2018年7月21日土曜日

1970年代アイドルのライヴ・アルバム(西條秀樹編・Part-2)


 Part-1の歩みに続き、今回は彼を象徴する黄金期1970年代のライヴ・アルバムを紹介する。ただし、彼はライヴ・アルバムを19作発表しているが、ここではミュージカルの『わが青春の北壁』(1977年)、それに1980年代に入ってからの『限りない明日を見つめて』以降の8作品(内1作はミュージカル)にはふれていない。それはこのコラムが「1970年代の通常ライヴ」の検証だとご理解いただきたい。

1973 『西城秀樹オン・ステージ』(RCA)
1973326日大阪毎日ホールで行われたデビュー1周年公演「ヒデキ・オン・ステージ」から15曲収録。5

 バックは渡辺茂樹率いるM.M.P.。まだ持ち歌が少ない時期ゆえ、そのセット・リストはリトル・リチャード<Good Golly Miss Molly>やジェームス・ブラウン<Try me>をはじめアマチュア時代からのレパートリーと思われるエキサイティングな洋楽カヴァーが中心となっている。ただそれのみならずロギンス &メッシーナの<ママはダンスを踊らない(Your Mama Don't Dance)>といった近年のヒットまで、洋楽に親しんでいた彼ならではのレパートリーが並ぶ。それらがオリジナル以上に際立った存在感を放っている。

1974 『リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!』(RCA)
1973117日東京・芝郵便貯金ホール第2回コンサートから22曲を収録。2 

シングルが国内チャートを初制覇し、勢いに乗った時期のライヴ。ここでも半分以上の13曲が洋楽カヴァーで占められ、オーティス・レディングはじめ実力派シンガーのレパートリー<Try A Little Tenderness>や、ブラッド・スウェット&ティアーズ<Spinning Wheel>といったソウルフルなナンバーが際立っている。またそんなハードなナンバーのみならず、バラード・ナンバーで聴かせる甘いヴォーカルは、抱擁感に溢れた魅力を堪能させている。ここでのパフォーマンスはすでに本格派の風格が漂うアイドル離れしたシンガー、ヒデキの姿が感じられる。

1975 『リサイタル/新しい愛への出発』(RCA
19741020日東京・芝郵便貯金ホール第3回コンサートから26曲を収録。4

<傷だらけのローラ>で全身からみなぎるばかりのシャウトを印象付けたヒデキ。ここではクールザ・ギャングの<Funky Stuff>、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ<恋の逃亡者(Satisfaction Guaranteed)>などファンキーなソウル・ナンバーをその歌唱に迫るように聴かせている。特に後者はテディ・ペンダーグラスに迫るほどのパワーに溢れている。
またロックの古典<Roll Over Beethoven>では、ELOのカヴァーを意識したであろうロック・スタイル、さらにディランの<Just Like A Woman>ではハードなアレンジで仕上げるなど、ここに収録された洋楽カヴァー12曲の聴きどころは多い。

1975 『ヒデキ・オン・ツアー』(RCA
1975年に敢行されたヒデキ初の全国縦断コンサートから20曲を収録。2

このライヴから演奏は藤丸BAND(とザ・ダーツ)が務め、編曲は惣領泰則が担当。自身のバック・バンドを得たことで、ヒデキに躍動感が増している。それはここで取り上げた半分以上を占める12曲の洋楽カヴァーで顕著に表れている。
それは吉野の提案で演奏されたグランド・ファンクの<Heartbreaker>や、当時頭角を表していたエアロスミスの<S.O.S.>などにしっかり刻まれている。
さらに藤丸とのデュエット<瞳の面影(My Eyes Adored You)>では、既に二人のコンビネーションが確立されているようにも感じられる。
またお約束の<青春に賭けよう>ではファンの大合唱が会場内に響き渡り、野外ライヴならではの解放感に溢れている。

1976 『MEMORY-20歳の日記)』(RCA
1枚目がスタジオ作、2枚目を1975113日に開催された日本のソロ歌手初の日本武道館公演を収録した変則アルバム。6 

初武道館公演はその会場を意識したかのように壮大な雰囲気を連想させる<バッハのトッカータ>で幕を開ける。そんなライヴ前半はゆったりとした感じだが、後半になると当時一大旋風を巻き起こしていたK.C.&ザ・サンシャイン・バンThat's The Way>をはじめ、ヒデキらしいエネルギッシュなセット・リストで会場を沸かせている。藤丸BANDとのコンビも1年を経過し、充実したプレイを聴かせてくれる。

1977 『HIDEKI LIVE’76』(RCA
1976113日に開催されたヒデキ2回目の日本武道館公演から21曲収録。12 

ライヴはジャケット写真に象徴されるような大人のエンタテナーを意識したものになっている。それは<恋は異なもの(What a Diffrence a Day Makes)>といったジャジーなカヴァーや、近作アルバム(注1収録曲からの甘い魅力に溢れたナンバーからもうかがうことが出来る。
もちろん武道館というキャパにあわせたスケールの大きなヒデキ・スタイルはディスコ調で披露している<夜のストレンジャー(Stranger In The Night)(注2)でもよくわかる。さらに同年に発表された『Wings Over America』を連想させるような藤丸BAND Featuringヒデキ然とした<希望の炎(Jesus Is Just Alright)><心のラヴ・ソング(Silly Love Song)>でのプレイはヒデキ自身もバンドとの一体感を楽しんでいるよう
な仕上がりだ。その姿はヒット曲だけでは語りつくせない彼の魅力が凝縮されている。

1978 『バレンタインコンサート・スペシャル/愛を歌う』(RCA
1978214日に日比谷公会堂で「新日本フィルハーモニー」との初共演ライヴから19曲収録。22 

このオーケストラ初共演はバンドを率いたロックなヒデキとは別の魅力を再認識することが出来る。ここでは<マイ・ファニー・バレンタイン>など洗練されたシンガーとしてのヒデキ、またランディ・ニューマンのセイル・アウェイ>といったマニア好みする曲をチョイスしているセンスも見逃せない。  
こんな贅沢なライヴでもファンとの一体感を強く感じさせているのは、会場内のファンの大合唱が始まる定番曲<青春に賭けよう>だった。補足ながら、この曲は後にアカペラでも歌われる(注3彼のライヴには欠く事の出来ないナンバーだった。
なお余談になるがここで取り上げているシュープリームスの<ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン>は、もしこの時点でロッド・スチュワートのカヴァー(注4を聴いていたとしたら、彼がどのようにチャレンジしたのか気になるところだ。

1978 『BIG GAME’78 HIDEKI』(RCA
1978年の722日に後楽園球場、816日ナゴヤ球場、826日大阪球場で開催された第1回スタジアム・コンサート・ツアー「BIG GAME'78 HIDEKI」から23曲収録。15位 

派手な爆竹音がけたたましく響き渡るオープニングは、当時全米人気の高かったブギ・バンド、フォガット(注5のナンバーとまさにロック・コンサート。ここでもバック・バンドU.F.O.を率いる吉野藤丸のギター・プレイは冴え渡り、ヒデキとのコンビネーションは抜群だ。
またロックの古典<朝日のあたる家The House of The Rising Sun)>を当時大ブレイクしていたサンタ・エスメラルダ調(注6に仕上げるなど、流行に敏感なヒデキらしさは健在だ。さらにドラマチックに歌いあげるアラン・パーソンズ・プロジェクトの<哀しい愛の別離(Some Another Time)>(注7は改めて選曲センスの良さを感じさせる。ここでのパフォーマンスは正にヒデキ・ライヴの集大成といった雰囲気に満ちている。

1979 『永遠の愛・7章』(RCA
1978113日の日本武道館のライヴで10曲収録。11

このライヴは吉野との共同作業によるオリジナル・アルバム『ファースト・フライト』の収録曲を大きくフューチャーしたもので、当然ながらヒット曲や洋楽カヴァーも抑えられている。
ここでの注目は、1980年代以降のヒデキを彷彿させるAOR調の新曲Love is Beautifull>。また桑名正博の<哀愁トゥナイト>(注8ではオリジナルの高中正義を意識したであろう藤丸のギターが炸裂している。
そんな最良のパートナーだった藤丸は、このレコーディングから誕生したOne Line Band(翌年Shogunに改名)の活動に専念するため独立。残念ながらこの二人の蜜月はこのアルバムが最後となっている。  
補足ながら、このような新作のプロモーションを兼ねたライヴ盤は郷ひろみや野口五郎も同時期に発表(注9)している。これはアーティストとしてアルバムに対する自信の表れとも取れる。

1979 『BIG GAME’79)』(RCA
1979824日に開催された第2回後楽園球場コンサートから17曲収録。12 

<ヤングマン(Y.M.C.A.)>が空前の大ヒットを記録したまさに絶頂期のライヴだ。ただ当日1971年に開催された暴風雨のGFRコンサート再現のような悪天候で、収録不能となり、スタジオ録音と差し替えられたパートもあるほどだった。
ここではヴィレッジ・ピープルの曲が3曲チョイスされ、中でも<ゴー・ウエスト>は人形劇「飛べ!孫悟空」(注10の挿入歌でなければ、シングルにしても良いほどの出来ばえだ。 
ディスコ・ヒットのキッス<ラヴィング・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You)>、ドナ・サマーの<ホット・スタッフ>などはありがちなところだが、最新曲でもあるトトの<愛する君にI'll Supply The Love)>(注11をチョイスするあたりは、いかにも音楽シーンに敏感な彼らしい選曲だ。
さらにここでの最大の聴きどころは雷鳴が効果的なSEとなって響き渡る中で歌うキング・クリムゾンの名曲<エピタフ(注12だ。そこにはヒデキらしい情念に満ちた幻想的な世界が醸し出されている。

 と1970年代のライヴをレヴューしたが、冒頭でもふれたようにヒデキは1980年代にも7作ライヴ・アルバムをリリースしている。参考までにリストだけ列記しておく。

1980.『限りない明日を見つめて』
   『BIG GAME’80 HIDEKI
1981.BIG GAME’81 HIDEKI
1983.HIDEKI RECITAL-秋ドラマチック』
   『BIG GAME’83 HIDEKIFINAL IN STADIUM CONCERT
1984.JUST RUN’84 HIDEKI
1985.'85 HIDEKI in Buddokan-for 50 songs

 最後に前回の追悼特集の末尾に1999年に、デビューから1985年までにリリースされたライヴ・アルバムのセレクション集がCD6枚ボックスで発売されていると紹介したが、そその詳細を記載しておく。

HIDEKI SUPER LIVE BOX  1999.12.16日 / RCA / RCA/RVL-20778
Disc-1. 『オン・ステージ』の一部、『リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!』の一部、『リサイタル/新しい愛への出発』の一部 
Disc-2.『バレンタインコンサート・スペシャル/西城秀樹 愛を歌う』の一部、『永遠の愛7章』の一部 
Disc-3.BIG GAME’78』の一部、『BIG GAME’80』の一部、『BIG GAME’81』の一部 
Disc-4.『限りない明日を見つめて』  

Disc-5,6.『'85 HIDEKI in Buddokan-for 50 songs-』


(注1)1976年6月25日発売の第6作『愛と情熱の青春』

(注21976年発表のベッド・ミドラー第3作『Songs for the New Depression』に収録されたヴァージョンをベースにしたフランク・シナトラの代表曲。

(注31996年のセルフ・カヴァー・アルバム『LIFE WORK』に吉野アレンジによるアカペラでのセルフ・カヴァーが収録されている。

(注41978年の『明日へのキック・オフ(Foot Loose And Fancy Free)』に収録。

(注51971年にサボイ・ブラウンのメンバーで結成されたバンド。1975年の第5作『Fool for the City』に収録されたSlow Rideでブレイク。その後も1970年代後半までライヴ活動を通じ人気を博す。

(注61977年に<悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood )>のヒットで一世を風靡したしたフラメンコ・スタイルのディスコ・グループ。

(注7)アラン・パーソンズ・プロジェクトの第2作『I ROBOT』(1977年)に収録されたバラード。

(注81970年代初めに「東のキャロル、西のファニカン」と呼ばれ人気を博したファニー・カンパニーの桑名正博。彼のセカンド『マサヒロ・Ⅱ』に収録された筒美京平書き下ろしのソロ・ファースト・シングル。この曲では高中正義がギターを担当、その演奏は編曲担当の萩田光雄さんが唖然とするほどだったという


(注9郷ひろみには『Narci-rhythmのプロモーション『IDOL OF IDOLS』(1978年)、野口五郎にはGORO IN LOS ANGELES,U.S.A.-北回帰線-』(1977年)をはじめとする海外録音数作でセッションに参加したメンバーが集結した10thANNIVERSARY U.S.A STUDIO CONNECTION.』(1980年)がある。


(注10)ザ・ドリフターズが吹き替えを担当した人形劇(1977-1979年)の挿入歌。主題歌はピンク・レディー。




(注11)ボズ・スキャッグスの傑作『Silke Degrees』(1976年)のセッションから誕生したバンド、トトのファースト・アルバム『Toto(宇宙の騎士)』収録曲で、セカンド・シングル。

(注12)英国のキング・クリムゾンが1969年に発表したプログレッシヴ・ロックの一大傑作『クリムゾン・キングの宮殿』に収録された叙情的名曲。

2018年7月11日21時