2021年9月4日土曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(アグネス・チャン)

-初めて日本での成功を収めた香港スター、アグネス・チャン-
 
 今1970年代アイドルが熱い、それに合わせたかのように、NHKが当時のビッグ・アイドルたちの映像「山口百恵引退コンサート」「キャンディーズ解散コンサート」を放映しているほどだ。
 もちろん復刻版のリリースもこれまではボックス仕様という限られたファン向けが多かったが、ここ最近は単品作品のリリースもラッシュ状態だ。そんな中、これまで出そうで出ていなかったアグネス・チャンの単品リリースも2021年になってやっとスタートしている。

 そんなアグネスは香港生まれで、デビューは1971年にオムニバス・アルバム『Second Folk Album』に収録された<Circle Game>。ただし、これはソロではなく、姉のアイリーンとデュエットだった。とはいえ、この曲でフォーク・シンガーとして注目を浴びる存在になっている。

 
 その後、ソロとしては同年に香港の「Life」レコードから『Will the circle game be unbroken』でソロ・デビュー、翌年には早くもセカンド『ORIGINAL(1)(A New Beginning)』をリリースした。なおここには日本のデビュー作にも収録された<You Are 21,I Am 16>のオリジナルが収録されている。 
 
 さらにこの年には、香港映画に女優デビューを果たし、その人気は東南アジアにも広がっている。その人気のバロメーターは、本国で自身のテレビ番組『Agnes Chan Show』を持っていたことでもはかり知れる。そんな彼女が日本に向かうきっかけになったのが、この番組で知り合った作曲家平尾昌晃氏のアプローチによるものだった。 
 
 そのラヴ・コールに答え、彼女は1972年17歳の秋に来日。11月25日には<ひなげしの花>で日本デビューを飾っている。この曲は今でもカラオケで必ず登場するアグネス・チャン・ソングは欠かせない鉄板ソングだ。それは両手でマイクを握りしめ「O、kka No Ue, Hii~Na-Ge-Shi-No, Haahnadee~」と片言交じりのたどたどしい日本語で披露しないと完ぺきとは言えない。 
 そんな彼女、当初は香港のイメージを残すロング・ドレス衣装だったが、人気が爆発するのは日本のアイドルに習いミニ・スカート姿で歌うようになってからのようだ。また慣れない日本語を一生懸命話す幼児風言葉使いの愛らしさも人気を後押しした
 この曲はベスト5ヒットとなり、続く<妖精の歌>も5位、そして指で空をなぞる振付の愛らしいサード・シングル<草原の輝き>は2位、さらに10月25日リリースの4枚目のシングル<小さな恋の物語>はアグネス唯一のオリコン1位獲得(58万枚)と最大ヒットとなった。なおこの1位獲得には、当時の人気漫画「チッチとサリー/小さな恋のものがたり」と同タイトルだった事での相乗効果もあったようにも感じる。
 
 このデビュー1年目に発売したシングルは年間セールス・トップ50位以内に3曲(17位 草原の輝き、28位 ひなげしの花、36位 妖精の歌)もランクされるほど彼女の人気は絶大だった。 また彼女はこの1年間にアルバムも4作(1枚はライヴ盤)リリースしているが、全てベスト10入りしていることにも驚かされる。この年<草原の輝き>でレコード大賞新人賞に選出され、日本での人気を完全に不動のものとした。
 そんなアグネスだったが、来日直後は日本の常識に戸惑うこともあったという。それは写真撮影で日比谷公園に行った際のことで、日本では「平和の象徴」とされる鳩の群れを見て、「なんて美味しそう!」と思った。それは香港で鳩は食材であり、そんな鳩に公共の場でえさを与える姿が不思議に見えたそうだ。


 このように日本で大ブレイクしていたこの年にも、台湾でサード『WITH LOVE FROM AGNES』をリリースしており、本国での活動も継続している。補足になるが、香港の「Life」では1975年にも第4作『Agnes Loving Song』をリリースしている。なおこれらの音源は、1990年代に『The Agnes Chan Best Vol.1』 『~Vol.2』の2枚にCD化されており、日本でも1992年に「新星堂」を通じ直輸入盤として発売されている。

-強者ミュージシャンがサポートしていた日本での音楽活動- 

 話は日本での活動に戻すが、アグネスはミュージシャンとしても大きな成果を残しており、その充実期はキャラメル・ママが参加した第5作アルバム『アグネスの小さな日記』(1974年)以降になる。これはサード・アルバムまでが人気に便乗したシングル・ヒットとカヴァーを収録したものだったので言わずもがなところだろう。

 
 その第5作では軽快なポップ・ソング<TWINKY>や、松本隆の専業作詞家デビュー作<ポケットいっぱいの秘密>など好ナンバー揃いだった。後者は1973年に全米1位となったカーペンターズのリアレンジ版<Top Of The World>(原曲は第4作『A Song For You』収録)をお手本にしたニュー・アレンジで(Arr.東海林修、キャラメル・ママ)シングル・カットされている。
 ちなみにそのアルバム・ヴァージョンはキャラメル・ママ単独アレンジによるもので、ディッキー・ベッツ主導期のオールマン・ブラザース・バンド風だった。尚、この曲はキャラメル・ママが名称変更したティン・パン・アレイ時代のセカンド『TIN PAN ALLEY 2』にも収録(ヴォーカルはManna)されているので、聴き比べてみると面白い。 


 その他の注目作としては、セカンド・ライヴ発表後の1976年にリリースされた日本8作目『美美(MeiMei)』だろう。ここでは鈴木慶一とムーンライダース(以下、ライダース)やラストショウ、ブレッド&バターの岩沢二弓などそうそうたる面々がサポートしている。
 この仕上がりは、同時期に発表されたライダースの『火の玉ボーイ』をポップに解釈したように感じるのは私だけだろうか。 

 なおアグネスにはライヴ・アルバムが3作品あるが、選曲&アレンジ&サポート・メンバー(ファースト・ライブ除く)共に注目ポイントが多い。当時No.1プロダクション「ナベプロ(渡辺プロダクション)」のなかでこれだけ独自な世界観を出せたのは、当時のアグネス人気が絶大だった事は勿論のこと、彼女自身が母国香港ではシンガー・ソングライターとして活動をしていた事も大きいだろう。 
 そして前出した様に、来日後のブレーンにはユーミンを支えたキャラメル・ママや、当時やまがたすみこなどもバックアップ(76年10月発表『SUMIKOLIVE』参加)していたライダース、シュガー・ベイブ時代の山下達郎、泉谷しげるのサポート・バンドだったラストショウ(74年『黄金狂時代』参加)など強者達のサポートを得ていた事も影響しているといえるだろう。 

 そんな彼女の人気は今も衰え知らずで、全盛期からのファンクラブが今も継続しており、現在正規会員が4,000名ほどいるという。 
 余談ながら、アグネスは1974年に上智大学国際学科に入学しているが、当時彼女を一目見ようと上智大学のある四ツ谷駅周辺が騒然となったと聞く。またそんなアグネス人気は、翌1975年になると元々女性には東大並」と称されるほど高かった上智大学の受験偏差値を、男性の難易度もアップさせ、早慶と並ぶ都内超難関大学に押し上げた。 

 なお、アグネスは1998年に初代「日本ユニセフ協会大使」に就任、2016年には「ユニセフ・アジア親善大使」を務める等、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕活動に身を投じている。 近年では「ピンク・リボン運動」への参加、香港浸会大学の客員教授として教育現場でも活動を広げている。また2017年に発表した著書「スタンフォード大学に三人の息子を合格させた50の教育法」が大ベストセラーとなり、作家としての地位も高め、マルチな活動を展開している。 



 『FLOWER CONCERT』1973年11月10日 Warner-Pionner / L-5049-50   (CD Bridge /BRIDGE322 ) 国内チャート 4位 / 12.3万枚 

 ①Circle Game(バフィ・セント=メリー: 1970)、②幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree)(トニー・オーランド&ドーン:1973)、③遠い遠いあの野原(森山良子:1972)、④心の旅(チューリップ:1973)、⑤学生街の喫茶店(ガロ:1972)、⑥白い色は恋人の色(ベッツィ&クリス:1969)、⑦オリジナルⅠ、⑧You are 21, I am 16、⑨悲しき天使(Those Were The Days)(メリー・ホプキン:1968)、⑩二人の牧場、⑪初恋、⑫山鳩、⑬Yesterday Once More(カーペンターズ:1973)、⑭若葉の頃(First Of May)(ビージーズ:1969)」、⑮Foggy Foggy Dew、⑯赤とんぼ、⑰ゆき、⑱七つの子、⑲ママに捧げる詩(Mother Of Mine)(Neil Reed:1971)」、⑳ひなげしの花、21.妖精の詩、22.草原の輝き、23.小さな恋の物語、24.Without You (バッドフィンガー:1970/ ニルソン:1971)、25.「Bye Bye Love(エヴァリー・ブラザース:1958 / サイモンとガーファンクル:1970)  

 彼女のファースト・ライブ・アルバムは1973年9月15日に行われた東京・草月会館での模様を収録したもので、自身最大ヒット曲<小さな恋の物語>リリース直後に発表されている。バックを務める演奏陣は、スタジオ・レコーディング同様のワーナー・ポップ・オーケストラ。
 アルバムは彼女の香港でのデビュー曲オーケストラ・ヴァージョンで始まる。ここに収録されたナンバーはファースト~サード・アルバム収録曲を中心に童謡の⑯⑰⑱から、和物ロック・フォークの③④⑤⑥、そしてポップス名曲②⑨⑬23. といったバラエティに富んだ内容となっている。
 ヒット曲以外での聴きどころは、<ひなげしの花>を連想させる<小さな恋の物語>のB面に収録された⑩(森田公一作)、当時彼女自身のフェイヴァリッツ・ソングだったという⑤、声質がオリジナルに近い⑨などだ。 そして彼女のアーティスティックな側面を覗かせる弾き語りの(アグネス)自作曲⑦や⑧(サード・アルバム『草原の輝き』収録)も聴き逃せない。尚、この自作曲がライヴで聴けるのはこのアルバムだけだ。 
 特筆すべきは、このアルバムはこの年4枚目に発売したアルバムながら、この時点までの彼女のヒット曲全てが収録されていることもあって、自身のキャリア中最大セールスを記録している。

 参考1:カヴァー収録曲について
①Circle Game
 1970年に公開された映画『いちご白書(The Strawberry Statement)』主題歌で、ヒットさせたのはバフィ・セント=メリー。オリジナルはジョニ・ミッチェルの1970年サード・アルバム『Ladies Of The Canyon』に収録。 

②Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree 
 <Knock Three Times(邦題:ノックは3回)>などのヒットで知られるトニー・オーランドとドーンが73年に放った全米No.1ヒット(年間1位)で、彼らの最大ヒットでもある。本国において当時のライヴで1ステージに3~4回も披露させられるほどだった。一時期ギルバート・オサリバン<Alone Again(Naturaly)>の盗作疑惑も取り沙汰されたが、詞の内容の素晴らしさに自然消滅している。 日本では山田洋二監督がこの曲にインスパイアされた『幸せの黄色いハンカチ』(1977年)でよく知られている。 

③遠い遠いあの野原
  ″フォークの女王″森山良子が<禁じられた恋>(1969年)以降歌謡曲路線にシフトしていた彼女が、従来の「フォーク・シンガー回帰」と話題になった1972年の作品。作曲は加藤和彦、彼女の完全復活は1975年紅白に出場したの<歌ってよ夕陽の歌を>と言われるが、個人的にはこちらに軍配を挙げたい。 

④心の旅
 チューリップの名前を一躍メジャーにしたサード・シングル。彼ら初の1位獲得曲で代表曲でもある。 

⑤学生街の喫茶店
 ガロのサード・シングルで1位にも輝いた彼らの代表曲。当初この曲は村井邦彦が書いた<美しすぎて>のB面曲だったが、発売後に有線を中心に人気が高まりAB面が入れ替わり大ヒットとなった。77万枚を売上げ、1973年々間3位にランクされている。 

⑥白い色は恋人の色 
 米国人フォーク・デュオ、ベッツィ&クリスのデビュー曲、フォークル以来の黄金コンビ加藤和彦=北山修の作で、2位止まりだったが50万枚を超える大ヒットとなった。 

⑨Those Were The Days 
 ビートルズが設立したアップルのシンデレラ・ガール、メリー・ホプキンの世界的大ヒット・ナンバー。ヴィッキーやポール・モーリア・グランド・オーケストラなど世界的な大競作となり、日本では森山良子が歌っている。 1969年1月27日に当時絶大な人気を誇っていたピンキーとキラーズを押しのけて1位に輝いている。 

⑬Yesterday Once More 
 1973年日本で大ベスト・セラーとなった『Now&Then』(51.4万枚)からのセカンド・シングルで、彼らの日本における代表曲(59.2万枚)。ちなみにこの年日本でのカーペンターズは<Sing><Top Of The World>も大ヒットさせており、まさにこの年日本でのポップス人気の顔だった。ちなみにアグネス自身も彼らの大ファンで1990年にはカーペンターズ・カバー・アルバムをリリースしている。 

⑭First Of May 
 ビージーズが1969年に発表した傑作『Odessa』からのファースト・シングル、全米37位, 全英6位を記録。 更に日本では1996年に同名ドラマの主題歌となり、リバイバル・ヒットしている。 

⑮Foggy Foggy Dew 
 アイルランド民謡のトラッド・ソング 

⑲Mother Of Mine 
 当時、日本語版も発売になるほど人気を博した英国の少年シンガーソングライター、ニール・リードの自作ヒット曲。 

㉓Without You 
 初ヒットさせたのはニルソン、彼はこの曲を「ビートルズ・ソング」と思ってカヴァーしたという。近年ではマライア・キャリーの歌でも有名なスタンダード・ナンバー。オリジナルはアップルに所属したバッドフィンガーのセカンド・アルバム『No Dice』に収録曲。 日本ではリンゴ・スターが主演して話題となった『マジック・クリスチャン』の挿入歌<Carry On Till Tomorrow(邦題:明日の風)>とカップリングで独自シングルが発売されている。 

㉔ Bye Bye Love 
 オリジナルはビートルズも憧れの存在だったエヴァリー・ブラザースのヒット曲。サイモンとガーファンクルの第6作で代表作でもある『〈Bridge Over Troubled Water(邦題:明日に架ける橋)〉』(1970年)にライヴで収録。日本では独自にシングル・カットされてヒットした経緯もあり、エヴァリー盤よりもこのヴァージョンが有名。 



『ファミリー・コンサート』1975年11月10日 Warner-Pionner / L-10006W 
 (CD Bridge /BRIDGE323 ) 国内チャート 16位 / 2.8万枚        

①Let Me Be There(オリビア・ニュートン・ジョン(以下、オリビア):1974)、②ラブ・サムバディ(To Love Somebody)(ビージーズ:1967)、③トゥンキー、④Today(The New Christy Minstrels:1964)、⑤追伸(グレープ:1974)、⑥しあわせの扉(Knock Knock Who’s There)(メリ-・ホプキン:1970)、⑦Good Bye Yellow Brick Road(エルトン・ジョン:1973)、⑧まごころ、⑨雨模様、⑩小さな恋の物語、⑪愛の迷い子、⑫恋人たちの午後、⑬Bye Bye Love、⑭はだしの冒険(※…スタジオ録音) 

 アグネス2枚目のライヴ・アルバムは、彼女の声質にフィットしたマイナー調のヒット曲⑪(年間19位)や⑫が発表された時期にリリースされている。 演奏はレコード・デビュー前のライダースで、当時のメンバーにはKeyに矢野誠、Gt.は椎名和夫(後に山下達郎Band)も在籍していた。またPerc.とChorusで元ワイルド・ワンズの:植田芳暁も参加。このライヴでのコーラスを聴いていると、まるでライダースのアルバム収録曲に聞こえるのは私だけだろうか? 
 余談ながらこの当時の各ステージの前座(?)では『火の玉ボーイ』(1976.1.25.発表)に収録される<酔いどれダンス・ミュージック>も演奏されていたと聞くが、アグネス・ファンにはどれほど受け入れられていたのか気になるところだ。
  オープニングはオリビアの①、注目すべきは日本においてのオリビア人気は75年5月発売の<Have You Never Been Mellow(邦題:そよ風の誘惑)>以降で、当時日本ではまだブレイクしていない彼女の曲をチョイスしたセンスに注目したい。またこのカントリー調の雰囲気はアグネスとの相性は抜群だ。尚、アグネスはこの年にリリースした第6作『はじめまして青春』で<そよ風~>をカヴァーしている。 
 続いてビージーズ67年のヒット②、この曲は日本よりも海外人気の高い曲だが、彼女自身かなりお気に入りのようだ。そして一般には<Green, Green>(63年)で知られる ニュー・クリスティ・ミステルズのヒット③(メンバーのランディー・スパークス作)。
 更に⑥は彼女自身がフェイバリッツと宣言して披露しているだけあって、和んだ良い雰囲気が伝わってくる。サイモンとガーファンクル風仕上がりのエンディング⑬はライダースのコーラスが冴え渡り、締めにふさわしい演奏を聴かせてくれる。 
 尚、アルバム収録曲からは第5作『アグネスの小さな日記』収録の③がうれしいところ、ただスタジオ版によりも少々緩くライダース風だ。さらにライダースらしい演奏が聴きものの⑨は、彼らのアルバムに収録されていても違和感のない仕上がりだ。 

参考1:カヴァー収録曲について 
①Let Me Be There 
 1974年全米チャート最高位6位ながら、年間27位にランクされたオリビアの米国での代表的ヒット曲。

②To Love Somebody 
 オーストラリアを活動拠点にしていたビージーズが全米進出した1967年にリリースしたセカンド・シングル。全米17位, 全英41位を記録している。 

③Today 
 <Eve of Destruction(邦題:明日なき世界>1965のヒットを持つバリー・マグワイヤーが在籍したザ・ニュー・クリスティ・ミンストレルズ63年のヒット曲。 

⑤追伸 
 グレープのサード・シングル。ブレイクした<精霊流し>よりも初期オフコース風のセンチメンタルな雰囲気が漂うヒット・ソング。 

⑥Knock Knock Who’s There 
 1970年に発表されたメリー・ホプキンのアップルでの4枚目シングル。作者はファースト・クラスの<Beach Baby>などで知られるヒット・メーカー、ジョン・カーター。尚この曲はユーロビジョン・ソング・コンテスト2位入賞曲でもあった。 

⑦Good Bye Yellow Brick Road 
 エルトン・ジョンの全盛期1973年にリリースした初の2枚組第7作アルバムのタイトル曲。このアルバム・リリース直後には彼の2回目の来日公演があった。 



 『また逢う日まで』1976年9月10日 Warner-Pionner / L-5515-6 
 (CD Bridge /BRIDGE324 ) 国内チャート 2位 / 6.1万枚 

 ①ひなげしの花~妖精の詩、②山鳩、③ほほえみ、④まごころ、⑤美美、⑥男の人わからない、⑦アップルパイのラブレター⑧Look What You’ve Done(ブレッド:1970)、⑨Melody Fair (ビージーズ:1969)、⑩Ben(マイケル・ジャクソン:1972)、⑪緑の風のアニー(Anni's Song)(ジョン・デンバー:1974)、⑫海岸通り(風:1975)、⑬Circle Game(バフィー・セント・メリー: 1970)、⑭若葉の頃(First Of May)(ビージーズ:1969)、⑮美しい朝がきます、⑯小さな恋の物語、⑰草原の輝き、⑱はだしの冒険、⑲白いくつ下は似合わない、⑳愛の迷い子、㉑夢をください、㉒恋人たちの午後、㉓恋のシーソーゲーム、㉔ポケットいっぱいの秘密、㉕歌のある限り(Keep On Singing)(ヘレン・レディ:1973)、㉖Without You(バッドフィンガー:1970/ ニルソン:1971)、(Encor)㉗星に願いを、㉘ポケットいっぱいの秘密、㉙思い出して下さい 

 このアルバムはアグネスがカナダ・トロント大学へ留学するため6月に祖国・香港で引退の決意表明をした後に来日して、8月に東京・名古屋・大阪の三大都市で開催された『さよならコンサート』を収録したものだ。
 当時は人気も音楽的にも安定期で彼女のヒット・ナンバーはデビューからこの時点までほぼ網羅されたベスト・アルバム的な内容になっており、ランキングが彼女のアルバム中最高位となる2位を記録したのも頷けるところだ。
 ここでのバックはカントリー系バンド、ホット・ケーキと前作ライヴ・アルバムに続きGt.&Chorusで植田芳暁、それにブラス・セクションが加わっている。収録曲は1/4がオリジナル・アルバムから(内1曲はアグネスの自作)・カヴァー1/4・ヒット曲1/2と万遍なく取り上げられ、納得の内容に仕上がっている。
 中でも洋楽カヴァーは33曲中8曲、この中で特に注目すべきはブレッドの⑧。彼らが日本で注目されるのは1971年の<If>(3rd『Manna』収録)以降で、とかくデビット・ゲイツ作品に傾倒している。アグネスがあえてゲイツ以外の書いた曲をチョイスしているのはかなり興味深い。 
 なお⑬は香港でのデビュー曲だが個人的な好みで言わせていただくならば、香港でのオリジナル・ヒットである弾き語りテイクを聴かせてほしかった。余談になるが2014年BS番組『コロッケ千一夜』で、この曲をアグネスがGt.弾き語りで披露していたが、透明感触れる彼女の声は今も健在で思わず聴き惚れてしまった。 
 またオリジナル曲では第6作『あなたとわたしのコンサート』(1974年)に収録された軽快な⑦(穂口雄右作)、第8作『はじめまして青春』収録⑥、そしてライダースの好サポートを受けて完成させた傑作第11作『MeiMei~私の恋人』(1976年)からはアグネス自作⑤と爽やかな印象に溢れたナンバーが並び、フィナーレに花を添えている。 
 ヒット曲で目立っているのはライヴとして初収録されたカントリー・ティストの㉓㉔で、彼女の持つ陽の部分をよりクローズ・アップさせ会場内をほんわか気分にさせている。特に後者はアンコールでも再登場しており、フィナーレを飾るのに相応しいナンバーだ。
 そしてライヴ・オーラス㉙のエンディングには<ひなげしの花>のイントロが挿入されるという憎い演出に多くのファンは胸を締め付けられたことだろう。
 補足となるが、彼女は78年にトロント大学を卒業し、同年8月に日本帰国し、芸能活動を再開している。その復帰コンサートは日本武道館で開催と、休業明けにもかかわらずその人気が健在だったことの驚かされる。

 参考1:カヴァー収録曲について
⑧Look What You’ve Done 
 ブレッド唯一の全米1位曲<〈Make It With You(邦題:二人の架け橋)>を収録した1970年セカンド・アルバム『On The Waters』収録曲。メンバーのジェームス・グリフィンとロブ・ロイヤーの作品。 

⑨Melody Fair 
 ビージーズの2枚組傑作『Odessa』(1969年)収録曲。1971年に映画『小さな恋のメロディ』の主題歌となり日本のみシングル・カットされ大ヒットしている。当時この映画は海外では酷評されているが、日本は大ヒットしている。その後、主演のマーク・レスターとトレイシー・ハイドは、日本で大スター扱いされている。 

⑩Ben 
 1972年に公開された少年とネズミの友情をテーマにしたパニック映画の主題歌。マイケル・ジャクソン、ソロ初の全米1位を獲得曲でセカンド・ソロ・アルバム『Ben』に収録。当時日本でもヒットしたのには、『旺文社・ラジオ講座』の「今月の歌」で取り上げられ、受験生を中心に支持されたという説もある。 

⑪Anni's Song 
 <Take Me Home Country Road(邦題:故郷に帰りたい)>で日本でも人気のあったジョン・デンヴァーが当時の妻アニーに捧げた曲。1975年リリースの『Back Home Again』に収録。 

⑫海岸通り 
 かぐや姫の伊勢正三(正やん)と猫のメンバーだった大久保一久が1975年に結成した風のデビュー・アルバムに収録された正やん作品。1979年にはイルカがシングル・ヒットさせている。 

㉕ Keep On Singing 
 オーストラリア歌手で初めてグラミー賞を受賞した女性歌手ヘレン・レディが1974年にリリースされた10枚目のシングル。全米15位ながらA.C.チャートでは3作目の1位記録した彼女の代表作の1つ。

 (文・構成:鈴木英之)

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