2001年12月31日月曜日

☆John B.& The Surfin' Safaris:『A Tribute To The Beach Boys』(Big Eye4215-2)

タイトルだけがクレジットされ、よく探さないと歌っている人のクレジットが分からない不思議な CD だ。アーティスト写真も詳しい紹介もないので、レコーディング用のセッション・バンドかもしれない。彼らが歌う超有名曲のカバー10曲はコーラスワークがよく十分楽しめる。
しかしこのコーナーで取り上げたのはビーチ・ボーイズのメンバーが参加したボーナストラック2曲の存在があったからだ。まずマイク・ラブがリードを取ったのが "Hungry Heart" 。ブルース・スプリングスティーンのナンバーだが、演奏、ハーモニーともに『The Beach Boys』以降のビーチ・ボーイズそのものだ。そしてアル&マット・ジャーディンが歌うのがカントリーの "Papa Loved Mama" 。今のビーチ・ボーイズで最も歌が上手いアルだけあって実に快調な仕上がり、ビートが効いていて思わず体が動いてしまうだろう。この2曲で買う価値あり。
(佐野)


2001年12月25日火曜日

Radio VANDA 第 21 回選曲リスト(2002/1/5)

Radio VANDA は、VANDA で紹介している素敵なポップ・ミュージックを実際にオンエアーするラジオ番組です。

Radio VANDA は、Sky PerfecTV! (スカパー) STAR digio の総合放送400ch.でオンエアーしています。

日時ですが 毎月第一木曜夜 22:00-23:00 1時間が本放送。
再放送は その後の日曜朝 10:00-11:00 (変更・特番で休止の可能性あり) です。

佐野が DJ をしながら、毎回他では聴けない貴重なレア音源を交えてお届けします。

 
第一特集Pat Upton

1.I'll Run...Spiral Starecase ('68)
2.More Today Than Yesterday...Spiral Starecase ('69)
3.Broken-Hearted Man...Spiral Starecase ('69)
4.No One For Me To Turn To...Spiral Starecase ('69)
5.For Once In My Life...Spiral Starecase ('69)
6.The Thought Of Loving You...Spiral Starecase ('69)
7.Lifetime Of Love...Pat Upton ('71) ...CBS
でのシングル。 L.Reed=G.Stephens 作。

8.I Hear The Thunder...Pat Upton ('73) ...Playboy
でのシングル。
9.This Time...Pat Upton ('75) ...RCA
でのシングル。

 
第二特集Jefferson

10.The Colour Of My Love...Jefferson ('69)
11.Baby Take Me In Your Arms...Jefferson ('69)
12.City Girl...Jefferson ('69)
13.I've Got The Best Of You...Jefferson
14.The Last Bus Home...Jefferson ('75) ...Alaska
でののシングル。 Producer:John Schroeder

 
おまけ: Roger Nichols Rarities

15.Snow Queen...Roger Nichols Trio ('66) シングル用別ヴァージョン。未 CD 化。
16.She Makes Me Warm...Roger Nichols&Paul Williams ('7?)
未発表デモ。未 CD 化。

 

2001年12月19日水曜日

☆Various:『20 Christmas Stars III』(Kid's Records/1049)

昨年、ブライアンのサイトでダウンロードできたブライアン作のクリスマス・ソング "On Christmas Day" が遂に CD 化された。しかしこの CD 、どんな大手の CD ショップでも、インターネットでも入手できない。というのもWalmartというアメリカのコンビニチェーンの店頭で売られている CD で流通ルートがまったく違うからだ。このサイトで情報をおしえていただき、ビーチボーイズ仲間の友人、伊藤博通さんに相談したところ、ハワイ在住の伊藤さんのお嬢さんに頼んでハワイのWalmartで買ってきてもらった。たったの 6 ドル弱。本当にビーチボーイズコレクターほど、お互いに情報を共有しあい、入手したものを融通しあう仲間はいない。少なくても私の回りにはこれは俺だけのものなんて人がいないんだなー。いい人ばかり、ホントよ。だから『The Beach Boys Complete 2001』が作れたんだけど。さて、話は戻って "On Christams Day" は個人的に大好きな曲だ。 "Be My Baby" のようなイントロが始まり、いきなり素晴らしいフックからスタートする。優しく暖かいメロディと歌、ブライアンにしては控えめだが輪郭がはっきりとした爽やかなハーモニー、そしてシンプルな演奏がクリスマスソングにはピッタリだ。オーバープロデュースでない方がブライアンには合う。この CD にはフォー・シーズンズ、ボーイズ II メン、ポインター・シスターズ、ドナ・サマー、K.C.&サンシャインバンド、グラスルーツ、レオン・ラッセル、ジュディ・コリンズからフランク・シナトラまで入り、超豪華。特にボーイズ II メンは最高だった。
(佐野/Special thanks to 伊藤博通)


2001年12月5日水曜日

☆Roger Nichols & Paul Williams:『We've Only Just Begun』(ユニヴァーサル/1070)

かつてブランディン宮治淳一氏が発見した幻のレコードが嬉しい CD 化となった。このレコード、現物には Almo/Iving の音楽出版社名のみ書かれていた業界売り込み用のデモ・レコードであり、ロジャー・ニコルス=ポール・ウィリアムスで作った曲を、自ら二人で録音し歌を入れ、自分達の歌を採用してもらいよう業界に配ったものだった。しかし最もロジャー・ニコルスがその才能を発揮していた時のデモなので、 "We've Only Just Begun" "Out In The Country" といった後の大ヒットが入っているなど、そのクオリティは極めて高い。 "The Drifter" や "Time" も聴きものだ。
(佐野)

愛のプレリュード~ソングス・コンポーズド・バイ・ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス(紙ジャケット仕様)

☆Creedence Clearwater Revival:『Creedence Clearwater Revival』(ビクター/61621-6)

大物バンドで「レアリティーズ」という視点ではまったくまとめられないままだった CCR 。最も B 面のみ、別テイクなどというひねり技とは最も遠い位置にいたのが「直球1本」の CCR だった訳で、事実、 CCR としての「レアリティーズ」は存在しない。しかし CCR はなんとデビューが1961年と古く、トミー・フォガティ&ブルー・ヴェルヴェッツとして3 枚、ゴリウォグスとして7枚の売れないシングルを出し、7 年間も下積み時代を耐え抜いたバンドだったことはあまり知られていない。ゴリウォグス時代の音源は、かつて『The Golliwogs Pre-Creedence』のタイトルで LP 化されていたが、ブルー・ヴェルヴェッツのものは手付かずのまま。ところが、今回リリースされたこのボックスセットは、 CCR の全てのアルバム9 枚プラス、ゴリウォグスの既発表音源プラス未発表曲 8 曲、そしてブルー・ヴェルヴェッツのシングル 2 枚が入った究極の仕様になった。唯一収められなかったブルー・ヴェルヴェッツの3枚目のシングルは、現存するコピーが見つからないと正直に書かれていて好感が持てる。確かにプライスガイドにこのシングルのみレコード番号が書かれていない。さてそのブルー・ヴェルヴェッツは 1 枚目がロックンロール、2 枚目がオールディーズ・ナンバーで、 CCR らしさは微塵もない。ゴリウォグスは最初は完全なビートルズのコピーだったが、枚を重ねジョン・フォガティのヴォーカルになり作曲の主導権もジョンに移ると、力強くR&Bフィーリング溢れた CCR のサウンドに劇的に変化していく。未発表曲も "Try Try Try" や "Little Tina" など、ストレートでカッコいい CCR サウンドが現れる。もちろん CCR になってからの曲は文句なしに素晴らしく、シンプルなロックの魅力全開の CCR サウンドに気分爽快間違いなし。今年のベストリイシュー大賞の1枚だ。(佐野)

2001年12月2日日曜日

Rod McBrien インタビュー








みなさんお待ちかね、Salt Water Taffy で知られる Rod McBrien 氏のインタビュー全文を公開します。
Rod 氏は同時に Discography も送ってくださり、それによってさらに素晴らしいレコードを見つけられました。
このインタビューではまだ Rod のワークスのほとんどが分からなかったため、Joy を単独の質問項目にするなど、今となっては奇異な部分があります。入手したレコードをもとに、さらにこの後、Rod氏に質問を続けていきたいと思っておりますのでお楽しみに。
なお Discography については来年のVANDA28号に掲載しますので、本誌をご覧ください。
(VANDA佐野邦彦


Q1.
あなたのバイオグラフィについて教えてください。
私が最初に作曲し、レコーディングしたのは、高校生の時だ。数人の素晴らしいミュージシャンが私のホームタウンであるニューヨークの Amityville や、その近所にいたんだ。その連中とともに、私が集めたか、もしくは、私がその中の一人だったバンドがいくつかあったんだ。The Tornadoes が最初にレコーディングをしたグループだ。メンバーは Mike Consi、Terry Ketcham、Hal Schad、Bill Gildersleeve と私だった。みんな高校の同級生だ。

ある日、ぼくたちはみんな学校を辞めて夢をかなえるため都会へと進出したんだ。もちろん、それはヒット・レコードを作るためだ。Brill Building のブロードウェイの1650番や1697番で、とにかく当時ぼくたちは誰かにぼくらのデモを聴いてほしくて、アポなしで突撃しまくったんだ。そんな時に幸運は訪れた。幸運にも Jim Gribble という当時結構いけてるグ ループをマネージメントしていた人の目に止まったんだ。彼はとてもぼくらのことを気に入ってくれて、レコーディング・マネージメントを引き受けてくれたんだ。Terry Ketcham と入れ替わりで Joe Venetucci がグループに加わり、ぼくたちは次のレコードを Jim Gribble と Stan Vincent のプロデュースの元、The Long Island Soundsというグループで録音したんだ。レコードは Down Records からリリースされた。George Goldner の立ち上げた新しいレーベルで、その名の通り、落ちていってしまったレーベルだった。確か記憶では、ぼくらが最初で最後のリリースだった。

ぼくの音楽業界でのはじめてのフルタイム仕事は Ultra-Sonic Recording Studio での見習いのオーディオエンジニアとしてだった。Ultra-Sonic は Long Island に出来たばかりのスタジオだった。そこのオーナーのBill Stahl と親しくなって幾つかのデモをとらせてもらった、そして彼に頼んで雇ってもらったんだ。マイクや機材ののセッティング、スタジオの掃除やセッションの後の灰皿の掃除なんかをやったね。でも、ぼくはすぐにやり方を覚えて自分でセッションを受け持つようになったんだ。初めて George "Shadow" Morton に会ったのも、 ぼくのエンジニアとして初めての No.1 ヒットになったShangri-Las の "Leader of The Pack" も、このUltra-Sonicでの事だった。John Linde と Pete Antell に会ったのもここだしThe Valrays がレコーディングキャリアを開始したのもの、やっぱりこの Ultra-Sonicだった。

ぼくはレコードセールスの印税や、アドヴァンス料金、契約金などに頼っていてはダメだと早いうちから学んだんだ。だからこそエンジニアとして長い事続けていられて、収入も得る事が出来ている。1964-1965年頃に6ヶ月だけ the U.S. Coast Guard Band に居た。そこから帰って間もなくニューヨークで最初の仕事の依頼が来たんだよ。

Brooks Arthur はニューヨークで一番のエンジニアで僕の良き指導者だった。プロデューサーの Hugo (Peretti) & Luigi (Creatore) は RCA レーベル からRouletteレーベル に移ってきたばかりだった、だから Roulette Studio を運営するのにエンジニアが必要だった。Brooks は僕が適任だと思って僕にやらせてくれた。Ted Daryll に出会ったのも The Eastern Scene が結成されたのも、正に Roulette 的な偶然だった。

Roulette から Allegro Recording Studios へぼくは移った。Allegroは60's には最も熱かった沢山のヒットソングがレコーディングされたスタジオだ。そこは Laurie Records の所有物でヘッドエンジニアは Bruce Staple だった。60's の後半にぼくはそこでエンジニアとして数年を過ごした。Dion, The Chiffons, Tommy James & The Shondells, The Royal Guardsmen, Mitch Ryder & The Detroit Wheels, The Critters, The Innocence, The Tradewinds, Bobby Bloom や The Tokens 等がその頃録音された人たちだ。Allegro は 1650 Broadway(Brill Buildingがあった場所)という音楽業界では有名な場所に位置し、その下に僕たちはいたんだ。そこでは地下鉄(=おそらく上記のアーティストのこと)行き来する音なども当時聞こえた。そこでの録音のクオリティーには直接影響はしなかったけど、まあでも、音楽がないとレコーディングの方向性も決めれないからね。

何年かのうちに Brooks Arthur が自身のスタジオ Century Sound を立ち上げ、ぼくをセカンドエンジニアとして迎えてくれた。このスタジオは長続きはしなかったけが、ぼくはここで Neil Diamond, The Grateful Dead, Jimi Hendrix, Janis Ian, The Boxtops, The Jaggerz, Bobby Rydell and Jimmy Darren 等のヒットソングを録音した。

たくさんのスタジオで長い間エンジニアとして働いてきたけど、今ぼくはニューヨークのアパートメントに小さなスタジオを持っていて主に自分の作品の為にエンジニアとして働いている。そしてこのスタジオでは少ないけども顧客がいて Jimmy "The Wiz" Wisner が利用してくれるし、最近では Randy & The Rainbows や Paul Evans が利用してくれてぼくもそれをエンジニアとして手伝った。

70's のはじめにぼくはコマーシャル業界が有益である事に気付いて Rod McBrien Productions を作って Coca-Cola, Miller Beer, Pizza Hut, Campbell's Soup, Special Olympics, Claritin, Kodak, Burger King などに CM ソングを書いている。これでぼくはアカデミー賞の広告部門やその他のたくさんの賞を獲得したりもしている。

ぼくの会社はレコード業界や広告に音楽を提供する会社なんだ。ぼくはアメフトのOrange Bowl や Fiesta Bowl にも書いたし、国や国際的なイベントの為にも曲を書いた、例えば The Vietnam Women’s Memorial の為に Crystal Gayle に提供したし、The Women's Memorial に提供した曲は Kenny Rogers and Patti Austin が歌った。1997年にはアメリカ空軍50周年記念の為に "Above and Beyond" も書いた。
Q2 : a.
ポップミュージックに興味を持ったきっかけは
最初は祖母の影響だ。私が幼稚園生だった頃、母親は日中仕事に出かけ、その間は祖母が自分の面倒を見てくれていた。祖母はテレビを所有していなかったが、とても大きなフロアに置くタイプのラジオを所有していた。私が覚えている限りでは、その大きなラジオは一日中つけっぱなしで、「Make Believe Ballroom」が私が一番良く覚えている番組で、未だにオープニングのタイトル曲を歌える。そのラジオは今ではラジオとしての役目を果たすことはできないが、それらの思いでとして、今はぼくのリヴィング・ルームの家具となっている。
Q2 : b.
そしてあなたの当時お気に入りのアーティストは誰でしたか?
シンガーでは Frankie Laine と Perry Como がパッと頭に浮かぶね。ぼくの祖母の家の近所に Frankie Lane という人が住んでいたんだ。もちろん、Frankie Laine とは違う人物なんだけど、だから、Frankie Laine が最初に頭に浮かんだのかなあ。

ティーンエイジャーの頃は、Elvis Presley、Little Richard、Dion and The Belmonts、Chuck Berry、The Cleftones、Johnny Ray、The Skyliners、Bobby Darin、The Del Vikings、The Coasters etc. まだまだこんか感じで続くよ(笑)。
Q3.
音楽業界に入るきかっけは何ですか?
音楽から感じる愛、そしてビジネスとしてエクサイティングなところかな(つい最近 A&E Network 紙で読んだんだけど、60年代初頭の音楽ビジネスのシーンの中心はニューヨークシティのBrill Buildingや1650 Broadwayだったって書いてあったんだ。ほんとその一部に関われたことが光栄だし、うれしいよ)。それで最初のレコーディングセッションの時にハマってしまったんだ。これがぼくがやりたいことだって。音楽で暮らせていければ最高だってね。音楽を作曲する側プロデュースする側、実際に演奏する側、エンジニアリングする側、こんなんじゃあ、本職は見つかる訳ないよね。でもこれ以上のこともないよ。こんなところが理由かなあ。後、自分はこの業界に向いていると思ってたし。
Q4.
あなたの最初の仕事は何でしたか?
最初に曲を書いたのは4年生の時だった。良く覚えているんだけど、譜面に曲を書きたくてたまらなかったんだけど、ドラマーだったし、譜面にどう書き込むのか何てことはサッパリ分からなかったんだ。リズムやビートは良く分かっていたんだけどね。それで従兄弟の Alan が助けてくれたんだ。彼はあまり上手でないアコーディオン・プレイヤーだったんだけど、音階や音を譜面に書き留めるなんてことに関しては問題なかったね。でもその時作った楽譜はもう何年もどこかへいってしまって、見つかっていないんだ。

最初にレコーディングに携わったのは R&M Records からの TheTornadoes による "That's My Girl" と "Round House" だ。メジャーレーベルでの最初の仕事はメジャー放送もされた Cameo Records からのThe Valrays による "Get A Board" だ

Q5.
The Eastern Scene と Pebbles & Shells が Salt Water Taffy 以前のあなたの仕事と思われますが、
実際にはどういったグループだったのですか。教えて下さい。
Ted Darryl が "Let Me Be More Than Friends Tonight" という曲を世の中に発表する前に聞かせてくれたんだ。ぼくはとても気に入り、これはスマッシュヒットするだろうと思った。確か、Ted 自身が The Lovin' Spoonful に書いた曲だ。しかし、ぼくが提案したんだ、ぼくたちのグループを結成しててぼくら自身でプロデュースしようと。The Lovin' Spoonful にあげることや、他の人に上げることなんて忘れてさ。だって、この曲はとてもヒットしそうだったんでレコード作ろうよって。それで Ted は合意してくれたんだ。ぼくは John Giametta を、そして Ted は Jimmy Strassberg を誘い、それでグループができて、レコードを作れる体制が整ったんだ。

ぼくらの友人 Reid Whitelaw がグループをマネージメントして、レコード契約をする役として招集された。Reid は Amy Records の Freddy DeMann と契約をしてきてくれた(Freddy はその後、マドンナのマネージャーにまで上り詰めた人物だ)。Reid はグループをペンシルバニア州の Scranton へテレビ番組のため送り込み、その同じ州にオハイオ州の Cleveland での Up Beat TV Show というテレビ番組までアレンジしてくれた。 Scranton までは車で行けたのだが、 Cleveland へは飛ばなければならなかった。もちろん、この時はぼくらが最初に飛行機に乗った瞬間だったのだが。この週の The Up Beat Show にはもう一つの注目のグループが来ていた。The Temptations だ。

この旅がとても記憶に残っているのが、ぼくらの旅費にかかった費用を取り戻すために、Reid が Up Beat の他にぼくらを地元のナイトクラブへのブッキングしていた事なんだ。ぼくらはハウスバンドとして Go-Go Girls と一緒にクラブで演奏をしたんだ。でも問題があって、"Let's Be More Than Friends" 以外の持ち曲は4、5曲しかなかったんだ。おまけに "Let's Be More Than Friends" はダンスミュージックじゃなかったし。これがおおまかな The Eastern Scene の流れかな。


グループの写真を見つけたんだ。存在しないと思っていたんだけど。この写真で興味深いのは Ted Daryll、John Giametta も僕もこの4番目に写っている男を思い出せないんだ。もしかしたら、ぼくの昔の友人で Long Island から来た Ron DeMarinoかもしれないけど、確かじゃあないね。
もう一方の Pebbles & Shells はよく 60 年代に多く見られた本当の意味でのスタジオグループだ。ミュージシャンは皆、スタジオミュージシャンで、歌のパートは全てぼくだった。ぼくは本当に "Let's Be More Than Friends Tonight" という曲がお気に入りで、The Eastern Scene で成功しなかったものの、再度レコーディングしたんだ。ぼくは念のためいざお呼びがかかってもまた On The Road (旅:ライブ活動を目的とした旅) できる様、メンバーを4人用意していたんだ。ぼくらは新しいグループとして、業界向けの写真も用意してた。実際には集まってリハーサルなんてことは、ほとんどしなかったけどね。







Q6.
Ted Daryll について教えて下さい。

Ted Darryll は偉大な友達でもあり、偉大なソングライターだ(Jay & The Americans の "She Cried" は彼らの最初のヒット曲であり、Ted の最初のヒット曲でもあった)。ぼくらは 1966 年に Roulette Records で出会った。私が Roulette Records のスタジオで働くことになった頃、Ted は Big 7 Music という Roulette Records の違うセクションでスタッフソングライターとして働いていた。ぼくらはすぐに意気投合し、The Eastern Scene を結成するに至ったんだ。グループの最初で最後のリリースとなった Amy Records からの "Let's Be More Than Friends Tonight" も Ted の作曲だ。そして、Daryll-McBrien としての最初のコラボレーションとなったのが "Baby You're Everything" だ。この曲は The Joe Cuba Sextet のために書かれ、彼らによってレコーディングされた。確か 1972-1973 年辺りでの出来事だった。この年まではぼくらが一緒に作曲した唯一の曲だ。ぼくらはちょうど今新しいプロジェクトをプロデュースしていて、ほぼ全ての曲を手掛けていて、それらはレコーディング済みだ。とてもいい出来だよ。





Q7.
Casualeers について教えて下さい。
The Casualeers はぼくのホームタウンでもある Amityville, New Yorkからのコーラスグループだ。正確には 'Friendly Village' という Long Island 出身で、New York City から 40 マイル東の街だ。Arnold Davis、Ollie Johnson、Peppy DuBois と Mike Furr(:中学校のオーケストラでぼくと一緒にドラムを叩いていた)からなるグループだ。 ぼくの生涯の友 Neal Hollander がマネジャーを勤めた完全なホームタウンベンチャーだった。

John Giametta とぼくは、"Dance, Dance, Dance" という曲を書いた。ぼくらはこの曲がとても良くできたと確信していた。後はちゃんとこの曲とマッチするアーティストを捜し出し、録音するだけだと。ぼくらはこの曲を The Casualeers でプロデュースして世に送り出したい旨を Neal に伝え、彼もぼくらのアイデアを気に入ってくれた。Neal は The Casualeers とリハーサルする機会を作ってくれて、ぼくらは希望のアーティストと巡り会えた。

John とぼくがスタジオに入ってレコードをプロデュースできる様、ぼくは友達の The Shangri-Lasで知られる George "Shadow" Morton に資金面で都合をつけてもらえるよう頼んだ。レコードは Roulette Records から発売された。

その同じ年、1967 年に John とぼくはもう2枚のレコードを作曲・プロデュースし The Casualeers と共に制作した。"You Better Be Sure" B/W "Open Your Eyes"、"Come Back To My Arms" B/W "When I'm In Your Arms" の2枚だ。今回は Laurie Records からのリリースだった。Ernie Maresca 氏と仕事ができて幸運だった。
Q7.
Casualeers について教えて下さい。
The Casualeers はぼくのホームタウンでもある Amityville, New Yorkからのコーラスグループだ。正確には 'Friendly Village' という Long Island 出身で、New York City から 40 マイル東の街だ。Arnold Davis、Ollie Johnson、Peppy DuBois と Mike Furr(:中学校のオーケストラでぼくと一緒にドラムを叩いていた)からなるグループだ。 ぼくの生涯の友 Neal Hollander がマネジャーを勤めた完全なホームタウンベンチャーだった。

John Giametta とぼくは、"Dance, Dance, Dance" という曲を書いた。ぼくらはこの曲がとても良くできたと確信していた。後はちゃんとこの曲とマッチするアーティストを捜し出し、録音するだけだと。ぼくらはこの曲を The Casualeers でプロデュースして世に送り出したい旨を Neal に伝え、彼もぼくらのアイデアを気に入ってくれた。Neal は The Casualeers とリハーサルする機会を作ってくれて、ぼくらは希望のアーティストと巡り会えた。

John とぼくがスタジオに入ってレコードをプロデュースできる様、ぼくは友達の The Shangri-Lasで知られる George "Shadow" Morton に資金面で都合をつけてもらえるよう頼んだ。レコードは Roulette Records から発売された。

その同じ年、1967 年に John とぼくはもう2枚のレコードを作曲・プロデュースし The Casualeers と共に制作した。"You Better Be Sure" B/W "Open Your Eyes"、"Come Back To My Arms" B/W "When I'm In Your Arms" の2枚だ。今回は Laurie Records からのリリースだった。Ernie Maresca 氏と仕事ができて幸運だった。




Q8
John Giametta 氏について教えて下さい。
John Giametta は偉大なソングライターであり、ぼくの最初の作曲パートナーだ。ぼくのディスコグラフィからも分かる通り、ぼくたちはたくさんの曲を一緒に書いた。John は同じく、The Valrays、Salt Water Taffy そして The Eastern Scene のメンバーだ。

John とぼくは、100年以来の仲だ。ほんと古くからの友達で The Valrays での早い時期に一緒に U.S. Coast Guard Reserves に加わっ た。もちろん "Buddy Plan" だった。とんだ相棒プランだろ?ぼくが新兵訓練基地に加入した時も John より二ヶ月早く参加したけど、二人とも Coast Guard Band に所属していたから一緒の時期に退役したんだ。

The Valrays として Cameo Records からリリースされたぼくらの最初の2 枚のシングルの作曲・プロデュースは John Linde と Pete Antell だ が、United Artists Records からリリースされた次のシングルにあたる"It Hurts Doesn't It Girl" の作曲・プロデュースは John とぼくだ。そして The Casualeers と Salt Water Taffy でのリリースの全てを一緒にプロデュースした。ほぼ録音された全ての曲だ。











Q9.
アレンジャーの Meco Monardo について教えて頂けますか。
Meco とは、New York City に移り住んで結構すぐに知り合ったんだ。ぼくの友人 Charlie Brockner(Bass Player/Arranger)に紹介してもらったのが最初だった。Meco と Charlie は Eastern School Of Music で一 緒だったんだ。Meco はとてもいかしたトロンボーン奏者で、アレンジャー希望としてこの業界へ入ってきたんだ。そして、ぼくはその頃ソングライターとしてプロデューサーとして成功することに四苦八苦してた。既にいくつかのプロジェクトがあったが、丁度二人とも出だしだったんだ。一緒に作業を始める様になった最初の頃、お金がなくてプロダクションを合併させたりしてた頃に Meco はアレンジメントをぼくのために書いてくれて、トロンボーンなどのダブ処理などをしてくれ、ブラス系のパートを完成させてくれた。The Casualeers の "Dance, Dance, Dance,"、The Valrays の "It Hurts Doesn't It Girl," が本当の意味での最初の仕事だった。ちゃんとお金が二人に支払われた仕事だったという意味で。

Meco は数年間ぼくが選び続けたアレンジャーだった。彼はとても才能のあるアレンジャーで、いくつものぼくの制作物にに素晴らしい貢献をしてくれた。そしていくつかのレコードを一緒にプロデュースした。Kama Sutra レーベルからの Joy による "Next Year (Bashana Habana)"、 Bell Records からの Corky Hale による "More Than You Know" などだ。そしてもちろん、Meco は Gloria Gaynor とたくさんのヒットを生み出し、そして彼自身のインストゥルメンタルヒットである"Star Wars Theme"も生み出した。ぼくは Meco のプロダクションでシンガーとしてもフィーチャーされ、RSO Records からの The Star Wars Christmas Album や、Millennium レーベルからの The Cantina Band による "Summer '81" 等に参加した。

Q10.
The Valrays は、Salt Water Taffy の一部だったのですか。
The Valrays の録音に参加した最後の男性陣は John Giametta、Bob Musac、Phil Giarratano と自分だった。その内の3人がそのまま JanieBrannon と Kathy Butler Weinberg と共に The Salt Water Taffy を結成するに至ったんだ。







Q11.
どうやって、The Salt Water Taffy は結成されたのですか?
他の 60 年代のグループ同様に、The Salt Water Taffy はスタジオグループとして、最初は始まったんだ。どういう意味かというと、参加していたシンガーは全員スタジオのプロのシンガーだったということだ。当時じゃ珍しいことではなく、最初に曲なんかが出来上がっていて、それを歌うためにアーティストを捜し出し、録音するというパターンだ。

John Giametta とぼくが "Finders Keepers" を作曲し、レコードを作成するために Mel という名前のシンガーでプロデュースしプロジェクトを進めた。ごめん、Mel の名字が思い出せないんだ。当時ぼくがオーディオエンジニアとして働いていた Allegro Studios で録音をした。Meco Monardo がアレンジメントで助けてくれて、Artie Kaplan がバンドを招集した。次の日ぼくはその出来た曲を持って、二階を訪ねたんだ(二階がちょうど Allegro と同じで Buddah のオフィスだったんだ。 1650 Broadway ね。)。もちろん、Buddah Records の社長 Neil Bogart に成果を聞いて貰うためだ。Neil は以前から友人で、いつでも彼に評価して貰えたんだ。Neil はとても曲を気に入ってくれたのだが、歌い手を気にいって貰えなかった。彼はぼくに「歌い手を変えろ、急いでリリースしよう」と言っただけだった。

ぼくはスタジオミュージシャンのグループを招集し、再度 "Finders Keepers." を録音した。Tommy PiccardoことTommy West がリードボーカルを勤めた。Neil Bogart が約束してくれた通り、レコードがリリースされた。Buddah でのシングルの業績が良かったため、グループが結成された。John Giametta、Phil Giarratano とぼく、そして、美しい 2 人の女性たちでだ。Janie Brannon は Florida 州 Tallahassee 出身で、 Kathy Butler Weinberg は Oklahoma 州の Pond Creek の出身だ。彼女たちは丁度 New York に出てきたばかりで、The Salt Water Taffy の最初のスターティングメンバーに加わったんだ。


Q12.
The Salt Water Taffy のメンバーについて教えて頂けますか。
The Salt Water Taffy はスタジオグループとして始まり、時と場合によってはスタジオシンガーが様々なレコーディングに加わったが、必ずグループのレコードを作るのに参加したのが、John Giametta、Phil Giarratano、Janie Brannon、Kathy Butler Weinberg とぼく Rod McBrien だ。しかし、The Salt Water Taffy のメンバーは年を重ねる事に移り変わっていき、グループが存続し続けた間に居続けたオリジナルメンバーは、Phil Tano と Kathy Butler の二人だ。一瞬でも The Salt Water Taffy に居た人たちは、Tom Brannon、Sam Dalessio、Sarah Daly、Osa Danem、Terry Stallings、Bobbie Jacobson、Mary Lou Gilbert Scott、Bob Waite そして Al Messenger だ。
Q13.
彼らは今、どうしているのですか。
John Giametta は Long Island に住んでいて、保険のビジネスで成功し、結婚して、二人の子供がいる。もちろん、今でも曲を書いている。Phil Giarratano は Florida 州の Boca Raton で暮らしている。彼は、当時のままの腕で今も歌っていて、曲を書くのに毎日忙しい日々を送っている(The Salt Water Taffy は一つの恋のキッカケとなった。Philと Kathy が結婚したんだ。現在は別れてしまっているけどね)。Janie Brannon は結婚して、Tallahassee に戻ってきて、未だに教会で歌っているよ。Kathy Butler は Oklahoma 州の Pond Creek にティーンエイジャーの娘と戻ってきて、学校で先生をしている。そして、ぼく、Rod McBrien は、未だに音楽を制作している。New York City に住んでいて、自分の会社、Rod McBrien Productions を運営している。オリジナルの音楽を作ることに特化した会社だ。それから、それから....。
Q14.
The Salt Water Taffy はどんなグループにしたかったのですか。
ぼくたちは、自分たちを Fifth Dimension の白人グループ版だと思っていた。どちらのグループにも三人の男性と二人の女性がいたしね。でも、ぼくたちのシングルは全てバブルガムロックだったけど、ぼくらは、ボーカルのアレンジメントにとても気を使っていたんだ。そうなる様に努力してたんだけどね。だから、とても Fifth Dimension とは似てるかなあ
Q15.
The Salt Water Taffy の中でのお気に入りのナンバーを教えて下さい。
"Finders Keepers" だね。あれが全て始まりだったからね。"Finders Keepers" がなかったら The Salt Water Taffy は存在しなかったよ。当時の Buddah Records の社長の Neil Bogart がとても気に入ってくれて、ぼくにグループとレコードを作るチャンスをくれた曲だからね。
Q16.
何故後半、 Buddah Records ではなく、United Artists、Metromedia からリリースされたのですか。
Buddah Records が、ぼくらに興味がなくなって、レーベルから降ろされた時、"Summertime Girl" をぼくが自身のお金でプロデュースして、マスターを United Artists に売ったんだ。でも別に何も起こらなかったから、それらのマスターを返してもらう様に交渉して取り戻し、結果、再度 Metromedia からリリースされたって訳さ。



Q17.
最初の頃の The Salt Water Taffy のリードヴォーカルが最初にレコーディングされたものと変わった様にと聞こえますけど、これは何故ですか。
いい耳をしてるね。最初のレコードの "Finders Keepers" ではニューヨークのスタジオシンガーである Tommy Piccardo が歌っていたんだけど、ちゃんとグループを作って Phil Giarratano がメインで歌うように なったんだ。


.
Q18.
その後に The Goggles に参加しましたけど、どんな経緯で参加されたのですか。
Audio Fidelity Records の Ed Newmark が土曜日の朝の the Mattel Children's Theater シリーズの番組の為に(The Monkees みたいなショウね。)バンドを丁度作ろうとしていたんだ。それが最終的に The Goggles となったんだけど、そのオーディションで歌って演奏できる人をを探していたんだ。だからギターを演奏して参加したんだ。

そして友達の Reid Whitelaw がこのオーディションの事を聞いて、僕のためにオーディションをアレンジしてくれたんだ。それに僕は合格して友達の David Spinozza も引き込んで、役者の Jessica Harper と Mark Lockhart を入れてグループにしたんだ。Guy Fraumeni のプロデュースで Audio Fidelity に一時間番組用のシングルとアルバムを一枚レコーディングした。番組は約束通りにNBC でオンエアされて、これが毎週の番組として取り上げてくれる事を願ったんだけどダメだった。でも The Goggles の曲は "Take A Giant Step" という番組で毎週土曜日の朝に放送され続けた。





Q19.
Joy についてはどう思っていましたか?
繰り返しになるけど、Joy もまたニューヨークでは一番のミュージシャンとシンガーのスタジオグループに所属していた。それはどんな風に始まったかというと、ニューヨークのエリアでイスラエルの旅行会社のとってもキャッチーな "Bashana Habana" という、ニューヨークの人なら誰でも知ってて口ずさむ広告曲が有ったんだ。だれのアイデアかは忘れたけど Meco Monardo と僕で一晩で詩を書き上げてレコーディングしたんだ。元曲はイスラエルで録音されたと思うんだけど、僕達のヴァージョンはホントにコマーシャルのにそっくりだった。レコーディングしてすぐに Kama Sutra Records と契約してリリースした、その曲は成功したけどグループをつなぎ止めるだけの成功はしなかった、だから写真すら残ってないんだ。
.

Q20.1972 年から 1975年の Liquid Smoke と Dottie West にクレジットが出て来るまで、
音楽の最前線で名前を見なくなってしまったのですけど、その間は何をしていたのですか?
なんか、僕が雲隠れでもしてたみたいな風じゃない?
1972年から1975 年の間に Coca-Cola、Miller Beer、Exxon そして Buick(車メーカー)なんかの広告用の音楽の作曲とプロデュースを積極的にやっていた。1973年には Estelle Levitt の "Isn't It Lonely Together" で Annua American Song Festival を獲得したし、RCA に Stark & McBrien としてこの頃に録音をした(ディスコグラフィ見てね)。
Q21.
それから、今までの仕事を教えて下さい。
今でも広告音楽を積極的にやっている。出来れば、新年の Fiesta Bowl Championship でショウをやりたいと思っている。Ted Daryll と一緒にやっている、美人で若い Okko Saito という日系アメリカンシンガーとのプロジェクトに夢中になってる所だ。どう?こういうのもいい感じでしょ?そして今、一番大きな進行中のプロジェクトは The World War II Tribute Album だ、このアルバムは戦争に当時の曲を今のアーティストがパフォーマンスするという企画のアルバムで 2004 年の the WWII Memorial に合わせるように調整中なんだ。

"Light A Candle, Say A Prayer" という曲も丁度書いたんだ、僕らの国に対しての攻撃に影響されて、特に数週間前に目撃したあの日の事を。友達の Darryl Tookes とそれをレコーディングしてアメリカ国内でリリースしようとしているんだ
Q22.
今まで振り返って好きなアーティスト、影響を受けたアーティストをおしえてください。
僕は今まで自分が聞いた全ての音楽に少なからず影響を受けてきていると思っている。コンテンポラリー・ライターは全てそうだとぼくは思っている。常に "フレッシュ" で "新しく"、"異なる" 様に挑戦していきたいし、そう有りたいと考えている。実際今はそうだし。でもある一定の境界線は越えていないけどね。それを越えない様にしているんだ。例えば、今のチャートのトップを賑わせている女の子たちの音楽を聞いてみると、どれも似たように聞こえない?つまりライター、プロデューサーとして少なからずぼくも聞いた物の全てから影響を受けているんだよ。
Q23.最後にもう一つ質問です。あなたが "After School" という映画に関わっているらしいのですが、いかがでしょう?
他にも関わっている映画はありますか?
凄いね!どこからこの映画の事を探して来たの?長い間隠そうとしてきていたんだけど、聞かれたからには...。

ソングライターでプロデューサーの John Linde と僕が数年前に脚本を書くのを手伝ったんだ。殆どの名前は忘れてしまったけど、僕らは他にも何本か書いたよ。"Rockstar and The Brooklyn Dodger" というのは上手くいったんだ、まだ製作はされていないけど、注目を集めているよ、期待して待っていてよ。

ぼくたちが脚本書きにハマっていた頃にフロリダから来た映画の製作に興味を持っていた紳士を、共通の友人だったプロデューサーの Ross Testagrossa を通じて紹介されたんだ。フロリダの紳士はアイデアを持っていてそれを脚本として書かせる為に僕らを雇ったんだ。僕らは脚本の技術を得る為の良い機会だと思ったし、お金も貰えるはずだったので引き受けたんだよ。その話は元々 "Before God" というタイトルで酷いものだったよ。でもジョンと僕は出来る限りの事をやったよ、あの状況からしたら素晴らしい脚本が出来たと思っているよ。

その脚本は僕らの手を離れてから大きく変わっていった、僕達にはその脚本の映画作成に対してのクリエイティヴな権限は無かったし、実際の所は誰にもコントロールの権利なんて無かったから。確か最初は"Return to Eden" というタイトルだったのに"After School" に代えられていた。ほんとに腹立たしい映画だよ、これを見るのは時間の無駄だよ。フロリダの紳士はイカサマ師だったよ、僕達にスクリーンのクレジットにのせてくれたけど、役立たずだったし、お金もくれなかったし。
君がこの映画について触れなかったら、絶対にこのインタビューでは取り上げたくなかった話題だよ。ったく腹立たしい!!

映画音楽は幾つか書いたしプロデュースもした、 Kevin Kline, Susan Sarandon、Danny Aiello and Harvey Keitel が出演した"The January Man," や Sherman Hemsley、Burt Young、Judy Landers and Karen Black の "Club Fed" や Audrey Landers and Jerry Orbach の"California Casanova" の音楽なんかを手掛けたな。

インタビュー:佐野 邦彦(Kunihiko Sano/VANDA)
英訳・和訳・意訳:岩井 信 (Shin Iwai), 福原 努 (Tsutomu Fukuhara)












2001年11月24日土曜日

Radio VANDA 第 20 回選曲リスト(2001/12/1)

Radio VANDA は、VANDA で紹介している素敵なポップ・ミュージックを実際にオンエアーするラジオ番組です。

Radio VANDA は、Sky PerfecTV! (スカパー) STAR digio の総合放送400ch.でオンエアーしています。

日時ですが 毎月第一木曜夜 22:00-23:00 1時間が本放送。
再放送は その後の日曜朝 10:00-11:00 (変更・特番で休止の可能性あり) です。

佐野が DJ をしながら、毎回他では聴けない貴重なレア音源を交えてお届けします。


 
第一特集Roger Nichols, Tony Macaulay, Neil Sedaka, Teddy Randazzo Works

1. Trust...Two Of Each (Composed by Roger Nichols)
2. Bitter Honey...Holy Mackeral (Composed by Roger Nichols)
3. Just What I've Been Lookin' For...Vogues (Composed by Roger Nichols)
4. Catch Me. Catch Me...Sweetcorn (Composed&Produced by Tony Macaulay)
5. How Can Loving You Be Wrong...Guys & Dolls (Produced by Tony Macaulay)
6. Angel Eyes...Olivia Newton-John (Composed By Tony Macaulay)
7. Cellophane Disguise...Neil Sedaka (Composed by Neil Sedaka'69)
8. Alone At Last...Neil Sedaka (Composed by Neil Sedaka'77)
9. Let The Good Times In...Wishborn (Composed by Neil Sedaka/Produced by Rod McBrien)
10. I'm Hyponotized...Anthony & The Imperials(Composed&Produced by Teddy Randazzo)
11. Girl On My Mind...Teddy Randazzo (Composed&Produced by Teddy Randazzo)
#Buddah
のシングル

12. I Can't Stop Running Away...Sandi & Salli (Composed by Teddy Randazzo)
#Inner Dialogue
の女性2人らしい



第二特集林哲司

13. 僕の街へ...竹内まりや
14. When You're Gone...
亀淵友香(74年のデモ)
15.
世界で一番せつない夜に...林哲司&C. C. ガールズ(93年プロモオンリーのX'masヴァージョン)
16. Whacha Gonna Do For You...
グルニオン

 


2001年11月21日水曜日

☆Pete Townshend:『Scoop 3』(eelpie/EPRO13)

ピート・タウンゼンドのサイト、www.eelpie.com より待望のデモ集『Scoop』の第3弾がリリースされた。やはりこれも嬉しいことにCD2枚組、34曲のデモ、果たしてこれだけクオリティの高いテイクをデモと言っていいものか疑問だが、とにかくピートのセルフ・レコーディングが120分たっぷり楽しめる。聴いてまず最初に思うのは、ピートが類い希なるメロディメーカーで、またアレンジャーとしても超一流だということだ。オーケストラをバックに歌う "I Like It The Way It Is" の美しさはまさに極致。こういうリリカルな側面を見せつけるかと思えば、『Quadrophenia』収録の "Real Me" (ここでのタイトルは "Can't You See The Real Me" )のようなソリッドなリズムのロック・ナンバーはあるし、あらゆるタイプのナンバーをピートは生み出すことができる。この『Scoop 3』はネット販売ではもったいない。
(佐野)

Scoop 3

2001年11月17日土曜日

『地球音楽ライブラリー・ビーチ・ボーイズ』(TOKYO FM出版)

地球音楽ライブラリーのシリーズの第 9 弾としていよいよビーチ・ボーイズが登場した。監修は中山康樹氏で、コンピを含む全アルバム紹介、ブライアンのソロ、ヒストリー、ブライアンとの95年の会見記など本書の中核になる部分を書いている。私は中山氏を昔から存じているが、ジャズの中山氏のイメージとは異なり、心底ビーチ・ボーイズとブライアンを愛してしている人だった。事実、ビーチボーイズ、ブライアンに関する様々な本を書いており、萩原健太氏と並ぶビーチ・ボーイズ/ブライアン・ウィルソンの二大伝道師と言えるだろう。一番多くのページを取ったディスクガイドでも、中山氏の思いは十分に出ている。『Pet Sounds』や『Today』『All Summer Long』への高い評価は当然として、「『Pet Sounds』はブライアンとしての、『Sunflower』はビーチボーイズとしての傑作」とする『Sunflower』への絶大な評価、『M.I.U. Album』を「隠れた名盤」と呼ぶ感覚、はたまた『15 Big Ones』や『So Tough』に対する厳しい評価はまさに私と同じで、シンパシーを感じる。他のコーナーでは各メンバーのソロアルバム、DVD & LD 、Who's Who などがあり、全シングル/ EP 紹介と、ボーナストラック、日本盤の事情のコーナーは私が書かせていただいた。
(佐野)



2001年11月7日水曜日

☆Ellie Greenwitch:『Brill Building Sounds』(Brill Tone/444)



今までバリー・マン、キャロル・キング、ジェフ・バリーと、ブリル・ビルディングに勤めていた偉大なソングライターの未発表曲/レア・トラックを集めた作品集の第4弾がリリースされた。ジェフ・バリーが来れば次はエリー・グリーンウィッチしかない。バリー=グリーンウィッチで数多くのヒットを生み出してきた訳だが、この CD はシンガーとしての彼女にスポットを当てたコンセプトになっている。まずディスク2 は彼女の2枚のソロアルバム『Composes,Produces,And Sings』『Let It Be Written,Let ItBe Sung』に、62 年の RCA, 64 年の Red Bird のシングルを加えた内容だ。この内 RCAの "My Mama Don't Like Me" は Raven からの CD にも入らなかったもの。ディスク1は28 曲中18 曲は62 年から66年の未発表曲。シンガーとしての曲が多いのでオリジナルは少ない。残り10 曲がシングルとしてリリースされたもので、58年に Ellie Gaye 名義で発表された "Cha Cha Charming" のB 面の "Silly Isn't It" は初収録。61年に Ellie Gee And The Jets でリリースされたシングルや、Red Bird でのもう1枚のシングルや未発表に終わったシングル、さらに65年に Electra からリリースされたオムニバス LP 『Leader Of The Pack』収録されていた 2 曲がその内容だった。バリー・マンやキャロル・キングのような曲の深みはないが、キャッチーな曲を書かせれば超一流の彼女だけにも魅力的な曲も多い。
(佐野)


☆Who:『Live At Leeds-Deluxe Edition』(ポリドール/7023/3)

フーの代表作のみならず、すべてのロック・ライブ・アルバムの最高峰である『Live At Leeds』が遂に完全版で姿を現した。史上最強のライブ・バンドであるフーが最も充実していた70年に録音されたこのアルバム、タイトルのとおりリーズ大学で70年2月14日に録音されたライブの全てだ。私事で恐縮だが、フーで一番最初に買ったレコードがこのアルバムからカットされた "Summertime Blues" のシングルだった。ちょうどこの70年のことになる。まるで爆撃機のようなヘヴィなギター、ベース、ドラムのアンサンブルに血が踊った。中1の時だったが、翌71年にようやく LP で最新版の『Who's Next』を買い、ハードなビートを内包しつつもリリカルで美しいサウンドに驚き、スタジオ録音のフーの魅力にさらに引かれていった。それから30年、遂に完全版を聴けるようになったのだから、喜びもひとしおだ。ディスク1は数年前にリリースされた 8 曲がプラスされた(1曲はディスク2 へ) "Special Edition" である。ディスク1については以前 VANDA 本誌でレビューしているので割愛するとして、注目は "Special Edition" から回った1曲を抜いた19曲が初 CD 化のディスク2 だ。ディスク2 全体が『Tommy』であり、たった3 人で演奏し、4人で歌いながら、緻密さをまったく失わないテクニックとコンビネーションに脱帽するしかない。だいたいスタジオの名盤というのはライブになると雑になるのが常だが、フーは違う。さらにダイナミズムがプラスされ、あまりのカッコよさに言葉を失った。やっぱりフーは最高だ。(佐野)
ライヴ・アット・リーズ デラックス・エディション

2001年11月1日木曜日

「林哲司全仕事」(VANDA編/音楽之友社刊)

スーパーヒット・メイカー林哲司のワークスに迫ろうとしたのが本書。ヒストリー、ロング・インタビュー、ワークス徹底紹介、代表曲3曲のスコアと音楽分析、杉山清貴、萩田光雄、新川博、藤田浩一、朝妻一郎、奥山和由インタビュー、全作品リスト、サムライ三島スタジオ徹底解剖、ニューアルバム制作日記など、林哲司の魅力に多角的に迫る。ハイライトは林哲司×竹内まりやスペシャル対談。