2015年9月5日土曜日

ヤマカミヒトミ:『As we are』(nu music/nu002)


 昨年5月に初のソロ・アルバム『Withness』を発表した女性サックス・プレイヤーのヤマカミヒトミがセカンド・アルバム『As we are』をリリースした。
 本作は自主制作という形態ではあるが、9月9日よりamazonでの全国流通もされるということで入手が容易になったこともあり取り上げたいと思う。
 前作のレビューでも彼女のその華々しい経歴を紹介したが、小野リサのバンド・メンバーとして、また由紀さおりや久保田利伸からsaigenjiや流線形等々、ジャンルを超えたそのセッション・ワークは多岐に渡り、ミュージシャンズ・ミュージシャンと言っても過言ではないのだ。



 まずは本作のレコーディング・メンバーについてだが、前作から引き続き平岡遊一郎(雄一郎から改名)がギタリストとして参加し、ヤマカミと共同でアレンジも担当している。正式なクレジットこそないが、『Withness』同様にサウンド・プロデューサー的立場でアルバムのキー・マンとなっているであろう。
 日本のブラジリアン・ミュージック界では高名なパーカッショニストの石川智も前作からの付き合いで、アルバムを通して巧みなプレイを聴かせてくれている。
 また新たに本作では元Bophana(ボファーナ)の織原良次がフレットレス・ベースで参加し、サウンドがより立体的となって構築力も一段と高まったといえよう。
 では主な収録曲を紹介しよう。
 前作は6曲中オリジナル4曲にカバー2曲がスパイスを与えていたが、本作でも1曲のカバーを含む6曲から構成されている。
そのカバー曲、ブラジル・ミナスジェライスのシンガーソングライターであるトニーニョ・オルタの「Manuel , o audaz」からこのアルバムは幕を開ける。
 友の息子に「自分探しの旅に出なさい」と捧げた歌詞を持つこの曲は、オルタの80年のセカンド・アルバムのラストを飾る美しい曲である。因みに筆者は数年前に来日中のオルタ本人にサインをもらった程大好きなアルバムでもある。



 話を戻すがここでのカバー・ヴァージョンは、アルト・サックスとフルートとで原曲が持つ柔らかく温かい陽射しのようなメロディを奏でている。イントロとエンディングの風と鳥のSEは石川による特殊なパーカッションによるものでこの曲を優しく演出している。

 続くオリジナルの「Capivara」は、ソフトロック・インストルメントルというべき愛すべき小曲で、VANDA読者にもアプローチするだろう。サウンド的にはドン・サルヴァドール・ミーツ・ポール・マッカートニーといえば分かり易いだろうか(いや分かり易いことはないな(笑))。ヤマカミはリードのWhistle(口笛)の他、フルート、メロディオン、バリトン・サックス(以下バリサク)と八面六臂の多重録音を敢行しており、ベース・ラインを受け持つバリサクがメロディ・パートにチェンジしたりとアレンジ的にも工夫が見られる。平岡もスライド・ギターをプレイして曲の世界観を広げており完成度は高い。

 「空のはじまり」ではヤマカミとしては珍しくピアノをメインにプレイしており、ブラジリアン・スムースジャズといったスタイルだろうか。ここでは織原のフレットレス・ベースがアクセントとなって曲の持つ美しさを引き立てている。筆者的には後ろ髪引かれるようなピアノとフルートのユニゾンによるリフレインが、ソウルジャズ系ピアニストのロドニー・フランクリンの「Theme For Jackie」(『Rodney Franklin』収録80年)を彷彿とさせて好きにならずにいられない。

 一転してリズミックな「Nakupenda」はアフリカン・ミュージックからの影響が強く、平岡のギターはハイライフ・スタイルでプレイされている。この手の曲では織原のフレットレス・ベースと石川のパーカッションは水を得た魚のようで縦横無尽に動き回るのが聴いていて楽しい。ヤマカミのアルトもアフリカン・ミュージックに影響されていた頃の渡辺貞夫に通じる、大らかで雄大な風景が目に浮かぶプレイである。

 アルバム全編を通した印象としては、前作以上にヤマカミのパーソナリティが色濃く出ていて、タイトル通り" As We Are (あるがまま)"という言葉に集約されていると感じられた。
 またインストルメントル・アルバムということで、ソフトロック及びポップス・ファンが多いこのサイトの読者はやや身構えてしまうかも知れないが、筆者の解説によって興味を持ってくれることを心から願いたい。
(ウチタカヒデ)



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