2026年1月4日日曜日

2025年の収穫 Хелп Ме,Рохнда

    2025年、筆者のThe Beach Boys音盤収集遍歴において一大イベントが起きた。それが、肋骨レコードとの出会いだ。この不思議なレコードは、単なる音楽の記録にとどまらず、それは、歴史の産物であり、音楽への情熱が凝縮された証でもあった。
肋骨レコードは、1950年代以降のSoviet時代に生まれた密造品だ。当時、Soviet当局は西側の音楽を「退廃的」として徹底的に規制していた。Elvis PresleyやThe Beatlesのようなアーティストたちの音楽も当然禁止され、秘密裏に音楽を手に入れたいという欲求を持った音楽愛好者たちは、禁断の方法に手を染めた。それが、レントゲンフィルム—つまり、病院で廃棄されたX線写真を使ってレコードを作る方法だった。
塩化ビニールやシェラックのようなレコードの材料は政府によって物資の割り当てが統制され、一般市民には手に入れることができなかった。だが、レントゲンフィルムは可燃性を嫌う医療機関によって捨てられており、柔軟性があり音の溝を刻むことができた。音楽愛好者たちはこれを巧妙に活用し、政府の目を逃れて音楽を密かに再生した。この肋骨レコードには、驚くべきストーリーが込められている。フィルムの上に刻まれた音は、再生すれば必ずしもクリアではなく、すぐに劣化してしまう。しかし、その音質の不完全さ、そしてその背景にある反抗の精神が、筆者にとってこのレコードをただの音楽以上の存在にしている。
肋骨レコードを知ったのは、欧州人主催のヴィンテージオーディオ愛好者が集まるSNSだった。最初は真空管数点に混じって投稿された謎めいた肋骨レコードの画像のみだった。やがてその佇まいに魅了され、もっと知りたくなった。調査を進めるうちに、「UkraineにThe Beach Boysの肋骨レコードが存在する」という情報を掴み、そこから驚くべき展開が始まった。
所有者の親戚は旧ソ連時代、Leningrad(現Saint Petersburg)の内務省で市街の風紀取り締まりを担当していた。その仕事は「社会の秩序を守る」という立派な使命だ。最初はもちろん真面目に取り締まりをしていたが、時が経つにつれてカセットテープの密造が広まり、西側音楽の進化がますます加速する中で、押収された肋骨レコードの音楽は、まるで過去の遺物のような存在になっていった。西側の先鋭的で刺激的な音楽が登場するたびに、これらのレコードは“古びた音”としてすぐに色褪せ、当局から見ても、もはや「時代遅れのサウンド」となっていった。
当初は、「西側の音楽を取り締まることこそが国家のため」と信じて、何かと肋骨レコードを押収したものの、途中からはその音楽がもはや「珍しい戦利品」ではなくなり、上司に報告しても「そんなのどうでもいい」と一蹴される始末。しばらくすると、なんだかんだ理由をつけて、押収されたレコードは親戚に押し付けられ、すべて自宅に持ち帰らされることとなった。
洋の東西を問わず無許可著作物の摘発に熱心に取り組んでいたその姿勢は立派であったが、上司からの評価は一切得られず、結局その努力は報われることなく終わった。結果的に家の一角に「西側音楽のゴミ屋敷」ができあがったのだ。
その後親戚は郷里Ukraineに帰ることなった。ところが、予想もしない展開が待ち受けていた。静かな田舎町で、溜まっていた肋骨レコードたちが、まさかの「大ヒット」の兆しを見せ始めたのだ。都市部ではとっくに時代遅れ扱いされていたそのレコードたちが、なぜかこの町では若者たちに大歓迎されることに。西側音楽への渇望が根強く残っていたとはいえ、これほどまでに時代に取り残されていた音楽が、まるで「逆転の発想」でウケるとは思いもしなかった。
都市部のトレンドとは完全にズレていたが、田舎町で若者たちは「これぞ欲しかった!」と言わんばかりに、まるで宝物を手に入れたかのように喜んでいたのだ。「これはちょっとした商売になるかも」と、親戚は肋骨レコードを農作物や酒類と交換していったそうである。しかし、悲しいかな、The Beach Boysだけはまったく人気が出なかった。もちろん、彼が求めていたのは儲け話だが、「American Band」の代表格のはずのThe Beach Boysが田舎でまるで無名のように扱われ、最後まで売れ残っていた。そうした経緯の後、所有者から物々交換という形で肋骨レコードを手に入れることができた。その交換材料は、百円ショップで購入したアニメグッズ数点と、日本製コンデンサー1ダース。
音楽を聴く上で、何を基準に選ぶべきか──それは実に奥深い。筆者が選んだカートリッジは、最新のハイエンドシステムからすれば、間違いなく格下の選択だろう。しかし、今回はあえてその「格下」を選んだ。そう、筆者が手にしたのは、欧州のポータブルプレーヤーやジュークボックスに使われていたクリスタルカートリッジ。現代のオーディオ基準から見ると、音質は正直言って劣る。レンジが狭く、音の解像度も粗い。しかし、だからこそ、このカートリッジには特別なエネルギーが宿っている気がした。肋骨レコードの再生にこれを使うことで、その「エネルギー」が不完全さと相乗効果を生むのではないかと感じた。セラミックカートリッジ特有の高出力、そして中域に集中する音圧。これが肋骨レコードの歪んだ音質と合わさることで、ただの音質ではなく、音楽が持っている本来のエネルギーを引き出せるのではないか。そんな思いを胸に、再生を始めることにした。



レントゲンフィルムでできたレコード──これほどまでに不安定な響きがあるだろうか?それはまるで過去と現在の間をつなぐ架け橋のようだ。初めて手にしたそのレコードをターンテーブルに乗せる瞬間、胸が高鳴る。
だが、見た目からして予想はついていた──フニャフニャだ。
レントゲンフィルムだから当然だが、あの柔らかさは思っていた以上に心もとない。フィルムそのものが、普通のレコードよりもずっとやわらかいのだ。下敷きが必要!
ここで、やはり東西の邂逅を狙って、下敷きに選んだのはオリジナルのCapitol盤。


これで少しは安定感が増すだろう、と目論む。が、現実は想像よりもやや厳しい。
中央のスピンドルの穴、これがまたかなりアバウトだ。


一説によると火のついたタバコで穴を開けたらしい。普段のレコードならば、ピタリと中央に収まるところ、今回のフィルムでは遊びが大きい。慎重に中央に合わせてみる。しかし、これがまた妙にワクワクする。
拡大してみると音溝は端正な出来である

いざ、再生の準備が整い、針を落とす──が、なんと第一回目は針が滑って再生されない。まさに予想外。これはただのレコード再生ではない、これはまるで実験のようなものだ。
経験から分かっている。針圧をもっとかけなければならない、そうだ、少し多めに──数度の試行錯誤を経て、ついに決定的な瞬間が訪れる。オーディオ評論家なら絶対に怒り狂うような針圧、まるでSP盤のような重量数10gをかけると、ついにあの声が響き出す。
最後はもう一枚の下敷きとスタビライザーで
押さえ込みアームの重量も加えて安定

Alの歌声と、Brianのあのファルセットが、音の乱れの先から、まるで夢のように浮かび上がる。そして、確信する。これはシングルヴァージョンだと。
音質は確かに荒削り、だが、間違いなくあの有名な『Help Me, Rohonda』のあのメロディ、あのリズムが、寸分の狂いもなく蘇ってきた。まさに、時を超えた音楽の奇跡。
ノイズ越しに、筆者はまるでタイムマシンに乗ったかのように、60年前の当時の抑圧体制下の若者と向き合っていた。
この肋骨レコード、ただの音楽メディアではない。まさに歴史の一部を直接耳で感じることができる、まさに「音楽史」の断片を手にしたような気分だ。再生を繰り返すたびに、ますますその不安定さが愛しく、またその不完全さが心地よくも感じられる。無骨で不器用なその音が、どこか人間的な温もりを持っていて、まるで当時の音楽愛好者たちの情熱がそのまま残っているかのようだ。手に入れた肋骨レコードは、音質はまさに「骨伝導」で伝わってくるような、荒削りなものだ。それでも、その音の中に秘められた「反体制的な情熱」を感じ取ることができる。そこにはただの音楽だけではなく、その時代に生きる人々の「自由を求める叫び」が込められていた。音楽がただの娯楽や趣味ではなく、歴史的背景を持つ強烈な表現であることを、改めて実感させられた。肋骨レコードは、単なるレコードの一形態ではない。歴史的な意味を持ち、かつてのSoviet市民たちの勇気ある行動を今に伝えるアート作品でもあるのだ。

    筆者のオーディオに対する考え方は、他のオーディオ愛好者とは少し異なるかもしれない。一般的にはオーディオ機器は「音楽を聴く」ための装置として捉えられがちだが、筆者にとってそれは単なる再生装置以上の意味を持っている。それは、音楽という「エネルギー」を真に感じ取るための道具であり、音楽が持つ力強いメッセージを伝えるための手段でもある。音楽を聴く行為は、ただ音を耳で受け取ることだけではなく、その背後にある「物語」や「情熱」を感じ取ることにあると思う。だからこそ、筆者はオーディオ機器を、過去の記憶を蘇らせるための装置、ひいては歴史を感じ取るための道具として捉えている。
オーディオ機器に求めるものは、単に高音質であったり、精密な再生能力を持っていることではない。確かに、精緻な音質や解像度の高い再生は魅力的であるが、それだけでは十分ではないと考えている。音楽を真に感じるためには、その音の背後にある「エネルギー」を捉えることが大切だ。オーディオ機器は、そのエネルギーを伝える「媒介」として存在し、音楽が持つ真のパワーを引き出すための装置でなければならない。
これまでの音楽再生議論は、主に「DECCAのffss」や「Blue Noteの深溝」など、ハイファイ文脈における高音質が中心に語られてきた。確かに、オーディオファイル的な精密な音質を追求することは重要な視点ではある。しかし、筆者が感じる音楽再生の魅力は、それだけにとどまらない。音楽がその本来の力を発揮し、時代を変革した要因には、日常的に使われた「ジュークボックスで流れるシングル盤」や「家庭用のポータブルプレーヤーで鳴る歌謡曲」といった、大衆音楽の真髄が存在している。
その音の中には、まさにエリート主義的なEQカーブの整合性を超えた「音の野生」が宿っていた。音質が粗雑であっても、その「エネルギー」は純粋で、音楽そのものが持つ本質的な力強さが伝わってきた。モノラル再生では、現代のオーディオ機器における「完璧な音」を追求するのではなく、あえて粗削りな音質の中に宿る「本物のエネルギー」を感じ取ることができる。それこそが、音楽が持つ本当の力を引き出す鍵だと筆者は信じている。


また、筆者が選んだクリスタルカートリッジというカートリッジも、この考え方に通じるものがある。クリスタルカートリッジは、現代のオーディオ基準では「安価でレンジが狭く、音質が劣る」と見なされがちだ。しかし、このカートリッジで再生される音楽が放つエネルギーこそが、当時の大衆音楽—Rock'n'Roll、歌謡曲、ポップス—の力強さを支えていた。そのカートリッジ特有の高出力とエネルギーが集中した中域の「塊」のような音。それが、歪んだヴォーカルや情念を、ハイファイな繊細さ以上に生々しく、力強く届けていた。
時代を動かした音楽のエネルギーは、まさにその時代の録音機器が絞り出した「悲鳴」のようなものであり、そのエネルギーこそが音楽を生き生きとしたものにしていた。今日のハイエンドオーディオ機器でいくらその音を再生しても、当時の「格下」とされるオーディオセットで生み出されていた音楽のエネルギーには及ばない。それは、音質だけではなく、音楽に込められた「感情」や「歴史」の一部だからだ。
筆者は最近の初期盤ブームに一石を投じたい。確かに初期盤を購入することは、貴重な音楽体験をする手段の一つである。しかし、初期盤だからといって必ずしも高音質が得られるわけではない。その当時、音楽はどのようなオーディオセットで再生され、どんなエネルギーが込められていたかを理解することこそが大切だ。今日の高性能なオーディオ機器で再生することも一つのアプローチだが、初期盤やその時代の機器でしか感じられない「エネルギー」を伝える音を知ることの方が、音楽の本質に迫るための重要な鍵となる。
肋骨レコードのような、音質が荒削りで不完全なレコードを聴くことこそ、筆者にとって最も純粋な音楽体験であり、音楽の本質を再確認する手段だ。その音には、ただの娯楽や趣味を超えた、歴史的背景を持つ強烈な表現が込められている。音楽が「単なる音」ではなく、その時代や文化、そして人々の心情を反映したものだと、改めて実感させられる。
オーディオ機器に対する筆者の考えは、音楽の過去と未来を繋ぐ架け橋となるべきだと信じている。音楽を「聴く」という行為を超え、その背後にある「エネルギー」や「情熱」を感じ取ることこそが、オーディオの未来における本質的な役割だと感じている。そして、これからのオーディオの在り方は、高音質の再生を追求するだけではなく、その音楽が持つ深いエネルギーをいかに伝えるかにかかっているのだ。

(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

2025年12月26日金曜日

WebVANDA管理人選★2025年のベストソング


 今年も恒例のWebVANDA管理人が選ぶ年間ベストソングを発表したい。
 幣サイト母体のVANDA誌が指向するソフトロック系ではないカテゴリーの楽曲も一部選出しているが、これまで同様に分け隔てなく音楽の多様性を許容することが管理人の信条であるので、どうか理解して頂きたい。選出した楽曲は、今年2025年にリリースされ、弊サイトで取り上げた作品を中心に、管理人が執筆前に幾度もリピートした収録曲であり、アルバムを象徴する曲である。
 今回もインディーズ・レーベルからリリースされたミュージシャンの作品が多く、プロモーションがメジャーに比べて限定的な彼らを応援する意味で今後も続けていきたいと思う。毎年の繰り返しであるが、この記事で改めて知った各アルバムは、これからでも遅くないので、リンク先から是非入手して聴いて欲しい。
 今年も選出趣旨からコンピレーション、セルフカバーを除く他者のカバー作品は除外とした。昨年同様、順位不同のリリース順で紹介する。
    ※サブスク登録ベストソング・プレイリスト 


 ☆She Is Mine / 近藤健太郎 
(『Strange Village』収録・レビュー記事はクリック 
シャッフル・ビートで始まる、とっておきのソフトロックであるこの曲は、レジェンド・シンガー・ソングライター杉真理がコーラスで参加し、その美声でこの曲を格調高くしている。アレンジ的にもよく練られていて、共同プロデューサー及川雅仁がプレイするヴィブラフォンの旋律を聴いて切なくなるビーチボーイズ・ファンもいるだろう。詞曲共に完成度が高く、ファースト・ソロアルバム『Strange Village』を代表する曲である 。


 ☆子午線 / 北園みなみ
(『Meridian』収録・旧作レビュー記事はクリック
 Lampの2014年の『ゆめ』でその手腕を発揮していた鬼才クリエイターの10年振りの新作であり記念すべきファースト・ソロアルバムの冒頭曲である。転調とテンポチェンジを繰り返す、音楽を深く考える人のためのジャズファンクだ。ストリングス・セクションは、今も戦禍の中にあるウクライナはキーウのスタジオ”Kaska Records”にて、同スタジオの主でプロデューサーのアナトリー・シュマルグンの下でレコーディングされ、これ以上ない緊張感をこの曲に与えている。 


 ☆贅沢な週末を / Nagakumo
(同名配信シングル・旧作レビュー記事はクリック) 
2023年にも年間ベストに選出し、今も音楽通から熱く注目されている大阪の4人組ネオネオアコ・バンドの今年春の配信シングル曲。得も言われぬ疾走感と極上で甘酸っぱいサビのメロディ、表現力豊かで透明感のある紅一点コモノサヤのボーカルなど、そのスタイルはデビュー当時からであるが、メイン・ソングライターのオオニシレイジのソングライティング・テクニックも更に向上したように思える。来年にはニューアルバムを期待できるだろう。 


 ☆お星さま採集~白鳥倶楽部のテーマ~ / スワンスワンズ
(同名シングル・レビュー記事はクリック
偶然出会ったセルフ・プロデュース・アイドル・デュオのシングルで、3分弱の尺なのだがパート毎に転調を繰り返してメロディも複雑で、歌詞の世界にインスパイアされたこのサウンドは、サイケデリック・プログレッシブロック・マニアでないと作れない。特にサビのメロディはクラシック音楽の素養がないと編み出せないし、ブリッジのペンタトニック・スケールのメロでクールダウンさせるテクニックも巧みだ。そのセンスも含め令和のシド・バレットかロイ・ウッドと呼べる。 


 ☆Night In Soho / Wink Music Service
(同名7インチ・レビュー記事はクリック
拘りのポップ・グループWMSの7インチ・シリーズの第5弾。ロンドンのウエスト・エンドの一角にあったソーホー地区への憧憬の歌詞を持ち、曲調やサウンドも歌詞の世界そのままに60年代へのオマージュに満ちている。ジミー・ウェッブ作「Up, Up And Away」のリフが引用され、イントロやコーラスを含めたサウンド全般は、ソフトロックのエッセンスを濃縮して1989年に制作された英国のSwing Out Sisterの「You On My Mind」をオマージュしている。


☆いちょう並木の枯れるまで / 生活の設計
(『長いカーブを曲がるために』収録・関連作レビューはクリック) 
今月初頭7インチでリリースされたばかりの「タイニー・シャイニー」や、片寄明人がプロデュースした先行配信シングル「稀代のホリデイメイカー」も悪くないが、このサイトに相応しいベストソングとしてはこの曲を選ぶ。アルバム・リリース前のライブでも披露されていた、シャッフルのサンシャイン・ポップ然としたソフトロックで、弊団体監修書籍『ソフトロックA to Z』でピックアップしたKeithの「Ain't Gonna Lie(嘘はつかない)」をオマージュしている。


 ☆ナサリー / 無果汁団
(『ナサリー』収録・レビュー記事はクリック
普遍的バラードでサビの8小節目で解決させるテンション・コードが入る瞬間は鳥肌が立つ。新主流派以降のジャズ・ミュージシャン(ドナルド・フェイゲン含む)やスティーヴィー・ワンダーとそのフォロワー達しか自在に使いこなせない高度なコード進行というか、こういった無垢なバラードに、そんなサムシングなスパイスを付けられるのが、彼らの音楽理論の教養の高さやセンスを強く感じさせる。本曲収録の4thアルバムは彼らの最高傑作となった。


 ☆A White Heron/白い鷺 / Cambelle
(『Magic Moments』収録・レビュー記事はクリック) 
ローラ・二ーロ風コード進行のイントロのピアノから耳に残り、歌詞と曲が高次元で溶け合った、その世界観にはノスタルジーを超えたサムシングが潜んでおり、熊谷慶知のソングライターとしての能力や歌詞の世界を表現するソフトなボーカルには感心するばかりだ。アナログシンセ・ソロやエレキギターのリフ、歌詞に呼応するドラミングも曲を構築する重要なエレメントとなってこの曲の完成度を高めている。初期オフコースの匂いもする。 


 ☆NOVA ERA / Saigenji
(同名配信シングル・関連作レビュー記事はクリック) 
バークリー音楽大学でアジア人初の助教授となったYUKI KANESAKAとのコラボレーション第2弾で、ライヴパフォーマーとしての彼を如実に現している。ミナス・サウンド系のコード進行とポルトガル語の歌詞に、激しいビートが映えており、YUKI の新主流派風ピアノ・ソロ、Saigenji 自身によるフルート・ソロも繰り出され、正にブラジリアン・エクスペリメンタル・ダンスナンバーとなった。来年はこのコラボレーションがアルバムとして結晶することを願っている。


 ☆街のレヴュー / The Bookmarcs
(『BLOOM』収録・レビュー記事はクリック
男性2人組ユニットのフォース・アルバムの重要曲で、イントロからAzymuthの「Fly over the Horizon」に通じるアナログ・シンセのポルタメントが効いたフレーズから引き込まれる。横浜関内にあるレンガ作りのカフェ”馬車道十番館”を舞台にしたと思しきラブソングで、近辺のロケーションが織り込まれており完成度も高い。サウンド的には前出のアナログ・シンセやエレキベースのアクセント、シンセタムのフィルによって、横浜のナイト・シーンが目に浮かぶ演出で脱帽してしまう。



音楽活動再開☆特別枠

☆除霊しないで / フレネシ
(同名配信シングル・関連作レビュー記事はクリック) 
音楽活動再開後初の配信シングルで、11年もの長いブランクを感じさせないクオリティである。テーマから極めて独自過ぎるが、サビでキャッチーなリフレインにしてしまうという言葉選びをした歌詞、音数をそぎ落としたレトロフューチャーなエレクトロポップ・サウンドは健在で、唯一無二なフレネシ・ワールドが炸裂している。来年にはニューアルバムも期待できそうなので、更に不可思議な楽曲を期待している。


(選曲及びテキスト:ウチタカヒデ

2025年12月17日水曜日

Wink Music Service:『Little China Girl / かたことの恋』


 サリー久保田と高浪慶太郎による拘りのポップ・グループ、Wink Music Service(ウインクミュージック・サービス/以降WMS)が、7インチ・シリーズの第6弾『Little China Girl / かたことの恋』(VIVID SOUND/VSEP866)を12月24日にリリースする。なおタイトル曲はあの伊藤銀次の書き下ろしなのだ。
 
 弊サイト読者には説明不要かも知れないが、伊藤銀次は日本音楽界の至宝だった故大滝詠一(大瀧詠一)氏の一番弟子で、プロデューサーやアレンジャー、ソングライターとしてデビュー当時の佐野元春をはじめ、松原みき、歌謡界のトップスターだった沢田研二など多くのミュージシャンの作品に関わってきたレジェンドである。そんな伊藤の完全書き下ろしによる新曲というこれまでに無い展開で、温故知新派の読者には大いにお勧めしたい。
 ゲスト・ボーカルには、昨年4月リリースの第3弾『Fantastic Girl』のオーバンドルフ凜らとのガールズ・グループ ”She’s A Rainbow”(サリー久保田プロデュース)のメンバーで、中国とタイにルーツを持つ14歳の若きアジアン・モデルの心愛(ここあ)を迎えている。
 WMSとしては今年9月24日にリリースした『Night In Soho/オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス』が記憶に新しいので、彼らのプロフィールは前回の記事を参照してほしい。

Wink Music Service

心愛(ここあ)

 ここでは筆者による本作の詳細解説をする。タイトル曲の「Little China Girl」は前出の通り、あの伊藤銀次が書き下ろした新曲で、WMSサブメンバーのマイクロスター飯泉裕子が作詞してラブソングに仕上げている。
 この曲における伊藤のコンポーズ・スタイルは、1982年9月リリースのソロ・サードアルバム『Sugar Boy Blues』収録の「Dear Yesterday」に通じていて、イントロのあとサビから始まり、その切ないメロディが強く耳に残るのだ。飯泉の歌詞もティーンエイジャーの不毛の恋愛を綴って伊藤の曲にマッチさせており、まだ幼さが残る心愛のボーカルとのギャップも新鮮に聴かせてしまう。
 このように大滝詠一の下ナイアガラ・レーベルからデビュー予定だったバンド、ココナツ・バンクのリーダーとして、また山下達郎が率いたSUGAR BABE(シュガー・ベイブ)を大滝に紹介して自らも一時同バンドのメンバーで筆頭ブレーンであった、日本のロック、ポップス界の重要人物の伊藤がWMSに関わった事実は極めて大きい。
 そんなポップ・マエストロが提供したラブソングを、WMSと岡田ユミは英国のジェフ・リン率いるELO風のサウンドでアレンジしている。べースのサリー久保田とドラムの原"GEN"秀樹のリズム隊は、70年代後半のディスコ・ファンクよろしく軽快なグルーヴでダンス・チューンとして料理し、ネロ(ゲントウキなどのサポートで知られる)によるギターリフやソロも英国風で、空間系エフェクターやハーモナイザーを駆使して、複数のトラックでその巧みなプレイを聴かせている。

『Sugar Boy Blues』/ 伊藤銀次


 カップリングの「かたことの恋」は、2002年に高浪慶太郎がソングライティングとアレンジを担当し提供した、TVアニメ『ちょびっツ』のエンディングテーマのセルフカバーだ。オリジナルでは同アニメでヒロインの”ちぃ”の声を演じた声優女優の田中理恵の歌唱で、「ビートでジャンプ(Up,Up and Away)」(The 5th Dimension / 1967年)などをオマージュしたサウンドが、ピチカートファイブやソフトロック・マニアには知られていた。
 本作のカバー・ヴァージョンは、オリジナルのエッセンスを少々残しつつ、これまでに岡田がWMSで披露してきたサウンド・バリエーションを総動員して、モザイク的にコラージュした大胆でマニアックなものだ。聴きものはミッシェル・ルグラン風ヨーロピアン・ジャズ・パートでのサリーと原によるタイトな演奏をバックに、縦横無尽に繰り出されるスキャット、ストリングスやホーンセクション、各種SEの融合だろう。SEの中にはマニア心をくすぐるネタもいくつか聴けて、例えばジェームス・ブラウンの70年代楽曲でよく聴けた、ワウペダルをかましたエレキギターにモジュレーションを極端に効かせたあの音だったり、最新作『ナサリー』が傑作の無果汁団ショック太郎が、blue marble時代に「街を歩くソルジャー」(『ヴァレリー』収録/2010年)でオマージュした、ビートルズの「I Am The Walrus」(1967年)やトッド・ラングレンの『A Wizard, a True Star』(1973年)に通じる、”音楽のロバート・ラウシェンバーグ”状態で脱帽してしまう。
 またタイトル曲同様に高浪とのデュエットで歌う、心愛の夢心地なボーカルが微笑ましく、イントロのセクシーな英語のモノローグまで彼女自身が担当しているというから驚きだ。若くしてトリリンガルもしくはクァドリンガルな才能に恵まれた心愛の才能を今後も注目しよう。

 最後に筆者の詳細解説を読んで興味を持ったポップス・ファンは必聴なのだが、本作は数量限定のリリースのため、ディスクユニオンなどでは既に予約受付が終了しているので、大手外資系レコード・ショップの店頭発売分を事前チェックし、是非入手して聴いて欲しい。 

(テキスト:ウチタカヒデ