2016年8月13日土曜日

何度もこのHPの旅行記の中で紹介した、撮影・録音・メモ全て禁止、アカマタ神クロマタ神が現れる秘祭が、石垣島の宮良で行われた。自分はもう歩けないが興味を持って行ってくれたPTさんからの新情報である。

さて私のライフワークだ。アカマタ神クロマタ神が現れる石垣島宮良の豊年祭は730日に行われた。八重山の4島の4部落だけで行われるこの秘祭中の秘祭は昭和30年代に撮影された2神の写真と、荘厳なその儀式の一部について書かれた本を読んで感激し、どうしてもこの目でみたいと調べに調べて、2011年に石垣島の宮良で見た。すべてが非日常の異世界で感動的だが、音楽の力で涙が出たのは、この豊年祭の歌のみ。パワフルでソウルフル、構成はコール&レスポンス、踊りながらのその洗練された歌は日本(ヤマト)でも沖縄のものでもない。毎週3回来てくれるPTの方にこの儀式について話したらすっかり魅了され今年の豊年祭に奥さん帯同で行き、あまりの素晴らしさに夫婦で泣いたという。奥さんは沖縄本島の方だが歌などすべてが沖縄のものではないという。こうやって書いているだけでもゾクゾクしてしまう。その感動を思い出すからだ。しかしいつどこで行われるかは全ての旅行ガイドにも、石垣市役所のホームページを見ても一切載っていない。タブー中のタブーだからだ。この宮良だけは歓迎はしていないが来てしまった人まで追い出すことがない唯一の存在。島の人は口を閉ざすが石垣市役所に直接聞けば日程は教えてもらえる。市長も来賓で参加しているからだろう。私が調べてPTさんに日程を報告、八重山に行っている間、訪問リハビリを休んでけっこうだから、どうだったか教えてねと心配するPTさんを送り出した。過去、隠れて撮影して袋叩きにあったのは何件もあり、新城島で行われたものを撮影しようとしたTVクルーは捕まってTVカメラごと海に放り込まれた…という記事を読んだことがあるからだ。そのためこのインターネットの時代でも見た感想を書く人が少数いるくらいでそういう人は私と同じ「掟」は絶対に守るので一切の写真も録音も流すことがなく、興味本位で乗せる人も前述の本のコピー写真を載せるのみ。You Tubeにもない。不届き者がいないのは本当にほっとする。帰ってきたPTさんの情報では、自分が行った時にはなかった「受付」が出来、その中に20人くらいいて来場者をチェックするようになったこと。沖縄の人である奥さんはためらいもなく受付へいき、寸志を包んで渡したそうだ。写真はお土産にもらった寸志のお返しの袋の表紙で、中はお菓子だった。そして宮良公民館長からのアカマタ・クロマタの儀式の後の挨拶で「これからは部外者の人は出て行ってください」と言ったそうでこれも前にはなかった。儀式の細かい雰囲気は、下記に私が2011年に行った時の感想文があるのでそれを是非読んでもらいたいが、広場の儀式のあと、2神と歌の人達が部落を一軒一軒回ってそれが朝まで続くわけで、禁止前なので私は運よく2軒見ることができたのだが、今回は儀式を守るムチのような棒をもった「なみだ」(新城島ではシンカと呼ぶので下記の文ではシンカと書いてある)に追っ払われ、絶対に来られないように厳重に道路という道路を封鎖していたそうだ。ただ、私も見た国道に面した神社は見られるよ(ここには警官がいてなんと信号も消している。だからだろう)と教えてくれたそうだが、怖くてウソだと思っていかなかったとか。ウソではなかったのにね。この豊年祭はすべての電気を落としてあるので道路はほぼ真っ暗、そのまま来場者用の駐車場へ向かうしかなかったという。それでもあまりも感動したので、来年も是非また行きたいと決意を固めていた。私は行った翌年の2012年に病気になってしまったので悔しいことにもう行けなくなってしまったが、それほどものすごい儀式なのである。ここはいったい日本か、いや沖縄か、完全な異世界に舞い込んでしまったほどのインパクトがある。PTさんからの新しい情報では男性神であるアカマタの前を先導するのぼりには亀が、女性神であるクロマタの方は鶴が描かれていたという。私が国会図書館で調べた古い写真では新城島ではアカマタののぼりには太陽、クロマタには月の絵だったのでこれは驚きだった。ただ意味はなんとなくわかる。自分はあまりに興奮していたのでのぼりの絵まで目に入っていなかった。また2神とも飛び上がるように踊っていた気がしたがそれは男神のアカマタだけで、女神のクロマタはじっとしていたそうだ。さらに歌のコール&レスポンスを受け持つハチマキを締めたたくさんの歌い手は白いハチマキがクロマタ側、赤いハチマキがアカマタ側ということが分かった。そして噂される盗撮した人間への制裁では死者が出たと地元の方は語っていたそうだ。まあ私はそういう掟破りをする人間は殺されても仕方がないと思うのが自分の意見。何でも「人権」を盾にする人がいるが「絶対ダメ」というルールを知りながら自分の利益のためにそれを破る人間に人権などない。そして新城島はもともと宿泊施設がないのでその間は船を全てストップして旧島民だけがチャーター船で参加するのみとなる。10人しか住んでいない島に数百人が戻ってくるというのだから島民の思いは深い。「はいむるぶし」など高級リゾートがひしめく小浜島は何の情報もなかったが、今回宮良と同日程だそうで、なんとその日は一日十数便もある定期船をほとんど止め、儀式が行われる集落に来られないようレンタル自転車もレンタカーも全て貸し出しを止めているという。もちろんホテルでは外へ出ないように警告しているだろうし、それでも見に行こうという不届き者は、道路に配置された「なみだ」に怒鳴られ追い払われたことだろう。4島で残る西表島の古見はもともと閑散としている西表のひなびた部落なので、ここは容易に近づけないことが推測される。このアカマタ・クロマタは時の琉球王府から「異様な姿で神の真似事をする者たちがいてこれは誤った風習なので禁止する」と何度も禁止令が出された。この原初の宗教は、米の伝来の感謝と豊作の祈りを歌っており、仏教が伝わる前のもので、度重なる弾圧を生き延びてきたので外部の者に対して極めて厳しくなったことはよく分かる。琉球王国は平和な国みたいなイメージがあるが先島諸島から奄美群島まで次々武力侵略で支配していく覇権国家で、過酷な税制を強いたので、ここ石垣島では琉球王府に対して反乱を起こしたオヤケアカハチは英雄扱い、銅像が立ちその名前の泡盛もあるほどだ。八重山でのアカマタ・クロマタが生き延びてきたのはこういう琉球王府の弾圧の歴史を克服してきたからだ。そしてこの石垣島の宮良にアカマタ・クロマタが残るのも、琉球王府による何度も行われた八重山の島民に強いた強制移住で、小浜島から強制移住されられた人達の部落だからだ。道路の右と左の違いだけで強制移住されられたので「野底マーペー」などその悲しさを歌った歌がいくつも残されているほど。さてあとは私が書いたかつてのレポートでその雰囲気を感じてもらいたい。

沖縄県八重山地方のみ、それも4つの部落だけで、非公開で行われる豊年祭がある。この豊年祭にはアカマタ、クロマタという来訪神が現れるのだが、この4つの部落全てで写真、ビデオ、録音、携帯電話、さらにはメモも取ることも禁止しているため、詳細は不明で、このインターネットの時代においても1枚の写真も見ることができず、完全な秘祭といえよう。

私はこのWeb VANDAの旅行記でもその存在について折に触れ書いてきた。行われているのは新城島(パナリ)、小浜島、西表島の古見、そして石垣島の宮良。パナリのアカマタ、クロマタは昭和30年代に撮影された写真が一部の本に掲載されていて、実は私はその異形な姿を見てすっかり心を奪われてしまったのだが、そのパナリはここ3年、島に住む方に頼んでいたものの、今年も一切、非公開と告げられ、断念せざると得なかった。小浜島と西表島の豊年祭の情報は非常に乏しい。(ただし古見の豊年祭は、古い雑誌にその写真が掲載されていた。アカマタ、クロマタに加え、シロマタも現れる古見は、これらの部落の豊年祭の原型と言われているが、その姿かたちはパナリのそれと大きく異なっていて、祭りでの行動もかなり違う)その中、石垣島の宮良部落の豊年祭は、石垣市の中心から車で30分くらいの場所にあり、公開は一切していないものの、来る人をチェックし排除するまでには至らないようだ。これは脈がありそうだ。石垣市では宮良の豊年祭の日程をオープンにしている。2日のうち、後半の夜のムラプールに現れることは知っているので、その日は728日。もう7回目の八重山といいながら石垣島に友達がいるわけではないので、あてはまったくない。

しかし日程だけ分かれば、あとはすべてぶっつけ本番で、人に尋ねればなんとかなるのではと、飛行機の予約を入れてしまった。妻にも見に行かないかと声をかけたが、木曜日なので職場がそんなに休めない、また私のように魅入られているわけではないので、行かないという。それじゃあ豊年祭が終わった翌日、金曜の夜から合流しようと話がまとまった。まずは頼れるのは地元の人と、宿泊するホテル、使用するレンタカーの会社に、ダメもとで宮良の豊年祭の情報を求めておいた。すると宿泊先のホテルの方が親切にも当日の時間、会場の場所などを、石垣市役所に尋ねて聞いてくださっていた。このホテルアイランドリゾート石垣島イン八島は、各部屋の中に洗濯機と乾燥機が置いてあるスグレもの。沖縄県八重山地方のみ、それも4つの部落だけで、非公開で行われる豊年祭がある。この豊年祭にはアカマタ、クロマタという来訪神が現れるのだが、この4つの部落全てで写真、ビデオ、録音、携帯電話、さらにはメモも取ることも禁止しているため、詳細は不明で、このインターネットの時代においても1枚の写真も見ることができず、完全な秘祭といえよう。

さて、話は戻るが、会場の情報は「宮良の知念商会の近くの広場」というだけだ。駐車場があるかどうかは分からない。タクシーで...と勧められたが、東京と違って流しはないので帰りの保障がない。まずはとにかく下見と、車で宮良部落へ向かった。宮良川が出てきたので近い。ドキドキしてきた。すると道端の「ビデオ・写真・携帯電話 撮影・録音絶対ダメ!!」の看板が目に飛び込む。
やはりな。大丈夫かなと思ったがその横に「一般駐車場」の矢印が。一般...では部落の人以外でも大丈夫そうだ。さっそくそちらに車を進めて停車する。停まっていたのは他に1台のみ。まだ開始時間までには2時間もあるが、早くに行こうと思い、まずは道端にある知念商会を探す。店はほどなく見つかったが、その商店の周りに広場らしいものがなく、人気もなく、途方にくれる。これはこの店の人に聞くしかない。ジュースを1本買ってレジで聞いてみたが、若い人だったので、こっちの方だと思います、というアバウトな返事。これじゃ分からないなと思ったら、奥から中年の主婦の方が出てきてくれて、この道を登っていけば広場が出てくるからと具体的におしえてくれた。

会場の向こうの森からはドンドンドンという3連の太鼓の音がずっと聞こえている。あの森が、アカマタクロマタが生まれるというナビンドゥなのだろうか。夜の帳がおりてくると会場はいつしか500人くらいの人で埋まっていた。太鼓の音が聞こえる森からは女性や年配の男性達が列を作って会場へ集まり始め、赤い鉢巻、白い鉢巻の集団がそれぞれ100人くらいずつ、広場に分かれて座った。

夜の7時からは来賓の挨拶が続き、7時半に宮良公民館長から「聖地ナビンドゥより我々のニイル(ニイルピィトゥ=来訪神か?)の神様がやってこられます。その時は皆様、ご起立願います」とのアナウンスが入る。すると森の方からのぼりが2本現れ、その後ろのシンカの隊列の向こうに巨大な影が2つ見えてきた。

アカマタクロマタに違いない!この日は部落中の照明を落としているので、見えるのはほとんどシルエットだけ。これだけで凄い迫力だ。すると太鼓の音が突然ドドドドドドドンと連打に変わった瞬間、アカマタクロマタが広場に飛び込んできた。

でかい!高さは2.5m、横は2mはあるだろう。体中が草で覆われ、それぞれ赤と黒の巨大な面をつけているが夜光貝の目だけが夜の帳の中でキラキラ光り、その迫力はとても言葉では表現できない。子供が一斉に泣き出したという事実だけでもその衝撃が伝わるだろう。

すると鉢巻姿の村民が一斉に歌い始めた。歌は掛け合いで歌われ、みな声を限りに大声で歌っている。歌詞は一切分からないが沖縄でも本土でもない音階で、そのキーは高く、全身全霊をかけて歌う。歌に合わせてアカマタクロマタは上下に体を揺すり、2本の幟を持つ旗手は旗を互いクロスさせながら飛び上がるように踊る。そして後半、歌い手は一斉にアカマタクロマタを取り囲み、手を叩き、踊りながら、出会えた喜びを爆発させた。歌はユニゾンになり、宮良の夜を歌で覆い尽くした。演出の見事さ、歌の素晴らしさに私は感動して涙ぐんでしまった。祭りには出店のひとつもないが、この豊年祭をみな心から待っていたことが伝わってくる。畏敬の念にあふれ、これこそが祭りの本来の姿なのではないか。

ここでいったん、広場での儀式は終わる。この後、2つの神は、シンカと歌い手と共に部落を一晩中、朝までかけて一軒一軒めぐり、祝福を与えていくのだ。もうこれだけ見られれば十分だと思い、一般駐車場の方向へ向かうが、なにしろ暗いので人の後を付いていくしかない。

すると突然、あの太鼓の音が聞こえてきた。見ると脇の家に人が集まっている。集まった人の間をぬって前へ出ると、ちょうどアカマタクロマタが民家を訪れているところだった。アカマタクロマタは広場さながらにかけあいの歌に合わせて上下に体をゆすっている。歌は広場でのテンションを保ち実に見事だ。広場では正面にいながら暗くてよく見えなかったので、アカマタクロマタの顔をよく見たかったが、ちょうど横からだったので見られたのは横顔だけ。歌が終わるとシンカはアカマタクロマタをさっと取り囲み、慌ただしく移動していく。ここでも見られたのはよかった。

でもこの暗さではいったん国道へ出るしかない。一般駐車場は国道から入ったので、正確な曲がり角を知るにはそれしかないと、国道方面へ行こうとすると、シンカが道を封鎖し、通らせてくれない。この先で儀式をやるんだな。仕方がない。横道を回って国道へ出ると、警察が国道の車を止めている。道路は異様に暗い。

すると国道に面した神社にアカマタクロマタが入ろうとしていた。迎える家は全ての戸を全開にしてお迎えしている。家の中には20人以上いただろうか、アカマタクロマタが敷地に入ってくると全員が満面の笑顔になり、いかに待ちわびたか伝わってきた。国道側は人垣なのでよく見るために神社の横の脇道へ行き、低い塀越しに歌と踊りを眺めていた。

後日、石垣島で何回かタクシーで移動した時に運転手さんに聞いたのだが、この歌、昔から部落に住んでいる人、移住してきた人など、それぞれみな違うのだそうだ。ただ同じ石垣の人でも歌の内容は分からず、宮良の人に、いくら内容を教えてくれといっても絶対に教えてくれないし、せめて由来だけでも懇願してもそれもダメ。あそこの人にとっては神様だからさ、と苦笑していた。

今回も位置が横なのでアカマタクロマタの顔がよく分からない。こっち向かないかなと思っていたら、シンカの中でもリーダー格と思われる手に杖を持っている人がやってきて、血相を変えながら、ここはダメだ、あっちへ行けと、手で押してくる。「早く早く!」と口走りながら押すので、道路の奥へ押し出されていくと、シンカの一団が小走りにやってきた。するとアカマタクロマタが自分のすぐ横を疾風のように通り過ぎていった。目の前で見られたし、意図せずに何度も儀式が見られたなんてなんてラッキーなんだろう。長年、恋焦がれていたから、神様がそうさせてくれたのかな。でもやっぱり横顔しか見られなかった。

駐車場へ行く道を見つけ、真っ暗な夜道を見上げると、空には降るほどの星。アカマタクロマタに出会えた喜びと、素晴らしい音楽に出会えた喜びではち切れてしまいそうな胸を、満天の星空がそっと包んでくれた。(佐野邦彦)
 

2 件のコメント:

  1. すばらしい。

    返信削除
  2. 私も送思う。
    輪廻転生DNAが旋律をがおぼえてた。
    同感です。
    2神柱 大世持 広世持

    返信削除