2017年12月15日金曜日

佐野邦彦氏との回想録5・鈴木英之

この回想録も早5回、今回もVANDA18の乱丁本に同封した「感想&リクエスト」手紙の中から発生したもう一つのコラム「Classics Ⅳ」についてのエピソードをまとめさせていただく。彼らについては、前回紹介した「The Grass Roots」と違い、全くの後追いなのでもともと誰かに伝えられるほど詳しいわけではなく、単にもっと知りたいという興味半分の軽い気持ちで書いたにすぎなかった。ちなみに彼らを知ったのは1981年にレンタルした『American Hit Anthology 1965-1975(アメリカン・トップ40)』での偶然の出会いが始まりだった。



このLPの目当ては、Cornerious Bros. & Sister RoseToo Late Turn Back Now」だったが、ここに収録されていたClassics Ⅳの「Spooky」にノック・アウトされてしまった。そして、馴染みのショップでClassics Ⅳのレコードを探してもらったところ、「グローリー・オブ・60’sアメリカン・ポップス」という1,500円廉価版シリーズに『Traces/ Classics featuring Dennis Yost』があり、即座に入手した。このアルバムには「Traffic Jam」「Free」「Rainy Day」など粒ぞろいのオリジナルが並び、またカヴァー「Sunny」でのDenis Yostブルージーなヴォーカルにも魅せられ、完全にはまってしまった。その後、カット盤のセカンド『Mamas And Papas/Soul Train』をゲットし、ここでもヒット曲「Stormy」やYostのヴォーカルが光るカヴァー「The Girl From Ipanema(イパネマの娘)」にくぎ付けになり、その後この2枚は我が家のステレオではヘビロテ状態が続いた。



さらに、以前から聴いていたAtlanta Rhythm Section(以下ARS)はClassics Ⅳの発展型と知り、彼らはUnderdog』(1979/8作)で「Spooky」をカヴァーしていた。また、Santanaが『Inner Secret(太陽の秘宝)』(1978/10作)で「Stomy」をカヴァーしている事実を知り、彼らについてさらに詳しく知りたいという探究心が芽生えた。加えて当時の愛聴盤『パジャマ・デート/Juciy Fruits』のLPセルフ・ライナーに「~コーラスがちょっとデニス・ヨースト&クラシックス的~」という表記を見て興味は深まるばかりだった。ただ、当時は田舎暮らしでショップも少なく、1960年代のポップ・バンドを探すには困難を極め、その後に入手出来たのは『The Very Best Of~』だけだった。さらに当時著名ショップが「Denis Yostカムバック・ソロ作」とプッシュしていた新作LPを手に入れるも、それなりの健闘作とは感じたが、やはり全盛期には遠く及ばない出来に失望し、以降彼らについての探索心は萎えてしまった。


その後、稲垣潤一が1987年のシングル「思い出のビーチクラブ」のカップリングに「Traces」を収録するといった出来事もあったが、徐々に彼らの記憶も薄れていった。そんな時期にVANDA誌と出会い、この本の執筆陣には詳しくまとめくれる方がいるのでは?という切なる願いから要望を入れたのだった。その期待に応え、VANDA20に佐野さん自らまとめた待望のClassicⅣ単独コラムが掲載された。また、その末筆には「次号ではまだ未聴の音源を探して特集を組む予定なので、お楽しみに。」とあり、次号ではさらに掘り下げた深い内容を披露してくれるのだろうと楽しみになった。しかしその直後、佐野さんから「鈴木さんにお願いしたい。」と連絡が入り、まさか自分がまとめることになるとは思っておらず、想定外の展開に唖然としてしまった。とはいえ、彼がコラムを掲載したことにより、関西の大手ショップでも「ClassicsⅣ」のコーナーが設置されるようになったので、「きっとこれなら音源も探しやすくなるだろう」という安易な気持ちから引き受けた。

実際に私が担当になったと言っても、ヒストリーやディスコグラフィーは、既に佐野さんがほぼまとめてあったので、内容に専念しGrass Rootsでも参考にした「1960年代の音楽雑誌」の情報をベースに当時の状況チェックしはじめた。とはいえ前回と違って、かなりの後追いなので、自分の得意とするリアルタイマー的なまとめ方が上手く表現出来ず、佐野さんには頻繁に内容確認をしていた。それほど不安交じりのスタートだったが、彼から「それだけ古いことを記憶しているのだから大丈夫!」と励まされ、ClassicsⅣがARSに繋がっていく経緯も含め、それなりに納得のいくものをまとめる事が出来た。そして19966月にVANDA21が届き、目次をみたところClassicⅣは(恐れ多くも)第2特集で掲載されていた。ディスコグラフィーもなく、たったP4でこの扱いは恐縮するばかりではあったが、今回は二編掲載ということでの配慮かと思うことにした。

そのもう一編とは、前回の寄稿後に佐野さんとのやり取りから突然浮上したもので、私が高校当時に書き綴っていた手書きヒット・チャート表をベースにしたコラム「Music Note」(と佐野さん命名)のことだ。こちらは私よりも佐野さんがとても楽しみにしていたものだった。

なおこの号の発売された1996年にはVANDA18で大特集した「ソフト・ロックA To Z」が、音楽之友社より単行本として発売されている。また828日には東芝EMIより『Soft Rock Collection~Traces』なるコピレーションも発売され、ClassicⅣの音源が(多分)本邦初CD化されるとともに、「ソフト・ロック」という言葉が、日本の音楽シーンに定着するきっかけとなった。そんな飛躍の年に、執筆者の一人としてVANDAに参加させていただけたことは光栄に思っている。

ちなみにこのCDにはヒット曲のみならずClassicⅣ前身のClassics名義の「Pollyanna」や、アルバム収録曲の「Rainy Day」も選曲されており「さすが!」と唸った。さらには山下達郎ファンにはお馴染みの「Guess I'm Dumb/Glen Campbell」など鋭い選曲が組まれ、まるであのRhinoにも迫るようなコンピだった。これをメジャーのレコード会社で発売できたのは、全ては佐野さんの博識に対する信頼の表れだと感じた。このようにClassics ⅣもJigsaw同様、日本でその存在がクローズ・アップされた。


そして、20141119日には東芝EMIより“Soft Rock Best Collection 1000”シリーズの中に佐野さん選曲(&解説)による待望のClassics Ⅳ単独のベスト・アルバム『The Very Best Of The Classics Ⅳ』が発売されている。このCDが発売された時期に、この選曲について佐野さんと話す機会を持ち、カヴァー曲は何故外したのか伺ったが、彼は「あくまでオリジナルにこだわった」とのことだった。ただ自分としては、Yostのシンガーとしての力量にスポットを当てたカヴァーも捨てがたいと思っているので、可能であれば初期オリジナル4作を「4 in 2」(多分これくらい?)での完全CD化の実現を望むところだ。


という事で、次回は私が音楽マニアになりたての頃に聴いていた、当時のラジオ番組のチャートを振り返る「Music Note」について紹介させていただくことにする。




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2017年12月5日火曜日

佐野邦彦氏との回想録4・鈴木英之

今回は私が初めてVANDA誌に寄稿させていただいたThe Grass Rootsでの佐野さんとのやり取りの回想を掘り起こすことにする。
第一回目の投稿でも書いたように、私と佐野さんとの出会いは、19956月発行のVANDA18の乱丁本に同封した「感想&リクエスト」手紙が取り持つものだった。こう書くと聞こえはいいが、実態は礼儀知らずの「クレーマー」からの挑戦状といったものだった。そこに私が書き記したことは、特集記事に掲載された一部アーティストの間違いや記述不足などの指摘(というより苦情!)、そしてこの特集に「The Grass Roots」「Classics Ⅳ」がないのは手落ちだとばかりに、言いたい放題をレポート用紙数枚に延々と書き綴っていた。今にして思えば、あの佐野さんに対して恐れ多いことを掻き立てたものだと呆れるばかりだ。

ただ、こんな偉そうなことを書いたのは、旧職場の後輩で音楽評論家として活動を始めたばかりのK君のライナー・デビュー作「JazzシンガーAさんの新作アルバムの選曲と解説」について協力依頼を受け、かなり時間を割いて手伝い、某雑誌のレヴューで絶賛されたことがあったからだ。そんなこともあり少々慢心していたからかもしれない。とはいえ、そんな一方的な私の手紙に対する佐野さんからの回答は大変丁寧なもので、間違いや記述不足などには率直に謝罪、また要望に対しては「詳しく研究している人がいないので、書いてみませんか?」というオファーだった。


これをきっかけにVANDA誌へのコラムを始めることになるのだが、本音をいえば私が洋楽を聴き始めたころに最も影響を受けた評論家八木誠氏に書いてほしいという切なる願いだった。それゆえまさか自分で書くようになるとは夢にも思わなかった。なにせ文字とのにらめっこは、即睡魔に襲われてしまうような自分が文章なんて書けるのだろうか?という不安も過っていた。正直、売られた喧嘩を買われてしまい、どうやって逃げようかという思いで、毎日もやもやしていた。すると「こう書いたらいいんですよ!」とばかりに、この年秋に発行されたVANDA19を送付いただいた。
ここには、私が長年読みたかった5th Dimensionの特集記事が掲載されており、熱烈なファンであろう筆者の熱い愛情が伝わり、自分もThe Grass Rootsの一ファンとして書いてみたくなった。また、当時は閑職勤務の身だったこともあり、課外授業するだけの時間はたっぷりあったので、翌年春に発売する20に向けお受けすることにした。

そんな経緯で安請け合いはしたものの、その時点で自己所有のLPレコードは『Lovin’ Things』『Move Along』とベスト『Their 16 Greatest Hits』、それに中期以降の主要シングルとくらいしか手持ちがなく、ネタ不足は明らかだった。
そこで週末は滋賀から京都や大阪のショップに遠征し、ローラー作戦で音源探索に励んだ。しかし、ロックやソウルの王道ものならともかく、ポップスでしかも代表作といわれるアルバムもないポップ・バンドの音源探しは難航の連続だった。そして数ヶ月かけて、リイシュー間もない復刻CDWhere Ware You When I Needed You』『Let's Live For Today/Feelings(2 in 1)』と、LPAlotta’ Mileage(恋に乾杯)』『The Grass RootsHeaven)』を何とか入手し、最低限の準備は整えることが出来た。


早速、ディスクに挿まれていたライナーを読みながら音源に耳を傾けた。すると高校時代「Temtation Eyes(燃ゆる瞳)」を聴いて彼らのファンになり、最後の全米トップ10ヒット「Snooner Or Later(恋はすばやく)」を購入した頃の思い出がよみがえってきた。そんな気分になったところで、彼らを知るきっかけとなった『TBSポップス・ホット10(日曜;815)や、All Japan Pop 20(文化放送系~私は静岡放送で日曜;2000~)などのチャートを数年書き溜めたノート、加えて友人から譲り受けた大量の1960年代音楽雑誌(MLTeenbeat等)を読み返しながら作業を開始した。その資料から日本独自ヒットPain」の事などを思い出し、リアルタイマーとしての体験をベースにした内容で書き進めた。ただ、困ったのは結成から初ヒットまでの経緯が当時のLPライナーに書かれている内容とリイシューCDでは大きく異なっていることがわかり、またヒットの出なくなった1970年代中期以降は資料がほとんどないことに躓き、作業は難航し始めた。要するに、「起承転結」の「起」と「結」がうまくまとめられなくなってしまったのだった。


こんな沈滞ムードのなか、佐野さんより「進行状態はいかがですか?」と催促が入り、とりあえずその時点での原稿を送った。するとディスコグラフィーやその他関連資料については、「良いんじゃないですか。」と一発で合格評価を頂けた。ただ、不安視していたヒストリーは内容以前に「誤字脱字」「意味不明表現」など文章力のなさを含め細かく指摘され、それをまともな文章にするだけでも、56回は書き直しを繰り返した。

その様子たるや大学受験期に体験した通信添削をしているような気分で、出すたびにやり直しを繰り返した。まるで赤点補習を受ける不出来な学生になったような気分だった。しかし今思い返せば、あんな幼稚な体裁の文章を何回も読み返していただいた佐野さんの辛抱強さに感謝しなければ罰が当たると思う次第だ。

そして文面がましな体裁になってくると、「まだ何か書き忘れている感じがする」と不安が募り、約束の入稿日を過ぎても提出できない状態になってしまった。佐野さんからは「いつ提出いただけますか?」と催促されるようになるも、「この内容ではVANDAに載せられない」とばかりにひたすら資料探索を続けていた。そして、ついに痺れが切れた佐野さんから「鈴木さんがわからないものは、誰にもわかりませんよ!」とダメ押しされた。その言葉を聞いて、ヒストリーの内容も関連資料同様に佐野さんは納得されていたのだと認識し、318日約3週間遅れで入稿を果たした。

この処女作となった私の原稿は610日発売のVANDA20で、それまで誌面を飾っていたそうそうたる顔ぶれを差し置いて第三特集8ページという扱いで掲載となった。ただ発売前に自宅に届いた本誌をわくわくする想いで読み返すと、文字化けや表記ミスが目立ち、反省点ばかりで落ち込んでしまった。
さらに「解散後の1982年再結成作『Powers of the Night』(Bon Joviのセカンド・シングルのオリジナル収録)」を書き落とすという大チョンボ(勝手に不要と判断)まで犯していた。ちなみにこれらの加筆&修正は、後にVANDAで発刊する書籍で発表するチャンスをいただいている。


こんな至らなさのあまり「これで、私の出る幕は無くなった」という心境になっていた。しかし、この本が届いた数日後に佐野さんから「次回は、今20号で私が簡単に紹介したClassics Ⅳをお願いしたい。」と要請があり、またチャンスをいただけたことに胸をなでおろした。その時に、今回の原稿をまとめるにあたり、高校当時に書き綴っていた手書きヒット・チャート表がとても役に立ったという話した。すると「そのネタも面白そうですね。それも一緒にまとめておいたらどうですか。」と切り出され、なんとVANDA21には2本も書かせていただけることになった。
という事で、次回は「Classics Ⅳ」、そしてその次は当時の手書きチャートについてまとめた「Music Note」について紹介させていただくことにする。




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2017年12月3日日曜日

THE LAKE MATTHEWS:『Gimme Five!!』 (Happiness Records/HRBR- 006)



今回紹介する“THE LAKE MATTHEWS”(ザ・レイク・マシューズ)の『Gimme Five!!』は、過去筆者によるレビューで評価が高かった女性シンガーソングライターの杉瀬陽子が、自身のイベント企画のために結成した“一夜限りのミステリーバンド"のファースト(ラスト?)・ミニアルバムで、今月の6日にリリースされる。 

メンバーは杉瀬のサポート・バンドからは、ベーシストの伊賀航(細野晴臣バックバンド等に参加)、ドラマーの北山ゆう子(曽我部恵一のバックや流線形等の参加で知られる)がピックアップされ、加えてゆずやキリンジ(KIRINJI)など多くのメジャー・アーティストのセッションやライヴ・サポートからアレンジャーとして活躍するキーボーディストの伊藤隆博が参加している。
そして何より特筆すべきは、元キリンジからソロに転向した堀込泰行が、杉瀬と共にフロント・メンバーとしてヴォーカルとギターを担当していることだろう。
杉瀬のアルバム『肖像』(15年)収録の「五月雨二鳥」を2人で共作したことで、彼女のライヴにもゲスト出演した機会があり筆者も聴いたのだが、2人のハーモニーのブレンドは実に調和していて味わい深かった。

このTHE LAKE MATTHEWSの活動としてはライヴの他、今年9月に7インチ・シングル「Pegasus」をリリースし既に完売状態だという。その後押しもあり、このミニ・アルバムに至ったという見方も出来る。
収録曲はこの「Pegasus」以外は各メンバーが選んだ昭和時代の楽曲カバーということで、各々のルーツや趣向が垣間見られて興味深い。
楽曲と選曲者は下記の一覧を参照してほしい。

1. 氷の世界 <井上陽水カバー>(選曲:杉瀬陽子)
2. 星くず <久保田真琴と夕焼け楽団カバー>( 選曲:北山ゆう子)
3. 水に挿した花 <中森明菜カバー>(選曲:伊藤隆博)
4. 渚・モデラート <高中正義カバー>(選曲・伊賀航)
5. Pegasus  <THE LAKE MATTHEWSオリジナル>
6. 地球はメリーゴーランド <GAROカバー>(選曲:堀込泰行)

 

ここでは筆者が気になった主要な曲を解説したい。 
冒頭の「氷の世界」は説明不要と思うが、国内初のミニオンセラー(100万枚)となった井上陽水の同名アルバム(73年)のタイトル曲である。アルバム『氷の世界』は、当時の日本における『狂気(The Dark Side of the Moon)』(ピンクフロイド 73年)のようなロングセラー・モンスター・アルバムだった。
この曲はロンドンのソーホーにある、かのトライデント・スタジオで全面的にレコーディングされており、当時としては非常にファンキーなアレンジが施されているのが特徴的だ。現地のセッション・ミュージシャンは、後にロキシー・ミュージックに関わるベーシストのジョン・ガスタフソンや彼と同じくクォーターマスのメンバーだったピート・ロビンソンがクラヴィネットをはじめキーボードを弾いており、コーラスには後にグリース・バンド(ジョー・コッカーのバックバンド)と合流してココモの母体となったアライヴァルのヴォーカリスト3名も参加している。なんでも当時陽水達はスティーヴィー・ワンダーの「迷信 (Superstition)」 (73年)にインスパイアされたサウンドを目指していたという。
前置きが長くなったが、THE LAKE MATTHEWSのヴァージョンでは、べースラインにデオダートの「摩天楼(Skyscrapers)」(『Deodato 2』収録 73年)のそれをモチーフにしており、原曲以上にバックビートを強調している。数々のセッションをこなしている伊賀と北山のリズム隊のコンビネーションは完璧と言える演奏でたまらない。また肝心のヴォーカルだが、1番と2番でワンコーラスずつ堀込と杉瀬で分け合い、間奏後に2人のツイン・ヴォーカルとなり曲を盛り上げている。

先行のオリジナル・シングル「Pegasus」は、杉瀬1人によるソングライティングだが、堀込とのヴォーカルを想定したようなミディアム・メロウな曲調であり、嘗て堀込がキリンジ時代に残した稀代の名曲(最近CMに起用されている)「エイリアンズ」(『3』収録 00年)に通じる、心情風景を背景とした不毛の愛がテーマとなっている。
堀込の荒削りなギター・ソロに続き、アレンジにも貢献したと思しき伊藤隆博が自らプレイするトロンボーン・ソロのコントラストも非常に効果的だ。
そしてラストはガロの「地球はメリーゴーランド」であるが、原曲が和製ソフトロックとしてエヴァーグリーンな存在であることは、古くからのVANDA誌読者なら言わずもがなだろう。自らもその読者だったらしい堀込ならではの趣味性と言え、前曲「Pegasus」からの流れからもこのミニ・アルバムの着地点としてこれ以上相応しい選曲はないかも知れない。
ニール・ヤングの「Out on the weekend」(『Harvest』収録 72年)を彷彿とさせるダウントゥアースなビートをバックにして、堀込の叙情的なヴォーカルに寄り添う杉瀬の無垢なハーモニーは慈愛に満ちあふれている。この曲を歌うために組んだのではないかと思わせる必然性に感動するばかりだ。
興味を持った音楽ファンは入手して是非聴いてほしい。
(ウチタカヒデ)

2017年12月2日土曜日

「Springs Live Picnic 2018」のご紹介

VANDA書籍にも執筆参加されているヒロ渡辺氏が、土屋剛氏、シンディ浅田氏と組んでいるソフトロック・グループ、 スプリングスのライヴ情報です。 
ゲストに原めぐみさんが出演されます。 
来年2月のライヴですが会場の席数に限りがあるので、下記リンクで早期の予約をお勧めします。



日時:2018年2月10日
OPEN 18:00 START 19:30
出演:スプリングス<シンディ浅田(vo)・ヒロ渡辺(g,vo)・ 土屋 剛(key,vo)
> ゲスト:原めぐみ
料金:¥3,500 ※別途、飲食代+消費税が必要です。
※小学生以下無料 
場所:神保町 楽屋(らくや)
東京都千代田区神田神保町1-42-7 ソマードビル1F
 【予約受付中】
電話予約:03-3518-9496
WEB予約:■ 神保町楽屋予約申込




スプリングスfacebook:https://www.facebook.com/events/366646330449790/

2017年11月29日水曜日

佐野邦彦氏との回想録3・鈴木英之

Jigsawの第一回リイシュー発売をひかえた910日には、BS.TBSで『Song To Soul』の「Sky High」特集がオンエアされた。
番組は「Sky High」が誕生するまでの一週間(1975522日~28日)を中心に、メンバーをはじめとする関係者インタビュー、ジグソーの作品紹介、当時の写真や資料等で構成され、「Sky High」が主題歌となった映画『The Man From Hong Kong』の一部映像、ミル・マスカラスの試合風景もしっかり紹介されていた。さすが「報道のTBS」と唸らせる渾身のプログラムで、番組制作スタッフの真摯な取り組みが感じられ、大変よくできた音楽ドキュメンタリー番組だった。
番組ラストの協力者のテロップには、今回のライナー作成で大変お世話になったS氏、そして今回私と「Sky High & Rera Trucks~」のライナーをご一緒させていただいたY氏のクレジットがあり、佐野さんと自分も番組の支えになったようでうれしくなった。




ただ欲を言えば、Tom JonesFour Topsを紹介するパートで、Tomの「It’s Unusualよくあることさ)」は欧米向けであれば納得できたが、日本においては、「Love Me Tonight」か「She's A Lady」の方がふさわしいのでは?と感じた。またFour Topsは時代を考慮してか「Ain’t No Woman (Like The One I've Got)」がチョイスされていたが、こちらも「Reach Out I'll Be There」などMotown時のヒット曲が分かり易かったかな?というのが個人的な感想だった。さらにもっと凝るのであれば、Des Dyerが「「Shaft(黒いジャガーのテーマ)」をヒントにして作曲した。」につながるよう、1973年のヒット「Are You Man Enough?(シャフト!アフリカ作戦)」にしても面白かったかなとも感じた。



リイシュー第2回発売の3タイトルについては、45作が佐野さん、林哲司氏絡みの6作を私が受け持つことになっていた。作業はこの放送直後に、発売元から収録可能曲のマスター・データが送信され、そこから音源をチェックして収録時間内にまとめるというところからスタートした。日中仕事を持っている私はそれを一気に全部チェックするのに手間取り、病床の佐野さんが「1曲でも多く未発表音源を収録する」とばかりに、ものすごい勢いで聴きまくり、各アルバムの構成案をまとめ、収録内容はほぼ佐野さん主導で進められた。こんな流れで佐野さんの意見をベースに、私の提案も多少盛り込ませていただきつつ、927日に収録曲はいったん決定した。その後、いくつかの修正を入れ「重要な曲を外すことなく80分収録」にこだわった「レア音源だけ集めたCD」と揶揄されることのない収録リストが9月末までにまとまった。こういった作業となると「さすが佐野さん」と唸るばかりで、以前『The Beatles Anthology』シリーズでの詳細な音源チェック・リストが、当時某レコード会社で社員教育に採用したいとオファーを受けた実績を持つだけはあると頭が下がる思いだった。



とはいえ個人的には、『Song To Soul』で流れた「Sky High」のインスト・ヴァージョン(編曲Richard Hewson)と、1976年にJigsawがエントリーした第7回世界歌謡祭での「Paint The Smile On(恋のクラウン)」ライヴ音源(『第7回世界歌謡祭実況アルバム』)の収録に未練が残った。特に後者は朝日新聞縮小版にて「グランプリ決定世界歌謡祭」(フジ系11/23(火)1600)が放映された記事から探し当てたもので、佐野さんも「世界歌謡祭のライヴ音源の発見は凄い!」とその価値を認めてくれていたが、これらについてはマスターの所在が発見できず残念ながら見送りとなった。


この案が決定した直後に佐野さんより、私が受け持つ『Pieces Of Magic』について「林さんのエピソードは一般には知られていないのでそこにスポットを当てるべき」とメールが届き、改めて私ならではの内容にしなければという気持ちが昂った。


またその翌日には、私が6月に出演したテレビ番組の最新プログラムが「昭和ネタ」だったことを引き合いに、私に再度のアプローチを後押しする連絡が入り、佐野さんが元気なうちにこちらの企画もまとめなければと焦るばかりだった。

更に、私の誕生日にはFacebookを通じて「精力的な活動を楽しみにしています。」とお祝いメールを頂き、「全て佐野さんのおかげです」と返信すると、すかさず「どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。その姿勢で頑張ってよりメジャーに!」とあり、なぜか彼からお別れの挨拶をされているような心境になってしまった。

さて話はJigsawのライナー制作に戻るが、私が担当したアルバムのリアルな発売日は1977225日だが、この直前の219日にミル・マスカラスが登場テーマに「Sky High」を使用して話題沸騰の最中だった。さらに林さん作の日本盤EPIf I Have To Go Away(君にさようなら)」の発売された325日は、その直前の321日に「Sky High」がオリコン11位(翌週3位)に登場しており、こんな状況ゆえ新譜としての印象の薄さを物語る不幸な作品だった。ちなみに当時は、プロレス・ファンが多かった私の周りでは、このテーマを口ずさんでマスカラスの必殺技「クロスチョップ」「フライング・ボディ・アタック」の真似をするのがブームになっていたほどだった。Jigsawファンの私でさえ林さんの記事を発見しなかったら、世界歌謡祭の入賞曲「Paint The Smile On(恋のクラウン)」を収録したアルバムくらいにしか認識していなかったのだから、一般での認知が低いのは無理もない話だった。

 また日英米と収録曲が微妙に違い、特に日本盤は「Sky High」未収録の新装ベスト・アルバムといった感じになっていた。しかし、CDリイシューではオリジナルの英国盤がベースになり、ヒット作にはならなかったが、まだバンドとしての輝きが失せていない充実作と再認識させられるものだった。個人的には林さんに繋がった記念碑的作品で、あの当時のことがリアルに頭をよぎり、かなり字数をオーバーしてしまった。そこで冷静に文面を見直し、気になった事を1017日佐野さんに最終確認をして完成させることが出来た。


 その後は、発売元の担当者とタイトルのチェックや、アルバム・ブックレットに掲載するジャケットのレイアウトについてやりとりをしていた。その中で、問題となったのは佐野さんが集大成とばかりにまとめあげたコンプリート・ディスコグラフィがかなりスペースを占めており、私がこだわっていた日英米のLPEPのオリジナル・ジャケットの掲載スペースが確保できそうにないということだった。ただそんな私が不安視していた案件は、CDトレイの内側を使うという担当者の配慮でなんとかクリアできた。全ての作業が終わって気がつけば、そろそろ秋の気配が感じられる季節になり、佐野さんの健康面を配慮して、メールのやり取りは控え、17日の確認メールが佐野さんとの最後の連絡になるとは予想もしなかった。

 1030日にサンプルCDが届き、休日だった翌日にパッケージを開けて中を確認し、佐野さんに報告がてら連絡文を書き始めた直後、Facebookより彼の訃報が飛び込んできた。

一瞬、この半年間佐野さんとやり遂げたJigsawのことが頭の中を回想した。そして、これはきっと佐野さんの命が燃え尽きる前に、天から贈り物として一緒に仕事をさせてくれたのだと思え、彼に完成の報告をするため、114日通夜の葬儀会場に向かった。そこにはまるで眠っているかのような佐野さんに対面、ご親族と彼の生前を熱く振り返った。
5日は告別式が執り行われていたが、火葬の最中に放送されていた「サンデー・ソングブック」(TokyoFM)で、山下達郎氏が佐野さんに敬意を評したお悔やみのメッセージと追悼に「Let’s Kiss The Sun~愛を描いて」をおくってくださった。
まさに「神対応」、追悼曲と一緒に佐野さんが天に召されていく情景が浮かんだ。


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2017年11月26日日曜日

VANDA誌以前の佐野邦彦氏の投稿記事と氏への回想録

8月にビーチ・ボーイズのレア・アイテム、プロモ・7インチ盤『Spirit of America / Boogie Woodie』に関する記事を提供してくれた筆者20年来の友人が、佐野邦彦氏がVANDA誌以前にビーチ・ボーイズに関する記事を投稿していた『RAVE ON』誌を紹介してくれた。
氏の記事によってビーチ・ボーイズ・コレクターとして開眼していった彼による回想録を少しお送りしたい。



佐野氏が泉下の客となられた、かの知らせには涙腺が緩むのを禁じ得なかった。 ジャンルを超えた様々な音の調べの豊かさを世に知らしめるべく尽力された人生に敬意を払う。 その中でも数々の方々が賞賛されるようにソフトロックをいちジャンルにまで昇華させた事は特筆すべきであるが、ソフトロック言論確立に至るまでのインターネット無き時代から草の根で培われた多くのミニコミ、人的交流を基盤に続けられてきたオールディーズ研究の成果の一つでもある。
1970年代前半からオールディーズ研究のミニコミが刊行され、1970年代後半さらに数誌が刊行されると同時に交流や人気が拡大していくこととなる。

当方のThe Beach Boys収集もまずは身の回りの聞くことができる音源を探すところから始まり、ほとんど国内再発盤がない状況からのスタートは暗中模索であった。かかる状況では、日本語によるThe Beach Boys収集の指南や歴史など体系的に知る手段は皆無であって、あったとしても断片的であったが、間もなく答えは海外にある事に当然ながら気がつく。
輸入盤や中古レコード店にコレクター向け雑誌があり、たまたまThe Beach Boysが特集されており、おまけに世界中の個人ファンクラブの住所が掲載されていた。すかさず当方は手紙を出しまくり入会することが出来ると、ファンクラブ内で行われるレア音源の交換や既に米国で刊行されていた伝記や研究書の入手が出来、ようやく彼等の全貌が分かるとともに、コレクター道の嚆矢となった。
ほとんど徒手空拳に近い形でThe Beach Boysやオールディーズに耽溺していた当方ではあるが、ある日とある中古レコード店で見つけた雑誌の表紙がGene Vincentではないか!とよく見ると英語ではなく日本語で色々な記事で特集されており、目に付いたのがThe Beach Boys rare masters???執筆者は佐野邦彦とある、それが佐野氏との出会いの始まりであった。


その雑誌は『RAVE ON』という名前で、前身の『Back to the Rock』から続くオールディーズ研究の大きな潮流の中にあることが分かる。
巷間かまびすしい、ビートルズやロック中心史観とは異なるポピュラー音楽の宝庫がそこにあった、それを契機に音楽の趣味は完全にコンテンポラリーから背を向けてしまう結果となるが、渺渺たるものではあるが収集してきたアイテムやそこで得た知識などコラムの形で披露させていただくことで佐野氏への追辞に代えることとしたい。 

(text by -Masked Flopper- / 編集:ウチタカヒデ)

2017年11月22日水曜日

佐野邦彦氏との回想録2・鈴木英之

Jigsawは佐野さんがVANDAにコラムを発表したことがきっかけとなって、19986月にテイチクよりオリジナル・アルバム4タイトル、7月には(佐野さん選曲)新装版ベスト『Soft Rock Collection』の計5枚がリイシューとなった。当時、彼からの依頼で発売元よりサンプル盤が届き、解説の末尾には「音源を提供していただいた鈴木英之氏に感謝いたします。」とあり、自分が彼の役に立ったことをうれしく思った。

ただリアル・タイマーの私としては、当時と同じジャケットでの発売となった第4作『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book(邦題:愛の想い出)』以外はオリジナル・ジャケット仕様で、初めて対面する心境だった。また第6作『Pieces Of Magic(邦題:愛のマジック)』は収録曲もかなり違っていたので、違和感を覚えてしまった。とはいえ、研究熱心な佐野さんのおかげで実現したこのリイシューを喜んだものだった。

私はこのお礼として、以前彼が「価値はないんだろうけどこにも見当たらない」と言っていた日本のみ発売となったLPJourney In To Space』を「私が持っているよりも、佐野さんのところにあった方が価値はあると思う」と伝えてプレゼントした。その後、2006年にはビクターより紙ジャケ仕様で、再び佐野さん主導で(微妙に選曲が違う)4枚がリリースされ、今回ウルトラ・ヴァイヴからパーフェクト・リイシューとして全6作が発売されている。今回のリイシューでは、『Journey ~』も完全収録することになり、約19年を経てこのアルバムが役に立つことになり、本当に良かったと思っている。



ここで話を私がどのようにJigsawを知ったのか紹介させていただく。まず初めて彼らの曲を聴いたのは、FM東京(現:Tokyo FM)の「ダイヤトーン・ポップス・ベスト10」にチャート・インした「夏の歌をいつまでも(My Summer Song)」だった。当時はベスト10番組が数多く放送されていたが、この曲がチャート・インしていたのはこの番組だけだったので、新し物好きの自分としては気になる存在となった。その後、「悲しみのヒーロー(Billy Don’t Be Are Hero)」でブレイクしたBo Donaldson & The Heywoodsの第2弾「恋のあやまち(Who Do You Think Are)」のオリジナルとしてJigsaw版を聴き、完全にはまってしまい、この曲が収録された『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book』を手に入れたのが始まりだった。




その後も(人知れず)彼らを聴き続けたのは、第6作『Pieces Of Magic』(日本盤は『恋のクラウン~君にさようなら/ジグソー愛の詩』)に収録された「If You Have To Go Away(君にさようなら)」があったからだ。この曲は彼らにとって最後のヒット(1977年全米93位、全英36位)で、当時の音楽雑誌に「日本人作曲家がビルボード・チャートにランク・イン」と掲載されていた。なお、その日本人とは後にヒット・メーカーとして活躍する林哲司氏で、当時まだ無名だった氏の快挙は、もっと大々的に報道されてもいいはずだった。しかし、この曲の日本発売日(325日)の3日後に、ミル・マスカラスの登場テーマ(219日の試合より使用)として大評判となっていた「Sky High」がオリコンの第4位(前週11位)にランクされるタイミングに重ってしまった。そんな経緯で、この話題は一部の関係者に注目されるに留まっている。



 その後、VANDAに参加して4年目の2000年、初めて私が中心となって企画した『Soft Rock In Japan』(音楽之友社)で、ご本人と対談の機会を持たせていただき、当時の話を伺うことが出来た。またこの御縁から、彼のデビュー30周年記念企画『林哲司全仕事』(音楽之友社)のオファーを受け、この制作過程では竹内まりやさんはじめ、氏と関わりの深い著名人と対談の機会をまかせられたが、その中に「If You Have To Go Away」をJigsawに売込んだフジパシフィック音楽出版(PMP;現フジパシフィックミュージック)社長朝妻一郎氏も組まれていた。こんな夢のような体験ができたのは、ある面Jigsawのファンでいたおかげだと思っている。

 
話は佐野さんとの共同作業となったJigsaw3回目のリイシューの件に戻るが、この仕事は20176月中頃に彼から「Nさんという方からJigsaw の復刻企画について協力依頼の連絡が入るのでよろしく」というメール連絡から始まった。そして6月下旬になって、そのN氏から「BS.TBSの「Song To Soul」で「Sky High」特集が組まれており、Jigsawのメンバーへのインタビュー取材で渡英します。そこで彼らへの質問をあげていただけませんか?」という要請が入った。日程も迫っていたので、大慌てで10数項目ほどまとめてメール送信した。このことを佐野さんに連絡すると「私も10問程度連絡しましたよ。」とのことだった。その後、選曲に関する質問が何回かN氏から届き、それと入れ替わるように発売元の担当者より最初のリリースとなる3作の収録内容等についての連絡が入った。このあたりから佐野さんと頻繁にやりとりが続いた。ここでは、「収録時間をめいっぱい使う」「各アルバムには最低でも1曲は未発表を収録」を念頭に、「多分今回が最後のリイシューになると思うので、これまで収録できなかったものを全て収録」という佐野さんの意向を尊重して進めた。佐野さんはかなり意気込んでいたものの体調のすぐれない事も多く、作業は二人三脚状態で進行させた。結果、担当者より「内容がすごくわかりやすく、ファンの方への訴求力も上がった」と評価いただけるまでにまとめることが出来た。

そして、「最初の3タイトルのうち鈴木さんには『Sky High & Rera Trucks~』の解説をお願いしたい。」との依頼を受けた。佐野さんからも「僕よりはるかにマスカラスに詳しいはずだから適任だね!」と連絡を受けた。ただ、私が佐野さんレベルに仕上げるには当時のプロレス情報が希薄だったので、当時のプロレスに詳しい従弟について話を聞くも、「マスカラスは全日(本)だろ?俺、猪木の新日(本)派だから、そんなに詳しくないよ。でも、「Sky High」のシングルは持ってるけどね」と、ただ「登場テーマは、マスカラスよりもモハメド・アリと猪木戦(1976年)のアリが最初だよね。」など興味深い話が確認できた。また、「Sky High」発売当時にテイチクでJigsawを担当者されていたS氏を紹介いただき、「マスカラスのテーマは当初全日本プロレス・サイドが、発売元に無断で使っていた」等、当時の真実を伺うことが出来た。さらに、19761977年の時代背景の文献をあれこれ調査し、無事「リアル・タイマー」らしい内容の原稿をまとめる事が出来た。
                 

その後は、ラフ原稿のチェックに入り、当初よりこだわっていたジャケットや画像レイアウトについて要望を入れ、9月初旬どうにか完成に辿り着いた。この完成サンプルCDが届く前、佐野さんから連絡があり、その際にライナーには文字数の都合で書けなかった諸説内容を伝えた。それを聞いた佐野さんから「そんな面白い話、企画書を作ってメディアに売り込まないとだめだよ!」とはっぱをかけられてしまった。
そして、「次回の発売は11月だけど、曲目さえ決まれば書き始めたい。遅れるほど体調が悪くなる可能性が高いので早くにスタートしたい。今回のような泥縄にならないようにしてほしいと、鈴木さんから担当者によく頼んでください。」と伝言を受けた。ということで、その第2回発売分のJigsaw回顧録は、次回に回して完結にさせていただくことにする。




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