2020年8月4日火曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(沢田研二・ソロ編 1980年代)


 このアイドル・ライヴのコラムは1970年代に限定だが、ことジュリーに関しては1980年代も絶対に必要だと思っている。それは個人的に彼がExoticsを率いた時代があまりにも衝撃だったからだ。

  そもそも私自身のジュリー遍歴は、高校時代の親友にザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』の洗礼を受けてからだった。それ以降、ソロもきっちりチェックしていたが、ライヴを見てみたいというまでのファンではなかった。



 それが一転してのめり込むようになったのは、宇崎竜童司会の『ファイティング80’s』(注1)1981年8月14日に放映された「Julie & Exotics」のパフォーマンスを見てからだった。 オープニングはヒット中の<ストリッパー>だったが、続く<Bye Bye Handy Love>で「佐野元春」というクレジットを見て、「お!」となった。当時の私にとって佐野元春はかなり気になる存在の一人で、この曲は彼が6月にリリースした<Someday>のカップリングだった。続く3連符のロッカバラード<そばにいたい>と<Darty Work>は、当時松田聖子のソングライターとして注目されていた小田裕一郎。さらに<Under My Thumb>風のイントロで始まった4曲目<The Vanity Factory>(注2)も佐野元春の曲。続くギターが<(I Can’t Get No)Satisfaction>風の5曲目は名コンビ加瀬邦彦作のロック・ナンバー<Noise>、この曲のシャウトがStonesの<Get Off of My Cloud>風でやたらカッコイイ!アンコールはお馴染み<気になるお前>だったが、そこでのギターがClashやJamを連想させるようなパンキッシュなカッティング。わずか30分番組ながら完全にはまりまくり、ここから私のジュリー遍歴が本格的にスタートした。

  1980年代は1980年早々に井上バンドと決別(解散)、同年にはAlwaysを率いた活動をはじめている。その1980年のスタートとなったのは1月1日リリースの29作目シングル<TOKIO>だった。しかし、この曲は前年11月25日に発表した『TOKIO』の収録曲で、井上バンドを率いた7月28-29日の渋谷公会堂の公演ではアルバムに先がけ披露されている。



  このように<TOKIO>は70年代の曲だが、80年代ジュリーを語る上で絶対に外せない。とはいえ、この曲は彼の最大ヒットでも1位に輝いたナンバーでもない。それはシングルに合わせた電飾を施した赤スーツのコスチュームと白のパラシュートを背負っての歌唱があまりにも衝撃的だったからだ。このパフォーマンスがジュリーの存在をより多くの聴衆に焼き付けることになった。 

 その過激なパフォーマンスは、同年4月にリリースした<恋のバッド・チューニング>(13位:17.2万枚)でも貫くことになる。ここでは両眼にカラー・コンタクトをはめ、未来的なデザインの衣装に、光る蛍光管を内蔵したスケルトンのギターを持って歌い、まるで未来系パンクを連想させた。なおこの曲でソロ・シングルのトータル売上が1,000万枚を突破(グループとの通算は1977年達成)し、記憶・実績共に残る絶対的な存在となった。



 そして5月24日の横浜スタジアムでのコンサート『JULIE Present’80 BAD TUNING』のバックはALWAYSが務めている。その後7月21日にリリースした第14作『BAD TUNING』では前作以上に過激なジャケット、またサウンドはテクノ化が加速化しており、半分以上の楽曲にAlwaysが参加していた。 

 これに続き、年末には再びALWAYSを従え「80年代型グループ・サウンズ」をコンセプトにした15作目のオリジナル・アルバム『G.S.I Love You』を発表している。このアルバムでは新たに佐野元春が作家陣に参加、アレンジャーには伊藤銀次を迎えて“80年代ジュリー”が構築されている。それはスピードあふれるパンキーな<彼女はデリケート>(注3)や、前出の<The Vanity Factory>によく表れている。またロカビリー仕上げのシングル<おまえがパラダイス>(16位:13.9万枚)では、ギターの柴山和彦の髪をかしむしる印象的なパフォーマンスでロッカーらしいエネルギーが満ち溢れていた。補足になるが、このアルバム初回盤には沢田からのメッセージとザ・タイガースの<君だけに愛を>を収録したソノシートが封入されていた。 

 そんなこの当時はGSブーム再燃時期であり、1981年1月に「さよなら日劇ウエスタン・カーニヴァル」には・タイガースの」メンバーとして参加。そんな往年の名グループが勢揃いする中、そのステージにはAlwaysを率いて現在のナンバーも演奏している。 



 このタイガース帯同前の1981年5月にはAlwaysを再編したExoticsを率い<渚のラブレター>(8位:23.9/この曲のみ“渚のラブレター・バンド”名義)をリリース。6月には「Julie & Exotics」(注4)とクレジットされた『S/T/R/I/P/P/E/R』が発表された。このアルバムではジュリーもExoticsのメンバーというスタンスで、伊藤銀次のアレンジにより正統派ロッカーに仕上がっている。それは佐野元春の<Bye Bye Handy Love>、ムッシュの<想い出のアニー・ローリー>、加瀬邦彦の<バイバイジェラシー><テーブル4の女>など粒揃いのナンバーにしっかり刻まれていた。ここでのキラーチューンはジュリー作<ストリッパー>(6位:36.4万枚)できまりだ。なおこのアルバムは「倫敦録音」で、RockpileのBilly Bremner、AceやSueezeで活躍(現Eric Clapton Band)したPaul Carrackも参加している。 

 タイガース帯同を終えた1982年6月には1年ぶりにExoticsと組んだ『A WONDERFUL TIME』をリリース。このアルバムも前作に引き続きロック色の強いものだが、それはデビュー前の大澤誉志幸を大きく取り上げたことも影響している。それは先行シングルとなった<“お前にチェックイン”>(6位:36.4万枚)や<STOP WEDDING BELL>に集約されている。またNobody作<PAPER DREAM>、佐野元春作<WHY OH WHY>、佐藤健作<A WONDERFUL TIME>といったポップなテイストのロック・ナンバーも多く、Exoticsと組んだアルバムでは親しみ易さは一番だ。


 そしてこの年々末には全曲井上陽水書下ろしによる第18作『MIS CAST』発表する。この組み合わせは当時としても大変話題を呼び、テレビでこのアルバムの特別番組が放送されるほどだった。バックはExoticsだが、メイン・アレンジャーが白井良明とあって、当時アヴァンギャルドな路線を突っ走っていたムーンライダース風(注5)のデカダンス的な仕上がりになっている。それは当時発売されたライヴ・ビデオにもしっかり刻まれている。
  
 セールス的には振るわなかったものの完成度は高く、同コンセプトの<6番目のユ・ウ・ウ・ツ>(6位:25.6万枚)とともに奥行きの深いジュリー・ワールドが表現された。元々「陽水とキーが同じ」ということで始まったプロジェクトだが、期待以上の成果が得られず陽水自ら「沢田さんごめんなさい」とコメントしている。肝心の陽水は当時低迷状態だったが、このセッションを通じて傑作『LION & PELICAN』を誕生させる布石となっている。 


 
 その翌1983年のジュリーは「源氏物語」をコンセプトにした第20作『女たちよ』、同時にExoticsは単独で『Library』(プロデュースはジュリー) を発表。1984年にはストレートなバンド・サウンドに回帰した第21作『NON POLICY』をリリースするも、9月にExoticsは解散となり黄金のコンビは解消された。とはいえ、メンバーの吉田建と柴山和彦は後にジュリーと再合流(Jazz Master)している。 

  Exotics解散後にスタンダード<AMAPOLA>を置き土産にレコード会社を移籍。その翌1985年に個人事務所「CO-CóLO Corporation」を設立し、久々に大野克夫が全アレンジを手がけた第22作『架空のオペラ』をリリース。 

  そして翌1986年には、沢田の意思によってチト河内(ex.ハプニングス・フォー)や石間秀樹(ex.Frower Travelin’ Band)という強者を集めてCO-CóLOを結成して第23作『CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜』をリリース。当時、このメンツを見た私は豪快なロック・サウンドを期待したが、中身はほぼAORで肩透かしを喰ってしまった。

 とはいえジュリーの入れ込み具合は半端なものではなく、1986年12月にリリースされたアナログ4枚組ライヴ・アルバム『架空の歌劇’86』の「Ⅲ・Ⅳ」はCO-CóLOを率いたものだった。個人的な本音をいえば“ジュリーAOR”は彼の甘いヴォーカルにフィットして好きな方だったが、「このメンバーで何故AOR?」というのが本音だった。

 そんなジュリーにとってCO-CóLOはExotics同様にバックバンドではなくジュリーと一体感を築くもので、『告白-CONFESSION-』(1987年)『TRUE BLUE』(1988年)と円滑な音楽活動を継続した。 とはいえこのCO-CóLOとの活動は、一般に連想される「ジュリー像」にほど遠いサウンドにファン離れが加速し、CO-CóLOは解散せざるえなかった。その後のバックは一時的にKris Kringlを率いている。



 そして、年号が「平成」に変わった1989年10月には吉田建を招聘し、より本格的ロック・サウンドを再現した26作『彼は眠れない』をリリース。このアルバムは早川タケジのジャケット・ワークが全てを象徴する、まさに“ジュリー復活”を印象付ける作品集だった。 NOBODY作のタイトル曲、忌野清志郎作で彼とのデュエット<Ki・Ma・Gu・Re>、大羽義光作<むくわれない水曜日>といったロック・ナンバーの冴えは抜群で、久々参加の大澤誉志幸作ポップ・ナンバー<Tell Me...Blue>、ユーミン作<静かなまぼろし>や徳永英明作<ルナ>も静寂ながらも美しく響いていた。「もっと早くこの路線を極めればよかったのに」と辛口評論家たちから呟かれたが、改めてジュリーの存在感を示す傑作となった。 

 なおこのセッションから吉田建を中心に、村上`ポンタ’ 秀一をはじめ精鋭ミュージシャンが集結したJazz Masterが結成した。その彼らを率いたお披露目はアルバム発売翌々日10月13日に東京ベイNKホールに始まるツアーだった。このNKのライヴはNHK BS2で生中継されており、ジュリーを知らない世代にも大きな反響を呼んだ。このバンドのクオリティは歴代のいずれにもひけをとらないもので、1990年代中頃までサポートしている。 

 またこの年大晦日の平成初の「第40回NHK紅白歌合戦」においてジュリーは、ソロとザ・タイガースという同一回で2回登場するという番組史上初の快挙を遂げている。さらに1991年にはデビュー25周年にちなみ、NHK BS2で「美しき時代の偶像」と題されたジュリー特集番組が5日連続トータル25時間放送され、改めて「国民歌手」を印象付けることになった。 

(Outro) 
 その後、東芝EMI在籍時はそこそこチェックしていた程度で、当時印象に残ったものは、1996年9月からスタートした5代目トヨタ・クレスタのCMに玉置浩二、高橋幸宏と3人で出演し、お得意の<Time Is On My Side>を歌っていたことくらいだった。 

 21世紀の2000年代になってからのジュリーは、インディーズ制作ながらもJULIE LABELをスタートさせ、新作は特殊ジャケット仕様でファンを楽しませている。その第1弾となった通算39作『忘却の天才』は「ブック型」でシングルは「紅茶缶」だった。ここからは<つづくシアワセ>がネスカフェのCMに起用され、しばらくジュリーの歌声がテレビで流れている。余談ながら、この時期には『つづく幸せプレゼント』なるフェアがあり、運よく「季節の花宅急便」に当選している。 

 そんな私がまたジュリーを真剣に聴くようになったのは、種無しスイカの切り身パッケージの第45作『ROCK’N ROLL MARCH』がリリースされた2008年だった。この年還暦を迎えたジュリーは初の二大ドーム・コンサート「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年ジュリー祭り」を発表しており、このニュースを聞いた私は当時ゲスト出演していた清水のコミュニティFMで、2週間連続で約3時間に及ぶ特集番組を発案している。

 そのプログラムを制作中に、運よく私など足元にも及ばないほど熱い「ジュリー愛」を感じさせるH.P.運営者とコンタクトを持つことができ、納得のいく内容にまとめられた。またその協力者から「東京ドーム公演」のチケットまでも手に入れていただいた。 

 なお、このドーム公演に合わせてジュリーはまる1日NHK FMで告知番組を放送するという気合の入れようだった。そんな記念すべきジュリー初東京ドーム公演は12月3日に敢行している。このような記念公演であれば、通例ゲストが登場したりしてセレモニー的な色合いがつきものだったが、午後3時からスタートしたライヴはコーラス隊が4曲加わった以外はバンドの演奏のみだった。しかも全80曲6時間半にも及ぶ驚愕ライヴは、途中で休憩時間を20分ほど挟んだだけで、ほぼノン・ストップというすさまじいものだった。それは改めてジュリーと彼を支えるバンドのパワーを見せつけられた。 

注1)テレビ神奈川(TVK)で1980年4月4日から1983年3月27日まで(全156回)放送された、ロック系ミュージシャンの公開ライヴ録画放送。MC担当は宇崎竜童、収録場所は東京・蒲田の専門学校・日本工学院の音楽ホール。

 注2)1980年沢田の第15作『G.S.I LOVE YOU』収録曲。1981年1月25日「さよなら日劇ウェスタン・カーニヴァル」でもAlwaysを率いて歌唱。佐野元春も1982年第3作『SOMEDAY』でセルフ・カヴァーしたが、沢田がコーラスで参加した。

 注3)佐野元春が参加した1982年3月21日リリースの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』でセルフ・カヴァーし、同時にシングルにもなっている。 

注4)メンバーは、吉田建(B.)柴山和彦、安田尚哉(Gt.)上原“ユカリ”裕(Dr.)西平彰(Key.)。この名義でのシングルは34作目の<ス・ト・リ・ッ・パ・ー>から、1974年4月25日リリースの42作目<渡り鳥はぐれ鳥>までの11枚。アルバムとしては第16作『S/T/R/I/P/P/E/R』から1984年6月5日リリースの 『NON POLICY』までの6作。 

注5)ムーンライダースは1980年の『カメラ=万年筆』でThe Pop GroupやDevo等アヴァンギャルドなスタイルに邁進している。1981年にはその路線をさらにエスカレートさせた『マニア・マニエラ』を制作するも、レコード会社はレコード発売を見送り、当時普及率の低かったCD限定での発売とされた。そのサウンドの中核を担ったのは白井良明だった。



 『JULIE Present `80 BAD TUNING』
(VHS & β) 1980年7月21日 /  Polydor / VX1001  FX1001
 ①TOKIO、②お前は魔法使い、③アンドロメダ、④Lover Lover Lover、⑤お月さん万才!、⑥どうして朝、⑦MC 、⑧恋のバッド・チューニング、⑨ミュータント、⑩MC、⑪勝手にしやがれ~カサブランカ・ダンディ、⑫マダムX、⑬世紀末ブルース、⑭夢の続き、⑮(Encor)恋のバッド・チューニング  

 このライヴでのジュリーは、未来型ロボットやミュータントを連想させるようないで立ちでステージに登場。まさに<TOKIO>の世界を過激に世襲したようなステージを展開している。そのパフォーマンスはまさに1980年型ジュリー・ロックの幕開けの宣言といえる。なおバックのAlwaysは結成してわずかにもかかわらずジュリーとのコンビネーションは抜群でキレのいい演奏を聴かせている。 


『さよなら日劇ウェスタン・カーニバル Vol.3(with Always)』 
(カセットテープのみ、後にCD化) 1981年3月21日 /  Apolon APCA-157 

⑩THE VANITY FACTORY、⑪おまえがパラダイス、⑫NOISE、⑬G.S.I LOVE YOU 

 1981年1月25日 の日劇ウェスタン・カーニバルのライヴから。同日にザ・タイガースとしてステージに上がるも、後半ではAlwaysを率いて現役宣言とばかりに最新曲を聴かせている。 


『JULIE CONCERT TOUR `83 MIS CAST』
(VHS & β) 1983年3月10日 /  Polydor / 98H-1103    

①MIS CAST、②デモンストレーション Air Line、③Darling、④次のデイト、⑤Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde(巴里にひとり)、⑥渚のラブレター、⑦勝手にしやがれ、⑧Band Introducing、⑨背中まで45分、⑩6番目のユ・ウ・ウ・ツ、⑪How Many“Good Bye”、⑫ジャスト・フィット、(Encor)⑬STOP WEDDING BELL、⑭MIS CAST  

 井上陽水と組んだ『MIS CAST 』の世界観を呈したステージ。オープニングでは白のスーツに身を包んだダンディズムでの幕開け。フランス語で歌い上げる⑤もこのライヴにはよくお似合い、また⑥はハワイアン、⑦はフラメンコ調のアレンジで、ライヴのバランスを整えている。ジュリーのライヴでは異色中のものだろうが、完成度はかなり高い。 


 『架空の歌劇86』 1986年12月25日 /  東芝EMI   CA37-1345~8  

Disc-1 ①悲しみのアダージョ、②恋のアランフェス、③朝日の当たる家、④絹の部屋 、⑤砂漠のバレリーナ 、⑥白夜のエトランゼ、⑦吟遊詩人、⑧はるかに遠い夢、⑨影-ルーマニアン・ナイト 
Disc-2 ⑩ス・ト・リ・ッ・パ・ー、⑪晴れのちBLUE BOY、⑫気になるお前、⑬許されない愛、⑭灰とダイヤモンド、⑮魅せられた夜、⑯あなたに今夜はワインをふりかけ、⑰夢を語れる相手がいれば 
Disc-3 ⑱闇舞踏、⑲無宿、⑳THE VANTY FACTORY、㉑アルフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~、㉒お前がパラダイス、㉓White Room、㉔Stand By Me、㉕Volare 
Disc-4 ㉖愛の嵐~スカンジナビア幻想~、㉗流されて、㉘サムライ、㉙ジャスト・フィット、㉚彼女はデリケート、㉛“B”サイドガール、㉜夜のみだらな鳥たち  

 驚異の4枚組というヴォリュームでリリースされた芸能生活25周年記念盤。 1・2が1986年1月16-18日 NHKホールと、1月21-28日の大阪フェスティヴァル・ホール公演(バックはKris Kringl?)。3・4がCO-CóLOを率いた10月8-9日新宿厚生年金会館と10月10日の大阪フェスティヴァル・ホール公演。 過去のライヴに比べるとややおとなしめ、それゆえ㉕のようなスタンダード・ナンバーの出来が光っている。 

Special Thanks 三浦久美子(from 「ジュリーが最高!」

(鈴木英之)                                                                     

2020年8月1日土曜日

The Pen Friend Club:『一本の音楽/八月の雨の日』(サザナミレーベル/SZDW-1086) リリース・Megumiインタビュー


 4代目ボーカリスト藤本有華が最後に参加したCDシングル『Along Comes Mary/Love Can Go The Distance』から早5ヶ月、新体制となったThe Pen Friend Club(ザ・ペンフレンドクラブ)が、8月8日に村田和人氏の「一本の音楽」(1983年)のカバーをA面にした7インチ・シングルをリリースする。 
 バンドに新たに加わったボーカリストMegumi参加後の初レコーディングということで、ファンにとっては注目すべきシングルとなるばかりか、カップリングには『Wonderful World Of The Pen Friend Club』(2017年2月)収録の「八月の雨の日」がセルフカバーされているのだ。
 今回の7インチ・シングルは国内最大のアナログレコード・プレスメーカーである東洋化成主催のアナログイベント「CITY POP on VINYL」の一環ということもあり、多くの参加アーティスト、バンドが参加しているが、中でも本作は話題になるであろう。


一本の音楽 / The Pen Friend Club


 筆者は5月に入手したラフミックスから最終のマスタリング音源までを聴いているが、「一本の音楽」はギターリフなどオリジナルの山下達郎氏によるアレンジをベースにしつつ、テンポを上げて60年代ポップスのエッセンスを加味しているのがペンフレンドクラブらしさだろう。
 Megumiの艶のあるボーカルと平川、リカ、そいによる三声のコーラスなど新たなカバー・ヴァージョンとして、村田和人氏のファンにも新鮮に聴いてもらえると思う。 
 平川作の「八月の雨の日」は、オリジナルからややアレンジを変えたシンプルな導入部からドラマティックな展開を演出している。オケのリヴァーブを浅くしてシティポップ・サウンドの音像に近づけているのも聴きどころだ。
 ここでは新たに加入したMegumiの独占ミニ・インタビューと、彼女がセレクトしたペンフレンドクラブ・ベストソング(サブスクで試聴化)を紹介しながらお送りしたい。




●まずはペンフレンドクラブ(以下ペンクラ)に新加入したきっかけは?  

Megumi:きっかけは、リーダーの平川さんからのスカウトでした。
 私のライブに突然いらっしゃって、お話しを頂いたのが最初です。とてもびっくりしましたが、数年前に前任の藤本さんと共演したことがあり、その時の歌を覚えてくださっていたとのことでした。


● ペンクラの曲でお好きな曲を何曲か挙げて、その理由を教えて下さい。  

Megumi:何曲かということであれば、今までの4名のボーカルさん毎のアルバムから1曲ずつ。

 1.Do I love you
 2.Love will keep us together
 3.土曜日の恋人 
 4.八月の雨の日 

 「この曲が好き」というのは、私はどちらかというと直感で大体メロディーから入っていくタイプと思います。洋楽だととりわけそうですね。
 「八月の雨の日」はペンクラの中で一番好きです。メロディーも歌詞もスッと入ってきて情景が浮かぶ感じがしました。今回セルフカバーという形で歌わせて頂けてとても嬉しいです。


八月の雨の日 / The Pen Friend Club

● ではペンクラ以外で、個人的によく聴くアーティストの曲を挙げて下さい。またボーカリストとして目標とするアーティストはどなたかいますか?  

Megumi:その質問にはいつも回答に困ってしまうのですが、どちらかというと特定のアーティストが好きというより、曲で好きというのが多いです。

 アーティストという事であれば、例えばここ最近よく聴いていたのは秦基博さんや、宇多田ヒカルさん、カーペンターズあたりでしょうか。カーペンターズだと、I won’t last a day without you、Close to you、I need to be in loveあたりは特に好きです。季節や気分によっても聴きたいなと思う曲は変わりますね。
 ボーカリストとして、目標というか、私の中で一番声がきれいだなと思っている歌い手さんはリア・サロンガさんです。ミュージカル女優さんでもあり、代表的なのはディズニーのアラジンでのジャスミンの歌声でしょうか。澄んだ美しい歌声に子どもの時から憧れがありました。聴き心地が良くて爽やかな風を感じるような、とてもタイプの理想の歌声という感じです。

 


●今回ペンクラに加入されて初めてのレコーディングだった訳ですが、その感想をお聞かせ下さい。また特筆すべきエピソードがあればお願いします。

Megumi:今回はコロナ自粛の中でのレコーディングだったため、メンバーも自宅で録音出来る人は自宅でという形でした。私も初めての試みだったのでリーダーの平川さんとメッセージをやりとりしながら教えて頂きながらでした。

 みんなの録音を集めて一つに仕上げるのは平川さんも大変な作業だったと思いますが初めて一つになった音源を聴いた時は感動しました。この状況下でメンバーひとりひとりの想いが音として詰まった素晴らしい作品になったと思います。 



●最後にペンクラの新たな看板となるボーカリストとしての心構えと、 この7インチ・シングル『一本の音楽』のアピールをお願いします。 

Megumi:先日自身のブログにも少し書きましたが、ペンフレンドクラブへ加入するという決断は簡単ではありませんでした。前任の藤本さんの圧巻のボーカル力、ましてや初めてのバンド活動、自身の音楽活動もあるので、いろいろとじっくりと考えてリーダーにも相談させて頂きながら決めました。
 今はメンバーの皆さんと楽しみながらこの新体制のペンフレンドクラブの音楽をお届けできたら良いなと思っています。

 「一本の音楽」は早速試聴動画などの反響もあり嬉しい限りです。
 私も歌う度に好きになっている、そんな曲です。
 カバーというのはもちろん原曲のファンの方々がいらっしゃるので、私らしさを出しつつ大切に歌わなければいけないなとも今回のレコーディングを通して思いました。
 「一本の音楽」そして「八月の雨の日」ぜひこの夏に聴いて頂きたいです。 ジャケ写も素敵なので、今回の作品がたくさんの方々の元に届くと嬉しいなと思います。

 (インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ)

2020年7月25日土曜日

Stay Home (California編 part 1)




前回『Stay Homeからの続き
 苦労の末家族を呼び寄せたBuddyであったが、経済的苦境から脱して住処を見つけ ることがこれからの課題であった。
 そしてそれを可能にしたのはたどり着いた Hungtington Beachそのものであったのだ。当地周辺に油床が発見され、オイル ブームに沸いていた。今では想像できないが、海岸に油田採掘の足場が林立しており全国から投資が行われていた。


 油田採掘の工事が増加したおかげで配管技術を持つBuddyは糊口をしのぐどころか小金ができたので、上地図のPasedenaに貸家を見つけ一家はようやく落ち着いた。
 後年Buddyの孫たちが”パサディナのお婆ちゃん”という歌を歌うことになるのは 妙縁である。さらにBuddyは配管技術を生かして当時まだ農村地帯が多かった Los Angeles南部の農業用水施設の修理で生計を立てることになる関係で 上地図⑧のInglewoodへ転居した後⑨の家に定住することとなった。
 巷間伝わっている話では泥酔や家庭内暴力が絶えなかったという、しかし 家族団欒の時は親子で合唱や楽器の演奏を楽しんでいた、特に子Murryは音楽への 思いは強く将来は音楽で生計を立てることも夢見ていた。

 Murryは高校卒業後は実家から独立し就職後Audreeと結婚する、その際上地図の① に転居し、Brian, Dennis, Carlを育てていた。
 実家の兄弟も長ずるに及び妹のEmilyがLove家へ嫁ぎ後にMike Loveを産む。Love家は工場経営で成功し、平地が多い周辺地区より小高い③の場所に居を構え ていた。3階建の14部屋もある大邸宅でこの事は後にThe Beach Boysの 『Mount Vernon and Fairway(A Fairytale)』の歌詞でa mansion on a hillと歌われ ている。また、Wilson家もよく招かれMurryの曲を披露したり子供同士での合唱も よく行われた。そして将来のコンビとなるMike-Brian-Murry共作の歌も披露していた。
 しかしながら、Love家の事業が1950年代後半に破綻すると、高台から⑤の平屋へ 転居することとなり、Mikeの実家からの独立と同時にThe Beach Boys結成に向かう。Brian出生後に一家は⑪の現在記念碑が立っているHawthorneへ転居する。


 HawthorneはMurryの父Buddyが配管の修理に出かけていた頃の農村風景が一新されて いた、最大の出来事は当地に1939年航空機メーカーNorthropが創業し周辺産業が活性化され労働人口が増加した為である。
 当時は第二次世界大戦が始まりCaliforniaも軍事拠点としての 機能が拡大していく。また1930年代を通じて米国中西部にDust Bowlと言われる砂嵐が発生し、多くの農家に被害をもたらした為Californiaへ移住する農民が増大した。Hawthornも当時労働者が多く流入し、主にMurryの父祖と同じ中西部訛りで話す隣人が多く住んだ。
 同様に1940年代軍需産業の伸長と共に労働需要に応えるかのように南部からの黒人の移住が 急増する。その中心となったのが⑩を中心とするCentral Avenue周辺であった。当地では 黒人による商店、クラブも多く営まれていたので南部からミュージシャンも多くやってきた。
 閉鎖的なクラブから次第に映画の演奏やレコーディングまで手を広げる者も現れ 多くのJazz, R&Bアーティスト産むこととなった。Central Avenueの価値が大きかった事の 象徴的な出来事があった、当時音楽家は組合(以下AFM)を通してギャラの配分などを受けていたが、各地にある人種別のAFMが通例であった。
 Californiaでも白人系の47支部と767支部の二つがあったが、Jazzを中心とするポピュラー音楽の発展により、とうとう1953年両者は合併し音楽現場での人種の壁が取り払われた。以後西海岸のスタジオワークで様々なミュージシャンが活躍していく素地となる。
 
 MurryはThe Beach Boys結成時自営業であったのは有名であるが、オフィスは自宅から離れた ②の場所にあった。仕事帰りにCentral Avenueに寄ってミュージシャンとの交流があったの だろうか?
 詳細なところは分からないが、実際Murryの曲はCentral Avenueのミュージシャン が取り上げリリースしており何がしかの繋がりがあったことが推測される。



 Red CallenderはPhil Spectorのセッションでも活躍し初期のWrecking Crewともいえる 存在である、同時期に活躍したPlas JohnsonもGold Starで多くの仕事をしており 息子BrianのPet Soundsにも参加している。親子二代に渡り繋がりがあるのも面白い。
 親子二代といえば親子共作による『Break Away』が有名だ、その際Murryは変名の Reggie Dunbarを名乗っている。Dunbarの由来は不明であるが上地図⑩にあった1940年代 までに隆盛を誇った伝説的スポットがHotel Dunbarである。

 先にも述べたが、Brianの祖父Buddyの代ではHawthorneの地は広大な森林や農村が広がり 1939年Northropの創業で一変し一気に都市化へ向かった、それらを牽引したのは主に航空産業である。冷戦終了後、航空産業の勢いは衰えた。しかし近年Wilson家⑪のから近所の⑫に電気自動車で有名なElon Musk率いる宇宙航空ベンチャーSpaceXが創業し、Hawthorneは 再び時代の先端に立とうとしている。
(次回に続く) 



1915年頃のHawthorne-Wilson家の実家近くのKornblum Ave. 

(text by MaskedFlopper)

2020年7月19日日曜日

名手達のベストプレイ第7回~スティーヴ・ガッド


出典 :www.drummerworld.com

 孤高のドラマーという名が相応しいスティーヴ・ガッド(本名:Stephen Kendall Gadd)は、1945年4月9日にニューヨーク州北西部、オンタリオ湖岸に位置するロチェスターで生まれた。
 彼が初めてドラムに触れたのは7歳で、軍楽隊でドラマーをしていた叔父の勧めでレッスンを受けるようになる。ドラマーとしての才能を開花させたガッドは、ロチェスターにあるイーストマン音楽学校に入学しクラシックの打楽器奏法を身につけ、校内では木管アンサンブル・バンドで演奏し、夜はジャズ・クラブでチック・コリア、チャック・マンジョーネなどプロ・ミュージシャン達とのセッションを早くも始めていたようだ。
 イーストマン音楽学校卒業後、徴兵により陸軍の軍楽隊に3年間所属し除隊後にはロチェスターに戻りビッグ・バンドに参加していた。1972年になるとイーストマン時代にルームメイトだったトニー・レヴィン(ピーター・ガブリエル・バンド、キング・クリムゾンetc)、マイク・ホルムスとトリオを組んでニューヨークに進出するが成功に至らず解散する。その後スタジオ・ミュージシャンとして幅広く活動するようになり、1973年にはチック・コリアのReturn to Foreverに短期間所属した後、アル・ディ・メオラのElectric Rendezvous Bandに参加するなどジャズ~フュージョン・シーンでも頭角を現し、CTIレコードや同系列のKUDUのアルバムなど多くのセッションで常連となっていく。
 同時にバリー・マニロウやジム・クローチ、サイモン&ガーファンクル解散後ソロに転じたポール・サイモンなどシンガー・ソングライター系のセッションからのラヴ・コールにより、彼の技巧的且つ曲を演出する多彩なプレイは評判になっていくのだった。

 1976年にはソウル系プロデューサーのヴァン・マッコイのセッションに参加したニューヨーク派のミュージシャン達(ゴードン・エドワーズ、リチャード・ティー、エリック・ゲイル、コーネル・デュプリー、クリスパーカー)と共にフュージョン・バンド“Stuff”を結成し5枚のアルバムを残した。
 手練のミュージシャン集団として1970年代後半から1980年代前半にかけて様々なレコーディング・セッションに参加し、名盤請負人衆として音楽業界でも認識されていく。その後Stuffは各メンバーの多忙さにより自然消滅するが、1986年にはガッドを中心にリチャード・ティー、コーネル・デュプリーにベーシストのエディ・ゴメス(ビル・エヴァンス・トリオetc)を加えてThe Gadd Gangを結成してフュージョン・シーンを再び盛り上げる。
 近年ではポール・サイモンの他、エリック・クラプトン、ジェームス・テイラーなどレジェンド達のレギュラー・ドラマーとしてレコーディングやツアーに参加して、その唯一無二のプレイを聴かせている。
 
 ここではそんなスティーヴ・ガッド氏を心より敬愛するミュージシャン達と、彼のベストプレイを挙げてその偉業を振り返ってみたい。今回は参加者の内ドラマー(経験者含め)が3名おり、テクニカル面でも解説してくれた。
サブスクリプションの試聴プレイリスト(3時間32分!)を聴きながら読んで欲しい。

 出典 :www.drummerworld.com


【スティーヴ・ガッドのベストプレイ5】
●曲目 / ミュージシャン名
(収録アルバムまたはシングル / リリース年度)
◎選出曲についてのコメント
※管理人以外は投稿順により掲載。



Drums & Percussion 奏者/じゃむずKOBO 代表/S.A.D.ドラムスクール 講師


●Rocks / 深町純 (『Jun Fukamachi & The New York All Stars Live 』/ 1978年)
◎1978年9月の後楽園ホール&郵便貯金小ホールでのライブ盤。
1:03から始まりを告げるリズムにワクワクします。
スタープレイヤーがこんなにも集まっちゃって凄い。。。
個人的にはGaddのハイハットのキレが大好きです。

●September Second / Michel Petrucciani,Steve Gadd,Anthony Jackson
 (『Trio in Tokyo 』/ 1999年)
◎このアルバムで1曲を選ぶのは苦労しました。
ドラムがこんな綺麗にメロディへ絡みハーモニーを作ることができるんだ!と感激した曲です。
3:10からの激アツプレイに心が踊らされたのは僕だけじゃないはず!

●Layla/ Eric Clapton (『One More Car,One More Rider』/ 2002年)
◎人生で一番聴いているライブ盤。
全編に渡りドラムってなんて気持ち良いんだと感じさせてくれます。
その中でも有名な「Layla」は曲中の素晴らしさはもちろんですが、お待ちかねのアウトロでの”ドドパ~~~~~ン”、、、最高です。

●She Curves,She Curves / Michael Blicher,Dan Hemmer,Steve Gadd 
(『Blicher Hemmer Gadd』/ 2014年)
◎小気味の良いリズムから始まりフルートとオルガン、ドラムのご機嫌なサウンド。
後半のドラムソロでは絶妙なハイハットワーク、歌心溢れるフレージングにドラム小僧はニンマリするのでした。

●Somehow It’s Been a Rough Day  / Ai Kuwabara with Steve Gadd & Will Lee 
(『Somehow,Someday,Somewhere 』/ 2017年)
◎アルバムの始まりを告げる1曲。桑原あいの繊細で軽やかなピアノプレイからWill Leeの腰のあるベースが続き、Gaddの軽快なブラシワークがメロディを乗せてゆく。
3人の”生きる音”を楽しめる素晴らしいアルバムです。


Layla / Eric Clapton



サックス吹きでもありベーシストでもあります。


●You Make Me Feel Like Dancing / Leo Sayer
(7”『You Make Me Feel Like Dancing』 / 1976年)
◎軽快なシャッフル系ビートに乗り、軽やかに歌うレオセイヤー1976年の楽曲。
一聴するとガッドらしさを感じさせないのだがサビ前のタム回しなど、要所にガッドらしさの光るグルーヴ感溢れる名曲。

●Feel the Night / Lee Ritenour(『Feel the Night』 / 1979年)
◎キレの良いビート感が特徴の渋い一曲。
ガッドらしく後ろにグルーヴを持ってくる気持ちの良いキックやハイハットワークが堪能できる良曲です。

●Glamour Profession / Steely Dan(『Gaucho』 / 1980年)
◎ガッドにしてはソリッドでジャストな演奏。編集によって発音のタイミングが修正されている可能性があるかもしれないが、それにしてもハイハットワークのグルーヴ感はガッドの後ろ乗り感が出ていて良い感じです。

●Just the Two of Us / Grover Washington Jr.(『Winelight』 / 1980年)
◎様々なアーティストがカバーをする名曲もオリジナルメンバーはかなり強力です。
サックスソロでのガッドのビートが楽曲を力強く押し上げていて、その想いが全体に与えている影響は大きいと思います。

●Distracted / Al Jarreau(『This Time』/ 1980)
◎このシャッフルビートをこのテンポで演奏する難しさはミュージシャンにはよくわかってもらえるかも知れない。ガッドはラフさを感じさせながらも実にしっかりとパターンが構築されている。間違えない、グルーヴの理解、当然ながら好演。
しかしバカテクではなく、人を繋ぎながら音楽にしっかりと寄り添い、自身の主張を小気味良い所にちゃんと入れる。本当に素晴らしいドラマーだと思います。


Distracted / Al Jarreau



作詞/作曲/編曲家。 ボーカル、ギター、サックスを担当。 自身のクループ「鈴木恵TRIO」「EXTENSION58」の他、アイドルグループ「RYUTist」への楽曲提供、作家「大塚いちお」氏との共同楽曲の制作等を行う。
TRIO堂(通販サイト)https://szkststrio.theshop.jp/


●My Sweetness / Stuff(『Stuff』/ 1976年)
◎Stuffといえばファンキーナンバーな印象がありますが、彼らのもう一つの得意技、メロウナンバーに是非耳を傾けてほしいです。ガッドと言えばこの曲もまた然りですが、やはりリムショット。リムの美音色と歌を歌うようなダイナミクスが、実にクールなのです。

●Aja / Steely Dan(『彩(Aja)』/ 1977年)
◎腕利きのジャズメンによって録音された作品。ウェザー・リポートの張本人、ウェイン・ショーターを招いているあたりは当時のジャズ→エレクトリックな流れを受けた彼らなりの逆回答ではないかと考えます。中間部のサックスソロと圧倒的なドラムソロの絡み、圧巻です。

●Ace In The Hole / Paul Simon(『ONE-TRICK PONY』/ 1980年)
◎ガッドと言えば外せません、このお方ポール・サイモン。映画のセッション・シーンで聴ける「跳ねるビートの曲に対して溜めるスネア」を存分に味わえます。ズバリ曲全体がお祭り騒ぎにならないキーポイントは、ポールの歌い癖に合わせている2、4のスネアの溜めです。

●Signal To Noise / Peter Gabriel(『Up』/ 2002年)
◎プログレ系を探しておりましたら、ありました!まるでオーケストラの一員のようなガッドのドラムが堪能いただけます。折角の「ピーガブ(通称)」のRecにもかかわらず(というのも何だが)、この曲ではトニー・レヴィンとの黄金のリズム隊を聴けないのが残念です。

●Spain / Corea,Gadd,McMride
(『Super Trio (Live At The One World Theatre, April 3rd, 2005)』/ 2005年)
◎スペインが好きで音源探していたらこれにたどり着きました。チック・コリアが元来生まれ持っているラテン魂を奮い立たせるようなフィルイン。情熱をひた隠しにおさえつつも、終始アフロビートで押し上げていく少しだけエイトビート寄りな最強のアランフェス協奏曲。



Spain / Corea,Gadd,McMride



オフィシャルブログ:http://philiarecords.com/


●I Broke Down / Joe Cocker(『STINGRAY』/ 1976年)
◎Stuffの一員として参加したこのアルバムの中でもとりわけ歯切れのいいドラムプレイ。
バスドラの入れ方やタムを絡めたフィルが素晴らしく、ブルーアイドソウル、ジャズファンクなどのドラムの礎となったのではないかと思います。粘っこさよりもキレの良さを重視したドラミングといったらいいのでしょうか。憧れます。

●Nite Sprite / Chick Corea (『The Leprechaun』 / 1976年)
◎ジャズロック、ジャズプログレ系の楽曲です。歌ものポップス系では比較的シンプルなドラミングが多いのですが、こういった技巧系の曲でのプレイの正確さ、各キットを鳴らした時の音の粒立ちの綺麗さを満喫できる曲なのではないかと思います。曲中に何度も繰り返されるテーマでのキメ、そしてドラムソロのかっこよさが印象的です。

●I'm Gonna Miss You In The Morning / Quincy Jones ft. Luther Vandross and Patti Austin 
 (『Sounds ... And Stuff Like That!!』/ 1978年)
◎金物がよく聴こえるミックスになっているので、ライドのタメ具合や丁寧かつグルーヴィーなハットさばきが楽しめる一曲です。ドラム専門誌などでよく語られるパラディドルなどのテクニカルな部分だけでなく、この曲のようにシンプルなドラミングで役割に徹しつつ色を出すことができるのも、彼の超一流たるゆえんだと思います。(よく聴くと全然シンプルじゃありませんが…)

●Little Pony / Georgie Fame(『Cool Cat Blues』/ 1990年)
◎ブラシを用いた歌モノ高速ジャズ。曲の後半でスネアのアタックを強め、ピアノとアクセントを合わせながら曲が進んでいくところが高揚します。男性ボーカル二人のスキャットのようなかけあいが楽しいのも、この軽快なドラムがあってこそだと感じます。

●Home / Michel Petrucciani,Steve Gadd,Anthony Jackson
(『Trio In Tokyo』/ 1999年)
◎スティーヴ・ガッドは、やはりジャズ・ライブでのプレイを聴かなければ本当の凄さは分からないのかもしれません。序盤から中盤にかけてピアノを前面に押し出しておきながら、だんだんとリズムの主導権を握りながら牽引していき、最後にクールに戻っていくのが最高にかっこいいです。


I Broke Down / Joe Cocker




オフィシャルサイト: https://www.kouhando.com/


●Samba Song / Chick Corea(『Friends』1978年)
◎チック・コリアの曲で初めて聴いたのがこの曲、ガッドの名もここで知りました。耳も心も奪われるような、とにかく派手なプレイです。

●When The Cookie Jar Is Empty / Michael Franks(『Burchfield Nines』/ 1978年)
◎とても好きな曲です。跳ねる金物が静謐な雰囲気の中にほのかな躍動感を与えています。

●Ludwig / Bob James(『Foxie』/ 1983年)
◎ベートーベンの「第九」をモチーフにした大作。シンセと掛け合うドラムソロのハラハラする展開は聴いていてとても楽しいです。

●一分間 / 矢野顕子(『峠のわが家』/ 1986年)
◎同盤で参加している「そこのアイロンに告ぐ」のほうがガッドらしいので非常に迷いましたが今の気分でこちらを選びました。メロディックなプレイはまるで矢野さんとのデュエットのようです。

●Take the “A” Train / Michel Petrucciani.Steve Gadd & Anthony Jackson
(『Trio in Tokyo』 / 1999年 ※当該曲は2009年再発版のボーナストラックとして収録)
◎言わずと知れた名ナンバーですが、オリジナルが気楽な鈍行ならこっちはまさに行先不明の暴走列車です



一分間 / 矢野顕子



●Complicated Times / Frank Weber(『Continental American』/ 1974年)
◎時折細かく刻むハット(曲ラストのオープンとか)で、一気に加速する感が気持ちよすぎる。
特に歌とドラムだけになる箇所はグルーヴの極み。

●Black Dog / Deodato(『First Cuckoo』1975年)
◎スティーブ・ガットが叩くツェッペリン。このオールマイティさ加減!

●You'd Be So Nice to Come Home To / JIM HALL(『Concierto』/ 1975年)
◎ガッドとロン・カーターのプレイによるプログレッションの加速感がすごく伝わってくる。

●Don't I Know You / Phil Upchurch & Tennyson Stephens (『Upchurch & Tennyson』/ 1975年)
◎うっすら漂うアフロなテイストがたまらなくクール。
途中からの16beatハイハットの加速感が気持ち良い。

●Watching The River Flow / The Gadd Gang(『The Gadd Gang』/ 1986年)
◎コーネル・デュプリーのギターと絡みながら押し出されるスティーヴ・ガッドのドラムの推進力が圧巻。



Watching The River Flow / The Gadd Gang



【松木MAKKIN俊郎(Makkin & the new music stuff / 流線形 etc)】
オフィシャルブログ:http://blog.livedoor.jp/soulbass77/


●Heavy Love / David Ruffin (『Who I Am』/ 1975年)
◎全米No.1ヒットも生んだラフィン=ヴァン・マッコイ=stuffのコラボレーション。バンマスのゴードン・エドワーズ(b)が、終盤に力技でガッドのキメを呼び込む駆け引きは感動的!凡百のディスコ音楽と一線を画す超へヴィなソウルミュージック。

●Just Blue / John Tropea (『Tropea』/ 1975年)
◎ガッドはアンサンブルの達人であるが故に、ツインドラムの名手でもある。最良のパートナーはリック・マロッタ。シンプルに刻むマロッタ、それに対してシャープに切り込むガッド、どちらも気持ち良すぎる。

●The Jealous Kind / Joe Cocker (『Stingray』/ 1976年)
◎もはやドラム単体を云々するのは野暮。阿吽の呼吸で互いを譲り合いながら一つのリズムの塊を作る、stuff全員の「間」の取り方の中で、ガッドもまた非凡なセンスを見せつける。タメてタメて、フェイドアウト直前でスネアを刻むのが心憎い。

●Cracker Jack / 増尾好秋 (『Sailing Wonder』/ 1978年)
◎珍しいT.M.スティーブンス(B)とのコンビネーション。ゴリゴリに揺さぶりまくるTMにビクともしない強靭なタイム感で、一打一打を刺すように繰り返す。シンプルなグルーヴから、後半には「ガッドフレーズ」乱打も有りの嬉しい一曲。

●Woody Creek / Lee Ritenour (『Friendship』/ 1978年)
◎ダイレクトカッティングによる名演。このダイナミクス。一つ一つの太鼓やシンバルの鳴り。ロボットのような正確さと、熱い感情表現が完全な形で融合した究極のドラミング。ストイックなようで、無邪気に音に溺れるような演奏には何度聴いても感動してしまう。




Cracker Jack / 増尾好秋



オフィシャルサイト:https://groove-unchant.jimdo.com/


●A Wilder Alias / Jackie Cain & Roy(『A Wilder Alias』/ 1974年)
◎この曲はラテン、ジャズと複雑なリズムパターンがどんどん切り替わっていく、まさにスティーヴ・ガッド腕の見せ所の曲です。

●I Love Wastin' Time With You / The Brecker Brothers Band (『Back To Back』/ 1976年)
◎ブレッカー・ブラザーズの歌ものなんですが、間奏でのハネまくったリズムパターンがこれまた最高。エンディングにむかってフィルインも多めでテンションは最高潮に。是非ご一聴を!

●Fire Of Love / Dr.John(『City Lights』/ 1978年)
◎軽やかなハイハット裁きと乱れ打つスネアがまさにスティーヴ・ガッド。

●Late in the Evening / Paul Simon(『ONE-TRICK PONY』/ 1980年)
◎小沢健二さんのネタとしても有名な曲、DJとしてプレイするのもイントロのリズムパターンから超気持ちいいです。youtubeにライブの映像あるんですがスティーヴ・ガッドはスティックを2本ずつ計4本でプレイしていました。どうりで音の広がりが違うわけですね。

●Runaround / Rickie Lee Jones(『The Magazine』/ 1984年)
◎リッキー・リー・ジョーンズとも良い演奏たくさんあるんですが、この曲もリッキーのテンションに合わせた緩急あるドラミングが曲の良さをアップさせています。



Late in the Evening / Paul Simon




●The Hustle / Van McCoy & The Soul City Symphony(『Disco Baby』/ 1975年)
◎いきなり掟破りの選曲だが、ヴァン・マッコイと後のStuffの主要メンバー達による”いい仕事”の代表曲。ロールするキックとロータムのアクセントでグルーヴするスリリングなヴァースで胸躍らされ、各サビ前でタムを連打する多彩なフィルでときめきを爆発させられた。幼心にも強く響いたガッド初体験なのでした。

●50 Ways To Leave Your Lover / Paul Simon(『Still Crazy After All These Years』/ 1975年)
◎S&G時代から新たなリズム・アプローチへの探究心が旺盛だったポール・サイモンにとってガッドの存在は大きかった。この曲最大のエレメントとなっているヴァースの唯一無二なドラム・パターンは、ガッドがリハーサルで叩いた軍楽団出身らしいマーチング・スタイルのプレイをポールがそのまま採用したという。

●Tappan Zee / Bob James(『BJ4』/ 1977年)
◎ボブ・ジェームスのアルバムにはファーストから参加しているので名演は多いが、この曲には当時のガッドの典型的プレイが多く聴ける。スイングしまくる絶妙なハイハットワークとミッド・テンポ・グルーヴの気持ちよさ。Stuffからはエリック・ゲイルも参加しているが、2人だけでもStuff印を残している。

●Seven Steps To Heaven / Ben Sidran(『The Cat And The Hat』/ 1979年)
◎ジャズとAORのボーダーに位置するベン・シドランの存在はスティーリー・ダンに近い。帝王マイルスの著名曲に歌詞をつけ、縦横矛盾にリズム・チェンジする構成で楽器のように歌唱するシドランを支えるのは、ガッドの八面六臂のプレイに他ならない。ドラム・フィルの百貨店はここでしかオープンしていませんと言わんばかりに。

●We Belong Together / Rickie Lee Jones(『Pirates』/ 1981年)
◎ドラムの演出力という点では、かの「Aja」に匹敵するかも知れない。アンサンブルの中で自らを発揮するガッドのプレイがなければ、この曲のドラマチックな展開は生まれていなかっただろう。
いきなりファースト・アルバムで大成功したリッキー・リーの真価を問うセカンドの冒頭曲の宿命をガッドも背負い、それを打ち負かしたのだ。


Seven Steps To Heaven / Ben Sidran



(企画 / 編集:ウチタカヒデ)