2017年2月5日日曜日

☆マギー・メイ:『12時のむこうに~アンソロジー1969-1975』(クリンク/CRCD5129-30)



先日紹介した実川俊晴の1975年以降のソロ・アンソロジー『TOSHIHARU JITSUKAWA POP SONGS 1979-2016』があまりに素晴らしかったので、このレーベルを超え多数のデモまで収録したコンピを実現してくれた制作・解説の高木龍太さんが、実川俊晴のそれ以前の、主にマギー・メイというバンドで活動していた前期作品集を既にリリースされていたので、高木さんに頼んで送っていただいた。このマギー・メイ『12時のむこうに~アンソロジー1968-1975』で、年代がつながった訳だ。ここで実川俊晴の音楽活動が分かった。九段高校に通っていた実川は、ビートルズ、そしてゾンビーズ、ビージーズ、ピーター&ゴードン、バーズ、などの特にコーラスに魅かれ、実川いわく「僕らのやっていた音楽はソフトロックだね」という意識で、GSが学生フォークかという潮流に属さない洗練されたポップ・サウンドを指向していた。1969年にまず東芝/エクスプレスよりマミローズの名でシングルを出すが、曲は別のメンバーが書いたものの、実川の歌を聴いたメンバーが、実川が歌った方が絶対いいと言ってレコーディング、そこで実川は自身のヴォーカルの魅力に気づくことになる。このシングルの演奏は残念ながらスタジオ・ミュージシャン。B面の「灰色の空」の方が、ハーモニーがあっていい出来だ。高校は進学校なのでみな学業優先で次々メンバーが入れ替わり、1970年にはハロー・ハピーに変わり、シングルを1枚リリースする。このシングルからは実川の曲で、演奏もグループで、特にB面の「朝日の見える丘」が洗練されたハーモニーに彩られたソフトロック系に仕上がっていて注目される。ここでさらにメンバーが就職などで抜けるが、実川は進学していた早稲田大学の音楽仲間とセッションをしたもののレコーディングには至らず、前の2つバンドメンバーと匿名で所属していた東芝のカバー企画LPに参加する。その中の1971年のレッドブラッズ名義で「No Matter What」を提供したが、これは高木龍太さんの労作コンピ『スウィーター!ルーツ・オブ・ジャパニーズ・パワー・ポップ1971-1986』(ポップトラックス)で聴くことができる。実川は音楽で身を固めていこうと決意していたので早稲田大学を中退し、集まったメンバー5人でマギー・メイを結成する。S&GPPMのハーモニーにも魅かれていた彼らはCS&Nの曲を歌っていたが、既にGAROがその路線でデビューしていたので、この路線ではなく、ハーモニーを生かしながらシャウト・ヴォーカルで(レコードではシャウトはないが)迫力あるサウンドで行こうとライブ活動を始める。そして1972年にマギー・メイ初のシングルをリリース、A面の「失くした心」は、マイナー調の曲だが、サウンド、ハーモニーのアプローチが洋楽に近い。そして1973年にポリドール傘下の洋楽レーベルに移籍してデビュー・アルバム『マギー・メイ・ファースト』がリリースされる。曲は2曲が共曲で残りは全て実川の作詞作曲だ。冒頭の「吟遊詩人」で冒頭のアコースティック・ギターからワンランクアップしたサウンドを十分に感じられる。ハーモニーの力は健在で、バッキングがパワーアップした。さらに次の2枚目のシングルになった「12時のむこうに」が傑作だ。アップテンポのアコースティック・サウンドにCS&N風の明快なハーモニーが映え、メロディも実川らしい爽快さがありベスト・ソングのひとつ。ジャジーなサウンドとハーモニー、そこに実川のハイトーン・ヴォイスが光る「ひとりぼっちの広場」は、従来にはないハイセンスな佳曲。アフロタッチのパーカッションにアコースティック・サウンドとハーモニーを乗せた「不言実行」も面白い。エレキギター、サックスをフィーチャーし、様々な展開をする洒落た「いらいら」も、新境地を開発しようという意気込みが感じられる。このアルバムの後にヒットを狙ったシングル「続・二人暮らし」をリリース、サウンド的には日本的な情緒のフォーク・ロックで、コーラスは少ないが本人達は満足した出来だといい、南こうせつがプッシュするなどラジオでは話題になったが、どのレコードもヒットしなかった。シングルA面になった3曲以外は全て初CD化で、貴重なリイシューだ。ディスク2は日本コロムビア移籍後の音源になる。まず1974年の先行シングルで、A面はフォークだが、B面の「私の小さなブティック」は、お洒落な愛らしいポップ・ナンバーで、歌い方もハイトーンで甘く、1979年以降の実川が感じられる快作だ。そしてアルバム『もぬけのから』がリリースされるが、ディレクターにしっとりとしたフォークが似合うと言われ、穏やかなフォークタッチの曲が多くなり、出来は不満だという。でもその中で光る曲があり、パイロットやラズベリーズを思い起こさせるパワー・ポップ風のギターが快調な「宝探し」や、ハーモニーとパーカッションが爽やかな「悪魔印のキャンディ」、哀調漂うメロディとコードが印象的な「ぼんやり」、シティ・ポップ・タッチの「地下鉄は終わり」、1979年以降のソロを予感させるトロピカルな「それから…」は十分聴く価値がある曲だ。1975年にマギー・メイのラスト・シングル「誓いのハイウェイ」はメロディもハーモニーも流麗で日本コロムビア時代のベスト・ソングのひとつ。B面のみ実川の曲ではないが、このアップなポップなナンバーもいい。この1975年にマギー・メイは解散するが、他にオムニバスのみの『永久保存版フォークあいうえお』にチェリッシュの「若草の髪かざり」のカバーを提供、さらにカルメンの1974年にシングルで実川が作詞作曲、演奏マギー・メイという「嘘みたい!?」も収録してあり、ディスク2も『もぬけのから』以外の曲は全て初CD化なのが嬉しいところ。アルバムには収録されていないが、1975年に実川が曲を提供し、とんぼちゃんのデビューシングルになったサビのメジャー展開とハーモニーが心地よい「貝殻の秘密」があるので、ご存知の方も多いと思う。この1975年にはあのSUGAR BABEが鮮烈なデビューを飾っており、その前に1973年には荒井由実が『ひこうき雲』、1974年『MISSLIM』、1975年『COBALT HOUR』と怒涛のリリースで既に日本のポップ・ミュージック・シーンを革新していた。マギー・メイでの活動は、この時期が潮時だった気がする。このCDで先に紹介した実川俊晴『TOSHIHARU JITSUKAWA POP SONGS 1979-2016』へつながるので、実川俊晴というほぼ無名の、しかし優れたミュージシャンの全ワークスを追えるようになったことは素晴らしいことだ。今のうちに必ず入手しておこう。(佐野邦彦)

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*マギー・メイの情報はこちらまで(現状、販売元直営の芽瑠璃堂、あとはタワー、HMV、ディスクユニオンは確実に通販可能)




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