2019年3月10日日曜日

コントラリーパレード:『CONTRARY』(miobell records / PCMR0013)


 コントラリーパレードが、昨年11月の『PARADE』に続くミニアルバム『CONTRARY』を3月13日にリリースする。
 現在はピアノ兼ヴォーカリスト、たなかまゆのソロ・ユニットとなっているが、バンド結成は2001年に遡りそのキャリアは長く、寡作ながらこれまでに1枚のフルアルバムと3枚のミニアルバム、2枚のシングルをリリースしている。
 ソングライターとしても評価が高い、たなかのソロ・ユニットとなったのは12年からで、サポート・ミュージシャンをバックにしたバンド編成や弾き語りでのライブ活動もおこなっているので、生で彼女の歌声を聴きたいポップスファンは足を運んで欲しい。
 前作と同様にバンド名の一部からタイトルにした本作『CONTRARY』には、元L⇔Rの黒沢秀樹(L⇔R)を筆頭に、以前ここで紹介したRYUTist の『柳都芸妓』に「夢見る花小路」を提供していた佐藤望がアレンジとキーボードで参加している。 またSwinging Popsicleの3名や、元ゲントウキで多くのセッションでも知られる伊藤健太(ベース)と元くるりの森信行(ドラム)が主に参加しており、このアルバムに貢献している。


  では全収録曲5曲の内、筆者が気になった主な収録曲を紹介していこう。
 冒頭の「子猫アラーム」は3連シャッフルのサンシャイン・ポップで、バッキングにはSwinging Popsicle(97年にメジャー・デビューしたスリーピース・ポップバンド)の藤島美音子(ヴォーカル)、嶋田修(ギター)、平田博信(ベース)の他、GOMES THE HITMANの山田稔明(ヴォーカル)、キンモクセイの張替智広(ドラム)が参加している。
たなかと藤島、山田のハーモニーの美しさはこの曲の聴きどころであり弊誌読者には特にお勧めだ。
 黒沢のスライド・ギターとセカンドライン・ファンク・リズムというリトル・フィート風のヴァースを持つ「カウント3」はパート毎にリズム・チェンジを繰り返すので、伊藤と森のリズム隊も含め巧みな演奏力を堪能出来る。


ユートピア/コントラリーパレード

 続く「ユートピア」はリード・トラックにもなっているが、佐藤のアレンジ・ワークが光るマジカルなポップである。繊細且つ大胆なそのサウンドは、ダイヤモンドの原石を美しくカットし研磨していると言うべきだろうか、マリンバのフレーズや各種シンセサイザーが絶妙に配置されていて耳を奪われてしまう。バッキングには佐藤とOrangeade(オレンジエード)の同僚である黒澤鷹輔がアコーステック・ギターで、また本作と同日にファーストEP『午後の反射光』(APLS-1903)をリリースするシンガー・ソングライターの君島大空がエレキ・ギターで参加していることにも注目したい。
ラストの「虹のしっぽ」は、パーカッションのバッキングのみでほぼたなかの弾き語りで歌われるバラードで、たなか本人によるクラリネットのレイジーな響きもこの曲の世界観に合っている。
 本作全体を通して、たなかの個性的な声質とソングライティングにはサムシングな魅力が潜んでいるで、興味をもった音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。 

(テキスト:ウチタカヒデ)

2019年3月4日月曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(郷ひろみ編・Part-2)


 Part-1の歩みに続き、今回は彼がデビューした1970年代のライヴ・アルバムを紹介する。ちなみに、彼のライヴ・アルバムは10作あるが、70年代には8作(うち1枚はフォーリーブスとの共演)を発表、初期2枚がジャニーズ事務所時代のものになる。

1974.『フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル』(CBSソニー)
※1974年大阪フェスティヴァル・ホールで行われたフォーリーブス(以下、FL)結成7周年、郷ひろみデビュー3周年公演。 26曲(ソロ7曲、FLと8曲)収録 6位 


 このライヴ・アルバムは、ファン・クラブ主導のもので、共演者には元FL八田英二とジャニーズJr.も並んでいる。なおこの時期の郷は出す曲全てがトップ3ヒットと、すでにジャニーズを代表する地位に上り詰めており、その存在感は際立っていた。
 トップには公開前の楽屋での談話が収録されているが、これはジャニー氏とは因縁の関係にあったアソシエイション(注1)のライヴ・アルバム(1969年)を連想してしまう。
 肝心のライヴは<ハイウェイスター>のインストで幕が開き、FLの定番曲Slyの<I Want To Take Higher>に突入する。他にも<Get Ready>や<Thank You>などFLの得意とするソウルフルなステージを披露している。
 そんな先輩FLに対し、郷が歌っているナンバーは最新新曲が中心になっている。特にその後彼のライヴ定番となるユーライヤヒープの<七月の朝>など、新旧交代を感じさせるレパートリーが際立っている。



1974.『HIROMI ON STAGE ! よろしく哀愁』(CBSソニー)

※ファン待望の郷単独ライヴ・アルバム。最大ヒット<よろしく哀愁>発売直後という絶好のタイミングで発表され、彼のライヴではトップ・セールスを記録している。 
13曲収録 4位

  

 ライヴ会場には2日前からかけつけたという熱狂的なファンで埋め尽くされ、開演前から興奮のるつぼと化している。
 肝心の公演は、レッド・ツェッペリン風のハードなインストで幕を開け、エルトン・ジョンの<彼女はツイストを踊れない>(注2)で郷が登場。こんなマニアックな選曲でもファンたちは大きな歓声を上げて酔いしれている。
 前半の洋楽から一転して後半ではお待ちかねのヒット曲を歌いまくるも、それらには洋楽的なアレンジが施されている。まず<モナリザの秘密>にはブラック・サバスの<Paranoid>風のヘヴィなテイストを、また<花とみつばち>では元ネタと思われるキンクスの<All Day Of The All Night>で聞かれるような鋭いギター・リフが響いている。
 なおここにはFLと親交のあったオズモンズの意欲作『Crazy Horses』(注3)から<That's My Girl><Utah>がカヴァーされているが、このライヴ作は『Crazy~』の構成によく似ている気がする。これはジャニー氏が意図的にお手本としたものなのか気になるところだ。



1976.『GO GOES ON! HIROMI IN  U.S.A. Part 1』(CBSソニー)
※ロス・アンジェルスのスコティッシュ・ライト・オーデトリアムにおける郷初の海外公演の前半。バックは郷専属のSuper Jetで、収録曲は全曲洋楽カヴァー。帯には翌月発売になる後半の『Part 2』のセット購入特典「アメリカ公演写真集」告知も掲載されている。 13曲収録 4位


 
 オープニングはファンにはお馴染みの<七月の朝>、続く2曲目には郷の和太鼓をフューチャーしたエルトン・ジョンの<血まみれの恋はおしまい>(注4)という大胆な選曲。この太鼓はオリジナル曲でのパーカッション奏者レイ・クーパーのプレイを意識しているようで興味深い。またこの和太鼓は<American Woman>にもフューチャーされ、うまくサンドに溶け込んでいる。ただ、インスト。ナンバーにしたのはもったいない感じだ。

 このライヴでは万人向けのポップスやカントリー・ソングが大半で面白味にかけるきらいもある。ただ、<SAKURA SAKURA>はジミ・ヘンドリックスの演奏した<アメリカ国家>を連想するようなロック・アレンジで興味深い仕上がりになっている。

 ラスト・ナンバーは欧米では幅広く聴かれている<兄弟の誓い>(注5)を取り上げている。日本では馴染みが薄い曲ではあるが、選曲にセンスの良さが感じられる。



 

1976.『GO GOES ON! HIROMI IN  U.S.A. Part 2』(CBSソニー)
※ロス・アンジェルスのスコティッシュ・ライト・オーデトリアムにおける郷初の海外公演の後半。収録曲は本人のヒット曲が大半で、明らかに日本のファン向けと思える。 
9曲収録 7位

 



 ここで目玉となっているのは英詞で歌われている<花とみつばち><よろしく哀愁><逢えるかもしれない>だろう。中でもロック調にアレンジされた<花と~>は、洋楽風な仕上がりでいかしている。
 個人的にはラストの<恋の弱み>のギター・リフを<Brown Suger>風にアレンジして、かつ英詞で披露してくれたら、この公演がより華やかになったのではないかと感じる。





 

1977.『ヒーロー』(CBSソニー)

※1977年4月1~2日中野サンプラザにおける公演を収録。収録された14曲中、10曲が洋楽カヴァーと、彼のライヴ・アルバムでは比較的洋楽が多い。ただその半分以上のにあたる6曲は日本語の訳詞で歌われている。 14曲収録 8位


 
 長年バック・バンドを務めるSuper Jetとのコンビネーションは良好で、ハードからバラードまでをそつなくこなしている。
 ここでは80年代以降の郷を象徴するようなバラードも積極的に取り上げており、その代表ナンバーはシカゴの<If You Leave Me Now>(注6)といえるだろう。なお、大半を占める訳詞で歌った洋楽のベスト・テイクは<愛という名の薬がほしい>と題されたポール・マッカートニーの<May Be I'm Amazed>だろう。
 なおアルバムのラスト曲<真夜中のヒーロー>のエンディングは、郷のシャウトでブラックホールに吸い込まれるように幕が下りるというドラマティックな構成になっている。この曲は翌年開催される郷初の武道館公演のオープニング曲となっていて、このアルバムとの連動性が感じられる。






1978.『フェニックス-HIROMI In BUDOUKAN-』(CBSソニー)

※1977年12月25日(日)に開催された郷にとって初の日本武道館公演を収録。
11曲収録  17位


 
 オープニングは前ライヴ・アルバムを閉めた<真夜中のヒーロー>だが、キャパの大きさを意識したスケール・アップされた雰囲気で披露している。
 ここでのセット・リストは、前作から一転して郷のオリジナルが中心となっている。それも<禁猟区><洪水の前><悲しきメモリー>といったノリの良いナンバーを会場のサイズに合わせ、ダイナミックなアレンジで聴かせている。その盛り上がりたるや、後の2010年に開催した「55 Birthday」武道館公演を彷彿させるようだ。
 そして数少ない洋楽カヴァーも、サンタ・エスメラルダ(注7)のラテン・ディスコ<悲しき願い>をチョイスして流行に敏感なところを覗かせている。また<MIND反比例>(注8)といった、これまでライヴでは披露することのなかったアルバム曲を収録するなど、彼の意気込みが伝わる興味深いものになっている。
 なおこの公演の音楽監督は服部克久と三原綱木、演奏はいつものSuper Jetにストリングスが加わっている。特に三原はこの時期、テレビの歌番組でも共演しており、彼のギターを大きくフューチャーしているのが印象的だ。補足ながら、彼とは1980年のライヴ・アルバム『My Own Road』でもタッグを組み、こちらでは洋楽カヴァーを中心とした抜群のライヴを披露している。




1978.『IDOL OF IDOLS』(CBSソニー)
※1978年7月16~17日に大阪フェスティヴァル・ホールで行われた公演を収録。この年、二作目となるライヴ・アルバムで、バックはThe Croos Overに変わっている。

17曲収録  22位




 

 
 前半のⅠ部は、つのだひろ・芹澤廣明・惣領康則によるオリジナル・ミュージカル仕立て。後半のⅡ部は最新作『Nari-rhythm』収録曲を核に、当時彼が夢中ににななっていた映画『サタディナイト・フィーバー』収録曲をベースにした構成になっている。なおこの最新作からは4曲が披露され、うち<METAL POINT>は英詞に変えており、彼のアルバムへの愛情が伝わってくる、
 またヒット・メドレー(モナリザの秘密~裸のビーナス~君は特別~よろしく哀愁)は”ORIGINAL DISCO”ORIGINAL DISCOとして聴かせるなど、ライヴ・アルバムでありながらオリジナル・アルバムのように統一感を意識している。
 ラストでは樹木希林をゲストに迎え、楽屋の現況をファンに伝えさせてお約束のヒット曲をデュエットと、ご愛嬌も覗かせている。
そしてオオトリにはばり、バリー・マニロウの<Even Now>を取り上げており、シンガーとしての力量とセンスの良さがうかがえる幕引きとなっている。

ここまで1970年代に郷ひろみがリリースしたライヴ・アルバムをレビューさせていただいた。なお、彼は1980年代にも3作のライヴ・アルバムを発表しているので、参考までにリストのみ紹介しておく。

1980.『My Own Road』
1981.『At The Starting Live~Ready Set Go!~』
1986.『郷ひろみライブ Concert Tour Labyrinth』

この3作を合わせて郷ひろみのライヴ・アルバムは10作となる。どのアルバムも捨てがたい魅力にあふれたものなので、ぜひ復刻されることを願ってやまない。
(鈴木英之)

(注1)アソシエイションの代表曲の1つ<Never My Love>は、元はジャニーズのあおい輝彦のため書あれた曲だった。しかしながら、諸事情で発売されずアソシエイションがレコーディングして全米2位の大ヒットとなった。この件については、あおい輝彦が自身のライヴ・アルバム(1978年『あおい輝彦 オン・ステージ』)でもコメントしている。 

(注2)原題:Your Sister Can't Twist(But She Can Rock'n Roll。エルトン・ジョンが1973年10月に発表した2枚組大作『Goodbye Yellow Brick Road』に収録されたオールディーズ調のロックンロール・ナンバー。

(注3)オズモンズの第10作アルバムで、全曲メンバーの自作によるロック・アルバム。プロデュースも彼ら自身(長男のアランとマイケル・ロイド)が担当している。

(注4)原題:Love Lies Bleeding。『Goodbye Yellow Brick Road』のオープニングを飾ったドラマチックな作品で、デル・ニューマンのプログレッシブなアレンジが光っている。なおパーカッション奏者レイ・クーパーはこの作品からエルトン・ジョンのバック・バンドに参加している。

(注5)原題:He Ain't Heavy...He's My Brother。ホリーズが1969年に発表したドラマティックな傑作バラードで、全英1位、全米7位を記録。その後、ニール・ダイヤモンドなど多くのシンガーに歌い継がれている名曲。

(注6)1976年にシカゴが発表した極上のバラード。彼ら初の全米1位獲得曲。

 (注7)1977年にサックス奏者リロイ・ゴメスが結成したラテン・バンド。アニマルズの代表作<悲しき願い>をラテン・アレンジで発表し、世界中で大ヒットを記録。

(注8)1977年10月1日リリースの第9作『アイドルNo.1』。

2019年2月26日火曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(郷ひろみ編・Part-1)

 
「1970年代アイドルのライヴ・アルバムの検証」、二回目は秀樹同様1970年代“新御三家”のひとりで、今もスーパー・スターとして活躍する「アイドル中のアイドル」郷ひろみについてスポットをあてることにする。ご存知のように彼は男性アイドルのメイン・ストリームであるジャニーズ事務所の出身であり、それを見出したのは才人ジャニー喜多川氏だ。そんな氏が1960年代の初代ジャニーズから現在まで送り出した数多くの男性アイドルのなかで、「最高のアイドル」と思い描いているといわれるのは郷ひろみだという。



その郷の芸能界入りのきっかけは、1971年に映画オーディションを通じジャニー喜多川にスカウトされたのが始まりだった。当初はフォーリーブスのバック・ダンサー(ジャニーズJr.)だったが、その抜群のルックスに注目が集まり、デビュー前にもかかわらず大阪でファン・クラブが発足するほど凄まじい人気を獲得した。そんな人気沸騰中の1972年8月、「フォーリーブスの弟」として<男の子女の子>で歌手デビューを果たす。この曲はGSオックスの傑作セカンド・シングル<ダンシング・セブンティーン>(郷の第5作『ひろみの旅』に収録)をベースにした好ナンバーで、いきなりトップ10ヒット(8位;27.8万枚)となった。続く<小さな体験>はさらなるヒット(4位:36.7万枚)を記録し、これは先輩フォーリーブスの実績を遥かに凌ぐもので、またたくまに事務所の看板スターとなっている。 




その人気たるや、今まで芸能人など見向きもしなかった少女たちをも巻き込むほど凄まじいもので、当時国鉄(現JR)職員だった郷の父が勤務するJR京浜東北線大井町駅にも多くのファンが押し寄せたという。余談ながら、私も同じ国鉄職員の息子(他には、パンクのアナーキーなど)として親近感を持ち、デビュー時からシングル、アルバム、更にはライヴ・アルバムまで熱心に聴き漁るようになった。そして当然のように、この年第14回日本レコード大賞新人賞を受賞。そんな郷の成功により、事務所はより多くのアイドルを量産していく体制が整っていったのは言うまでもないだろう。


翌、1973年には早くもブロマイド売上1位の座に輝き、西城秀樹、野口五郎と共に“新御三家”としてトップ・アイドルに駆け上る。同年第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし(以後1985年まで13回連続出場)、ジャニーズ事務所に在籍した1974年までに、<よろしく哀愁>(1位;50.6万枚)を含む10曲がベスト10入り(内4曲は2位)という輝かしい実績を残している。


そしてジャニーズ事務所を独立した1975年以降も、<花のように鳥のように>(2位;24.3万枚)、<誘われてフラメンコ>(2位;24.5万枚)、<恋の弱み>(4位;21.9万枚)とヒットを連発した。さらに翌76年には『さらば夏の光よ』でスクリーン・デビューを果たし、活動の幅を広げている。


 この頃になるとアルバム制作にも意欲的なところをみせ、1975年に全曲ユーミン(荒井由実)作品でまとめられた第6作『HIROMIC WORLD』、さらに翌76年には(漫画家)楳図かずおと筒美京平のコンビによるナンバーが中核をなす第7作『街角の神話』を発表。これらのアルバムは洋楽にもひけを取らないもので、特に後者の充実ぶりは目を見張るものがあった。なかでもシングルとなった<寒い夜明け>(5位;17.3万枚)は、(ベスト・アルバムにチョイスされることは少ないが)個人的には華麗な筒美サウンドと楳図独特のシュールな世界感が見事に融合した傑作ナンバーだったと感じる。




 また翌1977年にはTBSドラマ『ムー』に出演、ここでのコミカルな演技が話題となり、番組挿入歌として発売された樹木希林とのデュエット<お化けのロック>(2位:40万枚)は、郷のコミカルな面を開拓する新境地として注目された。さらに78年の『ムー一族』挿入歌、樹木とのデュエット第2作<林檎殺人事件>(6位:30.7万枚)は、より幅広い世代からの支持が集まり、当時の人気番組「ザ・ベストテン」で初の1位を獲得するほど話題となった。補足ながら、2015年6月27日放送の「TBSテレビ60周年記念・音楽の日」では、(亡き)希林との38年ぶりの復活ライヴが大喝采を浴びている。

そんな後者が収録された第10作『Narci-rhythm』は、全曲キャンディーズのヒット曲で脚光を浴びた穂口雄右の書き下ろしによるもので、郷のポップ・シンガーとしての魅力があふれた快作だった。郷自身もこのアルバムはかなりお気に入りだったようで、当時発表したライヴ・アルバム『IDOL OF IDOLS』には数多くとりあげられている。








またこの年には、大ヒットにこそ至らなかったが、彼自身もフェイヴァリットとして自認し、何回もセルフ・カヴァーすることになる<ハリウッド・スキャンダル>(13位:13.9万枚)を発表。そのカヴァーできわめつけといえるものが、1994年に元シンプリー・レッドの屋敷豪太と組んだ「Go Go’s」名義のテイクだ。ファンの間でもさほど話題にならなかったプロジェクトではあるが、スティーリー・ダンを連想させるようなクールで洗練された都会的サウンドは、今聴いても古さを感じさせない斬新なチャレンジだった。このように音楽的に充実していただけでなく、『明星』の「アイドル人気投票」でもデビュー以来7年連続No.1アイドルの座を譲らない人気ぶりだった。


1979年になると、横尾忠則による印象的なジャケット(アンディー・ウォーフォール風)も話題となった第13作『SUPER DRIVE』を発表。このアルバムは当時のフュージョン・ブームを反映してアメリカのセッション・グループ24丁目バンド(The 24th Street Band)を起用し、ニューヨーク録音を敢行させたものだった。そこには同年のヒット曲<マイ・レディー>(8位;34.9万枚)の別テイクをメインに、ヒット・メイカー林哲司、芳野藤丸(SHUGUN)、マエストロ萩田光雄らの書き下ろしが並んだ。なかでも林作<入江にて>は編曲担当の萩田光雄氏にも絶賛されたほどで、郷も後にコンピレーションへチョイスするほどの傑作AORナンバーだった。



このように1970年代後半の郷ひろみには意欲的な傑作アルバムが発表されている。そんなオリジナル・アルバムは長らく廃盤状態が続いていたが、2017年10月にSONYより完全限定生産盤『The 70’s Albums』(紙ジャケ13枚組Boxセット)として待望の復刻発売されている。ただ残念ながら、ここにはライヴ・アルバムが含まれていないが、ファンでなくとも一度はチェックしていただきたい作品集だ。なお近年、“新御三家”の野口五郎はタワー・レコードを通じライヴ(カセット音源まで)が復刻されているので、いつかは彼の作品も復刻されることを願ってやまない。


さてこの様に時代を反映した音楽活動に邁進した郷の姿勢は1980年代に入っても衰えることなかった。それは、化粧品CMソング<How manyいい顔>(8位:29.9万枚)、ノベルティ・ソング<お嫁サンバ>(1981年、6位:27.3万枚)、アダルトな洋楽カヴァー<哀愁のカサブランカ>(1982年、2位:50.1万枚)、さらに1983年には鈴木康博(元オフ・コース)を起用したトヨタ・カローラCMソング<素敵にシンデレラ・コンプレックス>(9位:19.3万枚)を大ヒットさせるなど常に話題の中心となっていた。そして1984年には、今も彼のトレード・マークのひとつとなっている「ジャパ~ン!」のシャウトでお馴染みの国鉄CMソング<2億4千万の瞳>(7位:21.3万枚)を発表し、アイドルの枠を超えた国民的ポップ・シンガーの地位を確立している。ここでまた余談となるが、郷の父は国鉄での最終歴は東京駅助役と伝え聞いたが、もしこの曲が1987年のJR発足以降のヒットだったならば、少なくとも都心部の駅長に抜擢されたかもしれないほどインパクトがあった。

そんな郷だったが祇園の芸者や松田聖子と浮名を流した後、1987年6月12日に二谷友里恵と結婚し、1989年までニューヨークに拠点を構えている。そこで二女をもうけ父親となるも、彼の人気が錆びることはなかった。1990年代に入ると再びシーンに帰り咲き、1992年には後にSMAPのヒット曲(<SHAKE><らいおんハート>など)で注目されることになる小森田実をいち早く起用した<ヴィーナスたちのシエスタ>をリリース。そして1993年からは1年一作のペースでバラードを歌い、その第1作(通算65枚目)に楠瀬誠志郎のカヴァー<僕がどんなに好きか、君は知らない>(43位:17.7万枚)、1994年には<言えないよ>(27位:37.7万枚)を発表した。後者はチャートに36週もとどまるロングセラーとなり、バラード・シンガーとしても地位を確立させ、「第27回日本有線大賞・優先音楽最優秀賞(ポップス)」を受賞されている。さらに1995年の<逢いたくてしかたない>(17位:43.5万枚)も30週近くチャートにとどまるヒットとなり、前作に続き同賞を受賞している。


なお、このヒットに合わせるかのようなバラードでセレクトされた『The Greatest Hits Of Hiromi GoVol.2 –Ballards-』を発売。ここの収録曲には1998年4月9日に離婚することになる二谷友里恵を歌った郷の自作<REE(‘95)>をはじめ、シンガー郷を反映した佳曲が聴けるセレクションが並び、ファン以外からも注目を集めた。1997年9月にはデビュー25周年記念公演を日本武道館で開催した。

そして1999年には「ア、チ、チ」の訳詞でお馴染みとなったリッキー・マーティンの<Livin’ La Vida Loca>のカヴァー<GOLDFINGER’99>を4年ぶりにヒットさせ、「第32回日本有線大賞・優先音楽最優秀賞(ポップス)」、さらに「第41回レコード大賞・最優秀歌唱賞」をもW受賞している。なおこのこの曲発売時には、プロモーションでJR渋谷駅前交差点にて無許可のゲリラ・ライヴを敢行し、刑事事件を起こすという話題をふりまいた。個人的にこの手法は、エルビス・コステロが1978年の初来日時に学ラン着用にてトラック上で行ったパフォーマンスをお手本にしたような印象がある。


 そんな順調な活動をよそに、2001年年末の「第51回NHK紅白歌合戦」の出演を最後に、2005年3月まで音楽活動を休止し、再びニューヨークに移住している。そして2005年10月には大阪で50歳記念の「スペシャル・バースデー・ライブ」を開催。さらに翌2006年9月には東京日比谷野外音楽堂でデビュー35周年記念ライヴも開催した。

2010年10月18日の55歳の誕生日には、『55!伝説』と名付けた1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演のファイナル・ステージを日本武道館にて開催し、超満員の観衆を前に健在ぶりを見せつけた。この年には9年ぶりに「第61回NHK紅白歌合戦」に出場し、2014年の第65回まで5年連続27回の出場を果たしている。また2012年には三度目の再婚、2014年には子供までもうけている。2015年10月には還暦を向かえた郷だが、今も日本を代表するスーパー・スターとして活躍を続けているのはご存知の通りだ。

さて次回は郷が1970年代に発表した8枚のライヴ・アルバムをレヴューするので、続けてお読みいただきたい。
(鈴木英之)