2015年1月4日日曜日

☆私家版『宇野誠一郎の世界』遂に発売(濱田高志編)



濱田高志さんが私家版として出した『宇野誠一郎の世界』は、同じ出版に携わってきた人間として、まさに理想、究極の1冊だった。日本の作曲家という枠に留まらず、日本の音楽書としても、今まで読んだ中で最高の本であることは間違いない。これは断言しておく。宇野誠一郎が作曲した曲は「ひょっこりひょうたん島「ムーミン」「長靴をはいた猫」「悟空の大冒険」「W3」「ふしぎなメルモ」「アンデルセン物語」「チロリン村とくるみの木」「ネコジャラ市の11人」など枚挙にいとまがなく、まさに名曲の宝庫。1955年(本格的に開始した年)から無くなる2011年まで56年間に膨大な曲を作ってこられた。濱田さんと出会ったころ、日本の三大作曲家という話になり、「富田勲」「山下毅雄」そして「宇野誠一郎」と見事に一致して、変な言い方になるが、お互いに「さすがですね」なんて褒め合った事を思い出す。この3人の中でも濱田さんが最も交流が深かったのは宇野さんだ。濱田さんと宇野さんは40数歳も年が違っているが、孫ほども年が離れているにも関わらず、15年間も交流を続け、会えば昼も夜もご馳走になるほど話が弾み、自作を振り返ることをほとんどしてこなかった宇野さんの貴重な証言を丹念に集め、こうやって万人が読めるように残したのは快挙。上から目線の表現で申し訳ないが、褒めて褒めて褒めちぎりたい。音楽書を作る際に読者が最も求めるのは1番目にミュージシャン本人の回想と証言(自書含む)、2番目に一緒に仕事をしてきたスタッフの思い出、3

番目に詳細なディスコグラフィーだ。

本書は448P中、濱田さんらによる宇野さんへのインタビューが135P、宇野さんが井上ひさしのこまつ座のパンフレットに書き下したエッセイが114Pと、宇野誠一郎本人が語ったものがなんと249Pと全体の56%を占める。そして宇野誠一郎に捧げる文章は、NHKでの大ヒット人形劇「ひょっこりひょうたん島」「ネコジャラ市の11人」をはじめこまつ座の作品も常に宇野に曲を依頼しずっと宇野をリスペクトしていた井上ひさしからスタート、「チロリン村」での黒柳徹子、「ひょっこりひょうたん島」での中山千夏など超豪華な面々による寄稿が73P、そして濱田さんらがスタッフに対してインタビューしたものが44Pと計117P、リストはTV、映画、そしてラジオの作品を曲名ではなくリストアップしただけで25Pもあり、後に楽曲リストは補遺編として別途出版する予定だという。私が最も音楽書として最も重要だというページが計391Pと約9割を占める。こんな本が今まであっただろうか?宇野作品に対する一般ライターの思い出は31Pのみで短くまとめている点にも非常に好感が持てる。というのも最近の音楽出版社が出すムック本は、読みあきたアルバム解説と、ファンだというミュージシャンのインタビューと音楽評論家の文で本の大半を占めるイージーな作りをしていて、金返せ!いう本ばかり並んでいたからだ。完璧なディスコグラフィーと(本を出すなら当たり前。作れないなら出すなと言いたい)徹底的な音源比較さえあれば、十分に満足できるのだが、それすら適当な特集本も多いのだ。この濱田さんの作った「宇野誠一郎の世界」の爪の垢でも煎じて飲ましてあげたい。発行所は濱田さんが編集人で私も寄稿している「月刊てりとりい」とあるが、実際は私家本。限定1000部でイニシャルが入っている。少々高額だが、この本ならお釣りはいらねえって思えるだろう。なお、宇野誠一郎の楽曲はNHKの人形劇「チロリン村」「ひょうたん島」「ネコジャラ市」だけでも膨大な曲を書いているのに、当時NHK(他の局でもそうだったが)は2インチのビデオテープが超高価かつ大型なものだったため上書きでほとんど消してしまっていた。この3つの作品で2704話もあるのに、現存しているのはたったの「チロリン村」で4話、「ひょうたん島」で8話(カラー放送だがカラーで残ってるのは2話)のみ。「ネコジャラ市」はただの一話も残っていない。だからTVの仕事が多い宇野の素晴らしい楽曲の多くは消えて無くなってしまっているのだから惜しいという言葉では片づけられない。そして宇野は、過去の作品の執着がなく、当時の「ひょうたん島」などの楽譜はみな捨ててしまったというのだから驚かされた。しかしこの話を読んで思い出されたのは、日本アニメーション界の至宝、森康二だ。以前、森さんにインタビューした際に、自分の描いた設定や原画はほとんど持っていないと語っていた。理由を尋ねると「もっと上手く描けると思っていたから」だと言う。宇野の場合、「新しい価値観を生み出すため、過去のものに頼らないようにした」ので、その思いは違うが、過去には執着しないプロフェッショナルな姿勢は共通する。本書で私が興味を強く持ったのは、宇野は他の作曲家との付き合いはほとんどなかったが、早稲田のエースである宇野と、慶応のエースである富田は仲が良く、一緒に「シェルブールの雨傘」を見に行き、富田は自分がやりたい音楽はこれなんだと悔しがっていたというエピソードや、特に驚かされたのは宇野が富田より早くシンセサイザーを入手していて使っていて、富田が宇野にシンセサイザーを見て何?と尋ねていたこと。当時のシンセサイザーの操作性の大変さに宇野は諦め、宇野は富田には堪え性があったと語る。また宇野はメロディには全く関心がなく、リズムの探求のために音楽家になったと言い切る。素晴らしいメロディを書ける人なのに、まずリズムありきという姿勢に、ミュージカルを書かせたら右に出るものがいない宇野の原点を見た気がした。プロの歌手の技術力を嫌い、プロデューサーが連れてきた小室等が歌う「スナフキンのうた」を使わず、本物に対する価値が見いだせないとあえて上手いとはいえない西本裕行の歌を使ったことなど興味深い話が満載だ。この本は絶対に購入すべきだが、amazonなどでは手に入らないので濱田さんからの購入方法に添って入手して欲しい。(佐野邦彦)

[購入方法]

購入を希望される方は、「てりとりぃ」編集部 territory.tvage@gmail.com まで、
件名に「宇野誠一郎の世界購入希望」と表記の上メールにてお知らせ下さい。
到着後3日以内にお支払い方法を記載したメールを送ります。
*私家版につき、本書の書店販売は行ないません。

 


 

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