2012年7月7日土曜日

☆ソニーミュージックより、ビーチ・ボーイズ関連の6枚のCDがリリース

ビーチ・ボーイズ結成50周年、ブライアン・ウィルソンがビーチ・ボーイズに戻りフル・メンバーでの27年ぶりの新作アルバム、日本を含むワールド・ツアーと、大きな「サーフズ・アップ」が訪れた。
EMIミュージックはまずサーフィン&ホットロッド・シーンのアルバム20枚をリリースしたが、ソニーミュージックはビーチ・ボーイズのメンバーのソロ・アルバムを中心にCD6枚リリースしている。『SMiLE』での挫折以降、ブライアンが急速にグループからリタイアしてしまったため、他のメンバーは自分たちで曲を書く必要性が生まれ、そのおかげで隠れていた才能が表に出てくることになる。メンバーはアルバム曲に留まらず、ソロ活動を行い、みなソロ・アルバムまで作るのだが、それがデニス・ウィルソンの『Pacific Ocean Blue』(1977年。未発表で終わった『Bamboo』とセット)(20084-5)とカール・ウィルソンのセカンド・ソロ『Youngblood』(1983年)(20395)である。重厚で壮大な世界観とサウンドを持つデニス、ファンキーなロックンロールを歌うカールのアルバムは、ビーチ・ボーイズの中では表現しきれないもので、この2人の個性が十分に伝わってくる。もうひとりのメンバー、ブルース・ジョンストンは、当初、スタジオでの曲作りに専念するブライアンの代わりにツアー用に呼ばれた「遅れた」メンバーだが、最も多くのソロ作品を作っていた。ビーチ・ボーイズ加入前にサーフィン&ホットロッド・シーンの中心人物のひとりだったブルースは、ソロ名義でも2枚アルバムを出していたが、その中でのベストが1963年のセカンド・ソロ『Surfin' Round The World(20391)である。ブルースはテリー・メルチャーと作ったブルース&テリーなど素晴らしいレコードを制作、ブルース・ジョンストンに関しては私は専門分野なので幾らでも書けるため、ここでは「その他多くの」と言っておこう、シンガー、ソングライター、プロデューサーとして八面六臂の大活躍をしていたため、人気絶頂のビーチ・ボーイズからお声がかかったのである。ビーチ・ボーイズに加入後、1970年代初頭には、「Disney Girl」などの名曲を書き、大きな期待を集めたものの、マネージャーと対立してグループを数年脱退してしまう。そこで再び組んだのがバーズのプロデューサーとして大成功を収めていたテリー・メルチャーと共にイクイノックス・レーベルを作り、カリフォルニア・ミュージックなどの素晴らしいレコードを作る。その時代にテリーが1976年に発表したセカンド・ソロが『Royal Flush(20393)だ。ブルースはコーラスとプロデュースで参加していた。その中、ブルースはバニー・マニロウに書いた「I Write The Song」がグラミー賞最優秀楽曲賞を獲得、その栄誉を受けてこの曲やビーチ・ボーイズやブルース&テリーの曲などを歌ったソロ・アルバム『Going Public(20392)1977年にリリースする。ブルースらしい甘い歌声、甘いメロディ全開のアルバムだ。ここまでは5枚は過去にリリースされたアルバムなので既にお持ちの方も多いはず。しかし『Good Vibration-The Beach Boys Songbook(20390)は初登場のカバー集だ。トッド・ラングレンの完コピカバーの「Good Vibrations」からスタート、ママ・キャスの「Disney Girls」などブルース&テリーがらみが7曲、アンディ・ウィリアムスの「God Only Knows」、トーケンズの新旧カバー3曲、ブライアンもコーラスで参加したジョニー・リヴァースの「Help Me Rhonda」などが収められた。これらの選曲は既CD化の曲が多く、内容的に驚くようなものはないが、レア度でペトラ・クラークがフランス語で歌う「No-Go SnowboatJ'ai Pas Le Temps)」が目玉だろう。この1曲でも価値がある。それにしてもブルースのソロはファーストがライブものだし、レーベルも違うのでセカンドなのはわかるが、カールとテリー・メルチャーのアルバムもセカンドで、ファーストが出ないのは不思議だ。(佐野)


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