1976年、The Beach Boysのツアー告知や広告に踊った「Brian’s Back!」という言葉は、当時のロック・シーンにおいてきわめて異例なキャッチコピーだった。新曲でも新作でもなく、「Brianが戻ってきた」こと自体が最大の商品価値として打ち出されたのである。それは同時に、Brian Wilsonという存在が、いかに長く“不在”だったかを物語っている。
1960年代中葉以降、彼はステージから退き、スタジオに引きこもり、やがて精神的にも音楽的にも崩壊と再生を繰り返す存在となった。『SMiLE』の挫折以降、バンドは「Brian不在でも前に進むバンド」として存続してきたが、ファンもメディアも“いつか戻ってくる天才”の幻想を捨てきれずにいた。1975年末、その幻想に現実味を与えたのがEugene Landyによる24時間管理プログラムだった。この治療によってBrianは確かに安定し、社交性を取り戻し、そして何よりも再び音楽を量産し始める。
1960年代中葉以降、彼はステージから退き、スタジオに引きこもり、やがて精神的にも音楽的にも崩壊と再生を繰り返す存在となった。『SMiLE』の挫折以降、バンドは「Brian不在でも前に進むバンド」として存続してきたが、ファンもメディアも“いつか戻ってくる天才”の幻想を捨てきれずにいた。1975年末、その幻想に現実味を与えたのがEugene Landyによる24時間管理プログラムだった。この治療によってBrianは確かに安定し、社交性を取り戻し、そして何よりも再び音楽を量産し始める。
重要なのは、ここでの「回復」が必ずしも健全な回復ではなかった点だ。Landyの管理下でBrianは強烈なプレッシャーと期待にさらされ、「Brianが戻った」という物語は、本人の内面よりも先に周囲によって作られていった。1976年夏、Brianは久々のツアー復帰を果たすが、観客は彼の現在地よりも「天才の帰還」という物語を見に来ていた。その延長線上に生まれた『15 Big Ones』は、そこそこ商業的に成功を収めたが、その内容はファンやメンバーに複雑な反応を引き起こした。求められている“復活した天才”と、彼自身がやりたい“個人的で衝動的で管理されない音楽”。この内面のねじれこそが、当時の彼の音楽の核心にある。
長らくThe Beach Boys史の中で、「未完の大作」と「奇妙で幼稚なカルト作」として正反対の位置に置かれてきた『SMiLE』と『Love You』。だが、この二枚を断絶ではなく一本の線として聴いたとき、まったく別の風景が立ち上がる。
『SMiLE』でBrianが目指したのは、音楽によって世界を説明することだった。米国建国神話、歴史、自然、共同体。そのすべてを断片化されたモジュールとして組み上げ、編集によって巨大な構造体を作ろうとしたのである。しかし、その構想はあまりに過剰で、持続不可能だった。『SMiLE』の崩壊とは、単なるアイデアの失敗ではなく、「世界全体を背負おうとした」ことの限界だったと言える。
約10年後に現れた『Love You』は、その反動のように見えるが、実際には重要な「方向転換」であった。Brianがここで捨てたのは音楽的野心ではなく、「説明しようとする意志」である。構造は極端に縮小され、言葉は幼児化し、楽曲は短い反復の中で完結する。しかしその内側では、『SMiLE』と同じ思考が脈打っている。断片化、反復、感情の宙づり、意味より響きを優先する態度。これらは形を変え、『Love You』の中に確かに息づいているのだ。
『SMiLE』が世界を外側から捉えようとした音楽だとすれば、『Love You』は自分の内側だけを見つめた音楽である。Brianはもはや神話を必要としない。テレビ司会者、ベッド、恋心、その日の気分といった極めて私的な題材が、そのまま音楽になる。スケールは縮んだが、純度は高まった。ここにあるのは未処理の感情を未処理のまま鳴らすという、極端に誠実な表現だ。
Brianは「Good Vibrations」の成功を経て、楽曲を最初から最後まで順番に書くのではなく、30秒から1分程度の「Feel」を大量に録音し、後でそれらをパズルのように組み合わせるモジュラー・アプローチを確立した。彼は音のテクスチャーや雰囲気を、それ自体で完結した一つの「制作単位」として扱っていたのである。 この思考は『Love You』へと直結している。かつての膨大なオーケストラによる「Feel」は、ここでは簡素なシンセサイザーの「執拗な反復(ループ)」へと姿を変えた。「Ding Dang」や「Let Us Go On This Way」に見られる、同じ衝動を別角度から叩き続ける手法。それは、断片を愛でるBrianのモジュラー思考が、一切の虚飾を剥ぎ取られ、剥き出しのまま提示された姿といえる。
両作に共通するのは、ヴァース〜コーラスという伝統的な起承転結からの逸脱だ。『SMiLE』が各セクションを唐突に切り替えることで未知の風景を提示したように、『Love You』もまた、展開を拒絶するかのような短絡的なリフレインによって聴き手を迷宮へと誘う。そこにあるのは物語を語るための音楽ではなく、響きのテクスチャーそのものを提示する態度だ。音楽が時間軸に沿った進行を止め、その場に留まり続けるような「静止したダイナミズム」は、Brianがこの二つの頂点でのみ到達した特異な境地である。
『SMiLE』の「Wonderful」等に見られた、高度な和声語法と童謡のような言葉の乖離。この「構造の複雑さ」と「意味の単純さ」のねじれこそが、Brianのアイデンティティだ。『Love You』の「I’ll Bet He’s Nice」の複雑な転調や、「The Night Was So Young」の解決を拒むコード進行。これらが子供の独白のような歌詞と密着して響くとき、そこにはフィルターなしの、無垢なBrianが露出する。
表層の音色や語彙を超えて、そこには『SMiLE』の中核的な発想が形を変えて生き残っている。
「Let Us Go On This Way」:セクションの唐突な切り替えや循環するコード進行、発展せずに同じ衝動を別角度から叩くメロディ。これはかつてのモジュール思考の極端な簡略化である。
「The Night Was So Young」:ベースラインが感情を牽引し、安定しないコードとメロディが常に“途中”の感覚を保つ。これは感情を解決しないまま宙づりにする『SMiLE』的叙情性の純化と言える。
「I’ll Bet He’s Nice」:幼児的な独白のような歌詞と、異様なほど洗練され転調の多い和声の乖離。意味は単純だが構造は複雑というBrian独特のねじれが露出している。
また、1970年代後半という時代背景と、このアルバムが放つ異様なまでの「ズレ」がある。
1977年といえば、世界はEaglesが描く洗練された「Hotel California」の憂鬱に浸り、一方でパンクの衝動やディスコの狂騒が世間を焼き尽くそうとしていた。そんな中、Brianが提示したのは、最新鋭の洗練でもなければ、破壊的な怒りでもなかった。彼が差し出したのは、重厚なアナログシンセが奏でる、狂った子供部屋のBGMだった。
『Love You』を聴いてまず耳を打つのは、粘り気のある、時に「下品」とも形容されるほど図太いシンセサイザーの音色だ。かつての『Pet Sounds』でオーケストラを自在に操った指揮官は、ここでは一人スタジオに籠もり、おもちゃを手にした子供のようにシンセのノブを弄り倒した。 その結果生まれた音像は、洗練とは程遠い。低音はブヨブヨと波打ち、メロディはまるで遊園地の壊れたアトラクションのように不規則に跳ねる。この洗練の完全な放棄こそが、当時の批評家を困惑させている。
かつての天使のようなファルセットはここにはない。長年の喫煙と不規則な生活によって、Brianの歌声は低く、掠れ、時に吠えるような野太い質感へと変貌していた。 しかし、その「ボロボロになった大人の声」で「惑星(Solar System)」や「テレビ司会者(Johnny Carson)」への素朴な愛を歌うという異常なコントラストが、このアルバムに唯一無二の切なさを与えている。この居心地の悪さの正体は、この「老いた肉体」と「退行した精神」が同居する、Brian Wilsonという人間の生々しすぎる実像そのものなのだ。
その内面をあらわにした一例が『I Wanna Pick You Up』である。本作は甘美なポップソングの体裁をとりながら、成熟したパートナーを徹底的に赤ちゃん扱いする描写で、聴き手に強烈な生理的違和感を突きつける。体を洗い、足を拭うといった乳幼児への身体的介護を連想させる歌詞は、慈しみを超え、対象の主体性を剥奪する幼児化の様相を呈している。現代の倫理的視点で見れば、相手を無力な存在として固定化し、ケアを通じて支配欲を充足させるこの構図は極めて不均衡で危うい。「抱き上げられない現実」を認めつつ「心の中で抱き上げる」と歌う執着は、相手を完全に管理可能な存在として定義したいというエゴイスティックな願望の露呈に他ならない。この違和感の正体は、Brianが抱えた孤独の深淵であり、自らの救済のために他者を「無力な存在」へと作り替えようとする愛の恐ろしさそのものである。
当時のThe BeachBoysは、世間からは「永遠の夏」を歌うノスタルジーの象徴として求められていた。そんな中、Brianがこの奇作を持って現れたことは、バンドにとってもファンにとっても一種のテロ行為に近かった。 『Love You』は、ヒッピー・ムーブメントの残滓からも、パンクの喧騒からも、ディスコの快楽からも完全に切り離された「孤島」だった。Brianは時代の潮流に乗り遅れたのではない。最初から、彼は自分だけの時間軸の中に、自らを閉じ込めてしまったのだ。
このボックスが暴き出したのは「天才の完成された遺産」ではない。そこにあるのは、時代に背を向け、ボロボロの声で、無機質に鳴り続けるシンセ音に救いを見出そうとした、ひとりの男の孤独なつぶやきである。
『SMiLE』から『Love You』へ、一本の線で結ぶ再解釈
The Beach Boys - We Gotta Groove (Visualizer)
長らくThe Beach Boys史の中で、「未完の大作」と「奇妙で幼稚なカルト作」として正反対の位置に置かれてきた『SMiLE』と『Love You』。だが、この二枚を断絶ではなく一本の線として聴いたとき、まったく別の風景が立ち上がる。
『SMiLE』でBrianが目指したのは、音楽によって世界を説明することだった。米国建国神話、歴史、自然、共同体。そのすべてを断片化されたモジュールとして組み上げ、編集によって巨大な構造体を作ろうとしたのである。しかし、その構想はあまりに過剰で、持続不可能だった。『SMiLE』の崩壊とは、単なるアイデアの失敗ではなく、「世界全体を背負おうとした」ことの限界だったと言える。
約10年後に現れた『Love You』は、その反動のように見えるが、実際には重要な「方向転換」であった。Brianがここで捨てたのは音楽的野心ではなく、「説明しようとする意志」である。構造は極端に縮小され、言葉は幼児化し、楽曲は短い反復の中で完結する。しかしその内側では、『SMiLE』と同じ思考が脈打っている。断片化、反復、感情の宙づり、意味より響きを優先する態度。これらは形を変え、『Love You』の中に確かに息づいているのだ。
『SMiLE』が世界を外側から捉えようとした音楽だとすれば、『Love You』は自分の内側だけを見つめた音楽である。Brianはもはや神話を必要としない。テレビ司会者、ベッド、恋心、その日の気分といった極めて私的な題材が、そのまま音楽になる。スケールは縮んだが、純度は高まった。ここにあるのは未処理の感情を未処理のまま鳴らすという、極端に誠実な表現だ。
Brianは「Good Vibrations」の成功を経て、楽曲を最初から最後まで順番に書くのではなく、30秒から1分程度の「Feel」を大量に録音し、後でそれらをパズルのように組み合わせるモジュラー・アプローチを確立した。彼は音のテクスチャーや雰囲気を、それ自体で完結した一つの「制作単位」として扱っていたのである。 この思考は『Love You』へと直結している。かつての膨大なオーケストラによる「Feel」は、ここでは簡素なシンセサイザーの「執拗な反復(ループ)」へと姿を変えた。「Ding Dang」や「Let Us Go On This Way」に見られる、同じ衝動を別角度から叩き続ける手法。それは、断片を愛でるBrianのモジュラー思考が、一切の虚飾を剥ぎ取られ、剥き出しのまま提示された姿といえる。
両作に共通するのは、ヴァース〜コーラスという伝統的な起承転結からの逸脱だ。『SMiLE』が各セクションを唐突に切り替えることで未知の風景を提示したように、『Love You』もまた、展開を拒絶するかのような短絡的なリフレインによって聴き手を迷宮へと誘う。そこにあるのは物語を語るための音楽ではなく、響きのテクスチャーそのものを提示する態度だ。音楽が時間軸に沿った進行を止め、その場に留まり続けるような「静止したダイナミズム」は、Brianがこの二つの頂点でのみ到達した特異な境地である。
『SMiLE』の「Wonderful」等に見られた、高度な和声語法と童謡のような言葉の乖離。この「構造の複雑さ」と「意味の単純さ」のねじれこそが、Brianのアイデンティティだ。『Love You』の「I’ll Bet He’s Nice」の複雑な転調や、「The Night Was So Young」の解決を拒むコード進行。これらが子供の独白のような歌詞と密着して響くとき、そこにはフィルターなしの、無垢なBrianが露出する。
モジュラー思考と言えば聞こえはいいが、単なるネタ切れや構成力の欠如ではないかということもあるかもしれない。確かに、かつての多層的なオーケストレーションに比べれば、あまりに短絡的なリフレインの連続に、ブライアンの才能の枯渇を見てしまうのは否定できない。 しかし、もしそれがネタ切れの結果だとしても、その『行き詰まり』を隠さず、そのまま音にしてしまう潔さこそが、この時期のブライアンの凄みなのだ。
『Love You』を「縮小されたSMiLE」として読む
表層の音色や語彙を超えて、そこには『SMiLE』の中核的な発想が形を変えて生き残っている。
「Let Us Go On This Way」:セクションの唐突な切り替えや循環するコード進行、発展せずに同じ衝動を別角度から叩くメロディ。これはかつてのモジュール思考の極端な簡略化である。
「The Night Was So Young」:ベースラインが感情を牽引し、安定しないコードとメロディが常に“途中”の感覚を保つ。これは感情を解決しないまま宙づりにする『SMiLE』的叙情性の純化と言える。
「I’ll Bet He’s Nice」:幼児的な独白のような歌詞と、異様なほど洗練され転調の多い和声の乖離。意味は単純だが構造は複雑というBrian独特のねじれが露出している。
このボックスセットは、完成されたアルバムを単に並べたものではない。 幻のアルバム『Adult/Child』の「もしも」を追体験し、『Love You』の歪(いびつ)な純真さを解剖し、そしてカセットテープに吹き込まれた天才の独り言に耳を澄ます。
ここにあるのは名曲の羅列ではなく、Brian Wilsonという迷宮の「未加工の地図」である。以下に、その膨大なディスク内容の全貌と、各パートが持つ音楽的意義を詳しく見ていこう。
DISC 1の核となるのは、2025年最新リマスターが施された『Love You』本編だ。近年の過度な音圧意識のミックスとは一線を画し、テープが持つ本来のダイナミクスを尊重したマスタリングが光る。シンセサイザーのざらついた質感や重厚なベースの響きが、不自然に削られることなく耳に届く。無理にクリアにしすぎず、当時の録音現場の空気を守り抜いた誠実な仕上がりだ。Disc 1後半のアウトテイク集では、その多くに当時のミックスを採用するという大胆な手法が取られている。これは現代の視点で整えられた音ではなく、Brianが当時スタジオで聴いていたであろう「その瞬間の音」に立ち会う体験を優先した結果だろう。
完成度や成功といった既存の物差しでは、この時期の音楽を測ることはできない。しかし、このボックスセットに収められた音源は、復活という名の狂騒の裏側で、ひとりの作曲家が何を掴み、何を捨てようとしたのかを克明に伝える、あまりに切実な痕跡だ。The Beach Boysが単なるポップ・グループではなく、ひとりの天才の魂の生存記録であるならば、このセットは彼らの歴史の中で最も人間味に溢れ、そして最も美しい証言集となるだろう。
「Sherry She Needs Me」特筆すべきはこの曲の収録だ。2013年の『Made in California』で聴けたヴォーカル追加版はどちらかといえば、資料的価値の高さという意味で貴重だった。本作では1976年当時にもし正式リリースされたらどうなったか?という原初の姿が、余計な現代的補正がなく、当時のエコー処理・定位が生々しい荒削だが純度の高い音質で収められている。この時代ならではの瑞々しさと切なさが同居する響きを体験できるのは、ファンにとって格別の喜びと言える。「Ruby Baby」や「Marilyn Rovell」、「Lazy Lizzie」といった楽曲群が、1976年当時の生々しい質感で蘇る。
最新ミックスされた「We Gotta Groove」は、長年欠落していたリード・ヴォーカルが本来あるべき位置に据えられ、ついに完成形を見た。ザクザクとしたリズムと地鳴りのようなチャント風コーラスが絡み合う様は、この時期のBrianの力強さを証明して余りある。また、アルのリードによる「Love Is A Woman」、奇妙だが楽しい長尺ギター・イントロ付きの「Johnny Carson」などの別テイク群も秀逸だ。
ディスクの掉尾を飾る「You’ve Lost That Lovin’ Feelin’」は、今回のオリジナル・ミックス。Phil Spectorの畏敬と、Brian独自の狂気的なまでの音の厚みが、かつてない明瞭さで迫ってくる。
このセッションに詳しいファンなら、「Hey Little Tomboy」が収録されていないことに気づくだろう。まず、レコード会社とBrian Wilsonの管理団体がおそらく最も優先したのは、Brianという個人の尊厳を守ることだった。『Adult/Child』制作時のBrianは「大人と子供の境界」が崩壊していた。この曲に含まれる「膝の上に座らせる」といった、現代の基準では性的搾取と直結する描写を「Brian Wilsonの芸術」として再提示することは、彼のレガシーに拭い去れない泥を塗るリスクがあると判断されたのだろう。つまり、楽曲を削除することは、彼を「加害者」的な視線から守るための、苦渋の選択だったと思われる。
Disc 2の幕開けを飾るのは、幻のアルバム『Adult/Child』セッションから厳選された9曲のオリジナル・ミックスだ。この素材は長年にわたり、マニアの間で多種多様な音源クオリティやミックスが入り乱れる形で流通してきた。それだけに、あえて当時のミックスを体系的な形で提示した今回の判断は、実に素晴らしいと言わざるを得ない。そこにはBrian特有のメロディ感覚や和声の妙が随所に息づいてはいる。しかし、何より必要だったのは、これこそが一切のフィルターを通していない「濾過されていないBrian Wilsonそのもの」なのだ。
「Life Is For The Living」は本作の中でも目立つ一曲であり、このアルバムがしばしば「ビッグバンド作品」と誤解される理由でもある。とはいえ、全体の感触はむしろ『Love You』に近い部分も多い。テンポ修正された「It’s Over Now」も収録されている。「Still I Dream Of It」は1993年以来初の公式リマスターとなり、明らかに音質が向上している。
「New England Waltz」は、オリジナル・ミックス群の最後に配置されているが、これまで劣悪な音質でしか聴けなかった音源が、ようやくまともな形で聴けるようになった。
続いて「Life Is For The Living」「Deep Purple」「It’s Over Now」「Still I Dream Of It」のバッキング・トラックが収録される。後半3曲は2025年ミックスで、特に充実した選曲だ。
Disc 2の後半は、この時代の多種多様な楽曲が散りばめられ、主役の座がCarlとDennisへと引き継がれていく。
Carlの熱狂的なファンならば、このDennisの名曲「Holy Man」に吹き込まれたCarlのガイド・ヴォーカルは諸手を挙げて歓迎するだろう。ほぼ全編をスキャット的な歌唱でなぞっており、そのミックスの仕上がりは素晴らしい、の一言に尽きる。続くCarlの未発表曲2曲のうち、「Carl’s Song #1 (It Could Be Anything)」もレアな一曲だ。「Surf’s Up」から『Carl & The Passions』期に至る彼の最良の瞬間が結晶化したような楽曲で、ここでも瑞々しいガイド・ヴォーカルが深い余韻を残す。一方の「Carl’s Song #2」は、後に『L.A. (Light Album)』へ収録される「Angel Come Home」の原型にあたる。ヴァースやブリッジはほぼ形を成しているが、あの特徴的なサビがまだ生まれていない制作途中の姿を捉えている。
Dennisはここで、70年代半ばの彼らしい壮大なサウンドを2曲提示している。「String Bass Song」は、後に『Pacific Ocean Blue』に結実する「Rainbows」の萌芽であり、二部構成の「10,000 Years Ago」は、前半が『Bambu』期の「Are You Real」へと繋がり、後半はMikeも制作に関与した「10,000 Years Ago」そのものの形をとっている。
また、Brianによる1977年版「Gimme Some Lovin’」にも注目したい。近年の90年代以降のソロ作品を彷彿させるアプローチとなっており、彼が特定のモチーフやリフを反復し、再構築していく創作過程を追えるのは非常に興味深い。Marilynが歌う「Honeycomb」は、優しくも切ない仕上がりだ。独唱から始まり、徐々に伴奏が重なっていく構成も実に美しい。
Disc 2の終幕を飾るのは、1975年に録音された「In The Back Of My Mind」のデモ・新ミックスである。かつて『No Pier Pressure』の限定特典として陽の目を見た音源だが、今回ついに正式収録となった。ライナーノーツが記す通り、Brianの歌唱とTandyn Almerのピアノで綴られるこの音源は、アルバムの締めくくりにふさわしい深い感慨を抱かせる。
Disc 3の幕を開けるのは、いわば「もうひとつの『15 Big Ones』」とも呼ぶべき音源群だ。マニアックな聴き手であれば、本作に『15 Big Ones』のオリジナル・テイクが丸ごと収録されていない事実に、一瞬の戸惑いを覚えるかもしれない。しかし、シリーズが深まるにつれて対象がより先鋭的なファン層へと移行するなか、既発のアルバムを型通りに再録することに拘泥しないという、確固たる編集方針がここには貫かれている。
「Just Once In My Life」の鮮烈な新ミックスを合図に、アルバム本編からは漏れたオールディーズ・カヴァーが次々と繰り出される。「Mony, Mony」「Running Bear」「Shake, Rattle And Roll」「On Broadway」「Sea Cruise」……いずれも音質の見違えるような向上には驚かされるばかりで、エンジニアであるやSaezの手腕には、ただただ舌を巻く。中でも「On Broadway」は、Alのリード・ヴォーカルを堪能できる逸品だ(邪魔な観客SEが排されているのも最高だ)。さらに「Chapel Of Love」や「Short Skirts」もリミックスが施されたことで、その真価を改めて世に問う仕上がりとなっている。
また、「TM Song」「Rock And Roll Music」「Solar System」の3曲は、にコーラス付きバッキング・トラックでの収録。特筆すべきは「Solar System」で、最終的にヴォーカルのみが残る構成へと移行していく様は、実に壮麗というほかない。
Disc 2の幕開けを飾るのは、幻のアルバム『Adult/Child』セッションから厳選された9曲のオリジナル・ミックスだ。この素材は長年にわたり、マニアの間で多種多様な音源クオリティやミックスが入り乱れる形で流通してきた。それだけに、あえて当時のミックスを体系的な形で提示した今回の判断は、実に素晴らしいと言わざるを得ない。そこにはBrian特有のメロディ感覚や和声の妙が随所に息づいてはいる。しかし、何より必要だったのは、これこそが一切のフィルターを通していない「濾過されていないBrian Wilsonそのもの」なのだ。
「Life Is For The Living」は本作の中でも目立つ一曲であり、このアルバムがしばしば「ビッグバンド作品」と誤解される理由でもある。とはいえ、全体の感触はむしろ『Love You』に近い部分も多い。テンポ修正された「It’s Over Now」も収録されている。「Still I Dream Of It」は1993年以来初の公式リマスターとなり、明らかに音質が向上している。
「New England Waltz」は、オリジナル・ミックス群の最後に配置されているが、これまで劣悪な音質でしか聴けなかった音源が、ようやくまともな形で聴けるようになった。
続いて「Life Is For The Living」「Deep Purple」「It’s Over Now」「Still I Dream Of It」のバッキング・トラックが収録される。後半3曲は2025年ミックスで、特に充実した選曲だ。
Disc 2の後半は、この時代の多種多様な楽曲が散りばめられ、主役の座がCarlとDennisへと引き継がれていく。
Carlの熱狂的なファンならば、このDennisの名曲「Holy Man」に吹き込まれたCarlのガイド・ヴォーカルは諸手を挙げて歓迎するだろう。ほぼ全編をスキャット的な歌唱でなぞっており、そのミックスの仕上がりは素晴らしい、の一言に尽きる。続くCarlの未発表曲2曲のうち、「Carl’s Song #1 (It Could Be Anything)」もレアな一曲だ。「Surf’s Up」から『Carl & The Passions』期に至る彼の最良の瞬間が結晶化したような楽曲で、ここでも瑞々しいガイド・ヴォーカルが深い余韻を残す。一方の「Carl’s Song #2」は、後に『L.A. (Light Album)』へ収録される「Angel Come Home」の原型にあたる。ヴァースやブリッジはほぼ形を成しているが、あの特徴的なサビがまだ生まれていない制作途中の姿を捉えている。
Dennisはここで、70年代半ばの彼らしい壮大なサウンドを2曲提示している。「String Bass Song」は、後に『Pacific Ocean Blue』に結実する「Rainbows」の萌芽であり、二部構成の「10,000 Years Ago」は、前半が『Bambu』期の「Are You Real」へと繋がり、後半はMikeも制作に関与した「10,000 Years Ago」そのものの形をとっている。
また、Brianによる1977年版「Gimme Some Lovin’」にも注目したい。近年の90年代以降のソロ作品を彷彿させるアプローチとなっており、彼が特定のモチーフやリフを反復し、再構築していく創作過程を追えるのは非常に興味深い。Marilynが歌う「Honeycomb」は、優しくも切ない仕上がりだ。独唱から始まり、徐々に伴奏が重なっていく構成も実に美しい。
Disc 2の終幕を飾るのは、1975年に録音された「In The Back Of My Mind」のデモ・新ミックスである。かつて『No Pier Pressure』の限定特典として陽の目を見た音源だが、今回ついに正式収録となった。ライナーノーツが記す通り、Brianの歌唱とTandyn Almerのピアノで綴られるこの音源は、アルバムの締めくくりにふさわしい深い感慨を抱かせる。
Disc 3の幕を開けるのは、いわば「もうひとつの『15 Big Ones』」とも呼ぶべき音源群だ。マニアックな聴き手であれば、本作に『15 Big Ones』のオリジナル・テイクが丸ごと収録されていない事実に、一瞬の戸惑いを覚えるかもしれない。しかし、シリーズが深まるにつれて対象がより先鋭的なファン層へと移行するなか、既発のアルバムを型通りに再録することに拘泥しないという、確固たる編集方針がここには貫かれている。
「Just Once In My Life」の鮮烈な新ミックスを合図に、アルバム本編からは漏れたオールディーズ・カヴァーが次々と繰り出される。「Mony, Mony」「Running Bear」「Shake, Rattle And Roll」「On Broadway」「Sea Cruise」……いずれも音質の見違えるような向上には驚かされるばかりで、エンジニアであるやSaezの手腕には、ただただ舌を巻く。中でも「On Broadway」は、Alのリード・ヴォーカルを堪能できる逸品だ(邪魔な観客SEが排されているのも最高だ)。さらに「Chapel Of Love」や「Short Skirts」もリミックスが施されたことで、その真価を改めて世に問う仕上がりとなっている。
また、「TM Song」「Rock And Roll Music」「Solar System」の3曲は、にコーラス付きバッキング・トラックでの収録。特筆すべきは「Solar System」で、最終的にヴォーカルのみが残る構成へと移行していく様は、実に壮麗というほかない。
「Had To Phone Ya」と「Mona」のミックスはユニークだ。曲が進むにつれ、楽器が増減しボーカルが出たり消えたりする、制作の時系列を再現した構成。とりわけ「Mona」のエンディングは秀逸で、簡素なシンセサイザーと歌声が美しく溶け合いながらエンディングに向かっていく。
聴きどころはまだ続く。「Just Once In My Life」のバッキング・トラックは音場が劇的に広がりを見せ、「Let Us Go On This Way」ではCarlのリードを前面に押し出した別ミックスを聴くことができる。また、Bill Hinscheがリードを取る「Honkin’ Down The Highway」や、エディットされる前の生々しいセッション風景を伝える「Ding Dang」など、資料的価値と音楽的感動が同居したトラックが並ぶ。そして、圧巻なのはやはり「The Night Was So Young」のヴォーカル・オンリー版だろう。その純度の高い響きの美しさを再認識させられる。「Let’s Put Our Hearts Together」には未発表のコーダが付け加えられており、古風で甘美なハーモニーがいつまでも続いていくかのような錯覚に陥る。
ラストを飾るのは、カセット・デモ。 長年知られていたテープだが、長年マニアの間で語り継がれてきたプライベート録音の究極の復元である。かつてない鮮明なリアリティで蘇ったその音場からは、Brianが紡ぎ出す旋律の魔法に、Mikeが魂を奪われている様子が克明に伝わってくる。思わずハミングで寄り添い、感極まったように称賛の言葉をこぼすビジネスマンではなく朋友としてのMike。その剥き出しの反応は、ビジネスとしての「復活」という虚飾を剥ぎ取った先に残る、真の巨匠の閃きの記録に他ならない。
ラストを飾るのは、カセット・デモ。 長年知られていたテープだが、長年マニアの間で語り継がれてきたプライベート録音の究極の復元である。かつてない鮮明なリアリティで蘇ったその音場からは、Brianが紡ぎ出す旋律の魔法に、Mikeが魂を奪われている様子が克明に伝わってくる。思わずハミングで寄り添い、感極まったように称賛の言葉をこぼすビジネスマンではなく朋友としてのMike。その剥き出しの反応は、ビジネスとしての「復活」という虚飾を剥ぎ取った先に残る、真の巨匠の閃きの記録に他ならない。
しかし、この親密な芸術的瞬間に冷や水を浴びせたのが、あまりにも非情な現実――シングル「Honkin' Down the Highway」の歴史的爆死であった。前年に全米5位のヒットを飛ばしていたグループが、チャート100位圏外という前代未聞の惨敗を喫したのである。
この結果を危惧したMikeは、ビジネスとしての冷徹な判断を下す。「これ以上Brianの奇行に付き合えばバンドは持たない」と確信した彼は、主導権を変更。Brianが次に完成させていた、未発表アルバム『Adult/Child』を「売れない」と一蹴し、お蔵入りへと追い込む。
本作を境に、バンドは新らしいアイディアで勝負する表現者としての看板を下ろし、過去の栄光をなぞる「懐メログループ」へと舵を切ることとなる。Brianは再び深い隠遁の淵へと沈み、ファンにとっては長きにわたる「冬の時代」が始まった。
ブックレットには、完全なセッショノグラフィーが収録されており、テープ形式に至るまで詳細に記録されている。
完成度や成功といった既存の物差しでは、この時期の音楽を測ることはできない。しかし、このボックスセットに収められた音源は、復活という名の狂騒の裏側で、ひとりの作曲家が何を掴み、何を捨てようとしたのかを克明に伝える、あまりに切実な痕跡だ。The Beach Boysが単なるポップ・グループではなく、ひとりの天才の魂の生存記録であるならば、このセットは彼らの歴史の中で最も人間味に溢れ、そして最も美しい証言集となるだろう。
P.S Top画像はAI生成画像である、あくまでシャレ・戯れに過ぎず、実在のスタジオ風景とは無関係であることを申し添える。
(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)


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