2017年11月29日水曜日

佐野邦彦氏との回想録3・鈴木英之

Jigsawの第一回リイシュー発売をひかえた910日には、BS.TBSで『Song To Soul』の「Sky High」特集がオンエアされた。
番組は「Sky High」が誕生するまでの一週間(1975522日~28日)を中心に、メンバーをはじめとする関係者インタビュー、ジグソーの作品紹介、当時の写真や資料等で構成され、「Sky High」が主題歌となった映画『The Man From Hong Kong』の一部映像、ミル・マスカラスの試合風景もしっかり紹介されていた。さすが「報道のTBS」と唸らせる渾身のプログラムで、番組制作スタッフの真摯な取り組みが感じられ、大変よくできた音楽ドキュメンタリー番組だった。
番組ラストの協力者のテロップには、今回のライナー作成で大変お世話になったS氏、そして今回私と「Sky High & Rera Trucks~」のライナーをご一緒させていただいたY氏のクレジットがあり、佐野さんと自分も番組の支えになったようでうれしくなった。




ただ欲を言えば、Tom JonesFour Topsを紹介するパートで、Tomの「It’s Unusualよくあることさ)」は欧米向けであれば納得できたが、日本においては、「Love Me Tonight」か「She's A Lady」の方がふさわしいのでは?と感じた。またFour Topsは時代を考慮してか「Ain’t No Woman (Like The One I've Got)」がチョイスされていたが、こちらも「Reach Out I'll Be There」などMotown時のヒット曲が分かり易かったかな?というのが個人的な感想だった。さらにもっと凝るのであれば、Des Dyerが「「Shaft(黒いジャガーのテーマ)」をヒントにして作曲した。」につながるよう、1973年のヒット「Are You Man Enough?(シャフト!アフリカ作戦)」にしても面白かったかなとも感じた。



リイシュー第2回発売の3タイトルについては、45作が佐野さん、林哲司氏絡みの6作を私が受け持つことになっていた。作業はこの放送直後に、発売元から収録可能曲のマスター・データが送信され、そこから音源をチェックして収録時間内にまとめるというところからスタートした。日中仕事を持っている私はそれを一気に全部チェックするのに手間取り、病床の佐野さんが「1曲でも多く未発表音源を収録する」とばかりに、ものすごい勢いで聴きまくり、各アルバムの構成案をまとめ、収録内容はほぼ佐野さん主導で進められた。こんな流れで佐野さんの意見をベースに、私の提案も多少盛り込ませていただきつつ、927日に収録曲はいったん決定した。その後、いくつかの修正を入れ「重要な曲を外すことなく80分収録」にこだわった「レア音源だけ集めたCD」と揶揄されることのない収録リストが9月末までにまとまった。こういった作業となると「さすが佐野さん」と唸るばかりで、以前『The Beatles Anthology』シリーズでの詳細な音源チェック・リストが、当時某レコード会社で社員教育に採用したいとオファーを受けた実績を持つだけはあると頭が下がる思いだった。



とはいえ個人的には、『Song To Soul』で流れた「Sky High」のインスト・ヴァージョン(編曲Richard Hewson)と、1976年にJigsawがエントリーした第7回世界歌謡祭での「Paint The Smile On(恋のクラウン)」ライヴ音源(『第7回世界歌謡祭実況アルバム』)の収録に未練が残った。特に後者は朝日新聞縮小版にて「グランプリ決定世界歌謡祭」(フジ系11/23(火)1600)が放映された記事から探し当てたもので、佐野さんも「世界歌謡祭のライヴ音源の発見は凄い!」とその価値を認めてくれていたが、これらについてはマスターの所在が発見できず残念ながら見送りとなった。


この案が決定した直後に佐野さんより、私が受け持つ『Pieces Of Magic』について「林さんのエピソードは一般には知られていないのでそこにスポットを当てるべき」とメールが届き、改めて私ならではの内容にしなければという気持ちが昂った。


またその翌日には、私が6月に出演したテレビ番組の最新プログラムが「昭和ネタ」だったことを引き合いに、私に再度のアプローチを後押しする連絡が入り、佐野さんが元気なうちにこちらの企画もまとめなければと焦るばかりだった。

更に、私の誕生日にはFacebookを通じて「精力的な活動を楽しみにしています。」とお祝いメールを頂き、「全て佐野さんのおかげです」と返信すると、すかさず「どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。その姿勢で頑張ってよりメジャーに!」とあり、なぜか彼からお別れの挨拶をされているような心境になってしまった。

さて話はJigsawのライナー制作に戻るが、私が担当したアルバムのリアルな発売日は1977225日だが、この直前の219日にミル・マスカラスが登場テーマに「Sky High」を使用して話題沸騰の最中だった。さらに林さん作の日本盤EPIf I Have To Go Away(君にさようなら)」の発売された325日は、その直前の321日に「Sky High」がオリコン11位(翌週3位)に登場しており、こんな状況ゆえ新譜としての印象の薄さを物語る不幸な作品だった。ちなみに当時は、プロレス・ファンが多かった私の周りでは、このテーマを口ずさんでマスカラスの必殺技「クロスチョップ」「フライング・ボディ・アタック」の真似をするのがブームになっていたほどだった。Jigsawファンの私でさえ林さんの記事を発見しなかったら、世界歌謡祭の入賞曲「Paint The Smile On(恋のクラウン)」を収録したアルバムくらいにしか認識していなかったのだから、一般での認知が低いのは無理もない話だった。

 また日英米と収録曲が微妙に違い、特に日本盤は「Sky High」未収録の新装ベスト・アルバムといった感じになっていた。しかし、CDリイシューではオリジナルの英国盤がベースになり、ヒット作にはならなかったが、まだバンドとしての輝きが失せていない充実作と再認識させられるものだった。個人的には林さんに繋がった記念碑的作品で、あの当時のことがリアルに頭をよぎり、かなり字数をオーバーしてしまった。そこで冷静に文面を見直し、気になった事を1017日佐野さんに最終確認をして完成させることが出来た。


 その後は、発売元の担当者とタイトルのチェックや、アルバム・ブックレットに掲載するジャケットのレイアウトについてやりとりをしていた。その中で、問題となったのは佐野さんが集大成とばかりにまとめあげたコンプリート・ディスコグラフィがかなりスペースを占めており、私がこだわっていた日英米のLPEPのオリジナル・ジャケットの掲載スペースが確保できそうにないということだった。ただそんな私が不安視していた案件は、CDトレイの内側を使うという担当者の配慮でなんとかクリアできた。全ての作業が終わって気がつけば、そろそろ秋の気配が感じられる季節になり、佐野さんの健康面を配慮して、メールのやり取りは控え、17日の確認メールが佐野さんとの最後の連絡になるとは予想もしなかった。

 1030日にサンプルCDが届き、休日だった翌日にパッケージを開けて中を確認し、佐野さんに報告がてら連絡文を書き始めた直後、Facebookより彼の訃報が飛び込んできた。

一瞬、この半年間佐野さんとやり遂げたJigsawのことが頭の中を回想した。そして、これはきっと佐野さんの命が燃え尽きる前に、天から贈り物として一緒に仕事をさせてくれたのだと思え、彼に完成の報告をするため、114日通夜の葬儀会場に向かった。そこにはまるで眠っているかのような佐野さんに対面、ご親族と彼の生前を熱く振り返った。
5日は告別式が執り行われていたが、火葬の最中に放送されていた「サンデー・ソングブック」(TokyoFM)で、山下達郎氏が佐野さんに敬意を評したお悔やみのメッセージと追悼に「Let’s Kiss The Sun~愛を描いて」をおくってくださった。
まさに「神対応」、追悼曲と一緒に佐野さんが天に召されていく情景が浮かんだ。


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2017年11月26日日曜日

VANDA誌以前の佐野邦彦氏の投稿記事と氏への回想録

8月にビーチ・ボーイズのレア・アイテム、プロモ・7インチ盤『Spirit of America / Boogie Woodie』に関する記事を提供してくれた筆者20年来の友人が、佐野邦彦氏がVANDA誌以前にビーチ・ボーイズに関する記事を投稿していた『RAVE ON』誌を紹介してくれた。
氏の記事によってビーチ・ボーイズ・コレクターとして開眼していった彼による回想録を少しお送りしたい。



佐野氏が泉下の客となられた、かの知らせには涙腺が緩むのを禁じ得なかった。 ジャンルを超えた様々な音の調べの豊かさを世に知らしめるべく尽力された人生に敬意を払う。 その中でも数々の方々が賞賛されるようにソフトロックをいちジャンルにまで昇華させた事は特筆すべきであるが、ソフトロック言論確立に至るまでのインターネット無き時代から草の根で培われた多くのミニコミ、人的交流を基盤に続けられてきたオールディーズ研究の成果の一つでもある。
1970年代前半からオールディーズ研究のミニコミが刊行され、1970年代後半さらに数誌が刊行されると同時に交流や人気が拡大していくこととなる。

当方のThe Beach Boys収集もまずは身の回りの聞くことができる音源を探すところから始まり、ほとんど国内再発盤がない状況からのスタートは暗中模索であった。かかる状況では、日本語によるThe Beach Boys収集の指南や歴史など体系的に知る手段は皆無であって、あったとしても断片的であったが、間もなく答えは海外にある事に当然ながら気がつく。
輸入盤や中古レコード店にコレクター向け雑誌があり、たまたまThe Beach Boysが特集されており、おまけに世界中の個人ファンクラブの住所が掲載されていた。すかさず当方は手紙を出しまくり入会することが出来ると、ファンクラブ内で行われるレア音源の交換や既に米国で刊行されていた伝記や研究書の入手が出来、ようやく彼等の全貌が分かるとともに、コレクター道の嚆矢となった。
ほとんど徒手空拳に近い形でThe Beach Boysやオールディーズに耽溺していた当方ではあるが、ある日とある中古レコード店で見つけた雑誌の表紙がGene Vincentではないか!とよく見ると英語ではなく日本語で色々な記事で特集されており、目に付いたのがThe Beach Boys rare masters???執筆者は佐野邦彦とある、それが佐野氏との出会いの始まりであった。


その雑誌は『RAVE ON』という名前で、前身の『Back to the Rock』から続くオールディーズ研究の大きな潮流の中にあることが分かる。
巷間かまびすしい、ビートルズやロック中心史観とは異なるポピュラー音楽の宝庫がそこにあった、それを契機に音楽の趣味は完全にコンテンポラリーから背を向けてしまう結果となるが、渺渺たるものではあるが収集してきたアイテムやそこで得た知識などコラムの形で披露させていただくことで佐野氏への追辞に代えることとしたい。 

(text by -Masked Flopper- / 編集:ウチタカヒデ)

2017年11月22日水曜日

佐野邦彦氏との回想録2・鈴木英之

Jigsawは佐野さんがVANDAにコラムを発表したことがきっかけとなって、19986月にテイチクよりオリジナル・アルバム4タイトル、7月には(佐野さん選曲)新装版ベスト『Soft Rock Collection』の計5枚がリイシューとなった。当時、彼からの依頼で発売元よりサンプル盤が届き、解説の末尾には「音源を提供していただいた鈴木英之氏に感謝いたします。」とあり、自分が彼の役に立ったことをうれしく思った。

ただリアル・タイマーの私としては、当時と同じジャケットでの発売となった第4作『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book(邦題:愛の想い出)』以外はオリジナル・ジャケット仕様で、初めて対面する心境だった。また第6作『Pieces Of Magic(邦題:愛のマジック)』は収録曲もかなり違っていたので、違和感を覚えてしまった。とはいえ、研究熱心な佐野さんのおかげで実現したこのリイシューを喜んだものだった。

私はこのお礼として、以前彼が「価値はないんだろうけどこにも見当たらない」と言っていた日本のみ発売となったLPJourney In To Space』を「私が持っているよりも、佐野さんのところにあった方が価値はあると思う」と伝えてプレゼントした。その後、2006年にはビクターより紙ジャケ仕様で、再び佐野さん主導で(微妙に選曲が違う)4枚がリリースされ、今回ウルトラ・ヴァイヴからパーフェクト・リイシューとして全6作が発売されている。今回のリイシューでは、『Journey ~』も完全収録することになり、約19年を経てこのアルバムが役に立つことになり、本当に良かったと思っている。



ここで話を私がどのようにJigsawを知ったのか紹介させていただく。まず初めて彼らの曲を聴いたのは、FM東京(現:Tokyo FM)の「ダイヤトーン・ポップス・ベスト10」にチャート・インした「夏の歌をいつまでも(My Summer Song)」だった。当時はベスト10番組が数多く放送されていたが、この曲がチャート・インしていたのはこの番組だけだったので、新し物好きの自分としては気になる存在となった。その後、「悲しみのヒーロー(Billy Don’t Be Are Hero)」でブレイクしたBo Donaldson & The Heywoodsの第2弾「恋のあやまち(Who Do You Think Are)」のオリジナルとしてJigsaw版を聴き、完全にはまってしまい、この曲が収録された『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book』を手に入れたのが始まりだった。




その後も(人知れず)彼らを聴き続けたのは、第6作『Pieces Of Magic』(日本盤は『恋のクラウン~君にさようなら/ジグソー愛の詩』)に収録された「If You Have To Go Away(君にさようなら)」があったからだ。この曲は彼らにとって最後のヒット(1977年全米93位、全英36位)で、当時の音楽雑誌に「日本人作曲家がビルボード・チャートにランク・イン」と掲載されていた。なお、その日本人とは後にヒット・メーカーとして活躍する林哲司氏で、当時まだ無名だった氏の快挙は、もっと大々的に報道されてもいいはずだった。しかし、この曲の日本発売日(325日)の3日後に、ミル・マスカラスの登場テーマ(219日の試合より使用)として大評判となっていた「Sky High」がオリコンの第4位(前週11位)にランクされるタイミングに重ってしまった。そんな経緯で、この話題は一部の関係者に注目されるに留まっている。



 その後、VANDAに参加して4年目の2000年、初めて私が中心となって企画した『Soft Rock In Japan』(音楽之友社)で、ご本人と対談の機会を持たせていただき、当時の話を伺うことが出来た。またこの御縁から、彼のデビュー30周年記念企画『林哲司全仕事』(音楽之友社)のオファーを受け、この制作過程では竹内まりやさんはじめ、氏と関わりの深い著名人と対談の機会をまかせられたが、その中に「If You Have To Go Away」をJigsawに売込んだフジパシフィック音楽出版(PMP;現フジパシフィックミュージック)社長朝妻一郎氏も組まれていた。こんな夢のような体験ができたのは、ある面Jigsawのファンでいたおかげだと思っている。

 
話は佐野さんとの共同作業となったJigsaw3回目のリイシューの件に戻るが、この仕事は20176月中頃に彼から「Nさんという方からJigsaw の復刻企画について協力依頼の連絡が入るのでよろしく」というメール連絡から始まった。そして6月下旬になって、そのN氏から「BS.TBSの「Song To Soul」で「Sky High」特集が組まれており、Jigsawのメンバーへのインタビュー取材で渡英します。そこで彼らへの質問をあげていただけませんか?」という要請が入った。日程も迫っていたので、大慌てで10数項目ほどまとめてメール送信した。このことを佐野さんに連絡すると「私も10問程度連絡しましたよ。」とのことだった。その後、選曲に関する質問が何回かN氏から届き、それと入れ替わるように発売元の担当者より最初のリリースとなる3作の収録内容等についての連絡が入った。このあたりから佐野さんと頻繁にやりとりが続いた。ここでは、「収録時間をめいっぱい使う」「各アルバムには最低でも1曲は未発表を収録」を念頭に、「多分今回が最後のリイシューになると思うので、これまで収録できなかったものを全て収録」という佐野さんの意向を尊重して進めた。佐野さんはかなり意気込んでいたものの体調のすぐれない事も多く、作業は二人三脚状態で進行させた。結果、担当者より「内容がすごくわかりやすく、ファンの方への訴求力も上がった」と評価いただけるまでにまとめることが出来た。

そして、「最初の3タイトルのうち鈴木さんには『Sky High & Rera Trucks~』の解説をお願いしたい。」との依頼を受けた。佐野さんからも「僕よりはるかにマスカラスに詳しいはずだから適任だね!」と連絡を受けた。ただ、私が佐野さんレベルに仕上げるには当時のプロレス情報が希薄だったので、当時のプロレスに詳しい従弟について話を聞くも、「マスカラスは全日(本)だろ?俺、猪木の新日(本)派だから、そんなに詳しくないよ。でも、「Sky High」のシングルは持ってるけどね」と、ただ「登場テーマは、マスカラスよりもモハメド・アリと猪木戦(1976年)のアリが最初だよね。」など興味深い話が確認できた。また、「Sky High」発売当時にテイチクでJigsawを担当者されていたS氏を紹介いただき、「マスカラスのテーマは当初全日本プロレス・サイドが、発売元に無断で使っていた」等、当時の真実を伺うことが出来た。さらに、19761977年の時代背景の文献をあれこれ調査し、無事「リアル・タイマー」らしい内容の原稿をまとめる事が出来た。
                 

その後は、ラフ原稿のチェックに入り、当初よりこだわっていたジャケットや画像レイアウトについて要望を入れ、9月初旬どうにか完成に辿り着いた。この完成サンプルCDが届く前、佐野さんから連絡があり、その際にライナーには文字数の都合で書けなかった諸説内容を伝えた。それを聞いた佐野さんから「そんな面白い話、企画書を作ってメディアに売り込まないとだめだよ!」とはっぱをかけられてしまった。
そして、「次回の発売は11月だけど、曲目さえ決まれば書き始めたい。遅れるほど体調が悪くなる可能性が高いので早くにスタートしたい。今回のような泥縄にならないようにしてほしいと、鈴木さんから担当者によく頼んでください。」と伝言を受けた。ということで、その第2回発売分のJigsaw回顧録は、次回に回して完結にさせていただくことにする。




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2017年11月18日土曜日

small garden:『歌曲作品集「小園」』 『out of music Single』(small garden studio/SGRK-1601,1701)

 

small garden(スモールガーデン)は、小園兼一郎(コゾノ ケンイチロウ)によるソロ音楽・ユニットだ。
ソフトロックやネオ・アコースティック、ジャズ・ミュージックのエッセンスを内包し、女性ヴォーカリストを迎えてAOR~シティポップとして昇華させたサウンドを展開している。
ソングライティングやアレンジ、全ての演奏はもとより、ミックスダウンからマスタリング、アルバム・パッケージのデザインまで一人で担当するという小園のプロフィールにも触れておく。 

都内で生まれ育った彼は、小学生の頃にテレビでナベサダ(渡辺貞夫)やマルタの姿を観て、サックス奏者に憧れたという。高校生の頃よりサックスを始めてジャズにのめり込み、某音大のジャズ科へと進学する。
そこでは中村誠一氏や山下洋輔氏から手ほどきを受けていたが、ジャズ・ピアニストとしてあまりにも著名なハービー・ハンコックに強く影響を受け、作曲業へ転向し学校を中退してしまう。その後音楽制作会社へ入社しサウンドクリエイターとして数年勤め、フリーランスとなる。
現在ではゲーム音楽のクリエイターを活動しながら、この音楽ユニットsmall gardenを2016年に始動した。

今回ここで紹介するのは、そのファースト・アルバム『歌曲作品集「小園」』(16年10月)と、今年の9月にリリースされたミニ・アルバム『Out Of Music』である。
 まずは『歌曲作品集「小園」』から解説しよう。

 

初めて冒頭「木漏れ陽」のイントロを聴いてから筆者は、small gardenに世界観に引き込まれてしまった。
チェンバロ(ハープシコード)のフレーズにアコーステックギターの刻み、フルートのオブリが柔らかい木漏れ陽を感じさせて、イタリアの地方都市に佇んでいるような錯覚をしてしまった。ディープな映画音楽ファンには説明不要だが、エンニオ・モリコーネが60年代後半にマカロニ・ウエスタンやオーケストレーションを駆使した大作の狭間で手掛けた、所謂カルト映画のラウンジ感漂うサウンド・トラックを彷彿とさせるのだ。
本アルバム収録曲の八割でリード・ヴォーカルを取る野沢菜のナチュラルな声質と相まって、このアルバムの代表曲として第一にお勧めする。

2曲目の「ほたる」は、ボッサのリズムを基調としながら、ジャズ・ピープルらしいピアノのインタープレイが光るポップスとして完成度が高い。ストリングス・アレンジの細部に渡る構成も見事である。
インスト小曲の「間奏」(同名曲が収録されているのでpart1としておく)には、ウェイン・ショーターの『Native Dancer』(75年)で聴けるサックスの響きのように心地よく、続く「かわたれ」の前奏として効果的だ。
その「かわたれ」はゆるいシャッフルで演奏され、柔らかい中域を強調したホーン・セクションの色彩はハンコックの『Speak Like A Child』(68年)の影響を感じさせる。こういったサウンドの随所にエレメントが見え隠れしているのがジャズ学科出身らしい。

「靄」は80年代シティポップというカテゴリーで捉えてもおかしくない曲であるが、ユーフォニウムのソロや生演奏風のサウンドにシーケンス音を有機的に絡めたり、NY派のジャズ系ドラマーがプレイするようなフィルが聴けたりと、細部に渡ってかなりの拘りが感じられる。
これだけ解説して元も子もないが、筆者好みである佐藤準が手掛けていた頃の今井美樹のサウンドにも近く、それは野沢菜のヴォーカル・スタイルに起因しているかも知れない。
「間奏 (part2)」はピアノだけによる演奏の小曲だが、ビル・エヴァンスの『alone』(68年)の断片を聴いているようなひしひしとした孤独感がたまらない。

小園自身がリード・ヴォーカルを取る「斜陽」は、アルバム中最もコンテンポラリーなAORサウンドで、ソウル・ライクなホーン・アレンジ、インタールードのような独立した間奏、ラリー・カールトン風のギター・ソロなどは、北園みなみ経由のドナルド・フェイゲン・サウンドと言えるだろう。
そしてラストの「Fill Up Your Life」ではAkane(あかね)という女性シンガーが参加しており、この曲の作詞をしたVeronica(日本人らしい)の紹介から、偶然にもリード・ヴォーカルを取ることになったという。この曲ではフォーリズムとコンガに、ストリングス・セクションを加えたシンプルなサウンドがキャロル・キングのあのアルバムを彷彿とさせて好きにならずにいられない。小園自身によるソプラノ・サックスのソロも効果的だ。


続いて最新作のミニ・アルバム『Out Of Music』について解説しよう。


   

このミニ・アルバムは前作に比べて明らかに軸足をAOR~ライトメロウ・サウンドに寄せており、新たに迎えられた女性ヴォーカリストのyukky(ゆっきー)も多くのソウル、シティポップ系バンドでライヴ経験も豊富な実力派らしい。声質的にも尾崎亜美を彷彿とさせて個性が際立っている。
冒頭の「蓮花」は70年代ニューソウルのテイストを持つメロウな曲で、フェンダーローズを中心としたリズム・セクションにストリングスを加えていえる。ミニー・リパートンをこよなく愛するソウル・ファンは聴くべきだろう。
続く「流る星」もサウンド的には同質であるが、こちらには80年代初期のパトリース・ラッシェンのテイストを感じる。小園自身も掛け合いでヴォーカルを取っており、バックのコーラスも二人で担当しているようだ。ややハーモニー・ピッチに危うさを感じる箇所があるが今後改善されていくだろう。

「湖畔」は前作収録の「間奏(part2)」のメロディをモチーフとして発展させたと思しい、小園自身がリード・ヴォーカルを取ったシティポップだ。曲の後半の女性ヴォーカルは、ピアニストでもあるRomihi(ろみひ)が担当している。
ラストの「H.S.P」はこれまでのメロウな3曲とは異なる、ブルージーながらテクニカルなジャズ・ファンク調のサウンドがご機嫌で、ドナルド・フェイゲンの『Kamakiriad』(93年)に通じる。この曲でリード・ヴォーカルを取る小園の乾いた声質とのギャップも逆に面白いかも知れない。筆者的にはこのミニ・アルバム中最も好みである。

今回某SNSを通じて小園氏より筆者にコンタクトがあり音源を聴かせもらったのだが、こういったケースはこれまでも多々あった。中にはWebVANDAや筆者の趣味性を本当に理解してコンタクトを取ってきたのか疑いたくなる音源が多かったので、当初は然程期待をしていなかったのだが、そんな迷いも「木漏れ陽」のイントロ4小節を耳にして一掃された。
密かに活動している音楽家やその楽曲との出会いとはそういうものなのかも知れない。
自主製作ながらアマゾンでの取り扱いもあるので、気になった読者は是非入手して聴いて欲しい。
(ウチタカヒデ)

2017年11月15日水曜日

佐野邦彦氏との回想録・鈴木英之

VANDAの創設者である佐野邦彦氏が、20171031日に60歳の若さで逝ってしまった。
そんな彼の訃報を知ったのは、彼と一緒に取り組んだJigsawのリイシューCDのサンプルが届き、その報告メールを送ろうとしていた矢先だった。

 葬儀は「密葬」と聞いたが、なんとしても彼の現生の姿を目に焼き付けておきたく、奥様と弟の芳彦さんに参列の承諾を取り、滋賀からトランプ大統領来日を翌日にひかえ戒厳令体制の東京に向け新幹線に飛び乗った。新横浜から東急線を乗り継いで、世田谷の会場玄関で15年ぶりに弟の芳彦さんと合流、そして(電話ではおなじみだった)奥様に初めてお会いし、ご持参されていた彼の最期の仕事となったJigsawCDから葬儀用に使用するアルバムを選定させていただいた。そのアルバムは第4作『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book(邦題:愛の想い出)』で、かねてより彼とJigsawの最高傑作と認めていた作品だった。葬儀中に「Who Do You Think You Are(恋のあやまち)」が流れると、「やっぱりこっちがHeywoodsより良い出来だよね!」と会話したことが昨日のことのように頭をよぎった。




お通夜と本葬では、声だけや名前だけしか存じ上げない方たちとご一緒させていただいたが、そんな葬儀の最中にWeb.VANDAの管理人であるウチタカヒデ氏より、佐野さんの意志を継続していくためにサイトへの参加を要請された。正直なところ、佐野さんが築き上げた功績に迫れるようなものを寄稿できるかは不安ではあったが、彼の「佐野さんを忘れないためにも是非!」という呼びかけに、私が役立てるのであればと参加を承諾した。

そもそも佐野さんと知り合ったのは、VANDAが日本の音楽シーンに一石を投じたVANDA18を発行した1995年だったので22年前になる。
きっかけは私の購入した本が不良品で交換を要請したところ、彼から「零細企業なので不良品をみせないと印刷会社に返金請求が出来ないので現品の返送をお願いしたい」という連絡が入った。そしてせっかく戻すのだからと掲載内容の添削と要望事項などをまとめたレポート用紙を5枚ほど添えて返送した。その数日後、彼から本に添えて謝罪と執筆参加の要請が書かれた手紙を受けとり、彼と直接やり取りをして私がリクエストした「Grassroots」を寄稿することになった。とはいえ、本来漫画好き(元漫画家志望)で文字が苦手の私が文章を書くなんて夢にも思っていなかった。その初寄稿は翌年のVANDA20号に掲載されているが、今となってはとても人に見せられたものではないレベルのものだった。




 その後は彼と頻繁にやりとりするようになり、佐野さんの「それいいね!それ面白そうだよ!」といった流れで寄稿が継続し、いつの間にかレギュラー執筆陣の一人に加えていただき現在に至っている。

そんな私だったが彼から「鈴木さんが知らないことは誰も知らないよ!」とのせられ、佐野さんとは別次元の内容をまとめられるまでに成長させていただいた。おかげで何冊もの本を出版するチャンスに恵まれ、これをきっかけにテレビ・ラジオといったメディアにまで活動の幅を広げられるようになった。これはひとえに佐野邦彦さんという存在あってこそ成し遂げられたもので、彼なしには今の自分はなかったと心より感謝している。ということで、ここへの投稿は彼との回想録を中心にまとめていくことにする。
 
佐野さんとの回想録の1回目は、彼にとって私と最後の共同作業となったJigsawについて紹介させていただく。
そもそもJigsawの始まりは彼との交流が始まって1年ほどたった時期の雑談の中からスタートしたものだった。彼から「何か面白いネタはないですかね?」の問いに「1970年代ものでもよければ、JigsawPilotなんかどうですか?」と返答した私は音源をダビングして60分テープを2本送付した。ただその時点では「Jigsaw=Sky High」というイメージが強かった彼はさほど期待はしていなかったようだった。数日後「鈴木さん、両方とも凄く良いよ!」と連絡があり、この二組のコラムは199712月発行のVANDA23に掲載された。 



 ちなみに私が佐野さんに渡したJigsawの音源は「BASFSplash」時期の音源だったが、彼はそれ以前と以後の音源まで探し(末尾にSpecial Thanksとして私と並列表記されているクールハンド竹内氏経由?)、世界に出しても見劣りしないほどの素晴らしい内容に仕上げてくれた。この文面を見たリアルタイマーのファンだった私は、改めて彼の探究心の旺盛な姿に舌を巻いた。これ以降の佐野さんとのJigsaw回顧録については、かなり長くなってしまうので、次回で紹介したいと思う。

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2017年11月12日日曜日

WebVANDA執筆陣への参加に際して・平川雄一

度々WebVANDAにて拙バンド、ザ・ペンフレンドクラブの新譜レビューやインタビューを掲載して頂いた身であるが、この度、当サイトの執筆者として参加する運びとなったことは、まさに光栄至極だ。

故・佐野邦彦氏とはFacebook上での交流から始まり、ザ・ペンフレンドクラブ新譜発売の際に推薦文を依頼、寄稿して頂く、という間柄だった。
毎回、病床にも関わらず改行無しのビッチリと文字で埋められた推薦文を賜るにつけ、そのバイタリティーに驚いたものだった。

佐野氏に来年発売予定の新譜のライナーノーツを依頼した。アルバムはソフトロック色の強いものであるため、「佐野さんしかいない」と。

推薦文に引き続き、またも私からの不躾なライナー執筆依頼。幸い佐野氏には喜んでは頂けたが、闘病生活での不自由さ故、全面的な執筆は固辞された。形として残るためか、佐野氏の責任感を感じた。そして「2か月先の体調も見えない状況なのでサブとして曲解説のみ承る、原稿料はいらない」と仰ってくれた。

そのメールでのやり取りの翌日に佐野氏は逝去された。

2017年11月5日、都内斎場
佐野氏との最初で最後の直接の対面となった。気丈に振る舞う奥様、頼もしい息子さん御兄弟、そして先立った息子の体をいつまでも優しくさするお母様の姿。斎場では佐野氏が最後にライナーを執筆されたジグソーが流れていた。

ご家族、ご友人、関係者と一緒に棺に別れ花を入れ、火葬場にも参列、周りの勧めでお骨を骨壺に入れさせてもらった。1997年の佐野氏が編纂された「ザ・ビーチ・ボーイズ・コンプリート」をボロボロになるまで読んだ20年前のあの日。まさかこんな日が訪れるとは夢想だにしなかった。

その時、WebVANDAのウチタカヒデ氏、VANDA関係者の方々とも合流し、その後、執筆者として招待された次第だ。

ザ・ペンフレンドクラブの平川雄一として、一音楽ファンとして、私らしく執筆していければと思う。

以後よろしく願いします。

平川雄一

WebVANDAに新たな執筆者を迎えました


WebVANDAの主であり、ソフトロック、ポップスなどの音楽ファンに多大な影響を与えながら、去る10月31日に惜しくも永眠された佐野邦彦氏。
今後もこのWebVANDAでは、氏の遺志を継いでいきます。


ついては、氏と生前から交流があり信頼が厚かった方々を「執筆者(投稿者)」として新たに迎えました。

☆定期誌VANDAで佐野編集長を補佐していた中心メンバーで、レトロカルチャー研究家、フリーライターとして多くの著書も多く、地上波テレビやケーブルテレビの番組、FMラジオの番組にも解説者として出演している実績豊富なご意見番。


このお二人は、氏のご葬儀の際もはるばる遠方から駆けつけた方、また一度も面識がないまま式の最後まで参列下さったという方という、これ以上相応しい方は見当たらないことから、Web管理者のウチから直接依頼した次第です。
下記でご紹介したいと思います。


 鈴木 英之 氏



☆東京が誇る、拘り派ウェストコースト・ロック・バンドで、あのザ・ゾンビーズやジェフリー・フォスケット来日公演のオープニングアクトを務めた「ペンフレンドクラブ」のリーダーとして、またビーチボーイズのリイシュー・アルバムの解説や書籍にも参加するなど若き音楽通ミュージシャン。


 平川 雄一 氏 


今後のWebVANDAにも是非ご期待下さい。


WebVANDA管理者一同

2017年11月1日水曜日

弊誌VANDA編集長、佐野邦彦氏の訃報について

日頃よりWebVANDAをご愛読頂き感謝の念に堪えません。
2017年も残り少なくなり11月を迎えたばかりでありますが、非常に悲しいご報告をしなければなりません。
2012年9月より入退院を重ねて闘病中であった、弊誌VANDAの編集長である佐野邦彦氏が10月31日の朝に永眠されました。
享年60歳でした。 


佐野氏の活動は本Webの熱心な読者には説明不要なのかも知れませんが、91年の定期同人誌VANDAの創刊より”ソフトロック”という音楽カテゴリーを唯一無二の審美眼と洞察力で研究発表し、音楽ファンの間に新たな価値観を植え付けたと言っても過言ではないと思います。
現在本Webの共同管理者である私もその一人でした。
佐野氏の比類無き拘りは、VANDA誌前身となるミニコミ誌『漫画の手帳』(81年創刊)から既に開花されていたと聞きます。
現在のようなインターネット環境、それ以前のパソコン通信すら普及される遙か前の時代においての情報収集は想像を超える苦労があったと思います。
それを若干24歳ながら情熱をもって編集して自主出版していた事実は、尊ぶに値する行動力ではなかったでしょうか。
故人の業績を身内が賛美するのは愚かと思われるかも知れませんが、これまでに佐野氏が主監修し協力者の方々と共に出版してきた『SOFT ROCK A to Z』シリーズや『The Beach Boys Complete』等の書籍は、今後も音楽ファンのバイブルとして読み続けられるでしょう。
佐野さんのことを忘れないためにもどうか読み続けて下さい。

WebVANDA管理者一同