2018年10月30日火曜日

佐野邦彦氏との回想録17(一周忌を偲ぶ)


 10月も終盤と朝晩の冷え込みが身に染みる時期になり、間もなく佐野さんの命日だと思うと感慨深くなる。前回も彼が逝く数か月前の回想を綴ったが、あの共同作業の前(最中)には、別件で彼とやりとりをしていたことがあった。それが奇遇にも、昨年の私の誕生日に届いた彼からの最後のメッセージに繋がっていくのだから、なんとも不思議な縁を感じている。

それは43日に佐野さんから「知人より1976年の『セブンスターショウ』(TBS)の荒井由実とかまやつひろしのスペシャルで、バックはティン・パン・アレイの音源を入手したのでCD-R送ります」というプレゼントが届いた。この中で、特に気に入ったのは、ユーミンとムッシュによる「あの時君は若かった」と「12月の雨」メドレーだった。ただ残念な事に尻切れとなっており、彼にお礼の連絡をしたが失礼にも「素晴らしい音源でした!でもちょっともったいなかったですね。」と伝えてしまった。これが約半年間途切れなくやりとりが続くやりとりの始まりだった。


そんな中、松生さんから「Paulのドーム公演のアリーナ5列目が取れたので行きませんか?」の誘いに430日の公演で上京することになった。せっかくなので、その際に佐野さんに見舞い訪問の問い合わせをした。ただ、あいにくこの時期はかなり体調不良だった様子で再会は叶わなかった。もし会えていたとしたら、佐野さんが最初の闘病を乗り越え仕事に復帰していた2013713日(注1)以来となったはずで、実に無念な心境だった



その後、前回のCDのお礼に新茶を届けたが、5月の連休明けにその返礼として今度は完全版の映像を収録したDVDをいただいた。それは大感激もので、即お礼の連絡をしたのだが、そこで珍しく彼からお願いをされた。依頼内容は彼の誕生日425日に放送された『あの年この曲』(BSジャパン)の映像だった。「鈴木さん、あの番組録画してないですか?GS特集でヤンガーズの「マイラブ・マイラブ」が出たらしいのでどうしても見たいんです!」というものだった。しかし、その放送は不覚にも見逃しており、出来る限りあたってはみたが、結局私の力が及ばず役に立つことは出来なった。その後彼から「放送はHMさんを通じ無事入手できました!」と聞き、胸をなでおろした。なおこの貴重映像の出元は、偶然にも翌月にJigsawの依頼を受ける中村俊夫氏のようだった。

そして529日の勤務中に、テレビ朝日のAD.Oさんから「61日に漫画をテーマにアーカイヴする番組に出演していただけませんか?」という突然の連絡が入った。あまりに唐突で何のことかわからず、「何を見て私にオファーを出されたのですか?」と返すと、「『よみがえれ!昭和40年代』の著者(注2)様ですよね?実は発行元の小学館に連絡先を問い合わせ、連絡させていただきました。」とのことだった。私自身よく理解できなかったので、「とりあえず、資料を送って下さい。」と返答した。電話を切ると即、小学館の編集担当M氏に連絡を取った。すると「すみません、テレ朝さんからの問い合わせがあった事をお伝えするのを忘れてました。」とのことだった。



そこで、その晩にOさんから送られてきたメールを確認した。連絡で分かった事は、関東ローカルの深夜放送の『ChouChou(シュシュ)』なるアーカイヴ番組で、進行役は夏目三久さんと能町みね子さんということだった。添付されていた構成台本を見ると、私への依頼は1970年代の人気漫画とその作品が流行らせたブームについてVTRを見ながら解説するというものだった。

 その作品とは「恐怖新聞」「サーキットの狼」「空手バカ一代」の3点で、それに付随する形で「ベルサイユのばら」「エースをねらえ!」も加えられていた。これらは中学まで漫画家を夢見ていた自分にとって、毎週熱心に読みふけっていた作品で、懐かしい気分になった。ただこの中で「恐怖新聞」はラストまで完読していなかったので不安になり、佐野さんに相談を持ちかけた。しかしさすがの彼も「申し訳ない。対象外です。」ということだった。しかし「でも鈴木さんなら大丈夫だと思いますよ。頑張ってください。」とエールをおくられてしまった。そこで、この件をOさんに伝えると「Amazonより全8巻を送りますので、是非!」とのことになり、もう断れる状態ではなくなった。


幸いにも連絡を受けたのが月曜日で収録は私の休日をはさんだ木曜ということだった。そこで、その間にある程度の詳細を調べられるだろうとふんで、早速資料作りに取り掛かった。まず「サーキットの狼」については、大学時代の車好きの何人かに連絡をとり、当時の国内事情を確認した。さらに、この作品から派生した遊びについては、前職同僚の後輩がリアルだという話を聞き、即その実体験の話を聞いた。次に「空手バカ一代」は、当時の人気格闘技のブームの変遷表をまとめ、「恐怖新聞」についてもオカルト関連の事象歴を年代順に制作した。また外枠となる「エースをねらえ!」は、アニメの大ファンである佐野さんに「アニメ版」としてではあるが、抑えるべきポイントを伝授いただいた。さらに元テニス・ボーイの弟にも、当時の興味深い話題をいくつか情報提供してもらった。こんな調子で、限られた時間をフル活用して、どうにか「レトロ・カルチャー研究家」としての体裁は整えることが出来た。



そのまとまった資料と関連画像は、収録前日にファイル添付で送り、ミニカー(注3)などの小道具を静岡の実家経由で回収することにした。そのため前日夕刻実家に移動し、当日朝、万全の態勢でスタジオ入りすることにした。ただこのように準備をすすめていく段階で、事実関係を照らし合わせると、いくつか疑問を抱くようになった。そこで、それらについては「収録前に担当者と打ち合わせ」の約束を取り付けた。このように後は収録本番を待つばかりになると先方から、「先生に1点お願いがございます。先生の人となりを事前に出演者に見ていただく必要がございまして、プロフィールを頂けますでしょうか?」という問い合わせを受けた。「先生」という自覚がなく少々照れくさかった。

いよいよ収録本番となった6/1は、収録の1330に間に合わせるべく、静岡を1021のひかりで出発した。テレビ朝日は初めてだったので、指定された際最寄駅「大江戸線・六本木」の出口を間違えてしまい、番組スタッフに出迎えられ、現場に誘導された。到着した局内には私用の控室が昼食付きで準備されていたが、個人的には昼食どころではない心境だった。まずは調査により判明した訂正箇所や疑問項目の確認をするべく、台本作成者を呼んでいただいた。しかし、打ち合わせはあっという間で、スタッフからは「今、修正している時間はないので、収録後オン・エアまでにやりとりしましょう。」とのことになった。そんな訳で何も解消しないまま、またリハーサルも無しに多くのスタッフがスタンバイしたスタジオ入りとなった。現場に入ると、それまでのゲストよりもかなりラフなスタイルだっためか、「お着替えよろしいですか?」と気を遣わせてしまった。そして、レギュラーの夏目さん能町さんがスタンバイされ、私が定位置に座るのを待つばかりになっていた。


 私が席に着くと同時に、スポットがつき即カメラがまわされた。緊張のあまり一瞬固まりそうになったが、開口一番に夏目さんが私を「鈴木ヒロユキさん」と間違えてくれ、これでリラックスできた。そこからはVTRを見ながらの解説という順で、あっという間に熱気のこもった一時間半ほどの収録は完了した。とはいえこの時の収穫は、終了後にお二人とした雑談で、「「エースをねらえ!」のお蝶夫人は高校生」、「Perfumeのライヴでのあ~ちゃんのトークの力は凄い!」といった話題で盛り上がり、光栄にもお二人から「鈴木さんあなどれない!」と賞賛いただいたこと。それにその後も収録を控えた夏目さんに「SNSにあげない」ことを条件でツーショットをお願い出来たことだった。これだけでギャラなしでもいい気分になった。収録後、スタジオを出て帰路の準備をしていると他のスタッフが、「先生こちらへ」と地下に誘導された。そこには東京駅までの送迎車が手配されており、ちょっとしたスター気分を味わせていただいた。翌日、この日の話題を佐野さんに報告すると「鈴木さんらしい武勇伝ですね!」となり、「もしまだ何か協力できることがあれば、いつでも連絡ください。」と、地上波への出演を喜んでくれた。



滋賀に戻ると、放映は最短でも三週間後と伺っていたので、収録で確認したVTRの修正(注4)に作業にとりかかった。それは放送直前ギリギリまで、近隣図書館・博物館巡り、それに関係する知人への証言取りに時間を割いた。その甲斐もあって、視聴者向けに(やり取り中の映像確認は不可だったが)納得できるVに修正できたと実感した。佐野さんにも協力いただいていたので、お礼を兼ねその報告すると、「よく半端なくお金がかかるアニメ映像修正させましたね!その番組はきっと良心的な素晴らしい番組ですよ!」と絶賛された。ほっとしたと同時に、以前から疑問に思っていた「何故、私にオファー出したのか」をOさんに確認した。すると彼から回答は、「テーマは漫画でしたが、その周辺にも詳しそうな方という事で、本を拝見してお願いしました。」とのことだった。その返答にこれまでやってきたことが、公にも認めらたという満足感でいっぱいになった。

なお、このプログラムは「70年代マンガブーム」として、624日(25002530)に無事放映された。ただこの番組は関東ローカルなので、残念ながら私自身はリアルでの聴取は叶わなかった。いち早くダビングして送付してくれた佐野さんからは、「この手の研究家は、「マツコの知らない世界」に呼ばれれば、世界が一変するそうです。そこを目指して頑張ってください。」のエールと共にBDが届き、そのラストのテロップに「歴史検証」として私の名前が紹介されており、局スタッフの配慮に感謝の思いが湧き上がった。佐野さんもそれはチェック済みで、「やはり鈴木さんを選んだのは間違いではなかったみたいですね!」と我がことのように喜んでくれた。ちなみに、この日の放送は現在でも無料サイト(注5)で視聴可能です。


話しは少し戻るが、この番組の編集作業に追われている最中の611日に佐野さんより、「元テイチクの中村俊夫さんからJigsaw40周年リイシューするので、鈴木さんにも協力要請があり、滋賀の住所と携帯を伝えました。」と連絡が入っている。ただ、この頃は「シュシュ』に提出するための新規企画をまとめていたので、そのうち連絡があってからという気分でいた。ところが、その一週間後の19日に中村さんから連絡が入り、「Jigsawの取材で6/25に渡英するので、それまでに質問状をお願いしたい。」との協力依頼が言付けられた。あまりに唐突だったので、佐野さんに確認すると、「この際だから、疑問に思っている事は全てぶつけてみましょう!」「それにJigsawと「ミル・マスカラス」「林哲司」の関連をリアルに伝えることが出来るのは鈴木さんだけなんですから。」とはっぱをかけられ、身がひきしまる気分になった。

その質問状をまとめてからは、また時間に余裕が出来たので、シュシュ』に提出する新規企画をまとめた。まず完成させたものは、音楽物で「発売が難航した名曲」(注6)というものだった。しかしこれについては「ちょっとこれは番組の趣旨に合いません。」ということで却下されてしまった。そこで次にまとめたものは、かなりコアな検証データを揃えた「若大将復活劇の影に怪獣映画あり」「Jrキャンペーンとウルトラマン復活」だった。これについては、7/19にテレ朝へ提出前に佐野さんにも感想を伺っている。その内容については「これは絶対面白いよ!」と、彼から高評価を得られたので、早速提案するつもりでいた。ところが、その翌日にJigsaw発売元となるウルトラヴァイヴのMさんから、今回のプロジェクトについての詳細スケジュール連絡が入り、シフト・チェンジせざるえなくなった。その後のJigsawリイシュー作業の経過は以前の回顧録で触れたとおりだ。

ただこのオファーのおかげで、(佐野さんの体調が良かった7/29に数年ぶりに電話連絡をとることができた。これが彼との最後の会話になってしまったが、久々に聞く「佐野節」は今となっては天からの贈り物だったと感謝している。またJigsawの仕事が一段落した9/28には「ChouChouは最近江戸ネタが続いているので、また昭和ネタをアプローチされたらいかがですか?」と背中を押すメールが届いている。それについての現況を返信すると10/1には、「昨晩のChouChouは予想通り昭和で、レジャーがテーマでした。音楽ネタもかなり盛り込まれていたので、やはり鈴木さんの出番だろうと思ってお知らせしました。」とあり、佐野さんの期待に応えねばと、また企画案を練り直し始めるようになった。そして昨年の誕生日に届いた「精力的な活動で、これからも楽しませてください。どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。今T.V.CDの仕事の波がきていますので、その波にのってよりメジャーになってくださいね。」のメッセージは今も大きな励みになっている。

 最後になるが、佐野さんの葬儀は私の勤務先のかき入れ時でもある土日だったが、即座に「有休」を願い出て東京に向かった。それは彼の供養は、私の人生にとって何をおいてもなすべき事という使命感が強かったからだ。今回はそんな彼の一周忌を偲び、彼の亡くなる半年間について、彼から届いたメールのやりとり(過去の投稿とダブる事例も含み)で、在りし日々を振り返ってみた。次回は前回の続きとなる2008年以降を回想していく予定だ。合掌。

 
(注1)佐野さんの難病指定されている持病が悪化し、余命数か月を宣告されたのは2013年だった。その後、二度の大手術が成功し、リハビリ開始後にBeachBoys由来のナンバーの愛車を入手したのがこの年。彼の生前中に「編集人」としての軌跡をまとめようと、三軒茶屋に出向き彼の活動について取材させていただいた日。

(注22017年初頭にから、神田の東京堂書店では著名漫画家U氏とコラボした企画『東京を読む!』というコーナーが設けられていた。そこに、私の著書『よみがえれ!昭和40年代』がチョイスされ、それがテレビ朝日『ChouChou(シュシュ)』の担当者の目に止り、番組出演オファーに繋がっている。

(注3)「サーキットの狼」愛車「ロータス・ヨーロッパ」が、前もって渡された資料には登場せず、スーパーカー・ブームの代表格ランボルギーニ系のスナップがクローズ・アップしていた。そこで、小中学時代に私がコレクションしていたミニカー(Match Box社製)を持参した。


(注4)収録時のVTRに写っていた画像の差し替え、「たばこ屋」の外見、「自転車」は当時人気のあった<セミドロップ>、「カメラ小僧のカメラ」が手にしている一眼レフを<安価な普及品>に、「スーパーカーの道路」を<環状七号>に指定など。当時のリアルを反映させるべく、図書館からネットまで、あらゆるメディアから映像を探索した。ちなみにこの差し替え映像は、現在放映中のオープニング映像でも使用されている。

(注5)初期の『ChouChou(シュシュ)』は「TVer」での視聴は出来ないが、無料サイトの(pandora)(miomio)で視聴できる。

(注6What's Goin' On”“Can't Take My Eyes Off You”など、すんなり発売されなかった名曲のストーリー。

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2018年10月27日土曜日

ツチヤニボンド:『Mellows』(Analog Pants/006)



高野山在住の鬼才ミュージシャン土屋貴雅を中心とするプロジェクト、ツチヤニボンドが10月31日にフォース・アルバム『MELLOWS』をリリースする。
15年11月の『3』から約3年振りとマイペースなリリースながら、その唯一無二で独創的なサウンドは作品毎に深みを増しアップデイトしている。
07年のデビュー時に「はっぴいえんど×トロピカリズモ」と称された彼らだが、本作ではブラジルのミナス・サウンドからウルグアイのカンドンベ、キューバのソンなどアフリカン・ルーツのリズムを基調とする南米音楽を消化し、Urbane=洗練させたサウンドに仕上げている。
アルバム・タイトルのメロウやリード・トラックのアーバンというキーワードは、昨今のAOR~シティポップ・シンドロームへのアンチテーゼと深読みもされそうだが、ツチヤニボンドならではのアーバン・サウンドと解釈すべきだろう。


収録曲は先行で3月にMVが公開された「Urbane」をはじめ全9曲。井手健介と母船の代表曲「青い山賊」のカバーを含んでいる。因みに井手は、14年に惜しくも閉館した吉祥寺バウスシアターのスタッフだった。
レコーディングには土屋貴雅にギターの亀坂英とドラムの波照間将の不動メンバー、新たにベーシストとして土屋の実弟であるツチヤマコトが参加している。ツチヤは先月ソロ・アルバム『amaoto memo』をリリースしたばかりで、ここで紹介しているので記憶に新しいだろう。
また準前作から引き続き元“森は生きている”から増村和彦がドラムとパーカッション、篠原玄がパーカッションも参加し現レギュラーはこの6人から構成されている。
ゲスト・ミュージシャンは、増村と元バンド仲間の岡田拓郎(ギター)と大久保淳也(フルート)が各2曲、“本日休演”から岩出拓十郎(ギター)と樋口拓美(ドラム)が別の2曲で参加しており、他にもパーカション集団“La Señas (ラセーニャス)”の佐藤ドンドコ、TAMTAMのトロンボーン奏者の荒井和弘がそれぞれパーカッションで参加している。
そしてエンジニアにはジャンルを超えて様々なミュージシャンからの信頼も厚い、中村公輔が前作から引き続き迎えられている。




では主な収録曲を解説していこう。
リード・トラックの「Urbane」は、このアルバムのキーワードでもある支柱的曲と言っていいだろう。この曲はギター・リフとフルートのユニゾンによるイントロからブルース進行を基にしたムーディーなヴァースからテンポを上げキューバン・リズムのサビへと展開する。全体的なサウンドは70年代初期のニューソウルやギル・スコット・ヘロンなどのジャズ・ファンクの匂いもする。特徴的なフルート・リフは大久保がプレイによるものだ。
続く「Nevoa」はアコースティック・ギターによるボッサのリズムを基調して、リヴァーブの効いたシンセサイザーとエレキ・ギターがアクセントになっている。音数が少ないサウンドの中で樋口がプレイするスルドは重要なエレメントといえる。
そしてカバー曲の「青い山賊」であるが、井手健介と母船による15年のオリジナル(石橋英子も参加している)の情緒的なサウンドから一転、ここでは新崎純とナイン・シープスの「かじゃでぃ風節」(江村幸紀氏のEM Recordsから今年7インチでリイシューされた)にも通じる、琉球民謡とミナス・サウンドを融合させたアレンジでの解釈が非常に面白い。なにより土屋本人がプレイしている三味線がいつまでも耳に残る。大久保のフルートをフィーチャーした夢想的な甘いサビ(ブリッジ?)を経て、唐突にアフロ・ブラジリアン・ファンクのインスト・パートへと雪崩れ込むのは、ツチヤニボンドらしいと言えばそうかも知れない。 



「Diggin' On You」と「五月の嘘」は『3』から踏襲されたサウンドで、前者はナンセンスな歌詞から発展したリズムが面白く、嘗ての「メタル ポジション」(『2』収録 11年)、「ヘッドフォン ディスコ」(『3』収録)に通じるツチヤニボンド・ワールドらしいナンバー。後者はアフロ・ブラジリアンなリズムとスピリチュアルなギター・リフとシンセ・パッドのコントラスが気持ちよく、リズム・チェンジを繰り返しながら展開していく。
アルバム中最もスロー・テンポで始まる「覚えてない」は、土屋得意のモラトリアム・ソングでサイケデリア且つプログレなサウンドがただただ気持ちいい。続く「子供(Para ninos ninos)」は、前出の「Diggin' On You」同様言葉遊びが持つリズムが曲をリードしており、日本語とポルトガル語が共存した歌詞の展開は画期的であり、シタールのような琵琶のリフがドローン効果を生んでいる。
ラストの「Movement」は、「五月の嘘」同様に作詞は土屋で、ドラムの波照間が作曲でタッグを組んでいる。ドラマーが作る曲の特有さというか変拍子とリズムのあり方が非常にユニークだ。その曲調からミステリアスなアルバムの着地点として興味深い。
アルバム毎のレビューで繰り返しになってしまうが、やはり彼等の独創的なサウンドは唯一無二な存在で、拘りを持つ音楽ファンを虜にするのは間違いない。

最後に本作のリリースに合わせて下記の日時と会場でレコ発ライヴを予定しており、対バンにはGUIROが主演する。この個性豊かな2組が同じステージでプレイすることは非常に希であるので興味を持った音楽ファンは是非予約して足を運んで欲しい。

【4thアルバムMellowsレコ発】ツチヤニボンド x GUIRO
2018/12/8(土)渋谷7thフロア
開場18:30 開演19:00
前売3000円/当日3500円(1ドリンク別)
前売受付: tybmellows@gmail.com

(ウチタカヒデ)


2018年10月23日火曜日

FMおおつ(79.1MHz)へのラジオ出演について / 鈴木英之


113日(土)久々にFM番組に出演します。参加させていただくのは今年41日に滋賀県大津市に開局したFMおおつというコミュニティ局の「この人に聞きたい」(11001255)というインタビュー番組になります。なお私のFM出演は、著書『よみがえれ!昭和40年代』(小学館)を発売した2012年にFM清水以来となるので、約6年ぶりとなります。また放送メディアへの登場としては、昨年6月の『chouchou(シュシュ)』(テレビ朝日/ナビゲーター:夏目三久さん)以来なので、約1年のぶりブランクでということになります。



では、ゲスト出演させていただくFMおおつについて簡単に紹介しておきます。局の最寄駅としては、JR湖西線大津京、京阪石坂線大津京(旧:皇子山)になります。周波数は「79.1MHz」で、放送時間は6002100、送信出力は「10w」ということなので、受信可能地域は滋賀県大津市に限定されます。


今回出演のきっかけは、今年の1月に朝日新聞で開局の記事を発見しそこに書かれていた代表の古田誠氏のプロフィール記事に興味を持ったことに始まります。彼は「毎日新聞」の記者から、「和歌山放送」の編成技術部長を歴任された方です。学生時代には故大瀧詠一氏の「Go!Go!Niagara」のヘビー・ユーザーとして氏と親交も深く、何と大瀧氏の曲に作詞を提供したことがあります。その曲は1979年にKingレコードより発売された「ビックリハウス音頭」(GK-324)のB面で高橋章子さんが歌った「ある乙女の祈り」です。その事実は、よほどコアな大瀧ファンでもない限り知るはずのない事例で、このレコードを古田氏が所有されているかも不明です。そんな記事の末尾に「パーソナリティー随時募集」という記事を発見し、119日に面談に出かけ、面接担当者が同世代という事もあり30分予定が1時間を超すものとなりました。結果は「時間枠の改編状況待ち」ということで、採用時用のスナップ撮影を済ませ、クールの調整待ちということになっています。


今回のゲスト参加は、これまでいくつか企画を提出しているので、ウォーミング・アップのような出演になります。この日は「文化の日」に制定されている「レコードの日」を話題に、インタビューされるというものです。ちなみに、この日が制定されたのは2015年で、発起人となったのは、当時アジア圏で唯一となっていたレコードプレス工場を擁していた東洋化成社です。この日は現在低迷する音楽業界で復調の兆しを見せているアナログ・レコードを新旧織り交ぜて集中してリリース・ラッシュしようという活動で、いわばアナログ・レコードの祭典という催しです。



ということなので、113日はレコードが発明された日ではありません。ちなみにレコードの発明は1877126日にトーマス・エジソン(U.S.A.)が錫箔円筒(すずはくえんとう)蓄音機を公開実験した日になります。このシステムは「フォノグラフ」と命名され、後にこの日は「音の日」に制定されています。ただこの当時のシステムは、音楽用途の想定はなく、目の不自由な方むけの補助機器として開発されたようです。


そして現在のレコード(CDDVD,BDにも)につながる円盤型メディアの歴史は、18879月にエミール・ベルナU.S.A.)がワックスを塗った平円盤レコードと蓄音機を発明した「グラモフォン」に始まります。これが、現在のように水平のターンテーブルに載せて再生するシステムです。とはいえ、当時の収録時間は10インチ(25cm)で3分、12インチ(30cm)でも5分ほどだったらしいです。捕捉ながら、このシステムが日本で紹介されたのは、18996月東京・浅草に開店した蝋管蓄音機店三光堂になります。

今でも骨董品として一般にも有名な「朝顔型ホーン付円盤蓄音機」は19029月にRCA.VictorU.S.A.)から発売されました。これはポリ塩化ビニール盤を鉄針の振動を利用して再生するもので、現在のようなダイヤモンドやサファイヤの宝石を使用した永久針で再生するシステムが開発され、1948621日にColumbiaU.S.A.)から発売されています。その後、それまでの12インチでも30分という長時間収録できるLong PlayLP)が発売されました。さらに翌1949年にはRCA Victor17cmで58分収録できる「ドーナツ盤」が発売となり、これらは後のジュークボックスの攻勢に繋がっています。

このような歴史をたどってレコード(アナログ・ディスク)は誕生し、現在に至っているわけです。なお、アナログの売上は音楽産業の飛躍と共に巨大化の一途をたどり、ピークの1980年には1811.6億を記録するまでになっています。この金額を現在で例えるとすれば、「民泊事業」や「手芸業界」、大リーグのマイアミ・マーリンズの売り出し価格などに相当します。

ところが1980年代にはいりCDが登場するとレコードの売上は減少する一方で、10年後の1990年には約1/10相当の18.14まで衰退し、1989年には製造主力事業社だったソニー社がアナログ・レコードの生産から撤退しています。とはいうものの、もう一つのアナログ・ソフトであるカセットはウォークマンやカーステレオ向けに売上は上昇しています。1988年には何と1008.12億(最近の規模で例えるなら、くら寿司などの昨年業績)と、レコード売上げ(332.06億)の3倍を記録しています。これは車のCDデッキ搭載が高級車(TOYOTAのソアラやスープラなど)にしか装備されていなかった事や、カセット再生装置が安価でかつ年配者にも取り扱いやすいといった利点があったからではないかと判断されます。世界的に見ても、アフリカなどはかなりの時期までカセットが主流だったと聞きます。

とはいえ、日本においてデジタルメディアCDの売上は右肩上がりで上昇し、1998年に6060.1億(業界総計6256.26億)までに膨らみ、音楽産業は活況化の一途をたどっていきます。そんな業績好調のCDでしたが、21世紀入ると新しく登場した配信(ピークは2009909.82億)に浸食されるようになります。ところが、このように新しいメディアが登場したにもかかわらず、世の中の趣向の多様化(一般には携帯の大躍進といわれる)で2006年以降は業界全体の業績は毎年10%近いダウンというのが現実です。

このように業界全体が収縮傾向の中、2010年に1.7までしぼんだアナログ・レコードは、その後堅調ながら売上をアップさせていきます。そして、昨年2017年には1980年代末期並の19.16億(2001年以来の100万枚超え)を記録。そんなアナログ市場の活況化の兆しに大手のソニー社が2017年には再参入し、商業的なレベルで市場が活気づいています。さらに同社は2018321日に29年ぶりの自社生産レコード発売が報道されました。

このように、現在の音楽産業は厳しいものですが、今またアナログ・レコードが見直されています。そんな訳で、1970年の高校入学以来40数年という長年のコレクターの私が、アナログ・レコードの話題で、番組に登場します。聴取できる範囲のお住まいの方は、是非チェックしてください。なお放送内容は、オンエア終了後に投稿する予定です。

また、このFMおおつには「Niagara Moonがまた輝けば♪」という大瀧ファンが食指をそそるようなプログラムもあり、コミュニテイとはいえあなどれないFM局です。もし受信地区にお知り合いがいるようでしたら、一度79.1MHzの聴取をお奨めください。

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2018年10月8日月曜日

WACK WACK RHYTHM BAND:『Easy Riding / I’ll Close My Eyes』『Madras Express / Stay-Pressed』(WWRB/WWRB001, WWRB002)

 
WACK WACK RHYTHM BAND(以下ワック)が、2012年のベスト・アルバム『XX CLASSICS』(HIGH CONTRAST/HCCD-9535)から約6年振りとなるリリースを、7インチ・アナログシングルで2ヶ月連続発表する。
彼等は90年代初頭にリーダーの小池久美子を中心に結成され、東京のクラブ・シーンを背景にUK経由のR&Bをベースとしたインスト・グループだ。
弊誌でも03年のオリジナル・セカンド・アルバム『WACK WACK RHYTHM BAND』(FILE / FRCD-116)を皮切りに、続く05年のサード・アルバム『SOUNDS OF FAR EAST』(FILE / FRCD-146)は、当時筆者が連載していたフリーペーパー誌でも取り上げるほど贔屓にしているバンドである。
その後幾度かのメンバー・チェンジはあったが、結成当時からのハイセンスな折衷感覚は健在で、東京の拘り派ミュージシャン達の集合体であるワックならではのスタンスを感じさせる。
彼等にはVANDA読者にもアピールする、ソフトロッキンなナンバーも多く、セカンド・アルバム収録の「Bittersweet In My Bag」や「Dreams Come Through」は特にお勧めだ。
  
  
さてここでは、10月10日と11月11日のぞろ目の日付にリリースされる『Easy Riding / I’ll Close My Eyes』(WWRB/WWRB001)と、『Madras Express / Stay-Pressed』(WWRB/WWRB002)について解説したい。   
「Easy Riding」はハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスに通じるトランペットがリードを取るサウンドで、アレンジにはジミー・ウエッブの匂いがするソフトロック・インスト・ナンバーだ。ライヴでは08年からプレイしており、ソングライティングはキーボードの伊藤寛が担当している。
ブリッジの転調は5th ディメンションの「It's a Great Life」(『Stoned Soul Picnic』収録 68年)をオマージュしていて、初期ORIGINAL LOVEファンもニヤリとするに違いない。因みにこの曲のミックスはマイクロスターの佐藤清喜が担当している。
カップリングの「I’ll Close My Eyes」は、元々英国のコンポーザーであるビリー・リードの作品で、後にアメリカのソングライター、バディ・ケイが歌詞を付け加えてミュージカル映画『Sarge Goes To College』(47年) でフューチャーされヒットした。その後ジャズ・スタンダードとして、トランペッターのブルー・ミッチェルの演奏やヴォーカリストのサラ・ヴォーンの歌唱で知られるようになる。
歌物ではそのロマンティックな歌詞を讃えたバラードとしてアレンジされることが多いが、ここでのカバーは、名匠アーティ・バトラーがアレンジした67年のゲイリー・ウィリアムズのヴァージョンを下敷きにしたミッド・テンポでプレイされている。メンバーによる甘い男女混声ヴォーカルとコーラスやトップで鳴っているグロッケンなどソフトロック・サウンドがVANDA読者にもお勧めである。ミックスはベーシストの大橋伸行(元ブリッジ)が担当している。
蛇足だがこの原曲のメロディ・センスは、山下達郎の「あまく危険な香り」でもオマージュされているのをお気づきだろうか。 
 
「Madras Express」 はアフロ~カリビアン・ファンク調のハイテンポなインスト・ナンバーで、4管のホーン・アンサンブルとソリッドなリズム・セクションのプレイがたまらない。アナログ・シンセのフリーキーなソロやテナー・サックスのインタープレイも楽しめる。80年初頭にカリブ出身の知る人ぞ知る同名バンドがおり、そのサウンドからの影響も感じさせて興味深い。ソングライティングはテナー・サックスの三橋俊哉で、ミックスはトランペットの國見智子が担当している。
カップリングの「Stay-Pressed」も三橋が手掛けた曲であるが、前曲とは打って変わってロンドン経由の洗練されたスタックス・ソウル系のインスト・ナンバーである。ゆるくシェイクする独特なエイトビートとハモンド・オルガンが特徴的で、正しくスティーヴ・クロッパーを意識した山下洋のギターソロも聴きものだ。ミックスは大橋が担当している。

以上の2枚の7インチ・アナログシングルは、大型レコード・チェーンの他、独立系店舗でも扱っているので、彼等のface bookでチェックしてほしい。
https://www.facebook.com/wackwackrhythmband/



そして11月21日には、ワックの記念すべきファーストアルバム『WEEKEND JACK』がボーナス・ディスク1枚をつけてリイシューされる。コーネリアスこと小山田圭吾が主宰していたトラットリア・レーベルから98年にリリースされ、20年後の今でも色褪せないフリーソウル・アンセムの「HIT AND RUN」をはじめとしたオリジナル・アルバム11曲をディスク1に収録。
ファースト・マキシの『TOKYO SESSION』(94年)、トラットリアのコンピレーション・アルバム『Bend It! Japan 98』(98年)と『MENU200』(00年)、またカセットのみでリリースされ今回初デジタル化される『LIVE AT YOYOGI-PARK』(96年)からの計9曲に今回ここで紹介した「Easy Riding」がディスク2に収録されている。
既に廃盤になっている音源も多いので、読者をはじめ音楽ファンはこのリイシュー盤も入手すべきだ。
(ウチタカヒデ)




2018年10月3日水曜日

佐野邦彦氏との回想録16



 今年の異常なまでの猛暑もやっと峠を越え、秋の気配が感じられる季節となった。昨年の今頃は佐野さんと共同での「Jigsaw Complete」復刻作業に全力で取り組んでいたことを思い出す。以前、第2回と3回で紹介したように、8月末に910日の『Song To Soul』放映に併せた第一回発売分の選曲と解説を完成させ、9月初旬には発売前のラフに最終校正を終えていた。そして、中旬からは発売元から送られてくる第二回発売分の音源をチェックするという選曲作業を二人三脚で続けていた。今にして思えば、私はフルタイムでの仕事を終えた夜間と休日、佐野さんに至っては末期の病気療養中の体調を気遣いながらというコンディションの中、お互いよく頑張ったものだと感心する。

 綿密にいうなれば、この仕事は佐野さんと付き合いを始めてから最も濃厚な作業だった。当時、体調の関係で電話のやりとりが出来ない佐野さんとの打ち合わせはメールがメインだった。その頃やりとりしていた長文に渡るメールの内容を振り返ってみると、お互い「これが最後」とばかりに後悔の無いよう、こだわりにこだわって取り組んでいたのがよくわかる。ただ彼は、雑誌VANDAの休刊時期にも、放送やネットなどメディアを通じて多くの情報を発信し、また多くのリイシュー盤のライナーやコミケの復刻作業をこなしていた。それに対し私は、個人的な趣味を反映した程度の活動しかこなしていなかったので、彼のレベルに合わせた作業は大変なものだったが、人生で一番充実した時間だったように感じている。

 余談ながら、佐野さんが逝って間もなく一年となる秋の彼岸をひかえたこの時期、毎回楽しみにしている『激レアさんを連れてきた』(注1)で登場した「軍艦島を世界遺産に導いた人」の回を見て、彼と語り合った「軍艦島」の話がよみがえった。彼と付き合いのあった方ならご存知のように、新婚旅行で「冒険ガボテン島」をイメージした「ボラボラ島」(注2)を訪れたほどの離島マニアで「軍艦島」もお気に入りだったが、生前上陸は叶わなかったと聞いている。私は以前在籍していた会社の福岡勤務時に「管理職以上はスキューバダイビング・ライセンス必携」とのオーナー号令により、ライセンス取得に長崎に通っていた。その海上実習時に休憩ポイントでこの島に上陸したことがあった。その話をした際に彼が羨ましがったことを思い出し、番組をダビングして佐野宅へ送付した。到着と同時に奥様から連絡を頂き、「我が家でもこの放送を拝見しており、家族で永久保存版だねと話していたところでした。」と謝辞をいただいた。私にしてみれば、生前の彼には多くのお願いをしたが、彼の依頼には3回ほどしか役立てていない。これはそんなお返しのつもりだったが、予想以上に喜んでもらえ、うれしいやら気恥ずかしいような気分だった。



 
 さて前置きが長くなってしまったが、これまで続けている佐野さんとの回想録を始めよう。今回は「29」発行後の2003年夏以降について進めていく。まず、この時期で佐野さんにとって最も印象的な出来事といえば、2004年夏のThe Who初来日公演(注3)だった。公演当日は、猛暑で炎天下の野外公演だったらしいが、生で見るPeteRogerのアクションは大感激ものだったと興奮気味に話していた。ただ、その日に訪れていた大半を占めた(トリに控える)Aerosmith目当ての観客からの(The Whoパフォーマンス中)「早く終われ的雰囲気」が漂っていて多少不快な気分も味わったようだった。



 
 そして2006年にはビクターより、Jigsawの紙ジャケによる再復刻のオファーを受けている。そこで佐野さんは初復刻となったテイチク盤では実現できなかった未CD化ナンバーをボーナス・トラック収録に奔走し、さらに最新データも盛り込んだ充実したライナーもまとめている。なおこの発売直前の第70回(200622日)のRadio VANDAでプロモーションを兼ねた特集を放送している。ちなみにこの復刻盤は、2017年にコンプリート版が発売されるまで、かなり高額で取引されるほど人気を博している。


 そんな彼をよそに、この時期の私は本業の仕事が多忙で、ライターらしい活動はほぼ皆無の状態だった。ところが偶然にも、仕事を通じた得意先からスポンサーをしているコミュニティFM局のスタッフにVANDA誌のバックナンバーが渡り、ある日突然出演のオファーを受けた。その初出演は2006217日のレギュラー番組(注4)で、担当が地元出身の同世代ミュージシャンだったこともあり、その後も良い付き合いを継続することになった。また、その翌月にはパーソナリティの都合で2時間番組(注5)のプログラムを依頼され、企画書を制作している。しかし局では全音源が揃わず、自己所有の手持ち持ち込みで327日に初DJを体験した。こんな成り行きで、しばらくこの二つの番組に準レギュラーのような形で参加するようになった。



 
 ちなみに2006年に放送したプログラムは、5512日にロック世代の日本語詞特集。この内容は、佐野さんと知り合った頃に盛り上がりVANDA誌にも掲載したネタで、Web7回目でも紹介していたものだ。ちなみに、担当者がこの企画で一番興味を示したのは、Scorpionsの来日公演『Tokyo Tapes』に収録された「荒城の月」だった。そして、712日に映画(~テレビ)『ウォーター・ボーイズ挿入歌特集』、109日には『Bread特集』をオンエアしている。この中でBreadの特集は、未聴取地区でも評判となったことは以前にもふれたが、自分自身が放送を継続させていく自信を持った企画だった。捕捉になるが、佐野さんはこの年の831日(増刊号 Part 1)にRadio VANDAで、それまであまり触れることのなかった和物の特集を組んでいる。この時に紹介したのは、このWebでもお馴染みのスプリングス「Have A Picnic~心の扉」(注6)や、Lamp「ひろがるなみだ」(注7)で、日本の音楽にも造詣の深いところを見せている。ちなみに、スプリングスはかなりお気に入りだったらしく、放送前にサンプル・カセットが届いている。



 
 また余談になるが、この20061129日には佐野さん待望の『Garo Box(10CD+DVD)』(定価23,100円)が発売になっている。ただこのBoxは発売前に告知された商品と正規流通商品とは一部内容が違っている。その詳細は、DVDに収録される予定だったCSNカヴァー2曲(「Guinnevere」、「青い目のジュディ(Suite:Judy Blue Eye)」)の映像が許諾を得られず、Garoのオリジナル(「姫鏡台」「ビートルズは聴かない」)に差し替えとなっている。とはいえこの回収作業は発売直前だったため、都内大手ショップへの出荷分は徹底回収されていたようだが、中小のショップまでには間に合わなかったようだった。そのため、近所のレコード店に予約していた佐野さんは運よく差し替え前の商品を入手することが出来た。この事実は即彼から連絡を受け、映像をダビングしてもらい、その差し替え前の映像を見る恩恵にあずかっている。そこには当時和製CSN”と称されていた時代のGaroの姿があり、映し出された演奏に大感激した。その後、この商品はヤフオクにも出品されていたが、既に23倍となっており、現在でも10万円前後で取引されているようだ。



 
 話は私に戻すが、ライター活動は開店休養中だったが、翌2007年からはFM局パーソナリティの依頼もあり、休日のハッピー・マンディを利用して、ラジオのDJ活動を活発化させている。そのプログラムは、これまでVANDA誌に掲載したものを中心に組んだ。それは212日の『America』、430日『The Osmonds』といったものになる。とはいえ、この時期に最も集中してまとめたプログラムは、この年の327日に逝去された1960年代を代表するスーパー・スター「植木等」の追悼特集だった。この放送はチューバ奏者S氏の番組60分枠をほぼ提供していただき615日にオン・エアした。当日はサントラやライヴ音源まで網羅し、稀代のエンタティナー植木さんを偲んだ。このVANDAを想定しないで取り組んだプログラムは、それまでの佐野さんを意識したものよりもスタッフ受けが良かったので、以後はこのような独自プログラムも組むようになった。



 
 ちなみに、これ以降に放送したプログラムは、『Hatch Potch Station替え歌特集』(7/7) 、『Dunhill RecordThe Grass Roots』(7/16)『Hatch Potch Station 替え歌特集Part 2』(8/14)などで、年末の1224日には実に18年ぶりの新作『run』をリリースし、当時「再結成は今回限り」(実際は、2018年現在も活動中)とコメントのあったチューリップを全曲ライヴ音源で選曲した特集を企画した。このように、私のプログラムは佐野さんとは方向性が違う、やや大衆的でコアなものになっている。当然ではあるが、彼が「Radio VANDA」の音源を送付してくれたように、私も彼に放送音源を送付していた。そんな彼から「鈴木さんの引き出しの多さに頭が下がります。」と評価していただき、以後もこのスタンスで継続した。

 そんな中、松生さんより「昭和の音楽や映画などをネタにした「脳の活性化」についての企画が通ったので、制作に協力してくれませんか?」という依頼があり、この年の後半はこの企画の資料集めに奔走している。なおこの活動は2012年に発売する私名義の本の出版や、2013年のVANDA30の掲載内容に繋がっていくことになるのだが、話が長くなってしまうので、今回はここで留めておくことにする。

(注1)実際に激レアな体験をした激レアさんをゲストに招き、その体験談をひも解いていくプログラム。テレビ朝日月曜日2315からの60分番組。

(注2)南太平洋フランス領ポリネシアのソシエテ諸島にある1周約30Kmの本島と、その周囲を約40Kmのリーフ(岩礁)に囲まれている。島中央にそびえるオテマヌ山(727m)の姿がアニメ「ガボテン島」を連想させる。

(注3)大塚製薬協賛、ウドー音楽事務所主催で200472425日に渡って横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)と大阪ドーム(現:京セラドーム)で同時開催された「POCARI SWEAT BLUE WAVE The Rock Odyssey 2004」。出演者はAerosmithThe WhoPaul WellerLenny KravitzRed Hot Chili Peppersなどで、両会場を日替わり交代で参加した。

(注4)市内(旧清水市三保)出身の東京芸大卒のチューバ奏者S氏がパーソナリティを務める毎週金曜日19時からの音楽番組「ワープ、ワープ、ワープ“Boss Jun アワー」(メインは吹奏楽)。Boss Junは、彼がサントリー缶コーヒーのイラストに似ている事と本名とを併せた合成語。また彼は吹奏楽振興のために全国行脚し、開催現地の吹奏楽経験者を集めた「自由音楽会」をライフワークにしている。

(注5)毎週月曜日10時(再放送は日曜13時)から放送されていた2時間枠の情報バラエティ番組パステルタイム。私は2006年以降の祭日月曜(ハッピー・マンデー)に自作自演のプログラムを自己所有の音源持ち込み(紙ジャケ展示で7080分)で出演した。

(注61995年にヒロ渡辺を中心に結成された音楽ユニット、19962月『SPRINGS』でデビュー。この曲を収録した199710月リリースの『PICNIC』は和製ソフト・ロックの最高峰と話題をよんだ。

(注72000年結成、20034月『そよ風アパートメント201』でデビューした3人組バンド。この曲は2004年のセカンド・アルバム『恋人へ』の収録曲で、ウチ氏より萩原家健太氏に紹介され読売新聞のコラムでも紹介されている。

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