2018年1月24日水曜日

Murry Wilson's very rare SP record

Murry Wilsonのソングライター期の活動について米国での研究によって徐々に明らかになりつつある。
今回Murry Wilsonの楽曲を含むSP盤を当方は発見した。 


The Bachelors
If The Sun Took A Shine To The Moon/Happy,Happy Holiday(Murry Wilson)
Palace Record 111 




The Bachelors
Uncared For/I'll Hide My Tears(Murry Wilson)
Palace Record PA-116  

早熟の天才Brianに立ちはだかるMurry Wilson、作曲家として大成できず、屈折した愛情を息子たちへ注いだ、というのがもっとも人口に膾炙しているものであろう。これらは70年代Brian復帰待望論の中、いくばくかの肉親同士の軋轢はあれど、悲劇の天才Brianという彼の才能を際立たせるため、西洋古典文学にありがちな近親憎悪というテーマを引用し忠実に伝記類の中で物語を組み立てたにすぎない。
実際、息子たちの不安定なデビューと違い、父の楽曲はマイナーからメジャーレーベルで取り上げられ、短期間ではあったが安定したリリースの実績があった。
極めて初期に確認されている作品は、当時本人は30代半ば、1951年The Four Flamesの歌う「Tabarin」という曲である。



このグループは多くの変名で1960年代中期まで西海岸で活躍したヴォーカルグループで多くのレーベルからリリースしており、同曲はSpecialty傘下のFideltyからリリースされた。
またバージョン違いかつThe Hollywood Four Flamesの変名でUniqueよりリリースされる。 ほぼ同時期にBob WilliamsがFederalから、The TangiersがDeccaよりリリースしており、同曲は酒場で起きた失われた恋を情熱的に歌い上げる形式となっている。
Murryの手がけたラブソングは、報われない過去の失恋といったテーマが多く、Brianの楽曲にも同様の傾向があり、父の影響がある程度うかがわれる。
また同曲のクレジットにGuild Musicとあり本誌読者ならお気づきと思われるが、The Beach Boys誕生にあたり大きな役割を果たしたMorgan夫妻の音楽出版社である。
したがって、MurryとMorgan夫妻の交流はThe Beach Boys結成前からあり、夫妻を通じてMurryは音楽業界について理解を深めていったのだ。
1952年にMurryはある楽曲についてGuildと契約を結んだ。
「Two Step,Side Step」という文字どおりダンス曲である。
「Tabarin」とは違い陽気なノヴェルティソングでダンスステップも考案された。このステップは社交ダンススタジオによるもので同スタジオは会場をSanta MonicaにあるAragon ballroomにおいていた。
伴奏は後に有名になるLawrence Welk Orchestraが担当していた。
このAragon ballroomはRock’nroll時代の到来と共に急速に寂れるが60年代中期に若手ミュージシャンにより使われだして再び活気を取り戻した、The Doorsが本拠地にしていた時期もあったが後年火災で消失する。
「Two Step,Side Step」で再び本誌読者はお気づきかと思われる、評伝類は同曲をLawrence Welkの演奏によるラジオ放送の点のみ取り上げることが多く、つかの間の栄光に浸るアマチュア作曲家Murry Wilsonというイメージで描写していることが多い。しかし突然自分の曲がラジオでかかるというのは極めて不自然ではないのか?
Murryはオンエアされることをあらかじめ知っていた、しかもラジオ局へ事前の根回しなどのプロの仕事が介在しているのと推定されるのが自然ではないのだろうか? そもそも「Two Step,Side Step」とはいかなる状況で世間に出ることになったのか?
The Four Flamesの楽曲提供からMurryとMorgan夫妻の関係は良好であり、新たな曲の売り込み先を探していた。ちょうど同時期に地元のPalace Record社長Alfred Schlesingerは南カリフォルニアのラウンジで演奏する三人組を気に入り自分のレーベルからデビューを画策する。
Schlesingerは法曹資格を持ちながらレーベル経営者という異色の経歴を持つ人物で、不思議なことに数年後The Beach Boysがデビュー音源を巡って訴訟があった際は代理人として関与している、その後も音楽業界に詳しい弁護士として業界でも有力者となり、バンドBreadの設立にも関与していた。 その三人組の名はThe Bachelors、ただし同名の英国出身グループではない、メンバーにまだ十代のJimmie Haskellがいた。Jimmieは母の友人のお陰で音楽業界にコネクションがきき、後にImpeiralに入社し、Rick Nelsonのアレンジャーとして頭角を現し様々な分野で活躍する。サウンドトラックから“さだまさしまで”とにかく幅が広く、本誌読者へは怪盤California'99がお勧めである、Millieniumのカバーが秀逸だ。

話をBachelorsまで戻そう、Morgan夫妻がSclesingerの話を聞き接触があり彼を自宅に招き「Two Step,Side Step」のデモなどを聴かせ他結果Murryの楽曲採用を快諾した。

その後レコーディングが行われるが、スタジオは当時完成したばかりのGold Star Studio! 
Murryも現場に立ち会ったとのことで、なんと親子二代で利用したことになるのだ Schlesingerの回想からは「Two Step,Side Step」/「I'll Hide My Tears」/「Fiesta Day Polka」 とのことである。
ただしこれらの音源は今まで確認されておらず、「Fiesta Day Polka」自体BMIに登録されていない事実があった。「I'll Hide My Tears」は前述のThe Four Flamesの変名The JetsがAladdinよりリリースしておりR&Bやヴォーカルグループコレクターも一目置くレア・アイテムとなっている。
今回のSP盤の発見で少なくとも、Palace Recordのレコーディングは実在したことが裏付けられ、さらに現在まで未確認であった「Happy,Happy Holiday」まで発見された。
このことから「Two Step,Side Step」のリリースがあったことが推定されるが、Palace Recordのディスコグラフィについての研究はまだ端緒についたばかりのため今後の研究に期待したい。
「Two Step,Side Step」のThe Bachelors先行リリースがあったと仮定した場合Murryのラジオ放送の逸話もうまく繋がってくる、すなわちThe Bachelorsのプロモーションの一つとしてLawrence Welkへ演奏を依頼したのだ。番組からヒット曲が出ればレコードも売れる、同時にダンスのステップも全米で流行すればLawrence Welkの番組も人気が出るし、社交ダンススタジオも入会者が増えて、お互いにとって利益がある、というのが背景にあったと思われる。
The BachelorsはヒットしなかったがMurryはプロの一員として音楽業界に橋頭堡を築いた。これらを裏付ける資料は皆無であるが、後に同曲はカバーされており、RCA Victor/King/Decca/Recorded In Hollywood からそれぞれ別々の歌手が録音してシングルがリリースされている。
The Bachelorsの企ては失敗に終わったが、Lawrence Welkはこのラジオ番組がきっかけで全国ネットへ移行し、テレビ番組も開始し長寿番組となる。Aragon Ballroomにあった社交ダンススタジオは世界でも指折りの社交ダンススタジオへと成長を遂げている。 
(text by -Masked Flopper- / 編集:ウチタカヒデ)

 

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