2018年4月10日火曜日

Nao☆:『菜の花』(T-Palette Records/TPRC–0199)

 
新潟在住のアイドル・ユニットNegiccoのリーダー、Nao☆の生誕を記念したソロ・シングル『菜の花』が4月11日にリリースされる。 16年5月にここでNegiccoのサード・アルバム『ティー・フォー・スリー』を取り上げた際も同様だったが、シングルとはいえ強力なカップリングなので、WebVANDA読者をはじめとする音楽通も満足させる内容となっているので紹介したい。
 
   
 
タイトル曲「菜の花」は、作詞をNao☆自身、作曲・編曲をROUND TABLEの北川勝利が担当し、カップリング曲「ハッピーエンドをちょうだい」は、作詞を岩里祐穂、作曲・編曲をNegiccoのサウンド・プロダクションではお馴染みのユメトコスメの長谷泰宏が担当している。
09年にROUND TABLEの『FRIDAY I'M IN LOVE』リリース時に長谷はアレンジャーとして参加しており、ここでもインタビュー記事を掲載したので読者も記憶にあるかも知れない。
早くからシティポップ系サウンドをクリエイトしている北川と、ソフトロック・サウンドを研究し尽くしている長谷による楽曲提供は正しく強力なカップリングといえよう。
また80年代から作詞家としてキャリアのある岩里祐穂(いわさと ゆうほ)にも触れておこう。 80年に“いわさきゆうこ”としてシンガーソングライター・デビュー後、女優として活躍していた今井美樹への作詞提供で一躍知られるようになり多くの作品を残している。特に「地上に降りるまでの夜」(『MOCHA』収録・89年)や「瞳がほほえむから」(89年)は日本のニュー・ミュージック(シティポップ)史において後世に残る名作ではないだろうか。
Nao☆自身もウワノソラの「Umbrella Walking」(桶田知道作で後に『陽だまり』収録・17年)をフェイバリット・ソングの1曲に挙げており、Negiccoでは「土曜の夜は」(シングル及び『ティー・フォー・スリー』収録)をウワノソラの角谷博栄にオファーするなど、この手のサウンドを好んでいるのもうなずける。
 
 
では収録曲を解説しよう。タイトル曲の「菜の花」は、北川自身による複数のアコースティック・ギターのカッティングが有機的に絡むファースト・テンポのカントリー・ポップで、流線形にも参加する山之内俊夫のエレキギターのフレーズが随所にちりばめられている。そしてこの曲のパンチラインは2ndフックの「♪伝えきれない想いを 歌に乗せ届け 君のもとへ」にある。この甘美なメロディのたたみ掛けは、ニック・デカロもカバーしたスティーヴィ-・ワンダーの「Happier Than The Morning Sun」(『Music Of My Mind』収録・72年)のそれを彷彿とさせる多幸感を生んでいる。またユーミン(荒井由実時代)の「やさしさに包まれたなら」(『MISSLIM』収録・74年)が好きなシティポップ・ファンは是非聴くべきだろう。

『ティー・フォー・スリー』で「カナールの窓辺」を提供した長谷作の「ハッピーエンドをちょうだい」は、彼が主宰するユメトコスメの「嘘だよ、過去形じゃなくて...!」(14年)に通じるチェンバロの刻みにヴォブラフォンとピチカットのオブリが印象的なソフトロックだ。目眩く縦横無尽な動きをするストリングスのマジックは長谷の得意とするところだが、この曲でも遺憾なく発揮されている。
筆者は彼がストリングス・アレンジを手掛けたNegiccoの「おやすみ(アルバムVer)」(『ティー・フォー・スリー』収録)がいたく好きであり、こっそり16年のベストソングの1曲に挙げた程だった。
 
   
 そして何より重要なのは、神様からのギフトと言っても過言ではない、Nao☆のちょっとハスキーでスウィートな声質にある。80年代アイドルシンガーを彷彿とさせる所謂 “キャンディ・ボイス” ”聖子声” に男性達は虜になること間違いない。興味を持ったシティポップ及びソフトロック・ファン、そして80年代アイドル・ファンは是非入手して聴くべきだ。
 (ウチタカヒデ)


2018年4月7日土曜日

45 Rpm Bruce & Terry - GIRL IT'S ALRIGHT NOW/DON'T RUN AWAY-Columbia 43582


詳細なディスコグラフィは別稿にてご覧いただくとして、本誌ではおなじみのBruce JohnstonとTerry Melcherの大傑作である。
Don't Run Awayは実はB面扱いだったのはあまり知られていない。


本作は1966年4月上旬前後にリリースされたがチャートインしなかったものの、1966年4月9日号のBillboard誌にてPop spotlightコーナー(これからチャートインしそうな有力曲紹介コーナー)でChris MontezやSam Cookeと並んで好意的にレビューされていた。
このレビューの記事においてはGirl  It's Alright Nowが最初に取り上げられており、Don't Run Awayは一言"Flip"としか言及されていない。
ちなみにこの週は、我らがThe Beach BoysのSloop John B.がTop40以内に急上昇し、Brian WilsonのCaroline NOがTop60になんとかチャートインしている。




TerryことTerry MelcherはBruce & Terry の所属していたColumbiaでは売れっ子プロデューサーで、本盤と同時期にTerryの手がけたシングル盤はPaul Rever and RaidersのKicks、若き日のTaj MahalにRy Cooderを擁したRising Sons、デビューで関わったByrdsは楽曲の権利やマスタリングの音質でTerryとは冷戦状態となったので、他のプロデューサーを迎えEight MilesHighをリリースしていた。

本盤の画像をご覧いただくと、プロデュースはTerry Melcher音楽出版はDaywin Musicとクレジットされている。Terry Melcherは有名な話であるが、歌手のDoris Dayの実子である。
Doris自身は結婚を数度しており、当時マネージャー兼プロデューサーだったMarty Melcherと結婚した。その後Terryは父の籍に入りMelcherの氏を名乗ることとなった。
MartyはDoris関連の楽曲管理のためにArwin Productionを設立する、Martyは既にArtists MusicとDaywin Musicという二つの音楽出版社を立ち上げており、両者の名前を組み合わせたArwin Production及びレコードレーベルのArwinを設立する。
Martyは1968年急逝するが、後年このArwinを通じてDorisの多額の収益が怪しい投資先に流れ一部Martyに還流されていたことが判明している。
そういった背景があるもののArwinからはナショナルヒットがそこそこ出ており、一番の稼ぎ頭はJan and Arnieで、Jenny Leeは全米8位を記録する大ヒットとなる。
Janは後にJan and DeanとなるJan Berryのことで、当時Bel Air地区にあった自宅のガレージで高校の友人とコーラスの録音に興じていた。
時々Bruce Johnstonは誘われてピアノで参加していた。その頃Terryは少し離れたガソリンスタンドで放課後アルバイトしており、Janを介してTerryと知り合いとなり、親交はこの後も続くこととなる。
Janのサウンドは仲間内では好評だったので、パーティーで使うためにアセテート盤を作成するため出向いたスタジオで、当時ArwinのA&RだったJoe Lubinがたまたまテープの編集で入ったスタジオの隣から聞こえてきた楽曲が評価され、Arwinからデビューとなった。Joe Lubinは英国人で黒人音楽好きが高じて米国に移住したという異色の経歴を持っており、音楽ビジネスの関わりではLittle RichardのTutti Fruttiの作曲者にも名を連ねたり、西海岸でR&B系のレーベルを設立して積極的に黒人ミュージシャンを登用して楽曲制作を行っていた。
その中にはPlas JohnsonやEarl Palmerなどがおり、後のWrecking Crewのメンバーが西海岸のスタジオに結集する先駆けとなった。
Janに知己があったBruceは、友人のSandy Nelsonの録音や制作に関わりヒットを生むという結果を出す。同時に友人のKim Fowleyの紹介で次第にJoeを通じ音楽ビジネスへと本格的に参入していき、Arwinとは作家契約を結実しBruce and Jerryの名前でデビューしてプロデュースワークも身につけた。後にDel-Fi,Donnaなどで制作畑に移り、Rock'n Roll時代に乗り遅れたColumbiaは若い才能を欲していたのでBruceは入社後先にA&Rで入社していたTerryとともに活躍していく。
彼らの活躍に反比例するかのごとくArwinのレコードリリースは減少していった。


これらの詳細は別稿を参照されたい、再び本盤に話は戻るが、多くの再発盤ではクレジットにはBruce Johnston-Mike Loveとの記述が見られる、レコード盤にはB.Johnstonしか表記がなく事の真相は明らかではないが、Daywin Musicを手がかりに実演権団体であるBMIのデータベースではBruceとMikeの名が登記されていることが確認できた、しかしMikeは近年BMIからASCAPへ楽曲の預託を変更しており、当時の状況は不明ではあるがBMIに所属する音楽出版社にあったものと予想される。
似たような表記は実はThe Beach Boysのアルバム、Sunflower収録のSlip On Through,Got To Know The Womanにも見られる。Dennis単独の作曲となっているがDaywin Music/Brother Publishing Companyとなっておりデータベース上ではGregg Jacbsonが共作者と登記されている。
Daywin MusicはBruce Johnston,Terry MelcherやDoris Day関連の楽曲管理を行いながら存続する。Arwin Productionの相方のArtists MusicはBruceの作曲したI Write The SongsがBarry Manilowの大ヒットで70年代脚光を浴びることとなる。
そして80年代以降Daywin MusicとMikeが再び関わっていくことになる、The Beach BoysによるKokomoやSummer In Paradise,Rock'n Roll To The Rescueの作曲にMikeとTerryが参画したからだ、ここでやっとDaywin MusicとMikeの名前が一緒にクレジットされることとなった。

(text by -Masked Flopper- / 編集:ウチタカヒデ)


2018年4月4日水曜日

佐野邦彦氏との回想録11・鈴木英之


今回紹介する「VANDA26」が発行された2000年は、ネットの「WebVANDA」に続き、5月からは放送メディアであるラジオ番組「Radio VANDA」をスタートさせるという、佐野さんの存在が大きくクローズ・アップされた時期だった。

 そんな佐野さんではあったが、彼はきわめて自然体なスタンスだった。ある時、「サンデー・ソング・ブック」(以下:サンソン)で山下達郎さんが彼のことを絶賛するコメントをいれたことがあった。その放送を聞いた私は、即座に彼へ連絡を取り「すごいじゃないですか!」と伝えるも、彼は聞き逃しており、「なんとかその放送音源手に入れてくれませんか?」と頼まれてしまった。当時はまだ「ラジコ」もなく、録音した方にダビングしてもらうしかなく、かなり苦労して入手した。それを収録したカセットを送ると彼は無邪気に喜んでくれた。そんなことがあり、それ以来「サンソン」はチェックするだけでなく、ダビングをするのが常となった。

 話は「26」に戻るが前回でもふれたように、ここでは私と佐野さんのノリで決めた「ライブ・アルバム特集」がトップを飾っている。このコラムは当初佐野さんと二人でまとめる予定だったが、せっかくやるなら何人かで取り組んだ方が面白くなるはずということになり、中原さんと松生さんにも参加していただくことにした。その役割分担はそれまでの経歴から自然に決った。


まず佐野さんは当然ながらSoft Rock系を中心にThe BeatlesやBeach Boysなどのビッグ・ネームを中心に、中原さんには彼の専売特許であるソウル系、Cliffマニアの松生さんには1960年代のヴォーカリストをメインということになった。そして雑食系の私は三人から外れたリユニオンものやアイドル、それにニュー・ウェーブ系など、あまり語られることのないものについてジャンルを問わず万遍なくということになった。また佐野さんは音源のみだけでなく、「25」に引き続き映像作品を取り上げた「Rock & in LD & DVD Part 2」を7Pにも及ぶボリュームで気合のこもったレビューをまとめている。

さてこの特集だが、それまでのVANDAとは一線を駕するような企画だったが、4人4様の視点での持論を展開し、かなり興味深い読み物になった気がする。その内容は多くの音楽ファンに好意的に受け入れられたようだった。それはしばらくしてRC誌が「ロック・ライブ・アルバム1960-1979」(2004年1月)の特集を組んだことでも、その注目の度合いが高かったことように感じられた。ただ個人的には、佐野さんが担当した『Four Seasons Reunion(Curb)』『Beach Boys I Concert(Brother)』『Association(Warner Bros.)』や、中原さんの『Four Tops(Dunhill)』『Spinners(Atlantic)』については思い入れが強く、いつか何らかの形でまとめてみたいという想いは残った。


なおこの「26」で私は恒例の「Music Note」も寄稿しているが、この「1975年」ともなると、まとめていく過程で当初スタートした時期とは違う方向に向いているのが気になった。元々、ラジオ番組のヒット・チャートのチェックから当時の音楽傾向を探るということから始めた連載だったが、この頃になるとあらゆる情報網から得た音楽シーンの傾向をまとめているように感じた。それはこの年に私が夢中になっていたものは、Three Dog Nightの「You」のように日本独自ヒットもあったが、ほとんどは英米でのヒット曲が中心で、日本のチャートでは下位に属していたものが多かった。


このようになったのは、1974年から大学生として東京での生活が始まり、静岡時代よりも数段に情報を収集できる環境になっていたからだった。1975年当時の私は、気になる曲を耳にするとパチンコ屋の景品棚をチェックして、お目当てが見つかればそのレコードを手に入れるために台に向かうことがよくあった。さらに、(今は亡き)Hunter(特に大井町店と都立大店)やDisk Unionなどで中古レコード店の探索巡回といった生活もパターン化していた。ゆえに内容がラジオ番組のヒット・チャートをチェックしたものをまとめるというものではなくなりつつあった。タイトルにしている「Note」は「チャートのチェック記録」でなく、「レコードの購入記録」というマニアックな音楽シーンを語るものに変化していた。


また洋楽中心だった内容も、1971年の『GARO』や1974年に『Take Off(離陸)/チューリップ』を聴いて以来、日本の音楽にも慣れ親しんでいた。また当時の友人でアグネス・チャンの熱狂的ファンに彼女のレコードを聴かされ、そこに参加していたMoonridersやキャラメル・ママなどバック・ミュージシャンに興味を持つようにもなっていた。さらに神保町のササキレコード社の店内に偶然流れていたSuger Babeの『Songs』を耳にして、山下達郎というミュージシャンに衝撃を受け、その後は彼が参加していた作品のチェックを始めた。その中で『MISSLIM/荒井由実』に聴かれる、クリアな美声に強く惹かれ、完全にはまってしまった。そして気がつけば、テレビでは「ナショナルまきまきカール」「不二家ハートチョコレート」などCMで彼の声が頻繁に流れていた。ちなみに、私はSuger Babeのライヴ・スケジュールは「ぴあ」でまめにチェックしていたが、残念ながら参戦は出来ずに終わっている。ただ、当時FM番組でオンエアされたライヴ放送を聴くことが出来たのが、バンドの生体験だった。このように和物についても洋楽並にコアな聴き方をするようになっており、タイトルから内容が逸脱しそうな時期になってきたので、この連載は1975年で封印することにした。


余談になるが、この1975年には元Four SeasonsFrankie Varriが「My Eyes Adored You(瞳の面影)」で全米1位にカム・バックしているが、日本ではさほど話題にはならなかった。そんな中、西城秀樹はこの年に行われたツアーのセット・リストにこの曲を加えていた。なお、この公演はテレビ中継もあり、その歌唱シーン(『オン・ツアー』に収録)も放映されている。このことは、その後「VANDA 30」でまとめることになる「1970年代アイドルのライヴ・アルバム」の元ネタとなった。ちなみに、それにもっとも興味を持ってくれたのは、バリバリのジュリー(沢田研二)・ファンの佐野さんだった。


そしてこの1975年を振り返ると、「我が巨人軍は永久に不滅です。」で現役を引退した長嶋茂雄選手が監督となってジャイアンツが断トツの最下位となり、広島カープが球団創設以来初優勝を遂げ、「赤ヘル旋風」が吹き荒れていた。こんな世情を反映して、「がんばれ!ジャイアンツ」(アラジン・スペシャル)なるナンセンス・ソングが一部で大盛り上がりしている。また、私と佐野さんとの最後の共同作業となったJigsawが「Sky High」で大ブレイクを遂げ、彼らが初来日を果たした年でもある。とはいえ、この曲の日本でのブレイクは、ミル・マスカラスが登場テーマに使用するようになった翌1976年だった。


ところで前回の投稿でもふれたが「26」が発売される前の199912月には私がはじめて関わった商業本『Pop Hit-Maker Data Book』(バーン)が発刊されている。そして、20003月にはVANDA監修として5冊目となる『ハーモニー・ポップ』(音楽之友社)も発刊している。この本を監修したのは佐野さんだが、ジャンルを「US」「UK」「Jazz」「Soul」「Folk」「Psychedelic」「In Japan」と7つに分け、その巻頭には佐野さんや中原さんなどが序文を書いている。なお、「In Japan」では恐れ多くも私が担当させていただいた。そして、ここでコメントを担当したことが、この年に発刊する『Soft Rock In Japan』や『林哲司全仕事』に繋がっていくことになったのだった。ただ、その話をここでふれるとかなり長くなってしまうので次回に回すことにする。またこの本では、当時佐野さんが「和製ソフト・ロックの最高峰」と断言していたスプリングスのリーダー、ヒロ渡辺氏に「ハーモニーの音楽的解析」という専門分野での解説を寄稿いただいている。


なお、この「26」が発行されたのは20008月と、通常よりも2ヶ月遅れている。これは、彼が超多忙だったからでも、私の原稿提出が遅れたということでもなく、創刊号以来それまで編集に携わっていた近藤恵さんが出産のために引退されるというアクシデントが発生したためだった。この大ピンチを救ってくれたのが、当時音楽之友社に勤務していた(『Soft Rock A To Z』の担当)木村元さんだった。当時、佐野さんの窮地を耳にした彼が自ら仕事の傍ら編集の業務を買ってくれたおかげで、無事VANDA26は発行出来る運びとなった。これまでの付き合いからとはいえ、本業をかかえながらも好意で引き受けてくれた木村さんに佐野さんは心より感謝していた。とはいえ、この作業は木村さん自身も相当きつかったようで、発行後「今回だけにしてほしい」と佐野さんに伝えたようだった。

最後になるが、「25」発行からこの「26」までは、私も木村さんの担当で3冊の単行本発刊に関わっていただいており、この時期のVANDAは彼なしには成立しなかったともいえる。次回は、「27」の経緯と並行して木村さんとの連携で完成させた本についての経緯についてもふれていくことにする。
2018432200

2018年3月24日土曜日

桶田知道が新曲「トラッカーズ・ハイ」のMVを公開、そして無料配信!


















昨年531日にファースト・ソロ・アルバム『丁酉目録(ていゆうもくろく) 』をリリースした元ウワノソラの桶田知道が、新曲「トラッカーズ・ハイ」のMVを本日公開した。
しかもその新曲を下記URLにてmp3音源を無料配信するのである。
ダウンロードページ→https://www.kouhando.com/n-free




作詞:岩本孝太
作曲 編曲:桶田知道
Vocal & All Instruments:桶田知道

Cast:Tomomichi Oketa

   Kota Iwamoto 
   Kazuyuki Nakagaki 
Director:Kota Iwamoto
Presented by kouhando-JPN


ウワノソラでデビュー以来桶田と交流を持つ筆者は、今月頭に完成されたばかりの新曲「トラッカーズ・ハイ」のWAV音源を聴かせてもらい、直後にこのMVも観させてもらった。

前作のリード・トラック「チャンネルNo.1」よりスムーズなシーケンス・パートと、昭和文学が醸し出す詩世界との奇妙な融合が独特のグルーヴをもたらしてる。 このシーケンスのリズム・パターンはこれらテクノポップでは王道であるが、ルーツを辿ればエンニオ・モリコーネが映画『荒野の用心棒』(64年)のテーマ曲で使ったのが知られ、その後もビートルズのジョージ・ハリスン作「While My Guitar Gently Weeps」(『The Beatles / White Album 』収録 68年)の左チャンネルで鳴っていたりする。 AORファンにはドナルド・フェイゲンの「New Frontier(『The Nightfly』収録・82年)を彷彿とさせるかも知れないが、一般的に知られるようになったのはやはりYMOの「Rydeen(雷電)」(79年)だろう。作者の高橋幸宏氏によれば黒澤明監督の『七人の侍』(54年)にインスピレーションを受けたというから、既出の『荒野の用心棒』がオーバーラップしたのかも知れない。



ともあれこの桶田知道の「トラッカーズ・ハイ」のMVも極めて映画的であり楽しめた。前作「チャンネルNo.1」ではスタンリー・キューブリック監督を彷彿とさせるカメラワークとシンメトリーなコンポジションが非常に鮮烈であったが、ここでは粒子の粗い8ミリ風映像のオフビートなフィルム・ノワール調テンポで、昭和初期のエノケン映画を彷彿とさせるとぼけたセンスが混入され化学反応を起こしていて、なんとも言えないテイストに仕上がっている。
(MVなのにホンダの軽トラ、アクティでぶっ飛ばすかね 笑)

さてこの新曲「トラッカーズ・ハイ」を聴きつつ、次なるアルバムを待ちわびるファンもいるだろう。なんとそのセカンド・アルバムは5月23日にリリースを予定しているので、下記のオフィシャルサイトで情報を得て欲しい。
【考槃堂商店】https://www.kouhando.com/

2018年3月18日日曜日

『Garden Of The Pen Friend Club』(ペンパル・レコード/PPRD-0003)The Pen Friend Clubインタビュー


弊サイトWebVANDAの執筆者としてもお馴染みの平川雄一率いるザ・ペンフレンドクラブが、3月21日に5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』をリリースする。
前作『Wonderful World Of The Pen Friend Club』から1年余りだが、同年の9月には初のベスト・アルバム『Best Of The Pen Friend Club 2012-2017』もリリースしており、彼等の創作ペースとリリース・ラッシュ振りには頭が下がってしまう。
既にアルバム試聴トレーラーで耳にした音楽ファンは気付いていると思うが、本作はザ・ペンフレンドクラブが初めて本格的な60年代ソフトロック・サウンドに挑んだ意欲作である。
収録曲11曲の内9曲にストリングスのオーバーダビングが施されており、その演奏を夜長オーケストラ、アレンジャーとして同リーダーの中村康隆が全面参加しているのだ。
プロデューサーとしての平川の飽くなき制作意欲により導かれたバンドが、新たな次元に乗り出していく姿が実に頼もしくもある。

実はある経緯により本作のライナーノーツ解説は筆者が担当しており、このアルバム作りの過程は平川から聞いていたのだが、そんな立ち位置を抜きにしても、本作サウンドの構築力とトータリティーには一音楽リスナーとして敬服している。
彼等に出会って3年半という短い年月だがここまで成長したことに一抹の寂しさもあるが、更なる意欲作を期待しているのは言うまでも無い。
ここでは恒例の平川氏への単独インタビューを掲載しようと考えていたが、昨年から2ヶ月超の期間彼とのやりとりで意見交換していたこともあり、今回は趣向を変えて平川氏以外のメンバーを主にアンケート形式でテキスト・インタビューをおこなったので紹介したい。


※写真左から 祥雲貴行 (Dr, Per)/平川雄一 (Vo, Cho, Gt, Per) 
大谷英紗子 (Sax, Cho)/藤本有華 (Main Vo, Cho)/西岡利恵 (Ba, Cho)
中川ユミ (Glocken. Per)/ヨーコ (Organ, Piano, Cho, Flute)


●本作レコーディングで最も印象に残っている曲を挙げ、その時のエピソードを語って下さい。
(平川以外のメンバー50音順・以下同様)

大谷英紗子:サックスのレコーディングとしては、「My little red book」と、「水彩画の街」が一番「今、録っているな〜」という感覚があったように記憶しています。他の録り終えている音源に音を重ねていく過程や、今回は全体的に「ここ」というベストなタイミングに音を当てはめていくことを意識したレコーディングでした。
コーラスのレコーディングは、「僕と君のメロディ」を録っているときが、歌を歌うって楽しいことだなと思い、好きな歌ですので世界観の中でコーラスができたような気がしています。

祥雲貴行:「飛翔する日常」。最初にデモ音源を聴いた時のイメージと、平川が曲作りの参考にしたという曲のイメージに結構違いがあったので、どちらに寄せるべきか迷ったり、いまいちピンとくるフレーズが浮かばなかったりで、個人練習のときは一番時間をかけました。
結局迷いを払拭できないままレコーディングに臨んだのですが、本番の緊張感がいい方向に働いたのか、全部事前に決めていたら出てこなかっただろうなっていうフレーズが出てきたりして、自分で聴いても意外性のある面白いものが録れたんじゃないかと思います。
これまでは、レコーディングでもその場のフィールを大切にしたいと思いつつも、技術面や性格的に無難なことしかできないもどかしさがあったんですが、この曲をやったことでどの辺りまで決めてどこを決めずにおくべきかのバランス感覚が少し掴めたような気がします。

●あくまで僕の推測ですが、♪物語はいつか・・・から始まるブリッジ・パートは特にフィルというかフレーズの組立が難しかったんじゃないですか? 

祥雲:そうですね、その部分は特に尺の感じを掴むのが難しかったのでかなり試行錯誤しました。



●本作レコーディングで最も印象に残っている曲を挙げ、その時のエピソードを語って下さい。(続き)

中川ユミ:「Good Lovin’」の出だしの「1,2,3」の録音を流して確認している時に、だんだん2と3が戦っているみたいに聞こえてきて、全員でしばらく爆笑していました。

西岡利恵:「Melt Away」。最初に聴いたときよりも、レコーディングする中でだんだんと好きになっていった曲です。ちょっと変わったリズムのベースラインも弾いていて心地よかったです。

藤本有華:今回のレコーディングもそれぞれ印象に残っていることはあるのですが、一つ選ぶとすると、「飛翔する日常」でしょうか。実際の仕上がりと同じ様にリーダーの声に合わせて歌ったのですが、初めはリーダーの声と音やタイミングを合わせることに集中してしまいとても無機質な仕上がりになってしまい…歌を確認したときに愕然としました。時間がない中で、初めから全部録り直しをお願いし、次はしっかり感情を込めて歌う様に心がけたことで良い仕上がりに出来たと思っています。

ヨーコ:最も印象に残っているのは「Good Lovin’」です。
イントロのかけ声の録音が面白すぎて、横で見ているだけで死ぬ程笑って、みんな笑い過ぎたせいで痰がからんでその後のコーラスのレコーディングに支障をきたす程でした(笑)。
オルガンレコーディングでは、曲の後半で原曲のようにオルガンソロのフレーズを入れたいと言って先生(平川)とハモリのパートも考えたりもしました。ライブでやっている曲ということもあり印象に残っています。



●リスナー目線で本作収録曲の中で最も好きな曲を挙げて下さい。

大谷:「僕と君のメロディ」

祥雲:「Our Place (Reprise)」

中川:「飛翔する日常」
これからの爽やかな時期にぴったりな軽やかさが気に入っています。

西岡:「My Little Red Book」

藤本:「Don't take your time」
一番好きな曲は"Don't take your time"です。音の重なりとかテンポ感が一番華やかでノリが良い気がします。ドラムの感じも東京スカパラダイスオーケストラさんみたいでイントロがかかるだけでワクワクします。

ヨーコ:「飛翔する日常」
最も好きな曲は「飛翔する日常」です。
この後に続く曲たちにも期待ができると確信できる胸踊るイントロ、藤本さんと先生(平川)のボーカル、曲全体のまとまり、全てが聴いていて心地が良いです。
リスナー目線からは外れますが、私、この曲のデモ音源が送られてきた時、暫くこの曲はオリジナルではなくカバー曲だと思っていました(笑)それくらいこの曲にはデモの時点で貫禄がありました。


●西岡さんはペンフレンドクラブ(以下ペンクラ)のメンバーとして最も長く所属している訳ですが、これまでのアルバムと本作との大きな変化点はなんでしょうか?
また今作を含めこれまでのアルバム作り通して、プロデューサーである平川さんの拘りの姿勢をどう感じていましたか?

西岡:特に4thアルバムから雰囲気が変わってきた感じがしたんですけど、今回の5thでは選曲や、オーケストラが入ったことも影響してボーカル藤本有華の透き通った歌声がより活かされた内容になっているように思いました。
ペンクラのアルバムは、1stから一貫してリーダー平川雄一の世界観が表現されていますが、本来バンドという形態で一人の音楽性を表現することは難しいことだと思うんです。
ここはこうでなければならない、という強い拘りに合わせていくことは大変さもあるんですが、平川のアルバム作りの姿勢が多くの人の共感を得て、期待されているのは、その並外れた拘りと実行力があるからだとも感じています。

●これまでのアルバム作りを通して、平川さんの並外れた拘りを象徴するレコーディングの中のエピソードを教えて下さい。本作はもちろんですが、過去のアルバムでも記憶の限りで構いませんので。

西岡:ベースに関してだと例えば "C"の音を出すとして、この曲のこの部分の"C"は、この弦のこのポジションを使った"C"の響きであるべき、みたいなこととか、レコーディングだと細部のニュアンスについての指示も多くあります。

●藤本さんはボーカリストとしてペンクラに参加して2作目ですが、このバンドの魅力はなんでしょうか?

藤本:バンドの魅力というより根元というべきかもしれませんが、一番はリーダーのプロデュース力ですよね。選曲、作詞作曲、ジャケのデザインなど全てこなしてしまうのですから凄いなといつも思います。だからこそ、ボーカルが変わっても、メンバーが変わっても、ここまでぶれずに続いているのだと思います。それに加えて、ボーカルやその他メンバーが変わる度にスッと対応してしまうメンバーの存在。
私がボーカルになった時も三代目ボーカルのジュンさんからかなりキーを上げてしまったのですが、皆さんほんの数週間でサクッと対応していて驚きました。この柔軟性と対応力の高い今のメンバーだからこそ、同じメンバーで二枚目のアルバムが作れたのだと思います。

●では参加したアルバム収録曲とライヴ・レパートリーを通して、ボーカル・テクニック的にやり遂げたと感じた曲を挙げ、その曲について語って下さい。

藤本:これまでを通して一番やり遂げたと思う曲は・・・ダントツ「Love's Lines, Angles and Rhymes (愛のロンド)」です!
あれはオリジナルを聴いたときに「私に歌えるのかしら??」と不安に襲われ、自主練を相当繰り返して歌い方を作り上げました。こういう歌い方も出来るのね、という新しい発見をさせて頂いた曲でもあります。完成音源聴いた時は今までに聞いたことのない声だったので恥ずかしくもあり、嬉しくもありました。ライブでもこの曲が一番緊張しますし気合が入ります!


●メンバーの皆さんから本作の魅力を挙げてアピールして下さい。

大谷:このアルバムのデモや、レコーディングの過程で、ペンクラの音はしているけど、ペンクラのCDっぽくなく聴こえるなとも思っていました。もちろんマイナスなイメージではありません。なぜそう思ったのかはわかりませんが、今まで聴いていただいていた方には明らかに今までと違う感情を持っていただけるのかなと思うと楽しみです。
私はいつもペンクラのアルバムは、絶対に人それぞれお気に入りを見つけていただきやすいだろうなと思っています。今作も、曲の持つ力を最大限に引き出しているアルバムだと思います。

祥雲:アルバム制作を重ねるたびに洗練されていく平川雄一のコーラスワークとディレクションセンス。加えて今回は夜長オーケストラの参加などもあって前回よりもさらに贅を尽くした内容になり、耳の肥えたマニアの方々にも満足頂けるものになっていると思います。
また平川の躍進に呼応するように藤本有華のボーカルも確実に進化を遂げ、メロディの美しさをよりプリミティブなレベルで訴えかける表現力が以前よりも増したことで、格式高さを感じさせつつも、いつ誰が聴いても楽しめるようなカジュアルさをも内包することに成功していると感じました。
他にも、じっくり聴いているとメンバーそれぞれの個性が端々で光っていて、実はけっこう趣味の違う人たちが集まっているペンクラならではの良さも楽しむことができると思います。

中川:なんといってもペンクラ初のストリングスが入ったアルバムという所です。個人的にストリングスの入ったロックの曲が好きなので、完成した音源を聴いた時はニヤリとしてしまいました。

西岡:変わらないペンクラらしさと同時に、これまでになく洗練された魅力を感じられるアルバムだと思います。ぜひ聴いてみてください。

藤本:今回のアルバムは、とにかく音圧が凄いです!夜長オーケストラさんが参加されたことで、今までとは一味違ったペンクラ作品になっていると思います。ペンクラは多幸感が高いと良く言われている様ですけど、5枚目のアルバムはまさに多幸感満載です!ぜひ一枚お買い上げ頂いて、良いスピーカーで聴いてみて頂きたいです!

ヨーコ:このアルバムの魅力は、エンドレスリピートが止まらない中毒性です。最初と最後にバージョン違いの同じ曲が入っているということで単純にエンドレスリピートしやすい、ということもありますが、入り口である「Our Place」を通るとそこにはアルバムタイトル通り「Garden」が広がっています。「僕と君のメロディ」を聴き終わる頃には出口である「Our Place(Reprise)」が見えてきます。最初に通った道と同じはずなのに出口として通ると全く違う景色に見えます。そうなるとまた入り口から入ってみたくなり…そうやって繰り返し聴いているうちにどんどんと「Garden」の深みにハマっていきます。


●では最後にプロデューサーでありバンド・リーダーとして、平川さんからもこのアルバムの魅力をお願いします。

平川雄一:メンバーのインタビューの方が僕のより面白いですね・・・。僕だといつも「好きな曲だからやりました」くらいしか回答できていないので(笑)。
今は次の6thアルバムのことで頭がいっぱいで今回の5thのことは若干忘れかけているんですが、このアルバム制作においてペンフレンドクラブが音楽というものに真正面から取り組んだことは確かで、夜長オーケストラのストリングスを初めて導入した意欲作でもあります。
因みに僕が一番好きなオリジナル曲は「笑顔笑顔」です。独特でキャッチーなメロディが気に入っています。
褒められがちなリード曲「飛翔する日常」は割と簡単に出来ました。サビのグロッケンのフレーズがいいですね。
「My Little Red Book」のスネア一発の音の良さや、オルガンソロの格好良さとか、美味しい瞬間が沢山あるアルバムですね。
あんなにも自信作だった4thアルバム『Wonderful World Of〜』を凌駕する作品集が出来て嬉しい限りです。
アルバムCD発売の1ヶ月後には7インチ・アナログ盤も出ますので是非!

【Add Some Music To Your Day Vol,17
  Garden Of The Pen Friend Club Release Party】
◎2018年4月1日(日)
◎江古田BUDDY
◎出演
The Pen Friend Club

RYUTist
so nice with 村松邦男
The Laundries
DJ:aco

◎前売:3000円+1d
◎当日:3500円+1d
◎開場&開演:18:00


(インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ, 
    写真提供:平川雄一/撮影:鈴木祐子)

2018年3月14日水曜日

佐野邦彦氏との回想録10・鈴木英之

この投稿も10回目となり、今回は20世紀最後の19996月に発行された「25」発行までの佐野さんとの回顧を紹介する。まずこの前年には、フィフス・ディメンションなど196070年代に活躍したポップ・スターのライヴを聴かせるスポット「六本木Sweet Bazil 139」(注1)がオープンするという、佐野さんにとって歓迎すべき出来事があった。ここではソフト・ロック系のライヴもコンスタントに行われており、オープン当時彼は頻繁に通っていたようだった。

かくいう私もたまたま上京していた折に、The Belmonts(「浮気なスー(Runaround Sue)」で知られるDionのバッキング)の単独ライヴに誘われ、佐野さんや松生さんと訪れる機会を持った。当日はGS出身の“ほたてマン“で知られるR氏も観覧に訪れており、演奏中にステージへ飛び入りしてギャラリーを楽しませてくれた。そんな319日には佐野さんが熱心に研究を続けていたGary Lewisの公演が行われている。テレビ中継(NHKBS)もあったので、ご覧になった方も多いと思う。

そしてこのライヴの翌日には、通訳に岩井信氏を帯同してインタビューに臨んでいる。その中では、山下達郎氏が「土曜日の恋人」のモチーフとした「We’ll Work It Out」(1965年サード・アルバム『Everybody Loves A Crown』収録)は「レコーディング以来一度も演奏していない」、1967年の傑作第7作『New Direction』で起用したGary Bonner=Alan Gordon(注2)について、「あれは失敗だった。自分には、Snaff GarrettLoon Russellのコンビがベストだった」など、興味深いリアルな本音を聞き出している。こんな貴重な話を引き出せたのは、熱心なファンとの交流で、Gary本人も大満足だったという証拠だろう。なおこの内容は「25」や、Web.VANDAでも報告されている。


では「25」の話に移るが、ここで佐野さんが熱心に発信していたものとして、「Rock & Pops In LD &DVD」と題したロックやポップスの映像ディスク・ガイドだった。当時、DVD再生可能なゲーム機「Playstation 2」の大ヒットで、それまでのビデオやLDから劣化しないDVDに切り替っていく流れをいち早く取り上げたものだった。当時、CDLPだけでなく音楽ソフトをビデオ(VHSBeta)やLDで大量に所持していた佐野さんは、全てをDVDに切り替えるべくハードを揃えていた。さらには「リージョン・フリーDVD再生機」 も購入し、海外盤の貴重映像チェックも怠らなかった。そんな彼はどんな映像も永久保存にすべく、当時「VHSビデオ」「Betaビデオ」「LD」でコレクションしていた音楽ソフトを「DVD」(その後Blue Ray)やパソコンに接続して、貴重映像の保存に邁進していた。

またこの「25」では、「24」に続きサライター(サラリーマン・ライター)浅田さんの英国ポップスの研究文献「Roger Cook=Roger Greenaway」「John Cater」「Tony Burrows」の充実したWorksが三作掲載されている。そんな彼とは前年に開催された「VANDA Meeting」にて「Can’t Smile Without You」(Barry Manillow等)の話で意気投合し、それ以来電話やメールで交流するようになっていた。とくに彼のH.P.Too Many Golden Oldies』を通じて英国ポップスについての情報交換を頻繁に行っていた。この回の掲載分では、以前より佐野さんから聞いていた部分もあり、そんな三者でのトライアングルな関係を楽しんでいた。またこの話を彼にすると、数日中に音源を収録したカセットが送られてきた。佐野さんは思い立ったら即日タイプの方で、こんなやりとり以外でも彼のお奨め音源を入手すると即カセット(その後、MD~CD-R)が送られてきた。これは私がJigsawPilotなどを紹介して以来の慣例としてずっと続いた。


ちなみにこの号へ、私が寄稿したのは連載コラム「Music Note」の1974年だけだが、この掲載分の出だしでふれた197421日のElton John日本武道館(以下、B館)公演の話から、昔通った来日公演の話で盛り上がっていた。その件は本文でもふれているが、当日のEltonは当日に衣装が間に合わなかったためテンションが低く、また「Honky Cat」でのコール&レスポンスに会場の反応が鈍く、さらにむくれてしまった。来日公演のキャッチ・コピーが“クロコダイル・ロックンローラー”だったのにもかかわらず、肝心の「Crocodile Rock」も演奏せずに終演となり、一部来場者(私も含む)が深夜まで会場に居残り抗議をしたというものだった。そんな残念な話は佐野さんにもあり、彼は1973626日のDeep Purple B館公演が中止になったことを会場に行って知らされたことだった。それは、前日の公演でバンドのコンビネーションが最悪で、アンコール無に終わった公演に一部の観客が暴徒化し、場内で破壊騒ぎが起こった結末だったという。

その流れで最悪から最高のライヴの話に移り、佐野さんイチオシは19741月のMoody Blues B館公演を挙げた。この公演にはメロトロンを操るMike Pinterが在籍しており、(一般の評判は芳しくなかったが)知的な雰囲気のライヴを体験し、待望にふさわしい公演だった位置付けていた。私といえば、197627日のEaglesと同年311日のNeil Young初来日B館公演だった。EaglesBernie Leadonが脱退しJoe Walshが加入したばかりの時期だったが、そこで披露された最高に美しいコーラスは生涯忘れる事のないものとして記憶に止まっている。また、Crazy Horseを率いてのNeilは、『Harvest』の裏ジャケでお馴染みのオルガンが設置されステージでの公演で、そこで披露された(当時、未発表曲)「Like A Harrican」「Lotta Love」の素晴らしさは身震いするほどだった。余談ながら、ここに同行した友人はこのコンサートで「自分の青春は終わった」と言い切るほど感動していた。

こんな話に夢中になっていくうちに、彼から「次回の特集はライヴ・アルバムを特集しましょう!」というところまで発展してしまったのだった。そのコメントは、「25」のP90VANDA Vol.26予告」に「ライブアルバム大特集(Live in Japan特集も含む)」と表記されている。

ここで、「Music Note ’74」に話を戻すが、前出の来日公演の話以外にもヒット曲に関連する話題をいくつか挟み込んでおり、この連載が単にヒット曲の羅列でなく、佐野さんに絶賛されたリアル・タイマーとしての手法がほぼ完成している。

そんな話題をいくつか紹介しておくと、まず業界ネタとして1973920日に飛行機事故で亡くなったJim Croce(享年30歳)が生前発売した3枚のアルバムの爆発的なセールスにより、1974年に発売元のabcは全米一の収益を上げて話題となった。ただ、その5年後の1979年には業績悪化により、MCA(現:Universal)に買収されて消滅してしまった。また、歌詞の話題としてサザン・ロックのLynyrd Skyntrdが発表した「Sweet Home Alabama」は、Neil Youngの「Southern Man」への返礼ソングだということで大きな反響を呼んでいだ。


さらに、“マエストロBarry White率いるLove Unlimited Orchestraの美しいストリングスの音が日本中に響き渡っていた。中でもKLM(オランダ航空)のCMや、伊勢丹の開店テーマに起用された「Love’s Theme」は新しい時代のインストとして広く愛聴された。また、テレビの情報番組『ウィークエンダー』(注3)のテーマとして起用された「Raphsody In White」も、土曜の夜の定番ソングとして長らくお茶の間に響き渡っていた。この話を聞いた佐野さんは「(ナレーションには)アイアンサイドもですよね!」と、話は泉ピン子さんをはじめとする当時のコメンテーターのことまで広がっていった。そんな時、「あんな昔の話がポンポンでてくるなんて凄い記憶力ですね。」と彼に感心された。それまで私自身は「お前は記憶力の活用を間違っている」と皮肉めいた言われ方をされており、佐野さんとの会話はその後のライター活動に自信を持つきっかけとなった。


そんな佐野さんはこの頃、CDのコンピや単行本の制作に邁進しており、この当時彼が手掛けた『The Beach Boys Complete』『All That Mods』などは大きな評判を呼び、外部から続々と研究本の依頼が舞い込んでいた。そんななか、『Pop Hit-Maker Data Book』の話があり、「今度は鈴木さんも参加してください」と誘いを受けた。初めてのギャラ設定の話でうれしい反面、そこに参加される方々の名前を聞いたとき、「私ごとき新参者が書いても大丈夫なんだろうか?」と一瞬不安に駆られた。ただ佐野さんから「鈴木さんのやり方で進めたら大丈夫!」と励まされ、これまで以上に慎重に考えたうえで、9組(Pop Group2組、SongwriterProducer7組)を担当させていただくことにした。正直なところ、Pop groupで「The Grass Roots」、Producerの「Steve Barri」もまとめたかったが、文面はともかくリスト制作に不安があり、この2組は見送ることにした。とはいえ、この続きは佐野さんの代名詞となった『Soft Rock A To Z』の全面改定版『SOFT ROCK The Ultimate!』(2002年)でまとめさせていただくことが出来た。


このように「25」の制作過程では、佐野さんとのやりとりを通して自分の手法に自信を持つことが出来た。ただ今回も余計なことに首を突っ込みすぎていたため、依頼されたコラムは1つだったのにもかかわらず、「3月末締め切り」を大きくオーバーし、GWが終わった56日になってしまった。その完成した25」が届けられた際、その表紙の裏には、『The Beach Boys Complete』『All That Mods』の紹介はもちろんのこと、現在進行中の『Pop Hit-Maker Data Book』や、話を聞いたばかりの『Harmony pop』の紹介も掲載されていた。このように「25」発行以降は、佐野さんのみならず私も彼から受けたVANDA以外の仕事にも大きくかかわっていくことになる。


こんな私が多忙となっていったのは、佐野さんが翌20005月よりスカパーで「Radio VANDA」をスタートさせ、さらにメジャーな存在となっていったことも影響している。またそれ以外の要因として、これまでのように海外物のレヴューばかりでなく、日本物についても手を広げていったからだった。当時の佐野さんは日本物について(一部を除き)未知の分野で、以後のVANDAには日本物のコアな書き手が登場している。ただ何事にもこだわる佐野さんは、1970年から日本の音楽情報に精通し、全般的な情報を持っていた私に白羽の矢を立ててくれたのだと思う。ゆえに「25」発行以降は、佐野さん並みとはいかないが、私もそこそこ表舞台に登場するようになった。次回はそんな26」の発効までについての多忙な日々についてお届けすることとする。

(注1199812月、六本木にオープンした最大250人収容のライブ・ハウス(レストラン兼用)。初期では199961日~6日に毎夜2回、全12回公演を開催したフレンチ・ポップスの歌姫シルヴィ・ヴァルタン公演が連日大賑わいで話題となった。その後、15年間で5,164公演、約100万人弱を動員し、20145月に建造物の老朽化から閉店。

(注2The TurtlesHappy Together」等の作者をはじめ、Bobby Darlin’Petula Clarkなどへの曲提供を通じ、1960年代にソングライター・チームとしての地位を築く。また1970年代に入ってもThree Dog NightBarbra Streisandが彼等(BarbraAlan単独)の曲を取り上げ大ヒットさせている。

(注3)1975年4月放送開始(1984年5月終了)の「テレビ三面記事 ウィークエンダー」。加藤芳郎氏が司会のNTV系ワイドショーで放送時間は毎週土曜日22:00~。オープニング・テーマはLove Unlimited Orchestraの「Raphsody In White」、コメンテーターが登場する「新聞によりますと~」のナレーション部分のBGMはQuincy Jonesの「鬼刑部アイアンサイド(Ironside)(米NBC:ドラマ)」のテーマ曲が使用されていた。
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