2018年10月30日火曜日

佐野邦彦氏との回想録17(一周忌を偲ぶ)


 10月も終盤と朝晩の冷え込みが身に染みる時期になり、間もなく佐野さんの命日だと思うと感慨深くなる。前回も彼が逝く数か月前の回想を綴ったが、あの共同作業の前(最中)には、別件で彼とやりとりをしていたことがあった。それが奇遇にも、昨年の私の誕生日に届いた彼からの最後のメッセージに繋がっていくのだから、なんとも不思議な縁を感じている。

それは43日に佐野さんから「知人より1976年の『セブンスターショウ』(TBS)の荒井由実とかまやつひろしのスペシャルで、バックはティン・パン・アレイの音源を入手したのでCD-R送ります」というプレゼントが届いた。この中で、特に気に入ったのは、ユーミンとムッシュによる「あの時君は若かった」と「12月の雨」メドレーだった。ただ残念な事に尻切れとなっており、彼にお礼の連絡をしたが失礼にも「素晴らしい音源でした!でもちょっともったいなかったですね。」と伝えてしまった。これが約半年間途切れなくやりとりが続くやりとりの始まりだった。


そんな中、松生さんから「Paulのドーム公演のアリーナ5列目が取れたので行きませんか?」の誘いに430日の公演で上京することになった。せっかくなので、その際に佐野さんに見舞い訪問の問い合わせをした。ただ、あいにくこの時期はかなり体調不良だった様子で再会は叶わなかった。もし会えていたとしたら、佐野さんが最初の闘病を乗り越え仕事に復帰していた2013713日(注1)以来となったはずで、実に無念な心境だった



その後、前回のCDのお礼に新茶を届けたが、5月の連休明けにその返礼として今度は完全版の映像を収録したDVDをいただいた。それは大感激もので、即お礼の連絡をしたのだが、そこで珍しく彼からお願いをされた。依頼内容は彼の誕生日425日に放送された『あの年この曲』(BSジャパン)の映像だった。「鈴木さん、あの番組録画してないですか?GS特集でヤンガーズの「マイラブ・マイラブ」が出たらしいのでどうしても見たいんです!」というものだった。しかし、その放送は不覚にも見逃しており、出来る限りあたってはみたが、結局私の力が及ばず役に立つことは出来なった。その後彼から「放送はHMさんを通じ無事入手できました!」と聞き、胸をなでおろした。なおこの貴重映像の出元は、偶然にも翌月にJigsawの依頼を受ける中村俊夫氏のようだった。

そして529日の勤務中に、テレビ朝日のAD.Oさんから「61日に漫画をテーマにアーカイヴする番組に出演していただけませんか?」という突然の連絡が入った。あまりに唐突で何のことかわからず、「何を見て私にオファーを出されたのですか?」と返すと、「『よみがえれ!昭和40年代』の著者(注2)様ですよね?実は発行元の小学館に連絡先を問い合わせ、連絡させていただきました。」とのことだった。私自身よく理解できなかったので、「とりあえず、資料を送って下さい。」と返答した。電話を切ると即、小学館の編集担当M氏に連絡を取った。すると「すみません、テレ朝さんからの問い合わせがあった事をお伝えするのを忘れてました。」とのことだった。



そこで、その晩にOさんから送られてきたメールを確認した。連絡で分かった事は、関東ローカルの深夜放送の『ChouChou(シュシュ)』なるアーカイヴ番組で、進行役は夏目三久さんと能町みね子さんということだった。添付されていた構成台本を見ると、私への依頼は1970年代の人気漫画とその作品が流行らせたブームについてVTRを見ながら解説するというものだった。

 その作品とは「恐怖新聞」「サーキットの狼」「空手バカ一代」の3点で、それに付随する形で「ベルサイユのばら」「エースをねらえ!」も加えられていた。これらは中学まで漫画家を夢見ていた自分にとって、毎週熱心に読みふけっていた作品で、懐かしい気分になった。ただこの中で「恐怖新聞」はラストまで完読していなかったので不安になり、佐野さんに相談を持ちかけた。しかしさすがの彼も「申し訳ない。対象外です。」ということだった。しかし「でも鈴木さんなら大丈夫だと思いますよ。頑張ってください。」とエールをおくられてしまった。そこで、この件をOさんに伝えると「Amazonより全8巻を送りますので、是非!」とのことになり、もう断れる状態ではなくなった。


幸いにも連絡を受けたのが月曜日で収録は私の休日をはさんだ木曜ということだった。そこで、その間にある程度の詳細を調べられるだろうとふんで、早速資料作りに取り掛かった。まず「サーキットの狼」については、大学時代の車好きの何人かに連絡をとり、当時の国内事情を確認した。さらに、この作品から派生した遊びについては、前職同僚の後輩がリアルだという話を聞き、即その実体験の話を聞いた。次に「空手バカ一代」は、当時の人気格闘技のブームの変遷表をまとめ、「恐怖新聞」についてもオカルト関連の事象歴を年代順に制作した。また外枠となる「エースをねらえ!」は、アニメの大ファンである佐野さんに「アニメ版」としてではあるが、抑えるべきポイントを伝授いただいた。さらに元テニス・ボーイの弟にも、当時の興味深い話題をいくつか情報提供してもらった。こんな調子で、限られた時間をフル活用して、どうにか「レトロ・カルチャー研究家」としての体裁は整えることが出来た。



そのまとまった資料と関連画像は、収録前日にファイル添付で送り、ミニカー(注3)などの小道具を静岡の実家経由で回収することにした。そのため前日夕刻実家に移動し、当日朝、万全の態勢でスタジオ入りすることにした。ただこのように準備をすすめていく段階で、事実関係を照らし合わせると、いくつか疑問を抱くようになった。そこで、それらについては「収録前に担当者と打ち合わせ」の約束を取り付けた。このように後は収録本番を待つばかりになると先方から、「先生に1点お願いがございます。先生の人となりを事前に出演者に見ていただく必要がございまして、プロフィールを頂けますでしょうか?」という問い合わせを受けた。「先生」という自覚がなく少々照れくさかった。

いよいよ収録本番となった6/1は、収録の1330に間に合わせるべく、静岡を1021のひかりで出発した。テレビ朝日は初めてだったので、指定された際最寄駅「大江戸線・六本木」の出口を間違えてしまい、番組スタッフに出迎えられ、現場に誘導された。到着した局内には私用の控室が昼食付きで準備されていたが、個人的には昼食どころではない心境だった。まずは調査により判明した訂正箇所や疑問項目の確認をするべく、台本作成者を呼んでいただいた。しかし、打ち合わせはあっという間で、スタッフからは「今、修正している時間はないので、収録後オン・エアまでにやりとりしましょう。」とのことになった。そんな訳で何も解消しないまま、またリハーサルも無しに多くのスタッフがスタンバイしたスタジオ入りとなった。現場に入ると、それまでのゲストよりもかなりラフなスタイルだっためか、「お着替えよろしいですか?」と気を遣わせてしまった。そして、レギュラーの夏目さん能町さんがスタンバイされ、私が定位置に座るのを待つばかりになっていた。


 私が席に着くと同時に、スポットがつき即カメラがまわされた。緊張のあまり一瞬固まりそうになったが、開口一番に夏目さんが私を「鈴木ヒロユキさん」と間違えてくれ、これでリラックスできた。そこからはVTRを見ながらの解説という順で、あっという間に熱気のこもった一時間半ほどの収録は完了した。とはいえこの時の収穫は、終了後にお二人とした雑談で、「「エースをねらえ!」のお蝶夫人は高校生」、「Perfumeのライヴでのあ~ちゃんのトークの力は凄い!」といった話題で盛り上がり、光栄にもお二人から「鈴木さんあなどれない!」と賞賛いただいたこと。それにその後も収録を控えた夏目さんに「SNSにあげない」ことを条件でツーショットをお願い出来たことだった。これだけでギャラなしでもいい気分になった。収録後、スタジオを出て帰路の準備をしていると他のスタッフが、「先生こちらへ」と地下に誘導された。そこには東京駅までの送迎車が手配されており、ちょっとしたスター気分を味わせていただいた。翌日、この日の話題を佐野さんに報告すると「鈴木さんらしい武勇伝ですね!」となり、「もしまだ何か協力できることがあれば、いつでも連絡ください。」と、地上波への出演を喜んでくれた。



滋賀に戻ると、放映は最短でも三週間後と伺っていたので、収録で確認したVTRの修正(注4)に作業にとりかかった。それは放送直前ギリギリまで、近隣図書館・博物館巡り、それに関係する知人への証言取りに時間を割いた。その甲斐もあって、視聴者向けに(やり取り中の映像確認は不可だったが)納得できるVに修正できたと実感した。佐野さんにも協力いただいていたので、お礼を兼ねその報告すると、「よく半端なくお金がかかるアニメ映像修正させましたね!その番組はきっと良心的な素晴らしい番組ですよ!」と絶賛された。ほっとしたと同時に、以前から疑問に思っていた「何故、私にオファー出したのか」をOさんに確認した。すると彼から回答は、「テーマは漫画でしたが、その周辺にも詳しそうな方という事で、本を拝見してお願いしました。」とのことだった。その返答にこれまでやってきたことが、公にも認めらたという満足感でいっぱいになった。

なお、このプログラムは「70年代マンガブーム」として、624日(25002530)に無事放映された。ただこの番組は関東ローカルなので、残念ながら私自身はリアルでの聴取は叶わなかった。いち早くダビングして送付してくれた佐野さんからは、「この手の研究家は、「マツコの知らない世界」に呼ばれれば、世界が一変するそうです。そこを目指して頑張ってください。」のエールと共にBDが届き、そのラストのテロップに「歴史検証」として私の名前が紹介されており、局スタッフの配慮に感謝の思いが湧き上がった。佐野さんもそれはチェック済みで、「やはり鈴木さんを選んだのは間違いではなかったみたいですね!」と我がことのように喜んでくれた。ちなみに、この日の放送は現在でも無料サイト(注5)で視聴可能です。


話しは少し戻るが、この番組の編集作業に追われている最中の611日に佐野さんより、「元テイチクの中村俊夫さんからJigsaw40周年リイシューするので、鈴木さんにも協力要請があり、滋賀の住所と携帯を伝えました。」と連絡が入っている。ただ、この頃は「シュシュ』に提出するための新規企画をまとめていたので、そのうち連絡があってからという気分でいた。ところが、その一週間後の19日に中村さんから連絡が入り、「Jigsawの取材で6/25に渡英するので、それまでに質問状をお願いしたい。」との協力依頼が言付けられた。あまりに唐突だったので、佐野さんに確認すると、「この際だから、疑問に思っている事は全てぶつけてみましょう!」「それにJigsawと「ミル・マスカラス」「林哲司」の関連をリアルに伝えることが出来るのは鈴木さんだけなんですから。」とはっぱをかけられ、身がひきしまる気分になった。

その質問状をまとめてからは、また時間に余裕が出来たので、シュシュ』に提出する新規企画をまとめた。まず完成させたものは、音楽物で「発売が難航した名曲」(注6)というものだった。しかしこれについては「ちょっとこれは番組の趣旨に合いません。」ということで却下されてしまった。そこで次にまとめたものは、かなりコアな検証データを揃えた「若大将復活劇の影に怪獣映画あり」「Jrキャンペーンとウルトラマン復活」だった。これについては、7/19にテレ朝へ提出前に佐野さんにも感想を伺っている。その内容については「これは絶対面白いよ!」と、彼から高評価を得られたので、早速提案するつもりでいた。ところが、その翌日にJigsaw発売元となるウルトラヴァイヴのMさんから、今回のプロジェクトについての詳細スケジュール連絡が入り、シフト・チェンジせざるえなくなった。その後のJigsawリイシュー作業の経過は以前の回顧録で触れたとおりだ。

ただこのオファーのおかげで、(佐野さんの体調が良かった7/29に数年ぶりに電話連絡をとることができた。これが彼との最後の会話になってしまったが、久々に聞く「佐野節」は今となっては天からの贈り物だったと感謝している。またJigsawの仕事が一段落した9/28には「ChouChouは最近江戸ネタが続いているので、また昭和ネタをアプローチされたらいかがですか?」と背中を押すメールが届いている。それについての現況を返信すると10/1には、「昨晩のChouChouは予想通り昭和で、レジャーがテーマでした。音楽ネタもかなり盛り込まれていたので、やはり鈴木さんの出番だろうと思ってお知らせしました。」とあり、佐野さんの期待に応えねばと、また企画案を練り直し始めるようになった。そして昨年の誕生日に届いた「精力的な活動で、これからも楽しませてください。どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。今T.V.CDの仕事の波がきていますので、その波にのってよりメジャーになってくださいね。」のメッセージは今も大きな励みになっている。

 最後になるが、佐野さんの葬儀は私の勤務先のかき入れ時でもある土日だったが、即座に「有休」を願い出て東京に向かった。それは彼の供養は、私の人生にとって何をおいてもなすべき事という使命感が強かったからだ。今回はそんな彼の一周忌を偲び、彼の亡くなる半年間について、彼から届いたメールのやりとり(過去の投稿とダブる事例も含み)で、在りし日々を振り返ってみた。次回は前回の続きとなる2008年以降を回想していく予定だ。合掌。
(鈴木英之)

 
(注1)佐野さんの難病指定されている持病が悪化し、余命数か月を宣告されたのは2013年だった。その後、二度の大手術が成功し、リハビリ開始後にBeachBoys由来のナンバーの愛車を入手したのがこの年。彼の生前中に「編集人」としての軌跡をまとめようと、三軒茶屋に出向き彼の活動について取材させていただいた日。

(注22017年初頭にから、神田の東京堂書店では著名漫画家U氏とコラボした企画『東京を読む!』というコーナーが設けられていた。そこに、私の著書『よみがえれ!昭和40年代』がチョイスされ、それがテレビ朝日『ChouChou(シュシュ)』の担当者の目に止り、番組出演オファーに繋がっている。

(注3)「サーキットの狼」愛車「ロータス・ヨーロッパ」が、前もって渡された資料には登場せず、スーパーカー・ブームの代表格ランボルギーニ系のスナップがクローズ・アップしていた。そこで、小中学時代に私がコレクションしていたミニカー(Match Box社製)を持参した。


(注4)収録時のVTRに写っていた画像の差し替え、「たばこ屋」の外見、「自転車」は当時人気のあった<セミドロップ>、「カメラ小僧のカメラ」が手にしている一眼レフを<安価な普及品>に、「スーパーカーの道路」を<環状七号>に指定など。当時のリアルを反映させるべく、図書館からネットまで、あらゆるメディアから映像を探索した。ちなみにこの差し替え映像は、現在放映中のオープニング映像でも使用されている。

(注5)初期の『ChouChou(シュシュ)』は「TVer」での視聴は出来ないが、無料サイトの(pandora)(miomio)で視聴できる。

(注6What's Goin' On”“Can't Take My Eyes Off You”など、すんなり発売されなかった名曲のストーリー。

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