2010年1月2日土曜日

フレネシさんと相対性理論+渋谷慶一郎の『アワーミュージック』を聴く


ファーストフルアルバム『ハイファイ新書』(09年1月)で、キッチュなミューテーション型ポップスの魅力を開花させた注目バンド、相対性理論(そうたいせいりろん)が、電子音響系音楽の旗手としてアーティスティックな活動をしている渋谷慶一郎とのコラボレーションのトリプルシングル『アワーミュージック』を1月6日にリリースする。
ここでは一足早く、昨年7月にリリースした『キュプラ』が好評中で、相対性理論ファンを公言している、女性アーティストのフレネシさんと聴いてみた。

ウチタカヒデ(以下U):今回の『アワーミュージック』は、渋谷氏のピアノソロ・アルバム『ATAK015 for maria』(09年9月)収録曲を、相対性理論がバンドスタイルでリアレンジした2曲、「アワーミュージック」と「スカイライダーズ」が特に興味深いと思いますが、フレネシさんがお聴きになったファーストインプレッションではどのように感じましたか?


フレネシ(以下F):そうですね、「アワーミュージック」と「スカイライダーズ」はとりわけ興味深く拝聴しました。
「スカイライダーズ」のサビからのリズム展開、「アワーミュージック」の16ハネグルーヴは、バンドアレンジならではの聴きどころだと思います。

U:完璧に相対性理論サウンドにリアレンジされていて感心しますよね。因みにヘッドアレンジらしいですが、渋谷氏もピアノでプレイに参加していてアンサンブル的に違和感ないです。
また「BLUE」を加えた3曲では、ヴォーカルのやくしまるえつこをフューチャーした、渋谷氏のピアノ演奏によるシンプルなヴァージョンも聴けますが、そちらはいかがでしょうか?

F:マザーグース的韻踏み言葉遊びな歌詞がオリジナル曲のアブストラクトさを助長していて、「sky riders」と「our music」は日本語で言葉が乗っているにも関わらず受け手に映像的イメージを具体化させないのはさすがのセンスですよね。謎めいた余韻だけが残るというか。

U:ご自身でもシンガーソングライターであるフレネシさんに質問ですが、既存の完成されたインスト曲に歌詞を当てはめるという作業は、結構大変だと思われますがいかがでしょうか?
今回はやくしまるえつこのソロ活動でも作詞を手掛ける、ティカ・α名義になっておりますが。

F:難しいと思います。音符の数に合わせて詞を割り当てるという作業の中でどうしても字余りになったり、足りなかったりということが出てきますがかといって他の言葉では代用したくないフレーズもありますし。
また、曲そのもののリズムを損なわない譜割のセンスが問われますよね。
その上で、これまでの作品と同様に言葉遊びが盛り込まれているのには、流石としかいいようがないです。日本語版同韻語辞典、みたいなものがあるんじゃないかと思うくらいに。
私は、Cathy Claret「Les Roitelets」と、Michael Franks「Antonio's Song」に和訳ではない日本語詞をのせてカヴァーしたことがあるのですが、リズムにプライオリティを置いて区切る場所をまず明確にしてから言葉を選ぶという手順を取ることもあります。

U:恐らく渋谷氏は歌詞が乗るという前提で作曲している訳ではないから、言われるように譜割りは大変だったでしょうね。それと相対性理論ワードアーカイブからセンテンスやパンチラインを織り込んでいる点も本当に脱帽ものです。
音楽におけるアボルダージュ戦法というか、まだまだ可能性を秘めた才能だと思います。
今回のタイトルになっている「アワーミュージック」ですが、まさしく彼ら達、新たな世代による「わたしたちの音楽」という風に捉えていいでしょうか?

F:そう捉えてよいのかもしれませんね。
新たな世代の・・・という自意識はなくとも自然にそうなった的な。
00年代に湧き上がったシーンへのカウンターというよりは以前からずっとそこにあったもの、という感じもします。それをたまたま目撃した人が騒いでいるだけというか。

U:相対性理論に関しては自主制作のファーストミニアルバム『シフォン主義』(07年,リマスター盤08年)を初めて聴いた時、ポップスのミューテーションか?というほどインパクトを受けました。
単に私がこういったシーンに疎かったから余計に感じたのかも知れませんが、その後の展開を考えると彼らの出現は時代性と無縁とは思えないんですね。

F:私もこういうシーンにはめっぽう疎いのですが・・・。
00年以降台頭したほっこり系のカフェミュージックにも、またビートありきのエレクトロミュージックにもピンと来るものがそれほどなかったのですが、その理由はそうしたサウンドにポップである必然性がなかったからなのかも知れません。

U:そもそもフレネシさんが、彼らのサウンドに出会ったきっかけはなんだったのでしょうか?

F:あれは忘れもしない昨年の1月9日。会社の友人が「理論の新譜(『ハイファイ新書』)出たけど聴く?」と貸してくれたのが最初の出会いでした。実は『シフォン主義』がリリースされたとき、話題になっていたにも関わらず私は全くその存在を知らず「理論ってなぁ~に」という感じでした。
全くの後追いではあるのですが、このアルバムを聴いて以来すっかりファンになってしまいました。中でも『ハイファイ新書』の「ふしぎデカルト」がツボでした。電子音の使い方がお洒落で、歌詞も何とも掴みどころがなく、またギターのリフも素敵で「地獄先生」よりもこの曲がアルバムの肝だと勝手に思っていました。
そして、このアルバムを聴いた翌週に書いたのが「覆面調査員」でした。

U:凄い、そんな経緯があったんですね。「ふしぎデカルト」など『ハイファイ新書』に影響されて「覆面調査員」が生まれた訳だ。実にいい話です。
その『ハイファイ新書』から遡って『シフォン主義』を聴かれたご感想は?
またアルバム単位でのサウンドの変遷についてはどう考えますか?

F:『シフォン主義』では、「スマトラ警備隊」が特に好きです。
このアルバムは、オルタナに振り切ったサウンドであるにもかかわらず、この上なくポップな歌モノであることが素晴らしいと思います。
『ハイファイ新書』は、『シフォン主義』からは衝動と理性のバランスが大きく変わったのかな、と感じました。

U:そうですよね、『シフォン主義』ではオルタナ色が強いギターサウンドが利いていました。私が当時のレビューで指摘したのが、まるでジョニー・マーを彷彿させるギターサウンドの構築法だったんです。比較的アッパー・テンポの曲が多かったから、やくしまるさんの歌唱法には性急さを感じて辛そうな部分もありました。このアルバムの中では「おはようオーパーツ」が、後の『ハイファイ新書』のサウンドの布石になっていますか。
『ハイファイ新書』でフレネシさんが指摘される「衝動と理性のバランス」というのは、やくしまるさん(のヴォーカル)の魅力により比重を置きつつ、相対性理論サウンドを進化させた点ともいえますね。バンドとしてきちんと制御されているというか。
ではこれまでのお話を踏まえて、アーティストとして彼らに対するシンパシーとは具体的になんでしょうか?

F:うーん、何でしょうか。友達がいなさそうな音楽、という点でしょうか。
(実際彼等に友達がいないというわけではないと思いますが)
○○系やアンチ○○系など、群れることを目的とした音楽には、ここに属していますという符号ばかりが表立って強調されてパーソナルな部分があまり重視されていないように感じるのですが、彼等の音楽にはむしろそのパーソナルな部分だけがあるように感じたのです。
圧倒的なオリジナリティはそういうところから来るのかもしれません。
私もまた、そうでありたいと思っています。

U:面白い表現ですね(笑)。確かに相対性理論やフレネシさんのセンスは、マイノリティゆえに研ぎ澄まされた感性の賜じゃないかと思います。唯一無二のオリジナリティをクリエイトするには、知己を得るばかりではなく、自分自身の感性を磨くことが重要かも知れません。
最後に最近のフレネシさんの活動などについてお願いします。

F:『キュプラ』リリース後にライヴ活動をいくつかやっていましたが、当分はお休みということで、年明けからしばらくは制作に入ります。
出版物関係では『文化系女子のための少女漫画案内』に執筆参加しました。
Official HP:http://www.otomesha.com/frenesi/
official myspace:http://www.myspace.com/frenesifrenesi
official blog:http://blog.goo.ne.jp/frenesi


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