2020年1月19日日曜日

The Beach Boys, 1969: I’m Going Your Way (Capitol/UMG, 2019)


2020年を迎え、来年はThe Beach Boysもデビュー60周年を迎えることとなる、50周年の際はBrian一派を復帰させたが、来年はどうなることだろうか。
The Beach Boysの名跡はMike一派が長年取り仕切り、Mikeの新年のTwitterでは 自身の家族との写真を多用し、家族の繋がりやその価値の大切さを強調している。
これは共和党保守系シンパならではの所作であり、来る大統領選挙へのアピール なのかそれともBrian合流への秋波であるのだろうか?
2019年の年の瀬にようやくリリースとなった本作である、収録曲は3曲と少ない。理由としては既発表曲が多いのと、現段階では噂であるがSunflowrセッション周 辺の音源を集めたボックスセットのリリース前のサンプラーE.Pとしてのリリース であるとの憶測もある。

1969年のThe Beach Boysといえば低迷期の真っ只中であり、レコード及び興行 の米国内収入は落ち込み、年初リリースのアルバム20/20も国内セールスも同様 に伸び悩んだ。20/20とは日本で言うところの視力1.0である、視界良好どころか先のことなど見通せる状況ではなく自ら置かれた窮状への大きな皮肉となっている。


1969年4月のマネジャーのNick Grillo主導によるCapitolへの再監査そして訴訟、それらは主にCapitol側の売り上げやロイヤルティの過少計上などによるものであった、(1967にCapitol側へ同様の申し立てを行い、Brother Record設立とCapitolとの1969年中の契約満了という点では決着していたが)このことからCapitolとの関係はさらに対立を生んでいく。

Capitolとの契約解消を伝えるBillboard紙4月12日の記事
上記の記事では、訴訟はもちろんのこと、今後はBrother Recordを中心に原盤制作や他のアーティストのマネジメントや興行プロデュース、金融、医療、と多方面に渡る活動がうたわれており、また、16トラックレコーダーを備えたスタジオ建設まで約束していた。
華々しい未来を訴えながらも、Capitolとの契約解消が将来到来することに備えて、新たな契約先としてドイツ資本のDeutsch-Grammophoneレーベルに白羽の矢が建てられた。理由としては当時まだまだ海外での興行及びレコードセールスは順調であり特に英国での人気は衰えていなかったのでヨーロッパ市場の維持を考えていた。
ところが急転直下契約の話は立ち消えとなる、5月下旬シングルBreak Awayのリリースに先立って英Disc & Music Echoの記者のインタビューでなんとBrianが「2年近く前から実はThe Beach Boys帝国は崩壊の危機にあって財務上問題を抱えている」旨の発言をしてしまったからだ。現に上記の通り人気やセールスは低下し、Brother Recordからの様々な出資は不動産事業、医療機関、金融事業、マーチャンダイジングなどに投資されたものの、日本のタレント商法の末期と同様、回収不能となっていた。


 1969年5月30日付けのDisc and Music Echo見出しが「僕らは破産寸前!ビーチ・ボーイズ」

これでもか、というくらい不幸続きが頻発してしまうと、モチベーションも下がる と思いきや、1969年のレコーディング・セッションではForever,San Miguel,Got To Know The Woman,Celebrate The News,Slip On Through,とDennis作の名曲が上半期だけで集中して生まれている。このことはDennisの制作活動の活発さを物語っている。以下3曲を紹介させていただく。

1.I'm Going Your Way (Alternate Vocal Take)-Dennis Wilson- 

録音は7月8日Wrecking Crewの根城であったGold Star 
冒頭のカウントはHal BlaineでDennisが"Pick up those sticks"と叫んでいるのを聴くことができる。
長らくブートレグで出回ったきたタイトルではCalifornia Slideでおなじみの同曲であるが、本作ではブートレグで聴かれているヴァージョンと若干異なり、ヴォーカル部分が本作では重ね録りして2トラックでややステレオの位相を構成しているが、 ブートレグではシングルモノトラックであり、歌詞の2番目のあたりからブートレグではタンバリンの音が入っている。
両サイドのギター(Ed CaterとMike Deasy、前年MikeはTerry Melcherと同道しMansonの元を訪れ録音を手伝っていた)もブートレグでは埋もれがちな音質に対して、本作ではクリアになっている。おそらくMark Linettの手によるマスタリング時のEQあるいは、オリジナルの8トラックマルチマスターからギターパートを抜き出してシンクロさせているのかもしれない。
他にもまだ数十のテイクが存在しているらしいので、今後リリースかもしれないボックスセットに期待したい。
歌の内容については確かにヒッチハイカーの女性との逢瀬、そして性的な内容を暗示させる内容である。歌詞は未完成とはいえ、当時のCapitolのお偉方としてはリリースに踏み切れない部分があったであろう。初正式リリースの本作は未発表の背景としてManson Familyとの関係が取りざたされている。さらに深読みすれば、やはりMansonの思想との連関性に気づかずにはいられないのだ。
本作のレコーディングから一ヶ月を過ぎた直後の8月9日にManson主導のSharon Tate殺害事件が起きている、その背景にあるのはManson自身の終末思想であると 裁判では結論づけている。終末思想とは、いずれ到来するMansonが統治する世界の 前に人種間の大戦争が起きるという世界観を指し、The BeatlesのHelter Skelterが 歌詞の中で予言しているとMansonは思い込んでいた。


英国内のHelter Skelter 

実際のHelter Skelterは遊園地などにある遊具である。上の画像の通りぐるぐる回る 滑り台であって、この無意味な大騒ぎの様をThe Beatlesを楽曲にしただけであり、 ラウドロックの元祖となった。
Mansonはこの上昇下降の大騒ぎを人種間の支配が入れ替わる階級闘争と解釈し、ハルマゲドンが近づいていると夢想していたのだ。
Californiaは起伏に富み、当時のミュージシャンが多く集ったLaurel Canyonや北西部にはDevil's Slide、それからLos AngelsとMalibuの間にはTopanga Canyonがあり、 ここでNeil YoungがAfter the Gold Rushを制作し、Mansonも一時近所に根城があった。
歌詞の中のCalifornia Slide=Californiaの大地という大きな滑り台、である。Californiaの大地における支配層の入れ替わり、最終戦争〜新しい世界の到来という文脈がManson familyからすれば解釈できる。Dennis自身はMansonの思想にどこまで近づいたかは不明であるが、前年冬から両者は住まいも別々であったものの、Manson familyとの交流は1969に入っても続いていたことは雑誌のインタビューで明らかだ。


英Rave誌9月号で1969年5月に行われたインタビューDennisはMansonをWizardと誉めたたえる この時点ではまだMansonの犯行とは誰も思っていなかった 

冒頭にも述べさせていただいたが、The Beach Boysという大名跡を預かる Mikeは現在のブランドイメージを共和党保守層の価値観に設定している。 それがMikeの権力の源泉であり収益の源である以上、価値の維持のため 何があっても出したくない音源であろうことは間違いない。
Brian一派のカウンター・カルチャーやドラッグ体験の価値感をうまく芸術性 という美辞麗句に置き換え昇華させたMike一派にしては大英断ではないだろうか?
12月28日はDennisの命日でもあり、最期は酒色に耽り薬物の影響でバンド活動から遠ざけられたと聞く、これはDennisへの鎮魂なのだろうか?

2.Slip On Through-Early Version-Dennis Wilson-

言わずもがなアルバムSunflowerの第一曲目であり、ラテンやソウルのフレイバー漂う The Beach Boysの新たな方向性を示す名曲。録音は二回にわたり行われている。 本作セッションのヴァージョンは採用されず、二回目のBrian邸でのものが採用され ている。
本作は採用されなかったヴァージョンであり、録音スタジオはGold Star並びにSunset Soundで、1969年7月8日 9日 14日の三日間にかけて行われた。
冒頭"third generation take two"の声が聞こえるが、Slip On Throughの原タイトルを実 はthird generationではないか?と思ってしまうが、おそらくreduction mixの過程で生 じるテープの種類をthird generationと呼んでいたのであろう。
BrianもPet Soundで多用していたreduction mixの手法では4トラックレコーダーと8ト ラックレコーダーを多用する。

まずインストパートを録音、
(例)first generation tape
ギター トラック1
ベース トラック2
ホーン トラック3
ピアノ トラック4
そして上記のトラック1から4を一つにまとめた音を8トラックレコーダーへ録音
second generation tape
上記トラック1から4 トラック1にまとめる 残りのトラック2から8をヴォーカル及びコーラスを録音
(またはトラック2から3をヴォーカル及び4から8をそれぞれコーラスの二度録り)
そしてこれらをミックスした音源を録音したものが、
 third generation tape
となり最後にアクセントのある効果音やヴォーカルを追加し完成 

The Beatlesの場合は4トラックレコーダーをシンクロさせ事実上8トラックの録音を実現していた、両者の手法では理論上無限にトラック数が増やせることとなるが、 実際は録音を重ねるたびにノイズが増えたり、音質の悪化やピッチのズレが生じていた。

以下は私見ながら 本作の場合、エンジニアのStephen Desperはステレオ定位を好んだので
8トラックレコーダー二台を使用し(Wally Heiderからのレンタル)
first generation tapeでは(おそらく7月8日 Gold Star)
 ギター ベース ピアノ ドラム+カウベルまたはティンバレスetc をそれぞれ2トラックずつ録音
second generation tapeでは(おそらく7月9日 Gold Star)
上記の8トラックを2トラックにまとめつつ、残りの6トラックをブラスとタックピアノを重ね録り 
third generation tape では(おそらく7月14日 Sunset Sound)
上記の演奏をさらにミックスして2トラックにまとめたものに対し
ギターに2トラック Jerry ColeあるいはDavid Cohenのギターを録音
そして残りのトラックはヴォーカル及びコーラス用に空けておく といった内容ではないかと思われる

Sunflower収録の原曲と本作との違いは聴いてすぐわかる通りヴォーカル無しの ヴァージョンであり、演奏時間も数十秒長い。また本作の方がキーが半音程度低くなっている、原曲はレコーディング時に回転数を上げた可能性がある。
また、ブラスアレンジも異なっており本作の方はGold Star産のSpector作品にありがちな次第に音が重なり厚くなっていく劇的効果をもたらすアレンジである。
リズムセクションも本作ではドラムとキハーダにタンバリンとシンプルであるが、 原曲ではパーカッションも加わりリズムパターンが豊富な曲調となっている。
ドラミングについていえば、淡々としながら終盤に向かって劇的に盛り上げる奏法 であり、原曲と明らかに違いチューニングも低めであり、フィルの入り方などからHal Blaineである。
また、原曲で聴かれる発信音のような音はカウベルあるいはティンバレスにPhillips製のディレイをかけて処理したものであり、同じ手法はDo It Againのイントロで聴かれる。
ディレイマシンの再生ヘッドの間隔を近づけることにより歪んだ音像効果を得た もともとツアーでヴォーカル用に用意した機材をStephen Desperが活用した。


Phillips社テープディレイEL 6911 円形の部分の再生ヘッドの間隔を調整し発信器のような音を作った

原曲でのドラムはDennisでも違う方のDennis Dragon、兄弟のDarylと長兄のDougでCapitolから64年にThe Dragonsでデビュー後、元々Bruce JohnstonとDougが遊び仲間だったツテで1967以降のThe Beach Boysのツアーメンバーとなる。
生家がそもそも西海岸では著名なクラシック演奏家であった所以かアレンジなどで 頭角を表し、Darylはキーボーディストとしてツアーやレコーディングで活躍する。
1972年のアルバム『Carl & The Passions/So Tough』で参加するもツアーから脱退後はCaptain&Tenilleを結成しメンバーCaptainとして70年代にヒット曲を連発する。
Dennisは後年Surf Punksを結成、南カリフォルニアのサーファーの習俗とパンクを合わせたユニークなサウンドで80年代活躍する、なんとThe Beach Boysの対抗馬として父Murryの手がけたThe SunraysのI Live For The Sunをカバーしている。The SunraysのリーダーRick Hennは1969年の夏からBrianとSoulful Old Man Sunshineで関わっており、1977年Doragon家の長女Kateと結婚している。




3.Carnival(Over The Waves)-José Juventino Policarpo Rosas Cadenas-

Brian邸1969年12月録音と伝わる
1969年下半期になるとBrian邸での録音が増加する。理由としては、4月12日の記事の 通りに新スタジオの建設が終了し機材の更新があったためである。この頃から2インチのテープに対応した16トラックレコーダーの導入がレコーディングの効率化をもたらした。
機材の調達先はWally Heider Studio、Brian邸のスタジオ建設に初期から関わっている。
Brother Recordとエンタテイメント系会社Filmways(主に番組制作などが主業、Sharon Tateもタレント契約していた)の間でスタジオ建設投資に関するパートナーシップを結んでWally Heider Studioへの投資を行っていたので機材のリースも 有利な条件で契約することができた。


16トラックレコーダー 3M-M56


Quad Eight社のコンソール(Elecrrodyne ACC-1204をベースにQuad Eightカスタム仕様の30イン)


 Elecrrodyne ACC-1204

Capitolとの契約は満了したが、あと一枚アルバムリリースが履行事項として存在 していた(残念ながらリリースに至らず翌年70年Live In London-後に米国内ではBeach Boys '69に改題し76年発売-のリリースで決着する)同時にRepriseとの契約 がまとまったものの、アルバムリリースへのゴーサインがレーベル側から色よい 返事がなく、セッションを続けていた。本作はそれらのセッションの一曲。
以前からブートレグで聞くことはできたが、今回はほぼフルヴァージョンであり 音質もクリアである。理由としては上記のスタジオ機材の更新があったことと 16トラックレコーダーの機能を生かしたレコーディング方法が挙げられる。
インスト部の録音はおそらく4トラックにまとめて残りの10〜12トラック全てに ヴォーカルを充てている。おそらく五声のハーモニーに対してそれぞれ2〜1 トラックを充ている、従来ならば五声全部を一旦録音しもう一度別のトラックに 同じパートを録音していたが、本作では一声ずつなのでクリアかつリッチな分厚 さなエフェクトを得ることに成功しており、録り直しのリスクも減りある意味 働き方改革が行われている。
本作の原作者はJosé Juventino Policarpo Rosas Cadenas、メキシコの作曲家で 邦題では波濤を越えてで知られるワルツの名曲である。
1884年米国New Orleans で開催された万国産業綿花百年記念博覧会に於いて母国の楽団とともに演奏した のが初出とのこと。
この博覧会の日本ブースを取材で訪れたのがPatrick Lafcadio Hearn、後の小説家小泉八雲である。
小泉は縁あってこの後来日し、神戸でも居を構え新聞記者として生活していた、小泉も思い出のスマハマを散歩したのだろうか?



 (text by MaskedFlopper)

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