデザイナー兼ラッパーというMCあんにゅが作詞し、関とあんにゅが作曲したこの曲は、善福寺BANDのファンキーな演奏をバックに3名の女性がラップし合うという構成で、広瀬にとってはかなり新境地だ。レーベルメイトでシンガーソングライターのルカタマ(アイドルグループ”めろん畑a go go”出身)が、2023年7月に発表した「Lowlife( feat. MCあんにゅ)」で先にコラボしたことで、本曲に雪崩れ込んだと想像できるが、こういう異種ジャンル・コラボは今後のインディーズ界にとって、すそ野を広げるという意味で重要だと思う。肝心の演奏面では、伊賀の唸りまくるスラップベースや北山のフィルを多用したドラミング、後半突然現れる山之内によるインタープレイのギターソロでフェードアウトしていく。恐らくこのままセッションは続いて、スティーリー・ダンの『The Royal Scam』(1976年)セッションの様に長尺からベストテイク・パートをミックスしたのではないだろうか。関が演奏するCasiotone MT-65のフレーズ(Miles Davisの「Milestones」に通じる)も中毒性が高く、筆者が嘗て愛聴していたThe Brand New Heaviesの『Heavy Rhyme Experience  Vol.1』(1992年)で繰り広げられた、ヒップホップ・ビートと生のジャズファンクの融合を彷彿とさせて、本作中で最強無敵の曲かも知れない。
 善福寺BANDの長谷は男女ユニット”ユメトコスメ”を主宰していて、ソングライターとしても優れているが、本作には2曲を提供している。「女神と21番街のドレスアップ」はその一曲で、渋谷系を通過したトム・ベル(Thom Bell)などフィラデルフィア・ソウル・サウンドソフトロック・ファンにもアピールするだろう。生っぽいヴィブラフォンは長谷によるプログラミングで良いアクセントになっており、ニューヨークをモチーフとした架空の街でのストーリーを持つ歌詞を演出し、少し背伸びした世界観に広瀬の歌唱も溌溂としている。
 広瀬が作詞し関が作編曲した「new age」は、生演奏とプログラミングが融合されたクールなシティポップで、音数は少ない音像だが、マルチ・ショートディレイをかましたシンセパッドや無骨に連打されるキックなど関の打ち込みの拘りが感じられる。広瀬が自らの心情を吐露したような歌詞は言葉選びやその響きもサウンドによく溶け込んでいる。


 本作後半の「さよなら青春」は、広瀬のサークルバンド仲間である亀田奎佑のソングライティングで、広瀬は作詞を手伝っており、アレンジとオリジナルのバックトラックは亀田によって製作されていた。関の仕切りで善福寺BANDによってヘッドリアレンジされレコーディングされたと思われる。マイナー調のエイトビート・ポップスで、タイトルから想像できる通り、懐かしいメロディが印象に残る。
 長谷が提供したもう一曲の「女王陛下かく語りき」は、ボサノヴァのリズムで演奏され、ウィンドチャイムなど金物パーカッションは長谷がプログラミングしている。このタイプの曲では伊賀と北山によるリズム隊のダイナミックなプレイが肝であり、非常に素晴らしい。歌詞の世界観はアニメーションのテーマ曲のようで長谷の趣味が色濃く出ており、広瀬の若く瑞々しい声質にもよく合っていると思う。
 再び広瀬の作詞に関の作編曲のコンビによる「Let Us Go」は、本作中最もR&Bナンバーとして完成度が高く、善福寺BANDの長谷、山之内、伊賀、北山の掛け値なしの名演が聴ける。ストリングス・シンセのプログラミングとKORGのアナログ・ポリシンセは関がプレイしていて、広瀬のファルセット気味な歌声と共に、アーバンな歌詞の世界観を演出している。筆者的にはStephen Duffy & Sandiiの「Something Special」(1986年)など80年代中後期のUKソウル・サウンドに通じていて非常に好みなので、この曲と「LA BLUE」をカップリングした7インチ(12インチでも可)・シングルでのリリースを強く希望する。

 
サマービート/広瀬愛菜

 ラストの「サマービート」は前出の説明通り、サニーデイの曽我部恵一が提供し、善福寺BANDがヘッドアレンジしたキャッチーなロックンロール・ナンバーで、曽我部作品としては「夢見るようなくちびるに」(1999年)に通じる名曲だ。先行配信シングルとして10月1日にリリースされていて、サマービートと連呼するサビのリフレインするパートがこの曲の肝であり非常に耳に残る。本作中で最も広瀬のシャウトする声を聴ける。関はサビのコーラスとホーン・セクションのプログラミング、長谷はオルガンとDX7をプレイしてる。

 最後に本作の総評として多岐に渡るカラーを持つ収録曲の充実度と、数多のセッションで名演を残しているプレイヤーが揃った善福寺BANDの演奏、確かな耳を持つ佐藤のミックスとマスタリング、それをまとめ上げた関のプロデュース力によって、広瀬の最高傑作として仕上がっている。
 筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。


広瀬愛菜『21』関美彦プレイリスト サブスク 


◎プロデューサー・関美彦
レコーディングの際に実際メンバーのみなさんに聴いて頂いた曲、また僕が思い描いたイメージの曲たちをあげさせて頂きます。

■Hot Dog / Led Zeppelin(『In Through The Out Door』/ 1979年)
◎松尾さんの「Motor Cycle Girl」をレコーディングする際みんなに聴いてもらった。
 めっちゃ盛り上がった。ゆう子さんはジョン・ボーナム好きだし!

■The Theme From Route 66 / Nelson Riddle
(『Route 66 And Other T.V. Themes』/ 1962年)
◎また松尾さんの曲。長谷さんにピアノのニュアンスの説明の際、こんな洒脱な感じと聴いてもらった。

■Don't Look back In Anger / Oasis 
 (『(What's The Story) Morning Glory?』 / 1995年)
◎That'sさんにつくってもらったEVER LASTING。
 最初はロジャー・ニコルス的なMORかと思ったがエレキが入ったらオアシスじゃないかと。その場でThat'sさんに伝えたら、「そう感じてくれたらうれしい」と言われた。

■Waterfalls / TLC(『Crazy Sexy Cool』/ 1995年)
■Mt.layerd / DMBQ(『Jinni』/ 2000年)
◎ラップ曲をつくるにあたっての漠然としたイメージはTLC。
 ドラムとエレキが入ったらDMBQみたいになった!

■Odara / Nara Leão and Caetano
 (『Os meus amigos são um barato』/ 1978年)
◎長谷さんから自作曲レコーディングの際に聴かせて頂いた曲。
 なるほどおしゃれだなあ。

■Super Shy / New Jeans(『Get Up』/ 2023年)
■Perfect Night / Le SSERAFIM(『Perfect Night』/ 2023年)
◎レコーディングに入るまえに愛菜さんに聴いたらK-POPが好きだとの事。
 僕の曲はこんなイメージがあった。曲つくりのディテールも。

■Heat Wave / The Jam(『Setting Sons』/ 1979年)
■Let's Go / The Cars(『Candy-O』/ 1979年)
◎サマービート。曽我部くんから曲を頂いたとき聴いたイメージはモータウン! 
 リハの際みんなでいろんなヒートウェイブ聴いた。
 ミックスはカーズのようにコンパクトなロックをと、佐藤さんに話した。

Surfer Girl / The Beach Boys(『Surfer Girl』/ 1963年)
 ◎レコーディングがすべて終わり、残ったメンバーでPVを見た。
  ただため息だった。
 


(テキスト:ウチタカヒデ















2024年11月9日土曜日

Wink Music Service:『It Girls』


 サリー久保田と高浪慶太郎によるポップ・ユニット、Wink Music Service(ウインクミュージック・サービス/以降WMS)が、待望のファースト・アルバム『It Girls』(VIVID SOUND/ VSCD9741)を11月20日にリリースする。
 昨年のデビュー・シングル『ローマでチャオ/ヘンな女の子』(VSEP859)の発表後、今年に入って2月から隔月で7インチ・シングルを3枚リリースしており、その全てが即完売してしまったという。
 
  彼らWMSは、ネオGSムーブメントを牽引したザ・ファントムギフトでデビューし、近年ではSOLEILからザ・スクーターズなど数多くのバンドに参加するベーシストでプロデューサー、またデザイナーでもあるサリーが、ピチカート・ファイヴ解散後音楽プロデューサー兼作曲家として活動していた高浪に「極上のポップ・ミュージックを作ろう」と誘い結成されたユニットである。 このベテラン・クリエイター2人が、それぞれ培ってきたセンスと活動戦略によって、シングル毎にフォトジェニックな美少女ハーフ・モデルのアンジーひより、オーバンドルフ凜、そして現役アイドルの白鳥沙南をゲスト・ボーカルとして参加させて、大きな成果を残している稀な存在なのだ。


高浪慶太郎   サリー久保田

アンジーひより   オーバンドルフ凜    白鳥沙南

 今回CDアルバム制作に際し、7インチ・シングル4枚分8曲の既出曲にプラスして、サリー作のインスト曲と、高浪が1992年にクレモンティーヌの『アン・プリヴェ~東京の休暇』に提供した「マドモアゼル・エメ」のセルフカバーを収録している。またリマスタリングは今年6月にリリースされた、松尾清憲の『Young and Innocent』(名作!)のサウンド・プロデュースを務め、マスタリング・エンジニアとしても、目下売れっ子のmicrostarの佐藤清喜が担当し、CD化の音質向上も計られていて信頼度も高い。
 筆者がこれまでに弊サイトで紹介済みの『ローマでチャオ/ヘンな女の子』、『素直な悪女/ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~』、『Fantastic Girl/Der Computer Nr.3』は、当時の記事を読んで頂くとして、ここからは、フォース・シングル『ミツバチのささやき/ロマンス』収録曲と、新曲2曲について紹介していく。 

★『ローマでチャオ』(短冊CD盤)>レビューはこちら

『素直な悪女』+『Fantastic Girl』>レビューはこちら

 
  冒頭のタイトル曲「It Girls」は、前出の通り、サリー作の書き下ろしの新曲インストで、ボサノヴァのリズムにフルートと男女のスキャットがリードする。イタリア映画サウンドトラックの巨匠ピエロ・ピッチオーニの『I Giovani Tigre』(1968年)、イギリスのジャズ・ピアニスト、ロジャー・ウェッブがライブラリー・ミュージック・レーベルDe Wolfe Musicに残した『Vocal Patterns』(1970年)に通じる、愛らしく風通しの良いノベルティ・ミュージックだ。

 「マドモアゼル・エメ」は高浪の曲にクレモンティーヌ自身とエンジニアの青柳延幸が作詞をしていて、オリジナル・アレンジでは打ち込みのドラムトラックとシンセ・ベース、アコースティックギターのアルペジオによるリズムセクションに、ブルースハープとスライドギター、口笛が絡むという1992年当時でも斬新な編成だった。
 ここでのセルフカバーは、よりタイム感を緩くしてハース・マルティネスの「Altogether Alone」(『Hirth From Earth』収録/1975年)に近い変則ボサノヴァのリズムで高浪が歌唱する。ホールトーン・スケールのイントロやノベルティな男女コーラスをはじめ、キーボード類の音色やエフェクト処理により、ソフトサイケでマジカルな音像となった。その曲調からセルジュ・ゲンスブール・ミーツ・ハースというべき唯一無二なサウンドに仕上がっていて、筆者としても非常に好みである。

『ミツバチのささやき/ロマンス』

 フォース・シングルのタイトル曲「ミツバチのささやき」は、まずその題にヨーロッパ映画マニアは強く反応するだろう。名匠ビクトル・エリセの1973年監督作スペイン映画で、主演の少女アナを演じたアナ・トレント(Ana Torrent)による、5歳とは思えない存在感に圧倒される。日本では後の1985年に初公開後、拘りを持つ映画マニアに絶賛された、知る人ぞ知る作品なのだ。因みにアメリカのカルト・ロードムービー『Stranger Than Paradise』(1984年)、『Down by Law』(1986年)などで知られる、ジム・ジャームッシュ監督もフェイヴァリット映画に挙げており、アナに求婚したいとまで言わしめた映画と説明すれば、その素晴らしさを理解してくれるだろう。
 余談が長くなったが、この曲は高浪の作曲とWMSの準メンバーでmicrostarの飯泉裕子による作詞で、アレンジはWMSと岡田ユミが担当している。ゲスト・ボーカルにはアイドル・グループさくら学院(所属期間:2018年~2021年)出身で、2023年からはLIT MOONのメンバーとして活動している白鳥沙南を迎えている。
 小柄で愛らしいドール・フェイスを持つ白鳥のキャラクターを活かした歌詞と、ドリーミーな古き良きハリウッド・スタイルのコンボ編成アレンジは、弊サイトの主な読者であるソフトロック・ファンにもアピールするだろう。サリーのベースに、原"GEN"秀樹のドラムとノーナ・リーヴスの奥田健介のエレキギターのリズムセクションを基本として、アレンジャーの岡田がキーボード類と上物を被せたサウンドは、各自の巧みな演奏もさることながら、楽し気なこの曲の雰囲気をうまく演出して、プリティな声質の白鳥と高浪のデュエットを引き立てている。

 7インチでは「ミツバチ・・」のカップリング曲で、本作『It Girls』のラスト曲となるのは「ロマンス」のカバー曲で、オリジナルはトーレ・ヨハンソン(Tore Johansson)がアレンジとプロデュースを手掛けた、原田知世の1997年リリースの20thシングルだ。
 原田自身の作詞に、作曲はヨハンソンが手掛けたスウェーデンのバンド”Freewheel”のウルフ・トゥレッソン(Ulf Turesson)によるものだ。ヨハンソンはThe Cardigansを中心に1990年代中期に日本でも渋谷系の文脈で注目された、スウェーデン・ポップ・バンドを多く手掛けたことで音楽マニアにも広く知られていた。原田もこの曲が収録された『I Could Be Free』(1997年)と前年の『Clover』(1996年)の5曲、翌年の『Blue Orange』(1998年)の3作をスウェーデンのマルメにあるTambourine Studiosでレコーディングしている。原田のオリジナルでは、このTambourineサウンドを象徴する60年代~70年代前半のメロディ重視の良質なポップスに80年代ネオアコを内包させたような、アコースティックギターのカッティングが効いた、ホーン入りのエイトビートで演奏されている。
 ここでのカバーは、なんとスカでアレンジされて、オリジナルとはカラーの異なる風合いになった。日本最初のスカバンドとされるThe SKA FLAMES(1985年~)からトロンボーンの溝呂木圭、パーカッションにはジャズ・ドラマーとしても知られる井谷享志がゲスト参加しており、このスカ・サウンドに貢献している。サリーをはじめとするWMSのリズムセクションもフレキシブルに対応しているが、特に原のドラミングは白眉で、NORTHERN BRIGHTのメンバーとして活躍してきたプレイは聴きものだ。このように疾走感のあるスカ・サウンドでカバーされたことで、マイナー・キーの原曲は白鳥と高浪の歌唱により、更に切なく耳に残るのである。

 サリー久保田と高浪慶太郎による究極のポップ・ユニット、Wink Music Servicの全貌が、正式にアルバムとしてリリースされるので、筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。

(テキスト:ウチタカヒデ







2024年11月1日金曜日

shino kobayashi / small garden:『Mijn Nijntje(“私のナインチェ”)』


 今年2月に8年振りのアルバム『The Wind Carries Scents Of Flowers』(*blue-very label*/ blvd-043)を発表した、シンガー・ソングライターの小林しのが、同アルバムに2曲でアレンジャーとして参加したSmall Gardenの小園兼一郎とのタッグで7インチEP『Mijn Nijntje(“私のナインチェ”)』(blvd-051)を11月3日の「レコードの日」にリリースする。
 オランダ語のタイトルを持つ本作は、架空のサウンドトラックというコンセプトで『The Wind ・・・』でのコラボレーションの続編と言うべきサウンドに仕上がっている。アレンジと全演奏の他、ミックスとマスタリングも小園が担当し、アートワークはスリーヴ・デザインの岩渕あすかとジャケット・フォトのdavis k.clainという2人で、同じブルーベリー・レーベルからリリースされている、女性シンガー・ソングライターのツキトウミの諸作も手掛けている。

小林しの

Small Garden・小園兼一郎

 弊サイトでこれまでの作品を高評価していた両者のコラボは、小林のセカンド・アルバム『The Wind ・・・』収録の「5メートルの永遠」と「海の底で」でその成果を感じていたが、本作では更に深化して魅力的なサウンドに仕上がっているので、収録曲を解説していく。
 サイドA冒頭の「Garden's Gate」は、小園が作曲したスキャット入りボサノヴァ・インストルメンタルの小曲で、フルートを含め全ての演奏を小園が担当している。スキャットは二人によるもので、サウンド的には『ランプ幻想』(2008年)時のLampにも通じた独特の音像である。
 続くタイトル曲「私のナインチェ(Mijn Nijntje)」は、小林のソングライティングだが、小園のアレンジによりSmall Gardenの諸作に近く、引き算の美学で音数を整理し空間系エフェクターで処理されたサウンドは、小林のファンシーなボーカルをよく引き出して視覚的歌詞を浮かび上げている。柔らかい音色のシンセサイザーのフレーズやモジュレーション・ディレイの処理など、トーマス・ドルビーが手掛けていた頃のプリファブ・スプラウトを彷彿とさせて、好きにならずにいられない。

 
短編映画サントラ"Mijn Nijntje ~ 私のナインチェ" trailer (blvd-051) 

 サイドBの冒頭「A Tsui A-KI」(暑い秋?)は小園作のインスト小曲で、ソプラノ・サックスがリードを取り、フルートのアンサンブルにピアノとヴィブラフォン、パーカッションによる編成で演奏される。マルチ・プレイヤーである小園の才能がここでも発揮されている。
 続く「summer in blue jelly」は小林のソングライティングで、本作収録の歌物の一曲で、彼女の作風を活かすべく、ベースとドラムのリズム隊にエレキギターが入るギター・ポップ風ながら、他の楽器を加えて全体的な音像をSmall Garden印に持って行くのが小園らしさだろう。 休符を活かした表情豊かなニュアンスのソプラノ・サックスのソロ、エレキのカッティングのトリートメント、ウィンドチャイムやチャフチャスといったパーカッションまで使用しており、繊細なミックスも非常に素晴らしい。
 ラストの「Garden's Gate part 2」は、小園作のスキャット入りインストルメンタル小曲で、小林作の「Garden's Gate」の変奏曲ではない同名異曲だ。こちらはアコースティック・ピアノとエレピ、アコースティックギターだけのシンプルな演奏に、小林の一人多重スキャットが乗るミニマル・ミュージックで、後ろ髪を引かれるノスタルジーを感じさせる。
 
 全体的に小園のサウンド・プロダクションに信頼を置いている姿が、”shino kobayashi in Small Garden”といったファンタジー・ワールドを観ているようで、『The Wind ・・・』リリース時の小林へのインタビューで語っていた小園へのシンパシーを改めて感じさせた。

「小園さんの作品の優しい太陽の日差しのようなオーガニックな音作りや、反対に深夜のよ うな暗さがあるところも好きでした。 小園さんの携わる音楽の、緻密だけれど自然体で、計算されているような、されていないような、華やかなのに派手ではない不自然ではないところが好きでした。」

 数量限定の7インチEPなので、筆者の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは、リリース元レーベルのオンラインショップで予約して確実に入手しよう。

*blue-very label*オンラインショップ:


【小林しの出演イベント:11月のフィリアパーティー
〜Harmony hatch 25th anniversary〜


11月恒例のレーベルイベントです。
小林しのはファーストキャリアのバンドHarmony hatchセット。
Abebeによるユニットarchaic smileは、初期メンバーで現在は作詞家として
活動する磯谷佳江を迎えた貴重な編成。
また名古屋からthe vegetablets、山口からshinowaが東京に集結。
DJはtarai、そしてブルーベリーレーベルの出店、物販も充実です。

2024/11/17(日)
mona records
11:30 OPEN 
12:00 START
出演 :
archaic smile
(Abebe with Yoshie Isogai)
the vegetablets
shinowa
小林しの(Harmony hatch set)
DJ : tarai(hdht!)
Store : blue-very label
前売¥3000+1drink
当日¥3500+1drink

もしくは各出演者まで 。


(テキスト:ウチタカヒデ


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2024年10月20日日曜日

音楽と脳 ③ 最終話 「うた」が先か、「ことば」が先か



今年4月6日、有明の東京ガーデンシアターで開催されたジェイムス・テイラーのコンサートでのこと。コンサートが終わり、「あぁ、よかったなぁ。幸せな時間だったー」と思いながら係員の誘導にしたがって、会場の外に出るべく歩いているとき、まわりにいる大勢の人たちを眺めていて、不思議な気持ちになった。

「あぁ、この人たちと、同じ時代に、同じ音楽を聴いてきたんだ…」

あの日、同じ空間で、同じミュージシャンの歌を聴いたというだけの、まったく知らない人たちなのに、みんな仲間のような気がして、ほんのり安心するような、そんな気持ちになった。親近感。一体感。この感情の正体は、いったいなんだろう。

 

……なんていうことを、ふと思い出し、もしかしたら、トミーとポール(「音楽と脳」①で紹介したアルツハイマー型認知症患者のふたり)も同じだったんじゃないかな、と考えてみた。 認知症の症状が悪化していくなか、なにかの機会でふたりは出会い、ビートルズの歌を聴き、一緒に歌ったりする経験を重ねるうちに、認知症の症状が改善していく。その背景には、①と②で書いた脳の記憶の領域や仕組みという構造的なことに加え、一体感といった感情、人間としての本質的な、なにか本能的なものが働いていたのではないか。

 

そんなことも考えながら、さらにリサーチをすすめていくことにした。

現生人類ホモ・サピエンスは、人類の歴史のなかで、そして霊長類のなかでも、唯一、「言葉」をもつこと。

脳のなかで「言葉」と「音楽」を認知する領域はとてもよく似ていることが意味するものは?

「音楽」と言ってしまうと、現在の、楽器をつかった演奏や楽曲を思い浮かべてしまうけれど、太古の昔は、声? リズム? 「うた」のようなものから始まったんじゃないか……などなど。



「みんなで歌うこと」が生活の中心にある民族の存在

 

と、ここで、今年5月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「フロンティア」~「ヒトはなぜ歌うのか」の内容に戻ってみる。番組では、上記アルツハイマー型認知症患者のトミーとポールの症例のほかに、「音楽が言語よりも大事な意味を持つ」という文化をもつ「バカ族」が取り上げられている。

一説によると、「バ」は「人」、「カ」は「葉っぱ」で、バカ族とは「森の民」という意味だとか。アフリカ中部のカメルーンや中央アフリカ、コンゴ共和国などの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民族で、暮らしのなかで頻繁に歌をうたう「音楽の民」としても知られる。

また、バカ族は、1020万年前のDNA(または遺伝的特徴)を色濃く残しているとされ、言語や暮らしなど人類に関するさまざまな分野の研究者から注目されている民族でもある。

番組では、京都大学の特任研究員、矢野原佑史さん(音楽人類学)が、バカ族の暮らしぶりを取材し、歌を録音するなどして情報を集め、その歌を、沖縄県立芸術大学の講師、古謝麻耶子さん(民族音楽学)が分析して、「音楽が言語よりも大事」という文化の意味を探っている。

 

 

バカ族の「うた」は共同体の生き方そのもの

 

バカ族で主に歌うのは女性たちだ。なにかのタイミングで、年長の女性が手拍子を始め、まずはひとりで歌いだす。すると、ほかの女性たちが次々と歌に加わっていく。

「みんなで歌うこと」を「ベ()」といい、祖先から歌い継がれてきたもので、ひとりきりで歌うことはないそうだ。みんなで歌う。でも、現代の音楽、たとえばポップスのように主旋律をユニゾンで歌うわけでも、コーラス的にハモるわけでもない。みんな、別々の旋律を歌っている印象。それなのに、絶妙に重なり合って、踊り出したくなるようなグルーブ感も生まれてくる。

 

一日のなかで、何度も、歌の時間があり、みんなが声をあわせて歌う。でもふいに歌は終わる。

「彼らの音楽はいつも最高潮に達するちょっと手前で止めて、また日常の時間が流れていく(「鍋、かけっぱなしだった」とか、「バナナでも取りにいこう」とか)。そしてまた誰かが手を叩きはじめると、また音楽の時間がはじまる。その繰り返しで、ちょっとずつ音楽的時間が増えていって、徐々に熟成して、コミュニティの音楽をみんなでつくっていく感じ」(矢野原さん)

 

男たちが狩りに行くときには、村に残る女性たちが「イエリ」という歌を歌う。生きていくために必要な獲物が手に入るように、森の神や動物の心に訴えかけるという意味があるそうだ。また、夜になると、長老的立場の人が中心となって、「リカノ」という歌を歌う。これは、民話、昔話のようなもので、「相手のことを疑うな」「お互いを思うときは歌を歌え」など、森の民としての生き方を歌で教わるのだという。そのほか、暮らしのなかのさまざまな場面で歌う歌があり、生まれてきた子どもは、赤ちゃんの頃からその歌を聴く。そのうち、一緒に歌うようになる。

 

「ヒトはなぜ歌うのか」の公式サイトに、バカ族の女性たちが歌う様子の短い動画が出ている。それを見ると、各人が、自由に、自分が歌いたい旋律を歌っているかのようで、全体にバランスがとれていることがわかる。それは、幼いころから積み上げてきた「歌う」ことの経験によるものだろう。

分析をした古謝さんによると、「この人が、ほかのメロディにいった。このメロディがなくなったから、自分はそれを歌おう、みたいなことが、聴いているとわかるんですね。この人が、このメロディをやめてほかのメロディにいった瞬間、別の人がそこを埋めるように入ってきたりする」とのこと。

どんどん流れていく「歌」のなかで、それができるのは、一緒に歌う仲間の存在を意識して、その歌声や旋律、リズムをよく聴いているからだ。よく聴いて、寄り添ったり、サポートしたり、代わりを務めたりしている。それはまるで、支え合い暮らしていく共同体の生き方そのもののように思える。

熱帯雨林という過酷な環境のなか、家族の命を守り、食料を得、楽しく生き、命をつないでいくためには、「集団のきずな」が必要不可欠だ。そのためには、一緒に声を合わせること、歌を歌うことでの一体感。助け合える、みんなで生きていくのだという意識を高めるのに、歌が最適だったということか。

 

……というかたくるしい説明もありつつ、でも何より、歌っているバカ族の人びとが楽しそうなのが、いい。楽しそうで、一体感がある感じ。これが一番大切なのかもと感じる。

また、女性たちの手拍子は2拍子、男性がたたく打楽器は3拍子で、ポリリズムと呼ばれる独特なリズム感が生まれていて、思わず、リズムととったり、踊り出したくなるグルーブ感。脳科学的には、次に書くように、「報酬系が喜んでいる」になってしまうのだけど^^;

 

 

ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」 


「ヒトななぜ歌うのか」の番組のなかで、ノースイースタン大学で音楽と脳の関係を研究するサイキ・ルイ博士がこんなことを言っている。

「他人と一緒に歌ったり、体を動かすことは同じ体験の共有。〝助け合える〟サインだといっていい。社会的動物であるヒトにとって、報酬を感じる行動です。(脳の)報酬系は食欲など生存上不可欠なもので活性化します。報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽がヒトの生存に不可欠だということになります」

「ヒトにとって社会的につながることはとても重要。協力すれば多くの仕事ができる、食料も分け合える。ヒトが音楽を手にしたのは進化上の『適応』だったと思います」

 

つまり、本能的、ヒトの本質的な部分に「音楽」があるということだ。

進化上の適応。

というか、言い方を変えると、音楽や言語、そして道具などを生み出す脳の構造を持っていた、そういう進化上の適応があったからこそ、約30万年前に出現したホモ・サピエンス、私たち人間は2024年の現在も生き続けていられる、ということだと思う。(*なぜ突然、「道具」が出てきたかについては、あとで少し触れますね)

 

 

「うたのようなもの」が、「言葉」と「音楽」に分かれて進化した

 

音楽や言葉については、その起源を探るのがとても難しいそうだ。道具や壁画などと違って、化石や遺跡として残っていないからだ。

しかし、古代ギリシャの時代から、学者たちは、天文学や医学と同じように、音楽についても論じてきた。また、18世紀から19世紀にかけては、ルソーやダーウィンが、言語の「音楽起源論」を発表するなど、言語の発生についての議論が繰り返しあった。しかし、言語神授論(言語は神が授けてくれたもの)を批判する研究者がいて問題になるなど、当て推量でものを言うな!的な風潮が高まり、ついにはパリ言語学会が「言語の起源と進化に関する論文を受けつけない」と決定して研究は滞り、再び研究や議論がなされるようになったのは、20世紀半ば頃だという。

その後、遅れを取り戻すかのように研究が盛んに行われ、いまでも議論は続いている。どの理論もいまだ「仮説」の域を出ないそうだが、今回参考にした資料をみると、現在は「音楽起源説」が主流らしい。

なかでも、私にでもわかりやすくて、納得感のある考察をしていたのが、岡ノ谷一夫(帝京大学先端総合研究機構教授/理化学研究所研究員など)の研究だった。岡ノ谷先生の書籍や論文を引用して、解説している参考資料やサイトがいくつもあった。これらをまとめて、きちんと説明しようとすると、本1冊分にもなりそうなので、あまり専門的になりすぎないよう、その一部を簡単にまとめてみようと思う。

 

◎まず考え方として、生物学的探求のアプローチとして「前適応説」というものがある。たとえば、鳥の羽毛は保温のためにできたものだが、やがて飛ぶ機能に発展した。これと同じように、言語とは直接関係のない、ほかの機能のために進化してきた機能がいくつか組み合わさって適応し、「言語」を獲得した、と考える方法。

 

◎音楽起源説の「前適応」

人間の赤ちゃんはとても大きな声で泣く。こんな目立つ行為は他の動物では考えられないこと。どうしてそうなったのか……。

人間の祖先が火や石器、道具を使うことを覚え、集団生活を営むようになると、野生生物などに襲われる危険性が減った→赤ちゃんが大きな声で泣いても生命が脅かされることが減った→大きな声で泣いて意思表示をし、親に世話をやいてもらうほうが生存には有利→大声で、いろいろな泣き声を出すためには、呼吸を自由にコントロールする機能が必要→この「呼吸を自由にコントロールできる機能」は、どんな動物にもあるわけではなく、これを得たことで、ヒトに発声学習の機能が備わった→これが、ホモ・サピエンスが言葉を得るための大事な「前適応」になった、とする考えがある。

 

◎「言葉」は「うたのようなもの」から始まった

親と子、家族、仲間たちとのコミュニケーション。はじめは、「あ」「う」「わ」など意味のない「音」を組み合わせて、そこに抑揚(メロディ的な…)や、声の強弱などがついた「うたのようなもの」で始まったと考えられる。そのほうが相手の意識を引きつけるのに便利だったのだろう。それが、何世代、何十世代と繰り返されていくうちに次第に、「狩りに行こう」「そこに危険な動物がいる。逃げよう」などの状況に合わせた「決まった歌詞(文章)のようなもの」ができていき、同時に文節もでき、状況に合わせた「音」の組み合わせができて、「狩り」「逃げる」といった「単語・言葉」ができていったのではないか。

 

◎そうした「うたのようなもの」は、その後、「言葉」と「うた・音楽」に分化して、それぞれ、脳の機能と共に進化していった。だから、世界のどこに行っても、「言葉」と「うた・音楽」がある。

 

◎脳の機能が共進化することで、食料を得ること、配偶者の競争(いい声で情熱的な「うた」を歌える男性のほうがモテた!とか……^^)、親子・家族関係、集団行動なども進化していき、それが、新たな道具の発明や、住む地域の移動……という具合に人類の生活も大きく変わっていったのではないか。

 

◎人間特有の能力としては、「ことば」「うた(音楽)」、そしてもう1つ、「道具」がある。これらに関わる脳の領域や機能は、それぞれ独立して動く領域もあるが、同時に、多くの領域で機能的な重なりがあり、相互作用を行えることを意味する。

また、この3つの能力の進化をみると、短時間に急速に多様化、複雑化しているという。たとえば道具は300万年くらい前に登場したが、5万年前くらいまではほとんど変革はなかった。しかし、私たち人間の祖先が「ことば」を得るとたちまち急速な進化が始まったとされる。

言葉も音楽も、道具もどんどん進化し、新しいものができていく。それらは現在進行形でもある。

 

◎ちなみに、現在までに発見されている最古の楽器は骨製のフルート。ドイツ南部の遺跡で見つかったもので、4万年前のものと判定されている。このことを掲載したナショナルジオグラフィックの記事では、同じヨーロッパに分布していたネアンデルタール人が絶滅した理由のひとつには「音楽」があるかもしれない、と書かれている……のだが、今回、参考にした資料を読む限り、ネアンデルタール人もうたを歌っていたようだ。言葉は獲得していなかったようなので、そのあたりも含む複合的な要因があったのかもしれない。


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簡単に書こうと思ったのに、だいぶ長くなってしまった……。

 

でも考えてみると、バカ族とはまったく違う形だけれど、現代を生きる私たちの生活には、さまざまなジャンルの音楽のほかにも、「歌」「音楽」があふれている。

幼い頃には手遊び歌でよく遊んだ。童謡もよく歌った。

校歌。自分が生徒だったころは、何かというと歌わされて、少々面倒だったけれど、卒業して何十年もたつと、それは懐かしい。

仕事歌(作業歌とも)は、民謡の一種で、田植えや漁、酒造りなど大人数で作業をするようなときに歌われてきた。こういうのは、作業のテンポなどもありつつ、一緒に作業をする仲間同士の一体感を生むのにも役立っていると思う。

なぜかテレビやラジオの番組にはニュースでもドラマでもアニメでもスポーツ番組でも、必ず音楽がついている。オープニング曲、エンディング曲。映画もそうか。CMも。

物売り(いまではだいぶ減ってしまったが……)の声もメロディがついているものが多い。そろそろ走り始めるかな、焼きいも屋さん。何年か前までは、都内でも「さおだけ屋さん」の車も走っていたよね。「たけや~、さおだけ~」。灯油屋さんは人の声ではなくて、オルゴールのような音で、「雪」や「たき火」のような冬にちなんだ音楽を流すことが多い。

鉄道でも、いつの頃からか、ジリジリジリと急かすような発車ベルから、メロディに変わっていった。急に増えたのは1980年代のようだ。いまでは、ご当地発車メロディなんていうものもあって、遠出したり旅行先でそれを聴くと、とても楽しい。

 

きりがないので、このへんでやめておこう^^;

 

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ヒトはなぜ歌うのだろう。

音楽はどうしてこんなに人の心に響き、そして、そばにいてくれるんだろう。

どうして音楽は必要なんだろう。

そんなことを知りたくて書き始めた「音楽と脳」。言葉よりも先に音楽(うた)があったらしいこと、趣味や文化である以前に、人間の本質的、本能的なものだとわかって、それはとてもよかったな。1回の原稿量が多くなってしまったけれど、楽しく読んでいただけただろうか。もしそうだったら、うれしいです。

3カ月にわたって読んでいただき、ありがとうございました。


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●参考文献

『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫著 文藝春秋 2010

『音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学』大黒達也著 朝日新聞出版 2022

『音楽と人のサイエンス 音が心を動かす理由』デール・パーヴス著 小野健太郎監訳 徳永美恵訳 ニュートンプレス 2022

『新版 音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』ダニエル・J・レヴィティン著 柏野牧夫解説 西田美緒子訳 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 2021

NHK フロンティア「ヒトはなぜ歌うのか」 2024年5月2日放送

「総合人間学」第8号 2014年9月 うたとことばからヒトの進化を考える  下地秀樹

「音楽知覚認知研究」Vol.22, No.1, 11-31,(2016) 音楽と言語の比較研究  星野悦子、宮澤史穂

「JT生命誌研究館」公式サイトから「進化研究を覗く  音楽と言語」西川伸一  2017



大泉洋子

フリーのライター・編集者。OLを経て1991年からフリーランス。下北沢や世田谷区のタウン誌、雑誌『アニメージュ』のライター、『特命リサーチ200X』『知ってるつもり?!』などテレビ番組のリサーチャーとして活動後、いったん休業し、2014年からライター・編集。ライター業では『よくわかる多肉植物』『美しすぎるネコ科図鑑』『樹木図鑑』など図鑑系を中心に執筆。主な編集書に『「昭和」のかたりべ 日本再建に励んだ「ものづくり」産業史』『今日、不可能でも 明日可能になる。』など。編著書に『音楽ライター下村誠アンソロジー永遠の無垢』がある。