2002年7月20日土曜日

★第1回 宮古諸島ツアー2002

Journey To Miyako Islands 2002


佐野邦彦



初めての宮古諸島への旅の計画は早くにスタートしていた。宮古へのパック旅行は断トツでJTBの「スペシャルフライト沖縄」が割安、本当は中2の長男の期末試験が終わった6月末にしたかったが、学校行事の関係で、7月12日(金)から15日(月)と決定したのは、まだ5月になったばかりの頃だった。

「まっぷる」や「るるぶ」の「宮古・石垣・西表島」特集を眺めてコースを思い回らすが、3泊4日をベースにすると、2日間は宮古島、1日は伊良部島・下地島、帰る日が多良間島で配分は良さそうだ。それぞれ移動に時間がかからないのでポイントを回るのは簡単。余裕がある。宮古の情報はこの2冊しかないので、いつもカバンの中に潜ませてはいたものの、ほとんど見ることもないままだった。
その代わり、本にはない情報がインターネットにはあるので、こちらのチェックは怠らない。美しいサンゴの白い浜には魚が少ないので、熱帯魚が集まるシュノーケル・ポイントの情報はインターネットの「美ら島物語」の「ビーチ」のコーナーが参考になる。このサイトの情報は全ての沖縄の島々が、島別にまとめられていて、役に立つのでお勧めだ。

  さてまずここで宮古島のロケーションについて説明しよう。沖縄本島より南西に290キロ、東京からは約2000キロ離れているが、JTAの直行便で、3時間で到着する。那覇からは45分のフライトだ。宮古島の人口は47,576人と石垣島に匹敵し、島内で不便なことは何もないので身一つで来て十分。宮古島と池間島、来間島はそれぞれ1425m,1690mの美しい橋でつながっていて、行政上も宮古と一体のものになっている。ちなみに宮古島から橋がかかる計画もあるという伊良部島は人口が6,790人と、宮古・八重山を合わせても宮古・石垣以外のどの島よりもはるかに多くの人が暮らしている。高速船で12分の距離なので、宮古へ通勤している人も多いらしい。3000mという巨大な滑走路(ちなみに石垣空港1500m、宮古空港2000m)を持つ民間旅客機訓練施設のみの島、下地島は、小さな数本の橋で伊良部と連結されている。そして宮古と石垣の中間にポッカリと浮かぶのが多良間島。小さい島だが人口は1,372人と、八重山の島と比較するとかなり多い人口を有している。宮古・石垣以外で人口が1000人を超えているのは伊良部、西表、与那国、そして多良間だけだ。ここは1日1便フェリーが出ているものの2時間20分もかかるので、25分で渡れる1日8往復の19人乗りの小さな琉球エアーコミューターの飛行機がベスト。日帰りが可能だが、小さな飛行機なので横風が吹くとすぐに欠航してしまう難点がある。特別な観光スポットがないので、観光コースにはまったく入っておらず、全部の離島を回りたい離島好きだけが行く島と言ってもいいかもしれない。
  次に今回利用するJTBの料金である。人気は東洋一美しい(写真家の三好和義氏は「世界一美しい」と評している)と言われる前浜ビーチに面している宮古島東急リゾートが一番だろうが、やや料金が高いこと、島の中心である平良市から離れているのでホテルの中で食事をしないといけない事がネックとなり、市内にあり、港に隣接していて、料金が安いという条件を満たしたホテルアトールエメラルドで決定した。
3泊4日のレンタカーは、JTBからだと高いので、直接フジレンタカーという所に電話して14,000円になった。羽田空港での3泊4日の駐車だが、今回は東急観光を通して羽田空港内の駐車場3泊4日プランを申し込んだ。これだと今までのパーキング場所が空港内ではないプランに比べ、集合時間の30分前に到着しなければいけないとか、帰りに大きな荷物を持ちながら車の乗り換えをしなければいけないという労力が一切無くなり、値段は少し高いだけなので、メリットの方が遥かに大きい。ただこの手のものでも旅行会社を通して申し込むと3日目以内はキャンセル料がかかるので、申し込みは行かれることが確実になった前日にした方がいい。
その他の費用では伊良部島への往復フェリー代があるが、車1台でたったの3,000円。人間は何人乗っていても関係ないのだからまさに生活の足である。宮古=多良間の往復航空運賃は一人が小児運賃なので計45,100円だった。

2002年7月12日(金)

  宮古への便は、いつもどおり1週間前に連絡があり、7時20分発のJTA21便の直行便と決定していた。宮古は今までの石垣と違って1時間遅い出発なので、これはだいぶ楽。集合は6時40分で、ほぼ同時刻にチケットを受け取ったが、今はセキュリティが厳しいので手荷物を預ける所が大混雑、出発便の時刻を係員に知らせ、割り込みでなんとか間に合わせてもらった。今はすべて早くに手続きをした方がいいだろう。
  今回のツアーの問題は天候だった。前日は東京に台風6号が接近し直行便はキャンセルされていたので、1日違いで難を逃れたことになる。しかし宮古には小さいながら台風8号が停滞していてちょうど前日に通過したらしい。しかし速度が遅いので台風一過とか行かずに天気予報は曇り時々雨、曇り、曇り、曇り時々晴れと曇りの4連発。これでは海がきれいに見えないとガッカリしていたが、飛べるだけよかったと気持ちを切り替えた。
 JTAの直行便は160人乗りなので通路を挟んで片側3人ずつとやはり小さい。席は満席、沖縄を過ぎる頃から雲が多くなり、着陸近くに窓から見えたのは雲のみ。そのためか、機外に出てからの暑さがなく、拍子抜けしてしまう。到着は離陸が遅れたため10時30分、それにしても早い。
宮古空港の建物は新しく作られてから日が経っていないのでとても奇麗で、石垣空港とそれとは大違いだ。その分、離島の空港の風情にはちょっと欠けるかな。空港にはフジレンタカーの人が来ていて、車に乗り事務所で手続きを済ませるが、帰りは鍵をダッシュボードの上に置き、鍵をかけずに空港へ置いておけばいいですよと言われる。鍵をかけずになんていうのはさすがに離島だ。盗んだところで島から出られる訳ではないしね。
  道路には水たまりが幾つもあり、昨日は終日降っていたという。今日は曇天ながらも幸い雨はまったく降っていない。だが、南国の肌を突き刺すような強烈な日差しが迎えてくれないのは、やはりちょっと物足りない。まずは港に向かいホテルの位置を確認してから、一番近い砂山ビーチへ向かう。
  最初に我々を出迎えてくれたのは犬だ。え、犬?それがどうしたの?と聞こえてきそうだが、宮古の道を走りだしてすぐに車の前の道路を悠々と横切って行ったのが、紐につながれていない犬だった。野良犬なのかと思った。しかしこれかの4日間、車で走っている時やや市内を歩いていて10匹近くの犬に出会ったが、1匹たりとも紐につながれていないのだ。首輪は付けている。どうやら宮古島は犬をみな放し飼いにしているらしい。そして自由に歩き回れる犬は、道端でも吠えてこない。ストレスがないのかな。宮古はまず、犬の天国だった。
 砂山ビーチへの通り道にあったのが、人頭税石である。これは薩摩に実効支配された琉球王府が、それまで別の国だった宮古を支配して苛酷な人頭税を17世紀から徴収した時のものだ。島の人間は身長がこの石の高さ、143cmを越えると、税の対象になったと言う。人頭税は連帯責任で徴収され、その後250年以上も宮古の人は苦しめられた。もちろん八重山へも人頭税は及び、以前の旅行記に書いたとおり、与那国では計画的に人減らしが行われ、波照間では存在しない楽園、「南波照間島」を目指して島民が集団脱出していった。貧富の差など一切考慮されないのがこの史上最悪の悪税だった。中国で「苛政は虎よりも猛し」と言う言葉もあったほど。小6の下の子供も楽にこの石を越えており、世が世なら課税の対象になっていたぞと力説するが、まったく興味がなく馬耳東風。まだしようがないか。
  その後の砂山ビーチ、池間大橋、来間大橋は、天気が回復した翌日にまた行っているのでそちらでレポートするためここでは割愛。宮古の下にしっぽのように飛び出た東平安名崎へ向かうが、幅200mという「細さ」を実感できるアングルは、車の中からはよく分からないまま。道路を走っていたら灯台の前で行き止まりになり、後は歩いて灯台の前に向かっただけの印象だ。後日、宮古島に魅せられて何度も足を運んでいる職場の同僚の話では、探せば観光ガイドにある左右から海が迫っている写真のアングルの場所があり、それは行き止まりのかなり前の場所だという。
晴れていないのでいまひとつインパクトがなかったものの、フィールド・アスレチックのような遊び場所が充実していたので、子供達はそちらで遊んでいた。駐車場にはお決まりのようにアイスクリームの店が出ていたのでさっそく注文するが、注文したのは「紅イモアイス」。ブルーシールのこのアイス、紅芋の味がしっかりあって非常に美味い。子供達はこの後、アイスを売っていれば必ず紅イモアイスを注文していた。
 海に入りたいという下の子供の願いをかなえるため向かったのはイムギャーマリンガーデンだ。台風の余波でリーフに波が砕けているため、入り江になっているこの場所ならと行ってみた。ここは岸の後ろに大きな池のような入り江があり、水面下では外洋につながっているものの外洋の影響を受けることはまったくないので安全だ。ダイビング初心者の訓練場所としても知られている。午後は引き潮で、外洋に面している方もリーフの中なのでプール状態となり、こちらで遊ぶことにする。下は岩なので魚はある程度いた模様。売店はあるものの海からは少し離れており、更衣の施設はトイレといった印象で、海水浴の人向けには作られていないようだった。
我々は海には入らず岸の方で座っていたが、いつしか雲のヴェールを貫いて薄日が射しており、太陽の回りには巨大なカサができていた。薄日でもやはり陽の光は暖かい。この後の天気はどうなるのかと宮古気象台に問い合わせてみると、日曜は台風7号直撃の恐れがあり大荒れの可能性があるが、明日の午前中は晴れ、午後は天候が悪くなり曇りだという。台風が来ようがたとえ半日でも晴れがあればと、ちょっと嬉しくなった。
  ホテルアトールエメラルドは大きなホテルで、施設的には文句がない。ただ、部屋にTV番組のコピーがなかったり、洗面所の補充が少なかったり、さらにフロントの対応も笑顔が少ないなど、石垣のホテルミヤヒラに比べるとホスピタリティに劣る。洗濯機は無料なものの使えるのが夜の9時までで、乾燥機がない。そのため、洗濯物は浴室に干しっぱなしにしたが、それだけでも乾いていたので、まあ何とかなった。
  ホテルから平良(ひらら)のメインストリートである西里通りはけっこう離れていて歩いて10分はかかる。シャッターを降ろした店がけっこうあり、繁華街といっても寂れた感じが否めない。TSUTAYAやBook Offもある石垣に比べてあきらかに活気がなかった。店の外観も潮風に風化したのか、外装の塗料がみな色落ちしていて、寂れた感が増しているのだが、その中に煌々と明るくライティングされているのが、ファミリーマートとケンタッキーフライドチキンというこちらで馴染みの「都会」の店。この明るさが、地元の若者にとっては本土のイメージなのかなと思ってしまう。晴れが予想される翌日は早くに出掛けるつもりだ。いつもより早く就寝した。

2002年7月13日(土)

  海に面したホテルの窓からは伊良部島が目の前に見えるのだが、朝は薄い霧が立ち込めている。ホテルのバイキングの食事は好き嫌いが多い子供にはもってこい。朝食が始める7時には待ちかねたように部屋を飛び出していく。
  伊良部への船便は宮古フェリー、はやて海運の2社で、高速船(所要10〜12分)で33便、フェリー(所要20分)で13便と頻繁に出ている。
我々は8時25分のフェリーに乗るが、石垣港と違って主要な船便はこの伊良部だけなので、行き交う人や車もない。代金3000円のチケットはその場で買い、車検証を見せることもなく、20台ほどの車が船に入って出港していった。高速船とは違ってフェリーではうるさいエンジン音も強い風もなかったが、なにしろ距離が近いので、景色の変化もなく、あっと言う間に伊良部へ到着してしまった。
  フェリーから車で出るとそこに店らしきものはなく、車がみな一定方向に進んでいったのでなんとなくそちらの方へ走っていった。途中に生協があったので道を確認し、まずは佐和田の浜へ向かう。ここは海の中に大きな巨石がゴロゴロとしている景色が売り物の場所。波もなく、海面は鏡のように静かで、沖の方に岩が転々としていた。奇観が売りの場所と思っていたので、その穏やかな表情にイメージが覆される。ずっと沖の方まで歩いていけそうだったが、今日1日で主要なポイントを回り切らないといけない。すぐに出発し、次は前から見たかった下地島の空港へ向かった。
  道路は平坦になり、標識もない。別の島だから何かの標識があるのかと思ったが何も出て来ないので、車から降りて「下地島はどこですか?」と尋ねると、「ここが下地島ですよ」と笑顔の返事。
島と島との間は川ほどしかなく、それも整備された橋が渡っているので切れ目が分からないのだ。左手に滑走路が出て来た。3000mの大滑走路は宮古にも石垣にもなく、那覇空港クラスが持つものである。この施設は民間の航空会社が旅客機の発着の訓練用に使っているのみで、人が乗り降りすることはない。いつしか道路が滑走路の端まで来ると目の前に開けているのは、紺碧の海!宮古・八重山のリーフ内の淡いエメラルドグリーンの海とは違って、ターコイズブルーで光り輝いている。グラデーションがあるので外洋ではなく明らかにリーフの中なのだが、深さがあるのだろう。
空は快晴、日差しを遮るものが何もないため、コンクリートの護岸に跳ね返る光が眩しくて目を細めないではいられないほどだ。この海を表して、他のホームページで「ボラ色だー!!」と書かれていたのを思い出す。そう、タヒチのボラボラ島の海の色だ。私は新婚旅行で16年前にボラボラへ行ったのだが、あまりの美しさに言葉もなく、ただ呆然と海を眺めるだけだった。このボラボラの海の衝撃が、ずっと私の中にあり、こうして4年連続で八重山・宮古へと足を運ばせているのは間違いない。リーフの中なので我々の知る太平洋の海の青さとは明らかに違ってグラデーションがあり、海底からの反射で鈍く光る。写真では濃い目のグリーンだが、本当は濃いターコイズである。
しばらく眺めていると水平線から飛行機の影。旅客機だ!あわててビデオを回すが、大型旅客機はすぐ真上を、轟音を上げながら通り過ぎ、着陸していった。もの凄い迫力でこれは必見。
  この後、伊良部観光の目玉である通り池へ向かう。下地島内にあるのだが、二つの池が海底で海と通じていて、その深い藍色は印象的だ。道はゴツゴツとした岩の上にかけられた遊歩道で、二つの池を見た後にさらに奥にもうひとつ池があり、こちらは沸々とガスが沸きだしているようにも見えた。
湖面は深い緑をたたえ神秘的な佇まいを見せる。遊歩道を戻ると、三線の値が聞こえる。見ると駐車場にアイスクリームを売っているワゴン車があり、近くのベンチの日蔭でおじいが三線を弾いていた。宮古の空気にしっくりと馴染んだ素晴らしい音色が心に響く。このおじい、誰もお客がこないとこうやって三線を弾いているのだ。
早速、コーンの紅イモアイスを買うがなんと150円!とても考えられない値段だ。このおじいに、インターネットで見つけたシュノーケル・ポイント中之島の道を尋ねると、「あそこはいいさー。地元の人もここに行って魚を捕るよ」と太鼓判。そして海の話を続けると最後に「伊良部の海は世界一さー」。うーん、いいなあ。お店がない、民放が2局だけなど一見都会に比べて不便極まりないように思えるこの場所で、自分の地元を世界一と言い切れる心の豊かさ、物質文明の中で暮らす我々への痛撃だ。いくら手に入れても満ち足りない我々の心と、このおじいの心、どちらが幸せだろう。
 中之島は何の標識もなかったのでいったんは通り過ぎてしまったが、何台も車が路上に停まっていた場所にあった。着替える施設などないので子供は車の中で着替え、さっそく道路下の海に降りていく。下は岩場で魚がいそうだ。先へ進むとけっこう深くなりそうなので、あまり奥へ行かないように伝える。波も少しある。そのせいか、水は昨年までの八重山に比べてかなり冷たい。しばらくいると唇の色が変わっていたので短時間で引き上げ、小さな白浜の「渡口の浜」を車窓から見て佐和田港へ戻る。
  まだ時間は12時、これだと12時35分のフェリーに間に合う。途中の生協でお昼の弁当を買うが、コンビニ弁当の1.5倍の厚さのボリュームたっぷりのごはんの上にドンと大きなトンカツが乗ったトンカツ弁当がたったの300円!焼き肉が乗った焼き肉弁当は200円、おにぎりは2個で100円だ。あまりの安さにただ唖然。これは暮らしやすいだろうなあ。帰りのフェリーは行きにもらった切符を見ることもなく、乗せられるだけ車を乗せて、宮古へと戻っていった。いかにも南国らしくて良い。
 宮古へ戻るとすぐに来間大橋へと向かう。サトウキビ畑を左右に見ながら走り続け、いよいよ来間大橋が見えて来た。そして橋だ。橋は中央が大きく盛り上がるように湾曲していて、頂上からは目の前いっぱいにグリーンのグラデーションが開けて来た。
なんと心地いいことか。来間島側へ渡ってからは車を停め、宮古島側の美しい前浜ビーチをバックに写真を撮る。前浜ビーチ(与那覇前浜とも言う)は7キロに渡って白い砂浜が続く、日本屈指のビーチだ。やはり晴れだと海の色が鮮やかで、まったく印象が違う。あまりにも光が眩しくて、写真が白茶けたようになってしまったのが残念。
  次に前浜に車を停めてビーチへ降りてみる。ビーチは強い日差しと、白浜の照り返しで目映いばかりだが、足を海に入れると小さな波が足を洗い心地よい。見ると彼方に美しいアーチの来間大橋が見える。このような美しい海に、人工の建造物は似合わないとずっと思っていたのだが、見事に調和している。弧を描いた優しいフォルムが、サンゴ礁の翡翠色の海に溶け込んでいる。
気が付くと、空に彩雲が現れている。あわててシャッターを切ったが、その虹色はなかなか消えることはなかった。そういえば昨年は石垣島で空港へ向かう車の中で彩雲を見た。これは私にとって吉兆なのかもしれないと都合よく考えていた。
  その後は砂山ビーチへ向かう。急な白砂の斜面を上がって行くと、見事な砂山ビーチを見下ろすことができる。

昨日は満潮で、台風の余波で波もある程度あり、そして曇天だったので、荒々しい印象だったが、今日は干潮で、天気がいいため海は見事な翡翠と瑠璃の帯で織られていた。そして真ん中がポッカリと空いたこの砂山ビーチの看板である巨石は、灼熱のビーチから我々を守るように日蔭をもたらしている。しかし写真で見ていたよりずいぶんと規模が小さいビーチだ。観光シーズンは人ですぐに溢れてしまうだろう。帰りもやはりこの白砂の山を登らないといけない。汗をたっぷりとかいて再び車に戻っていった。
その後は池間大橋へ向かう。近づくと西平安名崎の風力発電の風車が4台並んでいるのが見え、なかなかシュールな光景だ。そしていよいよ池間大橋。こちらは来間大橋に比べて湾曲が少なく、ガードレールも邪魔で、通過している時には海はあまりよく見えない。

池間島側に渡るとここにはおみやげ店が林立(大音量で演歌を流すのだけは勘弁願いたい)し、駐車場もあるので、ゆっくりと休んで景色を見ることにした。そして駐車場からは海までの階段がある。ビーチから見た宮古島側の景色はたとえようもなく美しい。わずか53人が住む大神島が、高さはないがちょうど富士のようなアクセントを添えている。海はそのまま宮古まで歩いていけそうなほどの遠浅だ。手前の海面は透明に光り輝き、奥に行くに連れて翡翠のグラデーションが濃くなっていく。そして池間大橋のアーチが、この自然の中に元からあったかのように溶け込んでいた。

右に池間大橋、左に大神島、そして池間大橋の間からは西平安崎の風力発電の風車がゆっくりと回っている。これほど自然と人工の建造物が調和している所は他に見たことがなかった。ただ見とれているしかなかった。二男はさっそく海からカニやシャコ、ナマコ、ウニを次々と見つけては持ってくる。海は美しいだけではなく、しっかりと生きているのだ。

  おみやげ店でいくつかの小物を買い、そこで「明日、台風来るんですよね。でもこんなに天気がいいと本当に来るのかなと思ってしまうんですよ」と話すと「台風の前はこんなものさー。そしてゴーッて来てパッと去ってしまう。その後はチョロチョロって感じだね」となんとも解りやすい表現。一昨日に同じことを尋ねたら「ああそう、いつ来るの?」と逆に聞き返される始末、大型台風が日常的に来る島の人間には、台風はそんな大きな問題ではないようだった。東京では台風が来るといえば、ニュースで大騒ぎなのに。
  この後、イムギャーマリンガーデンへ向かったが、幹線道路が工事中だったので脇道にそれると、道に迷ってしまった。山のない平坦な宮古は島の縦横に道があり、それがみな同じようなサトウキビ畑なので、非常に迷いやすい。「宮古の道は迷路」と書かれていた事を思い出しながらなんとか到着するが、その頃には満潮で波が高くなっていたので海へは入れず、そのままホテルへ戻るしかなかった。今日は2日分を1日で回った。さあ、明日は台風だ。

2002年7月14日(日)

  朝、ホテルのロビーに張ってある台風の進路情報には人が集まっていた。那覇へいく便はすべて欠航だ。台風は沖縄か、宮古へとやってくる。待てよ、那覇へ飛ばないとすると、帰りの便は那覇経由なのでこれは欠航になるかもしれない。さっそくその場合はどうなるのかとJTBへ問い合わせると、「その場合はお客様の方でチケットを取っていただくことになります。後日、旅行代金の航空券分の代金は返金させていただきます」という回答が返ってきた。これは大変だ!調べると宮古=羽田の正規航空運賃は47000円だ。まともに行くと4人で17万以上も必要だし、なおかつ延長の宿泊費などもかかってしまう。
そうか、パック旅行というのは格安だが、こういう落とし穴があったのかと初めて気づいた次第。そんな事を行ってもともかく帰ることが先決とJALへ電話をする(朝5:30から夜10:00までの受付は素晴らしい)と、早割りのチケットがまだありますよとの返事、けっこうこれだと安くなる。さっそく注文して、「キャンセルはどうなりますか?」と聞くと「航空券を購入しない限りかかりません。購入しないと自動的にキャンセルされます」。これはいい!これから台風などが予想される時は、保険の意味で一日先の航空券を早割りで予約しておけばいいのだ。そして無事に乗れれば放っておいても予約したチケットはキャンセルされるのだからいいことずくめ。
多良間便は明日の天候にかかわらずキャンセルを入れる。ここ数日、欠航が続いていたし、万が一台風一過で晴天になったとしても帰りに風が吹いて飛ばなくなったら一大事だ。事実、ホームページでは天気が悪いのに多良間へ渡って、4日も帰れずに島に閉じ込められた人の旅行記を読んでいたので、君子は危うきに近寄らずである。
  帰りのチケットが確保でき、もういざとなっても空港でキャンセル待ちをする必要がないと一安心したため、さっそく外へ買い物に出かけていく。私は見知らぬ町をブラブラ歩くのが好きだ。風はある程度強いが雨は降っていない。
  西里通りへ向かっていく傍ら、本屋を見つけたので飛び込んだ。この本屋、おばあさん一人で店番しているのだが、冷房をかけていないので、店内はサウナ状態。3分もいられずに飛び出したが、このおばあさんは平気なのだろうか。
  西里通りに向かう道すがら、沖縄では有名なハンバーガーチェーンA&Wを見かけ、たまらず飛び込んだ。というのも、アジアの旅行記を数多く出している私の大好きな作家の下川裕治さんが、宮古島に毎年家族で訪れ、A&Wでルートビアを飲むのが何よりの楽しみだと書いていたからだ。
何としてもそのルートビアを飲みたいとさっそく注文すると、500ml入りそうな巨大な紙コップに並々と注がれて渡された。まず沖縄的なその量に圧倒されたが、口を付けるとドクター・ペッパーかチェリーコーラのあの何とも言えない甘く薬臭い味がする。うーん、これは好き嫌いがはっきりと分かれそうだ。事実、下川さんの本の中でも、下川さん以外にはルートビアの評判はあまり良くないようだった。
  そして町中の家の外壁のそこここに掘られた「石敢當」の文字に興味が行った。これは夜中に宮古の町中を徘徊する妖怪は角を曲がるのが苦手なのでそのままだと家の中へ入ってしまうのだが、この「石敢當」があると砕けて散ってしまうため、角々にお札のように書いたものだと言う。要はシーサーと同じ、魔除けである。この「敢當」とは中国の武将の名前で「向かうところ敵なし」という意味があるのだそうで、この事からも琉球が中国の文化圏にあったことが分かる。さっそく土産物店でかわいい「石敢當」を買って来て、今は玄関にあるのは言うまでもない。
  お土産でジーマミー豆腐が欲しかった。石垣島では毎日のように食べていたピーナッツで作った豆腐だが、宮古島ではお店のメニューに入っていない。そこでジーマミー豆腐はどこで売っているのかと聞いてみたら、あれは石垣島の食べ物で宮古の人間は食べない、スーパーに行けば売っているかもと返事だった。スーパーでようやく4個だけジーマミー豆腐を見つけ、すべて買ってきたのだが、後日、沖縄生まれの妻の友人にその話をすると、沖縄ではジーマミー豆腐を食べるので、やっぱり宮古の人は変わっていると言う。そして宮古の人は強情で、とも。さらに職場でもその話をすると、やはり石垣島の人が、宮古の人はあまり好かれていないと言っていたという。同じ沖縄県の中で、東の沖縄と西の八重山の中間に位置する宮古は、互いに負けないようにがんばっていたのかもしれない。そう言えば宮古の人は決してへこたれないでがんばる事をモットーにしていて、それを「アララガマ精神」と言うそうだ。ジーマミー豆腐を食べないのも自己主張のひとつかも。
  考えてみれば沖縄と、宮古と、八重山はそれぞれ昔は別の国であり、言葉も通じなかった。食文化が違うのもはるかな過去から来ている可能性もある。例えば、空港に降りると書かれている「いらっしゃいませ」は沖縄では「めんそーれ」。これはけっこう有名だが、宮古では「んみゃーち」、八重山では「おーりとーり」と書かれている。与那国は「わーり」とさらに違う。さらに「ありがとう」は沖縄「にふぇーでーびる」、宮古「たんでぃがーたんでぃ」、八重山「にーふぁいゆー」、与那国「ふがらっさー」と言うようにだ。以前も書いたがそれぞれの違いは津軽弁と薩摩弁以上に違うらしい。沖縄から与那国まで580kmも離れているそれぞれ別の島なのだから、みな同じと考えてしまう事に無理があるのかもしれない。
  ホテルへ戻ってフロントに聞くと、台風は結局、沖縄方面へ行ってしまったという。終日ほとんど雨が降ることはなかった。午後は家族や学校、職場などのお土産をまとめ買いするため、車で回り、結局この日は買い物に終始した1日だった。

2002年7月15日(月)


  台風は沖縄に14,000軒もの停電を引き起こす被害をもたらしたが、すぐに洋上に去り、空のダイヤは平常に戻る。朝、空港に電話を入れると予定の便で大丈夫と聞き、まずはホッとした。何よりも経済面で助かった。
  では夕方まで遊ぼうと、まずは海の荒れとは関係がないイムギャーマリンガーデンへと向かう。空は曇りだが、一部青空が見え、雲のカーテンからは時折日差しが注いでいた。今日は内側の「池」の方に入る。まだ水は冷たかったが、慣れれば問題のない程度。シュノーケルを付けて覗くと魚は見えるが、残念ながらスズメダイなどの色とりどりの魚は姿を見せない。
  しばらく遊んだ後は、前浜ビーチへ向かう。前浜は小さいながらも波があり、遊ぶには逆にこちらの方が楽しいくらい。来間島側からは始め雨雲のような黒い雲がちぎれてきてはスコールのような雨をパラつかせていたが、そのうちに雲は減り、来間大橋の上の青空の面積がどんどん大きくなっていった。薄日はどんどん強くなり、白砂の浜が輝き出す。海も鮮やかさが増し、グリーンの海と来間大橋の女性的ななだらかなシルエットがきれいに調和していく。海に浸かって周囲を見渡すと、柔らかな翡翠色の海、なだらかなアーチを描く来間大橋、彼方まで続く白砂の浜、そして緑の木々に覆われた来間島が360度のパノラマになっている。もっと天気が良ければどれだけ美しいのだろう。

よし、また来年の再びここへ来る、もっと宮古を見ようと密かに心に誓っていた。気掛かりは中二の長男。今年は写真を撮っても笑顔がほとんどなく、はしゃぐこともなかったからだ。そう言えば自分もそうだった。高校の時には家族旅行を拒否したな。来年は一緒に行ってくれるかな。
  宮古は石垣と比べてもきれいな海が多い。石垣には他の八重山諸島を巡る楽しみがあるのでこれは格別だが、アイランドステイを決め込むなら、宮古の方がお薦めだ。白砂の浜の照り返しはどんどん増して行き、まぶしくて目を細めないといられないようになる。帰る頃には目が真っ赤に充血し、その紫外線の強さに改めて驚かされた。
  帰りの飛行機は宮古18時30分発那覇行きのJTA520便。那覇での乗り換えが40分しかなかったので心配したが、昨年の東急観光のように那覇でさらにチケットを受け取る(いったん外へ出て、それからカウンターへ行ってチケットを受け取らないといけなかったので、ずっと駆け足だった)のではなく、宮古で羽田行きのJAL908便のチケットも一緒に渡してくれた。さすがJTBだ。
羽田到着は少し遅れて22時30分。東京の暑さは宮古以上で、夜もなお冷えない熱気にうんざりしながら家路へ急いだ。

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