2022年3月5日土曜日

Mott よみがえれ!昭和40年代(昭和40年編)

 
 平成24年(2012年)に発刊した著書「よみがえれ!昭和40年代」に掲載できなかった「子供目線」での事象をまとめている「Mott よみがえれ!昭和40年代」。前回は私的「時代考証」として「昭和40年代」以前も含めた史実を交えて投稿しました。 

 この著書は発売されてかなり経過をしていますが、最近では読者のおひとりから「この本を読んだ痴呆気味の母が刺激を受けて元気になりました」等のお声を頂く機会もありました。そこで今回からは、著書でも使用したクイズ形式フォームで「年度別」に「大人気ない大人たちのつぶやき」という“会話風”も含め、閲覧されている皆さんも追体験している気分になっていただきながら、この時代をリアルに綴っていくことにします。 
 そこでこのシリーズを始める前に、「大人気ない大人」に登場する人物プロフィールを、若干更新して再度紹介しておくことにします。 

 <登場人物>  
スーさん(♂):昭和29年(1954)生。静岡県出身。小中学時代は漫画家志望のミニカー・コレクター、高校でビートルズに感化され音楽マニアに豹変。 
マサ(♂):昭和31年(1956)生。大阪出身。プレーヤー視点の評論に定評のある人気音楽評論家。ジェフ・ベックを崇拝するギタリストの顔も持つ。 
クミ(♀):昭和30年(1956)生。北海道出身。小五でジュリーに一目惚れ、コロナにもめげず追っかけ継続中のペンション・オーナー。 
やっちゃん(♂):昭和32年(1957)生。静岡県出身。テニスを愛するスポーツマン。若さを維持するサプリメントが欠かせない鉄道マン。 
とっち(♂):昭和31年(1956)生。東京都出身。宮崎駿監督と富田勲をこよなく愛するアニメ&音楽マニア。ビーチ・ボーイズ研究の世界的権威。 
ジュン(♀):昭和32年(1956)生。滋賀県出身。筋金入り美容エステシャンの傍ら、藤原竜也と孫をこよなく愛するグランマ。 



昭和40年(1965年) 
 1-1.明治製菓から発売されたロングセラー商品「マーブル・チョコレート」。発売直後このCMに起用されていた「マーブルちゃん」の子役は誰?
 
A.四方晴美 B.上原ゆかり C.キャロライン洋子 

 とっち:アニメの『鉄腕アトム』はマーブル・チョコレートのCMとペアだった。 
スーさん:あの当時の定番だった連呼パターン「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル・チョコレート♬」だったね。 
とっち:あのCMタレントだった上原ゆかりのトレード・マークは髪の毛をてっぺんで丸めた「お団子結び」。 
スーさん:女の子のCMだと、ドッグ・フード<ビタワン>に出てたキャロライン洋子も思い出すよね? 
とっち:『チャコちゃん』(注1)に出てた四方晴美も<パイゲンC>のCMに出てたよね。
スーさんチャコちゃんといえば超ビッグな子役になったケンちゃん(注2)のおねえちゃん役だったね
とっち:あ、そっちのほうが有名か。でもあの当時のペットの餌っていえば、「残飯」が当たり前で、猫には「猫まんま」の時代だった! 
スーさん:明治(製菓)が(鉄腕)アトムの提供をしていた頃には、マーブルにはアトム関連のマジック・プリントが封印されていたよね。それが欲しくて買いあさったもんだった。 とっち:おまえもかよ!あのシールやプリントは、そこいらじゅうに貼りまくったっけなぁ。けど、そのうちもったいなくなって、机の引き出しに溜め込んでおいたっけ。 
スーさん:え、じゃあ、まだ持ってんのかよ? 
とっち:いや残念ながら、整理されちゃったみたいで見当たらないんだ(涙) 
スーさん:親にとっちゃゴミみたいなもんだったから仕方ないか(汗) 
とっち:そういえばマーブルのCMって色んなパターンがいっぱいあったけど覚えてる?
スーさん:新年だと年始周りバージョンで、年始回りで行く先々のお年玉に「マーブル」を貰うなんて…でもそんな安上がりにされちゃたまんないよね! 
とっち:確かに! 
スーさん:でもあのCMのお約束はフタを開けるときの「スポーン」っていう大砲みたいな効果音! 
とっち:あの音はコカ・コーラの“シュポーン”と双璧だったね。 
スーさん:そういやぁ「マーブル」のキャップ蓋3個で「レーシングカー・セット」が当たるなんて懸賞(40年)もあったよね。 
とっち:30円のお菓子で、レーシングカーなんて気合入っる! 
スーさん:あの頃「レーシングカー・セット」持ってるのはブルジョアの家だけだったからね。 
とっち:話は戻るけど、「ゆかり」といえば大人には<ゆうべの秘密>の「伊東ゆかり」だったけど、俺ら世代だとといえば、やっぱり「上原ゆかり」だよね。 
スーさん:そういえば、(山下)達郎さんなんかのバックでドラム叩いてた「ユカリ」って、苗字が上原(裕(ゆたか))だからだもんね! 
とっち:それくらはだいたい見当つくよ。でも今じゃゆかりちゃんも立派な「おばさん」だ。「私がおばさんになったら~♪」って歌ってもらいたいね(大笑)。 

正解 B 


 1-2.現在、日本のプロ野球で「東京」を冠するチームは「ヤクルト・スワローズ」。では昭和40年代に存在した「東京」を冠していたプロ野球チームとは? 

A.オリオンズ B.フライヤーズ C.ライオンズ 

スーさん:「ジャイアンツ」は昔からユニフォームの胸に「TOKYO」って付けているけど、今は「スワローズ」のものだよね! 
やっちゃんそういや昔、パ・リーグにも頭に「東京」のついたチームってなかったっけ? スーさん:昭和30年に日本一になった「大毎 (た毎日大映)オリオンズ」のことだろ!それが39年から43年まで「東京オリオンズ」っていうネームを使ってたんだ。 
やっちゃん: そのチームって、今はもう無いんだよね? 
スーさん: 今の「千葉ロッテ・マリーンズ」。その当時のオーナーが私財を投入して南千住に完成させた「東京スタジアム」(注3)にちなんでつけた名前だったんだよ。
やっちゃん: そうなんだ。でも「千葉」には“パイレーツ”あったのに(汗) 
スーさん: それは「ジャンプ」(注4)(笑) 
やっちゃん: 映画産業が傾いてきて、業務提携先にガムの業績が「コリス」を抜いてトップになったロッテに声がかかり「ロッテ・オリオンズ」になったんだ。 
スーさん:でも今「東京スタジアム」といえば平成13年調布に建設されたJリーグ「FC東京」と「東京ベルディ1969」のホーム・スタジアム「味の素スタジアム」の正式名だもんね。 
やっちゃん:球場名は野球界からサッカー界に取られちゃった(涙) 


正解 A 


1-3.昭和30年代に稼働し40年には存在していなかった「千住火力発電所」(南千住)。その構内には大きな4本の煙突が設置された。この煙突は当時なんと呼ばれていたか? 

A.おばけ煙突 B.おしん煙突 C.おのだ煙突 

 マサ:その煙突の話、(少年)サンデーで読んだことある! 
スーさん:ひょっとしたら、俺ら世代なら知らない方が珍しいかも。 
マサ:確か見る方向によって本数が違って見えるから「おばけ」みたいだってやつだよね。 スーさん:そう工場の敷地内にそびえ立ってた煙突の立ち位置が「ひし形」陣形になっていて、東西南北によって本数が違って見えるんで、こう呼ばれたんだよね。 
マサ:どんな風に? 
スーさん:まず正門斜めからは4本で全部見えるんだけど、「隅田川」からは3本、また「千住大橋」だと2本。そしてかなり遠くから見ると全部重なって1本に見えたって書いてあった。近くを走っている常磐線からも、本数変わるのが確認できたみたいだよ。
マサ:ふぅ~ん。そうだったんだ。
スーさんでもそこは38年稼動停止になって、39年に取り壊されて40年には更地。 大学時代に地方出の仲間内でよく話題になってた。 
マサ:そういや「こち亀」アニメで「お化け煙突」の話があったような気がするなぁ~ 
スーさんそうそう、「こち亀」でも「お化け煙突が消えた日」って回があった。
マサ: 当時の下町っ子にも気になる存在だったんだ。 
スーさん大学院で「展示学」を研究していたころ、亀有の「足立区立郷土博物館」に当時の写真パネルと縮小模型が展示されているって聞いて、論文の参考になるかと思って、見に行ったんだ。 
マサ: 亀有っていやぁ、駅前に両さん像があるとこだ。 
スーさんそこにあった資料によると、設立当時は予備発電所として限定稼動だったらしい。だから時々動く際に吹出す煙が火葬場みたいに見えて「お化け」となったという説もあるらしいよ。 
マサ:俺も行ってみようかな。
スーさんそこの展示物は傑作なものもあるんでお薦めだよ! 
マサ何が?
スーさん原寸大の「肥溜め」 (笑)

 
 昭和39年まで東京都足立区に存在した
千住火力発電所のお化け煙突

 正解 A 


 1-4.戦後初めて日本人で三冠王を取ったバッターは誰?  

A.王貞治  B.落合博満 C.野村克也 

とっち:小学校のころプロ・スポーツっていえば、やっぱり花形は野球だったね! 
スーさん:あの頃は絶対ON! 
とっち世界のホームラン王って言われた王選手、それに燃える男、ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄! 
スーさん:小学校だとソフト・ボールなんだけど、みんな「1」や「3」の背番号に付けたがったもんだね。 
とっち:あの頃のスポーツ漫画はほとんど野球で、必ず二人が登場してたよね。 
スーさん:いろんな魔球が出てくる『黒い秘密兵器』(注5)や、「ミラクルA(エース)』(注6)とかにもね! 
とっち:俺たちの小学時代はONの大活躍で完全にセ・リーグ、いや巨人一辺倒になっちゃった! 
スーさん:俺、後楽園球場にジャイアンツ戦を見に行った時、球場前で王選手が目の前歩いてきたんだ! 
とっち:そりゃ、どラッキーだったね! 
スーさん:その時、感激のあまり固まっちゃった! 
とっち:でもバッターの勲章「三冠王」を戦後最初に獲得したのは、ONでもセ・リーグのバッターでもなかったんだよね? 
スーさん:昭和40年の(南海)ホークス野村選手だろ! 
とっち:それにキャッチャーでの「三冠王」は世界初だったらしいよね。 
スーさん:でも王選手は2回も獲ったんだよね。 
とっち: 落合選手はその上をいく3回も! 
スーさん:でも三人は監督になっても、“名将”だったね!

正解 C 



 注1) 昭和37年10月から放映開始したホームドラマ「チャコちゃんシリーズ(37年10月~44年3月)で、第一作は『パパの育児手帳』。最終作は第6作『チャコとケンちゃん』(43年4月~44年3月)まで、

 注2) 「チャコちゃんシリーズ第5作『チャコねえちゃん』(42年4月~43年3月)から登場した初代ケンちゃん(ケンイチ脇康之(現:宮脇健)。ケンちゃん」のタイトルがついた「ケンちゃんシリーズ」の第一作は『じゃんけんケンちゃん』(44年3月~45年2月)。宮脇は第8作『フルーツ屋ケンちゃん』(51年3月~52年2月)で約9年ケンイチを務めた。 

 注3) 荒川区南千住にあった野球専用スタジアム。オーナーは戦後日本映画界の寵児と言われた大映社長永田雅一(通称:永田ラッパ)。彼が私財30億円(土地:10億、建設:20億)を投入して37年5月竣工させた。「ロッテ・オリオンズ」に改名後の45年には10年ぶりの日本一をこの球場で決めている。その後、46年に大映の倒産に伴う連鎖で47年にわずか11年で閉鎖、52年に解体された。

 注4)「週刊少年ジャンプ」に連載されたコミカル野球漫画。作者江口寿史の代表作のひとつで連載期間は昭和52年から55年。 

 注5)「週刊少年マガジン」に連載されたスポコン漫画。主人公である巨人軍椿林太郎投手の投げる剛速球と魔球“黒い飛球”や“魔の飛球”とライヴァルの対決が繰り広げられた。この頃はトレーニング中の水分補給は禁止で、代替は「レモンの輪切り」と教えられた。原作は福本和也、作画は一峰大二で連載期間は昭和38年から40年。 

 注6)「週刊少年サンデー」に連載されたスポコン野球漫画。主人公は読売ジャイアンツ伝説の背番号4を受け継いだエース「拾呂久番太(じゅうろくばんた)」。彼の投法は地面の砂を巻き上げ噴煙でかく乱する魔球や、マウンドからジャンプして投げ下ろしたり、両手投げによる剛速球など、いかにも漫画的だった。極めつけは、プロレスラーのごとくマスクをしての登板だった。作者はスポコン漫画の第一人者で、昭和43年に創刊の「週刊少年ジャンプ」の創成期を支えた貝塚ひろし。連載開始は昭和40年。

 (文・構成:鈴木英之

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