2020年3月22日日曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(沢田研二・バンド編 PYG期)

  1968年にピークを迎えていたGSブームは、1969年3月ザ・タイガースのトッポ脱退、更に追い打ちをかけるように発生した5月のオックス赤松愛の失踪・脱退で、彼らが在籍していたバンドだけでなくGSブームそのものが終焉に向かうきっかけとなった。 そして1970年にはGSの存在は完全に過去のものとなり、ブームを牽引していた多くのグループが解散の道を選んでいる。少し余談になるが、この連鎖で引退した中には才能ある人材も多々あり、最も惜しまれた筆頭はザ・テンプターズの松崎由治といえる。この見解については故鈴木ヒロミツ(元モップス)も公の場で発言している。 

  そんななか1960年代末に、台頭していたニュー・ロックのバンドを結成する計画を目論みが発生していた。そのメンバーはザ・テンプターズの萩原健一(以下、ショーケン)と大口広司、ザ・スパイダースの井上堯之と大野克夫で、そこにザ・タイガースのサリーが加わった。そして沢田がこの「構想」に呼びかけられ、ザ・タイガース解散直後に井上堯之をリーダーに、本格的ロック・バンドを目指す「PYG(ピッグ)」が結成されることになった。 
  そんな沢田をソロにと目論んでいたナベプロも彼を会社に残すため、新バンドを同社に所属させるという条件でこれを認め、新バンドやメンバーのマネージメントを行う子会社「渡辺企画」を設立している。

   当時、欧米ではクリームを解散したエリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーが、元トラフィックのステーヴィー・ウィンウッドと結成したブラインド・フェイスがスーパー・グループと呼ばれていた。そんなこともあって、GS界のトップスターたちで結成された彼等は、日本のスーパー・グループとして大きな話題となって取り上げられた。なおこのグループ名は、同じナベプロ所属だったアラン・メルリ(ジャズ・シンガー、ヘレン・メルリの実子、1979年<I Love Rock' N Roll/ジョーン・ジェット>の作者)のアイディアで「豚のように蔑まれても生きてゆく」を元に、本来の「PIG」を「PYG」にもじったものだった。 

  このように周囲の期待を大きく集めたPYGのデビュー・コンサートは、1971年3月20日に京大西部講堂で行われた第1回 MOJO WEST になった。しかしこのフェスの共演が当時から伝説化していた村八分であったことも重なり、会場に集結した硬派なロック・ファンから、“GS残党の寄せ集めバンド”と反発され聴衆から猛烈な罵声を浴び、その場は大混乱となっている。そんな騒動は主催者側の内田裕也が聴衆を説得し、収拾する結末という散々なものだった。
  さらに4月に開催された日比谷野外音楽堂の「日比谷ロック・フェスティバル」に出演した。ところがここでも会場に詰めかけたロック・ファンから関西地区と同様に嵐のような「帰れ!」コールを浴びせられる。そんななかで始まったPYGの演奏だったが、その最中にステージに物が投げられるなどの大騒ぎが発生している。また客席側でも沢田とショーケンのファン同士のいざこざが発生しており、物々しい状態になった。 

  こうしてPYGの船出はまさに暗中模索ともいえるとなった。そして4月10日にファースト・シングル<花・太陽・雨>(30位:8万枚)が発売され、8月10日にはファースト・アルバム『PYG!』も発売された。なおこのアルバム初回盤は、ジャケットに描かれた豚の鼻を押すと泣き声が出る特殊仕様で話題を呼び、また沢田たちを支える熱狂的ファンの絶大な支持もあって、チャートの10位(2.4万枚)を記録している。


  ただこの<戻れない道>で幕を開けるアルバムは、ヴォーカルを際立たせるためか楽器の録音レベルが抑えられ、特にドラムスに至っては極端に低く(この時期のPolydor特有)、そのせいかバンド色が薄く感じられた。それは、この時期の海外で主流となっていた(敏腕プロデューサー、フェリックス・パパラルディがクリームで試みた)ドラムスの演奏パートを中央に据えたライヴの臨場感溢れるものとは逆行したものだった(シングルではやや解消)。
  また7月には今も沢田によって演奏される機会の多いセカンド・シングル<自由に歩いて愛して>(24位:9.3万枚)をリリース。ちなみにこの曲はアルバムの<ラヴ・オブ・ピース・アンド・ホープ>に日本語詞をつけたものだった。 そして11月10日には、8月16日の田園コロシアムで開催したライヴ盤『FREE with PYG』が発売となっている。そこには当時のロック・シーンを象徴するナンバーが数多く収録されているが、タイガース時代のレパートリーも見受けられるなど、目指す方向性が定まっていないようにもとれた。ただここでの収録模様はスタジオ作とは違い、バンドとしてのグルーヴ感がしっかり録音され彼らの熱気が伝わってくるものだった。 

  しかしこのライヴがリリースされる直前の同年9月、ドラムスが大口広司から原田祐臣(元ミッキー・カーチス&サムライ)にメンバー・チェンジしている。その新体制での11月1日には「萩原健一+PYG」のクレジットでサード・シングル<もどらない日々>(91位:0.5万枚)がリリースされた。 
  そんな中、同日には沢田が初のソロ・シングル<君をのせて>を発表する。今では飛鳥のカヴァーでも知られる名曲だったが23位(10万枚)止りだった。さらに12月にはセカンド・アルバム『JULIE IN LONDON』が発売となり、まるでバンドから離脱するかのような活動に至っている。 

   翌1972年にはショーケンが主役扱いのテレビ・ドラマ『太陽にほえろ!』が大ヒットし、彼の俳優としての評価が徐々に高まる。この時期にはショーケンが参加できるときはPYGとして、参加できないときには「沢田研二と井上堯之バンド」(または井上堯之グループ)として活動するようになっている。 
  また、のちに井上堯之バンドの代表曲と言えるほど有名になった『太陽にほえろ!メインテーマ』や同ドラマのサウンド・トラックも、レコーディング時は「PYG」としてレコーディングされ、マスターテープのラベルや録音日誌には「PYG」と明記されているという。 その後沢田は本格的にソロ歌手へシフト、ショーケンも同年7月にソロで<ブルージンの子守唄>(92位:0.5万枚)をリリースする傍ら俳優へ、そして残りのメンバーはそのまま「井上堯之バンド」へ移行していった。 

  そんなPYGは同年11月の第5作シングル<初めての涙>以降、一度もPYG名義でのレコード発売はない。ライヴも同年夏の「日劇ウエスタン・カーニヴァル」を最後にPYGとしての主だった活動がなく(12月には「沢田研二と井上堯之グループ」で出演)、正式に解散が発表されたわけではないが、結果論的に「消滅」あるいは「解散」となったものとされている。

  沢田自身、1975年頃までは、PYGのオリジナル曲やレパートリーを積極的にコンサートに取り上げ、雑誌インタビュー記事などで彼が井上堯之バンドのことを「PYGの仲間」と表現し「一人の歌手として、またPYGの一員として…」などと自分の抱負を語っているのが散見されるこの。ことから、メンバー内の意識は1973年以降もしばらくPYGのままであったと推測される
 ところが1974年5月27日「夜のヒットスタジオ」で沢田とショーケンのジョイントによる「PYG」のパフォーマンスが披露されるというサプライズが発生した。このようにPYGは翌1975年にオリジナル・メンバーのサリーが脱退し俳優に転向する頃までは、ショーケンが参加できればPYGとしての活動も継続していく意向があったようにも思える。

 その後、PYGのメンバーが公の場で顔を合わせるのは1977年になる。そこは「第16回日本レコード大賞」にて沢田が<勝手にしやがれ>で大賞を授賞式した晴れ舞台だった。その壇上にはショーケン、それにピーを除く元ザ・タイガースのメンバーが並び、そしてこの曲の演奏を担当したのは作曲者の大野克夫が在籍する井上堯之バンドと、ほぼPYGのメンバーが勢揃いすることになった。
  なお翌1978年夏に行われたショーケンのコンサートには沢田が、翌日に開催された沢田のナゴヤ球場ライヴにショーケンが飛び入りして、そこでは<自由に歩いて愛して>を歌っている。 

 ここまでが、沢田のバンド時代の軌跡を追ったものだ。この時代におけるシングル売上げ(ザ・タイガース、PYG)は約426万枚で、当時としてはトップ・クラスだったというのは言うまでもない。そんな後の大活躍については次回以降の「ソロ編」でふれることにする。

 ここからは補足となるが、1981年1月に有楽町日劇取り壊しを前に、内田裕也が中心となって「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催された。そこには往年の人気GSが再結成して参加し、その中にはピーを除くザ・タイガースの姿もあった。
  そしてこれをきっかけに1981年11月に解散時のメンバーにトッポが参加した「同窓会」と銘打った再結成(~1983年)に繋がっている。なおこの時期に集結したのは、トッポを盛り立てるという目的もあったといわれている。
 そこでは単にライヴ活動をするだけでなく、オリジナル・アルバム『THE TIGERS 1982』を発表している。そして久々の新曲<10年ロマンス>(20位:16.4万枚)<色つきの女でいてくれよ>(4位:42.7万枚)をヒットさせ、改めて根強い人気を証明している。



 
  またさらに30年を経た2013年12月3日には、ファン待望となる44年ぶりにピーとトッポが揃った1969年以来のオリジナル・メンバーによる復活ライヴが日本武道館で実現。その12月27日の東京ドーム公演には、病を押してシローがゲスト登場し、これにより結成以来初めて6人のメンバーが公の場で一堂に会することとなり、歴代メンバーが全員勢ぞろいしたオリジナル・メンバーでの「ザ・タイガース復活コンサート」が開催されている。
 このような催しに今なおファンが詰めかけるのは、ザ・タイガースは単に懐かしのGSというだけでなく、今も燦然と輝く永遠のアイドル・グループであり、沢田は「星の王子様ジュリー」として輝きを失っていないことを証明したといえるだろう。 

 ◎PYG 『Free With PYG』 1971年11月10日 /  Polydor /  MP-9096/1 国内チャート 24位 / 0.8万枚 
2019年7月24日( ユニバーサル・ミュージック/USMジャパン UPCY-7597 ) 
①Black Night (ディープ・パープル:1970)、②Walking My Shadow (フリー:1969)、③Every Mother’s Sun(トラフィック:1970)、④Country Comfort(エルトン・ジョン:1971/ロッド・スチュワート:1971)、⑤Bitch(ストーンズ:1971)、⑥ Speed King(ディープ・パープル:1970)、⑦Cowboy(ランディ・ニューマン:1971/ニルソン:1971/スリー・ドック・ナイト:1971)、⑧Love In Vain(ロバート・ジョンソン:1937/ストーンズ:1970)、⑨To Love Somebody、⑩Traveling In The Dark(マウンテン:1971)、⑪ 淋しさをわかりかけた時、⑫何もない部屋、⑬悪魔(Sympathy For The Devil )(ストーンズ:1968/ブラッド、スエット&ティアーズ:1969)、⑭I Put a Spell on You、⑮自由に歩いて愛して、⑯ハイヤー(I Want To Take You Higher)(スライ&ザ・ファミリー・ストーン:1969)、⑰ゴナ・リーヴ・ユー(Babe, I'm Gonna Leave You) (ジョーン・バエズ:1962/レッド・ツェッペリン:1968)、18. 祈る 

 約1年前、タイガース田園コロシアム公演が収録された同じ場所で、8月16日(月)に開催されたPYGのライヴ・アルバムだ。タイガースの『サウンズ・イン・コロシアム』と聴き較べると、プレイ・スタイルがより当時の音楽シーンに敏感に反応していることがよくわかる。 デビュー時は、その結成の成り立ちに罵倒されることが多く、満足な演奏をさせてもらえなかったようだが、このコンサートは好意的な観客ばかりのようで、これまでになく気持ちの良さそうな雰囲気が伝わってくる。 
 選りすぐりのメンバーがそろっただけあって、バンド自体の力量は聞きごたえ十分のプレイに満ちている。また演奏だけでなく、②③④⑤⑦⑧⑰といったロック・ファンを唸らせるような選曲をしているところでも、彼らの本気度が伝わってくる。特に⑰でのジュリーはロバート・プラントを彷彿させる迫力が伝わってくる。 欲を言わせてもらうなら、⑮のようなロックっぽいオリジナルがもう数曲あれば、洋楽カヴァーとのバランスがとれ、さらに充実した仕上がりになった感もする。   

参考1:カヴァー収録曲について
 ①Black Night 
 1970年、ヴォーカルにイアン・ギランを擁した第二期ディープ・パープル(以下、パープル)のファースト・シングル。この曲は当時「ロックは絶対にヒットしない」と言われていた名古屋で火が付き全国ヒットに繋がったと言われている。これをきっかけに彼らの1972年来日公演は実現した。そしてこの公演を収録したライヴ盤『In Japan』が日本のみ発売となったのはご存じの通りだ。なおこのアルバム初回盤には、特典として公演のネガ・フィルムがついていた。その翌年には『Made In Japan』のタイトルで英米リリースの運びとなり、世界的な名声を手中に収めることになった。 
②Walking My Shadow 
 1969年3月にリリースされたフリーのデビュー作『Tons of Sobs』収録曲。このアルバムは1960年代後期のブリティッシュ・ブルースの影響が色濃く反映され、本国では不発で、米国でも197位程度の反応しか得られなかった。 
③Every Mother’s Sun 
 1970年4月に発表されたトラフィック第4作目アルバム『John Barleycorn Must Die』収録曲。このアルバムはブラインド・フェイス加入のためバンドを離れていたステーヴィー・ウィンウッドがソロ用に制作を始めたものだが、結果として1969年の『Last Exit』以来となるトラフィックの新作に発展したものだった。当時、バンドの再結成作として大いに話題となり、全米5位全英11位を記録し、バンド史上最も成功したものとなった。この曲の作者はスティーヴィーと長年の相棒であるドラムス担当のジム・キャパルディ。
 ④ Country Comfort 
 邦題:故郷は心の慰め。1970年に<僕の歌は君の歌(Your Song)>で、頭角を現したエルトン・ジョンが、1970年に発表したサード・アルバム『Tumbleweed Connection(エルトン・ジョン3)』の収録曲。同年には、ロッド・スチュワートがセカンド・アルバム『Gasoline Alley』でカヴァーしている。 
⑤Bitch
  1971年にストーンズが、自身のレコード会社ローリング・ストーンズ・レコードから第1作としてリリースした『Sticky Fingers』収録曲。この曲はアルバムより先行シングルとなった全米1位(全英2位)など、世界的大ヒット<Brown Sugar>のカップリング曲。 ⑥Speed King 
 1970年、第二期パープルのファースト・アルバム『In Rock』のトップ収録曲。ここでのイアン・ギランによるリトル・リチャードばりの度肝を抜くシャウトは、ハード・ロック・ファンに大きな衝撃を与えた。このアルバムの登場により、彼らは日本でハード・ロック界のトップ・グループに躍り出た。 
⑦Cowboy 
 米国のいぶし銀ソング・ライター、ランディ・ニューマンの1968年発表のファースト・アルバム『Randy Newman』収録の牧歌的ナンバー。1970年に<うわさの男(Everybody’s Talking)>のヒットで、その名が知れ渡ったニルソンが第6作『Nilsson Sings Newman』に収録。また同年にはスリー・ドック・ナイトが、第4作『It Ain’t Easy』でカヴァー。 ⑧Love In Vain 
 邦題:むなしき愛。ストーンズのキース・リチャードをはじめ、多くのギタリストに影響を与えたといわれるブルース・ギタリスト、ロバート・ジョンソンが、1937年のセッションで残したナンバー。1970年にストーンズが発表した、彼らを代表する傑作アルバムのひとつ第10作の『Let It Bleed』でカヴァー。 
⑩Traveling In The Dark  
 邦題:暗黒への旅路。伝説のスーパー・ロック・トリオ、クリームのプロデューサーとして一世を風靡したフェリックス・パパラルディが、巨漢ギタリストレスリー・ウエストを擁して結成したマウンテンのナンバー。1971年発表の傑作サード・アルバム『Nantucket Sleighride(邦題:マウンテン3)』(全米16位/全英43位)収録曲。日本では独自にシングル・カットされている。 
⑬悪魔
  邦題:悪魔を憐れむ歌。ストーンズが1968年にジミー・ミラーをプロデューサーに迎え、発表した第8作『Beggers Bunquet』に収録された代表曲のひとつ。なお、この曲のレコーディング風景は、ジャン=リュック・ゴダール監督による音楽映画『ワン・プラス・ワン』として記録された。また、翌1969年にはブラッド、スエット&ティアーズが、サード・アルバム『B,S&T. 3』で大幅にアレンジしたカヴァーを発表している。 
⑯ハイヤー 
 ジャズ界の巨匠マイルス・ディヴスにも影響を与えたといわれるファンク・ソウルの祖スライ・ストーンが、1969年に自身のバンドを率いて第4作『Stand!』で発表した一大傑作ナンバー。この曲は1969年に開催された伝説のウッドストック・フェスティヴァルでの白熱のパフォーマンスで有名になり、彼らの代名詞的ナンバーとして語り継がれている。 ⑰ゴナ・リーヴ・ユー 
 元々は1962年にフォーク・シンガー、ジョーン・バエズがサード・アルバム『In Concert』で演奏し、その存在が知られるようになった。さらに1968年にはレッド・ツェッペリンがデビュー作『Led Zeppelin』で取り上げ、ロック・ファンにも幅広く知られるようになっている。なお、近年になって1950年代に女性シンガー、アン・ブレドンによって書き下ろされたナンバーということが判明している。 

  1982年に「ザ・タイガース同窓会」と銘打ち、3月17日日本武道館と4月4日大阪フェスティバルホールで復活コンサートを開催。この模様は空前の3枚組(CDでは2枚組)で完全収録盤がリリースされた。参考にセット・リストのみ掲載しておく。 

『A-LIVE 』 1982年5月10日 /  Polydor /  MP-9096/1 国内チャート 24位 / 0.8万枚 CD 1994年5月21日( VICL-61241/4 Disc3 ) 
2002年4月24日(初回限定紙ジャケ)
①十年ロマンス、②僕のマリー、③銀河のロマンス、④廃墟の鳩、⑤シーサイド・バウンド、⑥星のプリンス、⑦落葉の物語、⑧白夜の騎士、⑨朝に別れのほほえみを、⑩忘れかけた子守唄、⑪.風は知らない、⑫スマイル・フォー・ミー、⑬淋しい雨、⑭Time Is On My Side 、⑮Under My Thumb(ストーンズ:1966/ザ・フー:1967)、⑯ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man) (ザ・ビートルズ:1965)、⑰Do You Love Me (コンチュアーズ:1962/ブライアン・プール&ザ・トロメローズ:1963)、⑱Twist And Shout (ポップ・ノーツ:1961/アイズレー・ブラザース:1962/ザ・ビートルズ:1963)、⑲Tell Me (ストーンズ:1964)、⑳Yellow River、㉑Holiday (ビージーズ:1967)、㉒ジョーク(I Started A Joke)、㉓Lalena、㉔Look Up In The Sky、㉕BA・BA・BANG、㉖野バラの誓い 、㉗生きてることは素敵さ、㉘色つきの女でいてくれよ、㉙君だけに愛を、㉚モナリザの微笑み、㉛青い鳥、㉜花の首飾り、㉝誓いの明日、㉞ラヴ・ラヴ・ラヴ、㉟美しき愛の掟、㊱シー・シー・シー、㊲十年ロマンス、㊳色つきの女でいてくれよ 
                               (鈴木英之)

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