2007年8月3日金曜日

★第4回 宮古諸島ツアー2007

Journey To Miyako Island 2007








佐野邦彦




久々の宮古である。2002年から2004年まで3年連続で訪れた宮古諸島。珊瑚が波打ち際まで密生する宮古島・吉野海岸と、最も美しく最も静かな海を湛える多良間島という2大キラーソフトを持つ宮古諸島はいつでも魅力的だ。今、大人気の八重山諸島に一歩も引けを取らない。
そんな宮古旅行が迫っているのに、旅行会社の申し込みと多良間島への飛行機の予約が終わったあとは、ほとんど何の準備もしていなかった。夢中にやっていたのは買ったばかりの80GiPodに音楽とビデオ、そしてYou Tubeの映像を落とし込むことだった。
何しろ旅行の一番の難敵、天気がここしばらくいいという予報が出ていたため、安心しきっていたのかもしれない。結局、個人的な準備は前日、それも会社から帰って始めるといういいかげんさ。まあこれも沖縄離島旅行8回という経験のなせる業、ほどなく準備は終わり、あとは寝るだけ...といきたいところだったが、結局iPodというオモチャにかかりきりとなりその日は徹夜となってしまった。


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 今回の宮古も、昨年の八重山に引き続きオリオンツアーを使った。ホテルのグレードをビジネスホテルクラスにすると、ここのツアーがやはり最安値。宮古島の直行便は朝の720分と、石垣島に比べ1時間遅いので、朝起きるのは楽だ。もっとも私は徹夜だったので関係なかったが。車で羽田空港に到着した際に二男がポツリと言った「明るいね」という言葉が、その1時間の差を表している。飛行機の中では、iPodが役に立ち、ビートルズのプロモビデオや、私の永遠の憧れの地であるギアナ高地の録画番組などを見ている内にあっというまに3時間が経ってしまった。
 宮古空港へは1020分に着いた。レンタカー付プランなので、指定されたスカイレンタカーという看板を持っている人を探すと、ワゴン車で事務所まで行くのだという。それが当然なのかもしれないが、今までは空港でそのまま渡し→ガソリン満タンで鍵をかけないで空港戻しというお気楽な会社ばかりで、そのゆるりとした雰囲気が好きだったので、ちょっとガッカリ。事務所では事故の免責の保険料、4日分で6千円がプラスで取られ、これも今までなかった事。大手はしっかりしてるわ...何かあっても安心だ、なんて思えばいいんだろうが、さらにちょっとガッカリ。
気を取り直してさっそく平良港に向う。宮古島は常にレンタカーで動き回ってきたので、土地勘がある。馴
染みのような道は走っていてどこか心地よい。平良港ではすでにフェリーゆうむつが着いていた。往復で買うと3000円と安いのだが、1140分発のこの会社のフェリーだと戻る便が1520分と遅いため、「次の計画」に間に合わない。「次の計画」は今のところ秘密だ。
そのため片道にして帰りは1430分発のフェリーはやてを狙う。多くの車とすし詰め状態でフェリーは出発、わずか25分で伊良部島へ到着した。宮古島から伊良部島までの橋が2012年には完成するのだという。全長7km、無料の橋としては日本最長だそうだ。この橋ができると伊良部島は劇的に変わるだろう。そして伊良部とほぼ地続きの下地島にある下地島空港、ここは沖縄県内で最大規模の3000m滑走路を持ちながら現在は民間のパイロット養成のための離発着訓練でしか使用していないのだが、この空港の使い道も大幅に変わるはずだ。そして今日のお目当てのひとつがその下地島空港なのである。




伊良部島に渡るのは初めて宮古へ来た2002年以来であり、その時に立ち寄った伊良部島のスーパー、Aコープの「とんかつ弁当」が忘れられず、まずAコープへと向う。店の雰囲気は5年前とまったく変わっていない。すすけた感じの、いかにも田舎のスーパーだ。
しかしお目当ての「とんかつ弁当」は無かった。「とんかつ」と「ライス」はそれぞれ別に買ったのだが、以前購入した「とんかつ弁当」は大きなとんかつがごはんに載っていて、なおかつ300円と激安価格で感動したものだった。組み合わせれば同じなのかもしれないが、バラで買うと四百幾らになっていて、あの「えっ、このボリュームでたった300円!」というインパクトがない。お金の面では微々たる違いなのだが、インパクトが無ければ、別に東京で買うのと変わらない。買ったあとに別なのにすれば良かったかなとちょっと後悔する。
エキゾチックな南国風の植物が両脇に並ぶ伊良部の道を快調に走り、何の標識もないうちにどうやら下地島に入ったようだ。空港の周りは民家がなくなる。ちょっと迷ったが、空港を囲む周遊道路に入ると、車の上に三脚を置いて「ベストショット」を狙う飛行機マニアがすぐに目に入った。ただここまで来られる人はそう多くないと見え、パラパラ散見する程度。
そして待ち望んだ、下地島空港沖の海に出た。この海の色は特別だ。深く、輝く翡翠色で、他の海とは明らかに違う。淡い翡翠色の海は、白砂の珊瑚礁のビーチではどこでも見られるのだが、この絶妙な色の濃さは他にはなく、強いていえばボラボラ島で見たあの色といえば分かる人は分かるだろう。その美しい色が水平線まで続いていて、まさに絶景だ。この海に、ジェット旅客機が超低空で真上を飛んでいくのだから、こんな素晴らしいポイントはない。「車を止めないでください」という看板は出ているが、15分に一台程度しか車が通らない交通量なので、申し訳ないが車を止めて、飛び立つ飛行機を眺めることにする。


今日は以前来た時とは逆向きで、飛行機は空港から海の方へ飛び去っていく。美しいこの海の彼方から機影が現れる方が良かったな...と思ったが、それは贅沢か。ただ、ジェット機は最初の内だけで、その後は双発のプロペラの練習機のような機体の飛行機だけが訓練を続けていた。機体が小さいので、迫力の面でいまひとつ。しばらくその飛行機のタッチ・アンド・ゴーを眺めて、空港を後にした。
1430分のフェリーはやてには、かなりの余裕で間に合った。しかしこのフェリー、車の載るスペースが非常に狭く、もう1台が後に入れただけで満車となった。逆に船室はうぶゆうに比べてとてもきれいで、なんとも対照的なフェリー2社の違いにちょっと驚いた。ただ乗った船の種類だけの問題かもしれないが。

宮古島に戻ったら、「次の計画」に移るだけだ。時間は35分程度、間に合うか...。車は北に向って出発、まずは「池間」を目指し、途中で「島尻」の方向へ曲がる。こちらへ向うのは初めてだ。
島尻とは、あの「パーントゥ・プナハ」で有名な、小さな集落である。パーントゥとは来訪神で、旧暦の9月に2日間だけ行われる祭りに現れる。その3体の来訪神は全身にキャーンと呼ばれるつるを巻きつけ、顔には不気味な仮面、片手にはグゥシャンという名の杖を持ち、そして体の全てがンマリガーという井戸の底に溜まったヘドロのような泥で覆われた、異形の神である。ナマハゲなんて目じゃない、こんな恐ろしい姿の神なんて他に見たことがない。唯一対抗できるのが八重山のアカマタ、クロマタ、シロマタという来訪神だが、こちらは写真どころか録音もメモも禁じられた秘祭なので、見ることすら難しい。このパーントゥは誰でも見られるが、その代わり集落を走り回るパーントゥに泥を塗りたくられてしまう。それが慣わしだ。このパーントゥは私が是非実際に見たい祭りなのだが、夏休みの後なので時期が合わずに断念している、残された大きな課題のひとつだ。
ただし今までの記述はお勉強。今日、島尻に来たのはパーントゥとは何の関係もない。島尻港から出発する大神島行きの船に乗るためだ。それが「次の計画」だったのだ。1530分発とあるが、1520分に着いたのに人気がまったくない。本当に船なんて来るのだろうかと少し心配になっていたら、時間通りに船が現れた。この港は特殊な作りで船着場の目の前が防波堤になっているので、直前まで船が入ってくることが分からない。
大神島は人口48人の離島で、神事が多く、島の多くが立ち入りを禁じられた神秘の島である。池間の沖に浮かぶ、きれいな円錐形を描くこの島は、その島の形の美しさもあって前から気になっていた。しかしまったく観光化されず、宿泊施設もないため、行ったら日帰りしかない。
そんな大神島へはニューかりゆすという船が15便出ており、所要時間は15分程度なので、行くのはとても簡単である。往復で670円と、料金も安い。


この便で出ると帰りは17時大神発しかないので、島の滞在時間は1時間15分しかない。しかし、目当てはこの島の頂上の展望台だけ、島の形から分かるとおり登るのは辛いそうだが、1時間で充分往復できるらしい。翌日からは神事が始まるため登山は禁止されるそうで、今日間に合ったのはとても運が良かった。
船員は島民と思われるおじさんが3人で、到着するやすぐにその船員のおじさんに登山道を聞いて登り始めた。登りがきつい上にこの日は暑く、さらに風がまったくない凪状態で、サウナ以上の暑さだ。うんざりしてきたところに、先ほどの船員の一人のおじさんが、バギーのような車で近づいてきて「乗ってきます?」と声をかけてくれた。まさに助けの船、家族4人で乗らせていただいて、最後の難所である階段の登山道の入り口まで送ってもらった。
ここからは延々続く階段を一気に登るしかない。立ち止まると気合がなくなりそうだったので、休まず黙々と登っていった。途中、トラップのようにクモの巣があり、そこには10cmはあろうかという巨大なクモがいるため、足元だけ見ていると悲惨なことになる。いくつかのクモのトラップを抜けると、ようやく頂上の展望台に着いた。
宮古島から池間島へつながる美しい海を堪能できるはずだったが、この日は晴れてはいるのものガスのような雲がけっこう出ていて、あまり海が輝いて見えない。それにも増して、あまりに暑すぎて景色を味わうという心の余裕が一切奪われてしまった。記念写真をとるとほうほうのていで坂を下っていった。

頂上は地獄の暑さで茫然自失状態。一刻も早く下山。

道すがら、島民の民家が目に入る。まったく窓ガラスはおろか壁らしいものがなく、柱と屋根があるだけのあずまやのような家。部屋の中央に島の老人が座り、ちゃぶ台を挟んで奥にあるテレビを見ている。頭の後ろには蚊帳がつってあり中には布団がしいてある。あまりにシンプルであまりに無駄が無く、あまりに合理的なその暮らし。貧しい暮らしのようにも思える。でもこの暮らしを老人はずっとしてきたのだろう。あまりにも暑い、宮古の夏を過ごすには四方を風に囲まれたこの家が正解なのに違いない。
港へ戻るととにかく自動販売機を探す。ジュースの自動販売機は小屋の中にあり、その小屋の中には島民が殺人的な太陽光線を避けるように座り込んでジュースを飲んでいた。つめたい飲み物を一気に飲み干すが汗がとめどもなく噴出してくる。
子供たちは水道を見つけ、頭から水をかけて少しでも涼をとろうとしていた。そうしていると別の船員のおじさんが先のバギーのような車でやって来て、「島内を見てみます?」と誘ってくれた。
とてもこれ以上、歩いていく気力がなかったので、ありがたくみな車に乗せていただいた。まずは島を半周する道路の端まで行き、頭が大きいが接地している下の部分が極端に細くなっているキノコのような岩が立ち並ぶ不思議な風景を見せてくれた。そしてまた車に乗り、半周道路の反対側まで先まで連れていってくれ、島の端から端まで(周遊道路はない。昔作ろうとしたが、事故が相次ぎ、やはり神の島、これ以上作ってはいけないのだと断念したそうだ)案内してもらった。
この島民でもある船員の方たちの重なる親切に本当に心が満たされた。特に絶景を見たわけではなく、暑く快適なことがまったくないこの日の大神島だったが、船員の方達の親切によって大神島は大好きな島になった。これで宮古・八重山で訪れた島は17島になった。

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宮古島といえば八重干瀬(ヤビジ)である。この池間の沖にある巨大珊瑚礁群は南北約10km、東西約6.5kmもあり、春から夏の大潮では一部が水面に現れることから「幻の大陸」などと呼ばれ、宮古島屈指の名所と言えよう。
毎日多くのシュノーケンリング、ダイビングの客を乗せ、アクアショップの船が行きかっているほどだ。3回も宮古へ来ているのに、昨年までシュノーケンリング・ツアーに申し込んだことがなかったため、この八重干瀬に行ったことがなかったのだ。宮古島で八重干瀬ツアーを開催しているアクアショップは20以上もあるが、池間の沖なのでその近くの池間島のショップを使うのが合理的だ。そこでアクア・ベースというショップにインターネットで既に申し込んでおいた。ホテルのある平良から池間島までは車で30分くらいかかるがこのショップは迎えに来てくれる。
9時、約束の時間通りにピタリとワゴン車で迎えにきた。途中、別のホテルの若い女性の4人組もピックアップし、池間島へ一直線に向う。池間大橋にさしかかるとあの翡翠色の海が目の前にパッと飛び込んできた。そうか、いつも乗用車で視点が低いためガードレールで視界が遮られていたが、ワゴン車からだとこんなに視界が広がるのかと、もう10回近く渡っている橋なのに、目を凝らして景色を眺めていた。池間島へ入るとショップへほどなく着いた。するとかなり多くの客のグループが集まっていて、わさわさした中、ウェットスーツを着用することになる。
初めて着るウェットスーツは着づらく、そして非常に暑かった。そのため、みな上半身は脱いだ状態にして、船へ乗り込んでいく。船は少なくとも2艘はあり、私たちの載った船は我々と、行く道で一緒にピックアップされた先の若い女性4人組、その他2家族の計13人が客で、インストラクター1名、船長1名がスタッフ、みな揃ったところですぐに出航となった。全員がシュノーケリングで、ダイビングの客と一緒でないのはいい。ダイビング組と一緒だと、二の次扱いになってしまうことがあるそうだ。
天気は快晴、波もなく、船は快調に滑り出した。ほどなく池間大橋の下をくぐっていく。



八重干瀬は広大なので、しばらく走ってシュノーケリングのポイントになった。こういったポイントには船をつなぎ止めるためのロープがちゃんとあって、インストラクターがまず海に飛び込み、そのロープを探して船へ結びつける。
我々はウェットスーツの上にライフジャケットを着用、完全装備で海へと飛び込んでいく。みな経験者だったので、各自ゴーグルに曇り止めに自分のつばを塗って次々と海へ飛び込んだ。海中はみごとな珊瑚群でお花畑のようだ。魚はデバスズメとヒフキアイゴ、ヤッコの仲間が多い。ツノダシを見て「エンゼルフィッシュだ」なんて言っている人がいたが、それは淡水魚。この日は3箇所、シュノーケリングのポイントを回ったが、浅いところ、けっこう深いところで珊瑚や魚の種類が変わるので、それぞれに見所がある。干潮時にさしかかっていたので、浅い部分は浅く、ウェットスーツでないと珊瑚ですり傷を負っていただろう。そしてその引き潮の流れがけっこう強く、泳いでいないとどんどん流される。流されていると、船の上の船長や一緒に泳いでいるインストラクターから「流されていますよ」と声がかかる。
流れとは逆の方向にまず泳いでいき、あとはその流れに戻されながら観察をするのがいいそうだ。珊瑚の間にはけっこうな数の不気味なオニヒトデがいた。珊瑚を食い荒らすこのオニヒトデを、モリで片っ端から突いて殺してやりたいと思ったが、家族もみなおなじ思いを持っていたようだ。もっともこのオニヒトデは希少種や生育に長い時間がかかる珊瑚は食べずにすぐに大きくなる珊瑚ばかり食べるそうで、きちんとした珊瑚礁を築くには必要な存在らしい。まったく自然の配置には恐れ入るばかりだ。人間が環境を破壊するので生態系のバランスが崩れ、オニヒトデの大量発生、珊瑚の白化(水温の上昇による)、さらにエチゼンクラゲやアカクラゲの大発生などのよくない現象が起こるのだ。こういった美しい海の生物の共存群を見ると、我々がすべきことはまずは環境の保護だと改めて思う。
でも東京に戻ったあと、クーラーを切って扇風機で...といかないところが弱いところ。せめてもとレジ袋不要、割り箸不要と告げるだけなのがちょっと情けない。



3回目のシュノーケリングではけっこう疲れていて、もうこれで終わりがいいなと思ったところで、本当に帰港になった。インターネットで申し込んだので割引があり、こうして1日案内してもらい、船内での食事と飲み物もついて、さらに全ての道具のレンタル、ホテルまでの送迎付で一人7500円なのは安い。その内の500円程度は漁協に払う「海面使用料」なので、実質7000円くらいだった。
ホテルへ送ってもらって部屋へと付いたら、みんなの水着を入れた大きな袋がないことに気づく。ショップに問い合わせると置き忘れてあるという。せっかく送ってもらったのに...とブツブツ言いながら、私は妻と一緒に車で逆戻り、しかし渋滞というものがない宮古のドライブは快調そのもので気持ちがいい。
帰り道、池間島の橋のたもとにあるおみやげに行って、サザエのつぼ焼きを買って初めて店の屋上の休憩スペースへ登っていった。そこから眺めると対岸の宮古島にきれいなアーチを描いてのびる池間大橋、その向こうには羽は4年前の台風で唯一倒れなかった風力発電の風車がやっと修理されゆっくりと羽を回しているのが見えた。そして目を転じると昨日行った大神島が神々しいフォルムを携えて沖に浮かんでいる。海は翡翠よりも群青に近く、またこの色も絶妙だ。忘れ物をしたせいでいい景色を見せてもらった。世の中はそんなもので、マイナスはプラスにつながることが多い。マイナスは次にいいことが起こるということだ。最近はこうしたプラス思考で、マイナスは無視するようにしている。
帰り道、毎年立ち寄っているアジアン風の雑貨店「雑工材空」へ寄り、ウチの愛猫2匹に壊されてしまったガラスのヤドカリを買い、その向かいにある沖縄にしかないハンバーガーショップA&Wへ寄る。
A&Wは宮古島と石垣島は一店ずつあるのみ、飲んだことのある人は分かるだろうが、ドクターペッパーのような味の「ルートビア」を思わず注文してしまう。これはタイと沖縄に関する著書が多い下川祐治さんの影響で、下川さんがあまりにルートビアがうまいと絶賛し(ただし下川さんの家族はみなまずいと言っているとの記述がある)宮古島へ来たら必ず注文すると書いてあったので、私も宮古島にはじめて来たときに真っ先にルートビアを注文したのがきっかけ。最初はこんなまずい飲み物はないなと後悔したものだが、なぜか次に来るとまた注文してしまい、4回目の宮古でようやく好きになってきたようだ。というのもこのルートビアは店内ではおかわり自由で、はじめておかわりをたのんだからだ。そういえばパクチーがそうだった。自宅のすぐ近くにある上町のアジアンレストラン「サイゴン」で初めてパクチーを食べたとき、全てがパクチーの味になってしまってこれは人間の食べ物ではないと思ったほど嫌いだった。もともとサンショやミョウガといったにおいのキツイものが嫌いなので、当然パクチーはダメだったが、妻が少量のパクチーをカレーの中に混ぜ、こうやるとけっこう美味しいよって食べているのを一口もらっているうちにだんだん好きになり、そのうちフォーにも入れるようになり、いまや自分の家でトムヤムクンを作るときはスーパーで買ってきたパクチーで皿が山盛りになるまでに好きになってしまった。次に宮古に来たときはルートビアがもっと好きになっているかもしれない。


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宮古島に来たら、吉野海岸は必ず行かなければならない場所だ。こんなに波打ち際まで珊瑚が群生し、そのため多くの魚が見られる場所は、八重山を含めても他にはない。
ただ吉野海岸は駐車場が出来、海岸へは送迎車のピストン輸送になったと聞いた。あまりに狭い急坂で、満足な駐車スペースもないこの海岸はそれまで本当に来ること自体が大変だった。だから朝早く行かないといけなかった。ゆっくり来た車は止められそうな駐車スペースが無くなってしまうため、となりの新城海岸(ここも吉野海岸ほどではないが、珊瑚と魚が多い)へ向うよりなかった。
確か以前は吉野海岸への曲がり道は、小さな木の看板だけだった記憶があるが、今はとても大きな「吉野海岸」という手作りの標識が作られていた。その方向に曲がると整備された駐車場があり、レンタル機材のショップが並んでいる。トイレもきれいだし、着替える場所もある。駐車料金500円を払い、ショップでフィンなどとパラソルのレンタルを申し込むと、すぐにワゴン車が海岸まで送ってくれた。既に接地されているパラソルは4人分のチェア付だ。パラソルがずらりと並び、訪れる人は前より明らかに多い。知る人ぞ知るビーチという感じが無くなってしまったのはちょっと残念な気もする。しかしやはりここの海は素晴らしい。


珊瑚の間を縫うように進みながら、魚や珊瑚を探すが、珊瑚は死滅しているものが多く、せっかく育ったアオサンゴが何本も折られているのを見て複雑な気持ちになる。珊瑚を傷つけないように細心の注意を払うという基本を、海岸に訪れる人にパンフレットを配るなどして、注意喚起をした方がいいのではと思った。
午後の干潮時には珊瑚の多くが水面に姿を現してくる。以前行った時にはその珊瑚の上を歩いてリーフ際まで歩いていく無法者を何人も見た。今日もきっとそういう連中がいるだろう。海岸に監視員を置くか、注意喚起するなどしてこの自然を守らないと、いつか魚がいなくなり、人気の無い海岸になってしまうだろう。海岸でこんなにシュノーケリングができる場所は他にないだけに、大切に環境を守ってもらいたい。
昼になって干潮が近づくと、珊瑚が海上に現れて景色が悪くなるし、また泳げなくなるので歩くしかないのだが、すると生きている珊瑚を傷つける可能性が高まる。
そのため午後からは前浜ビーチに移動し、東急リゾートで主催しているバナナボートなどのアクティビティを利用しようと、吉野海岸を後にした。海岸線の道はやはりドイツ村あたりでいまだに工事中で通れなくなり、迂回をしたが、道をうっすら覚えていたので、迷わず前浜に到着できた。ここは見るにはとてもきれいなビーチだ。白砂の海岸が延々と続き、海の向こうには来間大橋が池間大橋よりなだらかな曲線で来間島までアーチをかける。




しかし魚や珊瑚はいない。初めていく東急リゾートは、今まで行ったホテルとは別世界で、きれいに整備され、緑も多く、これぞ南国リゾートという感じだ。マリンレジャー専門の窓口へ行き、一番スピード感のあるものはと訪ねたらバナナボートを勧められた。まず子供二人が体験し、最高だと言うので、次は妻も乗って3人で再び海へ消えていった。
遠い沖でジェットスキーに引っ張られたバナナボートがすべるように弧を描きながら進んでいくのをぼうっと眺めていた。ああまた無事にここまで来られたんだ、天気も良くて本当によかったなと、このツアーの主催者である私はひそかな満足感で満たされていた。幸い前浜では雲が出て陽が遮られたので、白砂の海岸で待っていても考える余裕が出る。
 今日の夜は初日に続いて再びホテルの横にある西里の「なみ吉」。ここは予約がないと入れない可能性が高いので、しっかり予約を入れておいた。二男がここの鳥のから揚げをえらく気に入っているので今日もいきなり3つ注文する。私はここのソーメン・チャンプルーが大好きだ。ソーメンをゴマ油で炒め、塩で味をつけ、さいごにカツオブシをパラパラふりかけた、何の具も無いシンプルなものだがメチャクチャ美味い。これは一人で2皿は食べたいのでこれも3つ注文する。宮古島は二男にとって昨日の「レオン」のステーキ定食と合わせて美味しいものばかり食べられるので、食生活面でも満足できる最高の島であり、大満足のようだ。もう大学1年の長男は、来年は飲めるねと言っている。(まじめだ)来年は石垣島。その時は二人で酒を飲んでいるのだろうか。


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宮古島まで来るとやはりお気に入りの多良間島へ行きたくなる。飛行機の移動なので費用はかかるが、ウカバの海にはそれだけの価値がある。
レンタカーは島で有償運送をしている羽地さんに過去2回ともレンタカーを借りたので、相当前に予約を入れておいたが、昨晩、念のため電話で確認すると「聞いてない」という返事。正確に予約を入れた月日を告げると、「じゃあ明日車に来て」というので、いつもどおり空港に別の車が用意されていると思っていた。羽地さんが運転するワゴン車に行くと、「車に乗って」と言われ、車は集落へと向っていく。まず先に乗っていた島民を降ろすと、レンタカーの看板を出してある人の家に行き「ある?」「ないね」、なんだ車を用意してないじゃないか。もう一軒のレンタカーをやっている店でようやく空きがあったので、私は一刻も早く借りたくて先に下りて書類を書いていると、後から降りた妻が4人分1600円払ったよと言う。えっ、金取るの?自分の責任だからこれは無償だと思っていた。それだったら初めからレンタカーの店に予約を入れておけばそんなお金は不要だし、何よりも時間が短縮できた。まったくひどいものだ。もう二度と羽地さんには頼まない。
今は干潮時間が1431分と1050分に空港に着いたらすぐにウカバに向わないとどんどん干上がってしまう。この一件で1時間近く時間をロスしてしまった。
ウカバ・トゥプリの入り口は、沖縄電力の風車の手前の自動販売機を左に曲がったところだ。看板などない、知る人ぞ知る海岸なので、目印を覚えておかないと迷うこと必須だ。3年ぶりに見るウカバの海に思わず息を飲む。ここははるか彼方の沖にリーフがあるので海全体が珊瑚礁の翡翠色で覆われている。延々と続く白浜は太陽光を強烈にはねかえし、眩しくて目を細めていないと目が痛くなってしまう。目を細めながらでしか眺められないウカバの海はあまりに美しく、あまりに眩しく、あまりに静かで、現実感すら乏しくなってしまう。幻想的な、白昼夢のようなウカバ。このウカバにはいつも他に誰もこないので、ずっとプライベートなまま、この贅沢さがたまらない。ただ写真を現像してみると引き潮のためけっこう下の砂地が現れてしまっていて、また海草の黒い部分も見えていて、翡翠と群青が交じり合う最高の時間に来られなかったことが今でも残念だ。まったくあの羽地のオヤジ...。





遠い沖の方に大きな岩が転がっていたので、ひたすら歩いてみた。珊瑚の残骸をざくざく踏みながら進むと、時折肩くらいまで海水がある部分があり、そこはシュノーケリングしながらさらに先に進む。振り返るといつしかひとり浜辺に残った妻の姿は小さすぎて見えなくなっていて、もう5,600mは進んだろうか、それでもまたリーフエッジは彼方にある。最期の大きな岩まで到達したところで引き返す。浜辺に戻った頃には2時間以上経っていた。


車に戻り、着替えはすぐ近くの設備の整ったふるさと海浜公園へ行く。ここでシャワーを浴び、着替えて、濡れた水着はコンクリートの上に干しておく。あずまやのベンチに座ってジュースを飲みながら、沖に横たわる水納島を眺めると、聴こえる音は波がないのでただ風の音だけ。東京では決して体験できない贅沢な静けさだ。ひとり先客がいたがその人もいなくなり、観光客がほとんど訪れない多良間の良さを堪能することができた。
あの対岸の水納島は、1家族しか住んでいないが、宿泊施設はあるのでチャーター船を使い食材持込で行くことは可能だそうだ。いつか行ってみたいな。先日見た「トシガイ」という深夜番組で、竹中直人が自分でやってみたかったこととして、宮古から多良間へ渡り、チャーター船で水納島へ行き、そこで捕虫網でセミを取っていた。竹中もそんな夢を持っていたんだ、少年みたいな奴だなと思ったが、振り返ってみると自分と一つしか齢が変わらないし、仲間を見つけたみたいで、少し嬉しくなった。
夕方の飛行機で宮古に戻るが、今回は1920分の直行便で帰るので、時間がある。ホテルへ荷物を取りにいきながら、「レオン」で今度は全員ステーキ定食を頼んでみた。ステーキは柔らかくステーキソースも美味しいし、これにスープ、サラダ、ライスが付いて1100円は安い。やはり宮古はいいと、さらに大満足の二男。長男は4年になったらゼミで行けないなと言っているので。あと2年は行くつもりだ。
宮古へはまた2年後に必ず行こう。でも八重山は八重山の楽しさがある。子供達は西表島でシーカヤックをやりたいと言っているが、8kmも漕ぐ体力はもうないので、子供達だけで行ってもらって私と妻は別のツアーに入ろう。再び波照間島、黒島に行きたいし、新城島の上地島の方へも行ってみたい。既に計画は半分立ててある。今日からまた1年だ。こうやって離島へ行くために1年があるのだ。また楽しみができたな。










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