2020年5月25日月曜日

Stay Home


 全世界をコロナ禍が蝕みつつある、突発的流行に絶息された方々へ深く哀悼の意を捧げる。
 感染症対策として多くの都市封鎖が行われた、"Stay Home"のスローガンも導入された今回はHomeにちなんで、The Beach Boys関連のお宅訪問してみよう。

 今時のコロナ禍からちょうど100年程遡る1918年、世界的に現代と同じく疫病の流行があった、スペイン風邪である。
 その前年Brian Wilsonの父Murry Wilsonが出生した、その50年後ヒッピー文化のカリスマであるTimothy Learyがurn On, Tune In, Drop Out!(ドラッグで意識をオンにして、その意識をチューンインして拡大し、家からドロップアウト!)を全米に説き、多くの若者が家を捨てCaliforniaを目指した。
 それから50余年後のCaliforniaは都市封鎖を行い外部の流入を拒んだ、住民は何がしかの薬を飲み、家の中で閉じこもっている。
 スペイン風邪の発生については諸説あるがその中の米国起源説によれば、Kansas州のHaskell郡(下図では3にあたる)または米国陸軍Riley基地の兵舎(下図では2にあたる)と言われている。父Murryの出生地はそれらの中間地点であるHutchinsonにあって(下図では1にあたる)多くの北ヨーロッパ出自の移民コミュニティが形成されていた。
 Hutchinsonの近隣にはWichitaが位置し、かの地を冠したヒット曲Wichita Linemanは弊誌読者にもおなじみである。シンガーGlenn Campbellは一時期Murryの息子Brianの代役としてThe Beach Boysに在籍していた。


 同曲の作曲者Jimmy Webbは隣のOklahoma州出身で、Wichita LinemanはそもそもJimmyの出身Oklahoma州をドライブ中Washita郡で見た保線夫の光景から生まれた。しかしながら、歌詞の舞台はJimmyの郷里ではなく、近隣のWichitaが選ばれた。
 実際のWichita市は大都市であり曲のイメージからは遠い、同名のWichita郡が下図の2の上あたりにあり、小さな自治体であるのでこちらのイメージが近そうだ。
 一方でWashitaの名を冠した曲は存在していて、Jesse Ed Davisによる『Washita Love Child』がある。(1970年発表のLP 『Jesse Davis!』A面3曲目 収録)


 The Beach Boysは1982 1984 2013年にライブで Kansas州を訪れている。Mike LoveにとってもWilson家は母方の実家にあたる、2018年Hutchinsonの生家を訪問している。
 Wilson家がKansas州に定着したのは19世紀後半、Brianから4代前のWilliam Henryからで現地では配管業を営んでいた。当時の配管業は急成長を遂げる社会インフラであり、上下水道・電話・ガス等様々な分野で拡張しており、現代のインターネットのめざましい伸長に匹敵するほどの技術であったのだ。
 実はこのWilliamの代で、Wilson家は一度Californiaへ進出している。
 1904年頃、現地での刑務所建設で多くの配管需要があり、一時Williamはこれで多くの富を築きSan Diego市郊外Escondidoの葡萄農園に投資するもかなわず一年でKansasへ戻った。現在Escondidoの農園近くにはSandie go Zoo Safari Parkが建っている。
 同公園はSan Diego市内のSan Diego Zooから分かれて1970年代に開園した。 本家の方は1966年発表の『Pet Sounds』のカバー撮影場所で有名だ。


 Pet Soundsは世界中で名作と賞賛されWilson家の栄誉を残した。 由縁のある土地での100年前の曽祖父の失敗を曾孫が見事に取り返したのだ、まさに『江戸の仇は長崎で』ある。
 そしてWilliamの子Buddy、Brianから3代前は父同様配管業に従事していたが、父の失敗から10年後再びCaliforniaを目指した。現地で安定した仕事に就けず何度もKansasと西海岸を行き来したのち、1920年代遂に子Murryを含む妻子をCaliforniaへ呼び寄せる。
 時は黄金の20年代であった、Buddyは運がなく困窮しており、住処も借りられなかったので、しばらくHuntington Beachの浜辺でテント暮らしを続けた。それから40年後運をつかんだBuddyの孫たちは、運命の巡り合わせか?自らをThe Beach Boysと名乗った、BrianはHuntington Beachにインスパイアされ筆をとって『Surf City』を作曲した、そして同曲のヒットにBuddyと昔テント生活をしたその子Murryは怒った。(続く)


(text by MaskedFlopper)

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