沢田研二の1975年5月5日オン・エアーの「白い部屋」から1990年2月21日オン・エアーの「DOWN」まで、フジテレビの超人気番組だった「夜のヒットスタジオ」の全102回にわたる出演シーンを、歌だけでなく恒例の冒頭のオープニング・メドレーまでDVD6枚に収録したファン感涙のボックス・セットである。全部で589分と10時間分もある究極のコレクターズ・アイテムと言えるだろう。まだ激太りをする前であり、美しいJULIEを堪能できて幸せだ。男でも惚れ惚れしてしまう。JULIEは自分にとって日本のミュージシャンの最初のヒーローだった。
ニール・ヤングと妻が1986年から続けてきた障害児のための学校ブリッジ・スクールへのチャリティー・ライブの25周年を記念したDVDとCDがリリースされた。それぞれ少しずつ選曲が違うのだが、CD版は1997年にリリースされた『The Bridge School Concerts Vol.1』が先行してあるのでS&Gやデビッド・ボウイなどが省かれており、ここではより内容が充実したDVDについて紹介しよう。
忍者の里を訪ねて
佐野邦彦
甲賀と伊賀といえば忍術の二大流派として長年の宿敵であり、事あれば互いを抹殺すべく血で血を洗う、決して相容れない一党であったというイメージがある。
しかし史実は違い、甲賀と伊賀は協力関係にあり、徳川=豊臣の代理戦争で争った時期もあったが、徳川幕府時代は伊賀も甲賀も同心として徳川300年の権勢を守る力となったのである。
だが山田風太郎の「甲賀忍法帖」、横山光輝「伊賀の影丸」での壮絶な両派の戦いは、今も我々の血をたぎらせる。
私は東京より向かう電車の中で「甲賀忍法帖」を読み、ラストシーンに涙しながらここ甲賀へたどりついた。
ドリス・デイがテリー・メルチャーの母親というのは誰でもご存じのことだろう。そのドリス・デイが2004年にガンのため亡くなったテリー・メルチャーに捧げたのが本作である。音源の多くは1980年代の彼女のテレビ・ショー『Doris Day's Best Friends』のレコーディングからセレクトされている。本作で注目されるのはブルース・ジョンストン単独作品2曲、ブルースとテリーの共作が3曲と、12曲中5曲がブルース・ジョンストン作品という、我々ブルース・ジョンスソン・ファンにはたまらないセレクションになっていることだ。
Journey To Miyako Islands 2011
下地島空港沖の海
第6回宮古諸島ツアー
佐野邦彦
一つ残っていた。ずっと心に引っ掛かっていた。それは宮古諸島の水納島(みんなじま)だ。
沖縄本島の近くにクロワッサンアイランドと呼ばれている同名の島があるがそれではない。宮古島と石垣島の中間にある多良間島の沖8kmに浮かぶ、人口3人の島、それが目指す水納島だ。
私事で恐縮だが、我が家では家族4人(今年の夫婦で行った八重山は除く)で今まで11回、宮古島を中心とする宮古諸島、石垣島を中心とする八重山諸島へ行った。6回の八重山で、八重山諸島にある11の有人島へはすべて行くことができた。
では宮古。5回の宮古で、宮古諸島にある8つの有人島のうち7つは行った。残っているのはそう、水納島だけなのである。水納島さえ行けば、宮古・八重山の19の島、全てへ行ったことになるのだ。
しかし長男は内定が取れ、来年は就職である。家族4人で行くことはまず、不可能だ。だからこそ、今年、どうしても悲願を達成したかった。悲願とは私個人だけのもので子供二人は特にどうとも思っていないようだが、全部行けば、記憶には残るだろう。
一昨年にトライし、多良間島まで渡り、海の向こうに水納島が見えていた。晴れていたのに、海がうねっていて渡ることはできなかった。だから今年の6回目の宮古は水納島へ渡れなければ意味がない、そう決意していた。
だからはじめ9月に予約していたが、台風が奄美へ迫っていたので、影響で船が出せないと確信し、3割のキャンセル料を払って10月に変更したのだ。
しかし10月に入っても宮古はずうっと雨もしくは曇りマーク続き。3週間くらい晴れはほとんどなかったと思う。沖縄は雨じゃなくても曇りでは何の意味もない。陽が射さなければ海はあの輝く翡翠色ではなく、緑がかったねずみ色でしかない。
ただこれだけ悪天候が続けば、さすがに行く頃には天気が回復するのではと、淡い期待があった。すると願いが通じたのか、行く日は曇りマークだが、その後は曇り時々晴れのマークが並ぶ。台風も熱帯低気圧も発生していない。これなら渡れそうだ。
こうして12回目の離島旅行がスタートした。
ローリング・ストーンズの名作『Some Girls』のデラックス・エディションは、付属のディスク2の全てが未発表曲という超涙もの仕様。アルバム本体の素晴らしさはもう語る必要もないのでボーナス・ディスクのみ紹介しよう。
大好きなストーンズだがストーンズ至上主義のロックオヤジは嫌い。ロックを生き方と結び付け、それをゴリ押しする姿勢が不快だ。ポップ的なものを商業主義と断罪し、バカにしているのが情けない。その手の音楽評論家が多いのが音楽雑誌で、例えばビートルズのベストを選ばせればジョンの曲が圧倒的に上位を占め、ヒット曲の7割を書いたポールの曲は下位に低迷する。もちろんジョンは人間的に好きだし曲も好きだが、曲という観点で選べばポールの曲が多くなる。音楽評論家でポールの曲が半数なら信用できるが少数しかいない。だから音楽雑誌はつまらないのでまったく買う気がしない。興味があるのはリストだけだ。ロックは「カッコいい」という主観だけで語るともっとも思いを共有できる。クロマニヨンズの真島昌利さんは「あれ、聴きました?カッコいいですよね」と書いてくるが、その言い方が一番好き。ストーンズの曲はカッコいい。だから好きなのだ。
フーの代表作『Quadrophenia』がスーパー・デラックス・エディションでリリースされた。アルバムは96年リミックスのリマスター、目玉のボーナス・ディスクはアルバム収録曲のデモと未発表デモによるピート・タウンゼンドによるもうひとつの『Quadrophenia』。「5:15/Water」のアナログ・シングル、5.1サラウンド・ミックス8曲が収められた。
ローリング・ストーンズ絶頂期の待望のライブ映像がリリースされた。1978年にリリースされた『Some Girls』を受けてのツアーであり、アルバム10曲の内7曲を披露、懐メロに頼らないところがまずカッコいい。ストーンズ人気はまったく衰えることがなく、70年代に入って逆に加速していた感がある。ビルボードのアルバム・チャートの話だが、60年代で1位になったアルバムは1枚だけだったが、70年代はスタジオ・アルバムの6枚全てが1位にランクされた。その中でも一番売れたのが『Some Girls』で400万枚以上の驚異的なセールスを見せたのである。
キンクスのデイブ・デービスの、キンクスとして発表(発表予定だった曲も含む)した作品集がリリースされた。1曲を除き1960年代の録音で、デイブのソロといって敬遠する人も、これは60年代のキンクスのアーカイブ、事実、itunesのCDDBでも表示したのはDave DaviesではなくてThe Kinksだった。
土屋貴雅による音楽プロジェクトであるツチヤニボンドが、2007年のデビュー・アルバム『ツチヤニボンド』から4年振りとなる2ndアルバム『2』をリリースした。
そのエクスペリメンタルな音像は手法的にこれまでになかった訳ではないが、日本語ロックとの融合という点では群を抜いて面白い存在であるので紹介したい。
クリッターズのプロジェクト3レーベル時代のアルバム2枚が2イン1でリリースされた。VANDAでこのアルバムを紹介したのが15年前、2枚の内1968年にリリースされたセカンド・アルバム『Touch'n Go With The Critters』はポップな快作だったので、プッシュしていたのだが、プロジェクト3で同じくプッシュしていたフリー・デザインがメジャーな存在になって何度もリイシューされるようになったものの、クリッターズはKappレーベル時代の「Younger Girl」のイメージが強すぎて、プロジェクト3時代は落っこちてしまったままだった。
さていったい何から書けばいいのか分からない。だってビーチ・ボーイズの『Smile』が正式リリースされたのだから。40年以上もビーチ・ボーイズのファンだった私にとって『Smile』は見果てぬ夢だと思っていた。その夢が叶ったのだ。冷静さを保つことが難しい。
PEACEBIRDは、スウェーデン生まれのシンガーソングライター、ヨハン・クリスター・シュッツのソロ・ユニットである。
活動拠点を日本に移して始動させたのがPEACEBIRDであり、今回このファースト・アルバムをリリースしたので紹介したい。
ビートルズに続き、ローリング・ストーンズも、主演した6回分をノーカットで収録したDVDがリリースされた。ノーカットとはその放送回の全てが入っているので、他の出演者のシーンはもちろん、CMまでそのまま入っている。




















最近のコメント