2009年9月7日月曜日

★第5回 宮古諸島ツアー2009

Journey To Miyako Islands 2009






佐野邦彦




ここのところ恒例の離島旅行は八重山→宮古→八重山と交互になり、今年はもちろん宮古の順番、5回目の宮古諸島になった。なんといっても今回の主眼は水納島である。沖縄本島の近くの同名の「クロワッサン・アイランド」ではない。宮古と石垣のちょうど中間にあってどちらからも遠いため観光客がほとんど行かない多良間島の、さらに沖にある人口2人だけの島である。究極の離島である。

かつては何百人も住んでいた時もあったそうだが、どんどん人口が減り、今は宮国さんという一家だけが住み、牧場を営んでいるそうだ。少し前までの人口は5人だったと思うが、今年はさらに減ってご兄弟2人だけになっている。

ここの海の美しさは格別だそうで、かつて宮古の新城海岸で私が地元の方たちとオトーリをやっていた時に私が「今まで行った中で最も美しい海は多良間島のウカバ」と言ったら、「確かに多良間はきれいだけど、もっと美しいのは水納さー」と返され、それ以来水納はずっと憧れの地だった。

その後、離島フリークの島田紳助が自書の中で「沖縄で一番きれいな海は水納」と書いていたのを読み、竹中直人が自分でやりたい事ができるという企画番組「トシガイ」で選んだのが水納と、その憧れは深まるばかりだった。ようやく回ってきた宮古ツアー、今回は宮国さんに頼んでチャーター船を出してもらい水納で一泊というのが、私の個人的な目的のほとんどだった。チャーター船というのは宮国さんが通常やっておられることであり、島に宿泊施設(空き家)もあって調理設備や電子レンジまでもあるその施設も貸してくれる(食材のみ自分で持ち込み)ため、決してロビンソン・クルーソーのような無人島生活を送るわけではないので、ある意味で安心なところだ。
行けば聴こえるのは波の音や風のさざめきだけで人工の音は一切無く、原初の地球とはこのようなものだったのではという思いを味わえるそうなので、期待は大きく膨らんでいた。夜はきっと水平線から満天の星空が見えるんだろうと思うと、夜まで楽しみになる。
ただし行くことができる日程の月齢は悪く、満月近くなので、海は干潮で干上がるし、夜はその明るさが災いするなと思ったが、選択肢は他になかった。

 使う旅行会社は昨年からJALツアーズである。かつてはJTB、そしてオリオンが安い時代があったが、今は比較して文句なしにJAL。
旅行会社間の競争によってJALも自らパックツアーを始めたようだが、飛行機の値段が最もウェイトを占めるので、当然、最も安い値段が出せる。安いだけでなくマイルも付くのだ。通常の半分のマイルだが、なにしろ宮古までは2000キロ近くあるので半分でも大きい。そして家族全員がカードを持っているので4人分のマイルが溜まる。昨年の7月に加入して以来、全ての公共料金や携帯の引き落としをJALカードに変え、現金を持っていても出来る限り買い物はカードを使うようにしたら、9月現在、つまり14ヶ月で8万マイル貯まった。JALカードは家族合算ができる。それも年会費の高いゴールドカードではなく、通常カードでこのくらい貯まるのだ。一ヶ月に4人家族が公共料金や食費などで使うお金はけっこうあり、最低でも10数万、例えば16万としたらそれで1600マイルになる。1年で2万マイルになり、それに大きな買い物代、修理代、旅行費用、その他の大きなもの、例えば教習所代などイレギュラーな出費を加えると、すぐその額は倍になる。年に1回、そのカード会社の飛行機を使うマイルが付くツアーを使えば、年ごとのボーナスマイルや旅行で使ったマイルが加算され、JALカードは家族全員のマイルを合算できるので、8万マイルを貯めるのには何の苦労もいらなかった。
石垣・宮古は往復で2万マイル、沖縄本島は1万5千マイルなので、家族4人、タダで往復できる算段だ。何しろ、往復の通常チケットは一人10万弱もかかるので、何もしないでタダ券がもらえるなんて夢のよう。ただし、割り当てが少ないので、人気の沖縄の、さらに夏休みのハイシーズンに希望の日時を取るのは至難の技だそうだが、職場の知人は同じように貯めたマイルで、年に何回も気軽に沖縄に行っていた。この割り当て分は、出発日の近くになっていきなり枠が復活することがしばしばある(売れ残りをあてがうのだろう)そうで、なにしろタダだから、ちょっと週末行ってくるか、という感じで、一泊2日で帰ってくるなんてぜいたくなことをやっている。
まだマイルを使っていないが、来年あたり、ちょっと週末に沖縄へ行ってくるか、いや、長崎に行って軍艦島を見てくるか、なんていう事が出来るなと思うと、なんだかリッチな気持ちになれる。みなさんもマイレージのカードに入って、タダで沖縄へ行きましょう。もう持ってるか...

 前置きが長くなったが、やっと旅行の報告へ入ることにする。事前の準備は他に宮古-多良間の往復の飛行機の予約と、宮国さんへの連絡だ。宮国さんは手馴れた様子で、あとは初日の夜に確認の電話を入れる約束となった。宮古の天気はずっと晴れが続いている。軽く2週間以上は晴れなので、そろそろしっぺ返しが怖いところ。
でも直前になっても晴れ予想が続くので、これはラッキーと安心した。反面、日本列島、特に西日本は豪雨につぐ豪雨で、災害のニュースばかり入ってくる。沖縄が晴れの分、そこを覆う高気圧から、湿った空気を西日本にポンプのように送り込んでいるそうだ。ほくそ笑んだのもつかぬま、やっぱり落とし穴が待っていた...。

2009年8月1日(土)

いつものように羽田7時20分発の直行便に乗る。宮古着は10時20分、着いたらまずレンタカーでどこへ行こうかなと思い巡らしている内に着いてしまった。窓から外をみるとあれ?晴れのはずなのに日差しが弱いな、雲が多いなとすぐに気づく。機外へ出ると雲が切れて強烈な太陽が向かえてくれたが、けっこう風があるのが気になった。風があると外海は波が高くなるのだ。
空港では第1回から第3回までの宮古ツアーで利用したフジレンカターの方が待っていた。3泊4日で1万4千円だから安い。前回はレンタカー付のプランだったため、旅行会社であるオリオンが指定したスカイレンタカーを使うしかなかったのだが、そこは事務所まで行って手続きをしなければならず返却も空港返しはダメ、さらに3泊4日の車両保険代6千円を追加で強制的に徴収され、二度と使う気がなかった。
反面、フジレンタカーは空港のその場で借り、空港返し(鍵を付けたまま、放置しておく)もOKで、やはりここはいい。何かあった時の車両保険は2千円ですがどうします?と聞かれたので、それも快く支払った。その3倍も保険料を取ってサービスも悪いスカイレンタカーとの差は大きい。

 宮古の道は本当に快適だ。石垣は島内にあまりいいスポットがないので離島へ渡るのが日課となり島内を走ることがないのだが、宮古は逆に島内がスポットだらけなのでレンタカーがフル回転となる。もう5回目ともあると道は旧知のものとなり、走るだけでやっとここへ「戻ってきた」という喜びが満ち溢れてくる。
まずは必ず毎回行く平良のA&Wでルートビア(ここで飲むとなぜか美味しい。要はドクターペッパー、チェリーコーラの味)を飲んでから、今回、初めて利用するホテル・サザンコーストへ向かう。今まで宮古で利用したホテルは2ヶ所なのだが、ホテル・アトールエメラルドは、食事をする西里(イリザト)まで歩いて15分くらいかかるし、ホテルの従業員の態度がどこか暗く、いい印象がなかった。次に利用した宮古セントラルホテルは、場所は西里の真っ只中で最高なのだが、ビジネスホテル風なので狭いし、何と言っても朝食のバイキングのメニューが良くない。
宮古では石垣のホテル・ミヤヒラのような好印象のホテルに出会わなかったので、今回はどうかなと思っていたら、パイナガマ・ビーチが目の前で広々しているし、何よりも隣がコンビニだ!沖縄では最もメジャーなココストア(昔はホットスパーと呼ばれていた)で、これはいい。まずは荷物を預けるが、作りが明るいし、従業員の感じもいい。ホテルの外には洗い場があるので、持ってきたシュノーケリングセット(フィンも入っている)とマリンシューズをここで洗えるし、ここは良さそうだ。
そしてまずは前浜へ向かう。ここへ行けばまずは来間大橋を渡らないと気がすまない。一気に渡るが、陽がかげり気味なので海の色はいまいち、翡翠色に輝かない。それでも十分きれいなので来間島へ入り、いつもの展望台(竜宮城展望台ではない、手前の方)で海を眺めることにする。すると対岸の宮古島に遠く1本の風力発電を発見した。風力発電は島の反対側にある西平安名崎がお決まりの場所だったので、変化しつつある島の一端を感じた。

来間島は島内の道路が完備されていないので集落へ入る前まで少しだけ車を進めると、ちょっとオシャレなカフェ風の店がいくつもある。初めてここへ来た6年前には何もなかった場所だ。
島は確かに、おそらく島外の人によって、変化している。石垣のような急速なペースでないにしろ、宮古も着実に観光化が進んでいた。昨年の入域観光者数は八重山の782,749人に比べ宮古は375,440人とダブルスコアで負けているしここ5年の観光客数は伸び悩んでいる。宮古の中心、平良のメインストリートである西里は年々、寂れてきている感がある。
でも来間や池間といったいわば「郊外」には移住者によるこじゃれた店がどんどん出来ていて、移住者は石垣に比べまだ手付かずともいえる宮古の未来に賭けているようだ。


橋を戻り、宮古島東急リゾートへ入る。ここは本当にきれいだし、設備が整っている。ずっと滞在して動かない人も多いそうだが、宿泊料は当然ながらその分高い。私は宿泊料分、他のアクティビティにお金を使いたいので、基本的にそのパンフで最安もしくはその近辺のところを狙う。安い金額で印象がいいところに出会えればこれ以上のことはない。
ホテルの外の受付でビジターと名乗ってバナナボートを申し込み、子供は海へと向かう。浜辺でそれを眺めていると、ちょうど雲が切れ、白砂の浜からの照り返しで眩しくて目をすぼめないといられなくなったので、空いているパラソルの値段はいくらと聞いたら2500円でチェアは別料金だという。まったく宮古島でこの法外な料金、宮古島東急リゾートの印象が一気に悪くなった。風があるのでパラセーリングは中止だというので、こんなところに長いは無用と、すぐに撤収して吉野海岸へと向かう。
500円也の駐車料金を払って海岸まで送迎してもらうのだが、なにしろ吉野海岸は信じられないほどの急坂と僅かな駐車スペースしかなかったので、下に自由に止められた時は大混乱した苦い思い出があり、500円で送迎してもらえるほうがずっと便利だ。浜辺ではパラソルの下に机とチェアが4つセットされていて、レンタル代はたったの1000円である。景観は確かに俗化したが、吉野海岸はウカバのような他の人に知ってほしくないような場所とは違い有名なスポットであり、人は常にけっこう来ているので、日差しを遮るものがなかった以前より今の方が便利である。
海へ入ると色とりどりの熱帯魚が迎えてくれる。ここは本当に魚が多い。海岸でこれだけの魚が見られる場所は、宮古だけでなく八重山を含めても他にどこにもない。おそらく日本一だろう。それも浜辺から10数メートルのところにこれだけ珊瑚が群落しているからだ。残念ながら大半は死んでいるが、アオサンゴがけっこう復活してきている。ただし人が多いので、その大事な大事なアオサンゴが折れているところも見かけ心が痛む。干潮になると頭を出す珊瑚の上を歩いて渡るバカな奴らがいるが、海辺の業者の人たちは、是非、こういう連中を注意してもらいたいものだ。




 吉野海岸を堪能し、ホテルへ戻る。西里へはアトール・エメラルドよりもさらに遠いので、元々タクシーを使う予定だった。タクシーはホテルの前に待っているのですぐに乗れる。沖縄のタクシーは初乗りが430円と安いので、西里へ着いてもたったの490円!歩かなくていいので逆に便利だ。下の子のお気に入りの「なみ吉」で食べ、目の前のサーティーワンでアイスを食べて帰るのだが、その間に近くのホテルニュー丸勝というところの洗濯機と乾燥機(ここは台数があるので一杯で使えないということがない)を使って洗濯を終わらせてしまうのが宮古でずっと続く「定番」。ところがここで大失態、携帯をスボンのポケットから出さずに洗濯して携帯は一瞬でパー、実はその前の吉野海岸では何故か腕時計を外さず泳いでしまって腕時計もダメにしていた。どちらも大損害である。何かついていない、その予感はどんどん現実のものになっていく。
夜に宮国さんに電話すると、フィリピン沖で熱帯低気圧が発生したので海の送迎が難しいという。もう一度、明日の朝に電話をください、その時にもう一度判断しますとの事だったが、嫌な予感が的中してしまった。ホテルへ戻ってから、窓から何度も外の景色を眺めたが、木々はゆらめいていて、風は吹いたまま。星空で天気はいいのに、と残念さがつのる。後は一縷の望みをかけて明日の吉報を待つのみ。


2009年8月2日(日)


 明るくなった窓から空を眺めると青空が広がり今日は昨日より天気が良さそうだ。でも風は相変わらず強い。ただ、この風がなければ、蒸し暑さですぐにばててしまうだろう。そんな異常な湿気が宮古をずっと覆っていた。
この宮古旅行を通して宮古の湿気はおそらく100%近くあり、その猛烈な湿気で車の乗り降り、コンビニやホテルの出入りの際にはほぼ確実にメガネが真っ白に曇ってしまうのだ。こんなことは初めてだ。この熱く湿った空気が西日本にどんどん流れ込んでいるのだから、西日本は災難である。
ホテルの朝食はバイキングだが、メニューはかなり豊富で内容は十分。バイキングの内容にうるさい二男も満足していた。ロビーには誰でも使えるインターネットパソコンが2台あるので、随時、天気情報がつかめる。このホテル・サザンコーストは、一気に宮古島で最も気に入ったホテルにランクアップしていた。
朝食後は緊張の宮国さんへの電話だ。そして宮国さんから「やはりダメですねー。海がうねっているので船が出せません。残念ですが。」と最後通告を受ける。ジ・エンド。昨年の八重山ツアーが終わってから1年間、ずっと楽しみにしていた企画が直前にダメになってしまった。子供は二人とも大学生で上は3年、来年は八重山の番なので就職したらもう一緒に宮古へは行けないかもしれない。いつまでも続くわけのない家族旅行、それは当然分かっているのだが、水納というこの究極の離島体験は共有したかった。フィナーレを飾るにはふさわしかったのに...と、後悔が頭を巡る。そして水納へ行けば、宮古諸島、八重山諸島の有人離島18島を全制覇できた。でも仕方ない。これが現実である。
さっそく頭を切りかえ、まずは今日、多良間へ渡るはずだったので電話でそのチケットを変更し、翌日に変えてもらった。この自在な変更が、定額で買うチケットの強みだ。多良間からの帰りのチケットはそのまま、これで明日はいつものように多良間の日帰りとなったのである。
子供たちが行きたいところはシュノーケリング三昧ができる吉野海岸なのだが、さすがに丸一日は退屈するので、まずは池間島へと向かった。天気がいいので池間大橋から見える海がきれいだ。360度が翡翠色に輝き、この景色は神様からの贈り物というよりない。どんな絵描きが想像したとしてもこんな美しい海は描けないだろう。池間島は道路が整っているのでとりあえず一周するが見所はなにもなく、池間島のたもとのパーキングに車を止めた。
まずは海へ降りてみるが、暑いばかりで早々に切り上げ、いつもの休憩所へ入った。そこでソーキソバなどの昼食とサザエなどを注文し、2階のテラスで昼食をとる。2階は屋根があるので日差しは無いし、海からは心地よい風が常に吹きつけてくる。池間大橋を見下ろしながらその先に目をやると、西平安名崎の風力発電が3基戻っているではないか!かつては4基あったこの風力発電、6年前の台風で3基が倒壊、1基も羽が折れ、無残な状態をかつて目にしていた私にとってこれは嬉しい発見だった。さらにその先、宮古島の島影が切れるその先には、伊良部島まで延びる大プロジェクト、伊良部大橋の橋梁が途中まで伸びているのがうっすらと見えた。完成する2012年にはどんな景色が見られるのだろう。そして逆の方向に目をやると、一昨年に訪れた、大神島の美しいフォルムが心を揺さぶる。高さはないが、富士山のようなきれいな稜線を持つ島なので、何度見ても飽きることがない。





今回は店のその上の屋上部分まで上がってみたが、高さが増す分、さらに遠くまで見渡すことができた。しまったと一度撮った写真をさらに撮りなおし、その後、吉野海岸へと向かった。
その道すがら、面白いものを発見する。衆院選が公示されているので選挙ポスターが至る所にあるのだが、その中に「チョービン」というカタカナの名前の人が小沢一郎と並んで写っている。民主党の候補者のようだが、それにしてもチョービンとはどんな人?沖縄にはヤマト(本土)から見ると変わった名字が多い(例えばDA PAMPのissaの名字は「ヘントナ」)のだが、「チョービン」というのは聞いたことがない。民主圧勝の選挙結果だったのでこの「チョービン」さんもめでたく当選、そこで本名が書かれていたのだが「瑞慶覧長敏(ズケランチョウビン)」さんというお名前なのだそうだ。チョービンは名前なのでイチローと同じか、ズケランに馴染みがないからチョービンにしたのかな、でもどっちをとっても凄い名前である。それにしてもチョービンさん、おめでとうございます。


そうこうしているうちに吉野海岸に到着、もっとも干潮である正午を避け、2時頃着くようにしたのは正解だ。泳ぎが下手な私でも、シュノーケルがあれば呼吸が確保できるし、フィンがあれば推進力があるし、かなり自由に泳いでいける。これは楽しい。様々な熱帯魚に囲まれながら、ここは海水魚や珊瑚を家で飼育するまでになった我々にとっては楽園だなと、実感した。ただひとつ大問題が発生、メガネを砂の中にポトッと落としただけなのにレンズに傷が付いてしまったのだ。メガネの汚れが嫌いな私にとってこれは致命傷、腕時計、携帯に続きメガネまで作らなければいけないことになってしまった。本当に大出費...。


2009年8月3日(月)

 今日は多良間である。いつもの39人乗りの小さなプロペラ機で20分程度のフライトなのだが、やはりレシプロ機だと、離陸の時のプロペラ音が高回転になるところが心地よく、短いフライトでも楽しみがある。






多良間は今回で4回連続になるのだが、過去3回は島内の有償バス(ワゴン車)を運転する羽地さんという人にレンタカーを頼んでいた。自分の車を貸してくれていたようだが、一昨年は予約をすっかり忘れられていた上に、自分のバスに我々を乗せ、別のレンタカー会社まで島民を降ろしながらゆっくりと連れて行かれて、さらに降り際に家族4人分のバス代まで取るという許しがたい態度だったので、二度と羽地さんには頼まないと決めていた。
前日に西筋レンタカーという会社(といっても他の会社も含め個人経営で車は1台か2台)に電話を入れていたため、すぐに借りることができた。行きは会社まで行ったが、帰りは空港返しでOKだという
。干潮が近いのですぐにウカバへ足を運ぶ。ここは何の標識もないのだが、私の弟がウカバをこのHPで紹介した時に書いた「沖縄電力の風力発電を過ぎてすぐの自動販売機が目印」の文章がまさに正解で、一発でたどり着いた。あいにく大きな雲が頭上にきてパラパラと雨を降らしていったが、すぐに雲は通り過ぎ、陽光が注ぎだす。ただし今日の多良間は曇りに近く、滞在した6時間のうち5時間は陽が射さなかった。ほどなく干潮になったのでウカバは巨大な浅瀬になり、そうなると下地が見えてしまうので景観は悪くなってしまい残念だったが、こうなればどんどん沖まで行ってみようと、ひたすら沖へと歩き出した。海岸に残った妻の姿は見えないようになり、後ろの大きな風力発電さえもよく見えないほど小さくなった所に海水が残っていた。といっても深さは1mくらいだが、そこには魚がいる。海岸からは600mは離れているだろう。しかしさらにリーフ際までは200mくらいあり、ウカバのリーフの広さを痛感させられる。



浜辺に戻って、空港で買った大好物の伊良部の「うずまきパン」(うず上のパンの間にたっぷりのザラメの砂糖が入ったバタークリームがはさまったパン。伊良部島のものはクリームもザラメも多く入っていて、食べるとジャリジャリ言う。これはハマる。超美味しい)をほおばりながら、水平線を眺めるとその先には水納島の島影が。こんなに近いのに...と思うが、リーフ外は荒れているのだろう。
観光客がほとんど来ない多良間では、聞こえてくるのは自然の音だけになるのだが、今日は「ゴー」という遠い潮騒がずっと聞こえていた。これはリーフに波が当たった時の音なのだが、リーフが遠いので「ザー」という音にならないのだ。よく聞こえるということは波が荒いという証拠、やはり熱帯低気圧は近づいているようだ。それにしてもこの音、どこかで聞いたことがあると考えていたが、そうだ、ボラボラ島で滞在中、ずっと聞いていたあの音だということを思い出した。新婚旅行で行ったのでもう23年も前のことだが、ボラボラの海はリーフがこのウカバのように遠く水平線の方にあったため、浜辺から見ると見渡す限り翡翠色の海となり、だからあんなに美しかったのだ。そう分かるとこの音はなんだかとても懐かしく、つかぬまのタイムトリップに誘ってくれた。


2009年8月4日(火)


熱帯低気圧は台風8号になり、2日後には宮古島へ到達するという。まだ晴れが続き、フライトにも影響がなかったということは、逆に運が良かったのかもしれない。事実、この台風は大暴れをして宮古のあとは石垣へ向かって長時間の停電を引き起こし、そして台湾に上陸して大災害を与えたことを覚えていらっしゃる方も多いと思う。なにしろ宮古のこの異常な湿度、台風はどんどん水分を吸収して巨大化し、雨台風となって豪雨を降らせた。台湾では山ひとつがなくなって土石流で村を消し去ってしまったほどのパワーになってしまった。2日あとなら島から脱出できなかったのでラッキーだった。水納へ行けないどころじゃない。
まずは正午近辺の干潮を避けるため、朝一で吉野海岸へ向かう。3回目の吉野だが、ここの魚影の濃さは訪れた人を飽きさせない。この美しい翡翠色の海と碧い空、濃い緑と鮮やかな花、そして吹きつける心地いい風を焼き付けておくように心に感じながら、次回も無事来られますようにと、小さな願いを海の底に置いていった。浜辺へ戻る際、足がチクリと痛い。するとビリビリ痺れてくる。「やばい!何かにやられた!」と足をひきずるように浜辺へ戻り、他に聞く人がいないので売店のお兄さんに何かに刺された足を見せると「あー珊瑚負けですね。これ、かけとけば大丈夫ですよ」と何やらスプレーに入ったものをシュッとひとかけ。足には二つ並んだ刺したあとがある。ヒョウモンダコとか悪いものじゃなさそうでほっとするがそれにしても痛い。
実はこの日から一ヶ月以上経った、この文章を書いている今でもまだ少し痛いのだ。なにやら毒素は十分にあったみたい。干潮の昼は、2日目に行った池間大橋を渡ったところの2階の展望台で昼食だ。そこから見ると、宮古島に大きな雨雲がかかっていて、奥の方は確実に雨が降っていることが分かる。池間の方は快晴で、こっちへ来て正解だった。そして、風力発電の立つ西平安名崎へ行ってみる。すると以前はなかった展望台が出来ていて、そこから見る池間大橋の全景と、目の前に並ぶ3本の風力発電の景観は最高!今回の旅行の絵的なハイライトだった。


あまりの素晴らしさにその展望台に20分ほどいてデジカメ、ビデオ、そして携帯の写真と順番に撮りまくってしまったが、その間に誰もやってこない。このプライベート感も堪らない。観光地として有名な東平安名先と違い、こちらはガイドに書かれていないから知られていないのだが、このままナイショにして知る人ぞ知るの隠れスポットとしておこう。


西平安名崎で池間大橋をバックに1枚

池間大橋を戻って、宮古島に入って右に曲がって3分ほどで着いてしまうから行くのは簡単だ。まだ行ったことのない人は是非。ラストはもう一度、前浜に戻ってバナナボートに乗るが(子供たちのみ)、前浜の上にも大きな雲が横切っていき、台風が近いことをうかがわせた。


西平安名崎に何故か「世田谷まで1900km」の看板が


帰りはいつもの19時20分発の羽田行きの直行便だ。夕食は子供たちがお気に入りの西里にあるレオンという喫茶店のステーキ定食を食べる。実はこの滞在期間、2回目である。ステーキ、ライス、スープとサラダで1200円、味がいいし、これはお得である。ただし以前は1000円だった。2年前は1100円だったかな。少しずつ値上げしているようだ。

宮古空港では、空港でしか売っていない伊良部島のうずまきパンを数個、おみやげにプラスしておく。銀座のわしたショップに入ってこないので、2年に一度しか食べられない。以前、わしたショップでは、宮古島の違う会社のうずまきパンを売っていたが、クリームと砂糖が控えめで、ジャリジャリいわないのでこんなものはうずまきパンじゃない!と却下だった。それ以来、わしたにうずまきパンを置いていないが、うずまきパンのファンは伊良部でないと満足できないのだ。そこがわしたの人間には分かっていない。ジーマミー豆腐だって美味しいのはタレが甘い八重山タイプのものなのに、沖縄本島からのしょっぱめのタレが付いたものばかり売っている。だから私は黒蜜で割って八重山風に変えている。この涙ぐましい努力がわしたの人間には分からないかな。

余談になるがただしあまりジーマミー豆腐は食べないという宮古だが、今回、ホテルの隣のココストアでは100円(安い!わしたじゃ3倍近くする)でジーマミー豆腐が売っていたが、これは八重山風でとても美味しかった。これもオススメである。

 晴れが続いたこと、台風を避けられたことはラッキー、目標の水納に行けなかったこと、腕時計・携帯・メガネを買い換えるハメになったことはアンラッキーで、何やら複雑な気分の宮古ツアーだった。でもこうやってみんな無事で、満足もしてくれたようだから、それだけで十分か。
1年に一度の宮古・八重山は我が家(私?)の最大イベントであり、1年かけて費用を貯め、日程を細かく決め、事前の調査と手配も完璧でまさにツアーデスクなのである。だから終わるとほっとしてしまう。いかん、いかん、これだとリフレッシュと言えなくなってしまう。水納島が残ったことは、また目標が出来たので、やる気が俄然増してきた。いかんなー、ちっとも自然体になれないなー。性分だから仕方がないか。(ちなみにO型です)

 





















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