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2023年11月24日金曜日

吉田哲人:『The Summing Up』『The World Won’t Listen』リリース・インタビュー後編


ー リリース・インタビュー後編 ー 
(インタビュー前編はこちら

『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、
どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと 

●コラムでも触れられていましたが、VANDA誌との出会いを詳しく聞かせて下さい。また当時影響を受けて聴き込んでいた楽曲を挙げて、その魅力を語って下さいますか。

◎吉田:1995年頃に大学時代の友人から『VANDA 18号 Soft Rock AtoZ大辞典』を借りたのが出会いでした。それ以来、手に入るバックナンバーは全て買い揃え(その年に、地元である徳島に帰省した際、今は無き「アダムと島書房」で18号を手に入れる事ができた)読み耽り、若い頃に多大な影響を受けました。
その頃は、ソフトロックばかりでなく、モンド/イージー・リスニングも、新譜の12inchをよく買っていたテクノ/ハウスやD’n’Bやビッグ・ビーツやガバも、当時はダサいとされていてほとんど見向きもされていなかったテクノポップ/テクノ歌謡も、和洋問わず60’sも70’sもソウルも、クラシックも現代音楽も、当時のUKロックもと、当然限度はありますが、訳隔たりなく聴いていた(J-POPは好んでいなかった)様に思っていて、当時の聴いていたものの記憶といえば音楽それ自体よりも、それぞれのジャンル毎に話せる友達はいても、全てに話が通じる友達がいないという悩みを抱えていた事がパッと頭をよぎります。

脱線してしまいましたがVANDAの話に戻すとやはり、「赤い鳥 / LOVE HIM」「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」になります。
「赤い鳥 / LOVE HIM」はVANDAの出会いとほぼ同時に出会っていまして、僕のコラムでも紹介したテープに入っているのですが、LOVE HIM含むアルバム『赤い鳥 / WHAT A BEAUTIFUL WORLD』は「え?こんな内容が良くて音も良いレコードが評価されずに500円コーナーで売られているの?」と本当にショックを受けて、何度も聞いたし何度も買ってプレゼントしたものです。音楽的な面以外にもレコードの買い方に多大な影響を受けたと思います。
「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」は本当に大好きで未だにDJでも使うし、自分がDJでかけた中でも1番使っている曲です。真似するという意味ではなくですが、こんな曲を一生に一度でも書いてみたい、と思っている曲で、端的にいえば聴いた人は全員が好きになる曲だと僕は信じて疑わないので言葉にならないです。言葉はいらない、というか。選曲したプレイリストを聴いて貰えばわかりやすいと思うのですが、音はちゃんと(当時の)新譜の音なのに旧譜と混ぜても違和感がない、でもやっぱり新譜の音という。曲やアレンジの素晴らしさもさることながら、僕が理想とするミックス(音像)を当時から既にやられているという、全方向に魅力のある曲です。この辺りは僕が作編曲家での仕事の際、指針にしているくらい、多大な影響を受けています。
インスタント・シトロンといえば名曲「STILL BE SHINE」がありますが、現在カノサレ(旧ユニット名・彼女のサーブ&レシーブ)が歌い継いでいます。そして、カノサレといえば名曲「Cheerio!」はDJで僕は必ずと言っていいほど使いますし、シトロン結成初期に制作されていた楽曲です。
こういう音楽の世界観を持ったアイドルもいるので、WebVANDA読者さんでアイドル聞かず嫌いな方がいらっしゃいましたら、それは勿体無いので、よかったらアイドル楽曲にも触れてみて下さい。

『VANDA 18号Soft Rock AtoZ大辞典』 吉田哲人 プレイリスト

●熱心なVANDA誌の読者だったようですね。現在の音楽活動に少なからず影響を与えていれば、弊誌創刊者の佐野邦彦氏や当時の関係者も喜んでいると思います。
それで赤い鳥ですが、確かにその高い音楽性とは裏腹に過小評価されていますね。シングル『竹田の子守唄/翼をください』(1971年)はミリオン・ヒットとなり、「翼をください」は後世に残る名曲になった訳ですが、同曲作曲者でプロデューサーの村井邦彦氏は、彼らを和製フィフス・ディメンションにしたかったんでしょう。それが70年初頭の日本では広く受け入れられる土壌がなく、早過ぎたと言えます。 
様々な考え方があると思うけど、所謂ソフトロックというのは、60年代中頃から70年代前半の当時の欧米産ポップスの一つのモードなんですね。複雑なコーラスと豊かなオーケストレーションを施したサウンドは、先進国で社会経済状態が高く、文化的水準も成熟しないと受け入れられない。だから当時日本では一部でしか認知されなかった。高度成長期からオイルショックを挟んで社会の経済状態が平均化していった70年後半になってやっと、赤い鳥解散後に5名の内3名で結成されたHi-Fi Setや、村井氏のアルファレコード絡みではサーカスといった、洗練されたサウンドを持つコーラス・グループがヒットしていくんです。
その後80年代後半から90年代初頭の音楽フィジカルの変革期、アナログからCDに移行した時期に多くの過去アーカイブが再発見されます。
再評価された中に赤い鳥の『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』も含まれていたんだろうと思います。推されている「Love Him」は、ほぼ無名の英国人シンガー・ソングライターのピーター・ランサムのソングライティングですが、バカラックの「Do You Know the Way to San Jose」に通じるボサノヴァのリズムを基調とするジョン・フィディによるアレンジが効いていると思います。主にロンドンのエア・スタジオでレコーディングされたこのアルバムは、村井氏と知己のあるプロデューサーのジャック・ウィンズレーのコネクションでしょうね。

INSTANT CYTRONのメンバーは、世代的に音楽フィジカルの変革期に青春時代を送って、かなりのマニアになった方々ですよね。渋谷系のメインストリームには属していませんが、ソフトロック・リバイバルに貢献したと思います。推されている「Adventure monsters」(『CHEERFUL MONSTERS』収録/1997年)は、曲の骨格は東海岸と西海岸ポップスがよくブレンドされていて、The Brady Bunchなどチルドレン・ソフトロック系コーラスが被さっている隠れた名曲です。
初期メンバーの松尾宗能氏と片岡知子さんがカノサレに提供した「Cheerio!」は私も好きで、以前SNSでも指摘しましたがローラ・ニーロのソングライティングの影響下にある名曲ですね。

プレイリストの洋楽では2曲挙げたサークルやカーニバルから、フルーティストでマルチプレイヤーのJeff Afdemが率いたSpringfield Rifleやアラン・コープランド・コンスピレイシーというマニックなグループの曲まで選んでいますね。またブラジリアン・コーラス・グループのトリオ・テルヌーラも気になります。これらの曲への思い入れも語って下さい。

◎吉田:サークルの2曲は僕が影響を受けている曲です。「Turn-Down Day」はサビのベースライン、特に「デレレレデレレレ(DFAFDFAF)」というフレーズは僕のテンポが早い曲によく登場します。
「It Doesn’t Matter Anymore」は、Capsule中田君から『contemode V.A.2』への参加を打診されたときに、どんな曲作ろうかと考えながらプリプロ・スタジオにあったアップライト・ピアノで何となくこの曲のコードを弾いていたらメロディが浮かんできて、それが「キーファー・サザーランドみたいな奴」となりました。コード進行とピアノの左手の方に影響が残っています。『On The Frip Side』が初出ですが、やはりサークルの方が最初に聴いた(手に入りやすかった)のもありますし、影響大です。
「Hope / The Carnival」はイントロから心掴まれますが、サビのオルガンのグリッサンドが特に最高!DJの時はエア・オルガンしているくらいです。皆さんもエア・オルガンをやる際はグリッサンドしている箇所としてない箇所をきちんと覚えてやってみて下さいね(笑)。アルバムには「Love So Fine」も収録されていて、割とみんなはそっちを選ぶけれども、僕は断然Hope!
「That’s All I Really Need / Springfield Rifle」はソフトロックが好きになったあと東京に遊びに行ったときに、当時、ファイヤー通りに面した建物の2階にあったHi-Fi Record Storeに初めて行った時に教えてもらって買ったレコードの内の一枚です。その時はソフトロックの他にもAORを教えてもらって、それまで聞かず嫌いだったAORはこんなにも魅力ある(ビジュアル除く)ジャンルだったのか!と視野が広がりました。この曲は配った僕のミックスCDにも入れた記憶があります。
「Frenesi / The Alan Copeland Conspiracy」も、よくDJでかけました。この曲は僕がアルバイトで働いたことがある、かつて大阪心斎橋アメリカ村にあり、現在はネット店舗になっている中古レコード屋Siesta Recordで買いました。Siesta Recordは大好きなお店でして、通い始めた頃は雑居ビルのワンフロアをいくつかに区切った(他の店は中古レコード店ではない)中にあって、小さいながらに良いレコードだらけという夢のようなお店でした。
この曲が収録されているアルバムはHi-Fi Record Store監修の『フィンガー・スナッピン・ミュージック』シリーズで世界初CD化されました。そのCDの解説を僕が書いているとかいないとか…(小声)。

『SOFT ROCK The Ultimate!』

僕とVANDAといえば、そう、トリオ・テヌルーラだね。って事情を知らない人からしたら何のこっちゃ分からないと思いますが、2000年頃にキップソーンの中塚武君が、『SOFT ROCK The Ultimate!』(Soft Rock A to Zシリーズ/2002年)でのウチさんのインタビューに答えて紹介していた、『Trio Ternura / same』は、僕がDJでかけていたのを中塚君が聴いて気に入ったようで、見かけたら買っておいてとその場で頼まれました。その後、僕はもう一枚を見つけ、彼に譲ったものが紹介された、という逸話があるレコードです。インタビュー中に僕の名前も出ていましたね。「Sempre Exite Alguem」がそのときにDJでかけていた曲です


●幣サイトのカラーとは異なりますが、アシッド/テクノ系サイドのアルバム『The World Won’t Listen』についてお聞かせください。 
レディメイド時代も含めポップスをマニアックに聴かれていたと思いますが、その対極になるミニマルなテクノ・ミュージックを好むようになって、自ら制作された理由はなんでしょうか? 


『The World Won’t Listen』
 
The World Won’t Listen』トレーラー

◎吉田:高校2年生の頃に曲を作り始めたのですが、その頃は電気グルーヴの影響もあり、作るものはテクノ志向でした。ですので、どちらかといえば原点回帰の方向性がテクノ、といえます。また、マニピュレーター時代はサンプリングを使用することも多かったのですが、その制作法は今後通用しなくなるだろうと当時から常々感じていたので、辞めた後はコードなり楽器の演奏なりを一から自分で構築する制作スタイルにするために最も馴染みのあるテクノで、となりました。あと、マニピュ仕事やアレンジ仕事などの派手な、いわゆる業界仕事に嫌気がさしていたのでポップスから離れ、独りで完結させるストイックなアーティストになりたかったのも当時ありました。

●こちらのアルバムの曲作りやアレンジ、レコーディング中の特筆すべきエピソードを聞かせて下さい。

◎吉田:このアルバムの楽曲の1番新しい曲でも10年以上経っている曲なので、ぼんやりとしている部分もあるのですが、マニピュ時代はレコードに頼っていたところがあり、どこか罪悪感というか、自分は借り物だ、偽物だという思いが消えず、現状をなんとか打破せねばと思っていたのですが、マニピュをやっている限りは時間も取れず、そういった中で派手にコード展開や装飾が施されるポップスの世界での挫折感もあったため、最後の方はすっかり自信がなくなっていました。辞めた後は、まずは基礎からやり直しと思い、1小節だけをきちんと作っていき少ない素材でいかに展開していくかを再学習し、それが2小節になり4になりと、曲の世界を広げていければポップスもまた作れる様になる。最低限、16小節良いのが出来ればCM仕事にも繋がるだろう、と思っていたのを覚えています。まあその考えが、後に一度引退を決める2012年のクリスマス・イヴを招いてしまう訳ですが。
『The Summing Up』収録の「昔も今も」(これもサマセット・モームのタイトルより引用)、実は『The World Won’t Listen』収録楽曲が作られていた頃の曲ですが、アンビエントな元のデータを活かしつつリアレンジした曲で、CD収録バージョンは人によって、The High Llamasぽく感じたりTanzmuzikっぽく感じたりするかもしれないのですが、思い返してみると当時、真剣にテクノな曲を作ってはいたものの『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと、テクノを作っているつもりでもここはイントロ、ここはAみたいな構成を意識してしまっている自分に気がつき、半諦めの様なものを抱えながら「昔も今も」を作ったように記憶しています。
また、アルバム全体的に見ると声が入っている楽曲が割りと多く、そのことからも割と最初から心の底では意外とポップスを作りたかったのかな、と、今となっては思います。 『The World Won’t Listen』は元々仮タイトル『Deep Purple』としたアルバム収録曲を中心に構成されている(詳しくはCDのライナーノーツ参照のこと)のですが、そのアルバムは発売中止(放棄)を二度も喰らいました。発売中止は当然心に傷を受けてしまうのですが、制作中にポップスの人だと意識したことで自分が出来ることと出来ないことは少し見えたので、その点だけは経験として良かったように思います。
そして、ポップスの人だと気づいたとき、テクノ・テイストのアルバムを出した後に所謂テクノポップな作風という訳でなく、レディメイド時代のような古いレコードが好きな人が作るポップスのアルバムも作り、その両方の作風が作れるアーティスト路線という考えも芽生えましたが、2000年代はジャンルの壁がまだ高かったのか、ポップスとテクノを融合させずに別々に、同時にその両方をやる人、また、それをする事を理解してくれる人(レーベル)は周りにはいませんでした。別々のジャンルを別々のまま同一人物がやるのではなく、それらを融合させようとするのがアーティストの姿勢として当然だ、みたいな時代の空気があったんでしょうか…。今の若い人はいろんなジャンルをやる事も普通ですが、当時、僕のように両方をやろうとするのは、ストイックになれずに、どちらも選べない中途半端な人のように思われていた節があります。時代と合ってなかったんですね。駄目な僕、I Just Wasn’t Made For These Timesって感じ。。。

現在、僕の作品がリリースされる時によく使われる「アシッドからソフトロックまで」というフレーズは、僕が楽曲提供した「竹達彩奈/マシュマロ」「チームしゃちほこ/いいくらし」(発売時期は違うが制作開始はほぼ同時期)を並べて称してくれた、ある友人の言葉から頂いているのですが、僕自身が自己の作品では2012年末に完全に諦めた(この辺りもCDのライナー参照のこと)構想的なものを、翌年(2013年)にアイドルに楽曲提供という形で実現できた事は嬉しくもあり、また、色々な意味で運命的なものを感じたりもしました。
あまりDisc2について話をしておりませんが、自分にはこれらの曲があるから商業音楽の世界を目指せた、と思っているくらい思い入れがあります。特に「Cosmic Soul」という曲は作った19歳のときに「これを超える曲は出来ないや。」とある種の到達点と感じた曲です。そこから違う音楽性を求めて現在に至ったんだな、と。
そういえばDisc2収録楽曲の制作時は相方がいた時期があったのですが、ある日、僕が「こういうのを作りたいんだよ。」と言って『The Beach Boys / Smile』の海賊盤を聴かせたところ「全然わからない。これの何を指して、何を言いたいのかやりたいのかもわからない。」って言われてガッカリしたのを思い出しました…。

●かなり本音を語られていますが、業界仕事としてポップスに深くかかわったことに嫌気がさして、そこから離れてテクノ系楽曲を制作している過程で、“ポップスの人”だと気づいてしまったという下りが、吉田さんの音楽職人としての人生を象徴していて、実にドラマティックでした。極端に表現すると『猿の惑星』(1968年)のエンディングで、核戦争で朽ち果てた自由の女神像を目にして愕然とするテイラー大佐というか(笑)。避けていた人類の愚かさにより荒廃した故郷に、図らずも回帰していたという。 まあ音楽クリエイターをしていて、大いに悩んだ時期があったというのは、ブライアン・ウィルソン・シンドロームなのかも知れませんね?


◎吉田:本音を話す機会、特に僕のプロフィールにみられる制作物の空白期間(2008〜2012年)の話をする機会は今までなかったのでガンガン話しちゃっていますね(笑)。確かにブライアン・ウィルソン・シンドロームと言えると思いますし、また僕の場合、一般的な作曲家の方の半生と少し違っていて、音楽業界でのキャリアは、選曲解説を担当したコンピ・テクノ歌謡シリーズ(P-Vine / 1999年)が最初で、その後マニピュレーター、編曲家、 CM/TVのBGM的な作曲家を経て、2013年からようやく一般的な作編曲家として名乗っていい成果が出始めるので、該当するブライアン・ウィルソン・シンドローム期は、人生で初めて自身のアーティスト性とはどういうものなのか、と突き詰めていた時期だったゆえ、だったのかなと感じています。

●では最後に本作『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』のアピールをお願いします。

◎吉田:書き散らかした楽曲を集めて自ら歌った『The Summing Up』で自分がどういう人間なのか、歌声もふくめ初めて俯瞰で見られた気がします。ただ、ポップス面だけがクローズ・アップされるとそれはそれで、なんか違う!と悩んでいたのですが、それは『The World Won’t Listen』収録曲を作っているときも同様で「これでテクノ・アーティストとしてだけ見られてしまったら、これからの人生、果たしていいのだろうか…?」と感じていました。この2枚(同時購入特典の『Another of The World Won’t Listen』を含めると3枚)を同時に発売することで、自分はこういう人間だ、と初めて対外的に見てもらえるようになりました。
また、僕がやっていることはNEO NEW MUSICなのだ、と他の人が言われて「ひとめぐり」「光の惑星」「ムーンライト・Tokyo」が並んでいるのをみたとき、それらのシングルはパロディジャケットというのもあり、ニュー・ミュージックの現代版がやりたいのかな?シティ・ポップの言い換えかな?みたいに思われていたかも知れないですが、今回のアルバム(特典CD含む)3枚で、NEO NEW MUSICとはなんぞや、というのをビジュアル面と音楽面で伝えられる作品になっていると自負しております。単にニュー・ミュージックの焼き直しではない、という。その為に3種類同時に出す意味がありました。48歳とずいぶん遅咲きですが、この歳まで粘って良かったと思います。成熟と初々しさが同居する不思議なアルバムとなっていますので、出来ればどちらも購入して頂きたいのですが、各々の音楽的嗜好があると思いますから、どちらかでも構いませんので良かったら手に取って頂けると嬉しいです。
どちらのアルバムもサブスク配信はしばらくございませんので。


【吉田哲人ライブ情報】

11/26に、中野heavysick ZEROにて
『ROMANTIC TECHNOLOGY 96 ~10th Anniversary Party~』。
こちらはテクノのライブ・イベントです。

ROMANTIC TECHNOLOGY 96 
10th Anniversary Party 
2023.11.26(日) 
中野heavysick ZERO
OPEN&START 16:0
ご予約¥3500(1ドリンク別) 
当日券¥3800(1ドリンク別) 

-LIVE- 
おわりからはじまり
吉田哲人
Sigh Society、Cherryboy Function、アシッド田宮三四郎
Mitaka Sound、サトウトモミ、inko、CrazyRomantic

 -DJ- 
サカエ コーヘイ、FQTQ、本間本願寺、
Kamaida Negami、Cyte、mukuro-jima

−VJ−
PORTASOUNDS、4DK

-FOOD-
ラブエイジア四ツ谷



そしてリリース・ライブ・イベントが12/3に、神保町試聴室にて 
『吉田哲人”The Summing Up”発売記念ライブ』です。
ゲストにインスタント・シトロンの長瀬五郎さん、カノサレ、Hau.、
ユメトコスメという豪華キャストをお招きして開催いたします。

吉田哲人「The Summing Up」発売記念ライブ
2023.12.3(日) 
神保町試聴室
 OPEN 16:00 / START 16:30 
予約 3500円 / 当日 4000円
(1ドリンク, スナック込)

出演:
吉田哲人
カノサレ、長瀬五郎(INSTANT CYTRON)、
Hau.、ユメトコスメ



12/8にはファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
というイベント講座で、「曲、そしてアルバムづくり編」と題し、
アルバムのあれこれをトーク致します。

ファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
「曲、そしてアルバムづくり編」
珈琲 FALO
2023.12.8(日) START 19:00
聴講料:2,500円

講師:吉田哲人/作編曲家



(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ








2023年3月24日金曜日

FMおおつ/音楽の館~Music Note 2023年1月号 Soft Rock in Japan特集 & 3月号予告

   昨年から続く日本のCity Popブーム、2月27日にはNHK「あさイチ」で「80年代シティ・ポップ特集」が放送された。内容としては当時を代表する曲が次々と紹介され一般視聴者に「懐かしさ」をもたせる内容だった。とはいえそれのみならず、「世界で人気のシティ・ポップ」のコーナーで紹介された曲には驚かされた。

 まずは泰葉の<Fly-Day Chinatown>、ご存知かとは思うが彼女はあの林家三平師匠で発売当時「我が娘ながら天才!」と叫んだことが話題にはなっていた。個人的にアルバムもチェックするほどよく聴いていたが、この曲は69位売上げ5.6万枚程度のヒットだった。

 さらに亜蘭知子の<midnight pretenders>、こちらは83年にリリースされたサード・アルバム『浮遊空間』収録曲。こちらについては「作詞家」のイメージが強く、不覚にもシンガーとして際立った曲があるのは全くノーマークだった。

 私自身このシティ・ポップは黎明期よりほぼチェックしており、その体験を故佐野邦彦さんに見込まれ2000年にVANDAで発刊した「HARMONY POP」の日本人パートでその一端をまとめさせていただいた。とはいえこの本の内容について当時某雑誌では「「Soft Rock A To Z」の亜流」と切り捨てられている。


 とはいえこの本での書き下ろしを気に入ってくれた佐野さんから「今度は日本のSoft Rockをまとめませんか」と持ち掛けられ、それが「Soft Rock In Japan」の始まりだった。そしてこの本を制作するにあたり「キーポイントになる作家のインタビューを」と音楽之友社の木村さんから提案され、私が提案した林哲司さんと面談する機会をもたせていただいた。

 ところがその時期に林さんは「作家デビュー30周年プロジェクト」進行中で「ワークス本」制作も、その企画のひとつにあった。そしてこのインタビューで好印象をもっていただいたご本人からVANDAへ制作のオファーが届いた。

 その依頼を受けた佐野さんは「これは鈴木さんが主導してやるべき」と背中を押され、2000年に「林哲司全仕事」を手掛けることになった。このように今から23年前、1年間「City Pop」に関する本を3冊まとめている。その後、追従するように同系列の書籍が数多く出版され、日本の音楽シーンにスポット・ライトを当てるきっかけになったように思っている。

 
そんな流行を反映し、2023年1月の「音楽の館~Music Note」では「JsapanesePops特集」を放送した。今回は遅ればせながらその詳細を紹介させていただくことにした。

 まずトップにチョイスしたのは、1970年代初期にNHKで放送されていた音楽番組「ステージ101」「レッツゴー・ヤング」等のサウンド・コーディネートしていたPicoこと樋口康雄さんの<I Love You(Single Version)>。このテイクは2000年前後にDJたちが血眼になって探していたといわれています。

 そしてこのプログラㇺのトークBGMは。1980年代のフュージョン・ブームを牽引したCASIOPEAのナンバーを中心にセレクト。トップは<太陽風(TAIYO-FU☆THE WIND FROM THE SUN)>(1988『EUPHONY』)。

 第1パートはオープニングのPicoや1970年以降日本の音楽シーンを賑わせていた惣領泰則が在籍していたビッグ・バンド、シング・アウトで1969年<涙をこえて>1970年<ピコの旅>。前者は当時ブラス・バンドの応援演奏定番曲でした。

 第2パートの BGはCASIOPEA<Take Me>(1979『Super Flight』)。ここでは1970年代初頭に注を集めていたグループ、ガロとBuzzからチョイス。まずはCSNYを彷彿させるコーラス・ワークで評判だった「マーク、トミー、ヴォーカル」の3人組ガロ、一般には<学生街の喫茶店>で知られた存在ですが、今回は私と佐野さんのお気に入りのファースト・アルバムから<一人で行くさ (Single Mix)>、当時パイロット万年筆CM起用曲<地球はメリー・ゴーランド>。そして「日産スカイライン」CM<ケンとメリー〜愛と風のように〜>でお馴染みBuzz。彼らは1974年サディスティック・ミカ・バンドがバッキングを務めた傑作セカンド・アルバム『レクヰエム・ザ・シティ』から、先日70歳で逝去された高橋幸宏さん作<TOKYOサンバ>、それに<ガラス窓>。この2曲には在りし日のユキヒロさんの抜群のプレイが随所に刻まれています。

 第3パートBGはCASIOPEA<SHADOW MAN>(1988『EUPHONY』)。このパートでは大物歌手や人気作曲家のポップ・ナンバー。まずは布施明さんが1974年にマルチ・キーボード・プレーヤー深町純さんと組んだ『古い上着をぬいで-布施明の世界』収録の自作<窓をあければ>。

 続いて林哲司さんの1977年リリース『バックミラー』収録曲<Rainy Saturday & Coffee Break>。この曲はコーラスを務めた大橋純子さんが美乃屋セントラルステーション『レインボー』に収録。

 3曲目は現在第23代文化庁長官を務める超売れっ子作曲家都倉俊一さんの1979年結成プロジェクトWinds<BOY(Japanese Version)>。この曲はフィリピン出身のボーイズ・グループ「クリッパー」に提供したセルフ・カバー。

 4曲目は中村きんたろうさん1978年のデビュー作『MILD』収録の<朝焼けのギブソン通り>。この曲は1970年代アメリカMGMと契約をした実力派シンガー寺田十三夫さん作。5曲目はCharさんとトリオ・バンドを組んで大活躍したドラマー、ジョニー吉永さん1977年のファースト・アルバム『Johnny』収録曲<過ぎゆく時に>、間奏での印象的なギターは山岸潤史さん。作者Charさんもセカンド・アルバム『Have A Wine』でセルフ・カヴァー。ラストは久保田麻琴と夕焼け楽団1976年のサード・アルバム『DIXIE FEVER』収録の<星くず>。

 第4パートのBGは<SENTIMENTAL AVENUE>(1988『EUPHONY』)。ここでは女性シンガーのAORナンバーで、まずは<木綿のハンカチーフ>でお馴染み太田裕美さんで1977年リリースの第6作『こけてぃっしゅ』収録曲<恋愛遊戯>。もう1曲は爽やかな歌声のやまがたすみこさん1977年リリースの8作『FLYING』収録曲<ムーンライト・ジルバ>。

 第5パートBGはCASIOPEA<SWEAR>(1981年『Cross Point』)。このパートも女性シンガーで、まずはシンガー・ソングライター久保田育子さんのデビュー曲<夢色ヒコーキ>。もう1曲は1978年に<ラブ・ステップ>でデビューした「女性版原田真二」とも呼ばれた才女越美晴さんのサード・シングル<マイ・ブルーサマー

 第6パートBGはCASIOPEA<Domino Line>(1981年『Cross Point』)。ここではデビュー時から大きくイメージ・チェンジに成功したグループ、まずは<22歳の別れ>でセンセーショナルなデビューを飾った風。彼らは1977年のサード・アルバム『windless blue』でSteely Danを彷彿させるエレクトリックなポップサウンドの傑作を発表。翌年発表したロス録音の第4作『海風』では爽快なポップなサウンドを聴かせています。それを象徴していたのが正やんの<海風>と大久保クンの<トパーズ色の街>。

 もう一組は小田和正さんが率いたオフコース。当時バックで絶妙なコーラスとエレクトリック化していくバンド・サウンドを支えたヤス(鈴木康博)さんの存在は見逃せません。5人組活動する1976年第4作『Song Is Love』以降サウンドの要として重要なポジションを担い、1977年第5作『Junction』収録の<変わってゆく女>、1980年の大ヒット作『We are』では<一億の夜を越えて>等にしっかり刻まれています


 続いての第7パートBGはLarry Carltonの1978年発表代表作<Room 335>です。ここでは「新御三家」のチャレンジを紹介します。

 まずは野口五郎さん、彼は当時からギターの腕前も評判で1976年には『ときにはラリー・カールトンのように』というタイトルのアルバムを発表するほどLarry Carlton崇拝を公言し、同年に『GORO IN LOSANGELES U.S.A. / 北回帰線』、77年には『GORO IN NEWYORK / 異邦人』と海外の人気スタジオ・ミュージシャンとの共演アルバムを4作発表しています。この活動は当時日本一辛口な評価を下していた音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』で絶賛されるほどで、1982年にはインスト・アルバム『FIRST TAKE』をリリースしています。ここでは1978年『L.A. EXPRESS ロサンゼルス通信』から<クール・キャット>、1982年のインスト・アルバム『FIRST TAKE』からLarry Carltonから提供された<MOUNTAIN SONG>。

 続いては西城秀樹さん、この時期は吉野藤丸さんと充実したライヴ活動を精力的にこなしていますが、1978年12月に藤丸さんと二人の自作のみの意欲作『ファーストフライト』を発表。翌年2月にこのアルバㇺをプロモートするライヴ・アルバム『永遠の愛7章』をリリースしています。たた同月にリリース<ヤングマン>のメガ・ヒットで「洋楽カヴァーのヒデキ」が定着。ここでは『ファーストフライト』収録の自作曲<Sweet Half Moon(Live)>と<その愛は(Live)>を79年のライヴ・アルバム『永遠の愛7章』のライヴ・テイクで。

 そして還暦過ぎも”永遠のアイドル”として君臨する郷ひろみさんは、1975年に全曲詞ユーミンの書き下ろし『HIROMIC WORLD』、1976年に漫画家楳図かずお作詞曲収録の『街かどの神話』、1978年には穂口雄右全曲書下し『Narci-rhythm』、更に1979年にはN.Y. 24丁目バンド起用の『SUPER DRIVE』と精力的なチャレンジを続けています。そんな1978年にフェイヴァリット・ソングを公言する<ハリウッド・スキャンダル>と、シングル&アルバム共に充実した活動を送っています。ここでは『SUPER DRIVE』から林哲司さんの書き下ろし<入江にて>、1994年屋敷郷太さんのリミックス・ヴァージョンGo-Go'sハリウッド・スキャンダル>。

 といったところで次の第8パートBGは1990年代渋谷系ブームの頂点にいたPizzicato Fiveの<皆笑った(New Mix)>。1984年に小西 康陽、高浪 慶太郎、鴨宮 諒、佐々木麻美子の4人でデビュー、1987年『Couples』をリリースするも不発で鴨宮、佐々木の二人が脱退。

 その鴨宮さんは1991年に梶原もと子さんとMANNA(マンナ)を結成、その後作曲家として『ナースのお仕事』等ドラマ、アニメ等のサントラで活躍。

 Pizzicatoは田島貴男さん(現オリジナル・ラブ)を新ヴォーカルに迎え1988年に『Bellissima!』『女王陛下のピチカート・ファイヴ –ON HER MAJESTY'S REQUEST–』『月面軟着陸 -SOFT LANDING ON THE MOON-』を発表、クラブ系で熱狂的に支持を受けます。1990年に田島さんがオリラヴ再開で脱退し、1991年三代目ヴォーカリストに野宮真貴さんが加入、1993年<スウィート・ソウル・レヴュー>がヒットして「渋谷系」を代表するポップ・ユニットに君臨。

 このパートはPizzicato Five関連で、まず田島さんヴォーカル時代の<これは恋ではない>。鴨宮さん結成のMANNAで<ハプニング>、そして野宮さん時代の爽やかな<ベイビィ・ポータブル・ロック>です。

 ではラス前第9パート、BGは『EUGHONY』<迷夢(MEI-MU☆SHALLOW DREAMS)>。ここでは『Soft Rock In Japan』で紹介したナンバーから。まずはカルロス・トシキ&オメガトライブ<失恋するための500のマニュアル>。この曲はユニット名を「1986オメガ」から改名して1989年にリリースした『be yourself』の収録曲。実はこの本の発売時に、佐野さんが担当していた「ラジオVANDA」でプロモーションでオン・エア、彼が「これこそ最高のソフト・ロック!」とお墨付を付けたナンバー。

 もう1曲は日本のポップ・ミュージックを代表する一人村田和人さんで<So Long, Mrs.>。この曲はセカンド・アルバム『ひとかけらの夏』収録曲で、ソウル・テイストの心地良さに溢れています。

 この「特集」最後のパートBGはCASIOPEAの代表曲<ASAYAKE>。このパートの1曲目は伊藤銀次さんデビュー作『DEADLY DRIVE』収録<風になれるなら(シングル・ヴァージョン) >。コーラスには大貫妙子さん。

 ラス前は五十嵐浩晃さんの1981年サード・アルバム『SAILING DREAM(想い出のサマー・ソング)』収録<想い出のサマー・ソング>。プロデューサーは鈴木茂さん、コーラスに大瀧詠一さん、杉真理さんが参加。

 ラストはフィナーレを飾るのは清水信之さんのシャープなアレンジが冴えわたるEPOさんで<音楽のような風>。こんなナンバーをオンエアしました。

 さて2023年3月の「音楽の館~Music Note」では今年2月8日に94歳で亡くなられた20世紀を代表する偉大な作曲家Burt Bacharschの特集をお届けします。特に今回は選曲の一部をWeb.VANDAの管理人であるウチタカヒデさんにご協力いただきました。VANDAらしいマニアックな選曲をお楽しみください。


2023.3.25.(土)16:00~18:30

(再放送)

2023.3.26.(日)8:00~10:30

 3.28.(火)~3.31.(金)1:52~4:30


※FMおおつ 周波数 79.1MHzでお楽しみください。

※FMプラプラ (https://fmplapla.com/fmotsu/)なら全国(全世界)でお楽しみいただけます。

2019年6月5日水曜日

ソフトロックの最高峰Piper、CDリリース記念サマー・コンサート

 
 今から21年前の2000年12月25日に発売された『Soft Rock In Japan(以下、In Jp.)』を憶えているだろうか。
 
 この本は日本人によるソフトロック系アーティストの再考察をコンセプトにしたもので、長年リアルで日本のミュージシャンを聴き続けてきた私や松生さんが中心となって、VANDA周辺と私の友人の音楽愛好家仲間でまとめあげた本だった。
 そこには故佐野邦彦さん同様に、これまで見過ごされてきたアーティストを一人(一組)でも多く伝えたいという強い信念があった。
 そこでとりあげられていたPiper関連のCDが、この夏に復刻されることになった。またそれを記念してリーダーである山本圭右さんがPiperとして、1年ぶりのライヴを開催するというニュースが飛び込んできた。



 まずはこの本が発売に至った経緯について触れておく。VANDAの単行本第1号『Soft Rock A to Z』が発売になったのは1996年だった。
 この本は亡き佐野さんがそれまで「アニメ専門誌」だった「VANDA」を「音楽誌」へ脱皮をはかるべく、発表した特集記事<Soft Rock A to Z>を掲載した「VANDA 18」が始まりだった。この号は品切れが続出し、彼の手元にも数冊しか残らないという大反響を呼んだ。さらに探求を重ねてまとめたバイブル本だった。当然のようにこの本も大評判となり、重版を重ねるベストセラーとなった。そして2年後の1998年12月10日にはそれまで見逃されていた新たな才能を追加して28P増幅させ、改訂版が発売されている。
 
 その後、次に彼が取り組んだものが、ビーチ・ボーズを筆頭にハーモニーを売りにしているミュージシャンを取り上げた『Harmony Pop(以下、H.P.)』だった。この本は2000年3月2日に発売されている。そしてこれに続く第3弾として佐野さんから発案されたものが、「日本人アーティストによるSoft Rock ガイド」だった。ただこの企画については佐野さん自身は一歩引いた立場をとり、『H.P.』で日本人アーティストを数多く取り上げ和物の扉コメントをまとめた経緯から私、それに松生さんを中心に委ねられることになった。

 そこでアーティストをピック・アップする際、「山下達郎」「大瀧詠一」等ありきたりな名前があげられる中、私が絶対に掲載したかったのが「村田和人」と「Piper」だった。そして彼らについては、リアルの熱心なファンである後輩、音楽ライター/近藤正義氏に任せるつもりだった。それは昔から両者のライヴに何回もふれている彼が適任と思っていたからだ。ただ、「村田和人」については松生さんが強く希望していたため、村田さんは「Moon期」を除く「東芝~Victor時代」と「Piper」を彼にまかせることにした。

 そもそもPiperの存在を知ったのは近藤氏からの情報だった。それは彼が村田さんのセカンド『ひとかけらの夏』発表に伴うライヴ(1983年)へ行った時期まで遡る。そのライヴの途中で村田さんの紹介で「圭右コーナー」が始まりPiperの曲が演奏された。熱狂的な村田さんのファンを自認する近藤氏だったが、そのサウンドに一発でやられてしまった。彼は即PiperのLPを探しまわりゲットすると、すぐさま興奮気味に連絡が入り、私もPiperの存在を知った。とはいえ、山本圭右さんは村田さんがブレイクした<一本の音楽>で印象的なリード・ギターを鳴らしていた人物という認識はあったものの、彼が村田さんより先にレコード・デビューしていた事実は後に知った。


 

 日本のポップスを語る上で絶対外せないアーティスト山下達郎さんが、所属のMoonから自信を持って送り出したのが村田和人さんだった。そして村田さんの活動を語る上で欠くことのできない存在だったのが、ギタリストの山本佳右さんである。そんな圭佑さんのデビューは村田さんよりも早く、1980年にスカンクとしてシングル・デビュー、1981年にはユピテルよりPiperとして、LP『I’m Not In Love』を発表している。 



 そんな圭右さんの存在は、1983年に村田バンドのギタリストとしてクローズ・アップされた。それはこの年に発表したギター・インストを前面に打ち出したリゾートBGM風の『Summer Breeze』が好評を博したからだった。そして半年後には同じコンセプトで、タモリ和義氏のジャケットで知られる『Gentle Breeze』をリリースしている。近藤氏はこの時期のPiperが最高だったと常々語っている。



 なお圭右さんは村田さんのデビュー前後のライヴから村田バンドの一員として行動を共にしており、時折レコーディングにも参加している。そして、初めて村田バンド演奏主体のレコーディングとなったサード・アルバム『My Crew』以降は、スタジオでも村田サウンドの要として活躍している。
 また、二枚のアルバムで自信を付けたPiperでは、歌物アルバム『Sunshine Kiz』をリリース、タイトル曲は久々にシングル・リリースされた。なおこの曲は「サンデー・ソング・ブック」でも達郎さんの推薦コメント付きで紹介されている。ところが、この直後に所属するユピテルが不渡りを出し、会社はそのまま存続するも音楽部門はリストラ対象となり、バンドの先行きに暗雲が立ち込めてしまう。 



 そんなPiperだったが、これまで圭右さんと共に活動を続けていた村田さんの繋がりでMoonに移籍。1985年には彼らの最高傑作『Lovers Logic』を発表する。ただその新譜はMoonからのプロモーションも得られず、ライヴ活動を行う機会も無かった。とはいえ、直後にアルバム未収録のシングル<あなたのとりこ>が発売されている。その後、1987年に企画ものとして村田さんと若手二人(平松愛理、西司)の4人で組んだユニットHoney & B-Boys『Back to Frisco』で話題を集めたが、Piperは自然消滅してしまった。



 それ以後は、村田さんをはじめ多くのアーティストのレコーディングやライヴ活動のサポートで活躍している。とはいえ、Piperの人気は衰えることなく、中古レコード市場ではかなり高騰化していたようで、特にファースト『I’m Not In Love』に至っては万単位の価格で取引されていたらしい。 そんななか冒頭で紹介した『In Jp.』でPiperがとりあげられた。それを見たPiperのファンが出版社を通じ、近藤正義氏にコンタクトを取り、彼は憧れの山本圭右さんに面会する機会を持っている。そこでは、「本でのスペースの取り上げられ方が、あの達郎さんと同じ」ということで圭佑さんは感激されていたという。それがきっかけだったのかは不明だが、翌2001年8月25日に「@赤坂LOVE」で久々にPiperの復活ライヴが開催されている。そのパフォーマンスは、何回もPiperの生ステージを見ている近藤氏も大感激するほどの素晴らしいものだったと聞く。 

 そして2006年には、Moon時代の「村田和人・紙ジャケ+ボーナストラック」シリーズが発売された。そこにはPiperのラスト作『Lovers Logic』もボーナストラック付でリリースとなり、Piper信者近藤氏はじめファンを歓喜させた。その後、一向に進まないユピテル時代のアルバム復刻に向け、近藤正義氏は2016年にSNSの書き込みを始めた。そんな彼の意気込みに多くの人脈が合流するも、復刻にはかなり高いハードルがたちはだかっていた。何故なら、ユピテルの音楽部門消滅によりマスター・テープは不明、また権利関係も複雑ということだった。 


 その後、偶然にもユピテル音楽部門の関係者に繋がることができ、紆余曲折しながらも2018年3月21日、ついにユピテル4作品が待望の初CD化の運びとなった。この復刻は近藤正義氏の再発にかける情熱で実現したと言っても過言ではないと言えるだろう。その発売に併せ、「西荻窪Terra」にて久々のPiperライヴが開催され、復刻を祝う集いとなった。 
 そんな近藤氏はこれまで数多くのトリビュート・バンドを経験しているが、現在は村田さんの声を彷彿させるヴォーカルを擁する「村田和人トリビュート・バンド~Ready September」を率い、憧れの圭佑さんになりきりギターを奏でている。その想いが通じたのか、来る7月14日(日)には目黒のブルースアレイで開催されるPiper一年ぶりのライヴに、前座を受け持つことになった。圭右さんと近藤氏のツイン・ギター・バトルも予想されるこのライヴは、今から期待に胸が躍る。




 なお今回のライヴは、2006年にリイシューされた『Lovers Logic』、1987年のユニットHoney & B-Boys『Back to Frisco』(待望のボートラ付き初再発!)に併せたものになっている。さらには圭右さんが参加(『Hello Again』のみ全面参加)した村田和人さんのVictor/Roux時代の初コピレーションも同時発売されることが決まっている。ちなみにこのコンピは、この時代のポジティヴな雰囲気を近藤氏がイメージしたセレクションで、(村田さんの)師匠達郎さん風のアカペラも加えた粋なものになっている。またジャケットは今回のために用意された初出スナップなどを織り交ぜた仕様と聞いている。今回発売となる3枚は、この夏の定番になること間違いなしのグッド・ミュージック集で、ファンならずともお求め逃がしの無いように願いたい。


 最後になるが、私がFMおおつで担当している「音楽の館~Music Note」(第4土曜15:30~;再放送第4日曜8:00~)7月号で「村田和人&Piper特集」を放送する予定になっている。
 この放送はアプリ「FMプラプラ」でも受信可能なので、是非彼らの夏サウンドを堪能いただきたい。 
【FMおおつ公式アプリ】https://fmplapla.com/fmotsu/
(鈴木英之)

2018年10月3日水曜日

佐野邦彦氏との回想録16



 今年の異常なまでの猛暑もやっと峠を越え、秋の気配が感じられる季節となった。昨年の今頃は佐野さんと共同での「Jigsaw Complete」復刻作業に全力で取り組んでいたことを思い出す。以前、第2回と3回で紹介したように、8月末に910日の『Song To Soul』放映に併せた第一回発売分の選曲と解説を完成させ、9月初旬には発売前のラフに最終校正を終えていた。そして、中旬からは発売元から送られてくる第二回発売分の音源をチェックするという選曲作業を二人三脚で続けていた。今にして思えば、私はフルタイムでの仕事を終えた夜間と休日、佐野さんに至っては末期の病気療養中の体調を気遣いながらというコンディションの中、お互いよく頑張ったものだと感心する。

 綿密にいうなれば、この仕事は佐野さんと付き合いを始めてから最も濃厚な作業だった。当時、体調の関係で電話のやりとりが出来ない佐野さんとの打ち合わせはメールがメインだった。その頃やりとりしていた長文に渡るメールの内容を振り返ってみると、お互い「これが最後」とばかりに後悔の無いよう、こだわりにこだわって取り組んでいたのがよくわかる。ただ彼は、雑誌VANDAの休刊時期にも、放送やネットなどメディアを通じて多くの情報を発信し、また多くのリイシュー盤のライナーやコミケの復刻作業をこなしていた。それに対し私は、個人的な趣味を反映した程度の活動しかこなしていなかったので、彼のレベルに合わせた作業は大変なものだったが、人生で一番充実した時間だったように感じている。

 余談ながら、佐野さんが逝って間もなく一年となる秋の彼岸をひかえたこの時期、毎回楽しみにしている『激レアさんを連れてきた』(注1)で登場した「軍艦島を世界遺産に導いた人」の回を見て、彼と語り合った「軍艦島」の話がよみがえった。彼と付き合いのあった方ならご存知のように、新婚旅行で「冒険ガボテン島」をイメージした「ボラボラ島」(注2)を訪れたほどの離島マニアで「軍艦島」もお気に入りだったが、生前上陸は叶わなかったと聞いている。私は以前在籍していた会社の福岡勤務時に「管理職以上はスキューバダイビング・ライセンス必携」とのオーナー号令により、ライセンス取得に長崎に通っていた。その海上実習時に休憩ポイントでこの島に上陸したことがあった。その話をした際に彼が羨ましがったことを思い出し、番組をダビングして佐野宅へ送付した。到着と同時に奥様から連絡を頂き、「我が家でもこの放送を拝見しており、家族で永久保存版だねと話していたところでした。」と謝辞をいただいた。私にしてみれば、生前の彼には多くのお願いをしたが、彼の依頼には3回ほどしか役立てていない。これはそんなお返しのつもりだったが、予想以上に喜んでもらえ、うれしいやら気恥ずかしいような気分だった。



 
 さて前置きが長くなってしまったが、これまで続けている佐野さんとの回想録を始めよう。今回は「29」発行後の2003年夏以降について進めていく。まず、この時期で佐野さんにとって最も印象的な出来事といえば、2004年夏のThe Who初来日公演(注3)だった。公演当日は、猛暑で炎天下の野外公演だったらしいが、生で見るPeteRogerのアクションは大感激ものだったと興奮気味に話していた。ただ、その日に訪れていた大半を占めた(トリに控える)Aerosmith目当ての観客からの(The Whoパフォーマンス中)「早く終われ的雰囲気」が漂っていて多少不快な気分も味わったようだった。



 
 そして2006年にはビクターより、Jigsawの紙ジャケによる再復刻のオファーを受けている。そこで佐野さんは初復刻となったテイチク盤では実現できなかった未CD化ナンバーをボーナス・トラック収録に奔走し、さらに最新データも盛り込んだ充実したライナーもまとめている。なおこの発売直前の第70回(200622日)のRadio VANDAでプロモーションを兼ねた特集を放送している。ちなみにこの復刻盤は、2017年にコンプリート版が発売されるまで、かなり高額で取引されるほど人気を博している。


 そんな彼をよそに、この時期の私は本業の仕事が多忙で、ライターらしい活動はほぼ皆無の状態だった。ところが偶然にも、仕事を通じた得意先からスポンサーをしているコミュニティFM局のスタッフにVANDA誌のバックナンバーが渡り、ある日突然出演のオファーを受けた。その初出演は2006217日のレギュラー番組(注4)で、担当が地元出身の同世代ミュージシャンだったこともあり、その後も良い付き合いを継続することになった。また、その翌月にはパーソナリティの都合で2時間番組(注5)のプログラムを依頼され、企画書を制作している。しかし局では全音源が揃わず、自己所有の手持ち持ち込みで327日に初DJを体験した。こんな成り行きで、しばらくこの二つの番組に準レギュラーのような形で参加するようになった。



 
 ちなみに2006年に放送したプログラムは、5512日にロック世代の日本語詞特集。この内容は、佐野さんと知り合った頃に盛り上がりVANDA誌にも掲載したネタで、Web7回目でも紹介していたものだ。ちなみに、担当者がこの企画で一番興味を示したのは、Scorpionsの来日公演『Tokyo Tapes』に収録された「荒城の月」だった。そして、712日に映画(~テレビ)『ウォーター・ボーイズ挿入歌特集』、109日には『Bread特集』をオンエアしている。この中でBreadの特集は、未聴取地区でも評判となったことは以前にもふれたが、自分自身が放送を継続させていく自信を持った企画だった。捕捉になるが、佐野さんはこの年の831日(増刊号 Part 1)にRadio VANDAで、それまであまり触れることのなかった和物の特集を組んでいる。この時に紹介したのは、このWebでもお馴染みのスプリングス「Have A Picnic~心の扉」(注6)や、Lamp「ひろがるなみだ」(注7)で、日本の音楽にも造詣の深いところを見せている。ちなみに、スプリングスはかなりお気に入りだったらしく、放送前にサンプル・カセットが届いている。



 
 また余談になるが、この20061129日には佐野さん待望の『Garo Box(10CD+DVD)』(定価23,100円)が発売になっている。ただこのBoxは発売前に告知された商品と正規流通商品とは一部内容が違っている。その詳細は、DVDに収録される予定だったCSNカヴァー2曲(「Guinnevere」、「青い目のジュディ(Suite:Judy Blue Eye)」)の映像が許諾を得られず、Garoのオリジナル(「姫鏡台」「ビートルズは聴かない」)に差し替えとなっている。とはいえこの回収作業は発売直前だったため、都内大手ショップへの出荷分は徹底回収されていたようだが、中小のショップまでには間に合わなかったようだった。そのため、近所のレコード店に予約していた佐野さんは運よく差し替え前の商品を入手することが出来た。この事実は即彼から連絡を受け、映像をダビングしてもらい、その差し替え前の映像を見る恩恵にあずかっている。そこには当時和製CSN”と称されていた時代のGaroの姿があり、映し出された演奏に大感激した。その後、この商品はヤフオクにも出品されていたが、既に23倍となっており、現在でも10万円前後で取引されているようだ。



 
 話は私に戻すが、ライター活動は開店休養中だったが、翌2007年からはFM局パーソナリティの依頼もあり、休日のハッピー・マンディを利用して、ラジオのDJ活動を活発化させている。そのプログラムは、これまでVANDA誌に掲載したものを中心に組んだ。それは212日の『America』、430日『The Osmonds』といったものになる。とはいえ、この時期に最も集中してまとめたプログラムは、この年の327日に逝去された1960年代を代表するスーパー・スター「植木等」の追悼特集だった。この放送はチューバ奏者S氏の番組60分枠をほぼ提供していただき615日にオン・エアした。当日はサントラやライヴ音源まで網羅し、稀代のエンタティナー植木さんを偲んだ。このVANDAを想定しないで取り組んだプログラムは、それまでの佐野さんを意識したものよりもスタッフ受けが良かったので、以後はこのような独自プログラムも組むようになった。



 
 ちなみに、これ以降に放送したプログラムは、『Hatch Potch Station替え歌特集』(7/7) 、『Dunhill RecordThe Grass Roots』(7/16)『Hatch Potch Station 替え歌特集Part 2』(8/14)などで、年末の1224日には実に18年ぶりの新作『run』をリリースし、当時「再結成は今回限り」(実際は、2018年現在も活動中)とコメントのあったチューリップを全曲ライヴ音源で選曲した特集を企画した。このように、私のプログラムは佐野さんとは方向性が違う、やや大衆的でコアなものになっている。当然ではあるが、彼が「Radio VANDA」の音源を送付してくれたように、私も彼に放送音源を送付していた。そんな彼から「鈴木さんの引き出しの多さに頭が下がります。」と評価していただき、以後もこのスタンスで継続した。

 そんな中、松生さんより「昭和の音楽や映画などをネタにした「脳の活性化」についての企画が通ったので、制作に協力してくれませんか?」という依頼があり、この年の後半はこの企画の資料集めに奔走している。なおこの活動は2012年に発売する私名義の本の出版や、2013年のVANDA30の掲載内容に繋がっていくことになるのだが、話が長くなってしまうので、今回はここで留めておくことにする。
(鈴木英之)

(注1)実際に激レアな体験をした激レアさんをゲストに招き、その体験談をひも解いていくプログラム。テレビ朝日月曜日2315からの60分番組。

(注2)南太平洋フランス領ポリネシアのソシエテ諸島にある1周約30Kmの本島と、その周囲を約40Kmのリーフ(岩礁)に囲まれている。島中央にそびえるオテマヌ山(727m)の姿がアニメ「ガボテン島」を連想させる。

(注3)大塚製薬協賛、ウドー音楽事務所主催で200472425日に渡って横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)と大阪ドーム(現:京セラドーム)で同時開催された「POCARI SWEAT BLUE WAVE The Rock Odyssey 2004」。出演者はAerosmithThe WhoPaul WellerLenny KravitzRed Hot Chili Peppersなどで、両会場を日替わり交代で参加した。

(注4)市内(旧清水市三保)出身の東京芸大卒のチューバ奏者S氏がパーソナリティを務める毎週金曜日19時からの音楽番組「ワープ、ワープ、ワープ“Boss Jun アワー」(メインは吹奏楽)。Boss Junは、彼がサントリー缶コーヒーのイラストに似ている事と本名とを併せた合成語。また彼は吹奏楽振興のために全国行脚し、開催現地の吹奏楽経験者を集めた「自由音楽会」をライフワークにしている。

(注5)毎週月曜日10時(再放送は日曜13時)から放送されていた2時間枠の情報バラエティ番組パステルタイム。私は2006年以降の祭日月曜(ハッピー・マンデー)に自作自演のプログラムを自己所有の音源持ち込み(紙ジャケ展示で7080分)で出演した。

(注61995年にヒロ渡辺を中心に結成された音楽ユニット、19962月『SPRINGS』でデビュー。この曲を収録した199710月リリースの『PICNIC』は和製ソフト・ロックの最高峰と話題をよんだ。

(注72000年結成、20034月『そよ風アパートメント201』でデビューした3人組バンド。この曲は2004年のセカンド・アルバム『恋人へ』の収録曲で、ウチ氏より萩原家健太氏に紹介され読売新聞のコラムでも紹介されている。

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