2026年2月13日金曜日

We Gotta Groove – Brian’s Back!の真実と、その音が生まれた場所–


   
  1976年、The Beach Boysのツアー告知や広告に踊った「Brian’s Back!」という言葉は、当時のロック・シーンにおいてきわめて異例なキャッチコピーだった。新曲でも新作でもなく、「Brianが戻ってきた」こと自体が最大の商品価値として打ち出されたのである。それは同時に、Brian Wilsonという存在が、いかに長く“不在”だったかを物語っている。
    1960年代中葉以降、彼はステージから退き、スタジオに引きこもり、やがて精神的にも音楽的にも崩壊と再生を繰り返す存在となった。『SMiLE』の挫折以降、バンドは「Brian不在でも前に進むバンド」として存続してきたが、ファンもメディアも“いつか戻ってくる天才”の幻想を捨てきれずにいた。1975年末、その幻想に現実味を与えたのがEugene Landyによる24時間管理プログラムだった。この治療によってBrianは確かに安定し、社交性を取り戻し、そして何よりも再び音楽を量産し始める。


 重要なのは、ここでの「回復」が必ずしも健全な回復ではなかった点だ。Landyの管理下でBrianは強烈なプレッシャーと期待にさらされ、「Brianが戻った」という物語は、本人の内面よりも先に周囲によって作られていった。1976年夏、Brianは久々のツアー復帰を果たすが、観客は彼の現在地よりも「天才の帰還」という物語を見に来ていた。その延長線上に生まれた『15 Big Ones』は、そこそこ商業的に成功を収めたが、その内容はファンやメンバーに複雑な反応を引き起こした。求められている“復活した天才”と、彼自身がやりたい“個人的で衝動的で管理されない音楽”。この内面のねじれこそが、当時の彼の音楽の核心にある。
 また、1970年代後半という時代背景と、このアルバムが放つ異様なまでの「ズレ」がある。
1977年といえば、世界はEaglesが描く洗練された「Hotel California」の憂鬱に浸り、一方でパンクの衝動やディスコの狂騒が世間を焼き尽くそうとしていた。そんな中、Brianが提示したのは、最新鋭の洗練でもなければ、破壊的な怒りでもなかった。彼が差し出したのは、重厚なアナログシンセが奏でる、狂った子供部屋のBGMだった。
 『Love You』を聴いてまず耳を打つのは、粘り気のある、時に「下品」とも形容されるほど図太いシンセサイザーの音色だ。かつての『Pet Sounds』でオーケストラを自在に操った指揮官は、ここでは一人スタジオに籠もり、おもちゃを手にした子供のようにシンセのノブを弄り倒した。 その結果生まれた音像は、洗練とは程遠い。低音はブヨブヨと波打ち、メロディはまるで遊園地の壊れたアトラクションのように不規則に跳ねる。この洗練の完全な放棄こそが、当時の批評家を困惑させている。
 かつての天使のようなファルセットはここにはない。長年の喫煙と不規則な生活によって、Brianの歌声は低く、掠れ、時に吠えるような野太い質感へと変貌していた。 しかし、その「ボロボロになった大人の声」で「惑星(Solar System)」や「テレビ司会者(Johnny Carson)」への素朴な愛を歌うという異常なコントラストが、このアルバムに唯一無二の切なさを与えている。この居心地の悪さの正体は、この「老いた肉体」と「退行した精神」が同居する、Brian Wilsonという人間の生々しすぎる実像そのものなのだ。
 その内面をあらわにした一例が『I Wanna Pick You Up』である。本作は甘美なポップソングの体裁をとりながら、成熟したパートナーを徹底的に赤ちゃん扱いする描写で、聴き手に強烈な生理的違和感を突きつける。体を洗い、足を拭うといった乳幼児への身体的介護を連想させる歌詞は、慈しみを超え、対象の主体性を剥奪する幼児化の様相を呈している。現代の倫理的視点で見れば、相手を無力な存在として固定化し、ケアを通じて支配欲を充足させるこの構図は極めて不均衡で危うい。「抱き上げられない現実」を認めつつ「心の中で抱き上げる」と歌う執着は、相手を完全に管理可能な存在として定義したいというエゴイスティックな願望の露呈に他ならない。この違和感の正体は、Brianが抱えた孤独の深淵であり、自らの救済のために他者を「無力な存在」へと作り替えようとする愛の恐ろしさそのものである。※1
 当時のThe BeachBoysは、世間からは「永遠の夏」を歌うノスタルジーの象徴として求められていた。そんな中、Brianがこの奇作を持って現れたことは、バンドにとってもファンにとっても一種のテロ行為に近かった。 『Love You』は、ヒッピー・ムーブメントの残滓からも、パンクの喧騒からも、ディスコの快楽からも完全に切り離された「孤島」だった。Brianは時代の潮流に乗り遅れたのではない。最初から、彼は自分だけの時間軸の中に、自らを閉じ込めてしまったのだ。
  このボックスが暴き出したのは「天才の完成された遺産」ではない。そこにあるのは、時代に背を向け、ボロボロの声で、無機質に鳴り続けるシンセ音に救いを見出そうとした、ひとりの男の孤独なつぶやきである。

 『SMiLE』から『Love You』へ、一本の線で結ぶ再解釈

The Beach Boys - We Gotta Groove (Visualizer)

 長らくThe Beach Boys史の中で、「未完の大作」と「奇妙で幼稚なカルト作」として正反対の位置に置かれてきた『SMiLE』と『Love You』。だが、この二枚を断絶ではなく一本の線として聴いたとき、まったく別の風景が立ち上がる。
 『SMiLE』でBrianが目指したのは、音楽によって世界を説明することだった。米国建国神話、歴史、自然、共同体。そのすべてを断片化されたモジュールとして組み上げ、編集によって巨大な構造体を作ろうとしたのである。しかし、その構想はあまりに過剰で、持続不可能だった。『SMiLE』の崩壊とは、単なるアイデアの失敗ではなく、「世界全体を背負おうとした」ことの限界だったと言える。
 約10年後に現れた『Love You』は、その反動のように見えるが、実際には重要な「方向転換」であった。Brianがここで捨てたのは音楽的野心ではなく、「説明しようとする意志」である。構造は極端に縮小され、言葉は幼児化し、楽曲は短い反復の中で完結する。しかしその内側では、『SMiLE』と同じ思考が脈打っている。断片化、反復、感情の宙づり、意味より響きを優先する態度。これらは形を変え、『Love You』の中に確かに息づいているのだ。
 『SMiLE』が世界を外側から捉えようとした音楽だとすれば、『Love You』は自分の内側だけを見つめた音楽である。Brianはもはや神話を必要としない。テレビ司会者、ベッド、恋心、その日の気分といった極めて私的な題材が、そのまま音楽になる。スケールは縮んだが、純度は高まった。ここにあるのは未処理の感情を未処理のまま鳴らすという、極端に誠実な表現だ。
 Brianは「Good Vibrations」の成功を経て、楽曲を最初から最後まで順番に書くのではなく、30秒から1分程度の「Feel」を大量に録音し、後でそれらをパズルのように組み合わせるモジュラー・アプローチを確立した。彼は音のテクスチャーや雰囲気を、それ自体で完結した一つの「制作単位」として扱っていたのである。 この思考は『Love You』へと直結している。かつての膨大なオーケストラによる「Feel」は、ここでは簡素なシンセサイザーの「執拗な反復(ループ)」へと姿を変えた。「Ding Dang」や「Let Us Go On This Way」に見られる、同じ衝動を別角度から叩き続ける手法。それは、断片を愛でるBrianのモジュラー思考が、一切の虚飾を剥ぎ取られ、剥き出しのまま提示された姿といえる。
 両作に共通するのは、ヴァース〜コーラスという伝統的な起承転結からの逸脱だ。『SMiLE』が各セクションを唐突に切り替えることで未知の風景を提示したように、『Love You』もまた、展開を拒絶するかのような短絡的なリフレインによって聴き手を迷宮へと誘う。そこにあるのは物語を語るための音楽ではなく、響きのテクスチャーそのものを提示する態度だ。音楽が時間軸に沿った進行を止め、その場に留まり続けるような「静止したダイナミズム」は、Brianがこの二つの頂点でのみ到達した特異な境地である。
 『SMiLE』の「Wonderful」等に見られた、高度な和声語法と童謡のような言葉の乖離。この「構造の複雑さ」と「意味の単純さ」のねじれこそが、Brianのアイデンティティだ。『Love You』の「I’ll Bet He’s Nice」の複雑な転調や、「The Night Was So Young」の解決を拒むコード進行。これらが子供の独白のような歌詞と密着して響くとき、そこにはフィルターなしの、無垢なBrianが露出する。
 モジュラー思考と言えば聞こえはいいが、単なるネタ切れや構成力の欠如ではないかということもあるかもしれない。確かに、かつての多層的なオーケストレーションに比べれば、あまりに短絡的なリフレインの連続に、ブライアンの才能の枯渇を見てしまうのは否定できない。 しかし、もしそれがネタ切れの結果だとしても、その『行き詰まり』を隠さず、そのまま音にしてしまう潔さこそが、この時期のブライアンの凄みなのだ。


『Love You』を「縮小されたSMiLE」として読む

 表層の音色や語彙を超えて、そこには『SMiLE』の中核的な発想が形を変えて生き残っている。
「Let Us Go On This Way」:セクションの唐突な切り替えや循環するコード進行、発展せずに同じ衝動を別角度から叩くメロディ。これはかつてのモジュール思考の極端な簡略化である。
「The Night Was So Young」:ベースラインが感情を牽引し、安定しないコードとメロディが常に“途中”の感覚を保つ。これは感情を解決しないまま宙づりにする『SMiLE』的叙情性の純化と言える。
「I’ll Bet He’s Nice」:幼児的な独白のような歌詞と、異様なほど洗練され転調の多い和声の乖離。意味は単純だが構造は複雑というBrian独特のねじれが露出している。

このボックスセットは、完成されたアルバムを単に並べたものではない。 幻のアルバム『Adult/Child』の「もしも」を追体験し、『Love You』の歪(いびつ)な純真さを解剖し、そしてカセットテープに吹き込まれた天才の独り言に耳を澄ます。
ここにあるのは名曲の羅列ではなく、Brian Wilsonという迷宮の「未加工の地図」である。以下に、その膨大なディスク内容の全貌と、各パートが持つ音楽的意義を詳しく見ていこう。

 DISC 1の核となるのは、2025年最新リマスターが施された『Love You』本編だ。近年の過度な音圧意識のミックスとは一線を画し、テープが持つ本来のダイナミクスを尊重したマスタリングが光る。シンセサイザーのざらついた質感や重厚なベースの響きが、不自然に削られることなく耳に届く。無理にクリアにしすぎず、当時の録音現場の空気を守り抜いた誠実な仕上がりだ。Disc 1後半のアウトテイク集では、その多くに当時のミックスを採用するという大胆な手法が取られている。これは現代の視点で整えられた音ではなく、Brianが当時スタジオで聴いていたであろう「その瞬間の音」に立ち会う体験を優先した結果だろう。
 「Sherry She Needs Me」特筆すべきはこの曲の収録だ。2013年の『Made in California』で聴けたヴォーカル追加版はどちらかといえば、資料的価値の高さという意味で貴重だった。本作では1976年当時にもし正式リリースされたらどうなったか?という原初の姿が、余計な現代的補正がなく、当時のエコー処理・定位が生々しい荒削だが純度の高い音質で収められている。この時代ならではの瑞々しさと切なさが同居する響きを体験できるのは、ファンにとって格別の喜びと言える。「Ruby Baby」や「Marilyn Rovell」、「Lazy Lizzie」といった楽曲群が、1976年当時の生々しい質感で蘇る。
 最新ミックスされた「We Gotta Groove」は、長年欠落していたリード・ヴォーカルが本来あるべき位置に据えられ、ついに完成形を見た。ザクザクとしたリズムと地鳴りのようなチャント風コーラスが絡み合う様は、この時期のBrianの力強さを証明して余りある。また、アルのリードによる「Love Is A Woman」、奇妙だが楽しい長尺ギター・イントロ付きの「Johnny Carson」などの別テイク群も秀逸だ。
 ディスクの掉尾を飾る「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’」は、今回のオリジナル・ミックス。Phil Spectorの畏敬と、Brian独自の狂気的なまでの音の厚みが、かつてない明瞭さで迫ってくる。
 このセッションに詳しいファンなら、「Hey Little Tomboy」が収録されていないことに気づくだろう。まず、レコード会社とBrian Wilsonの管理団体がおそらく最も優先したのは、Brianという個人の尊厳を守ることだった。『Adult/Child』制作時のBrianは「大人と子供の境界」が崩壊していた。この曲に含まれる「膝の上に座らせる」といった、現代の基準では性的搾取と直結する描写を「Brian Wilsonの芸術」として再提示することは、彼のレガシーに拭い去れない泥を塗るリスクがあると判断されたのだろう。つまり、楽曲を削除することは、彼を「加害者」的な視線から守るための、苦渋の選択だったと思われる。

   Disc 2の幕開けを飾るのは、幻のアルバム『Adult/Child』セッションから厳選された9曲のオリジナル・ミックスだ。この素材は長年にわたり、マニアの間で多種多様な音源クオリティやミックスが入り乱れる形で流通してきた。それだけに、あえて当時のミックスを体系的な形で提示した今回の判断は、実に素晴らしいと言わざるを得ない。そこにはBrian特有のメロディ感覚や和声の妙が随所に息づいてはいる。しかし、何より必要だったのは、これこそが一切のフィルターを通していない「濾過されていないBrian Wilsonそのもの」なのだ。
「Life Is For The Living」は本作の中でも目立つ一曲であり、このアルバムがしばしば「ビッグバンド作品」と誤解される理由でもある。とはいえ、全体の感触はむしろ『Love You』に近い部分も多い。テンポ修正された「It’s Over Now」も収録されている。「Still I Dream Of It」は1993年以来初の公式リマスターとなり、明らかに音質が向上している。
 「New England Waltz」は、オリジナル・ミックス群の最後に配置されているが、これまで劣悪な音質でしか聴けなかった音源が、ようやくまともな形で聴けるようになった。
続いて「Life Is For The Living」「Deep Purple」「It’s Over Now」「Still I Dream Of It」のバッキング・トラックが収録される。後半3曲は2025年ミックスで、特に充実した選曲だ。

Disc 2の後半は、この時代の多種多様な楽曲が散りばめられ、主役の座がCarlとDennisへと引き継がれていく。
   Carlの熱狂的なファンならば、このDennisの名曲「Holy Man」に吹き込まれたCarlのガイド・ヴォーカルは諸手を挙げて歓迎するだろう。ほぼ全編をスキャット的な歌唱でなぞっており、そのミックスの仕上がりは素晴らしい、の一言に尽きる。続くCarlの未発表曲2曲のうち、「Carl’s Song #1 (It Could Be Anything)」もレアな一曲だ。「Surf’s Up」から『Carl & The Passions』期に至る彼の最良の瞬間が結晶化したような楽曲で、ここでも瑞々しいガイド・ヴォーカルが深い余韻を残す。一方の「Carl’s Song #2」は、後に『L.A. (Light Album)』へ収録される「Angel Come Home」の原型にあたる。ヴァースやブリッジはほぼ形を成しているが、あの特徴的なサビがまだ生まれていない制作途中の姿を捉えている。
    Dennisはここで、70年代半ばの彼らしい壮大なサウンドを2曲提示している。「String Bass Song」は、後に『Pacific Ocean Blue』に結実する「Rainbows」の萌芽であり、二部構成の「10,000 Years Ago」は、前半が『Bambu』期の「Are You Real」へと繋がり、後半はMikeも制作に関与した「10,000 Years Ago」そのものの形をとっている。
   また、Brianによる1977年版「Gimme Some Lovin’」にも注目したい。近年の90年代以降のソロ作品を彷彿させるアプローチとなっており、彼が特定のモチーフやリフを反復し、再構築していく創作過程を追えるのは非常に興味深い。Marilynが歌う「Honeycomb」は、優しくも切ない仕上がりだ。独唱から始まり、徐々に伴奏が重なっていく構成も実に美しい。
 Disc 2の終幕を飾るのは、1975年に録音された「In The Back Of My Mind」のデモ・新ミックスである。かつて『No Pier Pressure』の限定特典として陽の目を見た音源だが、今回ついに正式収録となった。ライナーノーツが記す通り、Brianの歌唱とTandyn Almerのピアノで綴られるこの音源は、アルバムの締めくくりにふさわしい深い感慨を抱かせる。

 Disc 3の幕を開けるのは、いわば「もうひとつの『15 Big Ones』」とも呼ぶべき音源群だ。マニアックな聴き手であれば、本作に『15 Big Ones』のオリジナル・テイクが丸ごと収録されていない事実に、一瞬の戸惑いを覚えるかもしれない。しかし、シリーズが深まるにつれて対象がより先鋭的なファン層へと移行するなか、既発のアルバムを型通りに再録することに拘泥しないという、確固たる編集方針がここには貫かれている。
 「Just Once In My Life」の鮮烈な新ミックスを合図に、アルバム本編からは漏れたオールディーズ・カヴァーが次々と繰り出される。「Mony, Mony」「Running Bear」「Shake, Rattle And Roll」「On Broadway」「Sea Cruise」……いずれも音質の見違えるような向上には驚かされるばかりで、エンジニアであるやSaezの手腕には、ただただ舌を巻く。中でも「On Broadway」は、Alのリード・ヴォーカルを堪能できる逸品だ(邪魔な観客SEが排されているのも最高だ)。さらに「Chapel Of Love」や「Short Skirts」もリミックスが施されたことで、その真価を改めて世に問う仕上がりとなっている。
 また、「TM Song」「Rock And Roll Music」「Solar System」の3曲は、にコーラス付きバッキング・トラックでの収録。特筆すべきは「Solar System」で、最終的にヴォーカルのみが残る構成へと移行していく様は、実に壮麗というほかない。
 「Had To Phone Ya」と「Mona」のミックスはユニークだ。曲が進むにつれ、楽器が増減しボーカルが出たり消えたりする、制作の時系列を再現した構成。とりわけ「Mona」のエンディングは秀逸で、簡素なシンセサイザーと歌声が美しく溶け合いながらエンディングに向かっていく。
 聴きどころはまだ続く。「Just Once In My Life」のバッキング・トラックは音場が劇的に広がりを見せ、「Let Us Go On This Way」ではCarlのリードを前面に押し出した別ミックスを聴くことができる。また、Bill Hinscheがリードを取る「Honkin’ Down The Highway」や、エディットされる前の生々しいセッション風景を伝える「Ding Dang」など、資料的価値と音楽的感動が同居したトラックが並ぶ。そして、圧巻なのはやはり「The Night Was So Young」のヴォーカル・オンリー版だろう。その純度の高い響きの美しさを再認識させられる。「Let’s Put Our Hearts Together」には未発表のコーダが付け加えられており、古風で甘美なハーモニーがいつまでも続いていくかのような錯覚に陥る。
 ラストを飾るのは、カセット・デモ。 長年知られていたテープだが、長年マニアの間で語り継がれてきたプライベート録音の究極の復元である。かつてない鮮明なリアリティで蘇ったその音場からは、Brianが紡ぎ出す旋律の魔法に、Mikeが魂を奪われている様子が克明に伝わってくる。思わずハミングで寄り添い、感極まったように称賛の言葉をこぼすビジネスマンではなく朋友としてのMike。その剥き出しの反応は、ビジネスとしての「復活」という虚飾を剥ぎ取った先に残る、真の巨匠の閃きの記録に他ならない。
 しかし、この親密な芸術的瞬間に冷や水を浴びせたのが、あまりにも非情な現実――シングル「Honkin' Down the Highway」の歴史的爆死であった。前年に全米5位のヒットを飛ばしていたグループが、チャート100位圏外という前代未聞の惨敗を喫したのである。
この結果を危惧したMikeは、ビジネスとしての冷徹な判断を下す。「これ以上Brianの奇行に付き合えばバンドは持たない」と確信した彼は、主導権を変更。Brianが次に完成させていた、未発表アルバム『Adult/Child』を「売れない」と一蹴し、お蔵入りへと追い込む。
本作を境に、バンドは新らしいアイディアで勝負する表現者としての看板を下ろし、過去の栄光をなぞる「懐メログループ」へと舵を切ることとなる。Brianは再び深い隠遁の淵へと沈み、ファンにとっては長きにわたる「冬の時代」が始まった。
ブックレットには、完全なセッショノグラフィーが収録されており、テープ形式に至るまで詳細に記録されている。

 完成度や成功といった既存の物差しでは、この時期の音楽を測ることはできない。しかし、このボックスセットに収められた音源は、復活という名の狂騒の裏側で、ひとりの作曲家が何を掴み、何を捨てようとしたのかを克明に伝える、あまりに切実な痕跡だ。The Beach Boysが単なるポップ・グループではなく、ひとりの天才の魂の生存記録であるならば、このセットは彼らの歴史の中で最も人間味に溢れ、そして最も美しい証言集となるだろう。

P.S Top画像はAI生成画像である、あくまでシャレ・戯れに過ぎず、実在のスタジオ風景とは無関係であることを申し添える。


※1 編集部補足:歌詞の解釈については、作者であるBrian Wilson本人の1976年の発言に沿ったものであり、執筆者の主観的考察だけではないのでご留意願いたい。以下引用。

"The song is descriptive of a man who considers this chick a baby, and he says, 
"Well, you still have a baby in you. You're still like a baby to me. You just sorta have that thing and I want to pick you up." Even though she's too big to pick up, of course. 
But he wants to; he wants to pretend she's small like a baby: He really wants to pick her up!"


2026年2月4日水曜日

生活の設計 『長いカーブを曲がるために』

”大塚兄弟主演、フェリスはある朝突然に” 

 ロックバンド“生活の設計”が、セカンド・アルバム『長いカーブを曲がるために』を2月11日にアナログLPでリリースする。今月7日には本リリースを記念したワンマンライブを開催するので参加する読者もいるだろう。

 本作『長いカーブを曲がるために』は、昨年10月15日に配信で先行リリースしたアルバムなので、既に愛聴している読者も多いと思うが、そんな配信音源より再生周波数の帯域が格段に広く、高音質で聴けるばかりか、所有感を味わえるなどアナログLPのメリットは多々あるので、拘りを持つ音楽ファンは是非入手して頂きたい。

左から大塚薫平、大塚真太朗
 
 彼ら生活の設計のプロフィールは、先月のワンマンライブの記事で触れたばかりだが、リーダーでボーカル兼ギター、ソングライターの大塚真太朗と、実弟でドラム兼コーラスの大塚薫平による2人組のロックバンドである。前身バンド“恋する円盤” や“Bluems (ブルームス)”時代を含め、9年以上の活動経歴を持っており、2023年4月にファースト・フルアルバム『季節のつかまえ方』、同年11月に7インチ・シングル『キャロライン』をリリースしている。なお本作『長いカーブを曲がるために』に収録された内2曲は、GREAT3(1994年~)の片寄明人がプロデュースを手掛けており注目なのだ。
 またバンドのデビュー当時から、元ピチカート・ファイヴで著名クリエイターの小西康陽氏から高評価を得ており、ファッション・カルチャー雑誌『POPEYE』では対談記事が掲載され、その存在は音楽マニアから一般層にも広がっている。特筆すべきことに今年1月11日には、テレビ朝日の人気音楽番組『EIGHT-JAM』の【プロが選ぶ年間マイベスト2025】にて、元SUPERCARのギタリストで現在作詞家兼音楽プロデューサーとして活躍する、いしわたり淳治氏に、本作収録曲「小東京(リトル・トーキョー)」を選出されるという快挙もあり、今後彼らの活動もより一層注目されるだろう。


 ここでは筆者による収録曲の詳細解説と、メンバー2人が本作の曲作りやレコーディング中、イメージ作りで聴いていたプレイリストをお送りするので聴きながら読んで欲しい。
 冒頭の「街とダンサー」は、大塚(真)作らしい青春ブルーアイドソウルと呼べる、ポジティブながら散文詩的歌詞と躍動的なグルーヴが眩しい。サビの「しかめつらでもいいよ 帰り道はでかい音で音楽を聴くよ・・・」というライン、右チャンネルやセンターで聴ける、ゲスト・ギタリストの元Seukolの廣松直人によるブルージーなリフが強く耳に残り、曲の重要なエレメントとなっている。歌詞と曲の完成度が高く、冒頭のリード曲として相応しい。
 続く「稀代のホリデイメイカー」は昨年9月17日に先行配信リリースされたシングルで前出の通り、片寄明人がプロデュースをした2曲の内の1曲で、レコーディングにはGREAT3のサポート・キーボディストで数多くのセッションで知られる堀江博久と、セッションマンとしてメジャー・ワークも多い井上真也が参加している。
 アップテンポなシェイクビートに、Pico(樋口康雄)の「I LOVE YOU」(1972年)を彷彿とさせる和製ノーザン・ソウル風コード進行とスキャットのイントロでまずは耳を奪われるが、「とにかく外へ出て、旅に出て、さまざまなものを体験しよう」というテーマを持つ歌詞と大塚(真)の溌溂したボーカルが、メロディアスでポップなロック・ミュージックの心地良さを思い起こさせるナンバーに仕上がっている。大塚(薫)のやや前乗りのドラミングに、井上のバックビートにアクセントを持つべース・ラインが独特なグルーヴを形成し、堀江によるオルガンもメインのコード・ワークの他、グリッサンドのアクセント、スタッカートを活かせたオブリガード的リフなど多彩なプレイを繰り広げている。曲が持つべき方向性に的確に導いていくという、片寄のプロデュース力(りょく)を垣間見れる。

片寄明人

 3曲目の「いちょう並木の枯れるまで」は、弊サイト読者にも強くアピールする東海岸シャッフルのリズムを持つソフトロックで、アルバム・リリース前のライブでも披露されており、筆者も生で聴いて直ぐに気になった曲である。弊サイト前進のVANDA監修書籍『ソフトロックA to Z』で発掘された、ジェリー・ロス(Jerry Ross)のプロデュースでジョー・レンゼッティ(Joe Renzetti)がアレンジした、Keithの「Ain't Gonna Lie(嘘はつかない)」をオマージュしており、ソフトロック・マニアは唸る筈だ。
 A面ラストの「いさかいないせかい」は、片寄がプロデュースしたもう1曲で、フィラデルフィア・ソウル風のギター・リフ、Stax Records~Hi Recordsでドラマー兼プロデューサーとして活躍したアル・ジャクソン(Al Jackson Jr.)が編み出したリズム・パターン、ノーザン・ソウル風のフレーズ(「Am I The Same Girl」(「Soulful Strut」でも知られる))がモザイクでオマージュされたポップスだ。歌詞のテーマがユニークで、日常の情景から反戦イズムに繋がっていくというのが、作者である大塚(真)の世界観なのだろう。サウンド的にも大塚(薫)と井上によるリズム隊のグルーヴ、堀江のアープ系アナログ・シンセの温かみのあるソロなど聴きどころは多い。


 B面冒頭の「タイニー・シャイニー」は昨年12月6日にアナログ・7インチでシングルカットされていて、ポール・ウェラーがフロントマンだったThe Jam(1972年~1982年)に通じる、パンキッシュなネオモッズ感覚のサウンドが特徴だ。大塚(真)による退屈な日々から逃避行したクラビングのワンシーンを切り取った歌詞が瑞々しく、彼のボーカルもこのようなアップビート・ナンバーでは一層映える。ゲスト参加したHedigan's(ヘディガンズ)のギタリスト、栗田将治がプレイするリード・ギターの存在感は極めて大きく、双方にとって意義のあるコラボレーションとなった。また大塚(薫)の激しいドラミングとコンビネーションするのは、ゲスト参加したLIGHTERSのべーシスト清水直哉だ。
 同曲7インチのカップリングだった「君に起こりますように」は、レギュラー・サポートメンバーであるベーシストの大橋哲朗とキーボーディストの眞﨑康尚が参加し、大塚(真)のジェントルな歌詞とボーカル、眞崎による印象的なピアノが耳に残るラヴソングだ。ミドルテンポでメロディックなソフトロック調のサウンドで、米東海岸シャッフルのブリッジを挟んでいてアレンジ的にも凝っており、弊サイト読者にもアピールした好ナンバーに仕上がっている。

 続く「ポモドーロ」は、眞﨑のウーリッツァー系エレピがメインコードを刻む、変拍子パートを持つ2分15秒の小曲だ。大塚(薫)と大橋のリズム隊も特殊なテンポ・チェンジを巧みにプレイしている。タイトルのポモドーロはイタリアンのトマトソース・パスタ名で、歌詞のモチーフの一つで、ガールフレンドとのローマ旅行がテーマになったラヴソングに仕上がっている。
 B面ラストの「小東京(リトル・トーキョー)」は、前出の通り、『EIGHT-JAM』の【プロが選ぶ年間マイベスト2025】でいしわたり淳治氏に取上げられたばかりでなく、日本テレビ系ニュース番組の天気コーナーで一時タイアップされていた軽快なポップスだ。レギュラー・サポートメンバーであるパーカッショニストの關街によるコンガに絡むクランチ気味な廣松のエレキギター、大塚(薫)のビートも乗って展開していく。
 この曲も歌詞の世界観がユニークで、ラヴソングの要素もあるが、高倍率ズームレンズでその視点が瞬時に移動していくのが興味深く、大塚(真)の高い作詞能力を感じさせる。その他のゲスト・ミュージシャンは、キーボーディストの眞﨑、べーシストの清水が参加している。
 

生活の設計『長いカーブを曲がるために』
プレイリスト  
 
大塚真太朗
 アルバムを聴いてもらった人でソフトロックやソウルミュージックを愛好しているリスナーだったらすぐ分かる、というかこのWebVandaの読者の方々にはすぐわかってしまう曲ばかりを元ネタにしているので、列挙するのも野暮かもしれませんが、、

でも曲名やアーティスト名をこうして書いてみるだけで心がウキウキする大好きな曲ばかりです。
  「タイニー・シャイニー」に多大なる影響を与えた「恋はヒートウェーヴ 」はもちろん原曲も大好きですがあえてTHE COLLECTORS版で。ザ・リボンズというバンドの『君に届かない歌を大いに歌う』という作品に興奮した体験も曲に入れています。

 何卒『長いカーブを曲がるために』をよろしくお願いいたします。

■A Week Away / Spearmint(『A Week Away』1999年)
■Ain't Gonna Lie / Keith(『98.6 / Ain't Gonna Lie』1967年)
■I’ll Be Around / The Spinners(『Spinners』1973年)
■恋はヒートウェーヴ / THE COLLECTORS(『愛ある世界』1992年)
■Too Young To Be One / The Turtles(『Happy Together』1967年) 


大塚薫平
 友達のミュージシャンや日頃支えてくれているサポートミュージシャンとの共作を通じて身近なバンドの音楽に触れる機会が増えた。それと同時に、ソリッドでいて勢いのある60、70年代のロックのドラムやそこのリファレンスを受けた音楽を意識して制作にあたっていました。
 「稀代の〜」のリハでKey堀江さんに「(そのような)勢いあるドラムは年取ると出来なくなるよ」と言われました。なるべくずっとやれるよう筋トレしてます。

■In The Modern World / Fontaines D.C.(『Romance』2024年)
■マンション / Hedigan‘s(『Chance』2025年)
■It’s Not True / The Who(『My Generation』1965年)
■It’s Ok To Cry / Phoebe Katis(『It’s Ok To Cry』2020年)
■Deadstick / King Gizzard And The Lizard Wizard 
(『Phantom Island』2025年)



 なお本作はプレス枚数限定のアナログLPで、インナースリーヴの歌詞とクレジットの裏面にメンバーの大塚兄弟とプロデューサーの片寄明人への“ここでしか読めないインタビュー”が掲載された特別仕様となっている。
 筆者の収録曲の詳細レビューを読んで興味を持った音楽ファンは、早期にリンク先のショップで予約して入手しよう。

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(テキスト:ウチタカヒデ





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2026年1月24日土曜日

生活の設計 『長いカーブを曲がるために』リリース記念 ワンマンライブ


 昨年10月15日にセカンド・アルバム『長いカーブを曲がるために』を配信で発表していた“生活の設計”が、同アルバムを2月11日にアナログLPでリリースする。それを記念したワンマンライブ が2月7日に開催されるので紹介したい。

 まずは彼ら生活の設計のプロフィールに触れよう。リーダーでボーカル兼ギターの大塚真太朗と、実弟でドラム兼コーラスの大塚薫平による2人組のロックバンドで、前身バンドの“恋する円盤” や“Bluems (ブルームス)”時代を含めると、9年以上の活動経歴になる。2023年4月にファースト・フルアルバム『季節のつかまえ方』、同年11月に7インチ・シングル『キャロライン』をリリースしており、最新作『長いカーブを曲がるために』に収録された2曲は、GREAT3(1994年~)片寄明人がプロデュースを手掛けて話題になっている。
 デビュー当時から元ピチカート・ファイヴの小西康陽氏から高評価を得ており、ファッション・カルチャー雑誌『POPEYE』にも取り上げられ、その存在は音楽マニアから一般層にも広がっている。更に今年1月11日には、テレビ朝日の人気音楽番組『EIGHT-JAM』の【プロが選ぶ年間マイベスト2025】にて、元SUPERCARのギタリストで現在作詞家兼音楽プロデューサーとして活躍する、いしわたり淳治氏に収録曲「小東京(リトル・トーキョー)」を選出されるなど、彼らの前途は非常に明るいと言える。

 そんな彼らの『長いカーブを曲がるために』アナログLP・リリース記念ワンマンライブだが、サポートメンバーには、サブメンバーと言えるキーボーディストの眞崎康尚、べーシストの井上真也、パーカッショニストの關街に加えて、ゲスト・ギタリストとして、昨年12月に7インチでシングルカットした『タイニー・シャイニー』でフューチャーされたHedigan's(ヘディガンズ)の栗田将治も参加する。
 そしてライブの前後を飾るDJ陣には、収録曲の「稀代のホリデイメイカー」と「いさかいないせかい」をプロデュースした片寄明人に加えて、彼らの良き理解者である小西康陽氏も参加ということで、嘗ての渋谷系重要人物が顔を揃えるという極めて貴重なライブとなるので、興味を持った音楽ファンは直ぐに予約して欲しい。
 生憎であるが、この記事を執筆後の1月19日に前売り予約分がソールドアウトしてしまったので、当日券のアナウンスを彼らのSNSでチェックしよう。


生活の設計 『長いカーブを曲がるために』
リリース記念 ワンマンライブ 

日時:2026/2/7(土) 開場19:00 開演19:30 

会場:月見ル君想フ (東京都)
東京都港区南青山4−9−1

出演者:生活の設計
サポートメンバー
Key. 眞崎康尚
Ba. 井上真也 
Per. 關街
+Guest Gt. 栗田将治


開演前DJ:片寄明人

終演後DJ:小西康陽

前売り予約券SOLD OUT!!
※当日券の情報はコチラをチェック


(テキスト:ウチタカヒデ







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2026年1月11日日曜日

Megu:『めしませルルボン』インタビュー★ゲスト~フレネシ

 
 新潟在住のアイドル・ユニットNegicco(ネギッコ)のメンバーMegu(メグ)が、才女フレネシのプロデュースによるニューシングル『めしませルルボン』(Fall Wait Records / FAWA-0035)を1月14日にリリースする。 

  Negiccoとしては、2024年に結成20周年記念ミニアルバム『Perfect Sense』5thオリジナルアルバム『What A Wonderful World』をそれぞれリリースして弊サイトでも紹介したのが記憶にあると思う。そんな彼女達はリーダーのNao☆をはじめ、MeguとKaedeも2021年までに全員既婚者となり、翌年揃って出産も経験している。昨年9月にはKaedeが第2子を出産し現在育児休暇期間だが、全員がこうした経験をしているアイドル・ユニットというのは稀であり、現在も活動続行中というのは、音楽業界やファンにとって素晴らしいことである。
 過去弊サイトではメンバーのソロ作品として、Nao☆のソロ・シングル『菜の花』(2018年)Kaedeの『秋の惑星、ハートはナイトブルー。』(2020年)を紹介しているが、今回初めてMeguのニューシングル、しかも11年振りに音楽活動を本格的に再開したフレネシがソングライティングとアレンジ、プロデュースまでおこなっているということで紹介したい。


 本作『めしませルルボン』は前出の通り、唯一無二の世界観を持つ女性シンガーソングライターのフレネシがソングライティングとアレンジ、プロデュースを担当しており、Megu の声質を活かした、陽だまりを感じさせるシャッフルの愛らしいフレンチ・ポップ風に仕上げている。 イントロ無しで始まるサビのキャッチーなリフレインが最も特徴だが、シャッフル・リズムのヴァースAとBでハイハットのパターンを細かくチェンジさせたり、ブリッジはアンディ・パートリッジ(XTC)作品を彷彿とさせる英国モダンポップの捻じれたメロディーラインにするなどフレネシならではの拘りのセンスを感じさせた。
 パッケージにも触れるが、Meguのソロ作ではお馴染みとなっている、”CD+フォトブック”仕様で、本作の世界観からインスパイアされたクラシカルなロリータ・ファッションに身を包んだビジュアルはMegu も初挑戦ということで、ファンの興味を湧かせるだろう。 
 さてここでは、昨年10月の無果汁団11月の長谷川カオナシのレビュー記事と同様に、本作をプロデュースしたフレネシへのインタビューをお送りする。


特別インタビュー★ゲスト~フレネシ

◎活動再開で多忙な中ありがとうございます。
まずはNegiccoのメンバーであるMeguさんとの出会いを聞かせて下さい。Negiccoが新潟地区のアイドルから全国的に知られるようになる以前に、ご自分のコラムでインタビューされていたとか。北園みなみもそうでしたが先見の明がありますよね。

フレネシ:「先見の明」とは恐れ多いです。私より耳の早いリスナーが紹介していたのを目にして、音を聞き、ぜひインタビューをしたいと思っただけで…。私よりも先に紹介していた誰かの拡散力があってこそ私にも届いたのだと思いますし、何よりNegiccoさんや北園さんが魅力的だったということに尽きると思います。 

 ◎そうですか、フレネシさんが取り上げたことで彼女達のことが更に知られるようになった切っ掛けの一つになったと思いますよ。ご自分でNegiccoを聴いて興味をもったということで、きっかけになった曲を教えて下さい。
因みに 私が今でも好きなのは『ティー・フォー・スリー』(2016年)収録ヴァージョンの「おやすみ」でして、ユメトコスメの長谷泰宏君のストリングス・アレンジ含め完成度が高いと思っています。 

フレネシ:きっかけになった曲は「圧倒的なスタイル」だったかな…。「トリプル!WONDERLAND」あたりも大好きですね。

「圧倒的なスタイル」/「トリプル!WONDERLAND」
 

◎今回そんなMeguさんに楽曲を提供するに至った経緯は? 

フレネシ:一番最初は、6月19日にマネージャーさんからフレネシの通販サイト「フレネシ学園洋品店」あてにオファーが来たと、ディストリビューターのブリッジさんから連絡を受けました。その時点のメールには具体的なことは書かれておらず、私もまだ活動再開という状態ではなかったものの、奇しくも先にオファーを受けた長谷川カオナシさんと最初のミーティングをした日で、いよいよCubase(Steinberg社製DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)ソフト)を立ち上げて、トラック組んでいくぞ!と決意をした直後で…休眠状態から創作モードに脳が切り替わったタイミングだったんです。
翌日のメールで、Meguさんの声にフレネシの曲が合うのではないだろうかというところで、オファーをいただいたことが明らかになりました。 

 ◎そういう経緯だったんですね。確かにNegiccoの中では高域でウィスパー系の声質を持つMeguさんにはフレネシさんの楽曲は合うと思います。
Meguさんの歌唱スタイルや声のキャラクターにはどういう印象を持ちましたか?

フレネシ:ふわふわとした、羊毛のような綿雲のような柔らかさでしょうか。
ソフトフォーカスの似合う声には、デジタル候なアレンジよりもクラシカルな生楽器的サウンドに軸足を置いたアレンジが合うように感じました。 

◎では本作『めしませルルボン』のテーマ、コンセプトをお聞かせください。

フレネシ:Negiccoの拠点の新潟といえば、とあるお菓子が有名かと思いますが、そのお菓子を擬人化した楽曲となっています。
お菓子の「勝手にCMソング」を作る構想はずっと前からあって、ここでようやく実現したというわけです

◎昭和から多くの家庭で親しまれた洋菓子がヒントになっているんですね。お米の生産量が日本国内で長年トップの地なので、米菓(せんべい、あられ)メーカーさんはよく知られていますが、そのカテゴリー外の洋菓子で全国に広まりロングセラー商品を多数発売したという、新潟県発祥商品のポテンシャルの高さを物語っていますね。そんなお菓子の「勝手にCMソング」というコンセプトは非常に面白いと思います。さすがですね! 
曲作りやアレンジのアイディア、レコーディング時のエピソードなどはありますか?

フレネシ:Meguさんからフレネシ「8:30のテーク」のようなアレンジで…とリクエストいただき、シャッフルのリズムパターン、メジャーコードを軸に組み立てていきました。
「8:30のテーク」直系というよりも、Meguさんのソフトなイメージにフィットしそうな、マーゴ・ガーヤン的なマイルドさを目指しました。 

◎アレンジの参考で「8:30のテーク(八時半のテーク)」(『ドルフィノ』収録/2013年)をリクエストで挙げられたということは、Meguさんやスタッフの方々はフレネシさんの作品を熱心にチェックしていたということですよね。この曲の牧歌的なシャッフルのリズムは、それこそ洋菓子のCMソングをイメージさせますよ、某社の◎◎◎エクレアとか。
今回フレネシさんがモチーフの一つにされたマーゴ・ガーヤン(Margo Guryan)は、弊サイト前進のVANDAが監修した書籍の『ソフトロックA to Z』で発掘され取上げたことが切っ掛けで、渋谷系ミュージシャン達に広く知られるようになったと思います。元々ジャズを専攻していて若くしてアーメット・アーティガンやクリード・テイラーに認められた才女ですが、今でもソフトロックの範疇で信奉者が多く、ジャケット・デザインまでオマージュされています。
そしてマスタリング直後の本作『めしませルルボン』を先日聴きまして、イントロ無しで始まるサビのリフレインや独特なメロディーラインで直ぐに心を掴まれました。シャッフルになるヴァースは確かにガーヤンの「Thoughts」(『Take A Picture』収録/1968年)などに通じます。何よりMeguさんの声質にマッチしているので、理想的なオファーだったと考えます。
 
『Take A Picture』/ Margo Guryan
『ソフトロックA to Z』シリーズ

フレネシ:マーゴ・ガーヤンが広く知られるようになったきっかけが『ソフトロックA to Z』というのは、まさにその通りでしょうね。雨の滲む窓越しにこちらを向いたご本人のアンニュイな表情が印象的なカバーデザインの「テイク・ア・ピクチャー」が唯一のアルバムとして知られていますが、リファレンスが明確にあるというわけではなく、今作のAメロに「雨樋はメトロノーム」という歌詞があり、雨がモチーフのひとつとなっているあたりにオマージュ要素があったりします。


◎では本作『めしませルルボン』のピーアールをお願いします。

フレネシ:楽曲のテーマにまさにぴったりな、Meguさんの初ロリータ衣装に注目! 本当に良くお似合いで、これまで衣装としてお召しになったことがなかったのが不思議なくらい…フォトブックを眺めつつ、メルヘンでスウィートなお菓子たちの宴ソングに浸っていただけたら嬉しいです。


◎そう言えば、フレネシさんは昨年12月22日に新曲「おやすみルナモス」を配信リリースされたばかりでしたね。この曲のテーマや曲作りのアイディアも聞かせて下さい。
またレコーディングにはテルミン奏者の方が参加されたそうで、エピソードがあればお願いします。

フレネシ:この曲は、まだ20代だったころに、渋谷のミニシアターで「ラジュテ」のオールナイト上映を観た帰りだったかと思うのですが、夜明け前の路上で季節外れのオオミズアオが死にかけて震えているのを見かけて、それがずっと記憶の片隅に残っていて…。「呪い」がコンセプトのアイドルグループ、じゅじゅの元メンバー、ねうちゃんへの提供曲として、バレエをモチーフにしつつ、あのときのオオミズアオを主役にワルツの曲に仕上げました。

今回、セルフカバーするにあたって、コーラスのラインを新たに追加し、サビのストリングスのラインをテルミン奏者の街角マチコさんにテルミンで演奏していただきました。

◎多忙な中今回もありがとうございました。


フレネシ・プロフィール 
8歳で、ささやき声しか出なくなる。20歳で衝動的に音楽活動を開始し、大学卒業までの2年間に50曲余りを作曲。 
2009年6月、乙女音楽研究社からリリースした初のフルアルバム『キュプラ』が、HMV インディーズチャート1位、カレッジチャート1位を獲得し注目を集める。
その後、『メルヘン』『ゲンダイ』『ドルフィノ』の3枚のアルバムを発表したのち、2014年12月27日のワンマンライブ「フレネシ学園 伝説の終業式」をもって活動を無期限休止。
2020年にストリーミング配信が開始されたことで海外の音楽ファンを中心に新たな注目を集め、 累計再生回数は数千万回に達し 「渋谷系のビョーク」とも称される。
2025年10月31日に11年ぶりの新作『除霊しないで』を発表し活動再開を宣言、さらには12月22日に『おやすみルナモス』を発表し、大きな話題を呼んでいる。
★フレネシofficial site:https://frenesifrenesi.com/ 
◎関連記事「ネシ子が会う」Negicco・Megu (第二十回)
◎最新配信シングル「おやすみルナモス」









【Megu「めしませルルボン」発売記念イベント】

【出演】Megu、フレネシ

【日時】2026年1月16日(金)18:30スタート

【会場】タワーレコード錦糸町パルコ店 イベントスペース

【内容】トーク&特典会

フレネシ告知動画

詳細はNegicco・official site内NEWSを: https://negicco.net/live_information/detail/30324


(設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ

2026年1月4日日曜日

2025年の収穫 Хелп Ме,Рохнда

    2025年、筆者のThe Beach Boys音盤収集遍歴において一大イベントが起きた。それが、肋骨レコードとの出会いだ。この不思議なレコードは、単なる音楽の記録にとどまらず、それは、歴史の産物であり、音楽への情熱が凝縮された証でもあった。
肋骨レコードは、1950年代以降のSoviet時代に生まれた密造品だ。当時、Soviet当局は西側の音楽を「退廃的」として徹底的に規制していた。Elvis PresleyやThe Beatlesのようなアーティストたちの音楽も当然禁止され、秘密裏に音楽を手に入れたいという欲求を持った音楽愛好者たちは、禁断の方法に手を染めた。それが、レントゲンフィルム—つまり、病院で廃棄されたX線写真を使ってレコードを作る方法だった。
塩化ビニールやシェラックのようなレコードの材料は政府によって物資の割り当てが統制され、一般市民には手に入れることができなかった。だが、レントゲンフィルムは可燃性を嫌う医療機関によって捨てられており、柔軟性があり音の溝を刻むことができた。音楽愛好者たちはこれを巧妙に活用し、政府の目を逃れて音楽を密かに再生した。この肋骨レコードには、驚くべきストーリーが込められている。フィルムの上に刻まれた音は、再生すれば必ずしもクリアではなく、すぐに劣化してしまう。しかし、その音質の不完全さ、そしてその背景にある反抗の精神が、筆者にとってこのレコードをただの音楽以上の存在にしている。
肋骨レコードを知ったのは、欧州人主催のヴィンテージオーディオ愛好者が集まるSNSだった。最初は真空管数点に混じって投稿された謎めいた肋骨レコードの画像のみだった。やがてその佇まいに魅了され、もっと知りたくなった。調査を進めるうちに、「UkraineにThe Beach Boysの肋骨レコードが存在する」という情報を掴み、そこから驚くべき展開が始まった。
所有者の親戚は旧ソ連時代、Leningrad(現Saint Petersburg)の内務省で市街の風紀取り締まりを担当していた。その仕事は「社会の秩序を守る」という立派な使命だ。最初はもちろん真面目に取り締まりをしていたが、時が経つにつれてカセットテープの密造が広まり、西側音楽の進化がますます加速する中で、押収された肋骨レコードの音楽は、まるで過去の遺物のような存在になっていった。西側の先鋭的で刺激的な音楽が登場するたびに、これらのレコードは“古びた音”としてすぐに色褪せ、当局から見ても、もはや「時代遅れのサウンド」となっていった。
当初は、「西側の音楽を取り締まることこそが国家のため」と信じて、何かと肋骨レコードを押収したものの、途中からはその音楽がもはや「珍しい戦利品」ではなくなり、上司に報告しても「そんなのどうでもいい」と一蹴される始末。しばらくすると、なんだかんだ理由をつけて、押収されたレコードは親戚に押し付けられ、すべて自宅に持ち帰らされることとなった。
洋の東西を問わず無許可著作物の摘発に熱心に取り組んでいたその姿勢は立派であったが、上司からの評価は一切得られず、結局その努力は報われることなく終わった。結果的に家の一角に「西側音楽のゴミ屋敷」ができあがったのだ。
その後親戚は郷里Ukraineに帰ることなった。ところが、予想もしない展開が待ち受けていた。静かな田舎町で、溜まっていた肋骨レコードたちが、まさかの「大ヒット」の兆しを見せ始めたのだ。都市部ではとっくに時代遅れ扱いされていたそのレコードたちが、なぜかこの町では若者たちに大歓迎されることに。西側音楽への渇望が根強く残っていたとはいえ、これほどまでに時代に取り残されていた音楽が、まるで「逆転の発想」でウケるとは思いもしなかった。
都市部のトレンドとは完全にズレていたが、田舎町で若者たちは「これぞ欲しかった!」と言わんばかりに、まるで宝物を手に入れたかのように喜んでいたのだ。「これはちょっとした商売になるかも」と、親戚は肋骨レコードを農作物や酒類と交換していったそうである。しかし、悲しいかな、The Beach Boysだけはまったく人気が出なかった。もちろん、彼が求めていたのは儲け話だが、「American Band」の代表格のはずのThe Beach Boysが田舎でまるで無名のように扱われ、最後まで売れ残っていた。そうした経緯の後、所有者から物々交換という形で肋骨レコードを手に入れることができた。その交換材料は、百円ショップで購入したアニメグッズ数点と、日本製コンデンサー1ダース。
音楽を聴く上で、何を基準に選ぶべきか──それは実に奥深い。筆者が選んだカートリッジは、最新のハイエンドシステムからすれば、間違いなく格下の選択だろう。しかし、今回はあえてその「格下」を選んだ。そう、筆者が手にしたのは、欧州のポータブルプレーヤーやジュークボックスに使われていたクリスタルカートリッジ。現代のオーディオ基準から見ると、音質は正直言って劣る。レンジが狭く、音の解像度も粗い。しかし、だからこそ、このカートリッジには特別なエネルギーが宿っている気がした。肋骨レコードの再生にこれを使うことで、その「エネルギー」が不完全さと相乗効果を生むのではないかと感じた。セラミックカートリッジ特有の高出力、そして中域に集中する音圧。これが肋骨レコードの歪んだ音質と合わさることで、ただの音質ではなく、音楽が持っている本来のエネルギーを引き出せるのではないか。そんな思いを胸に、再生を始めることにした。



レントゲンフィルムでできたレコード──これほどまでに不安定な響きがあるだろうか?それはまるで過去と現在の間をつなぐ架け橋のようだ。初めて手にしたそのレコードをターンテーブルに乗せる瞬間、胸が高鳴る。
だが、見た目からして予想はついていた──フニャフニャだ。
レントゲンフィルムだから当然だが、あの柔らかさは思っていた以上に心もとない。フィルムそのものが、普通のレコードよりもずっとやわらかいのだ。下敷きが必要!
ここで、やはり東西の邂逅を狙って、下敷きに選んだのはオリジナルのCapitol盤。


これで少しは安定感が増すだろう、と目論む。が、現実は想像よりもやや厳しい。
中央のスピンドルの穴、これがまたかなりアバウトだ。


一説によると火のついたタバコで穴を開けたらしい。普段のレコードならば、ピタリと中央に収まるところ、今回のフィルムでは遊びが大きい。慎重に中央に合わせてみる。しかし、これがまた妙にワクワクする。
拡大してみると音溝は端正な出来である

いざ、再生の準備が整い、針を落とす──が、なんと第一回目は針が滑って再生されない。まさに予想外。これはただのレコード再生ではない、これはまるで実験のようなものだ。
経験から分かっている。針圧をもっとかけなければならない、そうだ、少し多めに──数度の試行錯誤を経て、ついに決定的な瞬間が訪れる。オーディオ評論家なら絶対に怒り狂うような針圧、まるでSP盤のような重量数10gをかけると、ついにあの声が響き出す。
最後はもう一枚の下敷きとスタビライザーで
押さえ込みアームの重量も加えて安定

Alの歌声と、Brianのあのファルセットが、音の乱れの先から、まるで夢のように浮かび上がる。そして、確信する。これはシングルヴァージョンだと。
音質は確かに荒削り、だが、間違いなくあの有名な『Help Me, Rohonda』のあのメロディ、あのリズムが、寸分の狂いもなく蘇ってきた。まさに、時を超えた音楽の奇跡。
ノイズ越しに、筆者はまるでタイムマシンに乗ったかのように、60年前の当時の抑圧体制下の若者と向き合っていた。
この肋骨レコード、ただの音楽メディアではない。まさに歴史の一部を直接耳で感じることができる、まさに「音楽史」の断片を手にしたような気分だ。再生を繰り返すたびに、ますますその不安定さが愛しく、またその不完全さが心地よくも感じられる。無骨で不器用なその音が、どこか人間的な温もりを持っていて、まるで当時の音楽愛好者たちの情熱がそのまま残っているかのようだ。手に入れた肋骨レコードは、音質はまさに「骨伝導」で伝わってくるような、荒削りなものだ。それでも、その音の中に秘められた「反体制的な情熱」を感じ取ることができる。そこにはただの音楽だけではなく、その時代に生きる人々の「自由を求める叫び」が込められていた。音楽がただの娯楽や趣味ではなく、歴史的背景を持つ強烈な表現であることを、改めて実感させられた。肋骨レコードは、単なるレコードの一形態ではない。歴史的な意味を持ち、かつてのSoviet市民たちの勇気ある行動を今に伝えるアート作品でもあるのだ。

    筆者のオーディオに対する考え方は、他のオーディオ愛好者とは少し異なるかもしれない。一般的にはオーディオ機器は「音楽を聴く」ための装置として捉えられがちだが、筆者にとってそれは単なる再生装置以上の意味を持っている。それは、音楽という「エネルギー」を真に感じ取るための道具であり、音楽が持つ力強いメッセージを伝えるための手段でもある。音楽を聴く行為は、ただ音を耳で受け取ることだけではなく、その背後にある「物語」や「情熱」を感じ取ることにあると思う。だからこそ、筆者はオーディオ機器を、過去の記憶を蘇らせるための装置、ひいては歴史を感じ取るための道具として捉えている。
オーディオ機器に求めるものは、単に高音質であったり、精密な再生能力を持っていることではない。確かに、精緻な音質や解像度の高い再生は魅力的であるが、それだけでは十分ではないと考えている。音楽を真に感じるためには、その音の背後にある「エネルギー」を捉えることが大切だ。オーディオ機器は、そのエネルギーを伝える「媒介」として存在し、音楽が持つ真のパワーを引き出すための装置でなければならない。
これまでの音楽再生議論は、主に「DECCAのffss」や「Blue Noteの深溝」など、ハイファイ文脈における高音質が中心に語られてきた。確かに、オーディオファイル的な精密な音質を追求することは重要な視点ではある。しかし、筆者が感じる音楽再生の魅力は、それだけにとどまらない。音楽がその本来の力を発揮し、時代を変革した要因には、日常的に使われた「ジュークボックスで流れるシングル盤」や「家庭用のポータブルプレーヤーで鳴る歌謡曲」といった、大衆音楽の真髄が存在している。
その音の中には、まさにエリート主義的なEQカーブの整合性を超えた「音の野生」が宿っていた。音質が粗雑であっても、その「エネルギー」は純粋で、音楽そのものが持つ本質的な力強さが伝わってきた。モノラル再生では、現代のオーディオ機器における「完璧な音」を追求するのではなく、あえて粗削りな音質の中に宿る「本物のエネルギー」を感じ取ることができる。それこそが、音楽が持つ本当の力を引き出す鍵だと筆者は信じている。


また、筆者が選んだクリスタルカートリッジというカートリッジも、この考え方に通じるものがある。クリスタルカートリッジは、現代のオーディオ基準では「安価でレンジが狭く、音質が劣る」と見なされがちだ。しかし、このカートリッジで再生される音楽が放つエネルギーこそが、当時の大衆音楽—Rock'n'Roll、歌謡曲、ポップス—の力強さを支えていた。そのカートリッジ特有の高出力とエネルギーが集中した中域の「塊」のような音。それが、歪んだヴォーカルや情念を、ハイファイな繊細さ以上に生々しく、力強く届けていた。
時代を動かした音楽のエネルギーは、まさにその時代の録音機器が絞り出した「悲鳴」のようなものであり、そのエネルギーこそが音楽を生き生きとしたものにしていた。今日のハイエンドオーディオ機器でいくらその音を再生しても、当時の「格下」とされるオーディオセットで生み出されていた音楽のエネルギーには及ばない。それは、音質だけではなく、音楽に込められた「感情」や「歴史」の一部だからだ。
筆者は最近の初期盤ブームに一石を投じたい。確かに初期盤を購入することは、貴重な音楽体験をする手段の一つである。しかし、初期盤だからといって必ずしも高音質が得られるわけではない。その当時、音楽はどのようなオーディオセットで再生され、どんなエネルギーが込められていたかを理解することこそが大切だ。今日の高性能なオーディオ機器で再生することも一つのアプローチだが、初期盤やその時代の機器でしか感じられない「エネルギー」を伝える音を知ることの方が、音楽の本質に迫るための重要な鍵となる。
肋骨レコードのような、音質が荒削りで不完全なレコードを聴くことこそ、筆者にとって最も純粋な音楽体験であり、音楽の本質を再確認する手段だ。その音には、ただの娯楽や趣味を超えた、歴史的背景を持つ強烈な表現が込められている。音楽が「単なる音」ではなく、その時代や文化、そして人々の心情を反映したものだと、改めて実感させられる。
オーディオ機器に対する筆者の考えは、音楽の過去と未来を繋ぐ架け橋となるべきだと信じている。音楽を「聴く」という行為を超え、その背後にある「エネルギー」や「情熱」を感じ取ることこそが、オーディオの未来における本質的な役割だと感じている。そして、これからのオーディオの在り方は、高音質の再生を追求するだけではなく、その音楽が持つ深いエネルギーをいかに伝えるかにかかっているのだ。

(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)