2022年10月16日日曜日

山下達郎ライヴ・クロニクル (2022年の回想)


 私は「山下達郎氏」のソロデビュー以来の熱狂的ファンというのは皆さんもよくご存知でしょう。そのファン歴は私が大学生だった1975年以来なので今年で47年になる。数年前にこのWeb.VANDAで、その1975年から<Ride On Time>でブレイクした1980年5月の「Ride On Time Concert '80」までのコンサート通いの回想を「山下達郎ライヴ・クロニクル」として二回投稿をしている。
 今回は、その後勤務先の関係で頻繁な転勤と多忙の日々により、達郎さんのライヴに足が遠のいていた時期を過ごした。そして佐野邦彦氏との運命的な出会いにより、再びライヴに出かけるようになった経緯を回想してみた。 

 以前の投稿でもお伝えしたが、私の“タツロー・ライヴ”の原点は1977年5月27日(金)に新橋ヤクルトホール(定員550) だった。その後、在京生活中の1981年までは全てとは言わないが、彼のキー・ポイントとなる肝心のライヴにはほぼ足を運んでいた。

 そして同年に転職で静岡へ帰省した後も、静岡公(注1)に後輩たちを引き連れてライヴに駆けつけるなど、「私的山下達郎広報部」の役目を使命とした日々を送っていた。しかし、83年に結婚し子持ちになってからは多少事情が変化してきた。要するに家庭サービスや仕事も管理職となり、趣味の両立はかなり厳しくなった。 

 まず最初の転勤先となった84年当時の金沢ではライヴが開催されなかった(注2)。さらに86年のツアー時の春には北九州(小倉)、夏には鹿児島(注3)と転々としており、仕事に追われてライヴどころではなくなってしまった。とはいえ、往生際の悪い私は、奥の手で月一上京する「会議」のついでに「有給休暇」取得で東京公演への参戦を企てたこともあったが、それもすべて空振りだった。そんなこの時期に在籍したセクションのスタッフは、「サザンオールスターズ」「チューブ」「杉山清貴とオメガトライブ」「ユーミン」等のファンばかりで、達郎さんやまりやさんを熱く語り合える仲間は皆無だった。
 
 ただ、その後87年に転勤した福岡には、奇遇にも新入社員に達郎さんのファンがいた。彼女は当時の新作『僕の中の少年』愛聴者で、飲み会では<踊ろよ、フィッシュ><ゲット・バック・イン・ラブ>等最新曲の話も気楽に出来、「福岡公演があったら、絶対に行こう!」と盛り上がるほどだった。そんな時期に開催告知のあったツアー(注4)は、タイミングよく福岡公演もリストアップされていた。
 しかしこの当時は超多忙時期で、しかも本社から目標達成のインセンティヴが「ラスベガス&ディズ二―ランド・ツアー招待」という発表があり、全スタッフが休日返上モードで目標達成に邁進した。結果見事目標はクリアしたが、その招待日のスケジュールが達郎さんの福岡公演日程にまるかぶりで、彼女との観覧は消滅した。とはいえ往生際の悪い私は、東京の友人を頼り3月の中野サンプラザ公演を有給休暇使用し、約7年ぶりにライブを体験した。 
 そして勤務地が滋賀になっていた89年の誕生日を迎える直前に達郎さんのセカンド・ライヴ『JOY –TATSURO YAMASHITA LIVE–』が発売となり、最高のバースディー・プレゼントになった。

 これ以降仕事は営業職から内勤になりプライベートにも余裕が出来るようになった。そんな91年に『ARTISAN』リリースに伴うツアーの大阪公演(注5)に出かけることができた。ラッキーなことに、この時はファンクラブ会員でもないのに、運良く1階席をゲットすることができた。なおこの日のオープニングは新作の関係か<アトムの子>だった。 
 このようにライヴ観戦へのカム・バックは果たしたものの、1994年にリイシューされたSugar Babe『Songs』に伴う「Sings!Sugar Babe」コンサートは東京限定ライヴで、チケット入手は激しい争奪戦で、大したつてもない私は入手は叶わなかった。「やはり田舎暮らしでは、この手の貴重なライヴのチケット入手は難しい。」という無念の心境だった。
 
 そんな時期にVANDAへの寄稿を勧められたことで佐野邦彦氏との付き合いが始まった。彼とは電話とメールでの交流だったが、音楽の趣味で意気投合し個人的なことを話すほど親密になった。そこで私が「山下達郎の大ファン」と伝えると、「私彼にインタビューとったことあるんですよ。」「彼のチケットを確実に手に入れたいなら、絶対ファンクラブ入会するべきですよ。」「それに会員には年1回彼の未発表音源も手に入る特典もあるんです!」という「殺し文句」に即入会、以来チケットの入手に苦労することからは解消された。 

 その一番の恩恵は、達郎さんのコンサートでも伝説ともなっている2008年12月28日の初代大阪フェスティヴァル・ホール千秋楽公演(注6)を1階8列目という好ポジションで体験できたことだった。その日のライヴは、サプライズで途中から竹内まりやさんがステージに登場(注7)してソロを披露、その後アンコールまでコーラス隊に参加していた。コンサートはアンコールも2回応えて終了し、照明がつき館内に「終演」のアナウンスがあっても来場者は総立ちで拍手の嵐。そこで再度達郎さんとまりやさんが登場し、デュエットを1曲披露し「もうこれくらいで勘弁してください」とコメントされ完全に終演となった。その公演時間は4時間超えで、まさに“ファイナル!大阪フェスティヴァル・ホール”にふさわしい幕引きだった。

  
そしてこれまた入手困難となった「Maniac Tour」(注8)も、NHKホールの1回7列目というプラチナ席が当選している。その後は、2階席や3階壁際といった席が続いていたが、ここ数回も運が味方してくれ、「ライン・キューブ渋谷」は1階10列、「ロームシアター京都」はなんと二列目のど真ん中、今回の新大阪フェスティバル・ホールは2回最前列ど真ん中とそれまで同様にベスト・ポジションが当選している。

  
なお今回の達郎さんライヴを一緒に見に行ったのは勤務先の後輩Y君。きっかけはある時「さよならなつのひぃ~♪」と鼻歌交じりうろついていた彼に「お前、山下達郎知ってんの?」と聞くと、「僕、達郎さんのファンで<スプリンクラー>と<蒼茫>が好きなんです!」という渋い好みを返された。 
 そこで彼に「実はツアーのファン・クラブ先行予約するけど、来るか?」と話すや、「僕の車でガスも高速代持ちで行くんで、是非連れてってください!」と嘆願。彼はお父さんがファンで聴くようになったということで、まだ一度もライヴの経験が無いと。そんな彼から申込みの際に年齢を確認すると24歳、身近のこんな若手に達郎さんファンがいたことに嬉しくなった。 
  そんな初ライヴのM君は会場に入場すると、会場限定のプレゼント「直筆サイン」付きの新作『SOFTLY』を早速ゲット!さらにTシャツその他グッズも興奮気味に迷いながら購入していた。その姿を見て達郎さんのファンになったばかりの初々しい時代の自分自身を見ているようでほっこりした。 
 ちなみに今回の席のお隣は私と同世代風の女性でお連れは、その風貌からお母さまのようだった。コンサートの途中に達郎さんが「私のコンサート初めての方は挙手を」と尋ねると私の周りはM君もそのお二人も含めほぼお初組ばかり。ところが<Let’s Dance Baby>のクラッカーはしっかり準備して破裂させ、終盤はスタンディングというノリノリ状態で圧倒されたほどだった。周囲の感激度が伝わり私自身も初心に帰ったような心地よい3時間となった。 

注1)「Sparkling '82-'83」全18公演、1982年12/8(水)静岡市民会館
注2)「Performance '84-'85全30公演、北陸は富山市公会堂、新潟県民会館のみ
注3)「Performance '86全32公演、1986年5/30鹿児島市民文化会館第一ホール、
    7/18,19福岡市民会館 
注4)「Performance '88-'89全39公演、1989年1/12,14,15福岡市民会館
注5)「Performance '91-'92全38公演、
   1992年2/19,20,24,25大阪フェスティヴァル・ホール
注6)「Performance 2008-2009全50公演(2008.12/5~2009.5/15)
   初代大阪フェスティヴァル・ホール公演2008年12/18,19,27,28
注7) 2012年公開「シアター・ライヴ Performance 1984-2012」映像に収録
注8)「Maniac Tour~Performance 2014全29公演(2014.7/25~10/8)  

補足)今月7日の自身68歳誕生日を前に、自分へのプレゼントでFMおおつ9月号では「山下達郎特集」を放送しました。(放送終了済み)
そのセット・リストは以下の通りです。
 
 1. SPARKLE   BG: If You Want It/Niteflyte 
 2.空飛ぶ・ウララカ・サイダー [Live] /大滝詠一とココナッツ・バンク 
 3.ドリーミング・デイ/ NIAGARA TRIANGLE 
BG.:DOWN TOWN/ The King Tones 

 4. If You Were There / The Isley Brothers 
 5. I Just Can't Get You Out Of My Mind / The Four Tops 
 6. DOWN TOWN / SUGAR BABE
 BG.: 北極回り/黒木真由美 

 7. SHOW/SUGAR BABE 
 8. Ain't Gonna Lie(嘘はつかない) / Keith 
 9. More Today Than Yesterday/ The Spiral Starecase 
10. パレード/ NIAGARA TRIANGLE
11. Daydream/ The Lovin' Spoonful 
12. ラスト・ステップ
BG.:お先にどうぞ/ かまやつひろし

13.三ツ矢サイダー'76
14.ナショナルまきまきカール
15. 不二家ハートチョコレート 
16. 不二家 ハートチョコレート '76(バレンタイン編)
17. いちじく浣腸 
18.資生堂フェリーク'77 (MARIE)
19.ハウスみぞれっ子 
20. ハウスみぞれっ子&シャービック
21. コカコーラ'79
22. TRIO FM時報 
BG.:言えなかった言葉を

23. CIRCUS TOWN
24. WINDY LADY 
BG.: Your Smiling Face (君の笑顔)/James Taylor

25. LOVE SPACE
26. 翼に乗せて
27. SOLID SLIDER
BG.:Boogie Woogie Love Train(恋のブギウギトレイン) 

28.恋は流星(part-2) / 吉田美奈子
29. ヴァイブレーション/ 笠井紀美子 
30.ドリーミング・ラブ/中原理恵
31. Love Magic/アン・ルイス 
32. ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~/竹内まりや 
33. WOMAN/フランク永井
BG.: YOKOHAMA Twilight Time/角松敏生 

34. 夏への扉
35. メリー・ゴー・ラウンド
BG.:12月の雨/荒井由実 

36.ピンク・シャドウ /ブレッド & バター
37. ピンク・シャドウ 
BG.:  Let's Dance Baby/ザ・キングトーンズ & マリエ   

38. BOMBER
39. FUNKY FLUSHIN'
40. LET'S DANCE BABY [Live] 

 というかなりマニアックなセット・リストでした。それゆえある一般ファンの方から「初心者にはちょっと難しい」とのご意見を頂戴しました。 
 そこで、今月も誕生月に免じていただき「山下達郎特集」をPart-2として放送します。もちろん次回は初心者にもやさしい、最新曲も代表曲も入れたベストな選曲のプログラムです。10/22&23(再放送)ご期待ください。

2022年9月30日金曜日

The Courettes:『DAYDREAM / デイドリーム』(なりすレコード/TARGET EARTH RECORDS / NRSP-7103)


 デンマークの男女ロックンロール・ユニット、ザ・コーレッツ(The Courettes)が初来日公演に合わせ、記念した7インチ・シングル『DAYDREAM / デイドリーム(日本語ヴァージョン)』を10月5日にリリースする。


 彼らザ・コーレッツは、2015年にファースト・アルバム『Here We Are The Courettes』でデビューした2人組で、ヴォーカルとギター、ピアノを担当するブラジル出身のフラヴィア(Flávia Couri)と、ドラムとパーカッション類をプレイするデンマーク出身のマーティン(Martin Couri)のクーリ夫妻によるユニットである。
 ファースト以降現在までに『Alive From Tambourine Studios』(2017年)、『We Are The Courettes』(2018年)、『Back In Mono』(2021年)、『Back In Mono (B-Sides & Outtakes)』(2022年5月)と4枚のフルアリバムとミニアルバム1枚をリリースしている。
 日本では今年2月に『Back In Mono』がデビュー盤として発売され、洋楽としては異例のロングセラーになっているという。弊サイト読者なら一目瞭然だと思うが、同アルバムのジャケット・デザインやロゴのカラーリングがThe Ronettesの『...Presenting The Fabulous Ronettes Featuring Veronica』(1964年)のそれを想起させてマニア心をくすぐるのだ。


 同アルバムのサウンドは、それまでのハードなガレージ・ロック路線から、ポップな曲調でリヴァーブを効かせたウォール・オブ・サウンドにモディファイした曲を主体にしたことで、日本のオールディーズや60'sポップス・ファンの心を掴んだだろう。この転換期にキーマンとなったのは、同アルバムの先行シングル「Want You! Like A Cigarette」(2020年)から彼らの共同プロデューサーとなったセーレン・クリステンセン(Soren Oakes Christensen)の存在で、彼はデンマークのブルース・ロックバンド“The Blue Van”のキーボーディストとして2003年から活動していた。セーレンがソングライター兼プレイヤーとして加わったことで、現在のコーレッツ・サウンドが形成されたのは間違いない。
 またアルバムのタイトル通りモノ・ミックスに拘り、なんと日本で作業がおこなわれ、マイクロスターの佐藤清喜が担当しているのだが、これはコーレッツのメンバーが、佐藤がミックス他を手掛けたSOLEILのアルバムを聴いてオファーしてきたのだとのことだ。
 そしてこの『Back In Mono』のヒットを受けて、彼らはこの10月に来日し各地の会場でツアーを敢行するという。

 
The Courettes "Daydream" 

 ここではその初来日公演を記念した7インチ・シングル『DAYDREAM / デイドリーム(日本語ヴァージョン)』を紹介しよう。
 この「DAYDREAM」は『Back In Mono』のアウトテイクで、同日に国内リリースのミニアルバム『Back In Mono (B-Sides & Outtakes)』(HYCA-8041)にも収録されるが、カップリングは同曲の日本語ヴァージョン!という、日本だけのスペシャル仕様となっている。
 タイトル曲はフィレス・サウンドの他、同サウンドを敬愛したジョン・レノンがフィル・スペクターと共に制作した『Rock 'N' Roll』(1975年)にも通じる、マルチトラックでウォール・オブ・サウンドを再現したスケール感のあるバラードで、メロディ・センスやコーラスのリフレインはヨーロッパ~北欧らしさを感じさせる。また特徴あるフラヴィアのヴォーカルはこの壮大なバックトラックに負けない存在感を放っており感動的だ。
 日本語ヴァージョン「デイドリーム」の日本語詞は、デンマーク在住の日系人ヒロ・モンステラ氏が担当し、元々の歌詞を意訳しているのだが、言葉のチョイスが非常にユニークである。このヴァージョンでもやはりフラヴィアのインパクトのある声質により耳に残る。

『Back In Mono (B-Sides & Outtakes)』
 このスペシャル仕様の7インチ・シングルと合わせて『Back In Mono (B-Sides & Outtakes)』もチェックしよう。
 彼らの来日公演ツアーのスケジュールも紹介しておくので、興味を持った音楽ファンは是非足を運んで欲しい。


■The Courettes JAPAN TOUR 2022 スケジュール  
          

★10/4渋谷タワーレコード
インストアイベント ミニライブ&サイン会

★10/5新宿ロフト
出演:The Courettes / The 5.6.7.8’s Opening Act:ザ・ハイマーツ  https://eplus.jp/sf/detail/3697610001-P0030001P021001?P1=1221 

★10/6京都ミューズ
出演:The Courettes / リンダ&マーヤ  https://eplus.jp/sf/detail/3700280001-P0030001P021001?P1=1221 

★10/7難波メレ
出演:The Courettes / KING BROTHERS / KiNGONS
/ 忘れてモーテルズ

★10/8島根ジェットフェス 島根県松江市 古墳の丘古曽志公園
出演:ギターウルフ/ The Courettes/ T字路s / 曾我部恵一 他 

★10/9島根ジェットフェス後夜祭 松江 ライブハウス B1
出演:The Courettes / ザ・ハイマーツ
/ ウルフ★セブンティーン 他


◎『DAYDREAM / デイドリーム(日本語ヴァージョン)』
 予約サイト ●ディスクユニオン: 

ウォール・オブ・サウンド関連・弊サイト選
プレイリスト・サブスク

(テキスト:ウチタカヒデ

2022年9月17日土曜日

『The Beach Boys』Byron Preiss著 (1979年)


今夏(2022)BrianのツアーはChicagoとのジョイント形式で行われた。


 思えば約半世紀前はThe Beach Boysのキャリア上中興の期であった。旧作のコンピレーション2作『Endless Summer』、『Spirit Of America』は大ヒットし、コンテンポラリーな進化を評価されながらも商業的な成功から遠ざかっていた彼らに皮肉にも大きな収益をもたらした。
 1975年には現在「BEACHAGO」と語り伝えられているChicagoとのジョイントライブは好評を続け、全米70万人動員かつ750万ドルの興行収入という結果につながった。


 今夏(2022)奇しくも実現した「ややBEACHAGO」ツアーだが、同道しているメンバーのうちBrianサイドではAlとBlondie、しかしBEACHAGO時代Brianは自宅に引きこもっていたし、Blondieはツアーメンバーから放逐されJames William Guercioにとって代わり、当時と同じメンバーはAlのみというのが現状だ。
 James William Guercioはなかなかの策士である、いわゆるBEACHAGOの成功とともに着々とThe Beach Boysのマネジメントを自己のCaribouへと移管し、自身と友好的であったCBSとのコネクションを利用しThe Beach BoysそのものをWarnerからCBSへの移籍へとつなげる、その間The Beach Boysはスタジアムクラスの興行で満員御礼が続く全米でも押しも押されぬ人気ライブアクトとなり、CBSからも800万ドルもの契約金を勝ち取った。
   本書『The Beach Boys』は上記のキャリア上昇期に刊行された。本書の前後に刊行された『 The Beach Boys and the California Myth』(David Leaf著)と『Heroes and Villains: The True Story of the Beach Boys』(Steven Gaines著)は後年の多くの評伝類に引用され影響を与えているが、本書のみがthe authorized biography(公式バイオ)を冠している。
 映画『American Graffitti』の成功によって見直された多くのoldies actsに対して本書はThe Beach Boysはそれとは一線を画している、というスタンスを取っている。一過性のリヴァイヴァルではなくgoing concernには支障ない。何故なら本質的な価値は不変であり、市場で評価されないこともあるが、彼らの体現するCaliforniaの風土や夢は彼らを通じてこれからも多くの人々に支持されていくのだ。どんな投資にもテーマが必要である、テーマには必ず何かしらの夢がある。Californiaの夢とは何であろうか?Bing Crosbyの『White Christmas』では雪の降らない西海岸の風景を通して故郷の雪景色を想う様を描写している、これではCaliforniaには夢がない!Phil Spectorは同曲の間奏でオリジナル歌詞にない一節--So I can have my very own white Christmas–(雪がないなら自分だけのホワイト・クリスマスを迎えよう!)と、Darlene Loveに語らせることでCaliforniaを温暖な憧れの土地のイメージを印象付けることに成功した。
 The Beach BoysもカヴァーしたMamas and the Papasの『California Dreamin’』ではタイトル通りCaliforniaの夢だ、枯葉舞い散る東海岸と思しき寒気に包まれた地所で歌詞の主人公はCaliforniaの温暖な環境を夢見て終始「Califroniaに行ってればなあ」と述懐し続ける。60年代になると故郷のWhite Christmasが訪れようとも若者の頭の中はCaliforniaへの妄想でいっぱいになってしまったのだ。
 確かに60年代後半のCaliforniaは軍事からカルト宗教まで世界のトップに君臨したと言ってもいいだろう、1967年には地元エンタメ界出身のRonald ReaganがCalifornia州知事に就任し1969年にCalifornia生まれのRichard Nixonが大統領に就任する。米国の東西にCalifornia由縁の人物が君臨し、世界へ覇を唱える。The Beach BoysにはこのCalifornia神話に影響があるのだろうか?The Beach Boysの理解者たらんとしたReaganはご存知の通り知事の後大統領へと就任し、昵懇の仲であった大ブッシュは同じく大統領に就任する、続く小ブッシュも大統領へと就任するが以後大統領選挙では民主党にCaliforniaの票を現在に至るまで奪われ続けている。Mike閥のみが接近したDonald Trumpも選挙ではCaliforniaを落とすことができなかった、次回も無理だろう。
 上記のCalifronia神話が効いていた60年代以降は皮肉にもThe Beach Boysのキャリア下降期に一致する、いわゆる「夢」でいっぱいの時代(1962-1965年)とは民主党出身知事であるPat Brownの治世と一致する。Pat Brownは大規模なインフラ整備と教育改革を行った、その結果freewayの数は増え、若者は学園生活を謳歌しドライブに遠方のサーフィンスポットまで出かけ、街中を車で遊びまわることができた。
 「夢」の背景にはソ連邦と米国の宇宙開発競争が背景にある、当時米国は宇宙空間の有人飛行について完全に遅れをとっていた。その為科学技術振興を行う必要に迫られていた、その為軍都である加州は教育改革を行った。宇宙開発は精密機器無くして成立しない、加州Wilson家の家長であるMurryは英国より旋盤を多く輸入した、工作機械商の息子達はRonald Reaganの庇護を受ける。
 本書の著者Byron Preissは音楽ライターというよりは出版プロデューサーに近いスタンスの人物で、本書の構成には通常の評伝類と違うユニークさが光っている。
 バイオ本にありがちな編年体の平板な文章はあまりなく、当事者のインタビューや記事の引用で紙面は埋め尽くされ、所々挟まれるビジュアルが総合して数々の神秘を紐解いてだんだんとThe Beach Boysの実相に近づいていくような読了感がある。


 巻末のディスコグラフィはレア音源も加えて充実しており、編集には全米東西のコレクターも動員している、個人的には当方がコレクションを一部譲り受けたコレクターも掲載されており、非常に懐かしい。
 本書で特筆すべきは凡百の評伝類に先駆けて当時音源のリリースがなかった『Smile』を詳細に解説しているのだ。本書の執筆のためThe Beach Boysサイドでは『Smile』の全貌を音源でByronに示す必要性があった。そのためリファレンス用のカセットが作成されByronへ手渡された。さらにByronから他のスタッフへの音源流出が後に明らかになっており、これはこれでThe Beach Boys再発見の別の流れを作ることになる。

 Byronは本作以外でもっとも有名なのはThe Secret [treasure hunt](1982年)だ。


 表題の通り宝探しの謎解き本の体裁になっている。本作はイラストとそれに添えられた詩をヒントにして解読し、全米及びカナダの公園(全12箇所)に埋められている宝箱を得ることを目的とする。その宝箱には鍵が入っており、それと引き換えに宝石をByronからもらえるのだ。
 Byronは2005年に物故し、文字通り秘密を墓場まで持っていってしまった(宝物は遺族が管理しているようだ)。現在に至るまで発見に成功したのはわずか3箇所のみである。

Byronの宝発見を伝える記事(1983年)

我こそはと思われた方は挑戦あれ!
筆者はThe Beach Boysの宝を掘り続けるとしよう。