2014年から年1枚アルバムを出しているPen
Friend Club、待望の4枚目のアルバムがリリースされた。①『Sound Of…』②『Spirit Of…』③『Season Of…』に続いて今回は④『Wonderful World Of Pen
Friend Club』で、次は何の文字でつなぐのかなという待つことも楽しい。オリジナル曲を作るPen
Friend Clubに失礼だが、根っからの洋楽人間である自分にとって最も楽しみにしているのが、他の日本のバンドでは決してカバーしないであろう、マニアックな60’s~70’sのカバー曲の数々である。これが完璧に自分の好きな曲と一致しているのでアルバムが出る度に嬉しくなってしまう。この4枚で必ず登場するのがフィル・スペクター・プロデュース作品だ。①でロネッツの「Do I
Love You」、②もロネッツの「How Does It Feel」③はダーレン・ラブの「Long Way To Be Happy」、そして今回の④はロネッツの「Born To
Be Together」になんとビックリ、アイク&ティナ・ターナーの「River Deep Mountain
High」だ。スペクターのWall Of Soundは60年代に完成していたので、70年代のスペクターの曲を入れないのは正解だ。さらに「Be My Baby」を選ばない所にセンスの良さが出る。本来はアルバム収録曲順に紹介するのが当たり前だが、他のライターがそうするだろうから、自分はカバー曲から紹介していこう。「Born To Be Together」は深いエコーは残しつつ、深淵なWall Of
Soundの奥まで狙わないで、ヴォーカルの爽やかさを生かしたアレンジにしていた。ロックンロールのブリッジの部分も良くできている。スペクターのオーバー・プロデュースの極致ともいうべき「River Deep Mountain High」は、さすがにティナ・ターナーのダイナマイト・ヴォイスではないので、これも爽やかに、しかしロックンロールの部分はしっかり残している。後半のホーンやパーカッションが錯綜する部分も上手だ。続いて同じく愛してやまないのがビーチ・ボーイズのカバーだ。①では「When I Grow Up」「Darlin’」と2曲のカバーにプラス、ビーチ・ボーイズ加入前のブルース・ジョンストンの奇跡の傑作、ブルース&テリーの「Don’t Run Away」で3曲、②は「Please Let Me Wonder」とグレン・キャンベルに書いた「Guess I’m Dumb」、さらに一番マニアックな、映画のオープニングでもレコーディングでもビーチ・ボーイズがバッキングを担当したアネットの「The Monkey’s Uncle」とこれまた3曲カバーしたので、③はお休みだった。しかしこの④では1965年の未発表曲「Sherry She Needs Me」という絶妙のカバーを持ってきた。この曲は後にブライアンが2ndソロでリレコしているが、このトラックは最も当時のビーチ・ボーイズを感じさせてくれるサウンドと歌声で最も楽しめた。キーボードの音像もいいし、リード・パートが平川氏に切り替わるのがとてもいい。そして最後に私が特に気になるマニアック枠。①ではトレードウィンズの「New York’s A Lonely Town」(ただしイクイノックス時代にブルースらがカバーした「London’s…」やデイヴ・エドモンズの「New York’s…」のテイストも感じられる)があり、②ではジミー・ウェッブ作・グレン・キャンベル歌の珠玉の名曲の中でもベスト1の「Wichita Lineman」、70年代のニール・セダカに惚れ込んでいる私にとって嬉しい「Love Will Keep Us Together」(キャプテン&テニール用とは言わない)、そしてマニアックさでは最も泣いた1965年にシングルのみでリリース、サンディ・リンツァー&ダニー・ランデル作でボブ・クリューがプロデュースしたまさにフィリップス時代のフォー・シーズンズというラグ・ドールス「Dusty」がカバーされた。こんな曲をカバーするバンドがいまだかつてあっただろうか?そして出来上がりは音楽ファンなら誰でも大好きなフォー・シーズンズ・サウンド、知らなかった人には目から鱗という素晴らしいチョイスだった。③では先のグレン・キャンベル&ジミー・ウェッブの作品で2番目に好きな「By The Time I Get To Phoenix」、トレードウィンズのカバー「Summertime
Girl」、初めての日本人ミュージシャンのカバーはなんと山下達郎、数ある名曲の中でも5本の指に入るほど好きな「土曜日の恋人」のカバーしてくれていた。しかし最も嬉しかったのは、大好きなテディ・ランダッツォ作・プロデュース、ロイヤレッツの「Poor Boy」のカバーだった。テディ・ランダッツォの凄さが分かる=プロ中のプロの証。今から20年くらい前に山下達郎さんの命を受けてコレクティングをしている方と知り合いになったが、その一人はご存知バリー・マン・ワークス。もう一人はその頃に日本人でほとんど誰も注目していなかったテディ・ランダッツォのワークスで、さすが山下さんだと嬉しくなった思い出がある。④は?さらに渋いフィフス・ディメンション6枚目のアルバムのタイトル曲「Love’s
Lines,Angels and Rhythms」のカバーで、声も歌い方もマリリン・マックーにとても似ていて、実はリードの方はこのタイプの曲を歌いたかったのだろうと一瞬で理解できた。そして前回の山下達郎に続くチャレンジ曲は、なんと大滝詠一の『Each Time』から「夏のペーパーバック」だ。大滝・山下、それも最も華麗なプロダクションの曲にチャレンジしようとするミュージシャンはまずいない。あのゴージャスでキラキラ輝くような大滝サウンドを忠実に追っても仕方がないと、ライブ用のシンプルなサウンドにしたのが良かった。さてここからようやくオリジナル。「ふたりの夕日ライン」はオープニングにふさわしいアップテンポでポップな快作、中間のギターもどこか懐かしくいい響きだ。「微笑んで」はミディアムテンポの佳曲でベースラインとちょっとヘヴィなリード・ギターが印象に残る。「ソーダ色の空」はカントリー・テイストの爽やかなタッチの佳作。「8月の雨の日」は本作のオリジナル曲で一番好きな、メロディアスで少し哀調があって爽やかでと…と全てが揃った傑作。絶対に聴いて欲しい作品だ。「Wonderful World Of Pen Friend Club」はギターのリフやブラスの音など、ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」と「Let’s
Go Away For Awhile」を思い起こされる印象的なインストで、高いセンスに舌を巻いた。相変わらず洋楽ファンをも満足させてくれるこの4thアルバム、おススメである。(佐野邦彦)
2017年2月1日水曜日
VANDA創刊までのいきさつと、営業を一人でやるには、実家の父母と祖母に発送準備をみな頼んだこと。翌日は年休でまず郵便局、取次の大手レコード店へは直接届ける。しかし頼りの父が亡くなったこともあってVANDAは休刊、大手の誘いは断った
VANDAは純然たるミニコミだった。創刊は1991年。はるか昔に木崎義二さんのPopsicle、大阪のForever RecordsのForever Magazineがあって、既存の音楽誌ではまったく無視されていたBruce Johnstonミニ特集とかJoe Meek特集とか読んで自分もこういう価値ある紹介をしたいと思っていた頃、1985年だったと思うが、よく通っていった横浜のBack To The Rockの神谷さんに今度Rave Onという音楽ミニコミを作るから原稿料は出ないけど書いてくれる?と頼まれ1号はBruce Johnston Works、2号はKinks Rarities、そして3号でそれまで日本ではやった人がいないBeach Boys Raritiesを書いた。すると世の中の隠れBeach Boysマニアが、この記事を書いている佐野って誰?と言う事になり、神谷さん経由で会うことになったのだが、それが宮治淳一さんだった。1988年に「Kokomo」が22年ぶりに全米1位になった時は「Beach Boys22年ぶりの1位を祝う会」をやりましょうとさそわれ、その時に宮治さんと一緒に来たのが萩原健太さんだった。その当時、日本の音楽は山下・大滝しか聴いていなかった私は、萩原さんに向かって「何のご職業をされていますか」と今考えると冷や汗ものの質問をしている。でも3人とも、ともかく話題はBeach Boys。和やかに飲み会は終わった。しかし私は1982年から当時最先端のマンガ家だった吾妻ひでおさんや、「未来少年コナン」で初監督をやってまだ無名の宮崎駿さんが知られるチャンスと言う時に、「漫画の手帖」というミニコミの編集人を頼まれ、内容は全てこちらに任せてもらって、版下つくりと営業は依頼した発行人の方という超楽な条件で1992年まで30冊も出していた。その中でどうしても音楽も入れたくて、自作のマンガの中でKinksやLovin’ Spoonfulを出していた山田ミネコさんなどにはそのファンぶりを書いてもらうなどしていたが所詮、この本ではジャンル違い。そこで1991年に自分で好きな音楽のミニコミを作ろうと始めたのがVANDAだった。本を作るにはやはり知名度のある方の原稿が必要。でも自分は10年間、マンガとアニメーションの世界にいたので知っている方はマンガ家の方ばかり。で、初期のVANDAはそういうマンガ家の方に数多くの原稿を描いてもらい、本の特集の半分もそのジャンルだった。一挙両得を狙ったのだが、音楽とクロスオーバーしている読者は少なく、また著名なマンガ家に描いていただいた原稿はすべてタダ原稿(「漫画の手帖」の時代からそう)で、個人的な人間関係で描いていただいていたが、もちろんそうは頼めず、新規開拓用にコミケットでまだ無名だった南Q太さんなどをスカウトしたりしたが、どんどん音楽に比重が傾き、音楽誌としての色彩が強くなった。こういう雑誌が珍しかったのか、山下達郎さんはBeatles、Beach Boys、Barry
Mannの好きな曲アンケートに答えてくださり、常に好意的なブルーハーツのマーシー(真島昌利)さんは、Beatles、Who、Kinks、Small
Faces、Rolling Stonesの好きな曲アンケートにみな答えてくださり、コレクターズの加藤さん、古市さんも多くアンケートに参加していただけた。原稿を書くのは楽しかったが、「漫画の手帖」と決定的に違うのは営業をやらないといけない点だ。印刷費と送料が、本を売り上げとトントンでないと本は継続できない。版下つくりは別の人間がやってくれたが、一番シビアな収支は自分が仕切らないといけない
。出版当時の営業の苦労話は2016年4月14日の記事「VANDAに強いる地獄の要求…」に書いたので、この記事とセットなのでまだお読みで無い方はご一読いただきたい。右サイドの「2016年」から「4月」を出して数枚、「前の投稿」で送ってみていただくか、ジャンルの「サブカル」を選んで4枚先を見ていただくかで、すぐ探していただける。
多い時は年4冊出していたVANDAの発送作業は、実家の父母と祖母まで手伝ってくれたからできた重労働だったことを書いておきたい。新刊が送られてくると、ほとんどが委託販売だったので、事前に各店に在庫を聞いて請求書と郵便の振込依頼書を作成、そして各店の売り上げ状況を見て新刊を送る冊数を決め納品書を作る。送る冊数は委託なので、打診はしない。発送は北海道から沖縄まであるので、数多くの段ボールが必要だ。ここで先日書いたように、私の勤務先の清掃の方ともツーカーなので、送るに適した段ボールはストックしておいてもらう。そして警備員に清掃の倉庫わきの駐車スペースを確保しておいてもらって一気に実家に届ける。私の作った納品書には新刊だけでなく在庫が少なくなったバックナンバーもずらりと書いてあるので、その総冊数を見て、持ってきた段ボールから適度なものを選ぶのは、父の仕事だ。父は理系の人間なのでそのあたりのチョイスは間違いない。そしてその箱を父がガムテープで組み立て、あとは父が母と祖母に指示してくれて各店ごとの段ボールが出来ていく。発送はゆうパックを使ったので、段ボールに本と納品書と、前の精算の請求書などを同封してもらって封をし、あらかじめ書いておいたゆうパックの伝票を貼ってもらって完成だ。取次の地方小出版流通センターはさらに面倒くさく、本の間にスリップ(本の間に挟まっていてチョコンと飛び出しているのでご存知だろう)を挟まないといけないが、印刷所に一定数だけスリップを刷ってもらって挟んでもらうとかなりコスト高になるので、号数の書いていないスリップを作っておいてその都度号数を記入し、本の間に挟んでもらう作業も実家にお願いしていた。その頃はまだ子供も幼稚園・小学校と小さく、妻が手伝いに行けないので、すべて実家でやってもらった。VANDAは家族全員で作っていたのだ。そして翌日、私は職場を年休で休んで、車に天井まで詰まったゆうパックをもって世田谷郵便局に裏から納品する。大量なので郵便車両が横付けするパーキングに停めて勝手に台車を借りて積み込み、終わったら局員に声をかけ、表に回って精算する。大量だと割引があるのだ。そして地方小出版流通センターには再度積み込んで、新宿まで納品、他、ON STAGE YAMANOとかWAVEなど大量に売ってくれる店は直接届けて挨拶をする。これも大事だ。
こうして続けていたVANDAをなぜ2003年に29号でいったん止めたか。一番は自分が紹介したい音楽をみな紹介してしまったことなのだが、祖母が亡くなり、最も頼りにしていた父が亡くなったので、もう営業の作業はできないと、本を作ること自体を止めたのだ。このように個人でのミニコミ作りはとても大変。おススメはできない。ただ大きなところから、自分のところからVANDAを出さないかというお誘いもいただいたが、編集の自由度が無くなるのが嫌なのでお断りしている。一寸の虫にも五分の魂かな。(佐野邦彦)
2017年1月29日日曜日
☆実川俊晴:『TOSHIHARU JITSUKAWA POP SONGS 1979-2016』(クリンク/CRCD5137-38)
実川俊晴と言うミュージシャンの名前を知らなくても誰でも『キテレツ大百科』の「はじめてのチュウ」は知っている。ただ「あんしんパパ」のクレジットで「帰ってきたヨッパライ」のような処理の声なので、彼は日本でもトップクラスのハイトーンの美しいヴォーカルを持ち、ファルセットは日本でもまさにトップといってもいい声を持つ凄いヴォーカリストであること、そしてポップセンスに溢れる曲を作詞・作曲できる、日本のブルース・ジョンストンのような存在であることをほとんど知らない。彼の少ないソロでのリリース曲は全て未CD化のまま、これは日本のポップ・ミュージックを知るうえで大きな損失だ。本CDは実川俊名義で1979年にSMSレコードでリリースしたアルバムと、1982年にTOSHIHARU名義でバウハウス(キング)からリリースした4枚のシングルを全て網羅しており、全曲が実川の作詞・作曲で、その類まれなポップセンスと美しいヴォーカルに驚かされるだろう。ディスク2はデモ集でこれも大半が初登場だ。実川の音楽歴は長く、1969年にマミローズ、1970年にハローハピーのドラム&ヴォーカルでデビュー、1972~1975年にはマギー・メイを結成、リーダー兼ヴォーカリストとして2枚のアルバムなど発表し、これらの音源はみな同じクリンクレコードからマギー・メイ『12時のむこうに アンソロジー1969-1975』としてリリースされた。本CDは実川俊晴のその後のソロとしての活動を集めたCDだ。先のCDではバンドとしてフロントに立っていたが、本CDでソロ活動を始めてからは、ほとんどのテレビ主演を断り、ジャケットでも顔を伏せ、ライブも行わず、レコーディング・アーティストとしての姿勢を徹底した。そのため本CDこそ、幻の、しかし実川俊晴のエッセンスが凝縮された作品と言えるだろう。
ではまずはソロとしてリリースされた音源を集めたディスク1から。最初はSMSの1979年のアルバム『ふりむけば50億』から。実川がビートルズと同じくらいパイロットが好きだったという事を実証してくれるのが「愛してスーパー・スター」で、冒頭のアルペジオのエレキなんてまさに「Call Me Round」、メリハリの効いたポップなメロディとハーモニー、ハンドクラップ、文句なしでアルバムのベストソングだ。「博士の浮気」も三連符のピアノに載せたアップテンポのポップなメロディがパイロット風で、途中のア・カペラ・パートが光る。ただ最後がどんどんテンポアップして終わるのはもったいない。「アンニュイ」の歌いだしはタイトルのように歌もサンドもアンニュイだが、サビでは転調しながらミシェル・ポルナレフばりの素晴らしいファルセットで酔わせてくれる。こんなきれいなファルセットは大滝詠一、山下達郎も真似ができないレベル。本当に凄い。タイトルはふざけた曲のように見える「お殿様感傷旅行」はミディアムの素晴らしいバラードで、この曲もサビに見事なハーモニーがあり、リードは一部、電気処理している。オールドタイミーなバラードも得意で「とび始めた天使(エンジェル)」はリード・ヴォーカルとバック・コーラスのからみが最高で、アコースティックなサウンドが曲を生かしている。さらにアコースティックなサンドのバラードが「三時のホットケーキ」で、メロディの良さもあって実川のリード・ヴォーカルがいかに素晴らしい声質なのか実感させられる。ブリッジ以降はやはり素晴らしいハーモニーが登場、最後にはフランキー・ヴァリのようなハーモニーが聴ける。オールド・タイミーな「刑事(デカ)とホステス」ではコーラスの回転数を変えていて、この遊び心が後の「はじめてのチュウ」へつながるのでは。ディスコ・サウンド以降のビー・ジーズのようなハーモニーが楽しめるのは「遅刻の気分」だ。日本的なメロディとラテンビートが融合した「暗殺研究所」だが、実川らしいハーモニーのセンスが感じられる。シングルカットされた「鬼にかえろう」は日本的なエッセンスの入ったロックで、メロディもマイナー調、いい曲なのだが、日本の市場に寄り添ったか。B面の「プリティ・ボス」もマイナー調のロック・チューンで、この曲も曲の展開やハーモニーに聴くべきものがあるが、もっとポップな曲で勝負した方が良かった。
3年後の1982年にTOSHIHARUの名前で再度ソロで勝負するがシングル4枚でアルバムは出なかった。ファースト・シングルは「ラストソングはI Love You」はやはりマイナー調の日本的なポップ・ソングであまり光るものがない。B面のアコースティック・ギターだけのバッキングの「この夏には…」は中間にサイモン&ガーファンクルの「Bookend」のようなサビがあってこちらの方が魅力的。セカンド・シングル「クイーン・オブ・アイランド」はやっと実川のセンスを表に出してくれた傑作で、実川の美しいヴォーカルから始まりすぐにファルセットの見事なハーモニーで彩られる見事なポップ・チューン。B面の「ヤシの木陰にて」はウクレレだけのバッキングのバラード。リード・ヴォーカルを少し電気処理するのは実川らしい。幾重にもハーモニーが重なるのでウクレレだけの事を忘れる美しい佳曲だ。サード・シングル「た・け・し」はタイトルからは想像もできないフランキー・ヴァリも驚くほどの素晴らしいファルセットを挟み込んだ美しいバラード。B面の「うたかたの恋」はオールド・タイミーな雰囲気のロッカバラード風の曲で、相変わらずハーモニーも見事で、こちらがA面でも問題の無いクオリティ。最後のシングル「Angel~夢は1999~」はモータウンのようなベースで導かれて始まるポップ・チューンで、このサウンドも心地いい。B面の「あの娘にカナシバリ」はホンキートンクのピアノから始まるオールドタイミーな曲で、サウンドとハーモニーなど、実川のソロの最後にふさわしい曲だった。
ディスク2は作曲家に転身した実川のデモ集だ。まずは1980年のTV『のってシーベンチャー』ED曲用デモ4曲でまず明るくポップな「The Bubblegum Dancing Team」、同じ路線でややテンポが遅い「異次元の私」、レゲエ・タッチの「最後の楽園」、そして実川が好きと言うビー・ジーズの影響を感じる「そっとテレポーテーション」は、頭が「Melody Fair」そっくりで、この曲のみ私たちの好きな時代のビー・ジーズの影響だ。1985年の「愛は陽炎」はソウル風の曲だなと思って聴いていたら、ライナーを読むとデルフォニックスを意識したそうでやっぱり。1986年の松尾久美子に提供した「かすみ草 」は、歌謡タッチ全開のすぎやまこういちあたりが書きそうな曲。1987年の藤田淑子が歌ったTV『キテレツ大百科』ED用デモは、オールディーズ調。1989年に中学2年の女子3人のグループで実川がフォー・シーズンズの曲から名前を付けたRagdollというグループのデモ「恋のチャプター4」は、フォーシーズンズ・サウンドではないが60sのガールグループ風でいいアプローチだったが未発表で終わる。1991年のマキという女性ユニットMaJishのデモ「December in the Rain」はディスク2の曲の中で歌の上手さ、メロディの美しさで最も出来がいい傑作だがこれも未発表。同年の「放課後のサブリナ」は実川がのちに「あんしんパパ」名義で『安心パパストーリー』で発表した曲のデモ。ディスク1のTOSHIHARUの曲を彷彿とさせるミディアムの心地よいポップナンバー。1992年に嶋田トオルのシングル「I Love You」に提供した「WINTER ROSE」のデモは、心地いい曲だが、A面と言うクオリティではない。同年のOrika名義のデモ「おフロに入ろう」はポップで軽快なチューンだったが、未発表。1993年に今はあの人は誰?のクイズ問題に出てきそうなあのぜんじろうに書いたデモ「影の4番打者」はアルバム収録曲だったのでそのレベル。ちょっと戻るが実川の代表曲で1990年の『キテレツ大百科』のTVサイズの「はじめてのチュウ」はこれが初CD化。先の『あんしんパパストーリー』に収録されていたものの出来に納得できず2006年に再録音したオールドタイミーな「Wedding Bellはシャッフルで」と、2015~2016年に録音した3曲も収録された。なお冒頭の2010年録音の「はじめてのチュウ」のアコギ弾き語りヴァージョンは、作曲した時に極めて近いものだとか。最後のビートルズのカバーで知られる「Baby It’s You」は、実川がマギー・メイでデビューする前の1971年のライブという貴重音源である。なおこの実川俊晴のワークスや、先日のガロのマークこと堀内護のソロをリイシューしてくれているのは高木龍太氏で、その素晴らしい仕事に改めて感謝したい。(佐野邦彦)
*実川俊晴の情報はこちらまで(現状、販売元直営の芽瑠璃堂、あとはタワー、HMV、ディスクユニオンは確実に通販可能)
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