2004年2月1日日曜日

Lamp:『恋人へ』 (MOTEL BLEU/MBRD-005) ミサワマサノリ対談レビュー

 

昨年の春に『そよ風アパートメント201』でデビューしたLampのセカンド・アルバム、『恋人へ』が早くも届いた。
本作ではさらに音楽性の幅を広げた新路線の曲も収録し、日本語の歌詞によるポップスの可能性を追求した意欲作に仕上がっている。
ここでは実際に今回のレコーディングにサポート・キーボーディスト兼ホーン・アレンジャーとして参加した、本枠でもお馴染みのbonjourのメンバーでLike This Paradeことミサワマサノリ氏に話を聞いてみた。

ウチタカヒデ(以降U):今回の『恋人へ』を聴いて先ず感じたのは、前作よりリラックスした音作りになっているんだけど、それが各々の音楽的資産をより多く引き出したのかなという感じです。
永井君の「ひろがるなみだ」や染谷君の「雨のメッセージ」等は『そよ風』の音からは全然イメージ出来なかった。ハーモニーに対しての飽くなきアプローチは相変わらずだけど、嬉しい裏切りっていうか、バンドが成長していく過程が聴いていて理解出来たね。
ミサワ君は実際にレコーディングに参加して、どんな印象を持ちましたか?

ミサワマサノリ(以降M):アルバム全体の仕上がりは、コトバの世界がもつ淡い文学とその文脈を支える繊細なアレンジ。そういうところが随所に光る、といか。そんな印象ですよね。
「水」かなー。日本のポップスの文脈で云えば例えば、荒井由実の「海を見ていた午後」とか、あるいは松任谷正隆の「香港Night Sight」とか。個々の楽曲が持つ語感や和声、音響、随所に感じる印象はそんな感じです。
全体の構成は、例えばS&GのBOOKENDSのような諦観というか、ちょっと乾いた空気がありますよね。この妙なネジれ感覚、非常に文学的なネジれだと思うんですけどLampの面白味ですよね。

U:成る程。「水」っぽさとは情緒的なもので、そのネジれ感覚というのも他の同世代のアーティストとの決定的な違いだと断言できるのね。このサウンドだけ取っても75年頃に聴いても恐らく違和感無いでしょう。古いって事じゃなくて普遍的というのかな。実に自然なんですよ。言うのは簡単なんだけどね。
手塩に掛けて育てられたけど、箱入りじゃなくて天真爛漫に成長したって感じかな。理想の嫁さんみたいな(笑)。
アレンジにも大きく関わったミサワ君が、手前味噌にならない為に先に挙げるけど、染谷君の「日曜日のお別れ」の完成度はやけに高いよね。
この複雑な転調を自然に聴かせるというのは職人級です。このデモを最初に聴いて、ホーン・スコアを書く時は結構大変だったでしょう?

M:情緒、そうですね。文学的叙情から発展した情緒というか。
「日曜日のお別れ」はデモを受け取って、最初にボクが作ったアレンジはもっとこう、ニュー・ソウルっていうか、コンガがスネアと一緒に鳴っいて、ウーリッツァがコードを刻んで、ハンドクラップが入る、、みたいな。。全くのドニー・ハサウェイ・スタイルですよね。
それで染谷君をためしたんです。ホーンに裏拍があって揺れるグルーヴ、そういうの大丈夫?って(笑)。でそれからやりとりして、じわじわと言葉の情緒が音に染み渡ってきた。
曲中、「曖昧な、」からウォーキング・ベースに変わる、あれはリハーサルで偶然生まれたものです。何の気なしにJAZZスタイルでコードを弾いてたら、それに永井くんが喰いついてきた(笑)。
「遠ざかる」からの変拍子部分のホーンはとにかくトップの音階に気をつけました。Lampの和声と転調の繊細さを活かす為には、スムーズなフレーズって絶対条件だし。でとにかく譜割りはグルービィに行こう、と。例え変拍子でもグルービィだ、と。 すごく気に入っているアレンジです

U:このエレピはドニーもだけど、ゲットバック・セッション時のビリー・プレストンのテイストもあるよ、フレーズとか(笑)。永井君のベースでは2コーラス目の「ふと見上げた」の後一瞬ペダルになる箇所なんか、まるでポール・マッカートニーだ。コード進行的にはスティーヴィー・ワンダーの匂いがするパートもあったり、ミサワ君が書いたブラス・スコアでは、やはり「遠ざかる」の裏拍から黒っぽくて凄く気持ち良いのね。ビートルズの「Martha My Dear」的な感じもして。
こういう瞬間にポップス好き且つソウル好きで良かったと思えるんだな。
後このストーリーの瑞々しさは、榊原さんによる歌詞の世界観がよく効いてますよ。二人称における受動態の効果的配置とか、非常に王道だけど表現がなかなか難しいです。時間の経過が途中でフラッシュ・バックして未来形になるラインも。

M:あ、「Martha My Dear」は本当にボクも大好きで。あれは芸術的に素晴らしいなー。っと、逸れましたね。

 

U:次は永井君の新路線的な「ひろがるなみだ」。甘酸っぱいコーラスと詩情溢れる歌詞がたまらないね。
「季節の終わり そして ひろがるなみだ」というフレーズは純文学の世界。にわか雨という季語から、夏の終わりから初秋なのかな。そんな季節の境目と青春の喪失感がオーバーラップしていく。
サウンド的にはプリファブ・スプラウトの『Andromeda Heights』なんかにもBB5の匂いを感じられる人に特にお薦め出来ます。ミサワ君は左チャンネルのオルガンで、アコピは永井君自身ですね。この曲についての印象はどうですか?

M:「ひろがるなみだ」はですね、デモの段階でほぼ今のカタチが出来ていましたドラムの入り具合やオルガンの味付け、ピアノの微妙なタッチ、サビで使うディミニッシュコード。永井君の楽曲のカラーですよね。
そういえばLampはディミニッシュの使い方が大胆だなあと感じます。ポップスでディミニッシュっていうと、転調処理か、経過音処理か、っていうのが多いと思うんですけど、Lampは堂々と使う。
それからこの曲の歌詞。ウチさんの指摘の通り、これはもう純文学ですよね。ボクはこの曲の歌詞の立体感に文学的な力量を感じます。
冒頭は「遠い街」や「どこか」というような主人公からも遠い何かであり、次に「橋の向こう」や「ガラス越し」のような「僕」は近くだけど、気持ちは遠い状態、最後にやっと「僕の部屋」が出てくる。
そういう動的な距離の作り方の一方で喪失感。アドレッセンスの喪失は終始一貫変わらない。この二重構造っていうか、立体感覚ってもう完全に文学ですよね。
で、そういう不安定な立体感をディミニッシュで支える。
うーん、ウマいなー、と。見事ですよね。

U:永井君ってルックスもそうだけど、デミニッシュを大胆に使うってジョージ・ハリスンっぽいんだな。ミサワ君指摘するところの距離感を効果的に感じさせる歌詞と相まって、心にじわじわ染みて泣けてくる。イズント・イット・ア・ピティ~ってね。
さて、本作でのそれぞれ二人の代表的な曲を聴いてみた訳だけど、やはり作風の違いが前作よりくっきり分かれてきたという感じですね。
各々がLampとして意識を持って創作しているから、バンドの幅が広がったサウンドがさらに開花したという感じですね。
では、そのあたりの分析を踏まえて、最後にこのアルバムの総評をお願いします。

M:成熟した側面ばかりに触れてしまいましたけど、一方でLampはバンドとしての勢いってあると思うんです。だからこそ、それぞれのカラーが確立しはじめた二人の作品が気持ちよくなじむ。バンドとしての勢いって、ある種の若さですよね。
その一方の達観。歌詞の構造や和声に著しいと思うんですけど、勢いに任せずに熟成させようとするチカラ。
このアルバムは両者の拮抗がバンドのマジックにうまく溶け合ってると思う。
そういうところが、70年代の日本のポップス、又は米国のSSW達、或いは80年代の突然変異的なUKアコースティック・シーンとか?そういったところの名盤と比較されるところかなーと。これは1stと比べると著しい成長だと思います。
雰囲気だけでは語れないという意味で。こういう達観って、先々あまりに激シブに行き過ぎちゃう、ってあるじゃないですか(笑)。
Lampはね、その点、どこかしら必ずポップなんです。それは、普段二人とハナシなんかしていてよく分かる自然体なんですよね。ホントに。
職人的でいて自然体、それはLampの、彼らの魅力なんでしょうね。
(ミサワマサノリ,ウチタカヒデ)

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