2020年1月20日月曜日

さとうもか:『melt bitter』(SOUND SKETCH,Inc./ANCP-004)


さとうもかは岡山県出身の20代半ばの若い女性シンガー・ソングライターだ。今月22日にファースト・シングル『melt bitter』をリリースする。
彼女は2015年にファースト・ミニアルバム『THE WONDERFUL VOYAGE』でデビュー後、その個性的な歌声と唯一無二のソングライティングによる楽曲をライブで披露し、多くの音楽ファンを魅了してきた。これまでに『Lukewarm』(18年)と『Merry go round』(19年)の2枚のフルアルバムと、デジタル・シングル3枚、同EPを1枚リリースしている。


タイトル曲の『melt bitter』のテーマは、18年のデジタル・シングル『melt summer』の続編という位置づけでサウンド的にも新機軸となるバンド編成アレンジでトライされている。
ジャケットのイラストにも触れるが、スウィートでシュールな世界観をアメリカン・ポップ・アートとして昇華しているのは、大阪府出身のイラストレーター中島ミドリだ。
ではこのシングルの収録曲について解説しよう。

 

タイトル曲の「melt bitter」は所謂Ⅱ-Ⅴ進行を基調とした黄金のコード進行のソングライティングと、バンド・メンバー達とのヘッド・アレンジでサウンドはクリエイトされている。
さとうのヴォーカルとコーラスの他、エレキギターとベースは中川翔太、ドラムは金本聖也、ウーリッツァー系のエレピなどキーボードは小川佳那子がそれぞれ担当している。彼女の楽曲としては新境地サウンドであり、コーラス・アレンジにはチャカ・カーンの匂いもするのでR&Bファンにもアピールするかも知れない。

音楽通には説明不要で下記のプレイリストを聴いて理解出来ると思うが、グローヴァー・ワシントンJrとビル・ウィザースによる「Just the Two of Us」(『Winelight』収録80年)を代表とするⅡ-Ⅴ進行の名曲は多く存在し、それ以前もシェリル・リンの「Got To Be Real」(78年)やボビー・コールドウェルの「What You Won't Do for Love」(78年)が知られ、後年もアイズレー・ブラザーズの「Between the Sheets」(83年)、ジャミロクワイの「Virtual Insanity」(96年)も一部のパートはその系譜だろう。
日本ではFLYING KIDSの「幸せであるように」(90年)や椎名林檎の「丸ノ内サディスティック」(99年)、近年ではあいみょんの「愛を伝えたいだとか」(17年)等々と、そのアーティストにとって代表作となっている曲が多く、このコード進行によるマジックは聴く者の琴線に触れているので、さとうの曲もきっと注目されるだろう。


続く「ひまわり」は、アレンジとプログラミングにエズミ・モリ(ESME MORI)が参加しており、母子の愛情を綴ったハートウォームでナチュラルな歌詞に先ず惹かれるが、複数のパートで構成された曲の展開がとにかく素晴らしい。某大手化学メーカーの洗剤の動画広告としてタイアップ・ソングに抜擢されたのも記憶に新しい。
ラストの「かたちない日々」は、小川佳那子のアコースティック・ピアノだけをバックに歌ったドラマティックなバラードで、ローラ・ニーロに通じる叙情的なサウンドと歌声が耳に残って離れない。 
(ウチタカヒデ)


2020年1月19日日曜日

The Beach Boys, 1969: I’m Going Your Way (Capitol/UMG, 2019)


2020年を迎え、来年はThe Beach Boysもデビュー60周年を迎えることとなる、50周年の際はBrian一派を復帰させたが、来年はどうなることだろうか。
The Beach Boysの名跡はMike一派が長年取り仕切り、Mikeの新年のTwitterでは 自身の家族との写真を多用し、家族の繋がりやその価値の大切さを強調している。
これは共和党保守系シンパならではの所作であり、来る大統領選挙へのアピール なのかそれともBrian合流への秋波であるのだろうか?
2019年の年の瀬にようやくリリースとなった本作である、収録曲は3曲と少ない。理由としては既発表曲が多いのと、現段階では噂であるがSunflowrセッション周 辺の音源を集めたボックスセットのリリース前のサンプラーE.Pとしてのリリース であるとの憶測もある。

1969年のThe Beach Boysといえば低迷期の真っ只中であり、レコード及び興行 の米国内収入は落ち込み、年初リリースのアルバム20/20も国内セールスも同様 に伸び悩んだ。20/20とは日本で言うところの視力1.0である、視界良好どころか先のことなど見通せる状況ではなく自ら置かれた窮状への大きな皮肉となっている。


1969年4月のマネジャーのNick Grillo主導によるCapitolへの再監査そして訴訟、それらは主にCapitol側の売り上げやロイヤルティの過少計上などによるものであった、(1967にCapitol側へ同様の申し立てを行い、Brother Record設立とCapitolとの1969年中の契約満了という点では決着していたが)このことからCapitolとの関係はさらに対立を生んでいく。

Capitolとの契約解消を伝えるBillboard紙4月12日の記事
上記の記事では、訴訟はもちろんのこと、今後はBrother Recordを中心に原盤制作や他のアーティストのマネジメントや興行プロデュース、金融、医療、と多方面に渡る活動がうたわれており、また、16トラックレコーダーを備えたスタジオ建設まで約束していた。
華々しい未来を訴えながらも、Capitolとの契約解消が将来到来することに備えて、新たな契約先としてドイツ資本のDeutsch-Grammophoneレーベルに白羽の矢が建てられた。理由としては当時まだまだ海外での興行及びレコードセールスは順調であり特に英国での人気は衰えていなかったのでヨーロッパ市場の維持を考えていた。
ところが急転直下契約の話は立ち消えとなる、5月下旬シングルBreak Awayのリリースに先立って英Disc & Music Echoの記者のインタビューでなんとBrianが「2年近く前から実はThe Beach Boys帝国は崩壊の危機にあって財務上問題を抱えている」旨の発言をしてしまったからだ。現に上記の通り人気やセールスは低下し、Brother Recordからの様々な出資は不動産事業、医療機関、金融事業、マーチャンダイジングなどに投資されたものの、日本のタレント商法の末期と同様、回収不能となっていた。


 1969年5月30日付けのDisc and Music Echo見出しが「僕らは破産寸前!ビーチ・ボーイズ」

これでもか、というくらい不幸続きが頻発してしまうと、モチベーションも下がる と思いきや、1969年のレコーディング・セッションではForever,San Miguel,Got To Know The Woman,Celebrate The News,Slip On Through,とDennis作の名曲が上半期だけで集中して生まれている。このことはDennisの制作活動の活発さを物語っている。以下3曲を紹介させていただく。

1.I'm Going Your Way (Alternate Vocal Take)-Dennis Wilson- 

録音は7月8日Wrecking Crewの根城であったGold Star 
冒頭のカウントはHal BlaineでDennisが"Pick up those sticks"と叫んでいるのを聴くことができる。
長らくブートレグで出回ったきたタイトルではCalifornia Slideでおなじみの同曲であるが、本作ではブートレグで聴かれているヴァージョンと若干異なり、ヴォーカル部分が本作では重ね録りして2トラックでややステレオの位相を構成しているが、 ブートレグではシングルモノトラックであり、歌詞の2番目のあたりからブートレグではタンバリンの音が入っている。
両サイドのギター(Ed CaterとMike Deasy、前年MikeはTerry Melcherと同道しMansonの元を訪れ録音を手伝っていた)もブートレグでは埋もれがちな音質に対して、本作ではクリアになっている。おそらくMark Linettの手によるマスタリング時のEQあるいは、オリジナルの8トラックマルチマスターからギターパートを抜き出してシンクロさせているのかもしれない。
他にもまだ数十のテイクが存在しているらしいので、今後リリースかもしれないボックスセットに期待したい。
歌の内容については確かにヒッチハイカーの女性との逢瀬、そして性的な内容を暗示させる内容である。歌詞は未完成とはいえ、当時のCapitolのお偉方としてはリリースに踏み切れない部分があったであろう。初正式リリースの本作は未発表の背景としてManson Familyとの関係が取りざたされている。さらに深読みすれば、やはりMansonの思想との連関性に気づかずにはいられないのだ。
本作のレコーディングから一ヶ月を過ぎた直後の8月9日にManson主導のSharon Tate殺害事件が起きている、その背景にあるのはManson自身の終末思想であると 裁判では結論づけている。終末思想とは、いずれ到来するMansonが統治する世界の 前に人種間の大戦争が起きるという世界観を指し、The BeatlesのHelter Skelterが 歌詞の中で予言しているとMansonは思い込んでいた。


英国内のHelter Skelter 

実際のHelter Skelterは遊園地などにある遊具である。上の画像の通りぐるぐる回る 滑り台であって、この無意味な大騒ぎの様をThe Beatlesを楽曲にしただけであり、 ラウドロックの元祖となった。
Mansonはこの上昇下降の大騒ぎを人種間の支配が入れ替わる階級闘争と解釈し、ハルマゲドンが近づいていると夢想していたのだ。
Californiaは起伏に富み、当時のミュージシャンが多く集ったLaurel Canyonや北西部にはDevil's Slide、それからLos AngelsとMalibuの間にはTopanga Canyonがあり、 ここでNeil YoungがAfter the Gold Rushを制作し、Mansonも一時近所に根城があった。
歌詞の中のCalifornia Slide=Californiaの大地という大きな滑り台、である。Californiaの大地における支配層の入れ替わり、最終戦争〜新しい世界の到来という文脈がManson familyからすれば解釈できる。Dennis自身はMansonの思想にどこまで近づいたかは不明であるが、前年冬から両者は住まいも別々であったものの、Manson familyとの交流は1969に入っても続いていたことは雑誌のインタビューで明らかだ。


英Rave誌9月号で1969年5月に行われたインタビューDennisはMansonをWizardと誉めたたえる この時点ではまだMansonの犯行とは誰も思っていなかった 

冒頭にも述べさせていただいたが、The Beach Boysという大名跡を預かる Mikeは現在のブランドイメージを共和党保守層の価値観に設定している。 それがMikeの権力の源泉であり収益の源である以上、価値の維持のため 何があっても出したくない音源であろうことは間違いない。
Brian一派のカウンター・カルチャーやドラッグ体験の価値感をうまく芸術性 という美辞麗句に置き換え昇華させたMike一派にしては大英断ではないだろうか?
12月28日はDennisの命日でもあり、最期は酒色に耽り薬物の影響でバンド活動から遠ざけられたと聞く、これはDennisへの鎮魂なのだろうか?

2.Slip On Through-Early Version-Dennis Wilson-

言わずもがなアルバムSunflowerの第一曲目であり、ラテンやソウルのフレイバー漂う The Beach Boysの新たな方向性を示す名曲。録音は二回にわたり行われている。 本作セッションのヴァージョンは採用されず、二回目のBrian邸でのものが採用され ている。
本作は採用されなかったヴァージョンであり、録音スタジオはGold Star並びにSunset Soundで、1969年7月8日 9日 14日の三日間にかけて行われた。
冒頭"third generation take two"の声が聞こえるが、Slip On Throughの原タイトルを実 はthird generationではないか?と思ってしまうが、おそらくreduction mixの過程で生 じるテープの種類をthird generationと呼んでいたのであろう。
BrianもPet Soundで多用していたreduction mixの手法では4トラックレコーダーと8ト ラックレコーダーを多用する。

まずインストパートを録音、
(例)first generation tape
ギター トラック1
ベース トラック2
ホーン トラック3
ピアノ トラック4
そして上記のトラック1から4を一つにまとめた音を8トラックレコーダーへ録音
second generation tape
上記トラック1から4 トラック1にまとめる 残りのトラック2から8をヴォーカル及びコーラスを録音
(またはトラック2から3をヴォーカル及び4から8をそれぞれコーラスの二度録り)
そしてこれらをミックスした音源を録音したものが、
 third generation tape
となり最後にアクセントのある効果音やヴォーカルを追加し完成 

The Beatlesの場合は4トラックレコーダーをシンクロさせ事実上8トラックの録音を実現していた、両者の手法では理論上無限にトラック数が増やせることとなるが、 実際は録音を重ねるたびにノイズが増えたり、音質の悪化やピッチのズレが生じていた。

以下は私見ながら 本作の場合、エンジニアのStephen Desperはステレオ定位を好んだので
8トラックレコーダー二台を使用し(Wally Heiderからのレンタル)
first generation tapeでは(おそらく7月8日 Gold Star)
 ギター ベース ピアノ ドラム+カウベルまたはティンバレスetc をそれぞれ2トラックずつ録音
second generation tapeでは(おそらく7月9日 Gold Star)
上記の8トラックを2トラックにまとめつつ、残りの6トラックをブラスとタックピアノを重ね録り 
third generation tape では(おそらく7月14日 Sunset Sound)
上記の演奏をさらにミックスして2トラックにまとめたものに対し
ギターに2トラック Jerry ColeあるいはDavid Cohenのギターを録音
そして残りのトラックはヴォーカル及びコーラス用に空けておく といった内容ではないかと思われる

Sunflower収録の原曲と本作との違いは聴いてすぐわかる通りヴォーカル無しの ヴァージョンであり、演奏時間も数十秒長い。また本作の方がキーが半音程度低くなっている、原曲はレコーディング時に回転数を上げた可能性がある。
また、ブラスアレンジも異なっており本作の方はGold Star産のSpector作品にありがちな次第に音が重なり厚くなっていく劇的効果をもたらすアレンジである。
リズムセクションも本作ではドラムとキハーダにタンバリンとシンプルであるが、 原曲ではパーカッションも加わりリズムパターンが豊富な曲調となっている。
ドラミングについていえば、淡々としながら終盤に向かって劇的に盛り上げる奏法 であり、原曲と明らかに違いチューニングも低めであり、フィルの入り方などからHal Blaineである。
また、原曲で聴かれる発信音のような音はカウベルあるいはティンバレスにPhillips製のディレイをかけて処理したものであり、同じ手法はDo It Againのイントロで聴かれる。
ディレイマシンの再生ヘッドの間隔を近づけることにより歪んだ音像効果を得た もともとツアーでヴォーカル用に用意した機材をStephen Desperが活用した。


Phillips社テープディレイEL 6911 円形の部分の再生ヘッドの間隔を調整し発信器のような音を作った

原曲でのドラムはDennisでも違う方のDennis Dragon、兄弟のDarylと長兄のDougでCapitolから64年にThe Dragonsでデビュー後、元々Bruce JohnstonとDougが遊び仲間だったツテで1967以降のThe Beach Boysのツアーメンバーとなる。
生家がそもそも西海岸では著名なクラシック演奏家であった所以かアレンジなどで 頭角を表し、Darylはキーボーディストとしてツアーやレコーディングで活躍する。
1972年のアルバム『Carl & The Passions/So Tough』で参加するもツアーから脱退後はCaptain&Tenilleを結成しメンバーCaptainとして70年代にヒット曲を連発する。
Dennisは後年Surf Punksを結成、南カリフォルニアのサーファーの習俗とパンクを合わせたユニークなサウンドで80年代活躍する、なんとThe Beach Boysの対抗馬として父Murryの手がけたThe SunraysのI Live For The Sunをカバーしている。The SunraysのリーダーRick Hennは1969年の夏からBrianとSoulful Old Man Sunshineで関わっており、1977年Doragon家の長女Kateと結婚している。




3.Carnival(Over The Waves)-José Juventino Policarpo Rosas Cadenas-

Brian邸1969年12月録音と伝わる
1969年下半期になるとBrian邸での録音が増加する。理由としては、4月12日の記事の 通りに新スタジオの建設が終了し機材の更新があったためである。この頃から2インチのテープに対応した16トラックレコーダーの導入がレコーディングの効率化をもたらした。
機材の調達先はWally Heider Studio、Brian邸のスタジオ建設に初期から関わっている。
Brother Recordとエンタテイメント系会社Filmways(主に番組制作などが主業、Sharon Tateもタレント契約していた)の間でスタジオ建設投資に関するパートナーシップを結んでWally Heider Studioへの投資を行っていたので機材のリースも 有利な条件で契約することができた。


16トラックレコーダー 3M-M56


Quad Eight社のコンソール(Elecrrodyne ACC-1204をベースにQuad Eightカスタム仕様の30イン)


 Elecrrodyne ACC-1204

Capitolとの契約は満了したが、あと一枚アルバムリリースが履行事項として存在 していた(残念ながらリリースに至らず翌年70年Live In London-後に米国内ではBeach Boys '69に改題し76年発売-のリリースで決着する)同時にRepriseとの契約 がまとまったものの、アルバムリリースへのゴーサインがレーベル側から色よい 返事がなく、セッションを続けていた。本作はそれらのセッションの一曲。
以前からブートレグで聞くことはできたが、今回はほぼフルヴァージョンであり 音質もクリアである。理由としては上記のスタジオ機材の更新があったことと 16トラックレコーダーの機能を生かしたレコーディング方法が挙げられる。
インスト部の録音はおそらく4トラックにまとめて残りの10〜12トラック全てに ヴォーカルを充てている。おそらく五声のハーモニーに対してそれぞれ2〜1 トラックを充ている、従来ならば五声全部を一旦録音しもう一度別のトラックに 同じパートを録音していたが、本作では一声ずつなのでクリアかつリッチな分厚 さなエフェクトを得ることに成功しており、録り直しのリスクも減りある意味 働き方改革が行われている。
本作の原作者はJosé Juventino Policarpo Rosas Cadenas、メキシコの作曲家で 邦題では波濤を越えてで知られるワルツの名曲である。
1884年米国New Orleans で開催された万国産業綿花百年記念博覧会に於いて母国の楽団とともに演奏した のが初出とのこと。
この博覧会の日本ブースを取材で訪れたのがPatrick Lafcadio Hearn、後の小説家小泉八雲である。
小泉は縁あってこの後来日し、神戸でも居を構え新聞記者として生活していた、小泉も思い出のスマハマを散歩したのだろうか?



 (text by MaskedFlopper)

2020年1月14日火曜日

The Pen Friend Club☆藤本有華ラストステージ・ミニインタビュー



弊サイト読者をはじめ耳の肥えたポップス・ファンを魅了していたザ・ペンフレンドクラブ(以下ペンクラ)の4代目ボーカリスト藤本有華が、2月22日のライブでバンドを去ることになった。

16年3月に加入後ライブ活動から加わり、翌17年の4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』からはレコーディングに参加していた。続く18年の5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』はオリジナル・アルバムとしてはこれまでの最高傑作であり、藤本の貢献度も極めて高かった。また同年11月のクリスマスソング・アルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』での名唱も忘れがたい。
筆者としては、今後これを超える傑作をメンバー達と一緒にクリエイトして欲しかっただけに、彼女のバンド脱退は極めて残念である。
楽器プレイヤーの演奏力は日々の鍛錬で備わっていく要素が強いが、いいボーカリストはそれを超えて天性も必要となるため、藤本の存在は非常に大きかった。

彼女のラストステージだが、詳しくは本記事文末に記載しているので、早期に前売チケットを予約して、バンド在籍最後の歌唱を是非聴いて欲しい。
ここではそんな藤本の最後の独占ミニ・インタビューをお送りしたい。


●約4年間ペンフレンドクラブのメンバーとして在籍した中で、思い出深いエピソードをお聞かせ下さい。

藤本有華:“メンバーとして"ではないのですが、初めてリハに参加した日を今でも一番よく覚えています。ボーカルを引き受けるか検討中の中、北千住のスタジオで初めてリハに参加しました。
ライブを一度観に行ったことはあったものの、音合わせや話すのは初めてでしたので行くまでは緊張でした(笑)。
ですが、リハの後に近くのファミレスに行くと、みんなとても気さくに話しかけてくれて"楽しく活動していけそうだな"と、ほぼその時には引き受けようと決めていたと思います。
もし私がボーカルになったら…のペンクラの一年先位までの仮のスケジュールがどんどん出てきて、それを楽しそうに話すリーダーとメンバーの姿(いつもの姿)が印象的でした。


●これまでのライブ演奏を通して、ペンクラのマイ・ベストソングを選んで下さい。僕個人的には、フィフス・ディメンションの「Love's Lines, Angles and Rhymes」のカバーはどのライブ会場でも歌唱力と表現力が秀逸だと思っていました。

藤本:かなり考えましたが、、ライブでのベストソングは、お客様たちが"一番良いよね!"と思って下さっているものが私にとってもベストソングなのです。ですので自分では選べません!(笑)

代わりに思い出深い演奏と、一番歌えてよかった曲を挙げさせて頂きます。


一番思い出深いのは、ライブで初めて「微笑んで」を披露した時です。

それまでにソロで出演する他のライブでは何度か披露していたのですが、ペンフレンドクラブのライブで、メンバーの演奏で歌ったことはその日まで一度も無く、それが初めて出来た時はかなり胸いっぱいでした。

そして一番歌えて良かった曲は、「恋人たちのクリスマス」です!

元々大好きな曲で、歌のレッスン教室の発表会などで歌ったりもしていたほどです。まさかこの曲をカバーしてCD音源として残せて、ライブでも披露できて、お客様にとても喜んで頂けて、こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした!2019年はほぼ通年で歌っていましたしね(笑)。クリスマスソングなのに沢山歌えて嬉しい限りでした!



【微笑んで】

●最後にペンフレンドクラブのファンの方々に一言お願いします。

藤本:ペンフレンドクラブのボーカルを引き受けてからもうすぐ4年になります。"毎年ボーカルが交代する"というジンクスを破るという目標をたてて活動を始め、めでたく達成し、その後の数年はあっという間に過ぎて行った様に感じます。
数えきれないほどのライブ、CD発売、各種イベント、遠征、どれも掛け替えの無い良い経験、思い出です。
ここまで続けて来られたのはメンバー、スタッフ、関係者の皆様、そして何よりお客様のお陰です。本当に有難うございました!
WebVANDA さんにも、節目節目でいつも取り上げて頂き、ソロ活動についても紹介して頂いて感謝しております。
残り2回のライブ(+α?)、最後まで精一杯頑張りたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします!



【ザ・ペンフレンドクラブ・ワンマン  
Add Some Music To Your Day Vol,24】
2020/2/22(土) 
吉祥寺スターパインズカフェ
Main Act : The Pen Friend Club
Opening Act : カンバス
開場/11:00 開演/12:00
前売¥3000+1drink / 当日¥3500+1drink 


(設問作成/文:ウチタカヒデ)




2020年1月9日木曜日

FMおおつ 音楽の館/Music Note 2019年12月号「ジャニーズ特集 平成編」


  9回目の12月号は前回に引き続き「ジャニーズ特集」。今回は日本を代表する国民的アイドル達を次々に送り出し、その存在感をさらに強固にした「平成編」。
なお今回の特集では、季節に合わせ「X’mas Song」も挟み進行。

  トップはWham!の<Last Christmas>。Wham!は2016年12月に亡くなった天才シンガーGeorge Michealのグループ。この曲は1984年で全英2位を記録、日本でも50万枚以上セールスの大ヒット、近年ではこの曲をExileが日本語でカヴァーしている。
  この「平成年間」に結成されたアイドルの中では国民的年末行事NHKの紅白歌合戦でトリを務めるSMAPや嵐のように、時代を象徴する存在となったグループもいる。
  そんな「嵐」は、11月9日に行われた「令和」の「天皇陛下のご即位を祝う国民祭典」で、奉祝曲<Ray Of Water>を歌唱する栄誉を務めるほど。また11月13日にはメンバーの「ニノ」こと二宮和也さんの結婚報道が、NHK7時のニュースで報道され、日本だけでなく世界的な「ニノロス」となった。そんな彼らは来年2020年で「活動休止」を宣言。1曲目は1999年のデビュー曲<A・R・A・S・H・I>!

 まずは平成初めてデビューさせたグループ「忍者」のデビュー曲<お祭り忍者>。この曲は1989年に逝去された“昭和の歌姫”「お嬢」こと美空ひばりさんの<お祭りマンボ>のリメイク作で3位を記録。その忍者はデビュー4ヶ月でNHK紅白歌合戦に出場。
 彼らは1985年デビューの中村繁之さんのバック・ダンサーとして結成、結成当初のメンバーには欽ちゃんプロデュースの「CHA-CHA」で活躍する中村亘利さんや、「光GENJI」に移籍する内海光司さんも在籍。

 続いては国民的グループSMAP。結成は1988年、当初は「光GENJI」のバック「スケートボーイズ」のメンバー。彼らは1991年1月1日に日本武道館でお披露目、9月8日に所沢「西部ゆうえんち」にて94年にデビューするTOKIOをバックに従えデビュー・イベント、翌日に<Can’t Stop LOVING->でデビュー。
 この曲リリース時の1位には驚異のヒットCHAGE&ASKA<Say Yes>(282万枚)が君臨し2位止まり。彼らも忍者同様にデビューした1991年のNHK紅白歌合戦に出場。そして彼らは15年後(2003年)に最高の栄誉「大トリ」を務める。
 SMAPデビューの1991年には彼らの最大ヒット<世界に一つだけの花>を書く槇原敬之さんが<どんなときも。>でブレイク。


 そんなSMAPのブレイクのきっかけは、キムタクこと木村拓哉さんが出演した「あすなろ白書」(1993年10~12月)の「取手治」役で、「園田なるみ」役の石田ひかりさんを背後から抱きしめる「あすなろ抱き」の演技。同時期にリリースの林田健司さんのカヴァー10作目<$10>が、30万枚というクリーン・ヒット。この曲は森且行さんのお気に入りで、これ以降林田作品と共に人気に火がつく。そのキムタク人気の象徴はTOYOTAが1994年に発売した「RAV4」のCM起用で、本来RVに興味のない若い女性層にも浸透。
   私がSMAPをまともに聴いたのは、オートレーサーを目指し脱退する森君をメンバーが送る1996年5月27日の『SMAP×SMAP』から。この日は進行役の中居君が号泣、それをたキムタクが引き継ぎ、全員で森君に声を掛けた有名なシーン。

 この別れは両者とも「WIN×WIN」に。SMAPはこの森君の脱退直後の22作<青いイナズマ>で大ブレイク、カラオケではキムタクの「ゲッチュ!」の争奪戦。また赤鉛筆で「指を赤らめたおじさん」のたまり場オートレース場には、森君目当ての「頬を赤らめた女の子」が大挙押し寄せた。

 続く23作<SHAKE>はミリオンセラーを記録、これ以降は小森田実作品とともに不動の地位を築く。個人的にもっともSMAPらしいと言える曲といえば、小森田作品で作詞を宮藤官九郎さんが担当した37作<BANG!BANG!バカンス>。なにせ、「あたりまえだよ前田さん、前田さんなんてうちにはいぃなぃ~」ですからね。また個人的に「スーツで海に飛び込んで」に近い体験をしていたので。
 そして私にとって「SMAPで一番のお勧めナンバーは」2002年4月から中学2 - 3年生の音楽の教科書に掲載された1998年の27作<夜空ノムコウ>。

 BGMはSMAPの50作<Joy!!>。この曲は2013年に「祝50作」として大はしゃぎしていた。その1年前にNHK朝ドラ「梅ちゃん先生」主題歌<さかさまの空>を担当、堂々たる国民的人気のSMAP。その4年後に終焉が待っているとは。
 続いては男闘呼組以来のバンド・デビューのTOKIO。1994年に9月21日に城島茂さんをリーダーに<LOVE YOU ONLY>でデビュー、その年の「第45回NHK紅白歌合戦」に史上最速記録で初出場、2017年まで24回連続出場でジャニーズ事務所々属で歴代最多。
 そんなTOKIOと言えば、ヴォーカルの長瀬智也さんとカリスマ歌姫浜崎あゆみさんとのロマンス。彼女は2001~2003年にかけて「レコード大賞3連覇」という偉業を達成するも、2003年はSMAPが「世界で~」のノミネートを辞退ゆえ、受賞曲<No way to say>とは売り上げが1桁違い。

 TOKIOは2003年10月にリリースしたJR東海とのタイアップ曲28作<AMBITIOUS JAPAN!>。この曲は巨匠筒美京平さん作、彼はこの曲の1位で、「1960年代から2000年代」の5年世代に渡る1位獲得という偉業を達成。そして2006年8月リリース35作<宙船(そらふね)>。この曲は元々作者中島みゆきさんの34作『ララバイSINGER』(2006年)の準備曲で、TOKIOにとって62週チャート・インという最長を記録。

 TOKIOに続くデビューはV6。このグループは坂本・長野・井ノ原で構成される年長組20th Century(通称トニセン)と、森田・三宅・岡田で構成される年少組Coming Century(通称カミセン)から構成の6人組。デビューは1995年11月1日『バレーボール・ワールドカップ』のイメージソング<MUSIC FOR THE PEOPLE>。
 私はメンバーの長野博さんが出演の『ウルトラマンティガ』のテーマソング<TAKE ME HIGHER>から注目。当時、長男が夢中になり放送中の1996年9月から翌年8月までは、ソフビや戦闘グッズを山ほど買わされ、ヒーローショーを見に「甲子園」まで遠征。また角松敏生さんが「長万部太郎」名義で書き上げた1998年の長野オリンピック閉会式の公式テーマソング<WAになっておどろう>も、V6には欠かせない。

 とはいえ当時の「NHK紅白歌合戦」には「同一事務所からの選出は2組」という取り決めで、V6は出場を阻まれる。ただ1999年にはゲスト登場し、初出場は2014年の第65回。これはメンバーの「イノッチ」こと井ノ原快彦さんが、NHK総合「あさイチ」で全国区に、また岡田准一さんがNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』主演という効果によるもの。

 BGMはV6の次にデビューしたKinki Kidsの<シンデレラ・クリスマス>(1998年12月9日第5作)。そのKinki Kidsは堂本光一さんと堂本剛さんの二人で結成されたジャニーズ初の関西出身のデュオ・グループ。
 二人は「1992年12月31日第43回NHK紅白歌合戦」のSMAPのバック・ダンサーを務め、翌年「Kinki Kids」と命名。そして1994年12月31日に日本武道館お披露目。そんな二人は吉田拓郎さんの初レギュラー「LOVE LOVE あいしてる」(CX:1996.10.5.~2001.3.31.)で注目される。1996年12月31日「第47回NHK紅白歌合戦」でマッチの<ミッドナイト・シャッフル>の冒頭のサビを応援ゲストで歌唱。

 彼らは1997年7月21日に<硝子の少年>でデビュー、累計178万枚という堂々のミリオンセラー。これはアイドル歌手のデビュー曲として、小柳ルミ子さんの<わたしの城下町>(1971年134万枚)の記録を26年ぶりに更新。
 この曲は剛君のヴォーカリストとしての資質を高く評価する山下達郎さんの書下ろし。達郎さんは今年のツアーでも「ジャニーさんに捧げます!」と披露している。

 その後2002年1月1日に<Hey!みんな元気かい?>で「デビュー以来13曲連続1位」でギネス記録に認定、昨年12月19日にリリースした<会いたい、会いたい、会えない。>まで全40作が全て1位を記録し、ギネス記録を更新中。
 また出荷では11作目の<ボクの背中には羽根がある>まで連続100万枚越え、また<硝子の少年><愛されるより愛したい><全部抱きしめて><フラワー>の4作はミリオンセラー。そんな彼らも「NHK紅白歌合戦」にはV6同様「1事務所出場枠2」で、1999年ゲスト登場するも、正式出場はデビュー19年目の「2016年12月31日第67回NHK紅白歌合戦」のみ。

 BGMは嵐のクリスマス・ソング<WISH>。この曲は2005年10月に松本潤さんの主演で大ブームとなった「花男」、「花より男子」テーマソング。詞が元The東南西北の久保田洋司さん、曲は嵐に一番お似合いと思う楽曲<とまどいながら>のオオヤギヒロオさん。
 私はこの「花男」で「F4」にキャスティングされた小栗旬さん、松田翔太さん、阿部力んが「嵐」のメンバーだと思っていた。これ以降幅広い世代の人気を獲得した嵐は1月の『花より男子2(リターンズ)』の主題歌<Love so sweet>で大ブレイク、翌2008年には五大ドーム・ツアーと国立競技場でのコンサートを開催。

 2009年には、<Believe><明日の記憶><マイガール>が、光GENJI(1.パラダイス銀河、2.ガラスの十代、3.Diamondハリケーン)以来の年間ベスト3を独占。さらに<Everything>は5位とリリース全シングルがトップ5入り。この人気ぶりにNHKも、「1事務所出場枠2」を撤廃し、「2009年第60回NHK紅白歌合戦」に正式出場、以後昨年まで10回出場。そして、2010年からは司会も務め、2014年には初のトリを任され、2016・2018・2019年には大トリを務める。ニノの結婚を祝し、2010年彼が主演のテレビドラマ『フリーター、家を買う。』の主題歌<果てない空>。

 BGMは山下達郎さんの<クリスマス・イブ>。この曲は1983年に発表、1988年にJR東海のCM起用以来、発売以来昨年まで150週ランクイン。

 次はジャニーさんの後継者タッキーこと滝沢秀明さんと今井翼さんのデュオ・グループ、タッキー&翼。彼らは2002年5月にはCDデビュー前、海外公演を行う。デビュー曲は2003年2月26日の<To be,To be,Ten made To be>で、2曲目の<夢物語>で1位を獲得。
 2014年に翼が「メニエール病」を発症、回復の見込みが立たず2018年9月10日には解散。そんなタッキーは1998年1月に鈴木保奈美さんと共演の『ニュースの女』で注目され、1999年4月8日の松嶋菜々子さんと共演した『魔女の条件』で大ブレイク。彼の最後の主演作品2019年1月WOWOWドラマ『孤高のメス』まで、俳優の資質が光っていた。

 もう一組NEWS、このグループには、現在ONE OK ROCKのヴォーカリストTakaとしてワールドワイドな活動を展開している森内貴寛さんが、3ヶ月ほどの在籍。彼は森進一さんと森昌子さんのご子息。

 NEWSは2003年10月に「バレーボール・ワールドカップ」のイメージキャラクターとして、山Pこと山下智久さんを中心に9人でスタート。ただTakaをはじめ、2006年にもメンバー二人が脱退、2011年11月にはNEWSの顔山Pと、関ジャニ∞兼任の錦戸亮さんも脱退。この出来事は2007年の広島カープから絶対的エース黒田博樹投手がメジャーリーグのLAドジャースへ、そして不動の四番バッター新井貴浩内野手がFAで阪神タイガースへ移籍という、飛車角抜きという状況を連想した。

 残された小山・加藤・増田・手越は存続も危ぶまれるも、小山をリーダーに活動継続を宣言。そんな彼らが注目されたのは、「霊長類最強女子」と呼ばれた女子レスリング55Kg級オリンピック代表吉田沙保里さんの一言。2012年のロンドン・オリンピック8月10日に3大会連続金メダル獲得したインタビューで、「NEWSのコンサートに行きたい!」。
 それは4人体制での初シングル<チャンパカパーナ>の発売直後、8月14日から『NEWS LIVE TOUR 2012~美しい恋にするよ~』のスタート直前でNEWSは完全復活、2018年には15周年記念公演が「味の素スタジアム」と「京セラドーム大阪」で開催。

 BGMは関ジャニ∞が2009年に3日連続でリリースしたクリスマス・ソング「GIFT<白・赤・緑>」の<赤>に収録された<I wish>。その関ジャニ∞はメンバー全員が関西出身とKink Kids以来二組目の8人組。Tokio以来のバンドで2004年8月25日に<浪花いろは節>でデビュー。

 彼らのブレイクは、NEWS兼任の錦戸亮さんが関ジャニ∞に専念した2011年、この年には『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のメインパーソナリティーに。そして、「クレヨンしんちゃん」の主題歌や、錦戸亮さんや大倉忠義さんが出演する番組の主題歌を担当など、露出の機会が飛躍的に増加。
 そして、翌2012年には錦戸さんが本人役で主演『パパドル』にメンバー全員が本人役で出演、さらにコンサートで披露した『関ジャニ戦隊∞レンジャー』を『エイトレンジャー』として映画化、その人気は決定的になり、『第63回NHK紅白歌合戦』にも選出。
 近年は2017年に野外ロックフェスにも参戦。ただ2018年にリード・ヴォーカルの渋谷すばるさん、翌2019年には人気者錦戸亮さんが脱退。現在は5人体制で精力的にツアー中。

 次のKAT-TUNは既成アイドル像に反し、「ギラギラとした危険な匂い」を持つ異端児的な存在。結成は2001年、ブレイクのきっかけは2005年1月放映の『ごくせん』に出演した亀梨和也さんと赤西仁さんに人気が集まり、グループの知名度がアップ。そして10月には山Pと亀梨さん主演『野ブタ。をプロデュース』の期間限定ユニット「修二と彰」の主題歌<青春アミーゴ>がミリオンセラー、デビュー前に絶大な人気を獲得。

 そしてKAT-TUNは直前の2006年3月17日に東京ドームでコンサート、3月22日にB’zの松本孝弘さん書下ろしによる<Real Face>で華々しくデビュー。この曲は初週売上75万枚超(75.4)で3週1位をキープ、デビュー・シングルの最大セールスと年間セールスで堂々の1位。以降2007年11月の第5作<Keep the faith>まで、連続30万枚越えというKink Kids以来9年ぶりの記録を樹立。 その人気ぶりは、当時彼らがCMを担当した「Suzuki/ソリオ」はKAT-TUNファンの御用達車として売れに売れまくった。

 翌2008年に東京ドーム4日連続、2009年には8日公演という日本人ミュージシャン史上初の記録も樹立。そんなKAT-TUNだが2010年に赤西さんが脱退、絶大的な人気にも陰りが漂う。また2013年にはグループのラッパー田中聖さんが事務所から解雇、以後4人で活動し2016年には10周年を迎える。ただ2016年3月の田口淳之介さんが脱退、3人体制での10周年ツアー後、約半年間の充電とソロ活動に専念、そして2018年には3人体制での活動を再開。

 BGMはKAT-TUNの第8作<White X'mas>。この曲は事実上6人体制でのラスト作『Break the Records -by you & for you-』の収録曲。

 次は全員が平成生まれで結成のHey! Say! JUMP。元男闘呼組の岡本健一さん二世岡本圭人さんがメンバーで親子二代のデビュー曲が1位獲得。彼等は2007年11月に「ワールドカップバレーボール2007」のスペシャル・サポーターを担当し、12月22日に東京ドームでデビュー・コンサートを開催。これは平均年齢15歳7か月という最年少記録を更新。
 2017年にはデビュー10周年を飾り、NHK紅白歌合戦にも初出場、現在のジャニーズ事務所で一番勢いを感じさせるグループ。彼らを代表するナンバーは2013年にハウス・バーモント・カレーのCMソング<Come On A My House>。

 次は2019年NHK紅白歌合戦に初出場するKis-My-Ft2。結成は2005年で、グループ名はメンバーのイニシャルから1文字ずつ取ったもの。タッキー&翼、嵐、KAT-TUNなどのバックをローラースケートでパフォーマンス。デビューは2011年8月10日に<Everybody Go>、その後最速の18日で東京ドーム公演、2年11か月で4大ドームツアーを開催し、5周年で観客動員数200万人突破というジャニーズ史上最速記録を達成。
 彼らはフロントを務める玉森・藤ヶ谷・北山の3人と横尾・宮田・二階堂・千賀の4人とのルックスの差で、いまいち爆発な人気を獲得できなかった。その状況を打ち破ったのはSMAPの中井君で、彼がイケていない4人を「舞祭組」という別ユニットで売り出し、不動の人気を得ることに成功。

 続いてはSexy Zone。彼らは2011年9月29日に結成を宣言し『ワールドカップバレーボール2011』のスペシャル・サポーターに就任、そして11月16日には<Sexy Zone>でデビューを飾る。その翌年には<Lady ダイヤモンド><Sexy Summerに雪が降る>と三作連続・馬飼野康二作品でNo.1を獲得、2013年にも2作で1位を獲得し、「第64回NHK紅白歌合戦」に出場し、2018年の第69回まで常連のメンバーに。

 そして彼らの次にデビューを飾ったのが、堂本光一君やタッキーのバックでアクロバット的なダンスを披露していたユニット。2015年9月30日に<Moonlight walker>でデビューしたA.B.C.-Z。そんな彼らは、ジャニーさんにとって最も思い入れのある楽曲<Never My Love>を2013.11.20.に2nd DVDと2014.3.12.にリリースしている。

 さて「平成編」のラストは、昨年2018年に鳴り物入りでデビューしたKing & Prince。彼らは2015年にKing とPrinceなる別々のユニットとして結成され個別に活動。2017年に両者が合体、2018年1月にジャニーズ事務所とユニバーサルミュージックが組んだ初レーベル「Johnnys’Universe」の第一弾として5月23日に<シンデレラガール>でデビュー。この曲は初週売り上げが約60万枚(57.7)というKAT-TUNの<Real Face>に次ぐ歴代2位。この人気ゆえにTokio以来のデビュー年に「第69回NHK紅白歌合戦」出場。

 最後はジャニーズ史上最大ヒット<世界で一つだけの花>。「ジャニーズ」は作家の部分で「昭和」は「筒美京平さん」、そして「平成」は「Mark Davis, Jimmy Johnson名義も含めた、馬飼野康二さん」がキーポイント。

 SMAPのデビュー曲<Can’t Stop LOVING->はCHAGE&ASKAの<Say Yes>に阻まれて1位を逃すも、その25年後の2016年に<世界で一つだけの花>の販売累計が289万枚を突破し「21世紀」の邦楽シングル1位に。
 その経緯は発売2週でミリオン、21週目でダブル・ミリオン、そして2016年の解散報道でセールスが伸び、12月にはトリプル・ミリオンとなり2000年以降に発売されたシングルでは、サザンオールスターズの<TSUNAMI>の293(293.6)万枚を抜いて1位となり、「ナンバーワンにならなくていい」という曲でSMAPは「真のナンバーワン」になった。

 2019年9月20日現在、歴代シングルセールスとしては、1位およげ!たいやきくん/子門真人:457.7(1975年)、2位女のみち/宮史郎とぴんからトリオ:325.6(1972年)に次ぐ313(313.2)万枚で第3位にランク。第2位をも抜き去る可能性もあるほど。
 また「歴代シングル・ロングセールス」では中島みゆきさんの<地上の星>が持つ「183週」を上回る「184週」を記録、「13年6ヵ月」ぶりに記録を更新。(3位涙そうそう:夏川りみ(2001年:157週)、4位クリスマス・イブ:山下達郎(1983年:150週)、5位すきま風:杉良太郎(1976年:147週))

~B.G: Last Christmas(Puding Mix)/ Wham!
1. A・R・A・S・H・I / 嵐
~B.G:お祭り忍者/ 忍者
2.青いイナズマ/ SMAP
3.夜空ノムコウ/ SMAP
~B.G:Joy!! / SMAP
4. AMBITIOUS JAPAN! / TOKIO
5.宙船(そらふね)/ TOKIO 
6.TAKE ME HIGHER/ V6
7. WAになっておどろう/ V6
~B.G:シンデレラ・クリスマス/ Kinki Kids
8.硝子の少年/ Kinki Kids
9.フラワー/ Kinki Kids 
~B.G: WISH / 嵐
10. Love So Sweet / 嵐
11. 果てない空/ 嵐
~B.G:クリスマス・イブ/ 山下達郎
12. Venus/ タッキー&翼
13. 希望~Yell~ / NEWS
14. チャンカパーナ/ NEWS
~B.G: I wish / 関ジャニ∞
15. 愛でした/ 関ジャニ∞  
16. 青春アミーゴ / 修二と彰
17. Real Face / KAT-TUN
~B.G: White X'mas / KAT-TUN
18. Come On A My House / Hey! Say! JUMP
19. Everybody Go / Kis-My-Ft2
20. Lady ダイヤモンド/ Sexy Zone
21. シンデレラガール/ King & Prince
~B.G: 世界で一つだけの花/ SMAP

本放送:第四土曜日12/28(土)15:30~18:00
再放送:第四日曜日12/29(日)8:00~10:30

【FMおおつ公式アプリ】https://fmplapla.com/fmotsu/
                          (鈴木英之)

2019年12月24日火曜日

WebVANDA管理人が選ぶ2019年の邦楽ベストソング


今年もWebVANDA管理人=筆者が選ぶ、邦楽の年間ベストソングを発表したい。
選出した楽曲は年間を通して好んで聴いていたアルバムの中で最もリピートした収録曲であり、筆者目線ではアルバムを象徴する存在とも言える。
昨年に比べて、レジェンドも含めメジャー作品がやや多いが、本サイトで筆者が紹介するアルバムは主にインディーズ作品が多い。そういった知られざるミュージシャンを紹介することで、読者に新たな音楽的出会いを常に提供したいと考えているのだ。その意味でも来年はインディーズ・ミュージシャンに更に期待している。
選出趣旨からコンピレーション・アルバムと配信楽曲は除外とした。
また惜しくも次点となった曲として、connieの「赤い涙」Minuanoの「終わりのない季節」を挙げておく。
昨年同様、順不同のリリース順で紹介する。




☆薔薇と野獣 / 細野晴臣 (『HOCHONO HOUSE』収録)
筆者も37年以上愛聴している名作ファーストを大胆にリメイクしたアルバムから。日本音楽界の至宝且つ、雄一無二のイノベーターが再構築したマジカルな箱庭ファンクの傑作。


☆ユートピア / コントラリーパレード (『CONTRARY』収録) 
曲が持つ磁力が鬼才・佐藤望の独創的なアレンジを引き出した好例。「深い森で 誰も僕を 見付けられないよ…」という歌詞のパンチラインと天然系ソプラノの歌声にもやられた。



☆ザ・クレーター / 集団行動 (『SUPER MUSIC』収録)
某アニメ映画に通じる終末観と理論時代から連なる真部脩一ならではのナンセンスな歌詞のコントラストを、ブリティッシュビート系の疾走感で繰り広げる3分32秒のショートフィルムのようだ。


☆ブラザー、シスター / 宮田ロウ (『ブラザー、シスター』収録)
普遍的なソングライティングと同志たちに向けた慈愛に満ちた歌詞、イノセントな歌声とゴスペル・フィールのコーラス。バリー・マンのソロを聴いている様な崇高な気持ちになってしまう。



☆隕石のラブソング / ウワノソラ (『夜霧』収録) 
モチーフは集団行動と同じだが、こちらはマージナルな視線によるシリアスな歌詞にアトランティック・ソウル系の弦とコーラスのアレンジが絡む。シティポップとは陳腐に呼ばせたくない。



☆銀河 / Guiro (『A MEZZANINE』収録)
問題作「ABBAU」未収録の悲しみを一掃した白眉曲。新主流派マナーのモーダルなヴァースが徐々に熱を帯び、スルドが響きパンディエロが舞うサンバ・ジャズへとモディファイして魂を揺さぶるのだ。



☆夜行列車 / 鈴木恵TRIO (『come here my dear』収録)
中期XTCに通じるライトメタリックなギター・アンサンブルで構築されたサウンドに、60年末期のエバーグリーンな歌声とコーラスが漂う。隔世型温故知新派のレイルロード・ソング。



☆愛のナンバー / RYUTist (『きっと、はじまりの季節』収録)
今年この曲ほどブロークンハートを綴ったハーモニー・ポップスはあっただろか。ジョージ・ハリスン及びビートルマニアは必聴であり、オリジネイターであるSSWの℃-want you!も高く評価したい。



☆高い塔 / 小沢健二 (『So kakkoii 宇宙』収録)
平成のビッグアイコンの17年振りのアルバムから。東京のバビロン・タワーに住む大王と社会をシニカルに描いた、弦とホーン入りのギル・スコット・ヘロンに通じるジャズ・ファンクだ。



☆雑務 / KIRINJI (『Cherish』収録)
バンド構造が変わって早4作目だが、そのフォーマットに縛られず実験性を内包しつつ高水準サウンドを聴かせ続けている。この曲の繊細で絶妙なグルーヴの完成度に酔いしれる。




※プレイリストはSpotify 登録曲のみ

(選者:ウチタカヒデ)

2019年12月20日金曜日

【ガレージバンドの探索・第七回】The You Know Who Group


【ガレージバンドの探索・第二回】 バミューダ諸島のガレージバンドの記事を書いていた時、The Savegesがカバーしている「Roses Are Red My Love」の原曲を調べてみるとThe You Know Who Groupというバンドで、得体が知れなくて気になっていた。


The You Know Who Group『First Album』
【International Allied Records Ltd. IA 420】

The You Know Who Group はニューヨークのプロデューサーBob Gallo が生み出したグループだそうだ。1964年、ビートルマニア最盛期に多くのレコードレーベルがThe Beatlesの曲を演奏するバンドと契約する中、Bob Galloは別のアプローチを試みる。雇ったメンバー達をイギリスの著名なバンドが覆面リリースしたように見せかける為にマージービートを真似て、誇張したイギリスのアクセントで歌わせ、LPのカバーでは人物が特定できないようなマスクとマントをさせた。このアルバム、『First Album』と書かれているけれど、タイトルがないのか、これがタイトルなのかもしれない。


当初メンバー達はこの覆面プロジェクトのアイデアにあまり乗り気ではなかったようだけれど、例えばThe Beatlesの別名義だと人々が勘違いすれば大きく宣伝されるかもしれないとも考え承諾したようだ。それ程の大きな反響とはいかないまでも「Roses Are Red My Love」はマイナーヒットし、この戦略に効果はあったそうだ。


Roses Are Red My Love / The You Know Who Group

音源はマンハッタンのスタジオTalent Mastersで録音されたらしい。The You Know Who Group のメンバーが誰だったかについては諸説あるようでイタリア人だったという説や、ブルックリン出身のBob Esposito 、もしくはRobert Esposito 、Vincent Polimeni らだという説、1961年に結成されたリバプールのバンドThe Undertakersのメンバーが含まれているとも言われている。


I Fell In Love(For The Very First Time)
 / The Undertakers

LPは1枚リリースしたのみで続かず広く世に知れ渡ることはなかったものの、一部の人々にはその後も影響を与えたようだ。The Phantom Surfersが1991年にリリースしたファーストLP『18 Deadly Ones!!!』のカバーはThe You Know Who Groupのオマージュになっている。

The Phantom Surfers『18 Deadly Ones!!!』
【Norton Records ‎– ED-218】

参考・参照サイト


https://ukinvasion.wordpress.com/tag/the-you-know-who-group/


https://www.popsike.com/THE-YOU-KNOW-WHO-GROUP-1st-Album-64-UK-Merseybeat-Psych-Pop-LP-BEATLES-BOB-GALLO/270872634872.html